1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2009/05/27(水) 23:38:20 ID:???
2
3 :
名無し三等兵:2009/05/27(水) 23:44:21 ID:???
2
4 :
名無し三等兵:2009/05/27(水) 23:45:54 ID:???
2
5 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 00:05:42 ID:???
2
6 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 00:15:05 ID:???
うちのじいさんは、鳥海に艦上偵察機の整備員で乗っていた。
昭和13年5月から17年9月まで
だから第一次ソロモン海戦も体験していて負傷して下船しました。
砲撃を喰らった所は、人が蒸発したみたいに跡形もなく消えたそうです。
その後は、どっかの島で降伏して捕虜になり終戦を迎えました。
捕虜になった後は結構気楽にやってたみたい。
7 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 01:19:16 ID:9hCBn9K1
もう亡くなったけど父方母方ともに祖父は九州の出身。
父方はマレー→ガタルカナル→インパールと辛いところを従軍して無傷で
復員。母方は電電公社に勤めていた関係で九州で通信関係の軍務に。
同じ県出身でもこんなに違うんだなとおもた。
8 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 02:05:08 ID:RkMn3MWl
俺の4年前に死んだひいひいジイちゃんは152才なんだが、日露戦争にも行ったらしい。
9 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 03:32:56 ID:IE0Eh7y3
俺のじいちゃんは呉で戦艦大和に乗艦したらしい。
赤いカーペットが敷いてあったと言ってた。
10 :
uaa:2009/05/28(木) 04:57:26 ID:7kwF1PEX
爆笑レッドカーペット
11 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 07:10:56 ID:???
若い頃は機雷艇雉
そして戦艦長門
世界中回ったようで西洋のお土産があった
終戦間際は最年長で北海道に開墾に行ってたと聞いた
同じ時代を生きても内地外地、戦場、所属で色々違いがあるようだ
一兵卒まで全員長門の前で撮った立派な17インチモニターより大きい枠杁の写真をもらったようだよ
12 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 09:32:31 ID:???
俺のひいひいひいひい爺ちゃんは戊辰戦争に参加したらしい。
三人斬ったが、やはり新政府軍は銃などが新型で勝ち目がなかったと言っていたらしい。肉薄攻撃でしか勝てなかったと。
13 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 13:11:37 ID:???
戦時に曽祖父が病死したんだが、祖父は作戦遂行中だったから
情報漏洩のため死を伏せられて、曽祖父の死を知ったのが戦後で死に目にあえなかったらしいんだが
戦線にいる祖父と日本で病床にいる曽祖父って関係でも伏せるようなもんなの?
それとも2人とも戦地にいたから伏せられたのか?
まぁ親父に聞きゃあわかるんだけどその場合は戦病死なわけだし
14 :
名無し三等兵:2009/05/28(木) 21:38:17 ID:???
15 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 01:52:53 ID:???
うちのじーちゃんは通信兵でトラックとかマレーとかラバウルとかいろんな所に行ったって
ラバウルでは食糧ないのに延々歩いて
途中で蛇とか捕まえて食ったって
行軍中歩くのをやめて座りこんじゃった人は何を言ってももうそこから動けなくなるんだと
それで座りこんだひとは置いていかないでくれって言うんだけど、
自分たちにも背負う体力なんか無いからすまないすまないって泣きながら置いていくんだと
戦闘で死ぬ奴なんかほとんどいない、みんな飢えと病気で死んでいったって言ってた
あと中学の同級生に石原の家の奴がいるんだけどこの間久しぶりにあったら莞爾にスゲー似てきててワロタ
16 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 09:02:37 ID:???
俺の爺ちゃんは福島会津の連隊で、中国大陸に行った。
戦闘の話はあんまり言わなかったけど、
毎日毎日ひたすら歩いた話はよく聞いた。
足の豆が潰れる激痛に耐えながら、必死に行軍したらしい。
17 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 09:48:30 ID:???
18 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 18:47:26 ID:???
>>16 大陸ではむしろ敵が出て来て撃ってくれた方が良かったらしい
何故なら、伏せの姿勢で休めるから
(敵のタマも滅多に当らない
19 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 01:52:33 ID:???
>>1-18w
事実無根のネタをw
捏造するw
キモブサ童貞乙w
20 :
てんぷれ:2009/05/30(土) 05:25:40 ID:???
>>19 パンパンパーン
∩
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
21 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 06:57:23 ID:???
22 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 08:32:48 ID:???
パンパンパンパンパーン ☆
∩ ☆
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´>☆
☆
23 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 09:23:33 ID:???
>>16 会津と言ったら、白虎部隊と呼ばれた歩兵第65連隊ですね
たしか南京攻略戦の一番乗りだったはず
24 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 19:08:59 ID:???
番号がよく飛ぶなぁ
25 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 19:13:08 ID:???
>>22w
>>20と同じくw
戦争体験を☆風化させるw
国賊売国奴のw
キモブサ童貞乙w
26 :
名無し三等兵:2009/05/31(日) 10:11:14 ID:???
27 :
名無し三等兵:2009/06/03(水) 10:18:07 ID:I+PmzqxR
保守age
28 :
名無し三等兵:2009/06/03(水) 16:25:46 ID:???
sa〜ge〜
29 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 18:48:29 ID:rPUxOXAm
アゲ保守
30 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 19:01:16 ID:???
うちの爺さんは日中戦争に従軍、馬に乗ってあちこち転戦したそうな
軍医だと聞いていたがなんで馬に?不思議だな
31 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 19:27:08 ID:???
>>30 “ 軍医 ” は基本的に士官で、士官は基本的に馬に乗る事に決まってるから
32 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 14:33:02 ID:???
うちの爺ちゃんも愛馬と共に写った写真があるなぁ。階級とか詳しく分からないけど。
軍服の襟章に24て数字が付いてるけど、何の意味なの?
33 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 15:16:06 ID:???
34 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 17:05:41 ID:???
うちのじいさんは大陸に駐屯してたらしいが頭のおかしい上等兵らが
現地の女の足に片方づつ縄をくくりつけてそれを双方反対方向に馬を
引かせて真っ二つにしてたらしい。
兵隊らはそんな上等兵らを冷めた目で見てたらしい。
ごく一部の頭のおかしい連中のせいで日本軍すべてが残虐極まりない
極悪集団扱いされ戦後どころか未来永劫特定アジアに怨まれる
はめになったことを嘆いていた。
35 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 18:06:06 ID:???
>>34 規律が厳しい日本軍の中で、勝手に上等兵ごときがそんな真似できると思ってんの?
その時、上官は何してたんだ?
現地人をむやみに殺したら銃殺もんだろ
36 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 18:22:14 ID:???
>>33 調べてみたところ、どうやら陸軍騎兵第24聯隊の伍長?だったみたいです。
軍事の話はあまり詳しくないので、このスレで聞いてみました。勉強になって本当良かったです。ありがとうございました。
37 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 20:22:51 ID:???
>>34 Levisのタグにインスパイアされたんですね。
モボなお爺さんだったんだな。
38 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 21:00:33 ID:???
>34
上等兵だか上官だか知らないがとにかく現場を仕切ってるような立場のやつらしい。
規律が厳しいったってよく分からない中国の奥地で現場仕切ってるような
古株のキチガイ古参兵を押さえつける事なんて無理だと思うよ
39 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 22:07:27 ID:???
>>34 股裂きは古代から中国でよく行われた処刑方法です。
そんな真似をするのは中国人しかいないでしょう?
日本人の仕業だと偽造するのは良くないですな
>>36 騎兵第24連隊は盛岡ですね
40 :
名無し三等兵:2009/06/05(金) 22:41:58 ID:???
>>34 帰化した中国の方ですか?
日々の宣撫工作お疲れ様です。
41 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 00:29:15 ID:???
なにこのスレ?じいさんから聞いた話しを語るスレって言うから
レスしただけなのになんで俺がこんなに責められなきゃならないの?
平和な今でも世の中でキチガイらがキチガイじみた事件おかしてる
のに殺伐とした時代にキチガイが一人もいないとでも思ってるのか?
42 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 00:51:48 ID:NXq44IYF
工作員やらサヨクによって言いふらされてる、ありきたりな日本兵蛮行の話だからね
創作話ってのがバレバレ。
本当の話ってんなら、爺さんのいた土地と部隊の名前も教えろや
43 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 01:03:14 ID:???
お前いったいなんなの?なにがしたいの?じいさんをはじめじいさんの
戦友共々そのキチガイのおかげで一生の心の傷をおっててじいさんらも
いい迷惑してるのになんでお前にそこまで言われなきゃならないの?
創作話し?それじゃあニュースでやってる殺人事件も創作話しばかりなんですか
44 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 01:38:45 ID:prrQ2ORB
開戦時、長門で哨戒長してたじいさんの兄弟は「われ真珠湾に突入す〇一三○」なる飛行機からの電報を受け取り、五十六に届けさせたみたい
寝ていたであろう司令長官は正装で艦橋出て、皇居、靖国方向に脱帽最敬礼してたと
45 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 06:35:02 ID:???
>>34 車裂きって真っ二つにはなんないんだよ。
どちらかの足がちぎれてもう片方は胴にくっついたままになる。
事実なら爺さんはちょっと脚色して語ってると思われ。
46 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 13:26:50 ID:???
たしかにここのスレ人間は旧軍の人間を皆が皆
神兵だと思い込んでるようなやつが多いよね
47 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 15:56:08 ID:???
>>36 軍板初心者なんでよく分からないんですが、騎兵って馬に乗って戦う兵士ですか?
戦車に馬で突撃とか時代遅れじゃないですか?
48 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 17:12:50 ID:???
第一次世界大戦後に陸士の騎兵科も騎兵学校も順次、機甲教育に変わっていったよ
騎兵科の連中もみんな戦車部隊要員になった
騎兵科出身のバロン西とかその例だね
映画硫黄島の手紙で同じ騎兵科→騎兵学校出身の栗林閣下とバロン西が
馬連れて馬で戦ってたころが懐かしいなぁって感慨深く話してた描写があったはず
49 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 18:28:08 ID:???
>>43 匿名掲示板でムキになんなよww
最近のねらーはネトウヨが多いから
そのテの話は無条件で工作員認定されやすいってだけだ
50 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 20:38:28 ID:???
51 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 21:09:15 ID:???
ご先祖様、生き方下手すぎワロタ
長州藩士→親戚や幼馴染に松下村塾に誘われるも断る
→倒幕運動も興味なく何をするわけでもなく日和見してたら維新迎える
→維新後、親戚は県庁勤務、幼馴染は官僚、先祖は失職
→禄失ったから当時珍しかったガラス屋を始める
→繁盛して金儲ける→息子が継ぐ
→継いだ高祖父が曽祖父が子供のころに死ぬ
→子供の曽祖父は店継げないし金ないし廃業
→金ないし陸士受ける→ついでに陸大も受かる
→これからってときに日本で病死。戦病死でもないので2階級特進もなく将官になれず
→後を継いだ祖父が曽祖父の名誉を晴らそうと陸大に向けて猛勉強
→受験の前に終戦→失業したからとりあえず京大受ける
→卒業後に学者になるかと誘われるも金ないからとりあえず就職
→出世できずに定年→クラスメートは教授に
→官僚やってた大叔父が退職して起業して失敗
→祖父が借金を肩代わりする
→その後貧乏暮らし
52 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 22:08:08 ID:???
だいぶ前にうちの爺様がまだ存命中、戦時中何してた?と聞いてみたことがある。
爺様はひたすらマツヤニばっか採っていたそうだ。
なんでマツヤニ?と思ったが戦争末期はガソリンがなくなってその代替燃料に
するためだったとか。
マツヤニってものすごくネチャっとしててとても液体になるようなものでなく
「ほんとかよー」と当時はやや疑い半分で聞き流してしまった。
というかガソリン代わりにマツヤニ使ってたら動くものも動かなくなるのでは?
とかほんとにそれで戦争してたなら負けるわなーとか。
しかし後年坂井三郎の話だか零戦の話だかなんとなく拾い読みしてたら本当に
当時は戦闘機がマツヤニの油で飛んでいたとあり驚いたんだがもっと驚いたのは
亡くなってから爺様が某航空師団に所属してたと知ったこと。
戦闘機の燃料のために採ってたんだから当たり前っちゃ当たり前?
ああ、もっと生きているうちにいろいろ聞いておけばよかった。
53 :
名無し三等兵:2009/06/06(土) 22:18:34 ID:???
>>52 松根油のことだね。
あれがガソリンの代わりになるとの話でびっくりした。
54 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 00:33:13 ID:???
そもそもなんで日本には石油でないのよ
55 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 00:59:27 ID:???
実は満州にも大規模な油田が眠ってたんだけど、発見されたのは戦後
56 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 02:36:54 ID:???
あれは満州の大地に流れた日本人の血だ
57 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 03:09:01 ID:???
>>48 戦車乗りだった爺さんも騎兵科だった
騎兵→憲兵になる奴も結構いたらしい
58 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 05:44:59 ID:???
満州に油田?じゃあハルノート無視して油田開発してりゃ日本はどうなったことやりゃ
59 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 09:36:58 ID:???
ターチン油田か?
今枯れちゃったんだっけあれ。
60 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 11:05:54 ID:???
>>43 基地外はいつの時代にもどこにもいるって話だよ。
こいつらはその上級兵と同種のヤツだから、まぁ、気にすんな。
61 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 12:48:19 ID:???
まか上等兵だもんな
一等兵には偉そうにしてても所詮、職業軍人でもなんでもないペーペー
初めて戦場に来て気分も高揚してたんだろう
下士官も態度が傲慢なのは同じだが
そこは叩き上げのベテランとして軍隊規律はちゃんと守る
62 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 13:14:19 ID:X3BDw2Ts
>>43 そうだ!そうだ!
アフォにいちいち構っていたらキリがないぞ!!気にするな。
63 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 20:25:03 ID:???
2、26事件に参加したじいさんにならあったことある。
詳しく聞いとき気ゃよかったorz
64 :
名無し三等兵:2009/06/07(日) 21:36:24 ID:???
>ターチン油田か
あれってものすごく重質油って効いてるけど(ほとんどパラフィン)
65 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 01:08:03 ID:???
コップに原油を入れてひっくり返し、そのままコップを持ち上げると原油がコップの形のまま残るそうな。
66 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 01:52:39 ID:???
それなんてコーヒーゼリー?
67 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 07:21:32 ID:???
>>41w
>>43w
5W1Hな内容でレスが出来ないw
日本語が不自由なw
キモブサ童貞乙w
68 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 13:21:14 ID:???
>>36 たしかあの田中角栄元首相も、盛岡の騎兵第24連隊だったはずですよ
69 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 16:28:14 ID:HKmZJoh+
ジパング読んでみ?、たぶんあんな流れじゃないの?コミンテルンがザワザワして、ペンタゴンのアジア局も。
70 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 17:53:27 ID:???
中曽根は主計だっけ?
息子が海自か
71 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 20:49:49 ID:???
>>54 新潟に油田がある。
ものすごくちっさいけど。
72 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 20:57:45 ID:???
死んだ爺さんの話、中国に出兵したとのこと。
川の中で3日間、忍者のように竹を咥え息継ぎをしながら隠れたそうだ。
中国では友達も死んだし、嫌な思い出も多いと言ってた。
その後病で帰国。療養後、再度出兵することになってたけれど
召集数日前に終戦となったそうです。
戦後は、米軍の運転手になったそう。英語も多少できたらしい。
アメちゃんは気前良く、ファッションとかも格好良かった。
ご馳走してもらったり、スーツを貰ったりしたそうだ。
あの頃は貧しかったけれど楽しかったと、かねがね申しておりました
73 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 21:03:05 ID:???
スレチだが海底にあるガスかなんか知らないが石油の次の世界的に利用される事になる次世代の燃料が日本列島を
取り囲むようにとてつもない量が眠ってるって聞いたことある。
実用化まで半世紀後とかだから俺なんか年寄りだわw
74 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 21:14:16 ID:???
メタンハイドレート だね。
75 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 21:24:45 ID:???
時代の流れ的に仕方ないけど軍学校行くより
中曽根みたいに旧帝行って幹部候補生で終戦したほうが勝ち組だな
軍学校行った職業軍人と階級も変わらんしな
76 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 22:52:06 ID:???
>>73昨年の常識がひっくり返る事があるのが科学の世界。もっと早まるやもしれん。
かえって周辺国の台頭のほうが障害になるかも。
そして、海底戦車や海底歩兵、海中戦闘機で交戦するかも。
77 :
名無し三等兵:2009/06/09(火) 11:41:15 ID:???
>>72 講釈師w
見て来たようなw
嘘を言いw
そのままのw
キモブサ童貞乙w
78 :
ゴミ掃除:2009/06/10(水) 03:44:46 ID:???
>>77 パンパンパーン
∧__∧ ∩
(,, ゚ Д ゚)彡☆
⊂彡☆))∀´)))
☆
79 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 03:52:59 ID:???
>>55 石油の存在自体は知られていたけど、普通に採掘できるタイプではないから等閑視されてたんじゃなかったかな。
それに、そんな大規模ではなかったんじゃない?
>>58 それができるほど進んでいたら、戦争を起こす必要がなかったという落ちじゃない。
>>64 あ、それかな? 要するに普通に汲み上げられなくて、普通に使えないから、石油の内に入ってなかったとか。
80 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 13:24:10 ID:???
>>78w
>>72と同じくw
戦争体験を☆風化させるw
国賊売国奴のw
キモブサ童貞乙w
81 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 13:54:03 ID:???
>>80 あなたのおじい様の戦争体験を教えて?
是非ともw
82 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 14:42:56 ID:???
水の中に3日間ていれるもんなのか?
ふやけまくって悲惨なことになりそうだね
83 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 15:53:49 ID:???
>>82 川に三日目も全身浸ってたら、低体温症で普通は死ぬけどね
84 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 17:07:27 ID:???
かつての忍者は普通にそんな訓練してそうだなw
85 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 18:34:11 ID:???
>>81 俺の曾祖父は!
徴兵検査を受けた後☆
1920年にスペイン風邪で亡くなったので!!
生憎語るべき戦歴はないな(-@Д@)
86 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 22:40:48 ID:???
うちの遠い親戚だが広瀬だかなんかそんな名前で日露戦争かなんかで活躍して歌にもなった
かなりの英雄だったらしい。
87 :
名無し三等兵:2009/06/11(木) 09:59:55 ID:???
88 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 09:00:26 ID:SQxGaIBi
爺ちゃんの部隊だけかもしれないけど、
機関銃類は、古参の上等兵とか兵長殿しか撃てない規則があったって言ってた
89 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 12:28:22 ID:FYOMrJnc
ヘタレが撃つと撃針折るのもあるけど第一、弾がもったい
90 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 17:09:23 ID:lNJM8urT
うちの死んだじーさんは
長崎三菱で武蔵のリベット打ちやってて戦場にいかなかった
91 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 22:21:19 ID:???
我が爺は台湾の高雄出身で、海軍に入っていた。
以下手記より
最初は大和の電気屋で、高角砲のヒューズとかが切れたらすっ飛んでいくらしい。
ただ第三か第四高角砲塔は高いところにあって、副砲の梯子を登らないと行けず、怖かったとか。
でも砲塔のだだっ広い天蓋の上に立って艦尾を見ると、とんでもないウェーキが発ってて感服したんだと。
ミッドウェーの後トラック島に上陸して、そこで飛行甲板がザクロみたいになった空母を見たとか、島と思ったら巨大空母だったりとか、枚挙に暇無し。
その後試験を受けて内地勤務を目指し、見事合格したが、行くように言われたのはP基地とかいう処で、それは瀬戸内海の小型潜水艇基地だった。
シコルスキーの襲撃を受けたりしつつ、訓練終了。四国沖の米機動艦隊迎撃に向かうも、着いた頃にはおらず。
で再出撃の日に終戦。
上官は沖縄へ向け出港し、途上で機関故障。ピストル自殺していたらしい。
戦後はバス運転手になって、息子であるマイファザーに「車だけは運転するな」と煩く、親父はそのせいか免許持ってない。
大分前に死んでしまったが、酒の席でやたら「シコルスキーシコルスキー」言ってたのが懐かしい。
何時も帰るとき、おかしな敬礼してたの覚えてる。
スペシウム光線!みたいな格好の
92 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 22:24:30 ID:???
93 :
名無し三等兵:2009/06/13(土) 00:11:36 ID:???
敗戦で基地の飛行機を米軍によって焼却処分される時に、
炎にまかれて崩れ逝く愛機達を、搭乗員全員で敬礼しながら見送ったそうだ
某戦争映画を見てた時に、零戦が焼かれるシーンが映し出された瞬間、爺さんがポツリと語ってくれた。
94 :
名無し三等兵:2009/06/13(土) 13:46:32 ID:???
うちの爺さん、今までは戦時中の話は一切しない人だった。
先日亡くなったんだが、その少し前に自分が遠路病床を見舞った折、既に死期を悟ってたんだろう。
ぽつぽつと戦時中のことを語ってくれた。
自分は軍事的な事は全くの素人だし爺さんの話もどうも断片的であやふや気味だったから、話の内容もどれだけ正確なのかは分からぬ。
だが、素人なりにもかなり興味深い話だったことは事実。
ここは爺さんの記憶を繋ぎ合わせ、整理して記し、皆さんの供覧に処することにしたい。
爺さんは戦争中に海軍の士官学校を出、潜水艦の専門教育を経て出来上がったばかりの新しい潜水艦に配属された。
当時日本では既に船の燃料が枯渇していたらしく、爺さんの潜水艦は最低限の燃料を積んで呉を出航。
まだ石油が潤沢に有った中国の基地で不足の燃料を補給し、舞鶴の海軍基地に入港したという。
そして舞鶴で出撃の時を待っていたらしいのだが、出撃命令が出る前に8月15日すなわち終戦の日を迎えてしまった。
普通なら爺さんはここで復員し、彼の軍歴は波乱なく終わるはずだったろう。
だが、運命の女神はまだ爺さんにそれを許さなかった。
終戦の日からまだしばらくの間、爺さんは過酷な試練を強いることになるのである。
(続く)
95 :
名無し三等兵:2009/06/13(土) 14:29:48 ID:???
中国戦線で軽機撃ってたとしか聞いてないな
元気なうちに聞いてみよう
96 :
名無し三等兵:2009/06/13(土) 20:48:22 ID:???
じいさん米人捕虜シバキまわしてたらしい
97 :
名無し三等兵:2009/06/13(土) 23:51:20 ID:???
>>96 BC級戦犯とw
その孫のwキモブサ童貞乙w
98 :
名無し三等兵:2009/06/15(月) 12:21:43 ID:0P+IacLr
うちの爺ちゃんはもうすぐ93歳。
まだまだピンピンしていて、毎日早朝から夕暮れまで畑仕事に出掛けて、日曜日には趣味のテニスを俺と一緒にする。
若い時にフィリピンに出征。数百人いた部隊で、日本に生還できたのは30人くらいだと言ってた。
爺ちゃんの宝物は、武運を祈る寄せ書きが書かれた日章旗で、戦場でもお守りとして肌身離さず持ってたそうだ。
今でも桐の箱に入れて、とても大切に保管している。
沢山ある寄せ書きの中に、「頑張レ息子、祈武運長久」って曾祖父が書いた文字もあって少し感動した
99 :
名無し三等兵:2009/06/15(月) 13:03:11 ID:???
テニスを一緒にって凄すぎる・・・・・
93歳を右に左に走らせてないだろなw
100 :
名無し三等兵:2009/06/15(月) 16:12:48 ID:yFWG7Yhi
じーちゃんはフィリピンに行ってた。兵隊さんの食事の用意をしてたらしい。現地のチビッ子たちと仲良くなり、日本から持って来た鉛筆などをあげるとチビッ子たちはバナナを採ってきてくれたって
ウチの死んだじいさん、1944年頃南京にいた時スパイ容疑のある12くらいのガキを銃剣で刺し殺したって言ってたよ。じいさん曰くスパイなんかではなく、ただ学徒組に殺しに慣れさせるための訓練みたいなものだったと言ってた・・
自演乙
103 :
名無し三等兵:2009/06/15(月) 18:40:26 ID:I6jhuQNW
輸送作戦従事中に艦載機の銃撃にやられた
38−2任務部隊が犯人っぽい
エリート将校の戦後の生き方もいろいろあって興味深いよね
陸幼とか海大、陸大出た人は、自分は生涯軍人だ!として自衛官になった人とか多かったのかな?
旧制中学組は大学入りなおしたやつとか多そうだが、もちろん生活のためもあるけど
エリートコースだと信じて進んできた道が天地逆転して、公職追放されて
今まで見下してきた大学組が今度は逆の立場になって見下し返してきたから
そういうコンプレックス抱えて大学に入学しなおした人とかも多かったんじゃなかろうか
108 :
uaa:2009/06/16(火) 04:48:06 ID:qzb2yWjf
戦後、陸士・海兵は専門学校卒扱いだったからな。
大学に入り直した連中はいいけど、終戦で陸士・海兵が無くなって、
中退の状態で自衛隊に入った奴らはどうしようもなかったらしい。
奴らはロクな教育を受けて無いから、
一流大卒のエリート官僚達に行政能力では全く歯が立たない能無し。
リーダーとしての資質もなく、人間としてもクズ。
実戦経験もないから、現場でも使えない。
だったそうだ。
そんな奴らを出世させちゃったから自衛隊がおかしな組織になったって最近元防大教授が書いてた。
>>105 そうです
>>104 そこまで限定されるか・・・
同居していなかったのでほとんど話は聞いてないのが残念
110 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 06:55:00 ID:wJl2Oyqe
日本のゲーリングもどきの知り合いと自慢されてめ
ウチのひい爺ちゃんは陸軍。
死那で便意兵を見分ける方法は、ラッパを見せて「日本人ならわかるよな?これは何だ?」
便意兵「ラバッ」
爺ちゃん「一丁あがり」
>>111 便衣兵っていうのは、中国の一般住民に偽装してる奴の事だよ
日本人に成り済ましてる訳じゃないからね
そこんとこ良く勉強してから書き込みなさい
父方のじいさんは故郷に帰り着けなかった。山下司令官の幕僚?だったらしい。ポツダム将軍と聞いた。
母方のじいさんはよくわからん。大陸で現役除隊したあと、そのまま下士官待遇?の軍属。
軍用犬のトレーナー?だそうだ。
刀もって犬や同僚と一緒にうつっている写真を見た。戦後、犬飼っていたと言う話は聞かない。
双方ともに故人。
114 :
113:2009/06/16(火) 13:13:27 ID:???
母方のじいさんについてもう少し思い出した。
原隊は宇都宮の騎兵連隊??だそうな
遺品から戦友会の会誌が出て来た。○○屋へ行って○○するのが楽しみだったと書いてある。
なんだそりゃw俺と一緒だww
……今頃になってじいさんたちの軌跡が気になって来た。
でも、なにをググればいいのかわからない。
軍板の研究家の皆さん、なんかヒントがあれば教えてくだされ。
所属の部隊の名前で検索かけて、出てきたページの気になる単語をさらに検索していけばよろし
116 :
uaa:2009/06/16(火) 17:08:59 ID:qzb2yWjf
117 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 17:15:37 ID:bgKAQeW/
サイドカーに乗った憲兵隊が通ると、めちゃくちゃ怖かったって言ってた
118 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 17:26:55 ID:bgKAQeW/
>>117 自分の親(当時小学生くらい)が言ってた事です。
とにかく憲兵は怖かったと、しつこいくらい聞かされて来ました。
新参さんこんにちは
憲兵は警察も手出しはできないは軍の内部でもいちゃもんつけられたら
階級は上だろうが容赦しないわ大戦末期になると一般市民を脅すような
ろくな教育もされてないチンピラまがいの奴もいてそれはひどかった
知ったかすんなよ
俺の死んだ爺ちゃんは、鶴田浩二って昔の俳優の人と、同じ海軍航空隊だったと言っていた。
鶴田さんの葬儀の時も同じ戦友会として参列したはず
>>122 捏造乙www
鶴田浩二が!海軍航空隊に!!在籍した記録はないがwww何か?
>>123 捏造乙www
鶴田浩二がは!海軍航空隊に!!在籍していたことが人生に多く影響を及ぼしたと書いてあるがwww何か?
19歳で関西大学専門部商科に入学するがその年に学徒出陣令により徴兵。
終戦まで海軍航空隊に所属し、その体験が人生に多く影響を及ぼした。
126 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:09:10 ID:bgKAQeW/
>>119 こんにちは
知人のお父さんから聞いたなはしですが、戦時中、近くで泥棒などの犯罪が起きたら真っ先に朝鮮人が疑いをかけられ、憲兵や特別高等警察や一般の警察が来て朝鮮人は酷い目にあってたって聞きました。
自分の母親から聞いた話しは、当時朝鮮人はすぐにわかったって言ってました。
母親が言うには、朝鮮人は舟!?みたいな形をしてた靴を履いてたって言ってました。
127 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:15:54 ID:bgKAQeW/
ナチス親衛隊と日本軍憲兵隊、どっちが容赦ないですか?
128 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:26:48 ID:IQCHDfWj
うちの祖父は、開戦してから終戦まで歩兵をしてた。
終戦時の階級は、伍長でした。
いくつかの勲章をもらったらしい。
どこの部隊なのかわからないが、激戦地を駆けめぐったみたい。
わかっていることは、今の北朝鮮にある清津にいたことだけ。
陸軍の施設があるかどうかわからないが、群馬の桐生にいたことがあると聞いたことがあります。
母方の祖母の弟は、海軍のパイロットだったが、秋田で終戦を迎えたそうです。
秋田県に海軍の航空隊があると聞いたことがないが、三沢の航空隊の分遣隊があったと思います。
129 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:48:37 ID:bgKAQeW/
YouTubeで見たんですが、台湾の龍なんとか寺公園でインタビュー受けてた大日本帝國統治時代に日本教育受けた台湾人のおじいさんが出てたけど、すんごい親日なんでびっくりしました。
この歳になっても日本人になりたい日本人になりたいって言ってました。
>>126 そのとき故郷に帰っていればよかったのに。
131 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 23:46:27 ID:1Kj9gCj7
>>122 大勢の爺さん達が、旭日旗で覆った鶴田さんの棺を霊柩車まで担いで、
軍歌を歌いながら出棺する様子をテレビで見た事あるわ
132 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 00:18:08 ID:4r6iLs//
うちのじいさんはビルマに行ってた。
本当はシンガポールの警備が目的の乙装備師団だったらしいけど
インパール作戦失敗→兵が足りん→急遽ビルマへ!
ってなったらしい。
結局じいさんの小隊50人?中帰ってこれたのはじいさん含めて
7人だけだったらしい。
もっと話聞いておきゃよかった。
うちの父方の曾祖父は拉孟で玉砕
母方はシベリア抑留で死亡
134 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 11:10:25 ID:0kGt3Awc
皆さんは大日本帝國の軍歌は何が好きですか?
