1 :
名無し三等兵 :
2009/03/02(月) 21:36:48 ID:Q5Fp0oba 明治に創設された日本陸・海軍の活躍でいまやすっかり忘れ去られている幕府軍。 フランス流に調練された陸軍や、蒸気船を揃えた海軍や、軍事アカデミーともいえる講武所や兵書の翻訳機関など、 割と優れていた設備を整えていた幕府軍を語るスレがあってもよいのではないだろうか? ズボン式軍服を採用する上で、刀剣の外装から金具を外すという、脱伝統の努力も垣間見られなど、 もっと評価すべき軍隊だと思う。
2 :
名無し三等兵 :2009/03/02(月) 21:39:12 ID:???
阻止
3 :
名無し三等兵 :2009/03/02(月) 21:45:23 ID:???
>>1 パンツじゃなくて、ズボンですな。ムッシュ小栗はそう言ってたのかな?
4 :
名無し三等兵 :2009/03/03(火) 18:42:50 ID:SyAVIjFK
伝習隊だっけ? どうせなら蝦夷共和国も入れろ
5 :
名無し三等兵 :2009/03/04(水) 00:16:56 ID:???
まえに幕末総合があったが、100ぐらいで落ちてたな。 幕府限定だともっと早いだろう。 日本史板あたりに立てればいいのに、馬鹿なやつめ。
6 :
名無し三等兵 :2009/03/04(水) 00:32:24 ID:???
戦国時代板や軍事板で語るには難しい。
7 :
名無し三等兵 :2009/03/04(水) 20:35:52 ID:???
幕軍に限るなよ さらに言えば日本に限るなよ 1860年代の装備・戦術を語るスレにすりゃ多少はレス付くんじゃね?
8 :
名無し三等兵 :2009/03/04(水) 22:25:56 ID:punZ5y9Y
彰義隊も入れてくだされ。
9 :
名無し三等兵 :2009/03/04(水) 23:25:46 ID:???
幕末って○○隊とか△△組などの少人数の戦闘グループの活躍が目立つな。
10 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 01:15:06 ID:???
小説家の妄想も多いみたいだけどね。 隊とか組って言っても調べてみるとけっこうな人数よ。
11 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 10:21:44 ID:DwHGbQrX
>列強は幕末日本に数多くの武器を売りつけた。ヨーロッパでは既に旧式化していた >ゲベール銃を法外な値段で売るといった詐欺まがいな取引や、逆にプロイセン(ドイツ)製の紙薬きょうを使用した >最新型後装式ライフルを輸入していた記録もある。 >さて、幕末は世界的に前装式ライフルから後装式ライフルへの兵器転換期である。 >その最前線として日本やアメリカ南北戦争ではこれらライフルの違いが勝敗を分けたといっても過言ではない。 最近まで戦国時代と同じ、火縄銃が使われていた時代に後装ライフルを持ち込んだら一種のチートだよね。 ゲベールを売りつけられた幕軍カワイソス
12 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 10:46:13 ID:???
幕軍がゲベールを買ったのは、初期の頃のこと。 ミニエー弾を使用する前装式ライフル銃に移行し、 伝習隊の頃にはシャスポー銃に代表される後装式ライフル銃を導入してる。 型落ちのゲベールは八王子あたりの民兵の装備に回されつつあった。 幕府直轄軍の装備は当時の日本の中では優秀なほう。 幕軍並みの装備を持ってたのは、薩摩・長州・佐賀・土佐のほか、 長州戦役で痛い目を見た紀州や、例の長岡などでそんなに多くは無い。 ゲベールを高く売りつけられたのは、戊辰戦争になってあわてて洋式化を進めた東北諸藩。 まあ3匁筒とかの火縄銃、それすら足りず弓矢、木砲なんて藩も多い。
13 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 10:55:24 ID:???
腐っても幕府は大大名、装備には金がかかってる。 なかなか諸藩では手が出ない銃剣や制服までそろえて、歩兵隊に持たせてる。 まあ、この制服というのがシン・レッド・ラインさながら戦列歩兵の赤い奴で、 戦場では目立ちすぎて仇になったともいうが。 編制単位に連隊まであるとか、騎兵も付いた三兵編制なんてのも贅沢。 実情を考えないで、とりあえず教科書どおりにコピーしただけという感じもあるか。
14 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 11:02:41 ID:???
フランスから招聘された軍事顧問が、御家人の走り方を直そうとしたけど いつまで経っても直らず、激怒したって逸話は本当なんですか?
15 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 11:23:41 ID:???
旗本・御家人の洋式部隊化はどうだったか。 幕府の洋式軍備研究は、先見の明のあった諸藩に比べると着手が遅く、 黒船来航後にあわてて整備に動いたという感じである。 江川太郎左衛門あたりを呼んで、旗本御家人の一部に射撃訓練をやらせだす。 初期の装備はゲベールだったようである。 井伊直弼時代にしばし停滞があるが、桜田門外以降は一気に話が進む。 庶民兵の歩兵隊が有名だが、御持小筒組(後に撒兵隊)や騎兵などは主に御家人からなる。 うち騎兵は伝統に則り、与力(寄騎)が主たる兵員供給源とされた。 将軍家茂上洛の頃には、総勢3000人の一行のうち700人程度がミニエー銃装備になっている。 歩兵1個大隊が入ってるので主力はそれだろうが、御家人部隊の御持小筒組も入ってる。 あとで、五番方旗本改編の奥詰銃隊なんて格式の高い連中からなる部隊もできてくる。 奥詰銃隊の装備はかなり優遇されてたようだ。 最後まで旧来の格式にこだわった編制をしてるが、作戦上、いろいろ不都合はあっただろう。
16 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 11:50:51 ID:???
歩兵隊と正規武士以外に、ちょっと毛色の変わった部隊もある。
八王子千人隊。
八王子千人同心といった戦国以来の郷士で、本来は長槍隊。
便利だったようで、屯田兵として蝦夷地に送られて大被害を出したりしてる。
黒船来航後にゲベール銃の導入がされ、
長州征討の際には槍隊と銃隊が半々の編制で出動している。士気が低かったようだが。
戊辰戦争勃発時には日光警備を担当していたが、新政府側に無血開城した。
責任を取って組頭は自決。
神奈川奉行所下番。横浜警備のため正規の足軽等では足りず、非武士の警備隊を組織。
青い服装(緑のあお?)のため、通称「菜葉隊」。
駐留英軍を盗み見て勉強し、じきに指導を受けるようになり、しまいには合同演習までやる。
一部は函館警備に派遣されて、幕府崩壊後は新政府側の府兵に改編され、榎本軍を迎撃。
新撰組の甲府進撃に誘われたり、彰義隊に参加するお調子者も出たり。
御料兵。天領編成の民兵隊。
おそらく江川太郎左衛門が養成していた民兵の後身に近いんではないか。
大鳥圭介いわく、お行儀が良いが迫力に欠けたらしい。大鳥は伝習隊みたいな無頼が好みと。
江戸市中警備に出動後、彰義隊に参加したり、大鳥軍に加入して転戦、蝦夷地まで。
>>14 話には聞くよね。どうなんだろ。
17 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 13:09:39 ID:???
単純に洋式部隊の数を比べた場合、幕府軍は薩長と互角以上で 幕府軍の苦戦は慶喜の恭順方針もあって最新装備の洋式部隊が前線に投入されなかった為では?
18 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 17:25:13 ID:???
なんで一年ぐらいで平定できたんだ? 錦の御旗効果もあるだろうが、知ってて同盟組んだ列藩同盟の例もあるし… 結局は兵器の差か?
19 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 19:01:36 ID:???
戦術能力の差、特に士官の教育・能力差だと思う。 幕府の洋式部隊は、前線展開した比率は低いが、絶対量的には結構いる。 兵の錬度がどうかと見ると、歩兵隊は古参兵が多くて、射撃動作はなかなかうまかったようだ。 しかし、戦術を見るとなんともまずい例が多い。 鳥羽緒戦の無警戒な縦隊行軍は無血進駐だと思っててやむなしとしても、 そのあとも密集隊形での正面攻撃しかやってない観がある。で待ち伏せで十字砲火。 前の長州戦役でも、押し合いでは互角だったのに、迂回攻撃を食って敗退している。 幕軍の士官は旗本出身が基本だが、年を食ってて変革に追いつけなかったようだ。 幕府もこの点は自覚してて、フランス伝習開始の際に、 旗本の若年子弟を集めて士官学校を作った。いわゆる伝習士官隊。 もちろん、初期の士官にも優秀なのは混じってたが、 がんばって前線指揮を執るうちに、狙撃で食われるケースが多発した。あとは総崩れ。 ほかにそもそも戦術思想が古かったのもあるかもね。 ゲベールでの戦列歩兵時代の兵書が基本だったようだから。
20 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 19:18:23 ID:???
逆に、指揮官がしっかりしてると旧式装備でも活躍できたり。 鳥羽で後退中に、会津兵が伏兵をしいて白兵突撃をかけ、一時的に追撃を阻止してる例がある。 まあ、兵隊が気合が入った連中だから、できたことという気もするが。 鳥羽伏見戦での幕府洋式部隊の活躍というと、築造兵(工兵隊)の野戦築城。 樽を徴発して土を詰めたり、米俵を徴発したりして胸壁組んでいる。 誰が指揮を取ってたのか知らないが、おかげで後退する部隊を収容して抵抗できてる。
21 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 19:44:05 ID:???
>>20 会津戦争や函館戦争で土方歳三の部隊は新政府軍と互角以上に戦えてたというのも指揮官の違いか。
新撰組上がりの部隊がそんな上等な装備をしてたとも思えんし。
この辺小説と史実がごっちゃになってて良く知らんけど。
22 :
名無し三等兵 :2009/03/05(木) 22:47:19 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2009/03/06(金) 00:07:58 ID:187X+/Df
24 :
名無し三等兵 :2009/03/06(金) 00:17:40 ID:???
幕府軍の戦術的敗北を見ていくと、やはり原因の多くは旗本士官にあるのかなぁ・・・ 兵として徴用されていくものには農民も多く、そのため臨時に武士にしてもらったりとか。 そんな連中を身分違いの旗本が指揮するんだからな。 全部がダメというわけじゃないが、薩長軍はその前線で頑張ってる部隊の士官を 狙撃していったわけで、薩長の連中はナポレオン並みに戦術を先取りしてるよなぁ
25 :
名無し三等兵 :2009/03/06(金) 12:02:44 ID:???
26 :
名無し三等兵 :2009/03/06(金) 15:57:46 ID:???
28 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 09:16:42 ID:???
>>12 スペンサー騎銃やシャープス騎銃を装備していた、庄内藩が無い(泣)
29 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 12:56:04 ID:dxAZJYcD
明治の日本陸軍でも採用されたスナイドルエンフィールド銃を、最も早く装備した佐賀藩最強
30 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 14:34:50 ID:???
>>14 それはなんば走りとかその方面の話かな?
もっと腕振って手と足逆にして走れとか
31 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 22:12:42 ID:???
>>28 あれは戊辰戦争始まってから買ったんで無いの?
たしか鳥羽伏見の後になって買い入れて、
秋田藩と戦闘始まった頃は、まだ練成途上で旧式装備が多かったような。
しかし、庄内藩ってのも気合入った人たちだよね。
江戸の薩摩藩邸焼いたのも、主攻部隊は庄内藩だった。
32 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 22:52:38 ID:???
あの焼き討ちは当然だろう。なにをどう見ても事実として社会転覆を図って犯罪を行うテロリストのすくつ(何故(ry)だし、江戸の治安を守る側として当然の判断だ。 実際、戦後に西郷がいち早く庄内入りして戦後処理を穏やかに図ったのも、庄内に実情をばらされると薩摩としてやばい所がありすぎたからだろう。 庄内としても事が止んだからにはごたごた言っても始まらんからそれに乗って、秋田戦線は事実上戊辰戦争史では忘れ去られた戦線になっちまった。 …で、俺のご先祖様たちが割食ってるんだよなあ…佐賀藩士なんよ。
33 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 23:15:51 ID:tk5JZftV
秋田藩ら官軍に攻め込まれながら 逆に反撃して裏切り者を追いつめた庄内藩カコイイ!!
34 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 23:40:31 ID:???
35 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 00:56:32 ID:???
36 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 02:28:09 ID:j4FESei3
関が原や大坂の陣で両軍あわせて10数万の兵力が激突したのに比べると、 戊辰戦争って動員兵力がこじんまりしているように思えるのだが。 例えば鳥羽伏見の戦いは、東軍1万人、西軍5千人程度でしょう? 高価な小銃の調達の都合で、大兵力を組織できないのか、農民を戦時に 雑兵にした戦国時代と異なり、正規の武士中心の編成になると、あの程度 の動員兵力になるのか、どんなもんなんですか
37 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 02:53:22 ID:???
幕軍と薩長軍の最大の差は砲兵隊なんじゃないかね。 庄内藩が勝ち続けたのも、幕軍には無かったと思われる 歩兵随伴砲を装備した砲兵隊があったからでは。
38 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 03:26:02 ID:???
>>36 戦国時代をながらく続けて動員体制を鍛えぬいた集大成と、
250年の太平の世を経て、あわてて再軍備したのでは、動員能力が違うのもあったような。
あと、戊辰戦争は小藩同士の局地戦の積み重ねというのもあるかも。
戦国も初期の群雄割拠の頃は、似たような兵力規模じゃね?
39 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 11:45:44 ID:???
て言うか、戦国時代や関ケ原の時の数って当てになるの?その当時の日本の人口、食糧事情を考えると過大じゃないかと思うのだが
40 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 18:46:47 ID:???
刀槍、弓矢、火縄銃から 大砲、ピストル、機関銃 果ては蒸気船まで なんだかごちゃ混ぜな状況が魅力的な時代だね
41 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 19:57:12 ID:???
前線が旧式兵器の軍でも 後方の補給が充実していれば勝利に繋がる 鉄道で補給網揃えた軍が勝利したのは南北戦争で初期の南軍
42 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 22:15:59 ID:???
砲兵隊の威力は会津藩の記録を読むと よくわかる
43 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 22:43:35 ID:???
クリミア戦争では様々な新兵器の活躍と威力に勘違いした司令官が 騎馬隊で敵砲兵前を突破しようと試み全滅
44 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 22:44:59 ID:???
そして同時代の戦争の中古品が日本にゾロゾロとw
45 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 22:46:37 ID:???
どっちかというと、南北戦争とかのお下がりの印象が 太平天国の乱で使用されたものや売りそこなった品々も流入していそう
46 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 22:48:27 ID:???
会津藩は新政府軍の電撃戦の前になすすべなしだな。 母成峠を破られると、翌日は十六橋を破壊できずに渡してしまい、白虎隊の悲劇もその翌日。
47 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 22:55:39 ID:+bwhY1ZW
映画「隠し剣鬼の爪」で庄内藩を模した海坂藩が最新式の元込め銃を装備 していて、「はて」と思っていたのだが、 史実でも庄内藩は近代火器で武装していたんですね。
48 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 23:08:35 ID:???
・優秀な野戦指揮官 ・金が唸るブルジョアジー ・郷土防衛(つかぶっちゃけ、徴税強化への恐怖)に燃えた義勇兵 …が揃ってるからな庄内。そら強いわ。 (石原莞爾を輩出したのもむべなるかな)
49 :
名無し三等兵 :2009/03/08(日) 23:31:42 ID:+bwhY1ZW
>>40 戊辰戦争経験者が日露戦争で軍司令官クラスで活躍するところも近代史の
魅力のひとつだな。
土方歳三は、あの散りざまが現代も人を魅了するんだろうけど、もし
命ながらえていたら、立見尚文みたいになっていたのかな
50 :
名無し三等兵 :2009/03/09(月) 14:24:45 ID:???
新政府軍の連戦連勝の影には散兵戦術もある 第一次大戦までは欧州の軍隊でさえ、密集突撃ドクトリンだったのに、 薩長軍は早くも少数の部隊同士の連携による、前進→他部隊の前進を援護射撃 →前進の交互躍進戦術を実行 おかげで使い方によっては一挺で一個旅団をも止めうるともいわれた機関銃(ガトリング)も形無し
51 :
名無し三等兵 :2009/03/09(月) 17:32:08 ID:???
散兵戦術は大村益次郎が提唱したんだっけ? 土方歳三も松前城攻略に似たような戦術とってるよね。 49の言うように戦死しなかったら立見尚文みたいになってた可能性は高いけ ど薩長出身の将校は居心地悪い状態になってたろうねw
52 :
名無し三等兵 :2009/03/10(火) 14:29:51 ID:???
>>50 >第一次大戦までは欧州の軍隊でさえ、密集突撃ドクトリンだったのに、
密集隊形、散開隊形とどちらもあったよ。
53 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 12:00:52 ID:GtGtgyaa
東北戦争を回避できなかったものか。
54 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 13:41:20 ID:???
>>49 >>51 どうかな?
新選組副長として、新政府側から恨まれていただろうから、近藤勇と同様に処刑された可能性
のほうが高そうな気がする。
55 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 15:32:15 ID:IEMQtQKq
>>53 奥羽越列藩同盟は世界状況を把握できて無かったと思うし、
借金塗れで今にも潰れそうな幕府を過大評価し過ぎてたし、
あの状況では完全に間違った判断したと思うけど、
官軍優勢となった瞬間に官軍に寝返った日和見の藩なんかより
よっぽど武士らしいと思うよ。
56 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 15:46:13 ID:???
鉄砲隊が被ってる変な三角の帽子ってどうゆう意味があるの?
57 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 22:45:17 ID:5wj55xt7
>>55 はげどう。
義に殉じた誠の武士だな。
だから俺は佐幕派が好きだわ。
58 :
名無し三等兵 :2009/03/12(木) 02:36:33 ID:???
タイミング見失って、人命、国土、名誉みんな無くしてしまったじゃないですか それを守れない軍隊に誠の義も道も無いと思う 因みに、広島とかの出身じゃないよ、おいらは神奈川県民
59 :
名無し三等兵 :2009/03/12(木) 06:24:14 ID:???
列藩同盟は別に義憤に燃えた訳じゃなく、 「会津ちょっと可哀想じゃね?」って感じで話し合ってたら 何となく成り行きで新政府と戦う事になっただけなんだが。
60 :
名無し三等兵 :2009/03/12(木) 07:04:29 ID:???
>>57 つか、佐幕派だって、既得権益を守ろうとしただけだろ
>>59 新政府が大バカモノを派遣してきたからね。
もっとも新政府は火をつける積りだったのかもしれんが。
62 :
名無し三等兵 :2009/03/12(木) 21:27:44 ID:???
63 :
名無し三等兵 :2009/03/12(木) 22:13:50 ID:t7v/VzkW
薩長のやり口=謀略はえげつない。
64 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 02:07:00 ID:WPDJvJLD
>>62 沖縄や広島など反戦思想が強い土地柄ってことっすかね
65 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 04:01:29 ID:???
醤油うこと。 そこまで考えがおよばなかったわ。 なら、判ります。
宮古湾のアボルダージュボールディングを語るスレは此処れすか
江差沖れ座礁した開洋丸に榎本武揚が頭を抱えてしまった話も此処れすね
69 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 13:56:53 ID:???
>>54 土方歳三の軍才は新政府でも認知されていたからどうだろうね。
難攻不落と言われていた宇都宮城をあっさり落とされたときは新政府軍もかなり慌てたみたいだし、
箱館戦争での二股口での縦深防御は後に防御戦の見本にされている。
それにもし土方だけを罰したら、榎本や大鳥の立場がなくなる。
それを危惧して無謀な突撃したっていう説も出ている。
自分の立ち位置や出来ることをしっかり認識していたってことかね。こういうひとが上にいる軍は強いし辛抱強い。
70 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 15:11:29 ID:GBqCxedD
乃木のかわりに203高地で
71 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 15:14:25 ID:???
いきのこっても薬売りになって石田散薬売り歩くぐらいだろ
薬効の成分は全く無かった雑草の事れすね
73 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 18:24:56 ID:???
偽薬効果と申します
74 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 20:02:17 ID:???
プラシーボ
75 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 20:05:04 ID:???
スパシーバ
76 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 20:08:20 ID:???
バクシーシ
77 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 20:09:18 ID:???
78 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 20:27:53 ID:???
どんな装填方式だったんだろう 傍装というからには元込め?
79 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 21:58:44 ID:???
安政以降、日本各地で製造された、火縄銃を雷管式に改装したものの一例と思われ。 火門から火縄で点火する代わりに、雷管を火門に装着して撃鉄で発火させる。 雷管の装着は「元込め」だけど、後は戦国時代以来の火縄銃となんら変わらない先込め式。 性能的にも小口径ゲベール銃といったところで、そんなに高級なものではございません。 在来の火縄銃に比べると、いくらか雨天に強いとか、面倒な火縄の管理がいらないのは利点。
80 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 22:16:57 ID:???
雷管をがつーんと叩いた衝撃で銃が揺れるから、火縄銃唯一のメリットたる命中精度 (火口がそっと点火薬に触れるんで銃が揺れない)があじゃぱーになっちまう意味なし改造とか、「狙うて候」に出てたような。 (西洋式銃床だと肩付け・握り・先台保持の三点支持で雷管叩いた揺れを帳消しに出来るけど、和式火縄銃だと肩付けなしの二点支持だからね)
81 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 00:26:46 ID:???
そもそも火縄銃って銃身にライフリングがないがただの筒で命中率悪いんだよね。
82 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 00:29:40 ID:???
>>81 ライフリングの有無と、発火方式は関係ない。
少数だが、ライフリングのある火縄銃も存在する。
83 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 00:35:34 ID:???
ただ時代的な必然で火縄が主流の時代はライフリングのない滑腔銃だったけどね。
84 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 02:01:35 ID:???
火縄式でミニエとか面白いなw
85 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 17:05:54 ID:xpPrNJWJ
御家人が主力の幕府軍が弱かったのは、太平の世で兵隊が貴族化したため。 装備は最新だったのに、将校が貴族ばかりで旧式のロシア兵にクリミアで散々やられたイギリス軍 みたいなもん。イギリスはこれに反省して売官と爵位に応じた軍位を廃止している。
86 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 18:30:03 ID:???
>>85 初めて聞いた。マジで?>>英軍の貴族化
でも英軍の改革がその辺から始まったってのは聞いたことあるような……
87 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 19:01:17 ID:???
幕府歩兵隊は幕府直轄地に住んでた農民を集めたんだっけ?
88 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 19:16:59 ID:???
手塚治虫の陽だまりの樹に出てきたな。 主人公の片割れが幕府歩兵隊の指揮官で農民兵を率いてた。
89 :
名無し三等兵 :2009/03/14(土) 20:11:40 ID:b0CSztjv
奥州戦争時の実戦経験を積んだ幕府歩兵隊と、西南戦争時の官軍歩兵と 同人数で戦ったらどっちに軍配があがる?
90 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 02:07:31 ID:???
個人的には佐幕派諸藩は兵の徴募がしずらかったのではないか思う。 幕末諸隊総覧なんかを見てると幕府歩兵隊とかみたいに中央主導で非武士階級 の徴募は有るけど例外的な印象があり、佐幕派諸藩だと少数であるのに対して 討幕派諸藩は非武士階級の徴募による隊の編成は結構有る。
91 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 07:54:47 ID:???
非武士階級の募集といっても、百姓にそれまで所持を禁止されてた火縄銃や刀槍を渡して 若干の近代戦術を施しただけだろw 戦国時代だったらかなり有効だっただろうが、幕末じゃ薩長の的にしかならなかっただろう。 講武所上がりの若手の師弟に、近代兵器を与えて鳥羽伏見に総力を充ててたら薩長に勝てたかもね。 そもそも鳥羽伏見の敗因は、幕府軍というより日和見主義の藩の兵を使ったため、錦の御旗を見て戦意を喪失したり 寝返ったほうが自領に都合がいいと判断されたりしたため。 徳川氏は260年経って関ヶ原の意趣を返されたといえる。
92 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 12:02:46 ID:???
けど戦国時代さながらの編成、装備、戦術からぬけきれない家臣団よりも 農民を集めて西洋式訓練を受けさせたほうが明らかに強いだろうに。
93 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 14:47:51 ID:???
94 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 15:06:20 ID:???
幕府は徴募した兵に旧装備を支給したが、薩長は新式銃をポーンと気前よく与えたよ
95 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 21:07:06 ID:???
>>90 藩政次第だね。
会津は裏づけなしの藩札乱発して領民から見放されたが、庄内じゃ天保義民一揆の時と同じく農工商の義勇兵がわらわら出たぞ。
おまけに本間家がどーんと買い付けた中古良質兵器の支給もふんだんだ。
96 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 22:27:31 ID:D/Xb8nQ2
>>91 いや鳥羽伏見の敗因は最終段階では裏切りの要素もあるが、
兵の装備・士気の問題でもなく、作戦の拙さと指揮官の無能に依るものだろ。
家柄だけで戦術を理解せず逃亡するような臆病無能指揮官の指揮下に、
戦闘を予期せず武力威嚇のつもりで無警戒に縦隊のまま進んだ無策では
勝てる道理がない。
彰義隊の敗残兵って日暮里の団子屋んとこに服を置いて逃げたらしい。 ベルリンから逃げるSSみたい。
>>96 幕府側の作戦は「とりあえず包囲する」だからね。
新政府がそれを妨害するとは思ってないのがすごいw
99 :
名無し三等兵 :2009/03/15(日) 23:04:53 ID:9ENIccS5
しかしね。片方閉じてる筒にライフリング切る技術があって、どうして後一歩先が見えなかったんだって話にならない?
