1 :
名無し三等兵:
前スレの続き、疑問・質問・主張、なんでもどーぞ。
季節ものではありましぇん
2 :
名無し三等兵:2008/08/16(土) 21:57:58 ID:???
貴様は駄賃がほしくてこんなスレを
3 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 01:47:51 ID:PKiJYOdT
神田大尉がスレ立てを頼むと言ったのか?
4 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 07:25:19 ID:???
5 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 07:30:27 ID:CfxZO9aG
八甲田山ってなんで寒くて雪が多いの?
北海道のほうが雪が多そうに思うけど
6 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 07:45:30 ID:hUodGfyv
7 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 13:24:15 ID:???
>>5 空気は暖かいほうが水蒸気を多く含むことが出来るんだ。
ドカ雪を降らせる雲を作るには、暖流が流れ込んでいる日本海は最適。
この暖流、対馬海流の先端は津軽海峡を流れて太平洋に抜ける。(一部は小樽沖へ)
津軽海峡でマグロが取れるのは知っているだろ?
この暖かい海と大陸からの乾いた冷気とで日本海側の湿ったドカ雪が作られる。
北海道では水蒸気量が減り、パウダースノーとなる。
八甲田周辺では、気象条件によりどちら側にもなるのではないか?
良質だと聞いたことがある。
8 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 14:14:08 ID:???
北海道で二階から出入りしなければならない程の降雪は
まず滅多に無いよ。
新潟とか山形の方が雪は多いんじゃないのかな?
昭和の頃TVで新潟や山形に住んでいる人達が二階から出入りしている
様子が写し出されていて驚いたもん、オレ。
9 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 16:47:17 ID:???
どうして冬に雪中行軍予定なら雪がないうちに途中に避難小屋設置しなかったんでしょ?
登山で言えばベースキャンプみたいなの
かなり途中は難所があるって事前でわかってたのに
作っておけば周囲の一般人も吹雪いたときは避難できるし助かるのに
10 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 16:57:49 ID:CfxZO9aG
>>7 >空気は暖かいほうが水蒸気を多く含むことが出来るんだ
ありがとうございます、目からウロコです。
それとやはりあの複雑な地形が関係するんでしょうね。
>>8 ドカ雪と言えばやはり東北というイメージですね。
11 :
名無し三等兵:2008/08/17(日) 20:09:19 ID:???
38豪雪のときは大変だったと、爺さんから聞いたがその土地は福島と新潟の県境近く。
毎年一階部分は雪囲いするのが普通。
北陸から東北の日本海側が水蒸気量と温度がマッチして豪雪になりやすい。
12 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 01:41:53 ID:???
>>10 正確に言うなれば東北の日本海側、だろうね。
北海道だって日本海側と太平洋側じゃ降雪量はかなり違うよ。
日本海は降雪量多いけど太平洋側は少ない。
13 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 07:57:24 ID:???
>9"そんな事前準備をする様では、有事の為の訓練にならん!"とかじゃないの?
"気合いと根性"の旧軍隊ですもん。
14 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 08:47:22 ID:???
>>13 逆に太平洋戦争では合理的な飛び石戦術なアメリカに負けてしまったんですね
15 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 12:52:59 ID:???
スレ序盤にして早くもリングワンデリングの予感
16 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 20:01:01 ID:???
>>9 そういう発想自体があったかどうか分からんのに。
まず、レジャーとしての登山でさえ当時の日本では黎明期だろう。
ベースキャンプ云々とかもね。
そういった要素を含めて真冬の八甲田での部隊移動を探るのが目的だった。
大体、当時の周辺住民は真冬にあのルートを通るなんて普通はやらない。
17 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 20:13:19 ID:???
18 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 20:15:38 ID:???
>>16 でも温泉はいりに田代に行こうとした村の若い衆が6人も賽の河原で凍死したって
五連隊が村を通過するときに村の老人が言ってたじゃないの?
冬でもあの道通ろうとする人いるんだろ?
19 :
名無し三等兵:2008/08/18(月) 20:19:23 ID:???
>>18 それは小説・映画の話かな?
何れにしても無謀な若者が死んだってだけのこと。
何時の時代にもそういう人間は居るもんだ。
「普通の人」はやらない。
今でもあの辺は冬に封鎖されるルートがあるくらいだ。
20 :
名無し三等兵:2008/08/21(木) 19:31:25 ID:fFJe+N3Q
近年、遭難現場付近の積雪って、1月下旬でどれくらいなの?
冬場撮影された馬立場の銅像茶屋付近の写真では、30pからせいぜい50pどまり。
明治35年が特別?
21 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 01:39:50 ID:???
>>20 明治35年は日本での最低気温を記録した年で異常に
寒かったようだよ。
22 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 05:40:22 ID:???
小説には馬立場は地形的に雪が少ないと書いてあった。
23 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 07:22:39 ID:Nk3q6l1N
平沢・鳴沢は雪が深かったよね、吹きだまりのできそうな地形なの?
24 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 11:32:32 ID:???
秋までに目印のポールとか立てておくわけにはいかなかったの?
遠くからでも見えるように赤い旗でもなびかせて、途中で何カ所か
で、その根本にでも救援物資でも埋めておくとかさ
25 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 19:42:42 ID:???
山の吹雪の恐ろしさ、雪とは何か寒さとは何か、
空前の厳しい訓練になるだろうと見通しが立っていれば
準備万端整えて、あれほどの被害者を出さないですんだろうね。
26 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 21:20:13 ID:0/19sYb0
準備万端整えたら、訓練にならないじゃないか。
それに、雪が積もる所では十メートル・・・
そんなに高いポールなぞ、ゲリラと砲撃の良い的だ。
27 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 22:14:48 ID:PcNGvhA9
>>24 小説の徳島大尉が岩木山の雪中行軍でそれやってたな。地元民をやって目印の棒を立てるとか
赤い布切れを結び付けて置くとかしたそうな。
しかし吹雪になったらそれくらいではどうしようもないとも言った。
28 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 22:59:32 ID:???
>>25 明治時代でも山で遭難とか結構身近に知ってる軍人さん青森にもいたと思うんだけどね
どうしてメンツにこだわってあきらかに集団遭難なりそうなのにそのまま行軍続けたのか・・・
一人一人では素直になれるけど集団になると知能が下がるのかなと思ってしまいます
29 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:00:40 ID:???
>>26 訓練で死んだらそれこそ無駄死にじゃないの?
敵と戦う前に勝手に自滅してどうすると
30 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:04:32 ID:???
>>28 それはそういう軍人の存在を証明しないとな。
マタギ以外で真冬に山に入る人間はそうは居なかったが。
ただ単に三行目を言いたいが為にこじつけているように思える。
31 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:06:18 ID:???
>>27 高い木とかの上(積雪が最大限積もっても見える位置)に縛り付けるなり釘止めするなり目印つけておくべきだね
もしくは途中で避難小屋を作っておくとかね
そこらのルートを短く刻む方法とか考えなかったのが敗因
賽の河原あたりはだだっぴろい平地みたいなとこなんだから
そこらに作っておけば通常の旅人とかも助かるのにな
32 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:07:29 ID:???
33 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:07:30 ID:???
まー後付では何とでも言えるわな。
34 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:08:23 ID:???
>>32 「居たと思う」だけじゃ何の意味も無いってこった。
35 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:09:35 ID:???
>>33 状況みたら普通に無謀ってわかるけど?やる前から
36 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:10:21 ID:???
>>34 ますます意味不明
日本語でしゃべってくれ
37 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:11:00 ID:???
>>35 だから、それは"今だから"、"事件後だから"分かる部分が多いんだって。
38 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:12:15 ID:???
>>36 君の思い込みだけで話されても意味無いですよ?、ということ。
39 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:16:59 ID:???
40 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:18:00 ID:???
進路は右だ!
41 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:20:48 ID:???
酒は楽しく飲むものだ
42 :
名無し三等兵:2008/08/22(金) 23:26:51 ID:???
>>39 そうかw
じゃあ、当時の青森に居た山の遭難に詳しい軍人とやらを紹介してくれないか?w
43 :
名無し三等兵:2008/08/23(土) 00:01:52 ID:???
44 :
名無し三等兵:2008/08/23(土) 03:28:05 ID:???
なんか目が覚めてしまった。
青森は今夜も寒くて、毛布きてあったかくして寝てます。
ここのとこ最高気温20度以下で、おとといの最低気温11度とか。
職場で夜寒かった〜と話題になって、暖房つけたって人も
結構いました。自分もつけようか迷ったし。そんなのが珍しくない。
真冬の山で寒かったろうな・・・(-人-)
45 :
名無し三等兵:2008/08/23(土) 08:09:13 ID:???
>>44 海で泳げる期間って青森は少ないですか?
夏はすごしやすそうでいいですね
46 :
名無し三等兵:2008/08/23(土) 09:02:59 ID:ZJxILb/x
>>44 オレは本州南端だけど、朝晩は少し寒いくらい。
季節の変わりを感じるよ。
数年前の10月初めに遭難地を訪ね、その際八甲田ロープウェイで山頂公園に
上ったら、風が強く寒さで震え上がったよ、早々に避難したがw。
下では気持のよい晩秋の感じだったのに。
47 :
名無し三等兵:2008/08/25(月) 19:32:29 ID:jHu5jwgv
>>31 昭和30年の行軍の際には避難小屋というか備蓄を田代平にしてるよ。
「八甲田山」撮影時には避難用にバスを何台か置いてたね。
いずれも悲惨な経験があってからの後知恵。人間ってのはよほど痛い目に
あわんと知恵が出んもんだなw
48 :
名無し三等兵:2008/08/25(月) 19:59:11 ID:???
>>47 当時もそういう準備とかいざというときとか考えた意見出しても会議とかで
通らなかったんだろうね、臆病者とか言われたりさ
会議は声が大きいアホの意見が通りやすいから
49 :
名無し三等兵:2008/08/27(水) 23:58:00 ID:???
じゃあ「声の大きな」良識の意見があるべきだったな
50 :
名無し三等兵:2008/08/28(木) 21:33:57 ID:6cZhuaPv
山口少佐は彷徨中、意識不明で倒れ、しばらくして蘇生。
そして又倒れ、そして蘇生。これを三度も繰り返す。
隊員の必死の介護もあったのだろうが、普通じゃないよな?
寝不足のあまり寝てしまったと、説明する研究者もいるが、
寝ているのと、意識不明で昏睡状態というのでは違うだろう
とも思う。皆はどう考える?
51 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 00:43:31 ID:???
>>49 山口少佐が小峠の段階で「天候不順につき、帰営する」と決断していれば悲劇は完全に防げた
52 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 00:46:55 ID:???
もしくは、「天候不順につき、ここで天候回復まで待つ」でもよかったし
時間がたてばたつほど天候悪化していったんだから夜中ぐらいまで
待てば帰営の判断が出しやすくなったんだし
53 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 22:42:58 ID:F51QxvCi
お前ら本当に軍板の住人か?
軍事行動ってのは全て目的があるのだぞ!?
そしてこの行軍の目的は何だ?
人命救助か?違うだろ。
冬季における山間ルートの研究だろ。
ロシアとの開戦が近い逼迫した状況なんだからさ。
であればちょっと雪が降ったから、寒いからと帰営することなど論外なんだよ。
無職やニートの遊びとはワケが違うんだよ。
お前らが指揮官だったとしても、全般状況を考えれば同じ「行軍強行」の
判断を下したと思うぞ。
54 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 22:57:07 ID:???
55 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 23:33:18 ID:???
>>53 > 軍事行動ってのは全て目的があるのだぞ!?
> そしてこの行軍の目的は何だ?
少しは理にかなったことを言ってくれるのかと思ったら
> であればちょっと雪が降ったから、寒いからと帰営することなど論外なんだよ。
> 無職やニートの遊びとはワケが違うんだよ。
なんじゃこれは。
本来の目的から考えても無意味な死人を出して当然とする発想は
まさに無職やニートの思考遊戯
> お前らが指揮官だったとしても、全般状況を考えれば同じ「行軍強行」の
> 判断を下したと思うぞ。
そりゃあお前みたいなのが今でも多数派だからな
どちらかというとw
56 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 23:36:23 ID:???
ま、いちいち無職だニートだと煽る奴が
無職のニートなんだよな
57 :
名無し三等兵:2008/08/29(金) 23:37:59 ID:???
他の国でも同じような事件あったのかな?
58 :
名無し三等兵:2008/08/30(土) 03:10:20 ID:mAR7iQmt
精神論持ち出すバカは日本&特アの特徴だから
現実を的確に把握できる西洋諸国ではこんなバカな
こと、やらかしはしない。
59 :
名無し三等兵:2008/08/30(土) 03:21:11 ID:???
>>58 西洋諸国とかも馬鹿多いよ
十字軍の遠征とか
宗教からむと特に
60 :
名無し三等兵:2008/08/30(土) 04:56:25 ID:ZwX0/d+q
>>53 軍板の人間が日本語を使えないバカだとよく分かった。
逼迫は金銭的に困窮してるときに使う言葉。だからこの場合は切迫を使うべき。
61 :
名無し三等兵:2008/08/30(土) 05:02:45 ID:???
ひっぱく 0 【▼逼迫】
(名)スル
(1)行き詰まって、ゆとりのない状態になること。
「生活が―する」「事態が―する」
(2)苦痛が身に迫ること。
「直義朝臣俄に邪気に侵され、身心悩乱して、五体―しければ/太平記 23」
せっぱく 0 【切迫】
(名)スル
(1)期限などがさしせまること。
「期限が―する」
(2)緊張した状態になってくること。
「事態は―している」「―の度を高める」
行き詰まって、ゆとりのない状態でも正しい気はするが
なんせ御一新以来の国難だし、金ないしw
62 :
名無し三等兵:2008/08/30(土) 16:33:48 ID:ZZ5rG1XM
映画板の投稿で「軍板なんて右翼とヲタの巣窟」なんて中傷されてるので、
バカとかの発言は控えて、少し品良くいきたいものと(^^;
63 :
名無し三等兵:2008/08/30(土) 16:58:27 ID:rxGtccru
>>62 んー映画板なんて「今時映画かい?P2Pでただだろワラ」じゃん右翼軍オタ結構じゃない。
64 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:42:53 ID:ZYoQaJdS
>>63 偏見はよくない。
少なくとも八甲田山スレはそういう話題は出ていない。
65 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 20:40:24 ID:MLVKKpzk
>>50 見捨てられたようなので、自己レス。
疲れのあまり昏睡したか。
禁手の背嚢を集め燃やして、山口少佐を温め蘇生させた。これ正解?
66 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 00:05:26 ID:???
>53
>軍事行動ってのは全て目的があるのだぞ!?
>そしてこの行軍の目的は何だ?
青森五連隊としては海岸沿いの鉄路遮断時の補給路確保ではなかったか?
現代人の判断としては橇隊の前進困難時点で「今回の雪中行軍は×」
原因は悪天候としても橇の接地圧とか構造とか悪天候時でも行軍可能に
するために繰り返し実験するもんでないかな?
67 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 08:32:36 ID:VGgZ3xG6
>>66 なにかで読んだが、五連隊の橇は平地用。傾斜地では横滑りしてとても使えない
シロモノだと。
68 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 19:27:12 ID:/yhUSTyK
雪中行軍の目的は耐寒訓練ですよ。
たしか訓練上での想定は
「八戸方面に敵が上陸したため一個中隊は三本木に進出し敵を攻撃云々…」
輸送と言えば、八師団の輜重隊は雪中輸送の研究をしていたはずだから、輜重隊の意見を聞いたりしなかったのかな?
69 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 20:34:43 ID:VGgZ3xG6
>>68 陸軍の正式報告書といえる「遭難始末 第五連隊」によれば、「行軍ノ目的ハ
雪中青森ヨリ田代ヲ経テ三本木平野ニ進出シ得ルヤ否ヤヲ判断スル為メ田代ニ
向テ一泊行軍ヲ行ヒ・・・・」とある。
「八戸方面に敵が上陸したため一個中隊は三本木に進出し敵を攻撃云々…」
は神成大尉の死体と共に発見された原稿。
その原稿の中に行軍の目的として「積雪ノ時期ニ於テ田代街道ヲ三本木ニ
進出スル其通過ノ難易並行李運搬法ノ研究」とあります。
耐寒訓練の一面は否定しえないが「田代経由三本木進出の可能性の調査」
とするのが一般的かと思う。
70 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 20:53:53 ID:???
案内人を追い返して雪中オリエンテーリングの訓練まで追加
難易度を上げすぎたのが敗因
71 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 21:26:47 ID:/yhUSTyK
そうですか、神成大尉の懐から…
【遭難始末】は今でも手に入れる事は可能ですか?
72 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 22:57:19 ID:VGgZ3xG6
>>71 馬立場の銅像茶屋で販売していますが、送ってもらえるかどうか。
時折、オークションに出品されますので、要チェック。
73 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 23:07:15 ID:???
>>70 事前に小峠まで予行演習しに来てるんだから
そのまま天候良いんだから数人田代まで派遣して滞在させて現地の道や露営予定地とか調査させておけばよかったのに
で、小峠あたりに物資蓄積する小屋でも作ってそこに物資貯め込んでおけば演習予定日に基地から時間かかって
運んでくる手間も省けるのに、で時間に余裕でて日が暮れるまでに田代まで着けたのに・・・
少しでも隊全員が負担かかなないようにする考えなかったのかな?
74 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 23:49:14 ID:/yhUSTyK
>>72 ありがとうございます
銅像茶屋の店主には【吹雪の惨劇】を強くすすめられて、そちらを購入してしまったんです。
【遭難始末】は部数が少ないと言うことで、店頭には並んでおりませんでした、
他に興味深い資料や証言を載せた書籍など在りましたらお教え願えませんでしょうか?(≧▼≦)
75 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 07:08:20 ID:08cH8FkU
76 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 08:10:00 ID:???
あの5連隊の行軍ルートを行かれたレポートとかしてるサイトとかないでしょうか?
逆ルートのはあったんですが田茂木野から田代温泉までの道のが見たこと無いので
77 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 17:50:39 ID:08cH8FkU
78 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 18:36:09 ID:???
79 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 22:47:08 ID:???
昔真夏の8月ですがこのあたりにツーリングに行ったことがあります。
部隊の野営地の位置などに立て札がたっていました。
もちろん映画を見た後(テレビで)ですが、
部隊の1日の移動距離が「恐ろしく短い」ことに驚嘆したことを覚えています。
霧に巻かれて周囲が全然見えないと言う経験はあるので
当時の部隊の状況もある程度は想像できますが、
本当にとんでもない状況だったんだなと感慨を新たにしました。
* 真夏の八甲田山近辺は本当にきれいなところなんですが...
80 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 23:36:02 ID:???
>>79 >部隊の1日の移動距離が「恐ろしく短い」ことに驚嘆したことを覚えています。
第一露営地と第二露営地なんか700メートルしか離れてないしね
あの距離移動するのに迷って迷って1日費やしたことになるし
実質部隊が全滅状態になったのは遭難2日目のあの無駄な彷徨ですから
1日目にさっさと重いそりあきらめて廃棄して部隊全体でスムーズに田代前まで行ってればなあ
進行の判断ミスのどれか一つでもあればまだ何人か多く生き残ったはずなんだけど
81 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 00:49:10 ID:s9KphrCw
>>80 どっちに行ったら判らなくなって、700米を移動するのに行ったり来たり崖を登ったりして…
どんな気持ちだったんですかね。恐怖、絶望、焦燥…
俺なら早くも精神錯乱間違いなし(´∀`)
82 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 00:59:03 ID:???
そんな状態じゃなかったのかもしれないけど
近くの木とか切り倒して年輪見るとかできなかったのかな・・・
方角知る方法は色々あったと思うんだが
磁石が凍ってるなら中から針だけ出して
水湧かしてその上に木片の上で浮かせて方角確認するとか
あと、そもそも第一露営地出るときにどうして20キロ近くある本拠地の方に
戻ろうとしたんだろうか?
あと1,5キロ先に温泉地や人家があるのがわかってるんだったら
そっちの方角に進めばいいのにな・・・よこに広がって進めば両端のどこかで目にはいるだろうし
83 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 06:08:16 ID:gR8BkXgf
>>82 木の年輪で方向を見る、は昔からの方法ですが、林業の専門家の話では
それはとんでもない間違い、木の生育している環境次第で変わるとのこと。
氷点下10度℃〜20度℃の猛吹雪の中では不可。
田代温泉に行く道が不明だったので、やむを得ず帰ろうとしたもの。
84 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 06:36:54 ID:???
>>83 田代温泉への道が不明でも露営地にいる間には磁石も効いてだろうし
おおよその方角はわかってたはず、自分たちがいる場所もまだつかめてたはず
そのまま露営してたら凍傷者が続出する懸念で帰営という判断するなら
20キロ近く引き返すよりは1.5キロしか田代温泉への距離がないんだからそっちの方角に
行くべきだったんじゃないかな?
一番いいのは明け方までそこで待機するのがよかったんだが行くと決断するなら
そこまで距離が違うなら田代の方に進むべきだったよ
もっと多くの助かった人が増えたと思うよ、そのほうが
85 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 15:16:18 ID:s9KphrCw
仰るとおりであります。
自分は田代への道をしっております!
86 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 15:21:54 ID:1aw72NGB
ストリートビューやロケーションビューでリアル体験!!
ってものがあったら面白いかも
87 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 18:13:30 ID:???
雪中行軍を中止し、ただちに帰営をするヽ(`Д´)ノ=3
田代への道が発見出来ない以上仕方がないではないか!
さっきの様な嵐がまた来たらどうする?
このままじっとしていたら・・・恐らく全員が夜明けまでに凍傷になる(;´Д`)
帰営だ!神成大尉、直ちに出発!!ヽ(`Д´)ノ=3
88 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 18:45:56 ID:???
89 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 18:47:14 ID:???
>>86 あの道はストリートビューとかは使えるのですか?
試してみた人います?
90 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 19:59:19 ID:???
>>87 ヽ(`Д´)ノ=3 ←ナンカワカルw
この先どうなっているかおぼつかない道を行くより
一度きた道を引き返したいと思っちゃったんでしょうねぇ。
実際、マイナス何度くらいでしたっけ?
真面目に凍死しそうな恐怖と、猛吹雪+暗闇で方向感覚も麻痺、
ますます深くなっているかもしれない積雪の中をこいで行くのは
恐ろしかったでしょうね。(「雪をこぐ」って標準語じゃないか?)
91 :
名無し三等兵:2008/09/03(水) 22:29:47 ID:gR8BkXgf
最善から言えば「本隊は露営したまま天候の回復を待ち、道が判明するまで
動かず、偵察確認の上行動に移す」ということなんだろうけど、山口少佐は
>87さん・>90さんの様に考えたんだね。
オレ?オレもイケイケドンドンだからな、二の舞必至といったところかなw。
92 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 01:16:16 ID:???
>>53みたいなバカが威勢のいい暴論を大声で叫ぶと
合理的な反対意見は封殺されてしまう
まあそれがこの日本という国の宿痾なわけだが
93 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 01:23:44 ID:UbiInvmG
川下り一等卒、雪中行軍隊の現状を報告します!
将兵は凍傷患者が出始めているうえ疲労困憊。
されど食事も満足にとれない上に各雪濠の焚き火は暖をとるには用をなさず。
元気な者は軍歌を唄いながら足踏みをしておりますが、やがて昏倒する者が出る事は必至の状態であります。
ここはやはり、筏を…
いえ、以上報告を終わります!
94 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 01:35:11 ID:???
>>90 でも来た道引き返すって言っても20キロもあるし
暗いから途中で迷う可能性から考えれば悪手だと思うよ
普通に行くと決めたんなら田代の方向に行くべきだったよ
1,5キロしかないんだし
自分たちがいる場所が判ってるんだし
露営地出るときまでは磁石効いてたんでしょ?
95 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 01:37:14 ID:???
>>93 っていうより、川の中に入ったから足が濡れて決定的な凍傷負ったんじゃないかな?
2日目の沢下りで
96 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 01:45:34 ID:???
>94
方位がわかっても現在位置がわからん
あの山が地図上のどの山かさっぱり
一方すくなくとも来た道はわかる
97 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 01:54:15 ID:UbiInvmG
>>94 【吹雪の惨劇】では第一露営地出発前に凍り付いていたようですよ。
>>95 部隊は沢下りしてないようですよ。
渓谷に迷い込んだので、沢には入らず崖をよじ登ったみたいです。
98 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 09:31:51 ID:???
