1 :
某研究者:
古代〜近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装に関して
議論或いは情報を提供して貰いたい訳だが
2
3 :
某研究者:2008/09/27(土) 03:15:58 ID:MVUKRNR5
4 :
某研究者:2008/09/27(土) 03:17:23 ID:MVUKRNR5
5 :
某研究者:2008/09/27(土) 03:28:07 ID:MVUKRNR5
6 :
某研究者:2008/09/27(土) 03:29:54 ID:MVUKRNR5
7 :
某研究者:2008/09/27(土) 03:35:54 ID:MVUKRNR5
8 :
名無し三等兵:2008/09/27(土) 17:30:06 ID:???
ネット上で調べた限りではウルバン砲は17トン近くあるけれど、一体どうやって運んだんだろうか
水運で戦場近くまで運んだとしても、そこからはやっぱり…馬?
9 :
某研究者:2008/09/28(日) 05:29:45 ID:2EUmBTa8
砲身を2つに分割したと言うが
馬を大量に繋いだ馬車を利用すれば
運べなくは無いだろうが
第一次ウィーン包囲の際は雪が降っていたので
運べなかったと言う事だっただろうか
10 :
名無し三等兵:2008/09/29(月) 15:37:02 ID:???
ジュール・ブリュネ 1838年フランス生まれ 元フランス陸軍参謀総長
エコール・ポリテクニーク卒業
「ラスト・サムライ」のモデル
1862(文久2)年からメキシコ戦役に従軍し、プエブラ攻城戦での功で24歳という若さで、レジョン・ド・ヌール勲章
・シュバリエ章を授与される。画技において抜群な才能をもち、戦地において描かれた、
そのデッサンはフランス国内中に公表された。
幕府からの要請によって創設されたフランス軍事顧問団の一員として、慶応3年(1867年)来日を果たす。
しかし、軍事伝習開始後一年たらずで鳥羽伏見の戦いが勃発。ブリュネらはフランス本国の命令により中立の立場を
とることとなる。新政府から使節団の国外退去の旨を伝える書簡を受けとったフランス公使ウトレイは帰国を決定する。
しかしブリュネはそれに賛同できず、横浜のイタリア大使館での仮面舞踏会にカズヌーフ伍長とともに出席し、
舞踏会を抜け出して東北へと向う。その後「開陽丸」に乗り込み榎本武揚の旧幕府脱走軍とともに箱館に入り、
軍事顧問として従軍する。この時、ブリュネは上司であるシャノワンヌ大尉の机の上に、フランス皇帝ナポレオン3世に当てた手紙を残してきた。
ウトレイ公使やシャノワンヌ大尉、延いてはフランス本国に迷惑のかからないように辞表を出していた。
箱館で旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚の行動を支援し、軍事的防衛の援助も行う。
五稜郭に立て籠もる旧幕府脱走軍を新政府軍が攻撃し、五稜郭は陥落、榎本武揚らは投降した。
ブリュネらは陥落前に箱館港に停泊中のフランス軍艦「コエトローゴン」で箱館港から脱出し、
フランスへ連れ戻されるが本国においてはブリュネの心情を理解するフランス国民の後押しにより軍事裁判に
かけられることはなかった。
1869年、普仏戦争が勃発して軍に復帰することを許され、セダンの戦いでプロイセン軍に包囲された仏軍は
ナポレオン3世以下全軍降伏し、ブリュネも捕虜になる。
1871年パリ・コミューンでの鎮圧に参加する。
1898年フランス陸軍参謀総長に就任する。
11 :
某研究者:2008/11/02(日) 08:23:33 ID:5KXPhtSt
12 :
名無し三等兵:2008/11/02(日) 09:00:15 ID:???
13 :
名無し三等兵:2008/11/21(金) 17:40:20 ID:Y6T7qlBu
ageついで
中世、ルネッサンス、近世の頃の戦術や軍制について書かれてる本教えてください
テルシオやグスタフ・アドルフ、ルイ14世、フリードリッヒ大王あたりが嬉しいです
古代ローマ、ギリシャから一気にナポレオンに飛ぶ現状を何とかしたい
14 :
某研究者:2008/12/04(木) 14:28:28 ID:JJupRNfv
怒張しきった私自身を鎮めるには
高速ピストン運動が必要なのか
どうなのかだが
15 :
名無し三等兵:2008/12/05(金) 18:56:41 ID:???