ん?片方閉じてる筒にライフリングを切って、閉じてる側に縦にネジ溝を切って、 下に取っ手が付いてる特大のネジをそこにねじ込んで閉塞する…ってライフル銃なら、 1770年代に英軍大尉が完成させて、アメリカ独立戦争でジョージ・ワシントンを危うく吹っ飛ばすとこだった。 大尉が戦死したんで沙汰止みになったがね。
>>100 ファーガスンライフルのこと?
あの後装銃って実用的に使えるような代物だったのかね?
白虎隊の服装は時代劇では上半身は軍服(洋装)で下半身は袴だったり 上下洋装(下半身はズボン)だったりするけどどちらが正解なんだろ?
旗本で戦死した人ってあんま聞かないよな。
ファーガソンライフルの発射速度ってどんなもんだったんかね? 毎分四発より早く打てたのかしら。
106 :
名無し三等兵 :2009/03/16(月) 22:46:56 ID:QPkhpwfm
旗本の子弟(二三男)は彰義隊に多く参加してるから死んでると思う。 彰義隊の制服って確か新選組を模した奴だよね? 色は何色だったんだろう、やっぱ水色かな?
>>102 服装はあまり統一されてなかったらしいから、どちらも正解では
108 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 00:35:39 ID:OP3OycMz
>>102 一応、黒ラシャの洋式軍服が基本だったらしいが、履き慣れないので
袴にする隊員が結構いたということだ。
名前忘れたけど、迷彩効果を狙って草色の服装を仕立てた隊士もいた
>>104 ネット上の資料だと、だいたい毎分六発程度との事。
雨風にも比較的強かったそうなので、世が世なれば横隊戦術を崩壊させ、ナポレオン戦争時の
戦争形態を一変させたかもね。
徳川慶喜が、小栗忠順の作戦を採ってたら、歴史は変わっていたかな
>>110 つか、あの将軍の腰が据わっていれば、誰が軍師でももっとまともな戦ができただろうよ
112 :
名無し三等兵 :2009/03/18(水) 22:33:07 ID:sxUXTnHZ
だな 旧幕府軍敗北の最大要因は腰抜け慶喜の責任
豚一さん
そして泥沼の内戦で諸外国の介入を招くと
鉄道敷設権や幕領の鉱山採掘権を担保に軍事費借款とかありそうで怖い。 幕府がこれらの利権を手放したらイギリスが寝返る可能性も充分に考えられるし
天草の祖借は薩摩←英国の話でしたけ
>>116 kwsk
ぐぐっても全然引っ掛からんかった
手元の書籍にもそんな話出てないし
長崎を99年租借させて、今頃香港みたいになってたりして…
やっぱ軍板でこの時代のスレは伸びないかー
>>119 えー 良スレだよー
毎日読んでる
ただ レベル高すぎて、自分では書き込みできないだけw
121 :
名無し三等兵 :2009/03/19(木) 23:39:34 ID:ty80UFER
>>120 おまおれ
俺も楽しみにしてるよ
高レベルの人たちのレスお待ちしてますw
122 :
名無し三等兵 :2009/03/19(木) 23:58:42 ID:e2odlqUo
>>110 西軍を箱根以西で阻止することはできただろうな。
そして海軍力を活かして西軍の補給を絶って、大坂・京都を奪還。
ただし薩摩・長州の二大雄藩を攻めたところ、第二次長州征伐以上の打撃を
受け、ますます幕威は低下。結局、討幕派がまた勢いを盛り返す。
まあ明治維新は2〜3年遅れたかもしれないけど。
ところで旧幕府軍逆転のイフを語る際に重要ファクターとなるのが幕府海軍
だけど、第2次長州征伐や阿波沖海戦、榎本艦隊の遭難などを見ると、実際
に役に立ったのか疑問なんだが。
鹿児島に攻め込んだところで、対英戦を経験している薩摩軍に返り討ちに
ならんだろうか。
>>87 初期はそう
年季が明けるて欠員が出ると口入屋を通してやくざまがいのチンピラが入ってきたけど
北陸で暴れてた幕軍の主体はこれ
>>94 確か薩摩では新式銃をローンで家臣に買わせてたような・・・曖昧
124 :
名無し三等兵 :2009/03/20(金) 07:15:16 ID:uFIHz+N2
ここまで幕府海軍の話題があまり出てきてないようけど、当時の訓練度はともかく、 装備は世界最新式の蒸気スクリュー搭載型だよ。これは黒船の外輪式蒸気船より高性能で、クリミア戦争で その戦果が確認されてから主流になったばかりのもの。 しかし、何で宮古島海戦とかで乗り込んで斬り合いとかしちゃうのかなww
>当時の訓練度はともかく >何で宮古島海戦とかで乗り込んで斬り合いとか 何という宝の持ち腐れ
幕府海軍の主力艦開陽は宮古湾前に失われてるのでは? というか開陽を失ったから宮古湾で切り込みを仕掛けた訳で。
甲鉄艦って写真見るとモニター艦っぽいね。 わざわざリスク犯してまで奪取するほどのフネではなかったような気がする。
いやいや 函館最終海戦で、その甲鉄艦に榎本海軍は壊滅させられてるし
甲鉄って、元々幕府が発注した船じゃなかった?アメリカの局外中立か何やらで、明治政府に横取りされたような気がするが
>>122 新政府軍主力の中仙道部隊はどう阻止する?
>>129 南北戦争で南軍が建造→完成した頃は終戦で余り物→
日本にでも売りつけるか→局外中立条項があるから幕府には売れん→
明治政府を正当政府と認め、これに売却する
というかなり複雑な経緯
東に改名したのは、戊辰戦争が終わった後だっけ
>>133 ストンウォ−ル→甲鉄→スフインクス→東
↑
戊辰戦争
だったかな。
小栗上野介は東海道沖に幕府海軍を並べて東征する官軍に砲撃を浴びせる作戦を主張してました。 恭順派の慶喜が反対して取りやめになったけど。 後にこれを知った大村益次郎は恐れおののいたとか
>>116 長州は関門海峡にある彦島の租借を要求されて高杉晋作が交渉して中止させたんだよな。
そもそも、わが国神州たる由縁によってうんぬんだっけ?
>>124 幕府艦隊って何か台風で自然消滅してるような印象しかないな……
神風が吹いたのだ!
>ここまで幕府海軍の話題があまり出てきてないようけど、当時の訓練度はともかく、 >装備は世界最新式の蒸気スクリュー搭載型だよ。これは黒船の外輪式蒸気船より高性能で、クリミア戦争で >その戦果が確認されてから主流になったばかりのもの。 と言っても、「幕府軍最強」の開陽は外輪だからねー。 速力も12ノットで、16ノット出せる春日に逃げられちゃうし。 ぶっちゃけ、実戦に出ても微妙だったかも知れない。
>>140 開陽はスクリュー艦だぞ、別の艦と勘違いしていないか?
>141 げ、数年来ずっと勘違いしてた。 吊って来よう……。
どっちにせよ開陽は宮古湾海戦前に喪失
外輪は「回天丸」だね
開陽は復元されたものが江差にある。 沈船から引き上げられた品も展示されおり、一見の価値あり。 ただ残念な事に、とても寂れていた。
>>145 榎本が主人公のドラマでも作られればね…。
かなり面白い人なのになんであんなに粗略な扱いなのかよくわからん。
明治政府に任官してからも大爆笑な話てんこ盛りの人なのに。
>>146 日テレの年末時代劇だかで「五稜郭」ってのがあったな。
白虎隊もリメイクしたんだから、こっちも何とかならんもんか。
白虎隊は日本テレビとテレビ朝日のそれは作品のコンセプトが違うよな。
>>147 リメイクの方はスナイドル銃の装填シーンとアームストロング砲の装填シーンだけが良かったw
白虎隊員のスナイドル
>>150 いや新政府軍の方。
山本八重子のスペンサーはガチ?
>>147 里見浩太朗のやつ?
あれは実物のイメージとかけ離れてたよね。
渡哲也の土方も何とも言えんものがあったが…。
袴の女性がなぎなた持って戦ってる場面に萌えたな。 俺に向かってなぎたを振り下ろされてみたい。
真っ二つにされながら社製するお前が見えた 殺されプレイなんて究極のマゾだな
時代劇見てて男が女性剣士に斬られる場面に勃起した。 学生時代、弓道部の女子部員を見て友人に「写真撮りたいな」と言ったところ 「射られるぞ」とい言われて言葉に反応してしまった。 同じ袴フェチというジャンルでも巫女フェチの連中は俺を理解してくれない。
佐々木三冬とか壬生屋未央とかに萌える訳か。判らんでもない。
>>152 今から考えれば金はかかってたからそれなりだったけどね
最近の時代劇の質の低いこと
視聴率低下 ↓ 予算低い ↓ チープ化 ↓ 見ても楽しくない ↓ 視聴率低下 ↓
160 :
名無し三等兵 :2009/03/21(土) 02:50:54 ID:WrOh4xkh
NHKの大河ドラマは戦国モノの合戦シーンには力入れるのに、幕末モノの 戦闘シーンはすごいチャチなのね。 「翔ぶがごとく」とか「新撰組」とか鳥羽伏見の戦闘シーンのお粗末さに笑った。
幕末物の戦闘シーンというとるろ剣の追憶編OVAはえがった。 池田屋とか鳥羽伏見とか。
幕末も、戦争描写はアニメが実写より良いってことか 戦国時代の合戦はクレヨンしんちゃんが一番熱いもんな
大村益次郎の話はOKか? 第二次長州征伐とかあの人は日本の参謀いや世界でも最高クラスだと思うぞ
自分の中の幕末の有名人のイメージが全部風雲児達になってしまう・・・
>>164 あれはなぁ・・・
歴史に忠実でとても好きだけど
ところどころに美化されてるところが気になる
西郷隆盛とか・・・坂本竜馬とか
これからの超黒西郷をどう書いていくきだ?w
>>165 まあその辺はねえ。
あくまで漫画であって歴史資料ではない訳だし、
エンターテイメンとよエンターテイメント。
幕末はドラマもアニメも司馬遼太郎の歴史小説の影響受けすぎだもんな。
スペンサー、ゲベール、シャスポー銃等々の違いを、素人の俺に教えてエロイ人!
>>168 先ずはググりましょう!所で大鳥圭介達が使用した小銃って、シャスポー銃じゃないとしたら何だろう?タバティエール銃?
170 :
名無し三等兵 :2009/03/21(土) 09:37:19 ID:AuWevE/1
>>169 最新鋭のシャスポーは弾薬の補給ができなかったから、その後は先込め式の
ミニエーになったと聞く。
171 :
名無し三等兵 :2009/03/21(土) 09:46:51 ID:AuWevE/1
>>163 ちょっと大げさでない?
基本的には洋式戦術を少しかじった蘭学者でしょう?
戦国時代そのものの幕府軍相手には優れた参謀だけど、世界的にみてはどうかな?
まあ、幕末の風雲を切り抜けた青年武士が、日清日露戦役では世界的指揮官に
なっているから、命ながらえていたらどうなったか分からんけど。
>>171 おいおい大村がとったゲリラ的戦術は今でも通用するぞ
少なくとも・・・いくら装備が幕府より新しくなったとはいえ
あの程度の装備の差で1000ちょいの兵力で万を超える兵をやぶるなんてマネは
俺には絶対できない
戦後、転身し出世した代表と言えば、海の榎本武揚 陸の大鳥圭介で良いかな?
>>171 大村は学んで実行したというより自身のひらめきというか発想で実行したよう
に思えるんだが。
幕府側の土方や石見と並んで天才肌だったんじゃないかと思うが。
大村益次郎は大河ドラマにも昔なったな
>スバリ、モニター艦だよ。 嘘つけwwwwwwタンブルホームのフレンチ・キュイラッセだよwwwwwwwwwww
>>174 そりゃそうでしょ
効率を考えた上で集団的戦いよりは散発的にやったほうが効果的と考えたんだから
178 :
名無し三等兵 :2009/03/21(土) 17:05:52 ID:clL8HWt0
浅田次郎の「五郎治殿御始末」の最後で、旧桑名藩主が旧藩兵を 率いて西南の役に参戦したっていう下りがあるけど、巡査隊などの政府の 軍・警察組織ではなく、旧藩の武装組織を率いて官軍側で参加したって ことなの?
>>174 大村が洋書から学んだのは戦列作って兵を進退させる戦術の方だと思うんだが、
実際に行ったのは散兵使って火力で圧倒する戦術らしいんだよね。
やっぱ独創の部分は多いんじゃないか。
>>178 もう鎮台が出来てるから松平定敬以下藩士丸ごと軍隊入りした形だと思う
>>180 立見少佐に会ったらやっぱり敬礼したのかさせられたのか…
>>178 >>180 少し違う。鎮台の徴集兵だと抜刀術で薩摩士族に及ばないんで、
官軍が旧士族(とりわけ会津・仙台・庄内・桑名など戊辰役の佐幕側)から
「警部・巡査」として募集した新撰旅団に、旧桑名藩士の志願者を率いて加入してる。
まあ旅団参謀長の立見尚文みたいにこの機に軍に戻った人もいるけどね…
>>182 調べたら警察隊にいた立見に従えという命令が定敬に出てたのね
適当なレスしてしまった
大村益次郎て弾道の計算式で欲情できる人?
185 :
181 :2009/03/21(土) 20:22:04 ID:???
>183 うお、酷な命令だな…
> ? 松平定敬 旧桑名藩士に立見尚文に従い義勇奉公せよと下賜う >5月21日 立見尚文 三重県出張を許され募兵活動に入る これは、定敬が元藩士に向って「立見に従え」と命じて居るように読めますな。 でもwiki見ると定敬が率いて従軍しているようにも読めたり。 何が何やら
>>179 散兵戦術も当時すでにあった。両方を学んで、縦横無尽に応用したのが大村の強みでは?
一方、幕府軍は戦列で突っ込んだ。
>>188 さらにいうならその洋式とやらのお手本である
フランスやらイギリスもww1で重火器に戦列なしてつっこんだ
しかもやめりゃいいのに何度も何度も
190 :
名無し三等兵 :2009/03/21(土) 22:32:21 ID:3LHKP6k/
鳥羽伏見の戦いの戦死者、東軍270名、西軍60名。 日本戦史上に残る天下分めの決戦だけど、スケールは小さいのね。 まあ、参加者が東軍1万、西軍4〜5千くらいだから、相応なんだろうけど。
そんな少ないの? てか最初から掃討戦みたいなもんだからなあ
架空小説では、ガトリングガン大活躍で鬼畜薩長軍退廃
でもあの当時のガトリングガンって運用が難しいんだよね。
航空機関砲として復活するまで一度廃れた兵器だからね
>>190 そりゃ旗があがったときに総崩れしてるからね
196 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 01:44:39 ID:eOX8G+jc
>>190 考えてみりゃ、総兵力で優るとはいえ、幕府側でまともに戦ったのは、
幕府歩兵と会津・桑名・新撰組や見廻組程度だったから、
そういう敢闘した部隊では死傷率がぐんとあがるわけか。
新政府側も薩摩・長州だけで数十人の死者が出れば、当時としては相応の
死傷率だったのかも。
それに鳥羽・伏見はほとんど銃撃戦だったから、あの程度の戦死者数だったのかな。
どうも時代劇に出てくる組んずほぐれずの合戦シーンや、弾雨の中を突っ込む
近代の銃剣突撃などをイメージしてしまうから、鳥羽伏見の死者を少なく感じるが。
幕府側の死傷者の中のほとんどは 新撰組だったりするかもねw
198 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 02:00:56 ID:eOX8G+jc
歴史のイフで、鳥羽伏見か箱根で幕府軍が勝ったとしたら、その後どうなったか。 第三次長州征伐。増強された幕府歩兵と海軍、西洋火器を取り入れた佐幕諸藩に より三度目の正直で長州屈服。 つづいて薩摩征伐。なにしろ家康もあきらめた宿敵で、それに長州残存部隊も 加わって激しく抵抗。長期戦に。西郷・大久保らを処分するかわりに、領地を 安堵する形で講和か? 歴史は大きく変わるが、戦いの中核になった幕府陸軍では武士が役に立たない ことがあらためて立証され、身分制崩壊につながり、結局近代国民軍創設に つながるのかな。 かなり強引な想定だが。 でもやっぱり薩摩を屈服することはできないだろうな。幕府が明治10年の 西南戦争当時なみの軍事力を持っていれば別だけど。
黒鉄ヒロシの新撰組だったかな? あれの話だと 新撰組の周りの連中は 大砲や銃撃だけで薩長軍に近づく 前に死んでるんだろw ほとんど戦国時代並みの武器しか もって居なかった訳だしw
200 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 02:07:20 ID:XAxS8jEB
>>198 つうかもともと明治維新自体
佐幕派と討幕派との近代化政策利権
の奪い合いにしか過ぎんからな
もともと小栗上野介が近代化政策の
青写真書いてた訳で、結局それで
薩長が利権と権力を握った訳だが
大正期になって冷や飯食わされていた
東北北陸信越出身の連中たちが
薩長閥を倒した勢いで暴走して
太平洋戦争まで行く訳になった訳で
>>198 個人的にはTVとか小説、教科書に出てるそこら辺の歴史観って未だに自分の
認識とかみ合わないんだよなぁ。
例えば、佐幕派の部隊が未だに戦国時代そのままだったり討幕派が薩長ばっか
で諸藩の動向や隷下の諸隊が描かれないなぁ。
>鳥羽伏見の戦いの戦死者、東軍270名、西軍60名 えっ、そんなに少ないの? 東北では仙台藩は1000人、会津藩は3000人も犠牲者が出ているというのに。
戦意が高いとかえって犠牲が大きくなるのかもな。 でも仙台藩ってなにかしたっけ?
自国領内に引き込んで、迎撃戦を展開すれば当然そうなる 慶喜と昭和天皇は最後の最後で回避出来たが、東北諸藩はやり方がまずかった 一撃講和論なら、防衛線は自国領の外側に設定、戦いの目的を統一し、 交戦の主導権を握らねばならないし 和を請うなら、藩主布告による自主武装解除、開城、自身は上京位の パフォーマンスが必要
佐幕系作家のif小説なら、甲鉄奪取成功で勝負あった!となるのは言うまでもない。
>勝負あった!となるのは言うまでもない。 その口調の人なら 「鳥羽伏見の戦いで新選組が騎兵になって御所に突入して天皇奪取」 とゆーのも有ったなw
>>203 仙台藩は白河戦、平潟戦、相馬戦と随分奮戦してますよ
ドンゴリのイメージが強かったが……そうなん?
秋田の弱さはガチ
210 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 21:54:45 ID:5m0hG59M
>>202 三日間程度の鳥羽伏見に対して東北戦争は期間も長いし、東北諸藩にとっては
本土決戦だから、犠牲者も膨大になる。
戊辰戦争で東西両軍あわせて1万人近くは死んでいるわけだから、国内戦としては
やはり規模が大きいな。
そう考えると戦国期の関ヶ原、大坂の陣の両軍あわせて10数万レベルって
当時の人口を考えるとやはり過大だなあ。関ヶ原、大坂が最大レベルって
いっても100年もそんな戦争していたら、江戸時代の繁栄とかなかったんじゃ
ないの?
源平合戦でも数万の数が出ると、ますます怪しい。
211 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 22:03:53 ID:r7FWMRmn
>>207 奮戦っていうか負け続けてたんだけどねw
仙台兵の惰弱さは同盟軍内でも馬鹿にされてたし。
仙台はそもそも藩論が統一されていなかったが 一部の強硬派が押し切る形で戦端を開いた。 古い知行地制が残っていて藩主への中央集権が進まず 内高100万石といわれた国力も上手く近代化に反映されなかった。
細谷十太夫激怒
ドンと大砲が鳴れば五里逃げるの意味で「ドンゴリ」と呼ばれる程、士気が低かった イタリア兵が砂漠でパスタみたいに「兵隊民話」じゃねーのとか思ったり
ついでに津軽藩が早々に裏切って他の藩に攻め込んだのでそれも早期瓦解に影響した。 あそこは根っからの裏切り者の血が染み付いてるらしい。
まぁ・・・元々 慶喜は朝廷とだけは敵対しないようにしてたし 錦の御旗があがった時点で勝敗は決してた 出来レースもいいとこ
大政奉還の時点で将軍職返上は当然として慶喜の徳川宗家当主の地位はそのまま?
218 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 23:12:05 ID:Xo6i7siZ
許せんのは藤堂家。さすが藩祖が主君替えが得意だっただけある。 徳川四天王の彦根は井伊直弼暗殺後の幕府の対応に恨みがあったんだっけ。 長州征伐では先陣の役目を果たしているけど。 ところで戊辰戦争で東軍・西軍どちらを贔屓するかって、自分の地元がどこ であるかってのが、現代でも大きいよな。 俺は天領多摩の出身だし、じいさんは江戸っ子だったから、どうしても 東軍贔屓になる。映画の影響がやっぱり大きいけどね。
219 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 23:14:46 ID:U0dV4lLx
まあこの時代最強は大鳥の率いる伝習歩兵隊だろうな
>長州征伐では先陣の役目を果たしているけど。 広島口から入って撃退されたんだっけ? あれを果たしていると言っていいものかどうか…
>>217 そのまま
宗家は慶応4年の4月に田安家が継ぐ
>>218 確かに
うちは先祖が新潟だからついつい幕府側
先祖は水戸藩なんだけど、どっちなのかな・・
>>222 水戸か・・・
水戸って最低最悪の幕末の混乱の元凶じゃん
東西どっちにも嫌われる存在じゃないの?本来
美化されたからなかったことになってるけど
>>211 3方が同盟軍という悪条件と兵力不足が敗退の原因で、藩兵の惰弱さ等では無い。
兵員不足の秋田藩はこれを補うため非武士階級の徴募で数隊を編成したが、こ
れをもって秋田藩兵が惰弱とは言えない。
良くも悪くも秋田藩の藩論を勤皇にシフトさせた吉川親子が編成した部隊も庄
内藩に対する反撃で目覚しい活躍をしている。
>>223 水戸藩自体が泥沼の内乱になってしまい、攘夷派と佐幕派の凄惨な報復合戦に
明け暮れてガタガタになってしまったからねぇ。
嘘か真かは知らないけど地域対立の遠因となり未だに尾を引いているとか。
安倍が斉昭を懐柔しようとしたのは やはりまずかったかもな あんなの言わせておけばいいのに
>>210 戦国時代は合戦があっても発展し続けてたから、
合戦があったから荒廃していたという訳では無いのでは?
近現代の戦争なら荒廃する所だろうけど
228 :
224 :2009/03/23(月) 00:19:00 ID:???
