【確変】戦場の伝説的英雄 17人目【無制限】

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971名無し三等兵
人外とまではいかないけど、不屈の戦士をお一方。

第32軍第62師団の山本義中少尉

・歩兵一個小隊を指揮して参加
・砲撃をもろに喰らって一気に生存者五名
・めげずに嘉数方面で生存者と共に対戦車戦闘に従事、M4一両破壊
・が、直後に砲撃で陣地もろとも吹き飛ばされる。小隊全滅。
・倒れこんだところに破片が顔にあたって目が覚める。頭から流れた血が目に入るので、鉄帽を脱ごうとするが脱げない
・実はでかい破片が鉄帽を貫いて頭に刺さっていて、脱げなかった
・左手首が千切れそうになっていたので、壊疽にならぬよう軍刀でギコギコやって切り離す……が、スジがうまく切れずそのままぶら下げながら独歩で野戦病院へ行く
・病院に着いたところでさすがに昏倒、スジはハサミで金城看護婦に切ってもらう
・全身にでかい破片が30以上刺さっていたが、手術の末に戦線復帰
・島尻地区に後退し、牛島軍司令官自決後も山城挺身隊114名を指揮して戦闘続行。降伏は8/30。

二年位前の歴史群像本誌に本人へのインタビュー載ってるよ
972名無し三等兵:2009/06/10(水) 22:53:58 ID:???
生命力は人外と言ってもいいな
973名無し三等兵:2009/06/10(水) 23:00:43 ID:???
「山城挺身隊七十五名、鯛家隊十三名、ひめゆり隊四名、その他二十二名 計百十四名ッ  
 以上は本日をもって全ての編成を解く 大日本帝国は戦争に敗れた  
 しかし、国民がいる 国家も民族も滅びたわけではない! 我々は最後まで戦った  
 たくさんの悔いもあり、思い残すこともある  
 だが、我々は投降したのではない  
 天皇陛下の命令により、自ら武装を解除するのである  
 今後、米軍にどのような待遇を受けるのか、まったくわからない  
 それがどんなことであっても、日本軍人・いや日本人として誇りを持ち、あくまで胸を張って堂々と行動しよう  

 ……沖縄県出身者は一歩前へッ!  

 ……私達は志に反し、君達の郷土を破壊し、荒廃させてしまった  
 皆の親兄弟その他の肉親をはじめ、多くの県民を言葉では表現できないほどの苦しみと悲しみの戦争に巻き込み……  
 わ、わたくし山本義中は第三十二軍の将兵を代表し、沖縄県民に対し、深く……深くお詫びを申し上げます……」  

                                             昭和二十年八月三十日午前九時 山本義中少尉 
974名無し三等兵:2009/06/10(水) 23:55:26 ID:???
→ 手術の末に戦線復帰

ちょとまて逃げ場が無い孤島の防衛戦だと言うことを差し引いてもオカシイから!
975名無し三等兵:2009/06/11(木) 00:29:37 ID:???
山本義中少尉の件は、新里堅進の劇画「白梅の碑 野戦病院編」と「白梅の碑 戦場彷徨編」で存在を知り
氏の著作「沖縄戦に生きて」を後に読みました

敵が迫ってきて陸軍病院に後退命令が出た時は手術直後で独歩は無理で、危うく置き去りにされるところを
「私が少尉殿を担いで行きます!」
と、件の金城看護婦がほんとにおんぶして雨の中をおんぶして連れて行ってくれたそうな

で、頭と両足に重傷負ってて左手首が無くなってんのに戦線復帰して3ヶ月くらい頑張って……
本人はさらっと書いてるんだけど、実はかなりとんでもないんじゃ?