>>97 出発前ってことは露営し始めた当初はまだ使えたんですよね
そのときに現在地把握して方角判ってれば出るときにそっちの方向に
いけなかったのかなって思う
99 :
名無し三等兵:2008/09/04(木) 09:36:42 ID:???
そのころの田代周辺ってどれぐらい人家あったんだろ
明治時代だからあんまり資料残ってないのかな
200人ぐらいだから部隊を放射線状に拡散させて
田代の方角に進めばどちらかの端で人家とか目視できる
はずなんだけどね1、5キロしかないから
で、左右で人家見つけた方がラッパ吹いて反対側の部隊をこっちに呼ぶと
視界さえあればなあ・・・
>>98 だから方位磁針がGPSじゃねえって何度言ったら
>>100 第一露営地段階では現在地把握してたようだぞ
雪の中歩いてたら方向も判らなくなるってもんだべ
現在の常識や思考で明治の人間を云々とは
思想の根本から明らかにズレが或る。
>>103 もちろんそうなのだけど、日露戦争やWW1で機関銃を装備している塹壕に突撃したのを
笑うのとは違い、もうちょっと慎重に事前準備をしていれば避けられた事件だから、
神成隊について批判が出るのはしょうがない。
>>104 神成隊ていうより、そんな無謀な契約許可した上層部が悪いよ
そんな難所を越えるんなら夏場に途中に避難所作るなりするべき
馬立場あたりに物資貯蔵倉庫ぐらい作っておけと
後になって死体回収にあれだけ金と人材つぎ込んだんだからものすごく高いモノについただろうに
部隊の練習と現地調査を同時にやろうとしたのが敗因だと思う
>>106 > 部隊の練習と現地調査を同時にやろうとしたのが敗因だと思う
・・ってことなんでしょうね。
>>94 そうなんだよね。冷静な判断力があれば、とりあえず動かないか
動くなら田代へ向かう方がましかと思われる。
でもあの状況では、寒さや恐怖心から冷静な思考力を奪われて
戻ることを選んでしまったんじゃないかと。
>>99 ブラスバンドの隊形移動みたいなの想像してしまたw
平たんな場所で雪が深くなければ、視界が利かないだけだから
そういう方法も面白いと思うけど。隣の人と腰をロープでつないでとか。
胸まであるような雪をこいで各自が進むのは、氷点下何度か
分かんないけど体力的にもかなり厳しいと思うな。
1.5kmもその状態でかぁ・・・どれくらいかかるかな。
縦列で先頭交代しながらやっと進んでたんじゃなかったっけ?
>>107 映画見てて思うんだけど1日目の昼頃には小峠で進むか引くか会議したときに
動かないっていうのも含めて3つある選択肢のうち最悪の進むって選択した癖に
1日目の夜の目的地直前では3つの選択肢のうち最悪な選択をしてしまう
やはり上に立つ人がダメだと犠牲増えますね
しかし、この映画は山岳部とか山岳会とかマリンスポーツの集まりでもいいし
そういう危険な状況になりえることをやる人は見た方がいいですね
かなり参考になりますよ、危機回避に
計画段階から現地の判断まで。
>>108 200人もいるのに固まって移動するのはもったいないんですよね
もう、重いそりとか無いんだし
思い切って重い銃とかそこにまとめて置いて身軽にして散開作戦にしても
いいんじゃないかな?
両側に70人ずつ、間に連絡用に60人を横に3段並べて広げる
で、それぞれ3交代で前進していくとか
まあ、軍隊でもそんな訓練はしてるかどうかしれないですが・・・
>>111 無線機がないのに散開するのは致命的では?
>>111 銃は陛下からの与り物
放棄、遺棄は論外と思ふ
結果、世界最悪の山岳遭難となりにけり。
>>111 うーん。そもそも、まず横に並んで広がるとか、隊形組むとか、
そういうのがほぼ不可能っぽい気がする。指揮しようにも声も届かないし。
雪にずっぽり埋もれて身動きとれないっていう感覚、
とにかく吹き付ける雪で顔も上げられないし、自分がどっち向いてるかも
分かんないと思うんだよね。
>>113 そういう思想が後の太平洋戦争の悲劇を生むのであった・・・
機械はしょせん機械、人間が使ってこそ生きる
人間より上の機械なんてありえない
ふと思ったんだけどどうして敵がいないとわかりきってる山にわざわざ数キロある小銃なんか持っていかせたんだろ?
軍事演習っていっても主な目的は八甲田山を縦断して冬期に道を確保することでしょ?
それなら生存に特に必要でない荷物はもっていかないべきでは?
冬山で戦闘訓練したいのなら他の機会にいくらでも安全なとこでできると思うんだけどな・・・
>>115 ただでさえ雪が音を吸収するのに、吹雪だぞ…
119 :
名無し三等兵:2008/09/05(金) 02:13:15 ID:G0fIbDOl
敵兵を三本木で迎え撃つ、想定での軍事演習ですから完全武装なわけです。
ロシアと開戦直前の当時、北国の師団はこの種の訓練を躍起になって行っていたそうです。
兵の耐寒訓練及び酷寒雪中での戦闘、部隊移動、装備、その他の研究が目的でしょうね。
>>119 一度にあらゆる目的を果たさせるために部隊編成してるのに
事前に何の説明も準備もさせない恐ろしい上層部w
>>116 あくまで戦後の思想
「陛下」と一言述べただけで直立不動の姿勢となる
明治〜昭和20年8月15日迄の日本では装備遺棄は有り得ない。
>>116 兵士の代わりは一銭五輪(当時の葉書代)で調達できた。
装備はそうはいかない。
>>121 戦時中でも撤退の際には、重い銃は捨てていったぞ
ガダルカナルとかキスカとか
>>123 戦時下の南方と平時下の極寒の日本国内
これまた、天地の差が有りや。
>>123 キスカで銃を遺棄する際にもかなり揉めてる。
126 :
名無し三等兵:2008/09/05(金) 21:46:53 ID:G0fIbDOl
>>122 死んだ古兵や長期伍長を葉書代で調達はできないよ。
何年も飯食わせて、給料まで払ってんだよ?
兵隊一人育てるのも、金かかってんだよね。たぶん小銃よりも高い。
>>122 そんなことは「根性」でなんとでもなる。
それが陸軍クォリティ。
128 :
127:2008/09/06(土) 00:40:40 ID:???
空軍や海軍みたいに根性だけではどうにもならないとこには合理性が芽生える
陸軍が馬鹿が多いのは足が地につくとこで常に戦えるからだと思う
あの八甲田の踏破も海軍の人とかも加わってたらまだ作戦に合理性が出たかもしれない
>>129 いやあの頃陸軍と海軍は「とんでもなく仲が悪かった」。
“絶対協調などしない”と言うありさまだった。
ドイツでのDB601ライセンス購入事件はあまりにも有名。
更に、「大本営」も陸軍/海軍別々にありしかも“情報交換をしなかった”。
と言うことでもし海軍の軍人がいたらもっと破滅的な事態になっていただろう。
>>130 ライセンスは陸海軍じゃなくて
川崎航空機と愛知航空機が購入したもの。
メーカーごとにライセンス料が掛かるのは当たり前。
んで川崎が陸軍機メーカー、愛知が海軍機メーカーであっただけの話。
>>129 陸軍はその国の国民性を一番反映する組織。
>あの八甲田の踏破も海軍の人とかも加わってたらまだ作戦に合理性が出たかもしれない
閉塞作戦で人命を無闇に消耗してるから分からんよ。
しかも結果は全くの無駄。
>>132 「当たり前」じゃないみたいだよ
――――――――――――
陸軍はいったん空冷式エンジンで進むことに決めたが,当時英米独ソの戦闘機が主として
水冷式を装着しており,ことにわが国と友好関係にあったドイツにおいて,水冷式エンジンの
ダイムラーベンツDB601(出力1100ps/ 4000m)を装着した戦闘機,メッサーシュミットMe109(単発)
およびMe110(双発)が高性能を誇っているのを見て,昭和13年の中ごろから川崎をして
ダイムラーベンツ社との間にDB601の製造権購入の折衝に当たらせた.
両者の間で製造権購入に関する契約がまとまったのは昭和14年1月で,川崎は直ちに
その製造技術習得のため山崎精氏を団長とする技術者10名をダイムラーベンツ社に派遣した.
このDB601については,これより少し前に海軍においても愛知航空に製造権を購入させ
同社で製作することになっていたが,改めて陸軍の分として川崎が製造権を獲得したのである.
製造権の金額が当時の金で50万円というから陸海軍を合わせると100万円(現在の金で
約20億円に相当)になる.
日本政府しとて(原文ママ)購入すれば半額の50万円で足りるものをと,ヒトラーは日本の
陸海軍の中の悪いことを皮肉っていたという.
このことは筆者が川崎重工の鋳谷社長(川航社長兼任)から直接きいた話である.
――――――――――――
>>134 だが政府としてライセンスを買った例が実際に世界に有るかと言うと?
ダイムラーは二社に半分ずつのライセンス料にしてくれたという話も有る。
してくれてねーじゃん
だからそういう説ってことな。
>>131 陸軍と海軍の仲が悪いのはもとをたどれば設立当初から。
日露戦争前でも「脚気論争」があった。
海軍は脚気の原因は栄養不良だと見抜き見事脚気を根絶したが
陸軍はその“事実”を徹底的に無視(と言うより否定)し
結果日露戦争で大量の脚気による死者を出した。
>>135 陸軍と海軍が勝手にオークション状態になって自ら高額を提示したと聞くが。
「向こうがそれだけ出すならうちはこれだけ出す」状態だったとか。
139 :
名無し三等兵:2008/09/06(土) 12:13:19 ID:HbKb7pBC
話題の展開がアチャラにいってますので、軌道修正。
無線機についてお尋ねします。
日露戦争では無線が使われていますが、明治34.35年当時は?
どうしてあんな冬期は難所になる道なのに途中に待避所作らなかったの?
田代までで言えば馬立場のあたりに
軍関係者だけでなくてもあそこの道を通る一般の人たちも助かるのに
夏場ぐらいに雪が積もってもOKなように高めに上げて作ればいいのに
青森って木材とかかなり豊富なんでしょ?
建材費用そんなにかからないと思うんだけどね
大きめの待避所
で、そこに薪とか炭とか備蓄しておけと
数日そこで耐えてれば天候も回復するだろうし
>>140,141
だからそんな生易しいところじゃない、と言うことでしょう。
あのあたりにツーリングに行った時に道路の脇に2mくらいの「ただの棒」が
等間隔にたててあるのを見て地元の人に聞いたら
「冬場雪が積もった時に『ここが道路だ』と分かる為の目印」とのこと。
つまりはそのくらい雪が降るのです。まして山中では...
そもそも退避小屋云々以前に「そんなとこ通る気になれん」のでしょう。
* なにしろ「白い地獄」。
>>142 だから通れるように待避小屋作るんだよ
冬期でも天候が良ければ通れるようにすれば
地域活性化に繋がるし、色々なものも流通するし
あのときでももっと大きな目印事前に作ってれば
進路を見失わずに済んだかもしれないよ?
夏場に長いポールに赤い旗とか道沿いに立てて置くとかさ
地域活性化に繋がるほど、元々往来無いし
冬に色々な物が流通すると言えるような村や集落も無い。
どこかに行こうとするなら、あのルート以外の方が早くて安全。
今でも観光客しか行かないし、冬季は閉鎖される。
当時に居たのは物好きな一部の夏の湯治客くらい。
>>139 当時の無線ってモールス信号じゃなかった?
送信受信にしてもカサが有りすぎて携行や設営以前の問題
それからラッパの合図なんて吹雪いたら聞き取り辛い上に
事前に合図の意味を伝達しておかないと意味が無い
>>82 素人の後知恵オンパレードw
雪山行ったら100%救助隊の世話になるタイプだなw
それも、救急車が要らないタイプなw
>>143 退避小屋を作っても通れるようにはならん
なにが活性化だ
冬山舐めんな
148 :
名無し三等兵:2008/09/06(土) 21:50:42 ID:X7Wm6FrB
ここまでの意見を要約すると、行軍自体は難しいものではなかった。
第5連隊総動員で行軍に挑めば成功の可能性がかなり高かったということだな。
第31連隊は極少人数で成功してるわけだけど、第5連隊が実施した大隊規模での実施は
中途半端な規模だったわけだ。
師団をあげて一列縦隊で2〜3m間隔で行軍すれば最後尾が出発する頃には先頭は田代に着いていた
>148
>第5連隊総動員で行軍に挑めば
連 隊 全 滅 …
>>148 要するに極地法でいけば成功したんだよ
間に中継基地みたいなの作って
天候良い日に雪風防ぐ建物作っておけよと
当時は南極探検ですら端緒についたばかりだというのに無茶を言う。
>>154 少し考えればわかるだろ?
一気に踏破が難しいのなら雪が積もらないうちに
途中に避難所作っておけばいいってことぐらいは
明治の人も頭良い人いるだろ?
>>155 そりゃ今だから言えることであってな?
何で極地法と呼ばれているか、少し考えれば分かると思うが。
色々な探検や調査に関するノウハウ・実績が生まれたのがこの時代なんだよ。
田茂木野の方から来る人も三本木の方から来る人も
途中で避難所があれば最悪の場合は避けられるよね
もし途中で吹雪いてきたらそこに逃げこめばいいし
馬小屋でいいんだ・・・MPさえ回復すれば・・・
途中に避難所さえあれば
1日目 天候悪いけど出発→避難所の前を通って田代へ→道判らなくなる→避難所まで戻ってきてOK
2日目以降 天候回復するまでそこで待機
これで犠牲者は最小限で済んでるはず
史実でも馬立場までは戻ってこれてるんだし、あの辺に作っておけばなあ
土地もそこらへんは国のものだし建設費も木材の本場なんだから安いだろうし
夏場あたりに訓練も兼ねて大勢でそこに建設しにいけばいいのにな
そこらの民間人もそれがあれば助かるだろうに
今みたいに車とか無い時代なんだから20キロなんか冬場は致命的だよ
完全に陸の孤島になるから
いまなら雪上車とかヘリコプターで助けにいけるんだろうけどね
>>159 210名を収容できる山小屋ってw
あと現代でも雪上車を使っても210名を救助するのは困難だと思うぞ。
ヘリは飛ばすことも出来ないだろうし。
>>160 2階建てぐらいなら収容できるんじゃないの?
1階あたり1人ぐらいだしさ
とにかく雪や風しのげる施設でいいんだし
吹きさらしで凍死するよりはよっぽどマシだよ
馬立場まで戻った頃には既に半数が凍死していたわけだが
ウィザードリーかよ
そもそも、あそこまで大変なことになるなんて誰も思ってなかったんだから、前もってそんな大がかりな準備をするわけがない。
それこそ後知恵もいいとこ。
間違った、1階あたり100人だしさ
あのあたりの地形詳しくないけど
今の写真とかみたら結構平地ありそうだけどな
こうすれば勝てた!系の思考をする人は未だに居るのだなぁ。
それとも釣りネタなのだろうか?
>>162 じゃ、残りの半数は助かるじゃないか
っていうより、途中に避難所あれば荷物とか小銃とかそこに置いていけたかもしれないよ
前の書き込みで装備は捨てるなんかとんでもないとか書いてたけど
避難所に補完ならOKでしょ?守備兵何十人か残しておいて残りで田代にいけるかどうか
試して見ればいいし、ダメなら戻ってくればいい
史実みたいに途中に一切逃げ場が無いから進むか戻るかしか選択肢無くなってしまって
最悪の事態になってしまったんだし
>>166 どこでも危機管理意識さえあればいつの時代でも防げるよ
明治でも難所とかの手前とかにはそういう宿屋とかあるんだけどね
江戸時代で言えば川止めになった場合の為の宿場とかさ
>>166 まあ、この事件自体がこうすれば負ける! のかたまりだし…
当時の視点からしてすらアホ過ぎる事前計画なわけだし。
>>164 何年も前から演習は計画されてたよ
それが急に実現しただけ
満員電車を考えたら50平米もあれば200人はいけるw
7〜8m四方の空間なら楽勝だろう
>>170 そういう話じゃない。
山小屋がなければ大惨事になる(コストと手間をかけて山小屋をたてる必要がある)と当時の人間が認識できたかということ。
>>164 大がかりな準備?
普通に大きめの待避所作るだけだし
費用も人手も出せない額じゃないし
青森湾封鎖されて線路とか壊された時の為に迂回ルート調べるために
やってるんならそれぐらいの予算は出るはず
「危機管理意識さえあれば」って便利な言葉だよな
大きな事故や事件があると新聞やらワイドショーでこぞってそういうことをいう奴が出る
そのくせ、そういうことをいう奴が「事件が起きる前に」システムの欠陥を指摘できていた例はほとんどない
>>171 ピークシーズンの登山の山小屋なんかそんなもんだよ
横になって寝られないし
でも凍死するよりはマシだよ
>>168 >>169 だから、そういう危機管理意識だの、極限状況での災害や遭難に対する備えや
心構えがようよう生まれるか生まれないかの時代なんだよ。
>>172 冬期に通行不能っていう認識はあるからそういう計画になったんだろ?
そんな危険地帯を横断するんだから当然リスク回避は
考えて当然だと思うけどね
山小屋なんか建設費用そんな大きくないよ
土地はタダだし、人手もタダで使える人間一杯手元にいるんだし
材料も周りは山だらけなんだし、訓練兼ねてちょうどいいじゃない?
実際戦場でも短時間で前線基地作る練習しなきゃけないんだから
一石二鳥だよ
>>174 お前が煽ることしか出来ず、第31連隊のことすら知らない無知かつ
シッタカなのは理解してあげた。大変だね、頭が悪いのに自意識過剰だと。
>>174 事件にならない→事故が起こる直前に食い止めた
山ほどそういう事例はあると思うよ
>そんな危険地帯を横断するんだから当然リスク回避は
>考えて当然だと思うけどね
だからその「当然の常識」が当時はと今では違うんだと何度言ったら(ry
あと人手はタダじゃねーぞ
>>178 最小人員であり、宿泊と食糧を各集落に頼っていた弘前隊を持ち出すのはどうかと。
>>180 そういう力有り余ってる若い連中一杯抱えてるから
冬期に200人もそんなとこ通らせる無茶したんだろうし
明治でも平成でも人間死ぬのが怖いのはいつの時代でも同じだと思うけどね
>>182 話がそれてるぞ
>>179のような話ももちろん時代を問わずあるだろうが、この場合それが可能だったか? が問題で
>>182 事例なんか出せないだろ?事件になる前に食い止めてんだし
どこに報道されてるんだよ?
>>183 あのな……。
軍隊だろうがなんだろうが人を動かせばカネがかかるし、給料や維持コストが一定だとしても
何か仕事をやらせればその分他のことができなくなるから結果としてタダじゃ済まないんだよ。
社会で当然の常識を「力が有り余ってる」の一言で片づけるなよ。
>>185 んじゃあ
>>179の言ってる事にも根拠は無いわな。
少なくとも、これで八甲田の件を批判するのはお門違いだ。
死ぬのが怖いのと、「○○をすれば死ぬ危険がどのくらいあるか判ってる」のは全然別の話だからなあ。
>>186 通常の訓練を設営訓練に置き換えれば済む話
戦争になれば陣地設営は必要不可避なんだし
>>176 当時でも雪濠を掘り帆布で天蓋を覆うという知恵はあったが
五連隊は帆布を充分には携行していなかった。
てか、スレ急に伸びてるね
>>192 それはその通りだが、山小屋うんぬんとは別の問題かと。
>>191 同時代の事例が出せないのだから
あの時〜していれば、他の例では〜していたからこうすれば助かったはず
等という仮定が無意味だということ。
>>177 >山小屋なんか建設費用そんな大きくないよ
だから、山小屋建てるような危機意識もってたらあんな無謀な暴挙は行うわけねーだろJK
ちったあ頭使えよ頭
>>198 煽りが気に入らなかったら1行目だけ読めばいいと思うよ
>>200 事件が起こった、で起こらないためにはどうしたらよかったかっていう話してるんだけどな
当時はそんな意識持ってる奴がいなかったとか言ったらそれで話終了だし
174が絶賛発狂中か。消えろ。
弘前連隊の人たちは少なくても合理的に動いてるだろ
全滅しないように
五連隊の少佐が弘前隊の隊長みたいな思考だったらこの事件起こってないと思う
>>201 だから、それで終了する話なんだよ。
>>192みたいな、当時でもやっていておかしくないような対策を語るならわかる。
そうでなければ、「それで話終了」な後知恵にすぎねーんだよ。
当時の視点からしても無謀だったのはさんざガイシュツでしょ。
装備以外にも特に案内人関係とかで。
>>204 お前はこういう話しするのに向いてないよ
頭固いから
夏服に 軍手 革靴 ラシャの外套2枚
靴下は1枚っきり 中には地下足袋で行軍した兵卒も存在したとか
小便したくても凍傷で・・・・
208 :
名無し三等兵:2008/09/07(日) 00:22:25 ID:3MEUUJzV
白熱してきたな・・・
「ぼくちんの考えたすごい事前対策」が受け入れられないと頭が固いんですね
>>209 シッタカすら止めてひたすら煽るだけになったか。無残だな。
煽っているヤシ、まぢで弘前第31連隊がどういう事前準備をし、
どういう方針で作戦に臨んだのか以前に、その存在すら
まったく知らないのか…。なんでこのスレに湧いて出てきているんだ?
>>207 計画直前できまって事前のミーティングもしてないし
下の人たちはどういう過酷なルート行くのか知らない人がほとんどだったんだよ
両方白熱して煽りあいをしてる状況なので、そういう言い方をされても。
>>209 あーあ、もう煽るだけか
お前はそんな薄い人間なんだね
なんか「バカって言ったほうがバカなんですーw」みたいだな
>>213 弘前隊は少なくても危機意識はかなり持って計画してたよ
あの細心さが五連隊にもあったらなあ
少なくとも山小屋は立ててない。
>>219 途中の避難所は作るべきだったな
踏破の難易度がかなり下がるし、犠牲も減るし
そうです、全部俺の自作自演ですw
んなわけあるか、アホ。お前からすりゃ、どっちか一方の側しか「煽って」ないのかもしれんが、ハタから見りゃ同レベルの罵り合いだ。
>>222 周到に準備、計画された自作自演だなぁw
他の県の難所とかどう対策してるんだろうね
冬場に通行不能の地域とか
>>213 シッタカですらなく、ただの荒らしってことだろ。
急にスレが伸びたのもいかにもそれっぽいし。放置しとけ。
>>224 その準備や計画が五連隊にあったらなあ・・・
>>218 小峠から田代の短い踏破距離を五連隊は軽んじたのかね?
>>226 普通に突っ込んで話したらスレは進むよ
頭の固い人が出てくれば煽りになるけどな
>>225 それが分かれば話に説得力が出てくるね。
>>228 軽く思ってるから事前に服装とか計画とかを下の人たちにミーティングしたかったんだろ?
神成大尉が事前にミーティングしようと言ったところ少佐は拒否したし
>>230 基本はそんな難所には行かないのが最大の対策だけど
軍隊だから突破しなきゃいけないときがあるしね
基本的には目立つ目印を道に配置するか、途中で待避所作って
悪天候をやり過ごしながら進んで行くしかないと思う
さすがに第5連隊も事前に下見はしているんだよなぁ。ただ、晴れていたんで
雪山の怖さはまったくわからず、雪中ハイキング状態。
それなら下見しないほうがまだマシだったかも…
この行軍の数日前に小峠まで予行演習してるんだよね、天候が良い時に
その時にどうして先まで小隊でも派遣して田代まで道を確認させなかったんだろ?
史実では昼頃までに到着してるんだからそのまま田代まで送れたはずなんだけどね
もし送ってたらそのまま田代から抜けて汽車で帰ってくればいいし
で、帰ってきた人たちに道の報告させて後日大隊で踏破すればいいんだし
>>231 小峠を出るまでは吹雪いてもいなかっんだろうね
ブリザードのナイフで刺されるあの痛さを大隊長が感じてれば
帰営したか小峠付近に雪濠設営してただろうに
>>233 そう、かなり綿密に計画立ててるよ
弘前隊は
>>234 そう、小峠までは行ってるんだよ
でもその先の道確認せずに帰ってるんだよね
それが不思議でたまらない・・・
ttp://toshibos-museum.com/hakkouda_souiten.htm >小説『八甲田山 死の彷徨』をセミナーとやらでテキストにしている講師が右往左往しております
>(なんと一部の講師は本まで出版!)
