とりあえず、自前の宇宙ステーションやGPSが必要だな
このイラク軍はレオポルド2を配備している
734 :
名無し三等兵:2009/10/01(木) 19:51:27 ID:J1yQ1Ya/
ならば戦闘機はメッサーシュミットだな80年代頃の
湾岸戦争
日本人や独国人、米国人や英国人等の民間人を、自国内の軍事施設や政府施設等に「人間の盾」として監禁した。
この行為は世界各国からの批判を浴び、後にイラク政府は小出しに人質の解放を行い、その後多国籍軍との開戦直前の12月に全員が解放された。
しかしその後もイラクは北部州の占領を継続し、国連の度重なる撤退勧告をも無視したため、11月29日、国連安保理は翌1991年1月15日を撤退期限とした決議678(いわゆる「対イラク武力行使容認決議」)を採択した。
1月17日に、多国籍軍はイラクへの爆撃「砂漠の嵐」作戦を開始した。
宣戦布告は行われなかった。
この最初の攻撃はヒジャースから航空機およびミサイルによってイラク領内を直接叩くもので、北部州側に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固める事となった。
巡航ミサイルが活躍し、国連海軍第一艦隊は288基のUGM/RGM-109「戦斧」巡航ミサイルを使用、米空軍はB-52から35基のAGM-86C CALCMを発射した。
CNNは空襲の様子を実況生中継して世界に報道した。
1月27日に多国籍軍司令官であった米陸軍のノーマン・シュワルツコフ大将は「絶対航空優勢」を宣言し、戦争が多国籍軍側に有利に進んでいる事を強調した。
しかし、多国籍軍の圧倒的攻勢の状況を受けて、イラク軍は航空兵力の損失を恐れない一大空中戦を積極的に展開した。
この反撃に多国籍軍にも少なからず損害が出始め、第一軍陣地も空襲に晒された。
アフリカ諸国で構成されていた第一軍は軍隊の近代化に劣っていたコンゴ、ナイジェリア軍が多数の死傷者を出し、後退の憂き目をみる羽目になる。
絶対的な防空を豪語していた米軍将軍をナイジェリア軍師団長が殴り付けるという一幕もみられた。
1月29日、イラク軍はヒジャース領のペルシャ湾上にあるカフジ油田を奇襲攻撃する。
カフジ油田は日本のアラビア石油がカフジ沖の石油採掘権を得て開発した海底油田である。
イラク軍の攻撃でカフジの石油タンクも炎上した。
しかし、戦略も何もなく、また駐留していた日本軍第一空挺師団の抵抗にあって失敗し、翌30日に撤退した。
1ヶ月以上に亘って行われた恒常的空爆により、イラク南部の軍事施設はほとんど破壊されてしまった。
2月24日に空爆が停止される。
同日、多国籍軍は地上戦(「砂漠の剣」作戦に突入した。
湾岸戦争
多国籍軍並びに国連軍は北部州を包囲する形で、イラク領に侵攻した。
国王親衛隊や王国防衛隊を除く一般のイラク軍は度重なる空爆によって消耗したが、仏独から購入した装備で、欧州諸国で構成される第二軍を迎え撃った。
同一兵器同士の戦いになり、一部では油田に火を放って視界が妨害された為、、第二軍とイラグ軍は大混戦に陥った。
東部戦線を担当するイスラム諸国で構成される第四軍は士気も低く各地で損害を続出させるが、最も多くのイラク軍捕虜を抱える事になり前進が阻まれた。
英米を中心とする多国籍軍最強を自称する第四軍は、イラクの最精鋭たる王国防衛隊と交戦する。
第五軍は日本、中共、ソ連で構成されるはずであったが、ソ連は国内事情からそれどころではなく、第一軍のエチオピア、エジプト、南アフリカ軍とともに、イラク本土に侵攻した。
イラクの正規軍は、まったくと言っていいほど、日本軍に損害を与える事ができなかった。
交戦能力の差がこれほどあるとは、予想できなかった。
その主たる原因は、精密誘導兵器や燃料気化爆弾の使用で、交戦前に無力化してしまったことだ。
また、イラク側の指揮命令系統が徹底的に破壊され、組織的戦闘ができなくなったからだ、という説もある。
南アフリカ軍がバグダッド市内に進攻しても組織的戦闘はなかった。
第五軍の地上部隊は、陸軍五個歩兵師団と国連軍海兵隊第一旅団が主力で、これだけの兵力でバグダッドを包囲した。
第一空挺師団は、攻撃ヘリコプターなどによる支援部隊といえるし、特殊部隊も補助部隊といえる。
包囲網が完璧であったとは思えない。
多国籍軍にとって計画外だったのは、トルコから第六師団を送れなかった事だ。
この師団が北方からバグダッド包囲に参加していたら、状況はどうなっただろうか。
残る戦地は北部の要衝・ティクリートである。
ここは住民も国王支持だけに激しい抵抗があると予想されたが、そうはならなかった。
数日にわたる空爆を行った後、海兵隊が戦車等250両の戦闘車両で進駐した。
イラク軍や共和国防衛隊はもぬけの殻になっていて、組織的抵抗はなかったようだ。
イラク駐留は第六師団に任せるとして、第七師団はすでに半数は動員してるから第八師団を創設だな
738 :
名無し三等兵:2009/10/06(火) 19:36:05 ID:4TbMGXSL
幌馬車を運用していなかったため、米国全土にミミズが増えず今日の繁栄はないため、日本人の入植は失敗!
