>>539の続き
にもかかわらず、B−25による「昼間強襲」は成功してしまう。
その理由は、日本側が以下のように判断したため。
(1)敵空母の発見位置は本土から650浬。
(2)敵の本土空襲は、当然ならが艦上機による。
(3)米艦上機の行動半径は300浬。
(4)現在地から30節で移動しても、行動半径に入るまでは12時間以上要する。
(5)よって敵機来襲は、翌19日早朝と予想される。
この誤判断が幸い(?)して、B−25編隊は4月18日正午過ぎに帝都侵入に成功。
実はこのドゥーリットル隊、哨戒中の一式陸攻や菅谷防空監視哨等に発見されて
いたにも関わらず、東部軍司令部は「敵は艦上機だから、大型爆撃機のはずがない。
第一、こんなに早く来襲するわけがない」と、空襲警報はおろか警戒警報も出さなかった。
このあたりは、真珠湾攻撃でレーダーに映った日本機編隊を「今朝空輸予定のB−17だ」
と誤認した米側の対応とよく似ている。
「あり得ない」ことが起きるのが戦場だと言えそうです。
結局、日本側の対応は後手後手にまわり、B−25を1機も墜とすことは出来なかった。
「大本営発表」では「敵爆撃機9機を撃墜」と報じられたが、「墜としたのは9機でなくて
空気だろう」と揶揄されたとか。
被害は軽微だったが、米国民の士気を大いに高揚する結果となってしまった。
「この『パールハーバーに対する回答』は、それが果たすべき報復の千分の一の
ダメージも日本側に与えなかった。しかし、アメリカ大衆の精神を大きく高揚させた。
なにしろ19週の間、耳に入るのは悪いニュースばかりだったからだ」
(『モリソン戦史』)