>しかし両隊の主旨は全く異なり(弘前隊は研究、青森隊は雪山での行李等の運搬・軍隊移動の可否)、
>それを「勝者」だの「敗者」だのと片方だけを糾弾しているが、それは非常にマナー違反。
>死者にムチ打ってはいけません!
>「弘前隊だって同日程で青森隊と同じ行程を辿っていたら、どうなっていたか判らなかった」
>と、弘前隊間山伍長の御子孫も仰っておられます。
>>234 映画でも事前の演習はみんな笑いながら遠足みたいだなとか
言って雪投げとかして遊んでたし
あれがあとの悲劇考えたら映画見てて怖かったよ
>>236 小峠で帰営するのがメンツにかかわるのなら
そこで露営して様子見ればよかったのにね
一晩でも過ごせば帰営してもメンツは立つだろうに
小峠からならすぐ帰れるのに雪もそこなら深くはないし
>>239 >「弘前隊だって同日程で青森隊と同じ行程を辿っていたら、どうなっていたか判らなかった」
弘前隊の隊長なら悪天候なら帰営してた可能性高いと思うよ
途中の村で何日か滞在して天候良くなるまでは出発しないとかね
>>242 たった2kmの踏破距離の間に吹雪きの吹き溜まりの犀の河原
やはり案内人の言葉を演習に生かしてれば
指揮官にこそ必要不可欠な調査能力だけど
当時は軍人独特差別意識があったのかな?
それとも当時の幹部はこんなタイプの方が多かったのかな?
非戦闘時の訓練時の集団死の記録としてはこれが国内最大?
>>246 追い返したのは大隊本部の見習士官・下士官だよ。
>>247 戦艦 陸奥の爆沈では1100人以上が亡くなってるけど…
>>243 実際、村人の意見を聞いて予定を1日伸ばしていたりするしね。
しかしなぜ案内人断ったんだろね?
万が一のために雇っておけばいいのに
案内料ぐらいは保険代わりに払っておけばいいし
今で言う2−3万ぐらいでしょ?1回
>>247 少なくとも山岳遭難としてはぶっちぎりで最大。
>それを「勝者」だの「敗者」だのと片方だけを糾弾しているが、それは非常にマナー違反。
>死者にムチ打ってはいけません!
事故に関しては死者にもムチを打て!!!
それは死者を蔑むためではない。同じ事故を二度と起こさないようにするためだ
尊敬する人の言葉。
ムチの打ち方と打つ場所に問題が有る。
てゆうか、現代でも山で遭難する人はあとを断たないが
なんで途中で避難小屋を設けないかとかいう話?
八甲田でいえば、自衛隊員、なんで酸欠で亡くなるかと。
窪地にガスは常識、ガスマスクや酸素ボンベもてよと
いう話だね。確かに山を知らないのは恐いが・・・南無。
そういう発想が有ったかどうか?という話。
自衛隊の事件にしてもガスが窪地に溜まることは知られていたし
普段、溜まりやすい場所も認識されていた。
しかし、事件現場はそういった場所ではなかった。
急激な二酸化炭素濃度の上昇で気絶するように亡くなっている。
>>249 戦艦の轟沈だと三笠も。死者339名。こっちは平時だ。
>>251 太平洋戦争中ではあるけど、作戦行動中ではない。
>>257 ロシアに鉄道を艦砲射撃で寸断され補給路を断たれた
あるいはロシア兵上陸後の変則的輸送を想定した行軍計画だったから
この場所に山小屋を常時設営とかという発想ではなかったんだと思うよ
敵の上陸地点によって輸送ルートは毎度異なるだろうから
民泊無し、兵卒と橇隊で
有事の輸送ルート出来るかを探る行軍を企画
炭小屋やマタギの使う山小屋の情報収集すらしていない5連隊
残念。
>>258 自然条件の変化で、現代でも事故は起こりうるということだよね。
もちろん、亡くなった自衛隊員の方にムチ打つ気は毛頭ないです。
八甲田の遭難事件については、反省すべき点はいくつもあるだろうけど
避難小屋の設置については懐疑的。そんな危機意識があれば
史上まれに見る悪天候を理由に、演習延期だと思う。
>>260 やっぱ雪山舐めんな、の一言ですね。
これ言ったら議論にならんとか言われそうだけど。
上の方で避難小屋の話が繰り返し出されてたけど、
誰も住まず雪かきされないのに、大きな避難小屋を作っても
雪の重みですぐ駄目になりそうな気がする。
ちっちゃい小屋は屋根の面積が小さいから意外と大丈夫でも、
大きいのは相当頑丈に作らないと耐えられないんじゃないかな。
田代元湯の温泉宿だった建物も、大雪のため崩壊してるみたいだし。
この演習一回のために、それだけ周到な用意をしようという気構えが
そもそもあったかどうか、雪山舐めんな〜と無限ループ・・・
思ったんだけど現在でも当時のような大寒波の元では、
演習きっついと思うな。
GPSとか、どうなんだろう。吹雪でも電波って大丈夫?
衛星放送は乱れるからなぁ。あと寒さでバッテリーが・・・
雪上車でも視界がきかない猛吹雪の中を走るのは恐すぎ。
あまりに低温の場合、エンジントラブルも心配。
やっぱ演習延期か、途中で中止が懸命な判断だよね。
極地探検が目的じゃないんだからさ・・・
新雪の粉雪が山間部に何メートルも降り積もってると雪上車でもキツイのでは。
>>262 5連隊は田茂木野から田代を一気に踏破しようとして吹雪に遭った
事前に大暴雨風雪の気象情報を得ていたのだがなぜか踏破しようとして
小峠で吹雪かれた、そこで准遭難
雪山を舐めていたとしか思えないし判断に万象の要素を汲みいれて
なかった責任は重いと感じます
装備も革靴の軍靴、木綿の軍手では雪が染みて凍傷は必至
マタギと親交のあった兵卒は靴下の上に油紙を巻き足の凍傷を
未然に防げたようですがそれでも脚が無事だったのはゴム長靴を
個人で購入していた軍医だけだとか・・・・
なにより悲惨なのは多くの兵卒が手の指の凍傷で
小便も足せず亡骸となった事実
田茂木野で行軍演習を露営地設営演習に切り替えていれば
演習の面目も立ったと思うのですが
事前の下見が楽観論を後押ししたんでしょうね
長文失礼しました
>>265 事前の下見って言っても小峠までしか行ってないんだよね
どうしてその天候が良いときにそのまま田代まで何人か派遣して道確認させなかったんだろ?
それが不思議だよ
で、大隊で行く時にその人たちを先導で行かせれば最悪の事態は避けられたような気がします
持って行った食料だけど、水分の多い凍りやすい握り飯とか炊飯するのに手間も時間もかかる生米とか
なんか要領悪いような気がするんだよね
その頃はパンとかありましたよね?水分が少ない乾パンみたいなのあれ持って行けば凍結せずに
食べられたんじゃないかな?量は少なくてもカロリー高いピーナツみたいな豆類とか
口の中で溶けやすい氷砂糖とか
あんな重い銅釜とか持って行くからそれが行軍のスピードのボトルネックになって田代に着くまでに
日が暮れてしまったんだし
寒冷地の行軍食とかもっと考えるべきだったかも
日露戦争じゃ脚気で戦死者の3/4だしてるんだぜ
米以外のものに頼るなんてありえない
>>268 寒冷地の行軍食だよ
帰営したら当然普通の食事
できるだけ荷物は軽くして動きやすくしなきゃ
270 :
名無し三等兵:2008/09/07(日) 13:14:49 ID:kYMo6hSs
後知恵で上から目線の賢者が多いスレだなぁw
新雪の上とか歩いたこと無いんだろう。
スキーの発明は偉大だと感じるハズだよ。
>>267 >>269 寒冷地の行軍食も研究のうちだよ。
つーかこの経緯があったから握り飯はダメだって分かったんであってね。
それを今言うのはちょっとね。
明治の軍人ってそんなにアホなの?
危険な場所に近づくのに装備はちゃんとしましょう
危険を感じたなら撤退する勇気が必要です
戦闘時以外は人命尊重
このぐらいいつの時代でも判ると思うんだけどね
あんな寒冷地の山の中を露営とかする前提で長時間行軍させるのなら
軍手とか革の軍靴とか無茶苦茶な装備で送り出す方がおかしいと思う
あの時代、フランスとかイギリスとかの諸外国の軍人を教育係みたいな感じで日本に呼んでたんですよね?
寒冷地とかの装備とか食事とかどうしてるとか研究とかしてなかったのかな?
当時の一般的日本人(兵卒の大半)は「何が何でも白米を食いたかった」。
「軍隊にはいれば白米が食える」と言う願望すらあった。
海軍が脚気予防研究の為に軍艦の乗組員に毎日フランス料理を食わせた
ことがあったが乗組員からは「思いっきり不評だった」。
だから白米を出さないわけにはいかなかった。
ちなみにカレーライスは「低コスト洋食」を研究した海軍の労作。
あれは脚気予防の為に生まれた。こっちは兵員にも好評だった。
それどころかいまや国民食。
ただ陸軍では「匂いで敵にこちらの位置がばれる」と不評だったとか。
余談だが肉じゃがも同時期の作品だそうだ。
調味料をカレー粉から醤油と砂糖に変えるだけw。
>>268 ちと調べたがなんとこんなとんでもないことがあったようだ。
ttp://www.mars.dti.ne.jp/~akaki/igaku02.html かの森鴎外もこと脚気に関してはなぜか無能っぷりを披露しまくったな。
>>272 >明治の軍人ってそんなにアホなの?
昭和の軍人も似たようなもの
>>274 カレーと肉じゃがは有名ですね
カレーは金曜日に出てくる、海の上じゃ曜日の感覚がなくなってくるから
カレーが出たな、今日は金曜日かってね。
今なら雪山で軍手とかありえないよな。
毛皮のコートかダウンジャケットも欲しいくらいだw
綿入りの手袋もなかったのか・・・31連隊はどうだったの?
>>274 「こと脚気に関しては」じゃないよ。
軍医としてはほとんど実績がない。東大出のエリートで美味く出世レースに乗れただけ。
北里柴三郎のノーベル賞受賞を妨害したり
鈴木梅太郎のオリザニンを否定したり
ほんと文学以外では無能有害の極み
>>276 学校給食で月に2回、金曜日がカレーだった。
軍隊式の名残りだったのか・・・?
>>277 せめてゴムの長靴でも全員に支給できてれば・・・
そこらのホームセンターとかで安く売ってるから
行軍前に送ってやりたいよ
関西の人がいれば、室町時代から伝わる「焼き米」を用意していただろう
お湯をかけてお粥になる&そのままでもポン菓子のような感覚で食える
他にも、戦国時代は干飯や鰹節を遠征中の携帯食にしていたとか
釜の飯は基地で食べるもの、1日ならおにぎりだが野戦中の足軽は携帯食が常識
>>281 「焼き米」ってあるんだ。ポン菓子みたいなら水分少なくて
さくっと齧れるかな? 青森なら干し餅とかあるよ。
冬、軒下に紐でくくって吊るして乾燥させるの。
いまならチョコレート送ってやるのにね。
>>280 明治期にはゴム製品は大変高価なものだったのでは?
化学合成のゴムも無いだろうし。
だから医官だけが私費で購入できたのだろうし。
284 :
名無し三等兵:2008/09/07(日) 14:23:16 ID:kYMo6hSs
>>281-282 寒冷地では水分補給も難しいわけなんだが。
水は直ぐに凍ってしまうし、氷や雪を齧れば体温低下を招いてしまう。
亡くなった将兵は喉の渇きにも苦しんだだろうな。
>>284 水筒は七分目にしておくと揺れて凍らない
満タンにしちゃうと凍っちゃう
という戦訓が
>>283 大変高価だったよ。
だから私用で東京行った倉石大尉だけがたまたま買って履いてた。
委任経理である衛戍部隊にゴム長用意させるんならそれなりの予算組んでやらないとね。
映画では握り飯を懐に抱いていた兵士がいたね。
確か東北出身で「こうしておかないと凍って食えなくなる」。
横で握り飯に銃剣をつきたてて(刺さらなかった)
怒りまくっていた将校の姿が。
生存者にはマタギの子が多かったとか
雪山でどうすればいいか知ってたんだな
289 :
名無し三等兵:2008/09/07(日) 14:37:10 ID:Lic6J9tO
>>283 当時ゴム製長靴は輸入品のみで、国産化されたのは大正年間。
高価なものだったでしょうね。
雪中行軍に履いていったのは倉石一大尉だけで、医官ではありません。
290 :
名無し三等兵:2008/09/07(日) 14:39:32 ID:Lic6J9tO
もし、同じ状況下でどうしても踏破しなきゃならないとしたら
何が必要だったろう。案内人は、やっぱ必須だよね。
スキーを知っていれば、もう少しはましだったんだろうか?
2年後に青森の野村冶三郎がスキーを試乗してるらしい。
>>281 昔の人の方が物がない分だけ生活の知識みたいなのが豊富だね
自然と共生してたし
少なくても冬山をなめて集団で登山とかやらないだろうね
>>283 ゴム靴買ってたのは倉石大尉じゃないのかな?
あの人は医官じゃないと思うんですが・・・
>>291 とりあえず、凍傷にかからないようにゴム長靴と
ちゃんとした手袋だね
あと、凍らない食料
水分が少ない乾パンとかレーズンとかピーナツみたいなカロリーが高い豆類
初日の昼からすでにほとんど食べない状態になってたのが致命的
武士が甲冑で戦っていた頃から奥州等ではカンジキ隊は編成されてたし
馬にもカンジキ。
また雪上にムシロを敷いて馬や重装備の武将のルート確保
ムシロをキャタピラのように無限に敷き直して雪中を行軍してた記事を
大河ドラマの1シーンで観た事があります (独眼流正宗)
柿シブを縫ったワラが水をはじくとか
マタギの毛皮の靴や外套が水をはじく知識は研究しなかったのかなぁ
>>281 戦国の知恵は既に幕末の武士達の間ですら忘れられてたよ。
年代が下がってくるにつれて知識が積み重なって人は賢くなると思ったらそうではないんだよね
特定の知識は昔の人の方が詳しいし
特にサバイバル系は
>>297 新鮮組の皆さんが上野の山の攻防で榴弾でなく徹甲弾を
官軍の皆さんに射ち込んでいた記事を思い出しました。
脱線しましたすいません 。
>>299 いや、新撰組は上野の戦いに参加してないから。
重ねて脱線ですまない。
>>300 ありがとうございます やはり戦も重要、文も重要
精度を絞ったカキコ目指して出直します
現在の俳優でリメイク…
無理かな〜
>>302 あの「雪の中ですっぱだかになって転げまわる」
シーンをやってくれる役者が果たしているか...
あの役者さんは遺書を書いて臨んだそうだし。
>>302 今、リメイクしたら90分ぐらいのミニチュア版になるよ
で、女連中が必要以上にでしゃばってくる
男のドラマなのに
>>303 やってくれそうな人w
江頭 HG ダチョウ倶楽部
>>302 オール八甲田ロケじゃなくて、CGでお茶濁すんだろうなぁ・・・
>>305 筋肉× 贅肉× 江頭だな・・・
>>296 毛皮のファーとか、やっぱあったかく感じるよね。
動物はあれで冬を超すんだもんなぁ、当然か・・・
マタギやエスキモーやロシア兵の毛皮は伊達じゃないなと。
>>302 兵隊役をやって違和感の無い俳優が居ない。
>>297 戦国時代には佐々のさらさら越えとかあったわけだし、その頃よりは
サバイバル技術が劣っていそうだよなぁ。
キャストが当時最高レベル
彼ら、彼女等に劣らないキャストは無理かな?
加山雄三がやってた役の人が美味しいポジションだな
最初が出てこなくて隊がピンチに陥ったあたりから冷静に役目をこなしていくっていう
最後も生き延びたし
でも、最初の方の小峠での進むか戻るかの会議のシーンで意見強くいってくれよ
神田大尉と同じ階級なんだから発言力はあるだろうに・・・
せめて気象が良くなるまでここで様子を見ましょうとか言ってくれたらまだ
助かったかもしれないのに
あそこで露営してたら簡単に帰営判断もできるし帰れるのに
雪もそんなにないから夜でも道を見失わずに戻れるのに
映画に突っ込んでどうするんだ。
まぁ映画だから良かったけど、実際にこんな遭難があったら怖いよね。
>>313 ・・・・・・・実話なんだが・・・・・・・。
315 :
名無し三等兵:2008/09/09(火) 08:19:16 ID:DGE/5CMj
>>313 おいおい頼むぜw
明治時代の事件ではあるが・・・・平成生まれの人?
いいえ、21世紀生まれですww
>>313 騙されちゃ駄目だよ、フィクションだからね。
319 :
名無し三等兵:2008/09/10(水) 21:51:49 ID:FsILOSJX
>>311 倉石大尉のことね。当時肝臓を患っていて療養中で、雪中行軍については
全くノータッチ。山口少佐に誘われ、ただ付いて行っただけ。映画と同じ
ような役割だったのだろう。
結果から見て、生き延びる為には小峠が最後のチャンスだったように思え
るし、倉石大尉の進言があれば、判断が変わった可能性はあるわな。
>>318 愉快犯か・・・・・空気を変える意味で面白いことも時には・・・
>>319 あと2日、五連隊の出発が延びてたら弘前隊と田代の手前で会ってたかもしれないね
そうすれば向こうは田代方面から来てるから道教えてもらえたかもね
321 :
名無し三等兵:2008/09/11(木) 00:08:59 ID:wN3UKD6f
>>319 しかも雪中行軍遭難中絶食したおかげでその肝臓病がなんと全快。
笑うに笑えん・・・・・・・・
>>321 でも2年後に戦死するんだよね
人間の運命なんて・・・・
黒溝台会戦で亡くなったそうですね
映画でも最後の下りでクレジットが入っていましたね、
31連隊の皆さんも雪中行軍経験者と云う事で
日露戦争に参加したんだろうなと・・・・
雪中行軍参加者なら長期間、寒冷地での戦闘計画のアドバイザーとかで内地に残ってもらえばいいのに
全員戦地に送り込むとは何か裏の意図でもあるのかな?
口封じの為とは思いたく無いが
あえて、激戦区に投入されている気がします。
八甲田の生き残りは軍神で在らねばならなかったのか?
>>325 それは凄く怖ろしい顛末ですね
5連隊の生き残りの方々は太平洋戦争終結まで軍神
凍傷で四肢を失い行軍以降従軍は出来ませんでしたが
倉石大尉は5連隊の従軍可能な唯一の存命者で日露戦争の最前線配置
新しい物語誕生の予感がします
単純に黒溝台会戦では第8師団しか予備がおらず、第8師団で騎兵第2旅団の応援に
行ったら、ロシア軍10万の攻撃を一手に受けることになっただけ。結果、第8師団の
死傷率は50%超。別に弘前第31連隊が特別だったわけじゃない。
うが、青森第5連隊ね。
>>327 確かに青森5連隊大尉の功績を当時の通信情報で軍幕僚が追跡し
口封じとはならないかも知れませんが物語として美味しくはないですか
また日露に勝つための幹部を集合させる際の推薦人は
とりもなおさず5連隊の上層部となると
口封じと云う含みを感じます
また、軍歌 「 雪の進軍 」 は
軍部により厭世観の強い軍歌として一時期禁止されていた
との情報もあり、口封じ、言論統制の雰囲気なきにしも在らずや?
>>331 ありがとうございます、
この板は凄いですね 自分は高倉健さんのセリフを
数十年鵜呑みにしていましたよ
雪の進軍は禁止はされとらんかったが歌詞を一部変えられてしまったんだな
>>324-326 >>330 口封じも何も事件当時から大々的に報道されてる時点でねぇ。
兵卒と士官の見舞金の差から遺族の抗議行動まで起こってるよ。
寒冷地での行動の教訓は事件そのものと数ヶ月に及んだ遺体捜索で充分得られている。
>>335 報道では出てこない暗部とかあったんじゃないの?
例えば5連隊の凍死寸前の生き残りを見捨てて通過したとか
もしくはそれ以上のことが雪山の中で起こったとか・・・
>>336 緘口令も布いてないよ。
部隊では当時から山口少佐は自殺だ、いや違う…等という話が飛び交っていた。
つーかそこまでいったら陰謀論だよ。
>>337 山口少佐の遺骨とか科学鑑定とかする動きはなかったの?
毒薬とか使ってたら反応できるだろうし
もしけん銃自殺したのなら銃声聞いた人いるだろうし
陸軍内にもそういう軍隊内の警察みたいな組織あるんでしょ?
>>336 >例えば5連隊の凍死寸前の生き残りを見捨てて通過したとか
31連隊は5連隊の隊員の銃を拾って持ってきてる
遭難後の凍死体ないしは瀕死の兵を発見したとしても不思議ではない
>>340 ドラマとかならありそうだけど見捨てて通過しようとしたのを
怒って銃剣とかで襲いかかってきたのを逆に31連隊の隊員が殺してしまったとかね
>>341 当時、けん銃自殺って誰が鑑定したんだろうね
指の問題で無理なのは当時でも判るはずだと思う
司法解剖とかせずに即荼毘に付したのもおかしいし
当時それを追求する動きは内部とか外部とかになかったのかな・・・
>>342 >怒って銃剣とかで襲いかかってきた
やたら元気な遭難者だなおいw
>>344 お前がもし見捨てられる立場なら怒るだろう?
>>345 襲えるほど元気なら遭難なんかしねーっつの
無知な陰謀論者が大暴れの図。
倉石大尉の件は
>>328で完全に説明が付いているし、緘口令も全然敷かれていないし、
なにがどう陰謀なんだか…
>>342 襲いかかれるくらいの元気があったら普通に福島隊についていけるでしょ。
もし福島大尉が遭難兵を見捨てることがあるとすればその兵が足手まといになるくらい
衰弱していた場合だろうね。凍死寸前とか、人事不省とか。
そういった場合はカルネアデスの板として見捨てることもありえない話ではないだろう。
>>343 >当時、けん銃自殺って誰が鑑定したんだろうね
いや、そんな鑑定結果は出ていない。
それは小笠原孤酒氏の仮説とそれを元にして書かれた新田次郎の小説での話。
公式発表では心臓麻痺だよ。
>>351 それなら雪中行軍紀念館に展示されてるけん銃は誰のもの?
>>353 記念館に拳銃が展示されているからといって
それが山口少佐が自殺又は他殺であるという説の補強にはならないよ。
レスの主旨がよく分からないな。
>>352のように荒らしている馬鹿って、ちょっと前に湧いて出ていた
弘前第31連隊すら知らない馬鹿と同一人物か?
>>354 だからあの拳銃は誰のだって書いてるんだよ、アホか?おまえはw
>>356 山口少佐かもなw
で、それがどうしたの?
映画のスレも荒らしてたな
事実に基づいてはいるが、フィクションってことが理解できてないらしいww
>>358 フィクションに決まってるよなw
こんなアフォみたいな事件が実際にあるわけない。
事実としては、雪山でちょっと迷ったってぐらいの話を
膨らまして映画化したってだけの話だろ。
その映画の記念館の拳銃は山口少佐の拳銃だろって話だ。
>>360 小説や映画はフィクションだよ、でも事件は真実
雪山でちょっと迷うというが暴風雪は1メートル先も見えないからね
肝心なのはこんなアフォみたいな事件が何度も起こる可能性がありそうだから
ちょっと備えておこうかなと・・・・・。
>>361 >肝心なのはこんなアフォみたいな事件が何度も起こる可能性がありそうだから
>ちょっと備えておこうかなと・・・・・。
徴兵制復活も議論されてるしなぁ…
>>362 >徴兵制復活も議論されてるしなぁ…
されてねえよアフォ
飲食、休息、睡眠、排泄に制限を加えられるのは本当に苦痛だ
その上尋常じゃない寒さに見えない先行き・・・・。
反面、限界と向き合う妙な高揚感とか生存という或る優位性
この部分につい引き寄せられ書き込んでいる自分は現代社会の
遭難者??
>>363 でも公務員人件費削減の行き着くところは徴兵制復活だよ?