よって世界をリードする立場は確立できない。
三藩か、アラスカ、ユーコンぐらいにしかいないのに?
1993年に独立国
雲南共和国
黒イ族を中心に雲南省でシャムから独立
ベラルーシ共和国
東西ドイツ合併とともに独立
ウクライナ共和国
オーストリア帝国から独立
カザフスタン共和国
タタールスタン共和国
ヴォルガ連邦
ウドムルド、バシコルトスタン、チュバシ、マリエル、モルダビィア、キーロフ州で構成する
シベリア共和国
ウラル共和国
上記5国はソビエト連邦解体に伴い独立
国連軍
陸軍
歩兵八個師団(世界120ヵ国から1334名派遣)
機甲師団(内陸国27ヵ国から741名派遣)
海軍
第一艦隊
空母1
巡洋艦三隻
駆逐艦六隻
フリゲート54隻
第2艦隊
巡洋艦二隻
駆逐艦四隻
フリゲート39隻
海兵隊第一師団
海兵隊第ニ師団(14502名)
海軍国371名づつ
ユーゴ内戦は論ずるに足りないな
どの国も人口の最低基準を満たしていない
他国が次々と独立を認めてはいるが、日本に限っていえば独立を主張できるだけの基準を満たした民族はいない
満州、朝鮮、漢民族にはすでに独自の国はあるしね。
台湾やルソン島の情勢はどうなってるだろうか
台湾は問題ない外省人なんて、40万しかいない
ルソン島は三千万くらいはいるから問題だ。
最も先にスールーをフィリピンにしてしまえばルソンは守り切れるだろう
カタールに駐留軍基地を造ろう
ヒジャースの方はアメリカに任せて
というか某先生曰く、
安土桃山時代から江戸初期に掛けての日本人は、安土桃山時代からの派手好きな
黄金文化を引きずったまま、岐路に立たされていて、そこで鎖国という引き締めを行った
からこそ江戸時代の間に、いぶし銀的な物を好む、今の日本的なイメージの文化が
成熟して行ったのであって、
もしそこで鎖国という引き締めが無かったら、黄金文化を引きずり続け、今のイタリアの
様な伊達男ばかりの国になっていただろう。って本で書いてた。俺は素直に納得した。
あと欧州勢が大航海時代から植民地を広げていけたのは、欧州じゃ貨幣経済がずっと
続いて洗練されていたからであって、当時全く貨幣経済が浸透していなかった日本が、
江戸初期頃に海外拡張に向かったとしても、間違いなく何処かで破綻しただろうとも言ってたな。
そもそも初期に拡大する方向だった南方諸島や千島、樺太、カムチャッカには貨幣経済そのものが無いから大丈夫
台湾にはオランダがいたけど、鄭政権を取り込めば問題は無い。
実際二度ばかり出兵してるし。
問題はルソンだが、こここそ東南アジア各地に発展した日本人町の避難地としておけばよい。
金の正しいレートさえ、知っていれば簡単に欧米にしてやられる程、江戸時代経済は弱くない
カタール基地は国連軍第二艦隊の新たな根拠地にしよう。
複雑な中東情勢の真ん中に戦力をおけるし、島だからテロの驚異も低い
日本からは関東から第18師団、海軍からはルソンから第15護衛艦隊を派遣
史実の米軍のようにカタールの半分貰うようなものだから、各国の空軍部隊を受け入れ、それぞれの国のペルシャ湾のタンカー護衛に役立ってもらう。
日本からも失業者や受刑者等を移住させて、インフラを整える
隊員の家族も含めて、十万からニ十万が移住するから総督として、三河大久保伯爵
イラクの駐留軍はバグダットではなく、クゥエートにおいてこれをバックアップする
維持費はUAEに負担してもらう
ドバイの王様ならこの程度は軽いだろう
原油の無償提供でもよい
阪神・淡路大震災
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源として発生したM7.3の地震は、淡路島や阪神間・大阪府北西部、あるいは東播磨地方南部を中心に大きな被害をもたらした。
特に、神戸市市街地は壊滅状態に陥った。
