世界の沿岸警備隊&国境警備隊 総合スレ5

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225名無し三等兵
■時の首相・吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年8月末から9月初旬ころのもの)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その大半は不法入国であります。
私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。
★現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

★大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。
★さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。
★原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。
★日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
★許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、
私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。 
226名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:08:23 ID:???
日本の歴史って、中韓から見ると凄く美しいものなんだな。
だから歴史を美化するな! っとか言うけど、大事なのは何が真実かで。
歴史を美化する事は普通、むしろ美化なんて一切してないのにw
227名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:08:54 ID:???
太平洋戦争への東南アジア各国の評価 その1

■パキスタン  チャンドリイ・モハメッド・ザフルラ・カーン外相(1951年9月6日)
「四年になんなんとする間に、日本の侵略の潮はアジア各国に放火と殺戮(さつりく)とを齎(もたら)したのであります。その潮がやっと堰(せ)き止められ遂(つい)に押し返されました。
その跡に残りましたのは、荒廃した土地、打ちひしがれて、困苦、貧窮、屈辱に喘ぐ人々でありました。最も耐え難ったのは屈辱、人間の尊厳に対する暴行侮辱でありました。
遂にその終末が参りました。そしてその幕切れはまったく突然でありました。日本の占領すなわち死の苦しみに対する熾烈(しれつ)な記憶は依然として消えずしばしば悪夢となって蘇ってくるのであります。
それが生き残った者の状態であります。彼らは甘んじて許しも致しましょう。又努めて忘れようとさえ致しましょう。しかしあの無残な、苦難の下に生命を失った人々は何となりましょうか。
この人々を忘れ、この人々に代って許すということは一層難しいと思われるのであります。」

■インドネシア  アーマド・スバルジョ外相(1951年9月7日)
「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損害があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。
私はここでその数字を述べることは差し控えましょう。何故ならそうすることはこの会議の主旨にそわないでありましょうから、しかし私の政府は、具体的事実と数字をつかんでおり、
それらを適当な時期に適当な場所で提出するでありましょう。」

■フィリピン  カルロス・P・ロムロ外相(1951年9月7日)
「私は、ここで、日本の最も近い隣国の一つであり、不釣合いに重大な破壊を受け、日本のために損害を受けた国を代表して述べているのであります。
千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他に我が国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙(こうむ)りました。
四年間に亘る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、我が国民経済は完全に破滅し去ったのであります。フィリピンがその地域と人口に比して、
アジアで最も大いなる惨禍(さんか)を受けた国であるということは意義を挟む余地のないところであります。」
228名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:09:44 ID:???
太平洋戦争への東南アジア各国の評価 その2

■ベトナム  トラン・バン・ヒュー首相(1951年9月7日)
「ヴェトナムは、アジア全民族中物資的のみならず、その人民の生命においても最大の戦禍を蒙ったものであることは誰しも否めないところであるからであります。
そして占領の悲劇的環境が悲惨な結果に陥し入らしめた幾多ヴェトナム人に対し私が今日敬虔(けいけん)な思いを致さなかったならば、私は我々の死者に対する追悼の義務に欠くることなるでありましょう。
我が国の蒙った物質的損失もこれに劣らず甚大であり、且つ我が経済は、今もなお困苦の裡(うち)にあります。道路、橋梁(きょうりょう)は、断たれ、
村々は、破壊され、病院、学校は、損失を蒙り、港湾、鉄道は、爆破された。すべては再建させなければならず、しかも不幸にも我々が現在可能以上の資源を必要としております。」

■ラオス  サヴァン首相(1951年9月6日)
「長い長期の戦争であり、そのぜい弱な資源を挙げて侵略者に抗戦したラオスは
、その土壌、遺跡及びその建物に関して被害を蒙(こうむ)ったのみならず、その経済的及び道義的組織も、
侵略者の課しうるすべてのものによって被害を受けたのであります。しかしながら、解放以来、ラオスはその痛手から回復し、
その民主的制度はラオスをして最も進歩した国の中に列せしめたのであります。
すなわち、戦争の犠牲者として、ラオスは今日自由にして且つ、民主的国家群の中にその地位を占めたのであります。」