>>13 オスプレイの戦史シリーズとかメンアットアームズシリーズとかは?
日本語翻訳版でご期待に沿える本があるか、ちょっと自信がないが。
未翻訳を含めるとこいつ等、病気じゃね?ってくらいマイナーな物も
あるんだけど
16 :
某研究者:2008/12/06(土) 09:01:58 ID:zqjYO0nq
17 :
某研究者:2008/12/06(土) 09:06:00 ID:zqjYO0nq
18 :
某研究者:2008/12/06(土) 09:19:18 ID:zqjYO0nq
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99 >戦国時代以前においては律令制に基づく軍団制を除き、備のような系統だった部隊編成は見られない。
>それは律令制崩壊以後の日本においては「御恩と奉公」という主従関係に基づいた、繋がりを重視する部隊編成を行わざるをえなかったためである。
>しかし戦国時代になると領国間の紛争に伴う恒常的な臨戦態勢が必要となり、また足軽といった新たな戦力が加わった結果、戦国大名は軍事行動を行うための軍制整備の一環として、
>単独での戦闘が可能な備の編成を行う様になった。
まあしかし南北朝時代でも騎馬武者の乗馬突撃を
シールドウォールや槍・長刀等で阻止したと言う記述も有るから
全く組織戦が出来無いと言う事では
無い訳だろうが
19 :
某研究者:2008/12/06(土) 09:22:29 ID:zqjYO0nq
大部隊を鶴翼陣や魚鱗等に柔軟に組み替えて
運用すると言うのは
戦国時代以前には有り得たのかだが
戦国以前には横隊しか
果たして無かったのかどうかだが
横隊の横幅や
縦深程度は調節して居なかったのかどうかだが
20 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 09:52:46 ID:???
そこの記述を読んでも備の陣形がまるでわからん。
各兵科の組に組ませた横隊を重ねて陣を形成してるみたいだけど、
各組はどうやって横隊を組んでるんだろう。
あと旗組と士大将付きの人員がやけに多いのは、
指揮統制を重視してるのだろうか?
21 :
某研究者:2008/12/06(土) 09:58:54 ID:zqjYO0nq
指物を重視しているのは
遠くから見た時の部隊配置を確認し易くする為であり
特に味方が押しているか押されているかを
把握する事が重要と言う事だっただろうが
大将付きの人員と言うのは伝令(使い番)や従者が
多いと言う事では無いのかだが
22 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:12:22 ID:zqjYO0nq
23 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:22:23 ID:zqjYO0nq
24 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 10:28:27 ID:???
>>22 >
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99 >備の戦闘隊形は西洋のテルシオやマウリッツなどの陣形と異なり厳密な操典はなく
この辺りが解らないんだよね。
操典が無いのに
・どうやって横隊を整列させたか
・どうやって横隊を機動させたか
その辺りが良くわかんない。
>又、密集隊形を採らずに各部隊を一列横隊(場合によっては二列)
>ごとに並べるもので、その配置も戦況に伴い頻繁に変更を行った。
これを読むと機動するときは陣形を解いて各個人で移動し、
所定の場所で改めて横隊を組み直してるように読めるんだけど、
そんな事が出来たのだろうか?
25 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:37:59 ID:zqjYO0nq
備も可也前後に間が開いており
ファランクスやテルシオの様な密集隊形では無いから
組み換えは割りに容易かも知れぬが
組み替えにはどの程度時間が掛かったのだろうか
(具体的な組み替え方法等は
残っていないと言う事かも知れぬが
備内部の戦闘隊形の種類は
幾らかは残っていると言う事かも知れぬが)
26 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 10:38:04 ID:???
>>21>>23 ほう、すると備は旗指物による自部隊の状況確認と、
伝令で各組との連絡を密に取る事での指揮の応答性を重視し、
横隊編成で機動力を重視しているという理解でいいのかな?