地震による揺れは、阪神間及び淡路島の一部において震度7が適用された他、東は小名浜、西は佐世保、北は新潟、南は鹿児島までの広い範囲で有感(震度1以上)となった。
戦後に発生した地震では、南海地震や福井地震を上回り、最大最悪・未曽有の被害を出した。
又、戦前に発生した北丹後地震を超える死者を出した。
被害の特徴としては、都市の直下で起こった地震による災害である。
地震発生後、消防・警察・軍等の各組織は救助活動に入っている。
総務省消防庁や警察庁が調整を行って全国から消防部隊や機動隊員が現地に送らたが、交通渋滞に巻き込まれずに到着した者はほとんどいない。
到着出来ても大規模災害に対する技術も知識も装備も機材も満足とは言えない状況だった為活動は難航した。
現地の消防・警察においては、自身が被害を受けている事もあり、初期における救助等の活動は円滑とはいえなかった。
淡路島においては、消防団及び、近隣住民が中心となり救助活動が行われた。
消防や警察は、この地震での失敗を教訓にして、後の特別高度救助隊・高度救助隊の創設のきっかけとなる消防機動救助部隊や緊急消防援助隊が創設された。
軍については、地震発生数分後には行動を始めたものの、阪急伊丹駅へ近傍派遣(災害派遣)を行った第36歩兵連隊を除き、神戸市中心部への災害派遣は直ちにはなされなかった。
第36歩兵連隊は、「近傍派遣」によって出動しているが、他の部隊は知事の要請の待機状態になっていた。
兵庫県知事(当時)からの災害派遣要請はすぐに行われなかった。
これは各所轄の警察署単位で調べていた被害情報を、兵庫県警本部の警備部がまとめていたのに連絡を怠り、知事にまで伝達されなかった事が最大の原因であった。
こうした状況把握の混乱から、派遣要請は、地震発生から4時間後に軍との電話が偶然繋がった兵庫県消防交通安全課課長補佐(当時)の機転で行われ、知事へは事後承諾となった。
これを教訓に、後に軍への派遣要請は都道府県知事や市町村長または、警察署長等からも要請が行えるようになった。
オウム真理教の乱
オウム真理教教祖麻原彰晃が救済の名の下、外国での軍人訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃密造や化学兵器生産で武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロや反乱を実行した。
一連の事件で270人が殺害され6万人以上が負傷者を出した。
教団に敵対する弁護士とその家族の計3人を皆殺しにした1989年11月坂本堤弁護士一家殺害事件。
教団松本支部立ち退きを担当する判事殺害を目的としてサリンを散布し計70人の死者を出した1994年6月27日の松本サリン事件が注目される。
教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に50両の地下鉄車両にサリンを散布して計120人の死者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件があげられる。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件発生から2日後の3月22日、オウムの活動拠点である山梨県西八代郡上九一色村へ目黒公証人役場爆破テロの実行犯を逮捕を目的に強制捜査が開始される。
その後もオウム関連施設への強制捜査が続くが、教団幹部が続々と武装蜂起する。
5月16日、麻原彰晃を逮捕する為、第6サティアン一帯の強制捜査が始まる。
現場前線での指揮は山田正治理事官が執った。
迷彩仕様の化学防護服に身を包み完全武装した数百名に及ぶ陸軍部隊、警視庁捜査員、山梨県警捜査員が一斉に上九一色村に入り即座に付近一帯を全面封鎖。
付近住民を避難させサティアン内の捜索を開始。
