1 :
名無し三等兵 :
2008/12/23(火) 12:14:07 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 13:12:31 ID:U2sHy9+W
エビちゃんとセックスしたい
3 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 13:18:53 ID:U2sHy9+W
加藤あいちゃんとセックスしたい
4 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 13:20:48 ID:???
ドイツ 高射砲の打ち上げた 弾丸量と 英米の落とした爆弾量は、おなじくらい。
5 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 13:50:59 ID:FM0thii5
36サンチ砲を繋げたHARRPを高射砲として運用すれば 犬吠埼、城ヶ島、下田、江ノ島、清水に配備してB29に対して鉄壁の防御になりませんか?
新スレモツカレー 捕虜になった兵士が必ず名乗ったのが「長谷川一夫」。 当の本人は、何故か京都生まれなのに36歳で、1944年鳥取の歩兵第121聯隊補充隊に入営し、 第10中隊に配属された。 そのまま勤務していたが、第200聯隊の編成時に除隊となったそうな。 彼の勤務は、大スター気取りはせず、真面目な勤務ぶりだったと言う。 因みに、この第200聯隊はその後第84師団に配備され、小田原に駐留していたが、この聯隊は、 付近の住民達から「鳥取部隊」と呼ばれ、姫路で編成された第199聯隊は「白鷺の勇士」と呼ばれ ていた。
7 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 14:47:47 ID:???
>>6 偽名だと見抜いてる米軍将校は、収容所で「ハセガワ!」と呼んで、
たくさんの自称長谷川一夫たちに返事させて、からかっていたそうです。
ほかに人気の名前は、宮本武蔵とか阿部定。
伊奈貫太郎=田舎太郎みたいな偽名も横行したので、
近藤勝蔵という人は、今度勝ぞうをもじった偽名と思われて締め上げられたそうな。
8 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 15:10:10 ID:CHBcKe1U
『コンバット』にて。 カービーの愛用煙草は マルボロである。 ※丘を血に染めて 参照
9 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 15:18:42 ID:???
お汁粉には、塩を一つまみいれること
10 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2008/12/23(火) 15:22:28 ID:6I7ElFGf
陸士の帰隊時間は 2士 2100 1士 2200 士長 2300 陸曹 2400 ・・・だからどうだといわれても。
11 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 15:48:05 ID:???
日露戦争の時に出撃する将兵は、根拠地に預金通帳を残していたのだが、 根拠地に残っていた将兵が艦が沈むと乗員の将兵を名乗って預金通帳を 使って勝手に卸す事件が頻発していた。
12 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 17:02:06 ID:???
>>9 お汁粉の量を考えないと、ひとつまみでは足らない場合がある。
ある海軍主計兵の場合、蒸気鍋一杯の汁粉に塩を入れ忘れたため、
旧兵に怒られた話がある。
この時に蒸気鍋に入れた塩の量は、ひとつかみである。
13 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 18:09:35 ID:???
高橋主計兵殿 乙
14 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 21:24:00 ID:???
中国軍スレより転載 148 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 00:47:21 ID:??? ■明治政府は、なぜ宮古・八重山を中国に与えようとしたのか 1880年の琉球の帰属に関する日清両政府案 日本政府案 1、沖縄諸島以北を日本領土とする 2、宮古・八重山を中国領土とする 3、上記のことを認めるかわりに、1871年に結ばれた日清修好条規に、 日本商人が中国内部で欧米諸国並みの通商ができるよう条文を追加する 清政府案 1、奄美諸島以北を日本領土とする 2、沖縄諸島を独立させ、琉球王国を復活させる 3、宮古・八重山は中国領土とする こうして1880年10月、交渉は妥結し(日本案で)1881年2月、両国の代表が石垣島でおちあい 正式に宮古・八重山の土地・人民を清国に引渡すことになった。 しかし、琉球の脱清人(清国への亡命者)による「日本への帰属反対」の請願が、再三にわたって清国政府に届けられていたことと、 ロシアとの国境紛争に解決のめどがたったことなどで、この条約の正式調印はそのまま棚上げにされた。
第一次世界大戦終結後、戦勝国による過酷な要求がドイツを疲弊させ、 その結果としてナチスを生んだ…というのはよく聞く話。 ちなみにドイツが勝利した場合、突きつけるはずだった条件は、 M・エルツバーガー(中央党)の言を借りれば、 ・ドイツと国境を接するすべての国の中立政策の禁止。 ・欧州国家共同体の設立。もちろん主導権を握るのはドイツ。 ・ロシアの分割。 ・ポーランド、バルカン諸国はドイツへ併合。 その際、これらの地域はドイツ帝国議会に議員を送ることができるが、投票権は与えない。 ・ベルギー全土、フランスのダンケルク以南のフランス沿岸はドイツの軍管区とする。 ・ブリエー、ロンウィ間の鉄鉱地帯、アルザス北部の割譲。 ・アフリカ大陸にあるフランス、ベルギー植民地の譲渡(モロッコ以外)。 ・戦争経費として100億マルク。 加えて復員者手当、年金、公共住宅資金、政治家や将軍への手当、ドイツ国債全額の償還を負担する。 だった。どっちが勝とうが次の戦争は不可避だったのかもしれない。 ちなみにこの人がドイツ代表としてコンピエーニュで休戦条約を結んだんだから皮肉なものである。
16 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:00:18 ID:???
ペタン総統率いる大フランス帝国+ソヴィエト連邦(さすがに分割は無理だろ)vsドイツ帝国か… 普通にフランスが負けそうなんだが
17 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2008/12/23(火) 22:20:30 ID:6I7ElFGf
平成19年度 自衛隊観閲式 3_1
http://youtube.com/watch?v=JKSVcOvOU04&feature=related どーでもええ知識
1 観閲行進の場合、一番右側の人間は前向いて歩くのは、彼らを基準にしてまっすぐ歩くため。
2 4分36秒から出てくる、防衛医科大学校学生隊は、WACの歩幅である70cm(スカートの場合)
に合わせているため他の部隊より全体的に静かな歩きになっている。
3 このビデオにはないが、「着剣」する際には全員の着剣を確認したのち、「よしっ!」と後ろの基準隊員が声を
かけることにより、全員が顔おあげる。
・・・ほんと、どーでもええ知識やなあ。
18 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:29:30 ID:???
へえ医科大学学生隊はサーベル・筒の代わりに医療箱なんだね
19 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:30:45 ID:???
画像はいいんだけど痛いコメントがいっぱいついてんなw
20 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:35:16 ID:QlIpAZyo
>>19 ニコ動を覗いてみれ。痛いコメントの連続攻撃で腰が抜けるから。
21 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:38:54 ID:???
駐在武官の中には立って敬礼する人もいるんだね
22 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:51:44 ID:???
女性自衛官の行進するときバッグ持つのは性差別的だといわれたりはしないんだろうか…? はともかく、サーベルか…。いや戦前ですら陣太刀拵えだったのは昭和からだとは知ってるんだけどさ。
23 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 22:55:35 ID:???
施設科とかじゃね 普通科は中にまじってるんじゃね
24 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2008/12/23(火) 23:08:38 ID:6I7ElFGf
>22 防衛大学は、旧海軍風味な時代錯誤教育してますからねえ・・・ 陸自のほうが、ホント、リベラルよぉ。
25 :
名無し三等兵 :2008/12/23(火) 23:15:01 ID:???
>>17 どうでもいい知識
観閲式のときに歩く空自の隊員は、その年の7月に3曹に昇任したばかりの人たち。
初任空曹教育で熊谷基地に集められていて、教練の基本を再度叩き込まれたばかりだから、
こういう場所にまとめて出すのに都合がいい。
26 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2008/12/23(火) 23:33:35 ID:6I7ElFGf
>25 ほほぅ・・・ どーでもええ知識やのぉ。 で、あんた歩いたの?(笑)
27 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 00:31:12 ID:???
緑装薬ってPCゲーム板のにょんさんとキャラクター被ってるよね
28 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 14:31:16 ID:???
第2次大戦中、英空軍で活躍したカナダ人エース、バーリングは、変り者とあだ名され、友人は極めて少なかった イギリスに来て最初のクリスマスは、一日中、海岸でカモメを眺めて過ごしたという
29 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 17:31:23 ID:???
なんだ、俺のお仲間か。
30 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 20:24:01 ID:???
僕も今日は上野不忍池の鴨さんたちに餌をあげてました。
31 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 20:27:42 ID:???
鴨A「こいつクリスマスでも一人なんだぜwww」 鴨B「きめぇwwwwww」
32 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 20:30:30 ID:???
でも、バーリングは、空戦技術は超一流だったんだぜ?
33 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 20:42:24 ID:???
34 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 21:11:59 ID:???
>>31 お前ら、オレから餌をもらいながら
馬鹿にしてたのか!!
35 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 22:51:29 ID:???
鴨のバター焼きは至高の味…
36 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 11:06:48 ID:???
山本五十六が海軍次官時代に行った水を石油に変えるという詐欺事件、今から70年前の 今日、昭和13年12月27日に山本五十六が山本正三という海軍付の元新聞記者から 売り込まれ、これを聞いてすぐさま大西瀧次郎に命じ、翌日には東洋化成工業で 大西立会いの下、急遽実験が開始され、山本、井上成美が見学に訪れている。 翌年1月9日に海軍省で再度実験になったのだが、この海軍省での実験には 海軍次官 山本五十六中将 軍令部次長 古賀峯一中将 軍需局長 氏家長明中将 海軍航空本部長 豊田貞次郎中将 海軍航空本部総務部長 稲垣生起少将 軍務局長 井上成美少将 という無駄に豪華な将官が集まって海軍次官室で実験を命じている。海軍は暇だったのか この面子は正月元旦なのに集まってこの件を打ち合わせをしてGOサインを出している。 とはいっても実験には将官は実際には立ち会わず、実験場所は航本で、大西瀧治郎ら 佐官級が立ち会っていて、大西ら佐官達は年末年始にこの実験を延々とつき合わされていた。 犯行を見破った渡辺伊三郎機関中佐ら技術武官以外の立ち会った佐官を見るとまた豪華で 航本教育部長 大西瀧治郎大佐(終戦時自決) 艦本総務部第一課長 岡田次作大佐(大戦中の加賀の艦長 ミッドウェー海戦で戦死) 艦本総務部第三課長 升田仁助大佐(ヤルート島守備隊指揮官 終戦時自決) 艦本部員 城英一郎中佐(特殊航空隊編成を発案 千代田の艦長として戦死) ついでにこの実験を真実だと説いて回ったのがまた大物で、自称戦争を始めたのは俺だ の当時は横須賀軍需部総務課長の石川信吾大佐、石川は以前にもこのインチキ実験に 立ち会って嘘偽りはないと信じてしまい、実験が失敗したのはこれを信じていない連中が いるからだ、と痛い理由を持ち出して最後まで周囲を説得していた。 石川がすっかり舞い上がったように、詐欺の犯人本多維富はカリスマ性が高かったらしく 本多は多額の出資金を騙し取っていたのだが、海軍がいくらこの件は詐欺だったと 説明しても、それでも本多を信じていると認めなかった者が多くいた。
37 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 11:44:27 ID:???
38 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 13:15:35 ID:???
あの辻嘉六が騙されて個人的なパトロンになって、 詐欺師が「作った」ガソリンで自動車に乗ってたため、政界に広まったらしい。 この件では、陸軍航空本部はじめ陸軍で石油を使う人も相当な関心を持ってた。 海軍に先手をとられないよう憲兵隊に内偵させてた。詐欺師とわかってかなりがっかりしたらしい。
39 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 13:22:36 ID:???
今聞けば笑い事かもしれないが、当時の状況を考えれば必死になって食いついても おかしくないネタだろうな。 ああ、タイムスリップして満州の油田のことを教えてあげたい。 あれ?ソ連軍ががが(ry
40 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 13:54:42 ID:???
満洲の油田は当時の常識であんなとこから出るとは思わなかった、今は後悔している みたいなこと言ってたな
41 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 14:27:23 ID:???
満洲の油田は満鉄調査部も探していたけど、ワックスの原料になるような ものしか採掘できなかったと、どこかで聞いた記憶が。 日本本土で石油が少しでも取れればなあ。
42 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 14:30:20 ID:???
軍板だと火葬戦記のおかげか無駄に有名な大慶油田。 日本が発見していればと言われるが、大慶油田にあたる石油鉱床を 当時の日本や満州でも知っていた。単に当時の技術では分離抽出する 技術がないためにどうしようもなかく、満州の大学や研究機関で使える レベルにする実験には成功はしているが、実用性がないために諦めた。
43 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 14:52:25 ID:???
>>42 別に深くはないでしょ
精製に問題はあったけどさ
44 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 14:55:47 ID:???
45 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 15:14:17 ID:???
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ
>>43 ( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
46 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 15:41:50 ID:???
>>41 日本本土でも石油は取れてたし、今も取ってますが。
少しでよければね、少しで
47 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 15:59:26 ID:???
日本は他種資源国です。 産出量は極めて少ないけどww 何でも取れるw
48 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 16:06:49 ID:???
水ガソリン事件 お馬鹿 海軍 どきゅん 陸軍 てあたってたんだなあ・・・・ ほんと・・・・・・・・・
49 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 16:23:22 ID:???
>>38 陸軍が憲兵を使ってってのは戦後に作られたよくあるデマだろ。
陸軍関係者が関わっていないのに憲兵が民間人を調査なんてしたら、
第二のゴーストップ事件になって大騒ぎになるぞ。
50 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 16:49:21 ID:???
51 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 17:01:30 ID:???
陸軍は憲兵で内定なんてしちめんどくさい事はしておらず、陸軍主計監小野寺長治郎少将が ずっと以前の陸軍経理学校校長時代の昭和6年に、本多の実験を見学した事があって、 水とガソリンと摩り替えたのを見破っている。 海軍で騒動になっているのを聞いて、小野寺少将が海軍省に出向いて自分の見た事を話し、 証拠として私が提出した記録が陸軍省にあるので持ってきましょうかと提案したが、大西大佐は それは自分の目で確かめる、海軍には海軍のやり方で徹底して調べるので無用と断っている。
52 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 18:54:00 ID:???
お家芸のセクショナリズムきたー _| ̄|○
53 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 19:49:07 ID:???
東京憲兵隊の人が、回顧録で調査をやったと書いてる。
54 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 20:12:26 ID:???
>>49 ならないよ憲兵隊は海軍への捜査権もあるし
民間に対しての捜査権もある
ただし平時は数が少なすぎるから重大事以外は民間に対して関わらない
55 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 20:45:31 ID:???
>>54 朝鮮で初期の頃に朝鮮駐箚憲兵隊が警察を兼ねた特殊な例はあるけど
憲兵隊は内地では軍関係者が関係する犯罪以外で民間人への
捜査・逮捕権はないよ。海軍への捜査権があるんじゃなくて、
憲兵隊は陸海軍大臣の指揮下にある陸海軍の軍事警察だから。
正確に憲兵条例を適用すると第二条にあるように「行政警察に
係るものは内務大臣、司法警察に係るものは司法大臣の指揮を
承く」とあって、内務大臣や司法大臣の指揮を受ければ逮捕・捜査が
発生するんだけど、まあ知っての通り、警察は蛇蝎のごとく軍を
嫌っているから。
民間人を逮捕というと甘粕事件が有名だけど、これは陸軍内部に
共産主義やアナーキストの大杉シンパが隊内で急増しはじめており、
相当数が宣伝扇動を始め、隊内に団体を作りだした事を問題視して
憲兵隊が動いている。
56 :
名無し三等兵 :2008/12/27(土) 20:57:26 ID:???
>>49 別に犯罪捜査としてやったんではなく、任意の調査なんだろ。
57 :
名無し三等兵 :2008/12/28(日) 02:48:37 ID:???
連合艦隊秘史 覇龍の戦録の第二石油って元ネタは水カソリン事件なのか つーか林譲二の架空戦記ってしょうもない知識のオンパレードだよな
58 :
名無し三等兵 :2008/12/28(日) 03:32:12 ID:???
>>46 この前秋田かどっかで石油が湧き出したが品質が悪くて使い物にならない、ただ厄介なゴミだから埋めるってニュースであったな
59 :
名無し三等兵 :2008/12/28(日) 06:01:34 ID:???
>>57 SF作家ってのはしょうもない知識や理屈をエンターテイメイトに変換するのがお仕事なんだから当然じゃない?
60 :
名無し三等兵 :2008/12/28(日) 09:52:19 ID:???
航空潤滑油の原料として使っていたひまし油 陸軍はひまし油が採れるトウゴマ増産の協力を求めて説得に回ったが、食糧増産が 急務の農商省が乗り気でなく、トウゴマは畦や庭で栽培できるものとはいえ農家としても 統制外の作物の栽培をするなら金になる食用品を育てるので一向に進まなかった。 本土空襲で国内でも戦争が身近になったおかげか、昭和20年に各地で栽培が始まり ようやく増産計画が軌道に乗りだしたのだが、種をまいたらすぐ収穫できるわけがなく、 トウゴマの収穫シーズンの八月には戦争は終わってしまった。
61 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 15:06:46 ID:???
昔のACのCMだかで、日本の石油自給率2%とか言って 汲み上げた泥水の上澄みらしき石油をすこ〜しづつ集めてる様子を写してた 今思えば2%すら怪しいんだよな
62 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 15:41:26 ID:???
空気を燃料にする機械を作れば良いじゃないか。
63 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 15:43:10 ID:???
大気中の二酸化炭素と水を合成してエタノールを…
64 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 16:28:53 ID:???
65 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 16:31:44 ID:???
太陽光発電と地熱発電と波浪発電でなんとか… てか実際合成化石燃料なんて作れるんかね?そりゃ原理的には可能だろうけど…
66 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 17:25:58 ID:???
>>65 実験室レベルなら、十分可能。
問題はコスト。
WW2の時みたいに、「限りあるリソースを無駄遣いしただけ」「逆に戦争を続ける邪魔になった」とケチョンケチョンに評価される気が…
68 :
名無し三等兵 :2008/12/29(月) 17:47:52 ID:???
WW2では一応工業化も可能だった石炭液化技術も、結局、原油が自由に手に入るようになったら、 コストの面で太刀打ちできなくて廃れたからなあ。
69 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 12:10:53 ID:???
そういえば、SR-71用のJP-7って、合成燃料だな あれも、高空をマッハ3で飛ぶって特殊目的のために、コスト度外視したから出来たことか
70 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 12:49:57 ID:???
今は米空軍ってジェット燃料は全部合成燃料じゃなかったっけ?
71 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 13:51:06 ID:???
どこの異世界の米軍の話だ? 軍民問わず極一部の特殊機用を除いてジェット燃料は現代でも普通に石油だが。精製度や 添加剤が多少違いはするが基本的にJP-8やJP-5は普通の灯油と殆ど同成分。JP-4は ワイドカット(灯油〜ガソリン留分を細分せず留出したもの)。
72 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 17:22:44 ID:???
軍事ものではないけど、フランスかどっかで電気カーに次ぐエコカーを作っているらしいよ 燃料はある意味、まさに空気!燃料タンクの代わりに大型のエアータンクを積んで専用のエンジンに圧搾空気を送り込んでピストンを動かすとか何とか言ってた気がする テレビのニュースでやっていたんだが酔っぱらいながら見てたんで詳しい話は良く聞いてなかった…
>72 鉱山や火薬工場で火が使えない場所では昔から無火式蒸気機関車と言うものが あります。 石炭で火を焚いて蒸気を熾す代わりに、別の所で作った蒸気をタンクに入れて、 それをシリンダーに吹き付けて動かすもの。 他に蒸気ではなく、圧搾空気を用いて動かすエアーロコと言うのもありますから、 昔から使われたものだったりする訳で。 尤も、蓄電池式のロコやら、電気機関車なんかに比べると効率が悪く消えてしまい ましたけどね。
74 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 21:45:18 ID:WzGD4Rwd
>>73 昔からあった技術だとは知らなんだ
サンクス!
まぁ石炭に限らず何かを燃やすついでに蒸気を作ったりするか、最悪空気入れでシュコシュコ入れれば多少は何とかなるんでないの?
そのニュースだと実験で150キロ位走ったらしいし技術が進めば最低でもジープの代わりくらいにはなるんじゃない?
75 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 21:56:52 ID:???
76 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 00:06:55 ID:???
セルポレーってどんなんだったっけ
77 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 13:29:59 ID:???
数々のドラキュラ映画や「スターウォーズ」エピソード2および3でドゥークー伯爵を演じたことなどで高名な、 映画俳優クリストファー・リーは、義勇兵として冬戦争に従軍した経験がある。
78 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 16:07:17 ID:???
>>77 それ結構有名じゃね?
俺でも知ってるぐらいだし
79 :
77 :2008/12/31(水) 18:17:42 ID:???
そ、そうなのorz
80 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 18:18:45 ID:???
俺は初耳だ。
81 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 18:48:44 ID:???
因みに、貴族の血筋で、剣術の達人らしい。 ドラキュラ役をやっていたころの脂の乗りきった頃ならば、スターウォーズのドゥークー伯爵の殺陣シーンは、 スタントを立てなくても素でやれたという話。 だが、さすがに寄る年波には勝てず、殺陣シーンは全部スタントがやって、CG処理で彼の顔をハメ込んだそうだ。
82 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 19:41:55 ID:???
実はF8Fベアキャットのコクピットは零戦よりも狭く、パイロットに不評であった。 ベアキャットがより旧式なコルセアよりも早期に退役した理由の一つでもある。
83 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 19:46:07 ID:???
コルセア F8F 余らせるくらいならどっちか日本にくれよと
84 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 21:03:23 ID:???
>83 海軍省:「三菱・川西が潰れてしまいますが…」 内務省:「失業者増えたら益々社会主義思想蔓延の危険が…」 統帥部:「じゃ、導入断念&国産機オンリーで逝きませう」 ・・・(ラジヲ)・・・『耐エ難キヲ耐エ、忍ビ難キヲ忍ビ(ry
85 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 21:14:13 ID:???
>>83-84 どうせ負けるのなら、両方ください。
てか、貧乏国相手にマジになるなよ、アメリカ。
86 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 21:15:33 ID:???
クリストファー・リー 1941 では三船敏郎と共演wしてるが、 実は あの大日本帝国海軍の潜水艦は、ドイツから供与されたUボートという設定 であった・・・
87 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 21:55:08 ID:AweSVeVF
>>空気を燃料にする機械を作れば良いじゃないか。 空気からは、爆薬ができるのにねえ・・・・
88 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 22:18:23 ID:???
>>87 空気から爆薬作る(ハーバー・ボッシュ法でアンモニア作って硝安作ってry)のと
同等のエネルギー投入して良いなら燃料(水素)だって作れるが。
89 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 23:41:00 ID:???
>>86 設定と言うか、映画の中で口論のタネになってなかったっけ?
「なんだこんなポンコツ寄こしおって」VS「ドイツ製は優秀だ、乗員の腕が悪い」
90 :
名無し三等兵 :2009/01/01(木) 09:37:31 ID:???
>>81 英国の俳優で、まともな演技の修行をした人なら、シェークスピアなどの史劇をやる関係上、
殺陣と乗馬は一通り出来るのが普通
Ernesto Che Guevaraが愛飲していたのは、Mate Cocido。 因みに、Napoleonは、「我にショコラありせば、他に食糧を絶つも可なり」と豪語していたほど、 ココアが好きだったとか。 睡眠時間が短いのも何となく判る気がする。
92 :
名無し三等兵 :2009/01/02(金) 00:28:15 ID:???
マテ茶か。元・医者らしく、健康に気を使ってたのだろうかね。 しかし、その前に、喘息持ちなんだから、タバコ・葉巻をやめろと小一時間(ry
93 :
名無し三等兵 :2009/01/02(金) 16:03:08 ID:???
チェはどっちかというと紙巻きタバコが好きで、葉巻はキューバの特産品ということで、PRのために吸っていたらしい。 確か、ゲバラ日記でもタバコが切れたことをグチっていたような。
94 :
名無し三等兵 :2009/01/06(火) 00:27:00 ID:???
20年2月あたりから現れ、硫黄島攻略部隊の間で噂された幽霊飛行機 夜間になると硫黄島や父島周辺に現れる 排気炎は見えるがレーダーに写らない 爆音が聞こえるが地上からレーダーやサーチライトで探しても発見できない レーダーに何も写っていないのに被弾する機が出た レーダーに映ったことがあったが、投弾するとすぐに消えた 正体は父島の徹底して擬装した洲崎飛行場から低空侵入と電探欺瞞紙で 夜間作戦を繰り返していた一式陸攻で、硫黄島や父島の航空部隊は壊滅状態で、 そんな作戦ができるわけがないという思い込みが生み出したフーファイターだった。
95 :
名無し三等兵 :2009/01/06(火) 01:05:59 ID:???
>94 そんな設定の零戦漫画あったな、それの元ネタだろうか
脳血栓や脳梗塞の治療薬として開発されたウロキナーゼ。 この薬品は、日本ケミカルリサーチという会社が開発し、脳や心臓の血管内に出来た 血栓を説かす効果がある酵素の一種を持っている。 理論的には、欠陥を閉塞している血栓をウロキナーゼで溶かし再開通出来ると、脳梗塞の 治療薬としても使えるそうな。 因みに、このウロキナーゼの原材料は、当初、小便だったりする。 人間の小便の中には、小便1トン中に30mgだけウロキナーゼが含まれていて、小便から ウロキナーゼを抽出、精製、製剤していた。 最初、日本ケミカルリサーチは、原材料の入手を自衛隊に依頼したが実現せず、韓国から 輸入して事業化に成功した。 後に、輸入先は中国に変更し、中国全土の学校や軍隊から1日約250トン、年間10万トンを 集めている。 学校や軍隊は、健康診断がしっかりして、由緒が比較的はっきりしているので、安全という 事で白羽の矢がたったもの。 尤も、小便を全量輸入した訳ではなく、中国国内に集められた小便を精製して、1トンを20g にまで圧縮し、それを凍らせて日本に輸入していた。 現在は、流石に中国も色々あるのと、2003年5月に厚生労働省が「尿は無対価で入手する こと」という方針を出した為、人の培養腎細胞が用いられる様にはなってきたが…。
97 :
名無し三等兵 :2009/01/07(水) 10:42:53 ID:???
98 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 14:09:39 ID:???
ソ連の冷凍鮮魚輸送の非効率 船上で冷凍(50〜100kg毎に包装)→貨車の扉口に入らないので一旦解凍→冷凍(10〜12kgで包装)→小売店で1kg毎にするため再度解凍→冷凍→食卓へ
99 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 23:43:36 ID:???