27 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:38:47 ID:zqjYO0nq
厳密な操典は無いが
幾つかの基本的な隊形への変更方法と言うのは
決められていたと言う事かも知れぬが
28 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:43:09 ID:zqjYO0nq
http://jinroku.com/syohin-mukade.htm >使番(つかいばん)というと、単なる伝令役のように受け取られやすいですが、実はそうではありません。状況によっては前線にとどまり、指令が徹底するまで見届ける。
>ときには指揮を取ることまでやりました。その為、使番にはその大名家の勇武に優れた若武者がつとめました。つまり使番とは若武者羨望の役だったのです。
使番が戦闘指揮迄
やっていたとは驚いたが
>武者物語に、「武田信玄公の御内には、お使い武者十二人あり。指物がいずれも白き白半に黒百足を描きたる指物なり。
>然るにその中に、初鹿野伝右衛門という武者は百足無しの白き四半をさして出る。
武田信玄本隊では12名しか使番は居ないと言う事なのかだが
必要に応じて使い番には
護衛も付けられていたと言う事だっただろうか
29 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:45:53 ID:zqjYO0nq
>ほう、すると備は旗指物による自部隊の状況確認と、
>伝令で各組との連絡を密に取る事での指揮の応答性を重視し、
>横隊編成で機動力を重視しているという理解でいいのかな?
まあ旗指物は単に活躍を目立せる為と言う意見も有るだろうし
使番の人数と言うのは
具体的にはどうだったのかは不明だが
当時の西欧軍よりは多かったのかどうかだが
(西欧軍も16世紀の場合は可也巨大な旗を
利用していたかも知れぬが)
30 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 10:46:13 ID:???
>又、密集隊形を採らずに各部隊を一列横隊(場合によっては二列)
>ごとに並べるもので、その配置も戦況に伴い頻繁に変更を行った。
今気づいたけど、機動時は組単位でバラけて、組は組頭を先頭に一列縦隊で移動するのかも。
これなら後続は先頭に付いて行けばいいだけだから、
ファランクスより迅速な機動が出来ると思うけどどうだろう?
31 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:47:19 ID:zqjYO0nq
大将の周囲も使い番が多いのでは無く
護衛の騎馬武者=馬廻りが多いと言う可能性も
有る訳だろうか
32 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:50:18 ID:zqjYO0nq
西欧軍も一般的に伝令が重視されていたなら
ワーテルローの様な事は起きるのかだろうし
戦国時代に使い番の情報伝達が失敗して負けたと言う戦いは
有るのかどうかだが
33 :
某研究者:2008/12/06(土) 10:56:15 ID:zqjYO0nq
>今気づいたけど、機動時は組単位でバラけて、組は組頭を先頭に一列縦隊で移動するのかも。
行軍時は縦隊で移動しているだろうが
戦闘機動時に備内部で果たして縦隊を取ったのかだが
(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A3%E5%BD%A2 戦闘時でも備を組み替えて鋒矢や長蛇等の縦陣を組む事なら
有り得る訳だろうが
備の内部迄縦隊では恐らく無いかも知れぬが)
横隊の侭でも密集隊形では無いなら
4列横隊だが前後が詰まっている近世の軍等より
高速で移動出来たと言う事は無いのかだが
縦隊+散兵のナポレオン軍よりは遅いのだろうか
34 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 11:04:18 ID:???
35 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 11:08:23 ID:???
>>32 戦国時代に、ナポレオン期のような軍団ごとの分進合撃があったかね?
単に別々に行動するのではなく、必要なとき(決戦場)に合同することを意図したもので。
・・・秀吉の小田原、九州キャンペーン、石田三成と家康の関が原キャンペーンくらいか。
朝鮮戦役でもありそうだが、よくわからん。
秀忠の中仙道軍は合同に失敗したけど、伝令の問題ではなかったなぁ。
小牧長久手の中入り勢は・・・ちょっと違うか。
使い番といえば、鳥居強衛門は長篠の勝利に貢献してたな。
光秀の毛利への使い番が秀吉に捕らえられてなかったら、
秀吉の大返しは無かったかも。
(真相がどうなのかはよくわからんが)
あと、関が原の直前、石田三成が味方に愚痴ってる手紙が家康に捕まってたな。
36 :
某研究者:2008/12/06(土) 11:16:02 ID:zqjYO0nq
37 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 11:20:09 ID:???