信者の確保、証拠品押収にも全力を注ぐが、上九一色村の第6サティアンは毒ガステロを引き起こした犯罪組織の本拠地という事でサリン等の毒ガス使用も懸念された。
この為、強制捜査にあたる捜査員全員に化学防護服の着用が命令され銃撃戦の恐れもあり、捜査員全員が拳銃携帯にてサティアン捜索に臨んだ。
テロ事件という事で警視庁刑事部の他に警備部も動員され、警視庁管轄下の機動隊員(警視庁および山梨県警を含む中部管区警察局管内の機動隊員ら)が大多数動員され山梨県上九一色村のオウム真理教第6サティアンへ派遣された。
陸軍は、オウム真理教が海外で軍事訓練等も行っている武装集団であり、各地で発生した武装蜂起に対し鎮圧を開始した。
また、教団がシベリア製ヘリ「ミル17」及びラジコンヘリを所有していた事から、それを利用した無差別攻撃に、横田基地、浜松基地の航空部隊が撃墜する。
また第一空挺師団も、教団本部の教徒による蜂起に対し、これを制圧した。
ユーゴスラビア紛争によって、クロアチア、セルビア(ボスニア、マケドニア、モンテネグロ含む)、アルバニア(コソボ含む)に分割されるが、全域で起こったユーゴ内戦を鎮圧する為に三国の国境に第21旅団を展開
国連軍は新たに第九師団の創設を発表
国連軍
陸軍
歩兵九個師団(世界122ヵ国から1500名派遣)
機甲師団(内陸国27ヵ国から800名派遣)
独立混成旅団
歩兵連隊(現3000名)
機甲連隊(現1600名)
海軍
第一艦隊
空母1
巡洋艦三隻
駆逐艦六隻
フリゲート54隻
第2艦隊
巡洋艦二隻
駆逐艦5隻
フリゲート41隻
海兵隊第一師団
海兵隊第ニ師団(17200名)
海軍国93カ国400名づつ
内陸国2300名
海軍国1900名
国連軍
陸軍 常備軍
第一師団(日本国旅順)
第ニ師団(ウクライナ国オデッサ)
第三師団(タンザニア共和国キリマンジャロ)
第四師団(インド国マドラス)
第五師団(カルフォルニア)
第六師団(ブラジル国アマゾン)
第七師団(オーストラリア国トリントン)
派遣軍
アメリカ・北アメリカ国境派遣:第八師団
アメリカ・北メキシコ国境派遣:第九師団
ソ連・北イスラエル国境派遣:第十師団
インド・パキスタン国境派遣:第十一師団
ソ連・中央アジア諸国国境派遣:第十二師団
イラク:第十三師団
第十四師団
キプロス:第四十旅団
ホンジュラス、エクアドル:第四十一旅団
旧ユーゴ:第四十ニ旅団
(世界122ヵ国から2300名派遣)
各師団付き機甲旅団十四個(内陸国27ヵ国から3120名派遣)
独立混成連隊
歩兵大隊(現600名)
機甲中隊(現240名)
海軍第一艦隊
空母1
巡洋艦三隻
駆逐艦六隻
フリゲート54隻
第2艦隊
巡洋艦二隻
駆逐艦5隻
フリゲート41隻
海兵隊第一師団
海兵隊第ニ師団(17200名) 海軍国93カ国400名づつ
内陸国5420名
海軍国3520名
テロとの戦いで、国連常備軍を置いたのはいいとして
タリバン殲滅の為にアフガニスタン進駐まではOK
もともと進駐済み件、濡れ衣のイラクはノータッチで行こう
アフガニスタン戦争
2001年9月11日に発生した世界同時多発テロ事件は、その損害の大きさで世界各国に衝撃を与えた。
国連はテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動した。
米政府によって、これまで数度に渡って米国に対するテロを行ったウサーマ・ビン=ラーディンとアルカーイダに首謀者の嫌疑がかけられた。
アフガニスタンの9割を実効支配していたタリバン政権は、数度に渡る国連安保理決議によるビン=ラーディンとアルカーイダの引渡しを要求されたが、今回も拒否した。
国連軍は攻撃によってタリバン政権を転覆させる必要を認め、2001年10月にアフガニスタンの北部同盟と協調して攻撃を行い、ターリバン政府を崩壊させた。