>>98 その解凍の段階で何割か「蒸発」するんだな・・・
天使の分け前だな
陸軍は海上輸送をした場合、およそ3割失うのを前提に立案していた。 戦闘による消耗ではなく、平時からこの見積もりで、普通に損耗する分と 海運業が積み下ろしの時に盗むのは当然で誰も文句を言わなかった。 さすがに戦車や野砲まで消えるような場合は、苦情を入れているが 海運業者は海軍の偉い将官や政治家、政党がバックについているので、 騒ぎを大きくすると何故か逆に兵站総監部が叱られたという。 海運業者だけでなく兵士による盗みも当然ある。 前線から離れるほど、兵士による盗みは酷くなる傾向があったという。 戦争末期まで平和だった仏印は特に酷く、あまりにも行方不明の物資が 出るので、兵站総監部職員が調査しにゆくと決まって「ゲリラ」に殺された。 中には船が丸ごと行方不明になる事件までおきていた。
日本海軍の場合、食品類の搬入を主計科の人間以外に手伝わせると 必ず量が減るのがお約束だそうだ。 だから米や麦以外の物を、主計科以外の人間が運ぶ事は、 まず無い。
ギンバイってやつですかい それにしても規模がでかいが
霧島の砲手だった人が、荷揚げの際にザラメを一袋ギンバイしたそうだが。
初年兵にギンバイを強要するのですね。わかります。 要領よくやってこれば良し。 失敗したらそれをネタにネチネチとイビリ倒すので良し。
>>105 いやいや、糧食の荷揚げ手伝いの際に、
持っていたザラメの袋(20キロぐらいか?)が、たまたま穴に落ちたんだそうで。
共産党時代のルーマニアは、公共交通機関整備事業費圧縮の為、国を上げてヒッチハイクを推奨した。 今でもタクシー乗り場ならぬヒッチハイク乗り場があるらしい。 更に石油や電気に頼らずに太陽エネルギーのみで温水を供給する装置を開発。 その方法は、よく晴れた日にドラム缶やバケツに水を張ってガラス板を乗せるだけ。 エコ先進国だね
1940年、ニューヨークで一番の観客動員数だった映画は「マンネルハイム・ライン」 ソ芬戦争を描いたソ連のプロパガンダ映画だったが、大迫力の戦闘シーンで観客を魅了し 大ヒット映画になったとニューヨークタイムズは報じている。
知将スプールアンス提督と空母戦の名人ミッチャー提督の大勝利 と言われるマリアナ沖海戦。 スプールアンス提督とミッチャー提督は殴り合いの喧嘩になる寸前で周りが 慌てて取り押さえたぐらいに作戦方針を巡って対立していた。
戦後、栄養学者として名を馳せた川島四郎陸軍主計少将。 戦時中は、元気酒、金平糖入り乾パン、濃縮鶏卵などの開発をした人だが、 この人、研究でも、兎に角確認してみようと言う経験重視型の人だったそうな。 で、死にかけたのが3〜4回あったそうだが、一番生命の危機にさらされたのが 2回ある。 1回目は、大豆と豚と昆布の缶詰の試作中、業者が詰め合わせの配合だけを 見て貰うつもりで殺菌しないまま出した見本を知らずに食べ、七転八倒の苦しみ を味わい、2度目は兵糧丸の研究の時、助手が薬品の量を1桁間違えた為に、 すんでの所であの世に行きかけた事だそうな。 他にも、古来から言い伝えられている「食べ合わせ」が科学的に否定できるかどうか を自分の身体でやってみたりした。 因みに、「食べ合わせ」40数種のうち、2〜3が軽微な腹痛、2つは七転八倒の苦しみ を味わい、そのうち1つは死の一歩手前まで行ったという。
>>111 民間伝承の正しかった食べ合わせが何だったのか気になる。
梅干しとウナギは別に何ともないのは個人的にチェック済み。
食べ合わせにはその組み合わせがうますぎて 食べすぎで身体をこわすというのもあるので なんともいえない
115 :
名無し三等兵 :2009/01/18(日) 01:22:09 ID:S2Yq+7vs
ウナギと梅干の場合、江戸初期の蒲焼はぶった切ったウナギをそのまま串に刺して 焼いた姿を蒲の穂に見立てて"蒲焼"と呼んだもので、当然油抜きなど工程に含まれて いないから、それを梅干で口の中の脂っこさをリセットしながらガツガツ食ってしまい 油が強すぎて腹を壊したのでは、という説がある。 海草のオゴノリは単独で食っても特に中毒を起こさないが、加熱もしくは石灰 処理せずに刺身のつまにすると、魚肉に含まれるアラキドン酸がオゴノリの 酵素によってプロスタグランジンE2という生理活性物質に化け、これが血管を 強力に拡張させるため、低血圧を引き起こし死亡した例すらある。食べあわせが 本当に命にかかわり、かつそのメカニズムも解明されている稀有な例。
>111 その七転八倒した喰い合わせが気になる(w
>>116 川島四郎氏が七転八倒した食い合わせは、
ウナギと夏ミカン。
>117 普通にやりそうなパターンだけど、以後気を付けようw
きのこの一部(ホテイシメジなど)に含まれるコプリンはアルコールの分解を阻害するので、 これらのきのこをつまみに酒を飲むと、ひどく悪酔いするケースがあるので要注意だ。 先人の知恵をおろそかにしちゃいけないよと。
シイタケを食べながら酒を飲むと、悪酔いをするそうだ。 川島四郎先生の研究より。
”007”を見ながら思い出した話。 プエルトリコにある、世界最大の電波望遠鏡”アレシボ”は 元々米軍の電離層観測用のアンテナだった。
レイゼンビーの奴か?
123 :
121 :2009/01/18(日) 22:46:01 ID:???
124 :
名無し三等兵 :2009/01/19(月) 02:13:45 ID:tNK9sChh
>102 甘い甘い、ギンバイ袋一杯の砂糖より甘い。 帝国海軍のギンバイは、主計兵が担いで走っている 生野菜やら豆腐やらを並走したり取りすがったり ラッタルから奇襲したりしてかっぱらう。 主計は担いでいるから両手がふさがっていて 「コラッ」と叫ぶ以外できない。 ので、主計科以外に運ばせなくても食料品は 輸送損耗が生じるのである・・・・
その割には、麦を夜中に捨てたりしてるんだよね
イギリス上空でバトル・オブ・ブリテンが行われていたその頃、 空の下では150万人もの失業者をイギリスは抱えていた。
>>115 魚とオゴノリの「食べ合わせ」って聞いたことが無いんだが、どこの地方?
>>126 イギリスなめんな
1944年の怠業日数は1938年の実に三倍である
>128 それはしょうもない知識というよりは信じられないが本当だスレ向けの知識だな 怠業日数の具体的な数字ってどれくらいなの?
>>126 独軍のロンドン空襲が始まった頃、主に目標とされていたのは、東部一帯だった。
ここは工業地帯なのだが、低所得の労働者や失業者の住居も多く、日々の生活の不満に加え、空襲の被害で、
政府の無策を罵る声が増え、一時は暴動寸前と言われるほどの不穏な状態が続いていた。
この状況が一変するのは、バッキンガム宮殿も爆撃の標的とされてからである。
彼らも王室に対する敬愛の念は持ち合わせており、攻撃の対象は、一気に英政府から独軍へ向かったのだ。
戦時下で失業者ってどんだけ人的資源に余裕があるんだ英国は。
まぁ、海上封鎖で膨大な量の民需工場群が閉鎖状態に陥れば、幾ら大英帝国の軍需産業が がんばっても全ての失業者を吸収できるわけないしなぁ
>>129 君はブリテンならあたりまえと思っただろ
ブリテン汚染度30%ってとこかな。
日本だって指定軍需工場のベテラン工員の過半数以上がさぼっていたんだし。 あげくに工場拡張で増やした工員が働けないよう工具を隠したりいじめたりと ろくなことしておらんし。
そういえば前スレか何かに出ていたブリュースター社も、 戦時中は労働争議で凄いことになっていたなあ
137 :
名無し三等兵 :2009/01/19(月) 22:23:11 ID:scb++b/0
俺んちの婆さんの場合、首都圏では稀有な田舎(御殿場線沿線)に 疎開させられたそうな。山の中は「炭焼き部隊」と呼ばれる軍隊がたくさん居て びっくりしたとか。とにかく国内の山の中は兵隊だらけだったらしい。
>>136 ブルースター社解散の顛末は興味深かったですね。
あれは詐欺だな。
>>130 「海軍めしたき物語」をどうぞ。
>>137 『稀有な』田舎って表現は変ろうが・・・・
>>138 お汁粉は塩を入れないと甘くならない、ってあの本ではじめて知った
ちなみにその知識は特に使い道がない
>140 うそだろう?普通に西瓜に塩振るだろ?同じ理屈
黄粉餅作るとき、黄粉・砂糖と一緒に 塩をひとつまみ足さんのか?
143 :
124 :2009/01/20(火) 02:41:55 ID:???
どっちかというと、 米を炊く時の水加減は大なべでも小鍋でも 同じぐらい(ギュッと押して手のくるぶし位まで)、というほうが無駄知識
>>143 その知識、飯盒で飯を炊く時に使っている。
頭骨 眼窩 \ \ | \ | 耳 \,.=====、 / /´ \ 、 ゙ヽ/ 尺骨 上顎 /r' ´γ`ヾ ヽ /ハ | 中手骨  ̄\ _ナ-'r、_弋=,.ノノ、ぶソ..│ /  ̄\r'(_ソ__'´`'>=='´¨¨ヲ !rッ=ァ / 下顎 ────‐{ r'¨ ,ク´'´ ̄フ´リハ' //リ}トヽ ` ´ ,.公ソ´ ,.レ'/ ヽ!ス 背骨 ───────‐,公/´ _ノケ/ \ `リ 、 {戈j| r、ィ='¨¨ .くソ. \ \ 鳥カイ骨 ──‐久}´fッレ=-'' ̄ ̄\ \ l 似ノ!゙ |ハこ`ヾ_ 上腕骨 と う 骨 叉骨-' ̄ ̄ ̄ ̄レ'j^(ノくノノ レ'l去ヽ.__ /´¨ ∧ミソノ' j^lト、、_,∧_ _,rッ r─‐‐弋 `¨===-'ノフゝソ!r'ン'\ 竜骨突起 ‐‐' ¨`ー、、‐'´__,./く´レリ¨ 尾端骨 ヽ∨f }_リ´ \ _,.クヲ' \ヽァ 大腿骨 fz=ァイテリ __/久 \ 爪 ──── `'^ィ~ f{^f{ュィtッスム\  ̄ ̄\_ 下腿骨 . `¨´ \ 蹠骨
今時スイカに塩を振ったりするのか? 正月の余り餅などでぜんざいは作るが。
お前にとって使い道のない知識だからどうだというのだ いい加減黙れ
いきなり何の話だ
つか、スイカに塩を振らない文化圏が日本にある、 というのが俺にとっては驚きの知識だ;
今のスイカは十分に甘い。昔みたいに野良仕事で汗もかかない。そういうことだ。
ある日本陸軍主計将校某氏は、餅がかびたせいで 進退伺を出した事があるそうだ。
そういえば、2ちゃんねるは今年で十周年だな。 …何かもう、もの凄い昔からあるような気さえするが。
155 :
141 :2009/01/23(金) 08:17:30 ID:???
論点がずれてますな 西瓜に塩を振る事が、日常化している事か否かの話ではない 甘味をより引き出す為に少量の塩を使う事は、日常生活では当然の事だ、と言いたかっただけ 西瓜の例えで分からなければ、スイーツ(笑)のレシピを参照すると良いでしょう
第二次大戦時、英国の優れた政治漫画家であったデビッド・ローは、万一英国がドイツによって 占領された際、処刑台に送られるリストの中に入っていた。 彼は、1933年にヒトラーが政権を握った直後から、Evening Star紙上で独裁者の狂信振りを辛辣に 描いていたからである。 因みに、その政権掌握の年から、ドイツではEvening Starは購読禁止となっている。 米国にいたポーランド系ユダヤ人で風刺画家のアーサー・シイクもベルリン放送を通じて懸賞金付の お尋ね者となった。 初めてシイクがエレノア・ルーズベルト大統領夫人と会った時、彼女はこう言った。 「ああ、シイクさん。貴方のことは良く存じ上げております。あなたはハイドパークに『吊されて』いますからね」 この時に、エレノアは"hang"と言う言葉を使ったが、彼女は大統領図書館の壁に彼の作品が掲げられている 事に言及しただけだったが、彼は吃驚して、「私が吊されているですって?」と問い直したとか。 因みに、このシイクのカリカチュア。 敵である筈の日本軍にも、バターン半島に籠もった投降勧告ビラに用いられた(と言うか無断引用された)時、 彼は、1941年7月の雑誌『ニュー・オーダー』に「北方民族の英雄」と言う作品を掲載したのだが、その中に 描かれた死神姿の突撃隊員を日本側はトレーシングペーパーで写し取り、投降勧告ビラに利用したのだった。 で、彼はこう言ったと伝えられている。 「ジャップはコピーキャットなのさ。」
大統領夫人にしては不用意なw
夫人は問題発言をよくしたんで、記者もうっかり発言を求めていつもぶらさがっていたから
実は開戦時の日本陸軍の保有するトラックの総数は米陸軍のほぼ半分。 日米の自動車生産量の差が1/100だった時代だと考えると、これは かなり凄い数字で日本陸軍が意外に機械化に熱心だった事が伺える。
>>157 ゲルニカ爆撃の一方を伝えたりした新聞記者のジョージ・スティアも、
処刑リストに入ってたらしいですね。
WW2中はビルマにやってきて、対日謀略戦に参加してる。
>>160 米陸軍が小規模だっただけではないの?
>>157 絞首刑が規則変化でぶら下げるは不規則変化だから
それでうっかりhangedってしたと予測
ヒトラー政権下のドイツでは、豚やロバなどに「アドルフ」と命名するのは禁止だった
ベルサイユ条約で南洋に領土を得た日本。 南洋への派遣艦艇でまたしても脚気が発生して問題となった。 調査した結果、長期航海と南洋の暑さ、現地での生野菜の補充が 難しい事からビタミン補給のために乾パンやパンを支給していたが、 規定量通りに食べていない事が分かった。 特に准士官以上に支給していたパンは不人気で、パンのために 艦艇に搭載していた西洋竈は使われていなかったために半数が 故障したまま放置されているぐらいだった。 乾パンやパンを規定量食べるように厳命したが相も変わらず 脚気患者が出てしまう。結局、海軍は日本人は米しか食わないと 折れて、ビタミン摂取のための乾パンの利用を中止して、白米と 漬物を増やすことで南洋の脚気問題を解決した。
>>166 ビタミン補給のメインは漬物。
ただ白米の他に麦も合わせて支給されるようになったので、麦は白米に
混ぜて出していた様子もある。
また糠を水に混ぜて濾した糠水というものを作って、それを加えて白米を
炊くことで、不足するビタミンB1を増やすという手法が使われていた。
准士官以上のパン食はめげずに続けていたようだけど、漬物とパンという
今から見ると美味そうには思えない取り合わだが、漬物でビタミンを補給
というの狙いはどうやら成功した模様。(ちゃんとパンを食ったかは怪しい)
そういえば、ぬか漬けにするとビタミンB系が増える、と言う話を聞いた記憶が・・・
つまり自衛隊の沢庵缶最高という話ですね。 …やっぱちゃんとした日本食ってバランス良いのね
>>169 でもない。
伝統的な日本食は、塩分過多気味。
味噌は、米食中心だと不足しがちな蛋白質などを補うことができ、それなりに合理的なのだが、塩分が多すぎる。 三度の食事に味噌汁を一杯ずつ付けると、それだけで成人が一日に必要とする塩分の量に達してしまうのだ。 これに副食品の塩分も加えると、確実に塩分過剰になる。 日本人に胃癌が多いのは、この塩分が多すぎる食事が原因の一つ。
172 :
名無し三等兵 :2009/01/25(日) 22:45:38 ID:Tr2GwhPC
ハンバーガーやトーストの朝食も充分に問題があると思うが・・。 塩分過多は水分を多めに摂取すれば回避できるが、脂質の過剰摂取はどうしようもないからな・・。
まああれだ、伝統的な和食も、ファーストフードも、現代の栄養学で見るといろいろと問題があるので、 健康的な食生活を送りたいなら、それなりのアレンジが必要になるってことだ
だから無条件に和食はいいわ〜と賛美するおばちゃんも少し考え物と言うわけだな。
塩分が多いなんて話はおばちゃんたちも百も承知
はしゃいでいるように見える
>>169 だってそうだろう
分かっていて洗うように醤油をかけるうちの親父とかねー
高温多湿の日本の夏では塩分多めの食事はむしろ合っていたと思う
戦前までは農業人口が多かった国だしな。 汗をかく量が昔と今じゃ圧倒的に違う。
和食の最大の欠点はタンパク質の不足だしな
和食が健康にいい云々というときの「和食」は、本来の伝統的な和食という より、各所の料理を取り込んでアレンジしたものだろうしね。
タンパク質の不足はあれを摂取をすれば良いんじゃないかなぁ アレ
小松左京は自分が出したヤツを炒めて食べたそうだ。
>>182 しゃぶれだぁ?てめえがしゃぶれよこの野郎!
ウホッなスレは此処ですか?
戦前、対日制裁によりアメリカ、続いて英・蘭印が経済制裁に参加し 屑鉄の入手がストップした日本だったが、代わって手に入れていた先は 日本の新聞ではABCD包囲網と声高に叫んでいたその一角である、 戦争をしているはずの中国、しかも国民党関係業者などからだった。 対日制裁に中国が参加しているわけでもないので輸出するのは勝手だが 米英蘭への配慮から、綿花を入れる麻袋に入れて表面的には分からない ようにしていた。イギリスが調査したところ、香港から出荷される屑鉄は 今が稼ぎ時とばかりに全て日本向けという実態が明らかになった。 アメリカで対日制裁が発議された時に、屑鉄業界は最大の輸出国になる 日本への禁輸に反対と議会に陳情していた。逆にアメリカで屑鉄禁輸を 唱えていたのは平和団体や宗教団体というのは今も変わらずだが、 それ以上に熱心に屑鉄対日禁輸を唱えていたのは鉄鋼業界だった。 何故ならこれで国内でだぶついた屑鉄を安く買い叩けるからである。 当然、屑鉄業界は反発して、もし屑鉄を禁輸項目に入れるのであれば 鉄鋼も入れるべきであり、それをしないのであれば対日制裁をすれば アメリカ経済に打撃を与えるだけと両者は大喧嘩になっていた。
本当にしょうもないし、下手したら常識なのかもしれないが。 ハーフトラックは「半分タイヤの車両」という意味ではなく「半分キャタピラの車両」という意味。 だから漢字で書くときは半装軌車両となる。
そりゃtrackは「履帯」って意味だし。
招かれた客はまだ半分、招いた方はもう半分
トラックってそっちのトラックか
トラック半周な
香港を統治するイギリス上流社会の悩みは理髪だった。中国人の理髪師は 腕は良いが通訳を通じてでは細かい注文が伝わらなかい。ヨーロッパから 来た理髪師もいるが、こんな東の果てに来るのにろくな奴はいない。 そんな時に一人の中国人理髪師が現れた。キングスイングリッシュを流暢に話し、 腕前は欧州の理髪師と変わらず、教養も高く時事にも明るい。すぐに彼は香港の 上流社会で引っ張りだこになり、彼に頭を刈らせないものはいないぐらいだった。 彼が現れて四年後、日本軍が香港攻略を目指して押し寄せてきた。 日本軍の攻撃、とりわけ正確な砲撃の前に力尽き、1941年12月25日のクリスマスに ついに降伏した。降伏の調印式で日本軍第一砲兵隊司令官北島驥子雄中将のそばに、 日本軍の軍服を着たあの理髪師が立っていた。
1914年に第一次大戦が始まると、ドイツ領東アフリカのドイツ軍は、モザンビーク北部を攻撃した。 脅威を感じたポルトガル政府は、11月にモザンビーク北部国境近くのポルト・アメリア港に1,500名の 兵士を送り込んだが、20%の兵士が悪疫などで任務に就くことなく半年以内に帰国。 1915年10月に第二陣1,500名を送り込んだが、今度は75%が病気に依り任務に就けない状態となった。 因みに、その後、ポルトガルは英国軍の援軍を得て、ドイツ軍を追討するが、実際の交戦は少なく、ドイツ 軍兵士はこの戦いをこう呼んだ。 「何とコミカルな戦争」と。 結局、1918年9月にドイツ軍がモザンビークを去ることで、この戦争は終結した。
1777年4月9日、英海軍本部統制官のモーリス・サックリング艦長は、 同僚士官数人とともに、ある士官候補生の昇任試験を担当した。 当時、士官候補生から士官への昇進はきわめて難しく、合格者は1%に満たないとも言われていたが、 この候補生は見事合格した。 試験終了後、サックリングは、同僚に対し、先ほど試験した候補生は、自分の甥だったと明かした。 (サックリングの姉が、この候補生の母親だった) 同僚士官は、不審に思い、何故それを先に言わなかったのかと問いただした。 当時の英海軍では、昇任や転属などの人事に親類縁者などのコネを活用するのは当然で、 非難されるようなものではなく、サックリングの行動の方が異常だったのである。 サックリングは、甥は優秀な人材で、間違いなく実力で合格するだろうから(事実そうなった)、 公平な目で判断してもらいたく、秘密にしていたのだと答えた。 サックリングはその数年後に病死し、甥の出世を最後まで見届けることはできなかったが、 甥の方は、叔父の評価が間違っていなかったことを立派に証明した。 甥の名はホレイショ・ネルソン。英海軍史上もっとも有名な提督である。
WW1でポルトガル軍は英軍の付き合いで、西部戦線にも部隊を送った。 近代化されておらず、訓練もなって無い、士気も低いポルトガル陸軍だったが、 参謀長の努力のおかげで、なんとか半年後に2個師団を出発させることに成功した。 このことはポルトガル国内ではすばらしい手腕と賞賛され、 訓練地の名を取って「タンコスの奇跡」と呼ばれ、中学校の歴史教科書にも登場している。 西部戦線に到着したポルトガル軍部隊は、 ドイツ軍のカイザー攻勢の目標とされて壊滅的打撃を受け、戦線崩壊の危機を招いた。 それでも敏腕参謀長は国民的人気を獲得し、植民地総督として活躍。 サラザール独裁体制下の1949年には、反体制派の大統領候補に祭り上げられるが、 投票直前に立候補を取り下げて亡命した。サッカー監督はやってない。
中野学校の忍法教官は、伊賀流18代宗家の前田正湖。 変装術とか、忍び道具の使用法などを教えてたらしい。
日本へ回航する際に行方不明になった”畝傍”は、どうやら台湾の澎湖諸島周辺に 沈んでいるらしい。 日本統治時代、警察官が海岸付近をパトロールしていた所、 ある家の垣根に日本海軍の使っていたカッターのオールが使われており、それを 不審に思った警察官がその家を捜索すると、その家の中に畝傍に関する事が書かれた 木の板が、棚板として使われていたのだそうだ。 ただ、それらの入手経路に関しては不明のままである。
市川雷蔵の映画や小野田少尉の帰還の影響で名前だけは 知られるようになったが実態が不明だった中野学校。 便乗して元中野学校の秘密戦士や中野学校の関係者を 取材したと称する怪しげなものが週刊誌などで賑わった。 ここまでは戦後の戦記ブームなどではよくあった話だが、 中野学校の話がややこしくなったのは、中野学校のそばに 憲兵隊の施設があった事にある。 中野学校の場所は当時は秘密にされ、戦後になってから初めて 知られるようになった。中野学校の話を読んだ元憲兵や憲兵隊に 出入りしていた人たちが、憲兵隊自身も秘密主義に徹していた 事もあって、あそこは本当は中野学校だったんだと勘違いし 自分は中野学校の関係者だったと信じる人が出てきた。 売文目的と違い実際に行われていた事なので信憑性があり、 本当の中野学校の話と混ざってしまい、中野学校の実態は ますます不明となって、戦後も秘密戦に勝利している。
小平学校が中野学校とそう遠くない位置にあるのは実は…
>200 今日、情報本部と警務隊との間に人事交流があることを 考えるとひょっとしたら事実が混じっているかもと考えたくなり さらにややこしい。
ヘルマン・ゲーリングはルドルフ・ヘス(総統代理の方)から、 大量の鍋やフライパンをいきなり送りつけられた事がある。 ゲーリングが当時患っていた神経症の療治のためだったそうな。 とは言っても、いきなりそんなものを送りつけられたゲーリングは 何が何だか分からなかったので、ヘスに電話でこれらの用途を尋ねた。 すると「湯に、腕だの足だのをつけるために使って下さい」との事。 ヘスが思いついた神経症の治療方法だったらしい。 ゲーリングは礼を言って電話を切ったが、その後、何度も思い出しては大笑いしたらしい。 鍋やフライパンをその用途のためにちゃんと使ったのかは、よく分からない。
神経症ってメンタルの病気だよね。 相手を笑わすことができたんなら効果はあった…のか?
>>200 >中野学校のそばに
>憲兵隊の施設があった
憲兵学校だな。
>>204 間違えた 「神経症」→「神経痛」だった
ゲーリングが神経症ときいて驚いたんだが、神経痛だったのか。なんだ。 いずれにしろ、笑える話で面白かったよ。
神経痛の治療にモルヒネ使って中毒になったんじゃなかったけ? 元帥閣下。
麻薬中毒者ってやせてるイメージがあるけど モルヒネって太るの?
モルヒネと関係なく、過食と運動不足だろ。
>>200 で 中野学校は今のJR中野にあったのか?
モルヒネは太る。 ドーナツ中毒だったプレスリーもそうだった #奴はコデインだけど どうも抑制が麻痺して食い過ぎる、らしい。
警察学校になってて、今は病院なんじゃなかったっけ?
中野って警察の施設が多くてその中でも特に公安警察関係の施設が多いって聞いたことある 中野学校と何か関係があるのかね?
ミッドウェー海戦の直前、 淵田美津雄が盲腸の緊急手術を洋上で行い、 艦内の病室行きとなっていた事は有名だが (一番最初に診察した陸軍軍医には「胃潰瘍」と診断されていた)、 源田実も風邪(肺炎に近かったらしい)で同じく艦内の病室にいた。
A級戦犯として有罪になったレーダーの弔辞を述べたのは 後任で同じくA級戦犯のデーニッツだった。 まあこれだけなら大した事でもないが、実はこの葬式はドイツ 連邦海軍の主催で行われているのである。
218 :
名無し三等兵 :2009/02/11(水) 14:48:01 ID:oCj5qP/1
アイオワ級は戦艦史上最速の艦であることから、かなり高速化に適した艦型 だと思われがちである。 もちろん長大な船体は高速発揮に適してはいるが、実際には重心の偏りのせいで 第三砲塔付近を故意に太らせたり、抵抗上あまり好ましくないダブル・スケグの 艦尾の採用など、諸事情により実はそれほど高速向けではなかった。 このため特に対空火器の増備により重量の増えた大戦後半は実用上の最大速度は 30ノットとかなり低めに評価されていた。
219 :
反米帝 :2009/02/11(水) 20:19:54 ID:???
どうでもいいナチス知識 ゲーリング元帥は戦後収容所でダイエットに成功した
220 :
名無し三等兵 :2009/02/11(水) 20:41:21 ID:uwzKMtRq
ノーベル化学賞福井謙一先生は陸軍技術将校として燃料廠で石油化学プラントの熱サイクル解析などしてた 同時に京大講師も兼任して毎週講義をもっていた
>221 モルヒネというかコデイン。 しかも治療に当たった医師の見立てだと、コデインに耽溺しているというより 錠剤を口にすることが癖になってるほうが大きいくらいだったようで、実際 一日に渡す錠剤の量を徐々に減らすという方法だけで離脱症状も無くあっさり 依存から抜け出している。
>>218 ダブルスケグは速度性能に最適と思っていた
>203 ヘスに限らずナチの首脳部は健康オタクがそろってて それぞれ健康法には一家言持っていたからねぇ 昔ここに書いたがヘスは自慢の健康食を周りに勧めまくったので皆ウザがり ヒトラーから「そんなものは自分だけ家で食ってろ」と言われたそうな
>>223 「世界の艦船」545号の特集『最後の戦艦「アイオワ」級のすべて』によると
ダブル・スケグは抵抗上好ましくないと判断されたので、戦後の米空母にも
採用されなかったそうだ。
どうでも良いけど検索してみたところ場合タブル・スケグよりツイン・スケグの方が 一般的っぽいな。
>>224 ヒトラーだって
「タバコは体に悪い」
とか言ってたしな。
妙なところで先見の明がある…
この人、今の日本にいたら「ちょっと神経質だな〜」ぐらいの感じで普通に友達付き合いできそうw
スターリンは無理!
ちょっとインテリなネトウヨってところだな>ヒトラー まあ思想はともかく、指導力があったのは確かだろうね
ヒトラー って菜食主義者じゃなかったか? なんか何かで読んだ記憶が
>>229 ゲリが自殺してから菜食主義になった。
ちなみに好物はチョコレート
>229 だがレバーのミートボールだけは大好物でやめられなかったのであった
>>227 スターリンもガーデニングが趣味のお爺さんだぞ
ちょっとボケ気味で疑心暗鬼の
>>232 なぁに、倒産寸前の我が叔父さんなんかも同じ状態だ。
事務員を粛正したり、派遣社員を切ったり、ヤリタイ放題だw
あ、俺は最初に亡命した。今は無職になった。貯金は有るから贅沢しなけりゃ今世紀中はニートで通すつもりwww
いやいや、ホントに鬱が入った人はスターリンそっくりだわwwwwww
>>233 今世紀はあと92年残っているが・・・えらい長命種だな。
235 :
名無し三等兵 :2009/02/13(金) 14:30:51 ID:NjmRs/ky
>>234 みたいなバカって何?言ってることの意味が理解できない
一生ニートってことか?
理想の生活だな。
自分の資産なら、それは悠悠自適の暮らしと言わんか?
