南雲忠一中将を再評価するスレ(波)

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649GF長官
>>648の続き

翔鶴乗組の岩本徹三一飛曹も、「熟練者は全体の15%にとどまり、訓練状態も他の
戦隊に比べて相当の遅れがあった」と認めています。
真珠湾攻撃時には、下田飛行長(瑞鶴)にくってかかった艦攻乗りも居たとか。
「飛行長、けしからんじゃないですか。一・二航戦の目標は戦艦なのに、五航戦は地上
の飛行場を叩けと言うのです。しかも、爆弾は6番と25番。一・二航戦の奴らは80番
や魚雷を抱いて出るというのに。我々は馬鹿にされているのですぞ」
                              (『栄光の空母瑞鶴』豊田穣/著)

彼らが「妾の子」と蔑まれていたことは有名ですが、最新鋭の空母に乗り組めることに
対する僻みもあったんじゃないですかねぇ。
ちなみに、『モリソン戦史』の中では、五航戦は「パールハーバー以来の歴戦の精鋭」
と紹介されており、日米の評価の違いが分かって面白いですね。
当時の「世界標準」から言えば、五航戦は間違いなく一流。比べる相手が悪かったと
いうことかな。

このGFの方針に基づき、印度洋から凱旋中の五航戦は、4月14日シンガポール沖で
南雲長官に別れを告げ、MO機動部隊高木中将の指揮下に入りました。
一・ニ航戦にしてみれば、「あんまり張り切るなよ、俺たちの獲物も残しておけよ」くらい
だったのではないでしょうか。