自分は台湾軍の歌っ言う日本の軍歌が好きです。
135 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 12:28:29 ID:c0cffmbE
〉122
藤枝基地で地上整備員されておられたのですか?
>>134賛美歌第678番の替え歌「たんたんたぬきのきんたまは〜」が
好きです。
抜刀隊
軍艦行進曲
戦艦大和の歌
君が代行進曲
が好きです
山砲兵第五十五連隊で、ビルマで1945.7に死亡
あと少しで終戦だったのに惜しかった。
うちのじいさんはレッドリボン軍の少将やってたんだがある日
猿より身軽なガキがきて一晩で壊滅状態。
じいさんは名誉の戦死だった
スベってんで
つまるもつまらないもそりゃツッコンでくれなきゃ始まらないし元も子もないだろ…
じいさんの死が無駄になっちまうよ
親父からの又聞きなんだが
うちのじーちゃんも招集されて中国に行っていたらしい。
召集時に「(防諜のため)着物に下駄」で来ることとあり、
指示通りに行ってみたらそんな奴らばかりが集まって
かえって非常に怪しかったらしい。
中国では何をしていたか、については
「ちゃんころのしらみ取ってた」と言っていたらしい。
144 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 22:37:39 ID:XZskCiBq
うちの田舎のJRの鉄橋に、グラマンが機銃掃射した時の弾痕が今も残ってる。
厚さ30ミリくらいの鉄板を貫くんだから、人間に命中したらどんだけ悲惨な状況になったんだろ…と怖くなった。
婆ちゃんに聞いたら、終戦間際に度々沖の方からグラマン機が飛んで来ては、民家や機関車、動くものなら何でも狙って撃ちまくってたと言っていた。
時期的に、釜石艦砲をした米英軍の艦載機だと思う。
>>143 語尾に『らしい』が付くのが特徴的なw
事実無根の捏造をするw
国賊売国奴のw
キモブサ童貞乙w
>>144 たしか東北と北海道はB29の航続距離が足りなくて、主に空母艦載機による空襲だったって聞いた
512 :名無しさん@十周年:2009/06/21(日) 04:52:05 ID:Kot8vRcIO
もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。
その時に陸軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。
(じいちゃんは否定)
終戦迎えて内地に帰って…じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。
じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、ばあちゃんはいつも「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」って泣きながら笑い飛ばしてた。
しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。
ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」ってばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり…
ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり…
ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って…
晩年、ばあちゃんが「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ…
スレチやけど、ふと思い出した
携帯から長文スマソ
【裁判】 中学生になる長女の援助交際を知った母、送迎とピンハネ開始。やがて次女も援助交際に興味を持ち、売春…買春斡旋母、初公判
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1245298460/512
ええ話しやないかい(;_;)
みんな知ってる話だと思うが、
>>149を読んで思い出した。
拉孟守備隊。
この守備隊に慰安婦いたが、金光隊長は彼女らを巻き添えにしない
ために彼女らの投降を命じた。
朝鮮人慰安婦は投降したが、日本人慰安婦は全員残った。
残った彼女らは、弾薬運びや看護に従事した。
このうち1人は、金光隊長の許可を得て、両眼を失った戦傷兵と結婚、
彼の眼の代わりになって戦い、玉砕に殉じた。
俺のじいさんはでっち奉公から努力しかなり大きな建設会社を造り上げるも
借金の保証人になり倒産。当時大学生の親父は就職し母ちゃんと出会い結婚。
27の時一人息子である俺が生まれたらしい
俺の母さんの実家は沖縄なんだけど、ご先祖様のお墓が無い。
聞いたら、沖縄の伝統的な墓は独特の造りなので、戦争中にアメリカが日本軍のトーチカだと勘違いしたらしく、猛攻撃されて跡形も無く吹っ飛んだそうだ。
戦後に遺骨を探したけど、地形も変わってしまっていて発見できなかったと言っていた。
祖父母は健在なんだけど、自分達が入る墓の心配をしだしているみたいです。
俺の祖父は本土の工場で偽物の戦闘機作ってたらしい
155 :
名無し三等兵:2009/06/22(月) 14:04:00 ID:+pPKEJ6W
>>153 亀甲墓ですね
実際に防空壕や軍のトーチカとしても使われたみたいですよ
>>156 知識は全部wikipediaだより
だから間違いを指摘されても言い返せない
キモブサ童貞乙w
>>157 大東亜戦争史も☆ろくに知らずw
捏造とw丁稚上げしか出来ないw
腐れ外道のwキモブサ童貞乙w
>>158 憂国の士を気取ってる割☆には身内に戦争体験者がなくw
徴兵逃れ☆のためにスペイン風邪で病に伏せたw
ヘタレ☆非国民wの曾孫の分際でw
大東亜戦争史キリッと言う割にはw知識のほとんどがwikipediaだよりのw
腐れ非国民のwキモブサ童貞乙w
自演としか思えないのは私だけでしょうか?
>>159 その言葉をw
その言葉をw
日本人の戦争体験を☆風化させるw
国賊売国奴でwキモブサ童貞の貴様にw
そっくり返してやろうw
自演乙
>>161 我の愛国心はお前らの愛国心などと比べ物にならない
宇多天皇とを祖に持ち、代々長州藩士
錦の御旗を掲げ官軍として戊辰戦争を戦い
高祖父の代から3代に渡り
誇り高き帝國軍人として皇国のために命を捧げた
我が家こそ真の大和おのこを名乗ってもいい
>>161 その言葉を
その言葉をとか
痛いとこ突かれたからどもっちゃってんの?www
そりゃ先祖がスペイン風邪で兵役逃れして志望したんだから
曾孫として恥ずかしいよなwwww
【沖縄】「二度と家に来る事は出来ませんよ。父母様よサヨナラー」 太平洋戦争で戦死した特攻隊員の最後のはがき、63年の時を超え発見
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1245652215/ 221 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/06/22(月) 18:28:59 ID:sEAODdS40
話は全然違うけど、最近のミスチルの曲で「花のにおい」っていうのがあるんだけど、
そのPVの出来がひどい。第二次世界大戦の日本をモデルにしてるんだけど、青年の家に赤紙が届いて、家族に別れをつげて、トボトボと戦地に向かう、というシーン。
嘘もはだはだしい。昔の日本は皇国史観の洗脳教育で、天皇のため戦地で戦うというのはこれ以上ない名誉で若い男子はそのためだけに生きているといっても過言ではない。
中国で死んだオレの親戚のおじいちゃんが日記を残してるんだけど、召集令状が届いたときはとにかく嬉しくて興奮して眠れなかった。と書き残している。
戦争の悲惨を伝えたいのはわかるけど、戦後の反戦教育で間違った認識のもとに作るのはどうかと思う。
>>157 Wikipediaが100%信頼のできる出展ではないことは確かだが、
だからといって論拠も無し否定できるものでもない。
お前がすべきことは、「鶴田浩二が海軍航空隊に在籍した記録がない」
という論拠を示すこと。それができなければ、
>>122氏の書き込みを
捏造呼ばわりしたことを謝罪するべし。
>>157 そうだよお前。wikipedeaに頼って
乃木保典氏が幼年学校卒ではない
捏造だという論拠も示せ
示せないのであれば前スレ
>>826とその曽祖父殿にも謝罪しろ
何が愛国心だよ。やってる事は所詮人殺しじゃねえか
>>164 全世界のスペイン風邪の犠牲者を↑侮辱する↓
自称日本人でw
腐れ外道のw
キモブサ童貞乙w
>>164 靖国神社に☆参拝した事もなくw
日本人を↑誹謗中傷する↓
自称日本人でw実は在日特亜人のw
キモブサ童貞乙w
>>169 人殺しには変わりないな。
赤ちゃん殺しと言われて傷ついたのかね。
何がハーグ条約だよ。アングロサクソンの横暴からアジアを
守るだ敵国語の使用を禁止するだ言っておきながら
その時の都合で白人国家が勝手に作ったきめごとですか…
>>172は
軍人=人殺しって完全に日教組に毒されてんなw
善悪二元論でしか物語れない馬鹿なんだろうね
どこの国も軍人はエリート、尊敬の対象なのに
軍人がこんなにも尊敬されないなんて日本だけだよ
>>173 適性語なんてものはマスコミが勝手に煽ったものであって
陸士じゃあロシア語、ドイツ語を海兵じゃあ英語を
旧制中学や高校でも英語をずっと教えてたんだがw
そもそも公式に禁止令なんて出てないからw
馬鹿は人を煽る前にちゃんとした知識を身につけてきてくださいね
>>169 WW2ぐらいからあまり守られていませんが。
>>175 軍人はエリート?思い上がりもはなはだしい。
>>177 皇族や王族がなぜ軍学校にすすんだか考えればわかるだろ
日本じゃ家柄関係なく勉強できれば入れるが
アメリカじゃあ上院議員の推薦がないと入れないし
日本の場合で言うと戦前ではナンバースクール出て帝大出て高等官なるっての並ぶ
いやそれ以上のエリートだろ軍人なんて。そりゃ20そこそこで高等官になれるんだからな
戦前はどこもかしこも優秀な人間は大将か大臣になれって言われてたし
海外では軍人はエリートだとか戦前は皇室もどうだの言ってるけど
ここは日本ですよ?21世紀の日本ですよ?時代錯誤も甚だしい…
自衛官は文民です。軍人ではありません
正式に言うと21世紀の日本に軍人なるものは存在しません
今でさえ防衛大はそこそこの難易度に甘んじてるけど
戦前の軍学校は旧制高校→帝大に並ぶエリートコースだった
大正の一時期を除いて軍人は憧れの的だったし、誰しもがなりたいと思った
それを含めて日本ほど軍人が尊敬されない国は無いと言ってるんですが
馬鹿ですか?
文民統制とか言う訳の分からない理屈で自衛隊が軽んじられてる
訳の分からない国に成り下がってる日本。
日中戦争を始めたのは近衛内閣ら文民のせいだと言うのが分からないのか…
かえって軍人は戦争の怖さを知ってるから自分から戦争したがる事なんかないのに
182 :
uaa:2009/06/24(水) 04:50:34 ID:kBMxadg1
軍人はエリートと言うのは正確じゃないと思う。
エリートなのは陸大・海大出だけ。
欧米が日本と違うのは、軍隊が身近なことだと思う。
戦前でも徴集率は日本よりはるかに高くて、殆どの成人男子は兵役経験者。
それに対して日本は、昭和8年の数字が手元にあるんだが、徴兵検査受験者の20.1%
ドイツやフランスでは平時でも太平洋戦争中の日本より高かったそうだ。
それに対して日本で軍人が一般人に尊敬されたのは昭和の一時期で、
明治時代も軍隊に協力的でない奴がいっぱいいた。(今ほど酷くはないだろうけど)
日露戦争の時も、海軍が監視所作ろうとすると、先にその土地を買い占めたり、
傷痍軍人の子供が「廃兵の子」って虐められたり・・・・
そもそもここはおじい様の戦争体験を語るスレなんだからオマイラどっちもスレチだろ
184 :
uaa:2009/06/24(水) 05:07:46 ID:kBMxadg1
スレの趣旨に則って補足すると、明治の末に任官したエリート官僚だった母方の祖父さんは軍人のことを馬鹿にしてた。
戦争中も疎開先で軍隊批判してたけど、宮内省の勅任官だから警察や憲兵は手出しできなかったようだ。
185 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 05:26:16 ID:wp3FKeta
186 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 05:39:11 ID:k2QptmLD
あーぁ
スレチ野郎のせいでつまんねぇスレになっちまったなぁ
187 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 09:28:25 ID:+WIHttHc
軍人って元を正せば武士だろ?明治以前侍はどう思われてたの?
軍人特に旧日本軍は人殺しを愛するキチガイ集団ってことで終了
↓
ご先祖の軍人経験談ドゾー
エリートがどうたらこうたらはもう聞き飽きた
爺さん達の体験談が聞きたいの!!
うちのじーさんは、中国に渡った。家族は心配していたが、すぐに宮崎の基地に移動となり
終戦を迎えた。
コックとして優秀だったおかげらしい。
出征前よりも太って帰ってきた、というのは蛇足。
>>182,184
陸士、海兵卒でも充分エリートだよ
学費が無料で20そこそこで高等官になれるから倍率も高くて
ナンバースクールに入るよりよっぽど難しかった
地方紙や中央新聞の地方欄には地元の人間が東大に合格しても記事にはならなかったが
陸士か海兵に合格したら記事になるほど
陸士、海兵合格者は中学の誇りで、陸士、海兵在学中に母校に訪れるのが慣例だが
在学中の中学生は陸士、海兵の先輩を憧れの目で見る存在
>>184のジジイが軍にどんな感情を抱いていようがこれが現実
そもそも文官と武官が仲いいわけがない
>>187の言うとおり軍人は侍です
昭和になるまで軍学校は武家の子を優先的に入れていたし
華族や皇族の子にも優先的に入れる制度をとっていた
皇族や武家出身の華族の人間も軍学校に入る時代
これでも現在の価値観で軍人は人殺しなどど言う人間は
旧軍だけではなく日本国を馬鹿にしてるのと同じ
はいはい
まぁ、成り上がるには軍人はふさわしい。
その程度のもの。
と低学歴の馬鹿がいっております
「俺は何十匹殺した」
「そやなーあれは凄かったな」
「なかなか切れないしな」
「ぴゅーーーーーーーと血が噴出するんだ」
「首が無くても胴体は少し間動くんやで」
「内緒やぞ誰にも言うなよ」
じじいらのお盆の宴会は凄かった。
日本人は朝鮮の人々を侵略し、60万人以上強制連行したからね・・・
日本人は過去の完成をするべきではないでしょうか。
スレチですまんが。
久しぶりにわらかしてもらったよ。w
過去の完成w
最近きちんとした認識の人が増えて、正しい歴史観は完成しつつつあるがw
>>197 我が儘が通らないと嘘を垂れ流す癖を矯正しないと幾つになっても駄目なままだぞ?
202 :
名無し三等兵:2009/06/25(木) 00:22:56 ID:sDozRehk
北朝鮮の軍人は、「日帝は我が同胞をかつての戦争のとき、600万人も虐殺したではないですか。」
とほざいていたぞ。
やつら、本気でそう思ってるんだろうか?
終戦後、戦争中さんざん威張っていた憲兵をみんなでぼこぼこにした。
うちのじい様も海軍少尉から、戦争終わって普通の漁師に戻ったからなぁ
マグロ漁船の船長になって、ハワイとかアフリカ近海まで行ってた
太平洋上のかつての海戦があった海域では決して漁はせず、乗組員全員で黙祷を捧げる決まりだったらしい
江戸時代までは日本より朝鮮のが文化的に進んでたって
海原雄山が言ってたけどほんとなの?
じいちゃんが日本軍は世界最強であり世界一軍規の厳しい集団であり
亡くなった戦友逹が戦後極悪非道な集団だと言われ続けるのが
悔しくて仕方ないって言ってた。なんかの公演にでたときも言ってた。
>>207 世界最強w
アメちゃんにフルボッコされたというのに、ふざけんな糞爺wwwwww
>>208 『第一次大戦型の歩兵浸透戦術では世界一』
は間違いない
ただ、
それは時代遅れだった
ビルマでイギリスの補給物資をかっぱらって生き延びたそうだ。
終戦後は捕虜収容所に居て、戦争終わったあとだったからか
イギリス人は紳士やなぁと言ってた。
>>205 朝鮮からの使節団は、行く先々で、地元の人に自作の漢詩の添削を依頼されまくったそうだ。
その漫画のセリフは、おそらくそういう意味での文化じゃないかな。
明治維新以後の「文明開化」の意味ではあり得ないのは当然として、
漢文漢詩が文化の内に入らないとかいうのも、偏ってるとしか言いようがないわけで。
>>209 原作者というか、スタッフというかブレーンというか、そういうのがナニなだけじゃない?
214 :
uaa:2009/06/27(土) 02:58:53 ID:4Fj3Umr2
あの原作者「週刊金曜日」に連載してなかったっけ?
>>208 接近戦とかだと米兵自体の戦闘能力は大したことなかったらしい。
まあ貴様みたいな売国奴を日本軍より優れた重火器と物量作戦
でフルボッコにしたのもフルボッコっちゃあフルボッコだな
まあ米兵は兵隊と言うより重火器や戦闘マシンを操る専門家?
スペシャリストと考えた方がいい。侍でもナイトでもないと言う事かな?
近代に入って従来の武士や騎士が不必要になったように
現代においては旧来の戦闘術に長けた軍人も不必要な時代が
近いうちに実現しそう。アメリカの手によって
217 :
名無し三等兵:2009/06/28(日) 06:50:41 ID:dD3V17ft
>>207 日本軍の場合、戦死者よりも餓死者・病死者が大半を占めて人肉喰ったりもしてるのに、
補給もろくにできずに兵士を見殺す国が世界最強とか、世界一軍規が厳しいって…
戦争美化もいい加減にしろクソウヨ共
>>216 とっくにそうじゃね?
2次大戦中にはシステマチックに新兵を兵士として十分に戦えるように育てるプログラムが確立してるんだし
>>215 米英兵は弱いと聞かされていたが嘘っぱちだったと、うちの爺様は言ってた。
220 :
名無し三等兵:2009/06/28(日) 15:13:47 ID:K2PT3lMD
近所の残留孤児の養父が元八路軍団長なんだが、「俺は岡村寧次と戦ったんだ!」と何度も自慢していた。
しかし八路軍に参加したきっかけは、奉公先が厳しくて脱走して放浪していたところを拾ってもらったそうです。
去年来日した時には八路軍名物「ザーサイのスープ」を作ってもらった。
日本人でありながら日本の悪口言う方って戦後教育の賜物ですねw
そんなに日本が嫌いなら出てってもらって結構ですので、
それでもまだごちゃごちゃぬかすなら本来なら国家反逆罪もんですよ
>>215 >接近戦とかだと米兵自体の戦闘能力は大したことなかった
それも残念ながら日本側の本にしか書いてない
単純に言うと殴り合い、体格に勝り腕力が強いアメリカ人の方が勝つ確率が大きい
兵器でフルボッコされ、格闘戦ですら負けるw
しょぼ過ぎ日本軍w
何が世界最強だよwwwww
世界最弱の軍隊乙
殴りあいだの体格だの腕力だの格闘技ド素人さんですか?
なぜ日本の武道が海外で持て囃されてるんでしょうかね?
体がでかくてただ殴るだけしかしらない奴なんか柔道のいいかもなんですが?
まぁたしかにこのスレじゃあ日本軍は神兵かのような
持て囃し方するやつ多いよな
>>224 すべての日本兵がエドモンド本田ならば良かったのだ
イギリス人もアメリカ人もフランス人も我が国こそが世界一だ!と断言するし
それが普通なのに今の日本人は「何言ってんのw」とか「国士様乙w」とか
なんか自国を褒めるのが恥ずかしい風潮にあるのはなぜだ?
戦争に負けたからに決まってんだろボケ
それと、”今の日本人は”なんてレッテル張るんじゃねえボケ
>>227 アメリカの属国だし、韓国中国北朝鮮にまで小馬鹿にされて、ナメられてるのに誇りなんて持てる訳ねーだろ
戦争に負けただ属国だ俺らとは関係ない時代に俺らとは関係ない世代が
戦争に負けた事を何引きずって卑屈になってるんだよ。
お前らみたいな骨抜きばかりになったから日本人が誇りを持てない国になったんだろうが!
何も大きな軍事力や豊かな経済力を願う事が愛国心じゃない、
自分自信の生活を豊かにそして楽しくする事に対して一歩一歩
前進する事が一番大切な事じゃないのか?
そしてそんな前向きな考えを持った人が日本に沢山いるように
なってこそ日本の未来が開けると思う。
じいさんひいじいさんそのまたじいさんらが血を流して築きあげてきた
この国とこの命を大切にし幸せになる事が先人達への恩返しだと思う。
まあ、上向いて唾はく短小やろうに何言っても無駄
そんなに自虐したいなら、インドにでも行って修行
でもすれば〜
すくなくとも軍板で爺様けなして何が楽しい???
だから、半頭人っていわれんだよ
>>221 過去の失敗すら認められないのは困るな。
また牟田口みたいなの出したいのかよ!
爺様が「日本の軍隊は世界一ぃ!」と言うのはかまわない
少なくとも、
爺様は日本の軍隊しか知らない訳で、それが比較対象のない唯一無二の存在だからだ
(敗戦後、南方での米軍捕虜経験があればまた感想も違う爺様も多いらしいが
とにかく、
戦争にコテンパンに負けた軍隊が世界一の訳が無く、
次の戦争には負けない様にすれば良いだけだ
侍の子孫が最強に決まってるだろ!
235 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 00:20:40 ID:KZJotcgo
>>234 侍の子孫だなんて、日本人のたった数パーセントに過ぎんぞ?
ほとんどが町人、農民などの一般庶民の子孫だからw
ゆとり乙wwwwww
そんなこと言われちゃ元も子もないだろ!
まあ軍隊がない今の日本は士農工商の士以外は超一流だからいいけど
足軽を武士に含めていいのならば戦国時代だけでも末端まで含めると
数十万いたんだから先祖を辿れば大抵のやつは侍の子孫と考えていいだろ。
ていうか直系とかに拘らなきゃ先祖が名のある武将とか普通にいるだろ
>>237 はぁ?足軽は所詮かき集めの農民なんだから、侍とは呼ばんわw
どんだけ阿呆なんだよw
貴様は木下藤吉郎秀吉を否定するのか!
くだらんことで喧嘩するな
帝国陸軍の創始者、世襲制の武士軍団とは違うものを作るという考えの下
作ったのが兵学寮、後の陸軍士官学校
しかしその陸軍士官学校に士族の子息を優先的に入れていたのも事実
旧軍を侍だの何だの言うのは個人の捉え方しだいだな
241 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 21:56:47 ID:KZJotcgo
アメ公やらイギリスの退役軍人達は、
「サムライ」と戦った事を誇りにしてるらしいもんな
242 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 22:23:59 ID:zj+v5y6W
「サムライを倒した事」を誇りにしてるのさ。
我々はサムライより強いってね。
向こうでは、
敵を讃えるのはそんな凄まじい敵に勝った自分の偉大さを
直接的間接的に誇示するためだぜ。
ヨーロッパで食いっぱぐれて移民した連中の子孫がフロンティアスピリットの元に
科学や合理主義の積み重ねで2600年の伝統を誇る戦のプロフェッショナルである
侍の子孫に勝ったんだから褒め称えてあげよう。
245 :
名無し三等兵:2009/07/01(水) 00:04:25 ID:jFB7axfB
母方のじーちゃんは満州に行ってたらしい
電気技師で、満州の地に灯をともしてやりたいとの思いで志願したんだって
で、感電して脳をやられて体が麻痺
医者に治療という名の実験台にされたと言っていた
そして満州に行っている間に嫁と幼い娘が死亡
農地解放で田畑太没収
帰国したら屋敷跡には他人が住んでいて自身は満州で死んだことになっていて戸籍抹消
先祖代々の墓(かなり広い)にあったご先祖様の墓石は墓場の隅に放置され
村人が掘り返し勝手に自分たちの墓にしてしまった
小学校に土地を寄付したことによってたてられたご先祖様の銅像は小学校の校庭に埋葬されたらしい
戦前は『家老さん』と呼ばれて敬われていたにもかかわらず、帰ってきたらこの有様
すっかり人間嫌いになったじーちゃんは
村の片隅でひっそりと世捨て人のような余生を送った
246 :
名無し三等兵:2009/07/01(水) 00:20:34 ID:K2Z7F4c1
俺のじいちゃんは壱岐?で戦ってたらしいが、そんなとこで戦争あったんかね?
仲間は戦死したらしいが…
父方の祖父は徴兵されたあと怪我して帰されて(このへんは思い出したくないって今だに話してくれない)ガマに避難してたんだけど、
隣のガマが全滅したりで、艦砲射撃の音にびびってガタガタしてたんだって。そしたら、若りし頃のおばあちゃんが平然と赤ちゃんにおっぱいをあげながら
「もし死んでしまうとしても、うちは家族みんな一緒にいられるのに何が恐いの?」
って言って笑ったんだって。母は強しって言うかいざとなると女は強いって言うか、とにかくおじいちゃんはその時、おばあちゃんに改めて惚れたってさ。
ただのノロケ話ですねごめんなさい。
ええはなしじゃの〜
>247
艦砲射撃喰らったって岩手・釜石の方?
釜石・沖縄ぐらいしか思いつかんね、艦砲射撃は。
他の街でありましたっけ?
>>249 他には室蘭、苫小牧、日立、清水、浜松などの工業地帯だよ
被害が特に大きかった釜石と沖縄が有名だけど
しかし、防空壕を「ガマ」と言ってるくらいだから、
>>247は沖縄の話だろう
>>247 嘘乙www
ガマに避難しても
後からやってきた軍人にお前ら戦闘の邪魔だ!出て行け!
って言われたり赤ん坊の泣き声がうるさいからって殺されたんでしょ?
252 :
名無し三等兵:2009/07/01(水) 12:46:13 ID:DDlM/v6T
>251
ほー、すべてのガマに漏れなく、意地の悪い軍人がついていたわけですな。
>>245 満州へ移民しよう!と誘われたけど
「寒そうだからやだ」と祖母は断った。
>>250 レスども。
艦砲射撃喰らった街、結構あったんね・・・
北海道東岸にまで。。
海軍大尉だった祖父 祖父の弟は、陸軍中佐だったんですが 奥さんは戦後、所沢の病院に(ry
叔父は九州で病院を経営しています
街や工場が艦砲射撃されてんのに、ヘタレ日本軍は何してたんだよ…
絶対艦隊の動きを捕捉してたろ
特攻隊でも飛ばしてやりゃあいいのによ
守れないならさっさと降伏しろやボケ
257 :
名無し三等兵:2009/07/01(水) 21:24:53 ID:2hAVF8y8
歩兵41連隊
ニューギニアで戦死
258 :
名無し三等兵:2009/07/01(水) 22:09:37 ID:3k4ebdET
>>256 >>特攻隊でも飛ばしてやりゃあいいのによ
気軽にいいやがるな。ヘタレ日本軍とか言ってるし、外から日本を見てるような言い方だな。
お前の国は日本に併合されて、何も出来なかったからって火病るなよ。
母方の曾祖父は、歩兵第36師団に所属。通称雪部隊。
昭和19年ニューギニアで戦死。
秋田、青森、岩手の東北出身兵で編成され、日本陸軍の中でも、九州の部隊と並び精鋭として有名だったらしいが壊滅した
260 :
名無し三等兵:2009/07/02(木) 00:21:16 ID:5DKuQIYC
>>259 もしかしたら「南の島に雪が降る」って話の、モデルになった兵隊さん達かもしれないね>雪部隊
261 :
名無し三等兵:2009/07/02(木) 00:24:48 ID:/4K0TVKC
以前、香港島の山のてっぺんに住んでるという中国人のネットフレンド
のおじさんいたんだけど…戦時中は母親も妹弟も日本軍に殺されて自分だけ
生き延びたといってたよ
日本人だって満州引き上げでここぞとばかりにやられた。
戦争とはそう言う事だ。
遅くなりましたが
>>247です。特定されるまでが早い…指摘の通り、沖縄です。
もともとボン・キュ・ボンのおばあちゃんは母乳がよく出る体質だったらしく、止まっちゃった人からお乳わけてくださいって頼まれたりしていたとか。そのうえ美人(オジィ談)
戦後、兄は戦死、畑は焼け野原になって家畜も全滅、墓は無事だったけど骨壺まで盗まれて
(沖縄の骨壺は美しい細工がされているので、よく米兵が盗んでたって。あとシーサーも)
茫然自失としていた時も、おばあちゃんが「生きてるんだからなんとかなる」って支えてくれたって。
日本兵については黒糖あげたらすげー喜んで泣きだしたとかしか聞いてないです。
体張って守ってくれなかったら日本全土占領されてた
>>264 終戦後に日本全土占領されただろ?
最近のゆとりは本当阿呆ばっかり
やっぱ日清日露に出兵した世代のじいさんらから最近の若いもんは
だらしないから戦に負けたんじゃとかいわれたのかね
>>266 日清日露に出兵した世代でさえも、
戊辰戦争世代からは「最近の若いもんはだらしない」とか言われてた訳で・・・
えーと、本気?
うちの爺ちゃんは宮司をやっていたせい?か、徴兵されず
地元で防空壕掘ったり馬を洗ったりしてたって。
おかげで今でも神社は受け継がれているけれど、婆ちゃんは当時
馬のお尻を洗ってる人より将校さんと結婚したかったわ、と後悔したものだと笑って話してくれた。
272 :
名無し三等兵:2009/07/03(金) 13:53:36 ID:nc5vDhqT
攻撃は九州の兵隊が最強
防御は東北の兵隊が最強
役立たずが大阪の兵隊
って爺ちゃんが言ってた
だから、さんまは上官に射たれた。
多くの商人で結成された第4師団は西南戦争で
薩摩武士に奮戦して明治帝から賞賛されてたけどな
>>272 東北、九州の部隊は精鋭揃いだけど真面目過ぎて、建前上の死守命令であっても、忠実に守って玉砕ばっかりしてしまう。
逆に関西の部隊は、無謀な戦いは控えたり、個人個人が臨機応変に戦うから意外と役立ったとか聞いた事あるぞ。
でも他の地域の部隊に比べて素行が悪く、闘争心に欠けてる部分もあったみたい
戦艦大和には関西出身の兵が大半、一方で姉妹艦・武蔵は関東出身の兵が
多かったってな。
水雷攻撃受けた際のダメージコントロールで上手く行かなかった武蔵が沈んだのも
生真面目性格の多い関東人気質だったからか。
武蔵の母港ってどこ?
278 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 17:00:29 ID:cr8cONbq
うちの婆ちゃんは学校に集合して玉音放送聞いたらしいたけど、
その日はなぜかラジオの雑音が激しくて、なかなか聞き取れなかったと言ってたわ
後になってから、あの雑音は反乱軍?の妨害電波のせいだって知ったらしい
279 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 19:39:28 ID:qn0CpPBc
>>276 大和のほうが短時間であっさり沈んでるよ
武蔵は魚雷20本食らっても浮いてた。
大和は10本でアボン。
武蔵がなかなか沈まないので大和の時はちゃんと考えました。
角度とか。
聞き間違いじゃなければ、ばあちゃんが風船爆弾作ってたみたいなことを言ってた気がするが・・・
高知みたいな田舎でもそんなもん作ってたんかな?
