民主党ですがタコは煮てよし焼いてよし

このエントリーをはてなブックマークに追加
384359続き
自民党は急激な変化についていけず慌てた。国内景気は冷え込むしで、
とりあえず従来のケインズ政策で立ち向かう。アメリカの要請にも沿うしで、
宮沢内閣は真水で10兆円程度の公共事業策をとり、同時に住専問題などの
バブルの後始末を開始する。が、簡単には景気は回復しない。クラウディングアウト理論なども
この当時の批判に散見されるが、事の本質は市場の潤滑化に失敗し、国民の消費性向を
刺激しそこねたことにあるが、それを政府のみのせいにするのは少々酷でもある。
国民はバブル崩壊で放心状態にあったのだから。

宮沢以降、日本政治そのものが迷走する中で、アメリカは間隙をついて、年次改革要望書を
交換する事を決めてくる。交換とは名ばかりで、達成度を米商務省がチェックするような傲慢な
制度であった。これで、ともかく日本は内需拡大の名の下にたびたび巨額の財政出動をし、いたずらに
借金ばかり膨らみ、本格的な景気の回復が出来なくなってしまう。株価は2万円に遠く及ばない。

それでも、橋本龍太郎総理の頃には少し上向いたが、消費税増税であっという間に景気が腰折れた。
この頃になってもまだ諸銀行の不良債権処理は進まず、金融、会計ビッグバンで、外資の参入が容易に
なってしまい、ハゲタカの暗躍する日本になってしまう。日興証券、長銀、りそななどメガバンクらが
外資の傘下に落ちる。失業率は4%前後、全く見通しの暗い中、小渕総理が誕生する。

小渕は、さらに思い切った財政出動に踏み込み、「世界一の借金王」などと自嘲した。
が、それはそれなりに功を奏し、株価は21000台にまで持ちあがった。次は様々な構造改革、と言う時に
残念な事に小渕は急病で亡くなってしまった。残念な事である。小渕は、弱った日本経済をともかく
それなりに元気にしたのだが、その後の大手術、改革にまで踏み込めなかった。