【正史】三国志を軍事分析【演義】

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461 ◆BO6way2NcQ

諸葛亮考案の木牛・流馬について


第四次で木牛、第五次で流馬が使用された。

蜀は別に牛馬が足りなかったわけではないだろう。
木牛・流馬は単に足りない牛馬の代用ではないのだ。

関漢の間に横たわる秦嶺山脈を越えるには
切り立った崖に設置された長い桟道を通る必要がある。

荷車を牽く牛馬が桟道の途中で恐れをなして進まなくなったら
それだけで輸送が滞る。

また、数十qに及ぶ桟道には牛馬の餌となる草は生えていない。
そこで荷駄牛馬の秣まで運搬する必要があるが、大変な量になる。

運搬しているのが人間なら、桟道で進めなくなるということもなく、
牧草の生えない地では人力の方が輸送効率も良い。
一日に必要な人夫の食糧である乾燥米と牛馬の食糧である秣とでは
体積に於いて比較にならないだろう。
462 ◆BO6way2NcQ :2010/02/06(土) 23:49:30 ID:???
また、
進軍するときは戦闘部隊を前に、荷駄隊を後ろにして行軍する。
反対に、撤退するときは荷駄隊を前に、戦闘部隊を後ろに行軍する。
進軍中、後続の荷駄隊がまだ桟道や隘路を通っているときに
前軍が敵の攻撃を受けたらどうなるか?
通常なら一端退いて態勢を立て直すことも可能だろうが、
桟道は牛車・馬車がターン出来るようには出来てない。
その上、牛車・馬車はバックが出来ない。
退路が支え(つかえ)、大変なことになる。
(牛車・馬車でもジリジリとなら退がれるが、そんなのでは話にならない。しかも直線だけだろう。
道が曲がっていたら終わり。普通、道は曲がっている。)

人力の木牛・流馬なら、号令ひとつで人夫が回れ右、一瞬で押し車が牽き車に早変わり。
速やかに、どんな道でも後退できる。
これが木牛・流馬の最大の利点だろう。


木牛・流馬は、牛馬の怖じ気による輸送の停滞を防ぎ、不毛地帯での輸送効率を上げ、
更には秦嶺越えの安全性を飛躍的に高める超兵器と言えるだろう。