古代〜近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 8

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52名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:38:39 ID:???
>>50
ありがとう、すると一個タクシスはこんな感じになるのかな?
デカス:■

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これはたしかに機動性が悪そうだ。
最小戦術単位が4個デカスくらいなら使い勝手が良くなると思うのだが。
53名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:49:05 ID:???
>>52
あくまで複数列を横に束ねるのが基本だから戦闘時の縦深は基本的に16列のまま。
54名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:52:15 ID:???
>>47
>つイリパの戦い
ごめん、調べたけどよくわかんない。
スキピオがハンニバルの本拠地を陥落させた戦いで合ってる?
戦闘の詳細はわからんかった。

>>51
その場で方向転換できるのであれば、
ファランクスもそれほど機動性は悪くなかったのかな。

55名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:56:12 ID:???
>>53
んじゃこんな感じ?
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56名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:57:12 ID:???
あ、一列足りなかった……
57名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:00:24 ID:???
>>55
そう。でもイッソスの戦いでは最初は32列、その次は16列、最後は8列と戦闘中に変わっているから柔軟性が無いわけじゃない。
58名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:07:18 ID:???
>イリパの戦い
簡単に言えば戦闘が始まるとスキピオの命令でローマ軍の両翼が速度の速い行軍隊形になり、カルタゴ軍を包囲できる位置に素早く前進すると同時に戦闘隊形に変わって戦闘に突入した。

59名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:40:29 ID:???
んー、するとファランクスは何が問題だったんだろう。
それともファランクスが廃れたのは、単にギリシア、マケドニアの衰退の付随現象であり
ローマのレギオンに優位性があったという訳でも無いのだろうか。
60某研究者:2008/12/06(土) 15:49:32 ID:zqjYO0nq
ファランクスもマラトンの際の突撃等を考えれば
意外と高速移動は可能なのかも知れぬが
一旦散開して移動したのかだが
61名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:49:40 ID:???
>>58
>簡単に言えば戦闘が始まるとスキピオの命令でローマ軍の両翼が速度の速い行軍隊形になり、
>カルタゴ軍を包囲できる位置に素早く前進すると同時に戦闘隊形に変わって戦闘に突入した。

