【軍事】- 自衛隊や米軍の基地祭・友好祭 15

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80名無し三等兵
サイパン戦で生き残った田中徳裕・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)の証言
・「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。
・次には滑走路に集まった老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火が付けられた。
たちまち阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず我が兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。
・火から逃れようとする老人や子供を、米軍はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。
2人の米兵は草むらの中で泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持って真っ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。
「ギャッ!」という悲鳴を残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑う鬼畜の米兵ども。
・こんなに優勢な戦闘状況にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
・マッピ岬にたどり着いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串刺しにされた婦人を見た。
さらに自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れているのを眼前に見た。
田中徳裕著『我ら降伏せずサイパン玉砕戦の狂気と真実』