>>409 ううん、もちろん見落としてない
同時進行かどうか無論考えたけど
同時ではなく時間差攻撃だったと判断した
諸葛亮伝劉禅の詔が載ってるが、これは当時の生の声なので何より信頼できる
それに「先年、帥を輝かして、王双の首を斬り、今年ここに遠征し、〜」とある
"ここに(同:ここにおいて)遠征し"
同時進行ならこのような言い方はしないはず
これが判断のポイント
そして、諸葛亮は一端陳倉から帰還している
それから再度出陣し、建威まで到達した
それなりに時間が掛かっているよね
同時進行で諸葛亮が陳倉を攻囲している間、
陳式が武都を攻めていたのなら
様子見していたのであろう郭淮は、少なくとも諸葛亮の撤退とほぼ同時に
大急ぎで陳式に向かって発ったはず (陳倉には援軍が来る頃だし)
諸葛亮が陳倉→漢中→建威と移動している間に
郭淮は陳式に辿り着いて交戦しているはずだが、
辿り着いていない
従って、諸葛亮が陳倉を攻囲している間、
郭淮は上ケイあたりで戦局を窺っていた というのはないんじゃないかと思う
つまり武都は安泰で蜀軍は入っていなかった
陳倉と武都を比べた場合、重要度が全然違うから
そもそも天秤に掛けないと思う
上ケイで様子見というのは優柔不断に等しくないかな
どちらかがいよいよやばくなって動いても間に合わない
張コウの話をみると、張コウは日数の話はしてるけど、辿り着く前に落ちる心配は全くしていない
これは「自分が行くまでに陳倉が落ちることはない」と言っているも同じ
それは他方面の陳倉支援を考えに含んでのことか分からないが
とにかく陳倉は短期間では落ちないと考えられていることは確か
「他方面の支援」に郭淮軍が含まれているなら、郭淮は陳倉へ向かっている事になるし、
武都も攻められていて郭淮が様子見していると仮定して考えるならば
郭淮軍抜きで、「陳倉は落ちない」と考えられていることになる
その状況で郭淮が攻められている武都を救おうとせず様子見しているのであれば
郭淮は判断を誤っている
そしてやはり、陳式に辿り着かなかったというのはおかしな話
よって同時進行ではなかったと考える
諸葛亮が漢中に帰り、それから陳式を行かせ、
更にそれから諸葛亮が出たのでは時間が掛かりすぎる
陳式と諸葛亮が武都に向け、殆ど同時に発ったのならば時間的には可能だけど
そういう書かれ方ではない
残る可能性は
諸葛亮が帰還途中に、漢中で待機していた陳式に使いをやって武都へ発たせたというもの
流れはこんな感じ
諸葛亮は城攻めを年内に切り上げ、撤退途中に王双を斬った
諸葛亮が陳倉を出る前に年が変わった
魏は蜀軍が陳倉から出たのを以て戦役の勝利とした(曹真伝「春〜、増邑」はそういうこと)
諸葛亮は帰還途中に漢中へ使いを遣り、待機していた陳式を武都へ発たせた
おそらく陳倉防衛に陳倉付近まで来ていたであろう郭淮は慌てて武都へ向かった
陳式と入れ替わるように漢中に帰り着いた諸葛亮は物資の補給を済ますとすぐさま
陳式の応援に向かった (魏軍が来るのは当然なので)