組ごとの戦列が一列しか無かったってのがよく理解できない。
相手がある程度の縦深のある戦列でぶつかってきたら簡単に突破されるんじゃないか?
38 :
某研究者:2008/12/06(土) 11:26:36 ID:zqjYO0nq
http://www.hiro.org/rekishi/hyou/mail/hyou001.html >秀吉の場合
>毛利との戦で、この時はたしか清水 宗治と戦っていた筈。
>高松城を水責めにし、戦らしい戦はしていないのに、さも苦戦している様な手紙を出し援軍を頼んだ。(おびきだした?)
>光秀より毛利への密書が間違えて秀吉の陣に着いた事等は、チャンチャラおかしい。密書を持たせる人物は、その能力も高く、信頼のおける人物である筈であり、本陣を間違えたとはお笑い千万。
>それに、こういう重要な密書は、その後、第2便、第3便と続く筈。
>第1報で終わりとは考えにくい。
密書が秀吉に渡ったと言うのも不可解な点は多い訳だろうから
光秀の密書等は元々存在せず
秀吉が信長暗殺を仕組んでいた可能性も有ると言う
意見も有る訳だろうか
39 :
某研究者:2008/12/06(土) 11:31:53 ID:zqjYO0nq
>組ごとの戦列が一列しか無かったってのがよく理解できない。
>相手がある程度の縦深のある戦列でぶつかってきたら簡単に突破されるんじゃないか?
やられた箇所には騎馬武者を投入して
援護すると言う事だっただろうし
ファランクスも機動力の有る散開した軽歩兵に包囲されたり
背後を突かれて
壊滅している訳だろうから
密集隊形は万能なのかだが
重騎兵を阻止するにはテルシオの様な縦深は必要だろうが
日本には重騎兵は居ない訳だろうか
40 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 11:35:16 ID:???
>>36 有難う、解らないのはテッセラリウスがドゥプリカリウスと
ケントゥリオン・オプティオ間の連絡を受け持ってたかどうかなんだ。
wikiでのケントゥリアの記述を読むとケントゥリオン・オプティオ+コントゥベルニウム
だけしか居ないみたいな書き方してるんだ
>ひとつのケントゥリアには指揮官として先頭に立つケントゥリオ(百人隊長)が1人、
>副官として最後尾に立つオプティオ(百人副長)が1人、
>そして78人の軍団兵によって成り立っていた。
>この78人の軍団兵は戦闘の際には13人からなる横列を6列作り密集して敵と対峙した。
>ただし実際の定員数は部隊によって異なり、60名から80名の差異があった
テッセラリウスはどこに配置されてたのだろう。
各ケントゥリアに配属されていたのか、マニプルス付きなのかコホルス付きなのか……。
備に限らず、ケントゥリアもファランクスも具体的に実務レベルで
どう部隊を進退させていたのかまるでわからないお。
解らないでは話が進まないので、テッセラリウスは個人的にはマニプルスとコホルスの
上位ケントゥリア付きだったでは無いかと思うがどうだろう。
41 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 11:36:48 ID:???
42 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 11:39:20 ID:???
>>37 >組ごとの戦列が一列しか無かったってのがよく理解できない。
>相手がある程度の縦深のある戦列でぶつかってきたら簡単に突破されるんじゃないか?
個人的な想像だが、一列横隊を幾重にも重ねることで縦深を作り出しているんだと思う。
43 :
某研究者:2008/12/06(土) 11:58:13 ID:zqjYO0nq
備の内部では
白兵戦の可能な列は槍足軽と騎馬武者の2列しか無いだろうが
備を縦に並べている例は多いから
車係りの様に前後の備を頻繁に入れ替えて
戦っていた可能性も有る訳だろうか
44 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 12:09:23 ID:???
