南雲忠一中将を再評価するスレ(波)

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426GF長官
>>401の続き

「第五、大西や山口は若すぎるとして、南雲以外で最も有力な候補者は、
小沢治三郎であった」                (『波まくらいくたびぞ』)

いよいよ本命の登場です。「機動部隊生みの親」と言っていいでしょう。
昭和12年GF参謀長に就任した小沢少将は、大西瀧治郎、中沢佑、源田実
らと共に海軍航空の改革に着手。
当時(昭和12年7月 支那事変勃発時)のGF編成はというと、
[第一艦隊]一戦隊・三戦隊・八戦隊・一水戦・一潜戦
       一航戦(鳳翔・龍驤・第三十駆逐隊)
[第ニ艦隊]四戦隊・五戦隊・十二戦隊・二水戦・二潜戦
       二航戦(加賀・第二十二駆逐隊)
[第三艦隊]十戦隊・十一戦隊・五水戦
(註)赤城は改装中

ご覧の通り、一航戦と二航戦は所属が異なり、訓練も別々に行われていた。
それを小沢参謀長の提案で合同訓練を実施するようになります。
更に、昭和14年小沢が一航戦司令官に就くと、
「分散した空母から発進した飛行機は、空中集合に時間がかかり集団攻撃
に不利」という淵田少佐(赤城飛行長)の意見を採用し、これが、昭和16年の
一航艦編成へと発展します。

ここにきて、それまで補助兵力(偵察・対潜哨戒・敵観測機の撃攘等が任務)で
あった空母が艦隊主力となったのです。