今日、天気がよかったんでドライブがてら田代平方面に行ってきました。
後藤伍長の銅像、久しぶりに見てきたよ。
日差しは強いけど空気はどこかひんやりしてて山だなぁと思った。
写真集買ってきたけど、やっぱ凄いね。発行所 (有)銅像茶屋 に改めて感心w
369 :
名無し三等兵:2008/09/16(火) 08:43:56 ID:vA+ersJo
>>368 近くの方がうらやましいw
散策には良い頃なんでしょうね。銅像茶屋の裏あたりでシートをひろげ、
食事を楽しむ家族づれの姿が目に浮かびます。
324-351あたりの話は
ズバリ「白兵(北上 秋彦 著)」という小説になってる。
八甲田で行方不明になった軍銃の行方を追うため、
密命を受けて日露戦の戦場を駆け巡る兵士の話。
んで、結果として山口少佐死因の真相は、ってとこに行ってしまうが
もちろん創作。
銅像茶屋の裏にそんなスペースあったかな。
>>369,371
いや、安心して下さいw
銅像茶屋の裏って気持ちよさそうな草原だけど、だーれもいませんでした。
楽しそうな家族連れ、萱野高原、田代高原にはわんさかいるんだけど
やっぱみんな空気読んでるんですかね。
家族団らんでのんびりお弁当食べたいなら
第一露営地の空き地でやったらどうですか?
夕方あたりの少し薄暗くなったあたりが風情あっていいかも
第一露営地では
火を起こし飯を炊こうとして雪を掘ったけど地面まで掘れず
仕方無く雪の上で火を起こしたので釜が傾き火力は落ち
ろくに飯も炊けなかった
1月24日 午前1:00
>>375 どうして雪中行軍以前から雪の上での炊飯実験とかやらなかったんでしょうか?
いくら明治時代でも軍隊なら過酷な場所で生命維持するノウハウは普段から研究するべきだと思うんですが・・・
>>376 八甲田雪中行軍遭難秘話でググると当時の状況がよく判りますよ
明治35年の時点で旅順に優勢なロシア海軍の基地があり
対日戦を意識して要塞まで構築しつつあった時期にこの演習は
実施されました。
また明治時代の軍隊は
兵卒は税制や徴兵の為に身分差別から開放された教育も受けていない人々
逆に海外に留学した武官、文官、政治家達も手探りで国を造っていた印象があり
未知故に興味深いのです
雪中でのノウハウの研究については想像するしか無いのですが
記録の端々にヒントが隠されているようで
それを合掌しつつマターリ考えらればイイなと・・・・・
あ、休憩時間終わりかよ 失礼します
>>378 アクセス数
昨日002 今日265
乙です
>>379 よかったね
でも、このスレそんなにROMってる人いるのか、凄い
織田裕二の映画かとオモタ
八甲田雪中行軍までの明治のインフラをまとめてみた
1849年(嘉永2年)国産初の電信機誕生 : 絹巻線を使用
1869年(明治2年)電報取り扱い開始 : 東京〜横浜
1870年(明治3年)ガス会社設立 ( 外国人居留地用 )
1871年(明治4年)モールス印字電信機を輸入国産化 他 郵便法施行 十進方採用
1871年(明治4年)海底電信線を施工完成 長崎〜上海:長崎〜ウラジオストク
1872年(明治5年)鉄道開業 : 新橋〜横浜
1876年(明治9年)廃刀令
1878年(明治11年)国産1号電話機完成
1882年(明治15年)アーク燈運用開始 銀座にて
1886年(明治19年)東京電燈開業 : 電気事業始まる
1894年(明治27年)日清戦争
1895年(明治28年)ヘタりア グリエルモ・マルコーニ 無線電信装置の発明
1901年(明治34年)海軍省、無線電信機を兵器として採用
1902年(明治35年)八甲田山雪中行軍遭難事件
>>384 こうして別の角度から見たら面白いですね
1871年(明治4年)海底電信線を施工完成 長崎〜上海:長崎〜ウラジオストク
これが驚かされますね、明治4年なんかに長崎から上海やウラジオストクまで海底電信線を海底敷設できたんですね
どうやって当時の技術であんな深海まで潜って工事できたんでしょ?
1895年(明治28年)ヘタりア グリエルモ・マルコーニ 無線電信装置の発明
1901年(明治34年)海軍省、無線電信機を兵器として採用
1902年(明治35年)八甲田山雪中行軍遭難事件
200人規模の部隊で無線機を持って行動できるようになったのは何年ぐらいだったんでしょうね
もし雪中行軍に無線機を持っていけたら大峠での進退を決めるときに本部に決めてもらえたんじゃないかな
本部なら天候とか色々データは入ってくるでしょうから
あと、遭難しても早めに救援依頼できたできたでしょうし
あれだけ犠牲者が出たのも遭難認定が遅すぎたからでしょうし
普通なら帰営予定日に帰ってこなければ即救援部隊をいつでも出せるようにしなきゃいけないのに
まだ1日ほど判断遅らせてますし
もう一日現場への到着が早ければ助けられた兵もいたんじゃないかな
>>385 携行可能な通話式無線機はWW2の連合軍が初だと思います
例えばノルマンディー上陸作戦
クリスタルで周波数を変えチャンネルごとに通信可能( 全て平文の交信ですが )
マーケットガーデン作戦ではクリスタルの搭載ミスで通話不可の憂き目を見たようですが
本当に戦争には人為的凡ミスが付きまとうようで・・・。
その無線機の小型化に大きな影響を与えたのはナイロン
ナイロンは1935年アメリカのデュポン社の研究員により開発されました
ナイロン誕生以前の電装品のリードのコーティングは
紙や繊維織物やゴムが主流でしたが水に弱くショートすれば無力で脆弱なのは
想像に易いでしょう
1945年の太平洋戦争終結まで日本は携行可能な通話式無線機は
保有していなかったのではないでしょうか?
>>386 確か伝書鳩中隊とかあったハズだよ。
最悪でも伝令を連隊本部まで走らせて伝達手段の確保に努めるべきだった。
つーかアメリカのウォーキートーキー以外は無かったよ。
吹雪の中を伝書鳩が飛べるものかと。
伝令も二次遭難がオチだ、通常でも伝令が迷うことは多いのに。
>>385 >これが驚かされますね、明治4年なんかに長崎から上海やウラジオストクまで海底電信線を海底敷設できたんですね
>どうやって当時の技術であんな深海まで潜って工事できたんでしょ?
そもそも海洋底に電纜を敷設する時に潜ったりしないから。
>>388 明治35年のお話です(1902年)
ウォーキートーキー背負い式無線機は1940年
>>386 >>391 だから日本だけじゃなくて、1945年でもアメリカ以外には無かったと言ってるだけ。
>>392 ウォーキートーキーは連合軍各国に提供されてたけど
アメリカが金玉握ってたのは確かですね
でもここは明治時代
それにしても軍事板の底深く沈んでるこのスレが微妙に伸びるのは
何故なのか??
底深くって…700有るスレの260番目位だが
専ブラ使っていればそれも余り関係無いしなー
興味有る人は見るでしょ
>>395 なるほど、助言を ありがとうございます
軍事板は改めて、凄い…
>>386 通話式じゃなくてもモールス信号みたいな電波飛ばせる装置とかもなかったですか?明治時代
>>398 敷設艦又は船という海底ケーブル敷設用の船には
ケーブルを巻いた巨大なドラムが有る。
んでそれを船上から繰り出し、海底に垂らして敷設していく。
ダイバーが潜ってケーブルを設置しに行くわけじゃない。
明治時代の技術であの寒波に耐えうるバッテリーがあったかどうか...
402 :
名無し三等兵:2008/09/20(土) 10:59:40 ID:JeG2ghOy
>>401 「電信の歴史」に追伸です。
1900年(明治33年)海軍軍艦(浅間)(霧島)(明石)に無線電信を設置。
1902年(明治35年)海軍、横須賀ー焼津間60海里の通信に成功
「八甲田山死の彷徨」を読んだんだけど。
兵卒が着ていた、「小倉の軍服」ってなに?
九州・小倉で使用された軍服ってこと?
南国九州の軍服なら確かに、冬山には向かないだろうけど。
ラシャ=毛織物はわかるんだけど。
木綿の織り方の一種
夏服の長袖のようなものと混乱した記憶でレス
>>404 日本の武器兵器( Japanese Wepons.net )
→軍用銃
→装具でググれ 明治13年から制定されてる軍服の写真が出てる
他にも
二十六年式拳銃
1893年(明治26年)制定:口径6・5mm や
村田式小銃などこのスレ向き資料だと思う
404です。
いっぱいありがとう。
要するに木綿の生地だったわけだね。
それで厳寒期の冬山に入るのは、いくら外套が毛織物でもつらいわな。
以前革靴で行軍したってレスあったけど
革靴の上に 雪沓(こおり)というワラの雪靴を履いてたようだ
神成大尉が捜索隊に発見されたくだりで
帽子も雪沓もサーベルも身に着けていなかった
という記述がある、そもそも雪沓を履いてカンジキを履くのが
正解なのかな?
>>399 なるほど、重しをつけて沈めていくんですね
村田十八年式小銃
1885年(明治18年)制定:口径11mm 重量3・9s
ありがとうございます、勉強になるなぁ
>>412 重しというかケーブル自体と中継器の重さで勝手に沈んでいく。
>>415 当時の送信線の絶縁皮革ってゴムだったのかな?
素材的にそれしか想像出来ないんだけど
しかし雪の中で身動き取れないのに4キロもある小銃持っていかせたのか・・・
難所だって最初からわかってるんだから敵もいないんだから非武装でいけばいいのに
何か持って行かなきゃ不安なら拳銃ぐらいでさ
あと、雪の中なのに重い銅釜持って行って飯炊くてさ・・・
乾パンか何か1泊ぐらいなんだから軽くて即凍結しにくくて調理時間不要な食べ物とか
持っていけなかったのかな?
ソリ隊の遅れが全体の行軍遅らせたのに
1月23日
6:55 神成大尉と随行の大体本部、筒井の営舎を出発 ( 以降大隊と略す )
幸畑の陸軍墓地を参拝
田茂木野通過 : 注意喚起せし案内人を断り出発
11:35 天候悪化、遅れたソリ隊を小峠で待つ間「 大休止 」この間昼食をとらせる
この段階で永井三等軍医が帰営を進言 しかし帰営は却下、大峠を踏破し田代に向かうと決定す
11:59 さらに天候悪化
賽の河原、 積雪は腰を超える : 同所踏破中のソリ隊は到着せず
大休止を終えた大隊はソリ隊の遅れはいずれ解消されるであろうと判断
田代へと出発したと想像する(時間不明)
16:13 大隊本体は馬立場に到着 : 積雪は胸から肩を超える←おそらくソリ隊付近の積雪と想像
ようやく遅れているソリ隊の応援に 第二・第三小隊 計88名を向かわせる
@同時に藤本曹長以下15名の設営隊を田代に先発させる
Aソリ隊むりぼで鳴沢でソリを放棄
@が道に迷い行軍隊の最後尾に到着、山口少佐の知るところとなるが神成大尉には伝達せず
B山口少佐が水野中尉隊を再び田代への斥候に向かわせる
20:05 Bの水野中尉隊田代を発見出来ず 平沢の森で露営が結局この時間
>>417 5連隊でもソリ隊を早めに放棄していたら田代に到着出来た可能性は
高いですよね
弘前31連隊はソリ隊を使用しなかったし
>>420 弘前31連隊が山小屋で軍手や靴下を干してるシーンが映画にありましたが
やはりあれは真実と判断して良いのですね
ぶっ通しで行軍、露営では凍傷になってしまう
>>421 山小屋じゃなくて民家に居候したの。
食事もそこで出してもらったし、寝床も準備されてた。
>>422 なんと!
もし差し支えなければソースを教えていただけませんか?
>>423 「八甲田連峰吹雪の惨劇」 小笠原孤酒
これは映画の原作である新田次郎の小説の素になったとも言える。
>>417 いやだからそうした「実戦装備」での行軍が目的だから。
事前準備が甘かったとか言うのは確かにあると思うが。
>>424 ありがとうございます 購入して読んでみます
最近やっと映画の登場人物の仮名称と離別しつつあるので勉強になりそうです
己の歳を認識して老眼鏡を手にして本も再び読めるようになったし
この不思議な明治が好きになりそうです
>>426 自費出版なので八甲田の銅像茶屋でしか売ってないから注意してね。
幸畑の資料館で読むだけは出来るけど。
オークションや古本屋にも有るかもしれない。
>>427 えーっ webでクレカで買えないんですか? これは大変な事になりました
再度の助言本当にありがとうございます
429 :
名無し三等兵:2008/09/21(日) 13:13:38 ID:Vj1NoORh
映画で永野軍医役の俳優が
アパヤンの親父だってね
青森の県立図書館にあるから、
>>428の地元図書館に申し込めば
たぶん借りられるんじゃないかな? 郵送料がかかるかもしれないけど。
青森 銅像茶屋で住所と電話番号をゲトしました
ありがとうございます
>>428 >>430にもあるけど『雪の八甲田で何が起ったのか』川口泰英 がよかったですよ
さまざまな資料を纏めてて相互の突合せが見事
434 :
名無し三等兵:2008/09/21(日) 16:02:55 ID:dzk+Q9Ny
>>428 ネットオークションを検索されてはいかが。
時折見ますよ。
>>433 「雪の八甲田で何が起ったのか」これは入手出来そうですね
>>434 貴重な情報をありがとうございます
>>425 実戦装備で行軍するなら道がきっちりわかってるところでやれと
事前に少人数で道調べてからいけばいいのに
事前の現地調査の後、実戦装備で行軍、コンパスと地図で踏破を試みるが
田茂木野を出発した後に天候が悪化。
田茂木野から小峠までは標高差があるから新雪がどんどん溜まり
傾斜も手伝ってソリ隊が遅れる
吹雪いた雪で目視による位置確認は極めて困難となり道に迷う
道に迷う恐れが発生した段階で露営して朝を待ち帰営するべき
>>437 演習といっても「雪中における軍の展開、物資の輸送の可否」の研究のためなのだから、
天候悪化した時点で、現状の装備、体制では物資の輸送は不可能という結論を出して
帰営すべきだったんだよなぁ。
439 :
名無し三等兵:2008/09/22(月) 09:27:06 ID:+R+aY/Sp
問1、
「第五連隊雪中行軍隊員に選ばれた兵卒だった」としたとき、当時の状況の中で
どのような準備ができるか?
問2、
あの数メートル先も見えない猛吹雪、胸をも没す豪雪、マイナス二十何度という
低温の環境の中で生き残る為の方策を考えていただきたい。
そうそう、みなさんは貧乏農家の出身でお金はありません、倉石大尉のように
ゴム長靴を買うなんてとてもとても。
>>439 油紙と新聞紙と唐辛子とで足に水を染み込ませないくらいはできるぜ
>>439
秋田周辺の地元民なら普通に生きてるけど何か?
まずウサギを二羽捕まえ毛皮を靴下にし
脂と土を混ぜて全身に塗る
という方法が宇宙の戦士の中で紹介されてた
状況はパンツ1枚とナイフ1本で雪山に降下した後2週間サバイバルする
という内容 作者はアメリカ海軍士官
問1、
藁の雪靴と藁の蓑は身に着けたい
問2、
最初の平沢の森の露営地を出ない事
それ以降は雪濠を掘る道具も失われているので吹きさらし
>>413-414 遭難事件の発生した明治35年(1902年)は村田銃から新型の三十年式歩兵銃への装備の更新が進められていた時期で、これは主力である
歩兵部隊を優先としていた、と何かで読んだ覚えがあります。
三十年式への更新が一応の完了となったのは明治36年(1903年)で、砲兵・輜重部隊の自衛用火器等で更新の優先度が低いとされた
用途に村田銃が残された他は、ほぼ全部隊に三十年式が行き渡った状態で日露開戦を迎えています。
青森第五連隊も、既に三十年式を装備していたのでは?
>>445 三十年式小銃
1897年(明治30年)制定:口径6・5mm
約60万挺弱が生産され日露戦争に使用された。
村田十三年式小銃から村田二十二年式小銃の総生産数は役27万挺
騎兵銃は約3万挺 で
口径は二十二年式が口径8mm 十三・十八年式は口径11mm
もし今後八甲田雪中行軍を書く人は8師団5連隊の記録を
調べなきゃ
>>445-446 「後藤房之助伍長の像」が携帯している銃は三十年式のように見えるな。
これが建立されたのは、遭難事件から4年後、日露戦争直後の1906年(明治39年)
だそうだから、時代考証の誤りとかは無いだろうな。
>>447 目の付け所が違いますね その角度から検証するなんて
この後藤伍長の像は太平洋戦争の物資徴用も免れているので当時のまま
落成の時 5連隊と後藤伍長が参列している記事もあるので
これは精度の高い情報ですよ
449 :
前スレから:2008/09/22(月) 19:27:56 ID:???
876 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2008/07/03(木) 20:18:07 ID:jqdGk3kT
東奥日報の2002年6月13日付の記事です。
八甲田雪中行軍遭難事件に新事実
一九〇二(明治三十五)年一月二十三日、旧陸軍青森歩兵第五連隊が八甲田で雪中行軍の訓練中、
猛吹雪に見舞われ将兵約二百人が凍死した遭難事件で、同時期に訓練を行った弘前歩兵第三一連隊の
福島泰蔵大尉が田代付近で五連隊と遭遇したことを伝える資料が見つかった。弘大医学部麻酔科の
松木明知教授(63)が、防衛研究所図書館(東京)が所蔵する旧陸軍文書の中から発見した。
両隊の「遭遇」は、福島大尉自身が記録を残していないことから同事件の謎の一つとされてきたが、
その解明に大きく迫る貴重な資料といえる。
文書は、旧陸軍省が遭難事件についてまとめた「歩兵第五連隊雪中行軍遭難ニ関スル委員復命書付録」
の中の「在田茂木野木村少佐報告」。遭難者救助のため編成された捜索隊の隊長木村宣明少佐が二十九日
未明、田茂木野の哨所(しょうしょ)に到着した福島大尉から口頭で聞いた報告がまとめられている。
記されているのは、二十日に弘前を出発した弘前隊の行程(十泊十一日)のうち二十六日から二十九日
までの様子。
450 :
前スレより:2008/09/22(月) 19:29:03 ID:???
877 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2008/07/03(木) 20:19:44 ID:jqdGk3kT
文書によると、同隊は二十八日午後一時ごろ、田代から田茂木野に至る途中、三十年式歩兵銃合わせて
二挺(ちょう)を発見、収容。また「通路ノ左右ニ各一人ノ兵卒凍死セルヲ見ル」とあり、田茂木野まで
約十キロほどの地点を通過した午後四時ごろ、雪原で兵士二人の遺体を確認したことが伝えられている。
また「其服装ハ背嚢(はいのう)ナク唯背負袋ヲ携帯セシノミ内一名ハ確ニ喇叭手(らっぱしゅ)ナリシ
ガ大尉ハ其等ノ現象ニ對シテ理由ヲ発見シ得ザリシ」とあり、福島大尉は田茂木野に着いて初めて五連隊が
未曽有の惨事に巻き込まれた事実を知ったことがうかがえる。
これまで、弘前隊の元隊員らが日記などで五連隊との遭遇を伝えたものはいくつか知られている。
松木教授は「福島大尉自身は決して記録を残さなかったが、陸軍には報告していたことがこの資料で明らか
になった。短い文章だが、両隊の遭遇を示す資料がようやく見つかった」と語る。
雪中行軍遭難事件に詳しい陸上自衛隊第九師団司令部の加藤幹春広報幹部は、「陸軍の『弘前隊が銃二挺を
持ち帰った事実はない』としてきた主張を覆し、両隊遭遇の事実を伝える貴重な資料」と評価。「陸軍が伏せ
ていたとみられる事実が明らかになったことで、遺族らから新たな資料の提供などがあれば、事件の真相解
明が一層進むのでは」と、期待している。
※写真は福島大尉が、田代で凍死した兵卒らを確認したことを伝える文書(コピー)
451 :
前スレより:2008/09/22(月) 19:30:32 ID:???
880 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2008/07/04(金) 21:15:07 ID:eLQI4qzc
発見者の松木明知教授はその著書、2002年12月発行「八甲田雪中行軍の研究」及び2003年8月号「月刊現代」
の中でこの新発見の研究成果について発表。
2007年12月発行「八甲田雪中行軍遭難事件の謎は解明されたか」はまだ手に入るはず、ぜひ一読されたい。
青森県史編纂グループ主査の中園 裕は「市史研究 あおもり7」の中で、新規資料の発見と研究史の整理と題し
研究成果を発表。「青森県史研究 第7号」にも記載あり。
尚、文書全文がご希望であれば書き写しますが・・・いくらか時間が必要ですが(^^)
452 :
前スレより:2008/09/22(月) 19:31:38 ID:???
886 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2008/07/07(月) 18:13:47 ID:Wp0KyEWF
在田茂木野木村少佐報告(二十九日朝ノ報告)
唯今、歩兵第三十一聯隊雪中行軍隊司令福島大尉来訪。該隊行軍ノ状況ニ付左ノ件々ヲ承知セリ。
該中隊ハ、二十六日午前八時三本木ヲ発シ、増沢ニ至リ宿営。翌二十七日午前六時増沢ヲ発
シ、田代ニ向ヒタリ。此日ヨリ増沢ノ土民六名ヲ嚮導トナシ、(田代ニアル温泉ナリ)新湯ヲ行軍目
標トナセシモ、之ヲ発見スル能ハス。午後九時頃雪中ニ露営セリ。此日ノ露営ハ頗る危険ニシテ
困難。実ニ寒気ハ氷点下十点ニ達シテ、一ノ掩蔽物ヲ得サリキ。翌午前八時露営地出発。途中
田代ヨリ田茂木野ニ至ル通路上ノ頂界線ニ於テ、三十年式歩兵銃ノ雪中ニ立チアルヲ見、之レヲ
収容セリ。此時午後一時ナリシカ、約千突ヲ進ムヤ、更ニ一挺ヲ発見セリ。既ニシテ前進、午後四
時頃、八甲田山ノ東南麓ヲ通過スル時、通路ノ左右ニ各一人ノ兵卒凍死セルヲ見ル。其服装ハ背
嚢ナク唯背負袋ヲ携帯セシノミ。内一名ハ確ニ喇叭手ナリシガ、大尉ハ其等ノ現象ニ對シテ理由
ヲ発見シ得ザリシト。而シテ其屍体ノ所在地ハ田茂木野ヨリ約二里半ノ所ナリトノ事ナリ。田茂木野
到着ハ今午前一時ニシテ、當地ニ二時間ノ休憩ヲナシ、青森ニ向テ発程サルヽ予定ナリ。此行軍
隊ハ将校三名、見習士官十名、見習医官二名、下士候補生十九名、及喇叭手二名、従卒二名、
新聞記者一名ヨリ編成サレシカ、患者ハ唯三本木ニ於テ一名ヲ出セシノミニシテ、他ハ悉ク健全。
好ク其目的ヲ達成サレタルモノト云フベシ。
以上ハ、其ノ概況ニ過ギス。猶一行ハ、本日青森ニ於テ滞在ノ予定ニ付、或ハ更ニ詳細ノ状況、直ニ
御聴聞ノ期モ可有之ト存候。小銃二挺ハ当地ニ於テ受領致候。
>>439 問1の回答
とりあえず、凍傷防止のために靴下と手袋は二重につける
で、出発前に手足に油を塗って揉み込んでおく
乾パンなど水分が少なくて凍りにくい食品を携帯する
飴玉や黒砂糖とか即エネルギーになりそうなものを懐中に入れておく
ピーナツとか豆類もいいですね
無理かもしれないけど行軍する予定の道の地図とかは先に見ておく
行く前に見るのと誰かが先導してくれるだろうとか思って何もしないのとは
雲泥の違いだと思う
問2の回答
とりあえず直接風に当たり続けると体温が奪われるので
周りがまったく見えない状態なら明るくなるまで
雪壕を掘って中に入って風の直撃を防ぐ
山口少佐
「比較的元気な
>>453を直轄斥候として田代方面に進出させる!ヽ(`Д´)ノ」
「
>>453前へ!ヽ(`Д´)ノ」
一つ疑問なんだけど
その頃は携帯時計とか普及してたのかな?
豆知識で腕時計の時計の短針の方向を太陽にむけたら12時の目盛りのその中間が南とか
聞いたことあるんだけど
それでおおよその方角はわかると思うんだけど
太陽が少しは出ればその方法使えるんじゃないかな?
当時の人が知ってたかどうかはわからないけど
>>457 遭難後何日目に太陽が見えるぐらいに天候回復したんだろ
>>453 貧乏農家の出身で飴玉だの砂糖だの乾パンなんて手に入るのか?