コールオブデューティー5ってゲームやってるんだが、ネット対戦では最初は九十九式機関銃しか使えないのね
サイトをマガジンが邪魔するし、装填も時間かかるしこの糞武器がと思っていたんだ
先日、帰省して爺ちゃんの遺品整理手伝ってたら歩兵時代の写真があって、自分そっくりの奴が伏せ射撃でそれ使ってるのを見つけた
ごめんな、爺ちゃん。あんなもんで南方で戦ってたんだな、今度から九十九式しか使わないよ
でも、爺ちゃんの生前に戦闘話を聞いても手榴弾の投げ合いしか言ってなかったんだよなあ・・・
>>284 九九式軽機関銃の事?
当時としては優秀な性能で戦場での評価も高かったんだぞ
あんなもんとは失礼千万
九九式軽機関銃殿に謝るのだ
>>283 風船爆弾の生産は、
岐阜県・高知県・愛媛県・・・などの和紙の産地で行われました。
>>287 そうか土佐和紙で風船つくってたのかー
情報ありがとう
289 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 23:33:11 ID:V2qeHDXw
ふと思ったんだが731の研究をもっと進めて風船爆弾でアメリカ本土に
細菌ばら蒔きまくったら核以上に怖くないか?
うち爺ちゃんは よく東京大空襲の話をしてたなぁ
戦闘機の整備員だった爺ちゃんは 爆撃で真っ赤に燃え上がる焼け野原上空を飛び交う B29が赤トンボのようだったと
『赤トンボ』の歌にでてくる赤トンボがB29に置き換えられて作られたって なんか都市伝説まがいな話を聞くけど……
ほんとかな?
>>291 「赤とんぼ」は昭和2年の曲なのですが。
岡山育ちの山田耕筰が「あかとんぼ」に変なイントネーションのメロディつけてるってのはあるけど。
293 :
名無し三等兵:2009/07/06(月) 06:36:17 ID:YHriHmr0
曾祖父が満州行って雀が凍って落ちてきた話しくらいしか聞いたことなかった。
母ちゃんや当時の俺は戦後の日教祖教育の成果で日本軍は残虐非道だと
思い込んでたのできっと変なもん見たからだとか話してたけど
ただ単にのろまでさぼりでへたれな曾祖父の性格と大してきつくない
とこに配属されたんだと思う。
赤とんぼ
は
昭和2年だから、
>>291が言うのは、
あのねのね
の
赤とんぼの唄
じゃねーのか?w
>>286 レスありがとう。
>>282が正しいのはしってたけど、関東者はダメコンができてないと
言われたのでついねw。
>>289 実はというか当然日本側も風船爆弾に、細菌or化学兵器ってのは考えてる。
それをきっかけに、連合軍側が生化学兵器の全面使用に踏み切った場合、
日本が滅びるのが容易に想像できたのでかなり早い段階で除外してる。
細菌兵器って使わないだけでどこの国ももってたの?
日本とナチスだけかと思ってた
298 :
名無し三等兵:2009/07/06(月) 13:52:06 ID:yPmpDqaF
ヘタリア軍は槍や刀で武装したエチオピアの原住民ごときに負けそうになって、毒ガス使用してやっとこさ勝ったからな
原爆でも毒ガス兵器でも使いまくってジャップ共皆殺ししてくれりゃあよかたのに、
毒ガスで死んだ国民党軍の死体だらけのトーチカの写真見た事あるけど
ドン引きした事ある。
顔が黒いどころじゃないくらい真っ黒で人間が想像できる範囲を
遥かに越えるくらいドス黒かった
>>300 それは単に火炎放射器にやられたんでないか?
いや細菌砲弾とか、北支で日本軍が毒ガス使ってたかないかは放っておいてね。
そういや、フィリピンで戦って来たうちのじっちゃまが、
「俺も戦争中は火炎放射機使ってたんだぞ」と言っていた。
日本軍にも火炎放射機なんてのがあったんだと、少し驚いた。
火炎放射機って聞くと、米軍が洞窟に隠れてる日本兵を掃討してるイメージしか無かったからさ
>してくれりゃあよかたのに、
>>299って、頭が不自由な人モドキなのか?w
>>302 日本軍がトーチカに隠れてる米兵を掃討するコレヒドールの映像が有名。
≧301
本で゙読んだんだが確かに毒ガス使用後と書いてあった
武士道や騎士道に基づいて戦争をしてたのは日本で言えば日清日露
あたりまでだと思う。
毒ガスだの細菌兵器だの核爆弾だの無差別空爆だの第二次大戦はおかしかった。
>>299 自分の祖先がかつて日本人であったことを忘れてる馬鹿一匹発見。
アジアに大変迷惑かけたジャップ糞爺ともあやまれよ、ささとしね、
イギリスとかにひどい仕打ち受け続けたインドとかはなぜ文句言わないのに
特定アジアの日本への怨みは凄いんだろうか?ってじいさん言ってたし俺も思う。
>310
支那(長兄)−朝鮮(次兄)-日本(末弟)
って考えているから。
確かに800年前ぐらい前ならそうだったかも知れないけどねw
中国は古代世界において名だたる超大国だったプライドとその国の一番の
子分を自負してた半島の人間にとって格下日本の軍門に下ったことが
未来永劫の悔しさ余ってさらに憎さ千倍と言ったとこか
中国は古代世界において名だたる超大国だったプライドとその国の一番の
子分を自負してた半島の人間にとって格下日本の軍門に下ったことが
未来永劫の悔しさ余ってさらに憎さ千倍と言ったとこか
>>302 たしか日本軍の火炎放射器ってさ、工兵が取り扱ってたような気がする
間違ってたらスマソ
>>310 なんで恨まないと思えるの?
恨むほうが当たり前だと思うよ。
自分の身内がひどい目にあえば
相手が生きてる間は許してやる気になんかならないよ。
316 :
名無し三等兵:2009/07/07(火) 17:09:40 ID:Nn5bC2s+
アフリカでもアジアでも旧植民地は宗主国に文句を言ってるけどな。
ただ発展途上国で何かあれば助けるのが旧宗主国という
関係だから国益上、言えないだけ。
国力のあるインドや中国はイギリスの植民地主義にはちゃんと
今も文句を言い続けてる。インドも香港も合意の元に返還したという
型式なので、日本のケースのように真っ正面から非難はないけど、明確に
非道な占拠による異民族支配という定義になってる。
中南米みたいに征服したスペイン・ポルトガル系の末裔が
今も支配してるところは様子が違うけどなw
特定アジアがたち悪いのが戦後の反日教育ででっちあげ含むあることないこと
叩き込まれたこれからの世代で昔の事を教科書でしか知らないのに
俺のようなじいさんですら戦争に行ってないような世代にまで
喧嘩腰でこられるのはたまらん。
野球やサッカーとかまであそこまで憎悪の気持ちでこられてたまらん。
このままじゃ子や孫の孫未来永劫怨み続けられるぞ
日本は土下座外交が舐められる原因
中国がイギリスにアヘン戦争について謝罪求めたらブレア首相に
何それwの一言で終わったからな
中国がイギリスの旗燃やしてたらどうなる事やら
319 :
名無し三等兵:2009/07/07(火) 20:08:38 ID:Nn5bC2s+
あのさあ。ネトウヨやマスコミが騒ぐほど日本は土下座外交なんてしてない
んだけどね、
ベネルクスや北欧あたりの国の人間が見ても、いいなあ日本は国力が
あるから国際的地位が高くてと言ってるし、ある階層以上は海外留学が
デフォの韓国人はどこの場面でもコリアが通じず日本が大手を振ってる
のを見てて、もう追いつけないことを自覚してるとか、そんなんが
現実なんだがなw
>>311 違うなw
鮮人は、儒教的勘違いで、
>支那(長兄)−朝鮮(次兄)-日本(末弟)
と思い込んでいるが、
現実や史実が違っているので、火病っているだけ。
実際800年前なんか、圧倒的に日本が上だし、
もっと昔になれば、
広開土王の碑文にあるように、日本が半島南部(鉄産出地)を
押さえていた事は明白。
半島南部、日本書紀にある任那が、日本の勢力圏下だった事は
中国の正史にもあるように史実。
日本は悪い事してきました
教科書の内容にいくらでも口を挟んでも結構です
攻撃能力をもつ軍隊はもちません
あの…すいませんけど領海侵犯やめて頂けないでしょうか…
援助?いいですよいいですよ
あ!いまさっきの発言は撤回しますm(__)mすいませんでした…以後気を付けます
過去の日本の悪口を日本が率先する
などなど
↑
これが土下座外交でなくてなんなんだ
322 :
名無し三等兵:2009/07/08(水) 07:20:01 ID:zjzriYBT
>>321 >教科書の内容にいくらでも口を挟んでも結構です
いつそんなことを外交公約したんだ?
>攻撃能力をもつ軍隊はもちません
これも外交公約にいれるのw? 国会で合憲とされる
ガイドラインを示したことはあるけど、海外に公約した
ことがあるとは聞いたことがないが?
マジで、味噌糞一緒に貶されるとむしろ迷惑なんだけど。
いちいち揚げ足とるな…
誰が外交公約の話しをした?日本政府の姿勢を分かりやすく
表しただけだろうがよ。
その外交公約がなんだとかお前と言葉遊びするつもりはない
教科書問題しかり憲法9条の問題しかり実際に起こっている現実だろうが。
お前みたいに日本人同士で揚げ足とりにやっきになって足の引っ張りあい
して自国にクソにも役に立たない行為する政治家ばかりだから東シナ海の油田しかり
北方領土しかり譲歩しまくって舐められるんだよ
おいおいw
チョーセンヒトモドキの幼稚な煽りに、見事に釣られてやんのw
スルーしとけばいいのにさ
フッ
ほんと低脳揃いだな倭猿共は
かつて憲兵だったうちのじいちゃん連れてくるぞこの赤が!
>>324 勉強できなかった子が何言ってもリアル社会では
誰も見向きもしてくれないよ
朝鮮玉入れ屋に放火した時だけ
>>323 >日本政府の姿勢を分かりやすく
>表しただけだろうがよ。
儂もさすが特亜へ教科書に口を挟んでも結構と言ったとは思えんがなあ。
むしろ作る会の教科書非難に内政干渉と逆クレームをつけたわけだし。
事実を知らず適当なこと書くから煽られるんだよ
単に最近覚えた教科書問題・憲法9条を知ってるよって
叫びたいだけとちゃうやろか
>>323 いちおう突っ込んでおくと東シナ海の油田は譲歩してないよ。
まあ武力攻撃しろという考えの人なら、あれでも譲歩なのかも知れませんが。
油田作ってるやん
土下座外交というより、朝貢だろ。
日本は儒教とか朱子学とか奴隷根性丸出しなんだよ。
日本政府「中国様、私の汚いケツマンコ犯してくださいお願いします。イヤー見ないでぇ〜逝っちゃう〜!」
みたいなものだ。
中学生くせえ
中学というより、ストレス発散したいだけっしょ
軍板は荒れないほうだけど、こういうのも時折来る
流れがスレチなんで、そろそろ軌道修正お願いしますね
大学で、反人種差別団体や民族解放グループは
往々にして過剰に被害を訴えだして信用を失うと
倣ったが、こういうことなんだなと納得できた。
具体例の一つにグリーンピースが挙がっていたが
中凶や姦国の被害者意識がこんな訳わかんねえ
事実と異なる被害を訴える訳だ。
殴られた方が良く眠れる、ということわざがあるもんな
自民党が強権的でなければ生きていけない社民党と同じで
ただアンチのためにアンチとして存在しているってのはあるだろ
さあスレチもいいとこだ。シネ。オマエラ
337 :
名無し三等兵:2009/07/09(木) 13:42:28 ID:+ogOiI0t
鹿児島の婆ちゃんから聞いた事があるのは、
昭和20年の4月頃、ずーっとはるか彼方の沖合に、キノコ雲がモクモクと立ち上ってるのを見たそうだ。
時期的に、戦艦大和撃沈の際の黒煙だと思うけど、鹿児島から目視できたなんて凄いなと思った
>>337 大和沈没時、火薬庫の誘爆?で大爆発した際、上空6000mまで
黒煙が上がったという話ですし、見えてもおかしくないかもしれませんね
それ、割と有名なデマ。
坊津沖で6000mの黒煙じゃ鹿児島からは見えないからね
距離もさることながら、爆発の黒煙程度じゃ視認は厳しい。
火山の噴火くらいの噴出量があれば別だろうが。
342 :
名無し三等兵:2009/07/09(木) 18:53:39 ID:j1VkmQZk
俺のじいちゃんは、戦地に向かう時に輸送機が故障して助かったらしい。そのまま国内で待機していたら終戦を迎えたと言ってた。
もう死んじゃって詳しくは知らないけど。
343 :
名無し三等兵:2009/07/09(木) 19:23:27 ID:YBBxXwst
私のお祖父さんは、水兵長として戦艦大和に乗り込んでいたのだが。
沖縄に向かう戦艦大和の上空を、編隊を組んだ零戦が低空飛行していくのを見たらしい。
最期の酒盛りで中尉殿に聞いたところ、
その零戦を率いる若き将校こそ、大和の艦橋にいる伊藤整一司令長官の一人息子、叡中尉であったらしい。
叡中尉は艦橋の伊藤長官に、敬礼をし、残りの零戦隊員達も機体を左右に揺らし次々と沖縄に向かって特攻していったらしい。
伊藤 叡(あきら、愛称は “ こう ” )
・海兵72期、41期飛行学生(戦闘機) 谷田部空・筑波空混成団
最終所属:谷田部空・筑波空混成団(出水基地)
4月28日 15:30頃 沖縄・伊江島付近哨戒中、敵戦闘機(F4Uとされる)約16機と交戦、未帰還
4月7日の大和直衛
三五二空(大村基地)所属の零戦16機(指揮官:植松真衛{海兵71期}大尉)
>>343 叡中尉が特攻戦死したのは4月28日だぜ?
大和の直掩任務を行ったのは事実だけど、米軍機と接触した直後に、「無駄な戦闘は避けよ」との帰還命令が出て鹿屋基地に戻ってる。
伊藤長官と叡中尉の話をググって読んでみると、何だか戦国時代の武将の親子みたいだなと思って少し感動した。
でも海軍中将の子息の若手エリート将校すら特攻に出さないといけない環境って・・・
348 :
uaa:2009/07/10(金) 03:16:24 ID:h6QoGupe
つーか、まず自分のガキから前線に出すべきだろう。乃木大将みたいに。
その点でも当時の将官クラスはクズばかりだった。
奴らが陸大・海大出た頃は軍人のなり手が無くて質が低下してた頃だからね。
海軍は兵学校出を安全な所に温存して、商戦学校出や学徒兵を消耗品として使ったからね。
商船大閥の海保が海自を嫌ってたのはそれが原因らしい。
ドイツなんか将軍や元帥の子息は大抵の場合自分の副官か参謀にして戦死させないんだよね。
350 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 05:22:52 ID:UkvjV1MS
ひいじいさんがときどき笑いながら言っていた
夜中にうなされて目がさめるんじゃ
アメリカ兵に囲まれて、ふんどし一つになって、両手をあげて降参した
何度も何度も夢に見るんじゃ、怖かったぞーって
フィリピンで捕虜になったようです
敗軍の兵多くを語らず
詳しいことをもっと聞いておけばよかった
>>350 おまえと爺さんがチョンだって事は分かった
クズだとかチョンだとか罵詈雑言で煽ってばかりのレス多いな
お前はどんだけ立派な人間なのかと
353 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 09:40:59 ID:u+vZPeag
将軍と子息が両方とも戦死したケースって他にもあるの?
>>352 リッパなんじゃないの? 公立高校を卒業したくらいスゴイ経歴らしいぞ
大東亜戦争をアメリカの物量に負けた、大人と子供の
喧嘩だったと言うけど日清日露だって国力数十倍ある
無謀な戦争だったんだよな。
じいさんもひいじいさんもよくもまあそんな状況下で
生きてきたもんだ。
今なんか不景気だ不況だ嫌な時代だ苦しいなんて言うけど
変わり者を除けば餓死者なんていないしみんなメタボじゃねえかw
356 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 12:35:09 ID:kPSxFk4b
たかだかアメリカ相手に無条件降伏なんて、情けねえよな。
なんとか勝つ方法はなかったのか?
ねえよクズ
アメリカは圧倒的差があることを前提に完全に準備が整ってからしか
戦争をしない。
まああれだけの国土と物量があればまず負けないだろうけどw
飛行機や戦車などを使う近代戦争では一番有利な条件が
整ってる
>>356 本土決戦でベトナムみたいに泥沼化を狙う
本土決戦なんてアホな事しとったら、俺もおまいらも生まれて来なかったかもしれん
ほんまにやらんで良かった。
日本の防波堤になってくれた沖縄や南洋の島々に感謝せねば
現場の一将軍に自分の子息を安全圏に下げる権限なんてないよ
権限があったとしてもそうやってかこいこむような卑怯なことはしないし、息子も従わないだろう
伊藤長官と叡中尉のエピソードはいろいろ泣ける
伊藤長官が妻子に出した手紙の話とか叡中尉が妹さんに賞与を全部渡した話とか
妹の結婚式の際の手紙の話だとか、当時の軍人は愛する国と守るべき妻子のために
結婚とか家族とか自分の幸せを捨てて、ただただ死を見つめていたと思うと胸が痛くなる
もちろん残されたほうも辛いだろう
うちだってそうだ、軍事機密に関わるから曽祖父が戦死したのを息子である祖父が知ったのは戦後になってから
そういう1人1人の気持ちをクズだとかチョンいう言葉で罵るのは簡単だけど、どうなんだろうか
戦争は嫌いだけどもしタイムマシンがあれば敵の戦車の一台でも破壊してやりたい!
悔しいんですよ!敗戦国としていまだにアメリカに頭が上がらないのが悔しくてたまらない
>>356 勝つチャンスはゼロじゃなかった
(南北戦争で南軍が勝つくらいの勝率はあったハズ
ただ、
色々な人の話を聞いたり、
色々読んでみたり、
色々見に行ったり、
すればする程、あの戦争では常に日本は悪い方悪い方の出目ばかり選んで行ったみたいだ
>>363 タイムマシンなんか無くても出来る事たくさんあるじゃん?
とりあえず、マクドのものは食べないとか
海軍兵学校卒でも、兵科と機関科では、
扱いが違う。
ただ海軍には、「死なばもろとも」の精神がある。
陸軍の場合、陸士出の新米将校が威張り散らすと大変な事になる。
「突撃!」の号令と共に塹壕を飛び出した将校は敵の銃弾の雨霰に晒される。
将校は、慌てて岩陰などに身を隠し、涙目で塹壕の中の軍曹や伍長に「助けてくれ」と泣きを入れる。
すると下士官や兵は、命懸けで将校を助ける。
それでも泣きを入れない将校は、見事名誉の戦死となる。
らしい。
大和が沈んで伊藤長官戦死を知った後、叡中尉は妙に死に急いでる感じだったらしいね
叡中尉は本当は4月28日の特攻メンバーじゃなかったけど、わざわざ出撃予定だった戦友と換わって貰って逝ったらしいし
>>365 >ただ海軍には、「死なばもろとも」の精神がある
海軍将兵は、軍人である前に “ 船乗り ” なので、
『板子一枚下は地獄』という観念を持っていたそうですね
(この観念は世界中の海軍に共通
死ぬ時は一緒、しかし、可能な限り生への可能性を模索する
(沈んだ船の戦友は可能な限り助ける/『見捨てる』判断をした時は冷徹にそれに従う
>>349 マンシュタインの長男は1942年に東部戦線で戦死。
369 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 23:04:58 ID:kPSxFk4b
ヘタレの大東亜戦争世代のせいで、俺らはアメリカの属国として迷惑している。
特亜にもなめられてるし。
あの世代、一億玉砕すればよかったのにね
ゆとってますね
>>365 それは海軍関係者が触れ回ってるウソらしい
戦艦大和の最期って本読んでたら将校がサーベル振り回して下士官兵を蹴散らして逃げ出してた。
うちの爺さんは予科練。
宮崎で特攻を待っていたが、飛行機がなくて助かったと。
で、戦後はティンピラ。
373 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 23:34:23 ID:kPSxFk4b
テンプラ屋だろ
『戦艦大和ノ最期』
著者吉田氏は、戦艦大和乗組員の生き残りの一人。
階級は、学徒組の少尉殿。
彼も生き残りの士官。
まぁ学徒組で兵学校組と色々あったんだろコンプレックスみたいなものも含めて。
機関室無断注水とか、軍刀で切りつけたとか書いてあるようだが、大和副官の能村大佐、松井中尉等に事実無根と追及された時、吉田氏本人が記憶が無い寧ろファンタジーだと言っている。
朝日新聞とか色んな絡みだろ、可哀想だから、あまり触れてやるな。
376 :
uaa:2009/07/11(土) 01:17:37 ID:RZ3dZMuL
>>365 >海軍兵学校卒でも、兵科と機関科では
???????
海兵1期とか2期の話?
377 :
名無し三等兵:2009/07/11(土) 03:16:23 ID:RuFYwN3y
うちのじーちゃん中野学校だったから公職追放されてた
クソが!日本人の誇りを抜き取られてアメリカの属国で辱しめを受けつつ
暮らしてくなら本土決戦で例え日本民族が一人残らず殺されようとも
玉砕すべきだったんだ。
後世世界各国の歴史学者あたりにかつて日本と言う国がありそこには
誇りを守るためなら自分の命をも捨てる侍の国があったとでも
言われるだろう
379 :
uaa:2009/07/11(土) 06:38:36 ID:RZ3dZMuL
逆だろう。
国体護持も認められないくらいボロ負けするまで戦争続けたのが馬鹿なんだ。
ドイツが元気なうちにさっさといい条件で講和(降伏)しちまえばよかったんだよ。
軍縮世代のDQN軍人をのさばらせたのがそもそもの間違いだな。
つーか、大陸から手を引いて、英米とはやらなければよかったんだよ。
日本は300年近く鎖国してたから、平和ボケが治ってなかったんだな。
その点ヨーロッパの国々は馴れてるから、1回や2回負けても国の誇りを失わずにすぐ立ち直るし、
ボロ負けするような馬鹿は普通しない。DQN集団ナチスはやらかしたけど。
香ばしいゆとり臭がプンプンするね
そもそも「大陸から手を引けい!」と言う余計なお世話で内政干渉を
「はいそうですか」と受託する時点でアメリカの属国なんだよ。
そしてそれをのんで一度でも妥協した前例ができるとその後ことあるごとに都合のいい
要求をされる事になりどっちの道を選んでも日本はアメリカの属国になってしまうカラクリ
戦に負けてアメリカの庇護を受けたからこそ、今日の経済発展を遂げた豊かな日本がある訳で。
その代償に、遠い祖先から脈々と受け継がれた日本人としての魂や誇りは急速に失われたが
>>380 ブログで今の世界不況で日本が勝ち抜く「秘策」や社会保険制度の
抜本的見直しを叫んでる類のバカと通じるものがあるよな。
「はいはい。先行きを確実に予言できて、しかもなんでも思うとおりに
いけば、いいですねえ。でも、それができないから大変なんじゃん」
って言われたことがない、引きこもりかアホだとおもう。
あんなに核ミサイルいっぱい持ってる超大国と戦争したなんて、爺ちゃん達って大馬鹿じゃんwwwwwwまさに犬死にwwwwwww
プゲラッチョwwwwwwwwwwwwwwwww
385 :
名無し三等兵:2009/07/11(土) 08:41:17 ID:reiQ2XoY
あれ?もう厨房達は夏休み始まったのか?
384の無知と無能さは特筆に値するものがある
いつも思うんですが、なんで大東亜戦争を否定する敗北主義者ばかりなの?
あそこでハルノート受け入れていたら、次は朝鮮だ台湾だ南洋だ仏印だ沖縄だ、最後はアメリカの属国になれ、と、エスカレートした可能性は?
可能性だけなら、いまごろ銀河帝国の盟主になってるかもなw?
もっと勉強しろ
今どきアメリカのおかげで経済が…なんてバカがいたのか…
アメリカの援助なんてあくまで治療費みたいなもんだし。
じゃあ焼け野原からの出発を差し引いて朝鮮半島とかタイとかフィリピンにこんな芸当できるのかと…
いやむしろかつての世界の覇者である英国でも今日の日本ほどの
繁栄にまで行き届く事なんか無理。
あと日本人の優秀さもあるが植民地から摂取ばかりしてきた英国と違って朝鮮や満州に
そそいできた日本の資本を日本本土に集中してきた結果が日本の
繁栄に繋がったんだよ。
ホントに愛国と盲目は紙一重だなw。
左翼乙
>>389 半島の南半分は、健闘していると思うが?
さすがに389レベルじゃお話にならんだろ。
もしゼミのレポートでこんなこと書いたら教授から苦笑される。
釣りかなんか知らんが日本が築いた土台があるから今の韓国があるだろ。
>>394 そういう部分も確かにあるが、我々日本人がそのことを言うと問題ありだろう
今の日本があるのはアメリカのおかげってアメリカ人に言われるのと
同じくらい問題だよな。今の韓国は日本云々
ほう…
じゃあそのアメリカは国家予算の四割を日本に注ぐほど日本に投資したんですか。
>>394 土台以上に近年の産業スパイと技術援助、資金援助の方が大きい。
それもOECDに加盟した後からの
大体日系や在米邦人なんて鼻糞ほどの力もないが、在日は一時期通貨の四割を
掌握してた犯罪集団で、その金を元に今日本で事業をしている。
公務員組合による税の減免もあるしな。
399 :
名無し三等兵:2009/07/11(土) 18:29:02 ID:WmpOWIcM
>>387 可能性は大有りじゃね?
今の日本は、アメリカによる信託統治領みたいなものだからな。
専門知識はまったくないけど、聞いた話。
大正生まれのお祖父様は、主にビルマにいたそうな。
先祖が牛馬しょうをやってたって面接で言ったから、自分も馬に乗れてたらしい。
怪我をしたとき、看護婦さんがお祖父様を背負って攻撃から逃げてくれたから、壊滅した隊で唯一?生き残ったらしい。
小隊長として戦って、終戦近くには中尉に出世。
今でも2年に一度はビルマに旅行してる。
前も看護婦に助けられたみたいな書き込みあったけど
そんなんされたら惚れてまうわ
まぁ戦場でそんな余裕ないだろうが
背負われながら、『母の背中のようだ』って泣きそうだったって。
終戦後の戦友会で再会して話をしたら、自分より年下の女の子だったから驚いたそうな。
ウチ農家なんで、いい物ができたときとかその看護婦さんに送ってる。
看護婦さんからもお返しがきたりして、楽しみみたい。
お祖父様はその看護婦さんと結婚してないし、愛妻家だけどね。
そういうのって意外と結ばれないものなのかな
戦場でまだ見ぬ文通相手と文通して生き抜こうと思った軍人も
文通相手と会ったのはお互い老人になってからみたいな新聞記事もあったな
戦地で兵隊さんを担いで攻撃から逃げる=命懸け度10倍=その看護婦さんの
無事を祈るいいなずけもしくは旦那や子供がいる
と推理しましたがいかがでしょう
お祖父様の場合は、終戦後に親戚の繋がりで結婚しました。
看護婦さんはお里が県外で遠かったから…。
お祖父様は跡取りだし、時代的に恋愛結婚はなかったのではないかと。
ウチ、18のわたしにお見合い話が出るくらい血縁にこだわる家だし。
>>403 うちの母親が、慰問袋の兵隊さんの写真を大事に持ってる。
今となっては、どこの誰とも知れない。戦死しているのかもしれない。
けど、その頃はそうやって兵隊さんを励ますのが普通だった、と言ってた。
そんな母親も今は86歳。遠い昔だな・・・
今の感覚で言えば旦那さんが嫉妬するのでは?とか思ってしまうが
同じ戦場で死線をさ迷った仲間の絆って性別関係ないし戦友の
絆ってとてつもなく固いんだろうな
408 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 09:00:22 ID:1J68WzH/
母が86歳ってどんだけヲッサンだよ
いつも思うんですが、なんで大東亜戦争を否定する敗北主義者ばかりなの?
あそこでハルノート受け入れていたら、次は朝鮮だ台湾だ南洋だ仏印だ沖縄だ、最後はアメリカの属国になれ、と、エスカレートした可能性は?
>>409 大東亜戦争に勝ったのか?
負けたのだから、否定するほかないだろう。
411 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 11:11:01 ID:ka4cuy2B
>>409 ハルノート受け入れていたら、さすがに「アメリカの属国になれ」
とまではいかなくても、本州と沖縄、樺太以外の領土は手放す事になったかもな。
軍縮など、内政干渉も始まったかもしれん。
立場的に弱者になるから、経済も今ほど自由な交易をさせてもらえなくなった可能性もあり。
大陸の戦争に行ったひいじいさんの話。
配属された部隊の小隊長がすごくいいひとで兵隊を可愛がってたらしい。
イジメとかがまったくない部隊で「勲章はやれないがこれをやるよ」と
甘い菓子を頑張った兵隊にやったりしたそうだ。
子どもみたいな話だがとにかく腹が減ってた兵隊は甘い菓子をすごく喜んだ
らしい。菓子は小隊長が自分で買ってきてたらしい。
ある日、突撃したが敵の銃撃がひどくて元の陣地に逃げ帰ってきたらその
小隊長がいない。兵隊はみんな飛び出して敵の弾のなか小隊長を探しに行って
撃たれた隊長を連れ帰ってきた。撃たれて出血でもう体が冷たくなってたらしい。
小隊長は「おれはもうだめだ。もう菓子買ってやれんですまんな。皆の
武運を祈ってるぞ」と言って死んだそうだ。
若い初年兵はそれを聞いてオイオイと泣いたそうだ。
ひいじいさんも泣いた兵隊のひとりだったらしい
>>410 勝ち負けも大事だが
アメリカに立ち向かって戦争した事で植民地だったアジアの国々が独立できた
何より白人がアジア人に対する馬鹿にした意識がすっとんだのも事実
414 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 11:42:02 ID:mVmYbX4y
>>410 負けたのだから否定するとか簡単な話しではない
だったら君は北朝鮮が日本に攻めて来て日本が敗北したら
否定もしないで北朝鮮の言う事を何んでも否定しないで受け入れるのか?
>>400 ハァ?
現在のビルマ=ミャンマーはw外国人が自由に観光旅行出来る国ではないぞw
事実無根のネタをw丁稚上げるw
自称18歳の女でw実はキモブサ童貞乙w
400じゃねえが、普通に観光旅行できるけどw
日本からはリタイアした爺さん婆さんがいっぱい行ってるし
欧米のバックパッカーが一杯いるぞ
歴史も地理も知らないアホが常駐してるスレだけのことはある
順を追って外側から領土を引き剥がす、なんてまだるっこしいことをせずに
米西戦争の時の「リメンバーメーン」を横須賀でやるだろう。
日本側が手を出してくるまで、本土沿岸でひたすら挑発して、乗らなきゃのらないで
スパイに自作自演で砲撃させるよ。
>>416 2007年9月27日に!ミャンマーの首都ヤンゴンで!!反軍政デモを☆取材中に☆☆ミャンマー軍にw銃撃され↓殺害された↓↓ジャーナリスト長井 健司さんを☆☆☆知らないw
国賊売国奴のw
キモブサ童貞乙w
>>419 これ↓はどうなったの? ママに助けてもらう?