■カンボジア  フレング外相(1951年9月6日)
「極東における穀物、魚類、木材、家畜、ゴムの主要生産地の1つであるがゆえのその極めて重要な経済的潜勢力とともに、
その地理的戦略的地位のために、我が国もまた、真っ先に日本によって占領されたのであります。この事のために、我が国は、今次大戦によって
最も大きな被害を受けたという悲しむべき栄誉を持つ国にその名をつらねているのであります。
公的私的財産の受けた大きな被害、長期にわたる占領、日本派遣部隊に対する我が国経済の犠牲による扶持(ふち)、国土の三分の一の数年にわたるき損、
これらは、要するに我が国の上にふりかかった禍(わざわい)であります。」
229名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:10:07 ID:???
日本がああしなかったら、アジア諸国やアフリカ諸国は今でも植民地だった、みたいなのって、
正直それらの国をを馬鹿にしてると思う。
社交辞令でそう言ってくれる国もあるだろう
(なにしろ日本は経済大国でありまするから)が、
日本側があんまりそれを主張したら、カチンとくるんじゃまいかと。
そういうのを自分から言うのって、あんまり美しくないくね?
あと、ついでに言うなら、戦わなかったら日本も植民地になってた、って、ありえないから。
脱退したとはいえ、国際連盟の創立時からの常任理事国、
つまり十分大国扱いだった日本を、植民地になんかできないって。
まー、戦って負けたおかげで、60年以上実質植民地。
正式な条約などによる植民地なら、交渉で正式に独立できるからいいけど、
そうじゃないから、始末が悪い。

230名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:10:33 ID:???
>日本がああしなかったら、アジア諸国やアフリカ諸国は今でも植民地だった、みたいなのって、
>正直それらの国をを馬鹿にしてると思う。社交辞令でそう言ってくれる国もあるだろう

★インド  ジャワハルラル・ネルー初代首相
「かくて日本は勝ち、大国の列にくわわる望みをとげた。アジアの一国である日本の勝利は、アジ
アのすべての国ぐにに大きな影響をあたえた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、
おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年、少女、そしておとなが、同じ
感激を経験した」
「日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかという
ことをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義グループに、もう一
国をつけ加えたというにすぎなかった。そのにがい結果をまずさいしょになめたのは朝鮮であった。
(中略)日本はその帝国政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった、日本はヴェール
でいつわる用意もせずに、大っぴらで漁りまわった。(中略)日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史
の中でもまことにいたましい、暗黒な一章だ」
         (ジャワハルラル・ネルー『父が子に語る世界歴史』より)


231名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:12:27 ID:???
アメリカに勝ったら南仏印は自分らの手で「直接に統治」すると
身内でこっそり決めてたゲスどもが大本営であることを、
なぜこのオッサンは言及しないのだろうかw

自衛隊の幹部で、歴史を勉強してるなら、当時の大本営の作戦課が
どういうグランドプランを練ってたか知ってるはずだがw

御前会議の内容をブチまけてやりたい気分だw
232名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:12:53 ID:???
>>136>>162>全部サンフランシスコ講和会議のときの発言じゃねーか
【サンフランシスコ講和会議でのアジア諸国の態度】
■1988(昭和63)年5月24日 第112回国会 参議院外務委員会 第10号議事録
政府委員(外務省条約局長):斉藤邦彦 参議院議員:吉岡吉典
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/112/1110/11205241110010c.html (一部抜粋)

吉岡吉典:サンフランシスコ講和会議(*1)でアジア諸国が、幾つもの国が日本の侵略を
厳しく糾弾する演説をやっている問題なんですね。私、事前にこれに関連して質問すると
いうことも通告しておきましたので、どういう国が日本の過去の侵略について厳しい批判
を行ったか、外務省の方から述べていただきたい。(中略)

吉岡吉典:私が読んだところではまだ幾つかありますけれども、数はいいわけです。これ
らの国の演説というのは、私が読んだ本によれば、事前にダレス特使がいろいろ圧力をか
けたり、買収工作をやって本会議でこういう演説が行われないようにさんざん工作した
(*2)にもかかわらず飛び出した発言で、当時の吉田首相は、ダレスの力も大したことな
いなと側近に語ったということまである本で書かれている。例えばインドネシアはこう言
っていますね。「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。
第一に、約四百万名の人命の損失があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。」、
こう言っています。四百万人が殺された。フィリピンの演説を読んでみますと、こう言っ
ています。「千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損
失の他にわが国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。」後、続くわけで
すけれども、私は改めてこの議事緑を読んで、こういうことを日本国民にも知らせないで
きた。同時にサンフランシスコ平和会議の受諾演説で吉田首相はこういうアジア諸国の批
判に答えてもいない。外務省どうですか。

政府委員:受諾演説の中にはそういうくだりはなかったと承知しております。
吉岡吉典:日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。
政府委員:そのような声明を行った国はなかったと承知しております。
233名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:13:29 ID:???
>>131
ウヨっていつもそういう言い方をするけどさ。
奈良・平安〜明治維新〜戦前までなら良いところを山ほど教えてるだろw
誇りを持てないのは戦中のみで、それは他国と違って負けたから仕方ないわな。
日本の築いてきた素晴らしい伝統は誰も否定してないと思うんだが。
サヨだって江戸時代あたりを絶賛するのもいるし。
ウヨにとってはあの戦争が日本のすべてなのか?