一列縦隊の組を複数並べたとか?
45 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 12:17:01 ID:???
>この78人の軍団兵は戦闘の際には13人からなる横列を6列作り密集して敵と対峙した。
>ただし実際の定員数は部隊によって異なり、60名から80名の差異があった
微妙に間違いがあるな。
正確には6人の縦列を13個横に並べた、だ。↓みたいに。
列 列 列 列
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・
ギリシャもローマも陣形は一縦列を複数横に並べるのが基本。
46 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 12:59:06 ID:???
そういや近代国家の国民は小学校から
「全体整列」「○列縦隊」「○列横隊」「前に習え」「点呼」
「右向け右」「左向け左」「回れ右」「全体進め」「駆け足」「全体止まれ」
を皮膚感覚に染み込むまで叩き込まれるよね。
あれが出来たら大抵の戦術機動が出来るよな(というかそれが目的か
今の人間なら方陣を組んでも陣形を維持したまま、
自在に進行方向を変える戦術機動が出来るけど、
ケントゥリアやファランクスは同じ事が出来るのだろうか。
それとも前方にしか進めなかったのだろうか?
47 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 13:14:12 ID:???
48 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 13:28:15 ID:???
質問なんだけどファランクスの構成単位で
シンクタグマ以下の部隊はあるの?
49 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 13:32:58 ID:???
>>45 >ギリシャもローマも陣形は一縦列を複数横に並べるのが基本。
一列横隊を重ねるより一列縦隊を束ねて方陣を作る方が、
衝力も機動力も高そうだな。
50 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:26:12 ID:???
>>48 マケドニア式ファランクスの場合、16名で構成され、デカダルコスと呼ばれる士官が指揮する一つの縦隊(デカス)が最小単位。
その縦隊を16個束ねて配置したのがシンタグマ。ちなみに二個シンタグマでロコスが編成され、三個ロコスがタクシスになる。
51 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:36:34 ID:???
>>46 古代ギリシャでも基本的な号令は同じだよ。
下みたいな感じで。
エピ・ドリ・クリネイ=右向け右
エピ・アスピダ・クリネイ=左向け左
メタボリ=回れ右
エフォドス=全体進め
アキニトス=全体止まれ
ピュクノシス=戦闘準備
シン・アスピド=戦闘隊形
アナクリシス=退却
52 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:38:39 ID:???
>>50 ありがとう、すると一個タクシスはこんな感じになるのかな?
デカス:■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■
これはたしかに機動性が悪そうだ。
最小戦術単位が4個デカスくらいなら使い勝手が良くなると思うのだが。
53 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:49:05 ID:???
>>52 あくまで複数列を横に束ねるのが基本だから戦闘時の縦深は基本的に16列のまま。
54 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:52:15 ID:???
>>47 >つイリパの戦い
ごめん、調べたけどよくわかんない。
スキピオがハンニバルの本拠地を陥落させた戦いで合ってる?
戦闘の詳細はわからんかった。
>>51 その場で方向転換できるのであれば、
ファランクスもそれほど機動性は悪くなかったのかな。
55 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:56:12 ID:???
>>53 んじゃこんな感じ?
■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■
■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■
56 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 14:57:12 ID:???
あ、一列足りなかった……
57 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:00:24 ID:???
>>55 そう。でもイッソスの戦いでは最初は32列、その次は16列、最後は8列と戦闘中に変わっているから柔軟性が無いわけじゃない。
58 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:07:18 ID:???
>イリパの戦い
簡単に言えば戦闘が始まるとスキピオの命令でローマ軍の両翼が速度の速い行軍隊形になり、カルタゴ軍を包囲できる位置に素早く前進すると同時に戦闘隊形に変わって戦闘に突入した。
59 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:40:29 ID:???
んー、するとファランクスは何が問題だったんだろう。
それともファランクスが廃れたのは、単にギリシア、マケドニアの衰退の付随現象であり
ローマのレギオンに優位性があったという訳でも無いのだろうか。
60 :
某研究者:2008/12/06(土) 15:49:32 ID:zqjYO0nq
ファランクスもマラトンの際の突撃等を考えれば
意外と高速移動は可能なのかも知れぬが
一旦散開して移動したのかだが
61 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 15:49:40 ID:???
