民主党ですが老けてなんていません

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382名無し三等兵
藤岡弘 (俳優・武道家) <正論 平成15年11月号>

避けえないとなったときに、祖国のため、先祖、子孫のために、戦いの場に赴いた戦士たちを、
後世の人間が敬意をもって遇しないとしたら、その国はやがて滅びるだろうと私は思います。

(略)
いま、靖国神社への首相の参拝問題がいろいろ議論されていますが、
靖国神社にはそうした、生きてはまみえることのなかった子孫のために命を投げ出してくれた人たちが祀られている。
感謝の気持ちは自分もまた次なる子孫のために、愛の連続性に責任を持つという姿勢として現れてくる。
だからこそ、どの国、どの民族も、自国の為に戦って倒れた戦士の慰霊を大切にする。
当たり前の行為なんだといいうことを改めて日本人は、大人も子供も、自覚すべきなんです。
問題を政治的にとらえすぎると、その本質が分からなくなってしまう。
そして慰霊の作法というのは、それぞれの国や民族の文化によって異なるものですから、これは日本のやり方を通すしかない。

(略)
いまの日本が他国から徹底的な侮りを受けないで済んでいるのは、
身命を投げ打って、究極の奮戦をしてくれた英霊、とくに神風特攻隊のおかげです。
彼らが武士道精神を発揮して戦ってくれた、その記憶が相手に焼きついていて、それがバリアとなってくれている。
いまもわれわれをどこかで守ってくれているんです。
日本人を相手にあまり理不尽なことを仕掛けてはならないという自制を、辛うじて世界にもたらしている。
個人の幸福とか損得勘定だけではない、損することを覚悟でその運命を引き受けて、
愛する者と、それに連なる故郷や国のために命を投げ出すことがあり得るということを、実際に示してくれているわけです。
そして、過去にそうした思いで死んでいった英霊が祀られているのが、靖国神社なのです。

問題なのはその残像が彼我の間から急速に薄れつつあることです。
戦後半世紀の平和は、「平和憲法」によってもたらされたものではなく、
最悪の戦いのなかで、究極の武徳を示してくれた英霊のお陰だと私は思っています。
逆説的ですが、戦う力をもってはじめて、『孫子』にある「戦わずして、人の兵を屈するは、善の善なる者なり」が果たせるのです。
戦後の日本人はこの逆説がまるで分からなくなってしまった。