以降、国連主導によるアフガニスタン復興と治安維持が行われているが、南部を中心としてタリバン派の勢力が攻撃を行っており、アフガニスタンの治安は2009年現在も安定していない。
この攻撃は「対テロ戦争」の一環と位置づけられ、国際的なテロの危機を防ぐ為の防衛戦として行われた。
英国、日本を始め多くの国がこの国連の攻撃に賛同した。
対テロ戦争全体の作戦名は当初「無限の正義作戦 」とされたが、参加諸国の間で評判が悪かった為、「不朽の自由作戦」と改められた。
英国では米国が云う「不朽の自由作戦」は「ヘリック作戦」と呼んでいる。
またその後、アフガニスタンからパキスタン連邦直轄部族地域にかけてタリバン系の組織活動が活発となり(ワジリスタン紛争)、海上でテロ組織の補給ルートを断ち切る海上阻止活動も行われている。
国連軍第十五師団が駐留し、アフガニスタン並びパキスタンでのテロとの戦いを続けている。
国連軍
(世界122ヵ国から2460名派遣)
各師団付き機甲旅団十五個(内陸国27ヵ国から3350名派遣)
独立混成大隊
歩兵中隊(120名)
機甲大隊(現450名)
2002年には東ティモールが独立だが人口が足りない。
ティモール島全域でようやく半数
周辺の小スンダ列島で連邦国、バリ島からティモール島までで人口八百万くらいになる
実戦部隊ばかりで、後方支援の部隊が弱いから
補給、輸送、整備を大隊規模
回収、建設、衛生、労務、役務、情報、通信、資材、装備、研究、教育、警務、法務、会計、人事、公報、その他を各中隊規模で、方面軍司令部を中に入れて、後方支援・方面軍司令部旅団として、さらに増員しよう。
小スンダ連邦の増軍するとして
国連軍
歩兵師団15個師団
後方支援・方面軍司令部旅団
(世界123ヵ国から3180名派遣)
各師団付き機甲旅団十五個(内陸国27ヵ国から3350名派遣)
独立混成大隊(名古屋)
歩兵連隊(1180名)
機甲大隊(現450名)
国連軍総司令部(名古屋)付き要員各国から25名
内陸国負担6555名(最低基準国軍の約22%)
国連常備軍のアフリカ方面軍は第3師団だけでは足りないと思う
国軍が手に負えない
ダルフール紛争
神の抵抗軍への討伐も念頭におき、各停戦監視部隊の派遣など、任務が目白押しだ。
常備軍予備として、ナイジェリアのビアフラに第十六師団を中心とする西アフリカ方面軍をおこう
ビアフラ自体が紛争地帯では
ワジリスタンにも討伐部隊を送れば第16軍は消化できるだろう。
足りなければ、第14軍に少し余力があるからこちらにヨーロッパ、アジア、南米の紛争地帯の監視部隊をださせればいい
予備兵力だって、名古屋にあるし
仮にも旧ユーゴは一国に値するのだ
派遣部隊を第14軍格上げして、
ダルフール、神の抵抗軍、、ワジリスタンに第16軍に担当させ、
監視部隊任務は全て第17軍に任せればいい
国連軍
歩兵師団17個
支援・方面軍司令部旅団
(世界123ヵ国から3600名派遣)
各師団付き機甲旅団十七個(内陸国27ヵ国から3800名)
独立混成旅団(名古屋)
歩兵大隊(800名)
機甲大隊(600名)
国連軍総司令部(名古屋)付き要員各国から51名
海兵隊二個師団(海洋国104国400名派遣)
内陸国負担7051名(最低基準国軍の約23,5%) 海洋国負担4051名(最低基準約20,2%)
カスカース、スーダンも軍単位でやろう
スーダンを第16軍、カスカースに第17軍
第18軍
神の抵抗軍、ワジリスタン、アフリカ各地の紛争地域
第19軍
その他紛争地域
もう各国から一個師団を全部国連軍にした方が早くないか
師団にしたら国軍がいっきに消滅する国が出るから旅団あたりかな
766 :
名無し三等兵:2009/11/02(月) 03:06:52 ID:FyiZRVVi
か
767 :