>>58 >簡単に言えば戦闘が始まるとスキピオの命令でローマ軍の両翼が速度の速い行軍隊形になり、
>カルタゴ軍を包囲できる位置に素早く前進すると同時に戦闘隊形に変わって戦闘に突入した。
思い出した、と言っても「ローマ人の物語」で読んだ程度しか知らないけど。
たしかハンニバルに習っての包囲殲滅戦を演出した戦いだっけ。
これはつまり、ローマ軍右翼を例に取ると、縦隊で機動して位置取りをする。
位置に付いたら「左向け左」という個人レベルの運動で全隊を横隊に
変化させる事が出来たと言うことだろうか。
62 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 23:11:54 ID:???
63 :
某研究者:2008/12/07(日) 21:48:56 ID:s2gUFpFF
64 :
名無し三等兵:2008/12/07(日) 23:46:38 ID:kqpdCUtz
映画「1812年」の中で、交戦状態で敵軍の砲弾が飛んでくる中を歩兵部隊が方形隊列で歩いているシーンがあったが、あれはできないと思った。
65 :
某研究者:2008/12/08(月) 01:36:03 ID:5Ur140hR
4列の横隊或いは
中空の方陣であれば
砲撃にも可也強いと言う事は無いのかだが
ナポレオン軍の場合は縦陣+散兵の横隊である訳だろうか
66 :
某研究者:2008/12/08(月) 17:44:30 ID:5Ur140hR
20万のトルコ軍がプリンツオイゲン5万の兵に
夜襲で敗れた等と言うが
18世紀初頭の西欧の騎兵に槍は無いから
トルコの槍騎兵に勝てたのかだが
騎兵がやられれば銃剣では槍騎兵は阻止不能だろうから
歩兵も容易に蹴散らされる訳だろうか
67 :
名無し三等兵:2008/12/08(月) 21:18:24 ID:94e2eej+
>>65 すまんそうじゃなくてあれではおれは銃殺覚悟で敵前逃亡しそう。
68 :
Z212241.ppp.dion.ne.jp:2008/12/08(月) 21:19:11 ID:kjRm41kh
フランス国家憲兵隊治安介入機動部隊(GIGN)の肩章がYahooオークションに出ているのを発見!
69 :
名無し三等兵:2008/12/08(月) 21:57:57 ID:???
イタリア兵の私が来ましたよ
70 :
名無し三等兵:2008/12/09(火) 00:38:31 ID:???
>67
逆、敵前逃亡させないために隊伍組ませて互いに見張らせるんだよ。
士気が低い軍隊では散兵浸透戦術使おうとしても兵が前進しない。
71 :
名無し三等兵:2008/12/09(火) 17:09:29 ID:???
兵の錬度が低い場合、横隊より縦隊の方が統制を取り易いと思うのだがどうだろう?
72 :
名無し三等兵:2008/12/12(金) 05:32:51 ID:???
スイス槍兵が方陣で突撃してたときってどんな組み方してたん?
73 :
某研究者:2008/12/13(土) 01:43:05 ID:v8MqyUDr
74 :
某研究者:2008/12/13(土) 01:49:48 ID:v8MqyUDr
75 :
名無し三等兵:2008/12/14(日) 08:06:54 ID:???
追撃にくる騎兵の対処しながら撤退とかもやってるから機動力はそこそこあるはずだわな
76 :
名無し三等兵:2008/12/14(日) 10:38:24 ID:???
ポソ事件の動画見て思ったが昔の戦はあんな感じなのかね
77 :
某研究者:2008/12/17(水) 18:53:03 ID:OxVqXHWY
78 :
某研究者:2008/12/17(水) 18:58:36 ID:OxVqXHWY
79 :
名無し三等兵:2008/12/19(金) 20:22:37 ID:Ldmjr3ju
質問です
577 名前:名無し三等兵 投稿日:2008/12/19(金) 20:04:32 ID:Ldmjr3ju
wikiに戦像のことが書いてあったのですが
戦像でメス像は母親によっていく修正があるので戦像には使われなかったってありますが
なんもせんでも密集した陣形になるので利点もあると思いますけど
というか「密」した陣形になれるのは古代中世の戦争ではかなり大きな利点だと思いますけど
80 :
名無し三等兵:2008/12/19(金) 20:31:45 ID:???