>現在のビルマ=ミャンマーはw外国人が自由に観光旅行出来る国ではないぞw
引きこもり豚を挑発するなって。
新聞を読んでれば旅行の広告に
ミャンマーの世界遺産ツアー等を見たり、
職場で見聞きしたりで知ってることでも、
世間と縁の無い人間にはネットの情報が全てなんだよ。
>>420-421 だ〜か〜らぁ〜w
その前にw
日本人ジャーナリストが☆軍隊に殺害される国でwどうして安全な観光旅行がw可能なのかw?
キモブサ童貞の貴殿達にwお答え願いたいですなぁw(-@∀@)
反応しない方がいいんだろうけど…
お祖父様は戦友会で戦友と行ってる。
危険なのはもちろん承知。ただのお遊び旅行じゃないから。
お祖父様は本当は毎年行きたいらしいけど、特に危険なときは行かないから結果的に2年に一度くらいになる。
年齢と性別について嘘はついてない。
証明しろって言われても困るけど。個人情報晒す気はないので。
>>423 なるほど(-@△@)
それでは!貴殿の御祖父上の!
ビルマにおける所属部隊名☆若しくは戦友会名を☆お答え願いたい?m(__)m
ビルマの頃は遺骨収集とかで行った。
ミャンマーになってからは知らんわ。
徴兵逃れスペイン風邪の非国民の曾孫またきてるのか
>>412 最終的には人柄になるんですね。
良い話をありがとうございました。
ミャンマーは外務省の危険情報では「注意」で
カテゴリーの最低ランク。
周辺の中国・インド・バングラデシュ・タイよりも安全度は上。
428に追加
「注意」の下に注意も何もなしってのがあった。
兵役逃れ非国民スペイン風邪の曾孫くん
まーたファビョっちゃったねww
>>432 その言葉をw
人外魔境でw
腐れ外道なw
キモブサ童貞の貴様にw
そっくり返してやろうw
>>433 憂国の士を気取ってる割☆には身内に戦争体験者がなくw
徴兵逃れ☆のためにスペイン風邪で病に伏せたw
ヘタレ☆非国民wの曾孫の分際でw
知識のほとんどがwikipediaだよりのw
腐れ非国民のwキモブサ童貞乙w
おい、「鶴田浩二が海軍航空隊に在籍した記録はない」ことの
論拠を示す宿題が残ってるぞ。キモブサ童貞くん。
乃木保典氏が幼年学校卒ではない
捏造だという論拠も示せ
兵役逃れ非国民スペイン風邪の曾孫
437 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 22:57:13 ID:09/+QQ6l
>>434-435 戦後の日本に寄生しw
日本を駄目にした一因であるw
腐れ外道なw在日特亜人のw
キモブサ童貞乙w
おおっと本格的にファビョってきたかな?ww
そのままスペイン風邪え死ねよww先祖もろとも
>>439 その言葉をw
腐れ外道でw
キモブサ童貞の貴様にw
そっくり返してやろうw
鶴田浩二は整備兵じゃったと記憶しとるのう。
ほいで戦後ヤクザの手先なわけじゃが。
まぁ敗戦直後は、街に飛行服を着た愚連隊が沢山おったけのう。
特攻崩れじゃと、名乗るのは愚連隊の一種の常套句じゃった。
特に不良三国人は、好んで旧軍の飛行服を着とったのう。
今時か知らんが、暴走族の特攻服?(何に特攻するんか知らんが笑)の走りじゃのう。
>何に特攻
っ【パトカー】
っ【電柱】
っ【ガードレール】
443 :
名無し三等兵:2009/07/13(月) 07:15:44 ID:D+42r97N
小日本人同士で煽り合ってるとはまたくどうしよもない馬鹿とも達だ笑えるぜ
ささとしねよ
その小さい日本国ですらカースト最下層のゴミ乙
>>443 中国人留学生か何かか知らんが、もうちょっと日本語のお勉強を頑張った方がいいぞ?
な〜に? まだミャンマーは旅行できないって妄想してる
キチガイ君がいるんだw
本格的な池沼って軍板じゃめずらしいね。
あれくらい理解できないようじゃ社会生活も営めないだろなあ。
こんなところで憂国の士を気取ってないで
「ミャンマーは日本人ジャーナリストを軍隊が殺害する危険国だ!
渡航禁止にせよ!」
って外務省前で座り込みでもすればいいのにw
徴兵逃れスペイン風邪の非国民の曾孫くんはこのスレや軍事板だけじゃなく
ニュー速とかその他板の軍と名のつくスレには必ずいるからな
彼を装った数人による書き込みかもしれんが本当に真性なんだろう
軍事板って事実が中心だから、キチガイが過ごしやすい環境とは
ほど遠いんだけど時々涌くよね。
↑コピペだがこういうこと。
>>428 >ミャンマーは外務省の危険情報では「注意」で
>カテゴリーの最低ランク。
>周辺の中国・インド・バングラデシュ・タイよりも安全度は上。
だって、現地が少しでも危険ならツアーを真っ先に中止するので、
慎重すぎると笑われてるあのJTBが、自社の看板ブランドのルックで
ずっと募集してるくらいだからねえ。
451 :
名無し三等兵:2009/07/13(月) 17:52:59 ID:D+42r97N
>>445 なんだうるさい、
民主党が政権とたら小日本は中華のものになる
ざまみろ、ささとしね、
>>449 軍事板ってここのスレしか読んでないんだけど、軍事板はこのスレで
「キモブサ童貞」を連呼してる基地外くんみたいな香具師って多いの?
工作員以外で、ここまで他人とのコミュニケーション能力に欠けて、
リアルに氏んで欲しいと思われてる嫌われ者は見たことないわ。
人間ってのは相手を罵倒する時、自分のコンプレックスにふれるんだってさ。
軍事板には品性下劣な輩は出入りしていないと思っておったが。
残念だ。
>>454 まあ、ここでだけ通用してたつもりなのに
そのわずかなプライドが傷つけられたら
「キモブサ童貞」とでも叫ばなければ
壊れてしまうんでしょうね。
もう壊れてるんだけどさ
>>455 電車以降、厨房以下の品性下劣な輩が増加という罠。
でもID非表示の割りにはマシな板であるのも事実。
変態や馬鹿が比較的少ないから目立つという。
知り合いのじいさんは南方組。
片目が真っ白(白内障?)で、なんとも怖い風貌だった。
43年に北支からニューギニアへ送られて、案の定えらい事になったらしい。
翌年の夏にジャングルで敵の斥候隊に囲まれたが、その時命を救ったのが鯖缶だったって事で、家には鯖缶が阿呆ほどストックされてた。
なんでも現地人の子供に抜け道教えたるからなんかよこせやと言われて、大事に大事にとっていた鯖缶やって命拾い。
顔見知りでよく遊んでた子供だから助けてくれたんだとさ。
食い物は偉大だなぁ。
敗残兵がタバコの葉を体に巻きつけて、
食料と交換して生き残ったという話は読んだなぁ。
ロシアの女兵士部隊の従軍慰安夫になりたい!
ファシズムについて少しは学んでから書き込めばいいのにw
彼にとっては「ファシスト」は
感心してもらえるはずのタームなんでしょうな
俺のじいさん大東亜戦争を大元帥として指揮あらせられ戦ったらしい…
なんて書き込みないよなw
皇室はないとして元華族だった人の末裔は2ちゃんなんて
しないのかね。
うちは長州系だから縁戚に元華族の人いっぱいいるけどね
うちはただの士族出身の職業軍人の家系だけど
うちはご一新のときに上京してきた薩摩の下級武士。
英雄譚は聞いたことが無い。
その孫が釜山で予科練の教練受けていて終戦だってさ。
爺さんの一人は 甲種合格筋骨隆々のガタイしてた。 20iの下士官。
現役は満州事変。関東軍の司令部で立哨してた。石原さん他有名人多数目撃。
とにかく寒かった。グランドに水をまいてスケートしてた。後半は匪賊征伐。馬に乗って、鉄道路線周り駆けてた。暗号扱ってた。
再招集は上海派遣軍。軽機扱ってた。小隊編成? 十一年式か九六か失念。「敵チェッコの音と似てた」「よぉ当たった」
徐州戦から南京へ。何とか門(失念)へ迫った。 夜半 敵撤退の情報有り、健脚部隊を急遽編成、果たして抵抗は散発的、
市内突入の突破口を確保の軍功を立てた。「南京に一番乗りしたのはワシらーだ!」
と、昔はよく話してた。ところが南京の事がよく話題になると、一切話さなくなった。当時の写真もいつの間にか処分されてて、
亡くなった後に整理しても見つからなかった。 かなりエグイものが有ったと記憶してる。
戦後、戦友(前述の健脚部隊の戦友)を訪ねたとき、20iの元兵士が南京での出来事を証言してるという話題になった。
「余計なことを !!」 祖父の顔は憤怒に歪んでいた。とてもその場におられず、部屋から出た。
再々招集後は舟艇運動の部隊。大発扱ってた。16Divから離れて スマトラにいてた。おかげでレイテで海兵師団にボコにされずにすんだ。
スマトラではマラリアで死線をくぐったが、他は大きな戦闘はなかった。ひたすらパッションフルーツを食べてて、おかげでやけにフルーツに
詳しい爺さんだった。Uボートを見た。(ウソだと思ってたが、深海の使者を読んで驚いた。すまん、爺さん)
よく戦友会に行ってたが、晩年には戦争の事はもういやだと、全然話さなくなった。十代後半から二十代を戦争で過ごして大変な人生だったな。
と、思ってたら、遺品の整理中、戦後、某作戦課長閣下との交流を示す物が出てきて、密かにびっくり。家族にも話さずに墓場に持って行った事
が有ったようだ。
ガキの頃に聞いた話で詳しい事は忘れてしまったけど、大陸で戦ってた祖父から、敵の飛行場に騎馬隊で突撃して占領したとか聞いた事ある。たしか昭和20年の話。
「馬で突撃って戦国時代みたいだねw日本には戦車無かったの?w」
って爺ちゃんを小馬鹿にしてた気がするけど、
支邦人相手で大陸だからこそできた作戦なのかなと思った。
>>441 確かにご記憶通りです。
鶴田浩二は、実は整備兵だった。
彼の死後、偽りの履歴としてマスコミで話題にもなりましたね。
しかし、彼が歌う「同期の桜」は子供心にも胸に迫るものがあったのを私も記憶している。
占有への鎮魂歌であったのでしょうか。以心伝心を促す強い意志があったのかもしれない。
芸能界以降の彼については、いろいろあったようだが。
>>471 騎兵第四旅団、
昭和二十年三月二十七日に老河口飛行場を襲撃、占領(老河口作戦
ただし、
同騎兵連隊は隷下に戦車隊も持つ(おそらく九七式軽装甲車を装備
474 :
名無し三等兵:2009/07/22(水) 21:15:14 ID:UngwIrmS
うちのじいさんまさにザレイプオブナンキンそのものだったらしい
475 :
名無し三等兵:2009/07/22(水) 21:42:28 ID:oLEuMtqf
へぇそりゃよかったね
>>474 おまえの爺さんナンキンムシにレイプされたの? 可哀相に
もし頭の中が中共の宣伝どおりなら、そういう風にされちゃったんでしょうね
478 :
名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:05:02 ID:7od0/fOE
おー夏休みらしくなってきたのーw
479 :
名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:19:29 ID:GFXt+ZOm
家の爺さんも石川県の戦友会で辻政信と会ったって言ってた
勲章とかの恩給とかを国会に意見するとかで応援して欲しいとか、、、
ヴぃpから
「じいちゃんって戦争行ったんでしょ?」
「ああ」
「どうだった?」
「木に生ってるバナナは不味い」
他は語ってくれなんだ
>>485 水木しげる氏も似たようなこと言ってたねw
もいだ後に黄色くなるまで何日か待たないと甘くならないとかだっけ。
もいだバナナは地面に穴掘って隠したりしとかないと他の部隊の連中に盗まれたりしたんだって。
487 :
名無し三等兵:2009/07/23(木) 23:45:50 ID:KhTz/MTA
今日輸入したバナナは一度倉庫でエチレンガスで熟れさせる
これまめ知識な、、、、
近所のスーパー、Dole バナナが5本で105円。
まめまめ知識な。
489 :
名無し三等兵:2009/07/24(金) 13:55:26 ID:Lw4Q4Xpv
日本人のほとんどがトラウマになった大東亜戦争に比べて
日本と中国のいざこざなんて実際に苦い経験したのは
当時四億だかなんだかの人口のうちほんの一部の数十万人多くて数百万人だろ?
しかも反日教育ごてごてで育った中国人も今や13億で
そんな大勢にいい感情もたれてないってたまったもんじゃない。
今後更に反日教育ごてごてが人口増加していき近い将来少子化日本の
人口が5千万とかになって尾ひれつき放題の反日教育ごてごて
中国人数十億人にが〜が〜!言われる時代になったらどうしようorz
490 :
名無し三等兵:2009/07/24(金) 14:06:22 ID:wwuoFoxa
その頃にはもう、かつてのチベット王国みたいに中国から武力で併合されてしまってると思うよ
天皇やら皇族はアメリカに亡命
どうかな……
案外日本人って思想的に昔からバラバラな部分があるから、
226事件の映画とか観てて思ったけど中国に併合されそうになったら、
それこそ自衛隊内の一部隊とかが決起するんじゃないだろうか?
政権奪取とかそういう緻密な計画の下にじゃなくて、日本人に覚醒を呼び起こす目的で……
インターネットの発達した今の世の中、マスコミ統制だけでは人心を全て掌握することなどできないしね。
そこまで悲観しなくてもいいと僕は思ってるよ。
日本人が優秀だから大丈夫、とか過信してるわけじゃないけど。
ウチの父方の爺ちゃんは佐賀の部隊に配属されて南京で訓練を受けてビルマへ。
目が良かったからインパールでは斥候をやってたらしい。開戦したら真っ先に敵
の壕に飛びこんだ方が生き残れて、中途半端な方が死んでいくって話だった。
現地の山村の人達と仲良くなって強盗に来る日本兵を仲間と撃退するうちに
キャプテンと呼ばれるようになって、村長の娘婿として村に住まないかって話に
なったらしい。結局断って作戦中はコヒマあたりまで行って敗走、終戦はビルマ
で迎えた。
イギリスの捕虜時代は将校がティータイムに屋敷に呼んでくれてお茶とお菓子を
ご馳走してくれたり、楽しかったと言ってた。
>>211のお爺さんとどこかで面識が
あったかもしれないねw戦った事で敵だけど日本人に一目置いてくれてたのかも
しれない。
戦後は駅伝選手→社会人の監督をやったり趣味で山登りをしたりと元気で、
やっぱり若くて体力があったから生きて帰って来れたんだと思う。
俺が大きくなる前に爺ちゃんは死んでしまったけど、ちょうどビルマ時代の爺ちゃんと
同年代でバックパッカーとしてタイやミャンマーを何ヶ月か旅をする機会があって、
ジャングルの中をイギリス人達とひたすら歩いて少数民族の村に泊めてもらう
機会があった。遠い昔に爺ちゃんがこんな遠いところまで来て戦ってたことや、
その時の敵(直接戦ったのはインド人かもしれないけど)だった人達の孫同士で
笑いながら旅をしてるのが不思議で、爺ちゃんが生きてるうちにたくさん話しをしたかった。
仕事柄外人と仲良くなるけど酒飲みながら互いに冗談言い合うような
付き合いしてるがじいさん同士は目玉潰し合うようなえぐい白兵戦
とかやってたりして。
まあいい時代に生まれてよかった
495 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 08:20:40 ID:Tb/1Wlkb
もうすでに亡くなった、父方の祖父から聞いた事があるのは、
海軍の少尉候補生として、沖縄へ出撃予定の戦艦大和に乗り組んだ事。
だが伊藤長官の命令で、たった三日で退艦させられた。
出撃する上官達からは、将来の帝國海軍を担うであろう貴様等を、むざむざと特攻作戦で犬死にさせる訳にはいかんのだ。
帝國海軍の再建宜しく頼むぞと、言われたそうだ。
496 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 09:55:14 ID:nh53vDsu
大した話ではないです。
爺さんが戦時中に外に出ていたら、山の向こうから艦載機(たぶんF6F)が飛んできて、垣に貼りついて難を逃れたことを聞きました。
そうやって次世代を任された帝国海軍の再建は海上自衛隊でおk?
498 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 23:14:41 ID:XF9rfYSH
海上保安庁です。
499 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 01:50:36 ID:2S7ScBuq
まぁ、近未来の日本は中国に飲み込まれているよ。ミンスが政権とれば流れは止められないわ(涙 中国の未来地図では西日本を東海省、東日本を日本族自治区にするらしいな。
恨みをかっている分チベットやウイグルよりはるかに悲惨凄惨なめに合わされるのは間違いないし、人口的にも、逆転されてしまうだろうね。
危機感ないわけじゃないけどそこまで極端に日本が乗っ取られるとは思わんけどねえ
日本人は思想抜きにして移民に反対してる人が多いし、中国人が犯罪の温床になってないのを否定する人も少ないだろう。
我々は現実的にどうすべきかをその都度考えて実行していけばいい。
極端な悲観と極端な楽観は禁物だよ。
失敬 犯罪の温床になってないのを否定 じゃなくて なっているのを否定 でした…
503 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 05:23:03 ID:gw6N9mtu
>>499 もしそうなったら、俺はゲリラとして日本独立の為に戦う決意がある
中国人には悪いが非常事態だとさすがに兵役は復活するだろうし
日本人の特性上少数精鋭ならぬ多数精鋭の軍に仕立てあげられる
ほど隅々まで行き渡る確かな規律とそれを忠実にこなす
日本人の国民性があるから大雑把な中国兵には負けないと思う。
それに日本の技術をフル活用して本気で兵器開発すれば
兵士と兵器とも人口の差を埋めるほど圧倒できるだろう。
将来の中国の経済成長を考慮しても日清戦争時の国力差
なんかより全然余裕でしょ
中国と戦争しても海上封鎖だけで済むだろう。
人はそんなに要らないよ。
北朝鮮が崩壊したら、北系の難民がどどーっと合法的にくる。
日本版ネオナチが出来るかもしれない。
近代軍に人数は要りません
中国軍がおおざっぱというのは印象だけでしょ?
実際には精鋭グループ(それでも自衛隊より多い)に
ランク付けされてる軍人のレベルは高いよ。
>兵士と兵器とも人口の差を埋めるほど圧倒できるだろう。
核兵器と核弾頭を搭載できる弾道弾・巡航ミサイルしかないよ。
でも日本が核開発をはじめたらアメリカや西側各国との同盟・友好関係は
破棄されるから、無理だな。
>>506 チャンコロのシンパか。
宣撫工作ご苦労だな。
軍板ははじめて? ここじゃ、ちゃんと具体的に
間違いを指摘しないと相手されないよw
最大の間違いはスレ違いってこった
いまさら中国に侵略されたところで負けはしない。
日本がそれで終わる国であるならば日本が建国以来二千と数百年
のあいだにとっくに中国の属国になってたろうし。
先人も天下は一人の天下にあらず乃ち天下の天下なり
と言う姿勢を貫いてただろ。
>>509 ハハハ。そのとうり。上手いねw
>>510 つーか、歴史からすると長い間、日本は中国の属国だったんだけどね。
華夷秩序つうんだけど。
属国たって今の意味とは違うし、むしろ独立を守るために
必要な政策で、そのため朝貢してた(朝貢は貢ぐ方にむしろ経済的な
利益があったし)
ドル本位制みたいなもんで、従っているからと言って卑屈という
わけでもないんで誤解されると困るんだけど。
属国にはなったことなどない。
中国と半島の関係みたいに親分と子分ではなく兄と弟みたいな関係ではあった『だいぶ大昔だが』。
兄と弟から脱却してから中国皇帝から脅しがきた事もあったが幕府側が強きな
返答を返して何事もなく自然消滅した経緯がある。
外国人参政権をマニフェストとして表には出さないとはいえ、サンフランシスコ講和条約
日華平和条約、日中友好平和条約、日韓基本条約を真っ向から否定する政党が
二代党首の大汚職事件を黙殺するマスコミの全面支援で、衆参同時に過半数を取ろうか
という前代未聞の異常事態だから、今までの侵略とは全然性格が違う。
北条時宗が筑紫君磐井に簒奪されるようなものだろう。
千年以上遡らないと、民主党レベルの売国奴は居ないものなのだな
よそでやれよなー
飽き飽きだ
全然左思想ではない知り合いとじいさんの戦争体験話になると
決まって『満州にいたのは聞いたことがあるけどあまり戦争の話をしたがらない。
てことはじいさん満州で悪さしてたんだろうな〜…』
なんて結論に無条件で達する人間が多い。
中には元自衛隊だった友人ですらこんな結論に達する。日本人の芯にまで
染み込んだ自虐史観もどうにかならないもんかね
すいません!
お尋ねしたいことがあるのですが、
給兵艦「樫野」の沈没について知りたいんです。
この間祖母の家で偶然亡くなった祖父の軍人履歴書が見つかって、
そこに「樫野」に乗艦していた記述がありました。
祖父は僕が生まれる前に亡くなったのですが、酒に酔うといつも戦友たちの話をしていたそうです。
樫野では沈没時にお亡くなりになった方とかいるのでしょうか?
祖父は当時二等機関兵だったらしいです。
終戦時の階級は機関兵長とあるのですが、これはどれくらい偉い階級なんでしょう?
陸軍でいう軍曹くらい?
>>515 それも決め付きすぎ。もっと広く見ろよ。
決め付けもなにもこの手の話になるとなぜかそう言う結論に
達する場合が多いんだよ。
人様の家の話しだしそんなことないと思うよですら言いにくいし。
自分のじい様のくせに信じてやればいいのに
>>518 戦争で平時には言えないことをやったんじゃないかって憶測する反応を
すべて「自虐史観」だなって思うのを”決めつけ”って言われてるんだよ。
520 :
名無し三等兵:2009/07/27(月) 12:29:36 ID:9csd/g0y
名前は忘れてしまったが、有名な戦闘機乗りがいた基地で、祖父は整備兵をしていた。
「今日は、〜機撃墜確実だから機体に撃墜マークを書いといてくれ」と戦闘が終わって帰ってくると頼まれたらしい。
空戦を重ねるごとに赤いペンキで書いた撃墜マークが増えて行って、
遠くから見ると飛行機が薄紅色に見えたと言ってた。
だってこの手の話しになると決まって日本軍が残虐非道前提で
話しが進むのが自虐史観でなくてなんなのさ。
522 :
名無し三等兵:2009/07/27(月) 19:59:52 ID:bF2obuEd
有名な戦闘機乗りってーと、岩本、西沢、坂井、笹井、黒江、若松、穴吹とかか?
ラバウルの柴田司令は撃墜マークを奨励してたらしいから、岩本、西沢、坂井、笹井の誰かか?
>>520 撃墜マークがビッシリ書かれた機体と遭遇したら、敵機もビビりまくるだろなぁ
無知でスマソ
撃墜数ってパイロットの自己申告なの?それとも戦功目付みたいな人が数えてるの?
526 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 00:47:37 ID:A61bLNoe
おいらが育った時代は、寝ても覚めても日本は悪いことをしたってマスメディアの流れ。
消防ながら??だったよ。でもガキながらファミコンより日本軍の本や軍歌とか大好きだった。
戦争に行った先祖とそうでない先祖のはなしではかなり違った。
戦後の教育で思春期を育った世代は左翼の洗脳から醒めない世代だと感じる。
マスコミ放送によって日本は残虐極悪でアメリカは人道的だとおいらも洗脳されたが、
ガキながらそれは変なので受け入れられなかった。
で、ガキのとき、戦争の体験談で一番恐ろしかったのは爆弾でも焼夷弾でもなく、
機銃掃射だと何かで耳にした。
ガラスのうさぎ
宮崎駿の蛍の墓だっけこんときもそうだったが
これ知って不覚にもポロってきた
おいしんだろうが体験談を自虐や反日に使うのはもうやめれ
利権や金や死活問題がかかってるのはわかるけどさ
そんな生き方して人生本望かと問いたい
>>525 にわかの俺が知る範囲で答えると国によって違う。
日本の場合は大戦途中から個人の撃墜記録に重点を置かなくなったため、明確な軍公認記録が途中からなくなった。
一応、パイロット個人々々でメモをとることは許されたし、撃墜マークを記す事も許された。
イギリスなんかは撃墜に関して細かくルールを決めてて、協同撃墜で0.5機、0.3機と定められてた。
撃墜は空中分解や火災や黒煙で撃墜、白煙やきりもみは不確実って場合が多いかな?(偽装の可能性があるため)
自己申告以外に第三者の目撃証言が必要。
詳しくは質問スレで聞くのをすすめる
528 :
527:2009/07/28(火) 01:00:44 ID:???
>>525 ちょいと趣旨とずれた。
日本の場合は
自己申告(パイロットがが撃墜したと信じるもの)
軍公認(ルールに則ったもの)
部隊記録(自己申告に目撃証言がとれたものや協同撃墜)
など何通りのスコアが存在する。
欧州戦線の場合は、戦後に各国資料を持ち寄って確認したりもしてるからかなり正確。
>>526 真剣にそう思ってやってる人が多いから何ともねえ
はだしのゲンの作者が日本が戦争になったら土下座すべきだって言ってる
のもあんな凄惨な体験したんだから気持ちはわからんでもない
0コンマ何秒の空対空射撃の世界だからなぁ
本人申告(虚偽のつもりなく自信有り)ではどうしても誤差が・・・
『さすがにアレだけ当てれば堕ちたやろ』
『火を噴いて堕ちていった』
が基地まで生還してたり
『撃破でいっぱいいっぱいだった』
が帰途堕ちてたり・・・。
日米ともに、だいたい
味方の撃墜申告>>敵の損害機数
らしいよ。
ヨーロッパみたいに、専門家が双方の資料を公平な目で突き合わせて検証しない限り正確な数はでないだろうな。
しかも太平洋は海上での空戦が多いからなおさら困難と思われ。
戦争に行くと精神がやられる
しっかりと士気をもってないと頭がおかしくなる
そこで自国が戦争に負けると戦争の功罪の功だけなくなる
負けた国家を責めて戦争とおのが人生の責務を置き換える
戦争の病気の一つ
心療内科に自分の人生を親のせい、社会のせい、他のせいに置き換えて、
薬で躁鬱をコントロールして治療する欧米ではすでに古いとされるやり方が日本でまかり通ってる。
将校として7年、少佐で戦争を体験した祖父は終戦後、大学を経て民間で細々と暮らした
陸士在学中に終戦して、戦争を体験してない大叔父は大学を経てエリート意識バリバリのキャリア官僚になった
そんなもんかね
533 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 14:01:28 ID:/ajomT30
小学生の頃、母親の弟の嫁の実家に行った。
田舎の、人家疎らなところだったが、人の良さそうなおじいさん、おばあさんが
出迎えてくれた。
家の中に迎えられ、暫くすると額に収められた軍艦と軍人の写真に気づいた。
おじいさんとは何か感じが違ったので、家族か何かで戦死した人かなと思いつつ、聞くのは
気が引けたので、気付かれる様に、写真を見つめていた。 するとおばさんがそれに気付き、
あのおじいさんが艦長をしていた駆逐艦とその頃の写真だと教えてくれた。
何でも、村一番の秀才で、海兵卒、同期トップで(駆逐艦)艦長になったそうな。
どう見ても田舎の農家のおじいさんと、若く凛々しい写真とどうしても結びつかず、双方を見比べていたら、
おじいさんが、照れ笑いとも付かない笑顔が今でも忘れられない。
父が東郷元帥で母が乃木大将で兄二人が山本五十六と東条英樹で
末息子に田母神閣下がいます。
>>529 >はだしのゲンの作者が日本が戦争になったら土下座すべきだって言ってる
>のもあんな凄惨な体験したんだから気持ちはわからんでもない
同意。空襲で家族を焼き殺されて、子供ひとりで逃げまどう途中で
何十人もの人が一斉に発火して死んでいく様子を見た東京大空襲の被災者は、
激しく戦争を起こした指導者や軍人を憎んでいたけど、その気持ちは
否定できんよね。
うちも原爆で被災して死んだ親戚が居るし(全滅で被爆者で生き残りは
いなかった)、一方で海兵卒から二等兵まで戦地に赴いた人も多いが
戦時中の苦労や不満、戦争のトラウマを語るときもあれば、同じ人が
当時に戻ってもやっぱり志願すると言ったり、自衛隊は国軍にするべきだと
言ったりする。
作者殿は空襲下の惨劇はお知りであるが、主権や自由を奪われる苦しみはお知りではないのだ
僕も知りませんが
538 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 18:38:18 ID:U66fpBBm
>>520 岩本氏の愛機だろう
桜の花びらを模した撃墜マークだったらしいから、
機体が薄紅色(ピンク)に見えたのも頷ける。
すべての原因はペリーのせい
540 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 19:35:28 ID:wcYyB+g+
数年前に亡くなった、母の義理の叔父が、「金剛」に乗ってた。
>>533 お爺様が艦長をされていた駆逐艦・艦名が判れば、後日でも良いので教えてくだされ。
うちのじいさんアメ公を懲らしめたらしい。
じいさんは戦勝国ならぬ戦勝民だからその孫の俺は勝ち組だ!
>>533 旧海軍の艦長クラスは、それなりの名家出身じゃないとなれんぞ?
糞田舎の百姓出身だと、どんなに頑張っても艦長なんてなれるわけがない
>>544 兵学校の席次、いわゆるハンモックナンバー次第でしょう。
出自は問われませんよ。
>>544はどこの海軍とは言ってないし
どっか違う国のことを言ってるんだろw
アメリカとはは議員の推薦状ないと軍学校入れないからなw
まぁ冗談はおいといて駆逐艦や潜水艦なんかだと大尉とか少佐クラスが艦長ですからね
ハンモックナンバーが下位だろうが海大出てなかろうが艦長になれますよ
もちろん出自関係なくね
わざわざコネ(というか薩長閥)がなくなるように成績至上主義にしたんでしょ?
それが戦時であだになったけど。
そだよ
山本権兵衛が無能な薩摩っぽを排除するために
俺の爺ちゃんは倉庫から物をくすねるのが巧かったらしいwww
わざわざ方法を聞きに来る奴もいたと聞いた。
ただボケ始めてるから信憑性は微妙
>>540 俺のじいちゃんの兄ちゃんは、その金剛をイギリスに受け取りに行った乗組員だった
そうだ。
>>544 >旧海軍の艦長クラスは、それなりの名家出身じゃないとなれんぞ?