あ、仙台藩の話だった。 スマン
>>227 少なくとも武田や上杉に侵食された地域は
悲惨なことになってたのは確か
残兵、農民問わず片っ端から売り飛ばし
金目のものはかたっぱしからかっさらっていったからな
武田の通るところはペンペン草も生えないといわれるくらいだもん
230 :
名無し三等兵 :2009/03/23(月) 00:24:48 ID:NgezrWHr
意外と伸びるスレだなあ。 やっぱ戊辰〜西南戦史は面白いしなあ。 世界的にも兵器革命の時代だし。 甲冑の武士もいれば洋服の兵士もいて、火縄銃もあってライフル銃もある。 新旧様々な価値観が入り乱れたカオスな時代だもんな。 俺は、土方歳三の洋装姿に幕末のカオスが象徴されていると思う。 現代とつながりを感じられる時代でもあるし。
231 :
名無し三等兵 :2009/03/23(月) 00:27:34 ID:NgezrWHr
>>227 考えてみれば土地の奪い合いだから、相手の領地を破壊しては意味ないな。
奪ったあと統治しなければいけないから。
その点、民族紛争とかとは異なるわけか。
232 :
名無し三等兵 :2009/03/23(月) 00:27:43 ID:iXjzMX0f
>>210 山本七平が書いていたが
日本の合戦の多くはほぼ一日長くて3日
位で終わる、これは欧州の戦いと違って
非常に短い訳だ、欧州の場合は戦いが
長いそうだ、だから日本には30年戦争
見たいな荒廃が起きなかった、そして
戦いが短い分、インフラや農耕への
影響が少なかった
西南戦争といえば 補給重視だったがあまりにも消耗しそれにびびったので 以後・・節約精神論路線に切りかえたのは有名な話 決定打はww1の欧州弾薬消費量を見てだけどね
俺は、天領多摩生まれで天領横浜育ち、こないだまで横浜の奉行所の 跡地にあたる所に住んでたけどだけど 基本官軍の立場で歴史を捉えることが多いな でも、慶喜さんは好きだ
>>232 それは、戦闘と戦争を混同していないか。
三十年戦争だって、三十年間合戦を続けていた訳では無いだろうに。
>>232 欧州の長期遠征は、実際には決定的戦闘というのは少なくて
敵地の徴発や略奪を繰返して、国家機能を奪うとか
だんだん軍団組織が大きくなってくると、長期駐屯も出来ないので、
イナゴのように荘園を青田刈りして回って困らせて、講和させるとか
日本とはやってる内容が全然違うんだよな
>>236 日本の合戦は基本的には相手の領地を略奪だからなぁ
相手を殺すことが主眼だし
>>224 や、秋田藩の弁護は余り聞かないので参考になりました。
確かに、周囲敵だらけ・強豪庄内藩の攻撃を真向から受ける苦境
なのによくやったと思いますよ。
239 :
名無し三等兵 :2009/03/23(月) 01:29:58 ID:NgezrWHr
>>233 西南戦争は火力で薩摩士族を制圧したわけだし、元々火力主義のドイツ陸軍を
範としているので、日露戦争までは火力優先だったと聞く。
日露戦争の消耗戦にびびって火力重視には国力から限界があると悟り、
白兵至上主義になったんでは。
あと、白兵戦ではロシア軍の方が強かったのも白兵重視の原因か。
考えてみれば薩摩士族の抜刀攻撃に狼狽した平民出身兵が四半世紀程度で
白兵戦に強くなるわけないか。
240 :
名無し三等兵 :2009/03/23(月) 01:54:43 ID:iXjzMX0f
>>239 いたどちらかといえば
第一次大戦で火力重視の殴り合いが
行われていたのに、何故か浸透戦術
の方が効果を上げてしまったのも大きな
原因だと思うぞ、それを中国で実践して
大成功したからな・・・・・・
>>239 日本は白兵至上主義ってのは実際ちょっと違うと思うよ。
WWTの塹壕戦こそ経験していないが、仰るように日露戦争で
機関銃を装備した敵陣地攻撃は経験してる。
その経験は、浸透戦術を含む教義へ発展していて、上海戦、一号作戦など成功している。
だから、白兵突撃一辺倒というイメージは間違ってる。
火力、機動力、兵站力に劣るのは経済的な制約事項で、仕方ないが、
本当に白兵至上主義であれば、兵力規模自体が重要になるけど、
火力不足を兵数で補うにしては、徴兵規模、期間、再訓練期間ともに不足気味。
ちなみに悪名高い歩兵操典(昭17)だと、火力で十分敵にダメージを与え、ヘロヘロになったら銃剣で追い払うとある。 実は白兵主義だったわけでは無い。みんな貧乏が悪いや…
貧乏というか日中戦争が悪いとしか。 39年には既に財政破綻してるだろあれ。 あと、問題は将校連中が状況を余りにも主観的にしか把握できなったことじゃなかろうか? これって多分フランス軍を研究しすぎたせいだと思うが。 反知性主義とかマジ自重しろ、と。
今の韓国みてると とても日本とかぶるんだよなぁ 戦前の 韓国版真珠湾攻撃してきたら完璧だがw
まあ、開拓されたフィリピン見て「ジャングルには食べ物いっぱい!これでかつる!」だしなぁ。
アグロフォレストリーとジャングルを勘違いしていたのかw
>>225 >嘘か真かは知らないけど地域対立の遠因となり未だに尾を引いているとか。
ないない。会津と長州じゃあるまいし。茨城県内に地域対立なんてないよ。
ただ、維新後なっても、天狗党のゆかりの人が旧諸生党に復讐して、陰惨な状態になったってことは聞いたことがある。
何にしても、水戸人が歴史の表舞台に立ち損なったのは、水戸市民としてなんとなく残念。
>>247 まあ当時の水戸藩は周りじゅうから嫌われてたからな。
ていうか水戸に関しては 今の境遇を感謝すべき 表舞台に立つってことは全国に無条件で嫌われることだから 幕末に絡まった問題の数々は全部水戸に行き着くからな
その後常磐線方面は関東で最も寂れた つくばエクスプレスでようやく東京に繋がった
252 :
名無し三等兵 :2009/03/24(火) 05:43:24 ID:EUuOE9/v
38式も銃剣突撃のためにつくられたというのも都市伝説だもんな。実際は6.5ミリ弾の乱射でロシア兵の突進を 破砕するため。西南戦争以来の自軍兵士に対するコンプはぬぐいがたいものがある。同時期のアメのM1903は銃 剣突撃に刺突しやすいようにストックの形状整型がなされてる。
幕末における水戸藩のカオスっぷりは凄まじいからな。 尊皇攘夷の先陣を切ったはずが、気がつけば中央の情勢そっちのけで ひたすらお家騒動やってるようなもんだからな。 しかも通常お家騒動は最終的には幕閣が裁定するもんだが、 井伊大老暗殺後の幕府の弱体化と、御三家という変に口出ししにくい立場から、 誰も間に入って収める者がおらず、主君筋の命もガン無視して 最後までグダグダ状態のまま、気がつけば維新を迎えていたという・・・。
>>253 まぁ御三家じゃなかったらとっくに
改易くらってたろうけどねw
安神車(笑) 太極砲(笑) 神発流(笑)
斉昭は本当に 異国に勝てると思っていたんだろうか 斉昭は留学としょうしてイギリスに行く気まんまんだったらしいが 実現してたらどうしてたのかは興味あるな 岩倉具視みたいに一気に考えを改めるんだろうかw
兵学書の翻訳に多大な貢献をした箕作阮甫先生のこと、たまには思い出してあげてください…
258 :
名無し三等兵 :2009/03/25(水) 20:03:05 ID:qa0Ty3Mn
ところで芹沢鴨が新撰組に従わない豪商の家をブチ壊すのに使った (ポンペン砲)ってどんな物なん?土倉の壁も貫通できない程度のもの だったけど黒船来航の時は多くの藩がこれを持ち出してきたそうだが・・・
>>258 ポンペン砲は青銅製の大砲で先込め式の銃のデカイ奴だと思えばいい。
発射薬を砲口から装填し焼き玉にした鉄球を装填。
焼き玉の熱で装薬を発火させて発射する大砲。
韮山砲とちがって操作が簡単で特別な知識を必要としないのが長所。
木製の台座に据えて使う事が多かったらしい。
ポンペン砲を使ったっていうのは司馬遼太郎の創作みたいだけどね。
>青銅製の大砲 反射炉以前の技術か・・・
司馬遼太郎で大砲ネタとくれば「おお、大砲」を外すわけにはいかんだろう!w 短編の中で一番好きな話だ。かっこいいぜブリキトース砲。
262 :
名無し三等兵 :2009/03/26(木) 23:55:39 ID:rfnpxFf9
良スレage
263 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 11:10:10 ID:Xx/6/20o
子供のころから思ってたんだけど 薩長方が被ってる赤とか白の毛 って何なの? 威嚇?おされ??? すげーファンキーかつパンクw
しゃぐま と呼んでいた
265 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 11:23:47 ID:Xx/6/20o
>>264 d
へー そういう名前だったんだー
ちょっとググったけど
毛がモサモサしてるもの 的な感じ?
伝信玄像のアレも同じに見える
基本は同じっすよ。 動物の(クマ)の毛で作っただけですから。 赤毛、黒毛、白毛の3種あり。
267 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 12:04:10 ID:bK5pyZyH
権現様か貯えておいたヤクの毛ですぜ、江戸開城で現地調達した代物。薩摩が黒、毛利が赤。土佐が白だったはず。
へー みんな物知りだなー じゃ、元々は幕府の所蔵品だったのか 幕府方は被らなかったのかな? なんかドラマとかだと 薩長方:黒の洋服に赤毛 幕府方:袴とハチマキ なイメージ
秋田の殿様は関ケ原の時に日和見してたら秋田に左遷させられた末裔なんで津軽とは事情がちょっと違うから
/^l'"'"~/^i''''''ツ'ッ., ヾ ヾ ミ ´ ∀ ` 彡 ッ _ ミ (´彡,. (,,_,ノ" _,,.ヽ "'"'゙''""''''゙""´´
272 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 15:25:18 ID:kRV7r3wX
道民だが蝦夷共和国の夢未だ諦めず つーか建国許可ってどこでもらうの? あと海軍がないから青森も編入する
つーか建国して何のメリットがあるわけ?
274 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 16:00:41 ID:kRV7r3wX
労働力不足と、そう言いたい訳ね。 しか機械化以前に軍隊養うだけの人口を得るのはまあ難しかろうな。
まだ北海道が未知な部分もあったからだよ フロンティアスピリットだ
多分道民という名の朝鮮人なんだろうな こいつw
それだったらトーホグも独立するだ 奥州連合万歳!
手回しガトリングを河合が回してる展示があったのどこだっけ
レッツ、グリペン
東北は譜代と外様の思惑が色々あって、薩長っていう敵がいないとまとまらないよ。
282 :
マーキー :2009/03/27(金) 22:08:11 ID:BHcxtsyB
ところで、当時諸大名家にも洋式部隊があった筈ですが、具体例を教えていただけると嬉しいです。
河井継之助がラストでガトリング砲を乱射する幕末版ワイルドバンチが観たい
284 :
マーキー :2009/03/27(金) 22:16:00 ID:BHcxtsyB
仙台の額兵隊なんてのは有名ですが、松代藩とか、黒羽藩とか・・・
河井継之助とガトリング砲のセットが100組あれば官軍などには・・
>>283 あれってようするに
重機をそえられた簡易陣地状態になったんだよね
ぶっちゃけ今で考えれば稼動範囲はかなり極端に狭かったはずだから
迂回すりゃしまいな話だったんだが
288 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 23:13:27 ID:MlG6tGon
>>138 >>139 開洋丸、神速丸、美加保丸、長崎丸二番、さらに拿捕された咸臨丸も含めて
計5隻を悪天候のために失っているね。
289 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 23:17:12 ID:O0gg8uD2
>>285 アームストロング砲の飽和攻撃で
全て敗れます、あれは市街戦だったから
よかった訳で
逆に聞くけど連日何千発だっけ? 鶴ヶ城にアームストロング砲を1か月もぶちこんどいてあんな半壊程度なの?
大砲は行軍の関係から大口径の奴を持ち込めなかった為らしいけど
戊辰戦争を戦った人々はほとんどの人が日常的に日本刀(真剣)に慣れ親しんでるんだよな。すごいな。
>>292 支那事変と太平洋戦争を戦った殆どの将校も、真剣に慣れ親しんでるよ
>>292 なんていうかww1-ww2の日本兵は
ほぼ全員日本刀標準装備ですがなにか?w
>>289 野戦で長射程が生かせる条件だったら機関銃は大砲の散弾、榴散弾の直接照準射撃で一方的に叩かれるだろうな。
機関銃は第一次世界大戦までは火器をほとんど持たない土人相手ならともかく野砲を大量に運用するヨーロッパでは
役に立たないとの意見もあったぐらいで。
むしろ銃火器の偉大さを忘れてるよ
>>294 日本軍の軍刀が日本刀形式になったのは、WW2の直前で、それまではサーベル
それに軍刀を吊れるのは士官と一部の下士官のみで、割合からいうとかなりの少数派
水戸の話が出てたが、あの地域って維新オワタ\(^o^)/後も血盟団事件とか碌なことしてないのな。 何であんなドキュンな地域になっちゃったわけ? 水戸学? 水戸光圀?
>>298 水戸学に全ては行き着くが
それをおいても斉昭が酷すぎた
幕府を弱体化させたのも
ハリスのつけいる隙を与えたのも全ての元凶はあいつ
アメリカ領事館が設置された時に日本人はオランダ語しか分からないと思って 目の前で平気で英語で機密情報を喋ってたのを日本側が密かに英語の分かる人間を紛れ込ませて探ってたって話本当なのかね?
>>210 >そう考えると戦国期の関ヶ原、大坂の陣の両軍あわせて10数万レベルって当時の人口を考えるとやはり過大だなあ。
つうか戦国時代や江戸時代初期の公文書で、軍役は何石で○×人出せとか書かれてるし。
単純に石高=人口ではないが、秀吉の頃に全国で1800万石あったことを考えると、
天下分け目の合戦で十数万ってのは全く過大ではない。
江川坦庵がいなかったら俺たち「気を付け」や「右向け右」をオランダ語か英語かフランス語のどれかで呼んでたかもな。 幕府が続いていたら俺たち階級名を陸軍奉行とか歩兵指図役とかいってたんかな。
奉行なんて言葉は普通に使われていたかもね 現代でもよくよくみれば古風な匂いのする役名がちらほらあるし 大臣、取締役とか、番頭、手代なんてのもわりと最近まで旧商法で使われてたしね
>>298 怒りっぽい 理屈っぽい 骨っぽい だったかな。水戸人の気質を表すのは。
怒りっぽいから、社会矛盾に敏感で
理屈っぽい(けど頭がいいとは限らない)から、ある種のイデオロギーを盲信しやすく、
骨っぽいから、実行してしまう。
こんなところでは?
今でも保守王国だしね。
逆に考えるんだ。廃止されたからこそ古臭く聞こえると。 慣用句となっている感も否めない軍隊の階級だって、律令制度の兵衛府に由来してるんだぜ? 旅とか師などの作戦単位だって古代中国の借用だし…
なんで水戸がまるでせめられていないのか 疑問でしょうがないやねw
308 :
名無シネマ@上映中 :2009/03/28(土) 18:44:15 ID:Z7X8lc38
>>210 十数万は可能。
100万石で300人は動員できる。動かないなら100万石で70000万で動員可能
現に関ヶ原直前の上杉征伐時の上杉軍は本土決戦で120万石で70000人動員。
数十万になると鉄道か、補給倉庫を数十キロごとに整備しないと無理。
道路も悪いから分進合撃が必要になるが
309 :
名無し三等兵 :2009/03/28(土) 19:23:43 ID:+4/x4cep
某スレで家蔵の小十人組っぽい鎧がうpされてた
>100万石で300人 んな少ないわけねーだろwwwww 建前では少なくとも、100石あたり3-4人(槍持・若党・荷物持ち等)ほどの軍役を負うことが義務づけられているはず
幕末期の御家人の刀の外装って、近代戦用に流線フォルムを追求して作られてんだよね〜 昭和の軍刀よりよっぽど実戦的。欲しいけど、数が少ないからふざけた値段でしか売ってない
>>310 いや、戦国期の戦争はそのぐらい小規模なものが普通だったぞ?
個々の兵器の面でも、火縄銃の弾丸だって口径8ミリ程度で弾丸3グラム程度のものが主力だったわけだが。
戦国を過大評価しすぎだろjk
いや100万で300人はねーわ
そうだと主張するなら100万石で300人の動員が限界と言うソースを出そう
>>312 日本軍の参謀本部の分析では1万石で250−300人が動員できるとある。
戦国期にすでにランチェスターの法則に気づいていたしな
まぁ、散発的な戦は100人単位で行われてたとしても、100万石の領主が300ってのはありえんだろwwww 加賀藩士だけで数千人もいるのにw
100万で300程度だったら 徳川の軍勢用いても1000人せいぜいじゃないかよw
>十数万は可能
>100万石で300人は動員できる
>動かないなら100万石で70000万
>上杉軍は本土決戦で120万石で70000人動員
>>308 のタイプミスが酷すぎる件。
うん。酷いw
太平洋戦争では4年足らずの間に、7000万人のうち300万人の国民が戦争で亡くなったけど
なんとか人口減少による空洞化は避けられてるね。
戦国時代の損耗は江戸時代の繁栄でカバーできていたのではないか?
>>210 あと、幕末期の清国では日本と同様に内戦(太平天国)が勃発していたけど、こっちは10年以上
長引いて列強の介入を容易にした上、農産業を壊滅させたためにWW1の総戦死者を上回る凄まじい死者を出している
>295 なんでドイツが突撃砲開発したかわかるか?
筒袖とダンブクロが間に合わなくて 途中へ届けさせた鳥取藩ワロタ
仙台藩で使えたのは星率いる額兵隊だけ。 土方歳三も額兵隊を頼りにしていたし。 奥羽越列藩同盟が内部崩壊したのも、仙台がこだわった大義名分のため、 会津や庄内が反対した白川宮擁立が原因とも言われている。 榎本や大鳥ですら「仙台はすぐ寝返るだろう、信用出来ない。」って認識。
結局譜代と外様の確執か
>>324 >会津や庄内が反対した白川宮擁立が原因とも言われている。
会津って東武皇帝擁立に反対してたの?
なんだかんだ言って重臣を送り込んでなかったか?
>>324 仙台藩の戦力不足は確かだが、額兵隊が函館戦争で何故に主力足り得たのは戊
辰戦争で温存され、出撃前に仙台藩が降伏してほぼ無傷だったから。
>>324 仙台藩は主力銃が火縄銃なんだもん。
戦闘にもまだ慣れてなかったし。
慣れてきてからは旗巻峠や駒ヶ嶺の戦闘では結構粘ることができた。
もう遅かったけど。
>>328 ゲリラ活動では主力部隊を助けることか精一杯だよ。
主力部隊が負けたんではどうにも。
しかし旧軍もよく土方の元で頑張ろうと思ったな 土方の下に入ったのって平時では藩士としていばってたエリートの集まりだろう? 身分制が絶対だった当時において 土方みたいなぽっと出で出世したような者によく慕ったもんだ
332 :
名無し三等兵 :2009/03/29(日) 21:52:11 ID:L3FTLY2C
やっぱ、カリスマ性があったんかね
>>322 対砲兵戦が行われるようになったから。
直接照準射撃を行う砲兵は敵の観測下で行動せざるを得ない。
放列陣地までの行軍途上や陣地占領後も敵前で急造した暴露陣地では敵の対砲兵射撃で
大損害を受けることが第一次世界大戦の結果わかって機動性と防御能力が求められた。
また戦場の地形や煙幕、爆煙等によって機関銃に対して必ずしもアウトレンジできるとは限らなかった。
335 :
名刺は切らしておりまして :2009/03/31(火) 01:17:19 ID:PSVw3caM
308のタイプミスを意訳すると 1万石で300人は動員できて、 動かないなら1万石で700人の動員可能。 関ヶ原直前の上杉軍は領国120万石で70000人動員。 で本土決戦 だろうな 普通に考えれば しかしこんな初歩的なミスする奴が伝令なら間違いなく どの時代の軍でも銃殺の予感が(ry
長州藩の攘夷戦だの長州砲の行方だのに最近はまってる。
337 :
名無し三等兵 :2009/04/01(水) 20:33:03 ID:bZtjbnCx
良スレage
今函館来てて、函館戦争に興味が出てきたのだけれど 何かいい書籍ありますか?紹介お願いします。
>>338 興味が出て来たって事は、小説かなんかの方がいいのかな。
司馬遼太郎の燃えよ剣とか。
ムックなら……「図説・幕末戊辰西南戦争―決定版」かなぁ。
>ムックなら……「図説・幕末戊辰西南戦争―決定版」かなぁ。 これは断然おすすめ。小説とセットで読めば状況も理解できる。
固めのやつだと佐々木克の「戊辰戦争」とか野口武彦の「幕府歩兵隊」とか 幕府サイドに偏ってるし函館戦争の記述は薄いけど
342 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 02:57:05 ID:lURudpHb
幕末最強と一部でいわれる佐賀藩は実際はどうだろう たとえば薩長とがちで戦ったら本当に鍋島直正の言うように佐賀藩の圧勝 だったのだろうか 36万石で実高は60万石 島原の乱では佐賀藩は3万人動員しているが、佐賀の乱の動員数 は6千だから幕末の最大動員可能数は1万人前後か。 加えて運用面も充実してたアームストロング砲にエンフィールド銃。 ただ問題は士気だな。 人国記で肥後筑後より強いとされていたように戦国時代までは肥前兵は 精強でなったが、戊辰戦争では悲しいばかりの影の薄さw 薩長に利を得させるだけということで戦意に乏しかったとしても 佐賀の乱があっという間に敗れたのはやはり弱兵だからか。 他方薩摩藩は77万石だが実高は40万石程度。ただ佐賀と同じで サムライの数が多い。西南戦争で1万2千人が動員され九州諸藩兵を合わせて 3万人動員だから、最大2万人は動員可能か。 武器は佐賀に比べると陸軍も海軍もかなり見劣りがする。 ただ薩英戦争や西南戦争での強兵振りをみると数値で表せない強さがある。 佐賀兵が薩摩兵より評判がよかったのは歴史を通してみると菊兵団と龍兵団 の久留米連隊が熊本第六師団の鹿児島連隊より活躍したくらいか
佐賀の乱に関しては新政府側が既に反乱を予想してたので政府軍の動員がやたら早かったとか。
>>338 箱館戦争銘々伝 上・下 新人物往来社
幕末戊辰西南戦争 学研
この辺も中々良いよ。
>338 現地にいるなら、観光協会などで訊いてみるのもいいんじゃね? 資料館の紹介とかガイドブックなんかもあるかもしれない。
アームストロング砲って、佐賀藩のに限らず過大評価されてない?威力的には四斤山砲とかアバレモン砲と言われた、12ポンド榴弾カノンM1853とかパロット砲等の前装砲の方が上じゃない?
>>345 地元の郷土史家が出した本とか、現地じゃないと手に入れ辛いものも結構あるよな。
斉彬の頃の薩摩は最強だったらしいが、なぜ彼一代であそこまで武器を発展させることができたんだい? 反射炉とか、幕府とかに見つかって怒られたりしないのかな?
江戸時代の法律ってどうも分からんのだよなあ 人心を惑わす事を禁ずるとあるんだが 色んな工夫をした細工物は色々作られてるし 自作グライダーで大っぴらに空飛ぼうとした浮田は江戸から追放されてしまったが 幕末に反射炉は各藩で独自に作ってる 鉄を大量に溶かせるから当時の日本としては重宝するものだったが 実はヨーロッパではとっくに高炉も転炉も出来てたわけだw で、幕府が反射炉を作らせない法を幕末当事にぶち上げたとして、 当事の幕府って各藩から老中やら年寄やらが出てたが 同じ調子で諸藩を圧する法をどんどん作られたら敵わんから 当然反対するよな?w 各大名が江戸や大坂周辺に持ってた土地を幕府に渡し 同じ面積の地方の土地を与える、という法が出来た時 諸大名が猛反対した 水野の改革の時だが 江戸初期の家光の頃なら、これが通ったんだろうが幕末だともう無理だw
>>349 と言うかその前段の三方領地替えが通らなかった時点でもうgdgdというか…
八幡和郎みたいに
「みんな庄内を忠義忠義って言うけど、庄内藩が三方領地替えを拒んだから幕府が滅んだんじゃね?」
とか言う人もいますし。
藩債の発行なんて認めるから面倒なことになるんだ…… あれで、債務の肩代わりを幕府がせん限りは一揆必定に。 庄内だとあれ裏にいたのは本間だろ? 大概投資してた筈。
>>346 昨今歴群なんかではアームストロング砲の能力に疑問を持つ記事が載るようになってきた。
ベントバイスが割れるとかね。
佐賀藩のアームストロング砲は、実は輸入品って話を聞いたのだが、最近の定説はそうなの?
>>347 二十年くらい前になるんだけど、会津武家屋敷で刊行してた
「鬼官兵衛がゆく」
ってのが、当時の銃器を写真入りで紹介してたりして結構面白かった。
今も有るのなかな……。
>>353 佐賀藩の製作というのに疑問が持たれてたね。確実な資料(史料)がないみたい。
356 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 00:16:40 ID:h+2ppixl
357 :
名無し三等兵 :2009/04/06(月) 20:41:07 ID:yVsbihoF
hasyuage
358 :
名無し三等兵 :2009/04/07(火) 23:12:31 ID:Em9WuT5W
資料がGUNだったか忘れたが ガトリングガンM1865口径1インチタイプ(散弾3発内臓)とドライゼM1864 100挺 を100ヤードの距離から100枚の的に発射(ガトリングは実質300発)したとき、 命中率がガトリング80に対しドライゼ50だった。 ガトリングガンは砲手4名程度だから、100人くらいが密集するような塹壕戦 なら殲滅できそう。
359 :
名無し三等兵 :2009/04/09(木) 20:16:59 ID:U/UEeabU
youtubeで12ポンドのアームストロング砲の射撃映像があったけどあれなら 鶴が丘城にももっとダメージ与えられたかな? 当時の日本のお粗末な道路の関係で6ポンドしか実際には持って行けなかった けど佐賀藩は12ポンドも買ってたはず。
>>358 長岡藩のやつは背が高い上に射撃手の防護が全く無いので却って不利。
まして相手が塹壕に篭ってるなら尚更。
ぼんやりしてて12ポンドのガトリング砲に見えてしまった どこのA-10かよと
塹壕戦なら全体に弾幕張り続けるか狙撃でないと制圧できないし 歩兵レベルの弾薬携行量なら狙撃しか現実的でないでしょ。
>長岡藩のやつは背が高い上に射撃手の防護が全く無いので却って不利。 防護用に鉄板でも付けるかね?w どっちにせよ、速く回し過ぎると壊れます! じゃあ実戦向きではないわなー。
だとすれば大八車に乗せて機動戦てのは・・
撃つ人に死ねと言ってるようなもんですな
秘匿側防機銃として運用するしかないかな。
せめて十丁程度購入できていたらなぁ。
インド大反乱鎮圧軍が蒸気自動車にガトリングガン乗せてる架空戦記なら…本編じゃないが。
佐賀藩は華やかなイベントと晴れ舞台にこそ恵まれないものの 戦備・船・技術の先行投資や目の付け所など評価点は高い 内乱に乗じた外国船による干渉がないように長崎を保障占領するなど 薩摩長州を背後から伺う地理にある大国として おそろしく地味に、なおかつ仕事してる
370 :
名無し三等兵 :2009/04/10(金) 11:00:51 ID:ATH5i+nF
そういや南北戦争みたく塹壕戦は発生しなかったよね。 あ、一方が火縄銃装備じゃありないかw
371 :
名無し三等兵 :2009/04/10(金) 16:39:43 ID:Fk8QxjAq
>>360 歌舞伎役者の中村ナントカが出てた長岡藩のドラマに出てきた
ガトリングがチャッちいのはともかく、位置が高くて撃ちにくそうなデザイン
というのはあながち間違いではないの?
