南雲忠一中将を再評価するスレ(仁)

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750GF長官
>>749の続き

ここで注目すべきは、戦闘機の護衛がついていないことです。
当時、台南空はまだラバウルに進出していない(進出は4月中旬)
しかし、四空には戦闘機隊もあった。
なのに、なぜ護衛をつけなかったのか。

『戦史叢書』によれば、
(1)九六艦戦の作戦行動範囲は250浬で護衛は不可能。
(2)零戦ならば随伴は可能だが、増槽が到着していなかった。
(註)敵機動部隊までの距離は460浬(>>744) 

更に航空魚雷も到着していなかったため、爆撃のみとなった。