南雲忠一中将を再評価するスレ(仁)

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693GF長官
>>692の続き

「MO機動部隊指揮官は、0900、飛行機隊収容後ロッセル島西方の敵に向かう
旨を各部に電報した。
しかし、一度出た飛行機はなかなか戻ってこなかった。南洋部隊指揮官からは
繰り返し、敵機動部隊に対するMO機動部隊の近接攻撃の命令を受けた。
もとより心は弥猛にはやっても、いかんともすることが出来なかった」(『戦史叢書』)

(註)弥猛に(やたけに)勇みに勇んで

さらに、>>559で指摘したことが現実化する。

「更に悪いことに、当時東南東13mの風が吹いており、飛行機収容のため、
一時後戻りしなければならなかった。南東貿易風帯に入っていたのである。
最後の飛行機収容が終わったのは、1315であった」