南雲忠一中将を再評価するスレ(仁)

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106GF長官
>>103の続き

前述の通り、高木中将の反転北上の決断はまだ納得できますが、五航戦が索敵を
実施しなかったことは、やはり不可解。

原少将の意図については、1730時の「五航戦電令作第四号」が参考になるでしょう。

「本日(6日)0900以後敵情ヲ得ズ
当隊明7日0400A点ニ達シ、明朝MO攻略部隊攻撃ノ算大ナル敵機動部隊ヲ捕捉
撃滅セントス
索敵範囲、A点ノ170度ヨリ270度間、250浬以内」        (『戦史叢書』)
(註)A点とは、南緯13度20分・東経158度)

この1時間後、1830時、五航戦もまた反転北上します。
この「五航戦電令作第四号」は、>>100の高木中将の敵情判断を根拠としたもの
かもしれませんが、当時無線封止を実施していたかは不明。
ここでも「本日(6日)0900以後敵情ヲ得ズ」としているのは、高木中将と同じ。