自己資産もって居食いするのまでニートとは言わんだろw
語彙の乏しい奴だなw
>>236
自衛隊の鉄道部隊が旧軍の制式軽便貨車を保有していたが、
これは旧軍から西武鉄道に払い下げになったものを、自衛隊に再譲渡されたもの。
>>233 若隠居おめ。
>>234 今世紀中はニートで通すつもりwww
今世紀中は
今世紀中
バーカw
日露戦争の勃発に伴い、日本の食肉市場はパニック状態となった。 軍需用に牛肉需要が急増し、1904年の屠畜数は前年比6.5万頭増となったからである。 陸軍は開戦後の半年で民間から98万貫(約3,675トン)もの缶詰を買い上げ、米国から牛缶の輸入も 行ったが、賄いきれず、全国5箇所に牛肉缶詰製造用の屠殺場まで新たに設けたほどだった。 この為、民間への牛肉供給は逼迫し、小売店では3〜4割値上がりし、品切れで開店休業に 追い込まれる店が出たほどである。 因みに、西南戦争では360貫の牛肉缶詰を兵食として補給したが、その後牛肉大和煮の缶詰が人気と なった。
言い間違いを叩くとか 首相を叩くマスゴミレベルの しょうもないレスが多いが まあ ここらしくていいのかw
もの知らずと言い間違いはちがいますよw 負けず嫌いで捨て台詞ってのもここらしくていいすねw
「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれるベラルーシ大統領アレクサンドル・ルカシェンコ はヒトラーを尊敬しており、ちょび髭もヒトラーを真似たものだと言われている。
>>243 >米国から牛缶の輸入も行った
この当時にSPAMが存在していたら、その後の日本の食生活が激変してたかもしれないなどとふと。
>>227 1945年、ヒトラーが自殺した後、瓦礫と化しつつある首相官邸の要員がしたこと。
みんなタバコに火をつけた。
ヒトラーの前でタバコを吸う勇気のある人は居なかった、って話。
>249 とは言え、近畿、四国、中国地方の島根を除けばそれなりに牛肉文化圏だったそうな。 折衷型の岐阜、石川、愛知、静岡を境に東はほぼ豚肉型。 島根だけは鶏肉型、九州は準牛肉型の大分を除けば、鶏肉文化圏で、沖縄は豚肉文化圏。 因みに、戦後、近江牛の宣伝の為、牛をトラックに載せて北品川の屠畜場から五反田、六本木、渋谷、 千駄ヶ谷、新宿、市ヶ谷、九段、神保町、岩本町、御徒町、厩橋、浅草橋、水天宮前を回って銀座の 白木屋百貨店屋上までパレードを行ったり、牛を国会前にずらりと並べたり(当時の衆議院議長は 例のピストル堤)、113〜190グラムに小分けした肉300包を積んだ飛行機を飛ばして、上空から落下傘で、 新宿界隈の住宅地に散蒔いたりした。 また、屠畜場では祭典が行われ、生体牛から枝肉重量を当てるコンテストがあったが、一等賞品は、 米国製タバコ1カートンだったと言う。 余談序でに、この近江牛祭、その後は上野動物園で行われたそうで、夜にはこれらの牛を使った 立食パーティが開催されている。
アメリカンなノリの国だな昔の日本
上野動物園で牛を屠殺したりしたのか? 確かにアメリカンなノリだ。w
というか、何かの生贄の儀式みたいなw
>>250 某映画のあのシーンはそういった意味があったのかw
バウムクーヘンで有名なユーハイム菓子店は、 WW1時に青島で捕虜になったカール・ユーハイムが創業というのは知られているが、 実は、ユーハイムは本当の捕虜ではなく、違法に拉致されてきた民間人である。 ユーハイムは従軍していないただの菓子店主の民間人だったのだが、 あとちょっとで青島戦での捕虜数が4千人の大台に乗るということで、 員数あわせで開城後しばらく経ってから拘束されて、日本の捕虜収容所へ連れてこられた。 こうした追加拘束者は250人ほどで、めでたく捕虜数は4150人に達した。
無茶をしよるなw その話はユーハイムのサイトにもなかった
戦時中、配給制度が始まると隣組や町内会に収入を申告することになったが、 これを管理するのも町内の人、あの家の収入はいくらというのが丸分かりに なってしまった。 給料の額で態度を変えるのが当たり前という当時の世相があったために、 虚偽の申告だらけになっていた。
米海軍の名物提督ハイマン・リッコーバー(米国原子力艦隊の父)が、米西戦争の引き金となった ”メイン号爆発事件”の調査をしていたそうだ。 調査結果によれば、メイン号が爆発沈没した原因はスペインの謀略では無く、 石炭庫内の石炭粉じんが爆発した事だそうだ。
261 :
名無し三等兵 :2009/02/15(日) 22:24:51 ID:QK5SXeki BE:661883663-2BP(0)
陸軍中野学校、憲兵学校、警察大学校、中野サンプラザ 元々は江戸時代に犬小屋があった場所である。
262 :
名無し三等兵 :2009/02/15(日) 23:15:55 ID:g9v13w6I
某私立学校の敷地は第六師団の駐屯地だった。
263 :
名無し三等兵 :2009/02/16(月) 00:09:02 ID:nUXEVvqj
>>262 奈良教育大学のキャンパスは、帝国陸軍歩兵第38連隊の営戍地
なお、歩38連隊は、横井庄一氏の原隊である
とんとん とんからりんと 隣組 ド ド ドリフの 大爆笑 とまったく節が同じである
聞け万国の労働者 椎の木林のすぐそばに
自衛隊の半長靴は通気性が悪い上に非常に乾きにくく、 自衛官から「水虫培養器」と呼ばれている。
俺も思ったw
>>268 つか、ありゃ、靴そのものの作り以上に、必要以上に保革油を使いすぎるのが通気性を悪くさせる原因だぞ。
普通のブーツ同様の手入れをしていれば、言われるほど悪いものじゃない。
軍板で大人気の作家 佐藤大輔氏の父親は自衛官である
>>272 御代の親父って自衛官なのかよ
どこなの?陸?
>>267 北朝鮮でも、朝鮮人民軍功勲国家合唱団が朝鮮語でカバーしている
聞け万国の労働者(メーデー歌)のメロディは元は旧制第一高等学校
最初期の寮歌である(歩兵の本領もこのメロディ)
>>272 それは初耳だ。
息子に渇を入れてくれんものかな…
>>273 「ザ・コクピット松本零士の世界」で松本零士との対談の中で
親父が自衛官だったので戦車とかが身近にあったって書いてあったから多分、陸
277 :
272 :2009/02/17(火) 17:37:42 ID:???
某シミュレーション雑誌で父親が自衛官で北海道在住だったのが 初期のゲームデザインに影響したって話だった たぶんSDFシリーズとか北海道共和国のことだと思うが
第二次大戦後、ポーランドに併合された東部ドイツ領からの追放ドイツ人問題は しばしば話題になるが、この件で両国の関係が「戦後最悪」と報じられたのは呆れた ことに2007年の話だったりする。 お互い執念深いにも程があるだろw
日本なんて北方領土の事とかすぐに忘れてあげたというのに…
>>264 >歩38連隊は、横井庄一氏の原隊
横井氏は、歩兵第38連隊補給中隊の所属だったから、原隊は輜重兵第29連隊では?
※第29師団が海洋編成師団に改編された際に、山砲兵連隊・工兵連隊・輜重兵連隊・衛生隊が分割され各歩兵連隊に編入された。
広島県福山市にあった国立○○大学の○○学部○○分校と○○学部(今は統合移転済み)の敷地は、歩兵第41連隊があった(歩兵第41連隊が朝鮮に移駐した後は、船舶砲兵連隊が駐屯)。 正門から山陽本線福山駅を結ぶ真っ直ぐな(他の道路と斜めに交差する)道路は「連隊通り」と呼ばれていた。
>>281 京都市伏見区の旧国道24号線の一部は、「師団街道」と呼ばれている。
師団街道と東西に交差して琵琶湖疎水と京阪電車を越える3本の道路は、「第一軍道」「第二軍道」「第三軍道」と呼ばれている。
第二軍道が琵琶湖疎水を越える橋は「師団橋」、京阪電車を越える橋は「西師団橋」と呼ばれている。
むろん、京都市深草に営戍した第16師団にちなむ地名であり、地元では現在も普通に使用されている。
「師団街道」「第一軍道」などといった標識もあり、タクシーで京都市中心部から伏見方面へ向かう際に「(伏見区の○○)へ師団街道から…」などと言えば普通に通じる。
九段下の交差点のトイレ入り口に立ってる鉄柱は、大砲の砲身。
俺の出身大学の巨大磁石は戦時中に大学が海軍の研究に関係していたんで 終戦の時にどさくさに紛れてかっぱらってきたものだそうだ。他にも工作機械や 研究機材、薬品など使えそうなものは出張していた大学の研究者や企業関係者が 片っ端から盗んでいったらしい。今は巨大磁石ぐらいしか残っていないが、かつては 員数外の出所不明の怪しげなものが相当数あったそうだ。
会津民乙
弥生人への恨みを忘れない縄文人ですが何か?
そういえば、赤羽の方に師団坂通りってあったな。 バス停もあったような気がする。 それと三鷹の方の北裏って中島の工場の北の裏門前という意味だとか。
九七式戦闘機のコックピットには、パイロットの疲労軽減用に、肘掛けが付いていた
>288 >三鷹の方の北裏って中島の工場の北の裏門前という意味だとか。 それは微妙に間違いですね、中島飛行機武蔵野製作所は 三鷹駅の北側、 現在の武蔵野市役所近辺ですよ。 航空写真で見ると中央線の三鷹駅と武蔵境駅方面から引き込み線の 跡地が、八の字に緑地の遊歩道になっているのが良く分かります。 北浦付近は、中島飛行機の社宅が有りましたから、それと混同しているのでは?
292 :
288 :2009/02/20(金) 09:05:50 ID:???
>>291 フォローさんくす。
会社の人で三鷹に越した人が、地元の人から聞いたそうだが結構間違って
伝わるのね。
>>292 地元では中島の施設は全部ひっくるめて考えられてたみたいだから完全に間違
いとも言い切れない。
高校の時の先輩が三鷹で100年以上農家で続いてた家だったが、そこのおば
あさんは北裏のこともその辺は中島さんの土地だったとアバウトなくくりで話
してた。
当時は相当な田舎だったからその程度の認識だったと思われ。
世界初の空母”鳳翔”には、揺れを減らすための大型ジャイロが搭載されていた。 なるほど、このジャイロを作動させると艦自体は揺れなくなるんだが、 ジャイロの回転を安定させるためにかなりの時間がかかるので、緊急時に 戦闘機を発進させるような時には全く役に立たなかったとか。 それと、中の人から 「船が揺れないと、何か気分が悪い」 とのクレームが出たとか言う話だ。
>>294 常にジャイロを作動させるってのは駄目だったのかね?
カンパニアが世界初の空母だべ
>>295 トイレから出たら電気はちゃんと消しときなさいって、言われなかった?
上司から「お前はちょうかいだ!」と大声で言われたので、自分はイージス艦 のように期待される主力なのだと思っていたら、降格されてしまいました。 私は騙されたのでしょうか?
すいません誤爆ですw
太平洋戦争中、海上トラックは様々な雑用に徴用されたが、その中の1隻、吉廣丸は、 途中トラック島で、防潜網が張り巡らされている「大和海上ホテル」の周りを、飛行機の エンジンを取り付けて何度も走らされた。 それを山本五十六中将が大和艦上から双眼鏡で見ていた。 これは、船団が襲われた時、囮になった船が爆音を出して逃げ出し、その隙に船団が 分散して逃げるという実験だったそうな。 結局、実験は失敗だったらしく、其の儘解放されたとか。
>>294 そういえば、最近のスタビライザー付きの船は、目で見える波の動きと、船の動揺が一致しないので、
ベテランの船乗りだとかえって酔うって聞いたことがあるな。
>>301 船の話じゃないけど、昔のJRの振り子式列車、あれは俺には駄目だなあ。
旧式列車の宮崎−大分間のにちりんは全然大丈夫なのに、
大分から福岡の間のソニックは激しく酔う。
>>295 発着させる時は直進してるわけだが
普通に操船してる時に左右に動かす時に支障が出るんじゃないか?知らんけど
>299 「ちょうかいめんしょく」は、イージス艦でラーメン喰えって意味じゃないから注意な
冷戦時代の韓国。38度線で北と対峙していた韓国軍部隊の倉庫の中には、 金日成の肖像が大量に備蓄されていた。 侵攻してきた北朝鮮軍の前にばら撒き、足止めするためである。
アゲ
併合だから植民地じゃないっていうレトリックだっけ? その理屈だとフランスの海外州も植民地じゃないよね。
309 :
名無し三等兵 :2009/03/01(日) 19:06:38 ID:M/PGU4+3
しかし英仏が植民地や海外領に学校、とくに小学校を作った事はない。 搾り取るだけならそんな事する必要が無いどころか邪魔だからな。 インドみたいに植民地現地の領主(というか搾取代理人)の子息に 名誉2等市民的に本国への留学を許すことはあってもな。 キリスト教徒の植民地民の扱いとはだいぶ違う。
当時、「従軍慰安婦」なんて言葉は無かった。だから「従軍慰安婦」はいなかった。 当時、「植民地」と呼ばれていたんだから、併合だから「植民地」じゃないというのは間違い。 ただそれだけの事で、中身は関係ありませんけど
一般国民は植民地という認識だったのかなぁ? それとも単純に日本の領土内って言う認識だったんだろうか? うちのじいさんなんかは明らかに後者の考え方だったな。
日本海軍で最後に誕生した提督は、海軍省廃止後の1946年に少将となった大石保。 終戦時に大佐で第二復員省勤務、同年2月に在任中に死去した際に、海軍少将に任ぜられた。 ちなみに開戦からミッドウェーまでの間の一航艦首席参謀。
逆に満州(建前上は独立国)は外国であるという認識は当時の日本人に あったんだろうか?
当時のマスコミの記事を見る限りでは「独立国」として大々的に宣伝して いるけどな。 まあ同時に「日本の弟」みたいな記事も多いから当時のパナマやエジプト 同様に「保護国」と見なす傾向が強かったようだ。
>316 ゆとり乙 …と言って欲しいのか?
自己レス?
アメリカの炭鉱労働組合は第一次世界大戦の時にストを行っている。 労組側は法外な要求全面受け入れがスト終了の唯一の条件と交渉を 拒否し、石炭の供給が止まってしまった。政府は各炭鉱に非組合員の 労働者を募集して石炭の採掘を再開させて何とか乗り切った。 第二次世界大戦が始まるとまたまた炭鉱組合はストを行ったが 炭鉱組合の連中はファシストだと政府はキャンペーンを展開し、 国内世論の反発がすさまじく、労組も足並みが乱れてしまい さすがに組合側が折れた。
>>311 政府は「内鮮一体」と言う言葉を盛んに使い、学校教育でも使われていた。
これを同化の進捗と見るか、いっこうに進まない同化に対する焦りと見るのかは
俺にはわからんな。
戦時中、中国からの留学生を中心に支那という呼称を使うのは中日融和精神の 妨げになっていると運動が起こり、汪兆銘政権から正式に要求がきたので、 日本政府は国名を用い、略称は中国、そして支那という呼称の使用をしないと 取り決めた。決めたものの全然守られなかったが・・・
そういや、「オーストリア」も本当は「オーストリー」と言わなきゃいけないんだよね。
馬鹿?
オーストラリアと混同すんのはオージーぐらいなもんだよな
>>322 「そういう取り決めは往々にして浸透し辛いものだ」
という事を現代の例を出して指摘したまでだが?
そもそもここのスレタイは何かね。
というわけで「オーストリー」もいいかげん判り辛いから「エスタライヒ」で確定。
だいたい間違えるほうがおかしい カンガルーがいるのがオーストリア コーヒーにソーセージいれるのがオーストラリアだ
>>325 旦那、今なら鯨を保護してアボリジニとカンガルーを殺すのがオーストリアと書くべきではないかと
オーストリアの土産物には NO KANGAROOS IN AUSTRIA と書かれたTシャツがある
えっと…ネタなんだよね?
いえ、しょうもない知識です
あ、328は325宛ね
客からウィンナ・コーヒー(正しくはホイップクリームを浮かべた/添えたコーヒー)を 注文された喫茶店店主が何のことか解らず、仕方なくコーヒーにソーセージを 添えて供したって都市伝説を踏まえたネタだろ。
>>331 タコさんウインナーだったら、オレは笑って許すw
子供のころに読んだドイツが舞台の本で、お手伝いさんがウインナソーセージを食べながらコーヒーを飲んでいるというシーンがあって、 子供心に「かわったおやつだなー」と思ったことがあるけど、 アレが誤訳だったのか、単に子供だったオレが読み違えをしたのか今もって判然としない……
南満州鉄道、ミカイ型蒸気機関車。 もとはアメリカ、ALCO社に発注され、1918年から8年間の間に25両が満州入りした機関車だったが、 のちに満鉄直営の沙河口工場その他でも生産されるようになり、 また、日本国内でも汽車会社、川崎重工などが生産に着手、 1000両を越えるミカイが、満州国のみならず中国本土、朝鮮半島を縦横に走った。 敗戦後、中国、北朝鮮の手に渡ったミカイは朝鮮戦争の折、輸送用に使われたが、 日本国内でも国連軍向けに新たに44両が生産され、一部は朝鮮戦争に間に合った。 ・・・つまり、錯綜する朝鮮半島の戦線後方、南北で同じ機関車が使われていたことになる。 ・・・しかしながら国連軍向けのミカイは相当数が停戦によりキャンセルとなり、 売却先として中国も検討されたが、当時、機関車は戦略物資として対共産圏輸出禁止品目だったため、そのアイデアはボツ。 売れ残りのミカイはろくに走ることもなく、あえなく解体されてしまった。 一方、中国本土に生き残ったミカイは「解放型」として中国国鉄に編入された一方、 旧満鉄の車両工場に残された設計図、工作機械を使って中国が国産化に成功。 古くなった満鉄オリジナルのミカイの一部は、ベトナムに戦略援助物資として送られた。 80〜90年代、中国に生き残っていたミカイは全て廃車となり、わずかな数が博物館に。 同じく80年代末、ベトナム国鉄に送られていた、 日中戦争、国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争を生き抜いたミカイもスクラップになった。 さらに21世紀に入り、北朝鮮国鉄に残っていたミカイも、ほとんどが北朝鮮の経済状況から中国にスクラップとして送られた。 名機と呼べるミカイも、現在、中国で博物館入りしたほかは、北朝鮮国鉄で数両の生存が確認されているのみとなっている。
335 :
地方人 :2009/03/06(金) 19:57:12 ID:???
戊辰戦争で長岡藩が、当時日本国内に3基しか無いガットリング砲のうちの2基を 購入し、実戦で使用した事は比較的有名。 しかしその2基のうち使用されたのは1基のみで、残りの1基を使用した記録は無く、 また新政府軍が持って行ったという記録も無い。 どうやら、長岡藩士が長岡城から逃げる際に堀に沈めたいったらしい、と言う事で 近日中にその堀があった所を発掘する計画が存在する。
掘ったらまた教えてくれ
映画「フルメタルジャケット」で、単なる教練指導官役の演技指導員として呼ばれた リー・アーメイが、あまりに強烈すぎるキャラクターのため、抜擢されて当のハートマン役を 演じることになったのは有名な話。 一方、映画「セブン」で連続殺人犯ジョン・ドゥ役でオーディションを受けたアーメイ だったが、今度はあまりに強烈すぎるキャラクターのせいで犯人役を外され、ブラピと モーガン・ フリーマンの上司役にされてしまった。 そのほかにも、撮影中に役者の意見を一切聞き入れようとしない監督方針のD・フィンチャーと そりの合わなかったアーメイは、フィンチャーを'a little chiken shit'だ、と表現している。
>>318 その当時の大統領、ウッドロウ・ウィルソンが語ったとされるジョーク。
補佐官「閣下、炭鉱のストライキで石炭が不足しています」
大統領「いやになるな、きみ」
大統領「大統領も、ストライキ3つでアウト、ということにならないものかね」
ウィルソンは熱心な野球ファンとして知られていた。
339 :
キルロイ :2009/03/09(月) 20:16:15 ID:???
マーケット・ガーデン作戦に参加したグライダーに、こんな事が書いてあったそうだ。 ”エンジン無いの?”
ベルP-39エアラコブラの日本での渾名は"鰹節"だが、その艦上機仕様、ベルXFL-1の愛称は、エアラボニタ"AIRABONITA"…「空の鰹」である。 同じくベルのYFM-1エアラクーダの情報が日本に入っていたのは確かなので、"鰹節"は、日本で形状を現したのでなく、エアラボニタを訳した結果かも。
あのシルエットから普通に鰹節連想するだろ
鰹節をかけてステーキを食うアメリカ人
お好み焼きの上でうごめく鰹節におののく外国人
「彼らは高い道徳心、プロの軍人としての能力、積極性を備えている。」 ベトナム戦争に参戦した韓国軍を評して・・・ウエストモーランド将軍 「韓国政府はアメリカからの援助の代償として、韓国兵をベトナムに送った」 当時・・・進歩的知識人、現在・・・真正保守派の方々
大戦中のドイツ軍の装備が朝鮮戦争で使われた、という話があるが 敗走した韓国軍向け装備として考えられたが、実際にはアメリカ議会で 予算が通過し、すでに使い物にならないものが多く、物資が集積されたが 結局使われなかった。 しかしアジアで実際にドイツ軍の装備は使われていたことがある。 もちろん戦前に中国へ供給したドイツ軍の装備もあるが、これ以外に アフリカ戦線で鹵獲されたドイツの兵装や武器弾薬が 中国系カナダ人部隊に配備されていた。 中国系カナダ人部隊はコマンド訓練を受けた非正規戦部隊で、 あくまでも中国人のゲリラ、という扱いのために英連邦の装備を 扱えないための処置で、およそ300名で編成されていた。 彼らは就業条件の制約など差別待遇を受けていた中国系カナダ人の 地位向上を目指し、非正規とはいえ初めてカナダの公的な地位に つけたことを誇りとし、指揮旺盛な精鋭部隊で、日系人の442連隊の ような立場であった。 ドイツアフリカ戦線部隊の装備をまとい、ドイツの武器弾薬を装備した 彼らはイギリス軍の指揮下に入り、東南アジアの現地ゲリラ部隊との 連絡や連携、訓練を行い、現地ゲリラ部隊を指揮して日本軍の 後方撹乱に活躍した。しかも彼らは誰一人として死者を出すことなく 東南アジアから帰還している。
>>344 別にその2つは矛盾しないと思うが。
「韓国政府はアメリカからの援助の代償として、韓国兵をベトナムに送」り、派遣された
「彼らは高い道徳心、プロの軍人としての能力、積極性を備えている。」
色々アメリカに弱みを握られている韓国の軍事政権とすれば派兵しないという選択肢はないだろうし、
限定的な派兵である限りは選抜された連中を送るからなぁ。
自衛隊の海外派遣も基本的には評価の高い人間を中心に送っている。
>>346 ブサヨ乙wwww
正しい歴史を学んでから出直せよ無知
349 :
346 :2009/03/15(日) 02:16:38 ID:???
>>347 海外派遣された自衛隊員を評価したら、ブサヨ認定された件について(苦笑
>>348 ネトウヨどもあわれwwwwwww
じゃないかと
さっき「大艦巨砲」検索してはじめて気付いた 「だいかんきょほう」なのな 「たいかんきょほう」でずっと変換してた、一発で変換できないポンコツめと思ってた
大艦巨砲 代官巨砲 両方ありだがATOKは「たいかん」だけだな
353 :
キルロイ :2009/03/15(日) 10:44:01 ID:???
たいかんきょほう→(変換)→体感巨砲 だいかんきょほう→(変換)→大韓巨砲 このPC,何考えているんだ・・・
>>353 体感巨砲
新手の性風俗みたいだ
大韓巨砲
イ・スンヨプのことだな
>>353 何考えているんだって、「今どき大艦巨砲なんて時代後れのの言葉は死語だろ、時代はヒコーキだぜ」じゃないのか
第二次大戦期の英国陸軍の将校教育は、1,372時間の授業と245時間の個人学習。 同じ時期の日本陸軍の将校教育は、3,382時間の授業と2,765時間の個人学習が必要だった。 日本陸軍士官学校を視察したドイツの士官学校校長は、「日本陸軍士官学校の教育は行きすぎた スパルタ式」だと酷評したという。
これも乃木が悪い
>>355 時代遅れかどうかは俺が決めることであってMSやJustSystemが決めることじゃない
>>358 うちに製品仕様に文句があるなら使わなければよろしい。 By Microsoft(仮名)
いまのMSIMEって「白痴」とか「気違い」って単語はそのままじゃ出ないんだよな
>>356 それって士官学校の本科だけでなく予科も含めた数字なんでしょうか?
英国だとある程度の高等教育終わってから士官学校に入るけど、日本だと中等教育
からそのまま士官学校に入るから、予科で高等教育分を補完してるようなイメージが
あるんですが…
ダニガン本だと英軍は平均身長が将校の方が兵士より高かったが、 日本は教育時間が長くて睡眠時間が短いのと粗食で、英軍と逆に 将校の方が身長が低かったとか。
はくちー白雉 きちがいー気違い たいかんきょほうしゅぎー大艦巨砲主義 だいかんきょほうしゅぎー代官巨峰主義 Macだとこうなった。デフォのことえりのまま。
なんだやっぱりソフトの個性なのか 手元の辞書を調べてるが大艦という項目自体がないぜ なにこれふざけてるの
>>362 イギリス人の上流階級は背が高く、下々の人は背が低いと聞いた事がある
けど、それも関係するのかも。
>>365 英国の場合、
・軍隊にも、一般社会の階級がそのまま持ち込まれ、将校は上流階級、兵卒は下層階級
・下の階級に行くほど、成長期に十分な栄養をとれないので、平均身長が低くなる
という傾向があった(過去形)
前者については、今でもかつてほどではないが、残っているのだが、後者については、
戦後、庶民の栄養状態が改善されたため、外見ではっきり区別できるほどの差異は、
なくなってきている
「英軍の士官だけを殺すトラップ」 というのをドイツ軍は開発してたね 額縁の裏にワイヤーと爆薬を仕掛けてちょっと斜めにしておく 育ちのいい英国紳士の士官様はそういうのをガマンできない。 まっすぐに直そうとしてワイヤーが外れ――― あぼーん
一等自営業氏の武器と爆薬に載ってたやつだな
>>367 ドイツ人も引っ掛かりそうだがな、そのトラップ
俺も引っかかりそうだ
371 :
キルロイ :2009/03/17(火) 20:03:51 ID:???
ブービートラップを置いておくと、たいていの米兵が引っかかる。
もとは英軍が開発し、レジスタンス向けにばらまいたのが「石炭爆弾」。 蒸気機関車で焚く石炭そっくりに作ってあり、 駅や操車場でひそかに、ドイツ軍軍用列車を引く蒸気機関車の炭水車に投げ込んでおけばOK。 ドイツ軍軍用列車が走行中、突然ボイラーが爆発、 機関車が吹き飛ぶほどではないがボイラーが破損して走行不能になる事故が多発したが、 かなりあとまで石炭爆弾の存在は明るみに出なかったという。
1979年、 アメリカ「コミュニケーション・コントロール・システムズ」社が25万ドルで売りに出したのが、 同社が改造した79年式キャデラック・ブルーアム。 もとはイランのパーレビ国王が発注したが政変でキャンセルになったクルマで、 サブマシンガンぐらいまでならどこから撃たれても耐えうる防弾装甲、 地雷に対してもクレイモアまでなら全く平気、 上から爆弾を投げつけられてもルーフ下の耐弾シートではね返す。 反撃のための銃眼もあり、タイヤはもちろんノーパンクタイヤ、 自動車電話は最新の秘話システムつき、 運転手用の赤外線暗視装置もついているので夜でも安心。 ・・・バイクで追跡されてもトランクの中にある25ガロン入りのオイルタンクから、 4本のチューブでオイルを撒き、転倒させてしまう装置もあり、 さらにはエンジンの始動はリモコンででき、始動させると電子捜査装置が仕掛け爆弾の有無や信管を作動させる無線信号の有無を10秒間チェック、 もし爆弾が仕掛けられていれば自動的に爆発させられる。 加えて酸素供給装置、盗難警報装置、 それらの装置をいっせいに動かせるコントロールパネルと盛りだくさんの他、 毒ガス発生装置、機関銃を据えられる銃座までついていたのだが、 さすがにアメリカ国内で一般に売りに出されるとあって、毒ガス発生装置と銃座は外された。 ・・・売りに出されるやいなや、コミュニケーション・コントロール・システムズ社には問い合わせが殺到、 まもなく買い手が決まったのだが、 モノがモノだけに誰が買ったかはいっさい秘密にされている。 ただし、同社が公式にコメントしたのは「買い手は007ではない」。
北アフリカ戦線の砂漠のど真ん中でも戦車に紅茶セットを標準搭載して ティータイムを満喫していたイギリス人。 現代でもイギリスのレーションに当然のようにティーバッグが入っている。 といっても時代が変われば嗜好も多様化し、今は選択式でインスタントコーヒーや ジュースも選べるようになっている。 最近の若い兵士の紅茶離れが深刻で、近い将来のうちにインスタントコーヒーに 一番人気が奪われるのは確実で、この調子ではティーバッグが一番人気が なくなる勢いになっている。
>>373 それだけの設備で25万ドルというのはお買い得なんだろうか
日本では「硫黄島」を正式に「いおうとう」と呼称し、世界の殆どの国の地図でも そうなっているが、唯一の例外はアメリカだったりする。 これは海兵隊退役兵の団体が著名な激戦地の名前「いおうじま」を変える事に抗議 した事が原因である。
リベリア内戦で「裸の将軍」と呼ばれた人物がいた。 彼の名はジョシュア・ミルトン・ブラヒ ブーツ以外は一切身に着けずに戦い、2万人以上を殺したと言われる。 「殺した相手の耳を削いで首飾りにした。」「戦闘の前に子供の心臓を食べる儀式を行なった。」等の噂が流れたこともある。 本人は当時の自分について「当時自分は魔力を身に着けていた。たとえ攻撃されても姿を隠す事が出来た。」と語る。 そんな彼の現在の職業はなんと牧師、1996年の戦闘中に彼は神に出会ったという。 「神様の顔は太陽のように眩しく、服は雪のように白かった。『なぜ人を殺しているのか?』と問いかけられた。」 現在37歳の彼はリベリアの首都モンロビアで活動している。 11歳で殺しを覚えたという自らの体験を語る彼によってギャングから足を洗ったという若者も。 リベリアの「真実と和解委員会」はブラヒを起訴するか恩赦とするか検討中だ。 「起訴は怖くない。この世で刑罰を受ける事になっても、神様は必ず許してくれる。」
「お尻丸出し将軍」と呼ばれてた奴だな 戦闘が始まると靴以外すべて脱ぎ捨てて相手に襲い掛かったとか 忽然と姿を隠し、その後神学校に入学してマジで牧師になるために 勉強してたらしい 「押し込み強盗将軍」「母無し父無し将軍」「ファック・ミー・クイック将軍」は 皆さんお元気なのでしょうか
エレクトリック将軍は健在ですが、モーターズ将軍は危篤状態です。
ベトナム戦争当時 米軍の歩兵が敵を一人殺すのに要した銃弾の数は平均五万発 スナイパーが敵を一人殺すのに要した銃弾の数は平均1.2発
>>382 湾岸戦争じゃさらにゼロが一個増えてなかったか?