思い出した、と言っても「ローマ人の物語」で読んだ程度しか知らないけど。
たしかハンニバルに習っての包囲殲滅戦を演出した戦いだっけ。

これはつまり、ローマ軍右翼を例に取ると、縦隊で機動して位置取りをする。
位置に付いたら「左向け左」という個人レベルの運動で全隊を横隊に
変化させる事が出来たと言うことだろうか。
62名無し三等兵:2008/12/06(土) 23:11:54 ID:???
http://www.ancient-warfare.com/cms/
この雑誌を講読してる人いる?
63某研究者:2008/12/07(日) 21:48:56 ID:s2gUFpFF
http://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg
鎌倉時代の春日権現験記絵巻では
盾を横に並べて整列しているが
大きな単位で鶴翼や魚鱗等の陣形を
組んでは居たのかどうかだが
64名無し三等兵:2008/12/07(日) 23:46:38 ID:kqpdCUtz
映画「1812年」の中で、交戦状態で敵軍の砲弾が飛んでくる中を歩兵部隊が方形隊列で歩いているシーンがあったが、あれはできないと思った。
65某研究者:2008/12/08(月) 01:36:03 ID:5Ur140hR
4列の横隊或いは
中空の方陣であれば
砲撃にも可也強いと言う事は無いのかだが
ナポレオン軍の場合は縦陣+散兵の横隊である訳だろうか
66某研究者:2008/12/08(月) 17:44:30 ID:5Ur140hR
20万のトルコ軍がプリンツオイゲン5万の兵に
夜襲で敗れた等と言うが
18世紀初頭の西欧の騎兵に槍は無いから
トルコの槍騎兵に勝てたのかだが
騎兵がやられれば銃剣では槍騎兵は阻止不能だろうから
歩兵も容易に蹴散らされる訳だろうか
67名無し三等兵:2008/12/08(月) 21:18:24 ID:94e2eej+
>>65 すまんそうじゃなくてあれではおれは銃殺覚悟で敵前逃亡しそう。
68Z212241.ppp.dion.ne.jp:2008/12/08(月) 21:19:11 ID:kjRm41kh
 フランス国家憲兵隊治安介入機動部隊(GIGN)の肩章がYahooオークションに出ているのを発見!
69名無し三等兵:2008/12/08(月) 21:57:57 ID:???
イタリア兵の私が来ましたよ
70名無し三等兵:2008/12/09(火) 00:38:31 ID:???
>67
逆、敵前逃亡させないために隊伍組ませて互いに見張らせるんだよ。
士気が低い軍隊では散兵浸透戦術使おうとしても兵が前進しない。
71名無し三等兵:2008/12/09(火) 17:09:29 ID:???
兵の錬度が低い場合、横隊より縦隊の方が統制を取り易いと思うのだがどうだろう?
72名無し三等兵:2008/12/12(金) 05:32:51 ID:???
スイス槍兵が方陣で突撃してたときってどんな組み方してたん?
73某研究者:2008/12/13(土) 01:43:05 ID:v8MqyUDr
http://www.geocities.com/ao1617/weapon.html
スイス傭兵の場合は上のテルシオのパイク兵の様に
後列の槍が前に出て居たのかだろうし
パイクは逆手には構えていない可能性も有る訳だろうか
74某研究者:2008/12/13(土) 01:49:48 ID:v8MqyUDr
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Marignano.jpg
上のスイス傭兵はパイクは逆手に構えては居ないが
後列の槍は前に出ているのか
どうかだが
75名無し三等兵:2008/12/14(日) 08:06:54 ID:???
追撃にくる騎兵の対処しながら撤退とかもやってるから機動力はそこそこあるはずだわな
76名無し三等兵:2008/12/14(日) 10:38:24 ID:???
ポソ事件の動画見て思ったが昔の戦はあんな感じなのかね
77某研究者:2008/12/17(水) 18:53:03 ID:OxVqXHWY
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200812171819
>復元映像がこのようなものになったことに関して、アシュトン博士は「プトレマイオス王朝はギリシャ系だったものの、
>初代のプトレマイオス1世から200年も経過する内に外見はほとんど当時のエジプト人と変わらないものになっていたでしょう」と述べている。

ギリシャ系のプトレマオス王朝だから
ギリシャ人の様な外見だったと言う意見も多いだろうし
現地人との混血が有ったと言う証明は
有るのだろうか
78某研究者:2008/12/17(水) 18:58:36 ID:OxVqXHWY
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B9%E6%9C%9D
>プトレマイオス朝はエジプトの伝統を取り入れて血族結婚を繰り返したので、200年以上エジプトを支配しながらエジプト人の血が混じらず、ギリシア人の血脈を保った。

と有るから
現地人との混血は無い筈だが
79名無し三等兵:2008/12/19(金) 20:22:37 ID:Ldmjr3ju
質問です
577 名前:名無し三等兵 投稿日:2008/12/19(金) 20:04:32 ID:Ldmjr3ju
wikiに戦像のことが書いてあったのですが

戦像でメス像は母親によっていく修正があるので戦像には使われなかったってありますが

なんもせんでも密集した陣形になるので利点もあると思いますけど


というか「密」した陣形になれるのは古代中世の戦争ではかなり大きな利点だと思いますけど
80名無し三等兵:2008/12/19(金) 20:31:45 ID:???
戦象は細かい戦術動作はできず防御力も意外に弱いという
打撃力だけが取り得の部隊なんで
「勝手に」密集するようなのは使い物にならんのですよ。
81名無し三等兵:2008/12/19(金) 22:59:29 ID:???
エジプト現地人の人種が正確にはわからんが(黒人説がある)、
現在と同じだとするとコーカソイド(白人種)で、
白人の中での二(三)大区分〜北方人種と地中海人種〜でも
ギリシャ人とエジプト人は同じ地中海人種だから、
200年とまたず、次世代にはよく似た姿になるだろう
(肌のメラニン量が人種差+生まれてからの紫外線量の関数だとすれば、
エジプト人とギリシャ人の差異は後者だけ)
82名無し三等兵:2008/12/19(金) 23:00:58 ID:???
コーカソイドとかネグロイドってもう死んだ概念じゃないの?
83名無し三等兵:2008/12/19(金) 23:21:11 ID:???
そうでもないよ。
概念が昔とはちょっと変わってインドあたりまでコーカソイドだけど
84某研究者:2008/12/20(土) 23:41:55 ID:nwX2Neba
サーカスの象は細かいコントロールは出来ているだろうし
象に人間が襲われているなら
可也機敏な動きも可能である訳だろうか
85名無し三等兵:2008/12/21(日) 08:58:13 ID:???
近代以前にローマ以外に志願制の常備軍を長期間に渡って維持した国ってある?
86名無し三等兵:2008/12/22(月) 22:08:07 ID:???
質問が曖昧過ぎるだろ?
87名無し三等兵:2008/12/25(木) 01:07:10 ID:JoZA/bgq
>>85スパルタしか思い浮かばん