いつの時代の、どこの国の話でしょうかw? 夏休みの宿題は早めに手を
つけておきましょう。
皇国の守護者じゃね?w
逆に、いつからヨーロッパの海軍は貴族出身で無くても士官になれるように
なったんだろうな。
19世紀には平民出身の外交官や軍人、政治家がたくさん出てくるから
18世紀の初頭くらいか?
それでも騎兵とかは貴族出身しかなれないんじゃなかったけ?
>>544は「海軍」「糞田舎の百姓出身だと、どんなに頑張っても艦長」は無理と言ってるから
旧海軍だからなぁ…どっか該当する国ないかなぁ
有名どころでは工藤俊作中佐じゃないか
>>544 うちの嫁のおじいは、名家でも豪農でもないけど、駆逐艦の艦長だったよ。
もしかして、
>>544は菊の御紋がついた艦を言ってる?
>>544 うちの戦死したひい爺さんも、糞田舎の貧乏な漁師の家に生まれたが、
家族を楽にさせたいがために猛勉強して海軍に行って、潜水艦の艦長まで上り詰めたぞ?
村1番の出世頭だと、当時は有名人になったそうで、軍国少年の憧れの的だったと、近所の爺さん婆さん達も言っている。
今でもお盆になると「艦長さんのお墓」だと言って、村じゅうの人が墓参りに来てくれるのがありがたい。
陸士や海兵に合格者が出て地方紙や全国紙の地方欄に名前が出ると
田舎とかだと町を興しての大騒ぎになったらしいな
んで在学中に出身中学に凱旋するんだが
後輩たちの目の輝きが違うらしい
んで小さい町ならちょっとしたヒーロー扱いなんだって
うちのじいさん豪農の家のやっとできた長男で家から親戚からぐるになり
なんとか戦争に連れてかれぬよう山に隠そうとまでしたらしい。
そんな売国奴じいさんでしたw
結局豪農の権力フル活用しても国家権力には勝てず無事満州へ。
まあ人当たりのいいじいさんだから上官連中に可愛がられたりと
行ったら行ったでうまくやってたみたい。
563 :
名無し三等兵:2009/07/30(木) 03:09:01 ID:AfZ+e1Y6
なんであれ、昔の方々のおかげで今があるから感謝したい
565 :
名無し三等兵:2009/07/30(木) 15:37:33 ID:OOBli+M1
>>541 533ですが、その当時は軍艦には興味なかったので、”駆逐艦?ふーん”といった感じで、
艦名までは聞かなかったか、或いは忘れてしまいました。
終戦時まで写真の艦長をしていたかどうか解りませんが、戦後まで残った艦だと思います。
清太さんの父上も駆逐艦艦長だよな
567 :
名無し三等兵:2009/07/30(木) 18:46:18 ID:xoP8ZmrF
>>563 性懲りもなく、またオマエか。
書き込みする前に、手ぐらい洗ってくれないか。
臭くてかなわない。
解ったかな?
汗くさイカ臭ノ介クン
また、イジメちゃうよ。
他の板みたいに。
569 :
名無し三等兵:2009/07/30(木) 20:51:31 ID:xoP8ZmrF
>>568 うんこはね、みんなするよ。
なおかつ、野菜や果物を作るのに無くては成らない肥料。
汗くさイカ臭之介クンは、この世 あの世に居場所が無い クサレニートだから、うんこイカだね。
彼の居場所は、バーチャル世界だけだからね。
また、来るよ〜 夜中の三時位にイカれた書き込みが。
仕事してないから、夜中から、明け方がヤツの活動時間だよ。
気持ち悪いよね〜
クサいんだろーね〜
戦争が激しくなる前、
甲子園に台湾からも代表中学が出場していた時に、私の祖父も応援で見に行ったと事があると言っていた。
高砂族出身の選手は、
華奢な日本人に比べて体格が良く、浅黒い風貌は精悍で格好良く見えたそうだ。
満州に渡ったばあちゃんの話。
満州では、よく中国人が食品を満載した籠を
天秤に吊って、日本人居住区にやって来てたそうだ。
ここからは、ばあちゃんの口調で。
「シナ人ってのはバカでなー。
籠を天秤から外さずに、両脇に置いたまま商売を始めるのよ。
例えば右の籠を向いてる時は、左の籠に背向けなきゃならん。
だから背向けてる籠の中身は、・・・・・取り放題だ。
シナ人が左の方向いたら、こっちは右の籠に移動するのよ。
まともに買った事など一回もないわ。
そんでも、毎日毎日、籠を天秤から外さずに、両脇に置いたまま商売を始めるのよ。
今考えてみれば、そうとう値段をふっかけてただろうから
少しぐらい減ってもなんともなかったんだろう。
狐と狸の化かしあいだなwwww」
・・・逞しい、逞しすぐる。日本人も中国人も。
文章の始めのころ見てたらなんて婆さんだ!日本人の恥だと
思ってたが確かに中国人も日本人金持ちだから吹っ掛けてやろうと
言う考えの奴もいたろうから結局互いに無駄な労力で
プラマイゼロなんだろうなw
>>536 >同意。空襲で家族を焼き殺されて、子供ひとりで逃げまどう途中で
>何十人もの人が一斉に発火して死んでいく様子を見た東京大空襲の被災者は、
>激しく戦争を起こした指導者や軍人を憎んでいたけど、その気持ちは
政策無き政権交代の為に統帥権干犯音頭を踊ってた鳩山一郎と、それをはやし立てて
いた新聞屋連中を殺しておいてくれれば、少しはましになっていただろう。
>>567-569 大東亜戦争の記録も☆満足に知らずw
戦後の日本を駄目にしたw
国賊売国奴のwキモブサ童貞乙w
人を罵倒する時って自分が言われて一番嫌な事を言うってよく言うよね
ということはバカの一つ覚えのようにキモブサ童貞を連呼してる奴は・・・wwwwwwwwwwwwwwww
577 :
名無し三等兵:2009/07/31(金) 18:05:44 ID:uLuIkOke
>>575 夜中の三時位にくるかな? なーんて言ったら、平日の真っ昼間にキタよ。
自分で「仕事してません」宣言したね。
バカだね〜 オマエ 罠とも知らずに食い付いてやんの。
578 :
名無し三等兵:2009/07/31(金) 19:58:33 ID:dI0Y4w92
自分の曾祖父が福島の会津若松○○連隊というところで曹長やってたらしい。何連隊かしらんがさっき65しかないと聞いたから多分65連隊。
で、満州に行っていたらしいんだが、敵の陣地を双眼鏡?で見てたらヘッドショットを狙われたらしく、それて手の平に当たった、それで軍医に
みせたら、鉛の毒が怖いから切断するしかないと言われたんだが、腕を切るくらいなら死ぬといって放っておいたら運よく治った。まあ、たぶん
本業が農家だったからなのかな。で、それ以外の話は幽霊の話を聞いたよ。戦場じゃ人がたくさん死ぬから幽霊と幽霊がぶつかってバチバチと音がするって
話。で、自分の直前でぶつかると肌がバックリ切れるとか。本当なんだか嘘なんだか。あと絵画書いてた、塹壕?の中で死んだ兵士の絵とか書いてた。本人いわく
突撃の時の風景らしい。あとは掛け軸も自分で作ってた。漢文で大砲の音がまるで雷だったみたいな事書いてた。
金鵄勲章を持っていたんだが第何級かは知らない。なんでもらえたんだろう?
金鵄勲章ってどういうことすると貰えるの?
武勲があった者に授与される。
金鵄勲章の勲記は一等から七等まで天皇の直筆なので授与者は限られる。
戦闘に参加しなくても激戦地に赴くと貰えることがあある。
580 :
名無し三等兵:2009/07/31(金) 22:05:08 ID:dJXSxwp9
金鶏勲章功級は、階級で違うんじゃない?
曽長なら功五級位かな。
名誉の戦死であれば、二階級特進で尉官だから功四級となるのかな。
露兵は国際的に禁止されてた鉛弾使ってたんだね。
両腕に時計沢山着けてw
581 :
名無し三等兵:2009/07/31(金) 22:12:55 ID:4nBv5cAt
>>570 むかし、中日ドラゴンズで活躍した郭源治は、台湾原住民アミ族出身だよ。
野球に向いてるのかもしれないな。
582 :
名無し三等兵:2009/07/31(金) 22:31:33 ID:aQ/IMJHP
祖父さんとまともに話したのなんてもう20年近く前だから、細かい内容なんてろくに覚えてないなぁ。
ただ国内組だったって事と、
「おらぁ戦争へは行ったけど、ただの一人も殺さなかったことと、生きて帰って来たのが、今となっては一番の自慢だ」って言ってたのはハッキリ覚えてる。
うちのじいちゃんは陸軍で満州にいたそう
ある時同僚と見回りしていると怪しい男を発見、よくみてみると持っている篭に銃のような物が
同僚と「ゲリラじゃねぇの」的な話になり「じゃあやべぇじゃん、刺激しないようにしとこうぜ」となり挨拶だけして華麗にスルーしたそうです
>>580 弾丸って普通 鉛の弾じゃあないのか?w
うちの祖父はたしかフィリピン戦線の生き残りだったな
ある時テレビで太平洋戦争のドキュメンタリーをまだ小さかった俺と見てたらポツリと「…砲撃なんて伏せてれば当たらねえ。
銃弾なんて滅多に当たらないよ…」
ってこぼした。
この後すぐ死んじゃってどこの部隊にいたとか全くわかんないけど、これだけは今もはっきり覚えてる
>>578 >腕を切るくらいなら死ぬといって放っておいたら運よく治った。まあ、たぶん
本業が農家だったからなのかな。
農夫強いな。。。
>>584 いまでも猟銃弾や射撃場の鉛害が問題になってるしね。
>>576 俺と違ってw
女の子の☆手も握った事もないw
キモブサ童貞乙w
589 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 08:57:52 ID:zVFhTB1K
戦闘機乗りだったうちの爺ちゃんから、
「ペロハチは格闘戦に引き込めりゃ楽勝だった。20ミリをパッパッと当てりゃあすぐ堕ちる」と聞いた事がある。
小学生の頃に聞いた話で、ずーっと「ペロハチ」の正体が気になってたけど、最近ライトニングの事だと知った。
「メザシ」とも呼んでたみたいで、面白いあだ名をつけるもんだなと思った。
20mmって評判悪くて7.7mmが主流だったみたいだけど20mm使ってたパイロットもいたんだな。
20mmをぱぱっと当てるのが大変なわけでしょ。ドッグファイトだと
なおさら20mmはブレてあたらんというし。
592 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 10:16:47 ID:R63ZJyZ4
2号銃になると初速も750m/sまで向上してる
カツオブシってあだ名の戦闘機もあったよね
B29にもあだ名あったのだろうか
戦争当時、B29は一般市民からは何て呼ばれてたんだろう。
敵国の飛行機の名前(機種名)って知ってたのかな?
>>594 うちのばっちゃは名古屋の三菱で航空機の設計図書いてたらしいんだが、絵がうまかったもんで米空母の艦載機とか爆撃の護衛戦闘機とかを書いてたらしい
名前も知ってたよ。B-29だけはB公といってたかな
597 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 12:43:09 ID:k0gsGGc0
>>593 B29は、たしか 「くじら」
P51が 「いわし」
P37が 「カツブシ」
だったかな。 たしか。
598 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 14:02:49 ID:1lsY0S8R
P-38がメザシとかペロハチだっけか?
599 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 14:03:21 ID:M5gTX0Ly
爺さんは、山口県で雷電に乗っていたと聞いた。
癖のある機体で、兎に角着陸が難しくフロント硝子に頭をぶつけたとかw
北九州市爆撃に向かうB29を何度か追撃に向かったけど、奴等が飛ぶ超超高度は異次元だと。
途中で失速したり搭乗員が気を失って脱落していく中、爺さんはなんとかB29の超超高度までたどり着いたけど、その余りにドデカイ機体を間近で見た時、身震いがしたと言ってな。
照準器を覗き込むとそのまま奴に吸い込まれるんじゃないかと錯角したとも。
結局爺さんは戦果を挙げられなかった訳だが、一機でもB29を落としたかったと悔しがっていたし、その後の北九州市を思うと眠れなかったと言ってた。
爺さんはB29を銀翼の怪物とか怪鳥と呼んでた。
銀翼の悪魔とか云う呼び方もあったな。
600 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 14:24:24 ID:XjAiFVJ+
俺の爺ちゃんが京都で共産党員だった時、勉強会で陰気な中国人の若者がいて友人になった。
そして下宿で爺さんが金を出し中国人が料理して安酒を飲み夜通し議論していたらしい。
しかしその中国人は入試に続けて落ち、学費も尽きたので帰国。
爺ちゃんは最後の別れに、その若者を連れて嵐山とか清水を散策し神戸から帰国。
ちなみにその中国の若者は周恩来。
602 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 18:07:39 ID:OIPUGkgd
>>580 生きて帰ってきたから功五級なのかな?
終戦後も自分が曹長であった事(下士官で一番偉いから?)と勲章を自慢し続けてて遺影にも勲章をつけて映っている。
他にも何個かあったけど詳しくはわからないな、勲章の種類はわからん。
手の平のケガは結構重症で親指が閉じられなくなったとかで、煙草の吸いすぎでがんになって死ぬまで
後遺症に悩んでたらしい。やっぱり農家だからね。
戦争の経験が役に立っているのかいないのかまだ五歳だった私に年なのに自力で地面にトンネルを掘ってくれたりして、
でも祖父にそんな穴掘るなとか言われてけんかしてたな。
曾祖父が死んだ今では勲章?あったけどどこ行ったかな?という適当な扱いを受ける不憫な金鵄勲章。
話は変わるが、やっぱりこの世代の人はチョンやらシナ人に対する差別というか侮蔑してる態度は明らかだね。
俺も好きじゃないが。
馬鹿でもチョンでもできるってのは曾祖母の口癖だったな。
金鵄勲章はチョンやブラクラがたくさん貰ってたので有名
こないだ仕事のミーティング中に全く意味も知らず悪気もなくだろうが上司がバカでもチョンでも云々と
言うのを韓国人留学生の李君が目の前にいるのに連発してた光景が忘れられないw
田舎じゃまだ若い世代でも「バカチョンカメラ」って言うしな
韓流ドラマにどっぷりハマって韓国大好き!あの人かっこいい!
とか言ってる母親がバカチョンカメラと言っていた時はその無知さに引いたな。
差別用語だと教えたら「えー、そうなの?別にそんなつもりじゃないわ〜」と言われた……。
50代だからもちろん戦争経験者じゃない。
意味も知らなかったのに使うのが染み付いているってなんだかな。
607 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 21:19:07 ID:9PSPlOEA
>>603 それが本当かしらんが曾祖父は純日本人だな、家系図とかも重要視するからね。
田舎は。だから、それくらいは親が結婚するときとかも一応は確認するからわかる。
まあ、あんたは俺をあおってるんだろうけども。
ブラクラが何かはわからん。部落落後者とか?村八分って意味かな?
どうだろう?一応普通に近所づきあいしてるからそんなこともなさそう。
>600
ちなみに、周恩来はドコを受験しようとしてたん? 京都大学とか同志社?
>>604 バカチョンのチョンは朝鮮人の意ではなくて「あたまのおかしな人」のこと。
現代用語の基礎知識の古いやつで読んだ希ガス。
610 :
名無し三等兵:2009/08/01(土) 22:45:22 ID:k0gsGGc0
>>588 俺と違って?
はあ? 何言ってんの?
わざわざそんな事言うヤツいる?
ちなみに、それは現実世界の話なの?
もしくは、妄想世界?
自分がキモブサ童貞だと、暴露したような物だね。
たしかに、君 気持ち悪いよ。 女の子と手もつないだ事も無い なんてカキコゾッとするくらい
気持ち悪い。
オェ 吐きそう。
>>589 『ペロハチ』は、『ペロリと食えるP38』を略した蔑称だったかと。
ただし、格闘戦に引っ張り込めたらだと思う。
一撃離脱に徹した相手なら別だろうね、速くて重くてデカイし。
あとシロートの推測だが、20mmでも、例えば『かなり接近すれば当てられる』とか、『指二本下を狙えばちょうどいい』みたいなコツがあったのかも。
何の分野でも上手い奴はそういう技の引き出しを持ってるものだ。
亡くなった婆ちゃん曰く、B29はそのまま「B29」、その他は全部まとめて「艦載機」とか「グラマン」と呼んでたそうな。
瀬戸内海の某造船所の近くに住んでたので、艦載機はワンサカ飛んできてたとか。
タンカーが撃沈された時は沿岸に大量の油が漂着して、みんな鍋釜持ってきて集めてロウソクを作ったと言ってた。
>>554 イギリスだと……って言うか中近世ヨーロッパ海軍なんてイギリスのほかにはフランスくらいしかわからないが、
17世紀くらいには平民出身の将官がいたと記憶している。
有名どころでも肉屋の息子だったり弁護士の息子だったり、有名どころじゃないと労働者階級出身の提督までいた。
まあ元をたどればプライベーティア(私掠海賊)を艦隊司令にするくらいだけどな。
フランスだと平民出身の士官はフランス革命後。
革命で貴族士官がごっそりいなくなって、残った数少ない貴族士官と水兵から促成された士官では
イギリス海軍に太刀打ちできずにボロ負けしたってのがネルソンの時代。ちなみにネルソンは牧師の息子。
亀レススレ違いスマソ
614 :
uaa:2009/08/02(日) 05:02:40 ID:+TQjBUC1
615 :
名無し三等兵:2009/08/02(日) 07:57:38 ID:N+1r7JLI
>>614 八月中に実家に帰るからその時にでも確認してみるわ。
つーか、会津若松歩兵65連隊って結構情報あるね。
でも、満州いったという情報が見当たらないな。
616 :
名無し三等兵:2009/08/02(日) 08:30:41 ID:N+1r7JLI
ぐぐってみたら他にも会津若松歩兵連隊あるではないか。第272連隊は満州にいってたらしい
記録しか残ってはいないが、南京大虐殺にかかわった65連隊ではないようだww
>>612 ばーさんはB29見て、「きれいやなー」と言って怒られたらしい。
618 :
名無し三等兵:2009/08/02(日) 15:07:01 ID:T5EVm6Hk
>>617 ジュラルミンをプレゼントしてやってくれ
シベリア抑留時ロシア兵に名前聞かれたとき○○さんって言ったら
以降○○サンって呼ばれ続けた
620 :
名無し三等兵:2009/08/02(日) 18:09:18 ID:Lr8oY5o+
>>619 ロシア人でいうところの○○スキーみたいなものだと思ったんだな。
日本人は○○サン、○○クンとかいう名前が多いと思ってたんだろう。
>>520 陸軍の整備兵だったうちの爺ちゃんから聞いた事ある話は、特別攻撃隊の塗装は派手なものが多かったそうだ。
振武隊のとある少尉さんは、疾風の胴体に大きく「必殺」って書いてもらって出撃したと言っていた。
特攻機は特例的にパーソナルマーキングが認められたんだよなぁ。
確か57振武隊かな、戦後のアニメでも通用しそうな、『57』をモチーフにしたカコイイマーキングが、かえって不憫で・・・。
623 :
名無し三等兵:2009/08/03(月) 00:02:12 ID:KfklmOIX
じいさんは満州で捕虜、シベリア抑留生活。おじさんはフィリピンでアメリカに降伏。
ただ、じいさんの友人は海軍に入って空母(艦名不祥)に乗っていて沈められた経験がある(瑞鶴?)
話を聞きたかったが、今はすべて故人。
624 :
uaa:2009/08/03(月) 00:25:36 ID:SeB0P0ft
>>617 近所に住んでた昭和ヒトケタ生まれの人(高校教師・理系)は「燃えながら落ちるB29はきれいだった」って言ってた。
色んな材料が使われてるから、炎色反応で花火のようにカラフルになるそうだ。
625 :
uaa:2009/08/03(月) 00:34:33 ID:SeB0P0ft
>>619 恩師の先輩が戦前にアメリカへ自費留学したときの話だが、
金がないから金持ちの家に下男として雇われた。
その家の主人が「お前の名前は発音しにくいんだけど、どんな呼び名がいいか?」って聞いたんで、
「日本では俺はDannaと呼ばれてた」と答えた。
その人はそれから主人に”ダンナ”と呼ばれてたそうだ。
626 :
名無し三等兵:2009/08/03(月) 04:25:00 ID:uppIwyuJ
高校の時の美術の先生が元陸軍航空隊だったと言う話を聞いて、先生に直接
「先生隼とか疾風に乗ってたんですか?」と聞いたところ「97しか乗っとら
ん」と言われた。
それ以上詳しくは聞かなかったが、今考えると当時の先生の年齢から換算す
ると学徒動員で徴収されて特攻隊の訓練を受けたたクチか?
>>610 ハァ?
女の子と♀Hしてからw偉そうにほざけw
キモブサ童貞がw
628 :
名無し三等兵:2009/08/03(月) 19:39:03 ID:GECsQL2Z
女の子と♀Hしてから
女の子と♀Hしてから
女の子と♀Hしてから
女の子と♀Hしてから
女の子と♀Hしてから
629 :
名無し三等兵:2009/08/03(月) 19:43:44 ID:wtzDmb6R
>>627 「女の子とHしてから」?
なにそれ?
あなたは、「女の子とHしてる」んですか。 そーですか。
普通の人は、威張ってカキコしないですよ。
なに その 虚しい自己思潮。
バカじゃないの。平日の昼間から、頭 おかしいよ あんた。
童貞じゃない人が、羨ましいのか?
>>627もコイツにずっと構ってるやつも他に行け
両方、荒らしだ
ここは戦争体験を話すスレ。いい加減スレ違い
632 :
名無し三等兵:2009/08/03(月) 20:49:21 ID:wtzDmb6R
>>630 お怒りは、わかる。 だけどコイツは、外でも荒らしまくってる バカ。
一度キッチリ かたにハメてやらないとわかんねーよ。
みんなでボコってやろーぜ。
二度と来ないように。
>>632 もういいよ、誰にでも食いつくかまってちゃんなんだから
こういうんはシカトすんのが1番効果あるんだよ
これ以上こいつに絡むとお前も荒らしとみなすから
>>632 まあまあ落ち着いて……
ネット上ではかたにハメるなんてことは事実上不可能なんだから荒らしなんてものは図にのることができるんでしょう。
ここは一つ堪えましょうよ。
今夜からNHKでまた戦争ドキュメンタリーモノ始まるようだぞ。
>深夜12時45分から
今夜はビルマ戦線、沖縄の2本立て。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○私が荒らしに遭遇したら、そのまま放置してしまう。
|| ○数々の修羅場を潜り抜けてきた私に言わせれば、荒らしは放置を一番嫌う。
|| 荒らしは常に誰かの反応を待っているのだ。
|| 重複スレには誘導リンクを貼って放置すれば、一件落着となる。
|| あとはバランタイン30年で一杯やって、荒らしの事などキレイさっぱり忘れてしまおう。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘う。
|| ここでレスしたら、その時点で荒らしに乗ったことになり、あなたの負けとなるのだ。
|| 私なら、このような煽りや自作自演を見た時点で、甲高く「厭ね!」と声に出す。
|| そして同じように放置してしまえば、メコン・デルタ地帯攻略も容易となる。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことである。荒らしにエサを
|| 与えてはいけない。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚Д゚,,) ペペ・ローション。
|| ゴミが溜まったら削除が一番であるのは、言うまでもない。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
今集団自決の証言見てる
生々しい・・・・・
>>637 まさか既にバラされてる嘘証言を昔のまんまやってるのか
相変わらずいるんだよなあ。638みたいな、沖縄での集団自決は
間違いなくあったことのに、歴史に無知な上にネットの聞きかじりで
「無かった。捏造だ」と勘違いしてるのw
自決は確かにあったが、軍の強制ではなく集団ヒステリーに陥ったゆえの行為ってこった。
南京もなあ、第9師団の兵士がテレビで戦闘中に捕虜や便衣兵の処分や
大量の中国兵の死体が川を流れていったことを証言したり、兵士の日記に
記述があって、もちろんこれだけじゃあ南京事件が実在した証拠とは
全くならんわけだが、アホウヨは捏造と言い出すしw
>>641 証拠の人骨が大量に発見されたとかいう話があったけど、実際には、古代の自前のだったそうじゃない。
国共の争いとか文化大革命とか、内輪もめのほうが凄いっしょ。
俺の爺さんは名古屋の三菱でキ-46の生産ラインの管理をしてた。
9X年に亡くなったが、俺が軍ヲタだった絡みで、親父たちが分からなかった単語を理解出来たからみで
親族に細かい話を通訳(?)したことがあった。
ここからは、この板の人たちに真偽を確かめて欲しいと思って書き込む。
・キ-46(多分3型)は余りの高速のため、(空中戦)急旋回に制限が課されていた。
→試験飛行をした操縦士から強度不足で出来ないと聞いたらしい。
・44年以降生産の機体に一部武装用の補強が施されていた。補強は理由も分からないまま、命令されて部材の調達に苦労したらしい。
→模型を見せたら操縦席と偵察席の間で一部渡された設計図と違う骨組みが使われたらしい
・武装に関しては特殊な武装は知らなかった。
→背負い式20mmは簡略図を元に搭載したがこんな「うーたかひょーたか(方言?)」な図面で戦えるか疑問だったとのこと。
(詳細もその理由も分からず・・・というか理解できずw)
1944−45で勤務中の「戦死」は勤労工員(?)24名、女工(4名)事務員(3名)らしい。
この内、東南海地震の死者も含まれる?(話があまりにも曖昧で、分からなかった)
以下余談
・グラマンの機銃掃射で、目の前で好意を寄せていた事務員がバラバラになり、三日三晩悲嘆にくれた。
・その後、戦後を呑んだくれて、某カイジみたいな生活を50年くらいまでする。
以上。
644 :
名無し三等兵:2009/08/05(水) 08:47:19 ID:K4hrxhxF
のんだくれて半世紀か。豪快だな。
646 :
名無し三等兵:2009/08/05(水) 15:13:40 ID:j4fw8jg0
1950年までじゃないの。
>>644 正しい日本語ではそうなんだが、どうもネット以前にスラングとして「チョン」=「朝鮮人」となったようだね
>>643 50年以降にワシズ化するんですねわかります
70 :公共放送名無しさん:2009/08/06(木) 02:09:57.08 ID:8YIf/hxz
インパールの生き残りの爺さんに話聞いたことがあるが、
最後は地獄だったらしい。
食い物と言えばバナナの木。
見つけると上官と兵隊が殺しあった
寝てる奴にハエがたかり出すと死ぬ
「お前、ハエが多くなってきたぞ!」は死の宣告なんだそうな
>>644 一九の東海道中膝栗毛のほうが先でしょう。
つか、仮名垣のは読んでないけど、一九のをパクったんじゃないかな。
>>647 どうせ「ちよん」の類いの仕業だろうね。
じいさんは、広島の原爆投下の日に勤労奉仕が休みで実家に帰って助かった。
でも、原爆投下を知らずに翌日に仕事に出かけた。
広島行きの福塩線の汽車は人でいっぱいで、焼け跡が見えた。
死体の片づけをして、灰を吸った。
仕事一筋で、定年したら病気で入院して、苦しい闘病生活。
尻に注射するのが嫌いだった。
医者が原爆の後遺症だから援助金の手続きをしたらどうかといわれたが、
国の援助を受けずに自力でどうにかするという考えなので、証人探しもしなかった。
そして、一千万の借金が残った。
母が結婚するときに憲兵のじいさんが、借金払ってくれて、助かった。
ビーダマをドロップと見立ててなめるような残念な妹が
いるんだがある日『うんこビチビチやねん』と抜かしたから
『俺はうんこカチカチやねん』と言ってやった
>>302 ガダルカナルで、日本軍の作業隊が野焼き用に持ち込んでいた火炎放射器を米海兵隊相手に使って、
なんちゅう武器持ち出したんだ日本軍って驚いた海兵上層部が、全軍に装備汁!!って即座に大量産かけたのよ。
>>578 今、NHK総合を見ているだろうか?