>370 野砲が少なかった事の方が大きい。 小銃弾なら土塁で止められる
実際1門のガトリングより、10丁のスペンサー銃の方が 用兵側としては作戦立てやすいだろう。
374 :
名無し三等兵 :2009/04/10(金) 22:03:14 ID:YKvSOxNb
日テレの白虎隊に出てきた官軍が使っていた大砲はやけに小さく、人間が二人で押してたな。
幕末に実際に棒火矢や連発式空気銃が使われた事ってあるんかね
376 :
名無し三等兵 :2009/04/11(土) 01:13:42 ID:319qSjcz
>>375 薩英戦争だがロケット弾で市街地を焼き払ったらしい。
黒色火薬で推進どのくらいだが分からんが、要塞砲沈黙させたあと木造
家屋焼くには有効だったみたい。西南戦争でも登場。
377 :
358 :2009/04/11(土) 01:21:37 ID:319qSjcz
仏軍のミトライユーズだっけ。25連発の弾薬を金属パネルに入れて、尾栓の ハンドル回すと300mまで有効射程で撃てたとか。普仏戦争の撤退戦には 有効らしかった。ガトリングガンも用兵が確立してたらだが、試射程度 で負の部分が分からなかったんだろうな。 また、横隊密集戦術で1人倒すのに100発必要だったっとか。 近接射撃だったと思う。
>>376 コングリーブ・ロケットといって3000メートル飛んだそうな
命中率は悪いが……
379 :
358 :2009/04/11(土) 01:27:18 ID:319qSjcz
>>378 命中率悪くてもどんどん類焼していくから有効だったんだろな。
植民地向け兵器だったのかな。
380 :
突撃兵 :2009/04/11(土) 09:26:27 ID:???
そのロケット弾はワーテルローでも英国は使用してるよ。
ガトリング砲は、甲鉄に1インチ口径のM1865が積まれていた。沈没した開陽丸からも.58口径のガトリング実包が引き揚げられてるので、搭載されてた可能性がある。
宮古湾海戦で甲鉄を奪取するのに最大の関門はガトリング砲を制圧することとされ、 で、具体的な発射性能とか知っていたようなので蝦夷共和国側にガトリング砲が あったのは事実かもしれんね。
>>379 植民地向けの兵器ではなく、当時の砲兵・戦列艦にとっては主戦兵装の一つだよ。
元は、インドのマイソール王国が装備していたロケット兵器を改良したもので、取扱いが簡便なた
め、当時の大砲ほど運用に制限がなかったにもかかわらず、射程や威力の面では遜色ない性能
を持っていたために、18世紀末から19世紀後半までイギリス軍などで愛用された。
米英戦争時に、ボルティモアのフォート・マクヘンリーに対する艦砲射撃の際、多数のロケット弾
が使用され、その噴射炎が空を紅に染めたことが、合衆国国歌『星条旗』に"And the rockets’
red glare, the bombs bursting in air".”として歌詞として刻み込まれる理由ともなった。
なお、産業革命の進展によって製鉄・鋳造技術が向上し、それに伴って大砲の性能も飛躍的に向
上したため、命中精度に劣り噴進剤として火薬を大量に消費するロケット兵器は19世紀末に一時
的に兵器として姿を消した。
思い出されるようになるのは、簡便な面制圧兵器・もしくは歩兵携行型対戦車兵器としての活用が
行われた第二次世界大戦であることは、皆さんもご存知の通り。
>>371 その通り
砲手の座る台座が高い為、狙撃されやすく防護装備も無かった。
一門五千両、二門一万両で購入した。
正直、もっと小銃や大砲を充実させるべきだったな。
河井継之助や長岡藩の軍事的先進性や優秀さを称揚するネタに
使われる割には使用に関する具体的資料が乏しい。
ガトリングガンは決して優れた兵器ではないよね。 1万両あるなら、シャスポー銃400丁を買ったほうが明らかに有効。 そっちのほうが火力もあり、戦術的柔軟性もある。
日本人は弓矢の時代から一発命中の拘りがあるから、ガトリングみたいな 銃弾を吐き出すような兵器は好まなかったんだってね。 この思想は、WW2終了までボルトアクション式の三八銃を使用し続けたことで多数の悲劇を 生み出す結果になる。
それと長岡藩のガトリングガンが役に立たなかったのは全く別の話。 好む好まないの次元ではない。 つーか、第二次大戦で主力小銃が半自動小銃だったのはアメリカ軍だけなんだが。 更に軽機や重機を積極的に運用してるのは何なんだってことに。
>>385 400丁の銃には400人の兵が…
1万両じゃ無理では?
その程度の兵員は元々居たから。
>>789 長岡藩牧野家は確か7万5千石くらいでしたな
戦国時代の標準では動員可能兵力は1万石あたり外征で300、本領防衛で500といいますから
長い太平による能力低下を考慮しても1千以下ということはないでしょう
あと、400人の銃兵を戦力化するためには
どれくらいの訓練用空砲・実弾が必要でしょうか?
>>391 いや、だから元々長岡藩には3個大隊、23個小隊からなる銃兵隊が居たんですってば。
長岡城奪還戦時には700余名の銃兵を5軍、17小隊に編制しています。
河井は士卒を原則的には銃編制にして調練もしていました。
戦国時代の軍役とじゃ構成人員も内容も社会情勢も違いますから余り意味は無いかと。
出すならせめて江戸初期や軍制改革前の長岡藩の軍役帳では。
軍役は荷物担ぎとか草履取りに馬の世話なんかも 一人は1人で動員するからなぁ・・。
394 :
358 :2009/04/11(土) 22:31:52 ID:319qSjcz
長岡藩は1500人動員してたはず。 ガトリングガンより、ヘンリーライフルとスナイドル編成したほうが 良いのは思うね。 先込弾薬や前装式砲弾も製鉄所と火薬工場があれば製造できるけど、元込め 製造できるのは佐賀くらいか。 南部藩は5t高炉や2.5t反射炉あっても貧乏で機械製造までできなかった。 国内向け輸出専用だから。
> 5t高炉 すげぇ!
396 :
名無し三等兵 :2009/04/11(土) 22:38:20 ID:kl3uTQbA
>>382 蝦夷共和国の誰だったかが当時描いた絵に陸上のガトリング砲があるから
あったと思われ。
>>384 そうなのか。
「ラストサムライ」の最後に出てくる奴みたいなのを想像してたわ。
ガトリングガンの運用は難しすぎる。 装甲された車両にでも積載すればなんとかなるかなw
野砲の直撃に耐えるトーチカに入れて運用すれば使えたと思う 但し、敵の進撃を射界に誘導するような縦深陣地を作らないと、迂回されて意味がない
素人質問なんだけど、ガトリングガンってM2みたいな運用はできないの?
>>400 M2みたいな運用って、具体的に何?
銃身が首を振らない(掃射したかったら台座ごと動かすしかない)
黒色火薬なので大量の煙が出る(連射すると煙が立ち込めて何も見えない)
一分間に200発程度の射撃速度しかない
しかもそれは理論上の数字で、実際には燃えカスが大量に出るのでその速度を続けると銃身内にカスがたまって暴発などの危険がある
当時の弾丸は鉛の塊(メタルジャケットがない)なので連射を続けるとライフリングに鉛が詰まってしまう(命中精度が極端に低下する)
これだけ欠点があるので、同じような性能を発揮するのはまず無理かと。
第一次大戦みたいな、トーチカに据え付けて何千発も撃ち、歩兵何百人を薙ぎ倒す、などということは、難しい。
だったら、前装の青銅砲を揃えて榴散弾ぶちまけた方が、コストパフォーマンス良くない?
> 第一次大戦みたいな、トーチカに据え付けて何千発も撃ち、歩兵何百人を薙ぎ倒す、などということは、難しい。 大変よく分かりました 兵器としてはまだまだ未熟な構造だったんですね
>>393 ひょっとして「輜重輸卒が兵隊ならば, 蝶々トンボも鳥のうち」的な思考の方ですか?
草履取りとかは輜重部隊と違うでしょw
それに戦国時代には馬の口取りだろうが飯炊きだろうが 状況によっては戦闘に投入されたし
>>405 解ってて惚けてるんでしょうが、輜重に当てはまるのは荷物担ぎ(≒小荷駄)に決まってるでしょ。
要は「後方部隊を頭数に含めないってのはあり得ない」ということですよ。
>>402 その通りなんだけど、それが分からなかったんだな。
実際に役立ったのは31門の四斤砲だった。
兵器単体として優れていそうでも部隊としての運用ができないと無用の長物になる。 ガトリング、連続撃発は素晴らしく見えたんだろうね。単体では。
410 :
358 :2009/04/12(日) 23:42:46 ID:fDbp9+lN
ガトリングガンは南北戦争でも、大量に弾薬が必要になるので正規採用 されなかったと何かで読んだな。 銃身6門で180−200発/分。 単発銃の射手100名が狙い撃つ実用速度、毎分2発/人、合計200発。 確か、普仏戦争のデータで1名倒すのに100発必要らしかったので 2名倒すのに100名対1丁(4名)で合うはず。 スペンサーが慶応4年時点で37-8ドル。ガトリングガンがざっと6400ドル (弾薬付かは不明だけど) ガトリングガン買うより170名にスペンサー装備させて散開突破してしまえ ば良いから、スネルに騙されたか。 ちなみにスペンサーの弾薬が100発4ドル。 幕府旗艦の開陽丸2617tが40万ドル。 開陽1隻で、2000人にスペンサー銃1丁づつ弾薬4千発与えられる。 海軍は蒸気機関とかで金かかるのね。
まぁスペンサーもあまりいい銃ではなかったみたい。 7発は込めずに単発で使ってたらしい。
スペンサーの欠点は何だったのかな 連発だからど素人目にはこれが最強じゃんかと思ってしまう 他は、どっちにしろ1発ずつでしょ?になっちゃって (弾丸の初速とかライフル機構とか説明はなかなか受けない) それでも日本の教育機関では、火縄銃の火縄を導火線と勘違いした説明をしているところが 山のようにある訳でwww
ブリキトースとアームストロング砲を混同してた教師ならいたな、マジで。
スペンサーカービンの欠点って有名じゃなかったけ。 銃床に弾倉あるけど、マガジンスプリングと弾薬の雷管の問題で 暴発や給弾不良が頻発したって。 庄内藩が導入したシャープスカービンはそういった話聞かないけどね。
>400 M61バルカンのことか? それともA10の30o? MK15ファランクスもガトリング式だぞい。
シャープスカービンは未だに410ハーフライフルスラッグに改造されて 猟銃として現役。
418 :
名無し三等兵 :2009/04/13(月) 05:46:14 ID:d9214crF
>>412 レバーアクションはボルトアクションより機関部が華奢で故障しやすく、しかも少量の火薬しか使えないそうな。
連射できるが耐久性や射程が劣るわけです。
ソースは忘れたスマン
>>410 そもそも、あの時代の機械ものだから
ちょっとしたことで詰まったり止まったりするだろうしな。
明治海軍でもガトリングの始末に困ってるし
(斬込防衛用に備えてたけど、すぐ故障するらしい)
重工業が発達して、山ほど弾丸が作れるようにならないとダメか それと輸送
残念ながら現在でも日本では必要なだけの弾薬を製造できた事は無んだよ
弾薬製造設備は他に使い回ししづらいから 平時に需要が少ないと 戦時に拡大したくても工作機械から作らんとな・・・。
スペンサー銃…構造が複雑で壊れ易い。低威力の弾丸しか発射出来ない。 シャスポー銃…紙製薬筴の為、多湿な気候の日本では不発が多発。あと錆び易い。過大評価されてる銃器二つでした。
424 :
名無し三等兵 :2009/04/13(月) 11:09:28 ID:dhY22ge5
過大評価つっても実践で活躍したことにはちがいない。 シャスポーは当時としては最良の銃だったんじゃないか? フランスの銃を高温多湿の日本にもってくれば不具合を起こすのはある意味当然だし。 (フランスにはもっと多湿な植民地もあるからやっぱ駄目か?)
イタリア軍は植民地が多湿だろうと乾燥してようとry
シャスポーって、本当に幕府軍で使われたのかな?教範が無かったとも言うし、新政府が江戸城の武器庫を開けたら、手つかずで残ってたとも言うし
>>426 幕府脱走軍(大鳥たち)が使ったことは山ほど資料が残ってるから確実だよ。
宇都宮や函館では弾薬の自作まで試みているんだよ。
そうじゃなくて倒幕前の話?
>>424 装填で紙が破損するので、打方待て等で抜き出すと
紙薬莢がアウトになって再装填出来ない。
安全を考えると行進中とかは弾は抜くものだし
弾薬の運搬配送だって完全保護できるわけじゃないから
破損して使えない弾が結構出るのだそうな。
操典一発で準備完了の紙薬莢…… 前装銃で同じようなことができれば……無理か、銃身内の移動距離が違うから
幕府軍や奥羽勢にとっては前装式ライフルでも充分ありがたいよ。 何せ一部を除いて、ほとんどがゲベール銃でひどいのになると火縄銃装備だったから。
結局総合的にはスナイドルが最優秀になるのか?
結局のところ信頼性のあるミニエー銃がよいだろう。 官軍側でもほとおんどがミニエー銃のような前装式ライフルだし。
スナイドル銃が、日本に輸入された量はそれほど多くない。廃藩置県後の兵器還納時に、兵部省が収管した数は5140挺ど還納兵器(小銃181012挺)のうち2.8%だった。だから主力として使われたのは、征台の役や西南戦争の時だったんでしょう。
西南戦争でも、政府軍の前線の主力部隊に後装式ライフルが広く行き渡ったのは、 田原坂の戦いよりも後。
>>431 なにぶん使いやすいからね。布薬莢のタイプはミニエーの弾も使えたというし。
佐賀の七連発で有名なスペンサーカービンは、大部分は良く似た単発銃だったらしい。 佐賀城本丸歴史館の講演会でいっていた。
同じような話が歴史群像にのってた アームストロング砲といえば後装砲だと誰も思ってるが、 実際にはアームストロング社は前装砲も作っていて、 「甲鉄」のアームストロング砲は前装だとか。 じっさいにはアームストロング後装砲は事故が多くて優秀とは言い切れないとか。
438 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 06:51:15 ID:2nSTFt7Q
よく時代劇では新政府軍の勝利って、最新型の火器の勝利で片付けられることが多いけど ホントにそんな単純な構図なんだろうか? 最新の火器なんて、資金力が豊富な幕府側のほうが数の上では持ってただろうし…。
幕府側諸藩が旧式兵器ばっかり
とはいえ、会津藩は、禁門の変でさえ、 すでにゲベールが標準装備だったからなあ。
>>453 明治五年の書類だと7480丁だったそうな。
海軍が艦艇搭載用に持ってったので減って
陸軍が状態の良い銃を選んだらスナイドルは1,500丁。
エンフィールド(12,000丁)を3円で後装に改造すると
スナイドル同等になるということで、これを主力小銃にしたと。
本家のスナイドルもエンフィールドを改造して作ったものだから
同じことが出来て当然だったわけだがな。
443 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 08:25:46 ID:zTpKx17P
>>438 ハードウェア的には幕府側のほうが上だったよ。
幕府側の敗因は、藩や軍同士の連携がとれなかったこと。
せめて榎本艦隊が早くから東北を救援に動いていればと思うが、東北戦の勝敗が決してからようやく動く始末。
東北で最強の藩である仙台藩は参戦に消極的で内ゲバやってるし。
これでは負けて当然。
鳥羽伏見でも、最初から戦うつもりでいけば、 幕府軍が普通に勝っていたよな。
幕府軍の精鋭が、組織的に戦ったのってあるの?皆脱走して、個々に戦ってる感じだけど。鳥羽・伏見も結局、淀藩とかとの寄り合所帯みたいだし。
会津が力不足って言うと怒られますかね? 旧幕軍全体に言えるけど。
447 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 18:29:11 ID:55OXsTZv
けど鳥羽伏見で幕府軍が勝っても長州・薩摩の本国に精鋭部隊が残っているんでしょ?
>>440 ゲベール銃は発火機構が燧発式なだけで、後は火縄銃と大差無い性能だよ。
それが長州戦争や鳥羽伏見で佐幕側がボロ負けする原因の一つになった。
会津藩が軍制改革を行うのは鳥羽伏見戦後だけど、装備改編はできず
訓練も不十分な状態で再度戦争に臨むことになった。
>>448 ?
鳥羽伏見で会津の藩兵は洋式訓練を受けた連中だと思うが。
それに、鳥羽伏見の戦いの直後にはスペンサー銃が多量に届いて、
間に合わなかったらしいが。
>>449 会津藩が佐川官兵衛を中隊司令官に選んで、19歳〜35歳までの藩兵に
江戸城中でフランス式歩兵訓練を行ったのは鳥羽伏見戦後だよ。
山川大蔵の砲兵隊がフランス士官のブリュネやシャノワンから仏式砲術を学び
家老の梶原平馬が横浜で武器、弾薬の購入に当たったのも江戸に撤退してから。
軍制全体を完全に洋式に改め、兵を年齢別に編成し、農町兵を募集などを行い
有名な朱雀、青龍、玄武、白虎の四隊が編成されるのは更にその後の
全員が会津に帰還した1866年の3月になってから。
確かに、戦前の段階で操練の中の歩法は長沼流から蘭式に改めたけれど
藩士の抵抗が大きく改革は遅々として進まなかった。
鳥羽伏見戦でも会津藩兵には鉄砲を持たない者が多く
「故に接戦に至る迄は戦を観望するのみなりき」 『会津戊辰戦史』
という有様だった。
>>451 林権助は当初長沼流だったが、
オランダ流だが洋式軍法や砲術を習得して調練していたはずだが。
鳥羽伏見以前に。
白虎隊はまだマシなほうで(若いから新しい戦闘方法に抵抗がない) 最強部隊であるはずの朱雀一番隊は、その勇ましい名前とは裏腹に、 迷子になって山中をうろうろしてるだけだったしw
ヤーゲル銃でも、ライフルなのだから、 ミニエー弾さえ作れれば、 ヤーゲル銃でも実質ミニエー銃になるじゃないの?
>>450-451 新島襄義兄が確かスペンサー銃の大量購入していたと思うが。
鳥羽伏見の戦いには間に合わず、
自身も薩摩藩の捕虜になっていたはず。
それでも購入したスペンサー銃の一部は、
会津に既に向かっていて、
新島襄夫人がそれで会津戦役で奮戦した記録があるが。
スペンサー銃
457 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 22:08:39 ID:z4W6rVlJ
>>452 しかし鳥羽伏見での林権助の砲兵隊はたった一門のみで、
接戦になると槍で突撃した有様・・・
ハードソフト両方が揃わないとダメなんよね
>>452 林権助一人では一藩の軍制を変えられなかった。
事実として、鳥羽伏見での会津藩は旧来の装備・戦法に拠って戦っている。
仮に洋式だったとしても、天保の時代の高島流のようなオランダ式で散兵戦術とミニエー銃を
活用する薩長にどこまで対抗できたかは未知数だけど。
>>455 部隊編成できるほどの数がないと、どんな良い銃でも宝の持ち腐れだよ。
そりゃ山本八重は兄が砲術師範だった影響で白虎隊の少年に
射撃を教えるほどの女傑ではあったけどさ。
会津藩の中でスペンサー銃を装備して活躍した部隊の史料有るの?
庄内藩ってシャープスだけじゃなくてマルチニーヘンリー銃まで正式装備にしてたのか。 そりゃ新庄藩や秋田藩じゃ手に負えんわ。
会津藩って勇猛だのなんだの 色々いわれているが歴史の資料見てるととてもそうとはいえないよなぁ 民衆を楯にしてみたり民衆相手に狼藉働くし 勇猛、士気旺盛、精強な会津武士 と言葉に冠がよくつくけどなんの戦果もあげてないし そこまで大々的な宣伝するなら土方歳三率いた部隊クラスの戦果はあげとけよと
切り取り強盗は会津の習いっていうじゃないですかー
スペンサー銃を持って突撃する、伊達の騎馬鉄砲隊を見たかった…。 所詮300年の太平は名将を貴族にしただけだね。
>>461 なんかこう、自分達の失敗をごまかすためにドイツ軍にエース認定乱発する連合国みたいな
フランス版スナイドル銃のタバティエール銃、マンソー銃、ウェストリー・リチャーズ銃、ウ゛ェルデル銃、テリー銃、アルビニー銃、レカルノ銃等の少数しか入って来なかったマイナー銃が詳しく載っているサイトありませんか?
>>458 実際には薩長側の方が旧式装備だったらしいが、
特に重砲というか大砲に限っては。
幕府側には大砲に限っては、山崎や橋本あたりに台場があって、
最新鋭の大砲が備わっていた筈。
藤堂藩の裏切りによって、山崎の台場が薩長側に移ったので、
幕府側の敗北が決定したのだし。
どっちがより旧式とかよりも、どっちがどんな大砲を使っていたか詳述する方がいいような。 薩長は四斤山砲メインだっけ? どっか関東近辺で見られるところは無いかなぁ。
468 :
名無し三等兵 :2009/04/15(水) 22:30:56 ID:GkDylwq3
四斤山砲なら薩長も幕軍も主力で使ってたから同レベルじゃないの?
幕府軍も実態は諸藩の藩兵や新撰組や見廻組等の直臣 更に直轄の歩兵隊に分かれていた。 だから、それぞれの部隊毎、戦場毎に見る必要が有るんじゃないだろうか。 会津のように刀槍主力の部隊も有れば、歩兵隊のように銃編制の部隊も有ったのだし。
ちうか、外交・国防を担任するべき中央政府軍が、
>>469 な状態ってのが普通に駄目駄目じゃないのか。
薩長土肥の新政府は政権掌握後、可能な限り速やかに組織的に統一された新国軍を立ち上げた訳だが。
>>469 歩兵隊も色々で時々頭が痛くなってくる。
>>470 湾岸戦争の時のサウジ軍もにたようなもんだったらしい・・。
最新米式装備の国軍や王家の親衛隊がある一方・・・・。
地方から馳せ参じた豪族にいたってそれこそ英式やフランス式、ドイツ式とよりどりみどり・・。
中にはアラビアのロレンス以来の伝統を誇るラクダ隊とか騎兵隊なんてのも・・。
473 :
358 :2009/04/15(水) 23:37:32 ID:3EYEfk/N
会津は第二次長州征伐に出陣して敗戦経験していれば軍制改革はできたと 思うけど京都守護職で疲弊していたから無理かな。 鳥羽伏見戦の前にミニエーを幕府陸軍から500丁貸与されたとか言うけど本当 かな? ただ、洋式士官教育は1年かかるし、小隊レベルの訓練で最低半年かかるから 小銃だけでは無理ありそう。
実際に貸与が有ったかどうかは分からないけど、会津藩が使用した形跡が無いのは確かだね。
百万石もの財力を持つ加賀藩が洋式軍を整備して幕府に味方してれば・・・などと 幕末の歴史を大して知りもしない戦国ヲタの俺が無責任に言ってみる まぁ、初代利家から何となくパッとしないことの多い前田家だから 情勢の変化が戦国以上に激しい幕末で何にもできなくても仕方なさそうなんだけどね
加賀藩が幕府側だったら新潟は失陥しなかったかもな。
加賀百万石って富山ありきのものなんだよな。 下手打つとやばそうだ。
一応、前田家も動こうとはしてた・・・けど果たせずだったのか 勝海舟や坂本竜馬は頻繁に越前藩と連絡を取り合い、直接出向くこともあったくらいだから もう一足伸ばして金沢に来てれば(何故伸ばすのかは知らんw)歴史も変わったかもな
480 :
名無し三等兵 :2009/04/18(土) 00:06:56 ID:EvA5RzAs
幕末に限ったことじゃないが、江戸時代に開発が進められていた空気銃ってどんな構造なの? 現代のスポーツライフルみたいに空気を圧縮して弾を飛ばすの?
射撃用のエアライフルみたいな一回のポンピングじゃなく、 複数回のポンピングで空気を圧縮できるやつらしい。
>>479 加賀藩って、鳥羽・伏見の時、近江小浜まで出兵したけど、鳥羽・伏見で幕府軍が負けたから、引き返して方針転回したんじゃなかった?
>>482 そうだよ
ウィキペディアで加賀藩を引くと
大政奉還時は徳川慶喜を支持したが、幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北した後、
方針を改めて新政府の北陸鎮撫軍に帰順。海防に関心が深く独自の海軍を有し、
維新後は海軍に多くの人材を輩出したと言われる。
と書いてあるよ。
寝返った藩は他にもあるけど、加賀藩は最大級だね。
あんだけ優勢な鳥羽伏見でボロ負けしたのを見りゃあ、「こりゃ泥舟だな、さっさと勝ち馬につくべ」くらいの気持ちになってもおかしくない。
武士としてはともかく、政治家という観点では正しい判断かも。
梅鉢海軍だっけ? 戸部か誰か書いてたなぁ。
486 :
名無し三等兵 :2009/04/18(土) 22:51:48 ID:ovA6Xie+
南北戦争で使用された、ドラム弾倉のライフル誰か知らないか? 昔GUNでどこかの博物館で展示されていた。
>486 Revolving Rifleの事か?