カルタゴもオリエントの国々も傭兵が主だしな
88名無し三等兵:2008/12/26(金) 11:46:12 ID:7ZjK9Vgk
すごいレスがあったw

http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/budou/1230169655/

30 :剛力王 ◆bHrHPsP8RU :2008/12/26(金) 07:13:34 ID:o7QmskKSO
>30kgの鉄の剣

どうせ両手だろ?
両手なら誰でも出来るわ
俺は片手で出来るわ
89某研究者:2008/12/29(月) 13:09:32 ID:Strc8QiH
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%B0%84
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/genpei/bugu/bu_kougeki.html
日本の弓も形状を見ると
逆方向に湾曲しており
スキタイ・モンゴル弓同様の
リカーブボウだろうから
構造的にモンゴルの弓より不利と言う事は有るのかだろうし
素材も角や腱は利用していないが
燻した竹と言うのは角や腱より
強力と言う可能性は無いのかどうかだが
(形状的には明らかにスキタイ・モンゴルの影響を受けているだろうが
 角や腱を利用しなかったのは何故なのかだが
 コストの問題と言う可能性も有る訳だろうか)
90某研究者:2008/12/29(月) 13:27:33 ID:Strc8QiH
http://www.shibuya-archery.com/proshop/point_b.html
>リムは、ベーシックなものはハードウッドの芯材にグラスファイバーを貼りあわせたものが一般的です。
>グレードの高いものは、リムを構成する素材にカーボンを使用して反発力を高めてあるため、より軽いポンドで、より早く矢を飛ばすことができるようになっています。

現代の高級弓は
カーボンを利用しているし
動物の角や腱は利用して居ない訳だろうし
此れは燻した竹に似ていると言う事は無いのかだが
91某研究者:2008/12/29(月) 13:40:47 ID:Strc8QiH
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%B0%84
>またさらに完成度を高めた弓として、トルコ民族はさらに軽量・コンパクトな弓を用い、矢は両端が細く中央部に膨らみを持たせた造りにして飛翔力を高めた。

他国の矢に同様の構造は
有るのかどうかだが
92某研究者:2008/12/30(火) 03:36:47 ID:X57pS4Vw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%BC%93
>中打ちはさらにヒゴと呼ばれる黒く焦がした短冊状の竹を数本横並びに重ね合わせ、さらにその両脇を木で挟み込んでいる。完成品の弓の横脇には前竹、外竹に挟まれた形で木が見える形になり、この木を側木(そばき)と呼んでいる。
>竹は火を入れ焦がす事により、竹の繊維・維管束の主成分セルロースの結合が次第に強くなって行き、最終的にカーボングラファイト構造をした天然の炭素繊維になる。これにより軽く強く撓るようになり、弓の芯、ヒゴに使用されている。

>竹弓は引く事により、中打ちを芯として外竹が引き延ばされ、内竹が圧縮され内外竹がスプリングの様な働きをする事で弓としての反発力を得ており、側木や竹の性質、中打ちのヒゴの焦がし様やヒゴの数によって弓の性格が大きく変わってくる。
>この事から外竹は白色のまま、内竹は白?色が付く程、ヒゴは黒く焦げる程に火を入れ、それぞれの部位に合わせた素材の性質を引き出しているのが一般的な竹弓である。弓力(弓の強さ)は、弓の厚みを薄く、または厚くする事で概ね調節される。

中竹は余り燻しては居ない訳だろうし
中央にヒゴを用いる様に成ったのは

>弓胎弓(ひごゆみ)[ 江戸初期:17世紀頃? ]