証言記録 兵士たちの戦争「中国戦線 大陸横断 悲劇の反転作戦」
会津若松 歩兵第65連隊の兵士の証言記録・・・。
654 :
uaa:2009/08/07(金) 03:20:53 ID:SSx6febH
>>652 同じ頃、マキン島に奇襲攻撃をかけた米軍に対しても日本軍守備隊が使用したはず。
いくら戦争でも生きたまま焼き殺されるのだけは御免だぜ…
「馬鹿だのチョンだの」と人を罵倒する表現は江戸時代から有った。
膝栗毛にも出てる。644のとおり。
チョンとは一定の規格に達しない中途半端なものの意。たとえば遊郭
で、お決まりの酒を飲んで、、といった手順を踏まず短時間で遊んで
帰ることを「チョンの間(ま)」と言った。
一定のものに達しないといういうところから、一人前に数えられない
子供や女性をチョンと呼ぶようにもなった。
今でも福井の方だったか、子供をチョンと呼ぶ地域がある。
朝鮮人を「チョン」と呼ぶのは割りと最近のことではないか。
昔は蔑称としてはチョーセンジンとかチョーセン、あるいは
「セン」と言ったはず。
劇作家・千田是也が関東大震災のときに自警団に朝鮮人に
間違えられ、「センだ、こりゃ」と言われたのをペンネーム
にしたのは知られた話。
チョンという言葉を朝鮮人の蔑称としか思わない日本語の
不自由な人が「馬鹿でもチョンでも」という古来の表現を
攻撃しているわけだ。
それを真に受けて日本語力の足りない日本人までが
「馬鹿でもチョンでも」という表現は慎むべき、などと
言っているのが現状。
657 :
名無し三等兵:2009/08/07(金) 07:53:23 ID:QnfzbEeN
爺さん、元々寡黙な人間だったのだが、久しぶりに帰省して二人きりの時にふと話してみた。。
軍板で聞きかじった単語を交えながら、「爺さんも大変だったろ?」って聞いてみたんだ。
俺が幼児期の時にはそんな話を一切しなかったのに、気付いたら爺さんが滔々と語っていた。
爺さんは貧農の出だが、学校でも勉強が出来たから、師範学校に進む事が出来た。
そこでも、優秀な成績を修める事が出来たから、海軍に推薦してもらえたとの事。そこで選抜され、海軍特務士官に。
尉官待遇となり、帯刀を許されて海南島へ宣撫工作の為に派遣された。
当時の海軍は訓練でも「しごき」が酷く、上官が下位の者を殴る蹴るは当たり前。
ある時、酷くしごかれていた兵が居て、このまま置いておけば死ぬんじゃないかと思った爺さんは、見かねて、上部に掛け合って
その兵を自分の世話係の兵として異動させたらしい。その人は爺さんを命の恩人として、戦後もその人が亡くなるまでずっと交流があったみたい。
任地の海南島では、米軍(イギリス軍?)の施設を接取してインフラや基地の設備は整っており、前線では無かった為に食料事情も良く、飢える事は無かった。
野生の豚を捕まえたり、南国のフルーツを食べたりなど、結構いい生活が出来たと言ってた。
ただ、日本軍が掌握しているのは都市部や沿岸部のみ。島の全域を宣撫していくのが爺さんの役目だった。
(続く)
当時の海南島は国民党ゲリラや共産ゲリラ、匪賊も入り乱れて、宣撫も大変だった。
日本兵の首には賞金が賭けられており、日本兵への襲撃は頻繁に起こった。
特に士官は高額な賞金+軍刀など換金出来る装備があり、格好の獲物だった。
占領下の街でも、堂々と懸賞金を書いた立て札が立ってる事もあり、一人で出歩く事は出来なかった。
ある時は兵員を輸送していた列車が襲われ、小隊が全滅。どの兵の死体も首が無かった。
腹を裂かれ、肝臓を抜かれていた死体もあったとの事。
爺さんの活動は、基本少人数。 通訳と数名で各地を回る。
村を回る度に、何度も「今回は生きて帰れないかもしれません。」と言われ、いつも決死の覚悟だった。
爺さんの武器は、この通訳と軍票のみ。これで各地の匪賊や村を買収しながら、武器を供出させて回った。
通訳は本当によくやってくれたと言ってた。同じ中国と言っても、言葉が全然違うから現地の言葉を喋れないといけない。
やはり現地の人間を使わないといけないのだが、そうした通訳は占領地域では怨嗟の的になるから、狙われやすい。
通訳を守るのも大変だったとのこと。
日本軍の蛮行に関して、婦女暴行、略奪は無かったが、施設建設の為に人を募集。集まらなければ、現地の人間使って徴用させた事はあった。
また、ゲリラを処刑する時に、士官が試し切りとして日本刀を使って首を刎ねる事もあった。
爺さん自身は軍務の違いから、直接の戦闘やそういう事に携わる事は無かったとの事。
慰安婦はよく訪ねてきた。日本、朝鮮だけでなく、以前の統治者であった白人相手に商売をしていた慰安婦も来た。
爺さんは堅物で有名だったので、慰安婦の間でも誰が一番先に爺さんを落とせるか競争していたらしい。
(続く)
戦局が厳しくなり、爺さんも一旦香港経由で本土へ召還される事となったが、駆逐艦に乗った時にマラリア発症。
運良く船にマラリアの薬があった為、一命を取り留める。
ただ、駆逐艦は台湾沖で米軍に見つかり、魚雷を受けて沈没。これが爺さんの米軍との最初で最後の戦いだった。
マラリアからの回復途上で極端に衰弱していた中、5〜6時間海に漂流していたが、友軍の艦船に拾われて無事本土へ。
本土で療養している内に終戦となった。
戦後は、師範学校を出ていた事から教職に就きたかったが、GHQが爺さんの経歴を見て却下。公職にも就く事が出来ず、
農業を営みつつ、行商、工員と現在に到った。
印象的だったのは、爺さんに巷で言われていた日本兵の蛮行を聞いた時。
「わしらは略奪や婦女暴行はせん。そんな事をしたら、占領自体余計大変になる。ただ、シナ兵は酷かった。戦友が惨たらしく殺られた。仲間は憤っとった。あんな事をされたらな・・。」
と目頭に涙が溜まっていたのを覚えている。
>>656 >それを真に受けて日本語力の足りない日本人までが
>「馬鹿でもチョンでも」という表現は慎むべき、などと
>言っているのが現状。
野暮を承知でマジレスすると、転化して「朝鮮人」を指す言葉に
使われたわけで、原義ではその意味がないから使って良いってのは通じない。
ただし「「馬鹿でもチョンでも」の「チョン」は言語学の研究家による実際の
調査でも、「〜でも朝鮮人でも」という意識を持って使っている人は少なくて
慣用語であることも確か。
ただ単独の「チョン」となると、ご存じの通りです。
外国でも元の意味は穏便なのに、差別的に使われていくウチにやばくなった
用語はいっぱいある。
代表的なのは「JAP」。元は蔑称ではなかったけど、「おい、ジャップ」と
貶されて、「いや、もともとは単なる愛称なんだぜ」と言われて納得いくか?
と、冷静で学究肌の人が多い軍事板なので書いときます。
>>660 一つ書き忘れてたけど、当時の中国ゲリラのやり方として、ハニートラップもあったそうな。
綺麗な女が売春を装って道端で兵隊を誘う、野山でナニしようと兵隊を連れて行く。
そして、首無しの兵隊の死体が発見される。そんな事が結構あったみたい。
兵士の単独行動って許されていたのだろうか?
仲間は離れて待っていて、遅いから様子を見にきたらやられてたってのじゃないの?
当時の雑誌を見ても、道ばたに出てくる売り子から買ったり、幕営地の空き時間に河原に
出て洗濯や昼寝、将棋をしたりはしてるよ。
それこそ中には略奪やクーニャンを襲おうと考えて、行動する輩もいるわけで
そこに売春婦がいればね。
>代表的なのは「JAP」。元は蔑称ではなかったけど、「おい、ジャップ」と
JAPはもともと蔑称だろ。中国人に対するCHINと並んで英語の中では
代表的な蔑称だ。
>>665 その手の研究書を調べれば判るよ。
JAPの語意の変遷はけっこう有名な話。
うちの爺さんが早くに死んじまって詳しいことは分からない。
お墓にいつもサツマイモが飾ってあったので、
そういう風習かとおもってたんだが、婆さんによると
フィリピンで戦争が終わって上官たちが、
暴徒と化した地元民に殺されたんだけど、
爺さんは見逃してもらったとのこと。なんでも
「サツマイモの作り方を教えてくれたから」
らしい。
そんなわけで、爺さんの墓にはサツマイモが供えられている。
金沢出身連隊は不明。一体どこ行ってたんだろ…
>>617 そういえば 知り合いの婆さんが「爆撃のあとで金属の箔(ジュラルミン?)がいっぱい降ってきた」とか言ってたな
>>668 滝沢聖峰の漫画であったけど、チャフをまいて日本軍の迎撃機をかわしてたのかな?
神戸の震災でもそうだったけど、大火災では大量に延焼物が舞い上げられるから
焼けた工場や物資の名残が降ってきたのかも。
なにしろ火焔の竜巻や突風が起きて、人間が空に飛ばされるほどだからねえ。
671 :
名無し三等兵:2009/08/07(金) 16:55:43 ID:nVDkf4rk
>>667 日本はフィリピンでも、持久戦と言いながら全然その為の方策はしてなかったみたいだね。
フィリピンの山岳地帯でも、残余の米軍は畑を開墾して長期戦に備えていたらしい。
結局、潜水艦による補給と自足で最後まで駆逐できなかったみたいだけれど。
サツマイモの栽培も追い込まれて窮余の策として進められたもの。
台湾の山岳地帯の少数民族が現地のサツマイモ種を栽培しているのにヒントを得たとか。
また、物資の欠乏、余りの飢えの酷さに、食料を巡っての友軍同士の戦闘も起こった程だとか。
これは聞いた話ではなく、読んだ内容だけどね。
672 :
名無し三等兵:2009/08/07(金) 17:20:04 ID:8jX3l6w7
なんぼ食糧が尽きても、「友軍同士の戦闘」はありえへんぞ
食糧弾薬が尽きた時点で、万歳突撃か自決する
煽るつもりはないけど小グループなレベルならあったんじゃないかな……
ガダルカナルでは「遊兵」なんてものが発生して食糧の奪い合いが起きてたくらいだし
674 :
名無し三等兵:2009/08/07(金) 17:24:59 ID:nVDkf4rk
>>672 フィリピンのジャングルや山岳地帯で実際に起こったと証言があるけれどね。
現代でも、戦闘中の上官殺しはあるくらいだから、当時の極限の状態で食料を巡って戦闘が起こっても不思議ではないと思うけれどね。
死んだひい爺ちゃんの遺品のなかに、朱塗りの三枚組みの杯があります。
○○君へ、陸軍大尉(?)△△との墨書いりの桐箱つき。
旧近衛師団にいた曽祖父が上官から除隊時にもらったものらしい。対米戦の始まる
前の、まだのどかな頃。
話は古いが大坂の陣で東軍の某部隊による大坂の街での暴行略奪はとてつもないもんがあったという。
近代戦争において組織ぐるみではありえないが非常時においては多少あったと思うよ
ガキの頃に近所の爺様から聞いた事あるのは、ゲリラの処刑で首を軍刀で跳ねた事があるらしいが、
血が5メートルくらいシューッっと噴水みたいに吹き出すらしい。
あと、処刑場から走って逃走したゲリラを追いかけてって、肩から縦にバッサリ真っ二つにしたら、まだ生きてる心臓が踊り出てバクバク動いてたとか、
とてもとてもエグイ話をしてくれた。
キモブサ童貞乙wの人に名指しされたw
なんかちょっとうれしいw
>>676 そら中近世の戦争ってのは負けたら敗者はそうなるもんだ。
ヨーロッパでも中国でも日本でも「野戦決戦(兵力差によっては無し)→都市(城)攻撃→落城→略奪・暴行」まではワンセット。
近代になってそこら辺を統制しようとしたのが軍令であり軍規と呼ばれるものだから、
組織ぐるみで略奪・暴行を奨励した軍隊は近代軍隊の中には存在し得ない。(奨励する段階で「近代軍隊」ではない)
>>661 >代表的なのは「JAP」。元は蔑称ではなかったけど、「おい、ジャップ」と
>貶されて、「いや、もともとは単なる愛称なんだぜ」と言われて納得いくか?
仮に「JAP」に「女子ども、中途半端なもの」の意味があり、英語圏で昔からの
慣用句に使用されているのだとしたら、それに文句を言う日本人は一人もいないと
思うよ。日本人は理性的で慎ましいからね。
面と向かって我々日本人の意味で「JAP」と言われたら、そりゃ怒るだろうけど。
「馬鹿でもチョンでも」という表現の適否の議論にJAPの語彙の変遷を絡めるのは
全然意味が無いんじゃないか。
「チョン」に昔から「朝鮮人」の意味があり、それが愛称や尊称から蔑称に変わった
というなら分かる。
でも、「チョン」には全然そういう意味は無かった。
要するに「馬鹿でもチョンでも」は朝鮮人に対する差別的表現ではない。
それを偶々「チョン」という言葉が使われていることを以て朝鮮人に対する
侮蔑的表現であるとするのは言いがかりというものだ。
「日本海」を「東海」にしろっていう話もそうだけど、歴史も沿革も無視
して無茶苦茶な論理で押し通そうとする。だから「蔑」なんていわれる、、、
>>680 ベルリンへの最終的な攻撃に先立って発せられたジューコフ元帥の布告。
「ソ連軍兵士諸君、復讐せよ! ドイツ人の子や孫にいたるまで、
君達のことを思っただけでも震えだすような振舞いをせよ!
ドイツの虫けらに属するものはすべて、君達の意のままだ。
ソ連軍兵士諸君、憐憫の情などには目を閉じよ!」
・・・私には、「組織ぐるみで略奪・暴行を奨励」しているように読めます。
まあ、当時のソ連軍が「近代軍隊」ではない、と言われればその通りかも、なんですがw
>>681 今は「KOREA」「KOREAN」「朝鮮人」が各国で差別語になりつつあるが
流石にこれは略語ですらないから、規制のしようがないな。
>>682 この板にいて知らないとでも?
だからこそそう言ったんだが。
685 :
682:2009/08/08(土) 23:26:17 ID:???
>>684 了解。
スレ違いスマソ。
ちなみに祖父ではなく祖母の話を。
祖母は広島の山の中に住んでいたんですが、原爆の閃光は届いたみたいで、
ついでにB29も目撃したらしいです。
曰く「アメリカの飛行機に写真撮られた」だそうで。
・・・どうも原爆の閃光をカメラのフラッシュと勘違いしてたらしいです・・・
じいさんドSなんだがシナ娘をレイプしまくって天国だったらしい。
>>686 アンタのじいさんのおかげで他の真面目にやってたじいちゃんたちまでレイプ魔軍隊の汚名を着せられたんだ。
靖国の英霊たちに腹切って詫びろって言っとけ。
>>686 じいさんド支那だったのか。そりゃレイプくらいするだろうな。
100歩譲って南京虐殺とかが事実なら盧講橋事件や通州虐殺への
報復で日中戦争を終結させる終結ではないのか?
リメンバーパールハーバーで無差別爆撃や核二発落とした
アメリカは許されるのか?
いいんだよ
終結させる終結ではない
今し方、爺様に話し聞いた(今、日曜洋画劇場観覧中だが)
この辺は、第32連隊(霞城連隊)の区なんだけど
連隊から、更に小さく分派されるものなの?教えてエロい人
因みに、部隊名は北部18部隊・段列第4野戦病院勤務との事
>>689 勝手に譲るなよ。
1945年8月15日以前については、サンフランシスコ講和条約、日華平和条約、
日中友好平和条約で完全かつ最終的に解決済みだ。
未来永劫末代まで怨むと言われて解決ですかそうですか
祖父から陸軍幼年学校生徒時代の話を聞いた事があるが、
「汽車に乗った時は絶対に座るな!」と厳しく命令されていたらしい。
休暇で故郷に帰る時は3時間づっと立ち続けていたとか。
しかし今の中学生くらいの年齢、うかつにも立ちながら眠ってしまったそうだ。
で気づくと椅子に座っていた。親切な人が座らせてくれたらしい。
ちなみに祖父の終戦時の階級は少佐だった。
母方の祖父
戦地の話はしてくれたことがないが・・・
曾祖父の代に満州に渡ってた。
満州で仕事してたら戦争が始まったけど、行きたくないから大学受験。
流石に現代戦で馬は使わないだろうと獣医系の学部へ。
内地の大学(二松学舎つってた)には落ちたが、朝鮮の大学に受かったのでそっちへ。
満州出身で日本人にあまり馴染めず朝鮮人の友達が多かったらしい。
同級生取り年上で、顔も老けてたので付いたあだ名が、「アボジ(朝鮮語で親父)」
内地からの日本人は必修の朝鮮語がテンデ駄目だったので、爺ちゃんを仲介して朝鮮人に教わってたらしい。
支那語の授業になると爺ちゃん大人気。
そのうち学徒動員がはじまって爺ちゃんも出征。
友達の朝鮮人は招集かからなくて悔しくて泣いてたそうな。
見せてもらった出征の時の日の丸の寄せ書きには、
「武運長久我等のアボジ」やら、「見敵必殺 金○○」やら・・・
他にもハングルでなにやらびっしり書かれてた。
多分ネットに写真あげたら発狂する奴が出るレベル。
そんな爺ちゃんだが、俺の小さい頃に肘ついて食べてたり茶碗持たなかったりしたら、
「センジンみてーな食い方すんな!」と怒鳴られてた。
祖母も満州生まれで、夫婦揃って中華料理好きなもんで、
爺ちゃんが糖尿になるまでは正月2日目から満漢全席。
父方の爺ちゃんから聞いた話。
ある日爺ちゃんは上官に命令されて、陣地の周りを見回りしていたんだそうだ。
すると、敵の兵士と道を挟んでばったり遭遇。
爺ちゃんも向こうも1人。
英語が少し喋れた爺ちゃんは敵兵に「えーっと・・・お互い何にも見なかったことにしない?」って提案。
すると相手笑顔「いいアイデアだね!」って笑顔で返事。
で、お互い茂みに隠れてタバコやオヤツを交換したんだそうだ。
「戦争早く終わんないかなー」とか「日本兵って日本刀で機関銃切んの?」とかしばらく雑談した後に
戦争が終わってお互い生きてたらまた会おうって、部隊名と名前を書いた紙を交換したらしい。
結局終戦前に敵兵の人は戦死してしまって再会は出来なかったみたいだけどね。
足腰の鍛錬か、有事の際に素早く行動・逃げれるからか。
700 :
名無し三等兵:2009/08/11(火) 11:41:36 ID:WXckBhXQ
これは今こそ読んでもらいたいスレ
うん。良スレだな。
702 :
名無し三等兵:2009/08/11(火) 12:39:26 ID:BpRCkshM
>>698 現代の自衛隊でもそうなんだけど要は精神論。
真夏の練習で水を飲むなという体育教師がいるけどあれと同じようなもの。
10年以上前に叔父から聞いた話です。
叔父は陸軍航空隊第22戦隊の整備課に所属
階級は伍長だったそうです。
主に疾風や100式司偵の整備をしていたそうです。
戦闘のない時は皆で談笑したりドラム缶風呂に入って
くつろいでいたそうです。
叔父が亡くなる前に聞いた話なので詳しい事は分かりません。
今思うともっと詳しく聞いておけば良かったと後悔しています。
>>702 青年期までの精神論・根性論は必要な訓練だけどねw
だから、ギリギリまで努力した体験をスポーツやイベントで体験させるわけで。
小学校中学校はまず丸暗記で基礎学力を養え、個性に応じた学習はそれからってのと同じ。
じいさんは神風特攻隊。
出撃の2日前に玉音放送。
予科練の時の同級生や友人はほとんど亡くなっているので、あまり戦争の話をしたがらない。
ばあさんはじいさんの兄と付き合っていた。
じいさんの兄は中国で戦闘中に被弾して戦死。
一緒にいた友人がばあさんに、水筒とライターだけ持ち帰ってきてくれたらしい。
友人がばあさんを訪ねる前日、じいさんの兄がばあさんの夢に出てきて、『私はもう行かないといけないんです。弟(じいさん)をよろしく頼みますね』と言ったらしい。
結局ばあさんはじいさんと結婚した。
じいさんはドSなんだが、ばあさんに頭があがらなくて、いつもやり込められてニヤニヤしているw
あと、『大地の子』を見て泣いていた。コソーリ見てしまった。
>>706 >じいさんはドSなんだが、ばあさんに頭があがらなくて、いつもやり込められてニヤニヤしているw
おお、これはSMでも高度練達者のプレーですぞ。やるな、爺さん
708 :
名無し三等兵:2009/08/12(水) 05:46:07 ID:i4TFIEAo
明日は神風特別攻撃隊第三次流星隊で出撃した、うちのひい爺ちゃんの命日。
あと二日で終戦だったのに…
>>708 流星で特攻したのって木更津の航空隊だっけ?
>>695 自称祖父がw元陸軍少佐のw
wキモブサ童貞乙
>>708 >>706のヒトみたいに2日前とか、1日差で運命が・・・・
その人の運命だけじゃないもんな
生まれてきたであろう子供、孫の運命まで掛かってるんだもんな
曽祖父・・・陸士卒→陸軍大佐
祖父・・・陸士卒→陸軍少佐→京大卒→東洋ゴム
大叔父・・・陸士在学中に終戦→山大卒→運輸省官僚
祖父の妹婿・・・陸士卒→陸軍少佐→東大卒→清水建設
妹婿の父・・・陸大卒→陸軍少将→徳山市長
妹婿の兄・・・陸大卒→伊藤忠商事
俺・・・高卒ニート
713 :
名無し三等兵:2009/08/12(水) 18:31:55 ID:t+DOgn6Q
>>712 自信を持て。
ウチのじいちゃんは満州国の開発課の課長で、
身一つで日本に帰ってきて、
会社起こしたが、伯父さんに潰された。
714 :
名無し三等兵:2009/08/12(水) 19:19:28 ID:ZZR0KLaS
>>713 うちは爺さん農業やってて、寡黙な人間だったから、親父も過去の話を知らず、どこか爺さんを世間知らずで無知な人間という扱いだった。
ちなみに、親父は家が貧乏だったから、苦学して大学に行った人間。
つい最近まで、俺も爺さんをどこか無知な人間扱いしてたこともあった。 それが、二人きりの時に爺さんから過去話を聞いてびっくりした。
爺さん当時難関の海軍士官学校出かよ!!って・・。確かに、近所の爺さんも、うちの爺さんは勉強出来て村でも尊敬されてたとか与太話してたけど、絶対冗談だと思ってた。
爺さん人付き合いあまり好きじゃなくて、頑固で無口だったからな。爺さんの過去話は親父も知らなかった。
親父は今も左翼系な思考だから、こういう話は出来なかったんだろうなぁ。
>海軍士官学校出かよ!!
可哀想に。じーさんホラふいてるね。普通に小学校卒農民だよ。
716 :
名無し三等兵:2009/08/12(水) 19:29:12 ID:ZZR0KLaS
>>715 それが、今思い返してみれば、思い当たる節があるんだよな・・。
教育勅語は勿論、軍人勅諭まで諳んじてたし。
農民なのに、何故か村の工場の経理の仕事とか助っ人で引き受けてたり・・。
717 :
名無し三等兵:2009/08/12(水) 19:36:00 ID:XFFDJLCt
じーさんは陸軍航空隊の整備兵だった。
二式戦の話をよく聞いた。
718 :
名無し三等兵:2009/08/12(水) 19:42:06 ID:n2wRNxgt
ボケちゃった87の爺ちゃんは最近よく戦中の夢を見るらしく夜中に大声で仲間を呼んでる
つないであった馬食ったとか敵兵の耳そいだとかいう話してた
そういえばうちの死んだ爺さん、海軍反省会に出席してたって聞いた事あるわ。
最近NHKで放送されてたから思い出した。
>>717 二式戦は二種類あるぞ、鍾馗なのか屠龍なのか
721 :
uaa:2009/08/12(水) 22:53:01 ID:Y5Ty4Sd2
>>716 うちの親父は終戦時旧制中学だったけど、
教育勅語、軍人勅諭ま、歴代天皇を暗唱できる。
戦争体験、とはちょっと違うが、うちのばあちゃんは
戦前、呉で惣菜屋してて、長屋で暮らしてたけど、
放火でおやじと病気の爺さんごと焼け出された。
で、終戦になって、その放火の犯人が釈放された
後、進駐軍にジープで轢き殺されたそうな。
ばあちゃん、「バチが当ったんじゃな」と。
本当にジープで轢き殺されたんだか・・。
原爆も、何か表で魚かなんか数えてて、
23,24、とか言ってると広島の方でドカン!と
来たそうな。おやじは工廠で潜水艦の電気溶接を
してたそう。学徒動員だな。軍艦が見る間に減って
来るの見て、。「こりゃダメだな」と思ってた
らしい。大和とかも見せてもらったらしい。
軍艦は普通に色々見れたそうな。「駆逐艦なんて
大和とかのそばにあるとタグボートなみに小さ
かった」と言ってたな。ドック内では尚更大き
かったらしい。
内の爺さん、海軍の主計にいた。終戦まで食い物やものにまったく不自由しなかったといっていた。
必要なものはすべて業者が自宅に届けてくれたそうだ。もちろん無料で。
でも終戦後、その特権がすべてなくなり苦労したとの事。
724 :
名無し三等兵:2009/08/13(木) 09:09:52 ID:2sO/C+kS
うちの90過ぎになる祖父が、死ぬ前にもう一度靖国に参拝に行きたいと言ってるが、持病もあるし大分からだと長旅になるし、とても無理そうだ。
海軍航空隊で特攻機の直掩任務をしていたそうだけど、詳しくは語ろうとしないんだよね。
紫電改に搭乗していたとは言っていたけど
紫電改の直掩任務ってあったの?
防空任務に回されてたとばっかり思ってた。
>>724 もし参拝されるのなら、気候の落ち着く秋の中盤前後が良いかと。夏の東京は大変だから。
こいつは驚いた
>>724のジイサンの願いをかなえてやれ
一方、陸士出身のうちのじーさんは93にもなって富士山を登っていた・・・
数年前に亡くなったうちの大叔父は中国戦線で多くの戦友を亡くして
弔いを欠かさなかったけど、靖国には関心を示さなかったし、
戦争の話はほとんどしなかったなあ(抑留中の話を少ししてくれただけ)。
祝日には国旗を掲揚して、長く公職に奉じた愛国心ある人だったけど、
ひょっとしたら昭和天皇と同じで戦犯を祀ったり、先の戦争を
過大に美化する靖国の姿勢に疑念を持っていたのかも、とこの季節が
来ると思い出す。
>>724 直掩って何ですか?
軍板初めてなもんで…
すいません
ggr
>>731 読めない字でも、誤字とかでないなら、コピペで検索すれば説明がヒットするよ。
上官の命令とはいえ女子供に残虐な事したのを後悔してたのと
その人が今の妻と知り合う前妻が昔産んだ赤ん坊と空襲ではぐれて親切な朝鮮人に
拾われて韓国で育ったのと本土空襲はひどいけどそれよりも
大分前に中国の都市に空襲したのは日本軍だから仕方ないと
戦争と青春と言う映画でやってたけど天下の松竹が制作した映画
だから正しいよね
735>> わざとやってるだろ。
ウリには解るニダ。
738 :
名無し三等兵:2009/08/15(土) 06:03:12 ID:s6MxXwjT
>>724 死に逝く人達を護衛するってどんな気持ちだったんだろな…。
しかも特攻隊は、まだ若い20歳そこそこの青年達。
平和ボケした俺達からは、想像すらつかない様な、心の葛藤や苦痛がお爺様にあったんだろう
>>714>>716 事実無根のwネタを捏造するw
自称海兵卒爺いのw孫でw
国賊売国奴のwキモブサ童貞乙w
>>738 直援も、艦隊防空網(戦闘機も盛り沢山)の中にいくもんでかなり損耗したと聞いたような・・・
そこいらは『どっちみち俺らも道連れだしな』なのかも。つーかもう飛行機乗りはみんな、生死の概念が全てそーなってたかも
うちのじいさんの話。
陸軍の揚陸艇輸送艦の神州丸の乗組員だったらしい。
もう90過ぎで、レイテで散った戦友たちのために130まで生きると言っている。
で、俺が戦中のことに興味をもったため、生前の形見わけに当時の記録をまとめた資料を渡してくれた。
で、その本を読み込んだんだが、そこに書いてないことがじいさんの話から出てきた。
…神州丸に積載された各種高射砲&高射機関銃、軍部の命令で水面下の潜水艦にも射撃できるように改造してあったらしい。
最初はじいさんたちが工兵だったんで自力で改造したんだろうと思い、確認のために質問した。
すると、上からの命令でドックで改造、じいさん達が乗ったときにはすでに改造済みだったそうです。
それとじいさんレイテ沖海戦後、レイテ諸島の北部に有る島で終戦を迎えたらしい。
で、終戦前に祖父のいた部隊は完全に包囲された上に洞窟内でマラリアが大流行。
元気だった人は一縷の望みをかけて包囲網を突破して海軍と合流することにして、特攻討ち死に。
マラリアや負傷していた人も一部病気や破傷風の悪化で亡くなっていき、米軍が来たときに生き残っていた面子だけフィリピンの収容所に収監されて何とか帰国できたらしい。
あと、終戦後の帰国時、米軍の関係者からスカウトされて、断ったらしいが先方が連絡先を書いたメモを渡してくれたそうだ。
ただ、帰国寸前に破いて燃やしちまったらしい…多くの教導した部下や戦友を失ったじいさんなりの最後の反抗だったんだと思う。
ちなみに神州丸に関する資料は国会図書館や関係有る県図書館に寄贈したらしい(俺のもっているのはじいさんが関係者用に貰った一冊)。
タイトルは「上陸戦の先兵(上・下)」と「陸軍特殊船」、ともに著者名が渦潮会戦史編集委員会。
「陸軍特殊船」には当時の乗組員が思い出して書き起こした神州丸の図面が記載されている。
という訳でいきなり長文すみませんでした。
帰省して爺さんと戦争話。
戦争末期中国の独立混成旅団の砲兵だったらしい。
野戦重砲(15榴だが型式は知らんかった)に配属されたが後方部隊なんで
銃が無かったとか。
数丁だけ一式小銃(?)があって三八より軽かったけど、弾が合わんかったと
言い出したんでおそらくイ式カルカノの6.5mmだと思う。
もう86歳だけど、元気でよかったわ。
婆ちゃんから聞いた話だけど、名古屋の三菱の工場で生産された航空機を、
岐阜の各務原飛行場って場所に運んだそうだが、運搬手段が牛車を使ってたそうだ。
軽合金の機体を運ぶには、トラックよりも振動の少ない牛車が適してるとの判断だったとか。
戦局の悪化に伴い輸送量が増加し、牛から効率の良い馬に変わったと言っていた。
ほとんどが、馬産地・岩手から買い付けられた上等な馬だったが、過酷な労働と栄養失調で終戦までにほとんど死んだみたいで、可哀相な事をしたと心を痛めていた。
745 :
名無し三等兵:2009/08/15(土) 21:29:02 ID:nDntGoc2
今の筑波大学で理系の生徒だったから、身長180でも召集されなかったらしい。
そのかわり兵器の開発にまわされたとか。末期になると若者が町からいなくなって、
電車とかに乗ると、目だってきまりが悪かったと。でも結局は赤紙が来たが、
すぐ終戦に。結局戦地へ行くことは無かった。終戦後は地学の研究に熱中していた。
>>744 ふと聞くと、放牧していれば生きていそうなものですが、
力仕事をしているのに飼葉無しで働かせると駄目になってしまうのですね。
>>745 流石に開発から抜かれたら終わりでしょう。
747 :
名無し三等兵:2009/08/15(土) 21:58:48 ID:ofgWJj4q
爺さんの話ではないけど、パキスタンの留学生が子供の時、インド空軍の空襲にあったと言っていた。
地表すれすれに黒いものが見えたと思ったら、それが急に大きくなり、頭上を飛び越えたそうです。
そして飛び過ぎてからエンジンの音が聞こえたそうです。
748 :
あ:2009/08/15(土) 23:57:09 ID:BC0OzbHu
うちの爺さんは明治35年生まれ。随分前に死んだ。
生前聞いた話では徴兵には取られず、その理由は軍縮条約
(年齢的に多分ワシントン条約)のお陰で爺さんの時は徴兵
がなかったのだとか。
そんな事実が全国レベルであったのかどうかは知らない。
ちなみに静岡県。
あと、当時としては珍しく家に保険(火災保険?)を掛け
てあって、空襲で家が焼けた時にお金をもらったとか。ただ、
周りに申し訳なくてお金をもらったことは黙ってたとか。こ
れが本当なら(爺さんは事業で成功した人だから多分本当)、
戦争中でも保険が機能してたんだな。
爺さんの弟は、北支に出征して戦病死した人がひとりと、
満州で馬賊をきどっていたのが戦争が本格化したら逃げてき
たへたれが一人。戦病死した弟が死んだことは残念がってい
た。
もっと聞いておけば良かった。
749 :
名無し三等兵:2009/08/16(日) 00:00:12 ID:Hyo8OcCV
うちのじいちゃんは軍隊志願したものの、身長が足りずハネられてしまった
だから川崎航空に勤めた
戦局が悪くなかった頃は鹵獲機を復元する仕事にも携わっていたって言ってた
>>748 条約と関係ないわけでもないだろうけど、それは日本陸軍が独自にやったリストラですね。宇垣軍縮でぐぐって下さい。
>>749 ほほう、鹵獲機の修復ですか。
P40でしょうか。
TVで硫黄島の映画を見た。イーストウッドを見直したワ・・。
この人って、正義バカじゃなかったんだな。
753 :
名無し三等兵:2009/08/16(日) 00:19:10 ID:Hyo8OcCV
749の続き
戦局の悪くない時点では鹵獲機を復元し、それに勝る機体を!という研究が、どの
航空会社も盛んにあったと言っていたが、戦局が悪化すると「急いで作れ」という
風潮に変わり、さらに悪化すると「作る前にとりあえずヤラレた機体を修理しろ」
という風潮に変わっていったと言っていた
うちの死んだじいちゃんは呉で大和に乗ってたんだけど(短い間)
大和が出撃していく時にじいちゃんが乗ってた船と大和がすれ違ったって
言ってたんだよ
じいちゃん何ていう船に乗ってたかわかる人いませんか?