南北戦争で使ってた武器が中古品として戊辰戦争に大量投入されたって言うけどそれでいいのかな? 昔の歴史の授業で習ったきりだから自信なし。
>>488 武器と装備、服とか胴乱も輸入されてた。
幕府軍はフランス式装備だったのに、なんで胸甲騎兵の装備は輸入しなかったんだろう・・・ リボルバー短銃は大量に輸入されていたみたいだし、フランス式装備の胸甲騎兵連隊 があったら、鳥羽伏見であれだけの惨敗喫しただろうか。
田んぼと畑で騎兵突撃なんざ、203高地になるそ。
馬が居ないと…日本の馬はポニー並の大きさなので、アラブ種を輸入したりして馬匹改良にはげんだが、ものになる前に、大政奉還と鳥羽・伏見で水の泡に消えた。
>>470 フランスの軍事顧問団が、シャスポー銃・四斤山砲・アラブ種の馬等々を持って来日したのが1867年、約一年ちょっとで、軍隊として使えるかなぁ
軍馬の改良は大日本帝国を通じての課題だったからなあ…「富国強馬」つー良書があるので、興味ある方はどぞ。
幕府がフランスから買った軍馬は70頭しかいない。 70騎では突撃どころか偵察も難しい 伝令に使うのがよいのでは しかも幕府は結局代金を払ってないしw
この当時のアラブやサラ系の輸入馬ってロクでもないんだよな 血統管理の外にあったようなのばかり 馬は戦車が登場するまでは、極めて重要な戦略物資だったしから、良い血統は安易に出せない 現代の内国産馬にも繋がる良血が導入されるのは、日英同盟を待たねばならなかった
>>490-491 仏式の騎兵が、英式の歩兵に対して、足場の悪い場所を突撃するわけだ
203高地つか、クレシーの戦いそのものじゃないか
>>490 ミニエー銃の前には鎧など百害あって一利なし。
長州戦争で既に分かってたことだ。
>>492 ポニーと言っても今牧場に居るのとは違ったみたいだけどね
>>492 ナポレオンの名馬も大きさは「ポニー」だ。
そりゃ絵だろ実際はロバだ。
ナポレオンが普段乗用にしていたのはロバじゃなくラバだったのでは? そういえば戊辰では砲の牽引は普通の馬だったのかね?
>>501 あの有名な絵のシーンは実際にはロバだったが
彼が愛用した馬は骨格標本で残ってるのさ。
>>498 長州戦争でガンガンぶち抜かれて破片で銃創拡大したのは先祖伝来の甲冑だろう。厚くて鉄板2ミリとかそこらじゃないか?
胸甲騎兵の胸甲は鉄板5ミリ相当、マスケット銃弾なら無理なく弾く。
とはいえミニエーのような尖鋭弾が、マスケットの丸玉とどの程度貫通力に差があるのかが分からないが。
結局装薬は黒色火薬で初速も300メートル毎秒程度と大差ないから、胸甲でも阻止できたのだろうか?
胸甲が銃弾を無理なく弾くなら ワーテルローはネイの吶喊で勝ったんじゃないか?
胸甲だけ弾けても無駄 馬と騎兵の四肢は無防備 それでも上体さえ防護できていれば効果はあった
17世紀の重装騎兵は過剰な重装甲化で槍も銃弾も通用しなくなり、 銃兵や槍兵は無防備な馬の頭へ攻撃を集中した
つまり全身に薄く纏ったら防げないし 胸だけ守っても手足や馬が食われるし 結局、騎兵は銃撃の前に敗退すると。
まともな飛び道具が相手ならいつだってそうさ。 だが胸甲騎兵の強さは突撃時の銃撃に対する生存性それ自体というより、突撃後の白兵戦の強さにあったのではないかと思うが。 銃剣でも剣でも槍でも倒せない相手って怖くね?
あと胸甲って攻城戦のときの工兵とかも着てなかったか?
>>510 馬や手足傷つければ良いだけなら、大した脅威でもないのでは?
馬をやられた騎兵にどうやって戦えと。
>>512 白兵戦に入ってる状態ならもう発砲してる暇なんぞないだろjk
>>514 銃兵は槍や剣や銃剣で応戦しちゃいけないのか?
そりゃ応戦するだろうが…… 馬上の胸甲騎兵と装甲なしの歩兵・騎兵、白兵戦でどっちが有利? って話じゃないん? 胴体斬っても刺しても死んでくれない相手って嫌じゃね?
バフコートでさえ場合によってはマスケット弾を5.6発跳ね返したなんて例があるからな。 胸甲だと突撃破砕射撃の一斉射さえ耐えればどうにかなるわけで。 しかも騎兵突撃が決まるってことは方陣が崩壊してるのが前提と考えれば、やられた側は狩られるばかりに。 銃剣対サーベルでも混戦状態で馬上から切りつけられるとどうしようもなかったり。 陣形を組んでりゃ強いんだけどな。 それに白兵戦になるとより一層胸甲が効いて来る。 あとは、歩兵の白兵戦訓練ってのは大抵の国ではそんなに重視されてなかったから、どうしても貴族層が中心に 編制されてたりする騎兵に対しては劣勢になったりするんだよね。
胸甲騎兵まとめ 大型の軍馬と精鋭の兵士、小銃弾に対する防御力を持つ胸甲と兜を持つ。 しかしその防御力は突撃時の射撃に対する生存性向上というよりは、その後の白兵戦での敵歩兵・騎兵に対する優位を確立するために役立つ。 (騎兵を的としてみた場合、騎兵自身より馬を狙う方が合理的。確か教練でもそうなってたはず) こんな感じでおk?
胸甲の重さって今の米軍のSAPIプレート入りインターセプターとほぼ同等じゃなかったっけか。防御面積も。 時代が進み技術が発展しても、その時代の小銃に対して有効な装甲の重量が変わらないってのは興味深い気がする。
>>516 胸甲騎兵の戦術ってサーベルチャージだよね
これは、襲歩による突撃速度が小銃歩兵の発砲を上回る、
馬防設備が無いといった条件のもとで、効果を発揮する
>>497 に書いたようにクレシーの戦いと同じことになるだろう、
クレシーでは英側ロングボーの射程に、仏側騎兵隊が
ぬかるんだ上り坂を対策無く攻め上り、壊滅した
また、白兵戦になれば短槍、銃剣で密集隊形を作る歩兵陣地に
一端、衝撃力を失った騎兵が対抗できるとはとても思えない
>その時代の小銃に対して有効な装甲の重量が変わらない 小銃弾の弾速も上がってるし 貫通力も上がってるし 軽量で堅固な素材が出来ても進歩する銃弾を止めるのに 結局現状維持になってしまうw いい加減な拳銃弾限定だと、もっと軽く薄くても止められる
>>520 幕末の戦いで銃剣の密集隊形が威力を発揮した事例なんかあったっけ?
>>522 いや、敵が騎兵突撃を行う前提であれば
仮に銃剣の装備が無くても、槍隊を騎兵に対する防御に使うのは軍事的常識でしょ
対騎兵戦が無いから、そういう戦闘や事例が無いだけじゃない?
歩兵機動戦なら、散兵主体の戦いでいいんだから
経験のない兵士がそんな頑強な方陣を実際に組めるものなのかね?
>>517 その突撃破砕の一斉射撃で、馬の上の人は無事でも
馬の方が被弾面積大きいわけで、相当数が突撃から脱落するだろ。
実際、ワーテルローの突撃でネイ将軍は5度馬を失ったそうだ。
馬の上の人が射殺される可能性が減る分だけ
非装甲騎兵よりは白兵に持ち込める率は若干高いだろうし
突撃破砕で脱落しても、訓練された騎兵を喪失しないので
長期力的な視点では、胸甲騎兵は非装甲騎兵よりも有用だろうけど
戦術レベルでは破砕射撃で阻止されるという点で、非装甲騎兵と大差ない。
ましてや馬が徒歩兵ほどには集められない日本では
常識的な戦力配分では、少数の騎馬に無数の徒歩という割合になるから
多少白兵が強かろうとも、数の前にもみ潰されて終わるわな。
胸甲騎兵は夜襲専用兵科だな、日本では。
騎兵で夜襲とか無理だろ
>>524 誰も、方陣を組むとは言ってない
ま、それはともかく、事前に士卒共にそのように訓練しなければ出来ないのは当然
幕軍側に騎兵突撃のドクトリンがある前提なら、訓練もしただろうという話
>>504 尖鋭弾どうこうの前にミニエー銃はライフルだから。
有効射程と命中率がマスケットとは比べ物にならないよ。
最早、"正面戦闘では"騎兵の不利を覆せないのはクリミア戦争や南北戦争で実証済み。
>>529 いや、だからそこんとこ物理的にどうなんだろうね? って話よ。戦術的にじゃなく。
そもそもの発端は「幕府軍側に胸甲騎兵部隊が居たら?」って話だったと思うんだが その前提だと、仮に実験室のような理想的な条件で物理的に可能だったとしても 余り意味は無いと思うけどね。 何せ実際の戦史・戦術の上でダメなことが実証されちゃってるんだから。
>>530 物理的には
馬を十分に狙えるので、馬が倒されてアウト。
今まで、ミニエー銃の事は出て来たが、砲兵によるキャニスターショットには触れないのね。クリミア戦争時、砲兵が待ち受けるトルコ軍陣地に突撃して、全滅に近い損害を受けた、バラクラーバの突撃はキプリングにも謳われているよ
>>532 いやだからそこじゃなくて、ミニエー弾は胸甲を貫通できるのか? ってほうの話よ。
>>533 バラクラバは損害甚大だったが突入そのものは成功し、砲兵陣地を蹂躙てる。
>>534 なんで、そんな意味の無いことにこだわるの?
もしかして、対戦車ライフル装備歩兵と三号戦車はどっちが強いですか?みたいな人?
まぁ背後から撃ってもいいし、側面から撃ってもいいし、障害物置いてもいいわけだしな。 どこを狙っても割りと当たるくらいの命中率は有る。
>>504 >胸甲騎兵の胸甲は鉄板5ミリ相当、マスケット銃弾なら無理なく弾く。
元史料は何だろうか?実験データでも有るのかな。
更に「相当」という言葉も引っ掛かるな。
539 :
名無し三等兵 :2009/04/19(日) 19:06:43 ID:aFPb5KjQ
そういや、徳川慶喜とかが洋式の軍服着て馬に乗ってたけど、 下げてるのは日本刀、明治以降の騎兵隊はサーベルと解釈でいいの?
決定的な防御力は獲られなかった、か。 近距離ではダメだったって事なのかね?
>>533 「Charge of Light Brigade」のことだったら、作者はテニスン。
この詩が英文学史上に残る傑作となってしまったせいで、
惨憺たる失敗だったこの突撃が愛国心をあおる悲劇として
扱われるようになってしまった。
というかその文だけだと、貫通できるできないとは書いてないのな。 手足や馬を打ち抜くだけでも致命傷は与えうるし……
544 :
名無し三等兵 :2009/04/19(日) 19:36:47 ID:rKoJQKEf
鉄板五ミリ相当といっても、その鉄の種類は何? ということになる。鉄の種類によっては89式小銃すら防ぐぞ。 しかし現実問題として胸甲騎兵は廃れて滅んでるんだから、現実には銃弾を防げたはずがないのだ。 あと常識的に考えて、同じ口径の丸弾とライフル弾ならライフル弾のほうが質量が大きいし、尖っているから運動エネルギーが一点に集中するし、長距離を飛んだときの速度の減衰が少ない。 つまりミニェーとマスケットの貫通力は同程度ではあり得ない。
>>538 砲弾をもってようやく破壊できるほどに強固、とある記述がどこかにあったな。
>>544 胸甲云々に関係なく、騎兵の衰退それ自体は不可避。
ただ限定的な条件で、小銃弾の貫通力と胸甲の防御力の要素のみを分離して論じている。
>>541 5メートルぐらいまで引きつけて撃てば抜けそう
前提となっている胸甲の詳細と射距離が分からんと意味が無いな。 マスケット銃の弾を弾いたっていっても、まさか零距離じゃあるまい? ライフルとじゃ有効射程距離が比べ物にならないしなぁ。 更に貫通しなくても人体は相応の衝撃を受ける。
http://en.wikipedia.org/wiki/Armor >It was the only way they could be mounted and survey
> the overall battlefield with safety from distant musket fire.
>From their introduction, muskets could pierce plate armour,
> so cavalry had to be far more mindful of the fire.
遠距離からの流れ弾には対抗できたけど
本気で狙われたらどうにもならんてことらしいな。
550 :
MM :2009/04/19(日) 20:36:35 ID:DDqahXkd
ゲーベル銃
よく考えてみれば、 ゲベール銃って、冗語じゃね?
>>549 このブレストプレートって今話題の胸甲ってことでいいのか?
>>499 ポニーを品種と勘違いしてる人は結構多そう
戦国時代と違って幕末の兵士は鎧を着てないのは新式の銃に通用しないと言うが 完全に防げなくともダメージを軽減できるから鎧着たほうが良いと思うのは素人考え?
>>555 ダメージ軽減どころか、鎧や鎖帷子の破片が肉に食い込んでエグイことになる上に
感染症や鉛中毒の危険がうなぎ上りです。
銃持って走ったり転がったり匍匐したりするには鎧や刀は重くて邪魔なだけだったり。
下手に鎧を着ていると被弾時に砕けた鎧の鉄片で負傷することもあったというし
南蛮胴みたいな奴ならともかく、鎖使った一般的な鎧だと、銃弾で砕けた皮膚に鎖が食い込んで酷い事になるんだよ。感染症的な意味も含めて着ない方が安全なの。
559 :
557 :2009/04/19(日) 22:09:35 ID:???
リロードしてから書き込みせんと駄目やね かぶってしまった でも鎧を着続けてる人達や新たに鎧を調達してる人達もいるんだから不思議やね
真新しい晒を腹にきつく巻くのは、やらないよりはましだったんだろうな
>>560 任侠映画でヤクザが巻くのと同じで、刀で腹を切られた時に、臓物が外に飛び出るのを
ある程度防ぐ作用はあるらしい。
防弾・銃創に対する効果はないと思う。
綿をキツく多めに入れた、厚い革の襦袢みたいな防弾服は、ヨーロッパの戦争でも使われている。 また少し遡ってナポレオンの時代、敵に突入する騎兵は、胸甲を着用していた。 けど時代は既に南北戦争直後だから、三兵戦術も廃れてるだろ。 ガトリングガン相手じゃ突撃もへったくれも無いし。
>>562 騎兵の装甲に意味があるとは思わんが、
ガトリングガンも要塞防御程度でしか役にたたんだろう
その時代には浸透戦術を各個誘い込んで撃滅するような
縦深野戦築城なんてのも無いだろうし
新紀元社の「武器と防具 幕末編」がお勧めだ。 フランス式とアメリカ式弾薬箱の違いまでイラスト化してある。 幕府海軍の水兵がカトラス銃剣なるものをもっているとか、初めて知った。 カトラスみたいに幅広の銃剣かあ。つらいずらそうだなあw 胸甲は日本には渡ってないみたいだね、この本によると。
カットラス形の幅広銃剣、薙刀を想像した。
このころの洋式装備って円ピって持ってたのかな?
567 :
名無し三等兵 :2009/04/20(月) 22:43:16 ID:eio311R6
見たことないね、土工兵は木製のスコップ(?)だけかと。
アメリカ南北戦争では、兵士たちは移動するたびタコつぼをほってたそうな。
>>567 だよね、歩兵が円ピを持ってる絵見たことないし
時代が下ると、円ピは小銃と同じくらい重要な装備だと感じるけど
この時代は野砲が発達してなかったから、壕を掘るという必要性も低かったのかな
>>569 この時代というか、西南戦争の頃の陣地をみても、壕ではなく、胸壁が主流なんだよな。
でも、
>>568 氏も指摘しているように、南北戦争では第1次大戦を思わせるような、複雑な塹壕を掘ったりしている。
アメリカが、実戦で得た経験に基づいて、壕を掘っていたのに対し、欧州では旧来のマニュアルに固執、
欧州仕込みの戦術の模倣の域を脱していない日本も、上に積み上げる陣地を好んだのではないかと想像するが。
「普請場の人足じゃあるいまいし、侍が穴なんか掘れるか!」という考えかもしれない
農民や町人、郷士などの下層階級が主体だからそれは無さそうだけどな。 大体、胸壁作るにしても穴は掘らなきゃいけないし。
墓穴みたいで嫌だとか 雨水が溜まるのが嫌だとかかなぁ
衛生問題が洒落にならんからな、日本の高温多湿だと。
そんなこと言ったら、南方の洞窟陣地で戦った兵隊さん達はどうなるよ
壕に篭ると、前装式の銃の装填作業が迅速に出来ないとか? 壕を掘らない理由ってなんだろね
577 :
569 :2009/04/21(火) 00:53:52 ID:???
>>570 胸壁だと、頭越しに遮蔽物の後方に着弾する榴弾に対して脆弱だし
至近弾や直撃に対する陣地自体の耐久力も限度がありそう
やはり、野砲や榴弾の発達や普及度と関連してそうな気がするんだが、どうだろう
南北戦争は良く知らないんだけど、たしか榴弾を使用する野砲や臼砲が使われてたよね
578 :
名無し三等兵 :2009/04/21(火) 00:58:17 ID:RGhpz0ed
前装銃は立った状態でないと装填が難しい だから胸壁にこだわったのでは?
579 :
名無し三等兵 :2009/04/21(火) 01:05:18 ID:R1b2L8TH
撃ち合い→白兵戦って流れでだったからでは。
「チェストー!!」とか叫んで薩摩人が突撃してくるときに穴の中にいたら脳天空竹割りにされそうだな
>>454 ヤーゲルというかミニエ以前のライフルは
無理やり弾押し込むしか無かったんだっけw
圧力で食い込ませる方法は大発明だったんだなあ
日露戦争以降で白兵戦は主流じゃないだろ。 せいぜい維新戦争や南北戦争まで
585 :
名無し三等兵 :2009/04/21(火) 08:24:36 ID:iMfsFBkN
えー?おかしなこというなぁ 白兵戦しなきゃ陣地取れないじゃん
白兵戦はただの後始末 敵兵が陣地になだれ込んできた時点で勝負は決してる 逆に言えば、敵陣になだれ込める状況を作るまでが本当の戦い 白兵戦をしないと陣地取れない→白兵戦は主流であるって論理は無理がある
よく読め そもそも誰も主流かどうかの議論などしてないのだが 野戦陣地攻防戦の解決手順の話
>587 よく読んでないのはお前だろ。 その”手順"における白兵戦の比重が低下してる→塹壕のデメリット低下。
ざん壕陣地が白兵戦にデメリットがあるとは初耳だ むしろ、対火力防御のメリットから、ざん壕が普及したと言うべきじゃね? つまり白兵戦の重視度とは、直接関係無いと思うが 歩兵の最終的役割は地域占拠だから、白兵戦は現代でも重視されてるし、主要な戦闘方法の一つだよ
俺もそう思うけど げんに戊辰戦争では塹壕でなく胸壁が使われていたわけだから、 なにかデメリットがあったと考えるべきじゃないか? 彼らが塹壕の概念を知らなかったわけじゃないよな?
白兵戦においては、立ち位置が高い方が圧倒的に有利だろ。 加えて外部から攻撃された場合、武器の取り回しが不自由なため更に不利になる、 また、準閉鎖空間であるため爆薬・火炎瓶などの影響も大きい。
593 :
名無し三等兵 :2009/04/21(火) 13:04:21 ID:7IYzszTR
歴史的背景は無視してレスするけど 塹壕にこもると心理的圧迫感が強いのが一因では 突撃を受けても不十分な訓練を受けていない兵士じゃ逆にパニクるよ 視界が低くなるので見通しも悪いしね 現役Jがそう感じました
>現役Jがそう感じました 現役女子高生!?
>>593 >塹壕にこもると心理的圧迫感が強いのが一因では
私は掩体に入るとむしろ安心感を覚えました
人によるんでしょうね
俺も一瞬JK見えたが、同じような発想する奴が他にもいるとは……
第一次大戦が塹壕戦になったのは、機関銃と大砲の多量使用による、掃射密度と砲撃密度が上がり、がむしゃらな突撃は自殺行為になったからじゃない?
みんな もぐらさんになればいいんだもぐー
WW1初期の仏軍は野戦築城をしなかったらしい。
戊辰戦争と南北戦争の違いは弾薬消費量じゃないか? たとえ使用する銃が同じでも、アメリカは日本より遥かに工業化されていたし、鉄道もある。 当然、戊辰戦争より南北戦争のほうが消費できる弾薬量がずっと多かったろうと思われる。 いっぽう日本は鉄道もなく、道は狭い街道ばかり。 そもそもシャスポー銃なんて弾薬の国産化できなかったわけだし。 つまり弾薬欠乏で、散発的にしか銃撃できなかったから、塹壕なしでもなんとかなったんだよ。
それじゃないかな。 要は塹壕を掘らなければならない程の火力が無かった。
弾薬欠乏の話は、戊辰戦争の記録にはよく出てくるぜ。 鳥羽伏見は都会だったからなんとかなったろうが、北関東に会津、蝦夷、どんどん戦場が田舎になっていくからなw どっかで、戊辰戦争時の兵隊は弾を30発しか持っていなかったって読んだぜ。 普仏戦争なんかじゃ100発くらい持ってるのがあたりまえだったのにだ。
>鳥羽伏見は都会だったからなんとかなったろうが、北関東に会津、蝦夷、どんどん戦場が田舎になっていくからなw 「補給線が延びて」なら判るが…
ああ、口が滑ったよ。 補給が不便になる、でいいな? 蝦夷は港があるから話が別かもしれないけど、京都より会津のほうが明らかに補給が困難だ。 新潟を獲られたあとの列藩同盟軍は、もうどうしようない気がする。
こんな事を書いちゃなんだけど容保の首1つでもしも収まる事だったなら 自決すべきだったとは思う。
>>605 そうかもしれないが、もし会津藩主が死んで恭順しようと考えても、
まわりの忠臣たちが「殿を死なせるくらいなら私が死にます!」って特攻じみた行動をとっちゃう気が。
会津が戦力を分散させちゃって負けて、みたいな記事をよく見かけるけど 戊辰戦争って部隊同士の連絡(増援要請とか)はどうやってたの? 狼煙とか? 伝令のみ?
伝令以外ないでしょう?狼煙はやってたのかなあ…。 何れにせよ会津戦って全体的に情報戦(戦力が拡散したのはあるけど)で敗けた点は多いと思う。
>松平容保 その場その場の仕事に忠実だっただけで気の毒なんだよなあ
コングリーヴ・ロケットみたいなものを飛ばして信号を送れなかったのかな。 光を明滅させればモールス符号も伝達できるし。 大鳥、お前優秀な技術者なんだろ、何か助言しろよ。
情報伝達されようがなされまいが戦力不足はあきらか
補給が途絶して、兵力の迅速移動ができなくて、 装備は劣り、訓練も足りず、民衆には離反され、 あげくの果てには隊長が部下を置いて逃げて…… こんなグダグダ状態では何ヶ月も耐えたことが天晴れといえるかもしれん。
つうかよく城が持ち堪えたよなあ。 原型留めてはいるんだから。
>>613 大型砲をもってこれなかったからでしょう。
「武器と防具・幕末編」によると、会津攻撃に使われたのは砲弾重量6ポンドしかない小型アームストロング砲で、とても攻城戦に使えるものではない。
ふつう城塞攻撃には40ポンドとか100ポンドとかの砲を使う門です。
会津落城直後の写真があるけど、天守にホクロみたいな穴が多数あいてるだけ。
(ただし標準的な野砲だった四斤山砲は城壁を抜けなかったそうだから、まだましかと)
>>612 8/21日に母成峠を突破した新政府軍は23日には城下へ。
白虎隊の悲劇や、婦女子が多数自刃したのはこのとき。
正規軍を急遽呼び戻してようやく電撃的陥落は免れた。完全に後手に回ってるな。
野戦築城と塹壕戦で教本にも載ったのは戊辰戦争では土方歳三が 二股口でやった縦深遅滞戦闘だけか。
戊辰戦争は、ちゃんと軍事教育を受けた人間より受けてない人間が活躍したという不思議な戦争だからなあ。 土方もそうだし、乾退助とか。沼間慎二郎とか。 当時の教本が戦場の実態に即してなかったんだろうね。
学研の「幕末大全」下巻にも書いてあるじゃん。戌辰戦争は、当時のヨーロッパの袋小路に陥った戦術と、その戦術さえ学べなかった未熟な軍隊によって戦われた戦争といえると
四稜郭は?
紀州藩はどうだったのだろうな。 将軍家そのものも紀州系の家計だが、 動向が気になる。 また、紀州藩はかつて鉄砲で有名な雑賀衆がいたことがあるのかもしれないが、 かなり早期に洋式軍学を導入し、洋式装備も充実させていたらしいが。 長州征伐のときも、紀州藩勢は奮戦していたらしい。
紀州藩がしっかりしていれば、大阪城は落城しなかっただろうね。
マスケットの心算でライフル構えて100mで両軍一斉射撃 グローリー
>>619 四稜郭はダメ城塞だと思うぞw
小さすぎるし、一つじゃ何にもならんし、井戸もないから持久できないし……
酷寒の中、聞きかじりの知識(軍事顧問団にも築城の専門家はいないよな?)で作る大鳥たちを想像すると萌えるがw
四稜郭は五稜郭が艦砲の射程内になったので、 新たな支とう陣地として設営したんジャマイカ。
>>625 五稜郭が艦砲射撃の射程に入る云々より
函館山放置していた辺り弁天台場の存在を過信していた感があるけどね。
土方や星辺りは五稜郭を放棄して、守りやすい函館山に城砦築くべきだと主張していたらしいが。
あの山、井戸掘れば地下水でるし。
>>626 あとあの山を登坂してくるとは思わなかったんだろうね。
かなり急だw
確か戦国自衛隊のコミック版描いた作者による日本内戦のコミックで、 外国武装勢力が五稜郭に本営置いて函館市内制圧していた為、 ヤクザを中心とするゲリラが海から函館山を攻撃、占領。 函館山に布陣してあった155mmロングトムを接収して五稜郭に打ち込んだ話の元ネタは 実際の五稜郭の戦いを基にしてたんだと最近気付いた。
五稜郭は建設途中で金が無くなったせいで不完全な上に 出来た時には時代遅れというのが悲しい。
平城が欧州で普及したのは18世紀前半だったかな?