煎り豆くらいなら何とかなるかも知れんが
東北だしマタギの家系だったことにしたら
ゴム長靴は買えないが、上衣には毛皮、下は般引、足にはハバキか皮足袋かわら靴
雪よけや雪洞作りのための雪ベラ、行軍用に輪カンジキも
オプショナルで雪山に行くとわかっているんだから、敵(露)をまねて毛皮でロシア帽モドキ
ウサギとかの毛皮で裏打ちした手袋とブーツ、テンかイタチのマフラー
食料は干物類、餅、豆類くらいは持っていただろう、マダギだから
カンペキダ
461 :
名無し三等兵:2008/09/23(火) 01:21:31 ID:dXZPUlNN
早い話が、上がバカだと下は苦労するってことだよね。
>>459 軍隊で金もらってるだろ?
外の市場で売ってるじゃないの
>>462 けどさー、それが自分のこづかいになる訳じゃないだろ?冬になると出稼ぎに
出なきゃ家族が生きて行けない生活水準なんだろ?
原作の貧乏農家の生活の描写も凄まじかったし。
>>463 女買ったり、タバコや酒買う金ぐらいはあるよ、大人だからさ
>>466 どうしてここまで運が悪いんだろうね
行軍出発を1日早ければ普通に目的地に到着できたはずだし
1日遅れていればさすがに途中で行軍中止しただろうし、奥地にいくまでに
>>467 1日遅れていれば行軍は中止で仮に再開されたとしても210名編成
なんて事は無かっだろうね
1日早ければ 田代には到着出来た可能性が高い
ただここからの選択肢がかなり多岐に渡り興味深いね、
スレチになっちゃうけど。
>>468 >ただここからの選択肢
田代までたどり着けてたら
悪天候になればそのままそこで回復するまで時間潰せばいいし
民家の集落もあるだろうし、温泉もあるから最悪の事態にはならないと思う
で、天候回復しなければそのまま三本木方面に向かって汽車で帰ればいいし
行軍するのに一番やっかいな雪の深さは大峠から田代までが一番きついみたいだし
田代より向こうはそんなに深くないからね
>>471 現在は崩壊した田代温泉の建物が有っただけで
他の家は無い。
それも今日連想するような温泉宿じゃなくて小さい建物。
とても収容し切れない
>>473 言い方が悪かったか。
今は崩壊した廃墟(温泉は沸いてる)。
当時も田代元湯には小さい宿が一軒有っただけ。
周りに他の人家等は無く、集落ではない。
>>474 まあ、宿があるならある程度食料の備蓄はあるだろうね
おかゆか何かにすれば全員食べられるかな?
大根とか菜っ葉とか混ぜ込めば
とりあえずお湯はかなりありそうだから凍傷治療はできそう
>>475 200人に食わすような食糧はどうかな?。
90年代に廃業するまで全部人力で物資を運んでいた。
現に五連隊田代元湯の食糧を当てにしていないから橇隊を編成した。
>>476 背嚢にある程度の食料は入ってるよ、1食程度だけど
とりあえず1日は持つ
で、元気な人が一番近い集落までいけばいいし
>>478 >で、元気な人が一番近い集落までいけばいいし
それが田代元湯は登山道の奥に在ってなぁ。
現在、途中まで車で行っても徒歩で30分掛かる。
街道まで出て、そこから集落へ…となると正直危うい。
>>478 背嚢の食料って、あの凍っちゃって食えなかった握り飯じゃなかったっけ?
ふと思ったんだが凍っちゃった握り飯、凍ってからでも服の下に入れとけば
体温で解けて多少は食べられるようにならないか?
解凍するまで冷たいだろうが吹雪の中すきっ腹抱えているよりはマシかと。
握り飯捨てた人も居たらしいが全員じゃないだろうし。
>>481 充分な体力があるうちならな。
吹雪の山道を雪を掻き分けつつ長時間歩き続けて疲労が溜まり、
既に低体温症を起こしかけて判断力も低下している状態なら、
体力・体温を更に奪われそうな事は本能的に避けてしまうと
思うのだが。
>>479 田代元湯じゃなくて新湯の方が本当の目的地とかこのスレか別スレに書いてたような
気がするんだけど・・・
485 :
名無し三等兵:2008/09/23(火) 21:24:29 ID:Zti7Yjxc
>>484 その通り!。
ロクに調べもせずに元湯と表示したサイトもあるし、困ったもんだw
映画板の>117あたりを見て確認してくだはれ。
そういう説も有るな。
31連隊の記事にも
彼の云う処によると ( 福島大尉? )
新湯には食料品その他の準備があることは調査して置いた。
同地にて温泉に浴し行軍の疲労を除き新湯から案内人を引き返させる
予定であったと云う。
とありますね、
488 :
名無し三等兵:2008/09/25(木) 09:18:17 ID:7zTYjlfN
思うに、
五連隊は「田代に万一たどり着けない場合は露営するのみ」として橇に露営資材、食糧
を積載し出発したのだが、山岳方面に行く露営準備としては軽装備のようだ。
新湯も元湯も客舎はわずか、全員の収容は到底無理。五連隊にしてもその程度の情報は
いくらなんでも持っていた思う。とすれば、客舎へ泊まれるのは幹部連中のみで、他は
温泉地周辺での露営を想定していたのではないか?
その露営準備ということで、天幕も必要ない、炭や薪も少なくてよい、と。
31連隊も民家の近辺で普通に露営していたこともあるわけだし、まあそれでも
問題ないよなぁ。たとえ寒くてろくに休めなかろうが、一泊二日で往復40kmの
行程なんだし、帰営してからゆっくり休めばいい。
ただ、そんな常識のまったく通用しない雪山だったのが悲劇なんだけど…
>>433 『雪の八甲田で何が起ったのか』川口泰英
楽天ブックスで入手できました
ありがとうございました。
491 :
名無し三等兵:2008/09/28(日) 14:19:16 ID:JJ5jC340
いよいよ雪山のシーズン近くなりましたね
492 :
名無し三等兵:2008/09/28(日) 19:50:47 ID:hDca7UwJ
うんだうんだ!
ま〜た山がにぎやかになるんだべか
493 :
名無し三等兵:2008/09/30(火) 07:07:06 ID:DnVHcjya
このところ冷え込んで来てるが、遭難地周辺の紅葉は?
五連隊が行軍した道って今の国道の道なんでしょうか?
雪積もって道を見失うぐらいだからかなり現在のルートから外れてたと思うのですが
495 :
名無し三等兵:2008/10/01(水) 22:15:34 ID:JKwACjfU
>>494 今の国道ってわけじゃないが、当時の道もほぼ沿っている。
地形図を見てくれ、馬の背のようなところを通っているのがわかるはず、
他に道はつくれんよ。
五連隊は当時の道に沿って行軍しているが、それは馬立場までの話で、
それから先は猛吹雪の中、道を見失い歩き回っただけ。
>>495 第一露営地までは自分たちがいた場所は把握してたのでは?
で、第一露営地を出発する段階までは磁石使えたんだから
田代温泉までは方角わかってたのに
どうして20キロ近くも帰営する決断にしたのかわからない
田代温泉まで1.5キロなのに
そっちの方角に行けよと
498 :
名無し三等兵:2008/10/01(水) 23:03:10 ID:JKwACjfU
>>496 生存者の言によると、彼らの位置認識と露営位置とのズレが相当あったことは、
後に確認されているよ。
499 :
名無し三等兵:2008/10/01(水) 23:11:24 ID:o4IoN/L1
20kmを戻る必要も1.5kmを進む必要も無かった。
生き残る術は足下にあったんだよ。
ツルハシとモッコでその場を掘れば温泉地の近くなんだから
温泉を噴出させることなど容易だったハズ。
工事も210人で掛かればそれほどの作業量でも無いし、温泉が噴出すれば
鹿や熊が集まってきて食料を得ることも出来る。
つまり「幸せの青い鳥」の童話を知らなかったのが失敗の原因だ。
雪濠を掘って炊飯したが、地面まで掘りきれず、雪上で作業したため
炊飯途中にひっくり返したって
最初から地面まで掘れなかったの?
圧雪しててもそんな何十メーターも掘るわけじゃないんでしょ
一番謎なのが持って行った握り飯が凍り付いて食べられなかったこと
何日か前に予行演習で小峠まで行ったんでしょ?
その時は凍り付かなかったのかな?
その時に限らず零下では握り飯が凍ろことを行く前に注意なぜしなかったのか謎
>494
県道40号 (´・ω・)ス。
>503
予行演習時は凍り付かなかったので気づかなかった。
遭難時は未曾有の寒気団が来てた。
普段はそうそう凍らないです。
507 :
名無し三等兵:2008/10/04(土) 07:38:33 ID:RfAoUOWX
>>500 「遭難始末」によると8尺(約3m)まで掘ったが地面に届かなかったと。
第一露営地周辺は吹きだまりの出来易い地形で、当時8m位あったらしい。
豪雪の中、大変かとは思うが、階段でも作りながら掘っていけば出来ん事
でもあるまい。地面までとどけばそこから横に雪濠を掘れば、中は相当暖か
いはず、天候の回復まで蟄居も可能だろう。
ただそれも非常に危険な状況だという危機感があればの話で、当時は朝にな
れば天気も回復するだろうし田代も近い、という今晩だけの露営の予定。
こんな豪雪の中での炊事経験もなかったんだろうしね。
街中で1mや2m掘るだけでも大変なことだよ。
しかも普通の雪掻きとは違って縦に掘らなきゃいけないから余計にエネルギーと時間を使う。
まして吹雪の中で8mなんて正気の沙汰じゃない。
509 :
508:2008/10/04(土) 07:59:40 ID:???
↑は3mの間違い。
>>504 でも、弘前31連隊は食料凍結防止の為に
握り飯を懐に入れていたって話だぞ
しかし、31連隊は成功したんだから
5連隊は何を言っても言い訳にしか聞こえないと思う
どうして1泊2日ぐらいの日程なのにあんな大きな炊飯用の銅釜とか持って行くの?
炊くのに時間かかる生米とかさ
これからいうのは雪深い山地なのに
炊飯しなくても食べられるパンとか乾パンとかお湯に浸せばすぐ食べられるもの中心でいけばいいのに
余計な荷物持つから行軍が送れて田代に着く前に日暮れになってしまったんだよ
あと200人もいるんだから隊を半分に分かれてでも先に軽装の部隊をどんどん先行させて道を確保しなきゃ
夜明けと共に軽装で半分を先にいかせて田代まで到着させてその半分で現地の設営
半分でまた途中まで何カ所かに分かれて道標立てるとかさ
目立つように赤い旗でもつけた長い竹の棒とか刺していくとか
512 :
名無し三等兵:2008/10/04(土) 17:41:22 ID:RfAoUOWX
>>508 大変なことはその通りだが、生きるか死ぬかの瀬戸際だとの認識があればやるだろう。
午前二時に猛吹雪の中を出て行くのに比べればまだ正気のほうw
>>511 雪中青森より田代経由で、三本木平野に進出出来るか否かの調査目的の行軍。
そのため正式な装備で臨んだのではないか。橇を放棄することは予想外だが、その
段階で結論は出たわけで、それ以上の進軍は無意味だよな。
>夜明けと共に軽装で半分を先にいかせて・・・・
そんな知恵があればこんなことにはならんよw
温泉地に一泊ってことで、軽く考えすぎてたね。
513 :
名無し三等兵:2008/10/04(土) 18:38:12 ID:RfAoUOWX
>>497 磁石が使えたとしても、使用する上で次の条件があろうかと。
1、現在位置がはっきりわかっていること。
2、目標となる物象(道・山・川・建物・巨石・碑等)が確認出来ること。
吹雪で数メートル先しか確認できない状況の中、方位の確認は出来ても回りが見えず、
自分が進んだ距離の把握も難しく、目標の田代温泉宿の大部分は雪に雲隠れとすれば
なかなか大変ではないかと。
案内人を7人も用意した福島隊でさえ、田代温泉を発見出来ず窮地にあっている。
帰営の判断は遅過ぎだよな、橇を放棄する段階で帰営決断すべき。
>>512 悪天候の中で一個や二個の穴を掘ればいいってもんじゃないからな。
掘った穴で作業しようとすれば更に広げる必要が有る。
掘った雪の始末も困りもの。
やるやらないとか正気云々の前に肉体的に無理だ。
516 :
名無し三等兵:2008/10/05(日) 09:35:52 ID:ElwJHd3p
>>514 1人で掘るんじゃない、1つの穴を40人で代わる代わる掘るんだよ。
時間制限があるわけじゃないし、疲れれば休めば良い。
掘る人、掘った雪を捨てる人、お疲れとは思うが肉体的に不可ではないよ。
また吹雪で大変だとのことだが、外は大変だが2mも掘れば穴の中はあまり
関係のない話。掘り下げた分だけ排雪が大変なだけ。
>>516 だからそれだけの人間が入る穴はry
時間とともに体力も減り、休息も休息になるかどうか…
518 :
名無し三等兵:2008/10/05(日) 10:00:17 ID:ElwJHd3p
>>515 オレが少佐なら本隊は動かず偵察を出すかな、二・三隊程度。
新湯が発見出来るまでそれを繰り返す。
それと24日は一日中荒天で日は見えなかったと思うが。
以前第一露営地から元湯付近まで歩いたことがあるが、特徴のある
地形でもないし、雪が深ければちょっと大変かも。
519 :
名無し三等兵:2008/10/05(日) 11:24:05 ID:i7L7CLwg
520 :
名無し三等兵:2008/10/05(日) 12:38:05 ID:IWqYXVL3
>>515 この質問面白い。
雪国の本職の自衛官、現場指揮官クラスにこの質問してみたい。
いいケーススタディになるだろうし誰か陸自に知り合いとかいない?
521 :
名無し三等兵:2008/10/05(日) 16:44:03 ID:ElwJHd3p
>>518に追加だw
吹雪の中で偵察隊を出しても、その偵察隊が遭難する可能性大。
ここに至っては、むやみに動かず体力温存し、天候の回復を待つ
しかないのでは。
しかしこれでは模範解答過ぎて面白くないので・・・・
ラッパ音が届く距離まで偵察し、何か見つかれば音色で知らせる。
露営地からの指示も音色で届ける。ラッパがいくつかあれば中継で
距離も伸ばせる・・・・んがしかし、雪は音を吸収するんだよなw
>511
根本的に雪山の気象をナメてたので失敗したんだけれども
計画書を見ると、
非常事の対応として「露営する」ことが計画されており
橇は、非常事態を想定して持って行っています。
(それでも雪中露営の準備としては不足してるが)
因みに非常時の「帰営」はそもそも計画書にも載っていない。
先頭部隊は16:10に馬立場(=大体銅像茶屋、行程上最高地点)に到達している。
その時は田代までは見渡させる気象条件。(日没付近は吹雪いていない)
馬立場で休憩を取った先頭部隊の行動は
・設営隊を編成し、田代に向けて出発させている。(15名、喇叭1名含)
→どうしても田代への進路を発見出来ません!の人たち。
まぁ馬立場以降は、胸まで雪が積もってた位だから。
橇部隊が2kmほど遅延していたので
・行李(橇)運搬の援助隊を差し向ける(2小隊)
# 言葉とか単位が統一されてないのは
# 「雪の八甲田で何が起こったのか」(=「遭難始末」の記録を引用)
# から適当に拾ってきてるからなので悪しからず。
>>518 >それと24日は一日中荒天で日は見えなかったと思うが。
でも一応夜が明ければ周囲は明るくなるはず
風向きに寄れば少しは視界も良くなる時間帯もあるだろうし
航空写真を見て思いついたのだが、
風はあるのだから人が乗れる凧を揚げて上空から
経路偵察をさせれば良かったのではないか?
210人が力を合わせればワケないと思う。
>>524 猛吹雪の中で?
上空からでも禄な視界は無いだろうし、地上より更に過酷な寒風に曝され、たちまち体温を奪われて空中で凍死だな。
>>522 営舎を出発したのが朝の7時頃で馬立場到着が16時ってかなり行軍速度遅いんだね
やはり橇隊が相当の負担になってるし
なにより5キロ近い小銃とか直接行軍に関係ないものを持って行ったのが負担になってると思う
敵軍がいない内地の調査行軍なんだから武装は拳銃ぐらいで軽装で行かなきゃ
小銃がなければ食料とか炭とか5キロ分背負って動けたんだし
橇隊も大幅に荷物少なくて済んだはず
2キロ食料で2キロ炭、1キロ予備の靴下&手袋&中に着込む新聞紙とか布類ぐらい持っていればなあ・・・・
200人で2キロ炭があれば合計400キロ、一晩ぐらいはそれぞれ暖を取れるはず
えーと・・・炭で火を起こすのに、当時は何使ってたの?
着火材ないとマッチはむりぽ・・・油しみ込ませた布とかかな。
生煮えとはいえ、よく炊飯したね。
>>527 小銃もない丸腰じゃあそもそも何のための行軍演習なのかと
23日は訓練を兼ねて小峠で露営してればよかったんだよ
24日朝早くから出発すれば昼には馬立場に着いて、明るいうちに田代を目指せたし
実際のように大暴風雪になればそのまま田茂木野へ引き返しても
一泊はしてるから道中に遭遇していた村人にも顔が立った
>530
小峠まで1日10kmの行軍ですね、わかります。
・・・やる気あるのかと。
結果を知ってるからそんな事を書けるだけだろ。
>>530 それが確実だな
小峠の段階で持ってきてる飯は凍り付き橇隊もすでに進行困難だったんだし
軍医も中止したほうがいいと進言してたのに・・・・
>>528 そのあたりはなんとでもなったんだろう。
今でも山で働く人達は
雨が降っている最中にそこいらの濡れた枝で火を起こす
なんてこともやるそうだし、
まして炭は「よく燃える」ものだから。
一握りの小枝でもあれば楽勝だろう。
>>534 よく燃えるが、着火性は悪いぞ。コツを知らないと風の無い場所でも
1日分の新聞紙を燃やしても着火できないぞ。
雪の上でたき火ってどうやってやってるの?
火をつけたら下が溶けてくるのに
>>535 そもそもいつの時代の話をしてると思ってるんだ?
明治の頃は炊事や風呂などで普通に火を使っていたぞ。
炭もおこせないんじゃ「日々の生活」も満足に過ごせんが。
緒形拳さんのご冥福をお祈りします
八甲田山では最後まで生き残られてましたね
539 :
名無し三等兵:2008/10/11(土) 15:44:26 ID:YqSoAY/+
あげ
541 :
名無し三等兵:2008/10/11(土) 19:04:44 ID:/3JZubfL
>>540 視界のきく時に、自分のいる場所・位置を確認出来れば可能性はあります。
>513にも同様の事を書きましたので参照ください。
第一露営地から田代への間の地図の拡大とかどこかのサイトに無いでしょうか?
たった1.5キロでなぜ帰営を選んだの謎です
あんな深夜に出発するなら田代方向だと思うんですが・・・
夜明けまで待つのが一番良かったのでしょうが
>>540 夏だったとは言え実際に現地に行った者としては確かにそう思います。
ただ現実的にそれができなかったほどとんでもない状況だった、
と言うことなんでしょうね。
吹雪ではなく濃霧の経験はあります(伸ばした手の指が見えない)が
そうした状況では確かに方向感覚もなにもないでしょう。
* 「まっすぐ歩いている」かどうかもわからない。
試しに目をつぶって数十歩で良いから「まっすぐ」歩いて見ると良いでしょう。
実感できます。
>>544 もし仮に第一露営地で夜明けを待ったとしても完全なホワイトアウト状態って
そんなに長時間続くのでしょうか?
風向きも変わるし、一時的に視界が開ける時もあると思いますが・・・
帰営の決断したときも夜で視界が無いのに20キロ近くも帰れると思ったのかな?
546 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 09:49:23 ID:lBkNB4GF
>帰営の決断したときも夜で視界が無いのに20キロ近くも帰れると思ったのかな?
「田代へ行こうにも道がわからんし、このままだと凍傷の危険もある。帰るしかあるまい」
程度の認識で、この段階では危機感もありません。
寒くて寒くて、ただもう早く帰りたかったんでは。
夜までいたんだからおk、みたいな。
>>546 まだ誰も死んでなかったしな
今なら視界がマシになるまではその場を動くなっていうことぐらいは
指揮官なら学習してるはずだし
自衛隊とかの部隊移動マニュアルとかどうなってるんだろうね
同じ状況に置かれたら
今は無線機とか発達してるからそうなる前に本部と連絡して指示仰いでるだろうけど
道が判らないって言っても3メートル近く雪が積もってるんだから
通常の山道とか全部消えて雪の平原みたいになってるはず
方向見定めてそっちの方に直線で行くしかないような気がします
とりあえず凍り付いた磁石を懐に入れて温めて解凍して
朝を待って視界が少しでも回復するのを待つしかなかったです
いくら吹雪でも風が一時的にやむことはあるだろうし
>>550 それなら余計に道がわからないのが当然になる
行軍以前から地元の人に聞いてどれぐらいの積雪になって
道がどうなるかとか調べてたのかね?
>>551 肝心要の下見を、田代に着く前に帰るような理解不能なことをやらかしている
連中が、そんなことをしていると思うか?
それ以前の小峠まで事前行軍したときにどうしてそのまま少人数でもいいから
軽装で田代まで行かせておかなかったんだろうか?時間的に可能だったはずだと思う
で、その隊がそのまま田代も突っ切って汽車で帰ってくればいいんだし
予行演習の時は天候良かったからそのまま生きて帰ってこれただろうに、軽装だし
で、実際に行く日にその人たちに先導してもらえばよかったのでは?
554 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 20:28:39 ID:Exnoe1US
日付がかわった頃に、青森から田代を抜けて十和田に帰ります。
ただ八甲田の道路、走り屋がウザい…どうにかならんかな?
555 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 22:02:08 ID:m46krDvz
東京の登山客じゃなし、
冬山の恐さを知ってる地元の部隊がなんでこんなことになったの?
556 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 22:05:22 ID:lBkNB4GF
>>553 好天気の日に行けても、吹雪で視界が利かない中ではどうかなぁ、もちろん
到達の可能性は高くはなるとは思うが。
福島隊は案内人7人をつけても田代温泉を発見できなかったんでね。
>>554 気つけてお帰り。
なんなら雪中行軍隊に出て来てもらい、走り屋を脅してもらおうかw
557 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 22:15:09 ID:lBkNB4GF
>>555 当時の徴兵制で岩手県・宮城県出身者は青森へ。青森の人は弘前の
部隊へ入隊する制度になっていました。
>>557 >青森の人は弘前の部隊へ入隊する制度になっていました。
だから弘前の部隊から八甲田踏破に成功した人たちは慎重にやり通せたんだね
雪の怖さを知ってるから
>>557 どっちにしても冬山の怖さを知らんとは思えんが。
ただ下っ端はそうでも「指揮官」がどうかは分からんな。
そして軍隊というところは上官の命令には「絶対服従」だし。
* それがたとえ理不尽な命令でも(特に日本)。
>>559 お前が何も調べずに先入観だけでモノを言っているのは理解してあげたんで、
それ以上お前の知能の低さを晒すのは止めてちったぁ調べてからモノを言え。
地下足袋履いてきた馬鹿すらいたんだから。
>>554です
0220時に103号より八甲田に突入し、たった今十和田の家に到着しました。
今日は天気がよく、星がとても綺麗でした。( ^ω^)
途中、道路の真ん中でタヌキ?テン?が息絶えてました(合掌)
またこの時間は誰もいないはずの銅像茶屋に、車が一台停まってました。
あそこはガチでヤバいからやめとけって!
>>556 銅像茶屋のあたり(あの辺は馬立場でしたっけ?)は夜中は不気味ですね〜トイレによる気にもなりませんw
あ、今日は走り屋には遭遇しませんでした。
>>561 何も歴史を知らない若者が車中泊とかしてるのかな・・・・
寝てたら遠くから雪の進軍とか聞こえてきたりして
× 何も歴史を知らない
○ オカルトを信じない
車で泊まったくらいで死者への冒涜でもあるまい。
>>564 普通は災害とか事故現場とか嫌なはずだよ
あなたみたいに鈍感な人を除いては
亡くなった方々への敬意は払うべきだが、場所自体は「霊感」があると信じてる奴以外にとっちゃ普通の場所だろ。
やたらと背後霊の存在を主張して友達なくすようなまねはよせ。
>>565 東京大空集とか京都の戦乱とかあった場所でも平気だろ。
知らなきゃ何も感じないよ。
>>558 それもあるし、32連隊は全員錬度の高い下士官で小回りの利く小隊
編成だったというのもあります。編成に携わった隊長が冬山の恐ろしさ
を十分に認識していたという事でしょう。
>>561 私5普連OBなんですけど、先輩から聞いた話では、雪中行軍で夜間歩哨
についていると、どこからともなく足音が聞こえてきてまるで目の前を通り過
ぎて行くような感じがしたなんて言っていたのを覚えています。ホントかウソ
か判りませんが、自分も4回参加しましたが、霊感が無いのかそんな経験は
無しですw
>>567 じゃ、第一露営地で一晩1人でキャンプしてこいよw
訂正
第二露営地だな
572 :
名無し三等兵:2008/10/13(月) 19:13:54 ID:QVg5kYaf
>>559 寒さという点では同じようなものだが、青森のようなドカ雪は岩手・宮城
には余り無い。
指揮官の山口少佐は遼東半島の戦いで極寒での経験はあるが、豪雪地帯で
はないので雪に対する経験知識は少なかったのだろう。神成大尉も雪に対
して特に研究・経験・知識があったような資料もない。この点が福島大尉
と大きな違いだろう。
いわれているように「絶対服従」だから仕方無いのだろうが、命が掛って
るので納得できる話ではないよな。
574 :
名無し三等兵:2008/10/13(月) 21:20:01 ID:QVg5kYaf
>>569 おお!、OBの方がおられましたか、それではぜひお聞きしたい
ことがあります。
夜間歩哨の経験はお持ちとのことですが、5普連も雪中行軍を
実施しています、参加のご経験は?