>>382 俺が読んだ本では歩兵が2万発でスナイパーが1.6発ぐらいだと書いてあったなあ
どちらにしろ、スナイパーは財布に優しいな
>>384 しかし、養成にかかる費用を足すと、本当にお財布に優しいのかは微妙なところだ
1943年5月17日、イギリス空軍第617飛行隊は、ドイツ・ルール地方にあるメーネ・ダム、 エーデル・ダムなどを破壊し、ルール工業地帯の生産力に大きな打撃を与えることに成功した。 この結果、617飛行隊は"Dam Busters"と渾名され、隊員たちは国民的英雄となった。 だが、彼らの成功を祝うあるレセプションで、隊員たちは当惑することになる。 レセプション会場に掲げられた横断幕には、"Damn Busters"と書かれていたのだ。
さすがにBastardsとは書けないか。
発音は同じだし、会場の飾り付けをやらされるような階層の人間には damよりdamnの方が馴染みのある単語だったのはわかるが、 誰も気付かなかったのか?
予想外だったんだろ
ただバカなんだろう 掛け算ができないというのは収容所の本だとよくでてくるし
レセプションではすばらしいブリテンジョークが披露されたんだろうな。
「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」 の演説で有名なドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領であるが 自分の父親のエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーは戦後「平和に対する罪」 「人道に対する罪」で有罪になっているがその罪状を全面否定している。 また父が反ユダヤ主義者でありユダヤ人迫害への関与で有罪になっているのに、 演説でそれには一切触れる事無く、図々しくも 「この犯罪は少数の者たちの手によって行われました。世間の目からはさえぎられていたのです」 などと発言している。 さすがにドイツの政治家は狡猾だぜ。
うんなこといやあ戦前の日本も政治家や官僚や軍のエロイ人たちに マジ顔でユダヤの陰謀じゃーとムーみてーなこと言ってるのが ゴロゴロいたんだし。
世界はユダヤに 日本は創価に 乗っ取られるのじゃ
○ O __ ,―γ ___ヽー、 | ̄ ̄| | |(/),(ヽ)| | ̄ ̄| と思ったら夢だった。 | ヽ (6 ー ) ノ | -――  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄――- | ,―  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ― 、 | | | | | | | | | | | | | | | | |
太陽は明るい間にしか出てこない役立たずだけど、 月は闇夜を照らしてくれるありがたい方なんだぜ
その太陽が無ければ月も光ってないんじゃ…
>>393 今でもいるじゃん。「国家権力の陰謀」とかいう野党首脳。
401 :
名無し三等兵 :2009/04/02(木) 13:21:35 ID:DGUppeeE
401
402
書かずにはいられない… 403
404 Not Found!!!!!
エルサルバドルでの内戦中の話。 米国大使館が大使館員用に借り上げていたマンションには皆が怖がって 他に誰も借り手が着かなかったので、家賃が格安で借りる事が出来た。 因みに、米国大使館は、大使館員が居住すると言う事で、マンション入口 ゲートを防弾鉄扉に変え、24時間体制で完全武装の民兵が3名、常時警備 に当っていた。 その上、大使館の規則では、大使館員の住居は警護の為に駐留している 海兵隊員が5分以内に到着出来る場所と定められていた。 逆に言えば、狙われやすいが、非常に安全な建物となっていたのである。 また、外出禁止令が出されると、その日の内に大使館のトラックが到着し、駐車場に 特設のスクリーンを設置し、卓球台やレクリエーショングッズを置いていったので、 大使館員のみならず一般の住人も一緒に駐車場で、最新の米国映画を見たり、 卓球や卓上ゲームをして戒厳令下の夜を過ごす事が出来た。 因みに、某国の大使館は、留守番を一人残し、在留の人々が未だ居るのにさっさと 引上げてしまっていたりする…。
米英戦争の頃にケンタッキー州に市民軍が編成され、知事の補佐官として ケンタッキー大佐(Kentucky colonel)という州独自の階級が制定された。 軍事アドバイザー的な地位でかつては軍服を着て市民軍の指導にあたっていた。 軍の機能は失われたが、後にケンタッキー州の名誉称号となりこれを授与された 一人がハーランド・サンダースで、ハーランド自身の軍歴は職にあぶれ年齢を偽り 16歳で陸軍に入隊した二等兵にすぎず、これを大変な名誉と感激した彼は、 常に自身を大佐と名乗るようになった。
それは階級というよりは役職では?
名誉教授みたいなもんだろな
かつてのアメリカの州市民軍の大佐は国家軍の階級じゃないが 名誉職なんてもんじゃなく立派な指揮官だぞい。 ジャクソン大統領は州市民軍大佐として指揮をとって功績を挙げ 全国に名が知られるようになって出世街道が開けたんだし。
つまりカダフィ大佐と変わらんわけね。
カダフィの「大佐」はどっちかと言うと「アメリカ皇帝ノートン一世」の方ジャマイカ?
カダフィーが大佐を自称した経緯は有名だわな。 北アフリカの世相から生まれたようなもんだし、そして彼の実際の階級は大尉。
小ネタ。 17世紀後半、ジャマイカに置かれた大英帝国海軍の西インド艦隊司令部は、 首府であり、港のあるキングストンの暑さには耐えられず、Blue Mountainの 南側斜面標高1,200mに設けられた。 因みに、陸軍の司令部もこの近くに設営され、こちらは現在でもジャマイカ軍 の訓練施設として利用されている。 もう一つ小ネタ。 全仏オープンのテニス会場は、ローラン・ギャロスだが、この名前は、1913年に 世界で初めて地中海横断飛行を行い、第一次大戦ではフランス軍のエース パイロットとして活躍し、戦死したレユニオン島出身の飛行家の名前だったりする。
>>406 スレチで申し訳ないが、その某国大使館で思い出した。
中欧のとある国(ナチのハインリヒ総督が暗殺された国)に住んでた一昨年。
その国の首都の某国大使館に用事があって出向いたとき、なんと守衛がチェコ人。
そして入ってすぐの受付もチェコ人。最後に事務の受付もチェコ人。
私「日本語わかりますか?」「Ne(ノー)」
私「英語わかりますか?」「A little」
守衛から受付までみんなこんな感じ。
結局ドイツ語で意思疎通したんだけど、観光客のおばちゃんとか緊急の
用があるとき、どうするんやろと気になった。
まったくスレチで申し訳ないが、外務省、もう少し邦人保護考えなよ。
>>415 そこは建物だけは立派だったような気が
中の役人どもは別として
今気づいたけど、某国としときながらチェコ人てしてるし・・・
>>406 エルサルバドル、数年前に行きました。
その当時の大使さんは面白い人で、月一回、NHKの「プロジェクトX」を放送してました。
自分が解説で出て、日本はこうやって技術を大事にして国を作ったんですよとか言ってると
聞きました。
そのひとり残った邦人は今も、たった一軒だけある日本料理店をやってます。
>>415 海外で生活すると、いかに外務省が官僚組織の理屈だけで動いていて、最低限の仕事である邦人保護を
軽視しているかを、身をもって体験するぞ…
邦人の犯罪被害者を放置して国会議員の接待に邁進とか、そんなのばっか… 平和な先進国でもこんな
状態だからなぁ。途上国に駐在するなら何かあったら海兵隊が助けに来てくれるアメリカのパスポート
持ってないと怖くて怖くて…
日本のパスポート持ってても、何かあると大使館員はすでに逃げ出しているから何の役にも立たないけど
人質としての価値が高いから最低。
アメリカのパスポートなら、人質としての価値も高いけど、ほぼ確実に救出に来るからこっちの方が
よっぽど安心だよ…
あそこは外交儀礼省だって言う悪口を聞いたことあるが、これじゃなぁ…
経験者などという割にはどこぞで読んだような中身で、まるで具体性のない文章だなw
>>407 フライドチキンのカーネル・サンダースとは関係あるのかな?
大使館勤務なんて欧米以外に「手当」がなきゃ、だーれも行かないわさ
因みに3-4年勤務で家一軒買える位
本来は犯罪加害者でも、ちゃんと権利が保護されているか監視しないといけないんだけどね。 在外公館の外務役人は洒落にならないくらい仕事をしない。 邦人保護、なにそれ食えるんか、な状態。 外交官らしい時といえば本人か奥さんが人をはねたときに外交特権でしらばっくれるときくらいか。 白豪主義者の国みたいに自国籍者に失業保険申請の指南、なんてことはしない。 かっこつけてるだけなのか無能なのか。 そんなんでも一応外交官だから現地当局やら他の国の外交官は敬意を払う。 なのでつけあがる。後進国だと援助目当てだから接待も多い。 認証官だから形式的には師団長や県警本部長や検事総長クラスと同じだけど 30歳そこらの坊やをそんな扱いしない方が良いと思うが、本人に加えて奥さんのつけあがり方もすごい。 閨閥も相変わらず強いしね。外交官は平時の軍隊、というべきものなのだがその意識は無いもよう。 そのうえ、上がりのポストが赴任国(と同じ言語の国)の大使だから、 着任拒否を発動されないように相手国に媚びてばっかり。
>>416 年代ものだからね。ただ、プラハ旧市街地で年代ものでない建物を見つけるのは、
まず難しい。私が専門調査員をしてた国際機関の事務所も、19世紀の貴族の館
だったし。
というわけで、その館は
オーストリア・ハンガリー帝国→チェコスロヴァキア共和国→チェコ・スロヴァキア共和国
→ベーメン・メーレン保護領→チェコスロヴァキア共和国→チェコスロヴァキア人民共和国
→チェコスロヴァキア社会主義共和国→チェコスロヴァキア社会主義連邦共和国
→チェコ・スロヴァキア連邦共和国→チェコ、と10回国名が変わってるわけですな。
427 :
426 :2009/04/08(水) 18:55:17 ID:???
まったくスレチの話をしてしまったので、軍事ネタをひとつ。 共産圏の地下鉄は核シェルター兼用であったのは、有名な話。 プラハの地下鉄も同様で、1978年に営業を開始したA線はとんでもない深さ。 (A線の中心部から少し離れたNám?stí Míru駅は52メートルの深さ。) また、日本だと、地下鉄同士が交差する場合は新しい地下鉄ほど深くなるのは、 千代田線新御茶ノ水駅や副都心線渋谷駅を見るとわかる。 ところがプラハでは、冷戦終結後に完成したC線の方がA線よりも上にある。 核戦争の恐怖が去り、もはやシェルターを意識しなくてよいので、地面から 直接掘ることができたからである。 A線の駅の柱がやたら深くて、駅に行くと核シェルターを意識してたことが よくわかる。西側の人間が「ソ連の核」に怯えるのと同様、東側の人間も 「アメリカの核」に怯えていたといえる。
昭和二十年七月頃の新聞に 国民の読書欲は旺盛で、満員電車の中でも皆本を読んでいるが、 しかし、その殆んどが戦前に発行された低俗な戦争に関係ない古本ばかりで アメリカの映画が紹介されている雑誌を堂々と読んでいる娘達もいると 特攻隊の勇士が葉隠れや万葉集を呼んでいることと比較して、 嘆いている記事が載っている。
世界最大の核シェルターはスイスのソネンバーグにある。 2000人収容可能で1メガトンの核爆弾にも耐えられる。 スイスの各自治体は住民が一週間避難生活ができるシェルターの 建造義務があり、トンネル工事のついでに作ったらちょいと改修すれば 核爆弾の直撃にも絶えられるというハイスペックになるというので、 どうせならばと映画館や劇場といった娯楽施設から消防署や刑務所、 郵便局まで調子に乗って作ってしまい、ついには町の人口よりも 多く収容できる超巨大施設に進化したらしい。市も調子に乗って すいません、設備の40%は無駄なものでしたと謝っている。 冷戦終結によりスイスの各地のシェルターは自治体の予算不足により まともに整備がされなくなり、2007年に調査したところシェルターが 規定の能力をもっているところは一つもなかった。 ソネンバーグの核シェルターも例外ではなくトンネルの入り口を守る 350トンのドアが閉まらなくなっており、すでに役立たずになっている。 そんなわけで都市開発の波に押され、ビル建築の基盤工事に 邪魔なシェルターはどんどん削られていっているので世界最大の 核シェルターの称号はそのうちになくなるらしい。
>>429 いっそ市街自体をシェルター内に移したほうがいんじゃねw
地下都市とか男の夢じゃないか 核には耐えられないけど名古屋に似たようなものが…
男の人ってなんで地下好きなの
世界大恐慌により失業者が溢れかえる大英帝国が、失業者対策の切り札として 打ち出したのが超巨大プロジェクト英仏海峡トンネル計画。 そういうわけで関係機関が検討を行ったところ、トンネル工事の従事者よりも、 トンネル開設によって生まれる船舶港湾の失業者の方が多いと本末転倒な 結論が出たので予算や技術などの問題もあって結局お流れとなった。 この時に英陸軍もトンネル工事に反対している。 トンネルを使って大陸から陸路で攻められる、というような軍事的な理由ではなく トンネルを警備する兵力を賄うだけの予算がないという貧乏臭い理由からだった。
みんな大好き食い物の話。 旧海軍で大型艦艇における下士官兵のメニューの決裁者は 副長
関東大震災により、日本海軍は極めて重大な被害を被った。 海軍水路部の構内に火災の火が燃え移り、重要書類を搬入してあった守衛詰所、 修技室、湯沸室、実験室、経線儀室、油庫に庁舎階下倉庫の内、3棟を除き、大半が 焼失、其所にあった幾多の貴重な資料や測量原図、海図原版約2,500版が全て 灰になってしまい、水路部設置以来50有余年の結晶が全て滅失してしまった。 ついでに、太平洋戦争では、25棟の建物を全焼し、海図500万枚、水路書誌20万冊、 秘陸図200万枚、秘航空図30万枚、秘密航空図1万枚、航海報告6万冊、酒保物品 3万円分その他が灰になった。 このうち、海図500万枚と水路書誌20万冊は、全保有量の半分に達していた。
確かに 建造中のフネの竜骨が曲がるのに比べたら全然重大な被害だな
金と数年の時間をかければ取り返せる、というわけにはいかないからね。
>>435 わりとすぐに日本近海は直後に再調査を済ませたはず。もちろん戦前ね。
というか海流その他で深度は微妙に変わるし海流速度そのものもやはり微妙に変わるから、
いまでも一番頻度の低いところでも10年に一度は調査するよ。
諸事情により海上保安庁と海自で個別にしているはずだけど。
遠洋のはわかんない。再調査し直したか艦船に積んであったぶんの海図で
原図を複製したか・・・どうだろうね。
>436-439 取り敢ず、震災後は焼失原版の復旧に邁進し、第一区(東経95度以東、赤道以北、東経 170度以西、北緯65度以南及び、東経170度以東、北緯4度以北、東経175度以西、北緯 20度以南の区域)の殆ど全部と、第二区(東経30度以東、北緯70度以南、西経70度以西、 南緯60度以北)の一部、海図式、海図索引など合計1,000版を応急復旧した。 外国版水路誌や資料は、国際水路局に打電して、各加盟国の水路部から日本水路部へ の図誌編修資料を提供する依頼をしたところ、海図9,239枚、書誌510冊が、英米を始め、 16カ国から提供を受け、修復することが出来た。 因みに、関東大震災で海底の地形が変わった為、駆逐艦野風で応急的な予備調査を実施、 震災予備費を用いて、9月19〜28日の間、大和、武蔵により、東京湾、房総、相模、伊豆の 調査を目的とした第一次調査を実施、10月11日から翌年3月中旬まで、膠州、武蔵、大和、 松江と測量艦を総動員して、伊豆爪木崎から大島南端を経て、房州内海湾に至る線以北の 第二次調査を実施している。
現況は再調査ができるからまだなんとかなるけど、過去の履歴(特に 調査の元データ)はどうにもならないね。 そういうのが、後々にひびいてくるんだよな…。
442 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 02:59:46 ID:VqQjUi0X
震災復興時に陸軍内で試案として提出された戦略爆撃に対抗する街づくり 爆撃機を水平射撃する高さ千メートル単位の超巨大高射砲塔 地上を民間施設や住居にし、地下に軍事施設や工場を作れば人道的に爆撃できないぜ 当然の事だが早々に消えた
現在のジェット戦闘機の必需品”アフターバーナー”は、GE社の登録商標。
P&Hはオグメンタ ロールスロイスはリヒートとよんでる
とすると、セガはGE社から許可をとったのだろうか?
商標権の適用範囲は商品・サービスのジャンル毎なんで、遊具やゲーム機の ジャンルでGEが登録してれば許可が必要。
今更だが
>>422 の読解力の無さは異常だと思うのだが
>449 水兵さんだから大佐(=カーネル)じゃないんだよ 元陸軍々人のおっさんが艦載砲の説明を受けた時に 50口径40cm砲を豆鉄砲呼ばわりしたっつー話、を思い出した 「50口径」を「.50口径」と勘違いしたんだろうな
>>445 でもF-15の操縦席にはA/Bと記載されてる
454 :
ぼーいんぐ :2009/04/16(木) 01:16:32 ID:???
>>451 ええと、一応F110も搭載できますので、はい(汗
自衛隊にはドリルミサイルが配備されている
ミサイルはともかくドリルが配備されてるのは本当だな
工兵戦車っていうのか? ドリルで壕を掘る車両が動いているところを見てみたいどれほど速いのか
459 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/04/18(土) 16:50:09 ID:dn6zw60m
>457 坑道掘削機かな。 地対艦ミサイルのランチャー(特大型トラック)用の坑道式掩体を作るやつね。 専門の中隊が施設群にある。 ナトム工法で、20m程度の穴掘る程度なので、あまりたいしたものではないが。 一応、石炭とか掘るための民間用機械をODに塗っただけのもだが(笑) ちなみに、1m掘るのにコンクリートの吹き付けとかやるんで100万円ほどかかるので 訓練は年に1回、検閲とかのときに1〜2mとか程度しかできないので、普段はかけ足と 銃剣道しかやることがない部隊で有名だ。
460 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/04/18(土) 16:51:23 ID:dn6zw60m
>458 普通に自走する程度なら、まあ時速2kmくらいは出るだろうが・・・ 電気モーター駆動だったと記憶しておるが。
制作は三井三池製作所かw たまに仕手の対象になる銘柄だな
463 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/04/19(日) 10:07:44 ID:Ez0qmA07
>462 掘る速さは知らん(笑)
464 :
反米イスラム過激派 :2009/04/19(日) 10:28:25 ID:KKcWdOXy
祖父が昔炭鉱で働いていたが、施設の掘る機械というのはロードヘッダーだな 他に似たような機械としてコンテニアスマイナーとかもある 掘る速度は地盤にもよるがかなり速い(10〜20m程度ならすぐだとか) だけど掘進訓練が年にたったの一回程度なら、間違いなく釧路コールマインの坑内作業員の方が上手いと思う
>>462 昔買った陸自マニアなる本によると、平均採掘能力は30m^3/hとのこと。
具体的に言うと、一時間に高さ3.5mの半円状のトンネルを5〜6m掘削できるそうで。
467 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/04/19(日) 20:48:46 ID:Ez0qmA07
>466 まあ、掘るだけならそれでも・・・ 支保工としてアンカー打ちながらだと(ry
>>450 ググッたら カーネル・サンダースは
やっぱり ケンタッキー州の「名誉大佐」だったよ。
本名は ハーランド・デーヴィッド・サンダース な。
水兵とか関係ないだろw
551 名前:キルロイ[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 20:20:08 ID:???
>>546 鳥空揚げ屋のサンダースおじさんの”カーネル”は、名誉称号だと聞いたんだが・・・
553 名前:wikiより[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 20:30:37 ID:???
>>551 15歳から社会に出て働き始め、路面電車の車掌を皮切りに、
軍隊、消防士、保険外交員、船の仕事、タイヤ売り、ガソリンスタンド
などを経験したが、軍隊では大佐(カーネル)の地位にはなかった。
555 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 21:10:41 ID:???
colonel
━━ n. 大佐.
# 1. 《軍事》〔米陸・空軍{くうぐん}・海兵隊{かいへいたい}・英陸軍{えい りくぐん}の〕大佐{たいさ}◆中佐(lieutenant colonel)より上で、准将(brigadier general)より下の階級。
# 2. 〈米〉〔ケンタッキー州やルイジアナ州などの〕カーネル◆功績のあった民間人に送る称号。
ttp://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej/colonel/m0u/colonel/ 556 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/11(水) 21:33:25 ID:???
日本語で平たく言えばヤキトリ屋の大将だな
33 名前: イワウチワ(茨城県)[] 投稿日:2009/04/23(木) 14:17:25.48 ID:VDxhhveG で、日本に草薙の剣、植草の鏡、田代の勾玉が揃っちゃったわけだがどうすんだよ?
第二次大戦中、Iosif Vissarionovich Stalinは身辺をグルジア人で固めていた。 その内の1人はシャシリクを焼くのが上手なコックだったが、彼の階級は少将であり、多数の勲章を授けられた。 また、ワインや羊肉などの食材を調達する係が居たが、その男も中将に任じられ、同じく多数の勲章を貰った。 党や政府、軍の高官は、Lavrentii Pavlovich Beriya以外誰もその男達の素性を知らなかったが、一緒に席に 付いて飲み食いする男と親しく話をしなければIosif Vissarionovich Stalinのご機嫌を損ねたので、嫌々ながら この食糧調達係の男と会話をする羽目になったと言う。 勿論、Lavrentii Pavlovich Beriyaが失脚すると真っ先に彼等はお払い箱になった。 Iosif Vissarionovich Stalinは少食、かつ、酒も嗜まなかったが、深夜に閣僚や高官を参集させてたくさんの 御馳走を並べた宴席を好み、客が沢山食べなければ満足しなかったし、部下に大酒を強要した。 Nikita Sergeevich Khrushchevは、この時を回想して、「此の宴会の後、無事に我家に帰れるのか、それっきり になるのかは誰も分からなかった」と述べている。 Iosif Vissarionovich Stalinの好物は塩味を付けない鰊が大好物だったが、必ず食べる前には別の人間に食べ させ、しかもそれに手を付け初めるのは、暫く経ってから、遅延性の毒が入っていないことを確認してからの事 であったと言う。 但し、全員揃って手を付けた食べ物が一つだけあった。 これは、クレムリンのシェフ特製ハルチョーで、特に美味しくできていたからだそうな。
1812年に勃発した米英戦争の終結の年は、1814年か1815年かはっきりしていない。 講和条約は1814年12月にベルギーのガンで締結されたのだが、この知らせが大西洋を渡るのに時間がかかり、 戦闘は1815年2月まで続いたのである。
>>472 スターリンって深酒しないだけで
グルジアワインやアルメニアウイスキーが好きだったって聞いた事が…
失礼、ウイスキーじゃなくてアルメニアコニャック(正式にはブランデー)です
>>472 酒を嗜まなかったとすると、冬戦争の惨敗をヴォロシーロフ国防人民委員に絡んだのは
シラフで……余計に怖いな。
戦艦ロイヤル・オーク撃沈で有名なU47だが、最初ロイヤル・オークに向けて 放った魚雷の三発のうち二発が外れ一発が艦首近くで早爆している。 このときU47は魚雷が命中して爆発したと思ったため、魚雷を受けても微動だに しないロイヤル・オークに驚愕したとの証言が残っている。
日露戦争直前、陸軍が満洲で戦う師団の兵站路線として整備したのが、朝鮮国内の京義鉄道。 日本政府がその敷設工事に支出した金額は1,017万円で、1マイル平均3万1,000円余。 外数として工兵大隊で支出した被服・食糧・事務用品費が25万円、陸軍が支出した鉄道材料費が 818万円に輸送費140万円を加えても総建設費は2,000万円余に過ぎず、鉄道建設費は1マイル平均 6万1,000円余にしか過ぎなかった。 入札ではダンピングが多発し、請負価格が実際の工事価格を下回る金額で受注合戦が繰り広げられた 為、後発の土建会社ほど大損害を被ったそうな。 因みに、平壌と安州間の漁波トンネルでは請負金額の分散を防ぐ村外を防ぐ為、談合を行って摘発され、 関係者は全員6ヶ月間の請負指名停止処分を食らっている。
ロシアのI-16を調べていた日本の技官は、エンジンに使われていた ピアノ線を編みこんで作られたバネを見て 「なぜこのようなバネが使われているのか?」 と首をひねった。 何でもこのバネには、疲労変形が起きにくいと言う特徴があるのだそうだ。
戦争してなければソ連の戦闘機は使い捨てじゃないんだな
WW2での日本やドイツが女性の動員が遅かったのは、米英に比べて主婦や女学生などの 暇のある人間が圧倒的に少なかったのが原因 遅れた国は、労働集約型の産業構造だから、一部が兵隊にとられると残った人に負担がかかるし しかも男女関係無くみんな働いていて、暇のある人間がいないので動員もできないし、生産効率が下がりまくる。
NSDAPは戦前に「女性は家庭へ」という政策を進めていたんだが。 なので自分から主婦を増やす方針を取っていた。 日本もそうだけど、女性労働力の活用という発想そのものが 「良妻賢母」を理想とする日本やドイツでは立ち遅れていた。 数の問題もそりゃ有るだろうけど、何より国の体制面や文化面でそういう準備が出来てなかった。
某大帝の座右の銘 「圧制を通じての平和を(Peace through tyranny)」
話の腰を折って申し訳ないが、小ネタを一つ。 「フライング・ダッチマン」といえば、ワーグナーの歌劇で有名だが、 本当にそのあだ名がついたオランダ人がいた。 彼の名前はMax van der Stoel(ストール)。オランダの元外相で、 初代少数民族高等弁務官(High Commissioner on National Minorities、 略称HCNM)。 さて、HCNMは、冷戦後の欧州での民族紛争勃発を受けて、民族紛争の予防を 目的に1992年に、設置に尽力したオランダのハーグ市に事務所が設置された。 さて、ストール氏は初代弁務官に任命されたわけだが、1993年というと、ユーゴ 紛争のほかに、ハンガリーVSルーマニア・スロヴァキア、旧ユーゴ、旧ソ連など、紛争に 至らないまでも民族間の対立が激化していた時期であった。 ストール氏はその状況下、民族間の和解に向けてヨーロッパ中を飛行機で飛び回った。 その日数、年に合計で150日に及んだとか。 そのストール氏の行動を見て、事務所の人間がつけたあだ名が「Flying Dutchman」。 さもあらん、というあだ名だが、彼の任期(〜1999)の間に、大規模な民族紛争が 発生していないことは、彼の功績であるといえる。
485 :
484 :2009/05/19(火) 00:20:50 ID:???
