「平成20年には実際に機体をつくって飛ばす」
第五世代戦闘機の代表格、F22と同じレベルの要素技術を持つ先進技術実証機について、
防衛庁技術研究本部(技本)には当初、こんな空気がみなぎっていた。
だが、2000年代になると防衛庁・自衛隊内部では次第にF4戦闘機の「後継機種(FX)をどうするか」という意見が急増。
これに連動するかのように「心神」にも逆風が吹き始める。「米国が口を挟んでくるようなものをやるのはどうか」
そんな声が対米交渉を担当する防衛政策局を中心に浮上したのである。
それまでの技本の航空機開発チームは「心神」開発について「高運動飛行制御システム」の名称の下、
130億円超の予算を手にしていた。
この状態から早く抜け出し、正々堂々とFSX(次期支援戦闘機F2)に継ぐ国産戦闘機をつくり、
大空に羽ばたかせたい。そんな夢を抱き続けた技本チームはついに「来年には機体製造の予算を要求する」と
腹を固めた。だが、それを見透かしたかのように庁内中枢から「機体はつくるな」と待ったがかかる。
05年秋のことだった。
このころ、航空機開発を担当する技本第三開発室長は「心神」の基本コンセプトを固めた若森弘二から数えて
四人目の浜田広児へと代わっていた。「行く手」を阻まれた浜田ら技本スタッフは
「飛ぶものでなければいいのか」と発想を転換。ここでFSXの開発時にも実施した実物大モデルの作製を決断した。
作製した「心神」の機体概要は全長約14メートル、全副約9メートル、全高約4メートル。
純国産の5トン級エンジンを2基搭載し、離陸重量は約9トンという想定だった。
初めてそのベールを脱いだ「心神」の機体は05年9月、パリ西部の仏国防整備庁セラー試験場に運び込まれた。
主目的はそのステルス性能
確認。F22などに比べ、小ぶりのエンジン装着に伴う空気吸入口のデザインや主翼、
胴体部分のつなぎ目の光沢など確認ポイントを踏まえどれだけステルス性を確保できるかを入念にチェックした。