>>607 狼煙 ここれす! 存在場所を敵にも教えてしまう
伝令 要請して増援が戦地に着いたら、もう終わっていたなんて事も
甲陽鎮武隊は増援を神奈川へ呼びに行ったが・・・
甲陽鎮撫隊はそもそも最初の行軍からしてダラダラし過ぎ。
近藤(大久保というべきか)は、途中で宴会とかやってるしなw お前ら軍事行動をなんだと思ってんのか。
行軍見積もりができなかった悲劇
>>634 一応ほら、募兵のために、幕府が健在だってことを示さなきゃならなかったから……
100人程度の先遣隊を派遣しておいてもいいとおもうのだが・・・
甲陽鎮撫隊は、勝海舟が江戸開城をスムーズに行う為に、不穏な動きをしそうな近藤達を厄介払いするためって説があるが、勝ならやりかねない。
近藤達がうまくやったらやったで結構というスタンスだろうね、勝は。
640 :
名無し三等兵 :2009/04/22(水) 22:59:18 ID:veOGZfuM
甲州勝沼にある戦跡には近藤勇の銅像があるが、あれは酷い。 まるでガキのような風貌と等身・・・軍装も全くなってないし。 あんな子供が彫ったようなのじゃ税金の無駄だし、本人も泣いてるだろう
さっきまでNHKの歴史秘話ヒストリアで新島八重(旧姓山本、会津藩砲術師範山本権八の娘)を取り上げてたね
かっこよくて萌え。日本史サスペンス劇場で八重を演じた大島美幸はブスだった…
>>634 隊士たちの故郷でさかんに宴会を催したり、宴席で甲府を取れば100万石の大名だ
なんてブチあげたりと、どうにも締りがないんだよね
もう半ばあきらめモードに入ってたのかもしれない
>>643 資金援助を受けたりしてたから宴会やらざるをえなかったみたいね。
現代より人間関係とかそういった面は濃密だったろうし、日野や八王子の人々
が戦況を把握するのは不可能だったろうし。
何で、近藤とか土方は人気があるのに、小栗、勝、榎本、大鳥達は人気無いんだろう。小栗以外は世渡り上手で明治以降も活躍してるのに
世渡り上手で、負けた後も活躍したからこそ、人気が無いんだよ。 土方が日本陸軍の将軍になっていたら、坂本竜馬が坂本財閥の総帥になっていたら、きっと不人気だったろう。
信念のために死ぬ、みたいな「偉大な敗北」が好きだから、日本人は。 俺も大好き。 こういう陶酔は軍事的に最低なんだけど、土方とかは民衆を自己満足の道連れにしなかったので、 旧日本軍よりはマシだと思って……ダメか?
でも、土方は仮に死ななくても、日本軍には入らない気がする。 生き残った徳川武士団を連れて、安住の地を求めて世界に旅立つんだ。 数十年後、中国の崑崙山脈の奥地に、「誠」のノボリを立てている村が発見され……w
土方は指揮官として、どうなのかな?箱館戦争二股口の戦闘で、小銃弾を一日で35000発余消耗して新政府軍を撃退してるが、与えた損害が20名程度という。って事は射撃軍紀が確立出来てないって事じゃん。
>>649 戊辰戦争って、一つ一つの戦場の死者は少ないよ。
死者20名は、当時としては大きな損害を与えた部類に入る。
他の戦場でもそんなもん(どっちかが壊走した場合は別ですが)
>>649 のちの軍人と比較すればヘタクソなのかもしれないけど、
相対的にみて戊辰戦争のなかで優秀だったことは間違いないかと。
ただし、彼は前線指揮官であって、大軍を率いるには向いてない。
宇都宮城攻防戦で指揮を執って敗退したときは、かれ自ら刀を振るって最前線に立っている。
2000人を率いる人がやるべきことではない。
歴史群像シリーズ「土方歳三」によれば、
最前線に立たず、離れた場所から大局を捉えて迅速に予備兵力を投入していたら勝っていたかも、と。
無能とも言われる大鳥圭介と比較し、
「100人対100人なら土方の圧勝だが、1000人どうしなら勝負は分からず、1万人どうしなら大鳥の勝ちは揺らがない」と書いている。
なんか急に劣化した気がする
伝習隊って、砲撃・銃撃戦は得意だが、剣術が出来ないので白兵戦に弱いって言われる。
>>645 小説などフィクションの影響が一番大きいんじゃないかな。
645があげた4人は司馬遼太郎とかがあまり良く描いてない。
燃えよ剣でも大鳥の事も無能な人物として描いてるし。
そのフィクションで作者に選ばれる基準が日本人のストーリー上の好みなんだと思うが
大鳥無能説はフィクションによる刷り込みだよな。 完全に土方の優秀性を描くための引き立て役じゃん。 あ、「歳三往きてまた」は例外。 土方の盟友としてそれなりによく描かれている。 ラストシーンも「土方の死を悼んで花を捧げる大鳥」だし。
勝海舟 大河ドラマ 子母澤寛の作品 榎本武揚 日テレ大晦日ドラマ TVオリジナル脚本?架空の人物が居たような
でも坂本竜馬が人気出たのも司馬遼のおかげで、「竜馬がゆく」以前はまったく注目されていなかったそうだから、 なんかのヒット作で榎本や大鳥に人気が集まることも……ある……か?
漱石の猫に名前だけ出てきたような「維新の豪傑、坂本龍馬」ってカンジで 当時はその程度のイメージだったのかな ともあれ人間、死に所が生涯の一大事ということだね 志半ばにして散った人間は、あったかもしれないその後の人生が答えのないまま 永久に語られ続けるからね。義経しかり信長しかり・・・・・・・・尾崎豊しかり 赤穂事件の処理を巡って、「その名と義挙とを永久のものするなら、速やかに死を与えるべき」 綱吉の問いにこのように答えた輪王寺宮は卓見だったというわけだ。
勝は切れ者って評判だったが、切れ者に有りがちな周りからは、嫌われてた。小栗も上司にも直々物言い、仕舞いには罷免されてるし、榎本は動かなかった事で東北人に嫌われているし
佳人薄命、The good die young. 日本に限った話でもない。
>>660 榎本はあれなんで動かなかったの?
海上の動き制約できるだけで戊辰戦争の流れ
だいぶ違いそうなのに
幕末の人物で榎本武揚が一番好きだといったら基本的に微妙な反応を返される。
俺はまったく逆に、佐々木譲「武揚伝」で幕末に興味を持ったので、 「薩長は残虐非道、勝は口が上手いだけのペテン師」みたいなのが刷り込まれてしまっており、 「西郷が好き」「勝が好き」といわれたとき微妙な反応をするw
しかし西郷隆盛が、好きと言うと皆納得してくれるが、大久保利通が好きと言うと、微妙な顔をされる。
大鳥が無能軍人だと思ってる人はまだマシで、 「大鳥って誰だっけ?」みたいな反応がメインで……(泣) あやまれ、琵琶湖疎水にあやまれ!
>664 同意、勝は咸臨丸の「オレは帰るバッテラを出せ!」で口だけのイメージしかない 氷川清話ころは結構面白みが出て来るんだが。 >666 >「大鳥って誰だっけ?」 中国だと有名人よ日清戦争の頃の「冷酷非常の悪の外交官」だけどw
>>662 徳川家の処遇が決定するまで様子見してたんじゃなかったっけ?
まぁ、動いた所であんなにポコポコ台風で沈む艦隊に戦争自体の流れを変えられるとも思えませんが……。
鳳 啓助 読みは同じなのれす
勝が居なかったら宮島談判も江戸開城も無かろう。
大村益次郎が好きだというと、知ってる人は「大いに」納得してくれる。ほっといてくれ。
歴史好きでもないと大鳥は知らないだろうね 「男谷精一郎? アジア一の性豪ってカンジの名前っスね」 2chでこんな反応見たことがある。 直心影流やってたオレがヘコんだのは言うまでもない('A`)
勝は漢の劉邦に仕えたショウカみたいな奴だぜ。 江戸幕府が滅びる際にやばげな資料とか書類とか幕府の役人達は昭和陸海軍みたいにバンバン燃やしてしまって 明治政府誕生後には江戸期の国勢資料とか何もなくなって往生してしまったんだが そのときに旧幕府役人まとめて、或いは訪ねて行って資料を復刻していったのが勝なわけで。 西郷は嫌いだが勝は大好きだ。
>>628 いっちゃなんだが
その作者がかいた本なんてまるで信用できないんだがw
現代兵器をなめるのもいい加減にしろ、と
戦国自衛隊を見てて何度思ったことか・・・
あれを書いた作者はww1で数機の重機がすえられた陣地に
1000単位の兵士が犠牲になったことも知らないらしい(ww1)
戦国時代なんて全体の2割も喪失したら壊滅といわれていた時代なのに
保身が上手なひとのそばにいると貧乏くじひきそうでいやん
677 :
名無し三等兵 :2009/04/24(金) 16:07:50 ID:Sj44BcUN
アンチ司馬の構成でつくった幕末ドラマを見て見たい。
679 :
名無し三等兵 :2009/04/24(金) 17:07:56 ID:WDsHjaW8
>>678 佐高と佐々木譲の赤いコンビで。
西郷や大久保がどんだけ悪党に描かれるか楽しみ。
ただ佐々木譲はちょっと変なんだよな。
孝明天皇が暗殺されたという話を事実だと(小説の中じゃなくて歴史的事実として)断定してるし、
『土方歳三は洋装を見事に着こなしているので、単なるサムライではなく近代的価値観を身に付けていたのだろう』とか書いてるし(笑)
服で決まるのかよ(笑)
信州の蘭学者の赤松を斬殺するなど汚れ仕事をしたりして、会津征討軍の総司令官になった桐野利秋は、地味かな
桐野利秋といえば、柳の葉から雫が地面に落ちるまでに刀を数往復させたとかいうほどの超手錬 ちなみに近藤勇を高く買っていて、オイがいれば斬らせなかったと言ったとかいう話だが、薩人 は比較的、敵方に寛容なイメージがあるな ところで、幕末明治の日本人の体格って、男子では150cm後半程度だったということだが、著名人 に平均を大きく上回るようなデカい人が結構いるのはオモシロイ
>680
会津攻撃の際の桐野と言えば、
若松城の幸福受け入れの際にどんな風に振る舞ったらいいか分からず、
忠臣蔵の赤穂城受け取りのシーンを必死で思い出して真似した……とか。
自分なんかは憎めない人だなぁと思うけど、会津贔屓の人からしたらちょっと許せないかもねー。
>>681 長州人だって不寛容ってわけじゃーないよ。
山本覚馬なんか会津に居た頃より重用されてるし。
> 柳の葉から雫が地面に落ちるまでに刀を数往復させた これ大山巌って説もあるな
秋田戦線の佐賀藩も面白いネ
>幕末明治の日本人の体格って、男子では150cm後半程度だったということだが 実はこれには裏がある。当時の日本人の武士階級と平民階級には体系・顔つきに大きな差がある。 実際に幕末の町人が写っている写真を見てみるといい。現代日本人というよりは中国人のようなのっぺりした顔が多いことに 気づくだろう。これは食生活の違いによって起こってるらしい。 だから、武士出身の有名人の背が高くみえるのはむしろ必然。社会階級が高ければ高いほど 当時としては珍しい体系に生まれつく可能性があがると考えられる。
増上寺の発掘調査を行った鈴木尚教授の本にもそんなことが書いてあったな 彫が深く、面長で頭が大きい(徳川慶喜みたいなカンジ)、ただし歯並びが悪い。 これらは貴族化した人間の特徴で、現代人に近い形状だとか 幕末日本を見聞した欧米人の記録にもそのあたりが言及されている。上流人は 庶民に較べると大変に端整な顔立ちの人間が多く、欧米の貴人にも劣らない云々 ちなみに増上寺に埋葬された将軍たちの中で最も整った容貌をしていたであろう というのは意外にも9代家重だったりする。 ただ、身長については増上寺の将軍たちはいずれも155〜160cm程度で当時の平均 よりもわずかに高い程度だとか
武士階級のが身体条件良いのは当然でしょ 毎度剣の稽古をしてたわけだし それこそ木刀で打ち合いのため骨折とか当たり前だったそうだし なにより農民よりも栄養条件がいい
殆ど毎食魚や肉を食えていたからな 貧しい武士でもおからを頑張って食べていた
やっぱ人間怠けるんだから、武士がみんな鍛錬に励んでいたって話は賛同できないなぁ。 そんな体力有り余ってるんなら内職するだろうし。
>690 それは逆 経済的に余裕があり、心身鍛練を欠かさなかった人間だけが 動乱期に活躍出来、記録にものこっている。 困窮していた有象無象は町人に埋もれてしまっているんだよ。
692 :
名無し三等兵 :2009/04/25(土) 12:25:34 ID:htzRqBBi
幕末には大多数の武士が平和ボケしたサラリーマン化してたろう イメージと違い剣の鍛錬なんて良くしてたのは一部の武士と庶民だけでは
>>692 武士が勤め人化してたのはある意味当ってる
でも、庶民、特に圧倒的多数のまとまった財産を持たない層は
都市部では子供を自力で養えず奉公に出すのが普通だったし
農村部も、農法改善で安定した収量を確保できるようになるのは、明治の中頃以降
彼らは教育や余暇に向けた経済的、物理的余裕に乏しい
つまり、剣を通して、体と心を鍛えるとか、書物から知恵を得て人生を豊かにしよう
などという考え方も希薄だし、それをしている暇もなかった
江戸中期には既に切腹もいわゆる扇腹になって、形骸化しているし 鈴虫の繁殖に精を上げてたお侍がいたりと、太平楽の時代に人心が 軟弱化するのは江戸時代とて例外はないさね とりわけ旗本の知力武力の劣化ははなはだしくて、徳川氏駿府転封後、 藩校設立に際した入学試験では「掃部頭」「雅楽頭」が読めない 安禄山を唐土の山の名前と答える等々、試験官を唖然とさせるほどの 学力だったとか 幕末の人材がむしろ中級以下の武士から出てきたのも偶然ではないのかも
>>694 江戸時代の武士(主に旗本・御家人に関して)の出世の条件は、
付け届けなど金権的な要素も大きいが、
基本的に字(特に漢字)に関する知識がどれだけ深いか、
つまり行政書類など書類作成能力が問われるのが大きな条件。
当たり前だけ、要は行政の役人としての実務能力が問われたわけだ。
田んぼ溜池を取った取られたしてたような武装集団の構成員から、 中央政府の官僚にシフトなんてむちゃくちゃ無理のある転身だよなぁ
>藩校設立に際した入学試験では「掃部頭」「雅楽頭」が読めない >安禄山を唐土の山の名前と答える等々、試験官を唖然とさせるほどの >学力だったとか クソワロタwww こういうエピソード大好き。もっとない?
698 :
名無し三等兵 :2009/04/25(土) 15:06:18 ID:26GeddLN
幕末に勘定方に仕官がかなった武士が剣術を習おうとして、仲間に 「酒の上ならともかく剣術で手を怪我したら申し訳が立たないぞ」って 止められた話があるな。
>>696 それでも意外にうまくいったケースが多かったり
武士って士農工商で一番生産性がないんだよね…。 畳の上での奉公ができた人なら行政職と必要だけど、仕事もないのに捨扶持を与える 小普請組なんか公金でニート飼ってるようなもんだしな。
当時の普請って、結構仕事があると思うのだが。
小普請組ってのは、旗本、御家人で禄高三千石以下、無役の者で構成された組織 のことで普請を司る役職のことではない。ちなみに禄高三千石以上で無役の者は 旗本寄合席に構成される。 幕臣のランク分け程度の意味しかないもののようだね
城やそれに付随する建物の修理などだから、 仕事は意外とあるぞ。 現在でも、一定の規模の建物だと 常にメンテナンス係が何か修理するほどだし。
>703 役職名と実態が乖離するのは珍しくもない。
「征夷大将軍」からして実態と名称が乖離しているからな。
幕府海軍って、錬度はともかく軍艦は当時の一流品ばかりなんだってね。 もうちょっと陸軍の調練法を変えることに成功してれば、日本は未だに将軍が支配者だったかもしれない。
>>707 船は一流品でも、中身がね。
いや、砲術や戦術は一生懸命勉強するんだけど、航海や機関の勉強にな
るとそっぽを向いちゃうとカッティンディーケ先生も言ってました。
お陰でってわけでもないんだろうけど、台風で船がポコポコ沈む羽目にw
>>707 それはどうだろうな、幕府側は編制や人事の面で結局身分制の壁を取り除けなかったし。
単純に戦場での調練を変えただけじゃダメだろう。
訓練の問題じゃないな。 根本的な体質の問題で、負けるべくして負けた。 徳川慶喜と、大鳥や小栗のような主戦派幕臣と、榎本率いる幕府海軍、会津など東北諸藩 これらすべての連携が支離滅裂だった。最後までバラバラに動いていたから負けた。 徳川慶喜が主戦派の意見を受け入れていれば陸戦で勝つこともできただろう。 海軍がさっさと動いて東北諸藩を援護していれば会津は救われていたかもしれない。
東北諸藩は会津は助けたいけど幕府を盛り立てたいかっていうとぜんぜんそんな気はないしなぁ
>>710 情勢変化に右往左往して、足並みを乱したあげく勝てたかもしれない戦
をむざむざ落としたわけだ。なんか関が原に似てるな
13代なり14代なりに慶喜が就いていれば、意思統一が図れて歴史も大いに
変わったかもしれない。
徳川慶喜の人物評は難しい。 単に戦争が怖かっただけの小者なのか、 外国の介入を招くことを憂いてあえて戦わず屈服したのか「大局が見える男」だったのか、 よくわからない。 俺は前者だと思ってるけど、結局わからない。 現場の人間としては、とつぜんの敵前逃亡にブチキレ寸前だろうが。
自分は後者だと思っている 慶喜は長州戦争の後からフランスの強力で一気に幕府軍を 近代化しようとしたが、フランスのやり方に「こりゃフランス軍の1師団扱いに 取り込まれるというかシステム化されかねんな」と感じて行ったのかもな そして、このままだと倒幕軍との戦いが英仏代理戦争化して 最後は両国が介入して大戦争にして日本人が統治できない状態にしてから両国和睦、 領地を分割と クリミアや南北戦争でどれだけ国土が荒れるかとかも幕府には情報が伝わっていただろう
徳川が政治の上の方にいる限り、元譜代大名が擦り寄ってくる そして軍閥化する これでは中央集権を達成できない。幕末の人々の間で、そんな議論もなされていただろう
>>711 そりゃ幕府と慶喜自身が会津を見捨ててるもの。
会津の人達が長州を憎いと言う あれと同じ事が日本全国で起こっていたら大変だった 対会津だと蛤門の報復という面もあったのかな
慶喜は前任者の家茂にもはっきり嫌われてたしね。 家茂がはっきりと慶喜に家督・将軍職継承の意思を伝え、 かつ公表してたらもうちょっとマシだったかも知れん。
慶喜は長州戦争の際に、和議が成りそうな情勢なのに攻勢を行い結果惨敗 その後、手のひらを返したように朝廷に停戦の詔勅を請う等(勝の働きが無駄に) 水戸らしく面子や名誉欲に拘る割に腰が座っていないところがある。 それが鳥羽伏見でも悪く作用した(二心殿とか揶揄されてるね)。
最高司令官の敵前逃亡なんて前代未聞だからなぁ
とはいえ、あの時の判断が難しかったのも事実
普通にやれば勝てたとはいえ、その後に天皇や朝廷の要人を抑え
られなければ、後で薩長に攻勢をかけられてそれこそ徳川氏も江戸
もひどいことになっただろうし
>>718 公武合体の流れで緩やかな維新の道筋もありえたかもしれないと思うと
家茂や孝明天皇の急逝もおしかった。
敗北そのものよりも、全責任を放り出して逃げたことが致命的だなぁ。 降伏するにしても、撤退するにしても、はたまた抗戦するにしても 将軍自身が決断して実行しなきゃね。 おかげで残された人たちはどうしたら良いか分からなくて 結局、バラバラに逃げることになっちゃったし。
>>713 単純に超がつくほどの勤皇者だからだと思うが
薩長相手ならともかく天皇が敵になった時点で弓をひくきはなかったんだろう
なんせあの長偏屈水戸思想の塊である斉昭の息子だし
>>722 それなら堂々と「降伏する」「恭順する」って言えばいいんだよ。
それを、徹底抗戦論に一度ふらついてみたり、突然いなくなったり……
責任放棄以外の何物でもない。
それだと幕府が存続しちゃうじゃないか。身動き取れない官僚機構を丸ごと引っくり返さないと意味がない。
慶喜が官僚機構をひっくり返す為にわざと逃げ出したってのはさすがに無理があるわ。 それまでそんな言動も兆候も全く無いもの。
>>724 つまり、すべて計算していたと?
わざと醜態を晒すことで幕府を崩壊させて日本を救ったのだと?
いやあ、それは根拠ないよ。
そこまで神様みたいに先を読んでいたんなら、兆候とか、誰かに話を伝えていたはず。
単にいざってときに全てを投げ出して逃げるタイプの人だったんだろう。 育ちが良くて頭がいい人にはよくあること。 近衛とか細川とか安倍とか・・・
>>727 日本で最高の総理大臣だろう
安倍は・・・たんに日本国民が裏切っただけで残念だ
スレ違いだからやめようぜ。
流れを断ち切って申し訳ないですが、当時の英国の大砲ってどうなの?アームストロング砲って主力じゃなさそうだし。歩兵の方は射撃技術を含み一流と言われるが
それなら薩英戦争を考察してみるのれす
英国陸軍の方なのです。砲兵と言うとナポレオン以来の伝統なのかフランスというイメージなものですから
薩英じゃアームストロングが破裂してしまった 一方日本では小口径砲が多く大事故にならなかったので 速射が出来るライフル砲のアームストロングは重宝された
アームストロング砲のトウ発事故って、工作精度と砲身材質のどっちが主因? 発砲数が少ない日本では、あまり重大視されてないとこ見ると、砲身寿命や尾栓の構造強度もありそうかな?
>>734 歴史群像のアームストロング砲特集では尾栓の問題が第一にされていたな。
南北戦争でも輸入した北軍は尾栓の固着を実施。
西南戦争では極少数が参加したが、戦役中に全て消耗。
矢張り尾栓の構造的欠陥っぽいね。
やはりこの時代の最優秀ライフル砲はクルップ砲? クルップ砲と言えば開陽丸の主砲だが、文献によっては前装ライフル砲だったり後装ライフル砲だったりするわけだが、 いったいどちらが正解なのか。
パロットライフル砲とか良さそうなんだけどなぁ。弾丸は、プリチェット弾みたいに尾栓がガス圧で開くの?四斤山砲みたいに、鋲みたいのが表面にないけど
>>736 江差で引き上げられたのは後装ライフル砲。
いろんな砲を装備してたから取り違えられてるのではなかろうか。
>>737 そのとおり、パロットライフルは砲弾の尻が広がってライフリングに食い込む方式。
「武器と防具 幕末編」にそう書かれている。
また「命中率の高さに定評がある」とも書かれている。優秀な砲だったようだ。
ただし、同じくらいの口径のライフル砲で比較すると
四斤山砲 口径86ミリ 砲身重量100キロ 全備重量218キロ
アームストロング6ポンド砲 口径65ミリ 全備重量250キロ
パロットライフル砲(3インチ) 口径76ミリ 砲身重量403キロ
パロットライフルだけ異常に重い!
他の砲から類推すると、全備重量は800キロくらいあるんじゃないか?
日本だと運搬に一苦労だな。
パロットって、アームストロング砲の尾栓を塞いで、その周りを補強したような形状だよね。主に艦載砲か要塞砲で使われるたのかな
>>740 戊辰戦争で用いられていた3インチパロットは、
南北戦争の北軍で一般的に使用されていた野戦砲(の中古)だそうだが。
もちろん大型の奴は艦砲としても使われている。
四斤山砲の斤ってなんぼ? 日本式で1斤600グラムだったのか、単にポンド=斤で454グラムなのか……
>>742 フランスだから斤=キログラム。
ソースは「武器と防具 幕末編」。
4キロの砲弾を発射するのに全備218キロで済むのか。 グスタフアドルフの連隊砲が1.5キロの砲弾を全備300キロで発射していたことを思うと隔世の進歩だな。 だが山砲でなく野砲である同時代のアームストロング6ポンド砲と比較するとそんなものなのか。
この頃って、弾着観測とかしてたの?
間接照準したかってこと?
そうですね
射程距離と通信手段を考えろ
うろ覚えだからソースは出せないけど、新政府軍が五稜郭を砲撃したときは関節照準だったはず。土塁に視線が遮られて中が見えないから。 射程距離が2500メートル程度だから野戦では直接照準だろうな。
×関節照準 ○間接照準 筒井康隆みたいw
じゃあ野戦では、少数のアームストロング砲よりは、12ポンド榴弾M1853等の前装滑腔砲の方が良かったのかな。しかし砲手8名、馬12頭、御者6名は多いな
>>751 M1853(ナポレオン砲)は大威力だけど重すぎる。
全備重量2355ポンドだぜ! 1100キロだぜ!
そんなの山の中を運んだら道が崩れてなくなっちゃうよ!
やっぱり四斤山砲が当時の日本にはいちばんマッチしていたでしょう。
アームストロング砲よりは量産が容易であったと書かれているし。
詳しい人に、お聞きします。砲手って8名もいるの?4〜5名でも良いんじゃないか?全備重量って砲身重量の倍近くあるが、砲身以外何の重量を含むの?
