派生議論スレ39

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258名無し三等兵
>初質549の896
>具体的にどこら辺が出鱈目なんだ?

http://homepage1.nifty.com/SENSHI/uso-hon.htm
見れ。

小林戦争論2の、南京事件に関する記述に限定して言えば、

(1)当時の東宝が撮った記録映画『南京』を、南京に虐殺はなく,のどかだったことの証拠として挙げてる。

⇒これ軍部が取らせた国策映画。
南京国際委員会のマッカラム氏の日記によると、
『難民キャンプの入口に新聞記者が数名やって来て、ケーキ、リンゴを配り、
僅かな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。
こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった』

その映画の製作者白井茂氏も、
『虐殺の現場は二度見た。一度は柵があったように思う。はるか離れているところで、銃殺していた。数は憶えていない。揚子江でない川のところで、機関銃で撃っているところも見た。
 私なら抵抗すると思ったが、彼等は従順に死を待っていたようだ。川にとび込んで、向うに泳き着いた者もいた。二百人ぐらいいたと思う。場所は憶えていない』
と証言しているし、
その映画の録音技師藤井慎一氏も
『小さな川の傍の門の中で捕虜らしき者を撃っているのを見た。白井氏と一緒だった。いくつかの死体に石油をまき、火をつけた。
 中に生きている兵隊がいて"早く射て”と胸を指さし、"蒋介石万歳”と言ったので、大変驚いたのを憶えている。
 それ以外にも、銀行の裏で百人以上が殺されているのを見た。胸のあたりを銃剣で突いていたように思う。虐殺の噂は聞いたように思うが、見たのはこの時だけである』
と言ってる。
259名無し三等兵:2009/03/12(木) 00:28:07 ID:???
つづき

そもそも当時の検閲制度の検閲基準だと
『4. 左に列記するものは掲載を許可せず
(12)我が軍に不利なる記事写真
(13)支那兵または支那人逮捕訊問等の記事写真中、虐待の感を与える虞あるもの
(14)惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし
となってるので、虐殺が記録した映画なんて記録不可能

(2)『外国人ジャーナリスト、日本の新聞記者も、そこ(南京)にいっぱいいたのにだれも虐殺など見ていない』

⇒『ニューヨーク・タイムズ』記者F.T.ダーディン氏が目撃していてタイムズに記事を載せている
毎日の鈴木二郎記者も『13日に中山門の城壁の上で一列に並べられた捕虜が一人一人銃剣で突き殺されていた』という記事を書いてる。