日本ではほとんど知られていないが(実はここまで詳しく書くと、私が誰か、 わかる人にはわかる。HCNMを研究してる人、日本で一人しかいないからね)、 紛争地では有名人で、マケドニアの南東欧大学は別名「ストール大学」とも 呼ばれている。 軍事ネタとは直接関係なくて申し訳ないが、ふと思い出したので。
なんかどこかのメルマガで読んだような
クライフがどうしたって?
>>486 この話、日本で全く知られてないから、多分なんか他の記事でないかな?
484さんを日本の大学と仮定して、グーグルで、 HCNM .ac.jp で検索するとその時点で15件くらいに絞られてしまいまふ。
>>487 オレも「フライング・ダッチマン」と聞いて
てっきりヨハン・クライフの話だと思った。
491 :
484 :2009/05/20(水) 00:43:58 ID:???
>>490 今ググッたけど、そんな人もいたんだね。知らなかった。
女性用のダッチワイフで羽でもついてるのかと思った
NASAの初代長官が講演で 「えー長官の○○です。現在、えー住所は飛行機の中です」 と自己紹介した、というのを思い出したな・・・
1939年9月以降、BoBの爆撃とV1とV2攻撃に晒された英国では、 ロンドンの小売販売額が27%減少し、スコットランド、ノースイングランド、 ミッドランドの小売販売額はその逆に20%を越える成長を見せた。 その要因は一般住民の戦時疎開であるが、これにより、一般小売業 は商圏を失い、商売が成り立たなくなったからである。
>>494 小売店も一緒に移る、訳にはいかないからねえ。
しても非国民扱いされそうでロンドンに戻るときにまた苦労しそうだし。
496 :
名無し三等兵 :2009/06/02(火) 00:37:56 ID:wET04E3n
救済あげ
第二次世界大戦勃発時の子供新聞の内容はドイツ軍のブリッツクリークを褒め称える傍ら、イギリス軍の項目においても、ネルソン級の写真を載せて英本国艦隊の勇士や、ゴート大将を勇将と書いていたり、精強なフランス軍の見出しで載せていたり以外と中道だったりもする 実際内容が酷くなるのは真珠湾奇襲からだった
>>497 外国はこんなイイ装備持ってるからうちらも作ろうよ、というアピールなのかもね。
軍人個人を中傷したり隠す必要もないしな。
嘘を一度つくと収拾がつかなくなる上に、
結局ばれて将来の支持者である子供に嫌われるし。
いい例は今の日教組だろうか。
お前の腹痛は病人に話せ、健康な人は理解しないから。
1944年11月、ドイツの国家保安本部、所謂ゲシュタポには「家族の連帯責任」課と言う部署が 設けられていた。 この「家族」とは、「配偶者、子、兄弟姉妹、両親、その他の親族。但し親族は不利な証拠が 分かっている場合」であり、該当者は勾留状為しに拘束され、勾留理由は口頭で伝えられる だけだった。 因みに、この課が取り扱った「家族」は、犯罪者ではなく、ヒムラーが連合国との交渉に備えて 拘束した人質としての扱いだった。 その中には抵抗運動の主人公、ギーゼヴィウス、ゲルドラー、フォン・ハッセル、フォン・プレッ テンブルク、フォン・シュタウフェンベルクなどの家族、17カ国からの人質がおり、例えば、 フランス首相を務めたレオン・ブルム、参謀総長を勤めたフランツ・ハルダー、ドイツ銀行総裁 を務めたシャハト、ティッセンの経営者フリッツ・ティッセン、IGファルベンの重役フォン・フリュッゲ、 プロイセン公、ヘッセン公、最後のオーストリア首相夫人クルト・フォン・シュシュニク、ツィータ 皇后の兄、ド・ブルボン公、バドリオ元帥の息子マリオ・バドリオ、デンマーク情報機関長官 ハンス・ルンディング、ギリシャ軍最高司令官パパゴス、元マジャール首相カーライ・ミクローシュ、 マジャール摂政の息子、英国諜報機関のベスト大尉、イタリアの将軍サンテ・ガリバルディ等 130名に達した。
やってることがせこいなぁ
昔の中国や朝鮮に良くあった犯罪者(裏切り者)の三族・五族を監視するってやつのようなものか。
第二次大戦中のイギリス海軍の死者は約45,000名。 その内約30,000名は乗艦が撃沈されるなどした後、海上を漂流中に力尽きてるそうだ。 救助が来なかったり、来ても冬の海だと既に手遅れなんてのも多かったんだろうな。
ナチスドイツもパイロットが冬の北海に落ちて命を落としているが、これに関して 低体温状態に陥った人間を蘇生させる実験を、ダッハウ強制収容所で行っていた、 そのなかにはロマ(いわゆる「ジプシー」)の女性囚人を裸にさせて被験者を2人 ずつの間にはさんで体温で温めさせるということが行われいた。
>>504 日本の漁師町でも、冷え切った遭難者に対して
酒を飲んだ女子衆が体温で温める、と言う事があったそうだ。
>>506 若い娘が暖めてくれるとは限らない罠。
3、40年前にピチピチだった方達が暖めてくれるかも・・・
>>507 若さを吸い取られそう・・・(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
509 :
505 :2009/06/19(金) 17:09:53 ID:???
>>506 あ、言い忘れていたけど、酒を飲んだ男衆が温めてくれる地域もあるみたいだから。
>>509 _ -───- _
, '´ `ヽ
/ \
/ ヽ
/ __, ィ_,-ァ__,, ,,、 , 、,,__ -ァ-=彡ヘ ヽ
' 「 ´ {ハi′ } l
| | | |
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| |/ノ二__‐──ァ ヽニニ二二二ヾ } ,'⌒ヽ
/⌒!| =彳o。ト ̄ヽ '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ ! ウホッ!
! ハ!| ー─ ' i ! `' '' " ||ヽ l |
| | /ヽ! | |ヽ i !
ヽ { | ! |ノ /
ヽ | _ ,、 ! , ′
\ ! '-゙ ‐ ゙ レ'
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|\ ー ─‐ , ′ !
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_ -‐ '" / | ゙、 ヽ ____ '´ '│ ! | ゙''‐- 、,_
>>509 ・・・低体温症から回復して、隣を見た時は衝撃的だろうな(´-ω-`)
女じゃ外からしか温められないが、男なら中まで温めて くれるんだろ? 男の方が効率良いじゃねえかw
中にチューっと注入ですね
なんてエロい流れw
直接関係ないが寒い海に投げ出された時は泳がないほうがいい 泳ぐと絶えず冷たい水が体に当たり体温が奪われる、じっとしてれば体の周囲の水温は少しだけ暖かくなって 生存率が上がる って本に書いてあったんだが 海には波があると思うのですよ
そんなに泳いでどこへ行く
島とか視界に入ってる場合でもね
>>516 だから、服もなるべく厚着をしたほうがいいし、ズボンのすそなんかも縛ったほうがいいというね。
その寒い海というのはムルマンスク船団とかそういうの?
極北の海でなくても、水温が10〜20度くらいでも体温を奪われると危険。 日本でだって、シーズンオフに海水浴して唇が紫色になった経験があれば 分かるだろ。
英仏海峡上空の空戦でも、低体温症による死者がかなりの数発生してるぞ。
状況を特定しないで泳げとか泳ぐなとか
船から身一つで転落したら、近くに陸地が見えるなら泳げば助かるかもしれんが 陸地も見えなきゃ可能な限り浮力を確保して胎児の姿勢で浮かんでろと教えられた。 が、自分が転落したのに誰も気付いてなかったら諦めろ・・とも言われた。
近くに陸地が見えても、潮流の関係で、陸地の方に泳ぐと体力を無駄に消耗して、
結局たどり着けないことも多い。
>>516 沿岸はともかく、沖合での波は、海水が同じ場所で上下しているだけで、
波に任せて流れていれば、実際には周囲の海水はほとんど動いていないのだよ。
ニューギニア沖で輸送船が沈められたとき、下着で寝ていた少年船員がそのまま 海に飛び込もうとしたら、陸軍部隊の上等兵に「おいコドモ、そのままでは寒さで 参っちまうぞ。これを着ていけ」と軍服の上着を渡されたという話がありますね。 (土井全二郎「撃沈された船員たちの記録」) 上等兵氏はおそらく何度も泳がされた経験があったんでしょう。 もっとも、翌年宇品に上陸したとき、「お前のような小僧が上等兵のはずがない」と いうことで、憲兵に捕まって相当絞られたという落ちがついてしまったそうですが。 (そのときに、やっと15歳になったばかりだったとか。結局「軍服借用書」を書いて 解放されたそうな。)
海没のプロになった陸兵・・・、(--;)
いつだったかじいさんの戦争体験スレかどっかで3度も輸送船がボカチンくらったとかいうのを見たことがある
>>512 れどころじゃないよ、低体温症
冬山だから違うかもしれんが足の指が無い俺の経験からしたら
ほぼ助かって意識回復したらしい→混濁→気づいたらしい→混迷→→
で記憶して認知出来るのは助かった後
てんやわんやで全部終わった後だったし
まぁ記憶無いし生きてるんだから男根をねじ込まれてたとしても問題無いけど
人間の意識と記憶は本当によく出来てる
死にそうな記憶ってのは痛くても危険が無い記憶だと思う
本当に死にそうなら記憶自体が抹消されるみたい
>>529 つまり、「ここはどこ? なんでお尻がひりひりするの?」状態なわけね。
>>529 おいおい、足の指が無いって何処でどんな遭難したんだよ!
・・・八甲田山みたいな感じだったの?
>>525 これ、実感したことがある。
田舎のマイナーな海水浴場だったんだが、離岸流に乗ってしまって
岸はそこに見えているんだけど、帰ろうとしても全く進まない。
真っ青になって全力でクロールで足がつりそうになるまで力泳したけど、ほんの少し戻っただけ。
こうやってパニックになって体力を消耗して死ぬんだな、と理解できた。
離岸流の場合は、岸に向かわずに湾の真ん中を目指して泳げば、
逆に流れが自分を岸に戻してくれると気づいて事なきを得たけど、怖いぞ。
ttp://www.kaiho.mlit.go.jp/stream/index.html 海上保安庁の離岸流対策動画
海面に着色剤を流したりするだけでなく、海上保安官がわざと
離岸流に捕まって流されてみたり体張ってます。
H19 5〜9月にかけて関東周辺(第3管区)で遊泳者35人が離岸流で
沖に流されたと推定されている(うち10名が死亡)
離岸流の幅は10〜30mていど、長さ200〜最大でも300mと割に
小規模だが流速は1.5〜2m/sにもなり、オリンピックの水泳選手なみの
速度であり普通の人が逆らって岸まで泳ぐのは無理
やはり海岸と平行に移動して離岸流から抜けるのが手っ取り早くて
オススメとのこと
発生ポイントは河口、防波堤沿い、海岸線の凹部など。だが海流の
流れでどこにでも発生しうるので油断はできない。
離岸流は岸に向かう向岸流とペアであり、気がつかないうちに岸に
そって離岸流ポイントまで流されていくことだってよくある
遠望して海面が他よりザワついて見える場所
また浜辺に打ち寄せられたゴミが集まり、少し沖に黒くざわついた
海面が見えるときゴミから黒い海面に離岸流が発生している
可能性がある・・・とか
亀レスだが、NF文庫の二式大艇の戦記に著者が瀬戸内海で不時着した時に 地元の漁師に救助されて、そこの後家さん?だったかにあっためてもらったという記述がある。 戦後?に撮ったらしき著者と後家さんとの写真も記載されていたが、微妙・・・
離岸流はパニックを起こすのが一番危険なんだな 逆らわずにしばらく流されろと聞いたが、やっぱり怖いわな
みるみるうちに岸から2-300mも沖に流されたら、 よほど泳ぎに自信がない限り不安感凄いだろ 誰かが気がついて助けを寄こすまで浮いていられる 保障もないしな
足元が覚束ないどころか届かない所に意志によらず流されるのはそら怖い罠。 離岸流が無くても、急激に沈降する湾・・・例えば駿河湾なんかは一歩踏み出しただけで 海底に吸い込まれる潮流があって非常に恐ろしいおもいをしたことがある。 藁を掴む思いで、手に当たった「何か」に縋って岸に泳ぎついたらそれがドザエモンで大騒ぎになった。 以来、海では泳ぎたくないし、泳いだこともない。 マルタダトオモッタンダヨorz
命の恩人だな。
海水浴で何で玄界灘を泳いでるんだよwww
615 名無し三等兵 [sage] Date:2009/06/23(火) 00:13:43 ID:??? Be: うちの大学の健康科学部の先生が、夏場学生をプールに 1時間入れたままどのぐらいカロリーを消費するか実験してたな。 結論から言うと、水中での運動によるカロリー消費よりも、 体温維持に使うためのカロリー消費の方が大きかったそうだ。 水温は20度以上あったにもかかわらずね。 ある時間から心拍数が上がり、体中が体温維持のために活性化。 夏場外で運動するより、よっぽど効率的に痩せられるそうだ。
20度でも体温に比べれば全然足りないしな ガキの頃学校のプールのたびにガチガチ歯を鳴らしてたのを思い出した
同じく。 ガリだったから、水に浮かないわ、歯の根は定まらないわ、ものすごい疲労感はあるわで、 あんまりプールの授業は好きじゃなかった。 最初に「こうすると水に浮きます」というところで、水面から5センチくらいのところまで微妙に沈む自分・・・
昔、バイク乗りの知人が夏でも高速使ったツーリングは皮つなぎ着ても 体が冷えて1時間以上連続で走るのはつらかってって言ってたな
1944年6月15日、小笠原諸島を空爆する為に、Joseph J. "Jocko" Clark少将率いる 第58.1任務群と、William K. Harrill少将の率いる第58.4任務群が投入された。 任務は成功裏に終わり、マリアナ沖海戦に参加した後、再び6月24日に、Clark少将は 部隊を展開させた。 こうして幾度となくClark少将は小笠原諸島を爆撃したので、米海軍内では、小笠原諸島 の事をJocko Islandsと呼ぶ様になり、海軍の飛行士達は、「硫黄島、父島、母島、聟島を 選べる様に」列挙した「Jocko開発会社」の株券を発行した。 最初の株はChester W. Nimitz大将が受取り、2枚目は"Jocko" Clark少将自身が受け取った。
>>546 戦費負担の国債でしょ。
アメリカも戦費でそのころ国がきつかった
>>546 どの島を開発するか、従業員である兵士たちに対し、株主として指示できるってことじゃない?
>>547 なんで戦時国債を海軍の飛行士が発行するのさ?
よく知られる「ナチス」「ナチ」との呼称は本来、敵対勢力がつけた蔑称で当時の ナチス党員は「NSDAP」「NS」と自称するのが普通であった。 だが日本は戦前からナチスが一般的で同盟国になってからもこれは変わらなかった。
WW2もののFPSやってると接敵するたび見方が「ファシストー!!」と叫ぶんだけどこれは当時一般的じゃなかたのかな
海か、レスキューランク取った後、ダイビングして、潮流に巻き込まれてインストラクター共々沖にながされたか事あったなぁ、アオザメとばったり遭遇するより怖かった 海軍屈指の反骨家である井上成美…噛みつく姿勢に多くの将官は嫌っていたが、伏見宮は思想的には相容れないものの井上を高く評価しており 井上をいいポストにつけたのは彼のお陰でもある 日本の政治家にもこれぐらいの器量はほしいなぁ
草鹿任一も阿川の井上の伝記では対立してたみたいなこと書いてあったけど、 井上の入院費用を集めるのに奔走したってwikiには書いてあるね。
伏見宮は井上のことを、自分の意見をころころ変えない気質としては最高の軍人と言ってたな
スエズ運河火炎化計画 イスラエル軍はエジプト軍のスエズ運河渡河を阻止するため、運河水面上にナパームを撒いて火炎化させようとした しかし潜入したエジプト軍がパイプをセメントでふさいだりタンクを破壊したため計画は失敗に終わった。
南遣艦隊旗艦であった香椎に座乗していた南遣艦隊司令長官小澤治三郎中将が、太平洋戦争 直前、南西方面艦隊司令長官となり、旗艦も重巡洋艦鳥海に移動した時のこと。 旗艦変更が完了し、先の乗艦香取が次の任務に向かって出港していく。 その際、『軍楽隊は直ちに前甲板にて香椎の偉勲を讃え、軍艦行進曲を以て送別せよ』と言う 命令が出され、通常後甲板に待機する軍楽隊は、士官専用の甲板だが、香椎に最も近い甲板 に移動し、そこで軍艦行進曲を奏で始めた。 香椎では艦長以下、全員がハンカチまたは艦内帽を懸命に打ち振って別れを惜しんでいた。 更に、この命令が出されて、彼等の近くで軍艦行進曲が奏でられると、一同更に感激し、香椎 乗組員は全員泣きながらの別れていったと言う。
山口多聞は、アメリカ大使館付武官としてのアメリカ出張中、 あんこの缶詰を日本から土産にもらい、一日で一缶の半分食べた…と奥様への手紙に書いている。 鈴木貫太郎は練習艦隊司令長官時代に、演習で海に不時着していた大西瀧治郎と他一名を救助した事がある。 大和は原案では30ノット以上の速力の空母随伴用戦艦として軍令部では検討していた。 が、ご存じの通り27ノットになってしまったため、当初の目論見はおじゃんになった。
悲劇の将軍 本間雅晴は中学時代 懸賞小説に応募して一等に当選、三十数回にわたって新聞に掲載されたことが有る。
(・Å$)スレたいに反して、脇道知識詰まった良スレぢゃなここ
「信じられないが〜」雑談スレとして利用されている以上 芸能人の乳首並に重要だね。
巡戦改装空母赤城は、大正14年段階では満艦飾は不施行だった。 理由は「一部の旗が帰着甲板にたれてしまい、不体裁だから」。 大正15年になってから、支柱を立てて何とかする方法が考案された事で、 航空母艦も満艦飾が施行できるようになった。
知っている人は、またそれかよなので、スルーヨロ。 昭和17年5月、場所はラバウル。 「坂井、西沢、太田!貴様ら、重大な軍紀違反だぞ!」 そう言って小園副長は3名を激しく叱責した。 この3名がかねてより共謀し、秘密裏に実行した「ある事柄」が 意外な形で発覚するに至り、副長より有難く大目玉を頂戴することとなった。 また、副長の口から、発覚した理由、及び「ある事柄」を実行した際に なぜ「歓迎」を受けなかったかも聞かされることとなる。 発覚した理由は、ラエに単機で飛来した米軍機より投下された果たし状に 事の顛末が記載されていたため。「ある事柄」とは、空戦終了後に 坂井機、西沢機、太田機の3機で集結後、敵セブンマイル飛行場上空まで 勝手に進出。飛行場上空三千米で3機編隊による宙返り3回、さらに西沢一飛曹の 発案により同一千米まで高度を下げ再び3機編隊による3回宙返りだった。 また、副長曰く果たし状には以下一文。 「今度来訪される時は、グリーンのマフラーをたなびかせて来られたし。 大いに歓迎する。」 かつて日米交流の舞台となったポートモレスビーのセブンマイル飛行場は、 パプア・ニューギニアの玄関口ジャクソン国際空港として今も健在。 成田からニューギニア航空の直行便で6時間25分。日本との時差も約1時間。 詳しいお問い合わせはスペシャル・F…ではなく各旅行代理店へ。
>>561 俺が消防の頃読んだ本には、笹井中尉に大目玉喰ったって書いてあった気がする
本間中将は終わりが悲惨すぎる 牟田口は生きて復員したのに・・・。
>>562 小園副長、笹井中隊長の御両名から雷が落ちてる。
そういえばここはまとめサイトないのか
ノモンハン事件で予備役編入された荻洲立兵は、戦後は渋谷の道玄坂でスポーツ用品店を経営。
海軍貴族 陸軍乞食
帝国海軍の救難ボート(零戦等)には、釣り針と糸、そしてお魚図鑑が備え付けられていた。 其のお魚図鑑の作者は、サザエさんの長谷川先生である。
ヘェヘェヘェ-
多分、結構知ってる人も居ると思うけど イタリア空軍ピッキアテリ(Ju87スツーカの伊愛称)操縦士ジュゼッペ=チェンニ大尉は 数が少ないピッキアテリで如何に戦果を上げるかを考え、「チェンニ」戦術なる物を考案した。 彼は41年4月4日地中海上でそれを実行し、見事ギリシャの貨物船を沈める事に成功した。 で、その「チェンニ」戦術、要するに「スキップ・ボミング」であった。 彼(とその仲間達)はその後、独軍の裏番組で目立たないながらもせっせと英駆逐艦などを撃沈してましたとさ。
アメリカ海軍士官学校にはマスコットキャラクターがあるのだが、 生きている動物がそれになり、山羊のビル・ザ・ゴーツが代々 その役割を担っている。 初代マスコットキャラクターは1847年に就任したネイビー・モンキー という猿ではなくてゴリラだった。当然生きたゴリラ。 その後は猫やブルドック、伝書鳩など色々だったが1904年に 山羊のビル2世からは代々山羊となった。 初代ビル1世は1893年にマスコットになった山羊で、当時はエルシド というのが本当の名前だった。ビル王朝建設に伴う贈名といえる。 現在は三十六代目マスコットキャラクターにビル・ザ・ゴーツ33世が 就いており、ちゃんと後継者の34世もいる。 なぜここまでビル・ザ・ゴーツにこだわるのかというと、アナポリスと ウエストポイントとのフットボールの試合でアナポリスは連戦連敗。 1893年に初代ビルI世の時代に勝利したがまた連敗続き、1904年に ビルII世が就くと再び勝利し、山羊のマスコットだと勝てるという 神話が作られたからである。 このためアナポリスとのフットボールに勝つにはビル・ザ・ゴーツを 倒すしかないと誘拐事件を幾度となく発生しており、最近では 2007年にウエストポイントの学生により、海軍兵学校酪農場が 襲撃された「偉大な羊飼い」作戦がある。
1945年11月3日、敗戦時トラック島に残っていた第4艦隊司令部付軍楽隊が最後の演奏を行った。 1944年8月、第4艦隊司令部付軍楽隊は既に楽器を掘建て小屋に仕舞い込み、軽機関銃2梃を主力とする 応急陸戦隊と成っていたが、敗戦後、進出してきた米海軍側から演奏要請があった為である。 隊長は再三断り続けたが、米軍側も要請から依頼へと変わって来たことで熱意に絆された。 その依頼とは、「事情は分かる。この時期であるから、言い演奏が聴けるとは思わない。戦争が終わったが、 お互い身も心も疲れ果てている事は判る。だからこそ生の音楽が聴きたい。日本の真珠湾とも呼ぶべき トラックで日本海軍軍楽隊の演奏を聴きたい。その最後の生の演奏を聴きたい、いや聞かせて欲しい。」 と言うもの。 11月3日の夜、司令室で日米双方の幕僚達の懇談会が行われた後、日本側の原長官を先頭に、米軍側の 司令官が続いて、幕僚達が演奏体形を組む軍楽隊の回りに寄って来た。 椅子席もあったが、それは一切無視して演奏体形を囲んだ。 譜面台は錆び付き、ボロボロの楽譜を留めたクリップも錆びていたが、先ず2〜3曲、米国の曲を 演奏した。 ところが、米国側から「折角だが、米国ものは国に帰ればいくらでも聞けるから、日本のものを是非 聞かせて欲しい」と要望があり、先ず、『さくら、さくら』、続いて『軍艦マーチ』が演奏された。 それを聞いていた米国側の幕僚達は一斉に行進を始めた。 右回り、左回り、そして無造作に…。 そして、大きな声で「ここトラックを守備した日本軍の皆さん。あなたたちの連日連夜の奮闘ぶりは 立派でした。戦争は、お互い、祖国の為で仕方のないことでしたが、もう戦争は終わりました。 あなたたちは近いうちに、懐かしい内地に帰れます。でも、内地は大変荒れています。 内地の皆さんにも、頑張る様に伝えて下さい。これからはみんなして、力を合わせて二度と戦争が 起きない様、世界の平和の為に…」と日本語のスピーチを口々に行った。 最後に、挨拶を終えると、『蛍の光』が流れる中、米国の幕僚達は手を振って自軍陣地に帰って いったと言う。
>>572 全米が泣いた
三笠を残せたのもニミッツ提督のお陰なんだよな。
三笠の艦旗をソ連に渡そうしたたハルゼー提督にストップをかけ、米軍の老朽艦をスクラップにして三笠復旧に充て、自叙伝の売り上げも寄付してる。
東郷元帥は偉大だな。
犠牲者がいるので、
手放しに美談とは言えないけれど…
もしこれ相手が中国だったら、こんな話しは絶対にないな。
15年戦争時、中後期以降中国の捕虜への扱いはかなりシッカリしていた件について。
>573 >もしこれ相手が中国だったら、こんな話しは絶対にないな 中華民国以前の話なら いくらでも出てきそうだけどー まぁ言わずもがなですかw 人民の共和国は地獄だぜ〜(AA略
>>573 数億人の人口でかつ複数の民族で成り立ち広大な面積があり、統一政府が存在せず群雄割拠な状態だった地域
について、「絶対」ないと断言しちゃうのは相当恥ずかしいかと。
良し悪しは別にして、中国の数分の一の人口で統一政府が存在し基本的に単一民族である日本の社会でエリート
官僚といわれる外交官の杉原千畝という人物が、国家の意思に反した行動をした事例があったんだよ?