戦象は細かい戦術動作はできず防御力も意外に弱いという
打撃力だけが取り得の部隊なんで
「勝手に」密集するようなのは使い物にならんのですよ。
81 :
名無し三等兵:2008/12/19(金) 22:59:29 ID:???
エジプト現地人の人種が正確にはわからんが(黒人説がある)、
現在と同じだとするとコーカソイド(白人種)で、
白人の中での二(三)大区分〜北方人種と地中海人種〜でも
ギリシャ人とエジプト人は同じ地中海人種だから、
200年とまたず、次世代にはよく似た姿になるだろう
(肌のメラニン量が人種差+生まれてからの紫外線量の関数だとすれば、
エジプト人とギリシャ人の差異は後者だけ)
82 :
名無し三等兵:2008/12/19(金) 23:00:58 ID:???
コーカソイドとかネグロイドってもう死んだ概念じゃないの?
83 :
名無し三等兵:2008/12/19(金) 23:21:11 ID:???
そうでもないよ。
概念が昔とはちょっと変わってインドあたりまでコーカソイドだけど
84 :
某研究者:2008/12/20(土) 23:41:55 ID:nwX2Neba
サーカスの象は細かいコントロールは出来ているだろうし
象に人間が襲われているなら
可也機敏な動きも可能である訳だろうか
85 :
名無し三等兵:2008/12/21(日) 08:58:13 ID:???
近代以前にローマ以外に志願制の常備軍を長期間に渡って維持した国ってある?
86 :
名無し三等兵:2008/12/22(月) 22:08:07 ID:???
質問が曖昧過ぎるだろ?
87 :
名無し三等兵:2008/12/25(木) 01:07:10 ID:JoZA/bgq
>>85スパルタしか思い浮かばん
カルタゴもオリエントの国々も傭兵が主だしな
88 :
名無し三等兵:2008/12/26(金) 11:46:12 ID:7ZjK9Vgk
89 :
某研究者:2008/12/29(月) 13:09:32 ID:Strc8QiH
90 :
某研究者:2008/12/29(月) 13:27:33 ID:Strc8QiH
91 :
某研究者:2008/12/29(月) 13:40:47 ID:Strc8QiH
92 :
某研究者:2008/12/30(火) 03:36:47 ID:X57pS4Vw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%BC%93 >中打ちはさらにヒゴと呼ばれる黒く焦がした短冊状の竹を数本横並びに重ね合わせ、さらにその両脇を木で挟み込んでいる。完成品の弓の横脇には前竹、外竹に挟まれた形で木が見える形になり、この木を側木(そばき)と呼んでいる。
>竹は火を入れ焦がす事により、竹の繊維・維管束の主成分セルロースの結合が次第に強くなって行き、最終的にカーボングラファイト構造をした天然の炭素繊維になる。これにより軽く強く撓るようになり、弓の芯、ヒゴに使用されている。
>竹弓は引く事により、中打ちを芯として外竹が引き延ばされ、内竹が圧縮され内外竹がスプリングの様な働きをする事で弓としての反発力を得ており、側木や竹の性質、中打ちのヒゴの焦がし様やヒゴの数によって弓の性格が大きく変わってくる。
>この事から外竹は白色のまま、内竹は白?色が付く程、ヒゴは黒く焦げる程に火を入れ、それぞれの部位に合わせた素材の性質を引き出しているのが一般的な竹弓である。弓力(弓の強さ)は、弓の厚みを薄く、または厚くする事で概ね調節される。
中竹は余り燻しては居ない訳だろうし
中央にヒゴを用いる様に成ったのは
>弓胎弓(ひごゆみ)[ 江戸初期:17世紀頃? ]
江戸時代からと言う意見も有るだろうが
此れ以前に有ったと言う意見も有るだろうか
93 :
某研究者:2008/12/30(火) 03:48:01 ID:X57pS4Vw
