>>675 どーせ、後から筆を入れますし(w
>諸兄
でわ。
議員の皆さん。今日私は、父を殺された息子ではなく、この辺境を統治した偉大な
統領の後継者としてお話をしたい。
1866年9月○日は、この辺境にとって衝撃の日として長く歴史に刻まれること
になるでしょう。
この日、まだ夜も明けやらぬ深夜、バイエルン国王ルートヴィヒ2世が、300人あまりの
蛮族の兵を率いてティンタジェル城を襲撃しました。
この平和な時代、城の守りは無きに等しいものでした。城にいた前統領ハロルドと
彼の近習たちはわずかな武器を手に立ち向かい、英雄的な戦いの末にその多くが斃れ、
侵略者たちは彼らの遺体を踏みにじり食らいながら城の奥へと進みました。
そしてローマ皇帝を僭称するルートヴィヒは、矢尽き刀折れ傷ついたハロルドを捕らえ、
古の盟約に基づき自分への臣従と息子である私ライオネルを自分へ差し出すことを命じました。
ルートヴィヒ率いる蛮族の兵に囲まれ、彼に剣を突きつけられた状態でハロルドは
敢然と彼の命令を拒否しその結果、ハロルドはルートヴィヒが持つ剣で心臓を貫かれました。
私は彼らの襲撃直後に、ハロルドの命に従って城を脱出して城のすぐ外にある演習地へ
向かい、同地の陸軍部隊を率いて急ぎ城へ戻りました。
しかし、襲撃者達の抵抗に遭い殺人者ルートヴィヒを取り逃がしただけでなく、ハロルドの
命を救うことが出来ませんでした。
このことは生涯、私が背負う十字架となるでしょう。
(続く)