よかったら教えてください
755 :
名無し三等兵:2009/08/16(日) 00:28:31 ID:Hyo8OcCV
>>751 落とした爆撃機って言ってた
多分B-17か24
ちなみに後の方(末期)で鹵獲したB-29のデカさにスタッフ一同ドキモをぬかされたとも…
「中で野球できるじゃねーかコレ!」って
756 :
名無し三等兵:2009/08/16(日) 00:41:38 ID:mAgm4uv6
今日初めて聞いてみた。祖父が韓国、東南アジア→銃撃足にうけて負傷帰還。二回目シベリアで終戦。
祖父の兄貴が特攻隊で出撃命令下りながらも何日か後に終戦。
実際に話聞いてみたかったと思った。
>>755 緒戦で捕獲できたのはB17ですね。
B29は飛行可能な機体は捕獲できてませんので、撃墜した機体を
集めてたのかな。
>>748 徴兵検査自体は毎年やってるんだが、合格者から何人実際に入営させるかはそのときの状況次第。
戦争してる時期でもなければ、全員もれなく兵隊にとられてるわけではないのよ。
おじいちゃんはK作戦(?)をやったらしい。
パイロットだったと聞いてます。
一度も会ったことないんだけど、写真のおじいちゃんは制服(?)を着ていて格好いいです。
>>743 ハァ?
独混の砲兵隊が☆
15榴を持ってるわけないだろw
出鱈目をほざくなwキモブサ童貞w
>>743 イ式小銃なら、
三八式と弾丸は同じですよ
鹵獲のモシンナガンじゃないスか?
まぁ、砲兵が小銃使うようになったらおしまいだしね。
撃てなくてもあるだけで威嚇になるのかも。
>>750 兵学校や士官学校も入学定員を大幅に下げたから
大学や就職へ進路を変えた人も多かったんだよね。
根こそぎ動員で老兵まで兵隊に取られるまで
戦地に行かなくて済んだから、生き残って
戦後の復興に尽力した人も多いはず。
>>752 >TVで硫黄島の映画を見た。イーストウッドを見直したワ・・。
イーストウッドは良心的な映画を作るので、今のハリウッドでは
内外から一番尊敬されている映画人といって良いよ。
彼の暴力への静かな批判が込められた「許されざる者」はお奨め。
>>743 独立混成第62旅団かな?
15榴を持っていた独立混成旅団(配属部隊ではなく建制の編合部隊)
独立混成第21旅団【仏印からニューギニアに派遣され壊滅・解体】
旅団砲兵隊は10加1個中隊・15榴1個中隊
独立混成第62旅団【南支(福州のち淞江)に配備】
独立野戦重砲兵第10大隊(96式15榴2個中隊[8門])を編合
独立混成第66旅団【伊豆七島の新島・利島・神津島・三宅島・御蔵島に配備】
独立野戦重砲兵第100大隊第3中隊(96式15榴1個中隊[4門])を編合
独立混成第67旅団【伊豆七島の八丈島・青ヶ島に配備】
独立野戦重砲兵第100大隊(第3中隊欠)(96式15榴2個中隊[8門])を編合
台湾・南西諸島・本土で昭和19〜20年に編成された独混の中には24榴・28榴・10加・12加・15加を装備したものもある。
>>765 断片的な情報からこれだけの所属を洗い出すマニア恐るべしなのか2ちゃん恐るべしなのか・・・
>>765の書き込みを見て、キモブサ童貞を連呼してる基地外が
どう反応を示すのか楽しみだわ。
>>766 ググれば出るだろう情報を恐れるなんて・・・これが情弱か
曽祖父・・・陸軍大佐、戦時中に日本で病死
祖父・・・陸軍少佐、京都で終戦したとかなんとか
大叔父・・・陸士在学中に終戦
祖父の妹婿・・・陸軍少佐、独立混成第67旅団参謀、八丈島で終戦後宮城事件のクーデター鎮圧に行ったらしい
祖父妹婿の兄・・・陸軍中佐、陸大在学中か何かで終戦
祖父妹婿の父・・・陸軍少将、対馬要塞司令官 、陸軍歩兵学校教導聯隊長、陸軍航空学校教官
陸軍航空学校下志津分校長、陸軍航空学校教育部長、陸軍少将・歩兵第10旅団長 、第2師団司令部附
以上、口伝とwikiだより
自己紹介乙w
>>769 以前に同じレスをしてw『それが事実ならばw名を名乗れw』と突っ込まれるとw
全員故人なのにw個人情報だからとw敵前逃亡したw
国賊売国奴のw臆病者乙w
爺さんは、出征直前に終戦で、帰って来れた。
婆さんは空襲で逃げる途中?、憲兵?に貴重品を見つけられ
なけなしの思い出の貴金属を没収された。
金属が集められていたのは事実だけど、
もう終戦間際の事で、きっと着服されたんだろう。
あれば戦後の生活の足しになったのにな。
大丈夫
因果応報で憲兵も戦後肩身の狭い人生をおくる事になる。
うちのじいさんがそうだった…
>>771 曽祖父・・・陸士卒→陸軍大佐
祖父・・・陸士卒→陸軍少佐→京大卒→京大教授
大叔父・・・陸士在学中に終戦→山大卒→運輸省官僚
祖父の妹婿・・・陸士卒→陸軍少佐→東大卒→清水建設幹部
妹婿の父・・・陸大卒→陸軍少将→徳山市長
妹婿の兄・・・陸大卒→伊藤忠商事幹部
軍国一家勝ち組すぎワロタ
>>771の曽祖父・・・スペイン風邪で徴兵逃れて病死wwww
>>775 他人のレスを鵜呑みにするw
戦後生まれで低能なwキモブサ童貞の貴様にw
言われたくないなw
>>777 ん?俺様の家柄に嫉妬しちゃってんの?ww
スペイン風邪で徴兵逃れの曾孫くん
きみ俺の祖父は陸軍将校だったっていうレスに絶対噛み付くよねww
もしかして出来の悪い先祖持って嫉妬しちゃってんの?w
>>778 ハァ?
他人のレスを読んでも!嘘と真実を見抜く事が出来ないw
目が節穴でw馬鹿な貴様にはwつける薬がないなw
それでは貴様のレスが事実ならばw証拠を出してもらおうかw
出せなければw事実無根の捏造と見なすぞw
おおっとスペイン風邪徴兵逃れの曾孫くんファビョってきてるなww
>>780よ、ワシはお前のジイサンダゾ。
ワシはお前が誇らしい、劣等人種共を見下し、己は優等人種のように振る舞っておるな。うむうむ、正しい行動だ。
ワシは父から「つくならデカイ嘘をつけ」と言われてきた。
だから一銭五厘の二等兵であろうと「将校であった」と嘘をつき、内地で事務だったのが「〇〇に行った」と嘘八百。
嘘の積み重ねで結婚して子を作り、出来た孫がお前なのだ。
しかし劣等人種であろうと優等人種のように振る舞うとは、ふははやはりワシの孫じゃ。
782 :
名無し三等兵:2009/08/17(月) 21:00:12 ID:U/nK85V6
お盆に八戸の婆ちゃん家に行ったんだけど、戦争の話を聞く機会があった。
終戦の年の8月9日に、八戸の街を空襲にやって来たグラマン機と、港に停泊していて、それを迎撃した海軍の軍艦が、
3時間にも及ぶ戦いを繰り広げ、多くの市民が固唾をのんで見守ったそうだ。
奮戦虚しく、軍艦は大爆発を起こして沈没し、多くの死傷者が出た模様で、女学生だった祖母も、看病に動員されたと言っていた。
今でも当時を知る市民の多くが、あの時に街を守る為に戦ってくれた軍艦に感謝してると言っていた。
曽祖父・・・陸軍大佐、戦時中に日本で病死
祖父・・・陸軍少佐、京都で終戦したとかなんとか
大叔父・・・陸士在学中に終戦
祖父の妹婿・・・陸軍少佐、独立混成第67旅団参謀、八丈島で終戦後宮城事件のクーデター鎮圧に行ったらしい
祖父妹婿の兄・・・陸軍中佐、陸大在学中か何かで終戦
祖父妹婿の父・・・陸軍少将、対馬要塞司令官 、陸軍歩兵学校教導聯隊長、陸軍航空学校教官
陸軍航空学校下志津分校長、陸軍航空学校教育部長、陸軍少将・歩兵第10旅団長 、第2師団司令部附
曽祖父・・・陸士卒→陸軍大佐
祖父・・・陸士卒→陸軍少佐→京大卒→京大教授
大叔父・・・陸士在学中に終戦→山大卒→運輸省官僚
祖父の妹婿・・・陸士卒→陸軍少佐→東大卒→清水建設幹部
妹婿の父・・・陸大卒→陸軍少将→徳山市長
妹婿の兄・・・陸大卒→伊藤忠商事幹部
軍国一家勝ち組すぎワロタ
お前らもういいからどっか消えろ。
スルーしてきたが目に余るぞ、特に
>>780とか、なんか酷いぞ言い方が。
ここはじいさんから聞いた話を書くとこで、その話の信憑性を問うとこじゃねー
>>784 おおっと・・・どんな書き込みにもつっかかるスペイン風邪で徴兵逃れして死んだ曾孫くんを擁護すんのかよw
これは自演乙としか言いようがないなww
>>782 その軍艦とは海防艦「稲木」だろうか?
母港が呉で、約200名いた乗組員の多くが関西出身だった。
海防艦て普段はどんな仕事してたん?
その話は八戸に出張で行った時に何度か聞いたよ。
地元の年配の人には神話化されてるみたいだよね。
>>785みたいなバカや夏厨は完全無視の方向で。
スペイン風邪で徴兵逃れの曾孫くんじゃなくて俺が荒らしあつかいかよw
お前こそ普段スレにいない夏厨だろw
スペイン風邪で徴兵逃れの曾孫くんが今までスレでどれだけ邪険に扱われてきてるか
>>774>>780>>783>>785 言いたい事はそれだけかwww
腐れ外道な貴様のw糞曾祖父やw糞祖父がw職業軍人だったのが事実ならw
畏れ多くも☆大元帥陛下だった昭和天皇の☆☆御宸襟を悩ませた↓↓↓逆賊の国賊売国奴であり↓↓↓
だからこそ悲惨な敗戦となったのも★★★ある意味当然だがwww
今からでも遅くないからw生き恥を晒すw貴様の糞爺い共全員割腹してw全ての日本人に☆☆☆死んで詫びろwww
>>789 自称日本人でw
実は日本と☆日本人を☆☆侮辱するw
人外魔境のw在日特亜人乙w
>>790 スペイン風邪でぽっくり逝って徴兵逃れして国のためになにもしなかった
出来の悪い曽祖父を持ってるくせに帝国軍人で国のため、陛下の御為に戦った
俺様の親族をバカにすんなよクソが!全員、国から勲章貰ってんだ
クソの役にも立たなかったゴミ曽祖父の曾孫の分際で陛下を悩ませただの国賊売国奴だのとよく言えるなww
馬鹿だからその辺の羞恥心が欠如してるんだろうな
やっぱ出来の悪い先祖を持つと子孫も出来が悪いのか
完全虫の方向で。
昭和20年に20代だった今は亡き奈良のじいさんは、台湾へ行く輸送船に部隊と一緒に乗る筈だった。
でも訓練か行軍の途中で手に結構な怪我をして、乗らなかったそうだ。輸送船はボカチン食らって仲間が大勢死んだそうだ。
寛黙な人で、ヘビースモーカーだったから肺癌で死んじゃった。
ちなみに俺には三人じいさんが居て、奈良のじいさんは血が繋がってない。
それでもよく思い出すなあ。
名古屋のじいさんはどこ行ってたか知らんがシベリアに抑留されて、昔浮気した話をばあさんに出されると目に見えて押し黙ってしまう茶目っ気の人。
大阪のじいさんは小さい船でニューギニアまで行ってたらしい。
夜中に敵の艇を見つけた時は死を覚悟したが、積み込まれてた陸式の砲で追っ払ったと。ばんざーいてシュプレヒコール挙げたが、その声より逃げてく敵艇のエンジン音が大きかったって。
正月に集まるとやたら尻叩く人で、酒が好きだったな。しかし屈強な軍人だった人もゲートボール中に倒れて逝っちゃいました。
>>787 海防艦は、船団護衛(対空戦闘含む)やら対潜哨戒、沿岸警備が主任務です。
当時の情況なら、いずれも命懸けを越えて決死隊だったでしょうか。
当該の『稲木』は、鵜来型海防艦のウィキで確認できますね。
末期の型だからか、海防艦としては多く生き残り、海保で再就役したり、
きわめて有名なのは海軍『志賀』→海保『こじま』→浮かぶ公民館がありました。
796 :
名無し三等兵:2009/08/18(火) 00:45:16 ID:2y47bJre
満州鉄道の整備員で毎晩酒飲んでたらしい
敗戦前夜も飲んだくれてたんだと
797 :
名無し三等兵:2009/08/18(火) 01:01:04 ID:/hNUZgml
>>792 かわいそうなボクチン
早くおっぱい飲んで寝な
>>798 横から口を出させてもらうが、どこをどうすれば
>>789の書き込みが
>>791の内容に繋がるのか、私にはさっぱり理解できない。
少なくとも言えることは、
日本国のために戦った(命を落とした)朝鮮人 >> 兵役逃れの日本人
ではないか。
だからといってあなたの曾祖父のように当時を必死に生き延びてきた人に
対してどうこう言う気もないが、少なくともあなたの荒らしのような書き込み
行為は、曾祖父の名誉を貶めていること気付いた方がよいと思う。
老婆心ながら。
802 :
799:2009/08/18(火) 09:00:38 ID:???
>>800 私はあなたの書き込みの方に苦言を呈したつもりだったのですが…
>>802 遺憾ながら(;-@Д@)
貴殿は指摘する相手をw間違えましたな(;-@∀@)
>>773 ありがとう。
あんたには何の恨みもないけれど、婆さんの墓に報告しとくよ。
ちっとは憂さ晴らしになるだろう。
別の婆さんは床下に食料を埋めて、親が死んだらこれを食べろと叔母たちに言った。
爆撃を受けたら吹っ飛んで跡形もなかっただろうけど、その時は真剣だったと
親戚の集まりで話してたっけ。
>>782 岩手の釜石でも、海防艦とグラマン機が戦闘を繰り広げたらしい。
沖合の米機動艦隊に単独で突撃した艦もいた、
と前スレで読んだ気がする
曽祖父・・・陸軍大佐、戦時中に日本で病死
祖父・・・陸軍少佐、京都で終戦したとかなんとか
大叔父・・・陸士在学中に終戦
祖父の妹婿・・・陸軍少佐、独立混成第67旅団参謀、八丈島で終戦後宮城事件のクーデター鎮圧に行ったらしい
祖父妹婿の兄・・・陸軍中佐、陸大在学中か何かで終戦
祖父妹婿の父・・・陸軍少将、対馬要塞司令官 、陸軍歩兵学校教導聯隊長、陸軍航空学校教官
陸軍航空学校下志津分校長、陸軍航空学校教育部長、陸軍少将・歩兵第10旅団長 、第2師団司令部附
曽祖父・・・陸士卒→陸軍大佐
祖父・・・陸士卒→陸軍少佐→京大卒→京大教授
大叔父・・・陸士在学中に終戦→山大卒→運輸省官僚
祖父の妹婿・・・陸士卒→陸軍少佐→東大卒→清水建設幹部
妹婿の父・・・陸大卒→陸軍少将→徳山市長
妹婿の兄・・・陸大卒→伊藤忠商事幹部
軍国一家勝ち組すぎワロタ
>>806 すばらしい! マーベラス!
んで、あんたは仕事何してんの?
>>806 山口大学にw問い合わせたらw
『旧運輸省で官僚になったw卒業生はおりませんw』と回答されたぞw
キモブサ童貞でw国賊売国奴の貴様はw
小学生レベルのw嘘つきだなw
いいかげんしつこい
>>808 ふーんw大学って赤の他人に卒業生の進路まで教えてくれるんだw
しかも50年以上前の卒業生をw
俺は嘘なんかついていな
大叔父は運輸省から茨城県庁へ天下りしてさらに退職し企業をして破産した
>>810 だったらw証拠を出せwww
国賊売国奴のwww衆道野郎www
10年前に死んでしまった俺の爺ちゃん。
母から聞いた話なので、詳細がわからないんだが
水雷艇「千鳥」ってのに乗ってた
魚雷発射管周りの担当らしかったんだけど
「友鶴」事件で千鳥も大改修を受ける事に。
担当の魚雷発射管撤去されて、爺ちゃんは海軍陸戦隊へ
95式軽戦車の運転をする羽目に。
フィリピンで終戦を迎えた(捕虜なのかどうかも不明)
千鳥に乗ってた話、内地で戦車の訓練をしてた話はよくしてたんだが
フィリピンに行ってからの話はしなかった
唯一戦車がグラマンの機銃で穴だらけにされたけど
生き残った話を聞いた
寝てるときによくうなされていた、って事だったから
よっぽどしんどい目にあったんだろうか。
書きこむかどうか悩んだけど、まぁお目汚しに。
やっぱ50口径で穴開くんだw
私の曽祖父にあたる人の話。
私の曽祖父は料理屋を営んでいましたが、戦争に駆り出され、軍医(?)として戦場へ。
確かフィリピンとか言っていました。全然詳しいことは知りませんが・・・。
ただ、軍医の仕事をしていたら、爆撃をくらったそうです。太もものあたりを爆弾でザックリと・・・。
今もその跡が残っています。
医師免許のある板前さん・・・
何処かには居る希ガス
俺がガキの頃の町医者は元軍医だった人が多くて、
「日本男児のくせに髪が長い!!」だの、
「返事が小さい!それでも男か!」だの、
病気とは関係無いような事まで怒鳴られて、とても怖い存在だったもんだ。
>>774>>783>>806 おいwコピペのwキモブサ童貞w
『陸軍何々飛行学校』は存在したが☆
『陸軍航空学校』は存在しなかったぞwww
これで貴様のレスはw事実無根の捏造確定だなw
私の亡くなった栃木県出身の祖父、兄弟が多かったので早くに志願して出征したそうです。
あまり多くを語ってくれない寡黙で少し怖い祖父でしたが、フィリピンのルソン島で、前線ではなく、荷物等を運んでいたと、一度だけ話してくれました。
これだけの情報しかないのですが、部隊等、詳しいことを調べる方法ってありますか?
>>816 東大や京大といった旧帝大卒の二等兵はいっぱいいたけどね
ウチの親戚にもいる。士官になることできたのに、
なんで二等兵で徴集されたんかと聞いたら
特権を利用するのは卑怯だと思ったかららしい。
プラトーンの主人公みたいだと思った。
丸山真男とかそのパターンだね
>>817 いた、いた。
オレも腹痛で診てもらったときに、
「これぐらいの痛みで何事か!シャキッとせんか!!」と
怒鳴られたことがある。
診断結果は、盲腸だったんだけどさ。
このお爺さん、町じゃちょっとは知られた元軍医大佐。
理由は分からないが、戦後の人生をずっと勤務医で通した人だった。
そういえばうちの田舎で世話になった先生も、元軍医だったと聞いたなぁ。
診察終わると風船とかのオモチャくれたりして、
子供にはとても優しい人だったし、町内からも信頼できる先生として慕われてた。
フィリピンだか沖縄戦からの生還者みたいで、戦場ではかなり壮絶な体験をしてきたに違いない。
陸軍航空学校
大正8年4月15日 創設
大正13年5月17日 所沢陸軍飛行学校と改称
陸軍航空学校下志津分校
大正10年4月1日 創設
大正13年5月17日 下志津陸軍飛行学校と改称
陸軍航空学校明野分校
大正10年4月1日 創設
大正13年5月17日 明野陸軍飛行学校と改称
東京陸軍航空学校
昭和12年8月1日 創設
昭和18年4月1日 廃止
826 :
uaa:2009/08/21(金) 02:12:54 ID:jH0mGIy1
>>817>>823 俺も元軍医の眼科医に「髪が長い!」「だから結膜炎になるんだ!」って怒鳴られた。
でも、軍医上がりでなくても昔の医者は威張ってたよな。
インフォームドなんたらなんてなかったし。
>>813 61式戦車なんて”粘着榴弾”が貫通して車体の向こう側で爆発したって話もあるし。
>>826 大学病院の医者は威張ってたね。
今はぜんぜん様変わりしてるけど。
祖父
・1915年産まれ
・満州に渡っていた
・本人曰く「調理係」として現地で徴用された。銃器は使ったことがない
・軍歴があったのか不明
・中国のどこかの村の老人から漢方薬の作り方を学んだ。婦人病の薬だったらしい
・戦前〜戦中産まれの兄弟のだれも満州からの帰国の苦労話をしてないので、
帰国は戦局悪化前だったのだと思う
・帰国後は農民兼漢方薬師として故郷で暮らす
・昭和51年、病死
誇張が入るような要素が特に無いのでほぼ真実だと思うのだけど、
「調理係として徴用」なんてことが有り得るのかどうか疑問です。
>>828 軍属ってことなんじゃないかな?
割と簡単に現地徴用はされてたみたいだよ。
硫黄島や沖縄でも軍に近い人たち(観測所の職員や通信関係者、医療関係者など)かなりの数が現地徴用されてるし。
>>829 硫黄島とかさ、軍人でもないのに徴用されちって、一緒に玉砕を強いられるなんて可哀相だよね…
>>830 とはいえ、空襲で吹っ飛ばされるほうがマシなんてことは全くないわけだし。
近所の病院の院長さんも海軍の元軍医だったなあ。
口は悪いけど腕は良くて、信頼されてた。
子供には凄く優しくて、良い爺さんだった。
もう亡くなって10年はたつけど、この院長さんがいなくなるとその病院の質が
急速に落ちた。
>>822 >>825殿が☆レスされたように☆☆
陸軍航空学校はw陸軍飛行学校に名称が変更されてるだろうがw
それにキモブサ童貞な貴様のレスがwwwウィキペディアと全く同じなのはwww何故なんだよwww
答えろwww三百代言野郎www
あと自称山口県民の貴様はwww『山口県民の恥だwww失せろ蛆虫めwww@ハッピータイガー小林 源文のパクリ』だなwww
>>833 え・・・?だって名称が変更される前の陸軍航空学校の教育長やってたんだから当たり前でしょ・・・
あとごめん父に聞いたところ祖父の大叔父は運輸省の官僚じゃなくたんなる技術職だそうだ
しかしもう1つ新事実。祖母の姉の夫さんは元山口市長らしい
これで俺は山口市長の親戚と徳山市長の親戚がいるわけだw
近くにはエリート軍人が多数、遠くには市長を務め上げたエリートが多数
曽祖父がスペイン風邪で徴兵逃れして死んだような人間には眩しくうつるわけだなぁw
これほどのエリートがいればw
835 :
834:2009/08/23(日) 11:38:01 ID:???
ごめん祖父の大叔父じゃなくてたんなる大叔父ねw
>>834-835 ハァ?
ど田舎山口県のwwwど田舎市長ごときがwww
どうしてwwwエリートなんだよ?www脳内お花畑のwww三百代言野郎www
>>836 あぁその市長2人とも軍のお偉いさんだったからね元々
父によるとあの沖縄集団自決問題で大江と裁判してた梅沢元少佐とは
元々、曽祖父と梅沢少佐の父が親友で
祖父も梅沢少佐と陸軍士官学校52期の同期
祖父の妹婿さんも同期、この人はその徳山市長やってた少将の息子さん
東大工学部優秀な成績で出て清水建設で重役してた
今は同台経済懇話会っていう陸軍出身者の経済会で挨拶なんかしてて
靖国神社の世話もしてるらしい
こんな誇らしいエリートたちに囲まれて幸せですよ
そりゃあ曽祖父がスペイン風邪で徴兵逃れして死亡した曾孫くんが
俺の家系に嫉妬するのもわかるよw
そんな自慢してたら先祖が泣くぜ
>>837 語るに落ちたなwww
俺の『ど田舎な山口県のwwwど田舎市長のwwwどこがエリートなんだよwww』レスをスルーしたのはwww
三百代言の貴様はwww反論出来ないわけだなwww
戦前の知事や市長は選挙活動じゃなく官選で名望家が選ばれてたのよ
その市長になった2人は両人とも山口にルーツはあるが東京出身
しかし山口県で市長になれるってことはよっぽどの家柄なわけ
しかも2人とも陸大出身の将官
これがエリートと言わず何というんだ
あと陸軍が長州閥で構成されてて陸の長州って言われてたの知ってるよね?
先祖自慢する奴ってさ、何かチョンみたいで感じ悪いよね
>>841 長州人は皆このような家柄自慢をするのが伝統なのか?
>>840 だ〜か〜らぁ〜w
貴様がレスした内容が事実ならw証拠を出せと突っ込まれてw
証拠を出せなかったwww腐れ外道でキモブサ童貞なwww貴様の負けなんだよwww
分かったか?www自称山口県民でwww実は在日特亜人のカス野郎www
証拠なんて出しようがないだろアホかw
あと山口県民じゃなくて先祖が長州出身なだけですから
>>845 それまでwww
そりゃレスした内容がw事実無根な捏造だからw証拠も出せないよなw
それと自称長州出身でwww実は在日特亜人なんだろ?www
もし日本人だとしたらwww三百代言でキモブサ童貞な貴様の糞先祖はwww高木俊朗先生の『インパール三部作』『陸軍特別攻撃隊』『特攻基地知覧』などに出てくる!牟田口 廉也やwww富永 恭次やwww菅原 道大のようなwww国賊売国奴何だろwww
長文スマン
うちのじいさんは満州産まれ育ちで、終戦後家族全員逃げる金がなく
長男の兄と二人で中国国民党軍の軍学校に入ったらしい
前金で貰えた給料で残りの家族は先に日本へ
似たような境遇の日本人がたくさんいて、皆中国名で過ごしてた
なんかやたらエリート扱いだった
銃が重くて構えきれず、早々に根をあげたら機械の勉強中心になった
約2年後にアメリカさんの船で日本に送って貰えた
と言ってる。
小さい頃は、そんなスパイ養成みたいな嘘っぽい話・・・
と話半分で聞いていた。
しかし、上京して初めての正月、
初詣に何気なく靖国神社を選び「今靖国だよー」
とあけおめ電話をしたら喜び様が半端じゃなかった。
じいさんは徴兵にとられなかったどころか
中国の軍に入った自分を裏切り者と思い密かに悔やんでいたらしい。
自分は靖国に行ける人間ではないとまで言う。
その思いを知ってからはじいさんの経験は本当だったんだろうなと思う様になった。
それから毎年正月は靖国行ってから帰省して、買ったお守りをあげるんだが
毎回お守りを見つめては感慨深けにニコニコしたりショボンとしたりしてる。
>>830 戦艦大和で働いていて徴用された散髪屋さんは菊一号作戦で艦と運命を共にした
作戦前に退艦できたんだけど「海軍さんたちの髪をだれが切ってあげるんだ」と言ってみんな残った
849 :
828:2009/08/25(火) 00:37:25 ID:???
疑問氷解しました。レスありがとうございました。
キモブサ童貞でw三百代言野郎のw
>>845はw
どうやら敵前逃亡したようですなwww(-@∀@)
スペイン風邪で徴兵逃れの曾孫くんは何でそんな必死なの?
俺様の血筋に嫉妬しようがエリート陸軍一家の事実は変わらないから
日本語が不自由な
>>851はwww
>>846のレスに対して!反論出来ないのなら!!
つまり同意するわけだなwww
スペイン風邪で死んだ懲役逃れ曾孫くんが
俺様のエリート陸軍一家の血筋に嫉妬してるなww
生まれを憎めww
>>853 ×懲役
〇兵役
流石日本語が不自由なwww自称長州出身でwww実は在日特亜人の貴様はwww言う事が違うなwww
>>846のレスに☆具体的に反論出来ないwww三百代言の貴様はwww第二次世界大戦なら☆☆スターリングラードのドイツ軍と同じ袋の鼠だなwww
もはや貴様にwww勝ち目はないぞwww
>>854 憂国の士を気取ってる割☆には身内に戦争体験者がなくw
徴兵逃れ☆のためにスペイン風邪で病に伏せたw
ヘタレ☆非国民wの曾孫の分際でw
大東亜戦争史キリッと言う割にはw知識のほとんどがwikipediaだよりのw
腐れ非国民のwキモブサ童貞乙w
徴兵逃れってよいことだと思います。
これらの人たちが戦後の日本復旧に活躍した。
そして俺達の父、祖父でもあった。
>>856 はぁ?ふざけんな
元職業軍人が復興にどんだけ貢献してると思ってるんだ
末端の召集兵ごときが戦後、要職につけるわけないだろアホか
>>857 中学生みたいな奴だなおまえ
戦後の復興は、日本国民全員の努力の結晶なんだよ
>>855>>857 ハァ?
偉そうにほざく前にwww
>>846のレスに☆具体的に反論してみろwww
あぁ済まん済まんwww知障の貴様にはwww無理だったなwww
スペイン風邪だと欧州大戦だぞw
実に見苦しい。
恥を知りなさい。
862 :
名無し三等兵:2009/08/25(火) 22:19:26 ID:5CmWS/u0
レスに継ぐレス、
荒らし大満足w
中国戦線を渡り歩いた祖父ちゃんの話、
戦地になってガラガラになった街の中で、ピアノを発見して大喜び。
ハイカラだった祖父ちゃんは戦争そっちのけでピアノを弾き続けたと言う
「あとになって考えれば、敵兵に見つかる可能性もある中で良くやったもんだ・・・」
戦地で流れるピアノの音に気付かない間抜けな中国軍のお陰で、俺はこの世に生を受ける事が出来ました
>>855 貴様wwwマジで馬鹿だろwww
誰が身内に☆戦争体験者が言ったwww
貴様のレスが事実ならばだがwww戦前の日本を☆☆破滅させ↓↓↓最前線から逃げ回り↓↓↓部下を見殺しにして↓↓↓おめおめと生き残り↓↓↓詰め腹を切らない↓↓↓牟田口 廉也かwww富永 恭次のようなwww貴様の糞祖父&糞大叔父と違ってwww
俺はこれ見よがしにwwwひけらかすのがwww嫌いなんだよ(−_−メ)わかったかwww豚のケツwww
追伸
>>855 貴様wwwマジで馬鹿だろwww
誰が身内に☆戦争体験者がいないと言ったwww
以下
>>864に続く→
866 :
名無し三等兵:2009/08/25(火) 23:31:12 ID:TqXxsKOr
>>864 君に一つ質問がある。
先の大戦で戦った勇者達を罵倒するなら。
君は、国家の為に働いた事 軍隊経験(自衛隊)人の生死 戦場の空気に触れた事は?