5普連内では雪中行軍遭難事件についてどのような認識というか
評価・教育をしているのでしょう?
>>574 自分もそれ聞いてみたい
自衛隊とかの内部教育でどう教えられてるのかとか
576 :
名無し三等兵:2008/10/13(月) 22:37:38 ID:oYtn4WnE
>>574-575 自己責任だよ。
現に生き残った兵士はいたのだから。
指揮や計画が誤っていたなら全滅してただろう。
ただ個人の準備に不備があった者が斃れただけ。
つまり自己責任
えっ、全滅に近いけど、生き残りが少数でもいれば
指揮や計画に不備はないってことになっちゃうの?
579 :
名無し三等兵:2008/10/14(火) 22:12:52 ID:SarqV5F3
>>576 指揮や計画が実地に沿ってなかったから、こんな悲惨な結果になった
のでしょう。肝心の指揮・計画の責任者も亡くなっている。
世間ではこういうのを全滅っていいますよ!!
580 :
名無し三等兵:2008/10/14(火) 23:19:50 ID:DyM4XYeE
>>577 どれだけ犠牲を払おうとも目的を達成できれば成功だよ。
極少数でも生還者がいるのだから、訓練の所望の目的は達成したと認める。
>>578 国や軍の責任だとでも?
準備の不備が全く無かったのが証明されない限り、自己責任だよ。
五体満足で生還した将兵すらいるのだから、証明は困難を極めると思うが。
>>579 責任者は責任を取ったのに、死者に鞭打つようなマネが出来るか?
中国人や朝鮮人と日本人は違うんだよ。
どんなに犠牲が少なくても目的を達成してなければ失敗だし、
どれほどの犠牲を払おうと目的を達成すれば成功なんだよ。
乃木将軍が名将とされる所以だよ。
なんだ釣りか。
>>580 >国や軍の責任だとでも?
それ以外のどこに責任があるのか教えてもらいたいものだw
>>580 「目的」って、単に八甲田に入って「生還すること」だったの?
>>580 > 準備の不備が全く無かったのが証明されない限り、自己責任だよ。
論理が破綻してるなw
自己責任といいながら
>責任者は責任とった
っていうのもな
どなたか第一露営地から田代の間の地図お持ちではないでしょうか?
どういけば田代まで行けたのか知りたいです
直線距離1.5キロなのにその方向に直進するわけにはいかなかったのかな?
>>587 5連隊の目的地は田代新湯らしいよ、以前のログ見ると
元湯と新湯って位置どれぐらい離れてるのかな・・・
ここごらんになられてる方で第一露営地から田代新湯(田代元湯)あたりの地図とか
ネット上で見られるサイトご存じではないでしょうか?
8メートルも積もっていたら川そのものがわからないのでは?
>>542 国交省の「国土情報ウェブマッピングシステム」で見れる。
リンクを貼ってあげたいのだがたしかできなかったと思う。
>>592 この地図を見る限り第一露営地から田代方面に抜けるには一度南の方向に行ってから
ぐるっとまた北の方向に行かなきゃいけないんだね
この部分で道が発見できなかったってことだね
でも8Mも雪積もってたのならそのまま直線で木の間を抜けてショートカットして田代まで抜けられたんじゃないかな・・・?
>>594 かなり役に立つ地図をありがとう!
こうして見てみると地図の等高線が第一露営地と田代元湯→田代新湯の方向にかなりありますね
かなり直線的に行くのは難しかったみたいですね、雪は積もって多少は平地化してるかもしれませんが
一度南東に下がってそこから北東に向かっていくという形になりそうですね
途中に田代平温泉っていうのがありますが地図を見ると平地にあるのでこっちの方が見つけやすいような気がします
明治時代にもあったのなら川の近くまで行かなきゃならない田代新湯や元湯よりそこを目的地にしたほうがよかったのではないでしょうか?
距離的にあまり変わらないし道のすぐそばにあるので発見しやすいのではないかと思います
もしくは南にもう少し下がれば八甲田温泉ってありますねここは確か明治時代からあったはず
現地に詳しい方がおられたらどんな感じなんでしょ?
挿し絵の方はおそらく明治の地図だと思うけど
実際の航空写真や現在の地図と比べてかなり違っている
地図自体が不正確だったことが敗因ではなかろうか・・・
598 :
名無し三等兵:2008/10/19(日) 06:48:31 ID:2AyPXfZE
>>595 田代平温泉とは田代新湯のこと、と理解しているのだが?
>>598 地図見たら場所が離れてるんだけど・・・
601 :
名無し三等兵:2008/10/19(日) 09:10:30 ID:2AyPXfZE
603 :
名無し三等兵:2008/10/19(日) 21:00:15 ID:2AyPXfZE
>>599>>600 田代平温泉と田代新湯温泉が、両方とも表示された地図があれば
はっきりするんですが、なにかありませんか?
604 :
名無し三等兵:2008/10/19(日) 21:03:28 ID:2AyPXfZE
605 :
名無し三等兵:2008/10/19(日) 21:06:46 ID:2AyPXfZE
>>602 >594は見てるけど、そこには新湯の表示はないので・・・・
608 :
名無し三等兵:2008/10/20(月) 10:58:27 ID:+c69J78u
>>606>>607 ありがとうございます。
下記場所は田代平温泉と書いてありますが、同じじゃないのかな???
www.ne.jp/asahi/spa/yunomichi/aomori/tashirotai/tashirotai.html
核心温度が
34度ぐらいで思考力が著しく低下しだし
28〜25度まで下がると錯乱・幻覚をみだすそうだから
1日目からかなり思考力が低下してそうだね
ちなみに25度まで下がると昏睡
軍隊なのにその任務が単に研究調査だったってのが
引き返し辛かった点ではあるな。
もう一点は調査の目的からして
最悪の天候が絶好の調査サンプルになるってのも禍した
調査目的やルートが違うにせよ
もう一個別の連隊が山に入ってるからなー意識せずにはいられんだろう
結果論で中止判断が遅れたといわれても、
一方は五体満足でなにもできずに半日で帰営・
一方はほぼ損害なしで任務達成ではね。
誰にも弁護されないただの使えない能無し扱いだっただろうな
>>613 一方は五体満足でなにもできずに半日で帰営・
一方はほぼ損害なしで任務達成ではね。
↑
双方の情報はお互い把握してなかったよ
っていうか、小峠の段階で軍医がこの先の行軍は止めた方がいいと医学的見地からストップかけてるんだろ?
それに従って帰営しても隊長の責任ではないんじゃないの?
もう一連隊山に入ってるの認知してるし
連絡手段がないから、向こうに成功されたら・・
という恐怖心ですな。
疑問だけど青森隊は遭難したけど反対側から踏破した弘前隊はどうして道を見失わなかったの?
同じルートを通ってるのに・・・
620 :
名無し三等兵:2008/10/21(火) 21:40:57 ID:rZByLSWJ
>>610 どうしても田代新湯と田代平が同じ温泉ではないかとの疑問が拭い切れない
ので、もう少しお付き合いを・・・
1、田代元湯・田代新湯・田代平温泉のそれぞれの温泉名が1枚の地図上に記載
されたのを見たことがない。
2、田代新湯の写真と田代平温泉の写真は同じ建物を写しているように見える。
以上の疑問点についてお尋ねしたいのですが。
馬立場のことを地元の人は「氷山」と呼んでいるそうだ。
だからひょっとすると田代平温泉とは全国的な呼び方で、地元の人は田代新湯と呼んでるのかもしれない。
田代平温泉=田代新湯。自分の勝手な推理のため根拠は全くありませんが・・・。
>>620 >1、田代元湯・田代新湯・田代平温泉のそれぞれの温泉名が1枚の地図上に記載
されたのを見たことがない。
あきらかに場所が違うんだけどね
元湯と新湯は同じ川沿いの距離がちかい(400メートル)けど元湯は川の向こう(南)
新湯は川の手前(北)
この二つはあきらかに別の場所にある
田代平温泉は元湯と同じ地図に載ってるよヤフーの地図見ても
元湯&新湯は川沿い、田代平温泉は道のすぐ横にある
で、一番の疑問点
五連隊は「新湯」目指していったということなんだけど
どうして途中の道のすぐ近くにある田代平温泉や少し南の方にある八甲田温泉の方が目的地に
しなかったんだろうね?
川の方に道から離れていくのは手間がかかるのに
上記の二つは道のすぐ近くにあるように見えるんだけどね・・・
目的地になぜ新湯を選んだのか理由とかあるのかな?
当時存在しなかったか、越冬する管理人がいなかったからじゃねえの?
10年ほど前の今くらいの時期、あのあたりを田代元湯を探すのにオフロードバイク駆使して徹底的に探索した。
そのときの記憶だと、八甲田温泉は県道沿いの割と新しめの施設だったような気がする。
田代平温泉というのは原っぱみたいなところにポツンと小屋があって、湯は枯れて入れなくなっていた。
地図上ではそこからほど近い場所に田代元湯があるはずだが、登山道を探したが結局分からず、
県道に戻ってしばらく鳴沢方面に走って駒込川方面に下る林道に入り、行き止まりからさらに険しい山道を
20分ほど下り吊り橋を渡って例の廃屋旅館にたどり着いた。
川沿いに何個も露天があって熱い湯がこんこんと湧いていて最高だった。
マジおすすめ。オマエらも行っとけ。
田代まとめ
田代には元湯と新湯の2つの温泉があり建物は4〜5軒
冬には小山文次郎という住民一家が山篭りをして湯治場を守っていた
当時冬場の交通は途絶えてしまうため3ヶ月分の食料が蓄えられていたと云う
5連隊遭難始末記では
田代には番人の家族3人と炭焼き職人15人住居してあり
米5〜6俵と濁酒5樽と鮭1本を貯えてある
つまり これが田代新湯、民家の在る温泉場だったのでは?
>>626 この人たちは200人もの兵隊がやってくるのを知ってたのかな?事前に
知ってるなら山道にかがり火とか焚いてくれてたら遠くからでも見えたかも?
でも、事前に連絡してないような気がするんだよね・・・連絡不徹底な雰囲気あるから
>>627 山口少佐 遭難始末 より
予行軍の経験によれば屯営田代間の行軍を1日に要するは出来なき事にあらず
もし途中、不慮の障害を受け田代に到達出来ない場合は、途中に露営を成すのみ
事前に田代に伝達があったかどうか
この記事から想像するしかないのですが、おそらく遭難想定の
露営事前配置とか救援計画は皆無だったのだと思います。
しかし事前の救援計画があったとしても
明治35年は日本での最低気温を記録した年で
田代までは雪の吹き溜まりの峠を越え、越えたら平原の吹きさらし、
想定かがり火隊の村の人の二十遭難の恐れもありそうですよ
>>628 いつも詳しい資料参考になります
この時間は準備不足&冬山を甘く見ていたことに加えて
天候も最悪で悪条件重なりすぎたんですね・・・ものすごく運が悪いですよ
こうすれば助かってたっていう可能性の全部裏に行ってしまったって感じで
630 :
名無し三等兵:2008/10/24(金) 22:02:42 ID:NQtsQ0KQ
>620です。
>>623さんの懇切ていねいな説明で納得しました。
自分で確認し難い遠方に住み着いておりますので感謝感謝です。
もう一つ疑問です。
先頭のカンジキ隊が馬立場に達した時、橇隊の最後尾は按ノ木森あたり、
距離にして2kmも遅れている。神成大尉は吹雪の中、先頭で指揮していた
ので後方の状態は把握しづらかったとは思うが、橇隊が遅れている事を誰も
神成大尉まで伝えないものなんかね?。
橇隊は小峠でも遅れて着いたので、行軍位置も最後尾ではなく、行軍隊の中
ほどに入れておけば遅れにも迅速に対応できたと思うのだが。
>>630 退却以外では兵站段列は最後尾が軍事常識でしょう。
例えば隘路で追撃を行うような場合に、主力の機動力発揮の阻害要因になるから。
あくまで行軍訓練なので、遭難回避だけを主眼においた隊列は普通組まない。
逆に、その体制で臨んでいたならば、危機認識があったと言う事で、
ここまで酷いことにならなかっただろう。
>>630 >橇隊が遅れている事を誰も神成大尉まで伝えないものなんかね?。
列の中で雪中行軍してる人たちは自分が前に行くのに必死で後ろなんか見る余裕なんかなかったんじゃないかな?
問題があれば誰か言い出すだろうって感じで
一番後ろの方にいる人たちでも天候が崩れてホワイトアウトに近くなって少々離れてもきがつかなかなったんじゃないかな?
数百メートルぐらいだろっていう感じで
本当は橇隊とかいなくなったら困る連中は平原歩いてるんだからロープか何かで前後を繋ぐべきだと思うけどね
数十人単位でロープが足りなくなるぐらい遅れたら前の人たちがそれ以上前に行けなくなるから気がつくだろし
633 :
名無し三等兵:2008/10/25(土) 07:16:13 ID:28BGdRhw
富士山レーダーを建築する時、事前調査で冬の富士山に登った時に、
建築監督が「ロープで繋ごう」と言ったら、強力に睨まれて返された言葉。
「いいかい○○さん!ロープで繋いだら、一人転んだら皆転ぶんだよっ!
ここまで来たら、死ぬのは一人にしてくれないかっ!」
634 :
名無し三等兵:2008/10/25(土) 08:06:02 ID:lad61pSU
この雪中行軍と日露戦争(黒溝台会戦かな?)に両方とも参加して
生き残った人っているんでしょうか?
635 :
名無し三等兵:2008/10/25(土) 10:06:37 ID:/Xp2H/Qx
八甲田山行軍当時の多くの日本人にとってのゴム長靴(の価格)って、現在だと何円ぐらいの感覚になるのでしょう?
>>630 史実ではなくあくまで映画に絞った話ですが
神田大尉、橇隊の遅れは馬立場以前にちゃんと把握してたと思うんですが・・・
賽の河原(馬立場には未到の段階)の、このシーン
山 田「橇を放棄する?!」
神 田「荷物は各小隊に割り当て、人の背による運搬に変更します」
山 田「いや、今は難渋だが、積雪の状況その他で楽になる可能性もある!」
神 田「いや、このままでは橇隊の遅れで、中隊の動きが!」
山 田「(断固として)橇隊の放棄はいよいよ駄目な場合だ!」
で、馬立場でも
神 田「そうだ軽装だ、銃と背嚢はこの場に置き橇隊の応援に行け!」
・・・橇隊の序列については詳しくないのでコメントを控えますが。
>>630 ウィキペディアに載ってたぞ。質問する前にこの程度は調べないと。
>途中小峠まで差したる障害もなく進軍。大峠付近にて天候が悪化。ソリ隊も遅れ、ここで大休止を取る。
つまりソリ隊が追いつくのを待ったわけだ。
>>633 平地だから1人ぐらい転んでも大丈夫だよ
雪もあるし倒れても即止まるよ
640 :
名無し三等兵:2008/10/25(土) 18:57:40 ID:uwjrtkML
>>637 それはウィキペディアが間違ってるよ。
小峠に着くのも遅れている。
>>630 ソリ隊は小峠踏破の傾斜と吹雪く新雪により本隊に遅れる
小峠で遅れたソリ隊を待つ間 本隊は「 大休止 」を設定し
この間兵卒に昼食をとらせる (映画で有名な凍った握り飯のシーン)
この時点でソリ隊行軍中の賽の河原の積雪は腰を超える
この段階で永井三等軍医が神成大尉に帰営を進言・・・・
明治35年 1月23日 11:35
↑この記事で ソリ隊の遅れは神成大尉に伝達されていると想像出来ます
ただ、おっしゃる通り 遅れるソリ隊をそのままに放置した隊の感性も
疑問視してしまいます、
せめてこの時点でソリ隊を放棄し田代に向かうか
あるいは 峠を下るだけの優位な帰営を判断し、田茂木野村付近で露営していれば
こんな悲劇に遭う事も無く済んだような気もします。
ほんとうに残念です。
>>641 >あるいは 峠を下るだけの優位な帰営を判断し、田茂木野村付近で露営していれば
村の方で露営はできないのでは?メンツの問題があるから
露営するなら小峠の昼食食べたあたりですね
あそこらならこんな気候だから民間人は誰もこないから
そこで一晩でも露営しておけば翌日村を通って帰営してもメンツはたつでしょうし
村の人は隊がどこまで行ったのか知らないだろうし
>>642 そうですね、田茂木野村で案内人を全面拒否した以上
帰営ないし田茂木野村付近での露営判断には、5連隊のメンツが立たないのが
道理ですね、
だから田代新湯到達にも通常以上のこだわりが発生し遭難の悲劇を被ったのが
この行軍の悲劇的な側面なのかも知れません・・・・・。
道理より実を選択決断出来る指揮官が存在していれば
多くの兵卒は遭難しなくて済んだような事件で
現在においても興味深い事件です。
>>640 さらに遅れたって意味でしょ。小峠から一気に勾配がキツくなるからね。
それにソリ隊が遅れてるのは田茂木野村に行くまでの時点で分かってることだし。
勝利か死か、という覚悟で行軍に臨んだのではないか?
だから帰営など選択肢として有り得ず、遮二無二前進し
田代温泉を目指したと。
そもそも第5連隊総員による行軍ならこんな悲劇にはならなかったハズ。
小規模での行軍ゆえに道に迷うことになったし、装備や準備資材も
最小限の物しか携行できなかったわけだし。
訓練で玉砕しちまうんですか
>>645 >勝利か死か、という覚悟で行軍に臨んだのではないか?
だったらそれなりの準備するわい
物見遊山感覚で冬山行軍やって全滅した。
それが全て
寒さ(要塞)+雪(機関銃)という未知の敵に対して
貧弱な装備(銃剣)のみで、これでは危険(勝てない)という
軍医(軍師)の進言も無視して
勇猛果敢に突撃して見事に玉砕した物語
と、言っても将校は軍医の進言の時には帰る気満々だが見習い士官達が血気にはやりすぎて猛反対し
帰営出来なかったんだよな。寒冷地に強い指揮官育成の面もあり頭ごなしに命令も出来んし厳しい所ではある。
ソリ隊だけ前日にでも荷物を田茂木野村まで運んで預かってもらえばよかったのに
そうすれば時間の節約になるし
その時に周辺の地図を村の人に見せて詳しく道とか状況聞けばよかったのに
当日は案内人断ったのは上の幹部連中でしょ?普通の話通じる人が前の日にでも
こっそり村に話通しておけばよかったのに・・・
>>650 見習い士官までどうして会議に参加させたんだろうね?
200人規模の行軍なら大尉以上と軍医とで話し合えばよかったのに
それらなら4人ぐらいだよね?少佐1人、大尉2名、軍医1名
アホな平社員が経営会議にいつのまにか加わってるみたいな感じだし
会議が迷走するだけだよ
参加させた訳じゃない。会議は将校のみ。帰営するか悩んでいた所、長期伍長らが
帰営反対と強行に主張してきた。
会議と言っても会議室がある訳じゃないしな。開けた場所でやる訳だし帰営するかもしれんって
話を聞いた下士官らが訓練で自分の将来に傷がついてはたまらん!と直訴したんだろ。
まあ、とにかく結論としては「山を舐めていた」ということさ。
>>652 >アホな平社員が経営会議にいつのまにか加わってるみたいな感じだし
経験や知識が十分で無いからと言って、若手を会議に参加させないのは後進育成として良くない。
組織の考え方も中堅以上の経験則のみでは硬直する。
その上で、会議をちゃんと仕切れないことが問題。
657 :
名無し三等兵:2008/10/26(日) 15:42:38 ID:629jLuUO
下士官達は、兵を教育する立場。
雪中行軍隊には彼らの部下達は参加していない者も多く、この惨状を知らないし話しても解らない。
途中で引き返したら後の教育に支障を来すと考えたのでは?
そもそも、日本海側のロシア艦からの砲撃で青森−弘前間の奥羽本線が破壊され
た時の連絡迂回路設定が雪中訓練の目的だろ?
例え戦時と言えども、冬季の八甲田を大部隊が突破しようだなんて作戦想定自体
が間違ってると思うのだが。
事実、弘前隊のような少人数だってあんだけ苦労して踏破してるぐらいで。
だったら海路を使ってとか考えないの?
こんなのを美談にしてるから、後になってインパールのアラカン山中鵯越とかアホ
な作戦立案が罷り通るんだよな。
こういうトリッキーな作戦が陸軍好みなんかねぇ。
>>658が海路と言ってる時点で全く良く判って無いことが判明した
660 :
名無し三等兵:2008/10/26(日) 16:17:44 ID:azQap9va
>>658 八甲田遭難にしても、インパール作戦にしても
実施部隊の規模に問題があったんだよ。
作戦立案の基礎においてはまともな思考結果だと思うぞ。
ただ実施レベルに落とし込んだ時に参加範囲とかが
こじんまりとしたものになったなが失敗の根本原因
第5連隊総員による行軍なら何も問題は無かった。
>>660 一個連隊も雪の八甲田に連れていくのか?
662 :
名無し三等兵:2008/10/26(日) 16:51:19 ID:azQap9va
>>661 そうだ。
人事、情報、運用、兵站等全てが完結する最低単位が連隊なんだよ。
つまり規模が小さすぎて機能不全が起こった故の遭難事故ってのが真相だ。
その一個連隊で八甲田を抜けるトンネル掘れば良かったんだよ
664 :
名無し三等兵:2008/10/26(日) 19:36:59 ID:tyF8X4Em
>>662 おいおい正気で言ってるのか?お前さんに任せたら一個連隊全滅しそうだなw
雪中行軍隊と同じ装備のまま規模だけ大きくしても意味が無い。
救助隊を見てみろ、当初は凍傷患者続出で役立たず、極地法でやっと体制を
整えている。
それと元々の目的を考えてくれ、積雪期に田代経由で三本木に行李輸送が可能か
どうかを調べることだったはず、その調査に一個連隊も行く必要は無いだろう。
>>663 うんうん、いいお考えですw。
>>653 会議してたのに横から割り込んで発言したら完全な越権行為じゃないの?階級下なのに・・・
>>660 >第5連隊総員による行軍なら何も問題は無かった。
あとで死体回収の為に膨大な金と人員かかったんだよね
何かあったらそれ以上の大幅な負担になるんだから
軽率な作戦は控えるべきなんだよね
危機管理意識が全然無かったんだろうね
>>663 それより、雪が降る季節の前に何カ所か避難小屋作っておくべきなんだよね
土地はタダみたいなものだし、山小屋作る木材とかもいくらでも周辺にあるし
で、そこを通るときは避難小屋に収容できる人数でいくと
数カ所避難小屋作っておけば途中で気候が急変してもそこに逃げ込んで
天候の回復待てるんだし
またループか
>>668 いいじゃないの?違う人が話してるかもしれないし
話す過程で新事実が出てくるかもしれないし
あの銅像茶屋みたいなのが明治時代にも馬立場あたりにあればなあ・・・
橇隊が遅れても無理して田代行かなくてもそこで露営できたのに
>>658 >だったら海路を使ってとか考えないの?
海にはロシアの軍艦がいるって設定なんだろうがドアホウ
>こんなのを美談にしてるから
してるか?