名無し三等兵:2009/11/02(月) 04:15:00 ID:LL3uZ/nq
実際はヨーロッパ人や日本人よりも先に中国人が入植してたわけだが
どうせ、清や元の勃興で本国と連絡が途絶えたり、欧米にブン獲られるの確定だから、なんの意味もあるまい
769 :
名無し三等兵:2009/11/05(木) 00:21:33 ID:VaZ02fwL
ネイティブなインディカインディアンとハイブリッドなジャポニカインディアンが住み分けにより、両立したはず。
インディカは移動型牧畜、ハイブリッドは定着型能力。
ネイティブ集めて、カルフォルニア共和国だ
国連軍
歩兵師団19個
支援・方面軍司令部旅団
(世界123ヵ国から4030名派遣)
各師団付き機甲旅団十九(内陸国27ヵ国から4230名)
国連軍総司令部(名古屋)付き要員各国から57名
各国配備
内陸国国際師団(各国から4400名)
海洋国国際旅団定員4690名
海兵隊二個師団(海洋国96国430名派遣)
内陸国負担17417名(最低基準国軍の約58%) 海洋国負担13457名(最低基準約67,3%)
香港はどこに返すんだ?
清国が健在だが、維持できないからな。
マカオと合わせて、現地の広州壮族共和国が妥当だろう
米が育たない寒冷地で誰が入植の危険を冒すのか・・・。
ロシアのシベリア征服や、スペインのアメリカンコンケストが成功したのは、
中央集権化されていたから、外征について後方の不安定要因を除去できたと考えられる。
徳川幕府は全ての大名を倒すことより、楽して日本を統御することを選んだんだよ。
幕藩体制は外征に不向き。千島やカムチャッカなんぞに大名領を
入植させるなんぞ、幕府にとって目の届かない地域をいたずらに増やすだけ。
それに北海道の例を見ても、北への入植は時間がえらく掛かる。
北海道の征服は11C〜19Cの長期間に渡った。
外征への第一歩はもう一度、対外戦争なり関が原なりを経て、絶対王政(あるいは専制)
を実現すること。カムチャッカルートは寒流が流れているし、入植させる旨みもとても薄いから
スペインがメキシコとフィリピンの連絡に使った、北太平洋を時計回りに回る貿易風を使うべき。
それから、征服にしろ入植にしろ、対外拡張には時代からの要求が必ず背景にあるものだから、
そうしたことも考慮に入れなければ、あまりにも唐突な仮想戦記になってしまう。
age
776 :
名無し三等兵:2010/01/16(土) 05:47:42 ID:UOjPMLtO
インディアンにサムライが負けるんじゃねえか?
信長が長生きしてたら、あえて強国の明と事を構えずに
琉球、台湾、呂宋と征服してゆき、東南アジアから
欧州勢力を駆逐しただろう。
信長はリアリストだからそんなアホなことして、無駄に織田家の力を低下させないよ
秀吉は朝鮮出兵やったせいで、豊臣家を疲弊させた
兵力を温存していた家康に最後には討たれた
なら家康を朝鮮に出兵させればよかったんだな
そりゃ最終的には朝鮮で
勝ってる方が良いが、まあ
後知恵だわな>>豊臣の疲弊
国内新幹線(元弾丸鉄道)の現状。
現状の新幹線は戦前に建設された東海道山陽新幹線(1435mm、直流3000V、2500m曲線
、最高速度200km⇒250km電車化により、江戸=大阪=下関、)南満州線(旅順=ハルピン、同じ)
と戦後建設された平壌=京城=大邱=釜山、下関=博多=熊本=鹿児島、台北=高雄、江戸=東北新幹線、
江戸=上越新幹線、大阪=北陸新幹線、奉天=北京線、(25000V交流、1435mm、4000m、
最高速度270〜300km、)にわけられている、なお戦前作られた東海道山陽新幹線は
かなり老朽化が進み、阪神大震災では老朽化した高架橋が落ちたり、レンガ橋が落ちたり
大被害だそうな。
東海道山陽にもう一つ新型高速新幹線作るべきだが。