本や、インターネットでわなく、体で感じた事は?
経験した事も無いのに知識のみでそこまで偉そうに講釈し他人を罵倒するなら。
君は、戦後日本をダメにした売国奴と一緒だね。
質問に答えてくれないか。
>>866 その前にw
腐れ外道のw牟田口 廉也やw富永 恭次やw菅原 道大のwどこが『先の大戦で戦った勇者達』なのかw?
貴殿にお答え願いたい m(__)m
少なくとも、鉄砲玉の飛んで来ない所にいるおまえよりはましだろw
頭の上を実弾が飛ぶ音を知ってるか?
頭に銃を突きつけられたときってどんな気持ちか判るか?
大砲の弾が自分に向かって飛んで来る時の音が判るか?
牟田口だって、おまいよりは戦争を経験してるわな。
>>868 その言葉をw
戦後生まれの国賊売国奴でwキモブサ童貞の貴様にw
そっくり返してやろうwww
>>863 映画・戦場のピアニストの一場面みたいだな。
ばかめ。
俺は経験してるんだよ。書いた事を。
ビアフラで、イラクで、ネパールでな。
今でも拳銃一丁、散弾銃一丁所持してるが、なんか文句有るか?w
>>871www
銃砲刀剣類所持等取締法違反でwww
通報させてもらったが何か?www
>>872 おまえがバカだと言う事はよく判った。www
通報してみろよ。楽しいからwww
おまえがバカ扱いされるだけだwww
っつか、始めからバカだからバカ扱いも当然かw
>>871 *あなたのおじいさんの孫の戦争体験をまとめてください
*それにもとづき、戦争体験者以外が戦争を語ることについて思うことを書いてください
*やたらと改行する馬鹿を相手にしないでください
>>874 スレ違いでした。
では。
うちの爺さんは支那事変従軍者。静岡34聯隊、甲種合格、入隊は三島。
重砲兵。ウースン上陸後、大乗鎮攻略に参加。南京には行っていない。
行軍中に飲んだ井戸水で赤痢になり、傷病後送。
出征は広島県宇品、帰朝も同じで呉の海軍病院に隔離される。陸軍なのになぜ
海軍病院なのかは不明。婆さんが迎えに行くも、法定伝染病のため、しばらくは
会えなかった。等級不明の勲章一個。
以上軍歴
ま、戦争というか戦闘は体験しないとわからないと思う。
砲射撃一回、ゲリラ襲撃二回、暴動一回体験してるが、説明はできない、ってか
記憶すら曖昧だわ。音だけは良く覚えてるね。後、自分の隣で死んだ兵隊かな。
多分、その時は必死なんだと思う。よく判らんですな。ただ、大義とか思想
なんてもんは、絶対に出て来ない。頭なんて廻りません。
もっとも、戦ったわけじゃない。逃げる、身を隠す、が全てだったと思う。
先の大戦でも、歩兵だった人は戦闘体験を語るなんて出来ないんじゃないかなぁ?
>>873 銃砲刀剣類所持等取締法違反でw
馬鹿なwキモブサ童貞乙w
>>875 >砲射撃一回、ゲリラ襲撃二回、暴動一回
>歩兵だった人は戦闘体験を語るなんて出来ないんじゃないか
愚弄する訳じゃないけど、
それは単純にあなた自身の経験が少ないからだろう
>>871 事実無根の捏造乙www
貴様のレスが事実ならばwww所謂ビアフラ戦争は!1967年から1970年までだぞ!!
貴様のレスが事実ならばwww貴様は今何歳なんだよ?www
880 :
名無し三等兵:2009/08/26(水) 21:28:17 ID:JtcaCMdd
>>867 君の質問に答えよう。
君が挙げた将官達は、色々問題もあったが、戦争という時代の巡り合わせの中で
戦い、戦後の非傍 中傷の攻撃にあった事を鑑みると自分としては、罵倒する気にはならない。
しかるに君は、他の人にも罵倒を浴びせ、バカにし、嘘ツキ呼ばわりしているね。
まるで、自分は、遥か高みから人を見下ろし、なんでも知っているかのような態度だよね。
さあ 今度は君が答える番だ。
君は、勇者達を罵倒し、他人を嘘ツキ呼ばわりするほどの地獄を経験した事が在るや否や。
答えてもらおうか。
>>863 良く脱走兵か敵前逃亡と勘違いされなかったな。
>>840 山口市の市制は1929年(昭和4年)
徳山市の市制は1935年(昭和10年)
戦前の両市長で元陸軍将官となると人物が特定されるぞ。
二人ともやめれって。
まさに不毛な戦を見ているみたいだ。
>>879 バカに教えて上げよう。
爺さんが甲種合格で南京攻略と同時期に中支で従軍してた、ってなら爺さん
の歳は今いくつだwその孫はいくつになると思うw言っとくが曾孫じゃないぞ。
それから、ビアフラは戦争の名じゃない。ビアフラと言う地名があるんだよ。
っつーか部族名って方が正しいがな。判らなければポートハーコートで調べろ。
おいらが居たのはそこから200Kmほどニジェール川を遡った所だ。
ところで、銃刀法違反で通報したか?まだなら早くしろ。
おいらは、拳銃一丁、散弾銃一丁、自宅に所持してる。時々拳銃は持ち歩いてる。
ああ、蛇足だが女房と子供は居るんで、童貞は訂正しれwww
キモブサは認めてやる。この歳になってイケメンじゃ気味悪いしな。
>>877 明白に、自分を殺そうとして発砲して来る銃弾の下をくぐってから言って
くれるかな。
パニックにはならなかったが、正常な思考は無理だった。
おかげで、今でも花火なんかの爆発音がすると、反射的に伏せようとする。
結構トラウマになってると思う。まぁ、居る場所のせいでもあるが・・・w
スレ違い、いい加減うざい
他に行け、てめぇでスレ立ててそこでやれ
>>880 牟田口 廉也やw富永 恭次とw同類でw
高木 俊朗先生の☆『インパール三部作』や『陸軍特別攻撃隊』を読んで事もないw
国賊売国奴のwキモブサ童貞にw答える義務はないなw
埋めw
893 :
名無し三等兵:2009/08/27(木) 17:18:14 ID:K8/ceGAI
つまらんレスの応酬合戦で、せっかく祖父母から貴重な体験談を聞いてるのに、スレが荒れてちゃ書き込みづらくなってる人もいると思うよ
純粋に、おじいちゃん達の体験談を読みたい昔からの住民も沢山いる。俺も含めて。
他の人の事も、少しは考えられるような人間になりましょうね
昔は軍板の中でも良スレで有名だったよな
体験談を本にまとめて、出版して欲しいと願う奴も結構いたもんだ
この荒れ様は残念極まりない…
今からここは俺のスペ〇マをぶちまけ、ただ愛撫、ああただ愛撫!するスレとなりますた
荒らしをスルーしようにも、自演なんだか何だか知らんけど一日に何レスも消費しやがるから、たまったもんじゃねーよなw
いや、夏休みだし、こんなもんだろう。
変な改行房が沸き出したのは夏休み前から
>>885 アンタみたいな人は、
岡村昭彦や沢田教一に向かってもそんな事言うんだろうねぇ
>>894良スレだからこそ、例えばあの新聞社やらこの新聞社の工作員でないかとマジに思えてしまう。
>>894 荒れてると思うからいけない。
べつに NG に登録しているわけではないが、賑わい程度にしか思わなくなったよ。本気で。
903 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 00:59:51 ID:8wWJQXfg
904 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 01:17:31 ID:fN7RXDUc
俺の祖父は一人は満州で軍馬の獣医→シベリア
もう一人は満州で戦車長→シベリア
因みに祖母の前の夫は海軍(多分)中尉→特攻で戦死
905 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 01:23:08 ID:8wWJQXfg
>>904 俺の曾祖父は満州で歩兵やってました。最終階級は曹長です。
満州居た奴等って、後々シベリアでアカに調教されて帰って来たからなぁ…
なんか信用出来ないよな
自称長州出身www&自称傭兵経験者でwww
実はキモブサ童貞ヒッキーのwww国賊売国奴はwww
このスレから敵前逃亡したようですなwww
誰が逃げたって?
おまい、完全に頭おかしいな。すげー妄想だぞ。統合失調じゃねぇか?
他の迷惑だから控えてるだけだ。
ところでおいらは伊豆出身だが、どこかで長州なんて言ったっけ?
それから、傭兵でもないぞ。傭兵なんぞ一度もやった覚えはねぇな。
技術者としては50カ国廻ったけどな。
早く通報しろよ。できねぇのか?犬の子白丁www
>>899 ええ、言いますよ。実際に弾の下を望まずにくぐった身としちゃね。
何度でも言ってあげるけど、本当に白兵までやらにゃならんような過酷な
戦闘をやった人は、戦闘については語れない。覚えていないと思う。
戦争についてなら、上に居るバカにでも語れるだろ。弾が飛んで来ない所で
眺めてるだけならね。でも実際の戦闘がどんなものか、説明なんかできない。
実際に戦闘に携わった人でもね。
掩体の陰で震えてるだけしか出来なくたって、弾の飛んで来る音は聞こえる
し、掩体に当たる音も聞こえるからね。生き残ったのは運だけだと思うね。
911 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 10:39:49 ID:fN7RXDUc
>>906 >>904だが祖父の片方は田舎に戻って農業だし、もう一方は国鉄で組合相手に戦ってた人だからアカじゃないってことは言える
池の辺の可能性が高いようだな
池の辺の建物の別館が池の辺にある
脳内妄想厨でwキモブサ童貞ヒッキーなw
>>909がw
このスレの全員から信用されていない件についてw
>>909はw2ちゃんねらーの恥だw失せろ蛆虫めw小林 源文『ハッピータイガー』大日本絵画の☆パクリw
916 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 11:39:22 ID:vPYVmXzA
>>916 ちらっと見たけど
功七級金鵄勲章は確認できた
うちの陸軍少将やってた、ひーじーさんも墓に功○級 勲○等と偉そうにデカデカと彫ってたから
今でもこういう勲章残ってんのかな?
でも少佐やってたじーさんは軍関係の備品とか勲章に興味ほとんどなかったから捨てたかもw
上段左から
紀元二千六百年祝典記念章
勲七等青色桐葉章
功七級金鵄勲章
支那事変従軍記章
勲七等瑞宝章
下段左から
日本赤十字社社員賞
???
大東亜戦争従軍記章
ごめん軍ヲタじゃないからこれくらいしかわからん
明治の勲章から大東亜戦争の勲章まで幅広いけど
長く軍属にいた人なんかね?
いや、でも勲七等正六位って貰えるの少佐相当だろ
功七級金鵄勲章は兵卒が貰えるから
お前ん家は農家か知らんが
おまえのひーじじいは明治に徴兵されて兵卒で戦争に出て
んでそっから叩き上げかなんかで少佐まで上り詰めて大東亜戦争も従軍した
れっきとした叩き上げ軍人じゃないの?
徴兵農家の人間はこんな勲章貰えないから
>>921 少佐?いや、最終階級は曹長だけど。叩き上げってのは間違いない。
士官学校出てないし、少佐にはなれんだろう。
勲七等青色桐葉章と位階の勲七等はまた別なの?
俺その辺くわしくないんだが
それよりコラ農家のクズ
お前、人に教えてもらっといて感謝の意くらいしめせゴラァ
>>923 ああ、どうも。てか、俺は農家じゃないから。
もう死んじまったうちの爺さんの話だが、ひたすら穴を掘って陣地を作って米軍と戦ったって言ってたな(山一つ丸ごと要塞にしたらしい)
最後は負傷して病院に居たら軍医殿が負傷した兵を連れて降伏したと。
上陸した米兵を機関銃で撃ちまくったって言ってた
猟師さん?
>922、たたき上げの最終地点が少佐だっけ?
928 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 17:10:03 ID:qqC0RXi+
普通の召集兵はだいたい上等兵で終わる
そっから優秀な人間が下士官昇進試験を受けて受かったら兵長
んで伍長に上がって下士官として職業軍人になる
ただ佐官以上の高級将校はあまり数が必要ない、そしてここは士官学校卒でまかなえるから
叩き上げに人間はだいたい下士官、軍曹、曹長あたり、本当に頑張って准尉(特務曹長)で終わる
そっからさらに優秀な人間は少尉候補者試験を受けて尉官で終えるか
そんなかでもさらに優秀かつ24歳以下の人間は士官学校にまで入学できた
佐々木とか金光は兵から叩き上げで陸士に入学して大佐まで昇進してる
若林東一なんかも兵から教導団経て、士官学校を主席で卒業してたりする
でもまぁこの3人のように人間は本当に稀な例
931 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 21:16:45 ID:j0zYuxfe
満州に開拓民として上陸。
終戦間際にソ連が満州との国境を侵攻したので本土へ避難開始。
非難途中に徴兵され(自ら進んで行ったらしい)戦闘に参加。
んで、捕虜としてロシアの大地へ連れて行かれたらしいが、元技術者だったためあまり悪い待遇ではなかったそうだ。
タバコも貰えたらしい。
しかし、技術者だったために復員は遅れに遅れ、復員が開始されてから3年後に本土の土を踏む。
婚約者は消息不明だったため、その後別人と婚約、我が親父が生まれる。
そして家計図等は満州から非難する時に置いてきてしまったらしい。
九州にあった数少ない資料も空襲で焼失。
誰か私のご先祖様を教えて下さい・・・。
932 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 22:47:57 ID:vqQGPao4
武装解除で五式戦を燃やしたそうだ。
飛行機が盛大に燃えるので驚いたらしい
933 :
名無し三等兵:2009/08/28(金) 23:44:49 ID:EoCaJNIq
ガキの頃に、田舎に住んでた爺ちゃんに戦争の話を聞いた事があるけど、
「負傷するとな、一晩でウジ虫が傷口にゴロゴロ沸くのさ」と言っていた。
「腹が減ってたんで、そのウジ虫を逆にプチプチと喰ってやったわw爺ちゃんすげぇべ?ワッハッハ!!」と笑い話みたいに聞かせてくれたけど、それ以外の戦争体験は「大昔の事で忘れちまった」と言っていた。
右太股の大きな傷跡や、晩年まで毎晩怖い夢にうなされるのが悩みだったと婆ちゃんから聞いて、
フィリピン戦線でかなり壮絶な体験をして来たに違いないと思った。
934 :
名無し三等兵:2009/08/29(土) 00:24:15 ID:ETLvbq6x
>>919 だいだい色のリボンで鉄帽の浮き彫りがあるのは、満州事変従軍記章、
2つ目の写真のバッチは傷痍軍人記章といって、負傷か病気で後遺症の
残った人が貰う記章です。
爺様の本籍地の県庁の恩給担当課に聞けば、兵籍簿の写しがもらえるので
(貰い方は自分で調べてください。)詳しい履歴が分かると思いますが
金鵄勲章をもらえる下士官は非常に少なかったので、相当な活躍を
したのではないかとおもいます。普通は戦地に出ても勲七等桐葉章止まりです。
瑞宝章は年功勲章なので、下士官を何年かすれば誰でももらえます。
935 :
名無し三等兵:2009/08/29(土) 00:39:39 ID:QIIB4OvX
俺のじいちゃん徴用された静岡の軍需工場で水中聴音機だか電探の工場に勤務していたところ徴兵されたらしい。
んで昭和18年、整備兵として海軍河和航空隊へ入隊。
以下断片的なエピソード
・山形出身のじいちゃんは班長?の田中兵曹って人が岩手出身で同じ東北のよしみで何かと良くしてもらったとか。
・九州出身の兵が生意気で威張り腐っていた。言葉が通じず喧嘩ばかり。
・上履きを盗まれ員数合わせのため下士官の宿舎から上履き盗んだけど気付かれず。
・空襲で基地を艦載機に銃撃→防空壕に退避→先にいた下士官に追い出される→防空壕機銃掃射で全滅。
・河和航空隊は整備兵の錬成部隊のためいろんな機体があった。ゼロ戦は特攻に使うためかどんどん数が減っていった
・名古屋の工場から発動機(彗星のエンジンか?)を三重県の工場に移送した
・終戦後は威張ってた年下の志願兵をみんなで殴ってた
・山形に帰る前に名古屋で食べた中華そばがうまかった
郷里山形の歩兵32連隊に徴兵されたら沖縄で玉砕だっただろうな…
帰省したら晩酌の相手しながらいろいろ聞いてみよう
936 :
uaa:2009/08/29(土) 01:42:27 ID:xbwAarsE
>>934 功七は下士官の初叙等級だから非常にって程でもないでしょ。
>>918 何で大東亜戦争従軍記章 があるんだ?
937 :
uaa:2009/08/29(土) 01:46:19 ID:xbwAarsE
>>936 間違えた。
功七は兵卒用で、下士官は功六から。
兵卒時代にもらったんだね。
私の曾祖父は中国から帰還したのですが、帰還後も戦地でかかった病気で苦しんだそうです。
祖父曰くマラリアだとのことですが、中国でもマラリアにかかるものなんでしょうか?
ちなみに曾祖父の郷里は山形県庄内地方です。あるいは中国以外の場所にも言ったのかな?
>>938 衛生状態が改善するまで日本でもマラリアが発生していたから、熱帯ほどの頻度
ではないにせよ、中国なら普通に感染してもおかしくはない。
>>939 そうだったんですか。知らなかったです。
ありがとうございます。
家の母方のひいー婆ちゃん(婆ちゃんの姉貴)は、千葉にいて、
関東大震災の時、東京から罹災してきた人や、
飛んでいるヒンデンブルグ号を見た事があるらしい。
後、蒋介石を生で見たとも言っていたらしいのだが、
千葉方面に蒋介石来た事あったっけ?
誰かと間違えたと思うのだが、激しく謎だ。
>>941 細かいけど、「ひい」は祖父母の父母の代。姉なら大伯母さんですな。
943 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 06:33:23 ID:b+wWeKJv
ゆとりってやっぱり馬鹿だよなw
世代差別してるほうが馬鹿でしょ
945 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:57:04 ID:t8ESVkjY
差別されない結果を出しなさい
スレ違いな話題は他でやってください
>>943 北朝鮮から勲章を授与されて、日本人児童の学力を奪うゆとり教育をしている日教組
こそが馬鹿でクズな連中
北朝鮮から勲章を授与されて、帝国軍人の捏造話を教え込もうとするから、現実の話
と食い違って矛盾が露呈してしまう。とスレにこじつけてみる。
948 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:43:20 ID:R6EHN4So
うちのじいさんは絶対に戦争の事は教えてくれなかったな。酒飲むと「日本帝國万歳だ!!くそったれめ!!」
と呟いてた。近所では変り者で通っていて気難しい変人だったけど俺には優しい爺さんだったな。親に聞いたら
飛行機に乗ってたということはわかった。終戦時に拳銃を隠し持ってて父親が10ぐらいになるまで引き出しに
しまってあったらしい。
>>909 やはりwww敵前逃亡だったwww
脳内妄想厨のwwwキモブサ童貞乙www
>>942 すまん、小さい頃からずっとひい婆ちゃんと教えられてきたから
今でも癖抜けないんだわ。
>>943 なんでもかんでもゆとりの一言で済ますお前さんの脳ミソは、
よっぽど単純な作りなんだな。上げてるし。
951 :
名無し三等兵:2009/08/31(月) 07:33:55 ID:R6Me7G7y
親が馬鹿なら子も馬鹿なんだなw
>>933 本当に悲惨な戦場から生還した人は、戦争体験教えてと聞いてみても「忘れた」って言うよな。
ルソン島から帰って来たうちの爺ちゃんもそうだった。
たまに酒飲んで酔っ払った時にだけ、目の前で死んでいった戦友達の話を泣きながら語ってくれたもんだ。
当時の記憶が頭の片隅にあっても、思い出したく無いんだろう。
うちの祖父はあっけらかんとフィリピンや中国に無料で旅行できたし何て言ってたけど
親父によると、体も強くなかったし部下に鉄拳制裁もしなかった
曽祖父が将校だったから二世として陸士ににゅうがくしたけど本当は普通に学問したかっただろうにって
戦後に東大に再入学したけど紆余曲折して30での入学だったし
あんな時代じゃなきゃ普通に学生生活も送れたんだと思う
祖父だけじゃなくあの世代の人間はみんなそういう時代の波にのまれていったとおもうと
改めてお年よりは大事にしなきゃと思った
父方の祖父。
満州で銀行員(?)をしていて、列車に乗って日本に向かって逃げていたはずが、いつのまにかシベリアに抑留。
その弟、徴兵されてオーストラリアのハルマヘラ島(?)で戦死
母方の祖父
特攻隊員だったが、出撃する三日前に終戦をむかえて生存。確か知覧にいたとのこと。
その兄、水上機(多分、瑞雲だと思う)に乗って爆撃をした時に被弾、基地には着いたけど着水に失敗して大怪我。
終戦まで台湾の病院で入院していた。
その弟、地元で建物撤去などをしていた。一度、すぐそばを艦載機が機銃掃射していったことがあるらしい。
本土決戦になったら、爆弾を抱えて戦車に飛び出す役目だったらしい。
>>953 自称長州出身でw
実は国賊売国奴のw
キモブサ童貞乙w
うちの爺さんは台湾で日本語を教えていた。
台湾の人は日本人に好意的で真面目で素直な人が多かったとか。
ある日、屋外で農作物を育てる授業をしていたら
突然アメリカの艦載機が襲ってきて、たくさんの生徒が犠牲になったらしい。
爺さんから何度もその話を聞かされたが、爺さんの目に涙が溜まっていたのが
忘れられない。女子供でも容赦しない機銃掃射だったらしい。
>>943 ゆとり以後の小学生君かね? 宿題やったのか?
>>951 もっと下もいるという証拠は見飽きてるんでね。
>>954 ハルマヘラといったら、俳優の池辺良の戦記がありますね。
>>956 女子供は優先的に狙われていたから、容赦とかそういう問題でもない。
>>956 うちの婆ちゃんも戦前は台湾に住んでたけど、街の上空でグラマンと友軍機の空中戦を幾度か見たと言っていた。
あと、真っ白い制服で街を歩く海軍さんは格好良くて、街の若い女性達の憧れの的だったとか。
台湾女性と結婚して、幸せな家庭を築いてた将校さんも近所に暮らしてたらしい。
962 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 20:10:55 ID:qZDi+6Qe
963 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 20:18:53 ID:HGU0yMdw
米軍が台湾に上陸しなくて本当良かったと思うよ
もしも地上戦が行われてたら、今の親日的な台湾は無いかもね
>>963 当然そうなると思うけど、いくら労力を費やしても中国から苦情が入って、占領して利用できる可能性はないんだから、
うるさい航空戦力を潰すだけで十分で、どのみち上陸はありえなかったっしょ。
966 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 23:04:36 ID:jeP28vXO
じい様の話ではなく、叔父の話なのだが。
戦時中、茨城県の土浦に住んでいた叔父は米艦載機と友軍機の空中戦を良く見たそうだ。
上空でピカッ、ピカッと閃光が煌くんだとか。
あと、見分け方があるとの事で
黒い煙をたなびかせながら、グーッと落ちてくるのが米軍機。
パパァッと火の玉になるのが友軍機だったと言ってた。
みんな、そうやって見分けていたそうで、はずれる事は無かったと。
>パパァッと火の玉になるのが友軍機だったと言ってた。
これじゃ脱出するヒマもないよ・・・(´;ω;`)
落下傘で降下して来た日本の航空兵さんが、
家の畑の肥溜めに落ちて、糞まみれでえらい事になっとったと言うのが、
今となっては我が家の面白い昔話
可哀相なんで服を洗濯してやってる間に、川で身体洗ってもらって、大根汁食わせて基地に帰したんだとさ
>>967 脱出に成功したとしても、顔に大火傷して真っ赤になってたのをアメリカ兵と間違えられて地元民になぶり殺されたりするのだ。
落下傘がちゃんと使えて良かった
京都府南部、木津川の河原にB29が堕ちるか不時着かして
みんな竹槍もって駆けつけたという話を聞いたことがある。
で、どうなったのか知ってる人いる?真偽の程もわからんけど。
>>968 それは幸運なのかどうだかですね。
笑い話になっているだけ幸運なのでしょうね。
>>971 墜落日時: 1945年6月5日
墜落位置: 京都府綴喜郡青谷村木津川東岸
所属: 第20空軍第314爆撃団第330爆撃群
攻撃目標: 神戸都市地域
墜落原因:日本軍戦闘機による攻撃
機体ニックネーム: City of Burbank Old Soldier's Hom
※神戸無差別空襲後、京都上空で陸軍明野教導飛行師団機の追撃を受け、現・城陽市木津川東岸に不時着陸
乗員11名中、機上戦死5名 残る6名はパラシュート降下したが全員住民に捕らえられ、伏見憲兵分隊に引き渡された
その後、中部憲兵隊司令部に送られた上、7月20日もしくは8月6日に信太山演習場で銃殺された
974 :
966:2009/09/02(水) 18:30:40 ID:ja4siKwK
土浦上空の米軍機と友軍機の空中戦のあと、米軍機が落ちたところには町内会の人たちが
手に手に武器とか色々持って、大勢でドヤドヤ向かっていたらしい。
叔父の友達は、「米軍機が落ちたぞ」と言う事で、大人たちと墜落現場に向かった所
それは友軍機の残骸だったりとか。
あと、落下傘が開き切らないまま落ちて来て、死んでしまった日本のパイロットの事は
今でも印象強く覚えていると言っていた。本当に可哀想でならなかったと。
そういえば過去スレに、
100機近いグラマンの大編隊に、たった1機で突っ込んでった友軍機の話があったね
>>975 本当なら蛮勇だと思うが、こういう奴とは友達になりたい。
すげえ。100人対1人のケンカだな。 マジで涙が出てきた・・。
本当に何か大切な者を守りたかったんだろうな
979 :
名無し三等兵:2009/09/02(水) 22:18:02 ID:ja4siKwK
筑波山上空で、たった一機の紫電で3〜4機のムスタング相手に戦い
数機を叩き落すも散華してしまった、母思いの無名パイロット。
「俺がこの新型機に乗れば世界最強だ!」と母への手紙で綴っていた。
新型のスポーツカーに乗って、走りのステージで「俺は最強だ!」と言うヤツとはスケールが違うな。
980 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 06:03:52 ID:uKG5Ad/+
>>966 「右九十度、グラマン突っ込んで来るっ!」
「雷跡、右百二十度、向かって来るっ!」
・・・
胴体や翼に機銃弾が弾けて火花が上がるのを何機も目撃したが、何事も
なかったかのように平然と飛び去ってゆく。
・・・
手塚正巳著「軍艦武蔵」下巻69頁より
米軍機は燃えないような構造だったんですかね
じどうしょうかそうちっつーのとぼうだんたんくっつーのがあってだな・・・
982 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 08:57:14 ID:uKG5Ad/+
そうだったんですか、さんきゅー
983 :
なすび:2009/09/03(木) 09:17:21 ID:w7Tz+6Pr
朝早くから散歩に出かけると重機関銃の訓練の音が遠くから聞こえるそうです
おれのじいちゃんは徴兵ばっくれて山に二年隠れてた。
何度も山狩りされたけどまんまと逃げおおせた。
新聞にも載ったららしい。
これってなまじの武勇伝より凄いことじゃね。
親族はどえらい目にあったららしいけどw
>985
戦後になっても肩身狭かったのでは?
今で言うニート、ムショ帰りより鼻つまみもの。
>>986 それがそうじゃねえんだよ。
戦時中は一族郎党てひどいめにあったが、戦後はいつのまにか軍国主義に逆らったヒーローみたいになってしまってね。
本人は単に命が惜しかったにすぎんかったらしいけどw
うまうまとそれに乗っかって、あげくには町会議員、最期は町長になってしまった。
公共工事で旨い汁すって、妾かこって去年、大往生した。
戦時中は息子が特攻でしんで軍神の母扱いされたおばさんが、戦後は軍国主義の権化、大悪人の母のように扱われて石までぶつけられたらしい。
げに恐ろしきは豹変する日本人ということだね。
989 :
971:2009/09/03(木) 12:02:47 ID:???
>988 豹変し、八つ当たりする日本人怖すぎ。
>>973 詳しくありがとうございます。
焼け出された祖父が身を寄せていた親戚宅の、すぐ近くです。
のんびりした河原で、そんな事があったとは。。。
>>988 そんなに豹変するもんなの?
マスゴミが言ってた事を鵜呑みにし過ぎじゃないか?
少なくとも俺の町の人達は、特攻で次男を亡くした曾祖母に対して「戦には負けてしまったが、立派な息子さんだったぞ。彼等の死を無駄にさせないように頑張るからな」と慰めてくれたそうだ。
今でも近所の人達は墓参りに来てくれるよ
あ
>>43 中国帰還者連盟で調べてみろ。それと爺さんの所属と帰ってきた日時。
そういうことを述べる人は自身が戦争犯罪を行っているケースが多い。
戦犯容疑→帰還が遅れる→国府から中共へ身柄移動→洗脳
また、そうでなくとも自身の残虐行為を自己内において誤魔化す目的(合理化)で創作談を述べている可能性がある。
人間には骨盤があって腹が二つに引き裂かれたりしない。
なにか現地人や敵兵に酷いことをしたり、友軍に申し訳できないことをしているのは無いか?
sa〜ge〜
996 :
名無し三等兵:2009/09/04(金) 15:49:17 ID:gdxqxqST
母は、10人姉妹の末っ子。 伯母からの伝えぎきですが,
7番目に、唯一男の子がいて、祖父は、もう溺愛していたそうです。
ところが、終戦末期、疫痢に罹り、祖父の寝ず看病空しく、7歳で亡くなったそうです。
やっと恵まれた男の子をなくした祖父(当時、40前後なので徴兵されていない)の
落胆は激しく、空襲が来る度に何度も、防空壕を飛び出て死のうとしたしたらしいです。
因みに、祖母は、元々、気丈なのか、子供嫌いだったのか、平然としていたそうな。
映画にもなりました。防空ゴで爺さんだけ立ってたら
周りの座ってた人間全員埋もれてあぼーん・・・
悪人、善人の金で懐耕す
単純な善悪二元論ではない
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。