日本の官僚組織でさえ、目が届かないところでは国家の意思より自己の考えを優先した事例があったというのに
当時でも日本の数倍の人口があり統率が取れていなかった中国で、そうした事例が「絶対」にないと断言する
ためには、タイムマシンかよっぽどの偏見が必要かと思われ(苦笑
中国シンパ乙
異民族排斥と虐殺で死山血河を紀元前からやってるからな〜 人の命が古新聞並の国で美談なのは三国志位じゃね? 個人で言えば残留孤児を引き取って育てたとか該当するのも有るけどさ。 よくいく店の中国人が、是非一日だけでも良いから故郷に来てくれって言うから 上海に行ったら、三日三晩宴会になって一族挙げて迎えてくれたんだけど 今思うと、よく歴史の話しとかロケット技術の話をしたりして、意見を本気で ぶつけたのが良かったのかと思う。まぁ、個人レベルで言えばいい奴は居るってことで。
軍楽隊関連の小話もっと聞かせて
>573 >もしこれ相手が中国だったら、こんな話しは絶対にないな オレの無くなった祖父の在籍した部隊は国民党軍に武装解除されたそうだが 捕虜虐待も無くいい話もなくそれこそ淡々と事務的に昭和20年の10月末に 本土に普通に帰れたそうだ。
敗戦後、海軍軍楽隊の面々は様々な方面に散っていったが、楽器を持って復員した 者が多く、勢い、戦後は楽器を使う職業に就く者も多かった。 有名な人では、原信夫とシャープスアンドフラッツのバンマス、原信夫。 彼は、昭和18年志願兵として海軍軍楽隊に入隊し、敗戦後、海軍毛布1枚とアルトサックス1本 を持って復員した。 しかし、半年後、軍楽隊仲間から上京して音楽活動をしないか、と誘われて再びアルト サックス1本を持って上京。 近衛秀麿率いる東宝交響楽団の試験を受けた直後に、ジャズをやってた同期生に ばったり出くわし、以後、ジャズの道にのめり込んでいったそうな。 1967年、彼が美空ひばりの『真っ赤な太陽』を作曲した年。 ニューポート・ジャズ・フェスティバルに日本のビッグバンドとして初めて出演することに なったが、その演奏を舞台袖で聴いていた聴いた名トランペッターのディジー・ガレスピー は、「また日本軍が攻めてきたよ!」とジョークを飛ばした。 実際、翌日の新聞には『原信夫とシャープスアンドフラッツの演奏は、我々に真珠湾の 攻撃を思い出させた』と書かれたそうな。
眠い人の話は、いつ聞いても良い話ばかりだな。 そういえば、シャープアンドフラッツは今年で活動中止だと言う話ですね。
583 :
名無し三等兵 :2009/07/26(日) 13:10:33 ID:9OxgqYI2
あ?シャープスアンドフラッツだクソボケが なめてんの?死ぬよお前
>>582 もう一回書き直せやゴミが
584 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/07/26(日) 15:18:11 ID:8eY5VBeX
>581 指揮者の岩城なにがしという人の書いた本に、「戦後日本の音楽を作ったのは旧海軍だ」と いうフレーズがあった記憶が。 旧海軍軍楽隊の隊長が「どうせ戦争も終わったし、楽器持って帰っていいよ」といって全員が 楽器を持って復員したとか。 ・・・本来なら、官品なので、それ相当の処置が必要なのでしょうが。 戦後の混乱期ならではの話ですよね。
>>583 ファンの人、乙
もうすぐ生で聞けなくなるから、気が立っているんだね。
>>554 俺の呼んだ本には
実験してみたがつかえね
ということでイスラエル側は存在を忘れていたらしい
が、エジプト側は水面に上がる火を見て大変な脅威に見えたらしい
ヒゲとキスカ島撤退作戦で有名な木村昌福提督 兵学校時代の成績がほとんどビリだったのは有名だが、勉強もせずに 彼は一体何をしていたのかといえば、柔道、柔道また柔道の生活。 その後も普通の士官であれば兵科学校や海軍大学校に進むのに、 柔道に熱中しすぎて一つもマークを持たないのに、講道館七段の 実力者になっていた。 人望の厚い木村提督ではあったが、暇さえあれば柔道の練習をし、 通りかかった人に誰ともかまわず柔道やろうと言ってくるので、 部下や同僚はけっこう困っていたらしい。
通りかかっただけでって危ないw
==コラム「樹海」==
日系初の空軍総司令官に上りつめた斉藤準一大将に、十分間ほど取材する機会が
あった。途中、私が質問するポルトゲースの下手くそさに見かねて、「日本語で質問
したらいい」と言ってくれた。普通はそれを理由に取材を打ち切られそうなものだ
が、逆に助け舟を出され、有難くて涙が出そうになった。もちろん返答はポ語で返
ってきたが▼今では日本語の講演会もこなす植木茂彬氏も、鉱山動力大臣時代に訪
日した時は、あえて通訳をつけ、片言もしゃべらなかったというのは有名な話だ。
かつて日系人が伯国を代表する立場の時は、人前で日本語を使わない時代があった
▼今はグローバル化のご時世であり、エリートが人前で英語、スペイン語をしゃべ
るのはカッコ良い時代だ。日本語も日系人の国際的素養の一つとして認められつつ
あるだろうが、斉藤大将のとっさの気遣いには、記者として痛み入るばかりだ▼か
つて大将の妹のルーシーさんから「兄は十二の巻まで終えて邦字紙を読んでいた」
とも聞いた。エライ日系人の大半は日本語とは縁の遠い世代になりつつある中で、
数少ない日本語理解者だ▼桜の植樹をした際、大将はエンシャーダを手にした後、
「昔はこうやってアメンドインの種を植えたんだよな」と懐かしそうにプランタデ
イラを動かす仕草をしていたのが印象的だった▼福島県人会の元会長・桜井仁さん
は、斉藤さんが十七歳で聖市在住の頃、一緒に東山銀行で四年ほど働いた仲。半世
紀以上の付き合いだという。「エライのに威張らないところが偉い。五十年前と同じ
付き合いしてますよ」と笑った。他のおエライみなさんにも見習って欲しいものだ。
(深) 2009年07月17日(金)
ttp://archive.mag2.com/0000094310/index.html 今のブラジル空軍のトップって、日系人なんだ。知らなかった。
本日は長岡空襲があった日なので、それに関するローカルな話を。 この空襲により、新潟県長岡市は中心市街地が焦土と化したんですが、 ここで使われたのは主に焼夷弾です。 しかし、市内に3か所だけ爆弾が落ちた所があり、 たまたまそこにあった天皇皇后両陛下の写真、役所の戸籍、市長などの礼服が 灰になってしまいました。 不思議なのは、落ちた爆弾は1か所につき1発だけで、 その周辺では爆弾は1発も落ちていないんです。
本日深夜 NHK総合 00:45 証言記録・兵士たちの戦争 ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 1・29 戦場の少年兵たち・沖縄県・鉄血勤皇隊 視聴or録画すべし
NHKか お断りします
見ずに判断するのは情報の軽視も同然 軍板住人として正しい態度ではない
あの朝日新聞だって、「カラシニコフ」みたいなまともな本を出してるしな
> NHKか 他の局ならいいというものでもないがな
NHKは支那の犬 反日侮日宣伝を行い日本人から騙し取った金で支那朝鮮に何十億円も送金して 日本を脅かす兵器の金にしている売国奴の集団 NHKは今すぐ解体しスパイとして全員処刑すべし!
>>592 が必見であると判断した理由と見た感想が必要である
600
インパール作戦に参加したある部隊には反省のテントというものがあった。 敵陣地攻略に失敗した指揮官(大隊長以下)を押し込めて弁明の機会を与えない為。 で、大して増援をつけないまま前線に突撃させ結局またテントに戻って来るの繰り返し。 戦死するか、いつまで経っても生き残っている場合更迭したりしていた。
インパール作戦などが人気だが怪しげな愚かな日本軍のネタは 大概が戦記ブームの頃に週刊誌で作られた
インパールネタなら 牟田口司令官が自決すると言って、これに対し自決するといって自決した人はいない云々 と言ったとされる藤原参謀だが、その頃マラリアにかかっていてそれどころではなかった。
この手の話って芸者を連れていたとか、酒や金銀財宝を持ち出して逃げた って似たような話ばかりだけど元ネタなんなんだろうね?
戦後にねつ造されたのを別にすると、 多いのは前線将兵の噂と、連合軍の謀略ビラだろうな。 たしか山本七平あたりが書いてたが、戦場の将兵に流れやすい噂はパターンがあって、 ルソン島東海岸へ向かえみたいな転進命令とか、救援船が来るという話、 司令部では美味いもの食ってるとか、スパイが出てるから注意しろとか。
芸者だ、酒飲んだくれてるだってのは連合軍の投降ビラからだけど、 作っていたのは日系人や投降した日本兵だから、歌舞伎や講談から 高師直みたいな悪人を模して作ったんだろうかねえ。
まぁ でも本当の事を書いて 「司令官閣下は社を建立し、毎日大声で戦勝祈願の祈祷をしておられます!!」 って、内容のビラ巻かれても、士気は下がるな
>>607 「敗色濃厚と見るや司令部の裏手に祭壇を築かせ、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願の祝詞をあげていた」
という全く同じ文章が大量に出るけど、引用元って何なんだ?
たぶんwikiからコピペされて拡散したっぽいけど
ジャワ島上陸戦でのこと 日本軍はオランダ軍の爆撃で倒れた電柱を道路の邪魔にならないように木の股や民家の屋根に立掛けていた。 その内やって来たオランダ軍機は電柱めがけて集中攻撃 自分で倒した電柱を日本軍の高射砲と勘違いしたんだとさ 日本軍はマラリヤやデング熱予防の為、多量の蚊取り線香を携行していた。 ある部落に一時集結した際、風上にある木に蚊取り線香を吊るした。 オランダ軍機はこの火をタバコの火と間違えてそこばかり攻撃していたが日本軍に被害はなかった。
>>608 文章がかなり違うんで、引用にはなるか微妙だが、
「責任なき戦場 インパール」(NHK取材班)P209にて触れられている。
(食糧不足と下痢でみんな疲れている中で、毎朝男の怒声が聞こえるので、あれは誰だと
問いただしたら軍司令官だったという落ち。)
また、同所P224-225の行に、
>>603 のもの同じと思われる内容が書いてある。
こちらは腹を切るべきか藤原参謀に相談した牟田口に対し、同参謀が
「そう相談されましたら、私は幕僚の一人として閣下が腹を切るのを止めなければ
なりません。腹を切るなら黙って切ってください。」と答えたもの。
この記述は中井悟四朗中尉が7月頃の第十五軍司令部内で目撃したもの。
自分は藤原参謀と牟田口司令官の遣り取りはこのパターンしか知らず、
>>603 の
話は初めて聞いた。
どちらで聞かれたのでしょうか?
>>610 NHKがこれを調べて番組作ったか知らんけど、出展の原本は歩兵第六十七連隊文集
その文章には「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません」と。
高木俊朗なんかはこれを引用している。
祭壇がどうこうというのは覚えてないけど、病気で寝ていると呪文を唱えているのがいて
五月蝿いと思っていたら司令官で、神頼みをしているようじゃもう負けだと思った
というのも中井中尉の証言だったはず。
インパール作戦失敗の責任を問われると、 「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」 と語った。 昭和40年、北九州市でインパール作戦戦没者合同慰霊祭が催された。 「最前線の三人の師団長がつまらない人物だったので、早く更迭しておけば勝っていた」 と語った。 ここまで無責任だと、いっそすがすがしい。
ジンギスカン作戦と称して補給なしの無謀な作戦を実施して、前線で兵士が餓死しているのに 補給をさせないで料亭を作らせて芸者を呼んで遊んでいた屑の中の屑。 葬式に勝手に押しかけて自分は正しいとわめきちらして葬式を滅茶苦茶にした。 自分が死んでも自分は悪くないと責任転嫁をするパンフレットを葬式で配った。 死んでも屑だった。
戦史上最悪最低のジンギスカン作戦で多くの兵士を殺しておいて、戦後に作った店の名前はジンギスカン 絶対に自分の間違いを認めなかった。
>>615 それってホント?
ネット上のウワサでしか見たことないんだよね
「空挺降下」には「自動索降下」と「自由降下(Free Fall)」があるのは御存知のとおり。 この「自由降下」は"HALO"(High Altitude Low Opening:高高度降下低高度開傘)と 軍事用語で訳される。 ところが〜 この「低高度開傘」が誤解され?よく軍事本などで地上「ぎりぎりで」開傘なる解説がある。 実際には自動索降下が1,100ft(340m)で降下、300m付近では開傘完了するのに対し HALOでは2.5Kft/(自衛隊では3Kft/約900m)での開傘開始で"約3倍"も高い。 ところで現在はHAHO(〜High Opening)が主体となり、酸素マスク・防寒具・GPS使用で 数万ftから降下、数秒で開傘。高度を活かし十Km単位を滑空して潜入するような 「オフセット降下」が主力になっている。 ちなみに自衛隊では、それを目指す実戦的「集成部隊派」と未だHALOでデッドセンター 狙いの「スポパラ派(スポーツパラシュート派=武装降下も降下後の演習も嫌い)」に分れるw。
>武装降下も降下後の演習も嫌い 嫌いで済んじゃうのかwww
本日深夜 証言記録・兵士たちの戦争 ▽00:45 人間魚雷・悲劇の作戦・回天特別攻撃隊 ▽1・29東部ニューギニア・絶望の密林戦・宇都宮239連隊
昭和11年、満洲ハルピン近郊、鉄道第三連隊 列車運用の訓練として満鉄から大型貨物用機関車と貨車の一編成を借りていた。 ある日、新兵が貨車と接続させようと機関車を後進させたところ 目測を誤りガシャーンと思いっきりぶつけてしまった。すかさず 「貴様ーッ!満鉄を潰す気かーッ!」と指導員に怒鳴られるがその後が来ない 実は指導員は鉄道連隊出身の予備下士官で新兵達の三期ほど先輩にあたるのだが 今現在は満鉄機関士、指導とはいえ立場上、民間が軍人を引っ叩くわけにはいかないのだ。 指導員の握っている工具を見て、新兵達は彼が現役でないことに心底感謝したそうな。
撤退の時機を逃したら居座るしかないな
敗戦後、「連合軍が南方の未復員日本兵帰還促進の為に音楽経験者を募集している、 しかも、楽器は米軍から支給され、衣食住一切米軍持ちで、半年で10万円になるぞ!」 と言う話を聞き、付いていったら南方に上陸用舟艇で連れて行かれ、そこで楽器を 演奏する仕事だった。 そうして18名が採用され、隊を組んでみると曲がりなりにも音が出て、民謡や童謡も 吹けたので、1946年8月に出港し、グアムを基地として、コロール諸島周辺で演奏を 行った。 それは、洞窟に隠れた日本兵に向け、「日本の兵隊さん、戦争は終わりました。」と 宣撫工作をする仕事だったのだが、ペリリューでは事情が違った。 ペリリューでは日本軍12,000の守備隊に対し、14、5万の米軍が侵攻して10万余トンの 弾薬を撃ち込んで、日本軍玉砕と判断し、2,000名の守備隊を残して次の島に移った。 その守備隊は2ヶ月後には200名に減り、既に終戦となっていたので、安心していたが、 夜間守備兵6名が殺され、糧秣倉庫が襲われて食事も出来ない有様。 慌てて掃討作戦を行ったが、火炎放射器を掩体に向けて放射しようとしたら別の掩体から 射撃を受け、では、とその防空壕に赴くと、今度は別の防空壕から射撃されるなど被害続出。 で、体の良い帰還促進名目で、彼等が投入されることとなったが、音楽を鳴らすと、「この、国賊」 と言う声と共に小銃弾が飛び交う始末。 18人の内、契約期間が切れたので6人だけ残り、再び彼等と対峙することになった。 その後、話し合いの結果、残留兵は64名、陸軍16名、海軍6名、設営隊軍属42名に、女性1名が いたことが判った。 1週間後、戦犯には問わないとの条件で投降することになり、彼等は投降したが、500名分の糧秣 と被服、自動小銃200梃、缶詰、メリケン粉、油など、彼等の衣服は全て米軍から分捕ったもので、 日本の固形味噌は200名分の缶で20缶もあったそうな。
625 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/08/08(土) 12:55:17 ID:UI5sNmPR
しょうもない知識 陸自のドライバーは、灯火管制で真っ暗な中で車を操縦していても、曲がるときにはウインカーをつけてしまう。 ロータリースイッチで、ウインカーそのものはつきませんが、助手席で見ているとウインカーのレバーをきちんと 倒してしまう人が多いです。 で、曲がり終わってハンドルもとにもどるときに「かちんっ!」といってウインカーレバーが戻るのが面白いです。
昔、旅先の田舎で聞いた話に交通違反をした車がパトカーに追跡された、 夜は真っ暗なところでランプを消すと何も見えないようなところだったので 交通違反をした車をした車は土地勘があるので灯火をすべて消して逃げようと したけど結局パトカーに捕まった、どうして追跡できたのかと警官に聞いたら 曲がり角でウインカーを出してたので追跡できたって話があった。
627 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/08/08(土) 19:54:30 ID:UI5sNmPR
>626 通常の車では、ブレーキランプは消せませんから・・・
しばらく見ないうちに緑が腰低くなってる件
>>627 特攻の拓ってマンガでそんな話があったな
珍走団のマンガだから軍事とは関係ないが
夜間の銃撃戦か脱出するのに らライトカットシステム+暗視装置はとっても便利
敵もNV持ってて撃たれまくると
>>633 で、コタツで敵味方構わずくつろぎだすんだな?w
ネタとして究極超人あ〜るは軍板の常識だなw
やは、謎の怪光線が出ました・・・
>>626 知っているヤツはサイドブレーキだけで減速して、
コーナーを曲がったら、
後ろのパトカーがコーナーで刺さって逃げ切っていたな。
『海軍反省会』という本(この前テレビでやってたやつ)で、 秋山(真)は、晩年プラムで頭がやられていた、 という話しが出て来るのだけど本当だろうか。 何か、納得出来る気もするのだが。
終戦時の上海陸戦隊の保有していた軍鳩は140羽
642 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/08/13(木) 21:08:56 ID:Xy5faCeo
しょうもない知識だが 陸自の保有している消火器は全部施設科物品 あと、隊舎の前に置いてある靴洗い機も施設科物品 消火器は、車輛用に積んでるのも施設科物品なので、耐用年数過ぎたら業務隊に請求 出します。
>>642 しょーもね、しょーもね。で2しょーもねです。
なんでも新潟県長岡市の三尺玉を、ハワイの真珠湾で打ち上げる計画が存在するらしい。 それが事実だとすると、原爆ドームの脇で黒い煙の花火を打ち上げたり、広島の空に”ピカッ!”と描くのと同じぐらい 趣味が悪いような気がするんだが・・・
きっと打ち上げる三尺玉の名前がファットマンっだったりパンプキンなんだな。 で、中心核はぷr・・・・
インプロージョン型の花火があるなら見てみたい 歌丸です
AK47を設計したとき、カラシニコフは、ミヒチムという偽名を使っていた これは、次期主力小銃の競争試作の際、選定委員が、設計者の過去の実績に惑わされないための措置である
649 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/08/17(月) 10:11:40 ID:RQL2yQWa
>648 ようロスケの小銃をカラシニコフっていうが、考えてみれば「村田銃」みたいなもんなんだなあ。 飛行機に至っては「鈴木ー21 フィッシュヘッド」とか言ってるようなもんだし。 だせぇ・・・(笑)
>>649 米陸軍がアップを始めたようです。
また、
陸自装備品の公式ニックネームをつけた連中が調子に乗り出したそうです。
651 :
名無し三等兵 :2009/08/17(月) 11:11:03 ID:DU4PF09a
豊臣秀吉は6本指だった
>>649 一歩間違えば山中式戦車が誕生しかねなかった国があったな。
そういえば、日本の長距離飛行記録機A-26は、 ”朝日新聞 紀元2600年” の略なんだよな。
>>649 細かいがフィッシュヘッドではなく
フィッシュ"ベ"ッド
さらに言うとロシアではその名は公式には使わない(最近じゃ企業側がNATOコード使ったりするけど
しっかりしてよコテハン
>>649 Migは二人の苗字をたしたものだから
「鈴木ー田中 21」じゃなかろうか
>>648 カラシニコフがAK-47の設計をしていたとき、下図の清書などに当たっていた製図工は、後のカラシニコフ夫人。
>>654 いいんだよ緑はあれで。
最近緑の言葉遣いが丁寧なので、そろそろ死ぬんじゃないかと思ってる。
658 :
名無し三等兵 :2009/08/17(月) 23:01:26 ID:sZkiYyoQ
一方米では”フィッシュヘッド”などと言うジャップのことを嘲笑しているのであろうな
鰯の頭も信心だ。
アメリカでは日本の憲兵隊というものが過大評価され、 風船爆弾や731部隊や化学兵器開発などは、あらかた憲兵隊が主導したことになってる。 「特別調査隊」など、日本語文献には見られない憲兵隊の一大組織があったことになってる。
予算取りのために敵は強く、大きくなければならないのさ。
悪の秘密警察/諜報組織は独裁国家には必要不可欠だからな。気持ちは判る。
あと調査のために事情聴取を受けた憲兵の中にも 思いっきりフカシを入れたり。ホラを吹きまくったヤツも いたんだろうな。
生きる為だ。 なんでもアリだろう。
ああ、でも外国文献とくると有難がる日本の風潮では、 そういう変な情報が輸入されて定説化するのではないかと、ちょっと怖い。
焼いちまった自業自得だな
>>664 見栄っ張りで、自分を大きく見せようとして
なおかつオダテと脅しに弱い自分のような人物だったら
思いっきり大嘘こくだろうなあ、と思ったんです。
古代の遺跡や古文書、木簡が発見されるたびに
オレだったら後世を混乱させるために
大嘘書きまくるのになあ、と夢想していたものですから。
お前は仕事で書類作るときに大嘘書きまくるのかと
事実書くだけで精一杯です。
納期だけは捏造です
うちの県に隣県から肝が密輸されているようで、たまにとっ捕まっている。 いろんな店で毎年食ってるが本物なのかは?俺は知らん。
672 :
671 :2009/08/19(水) 19:55:15 ID:???
誤爆したようで失礼。
何の肝か明かしてくれないと夜も眠れない
フグだな。俺にはわかる
第2次大戦中、連合軍にとって、ノルウェーにいた独戦艦ティルピッツは、常に悩みの種だった。 そのため、連合軍は様々な方法で、ティルピッツを葬ろうとしていた。 そうしたアイディアの中に、生きたぬこを使う爆弾があった。 ぬこに爆弾とパラシュートをくくりつけ、ティルピッツの上空から投下すれば、 水の嫌いなぬこはティルピッツの甲板を目指すはずで、つまり、 ほぼ確実にティルピッツに爆弾を命中させることができるのだ。 どう考えても冗談としか思えないアイディアだが、 発案者がある米上院議員を味方に付けたことで計画が具体化。 もちろん専門家たちは大反対したが、上院議員は納得せず、結局、 実際にぬこを使って実験を行い、このアイディアが現実性に欠けることを証明したという。
失神したんだっけ 明細くんだったか漫画であったな
ティルピッツか… 味方につけたのは米上院議員でも、ブルー・ピーコックの例見るに、思いついたアホはやっぱりブリテンか?
ここは同板にあるほのぼのとした話スレよりほのぼのエピソードが揃ってるな
一方ドイツはフリッツXで戦艦ローマを葬った
231 名無し三等兵 [] Date:2009/08/25(火) 15:20:45 ID:pbroX7N+ Be: 長野出身の武将は 地形を使った防衛戦が上手い印象がある。 戦国時代の真田家、硫黄島の栗林中将…確かに言える。
>>675 猫の話
北杜夫の本に載ってたけどほらだと思ってった。
本当だったのか。
さる天文関係の祭りに参加していた時の話。 ブースの片隅に毛色の違う物を見つけたので中の人に聞いてみると、 中の人は台湾の人で、その道では有名なサイエンスライターPK氏でした。 PK氏いわく 「オーストラリアの兵器会社の社長(天文ファン)が作った物で、自分の会社の 機械で作った物。 駆逐艦に搭載している、対艦ミサイルを迎撃するGunの技術で作った。 日本円で約200万円」 と説明してくれた。 ただ説明してくれたPK氏は、英語と日本語を半々ぐらいで説明してくれたので、 上の説明で正しいかどうかは知らない。
日本語でおk
>>682 CIWSの銃座に機銃の替わりに望遠鏡とカメラ乗せて
流星とかの自動追尾
とエスパーしてみた
TEST
>>684 機械制御の機銃座をモータードライブの赤道儀架台のかわりにしたのか。
確かに精密に“目標”を捕捉・追尾してくれるんだろうが...
よほどせっかちな社長さんなのかも知れんな。
既製品のちんたらした動きがまどろっこしいぜ箆棒め!
もっとこう、座標入れたらちゃっちゃと動くモンがあるだろうがよ! とか。
この板の住人は天文関係までカバーしてるのかwww まぁ、おらもETX125を見ててCIWSみたいだとは思ったがwww
タスコ(最近名前を変えたらしい)さんが、いつも星祭にたくさんの ライフルスコープを持ってきてくれます。 雑誌で暗視装置の特集を普通に組めるのは、天文紙とミリタリー紙ぐらいです。
マジでCIWSの機銃座流用なら、200万って安杉じゃね?
盗撮系の雑誌で
>>686 CIWSとはいえ経緯儀で赤道儀並みの精度は出せないと思うのだが
まあ写真撮影じゃなくて肉眼で見て楽しむ分には問題ないか
CIWSベースの架台ごと赤道儀に載っける豪快な構成とか 堅牢な駆動部はユーザーの座席といっしょに20cm級の大型双眼鏡や 30cm級のSカセグレン式鏡筒でもラクラク操作! リモコンのコマンドエントリーボタンはもちろんトリガー式 光学センサーと連動して人工衛星や流星だって精密追尾してみせるぜ! くらいの漢気を魅せてほしいな ...流星雨とか観測した日には、ユーザーが乗り物酔いになるか、ムチウチ症に なるかも知れんが
>>693 ここは一つ、大口径ドブでクリアかつ明るい視野をだな(ry
つか天文台の大型望遠鏡でも経緯台使ってる例はあるぞ。 あの「すばる」だってそうだ。 赤道儀で重量物を高精度で動かすのはきついが、 経緯台は構造がシンプルだから大型で大重量の望遠鏡を 駆動するのはやりやすい。光軸に沿って自転する メカニズムを組み込んで、コンピュータで精密追尾すれば、 機能的には赤道儀と変わらないし。
696 :
682 :2009/09/04(金) 21:04:49 ID:???
そういえば、ブースの人は ”ゴールキーパー”と言う語に反応していたな。 バルカンファランクスの技術では無いようだ。
弩級戦艦の「弩」は、英国の戦艦ドレッドノートの「ド」である。 つまり、超弩級とはスーパードレッドノート級、 ドレッドノートを超える物の意味である。
山崎豊子の小説『二つの祖国』、それを原作とした『山河燃ゆ』のモデルは、ディビッド・アキラ・イタミと言う帰米日系人。 真珠湾攻撃後、強制収容所を経てミネソタのMISLSで教師として働き、陸軍情報部に転じて暗号電文の傍受・解読を行った。 因みに、駐独日本大使館と外務省との間の鹿児島弁による暗号会話を解読したのは彼の仕事である。 ドイツにいて鹿児島弁の会話を担当していたのは、学生時代先輩で、帰国の際の費用を用立ててくれたくらい親しくしていた 曽木隆輝で、彼は戦後、その事について詫びを入れたそうな。 こうした功績で、非戦闘員として最高の勲章であるリージョン・オブ・メリットを受章したり、マッカーサーに『孫子』を英訳する など活躍したが、1950年、39歳でピストル自殺を遂げた。
>マッカーサーに『孫子』を英訳する など活躍したが、 それまで孫子が英訳されていなかったことに驚いた
欧米での孫子翻訳のだいたいの歴史 1772年 フランスのイエズス会神父ジョセフ・アミオが中国で満州語版孫子を手に入れ 翻訳というか長いので俺様がまとめて解釈つけたという微妙なものを出版 フランス陸軍大佐E・ショレットが1922年にナポレオンが絶賛したらしいっすよと 怪しげな説を発表するまでフランス人自身が何それ状態で忘れさられる 1905年 東京にいたイギリス軍陸軍大尉E・F・カルスロップが初の通訳された英語版を出版 日本人の手を借りて翻訳したものの自身が中国語を読めないので超翻訳杉 1910年 これにぶち切れたライオネル・ジャイルズ博士が原本を正確に翻訳する事を 目指したThe Art of Warを作りあげ初の英語版が出版される 1944年 ジャイルズ版を妙約したものがアメリカで軍事科学技術シリーズの一冊として出版 1963年 サミュエル・グリフィス博士が完全英訳したThe Art of Warを出版 マッカーサーへの贈り物はこれは推測だけど、英語圏で広く読まれているグリフィス版が 出るまではジャイルズ版ぐらいしかまともに翻訳された孫子がなく、このジャイルズ版が あまりに難解すぎたためにほとんど読まれなかったからだと思う。 ジャイルズ博士は中国研究家で大英帝国博物館東洋書籍部で写本を行うなど 中国語に精通しており、学術研究のために翻訳を行ったので正確に翻訳を行う上で 人名など固有名詞は中国語の原文そのまま、英語で翻訳できない部分は中国語を 使い、注釈を読むと中国語だらけで余計に意味不明になる素人お断りという難物。 サミュエル・グリフィスという人物は米海兵隊の最終階級准将。戦前に中国大使館の 駐在武官、イギリスでコマンド訓練を受けて大戦中はガダルカナルで長距離偵察部隊を 指揮し、自身も戦闘で負傷している。言語能力に元々優れた人物で、軍人時代から 語学教官を勤めており、退役後はオックスフォード大学で博士号をとり、孫子だけでなく 毛沢東の遊撃戦論や毛沢東語録の翻訳、人民解放軍の研究など、中国の軍事関係を 知る上で欠かせない人物だった。
信じられないがスレと違って、こっちは勉強になるな。
グリフィスさんは知友兼備のスーパーマンだったわけですな
軍事専門家が訳した孫子の日本語訳が逆に読んでみたいなw 日本の漢文読み下しはこなれてて良いんだけど、それが逆に専門書 の敷居の高さをそのままにしちゃってて、入門書にはならないんだなぁ。
1972年に前漢時代の墓から『孫子』の竹簡写本が発見されるまで 『孫子』の作者は曹操ではないか?という説が流布されていた。
1972年に出土したのは『孫?兵法』じゃなかったっけ。
>>707 両方出てきているはず。それで、「孫子」と「孫ぴん兵法」が別々のものだと
確定したんじゃなかったかな。
1972年に発掘された銀雀山の前漢墓の竹簡群に記されていた物で有名どころは 後代に伝わる孫子十三篇とほぼ同じものもの 斉孫子三十篇 後代に伝わる話とほぼ同じ孫武・孫ピンの逸話 尉繚子 魏武帝註孫子は曹操が添削したもので原型とは違うというのは唐の杜牧が 唱えたものだけどそこまで有力な説ってもんでもないかなあ。 日本では何故か杜牧が曹操の偽託の書説を唱えたという話を見ることがあるけど、 杜牧は「魏武は孫武の数十万の言葉を削除や簡潔にしたから、当てにならない」と 言ってるだけなんだけどね。まあ実際に偽者の孫子があったけどw 日本では東洋学の権威武内義雄教授が唱えた。孫武の作った原本を元に孫ピンが 編纂したのが現在の孫子十三篇ではないのかという説が竹簡が発見されるまでは 有力だっと思う。 現在だと町田三郎教授なんかは竹簡群にある孫子十三篇本当に春秋時代から伝わる 物なのか?と疑問を呈しているけどね。
中公文庫の孫子の解説では、たとえば作戦篇の冒頭にある軍の規模は 春秋時代というより戦国時代のものではないかと言っている
陸上自衛隊某旅団が年に1回行う「武装走競技会」。 完全武装で演習場の特設コースを走り、タイムを競うというもので、 旅団隷下の各部隊から、部隊内でのくじ引きで選手を選抜する。 普通科連隊のレンジャー資格持ち陸曹あたりが当たると「よっしゃあ!もらったあ!」 本部管理中隊の同じくレンジャー資格持ちあたりが当たると「普通科連隊から優勝旗奪還じゃあ!」 ・・・その陰で音楽隊のWACや、会計隊の定年直前陸曹がくじ引きに当たることもあり、 そうなると完走すら危ぶまれる、悲惨な光景が繰り広げられるらしい。
>>699 吉村昭「深海の使者」に似たエピソードが出てくるけど同一人物なのかな?