銃の威力に対抗して
焦がした竹を中心に置いた弓胎弓が
登場した可能性も有るだろうが
江戸時代前には有ったのかどうかだが
94 :
某研究者:2008/12/30(火) 04:03:24 ID:X57pS4Vw
http://www.a-rchery.com/toywakyu.htm >これは寿命の尽きた和弓の弓を輪切りにしたものです。
> 和弓がこんな構造というか、こんな作りになっていたと
>は知りませんでした。まずは真竹(まだけ)を割いて断面
>が四角になるように作ります。これを「ひご」と呼ぶそうで
>すが、これを焦がしてカーボン化します。この「焦がす」こ
>と自体、竹の反発力を高めるためです。すごいでしょう。
> そして竹の皮と肉が左右の関係になるように張り合わ
>せます。それが芯部分の黒い所です。これを両側(左
>右)から黄櫨(はぜ)の木で挟み、前後(的側と顔側)を
>真竹で皮がどちらも外側を向くように、アーチェリーのリ
>ムのようにサンドイッチ構造で挟み込みます。
中の竹は確かに可也黒いが
外側と内側の竹の黒さと言うのは
大差無い様にも見えるが
95 :
某研究者:2008/12/30(火) 04:16:36 ID:X57pS4Vw
http://kyu-do.hp.infoseek.co.jp/kyuugu.htm 2、油抜き・乾燥
炭火であぶり、油分を拭き取り、油抜きをする。
油抜きによりつやのあるきれいな竹表面になる。
内竹は燻し、煤を水洗いし、飴色になるまで1〜2年繰り返し、煤竹とする。
3、火入れ
外竹は内側のみ火入れし、焦がし、真っ直ぐに調整する。
内竹と中芯材は両面を火入れし、焦がし、調整して、竹を堅くする。
内竹に煤竹を使用するのも、内竹は硬質である方が良いためである。
内竹は燻した後で
更に火を入れている様だが
ヒゴ部分より焦がしては居ない訳だろうか
96 :
某研究者:2008/12/30(火) 04:30:42 ID:X57pS4Vw
97 :
某研究者:2008/12/30(火) 04:51:06 ID:X57pS4Vw
98 :
某研究者:2008/12/30(火) 11:25:01 ID:X57pS4Vw
http://www.cryog.com/positbow40.html >この弓は弓の上下を非対称(弓の上部を長く、弓の下部を短く)にして長い射程距離を保ちながら馬上での取りまわしをよくする
>ことを重点に置いたモンゴルタイプの弓を上下対称にし、命中精度の面で改良したしハンガリータイプです。
モンゴルの弓も蒙古襲来絵詞では
日本の弓程では無いが上下非対称の物が多いし
此れは精度には何処迄影響したのかどうかだが
99 :
某研究者:2008/12/30(火) 11:59:06 ID:X57pS4Vw
備の場合は
槍足軽は兎も角
鉄砲足軽は密集して配置されているのかだろうし
騎馬武者も下馬して銃を放っている事が多いなら
密集しているのかだが
後方の馬は何処迄密集しているのかだが
弓足軽と言うのは何処迄密集して居たのか
どうかだが
鉄砲足軽よりは密集して居た可能性も
有る訳だろうか
故に大砲の兆弾射撃を受けても
やられるのは殆ど密集している槍足軽だけと言う事は
無いのかどうかだが
ナポレオン軍は全て散開しているから
より大砲の効果は低いと言う事だろうか
100 :
某研究者:2008/12/30(火) 12:02:40 ID:X57pS4Vw
戦国時代では騎馬武者は射撃戦後は
馬に乗って待機したのかどうかだが
下馬した侭槍足軽の直ぐ後方に移動していた可能性も
有る訳だろうか
(弱い場所を補強したりする場合は
騎乗して速やかに移動したと言う可能性も有る訳だろうか)
101 :
某研究者:
槍足軽も射撃戦時は
的に成るのを恐れて
割りに散開していた可能性と言うのは
無いのかどうかだが