>>671 じゃあ、ロシア海軍に勝てるだけの戦艦を陸軍が保有すればいいだろ。
いっそのこと、第8師団一万人規模を総動員すれば
田茂木野村から田代まで一列縦隊で完全に繋がって迷うことなく帰営できた
674 :
名無し三等兵:2008/10/26(日) 23:27:26 ID:azQap9va
>>673 その通り。
要は規模の問題
計画とか準備とか枝葉末節の問題じゃないんだよ。
小解決より大解決
>>673 村の長老に「お前は案内料が欲しくてそんな事を言ってるんだろう!」って1万人全員から言い続けられて涙目の長老w
>>676 その台詞を一人が言うのに5秒かかったと仮定して
全員から言われ終わるのには約14時間かかるな
そりゃ長老も涙目だわw
>>658 奥羽本線の青森-弘前間は青森駅を除いて海に面していない。
想定状況は「陸奥湾に敵国艦船が進入し青森-野辺地間が封鎖」
地図で確認しような。当該路線は複線化工事中に旧線が土砂崩れで埋没したこともある難所。
4号線も同時に不通となって青森は表側からの交通を失った。青森の大山崎。
少し前まで来島海峡に要塞を作っていたような、明治の国防を見つめなおしてほしい。
いや、別に会津-米沢間鉄道が欲しいといっているわけじゃ無いよ。
>>677 14時間もかかったら最後の1人が言うころには天候が激変仕切ってたと思うから
順番に前の人に戻ってこいって言えば無事に道に迷わず全員帰ってこれたかもw
以前 「 地下足袋で参加した兵卒も存在した」という記事に触れ
震え上がってしまった者ですが、改めて調べると
@兵卒は軍足(革靴)に藁沓(こおり:藁靴)を履く
A一部兵卒は唐辛子と油紙で足を巻き地下足袋を履く(枚数不明)、それに加えて藁沓を履く
記事によると後藤2等卒は地下足袋に藁沓を履いていたが生還しているので
地下足袋は運用次第では当時の軍足より有効なアイテムだったと再認識しました。
もし、八甲田山行軍に参加したのが
・日本軍でも極寒地北海道担当の部隊だったら。
・シベリアの寒さをものともせずなおかつ作戦行動の出来るロシア軍シベリア担当部隊だったら。
大荒れの八甲田山系を余裕で超えられたでしょうか?
682 :
名無し三等兵:2008/10/27(月) 20:22:53 ID:IgTLuH7p
藁靴にも種々あってな・・・
藁で造った長靴型のものと、靴の周りに巻き付く感じの滑り止めの藁靴もあったんだよな・・・
>>681 北海道はあんな大雪降らないらしいよ
あとロシア軍でも当然作戦行動中の凍死者は出てるし
まあ、準備は完璧にやるだろうね
服とか靴とか手袋とかは
寒いのが当たり前の装備だろうし
冬の山岳としてはこれ以上ない、最悪の地帯です・・・って健さんも言ってる上に
何年に一度の大暴風雪だったんだし。酷寒零下40℃、体感温度はそれ以下っしょ?
旭川七師団は旅順あたりの寒さでも凍えて困ってたっていうし、
名にし負うコサック騎兵団と雖も、戦時装備そのままだったら
馬も道連れにバッタバタ倒れたんじゃないかな。
>>681 雪中行軍の経験豊かで下士卒に面倒見の良い指揮官を得れば
困難を乗り越え踏破出来たかも知れないですね、
肝心なのは風土に合った高度な防寒装備や露営の知識でしょうが
いずれにせよ先発の露営地設営隊や兵站を事前に組み込まなければ
ギャンブルに等しい当時の極寒とブリザード下の命賭けの行軍でしょう
でもって5連隊210名の露営装備品は
円匙(えんぴ)スコップ : 10
十字鍬 : 5
しかもこれは二日目以降兵卒の死や隊の混乱で失われ雪濠すら
設営出来ない状態に・・・・・・・。
スコップ10でどうやって壕を掘るのやら
江戸時代とかそれ以前の文明が開化してない時代でもそんな大事故起こってなかったのに
どうして明治になってそんな悲劇が起こったのであろうか?
>>686 江戸時代の人々は樵や猟師、マタギ・サンカでも、冬場は籠もって生活してただろうからねぇ…
>>686 江戸時代以前の一般庶民(とも言えないか、山窩、またぎは)は冬山には余程の
必要と気候を考えれば山へ入らないだろ、真冬は。
近代軍制が生んだ集団遭難という悲劇だからこそ、の事件と思う。
未成熟な近代化や新興の権力下の軍隊が風土や風習に学ばず
無意味な損失を生んだり破綻したりする
今現在においても進行中のなんとなくイヤなこの流れ
過去の有益な教訓がこの遭難の裏に見え隠れするのが八甲田雪中行軍の魅力であり
なぜかこのスレに集う理由だったりする。
その背景が短慮な判断や未熟な調査だとすると本当に怖ろしい事です。
何年に一度と言うか日本で最も寒かった日にやってるからな。その時点で運がなさ過ぎる。
その後の救助隊がわずか一日にして半数凍傷になり引き換えしてるからな。その後100年以上経つ
現在まで当時より悪い状況が一度もないってのはやはり凄まじい。
691 :
684:2008/10/28(火) 12:36:34 ID:???
>>690 そうでした。
うっかりして・・・ご指摘ありがとう。
>>690 行軍日が一日早ければ普通に視界が良かったから田代温泉に到着できてるし
一日遅れていればさすがに行軍中止になってた可能性が高い
ものすごく運が悪いね
693 :
681:2008/10/28(火) 20:10:52 ID:???
ありがとうございます。北海道やシベリアの部隊でも、大荒れ八甲田にむやみに突っ込んだら
さすがにやばそうですね。
冬山恐るべし。
>>693 それらの部隊は、おそらくむやみには突っ込まないだろうことが
大きな違いだろうね。
仮に現在の冬山登山の装備をしていたらどこまで耐えられたか
検証してみるのも面白そうだけど、先例ありそう。
ビョウ打ちしてないワンサイズ大きな軍靴を履き、隙間に新聞紙やわらを詰めるなんていう
ロシア軍のおばあちゃんの知恵みたいなのがあればよかったのにね
しかし、数日前に小峠まで事前演習してるのにどうしてその時に軽装少人数で
目的地までルート確認でもさせに行かなかったの?
で、そのメンバーはそのまま田代を抜けて汽車でも使って帰ってくればいいしさ
で、行軍日にそのメンバーに先導してもらえばいいのに
>>697 せっかく小峠まで行ってるのにその先を調査しなかったのは大きな手落ちだね
調査してればまだ助かる可能性もあったのに
初日(日付的には翌日)の深夜、帰営すると決めたのなら
各自がさほど負担なく携行できるだけの燃料とスコップだけを持って
残り・・特に大釜や米・酒は、何か目印があって分かりやすい所に放棄するべきだった。
(炊飯なんて無理 何の役にも立たないってことが判明してたのに何故・・)
崖を登るときに過度な荷物を背負った人が落後して結果的に燃料やスコップまで失ってしまって・・
銅釜とか、不要な荷物の負担が無ければまた違った展開になっていただろうに
今回の嵐が過ぎたら再チャレンジを兼ねてソリとともに回収すればいいことだし
再チャレンジ時には平沢までは荷物の負担も無くてもっと早くたどりつける。
>>701 各自が持ってた小銃も第一露営地にまとめて置いてきたらよかったのにね
で、身を軽くして田代方面に進めばよかったのに
20キロ近くもある帰営の道を選んだのはどうかしてるよ、夜中に・・・
>>702 銃を捨てたら軍隊は軍隊じゃなくなる
最大のタブー
>>703 全滅するよりはマシ
っていうより、敵がいない地域で行軍なのに
非武装で身軽に行けばいいのに・・・
というより行軍演習であることを判って無い
ID出ないからこっちでバカなことを書く「頭の足りない子」がいるなww
705 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 02:32:57 ID:???
>>704 おまいさんは日本陸軍をわかってないね
706 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 02:42:46 ID:???
というより行軍演習であることを判って無い
707 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 04:43:48 ID:???
ID出ないからこっちでバカなことを書く「頭の足りない子」がいるなww
↑こういうクズがいるから悲劇は繰り返されるんだろうなw
710 :
名無し三等兵:2008/10/30(木) 09:04:47 ID:yxZgMAof
おいおい!みんな冷静に。
>>701 言われるようにすれば良かったのだが、その時はまだ遭難するとの危機感
はない。単に雪中露営から帰営するとの判断、無事に帰れるものと考え何
の疑いも持っていない。
711 :
名無し三等兵:2008/10/30(木) 14:10:20 ID:RcgAVRgs
八甲田行軍だけでなく、寒冷地での行動に着替え用の乾いた下着を携行する事は重要ですが、
しかし、疑問が湧きました。
下着を着替えるにはいったん裸にならないといけません。
着替える為に裸になった瞬間に体表面の水分が凍って凍傷になったりしないものでしょうか?
もちろん、汗で濡れた下着を着っぱなしよりは良いでしょうが。
一瞬だったら裸になって着替えても大丈夫なのだろうかとか、
雪濠の中など、比較的風や吹雪の影響を受けにくい所で手早く着替えるものなのかとか
あれこれ考えてしまいました。
712 :
名無し三等兵:2008/10/30(木) 20:15:13 ID:yxZgMAof
>>711 予備の下着の着替え場所ね、この異常寒気の中では雪濠以外はありえないが。
雪濠の中で炉火を大きく燃やし、火に当たりながらならいいだろうが、薪や
炭は全く足りない状態。雪の上の炉火なんで火が点いている程度と想像。
毛布でもあれば回りを囲めばよいがそんなものは無いし・・・
お答にはならんが、まぁ雪濠の中なら何とかなるんじゃないのw??
風が防げないと着替える前に死ねるね。
吹雪のスキー場でグローブ外すと
数秒で指の感覚がなくなる
−20度の中で宴会やった事もあるけど、
マグカップに注いだワインに10秒程度で薄膜が張るような状態だったけど
無風だと案外余裕ぶっこける。
もちろん相応の装備着込んでだが。
映画では「着ている下着」の汗が凍って
あまりの冷たさに素っ裸になってそのまま雪の中で転げまわって...
と言うシーンがあった。
実際にこんなことになるかどうかは分からんが
なんとかしなければならないものではあるんだろうな。
* ちなみにこのシーンをやったスタントマンは遺書を書いて
撮影に臨んだとか(本当に雪山で裸で転げまわった)。
>>715 矛盾脱衣(むじゅんだつい、英:paradoxical undressing パラドキシカル アンドレシング)で、
ググってみるといいよ。
>>715 スタントマンじゃない。ダッカーの鉄の爪だ。
植村直己も脱いでたんだよな
最終キャンプ地点に脱いだ服が畳んであったんだよ
ガキの頃、バナナで釘を打つCMやってたな
脱いだ服たたむ余裕があるんだったら単に着替えただけじゃね?
防寒具から何から全て綺麗に畳んでいたらしいからな。着替えでは説明がつかん。
行動食のアザラシの脂肪等もまだ残っていたという話もある。どの道まともな状況じゃない。
極寒下では人は幻想を見てしまうのでしょうね
四肢が冷え、脳が異常に冷える。脳が冷えれば判断を失う
植村直己さんのような個人単位の登山では窪地にテント設営でのキャンプ
雪を深く掘り横穴の雪濠を掘り露営するのも困難・・・。
装備が近代化されていようと寒さへの知識が豊富であろうと万象には抗えない
と云う例の一つなんですね。
では青森5連隊は? と考えるが、
植村直己氏に比べ人員数は遥かに豊かだった
例えば田代や他の想定露営地に優勢な行軍支援体制の配置をするとか
事前に救助要員を派遣するとかの手配は雪山の恐ろしさを知っていれば
実施出来た筈なのだが、踏破出来れば「勝ち」という軽率さがあった印象が
否めない。
つまるところ行き当たりバッタリの雪中行軍劇で
露営の研究もなされていなかった記事もある。
山口少佐 遭難始末 より
:行軍演習は成されていたが露営設営演習は成されていなかった
726 :
名無し三等兵:2008/11/02(日) 21:25:22 ID:jSI8Kkye
でかい鍋持ってったのに、雪の上で煮炊きする訓練は
したことなかったのかな。何にしろ準備不足だよね。
北方新社の「雪の八甲田で何が起ったのか」読んだ。
ここや映画スレでさんざん言われて(揶揄されて?)いることのいくつかに得心が行った。
くだらない質問ばかりしてる人は一読したらいいと思う。
でかい鍋どころか 青森5連隊行李隊のソリは14台編成
米1斗6升 缶詰め肉35貫 漬物6貫 清酒2斗
炊事用の銅平釜と鉄釜 各2 薪60貫 木炭44貫600文目
円匙(えんぴ)スコップ : 10
十字鍬 : 5
ソリ1台は事前演習より32s軽く編成されていた
雪の峠を越えるには軽装でないと越えられぬと想定・・・・・
やる気は満々で準備もそれなりだったようですが
露営はその場での一発勝負という始末。
でもって結果が遭難、ソリは必要な物品以外は放棄
田代新湯を目指すプランも田代平原が吹雪いており已む無く露営
加えて朝を待たず露営地を出発し、結果 鳴沢の渓谷に迷い込み
かの地を登攀する過程で上記の装備を失う事に
もはやこれは準備不足&判断ミス
>>728 米1斗6升 ⇒ 炊けない、無駄、室町時代から伝わる伝統の戦時兵糧、焼き米や干飯を5斗6升(=84Kg 一人あたり400g)で代用
缶詰め肉35貫 ⇒ 凍る、無駄、干し肉を6貫(=22.5Kg 一人あたり107g)で代用
漬物6貫 ⇒ そのままでは凍る、干した漬物を3貫 (=12.5Kg 一人あたり59g)で代用
清酒2斗 ⇒ (゚听)イラネ・・と言いたいところだけど士気の問題もあるので2斗(36Kg)持っていく、但しヤヴァくなった時は真っ先に捨てる
炊事用の銅平釜と鉄釜 各2 ⇒ 使い物にならない (゚听)イラネ
薪60貫 ⇒ 60貫(222Kg)も?! 人手はいっぱいあるんだから斧4本(4貫 15Kg)で現地調達!
木炭44貫600文目 ⇒ 絶対必需品、3倍の132貫(495Kg)用意!
円匙(えんぴ)スコップ : 10 ⇒ 絶対必需品、多めに16本
十字鍬 : 5 ⇒ 絶対必需品、そのまま5本
斧、円匙、十字鍬がそれぞれ一本1貫(3.75Kg)として計25本 ⇒ 25人で携行
焼き米や干飯、干し肉、干し漬物、清酒は小分けにして42人で携行(84Kg+22.5Kg+12.5Kg+36Kg=155Kg÷42人=3.7Kg≒一人1貫)
将校以外の残り132人で木炭を携行(一人1貫)
これなら将校以外の199人が一人1貫(3.75Kg)の負担だけで済む(ノートPC+電源くらいの重さ)
銃・銃剣やらその他個人携行物と合わせても10Kg程度だから、背負う重さとしては十分に無理のない範囲
ソリに載せたとしても1台あたり53Kgちょっとだからあそこまでハマることも無いだろう
>>728-729 ソリ隊を引き連れていなければ明るいうちに田代に到着できていたんだよ。
つまり準備不足ではなく、過剰な装備に行軍ペースが遅くなり
結果として遭難したのが真相
>>729 っていうか、調査目的の行軍なんだから銃なしで行くべきだよ
5キロ近くあるんだから、それがなければ少しは歩みも軽いだろうし
>>734 軍板でこういう馬鹿なこと言うやつはどうすればいい?
>>735 馬鹿でもなんでもないだろ?冬山なめすぎだ
生存に不必要な装備は軽量化するのが常識
訓練の場では銃はいらんかもしらんが、本番の行軍でも武装捨てて軽量化できるのか、という話になるぞ。
何度も何度も既出の質問する奴にはさすがにうんざりだな。このスレだけで何度目だ?その話題。
>>737 調査のための目的があるんだし、難所な道っていうのが予想できてるんだから
最初の行軍ぐらいは軽装備でいくぐらいの配慮があればあんな遭難になってないよ
>>738 何回あろうが、別に構わないだろ?お前のためにスレがあるんじゃないし
嫌ならとばし読みしとけ
さすがに無いわ。既出ネタ踏まえて新しい考察でも挙がってるんならともかく
せめてこのスレくらい読めばいいのにってネタだしね。ここ最近は酷すぎるのに同意だね。
>>739 だから「装備を持って」雪中行軍できるか、が「目的」だったんだろ?
744 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 16:11:39 ID:XVMQYJWF
>>738 いいじゃないですか、新規参加者は大歓迎ですよ。
出来れば前レスにも目を通していただければとは思いますがw
745 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 16:54:21 ID:zkearqkL
八甲田、雪がふりそうだな
そろそろ完全通行止の季節だな…
また今年も片道2時間恐怖の旅の準備しないとな
>>744 自分だけに記事があるとか思ってる自意識過剰の馬鹿は死んだ方がいいな
同じ意見が何回出ようが嫌なら読まなきゃいいんだしw
文末に句点が付いてないことや文体から類推するに、
>>734,736739,740,743,746は同一人物か?
何を語ろうが自由だけど、次からはトリップつけてね♥
明治35年 青森5連隊 八甲田雪中行軍予定行程まとめ
1月23日:青森〜田代
1月24日:田代〜増沢
1月25日:増沢〜三本木 (古間木駅から汽車で青森に帰営の予定だった)
1月26日:筒井の青森5連隊本隊 雪中行軍隊の捜索を開始
1月27日:未明に後藤房之介伍長が捜索隊により救出、津川連隊長 遭難を知る
1月28日:救助のための仮設電話が敷かれた青森〜田茂木野
1月29日:弘前31連隊 田茂木野に到着す 小銃2挺を5連隊木村少佐に手渡す
1月29日:31連隊 同日中に青森に到着
1月30日:31連隊浪岡に到着 31日に弘前に帰営
>>749 田代&増沢&三本木の集落にはちゃんと連絡してたのかな?事前に
連絡してたら24日の間に到着してなかったら田代の人が不審に思って部隊に照会してるはずだし
救援ももっと早く送れたと思う
救援が遅れた原因は軍と民間の連絡不徹底だね
>>750 連絡…って、どうやって連絡するんだ?
明治三十五年当時の青森、それも殆ど山岳地帯の田舎の村に電話なんてあったのか?
>>751 近くの大きな村ぐらいなら郵便局から電報ぐらい打てるんじゃない?
伝令という手段があるのでは?
754 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 21:58:04 ID:XVMQYJWF
>>750 田代温泉には電気も電話もないので連絡が難しいが、
18日の予行行軍で予め知らせておくべきだったね。
>>753 念のために小峠とか馬立場とかを通過ごとに伝令送ったらよかったかもね
200人もいるんだし
小峠に10人ぐらい待機させておいてそこでその小隊は露営、田代まで行った本隊が適時2名ぐらいの伝令を
そこに数時間ごとに送り続ける、それがこなくなったら小峠から本部に救援要請の伝令を送るとかね
で、小峠→馬立場の中間当たりにもそういうの置けばいいし
何か事故が起こって連絡普通になれば即、救助要請とかね
で、本体が無事に田代に到着できればそこで露営
で、田代温泉に到着したらそこで最後の伝令送って順番に途中の部隊は青森本隊の方に撤収していけばいいし
せっかく200人もいるのに固まって移動するから本部が行軍隊の本隊がどのあたりにいるかわからなくなるんだよね
>>754 そう、予行演習してたのにその日に誰か田代温泉まで使いの者を送ればよかったのにね
鉄道があるんだから行軍日までに反対側の三本木→増沢まで別働隊を送り込んで
先に田代温泉まで行かせてそこで露営設備設営してさらに馬立場が見える位置まで
目印になりそうな旗とか立てに行かせればよかったのでは?当日気象が悪ければ
そこの目印が見えないわけだから、そのときは馬立場まで来たら作戦中止して
本隊は帰営するっていう形にすれば?
すいません質問させてください。
青森連隊兵士の防寒装備で、外套2枚と言うものについて。
これは
1 最初から2枚重ねにする事を前提とした作りになっている外套である。
2 極寒の冬山に行くからと無理やり外套を2枚重ね着する事にした。
どっちでしょうか?
761 :
名無し三等兵:2008/11/07(金) 22:40:06 ID:5/k2md5v
>>758 そうすれば大丈夫だろう。しかし18日に試験的な予行行軍を行っている。
さらにその上に安全を期して別動隊を田代に送り込む、という様な事を
通常の演習行動としてやらんよ。
>>758 明治35年 弘前31連隊 八甲田雪中行軍まとめ
1月20日:弘前〜小国
1月21日:小国〜切明
1月22日:切明〜銀山
1月23日:銀山〜宇樽部
1月24日:宇樽部〜中里
1月25日:中里〜三本木
1月26日:三本木〜増沢
1月27日:増沢〜田代
1月28日:田代〜田茂木野
1月29日:弘前31連隊 田茂木野に到着す
1月29日:31連隊 同日中に青森に到着
1月30日:31連隊浪岡に到着 31日に弘前に帰営
踏破距離 約 210キロ 11泊12日
これによると : 三本木→増沢 は 弘前31連隊の行程下であり
青森5連隊が雪中行軍に参加するには連隊双方の申し合わせがあっても
よかったと想像出来るのですが、実はそんな発想も無かったようで残念です
>>761 でも最初から困難な雪中行軍だと判ってたんだし
あんな危険な自然には持てるだけの文明の利器を使わなきゃ
列車で反対方向から別働隊を回り込ませるっていうのは決め手になると思う
両側から攻めると、難所を片方がピンチになれば片方が即伝令を飛ばして救援を頼めるし
いや判ってなかったからああなったんで
>>764 下見で途中までしか行かないような連中に、なにを期待しているんだ
あと10年遅く第一次世界大戦の時代だったら
田代まで延々と雪濠を掘り進めながらの塹壕戦訓練となって
大暴風雪・地吹雪による東証・投資は防げていたに違いない
768 :
名無し三等兵:2008/11/09(日) 17:02:13 ID:+Ytiq0k5
五連隊が雪濠での炊事で苦労したのはご承知の通りだが、三十一連隊も田代で
の露営で真地に達せないまま炉火している。火が大きくなれば下の雪を融かし
埋没し消えかかる。また生木のため煙に燻され、のど・目を痛め、朝方にはほぼ
全員が目を充血させている。
福島大尉は弘前市郊外での雪中露営訓練や岩木山雪中強行軍等で雪に対しての
造詣は深かったのだろうが、積雪が数メートルもある状況の中での炉火方法に
ついては未だの感がある。
次にお会いするのは雪の八甲田山のどこかですねw
アホな上官が指揮すると部下は可哀想だね・・・
士官に全責任があるとはいえ、下士官の質が悪すぎた印象。
あと、現地の村人とかとのコミニュケーション不足もあるね
明治だからまだ身分制みたいな部分が残ってたのかな
ちゃんと事前に担当士官が道に詳しい村人に冬場の道とか地図持って行って
聞けばよかったのに
で、当日も村人が善意で止めてくれてるんだから素直に帰営するか
村の近くでも天候回復の様子見で露営すればよかったのに
小峠
今西:永野軍医殿は、風速と気温の低下を低気圧のように言われますが、ここは平地じゃなく山の上だからこの程度の風は当たり前だ!(`o´)
進藤:それに、兵卒の服は木綿だと言われるが、彼らは我々と同じ羅紗の外套を1枚着用し、そのうえに予備をもう1枚持っている!(`Д´)
今西:だいいちこれぐらいの天候で中止なら、八甲田踏破の雪中行軍などは何の為に準備をし計画したのか、その意味がなくなる!(`Д´)
進藤:これ以上の行軍が不可能だなどとはとは思えない!もし困難に遭遇しても、それを可能にするのが我々の任務であり!!ヽ(`Д´)ノ=3
鳴沢
山田:田代への道が分かったんだな?( ;゚o゚)
進藤:はい!このブナの木は、田代温泉へ行く右側だったと(・o・)
山田:間違いがないか確かめてみろ(`o´)
進藤:はいっ・・・・・・大隊長殿、枝が2本切り落としてあります(・o・)
山田:人の手が加えられてあるな・・・よーし!予定を変更して田代に向かう、お前が案内しろ!(`Д´)
山田:神田ー!!神田ー大尉ー!!!(#ノ`Д´)ノ
神田:('◇';ゞ
山田:田代への道が分かった!進藤特務曹長が知っておる!(^o^)
神田:しかし・・・大隊長殿・・( ;゚Д゚)
そして・・
最高殊勲賞 = 進藤特務曹長
最優秀賞 = 山田少佐
殊勲賞 = 今西特務曹長
敢闘賞 = 江藤伍長
技能賞 = 倉田大尉
参加賞 = 善次郎
進藤:はいっ・・・・・・大隊長殿、枝が2本切り落としてあります(・o・)
山田:人の手が加えられてあるな・・・よーし!予定を変更して田代に向かう、お前が案内しろ!(`Д´)
この部分なんだけど史実でも枝が2本切り落とされてたのかな?