へー、山崎豊子は未読だから読んでみっかな カジキサー
>>711 志願者の中からくじ引きで決めれば良いのに…
完全ランダムとか怖すぎる
志願者だらけのところと、志願者0のところが出そう。 隊員のやる気の格差が激しそう。
だから体力のある奴を集めて、偉いさんの前で「志願しないものは一歩さがれ!」とか
そこで「志願する奴は一歩下がれ!」とフェイントを入れたが為に阿鼻叫喚の大会が…
「クラリネットをこわしちゃった」の オーパッキャラマドを原語の仏語で書くと au pas camarade カメラードである
「オーパッキャマラド」は当時の翻訳者が死ぬほど悩んだ末に、上手く日本語の歌詞に出来ないってんでそのままになったとか。
なぜクラリネットにオーパッキャマラドなのかだけでも 書き残しておいてくれたら良かったんだけどねw
これは一つ賢くなった
>>723 歌詞の場合、曲に合わせて歌えるように訳さなければならないから、
難しさのレベルが上がるんじゃないか?
原詩を全く無視した超訳が付いた歌はいくらでもあるけどさ。
日本語って欧州言語に比べて単語当たりの音節数が多いから、 音節(音符)数の縛りがあると相当大胆に意訳して端折らないと 収まらないんだよな。
そしてスクリーンにはある意味大胆極まりない戸田奈津子訳が...
音楽の場合、日本語の場合基本的に音符ひとつに一音節(一語?)なのに対して 欧州各語は音符ひとつ一単語の場合が多く訳詩に苦労するって話を聞いたことがある。
「埴生の宿」みたいなイカす超訳はなかなかないわな
軍事と関係ないがついでに 「フォーレ女声合唱曲集」(カワイ)の訳は音を優先したという奇妙な歌詞 要するに空耳アワーだが、もともと原詩もたいしたことは言ってないのでアリかもしれない
第2次大戦末期、いわゆるバルジの戦いで、独軍が米軍のコスプレをした部隊を投入し、 連合軍を大混乱に陥れたことは、映画などでも有名である 一方で、これを利用し、危険を逃れた米兵も存在した ある米兵は、独軍の小部隊と遭遇し、捕虜になるか、下手をするとそのまま射殺されるかの二者択一に追い込まれた だが、彼は、流暢な独語を話すことができたのである 彼は、自分は米軍の後方撹乱の為に投入された独軍特殊部隊員だと主張した 独軍指揮官はこの嘘に騙され、米兵を解放し、この米兵は無事、味方戦線に辿り着くことができたという
戦前、日本海軍の各艦艇に描かれた平仮名の艦名。 この字の元を描いたのは、丹後出身の海軍中将伊藤雋吉と言う人。 彼は書が巧みであり、艦政局長も務めた為、この作業を行ったそうな。 因みに彼は日本最初の海図作成にも携わった他、1875年、海軍最初の遠洋航海を行ったり、 帰りにはハワイ王国の国王にも謁見している。
>>732 海自や海保のフネのも、同じ書体じゃなかった?
>733氏 あ、そうだったかもしれない。 上海事変での戦死者の戦傷部位。 頭頸部50%、体幹41%、四肢7%、全身2%。 上海事変で発生した海軍特別陸戦隊の負傷者は、約1週間以内(早い者は翌日に) 病院船その他で佐世保海軍病院に送られ、収容された。 その数767名。 うち、胸部戦傷者は400余名に達する。 頭を接線方向に撃たれた場合、直ぐにレントゲン撮影を行い、もし硬膜下、蜘蛛膜下に 空気が入っているのを認めた場合は、飛行機での搬送は空気の吸収後に行う事。 患者がショック状態に陥っている場合、患者輸送機で高く飛ぶのは不可。 (高度を取ると気圧の関係で空気を膨張させ、脳圧が上がって危険である為) 因みに、ドイツがポーランドに侵攻した際には、頭部戦傷者は飛行機でベルリンに運び、 治療を受けている。 序でにもう1つ小ネタ。 現在でも発行されている『臨床検査法提要』。 この源流は、海軍軍医学校内科学教室編纂の『生物学的臨床診断学』から来ていたり する。
撃墜したB-29の捕虜を連行する際につける目隠しをする為の布がない。 村中を探して役場の職員がやっと見つけて憲兵へ差し出した。 こんなきれいな白い布はどこにあったと憲兵さん 英霊の白木の箱を包む布と職員さん 目茶苦茶怒られたそうな
>>735 妙なところで真面目なのは日本人の性だなw
>>735 その布で米兵の目隠しをした所、その布がぎりぎりと絞まってい・・・
くわけないか。
お寺の前を通ると米兵が苦しみだすから、どういうことかと調べてみると、何とお経を聞かせると 布が縮んでいってることがわかるんですね!
禁錮呪でも唱えたのかw
捕虜は孫悟空ですね。分かります
64式の発射時のバレル内圧は3660気圧だそうで。
夏目雅子が三蔵法師に扮した「西遊記」。 当時、中国中央電視台で全中国に放映されたため、 当時を知る世代の中国人にそのネタを振ると必ずウケる。
>>742 >そのネタを振ると必ずウケる。
なんで?
>>743 ひとつには国境を越えた世代共通の話題。
ひとつには、
当時(今でもそれに近いが)中国人民が視聴できるTVというと中国中央電視台しかなく、
その番組内容たるや、国策番組そのもので退屈の一言。
そこに元ネタは中国古典であるにせよ、
エンターテイメント番組を持ち込んだものだから、人民はテレビに釘付け、
放映が終わると「見たか?」「見た」の話題で持ち切り。
d!
>>742 イギリスでも受けてたって、マチャアキが言ってたらしい。
ブリテン人のどこのツボにはまったのやら。
散々不平不満を言うくせに、すぐ捕まって助けを求める嫌がらせっぷりなんてブリテン人の 鏡みたいなもんじゃないか。
2009年1月、米国国防総省は復員兵がPTSDと診断されても、負傷兵に与えられるパープル・ハート勲章を 授与しないと発表した。 ってことはこれ以前は 「ほぉパープル・ハートをお持ちですか、どこでの戦いで?」 「イラクのファルージャです」 「激戦地ですな。どこを負傷なすったので?」 「心、です」 なんてこともあったのかね。精神カウンセラーが一大産業になってる国とはいえ……
PTSD負傷兵にはグラス・ハート勲章というのを新たに設けてあげよう
PTSDに罹るのは別に心が弱いからってわけじゃ… 逆に激戦地で戦ってもPTSDにならなかった兵士にはBTK勲章を
熊本城攻防戦勲章とかガンパレであったのを思い出した
そういうのって普通は徽章なんじゃないかね
>>751 深刻な心的外傷体験だけでは発症や症状の持続に至らないという研究結果が出てるからな>PTSD
とはいえPTSDに陥ったからといって受賞させないというのはおかしい気がするけど
そういやH&KのMP7って設計までもかどうか知らないけど デザインはwindowsマシン上でやったみたいだね。
湾岸戦争に於ける、英国軍と豪州軍の下痢率。 英国軍は69%に対し、豪州軍は36%。 植民地の方が肝が据わっているのか。 同じく米軍の場合。 3日以上用便しないことを便秘と定義すれば、家庭にいる時の海兵隊員と海軍軍人の便秘率は3.9%。 船中では6.0%であるが、戦場では30.2%に達する。 更に、便通が悪い状態に定義を拡大すれば、家庭にいる時は7.2%、船中では10.4%、戦場では34.1% になる。 1日1回以上用便する兵士は戦場では1.0%。 1〜2日で1回なら22.6%、2〜3日で1回が46.2%、4〜5日で1回なら23.6%、6〜10日で1回も6.1%おり、 10日以上用便しない兵士も0.5%いた。 何れもこれは緊張によるものだったりする。
つまり、戦争モノを書くときには腹具合を乱した兵士を出すとリアリティが増すということですね! 生理で困る女性兵士は考えてたけどそっちには頭が行ってなかったな…
リアリティ増すかなぁ・・・
>>758 "あるベトナム帰還兵はこう言っている。「戦闘シーンで主役がクソ漏らしてる戦争映画があったら、観に行ってもいいけどな」”
『「戦争」の心理学』 デーブ・グロスマン
ガンダムの話で申し訳ないが、たしか初出撃で漏らしていたな
便秘はその原因から2種類に分類される。 腸に障害がおきていて腸管が狭くなっている場合の「器質性便秘」 腸管の機能低下、または機能異常による場合の「機能性便秘」(食事性便秘、直腸性便秘、痙攣性便秘、弛緩性便秘) 具体的な状態としては、 腸の一部が締め付けられ、細くなったり遮断されたりして便が動けなくなる。 麻痺により腸の蠕動ができなくなった場所で便が動けなくなる。 過度の脱水により便が硬く大きくなり、排泄されなくなる。 便の量が少なくなり、固い塊(兎糞状)になる。 などがある。 便秘の外部的要因には次のようなものが一例として挙げられる。 食物や食物繊維の摂取が不十分なため、適切な咀嚼が行われなかった。 薬の副作用。カルシウム剤、コデインなどの鎮痛剤、鎮静剤、制酸剤、鉄剤、利尿剤(水薬)、抑うつ剤などには、副作用として便秘をともなうものがある。 ホルモンバランスによるもの。 心配事や環境などによる精神的なストレスを受けている場合に、便秘や下痢などといった消化・排泄への影響が発生する事もある。 レーションってエネルギー吸収に重点が置かれているから、食物繊維が足りなくなるからじゃなかろうか? あと、水分摂取が少なくなったり、脱水症状とかも考えられるかも。 サプリ使ってたらそれの影響もあるかも。
つ 生卵
つ ふのり
つ 砂糖水
>762 便の量を少なくするために食物繊維の量を少なくしたとかいう話も聞いたことあるような 敵地潜入する狙撃兵は下痢止めを飲んで大の方を出さずに済むようにしたりするとかも聞く もっともお勧めはされない方法だそうだが
そういえば、アポロで月に行った宇宙飛行士が、 宇宙で”大”をしなくても済むようにかなりの努力をした、と言う話だ。 最悪の場合は、腸の動きを止める様な薬を飲む覚悟をしていたとか・・・
日本海軍各艦艇の治療部門配置。 戦 艦 一等巡洋艦 軽巡洋艦 駆逐艦 航空母艦 前部戦時治療所 固有 士官室 治療室 士官室 士官次室 前部傷者治療所 固有 士官室 病室 士官室 兵員室 後部戦時治療所 固有 平時治療所 士官室 治療室 治療室 後部傷者治療所 固有 病室 士官室 兵員室 病室 中毒者治療所 固有 准士官食堂 兵員室 兵員室 兵員室 中毒者収容所 固有 搭乗員室 兵員室 − 兵員室 艦橋応急治療所 戦時(作戦室・航海室) 休憩室 − − 搭乗員待機所 前部(第1)応急治療所 下士官室 下士官室 − − − 後部(第2)応急治療所 士官(次)室 − − − − 負傷者収容所 兵員室 兵員室 − − −
ホルマリンを積んでおけば役立ちそうだ
三式指揮連絡機の最低飛行速度は時速36km
死傷者を出した艦の乗員が、屍臭を香水でごまかす話を何かで読んだなあ
何故香水が軍用艦に… って18世紀くらいの話?
>>774 いや、太平洋戦争の日本海軍の話
上陸したときに買い込んだ私物を使って、みたいな話だったが、載っていた本が見つからない
KAの為に香水買い込む海軍士官を想像してちょっと萌えた
水葬しちゃうんだと思ってたよ・・・
香水と言えば、 真珠湾攻撃の九軍神は花と散るために、 甲標的に乗りこむ際に香水をつけていた、とか言う話だな。
>779 捕虜になった一人が「いなかった」ことになったので9軍神
九軍神ではあっても、出撃時には十人とも…じゃないのか?
捕虜になることを予見して酒巻さんは香水をつけなかった可能性も考えられる。
余は列兵団の将兵を救わんとす 余は第15軍を救わんとす 軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化しつつあり、即刻余の身をもって矯正せんとす。
>>744 今はCCTVだけで13チャンネルもあるんだよなw
つまらんことに変わりはないがw
そういえば、さだまさしのコンサートが中国で視聴率100%、と言うのを 当人がコンサートでしゃべっていたな。
アメリカの武器貸与法により、イギリスに貸与された額は314億ドル。 イギリスがアメリカに年率2パーセント、50年分割で払い終わったのは、2006年。
戦争は儲かるな。。。
>>787 ソビエトへ貸した113億ドルは未回収・・・
国民政府向け16億ドルはどうだろう?
>>789 国自体が無いので関係ありません
ロシア共和国
中華人民共和国
791 :
名無し三等兵 :2009/10/16(金) 14:04:36 ID:j5jBOxMJ
>>790 国民党は飲み食いに使って・・・とは聞いたけどな。
今の大陸中国には返す義務なし。
・・・ロシア共和国ってソ連が作ったペーパーカンパニーならぬ
ペーパー国かと思ったw。今のロシアの国名で良いんだよね。
ソ連への援助はチャーチルがバルジ作戦にパニックって
お願いソ連様東部戦線で行動を起こしてください、とお願いしちゃったので
それでチャラになった、と聞いたけど違ったっけ?
そのせいで赤軍がポーランドやドイツ東半分に侵入する口実ができたり・・・で
アメリカとしては面白くないのでイギリスへの借金はまけなかった、とかなんとか。
792 :
名無し三等兵 :2009/10/16(金) 14:42:21 ID:zB/XvAEa
>>791 いや、イギリスのレンドリースの債権については分からんが、
アメリカのそれは無関係だろ。
しかも、チャーチルのお願いはあったものの、ソ連の冬季攻勢は1週間早くなったというだけで、
ポーランドやドイツの東側へ侵入する口実云々てのは、全くあり得ない話。
そんなお願いなんか別に、スターリンはポーランドの完全解放とドイツ本土侵攻をやる気まんまんだった。
アメリカに関しては、プーチン政権になってから、レンドリースの債務を分割で払うみたいな話になってなかったっけかなあ?
確か、旧ロシア帝国時代の債務とレンドリースの債務を支払い終えない限り、
それらの債務を相続しているロシアが、アメリカの金融市場で起債するのは禁じられているので、
けっこう切実な問題だという話をどっかで聞いた記憶が……。
旧ロシア帝国なら、WW1の時の日本への兵器代の支払いはどうなってたっけ?
>793 「おお忘れておった」 ゴッ おろしあが支払ったのは北方領土占領であった
>>787 焼き畑農業みたいなもんで、実際には儲かっているかどうか
あやしいけどね。
まあ戦争は回避したほうがいいのかどうかはさておき、今まさに戦争が起きているんなら、 その戦争からいかに儲けるかを考えないとな。
戦中の雑誌に英軍の大型航空機から投下される落下傘付き救命艇を紹介している記事があるがそれを 「戦いの中にあって自己の安全を第一に考える彼らの心理は、日本人には理解できない。」 と評している。
そうだよな そんな無駄な物を積む余裕あるなら爆弾を一発でも多く積めと だいたい、救命艇とかあると思うから油断が生まれるのであって 肉を切らせて骨を絶つという精神がなければ戦争には勝てんよ
これ東條、それでは人命を損耗するだけではないか?
>>797-798 ブラックバーン・ロックやフェアリー・バラクーダに載せる方が、人命軽視のような気もするが・・・
>>800 >ブラックバーン・ロックやフェアリー・バラクーダ
エンジンがもっと高性能だったらなあ・・・
ロックはともかく、バラクーダは十分高性能なエンジンですが・・・('A`)
>>802 ロールス・ロイス グリフォンか
ホーカー シーフューリーのように空冷エンジン
(ブリストル セントーラス 2,480馬力)を
積んでいれば、あるいは・・・・
バラクーダの後期型はグリフォンだったはず。 それで確か500km/hくらい出せるようになったんじゃなかったかな。
>>757 >10日以上用便しない兵士も0.5%いた。
>何れもこれは緊張によるものだったりする。
家庭で戦場並みの緊張感を味わってる0.5%の海兵隊員カワイソス
腹部に弾受けると糞がはじけ飛ぶのか 嫌な死に方だなぁ
昔見たフォークランド紛争のドキュメンタリーでイギリス兵が回想してた。 上陸後、前線に向かって徒歩行軍を始めたのだが多くの兵が下痢症状を起こし、 最初はブッシュに隠れてコソコソ用を足していたのだが、それだと部隊に遅れて しまうし、行軍による疲れと下痢による体力消耗で途中から誰もが垂れ流しながら 歩いたそうだ。でもみんなそうだから恥ずかしいとは思わなかったと。 前線に着く頃にはフラフラで、とてもまともに戦闘できるような状態じゃなかったと 語っていた。
>>804 最終型のMk.Vが2020hpのグリフォンを積んで407km/hだった。
>808 マジですか? 507km/hじゃなくて? 流石は蛇の目・・・
ぱっと見でも、異様に空気抵抗が悪いのが分かるスタイルしてるからなぁ
当初の計画ではRR”X”エンジンを予定した。エンジンごとキャンセル したほうがよかったかも。尾翼も胴体上部につくアルバコアと同じもの。 がフラップをネガティブにした際(ダイブブレーキにする時)の乱流で バフェッティングするんで垂直安定板上へ追いやられた。 マーリン30装備のプロトタイプは”複葉の祖先に比べて大幅な性能向上が 認められた”。クリーン形態なら高度2745mで水平飛行で 433km/hも出たんだぞ。魚雷積むと32km/hほど遅くなるけど。 グリフォン37搭載のMk.Vは「どうしたわけか」計画が遅れて 戦争中に完成したのは30機。第一線から引き上げられたのは1953年 (Mk.II)後継はアベンジャー。ちなみに1953年っていうと、 朝鮮戦争も終わり、F−104の試作発注がなされた年だ。 Mk.Vは1950年まで訓練に使われたが、残念ながら、第一線配備され ることはついになかった。 バーラにはASV MkIINというレーダーが積めたが、"TVアンテナ" 型のアンテナを左主翼の上に積んでいる。日本の家々の屋根にあるような、 柱があって、電波源方向に向いて水平な支持材があって、電波源方向と垂直 地面に対しては水平に、5素子が並ぶ八木アンテナ。これが、普通に 翼の上に突っ立っている。たぶん回転もするんだろう。 空気抵抗が大きくて早く飛べないと言うより、速く飛んだらモゲちゃって 困るからゆっくりとぶんじゃないかな?
バラクーダは、あの翼折り畳み機構とヤングマンフラップを考えた時点で 満足してしまったんじゃないかな・・・ このバーラに競作で負けた機体もあるし、蛇の目は奥が深い。
これで急降下爆撃が出来れば完璧なんだが・・・>バラクーダ
コラ! そんなこというと、ダイブブレーキとサイレンが追加されちゃうじゃないか
あんなバッタみたいな飛行機の話はブリテンスレでやれ
>>815 ついでに6ポンド砲が搭載されちゃったりなんかしたりしてw
Large flaps were...while for diving attacks they adopted n nagative angle of 30度 だそうだよ。フラップを主翼の上に突き出して 急(?)降下爆撃するんだ。
日本語の「機動部隊」の名称の初出は、海軍よりも陸軍の方が先。 現状のアジア歴史資料センターのウェブ公開資料で見る限りはだが。 1940年(昭和15年)に、空挺部隊の秘匿名称として使われ出したのが初出。 1941年に恩給法上の区分を危険度が高いパイロット並みに変更するよう求めた文書では、 「落下傘部隊」と書いてあったのが、(極秘)の訂正印を押されて「機動部隊」に修正されてる。 ああ、もちろんちゃんとした初出はもっと古いんだろうけどw
クレー射撃は、もともと生きた鳩を散弾銃で射撃する競技だった。 特に、他意は無い有りません。
大人ぢゃのぅ
822 :
820 :2009/10/23(金) 19:44:40 ID:???
>特に、他意は無い有りません。 なんだこりゃ。 自分で書いてて、意味がわからん。 特に他意はありません。 と書くべきだったな。
>特に、他意は無い有りません。 シェンホアかあんたはw
どういったドイツ語を訳したのかは分からんけど、陸軍参謀本部はワイマール共和国軍の グライダー部隊を機動部隊と翻訳しているやね。 故意か偶然か命名基準がいい加減な陸軍のことだから適当にやった偶然だろうけど。 Schnelle Truppenの翻訳が機動部隊だったり快速部隊だったりとバラバラだし。 陸軍航空部隊なんかは航空輸送に拠った作戦を機動作戦なんて言っているわで ちゃんと秘匿名称になったんかいなw
>823 ここはノーロアナプラよ?言ってる事わかるますか? ブラクラスレへ帰りなさいw
山本五十六が米国へ行く船に乗った時の話。 船内のサロンで外国人ばかりがピアノを弾いたり、歌ったり踊ったりしていたので 「日本の船なのにこれではイカン」 と思った五十六は、近くにいたボーイから大皿を2枚とりあげると それを持ってステージに上がり、その大皿を持って音楽に合わせて踊ったのだそうだ。
なぜ大皿
>>826 ブラクラスレってか?そんなもん軍板にゃねーんだよ
わかったか「ですだよ」!
対潜哨戒機の哨の字が常用漢字から外れるそうだ。
>>831-832 よく記事を読もう、まだ試案の段階。
とはいえ、軍事関係以外では使用頻度の少ない文字だから、このまま消える可能性は高いけどな。
小ネタを一つ アンガウルの戦いでその名を知られる舩坂弘軍曹。 氏が玉砕戦の中で何よりも食べてみたかったのは、コウモリであったそうな。 理由は部隊の曹長が「コウモリはぁ……いいぞ。ビフテキの味がする」と言ったからで、 それ以来戦闘の合間は洞窟の中を見渡すのが癖になったそうだ。 因みに実際にコウモリを見つけた時には、それよりも同じ洞窟内で見つけた手榴弾のほうに 気がいってて(その手榴弾で米軍司令部に突ることになる)結局食わずじまいですたw
つか、「哨」も「諜」も、元々常用漢字には入っていない。 現在、常用漢字の見直し中で、「哨」や「諜」は、最初の試案では追加候補に含まれていが、 第2試案では追加候補から除かれた文字だ。
>>834 コウモリを喰って想いを遂げていたら人外は誕生しなかったかも・・・
いや、恐怖の始祖が誕生する可能性を思えば、これで良かったのかw
>>836 コウモリを食べていれば、スーパー舩坂になって
さらにパワーアップして大活躍してたかもw
後のバットマンである
こうもりは狂犬病とか病原菌持ってるからだめだろ… といいたいが「こうもりを食べた結果各種病原菌に感染し常人ならもはや動くこともかなわない状態で鬼神の如く戦った」 という一文がうぃきぺどさんに記載されるんだろうな
マジレスしとけば、こうもりはごちそうだぞ。 グァムだったかでは、オオコウモリの一種が食用に乱獲されて絶滅したはず。
コウモリは骨ばっかりで食うところがないとかあったような、ねずみみたいなものでは そんな大きいのじゃなかろうし そういえばアメリカはコウモリ爆弾を開発していたな
機関けん銃 自走りゅう弾砲 対潜しょう戒機 後なんかあったっけ
>>842 ニューギニアだったか、どこかで食用にしていたと思う。
舩坂軍曹だったら病原菌も裸足で逃げ出しそうな気がするが。
「トム・ソーヤーの冒険」で、洞窟の出入り口をふさがれちゃった後の インジャン・ジョーがこうもりとロウソク喰ってた事しか思い出せない
ジェームスディーンと会った事有って映画評論する元祖茶髪玉ねぎ頭ぢゃなワシにも分かる
849 :
827 :2009/10/28(水) 17:38:11 ID:???
>>828 山本五十六は、宴会芸と腹芸が得意。
で、宴会芸で大皿2枚と言えば・・・
というのは冗談です。
神社かなんかに奉納する舞に、
大皿を1枚づつ掌の上に乗せてその皿を落とさないように
上下させたり裏返したりする物が有って、それを山本五十六が御幼少のころ
やっていたそうなんです。
(あ、ニュアンスが伝えにくい・・・)
>>849 下の奴もやっぱり宴会芸に見えるんだがw
てか大皿二枚とか言われたらどう考えても服を脱いで(ryしか思い浮かばんww
なんか某AAを思い出した
ドリフでやってたアレか?
('A`) … (ヽ/) <●> ● ('A`)ノ ハッ !! (ヽ ) <●> ● (('A`) ハッ !! ( /) <●> ● ● (('A`)ノ ハッ !! ( ) <ω> __[憲] ( ) ('A`) ( )Vノ ) | | | |
>>854 このAA探したのに見つからなかったんだ
でも船の中なら逮捕権は船長にあるよな
船内ってその船を有する国籍の法律に準じるから他国へ寄港した場合は治外法権が適用されるんだっけ?
>>849 > 大皿を1枚づつ掌の上に乗せてその皿を落とさないように
> 上下させたり裏返したりする物が有って、それを山本五十六が御幼少のころ
あ、わかった。
安野光雅の本にあったような気がするが
図なしじゃ説明しづらいわw
>>858 それは軍艦の特権な
例えばパナマ船籍の船で殺人事件が起きたら日本の官憲が手を出せないかと言ったらそうではないだろ?
公海上は旗国の法律が適用される。
>>861 山本五十六が、船のサロンでこういう踊りをやっていたのか・・・
本日お亡くなりになられた三遊亭円楽師匠は、アドルフ・ヒトラーの”わが闘争”を 愛読書にしていたという話だ。
お前バカだろ 船籍を置いてる国以外に何があるってんだ?
1914年9月2日、ランスの町はドイツ軍に占領された。 守備をしていたフランス軍は戦いもせず早々に撤退し、あまつさえ、宿泊地にしていた カーヴからシャンパンを持ち逃げしていった。 ドイツ軍は捕虜のフランス兵を先頭に入城し、市役所に行こうとしたが、彼はランスに 不案内で、市電の営業所に辿り着いた。 群衆が彼らをからかったので、周りにいた市民を捕まえて市役所に案内させた。 ところが、彼はわざとドイツ軍を劇場に案内して、ますます群衆の嘲りの声を聞くように なり、ドイツ兵は怒って市内を探し回り、やっと市役所に辿り着いて、ランスを占領下に 置いたと通告したという。
>>867 フランス軍はドイツ軍を口実に市民から逃げたのかw
で、>867には後日譚がある。 それから10日後の9月12日。 ジョセフ・ガリエニ将軍は、「パリを石の1個まで守り抜け」と言う命令を政府から受け、 パリに迫るドイツ軍を迎え撃つ為に、増援部隊をパリ中のタクシー1,000台に分乗させて 送り込み、世に言うマルヌの奇蹟を演出した。 その日の16時、ドイツ軍はランスから撤退を始めた。 翌日、ランスはフランス軍に解放されたが、占領軍司令部だった市役所には、飲みかけの シャンパングラスがいくつも残っていたりする。 更に撤退時にランスのシャンパンをありったけ掻っ攫い、戦場には信じられない数のシャン パンの空き瓶によって覆い尽くされていたそうな。 また、市内には何十台ものドイツ軍トラックが残っていたが、そのタイヤは投げ捨てられた シャンパンの瓶のせいでパンクしていた。 その後、前進するフランス軍は、どぶの中や道の脇に倒れている夥しい数のドイツ兵を目に することになる。 彼らは死体ではなく、シャンパンの飲み過ぎで酔いつぶれた兵たちだった。 結局、彼らの戦いはここで終わった。 要は捕虜になった訳である。 しかし、これから4年間彼らはフランスの地に足止めされることを知るよしもなかった。
シャンパンww
浮上
872 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/11/07(土) 11:02:38 ID:CLwGDhrq
第二次大戦中に設計・生産されたEF13型電気機関車は、資材を削減する目的で車体が凸型 となって、更に架線から取り入れる高圧電気の遮断装置、いわゆるブレーカーの装備もされず 避雷針もない、という当時の安全基準からして無視するような、とんでもない機関車だった。 が 運転台の回りには、当時戦闘機にも搭載されなかった13mmの鋼板を乗務員の防弾用に 組み込まれた、おそらく世界最強の防護力を持つ電気機関車であった。 のちに、一部のやはり戦時設計の蒸気機関車D52の運転台にも防弾板が設置されたらしい。
初代統合幕僚長の先崎一陸将と、作家の浅田次郎氏は、一時期、同じ部隊 (陸上自衛隊第32普通科連隊)で勤務していた
874 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/11/07(土) 18:09:11 ID:CLwGDhrq
>873 へぇ。 まっさきさんって普通科だったんだ。 しらんかったわぁ。
浅田氏が新隊員で配属されたときの運幹が、先崎氏だったらしい。
>>869 塹壕戦に駆りだされるより捕虜になってたほうが幸運だったのかもね…
877 :
名無し三等兵 :2009/11/08(日) 18:45:15 ID:dlCYCOln
言っとくけど俺をあまりナメないほうがいいよ vipでコテハンやってるしこのスレ潰すくらいの影響力は持ってるから くだらないことで刺激して後悔しないようにね
?
