地政学を結晶、具体化させたとでもいえる、このゲーム「ディプロマシー」。
欧米の連中は、外交というものをこのように考えているんだな、と思うと、誠に感慨深いものがある。
「ディプロマシー」では、英仏独が睨み合い、ロシアトルコがオーストリアを餌食と狙い、イタリアは放置状態。
スイスを軸として、仏独伊墺が一重にさらに英露土と二重に取り囲んだ格好だ。
そして、ゲーム終了時には、オーストリアが滅んでいることが多い。
さて、これを日本にあてはめるとどうだろうか。
思いつくのは、「織田」「本願寺」「朝倉」「上杉」「北条」「武田」「今川」の七国だ。
「織田」「本願寺」「朝倉」が山城近江でぶつかり、「北条」「武田」「今川」が富士山麓で睨みあう。
「上杉」は、南下するべきか、西に進むべきか。
地形的には、日本アルプスが東西を分断し、織田武田ではまず戦が起こらない。
「北条」「武田」「今川」も、史実どおり甲相駿三国同盟を結ぶだろう。
つまり、日本アルプスを境に、琵琶湖と富士山の二つの軸が、日本にはあると言っていいと思う。
縄文時代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3 によると、9つの文化圏から、西北海道、東北海道〜中部、関西〜九州、琉球と4つの文化圏になり、
この頃から日本の地政学は変わらないのだと、しみじみと感じる。
が、上記の七国に、残りの中国・四国・九州・東北などが加わるかというと、やはり入らないと感じざるを得ない。
日本列島が細長い分、中央が決まってしまうと、もはや覇権が動かない。
東北と九州の連携など、あまりに遠くて考えにくい。この点、日本は地政学的につまらない地なのかもしれない。
壬申の乱や恵美押勝の乱は、琵琶湖近辺の局地戦みたいなものだし、
古代の四道将軍、将門純友の乱、源平の争乱、南北朝時代、結城合戦、幕末。
これくらいが、戦国時代のほかに地政学的に面白い時代だろうか。
大体、関西、関東、東北の3分だが、しかし、これに朝鮮半島が加わってくると思う。
関西、東北で関東を挟み撃ちにし、関東、朝鮮で関西を挟み撃ちにする図式が見えてくる。
鳩山小沢政権が、東北・朝鮮で、関東・関西を挟み撃ちにしている格好にも思えてくる。
それで、「織田」「本願寺」「朝倉」「上杉」「北条」「武田」「今川」の七国が、
どれだけディプロマシー的に行動したかと考えると、
どうも「織田」「本願寺」「武田」くらいしか、まともな行動を取っていないと思えてくる。
「朝倉」「北条」はやる気無し。「上杉」は無意味な南下を繰り返している。
「今川」は、「織田」「北条」「武田」「今川」に囲まれ、真っ先に滅びそうである。
先ごろ出版された「センゴクバトルランキング」では、
今川に、尾張を切り取る実力など無いと言い切られている。
義元の遠征は何だったのだろう?
「武田」も、周囲を囲まれて面白いところだけど、西に日本アルプスがあり、今川を取るので精一杯に思える。
結局、畿内で争った「織田」「本願寺」の二強争いに収まってしまうだろう。
「朝倉」「今川」が滅んだあとの争いは、
「織田」「本願寺」「上杉」「北条」「武田」「伊達?」「毛利(瀬戸内水軍)」
の第2ステージに移ると思うけど、「島津」「長宗我部」を入れるのは難しいと思う。
ディプロマシー的に行動するには、円に近い地勢のほうがやりやすいのだろうか。
「ディプロマシー」的に、地政学を考えてみるのも面白い。
海外だけでなく、国内も同様に考えるのも楽しい、と考え、長々と述べてみた。
古代より日本は、五畿七道で横割りに日本を考えていたが、
明治からは、縦割りの行政区分で日本を仕分けている。
それはなぜなのだろうか?
しかも、自衛隊の配備が、陸海空でどれもバラバラなのも興味深い。
現代の地政学では海洋を含めて考えないと話にならんだろ。
リムランドと世界市場へのアクセスこそパワーリソース。
ああ、まあ、ディプロでも海軍はあったけど、
制海権のもたらす通商はなかった。
>>385 上記で考えてみた日本国内だと、通商を考えるといっても、
武田以外は海に面しているわけだし、勘合貿易は博多商人、大内、毛利が握っていて、
南蛮貿易、鉄砲商いは堺商人が押さえていると思う。
通商有利=コマを一つ増やせるマス、で表現するしか無いかもしれない。
通商をナポレオンのころで考えると、
英露土(スペイン) vs 仏独伊墺 でぎりぎり過半数に届かない。といった情勢だろうか。
ここから、スペイン遠征、ロシア遠征と、大陸側が失敗して通商側にまける感じ。
これでも、ジブラルタルそして地中海を押さえた側が勝つ表現はできてるかもしれない。
ドラマ「坂の上の雲」には、随分と民主党から資金がつぎ込まれているらしい。
この意図するものは何だろうか?
(NHKで石田がうっかり口に出してしまったそうだ)
>義元の遠征は何だったのだろう?
織田軍がさ、今川の城を包囲してたから救援するために今川が軍事展開したのよ
尾張は面積こそ小さいが食糧生産力が高く通商上の要地でもあったからそれを過小評価するなど考えにくいしね
駿遠と三河の一部を合わせたより石高は高かったかと
放置して軍事力の整備が整ってしまえば手がつけられなくなるからそれを阻止しようとしたとしか思えない
北条武田は強いから同盟
一番弱い織田を敵にするのは戦略的に正解だったんだけどね