南雲忠一中将を再評価するスレ(波)

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378GF長官
>>377の続き

さて(改)スレ>>181にもありますが、実は一航艦長官には塚原ニ四三中将
が選ばれる予定だったと言われています。
南雲中将と同期、しかも航空屋。支那戦線では第一連合航空隊司令官
として、自ら爆撃の指揮を採ることもあったとか。

ところが昭和13年10月3日漢口飛行場が爆撃され、左腕を失う重傷。
隻腕では艦隊勤務は無理と判断され、第十一航空艦隊司令長官に任命。
開戦後は、フィリピン制圧・マレー沖海戦・ラバウル進出等の戦果を挙げている。

「塚原ほど航空に精通した指揮官が他にいなかったにも関わらず、塚原を機動
部隊指揮官に任ずることができなくなり、塚原と同期ながら航空と全く縁のなか
った南雲忠一に真珠湾奇襲部隊を託さざるを得なくなってしまった」 (wiki)

これは「小沢機動部隊」や「山口機動部隊より、よほど現実味のある話です。
となると、南雲機動部隊誕生の真因は、国民党軍爆撃機パイロットの伎倆
ということになりますか。皮肉なもんですなぁ。

仮に実現したとして「塚原機動部隊」は、真珠湾・インド洋・ミッドウェーを
どう戦ったのか。仮想戦記には・・・ないか。
誰が指揮しようとも、真珠湾攻撃以上の戦果は望めないとは思うのですが。
それに、「ナグモ」という音の響きが好きなんですよねぇ。
(全国の塚原様、ごめんなさい)

塚原提督といえば、井上成美と並んで「最後の海軍大将」として有名ですね。
井上は辞退するつもりだったが、塚原がゴネたので仕方なく受けた・・・とか
聞いたことがあります。
それにしても、「ニ四三」で「にしぞう」・・・当時流行ってたのか?