>>878 初心者質問スレをいつも荒らしてるやつだよ。
このスレものぞいていたのか。気分が悪い。
懐かしいコピペだなw
「かまってかまって」っていう無言の叫びが聞こえる気がした。
切ない・・・
>>872 戦時設計蒸気機関車というとナチス・ドイツが開発した052型も。
ボイラーは外皮がないむき出し、バルブギヤーは前進・後進が等速と、
徹底した簡易化が図られてはいたが、
給水がひんぱんにできない東部戦線向けには、
復水式(一度、走行に使った蒸気をラジエターを介してまた水に戻して使う)を採用するなど、
日本のD52よりは凝った作りになっていた。
作りも作ったりその数6000両以上、
その大部分はナチス・ドイツの敗退によってかっての占領地域に残され、
動くものは被占領諸国の戦後復興に貢献することになった。
・・・ソ連は戦後も、いざというときに備えて水と燃えるものがあれば動く蒸気機関車を、
有事に備えてストックしていたのだが、この中にも相当数の052型が含まれており、
冷戦終結、ソ連崩壊でお払い箱になりかけたのを、引き取ったのがウクライナ国鉄。
外国人観光客向けのチャーター列車に「なつかしの蒸気機関車」を活用、今もなお外貨稼ぎに貢献している。
同様に、トルコ国鉄も最近まで052型を動態保存していたのだが、
旧ユーゴスラビアに残された052型の中には、NATOの空爆であえなくスクラップと化した老兵もいた。
1945年初頭のアメリカ。 作家クリーヴ・カートミルが、SF雑誌『アスタウンディング』のために一本の短編を書いた。 タイトルは『臨界』。 放射性元素の核分裂を利用して、強力なエネルギーを発生する超爆弾を作る話であった。 時期的に非常にマズいのは明らかなわけで、勿論検閲に引っかかった。 ところが、検閲官が小説の中身を確認して大騒ぎになった。 なんと、作中でその超爆弾を作る秘密計画の名前が『ハドソン川計画』だったのである。 必要ないとは思うが一応説明しておくと、『ハドソン川』とは、ニューヨークを通ってハドソン湾に 注ぐ川で、その河口近くにある大変に有名な中洲の名前は『マンハッタン島』である。 最早、検閲どころの騒ぎではないわけで、アスタウンディング誌編集部は勿論の事、カートミル や編集長のキャンベルJr.の自宅までスパイ容疑で家宅捜索された。 結局どこをひっくり返しても、スパイのスの字も出てこなかった。 全て、カートミルが想像で書いたものだったのだ。 カートミルは後に、何故『ハドソン川計画』と名づけたか、と聞かれて「いかにも、もっともらしいが、 何の意味も無い名前にしようとしたのさ。」と答えている。 この理由が、『マンハッタン計画』の命名理由と同一なのは、偶然の一致なのであろう。 ちなみに、この小説はすったもんだの末に『予定通り』掲載された。 編集長のキャンベルJr.が、「核分裂自体はみんな知っているんだから、この時期に核分裂ネタの 小説が掲載されなくなったら、かえって怪しまれるだろう。」と主張して、検閲官を論破したためで ある。
なんとも形容しがたいネタですなww
ここは偉大な先人に敬意を表して「名状し難い」ネタと言うべきか。 クラークのエッセイや短編でもネタにされているね。
ノルマンディ上陸作戦の直前、新聞のクロスワードパズルに、作戦そのものや、 上陸地点のコードネームがいくつも出てきて、関係者が情報漏洩かと慌てた話もあるな。 こちらも単なる偶然だったのだが。
軍事ネタとは関係ないけど、ある無名の小説家が書いた作品に ”タイタン号”なる旅客船が氷山にぶつかって沈没する物が有って、その内容が タイタニック号沈没の顛末にそっくりだった。 なんてのが有ったな。 その小説が書かれたのは、タイタニック号沈没以前だったとか。
>>888 あれは、確かブルーリボンのための競争が過熱しすぎた事を警告するために、書かれた物で、
丁度、ブルーリボンの奪取を謳ってぶち上げられた最新の造船計画を元ネタにしていたはず。
で、その造船計画で名前が上がっていた船のうちの一隻が『タイタニック』だったわけで。
この場合は、『予言』ではなくて『先見の明』だね。
うるせーよ馬鹿が 誰もが知ってることをわざわざ書く必要ねーだろ
>>889 みたいな補足はありがたいと思うがな
誰もが知ってるほど有名とは思わんし実際俺は知らなかった
記憶だが、タイタニックは計画時ブルーリボン狙い就航時はやーめた、 でなかったか。
非軍事ネタが続いて申し訳ないが・・・
>>892 いや、そもそも、何でタイタニックが氷山と激突するような物騒な所を航行してたかと言うと、
ブルーリボン狙いで、最短距離で航行するために大圏コースを取ってたためなんだよ。
で、
>>889 の『警告』ってのは、ヨーロッパ⇔アメリカで大圏コースを取れば、必然的に氷山
との衝突の恐れがある海域を高速ですっ飛ばす事になるので、このままだと取り返しが
付かない事になるぞ!ってことなんだよ。
ブルーリボンといえばユナイテッドステーツを思い出す
>893 d。コース了解。んだが何か引っかかってる・・・もっとスリムで 高速なはずが、ブルーリボン取りの確率が下がってもいいから豪華化した って話、なかったっけ? コースではなくあくまで設計上の話で。
>タイタニックが氷山に衝突したのは、大西洋最速横断記録(ブルーリボン賞)を獲得しようとしたことが遠因になったという説があり、世間一般に広まって根強く支持されている。 しかし、1912年当時のブルーリボン賞を保持していたのは西回り/東回り共にモーリタニアであり、その平均速度は26ノット近いものであった。両船の要目を比較すると、 モーリタニア:総トン数31,938トン,機関 蒸気タービン4基/4軸,機関出力68,000馬力,巡航速力26ノット(最高速力28ノット) タイタニック:総トン数46,328トン,機関 蒸気レシプロ2基,蒸気タービン1基/3軸,機関出力46,000馬力,巡航速力22ノット(最高速力24ノット) であり、機関の性能から見て、タイタニックはブルーリボン賞を獲得できるような能力を持っていない。 当時、ブルーリボン賞の獲得を目指したモーリタニアのような高速船は、その莫大な運航費用(燃料費)を輸送する人員や貨物だけでは賄えず、政府からの補助金によって運航が維持されていた。 しかし、タイタニックを含めたオリンピッククラス客船は、豪華さを売りにし、また総トン数を上げ輸送力増大や機関出力を抑えての燃料費の低減など、補助金無しで採算が取れる運航ができるように設計された船であった。 このことから、ブルーリボン賞を獲得しようとしたという説の根拠は薄い。
d。ってえと、大圏航路は、リーズナブルな範囲内での時間と燃料費の ミニマム化目的が主だったのかな。
高級自動車メーカーとして、また、この板の住民には航空用エンジンメーカーとして有名なロールスロイスは、 1906年に出資者のチャールズ・ロールスと、技術者のヘンリー・ロイスが共同で設立した会社で、 ロゴは両者の頭文字のRを二つ組み合わせたものである。 このロゴは、会社設立当初は赤だったが、1910年、ロールスが航空事故で死亡したため、 喪に服する意味で、現在の黒に変更された。
>>898 スタームルガーにも同じようなエピソードがあるね
設立者が複数の場合結構よくあることなのかな?
ブランドだけあって創設者関係ねぇ!!なP&Wみたいなのもある
S&Wもだったけ?
タイタニックつながりで、軍事っぽいネタを タイタニックには、2隻の姉妹船、オリンピックとブリタニックがあった オリンピックは、タイタニックとほぼ平行して建造されたが、やや遅れて起工したブリタニックは、 タイタニックの事故を受け、設計を大幅に変更した その主なものは、救命ボートの定員を増やし、積載方法を工夫して、全乗員・乗客の迅速な脱出を可能にしたこと、 水密隔壁の高さを増し、緊急時にブリッジから遠隔操作ができる水密扉を付けたことである (タイタニックの事故では、水密隔壁そのものは無事だったが、最初に浸水した区画の重みで船首が下がり、 隔壁の上を乗り越えた海水が、次々と隣の区画に入り込んだ) ブリタニックが完成したとき、すでに英国はWW1に突入しており、ブリタニックは病院船として徴用された 地中海を航行中のブリタニックは、独軍の敷設した機雷に触れてしまう 最初の被害は大したことはなかったのだが、なぜか浸水が止まらず、結局同船は沈没した 自慢の遠隔式水密扉が、触雷のショックで起きた停電のため、作動しなかったのである
自慢の駄目コンが!
ブリタニックのもう一つの自慢、新型のボート用クレーンはおおむね設計通りに作動したが、 こちらでも予期せぬ悲劇が起きた パニックを起こした一部の乗員が、船長の命令を無視してボートを下ろし、 まだ回っていたスクリューに巻き込まれて、21人の死者を出したのである
救出されたブリタニック号の乗員の中に、元タイタニックの乗員がいたらしい。 短期間で2度も船の沈没に遭遇した不運な人と見るべきか、 2度も生還した幸運な人と見るべきか。
幸運な人だよ。そのふたつネタで、パブでの酒代がずいぶん浮いたろう。 ライトとP&Wはどーにもわからん。首脳部にゴリ押しされた技術者が 社を出て、別会社を作る、というのはよくあるし、よくわかる。 なんで、首脳部と技術部門長が出て、別会社作るの? 誰が残ったの?
>>906 営業が顧客を維持し、経理が経費を節約して、庶務と総務が会社を支える。
広報は顧客を拡大し、人事は人材を補充し、法務は分離した連中を攻撃する。
ほら立派な会社がry
羅針盤が発明された時と磁石が発見された時は一緒 実に不思議である(ま、どうでもいいけどネ♪)
どうすんのこれ!
第一次世界大戦初期、イギリス軍唯一の機械化部隊は海軍所属の装甲車隊だった。 しかも、そのうちの海兵隊や海軍師団の隷下部隊ですらなく、海軍航空隊の一部だった。 内燃機関の取り扱いに慣れていたことや、飛行場警備用に便利だったこと、 野戦用に使うには不整地踏破能力が欠けていたことなどが理由ではあるんだろうが。
おもろい
912 :
883 :2009/11/21(土) 19:52:41 ID:???
中国が北ベトナムに対する援助を決定した60年代は、 同時に中ソ対立が表面化した時代でもあり、 ソ連との共同支援がご破算になった結果、中国は鉄道支援を含む後方支援を担当することになった。 ・・・が、同じく60年代は文化大革命の最中でもあって、 北ベトナム支援どころか、支援するための産業材の生産にも事欠く有様。 ここで中国政府が目をつけたのが、まとまった数が残っていた旧南満州鉄道の車両だった。 日中戦争、国共内戦ののちも朝鮮戦争への後方輸送に使われていた、 旧南満州鉄道「ミカロ」型蒸気機関車39両、ほか南満州鉄道の客車、貨車がかき集められ、 今度は北ベトナムに送られて北爆の戦火を浴びることになる。 同時にソ連からもTE型蒸気機関車、ポーランドからTy型蒸気機関車も北ベトナムに送られたが、 そのどちらも、もとを正せばナチス・ドイツの戦時型蒸気機関車052型の捕獲機で、 期せずして北ベトナムでは、日独双方の蒸気機関車が一緒に働くことになった。 何度も戦火の下をくぐり、ベトナムの戦後復興を最後の仕事としたミカロ、 39両のうち最後の1両が廃車になったのは1998年のことであった。
さすが、madeinJapan
鉄オタになる人間の気持ちがわかるような気がする
>>914 昨日、NHKBSでやっていた鉄オタの番組は、なかなか興味を持たせるにはいい感じの番組だったと思う。
>>898 に便乗して…
ランカスターで有名なアブロ社は
設立者のアリオット・ヴァードン・ローの頭文字(A・V・ロー)
がその由来である。
因みにローはイギリス飛行機界のパイオニアで、
1909年7月23日に自作の飛行機「ロー2」三葉機で274m飛んだものが
英国機初の動力飛行として公式に認められている。
ローは「素晴らしきヒコーキ野郎」にも登場する。 同映画には石原裕次郎も出演している。
>>908 羅針盤の発明の時期には諸説あるけど、いずれにせよ、磁石の発見の数百年後だよ
スペイン内乱中に、バスク地方ビスカヤのビスカヤ鉄橋がナショナリスト空軍の爆撃で破壊された。 これは川に浮かべた艀を頭上の歩橋にある滑車とケーブルで繋ぎ、川の両岸を往き来する代物で、ヨーロッパで最初の近代鉄橋と呼ばれたバスクの誇りだった。 結局鉄橋は内乱中には修復されず、イベリア半島スペインがフランコ政権となってから二年の1941年に再建された。 バスク爆撃と言えばゲルニカが有名だが、ビルバオやビスカヤも爆撃で大きな被害を受けている。
中尉時代の辻政信の写真が、毎日新聞に載ったことがある。 負傷しながらも指揮を執る勇敢な辻中尉みたいな。
いつの話だ?
922 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/12/06(日) 10:11:28 ID:i5KzwlSq
>907 ・・・その会社って、ナニ作って売ってるの?
923 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/12/06(日) 10:18:10 ID:i5KzwlSq
BMWが飛行機のエンジンメーカーで、しかもあのマークは飛行機のプロペラを モチーフにしてたなんて知らなかったわけで。 ロールスロイスネタで。 ある日、砂漠をロールスロイスで走っていた金持ちが、故障して動けなくなってしまった。 無線で救援を呼ぶと数時間後に、メカニックを乗せたヘリがやってきて、修理して立ち去った。 ロールスロイス社の対応にいたく感動したそのオーナーは、帰ってからロールスロイス社に 修理代金(ヘリでの派遣分も含めたかなりの金額)を持って本社に行くが、対応に出た営業の 人間は「それはナニかの間違いでしょう。わが社の車は壊れませんので」といってお金を受取ろう とはしなかった。 まゆつばではあるが。
>>923 その話は都市伝説だと偽物語下巻(化物語の続編のどれか)に書いてある
砂漠に打ち捨てられたロールス。 その原因はガソリン切れ,とかいうのも都市伝説?だよね??
いえ、用途廃止になったあとにガソリンをかけて燃やすんですよ
927 :
名無し三等兵 :2009/12/06(日) 13:19:08 ID:xEyCUnCr
どの本が元というより古典的なジョーク。 金持ちがふたり、一緒にサハラ冒険旅行に出かけることにして、ロールス ロイスを買いに行った。「割り勘にしよう」と一人が財布を出すと、他方が 押しとどめた「ここは僕に持たせてくれ給え。さっきのハブで、最後の ビールは君が払ったんだから」 金持ちがローロスロイスにやってきて言った「これと同じものをもう一台 呉れ給え」「お客様、何か不具合でもございましょうか?」「時計が壊れて 了ったんだ」
自力でググレや
こちらからも見えるよピンキー。
>>924 みたいなのがいるから西尾信者全部が悪く見られるんだよナー。
フェラーリが故障して文句言ったら、 「うちはレースをするための会社で、お客様には協力してもらってるものと思っています」 みたいな返事の手紙がきたそうな。
山口県柳井市にある烏島。 これは対岸にある伊保庄の村上家の私有地だが、大戦中は陸軍が演習地として借り上げた。 その際、陸軍は借地の礼として、1925年にこの地の門人村上磐太郎を訪れた際、若山牧水が詠んだ歌、 「からす島かげるて黒き磯のいはに 千鳥こそをれこぎよれば見ゆ」を島内の岩に彫って贈ったという。 因みにこれを彫ったのは、1944年のことだそうな。
>>923 そのジョーク、よく考えたらていのいいリコール隠しなんじゃねえの?
昭和四年、日本陸軍が鉄道部隊向けに開発を始めた「重構桁」。 鉄道橋の応急復旧用に使われる、組み立て式のトラス式鉄橋で、 三角形の部材をピンでつなぎ、短期間に鉄橋を架け、また、撤収できるようになっていた。 開発年によって九三式、九六式、九九式などのバリエーションがあったのだが、 戦時中は中国京漢線の破壊された鉄橋の復旧工事や、泰緬鉄道メクロン鉄橋などに広く使われた。 ・・・簡単に組み立てられ、そこそこの重量にも耐えられる重構桁は、 昭和26年に完成した中国・湘桂線紅水河鉄橋の工事の折、仮桁として利用されたのを代表格に、 戦後もなお、鉄道建設のために中国大陸各地で活用されている。 さらに、日本内地では道路整備のための仮設道路橋に各地で用いられたのみならず、 払い下げを受けた国鉄は、工事用の仮桁や災害復旧の仮設橋のために重宝したほか、 恒久的な鉄道橋としても、西武遊園地おとぎ線や北海道・夕張岳森林鉄道に架けられることになる。 日本陸軍の置き土産として、戦後も文字通り縁の下の力持ちを務めた重構桁は、 ほとんどがその使命を終えると撤去されてしまったが、 現在、夕張岳森林鉄道の廃線跡に残る九九式重構桁のほか、日本国内で3箇所に現存が確認されている。
937 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2009/12/06(日) 22:24:42 ID:i5KzwlSq
>933 フェラーリは、自身が一級整備士か、一級整備士を雇えるくらいの金持ち以外は乗らない ほうがいい車と聞いてますが。 >935 気まぐれコンセプトにあった話で、この話からカブト自動車なる3流会社はクレームに対して 「うちの車は壊れません」と押し切るネタに・・・
>>935 そんな意味で
その後ロールスロイスは倒産した
というような一文が付いたバージョンを見た事が有るような気がする
鋼鉄の作者はマルチーズを買ってる
>>937 ニッポン人はね〜
かっちゃうのよ、
フェラーリwww
そんで文句いっちゃうのよ〜
お前らカローラとかに慣れすぎ!
ちがうのよ!国産車とは!!
イタリア製なの!こわれるの!!
>>933 てーか、初期のフェラーリのGTカーは、まじで型落ちのレーシングカーのシャーシに、
2シートとスポーツカーとしてのボディを乗っけただけのものなんで。
何で、そんな車を売り出したかといえば、まさにレース活動の資金稼ぎだったんよ。
ランボルギーニの社長が文句を言ったら、つっけんどんにされて、
自分でスーパーカーの生産を志したって伝説の頃には、
それなりにGTカーの生産にも本腰を入れていたようだけどね。
もっともこれも伝説のようで、ランボルギーニ氏は怒鳴り込んだわけではなく、
自社のトラクターと同様の機構が使われているので、こういう風にしたらもっと良くなる
みたいな専門的な内容の手紙を書き、エンツォ・フェラーリ直々に、
それができない技術的理由を返書しているらしい。
むしろ、成金の一オーナーに、トップ自ら書簡を出しているわけで、対応としては懇切丁寧。
もっともそれで一念発起して、ランボルギーニのスーパーカー誕生になったというのは変わらないらしいけど。
真珠湾攻撃の直前、日本軍の甲標的を撃沈した米駆逐艦ウォード 同艦の当時の指揮官だったアウターブリッジ艦長は、日本の着物を寝間着にして寝る習慣があった
>アウターブリッジ艦長 本名?
>>943 甲標的撃沈に関する公式報告には、W.W.OUTERBRIDGEの署名があるので、たぶん本名だと思う
何で偽名だと?
艦長なんだからブリッジの中に居ろよ、ってことじゃ?
マジレスするとCICにいるんじゃね?
露天艦橋の事か!
戦時直前の米駆逐艦にCICってあったっけ?
アウターブリッジ艦長(このときはまだ大尉)は、甲標的発見のときは艦長室で寝てて、 部下に呼ばれて艦橋に行ってから戦闘の指揮を執ったみたいね。 ちなみにアウターブリッジ大尉のウォード着任は12/5、12/6に哨戒任務のために出港して、 翌朝真珠湾攻撃に遭遇。 新任艦長の初仕事が、太平洋戦争初の米海軍の海戦になったという。
真珠湾攻撃に参加した日本軍艦艇のうち、終戦時に現役だったのは、重巡洋艦利根1隻のみ。 その利根も、終戦直前の7月28日の呉空襲で大破着底しており、自力で航行可能な艦は皆無になっていた。
エセックス級は一度として機関に損傷を負ったことが無い
>>952 瑞鶴の除籍は昭和20年8月31日。
つまり、終戦時も海軍の「帳簿上」は現役だったりする。
ちなみに、利根の除籍は昭和20年11月20日付け。
>>954 >瑞鶴の除籍は昭和20年8月31日
沈没しても、即 除籍にはならないんだ。
意外だなあ。なんでだろう?
レイテ沖海戦(昭和19年10月下旬)で沈没した艦の除籍年月日 昭和19年12月10日 浦波、若葉、藤波、秋月、初月 昭和19年12月20日 千歳、千代田、瑞鳳、愛宕、摩耶、鳥海、最上、鈴谷、多摩、鬼怒、阿武隈、能代 昭和20年1月10日 満潮、朝雲、山雲、不知火、野分、早潮、若月 昭和20年4月20日 筑摩(亡失認定) 昭和20年8月31日 扶桑、山城、武蔵、瑞鶴 除籍の基準がわからん
>>955 軍は官僚組織だから艦が沈没しても生き残った乗員の処理とか、
いろいろと手続きが残っているんで、除籍はそれらが終わった後
になるんだよ。
戦艦や空母が後になってるのは国民に知らせたくないんだろうと想像するが
いや、乗員が多いから処理に手間取ってるだけだろ。 それとも当時から官報とかでそういうのを報告してたのかね?
単に書類の判子の問題じゃないのかな。 決裁者が不在で書類が溜まって、重要でないのは後回しになっていく。 あと、書類がそろってないので差し戻しとか。
「某国からの宣戦布告です」 「書類が整ってないので受理出来ません。出直すように言いなさい」
それが罷り通れば今の日本って無敵じゃね?
バカは書き込まなくていいよ。
はいバカ一匹目
1942年、算盤製造が出来なくなった小野の算盤業者達が転業したのが小野航研 工業株式会社。 この会社はグライダーの製造を目指していたが、1944年にはグライダーの採用が 無くなり、会社は解散。 その後、算盤組合の建物を用いて株式会社磐代工場を設立し、主に海軍向けの 算盤製造と金物関係の薄鎌の柄付け作業で凌いだという。
SAABの兵器プロモーションビデオのカッコよさはガチ へたなアニメやゲームが土下座するくらいの高クオリティだと思う
>>967 どんな動画みたかは知らないがプロモーションなんだからかっこいいのが本来だと思う
アニメやゲームなんかに劣るほうが問題あるだろ
>>967 とりあえずURLを出してくれないか?
じゃないと君の言うことに信憑性が無い
人間は生芋を食っても消化吸収できない 例外は長いも
近接信管の流産 昭和14年の晩秋。航研から難しい注文がきた。 「爆弾を地上10メートルで爆発させる信管はできないものだろうか?」 爆弾の先に長い鼻をつける? 爆弾の先端にプロペラつける? どちらも10メートルの鼻なんかつけられないし、プロペラでは精度はでない。 バネをつけて飛び上がらせればいい? それは地上地形を考慮にいれてない演習所の発想だ。 上野の発明展示会で、手を近づけるとその距離と大きさで音を出す楽器があった。 超短波の利用を示した発明らしいが、それから信管の発想に結びついた。 しかし、機械屋なので電気の知識がねーわ。 そこで北大電気科出身の竹間中尉に協力してもらって試作。 波長1.2mと2mの短波発振回路と近接するキャパシティの周波数の変化を捉える回路を作った。 反応があれば豆電球がつく。 私費で補った試作であった。 桑田大佐を通して航研に話をしてみろとなり、正木大佐に説明。 一応、研究費の予算がつく。 峰山の空中ケーブルから夜間客のいないときに実験。 感度調整して3回目と6回目で豆電球ついたが、他はダメ。 結局、航研から中止との決断。 200円の研究費に研究員一人。 他の業務と兼任でやったんじゃ上手くいくわけねーわ。泣ける。
972 :
967 :2009/12/20(日) 00:25:52 ID:???
>>968 >>969 言い方が気に触ったならスマソ
ようつべでSAAB検索かけるといっぱい見れます
映像がトップギアぽくてかっこよかったもんでツイ書き込んじゃった
>>971 目の付け所は間違ってないなぁ。リソース不足で上手く行かなかった例か。
レーダーや無線もそうだけど、軍事周辺技術は軍需予算だけではなかなか
発展しないね。アメさんのVT信管やマンハッタン計画みたいな力業は本邦
ではちょっと参考にならんが、それ以外でも技術の裾野の差違はデカイな。
八木アンテナは逆に、民間で飛び抜けていた技術を軍事に採用するアタマ
が無かった。このへんはリサーチ部門のマンパワーの差かな?
なんという根本的な予算不足… こればっかりは(これも?)敗戦しても全く改まってないな。
975 :
名無し三等兵 :2009/12/20(日) 13:00:17 ID:SVeI2hTq
仕訳人「にやり」
>>974 「前の戦争を反省しよう」といっても、一般には“戦争は悲惨だ”でおわって、“悲惨になった理由・予防策”なん
かはあまり触れられないからね。
まぁ、技術開発予算については、敗戦の経験が生かされているのか、官民合わせれば不景気といっても合衆
国に次ぐ予算が付いているがね。
・・・合衆国は、たしか我が国の四倍だが。
今は中露の方が上じゃなかったっけ? 研究開発予算だけなら米国に次ぐの? あと、米国と比べるのは「太陽に比べると地球ってちっせー」って言うようなもん。
>>977 すまない。
国全体の話だと思ったから、各国の全体研究費と比較して書き込んだ。
軍事関係だと、たぶん日本の順位は低くなると思う。
光学式の近接信管爆弾って結局完成したよな?
980 :
名無し三等兵 :2009/12/21(月) 01:56:55 ID:w6I84wUc
>>415 遅レスだが戦略的価値の低い国の受付やら守衛まで日本人をつけたらいくらなんでも金かかりすぎ
その人件費を許容できるか否かは、国民の外国にいる邦人に対する保護意識の多寡に よるんじゃないかね。 「自分たちが外国行った時に日本語使えないと不安!」って意見の国民が多いなら、小国 の大使館に何人もの日本人スタッフ付けて、それで外務省に人件費が倍増(じゃすまない だろうけど)しようが気にしないだろうし。 議論にもなってない? まあその程度の認識なんでしょう。
大使館の警備は海兵隊でないと
まあそうなんだがもう少し優しい言い方ができないもんかね。
安価に調達できる有機誘導装置なら魚雷とミサイルで実戦配備されてるよね 戦果は少なかったみたいだけど
一銭五厘で調達出来る誘導装置か。
>>979 レーザーが実用化してからな
日本ではAAM-3
>>979 >>986 完成して、大戦末期に実戦でも使われている。
ただ、あくまで航空爆弾用で、大きなGのかかる砲弾用の近接信管とは技術的に大差があったが。
光学式近接信管は、既に1940年に、対空ロケット用として英軍が実戦で使ってます。 ただし、信頼性が低く、太陽光を利用しているので夜間は使えないという欠点がありましたが。
>990 スレ立てありがとうございます、この御恩はこのスレが落ちるまで忘れません!!
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996
997
998
忘れた!
1001 :
1001 :
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