753です。自己解決しました。すみませんでした。砲車の重量なのね。砲車って意外に重いんですね。
755 :
名無し三等兵 :2009/04/29(水) 13:02:21 ID:olCHLqLF
>>753 帝國陸軍の野山砲隊を見ればわかる。
連隊砲=41式山砲[75mm,重量540kg,射程6300m]の場合。
分隊長(指揮官)・1番砲手(装填手)・2番砲手(砲側予備)・3番砲手(撃発抽出)
・4番砲手(照準手)・5番砲手(砲架尾移動=射向変換)・6番砲手(連絡係)・
7番砲手(信管手)・8番〜12番砲手(弾薬手=後方から弾の運搬)、の
計12名にもなる。
分解搬送して人力運搬する場合にもこれだけの人数は必要だし。
"ただ撃つだけ"なら数名でも撃てるが、それだけでは持続的・組織的に
戦闘することは出来ないのよ。
あと火砲の中心は砲身だが、発砲の反動を支える頑丈な砲架・移動を支える車輪
など・それに何より弾薬が重い。
前記の山砲の場合、重量540kgのうち砲身は約 100kg強に過ぎない。
また通常は駄載だが、馬に固定するための頑丈な「駄鞍」自体も
約50kg近くあるのだよ。
>>755 詳しい解説ありがとうございます。12ドイムハンドモルチールって、今でいうと迫撃砲みたいなものかな
近代の後装砲と前装砲の砲兵って編成違うよな…… どんな編成だったのかしらん。 あと上のナポレオン砲の12ポンドって12キロ?それとも5.4キロ?
大阪の陣の時代から後装砲だよ 輸入品だがね
母子砲? あれを後装砲といっていいものかどうか……。
フランキは近代に登場した後装砲とは構造も性能も全く別物だしな。
戌辰戦争の時って、殆ど炸裂弾かな?鉄球弾も使われてた?あと曳火信管って、ちゃんと着地して爆発したの?
>>761 多分ほとんど炸裂
まぁ近代化をしていない諸藩は鉄球もまじってたとは思うけど
>>761 曳火信管は榴散弾用の空中破裂。地面に落ちちゃうと発火しても効果は薄いし、
弾着後は砲弾が原形保てれば破裂するし、弾体が破壊されてもその衝撃で着火しそう。
M1857(ナポレオン砲)って炸裂弾って言うより、キャニスターショット用って考えた方が良いのかな
hosyu
>>766 >「もう時代は刀じゃないのかもしれねえ」とアドリブを入れ
江戸帰参直後じゃなくて、土方の臨終にそれは無いわ。
つうか土方って鳥羽伏見の後あたりで文屋に、もう槍の時代じゃないとか言ってたろ
一流の剣豪でありながら洋式訓練も即こなし 最後は凡策に反対する頭脳を持ちつつ 決まった後は忠実に戦って散った清さもかっこいいのに
770 :
名無し三等兵 :2009/05/17(日) 23:03:07 ID:YeLZW4ow
幕府陸軍の規模って、 どのくらいの規模やったんな? また、伝習大隊はかなりの装備(最新式のシャスポー銃)を誇っていたようだが、 伝習大隊以外の幕府の部隊は、 どんな装備をしていたんな?
『幕府歩兵隊』、新書で手に入れやすい良書だけど。あまり読まれていないのかな?
旗本マジ市ね的な良書ですね、わかります。
773 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 08:58:36 ID:UkEhL7on
旗本等の直参共が、全く使い物にならない事ぐらいは 幕閣の連中も分かってそうな気がするが…。 何しろ、奴等は、プライドだけは一人前だが、 軍人として全く働こうとしないし、 小銃を扱う事等は、足軽の仕事だと馬鹿にする有様…。 幕府も、もっと早く、こんな奴等の知行地や俸禄等を没収して、 その金で、傭兵を養うようにすれば良かったんだが…。 幕府も、こんな役立たず共を養う程、 財政に余裕があるわけでは無かった筈だしな…。 まあ、軍事力を強化したところで、 軍事力を裏付ける財政が全く追い付いていない状況では、 遅かれ早かれ、幕府は経済・財政面から崩壊していただろうな…。
お家跡継ぎで役職不詳の実質文民官僚もどき でも武士と名づけられている人達
775 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 14:21:01 ID:UkEhL7on
長岡藩が購入したガトリング砲は、一門あたり五千両もしたそうだが、 アームストロング砲、四斤山砲等の大砲や、 スナイドル銃、シャスポー銃、スペンサー銃、ミニエー銃、ゲベール銃等の小銃って どのくらいの値段で取引されてたん?
777 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 16:09:17 ID:UkEhL7on
幕府は、武器工場ってか鋳造所を建設していたそうだが、 その武器工場の製造能力って、どんなもんやったん? …流石に、アームストロング砲を製造するような能力はあるとは思えんけど…。
778 :
徳川斉昭 :2009/05/18(月) 16:44:00 ID:???
くくくく。わが水戸藩の反射炉の威力をいまこそ夷敵にみせつけてくれようぞ。 ひとたび反射炉に火を入れれば、わが水戸藩のエネルギー問題は半永久的に解決。 さらにこれを武器に転用すれば・・・。 「ペルリ艦隊は現在3方向から那珂湊に接近中ですが、ゲル・ドルバ照準にあわせれば、この半数を殲滅可能です」 「825反射炉システムの門閥派さがれっ。影を落とすと出力が下がる!」 (おれの黒歴史ノートより)
幕軍の伝習大隊って、装備の方は良いが、人に関しては無宿者やならず者を集めたので、規律の面では最悪だったと聞いたことがある。
>>779 でも強い事は強かった。
逆に初期の歩兵は天領の農民だったので、のんびりしてるとか言われてた。
>>777 幕府方って事は関口の大砲製作所かな。
ブリュネーに「試射もして無いので使い物にならない」とか酷評されてたとか。
781 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 18:54:53 ID:UkEhL7on
どうせ徳川方が戦争を仕掛けるんなら、 アメリカに発注した甲鉄艦ストンウォール号や、 イギリスに発注したアームストロング砲(2,30門程)等が、完全に徳川方に引き渡されてから 仕掛けたら良かったのに…。
>>781 徳川から仕掛けようにもトップが水戸に引っ込んじまったからな。
リーダーシップを発揮できる人材がいない幕府に君の言うような戦略的な思考とか行動はできないよ。
>>773 旗本とかは事務官僚になってたんだろう。
今の防衛省なんかの官僚に部隊を指揮しろとか戦闘しろとか言っても無理なわけで。
784 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 20:02:44 ID:UkEhL7on
>>775 長岡藩が購入したガトリング砲が一門あたり五千両か…。
外国(武器)商人も随分長岡藩からぼったくったな。
初め、外国(武器)商人が幕府に売却する為に搬送して来た時は、
一門あたり三千両弱の値段(それでもかなりな割高だが)だったんだがなぁ…。
もっとも、幕府はガトリング砲購入を見送ったが…。
785 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 20:17:04 ID:UkEhL7on
幕府は、第二次長州征伐の前に、 フランスに、フランス軍艦の備砲と同種の、 銅製施条カノン砲16門を発注して、 この大砲を原価のまま(という安い値段)で引き渡されたそうだが、 この大砲の値段は、どのくらいだったんかな? …もっとも、この搬送されてきた大砲は、 軍艦に搭載される大砲だった為に、 もう一度、陸軍で使える同種の大砲を発注し直さなければならないというオチが付いているが…。
>>781 つまり挑発に乗って焼き打ちを仕掛けた庄内が戦犯って事ですねわかりますw
787 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 21:22:52 ID:UkEhL7on
徳川家は、旗本等の直参共はもとより、 戦国乱世の時代には勇名を轟かせた、 徳川四天王家(彦根藩井伊家、庄内藩酒井家、高田藩榊原家、岡崎藩本多家)も、 幕末には殆ど役に立っていなかったな…。 徳川家の直参共や、徳川四天王家等がもっとしっかりしていたら、 何も、会津藩松平家をわざわざ京都守護職にしたり、 浪人集団ともいえる新撰組なんぞに 京都の治安維持に当たらせる事も無かったろうに…。
>>779 シャスポー銃の弾の補充ができなくて、銃を換えざるを得なかったのが玉に瑕。
>>787 彦根はなぁ。
当主殺されて10万石減らされたらやる気もでんわw
>>788 弾が有れば有ったで今度は針がポキポキ折れて(ry
結局、なるようにしかならん。
790 :
月宮あゆ :2009/05/18(月) 21:42:29 ID:???
>>785 うぐぅ〜タイヤキのお金を渡そうとしたら大砲の音にびっくりして
逃げちゃったんだよ〜☆
>787 >徳川四天王家(彦根藩井伊家、庄内藩酒井家、高田藩榊原家、岡崎藩本多家)も、 >幕末には殆ど役に立っていなかったな…。 えっ、庄内藩は江戸の治安維持に頑張ったり、戊辰戦争でも活躍したんだけど…… それじゃたりないかね?
>>791 待て、庄内は薩摩の挑発に乗って、武力倒幕の口実を与えているだろう
>>793 あそこまで、露骨な挑発をされといて、我慢しろというのは酷だろう。
江戸市中で散々乱暴狼藉を働いて、白昼、多数が見ている中を、公然と薩摩藩邸に逃げ込む。
薩摩藩では知らぬ存ぜぬ、そんな者は入って来ておらぬ、を押しとおす。
周り中に目撃者がいても、そういう態度を貫く。こんなことをされて、江戸市民の治安が守れるとでも。
江戸市民がどれほど死んでも、幕府の方が大事かもしれんが。
>>792 じゃあゴムシールの腐食でも紙薬莢が湿気るでもいいや。
798 :
名無し三等兵 :2009/05/18(月) 22:54:06 ID:UkEhL7on
徳川幕府の慶応の軍制改革も、 フランスとの600万ドルもの借款の契約成立が全ての鍵を握っていたからなぁ…。 幕府がフランスに発注した武器や軍需品等も フランスからの借款成立を当てにして発注してたから、 フランスに、600万ドルの借款の話が破談にされた時には もう幕府としては、どうにも手の打ちようが無かったな…(T-T)。 …まあ、それでも幕府が発注した70万ドル分の武器や軍需品等が 日本に搬送されて来て、 とりあえず、そのうちの約30万ドル分が日本(横浜)に到着したが、 搬送されてきた武器や軍需品等を引き取る為の資金が無かった為に、 それらが、横浜の倉庫で眠ってる間に、 幕府が崩壊してしまった…(T-T)。
>>798 へぇ、そんな隠し武器あったんですねぇ。
それがあれば幕府の逆襲も可能だったかも・・・
ちなみに、30万ドル分の武器の内訳とかはどんな感じなんですか?
糸井重里もびっくり
糸井重里って相当掘ったよなw
埋蔵金があるだろ埋蔵金が! 小栗それ使えば武器買えたってのに!! ん?アルプス要塞とか山下将軍の財宝と同じ臭いがするって?気にスンナ!
803 :
名無し三等兵 :2009/05/19(火) 09:16:48 ID:KfvdBreM
>>799 幕府がフランスに発注した約70万ドル武器や軍需品等の内容は、
・大砲(どんな大砲かは?)…約100門+弾薬。
・小銃…シャスポー銃10,000丁+弾薬。
・フランス式軍服…歩兵用約25,000着分、騎兵用約500着分、砲兵用約1250着分。
・その他の軍需品…皮のランドセル、胴乱等。
804 :
名無し三等兵 :2009/05/19(火) 09:43:31 ID:7/HDz3iG
っていうか、幕末の軍制はもっとマジメに研究してほしい。藩ごとに分けた研究書とか出したら売れると思うんだけどな。 もう、圧倒的な力を持つ新政府軍により、千年の歴史を誇る刀の時代は終わった…とかいう浪花節的な一言で片付けるのは勘弁。
805 :
名無し三等兵 :2009/05/19(火) 11:24:19 ID:KfvdBreM
幕府の軍制改革は、 慶応期にフランスから本格的に軍事教官団が到着して指導される前は、 イギリスの在日駐屯部隊からも、 調練を受けていたらしいな。 そのために幕府内部では、イギリス式を継続しようとする派閥と、 新たにフランスから指導を受けて、 フランス式で行こうとする派閥が対立していたそうだな…。 …ちなみに、幕府は、本来ならば、 陸軍も海軍もフランス式で行く予定だったそうだが、 幕府がフランスに軍事教官団の派遣を要請するのと同時に、 イギリスに断りの話をしたものの、 イギリスは、了承する代わりに、 幕府海軍は、イギリス式で行く要求を飲まされた為に、 幕府は、陸軍はフランス式に、 海軍はイギリス式にという事になったいきさつがあったそうだ…。
海軍伝習に関しては、HMSなロイヤル・ネイビーでよかったと心から思うよ
へえ、自発的選択で陸=仏、海=英になったわけじゃないんだ。
>>805 神奈川で訓練を受けた部隊(第12連隊だったか?)はイギリス式の訓練だったとか
日本は島国なんだから陸軍もイギリス式でよかったんじゃないかというのを聞いた事があるがどうなんだ?
もしそうだったら今頃90はライフル砲をでHESH弾撃ってたかも…
明治になってドイツかぶれにならなかったおかげで 国連常任理事国だろうなぁ、英式陸軍でなら・・・。 まぁ、陸軍は西部戦線とアフリカで玉砕続出。 海軍は地中海でガダルカナル並の大損害。 輸送船団もほとんどUボートの餌。 東京も大阪もV5で丸焼け 長崎と広島にはナチス謹製原爆は間違いないだろうけど・・。
>輸送船団もほとんどUボートの餌。 >東京も大阪もV5で丸焼け >長崎と広島にはナチス謹製原爆は間違いないだろうけど・・。 それは無い
庄内藩は善戦してる、一時期は薩長に付いた秋田藩を角館まで押し込んだが米沢が降伏した為に講和せざるを得なかった。その後新政府によって黒歴史化
海軍は第一次大戦時に地中海で作戦行動をしてるけど?
>>813 でも今の世の中で大いに喧伝されてるからいいじゃないか
会津に比べると弱いって?
そこはそれ御用作家を雇ってだな(ry
幕府の近代陸軍と薩長軍をガチンコで戦わせて見たかったな 実力を発揮できなかった感じの鳥羽伏見じゃなくてだな・・・ もっとこう幕府軍の実力を発揮できるような平原で・・・って日本にゃそんな場所ないか
>>815 全然喧伝されてないぞ、と、追い迫る庄内軍から薩長を援護して、スペンサー連発銃の弾幕で終始後衛を努めたのに、活動をまったく評価されてない鍋島藩士の家系が不貞腐れてみる。
洋式調練した陸軍のみだと数も大分減ってしまうけどな。 平原なら平原で野戦築城はするだろう。 それはともかく士気の面、実戦経験の面、上級下級指揮官の質と量の面において 薩長の諸隊に幕府陸軍は一歩及ばないと思う。
鳥羽伏見の戦場跡見てきたが、伏見はともかく鳥羽は大平原とまでは 行かなくとも十分軍を展開できるだけの広さはあるように感じたな
>>816 結局、英と仏の代理戦争になり、負けた方がゲリラ化し内戦状態になり、欧米の武器の借款返済に追われる
821 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 00:57:29 ID:v5Hstq3l
>>818 フランス軍事教官団直々の調練がなされた、
幕府陸軍で最精鋭の伝習大隊といえども、
調練が開始されてから半年から一年弱程度では、
軍隊としては、まだまだ使えるレベルには程遠かったのでは?
フランス軍事教官団による、士官育成も始まったばかりだし、
幕府陸軍の実戦経験も、そんなに場数を踏んでないだろうからなぁ…(^-^;)。
フランスから借款は最悪じゃないか
823 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 04:23:32 ID:DHi1wF19
>>342 超遅レスだがお前に反論したい。久留米連隊ってビルマとかに行った部隊だろ?
久留米連隊が勇猛果敢な部隊だったのは認めるが鹿児島連隊よりなんていうのは福岡人ぐらいじゃないか?
俺のじい様がその第六師團歩兵第三十六旅團歩兵第四十五聯隊だったんでいろいろ調べたが行軍図みたら
久留米連隊は敵の防衛線につまづいてて、先に突破して敵の首都である南京城にたどり着いてんのは第六師團だろ
んで太平洋側では久留米連隊などは南方に転戦しているが、爺さんの第四十五聯隊は損害が大き帰国して復員して解隊
となってる。そのあとまた中国にいってるが・・・
そちらはビルマなんかで活躍したのかもしれんが鹿児島連隊の中国には行かなかった人たちや予備役だった人たちは
第一○六師團歩兵第一三六旅團歩兵第一四五聯隊となって硫黄島にいって米軍に大損害を与えて徹底抗戦の末
玉砕してる。
ウィキや書籍でもやたらと菊兵団と龍兵団の久留米連隊が強い事を歌っているが帝国軍首脳部より働きと損害
により永久欠番を与えられた第一○六師團を含む鹿児島連隊よりも活躍したとかアホな事抜かすな。
824 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 14:48:20 ID:v5Hstq3l
幕府艦隊の旗艦である開陽だが、 オランダで開陽を建造する頃ならば、 確か、欧米列強では鉄製軍艦が建造されていた筈なんだが、 なんで幕府は、鉄製軍艦ではなく木製軍艦で発注したんじゃろうか?。 オランダの方では、鉄製軍艦の方を推奨していたらしいが…。 (建造期間が木製よりも短期間で済み、 耐久性や、防御面でも優れている等の理由で推奨したらしいんだが…。)
>>824 日本で修理できる技術レベルかどうか、で判断したんじゃ??
826 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 15:42:06 ID:v5Hstq3l
>>825 まあ、横須賀製鉄所(造船所)が建設されるまでは、
ちょっとした故障でも、わざわざ上海まで回航させて、修理を依頼していたくらいだからなぁ…。
大将の慶喜がやる気がないのに、兵器、戦術、何を考えても空しい。
>>817 確かに、佐賀藩(と言うか庄内戦線は高雄か)となると地味だなぁ。
前に歴史群像にちょっと記事が出てたくらいか。
あの辺の記事は面白いので、アーカイブに欲しいところなんだが。
火遊びやってた松平春嶽がうまいこと泳ぎ切って嫌がってた松平容保が酷い目にあってるのが気の毒
まぁ別に容保さんも死んだわけじゃないしいいじゃない。
831 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 20:54:05 ID:v5Hstq3l
アームストロング砲とクルップ砲では、 正直なところ、どっちの方が優れていたんかなぁ?
832 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 22:11:48 ID:XOjLvESp
当時の最新のアームストロングは画期的で強力だったけど日本に入ってきてたのは旧式のアームストロングとも言われてるから何ともいえないね
833 :
名無し三等兵 :2009/05/20(水) 22:15:05 ID:2S0OEAmV
俺は所謂「新式ライフル銃」の優劣差が知りたいな。 結局はどれが一番良かったのか。
弾薬の補充などの利便性も含めればエンフィールドが上位占めるだろうけど、 カタログデーター上はシャスポーとかもいいだろうし。 幕府歩兵隊VS薩兵の話が出てたけど、 当時の薩兵は怖いぞ… 「ひえもんとり」と呼ばれる風習があり、 刑死した死体から肝臓を取り出して干して食べるのだが、 万病に効くとあって引く手数多。 そこで各家庭の少年らが刑場に群がって太鼓の合図と共に死体に向かって一斉吶喊。 死体を奪い合うように群がり、叩く蹴る殴る毟るやり放題でも最後まで死体を確保し続けたものが 勝者となり肝臓を持ち帰る権利を得る。 この辺の記述は辺見十郎太さぁの伝記にも載ってますね。 まぁ、こんな子供達が大きくなって前線で戦うのと、 太平の世を満喫した農民や旗本で構成された歩兵隊が戦うのとじゃ…
>>834 うへぇ、グロいなぁ。
そりゃー白河城も落ちるわな…
いつの間に薩摩兵たちは幕府陸軍を圧倒できるだけの軍事訓練を受けた!? あと長州兵もか 幕府陸軍は資金はもちろん幕府のからで、訓練もフランス軍事顧問団やら 講武所から発展した調練所と分かりやすいが、薩長側はいまいち分からん イギリスの軍事顧問団招いてるとかそういうわけじゃないし・・・ 今つかんでる限りの情報じゃ大村とか高杉等が、手に入れた西洋の兵法書を独学で学んで・・・ ということになりそうだが、マジでそうなのか・・・独学が顧問の教育を圧倒だと!?
>>833 単純にスペックを比較すると、やっぱシャスポーが最強だね。
元込めで長射程。
弾薬が湿気るという欠点さえなければねw
スナイドルも弾を入れる蓋が変形して開かなくなることがあったそうな。
そういう故障抜きで確実に動くとなると、枯れた技術のエンフィールドだろう。
10年たった西南戦争ですらエンフィールドが数の上では主力だったそうな。
「武人の蛮用に耐える」銃だったのでは。
あのな、軍事顧問団というても ソ連やアメリカ、キューバみたいなのとはちがうぞ。
>>836 歴史群像にのっていた分析だと、
たまたま銃の性能が飛躍的に上がっている時期だったため、
幕府の「ちゃんとした軍事教育」が「現実の兵器の性能に合っていない時代遅れな物」になっていたそうだよ。
だから独学でやったほうが現実の戦場に合致したのだ、と。
>>836 薩摩はイギリスの横浜駐屯部隊から射撃教習を受けてる…まず競点射撃で打ち負かした後でね。
>>837 >弾薬が湿気る
日本のような多湿の地では、紙製薬莢はとんでもない欠点じゃないだろうか
>紙製薬莢はとんでもない欠点 ちょっと前までは散弾銃薬莢も紙+真鍮でしたが。
>>836 >>836 しかし、歴史を見ていくと堂々と外国から顧問団を招いてる方が敗北してるのが意外に多い件
ベトナムしかり、アフガンしかり・・・今のアフガン政府軍も脱走者が絶えないとか
>>842 当時の防水紙&黒色火薬の組み合わせと、現代のコーティング紙&無煙火薬の組み合わせは、違うのではないか?
現に、シャスポーの弾薬は、雨に濡れると不発が増えたわけで。
北ベトナムなら旧日本軍人を教官として招き入れてる。中国人民解放軍空軍の発足時もだ。 顧問団を使いこなして知識を吸収し、それを元にいずれは独自の軍略を立てるんだお!って意気込みがあるかないかの差じゃないかね。
薩摩の資金源は調所広郷(笑左衛門)さぁが行った蓄えだわ。 砂糖黍・密輸・貨幣偽造とあくどくやったお陰で 斉彬公の改革が出来たんだわ。 斉彬公死後は何故か旧式装備に戻ってるが、 薩英戦争後に再び近代化。 そして旧式化した時に何故か電気水雷(機雷)の実戦配備していたりと支離滅裂。 (機雷自体は斉彬公時代に作られたものらしいが)
>電気水雷(機雷)の実戦配備 船にぶつかるとアボガドロ電池の火花でも飛ぶのか? 周り海水だから銅と亜鉛で簡単に動くし
848 :
名無し三等兵 :2009/05/21(木) 09:03:56 ID:MPspipDp
…そういえば、幕末期の連発銃(スペンサー銃等)は、 よく故障して、実質的には単発銃として使用されていたそうな…。
[]
島津久光は西洋かぶれが嫌いだから、旧式装備に戻してしまったらしい。薩英戦争後は又西洋装備になった
>>846 まだ生きてたガチガチの保守派の斉興が腹いせに斉彬時代のものを廃止しちゃったんだろ。
藩主の座を追い落とされた恨みがあったわけだし。
斉興は保守主義者というより財政均衡主義者。 彼がいなけりゃ薩摩藩は破産一直線だった。 そんな彼から見たら金の掛かることばかりしよう、っていう斉彬を当主の座につけるってのは 自分の苦労を全て水泡に帰すのと同義だからどうしたって出来なかっただろう。
854 :
名無し三等兵 :2009/05/21(木) 17:11:33 ID:k12qCiVK
操典訓練も充分でない幕末当時であれば、気概がある武士(足軽)であれば、農民、町民からの徴寡兵より有効だったのでは。 但し太平の世になり武士が堕落し(特に江戸育ちの直参)、本来兵卒役の足軽同心も士分化し、鉄砲担ぎ地面を這い蹲るようなことはやりたがらず、大半は使い物にならなかった。 その点、薩摩は郷士を大量に抱えていた(4万とも)ので戦力化しやすかった。
855 :
名無し三等兵 :2009/05/21(木) 17:19:52 ID:k12qCiVK
>>831 クルップ式後装砲
アームストロング砲は後装化過渡期の存在で、尾栓方式もその形は廃れた。
また当時の鋳造技術にしては過大な砲弾、炸薬を使った為、暴発も多かった。
薩英戦争で閉鎖不良から自爆しまくり。 国産のアームストロング砲は大丈夫だったのかね
857 :
名無し三等兵 :2009/05/21(木) 21:21:12 ID:MPspipDp
…では、幕府が入手を予定していた 甲鉄艦ストンウォール号に搭載されていた、 アームストロング砲も、 旧式のアームストロング砲やったんかな?
まあ、日本にとって僥倖だったのは、 イギリスもアメリカも、自国内の内乱で出兵不可能に陥った、ってところにあるな イギリスはセポイの反乱の鎮圧とムガル帝国破壊で手一杯、 アメリカは南北戦争… ぶっちゃけ、それが無ければイギリスはセポイを万人単位で動員して 上陸・攻撃・蹂躙を仕掛けてくる可能性はあった まあ、そうなったらそうなったで日本国内は反英で統一されて セポイの反乱以上に泥沼化したことは確かだろうけどね
南北戦争の終結は1865年だから、結構際どいぞ。 セポイの乱も1857年〜1859年だから薩英戦争より前だし。 まぁセポイを万人単位で動員して極東で作戦するのは無理だろうけどね。 アヘン戦争ではやってないし、アロー戦争でもやっただろうか?