江戸時代からと言う意見も有るだろうが
此れ以前に有ったと言う意見も有るだろうか
93某研究者:2008/12/30(火) 03:48:01 ID:X57pS4Vw
銃の威力に対抗して
焦がした竹を中心に置いた弓胎弓が
登場した可能性も有るだろうが
江戸時代前には有ったのかどうかだが
94某研究者:2008/12/30(火) 04:03:24 ID:X57pS4Vw
http://www.a-rchery.com/toywakyu.htm
>これは寿命の尽きた和弓の弓を輪切りにしたものです。

> 和弓がこんな構造というか、こんな作りになっていたと
>は知りませんでした。まずは真竹(まだけ)を割いて断面
>が四角になるように作ります。これを「ひご」と呼ぶそうで
>すが、これを焦がしてカーボン化します。この「焦がす」こ
>と自体、竹の反発力を高めるためです。すごいでしょう。
> そして竹の皮と肉が左右の関係になるように張り合わ
>せます。それが芯部分の黒い所です。これを両側(左
>右)から黄櫨(はぜ)の木で挟み、前後(的側と顔側)を
>真竹で皮がどちらも外側を向くように、アーチェリーのリ
>ムのようにサンドイッチ構造で挟み込みます。

中の竹は確かに可也黒いが
外側と内側の竹の黒さと言うのは
大差無い様にも見えるが
95某研究者:2008/12/30(火) 04:16:36 ID:X57pS4Vw
http://kyu-do.hp.infoseek.co.jp/kyuugu.htm
  2、油抜き・乾燥
     炭火であぶり、油分を拭き取り、油抜きをする。
     油抜きによりつやのあるきれいな竹表面になる。
     内竹は燻し、煤を水洗いし、飴色になるまで1〜2年繰り返し、煤竹とする。
  3、火入れ
     外竹は内側のみ火入れし、焦がし、真っ直ぐに調整する。
     内竹と中芯材は両面を火入れし、焦がし、調整して、竹を堅くする。
     内竹に煤竹を使用するのも、内竹は硬質である方が良いためである。

内竹は燻した後で
更に火を入れている様だが
ヒゴ部分より焦がしては居ない訳だろうか
96某研究者:2008/12/30(火) 04:30:42 ID:X57pS4Vw
http://learn.bowdoin.edu/heijiscroll/viewer.html
上を見ると13世紀の弓はリカーブボウでは無い様にも見えるが
描き間違いと言う可能性も有るのだろうか

http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/index.html
蒙古襲来絵詞ではリカーブボウの様に大半の弓は
書かれて居る訳だろうか
97某研究者:2008/12/30(火) 04:51:06 ID:X57pS4Vw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%82%A6
西欧の弓もクロスボウはリカーブボウに似ているかも知れぬし
リカーブボウの様な短弓を装備している兵も
描かれているだろうか
98某研究者:2008/12/30(火) 11:25:01 ID:X57pS4Vw
http://www.cryog.com/positbow40.html
>この弓は弓の上下を非対称(弓の上部を長く、弓の下部を短く)にして長い射程距離を保ちながら馬上での取りまわしをよくする
>ことを重点に置いたモンゴルタイプの弓を上下対称にし、命中精度の面で改良したしハンガリータイプです。

モンゴルの弓も蒙古襲来絵詞では
日本の弓程では無いが上下非対称の物が多いし
此れは精度には何処迄影響したのかどうかだが
99某研究者:2008/12/30(火) 11:59:06 ID:X57pS4Vw
備の場合は
槍足軽は兎も角
鉄砲足軽は密集して配置されているのかだろうし
騎馬武者も下馬して銃を放っている事が多いなら
密集しているのかだが
後方の馬は何処迄密集しているのかだが
弓足軽と言うのは何処迄密集して居たのか
どうかだが
鉄砲足軽よりは密集して居た可能性も
有る訳だろうか

故に大砲の兆弾射撃を受けても
やられるのは殆ど密集している槍足軽だけと言う事は
無いのかどうかだが
ナポレオン軍は全て散開しているから
より大砲の効果は低いと言う事だろうか
100某研究者:2008/12/30(火) 12:02:40 ID:X57pS4Vw
戦国時代では騎馬武者は射撃戦後は
馬に乗って待機したのかどうかだが
下馬した侭槍足軽の直ぐ後方に移動していた可能性も
有る訳だろうか
(弱い場所を補強したりする場合は
 騎乗して速やかに移動したと言う可能性も有る訳だろうか)
101某研究者
槍足軽も射撃戦時は
的に成るのを恐れて
割りに散開していた可能性と言うのは
無いのかどうかだが