>>856 前にそのスレも有ったが。
肥前藩が作ったと言われるアームストロング砲は有ったとしても実戦に耐えられる
しろものじゃなかった。
>>847 すまん、「機械水雷」だったな<機雷
有線で大隈半島側に渡してあり、
艦隊が機雷設置点を通った時にエレキテルと同じ様に電気を起こして電気着火、起爆。
つまり指令発火。 沖の小島と大隈半島の間の狭い水路に仕掛けており、 開戦二日目に鹿児島側の砲台を避けて英艦隊はこの水路を通ろうとしたが、 沖の小島に隠蔽してあった薩軍砲台が発砲。 英艦隊は進路を変えて沖の小島砲台と放火を交えた為、機雷設置の水路を通らず。 炸薬量はかなりのものであったらしく、至近での起爆なら英艦隊も無事では済まなかったろうが、 事前計画と沖の小島砲台の間に生じた齟齬により幸いにも英艦隊は難を逃れた。 もし、ここで英艦隊が甚大な被害を受けていたなら、 お互いが痛み分けで終わり、逆に親密になった事実と異なり 薩軍側は慢心、英艦隊は本気になって滅茶苦茶になっただろうねぇ。
清相手なら貿易不均衡是正のための目的があったろうが、当時の列強に日本征服のメリットってあったかね? アメリカだって目的は捕鯨業者への薪水の補給を容易ならしめる事だったし、 当時の日本列島って列強にとってはさして魅力的でもなかったんでないの。
864 :
名無し三等兵 :2009/05/22(金) 08:41:20 ID:utnkfb8J
小栗上野介の箱根決戦構想だが、 幕府陸軍や海軍が、小栗の作戦通りに動ける程のレベルに達していたんかねぇ? 幕府陸軍っていっても、 フランスから派遣された軍事教官団に指導を受けてからの期間が 半年や一年弱程度では、とても、小栗の作戦通りに動けるレベルに達していたとは思えんが…。
幕府陸軍は創設後、天狗党の乱、第2次長州征伐、鳥羽伏見と勝ち負け別として実戦経験も訓練も諸藩に比べれば豊富。 第2次長州征伐時には大島上陸作戦も行っている。 現在と違い情報通信が発達していない当時は、派遣部隊司令官の裁量に依存するので、その能力が問題?
天狗党の乱に関しては 幕府陸軍は初陣に近いこともあり、もっぱら避戦に終始したけどね。 のちの日本陸軍が夢想する「寡兵で夜襲をかけて、大声を出して敵を威圧、衆の敵陣を制圧する」をくりかえす 天狗党の奇策にすなおにのってばかりだった。 失策をさけて、積極策に出ずのくりかえしだったようだね
西南戦争でもそうだが、一般徴寡兵よりもまともな武士なら武士集団の方が強い。 近代国家軍では特殊部隊のぞきそのようなもの無くなったが。
>>864 主力の中仙道軍を押さえる術がないのでどうにもならない。
>>868 高遠、松代、小諸を押さえられなかったのがすべて。
中仙道路にしても今の小仏峠とか山梨から東京に入るあたりで山道になって 行軍隊形は細く長くなりそうだよな 山の両側に銃隊を配置し、峠の入り口と出口をそれぞれ封鎖すれば・・・ 机上の空論ですね
ロンメル戦術で大村と対決してみたいな 将来、大村の思考を完全再現したAIとか出てくれんものかなぁ・・・ 時代の差があるとはいえ、ヲタはどこまで本物のプロフェッショナルと対抗できるのか・・・
>>870 たかだか200余名の甲陽鎮撫隊では無理。
但し東征軍も所詮寄せ集め、中核の薩長土肥だけでは2万にもならない。
幕府として立ち向かえば勝機が無いわけでもない。
>>873 幕府はもうないんだけどねw
戦おうとする武士が少なすぎる。
徳川の当主である慶喜が、ひたすら恭順の意向で、勝海舟がその為に動いている以上は無理だろう。 最早、幕府は存在しない上に、頭が居ないんじゃ万単位の軍を動かして立ち向かうなんてのは 夢物語だと思う。 同じ寄せ集めでも、そこが大きく違っている。
慶喜は京都から退去した時点でもう戦う気は失せてたのかな・・・
慶喜は水戸出身で勤皇が刷り込まれていたので、錦の御旗が挙がった時点で戦意を無くしたのでは? ただ慶喜というのは主張がころころ変わるのでほんとのところは判らない。 なんであれ総司令官の意思がころころ変わるようじゃ務まらんw
大政奉還してしまい無官でしかも薩摩長州との私戦という状態にもできずに、 恭順謹慎だもの。戦う口実がない。
江戸を焼かれて実質の行政機能と経済の歯車を失えば 困るのは日本人全体 そして榴弾も焼夷弾も当たり前になったその時代には砲撃戦になれば 木造家屋ばかりの江戸は容易に消失してしまう そして無政府状態になった日本のあちこちの都市や港に列強の軍が派兵して来て 日本が植民地化される
要するに、いかに混乱を最小限にしつつ支配地域を広げていくか、
っていう難題に当たってたってところなんだろうな
>>859 そもそも大戦争の前後は戦力が疲弊しすぎてて、
大軍なんて動かしたくても動かせないってば
まあ、セポイを万人単位でどういんすること事態、イギリスの外交的敗北状態である
ってのはたしかだろうけどね
けど、幕末の状況を通して、日本側に隙がなかったこともたしかなんだよな
幕府も薩長土肥も、敵対してても後ろでは同じ目的に繋がってたわけだし
>>880 時期に因らず、セポイを万人単位で動員して遠隔地で作戦することが可能か?が疑問なんだよね。
セポイって、海外展開も任務にあるの?主任務はインドの治安維持とマハラジャに対する示威だと思ってた。
883 :
うさぎ :2009/05/23(土) 12:18:22 ID:RV3dlcn6
>>883 なんかすごく香ばしいね、このサイトはw
885 :
名無し三等兵 :2009/05/23(土) 13:34:51 ID:2uLE9hir
>>883 こんだけ色々調べる能力があるのにもったいない・・・
調べると言っても、ほとんどwikipediaのようだが…
888 :
本島藤太夫 ◆ditZSI9Xmw :2009/05/23(土) 14:40:16 ID:yboOYA1u
>>855 亀レスですが…
当時=1860年代前半は,クルップ砲は一体鋼鉄鋳造=鋳鋼ですが,
アームストロング砲はケ−シング(焼き嵌め)による練鉄鍛造ですよ.
アームストロングが後期産業革命期の技術的集大成であったのに対して,
クルップが全く新しい技術であったことは御指摘のとおりです.
あ、日本史板の人だ
幕府陸軍って、多分アメリカ南北戦争時の北軍並の強さはあったはず。
軍隊の強さの殆どは、兵站、指揮、錬度、士気などの運用面やソフト面で構成されてるんだが・・・
結論をハードに求める傾向が強いんだよね。我々日本人はw
>>890 連邦軍を見くびり過ぎで、幕府陸軍を買い被り過ぎだね。
>>892 結論をハードに求めれば、ソフト面で自分達が劣っていたって認めなくて済むからな。
何だかんだで民族のアイデンティティにも係る問題なので中々認めたくないっす
近代軍形成の正統セオリーに則ったのは幕府陸軍。 但し、それには時間がかかる。 戊辰時の実戦に役立ったか否かは別問題。 >890が言ったのは北軍の方が正規兵の割合が高く組織だっていたのに対し、南軍は急増寄せ集め的要素が強かったことを言いたいのでしょう。
諸藩の兵や旗本に拠らず幕府が直接編成したという意味では当たっているかもしれないが 実態は金納による傭兵軍だし、指揮系統も身分制から脱却できていないからなぁ。 西洋式ではあるけど、南北戦争の北軍のような近代軍というには? 南軍も軍服が揃って無かったりとかはしたけど、指揮や統率の面では寄せ集めってわけじゃない。
給与による徴寡が傭兵とはならんでしょ、ほとんどは幕府領内で徴寡しているのだから。 ならば、強制徴兵によらない軍は傭兵になってしまう。 身分制といっても司令官クラスは弊害顕著であったが、戦術指揮官レベルでは結構能力(知識)主義。 士官が一定の身分、階層以上で構成されるのは欧州でも同じ。
徴兵ではない英国のような志願軍というものあるが、それとも違う。 司令官クラスから、戦術指揮官クラスまで一貫して能力・教育に基いてないとな。 欧州の貴族士官はその伝統から、きちんと軍事訓練・教育を受けたプロパーである点が違う。 更に貴族出身でなくても士官学校を出て将軍や参謀になる例は珍しくない。 そういう意味でも幕府陸軍は未だ過渡期の存在だ。
その目欄は何なんだ?
つーか、ポン軍が世界レベルに達したのは日露戦争だろ 幕府陸軍(笑)
幕府陸軍は創設まもなくに動員されて敗れたから、ドクトリンも何も残ってないんだよなぁ… だから幕府陸軍(笑) の評価が与えられても仕方が無い。 ただ、当時の理念や近代化を目指した日本のひとつの方法論としての研究価値は充分にある。
やはり目標となる有事に間に合わないことには、軍隊としての役割を果たさないことは事実だねー 幕府軍は、小競り合いはやっても良かったけど、本格的戦闘をしてはダメだったと思う。 動員可能兵力20万、常備兵力9万(←正確じゃないよ、例えばの話)とか、 数字の優位性を使って、交渉を有利に導く保全艦隊的な役割を担わせるべきだった。 そのためには、何を目標に、どうやって幕府は存続してゆくのかを、統一し、現場に明確に 指示する必要があるけど、やはり、既に組織として敗れていたということだろう。
速成にするには、旗本家来や譜代諸藩からも募って5000名ぐらいの武士で編成する中核軍組織作ったら? 砲兵も分離せず所詮直協砲的役割なのだから歩兵諸隊配下に入れておけば良かった。
流れ切るけど、幕末の兵器商人で有名なグラバー商会って代金踏み倒されて潰れてるんだよな。 あとそれの親会社が何気に現代まで存続してるし。 香港のジャーディン・マセソン、前身はイギリス東インド会社ってんだから歴史って深いな。
幕軍の問題は結局は将帥(上級指揮官)に尽きるでしょう。 また戦術指揮官も能力本位では登用もしたが知識偏重。 将帥(上級指揮官)に要求されるのは洋式兵法知識よりも、胆力、人望、戦局眼。 この辺の人材が居なかったよな、小栗にしても有能なテクノクラートといったとこ。
>>904 李氏朝鮮でもオスマン・トルコでも、
それをやって旧式軍と新式軍が対立して泥沼化したんじゃなかったっけ?
そういった対立は明治政府内でもあっただろ
909 :
名無し三等兵 :2009/05/26(火) 09:31:17 ID:7YRVzZcl
明治政府も、当初はフランス式の陸軍を取り入れていたらしいが、 普仏戦争で、フランスがプロイセンに敗北したのをきっかけに、 陸軍は、ドイツ式で行くようになったいきさつがあったそうな…。
>>908 いや、日本だと論争とか派閥争いで終わってるじゃん
実際にキッタハッタになってはいない。
>>910 一連の士族反乱は徴兵制に対する反発も一因だったんだが・・・
>>911 なるほどー。
つまり
>>904 的な幕府軍改革をやったら、
上手く薩長を撃退しても今度は伝習隊vs旗本の江戸内戦が待っている、と……。
>>904 でかい新撰組や見廻組ができるだけだな。
>>912 なんというか仮定の上の仮定だからそれは分からんだろ
幕府軍(鳥羽伏見ではもう違うけど)の最大の敗因は軍備じゃなくて自ら投了したことなんだし
ただ伝習隊とかは西南雄藩なんかと違って基本的に根無し草なんだから
そんなに酷いことにはならないのでは、
精々が奇兵隊の反乱程度のもので。
俺は
>>904 の案悪くないと思うけどね。
幕府と友好諸藩でまず近代国家の雛形を作るのはありでしょ。
根無し草だったのが集まって、主力になり得るような武装勢力になったら もう無視できない存在になる。 そこにリーダーシップが加わったらことは簡単では済まないと思われ。 仮に安政の大獄が無かったら、幕府と雄藩の連合政府が有り得たかもしれないが。 もっと言うと井伊直弼が大老になっていなかったら…。
寧ろ幕臣に好かれてない慶喜が伝習隊と組んで、 言う事聞かない旗本殲滅とかw
>>905 むかしアプリリアのバイク欲しくて雑誌を見ていたら
輸入代理店がジャーディンでこれがアレかと思った
>904のやり方はあくまでも緊急対応策でしょ。 その前の流れで、幕府陸軍の育成策では間に合わなかったというところから。 中長期的には操典に従った徴寡兵による軍創設が正しい。
徴募兵な 寡兵じゃまずかろう。
>>915 根無し草なんだから主力にはなりにくいんじゃないのってだけね。
問題があったにせよ、あれだけの勢力を誇り、カリスマがあった薩摩だって
政府の根幹を揺るがす勢力にはならなかった。
そもそも仮定の上の仮定の話だから公儀中心の政府で
内乱が起こったかどうかだって分からないわけだし。
明治政府だって近代的な徴募兵なんて導入するのは四苦八苦だったんだよ
>>920 徳川の伝習隊や薩長の諸隊の話をしてるんじゃないの?
元は根無し草でも、史実のように使える部隊にすると、それだけで一定の力を
持つことになると思うけどね。
奇兵隊の反乱も近衛兵の反乱もリーダーに恵まれなかったが
もし頭だった者が居たら、政府としては(それが徳川でも明治政府でも)非常に厄介という話。
仮定の上の仮定の話だけど、可能性としては有りうると思う。
武士以外で戦闘集団を作ると、内部分裂しそうだね。武器や補給の配分とかで、それが内戦化したのが西南戦争
私の実家が九州にあって、田原坂が百q県内なんだ…… んで前大戦で大陸のかなりの激戦を越えてきたお爺ちゃんをそこに連れていったんだけど 兵士としてなんだか感無量だったらしい…… 涙ぐんでしばらく動けなくなっちゃったよ
大村益次郎が暗殺されたのも、士族中心の軍隊ではなく、国民皆兵の方向に舵取りしたからでしょ
>>924 どの道士族はほとんどが兵隊になんかならないし、士官になるには素養が不足している。
でも一般国民も兵役なんかには就きたくないw
だが結局は大村益次郎は暗殺されただろうね。
明治初期の政府高官暗殺事件で士族以外が関わった事件ってあったっけ?
あんま聞かないね。いきなりの高率税に農民が切れて一揆を起こしたってのならかなりあるが……
佐竹会(マジですよ)なので、本間様の財力で好き放題武器かった庄内藩が マンセーされるとかんしゃくおきる
判官贔屓は世の常じゃ。 諦めなされ。
おっと佐竹様がおるとは。俺の故郷も攻め込まれたからわかる。 庄内じゃなくて南部にだけど。
会津の農民も「なんで会津武士なんぞが悲劇の英雄扱いされてるんだ! 奴らの自己満足の犠牲になったのが農民だ!」という怒りがあるだろうな。
楢山佐渡vs佐竹大和
>>931 会津戦争の時にも会津藩に協力する農民はほとんど居なかったし
むしろ会津世直し一揆なんてのが起こってるくらいだからなぁ。
>>933 藩に協力するどころか、鶴ヶ城を砲撃できる山の道を新政府軍に案内したのも現地農民だしw
白虎隊の遺体も剥ぎ取り御免で素っ裸だったんだよなー。 しかし今では飯のタネ、と。 勝ったのは農民だ! を地で行くなw
現地の土地勘の疎い新政府軍の勝利の影に迂回路の間道を案内した現地農民の協力があった。 しかし後の明治陸軍が現地案内人を軽くみているのはなんだかなぁ(苦笑
案内人一喝して雪山で遭難とかなー
「 お 前 は 駄 賃 が 欲 し く て そ の よ う な 事 を 言 っ て い る の だ ろ う が ッ !」
明治陸軍ってか東北出身の軍人の通弊だったりして…
この物語は事実をもとにしたフィクションです
あの部分は当時の史料にも証言にも無いけどね。
一喝とかはともかくとして、専門家とかその道のプロの意見を聴き入れないってのは日本人の通弊じゃないの?
>>943 でも会津に入った新政府軍は地元住民の手引きで有利に戦ってるんだよね。
あの前後だけ神懸かってたのかも知れんがw
会津の統治も酷かったな
案内の大切さは中国の兵書にも出てるくらいだから、よほどアホじゃなきゃ無視はしないだろう
地図も無しにガダル、ニューギニアにレイテ。 案内人も無しにインパール。
そのあたりになると末期だからなw
ベトナム人の案内人に連れられてベトコンの部隊に包囲され、逃げたところにトラップと地雷原……という米軍も
WW2で日本陸軍はいわば、アウェイで戦ったからな。 現地人の感情としても、恩着せがましい黄色人種に指図されるより 白人の旦那のほうに恩を売った方がましだべよ・・・。 ガダルカナル方面で現地人による日本軍ウォッチャーが一挙一動を米軍に報告したのと一緒。
最初が期待から入っただけに失望は大きかったろう どっちもろくでなしなら金のあるほうがマシ
日本も日本で妙な共同幻想持って行くからな。 同じアジアの同志なんだからみたいな。 あんま言いたくないけど何か偉そうな事が出来るだけの力も無いんだけどな。 こうゆう感情的な面での外交意識みたいなのは昭和の連中に比べるとだけど明治の方がデリケートに読み取れてるねえ。
>>952 なんかの本で「幕末の動乱の中、血や硝煙をくぐったリアリストたち」
って言い方してた。
>>952 それは昭和、明治がどうこうじゃなくて、大アジア主義者の時代を通じた特徴だと思う。
日清戦争前の朝鮮に対する動きといい(特に金玉均関連)、清朝改革派や孫文に対する態度といい。
あぁでも、そういう人達が公的な力を増したって意味ではその通りか。
石原莞爾はその典型に思えるな。
自分の身もロクに守れないのに「オレがアジアの盟主になる!」みたいな意識があるんだよな ちょうど中国も分裂中だし
今でも大アジア主義者が変なこと言い出すよな 福沢先生の偉大さが本当に良くわかる。
別にアジアとかかわりを持つななんて言うつもりはないけど、ケツまで拭いてやれるような余裕は無いわな 当時も今も、たぶんこれからも
脱亜入欧ですな、わかります。
いや脱までする必要はないしできないよ ただ入れ込むこともできないだけで
昨日のNHKのJAPANデビュー3回目では 「結局、帝国主義というか王道ないし覇道をもっては脱亜入欧は出来ない事を悟り(解らせられた)以降、経済で脱亜入欧をはかっていった」 みたいなコメントがあったな。 たまにアメリカ人識者とかも言うけど80年代の日本とアメリカの経済戦争なんかを太平洋戦争の延長と見ると 日本は(その時代の結果論では)アメリカに勝利したとも言えるみたいなコメント。 まあどちらも今となってはの話だけど。
>>960 太平洋戦争の延長とみると……楽しいけど
なにせ前回、木っ端微塵になるくらいに完敗しているからね
少しくらいアメリカに痛みを与えても全く勝った気がしないぞ
あの国はでかいからね。多少叩いてもなかなか沈まんよ
今だってバイオ関係では黙々と特許をとり続けているし、兵器関係では無敵だし
アメリカ人が自国内で満足して他国の知識に疎い、もしくは全く知らないのが多いのも
自国内でほとんど足りてしまう国力があるからなんだ……
最近は微妙だけど、まだまだ底力はアル
>>961 >最近は微妙だけど、まだまだ底力はアル
底力を発揮すると恐ろしい国だよな
国民が一様にGod Bless the Americaを歌いながら、愛国心に燃えるような状況になったら、
どの国も敵わない
冷戦終結で軍事力では一人勝ちになったし、国民が、あれだけの経済格差や人種を抱えてる状態で、
今は経済危機もあるから,さすがに外に敵が無いとまとまらないって感じだろうな
話は変るが、オバマが偉いのは、江沢民やブッシュのように国民の目を外に向けるための、
敵を無理に作らないというところだと、最近思う
ウォール街を敵にしたてあげて叩いてる気はする。 外に敵を敵を作らないのは大変に素晴らしいが、逆に変に内向きにならきゃいいが。
宮台真司が言っていた。 敵を作り出さなければ選挙には勝てない。 オバマは敵を作り出していないわけではなく、 「敵を名指しする奴ら(ブッシュに象徴される人々)はアメリカの分断をもくろんでいるから敵だ」というひねくれた「敵の作り方」をしているだけ だと。
奴が先に殴り返したわけか
もう幕末兵器・兵装・戦術スレじゃないな
以前、宮古市に住んでいたんだが。 彼の地においても例のアボルダージュの戦いは「宮古湾海戦」だの「宮古港海戦」「宮古海戦」だの呼称がまちまちだった。 正式にはなんと呼ぶべきだったのか? 上司だった郷土史研究家は『宮古港海戦』が実情にあっているような気がする、なんて言っていたが・・・。
へえ、今までずっと「宮古湾」でFAだと思ってた。 いかに幕府海軍がツイてなかったか、ということを如実に示した戦いだな。
>>968 そうだねーついてなかったねーかわいそうだねー
も少し船があればなあ… でも幕府海軍だってそれなりに持ってたのに。 何でこんな事に
>>970 いやあ船の数じゃないよ。
トップである榎本が、いちばん動くべきときに動かなかったからだよ。
逆に蝦夷にいってからは、軽々しい行動が目立つし……
あと、どっかで読んだけど、
「イギリス海軍など一流海軍は、戦闘海軍である以前に探検海軍で、暗礁や暴風雨など大自然の恐ろしさを熟知していた。
しかし幕府海軍は伝統のない即製軍隊なので、そういった気風が伝わらず、上っ面の戦闘技術だけしか伝授されず、だから嵐やら何やらで戦う前にやられた」
と。
>>971 たしか、その探検海軍の話は、兵頭二十八の対談集か何かで読んだ気が……
あと上の方でも出てた気がするけど、 武士はプライドが高くて戦術や砲術は熱心にやる代わりに 運用とか航海術は真面目にやらなかったとか。 カッティンディーケが愚痴ってた。
帝國海軍にもその伝統は受け継がれ・・・。
カッティンディーケの回想で笑ったのは、日本人は食事時になるとところかまわず 七輪を持ち出して煮炊きを始めるってところだ
>>976 甲板で七輪とかねw
よくあんな短期間で近代化出来たもんだ…
>>977 >甲板で七輪
気持ちはよくわかるなあw
幕府さんまじめにやってください^^;;
まじめにって、あの頃七輪以外に火種を比較的安全に艦内で使える物って他に有るのか?
>あの頃七輪以外に火種を比較的安全に艦内で使える物って他に有るのか? 確かに七輪しかないんだが問題は調理室とか喫煙所じゃなくて 船員一人一人が木造船の上で船長が把握していない火種を持ち歩いているわけで 確か福沢諭吉も休憩中にお茶を飲もうとして船火事をおこしたそうだ。
七輪を揺れる船の上で使うのは怖いよ。 ちゃんと固定できる場所が有るならまだ良いんだろうけど。 大黒屋光太夫の漂流でも七輪で火事があったと思う。
大黒屋さんとかジョン万次郎ってどうやってあっちの言葉をマスターしたんだろ?
ジョン万はボディランゲージとハワイの小学校だったか。 光太夫は島にやってきた毛皮商人のロシア人から学習したようだ。 光太夫は元々頭の良い人であったし、ジョン万はそれ+若さだなぁ。
>>983 最初は身振り手振り。ものを示すだけでも、ある程度の意思疎通は可能。
どちらの人も、記録を見ると、英語のWhatに相当する単語を偶然発見したことで、
急速に相互理解が広まったらしいぞ。
そうゆう人達だと欧米の文明や文化というか 要は連中の強さと懐のでかさまで骨身にしみて理解するんだろうなあと思いまして。
>>984 光太夫も、最初にロシア語の会話ができるようになったのは、一行中で最年少の磯吉(後に光太夫とともに帰国)だったとか。
988 :
名無し三等兵 :2009/06/16(火) 07:16:10 ID:XZtlGdt4
テレビでやってたよな ジョン万次郎式の英語では 『what time is it now?』を 『掘った芋ほじるな』 って覚えるんだけど、 実際アメリカの街中で『掘った芋ほじるな』って声をかけてみると、時刻を教えてくれる人がけっこう多かった。 たしか英語教師の英語より通じていた。
どっかの原住民に言葉を学ぼうとした学者が、最初は紙に対象物を書いて子供に聞いてたんだが ふときづいて、ぐちゃぐちゃな線を書いて見せて、whatを聞き出すことに成功したとか
ジョン万次郎だったっけか 初めは双方とも全然言葉を理解できなかったけど、水を指して 「ワータ」と聞いたことが突破口になったやつ
>>989 ちょっと待て
アーネスト・サトウはイギリス人だぞ。
サトウという名前は確かスウェーデン人の父親の名前だ。
北欧は日本人の名字にもある名前があるよ。
俺も同じ名前のフィンランド人にあった事がある。
お互いものすごく驚いたが。
>>989 あの人は英国の正規の外交官で、清国駐在時代に日本語をきちんとした先生から学んでる。
漂流民とは基本的に立場が違う。
架空戦記で、日本の当麻さんとドイツのトーマさんが 『えっ、あんたの国にも同じ名前があるの?』って驚くシーンがあった。
ところで、次スレは? 幕末の軍事全般のスレにする?
幕末明初の軍事で、フェートン号事件から西南戦争まで入れていいんでないの?
黒船来航から西南戦争で良いのではないか
風雲児たちにならい関ヶ原から西南までに一票
当時の世界情勢もおまけ程度で良いんで語れると嬉しいです。 結構、参考になった蘊蓄が今スレは多かったので。
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