>>774 新田本に併録された記録(信用出来るかどうかは別として)に依れば
「自ラ田代ヘノ道ヲ知ルト称シ矯導・・アハレ隊ハ鳴沢ノ圏谷ニ迷ヒ込ミ・・」とかなんとか。
枝2本に人工が・・とか、そんな詳しいことまでは触れてなかったような。
必ずムチャ言う「悪役」が出てきて、何らかの事情で逆らえない
優柔不断な主人公が難儀する、という得意の<新田パターン>最高潮の場面ですよね。
この世界山岳史上最悪の大規模遭難事故映画、
アホな上官と優柔不断な上官、どっちの害がひどかった?
着任仕立てで道に詳しくない大尉を担当にすることが間違ってる
あと勝手についてきて口挟んでくる少佐も
いるよなぁ、こう言う上司。
計画提出して承認する時「この計画なら大丈夫。君に任せるから思い切りやってみなさい」
とか物わかりの良い所を見せておきながら、実際にはその場の思い付きの口出しまくりで
当初の予定とはずいぶん乖離した結果になってしまう事。
これで責任までおっ被せるからたまったモンじゃない。
あの少佐は責任だけは自分で取ったからまだマシだが、それでも大概だと思う。
そりゃもう、天にも見放されようかと。
明治と云う時代背景がこの事件を生み出したと考えるのが
至当だと痛感します
国内の未熟な統治の後、海外列強国との競り合いが発生し
近代装備近代戦を構築習得する要が生じたが軍艦や小銃に莫大な税を廻す反面、
数年を費やして育成した兵卒を安価な消耗品扱いし支援なき行き当たりばったりの
行軍計画を暗黙の下で要請する、
間違いだらけで最低の時代に憤りを感じるが
この過去の道は、或いはいつか来た道・・・・・・・・・・
現在もなにげに繰り返されているフシも痛感します
上に立つ人々の器量の害や組織の構造から生じる害も様々存在する
遥か過去の遭難なのに、 行き当たりばったりの発言決済に混乱する
下の者達の姿が灯影される
そう言えば、言い出しっぺの旅団参謀も大概だな。
「これは命令では無い」とか言うのも日本の組織の伝統的常套手段。
んで、命令じゃないから残業代も付かないのな。まあ最初から諦めてるが。
最近はお役所がウルサいから多少は改善されたけど。
>>779 それでも明治の頃はまだましだった。
大正時代のシベリア出兵やら、昭和になってからのあれやこれやを考えると…
782 :
名無し三等兵:2008/11/13(木) 19:39:38 ID:t5/cUGBl
>>779 当時は統治(征服)するか、植民地にされるかの二者択一で弱肉強食そのもの。
明治政府は富国強兵や国家近代化になりふり構わず突き進んで行った時代だと。
ロシアとの戦が避けられない状況下で、その準備研究の中で起こった事件。問題
点は皆が挙げているような事だろうが、雪山での露営方法・防寒装備等々何もか
もが緒に就いたばかり、やむをえないと言えば亡くなった兵士にはすまんが後の
戦いや寒地装備の改善等でこの遭難事件が活かされた事を思えばいくらかでも慰
めになるかと。
最大の疑問点はどうして難所なのがわかってたのに
雪のない季節にでも途中に補給基地作らなかったってこと
どうせ戦争状態になったら線路破壊されてそのルートで物資運ばなきゃいけないのなら
途中の倉庫や中間基地みたいなものいるのに
これを契機に途中にでも補給基地作っておけばそこに緊急用の物資保存して逃げ込めたのに
>>783 なんと説明したら良いのか難しいのですが
青森5連隊の想定補給基地が田代元湯や新湯ではないでしょうか?
田代には温泉の他にも炭小屋などもあるようで
弘前31連隊も一時は田代に辿り着けず田代平の開拓団の空き小屋に避難している
という記事もあります
それらの小屋に200名以上の兵隊の補給可能な物資があったかどうかは不明ですが
万が一の際、吹雪を避ける民家や小屋は田代には存在していたし
天候回復までの数日は 持ちこたえられると判断したのだと思います
しかし、それらの小屋や集落は風雪を避ける為に 田代平の窪んだ地区に
必然的にあり、平原で吹雪かれていては発見は困難だった・・・・・。
天候に恵まれていたならば田代新湯は補給基地作の役割を充分果たせた可能性も
あるでしょう
つまる処 当時の軍上層部には
現有の地形下での武装兵卒による行李輸送隊の雪中行軍演習が希望で
新説の補給設備や救難体制下での雪中行軍は眼中に無かった
近代の目で見ればこの行軍演習は確かに疑問ですが、
このスレがきっかけで学んだ明治時代の目で見ればまた違って見えてくるのが
面白いと思うのですが。
>>784 でも田代目前の第一露営地から営舎まで20キロもあるんですよね?
今みたいに輸送トラックも満足に無い時代だし
冬場とか人間の力だけでそんな難所を輸送するのは困難だと思います、雪も深いし
途中で補給基地も兼ねた物資の集積所ぐらい作ってもよさそうなのにね
馬立場あたりの冬でも見晴らしがよい場所とかにそういうの作ればよかったのにと思います
あそこらへんが中間地点ですよね?田茂木野から田代までの
今の銅像茶屋を明治のあのときに場所ごと送ってあげたいですよ
食料も燃料もある程度あるだろうし
>>785 その当時の歩兵の平均行動距離は40km、上の方からすれば、半分に負けてやってるだろ。
素人でも天候の良い平地なら12時間で40キロは歩けるからなぁ(経験あり)。
まして日本陸軍なら秘密兵器の脚絆もあるし、根性論もあるしで、たしかに冬季の
山岳とは言え20キロの行軍は無茶と思わなかっただろうな。
一番いけなかったのは、日没後に行動した事じゃないかな。
平地の極寒地なら夜間行動もありかもしれないが、山岳では冬で無くても夜間行動は避けた方が良い。
第5連隊はまず最初に厳冬季山岳での露営を研究すべきだったかも。
第31連隊がこの部分を省略出来たのは大きかったと思う。
>>785 田代目前の第一露営地から田茂木野村 : 15戸 を
目指したのだと思います。
峠からの下り坂だし、田茂木野に到達すれば新たに露営し帰営する事も可能
と考えるのが心理的に納得出来ます。
ただしかし当時の気候では賽の河原を踏破するのは困難
これはもう本当に運に見放されているような気がします。
露営設営演習を充分行っていれば天蓋用の
油を染みこませた帆布とか用意出来ていただろうけど
:行軍演習は成されていたが露営設営演習は成されていなかった
山口少佐 遭難始末 より
790 :
名無し三等兵:2008/11/14(金) 22:00:57 ID:sVaPHuu/
山岳での下りを舐めてたんじゃないかな。
下りは一見楽そうに見えるけど足への負担は登りの方がはるかに楽だし、遭難の
危険も倍増する。
何年か前の春、うちの県内にあるハイキングコースで遭難者が出て騒ぎになった事が
あるけど、下山時に迷ってしまい日没に焦って更に登山道から外れて行って足までケガ
して動けなくなったそうだ。
それで生還まで一昼夜くらいかかったはず。
>>788 「雪の八甲田で何が起ったのか」 川口泰英 著 から観えてくるのは
露営研究の本領が示されたのは、実に後藤房之介伍長が発見された後の
捜索活動下においてのようです。
5連隊は総出で捜索活動をするため田茂木野村まで仮設電話を敷き
救助に就く兵卒を露営させるため深く雪濠を掘り屋根を配し横穴の雪濠を構築、
映画にも出てくる遺体安置所がそれのようなのですが
皮肉というかなんというか、なんの為の行軍だったのか。
山登りする時は遭難した時早期発見してもらうために発煙筒でも持って行くか・・・・・
>>791 ものすごく捜索費用や人員使っただろうね
普通に雪のない季節に途中に避難小屋でも作っておけばその何十分の1の費用で済んだのに・・・
雪中行軍中でも帰営の判断もそこに一時避難して天候の回復を待つという判断を簡単に下せるし
いざ戦争状態になったらそこを中間物資の保管場所にでもすればいいんだし
捜索費用だけじゃないよ
凍死した将校や兵卒への一時金だの見舞金だのそんなものも必要
それが約200人分
事故って起こる前にちゃんと対策費用だしておけばいいのに
それをケチっためにとんでもない費用払わされるんだよね、いつの時代も
その捜索費用も当然当時の税金から出たんだろうし
はては将校と兵卒の見舞金が違いすぎて
「お国のために死んだのに死後の世界でまで差をつけるのか!」
などと兵卒の家族を憤慨させる始末
>>796 お墓も全然違うよね、位置とか大きさとかもさ
しかも靖国神社に入れてもらえないし・・・どうして?
靖國神社に入れてもらえないのは戦争絡みじゃないからじゃないかな
確か合祀されるのは戦死、戦病死、公務死が対象だったと思う。
八甲田山遭難事件はあくまでも「軍事演習中の事故」だしね。
自分としては旧幕府軍の戦死者が合祀されない方が納得行かないが。
国難に斃れた日本人を差別するのかと。
ttp://toshibos-museum.com/hakkouda_kiroku.html 祭祀料 死しても尚、階級の壁は厚かった。 少佐 … 75円
大尉 … 50円
中尉 … 35円
少尉 … 25円
准士官・下士 … 10円
兵卒 … 5円
この金額的開きには「死んだらみな仏様だろう!」と遺族は怒り、軍首脳部への不信感を募らせた。
慌てた陸軍省は、政府に追加予算(捜索費用、遭難者の共同墓地建設費、遭難者に対する一時金)を要請し可決させた。
改めて軍から支払われた一時金は少佐 … 1500円
大尉 … 1000円
中尉 … 750円
少尉 … 600円
准士官 … 500円
下士官 … 350円
兵卒 … 250円
当初、少佐と兵卒の15対1の金額的比率に対して、一時金は6対1となり、
遺族も幾らか満足したようであった。
又、当初「戦死ならまだしも、凍死させられたのでは浮かばれない!」と
軍に対する不満・抗議が出ていたが「靖國神社に合祀する」との事で国民も納得した。
因みに、当時の煙草は1箱4銭であった。
八百田山
>>798 軍事演習中の事故って公務中じゃないのかな?
>>801 「公務」の性格が違うんだろ
例えば靖國神社で「公務死」として合祀されているのは横川省三、沖禎介ら
諜報破壊活動中捕らえられて銃殺刑にされた人とか、樺太真岡郵便局の女性
電話交換手(服毒自決)とか、従軍看護婦とか、戦死や戦病死で括れない戦没者
を指すようだし
遭難MVPの進藤特務曹長(佐藤)が500円かよ!
遭難MVP・・・・・・・
ワロタwwwww
進藤特務曹長が迷わせた原因作った人だけどもうあの時点では詰んでたと思うよ
もう道全然判らなくなってたし
遭難MVPは最初の小峠で少佐や大尉や軍医たちが帰営の決断に話が進んでるのに
部下へのメンツがどうのこうので無理矢理先に進ませるように話を持って行った見習い下士官たちだと思う
進藤特務曹長と違ってそう言ってのは誰か名前明らかになってないんですよね?その人たち
4銭 ⇒ 300円(現在)・・・1円 ⇒ 7500円
少佐 … 75円 ⇒ 562,500円
大尉 … 50円 ⇒ 375,000円
中尉 … 35円 ⇒ 262,500円
少尉 … 25円 ⇒ 187,500円
准士官・下士 … 10円 ⇒ 75,000円
兵卒 … 5円 ⇒ 37,500円
↓
遺族からクレーム
↓
少佐 … 1500円 ⇒ 11,250,000円
大尉 … 1000円 ⇒ 7,500,000円
中尉 … 750円 ⇒ 5,625,000円
少尉 … 600円 ⇒ 4,500,000円
准士官 … 500円 ⇒ 3,750,000円
下士官 … 350円 ⇒ 2,625,000円
兵卒 … 250円 ⇒ 1,875,000円
一般兵卒の遺族からしてみたら
ハガキ1枚で召集させられて死んだら37,500円・・クレーム出してやっと1,875,000円
当時は命の価値に対する感覚が今とは100倍違うんだな
明治はまだいい。将官と兵卒の命の値段に高い安いはあったがそれ以前にみな
等しく「陛下の赤子」だった。クレームも一応通るし。
太平洋戦争末期になったら「おまえたちは消耗品だ」
(つω-`。) セメテニンゲンアツカイシテヤレヨ・・・・・
>>807 赤紙一枚で赤飯炊いたり何だり大喜びでホイホイ来ちゃうんだもの
消耗品扱いにされても致し方ない
>>808 戦争状態になって青森湾が封鎖されたときのために輸送ルート確保のために
調査行軍なんでしょ?立派に後方支援のために仕事じゃないの?
税を駆使して経験を積ませた兵卒をどう扱うのかという姿勢が
見舞い金の額に現れている気がします。
海外より近代戦略を学習し当時の最新装備を得た明治時代でこの有様なのだから
その先も危うく寒いのだと痛感してしまう。
封建的な風潮の下に駆けに駆けた大正や昭和の軍部の迷走は改善されないまま
悲惨極まりない1945年を迎えたこの国、
兵卒消耗品の影の思想は日本の戦史の至るところで悲劇を生んでいる
事前演習の不備や危機を精査し予見出来ない風潮も怖ろしい・・・・
せめて自分だけは備えなければ
映画「八甲田山」の緒形 拳さん演じる伍長が1月25日リングワンデリングの後
ブナの木の林に行き止まりした時のシーンを思いだします。
>>812 記事を拝見しましたが やはり雪山は怖ろしいですね
現在のテントすら吹雪けばあまり機能出来ないとは・・・・・
田代平の強風にさらされ凍死した兵卒はこのような状況下であったのでは
ないだろうか? と無念でなりません。
準備不足な上に、この最悪の気候、しかも200名超での
行き当たりバッタリの行軍、やってみて遭難じゃ浮かばれない。
リングワンデリングって怖いですね
第一露営地から第二露営地まで数百メートルだったんですよね
1日彷徨ってその距離しか移動できかなったようですし、結果的に
磁石さえちゃんと使えてれば・・・
815 :
名無し三等兵:2008/11/18(火) 06:11:06 ID:lmEBq9yX
>>810 成功なら立派に務めを果たしたと云われたであろうが実際には「帝国陸軍の恥辱」となった為『そもそも遭難など無かった』かの様に装う為に奉らせなかったのが実情。(続く)
816 :
名無し三等兵:2008/11/18(火) 06:16:21 ID:lmEBq9yX
>>810 加えると「津軽海峡封鎖うんぬん」はあくまで『対外的な理由づけ』で実際には『冬季ロシア領進攻を想定した訓練』の意味合いが強かった。(更に続く)
817 :
名無し三等兵:2008/11/18(火) 06:23:13 ID:lmEBq9yX
>>810 …なお軍上層部がその趣旨を曖昧にしつつ訓練を命じた結果、下士官の誰もが到達目標を定められず状況によっては中止等の想定も出来ない状況に追い込まれた事は、「死の行軍」への伏線ともなった。
次スレどうする?俺は日本近代史板に立てた方が盛り上がると思うのだが。
>>818 どっちが人口多いの?軍事と近代
来客が多いほうがいいね
820 :
名無し三等兵:2008/11/18(火) 16:24:55 ID:n2mUAtiL
>>819 立ち上げる時に迷ったんだが、前の流れもあってね。
ここは人によっては嫌う人もいるんで、次回は近代史に変えてもいいですね。
それと900を過ぎたら近代史板にも立てて、一時期ここと並行させ、広告宣伝
をしっかりやったらよいと思う、他の板にもw
それと、懐かしい邦画板の方もよろしくです。ちょっと閑古鳥が・・・
前スレの最初の方で
>>1がボロクソに叩かれてた記憶が・・・。
次スレを立てる板の候補は
・軍事板(継続)
・日本近代史板
・登山・キャンプ・アウトドア板
最後の登山板はちょっと板違いかもしれないがスレの進行はかなり専門的な内容になるかもしれん。
>>821 現在の登山の装備や知識で明治の事件を語られても無意味じゃね?
824 :
820:2008/11/18(火) 18:21:55 ID:n2mUAtiL
>>821 前スレは私ではないんですよ。
評判がイマイチだったので、余計でしたが季節ものではありましぇん、とw
特に問題がなければ、次は日本近代史板で行こうかと思います。
新たな参加者が増えてくれれば。。。
例の実況中継まであと二か月。今回もする??
このスレが軍事に留まるのか日本近代史板に移行するのか・・・・・??
兎にも角にも良スレで気持ちよく参加出来るスレなので色々な人の意見に触れてみたいですね、
本当に明治は面白い。
1868年 (明治元年) 戊辰戦争 西洋洗濯開業
1869年 (明治2年) 電報取り扱い開始 :東京〜横浜 ・電信柱の誕生
ブレゲー指字電信機がフランスから輸入され1871年まで使われた
1870年 (明治3年) ガス会社設立 ( 外国人居留地用限定 横浜 )
人力車営業が認められる:和泉要助が許可1号
1871年 (明治4年) モールス印字電信機を輸入国産化:和文モールス符号が制定
このスレに触れなければ知る事も調べる事も無かったであろう錆付いた歴史の一辺
何か動きがあればこの板で一報願います。
826 :
名無し三等兵:2008/11/18(火) 21:07:48 ID:mCD+wl/B
質問。
現在も青森の自衛隊は雪中行軍を行っているとのことですが、
そのルートや日程は八甲田雪中行軍遭難事件と同じなんでしょうか?
装備は当然違うだろうけど…
827 :
名無し三等兵:2008/11/18(火) 22:51:57 ID:rR6/tu83
>>826 ひとつだけハッキリしてるのは(今なお「青森普通科第五」の名を引き継ぐ)陸自の連隊も『戦争嫌いの山の女神に呪われてる』と云う事。
だからこそ(夏場であったにもかかわらず)十年前にも『(百年前とは異なる)七不思議に係る惨劇が起こった』訳で…。
今までの話に出てこなかった新事実とかないですかね?
持って行った装備の写真とか
どういう橇を使ってたとか
遭難現場の当時の写真とか
>>828 この行軍中、途中で歩きながらみんなで軍歌とか歌うのかな?
お茶目な隊員さんとか、映画八甲田山のBGMハミングしながら♪
>映画八甲田山のBGMハミングしながら♪
縁起でもない
音も無い世界に 舞い降りた I was snow♪
明治35年 1月24日
鳴沢の峡谷を登り、平原に達した時点で多くの兵卒や水野中尉と従卒が凍死した
という記事がありますが、
基本的に近代の雪中行軍では平地に露出せず行軍が原則との事です
根拠がいずこに在るかは元自衛官でないので想像するしかないが
窪地を行軍の後、高地の平原で いきなり気温−25度の強風に晒されては
僅かな時間で凍死するのも無理は無いのかなと・・・・。
人は気温差が−30度を瞬時に越えると皮膚呼吸が出来なくなり
皮膚が凍るという研究結果もあるようで、雪山は本当に怖ろしい
近代の雪中行軍は
平原を行く際は戦車を盾とし風を抑止し排気熱と供に進むのだとか
また降雪が収まり晴天ともなるとすぐに縦壕を掘り横壕を設営する
との情報も、
なぜなら雪山晴天下の放射冷却は凄まじく、地形によっては
ファイヤーストームのように周囲から冷気が吸い上げられるようで
実際装備外套の表面が短時間で凍ったりした瞬間もあったようです。
これらの研究や予備知識の原点はやはり八甲田雪中行軍にあるんでしょうね。
参考記事
八甲田雪中行軍関係の出来事
http://www2.odn.ne.jp/aac37770/dekigoto.html
>>833 その記事はかなり時系列に添ってわかりやすいですね
その時間経過ごとに見ると五連隊が1泊2日で行軍終了予定なのに
それを過ぎても遭難したという認識が本部では薄かったようですね
田茂木野村で到着を待つとかあまりにも受け身過ぎますし
1日経過したら今の感覚なら全軍で動くぐらいのことはしてもよさそうなのに
救援の初動も遅すぎますし
反対側から別の部隊や警察や消防などの別組織に救援を送ってもらうとか
できなかったのかな?田代方面から
青森の地には詳しくないのですが反対の方角にはそういう救援を送れるような組織は
なかったのでしょうか?
835 :
名無し三等兵:2008/11/21(金) 01:24:32 ID:hfHrxkUb
>>834 だから『他の部隊などに迷惑を掛ける位なら死んだ方がマシ』との認識が(第五連隊に限らず)旧日本陸軍兵士一人ひとりに当時から強く植え付けられていたと何度ry
>>835 今、初めて見たけどその書き込み
あと、自意識過剰だな、キミ
837 :
名無し三等兵:2008/11/21(金) 23:27:20 ID:dDKFkyxk
八甲田山はお化け屋敷だ・・・
誰も生きて帰れないぞ・・・
お化け屋敷から生還した男がここに一人
839 :
名無し三等兵:2008/11/22(土) 04:21:40 ID:69GSf9iK
>>836 ねらーになってからまだ日が浅いのかい?
…マァまず力を抜きなよ。
私も生還しましたよー
841 :
名無し三等兵:2008/11/23(日) 15:08:51 ID:GBBydYnl
生還者乙でございます。
八甲田山から生き残って2年後二百三高地の激戦生き残ったら最強の戦士なのにな
>>843 旅順攻略戦に参加したメンバーはいないはず
生き残りのうち八名の下士官兵はみな手足切断など不具となり除隊。
五体満足だったのは倉石大尉、伊藤中尉、長谷川特務曹長の三人で、
三人とも日露戦争は203高地後の黒溝台会戦から参加、倉石大尉は戦死。
あとの二名は重傷を追ったが生還したらしい。
八甲田山、二百三高地に続く戦争映画として
是非とも伊藤中尉、長谷川特務曹長を主人公とした映画を
制作して欲しい
ダイハード5ですね。わかります。
848 :
名無し三等兵:2008/11/24(月) 14:12:51 ID:QpNotgyw
映画はハッピーエンドにして欲しい。
>780
ノモンハンでニューギニアでもこれで何万人何十万人死んだことか。
850 :
名無し三等兵:2008/11/24(月) 20:27:35 ID:jZyEgKAy
>845 日露戦従軍者で生還者いたっけ
>849 亡くなった人の事を考えるとシナ撤退もしたくない、そして・・・
「ダムのために移転した住民の生活再建や地域振興の具体策が示されていない」
by滋賀県議会 自民党
同じ過ちが繰り返されると
新幹線の栗東駅ですね。わかります。
前の知事の頃は栗東インターで降りて一号線を大津方面に向けて走ると
雑草が生い茂る一帯にまっすぐ伸びた線路の手前に「新栗東駅」の看板が立ってたもんだが
今となっては・・・・・
この雪中行軍って1泊2日の予定だったんだよね?
それなら重い銅ナベとか持っていかずに干し芋とか乾パンとか
即食べられるもの中心で炭とかも各人が2キロずつ持つとかできなかったの?
橇隊の遅れが原因で目的地につけなかったんだよね?
>>854 当時の人間は米以外は食いたくないんだよ。何があっても白米。
干しイモ?乾パン?バカじゃね?って感じ。
>>855 お前が馬鹿だろ?生米は調理する必要があるからああいう厳寒期の山行には不向きなんだよ
そんなことも知らないのか?
>>857 そうですか、了解しました
当時に少し工夫があったらよかったですね
山中で生活してる人たちにも軍隊も工夫とか聞きに行けばよかったかも
でもプライドが邪魔するんだろうね、まだ身分社会制度みたいなのが残ってた時代だから
軍人って明治以前に武士みたいな格付けみたいな感じだっただろうし
武士が農民に教えなど請えるかって感じで
>>858 了解するのはいいが、口汚く罵った856に先に謝ったら?
なあ、オフ会やらないか。
ついでに親睦会も兼ねて遠足も。
そうだな、コースは早朝に青森を出発して
田代温泉で宴会とか。
決行は2月でどうだ?
862 :
名無し三等兵:2008/11/28(金) 23:29:25 ID:hhcSEck5
>>861ー862
えっと、ガイドはいらないよね?w
「雪山綺麗だから行きたい!」とかしつこい奴を諦めさせるのに
体を慣らす為にスキー場近くを借りてキャンプすると
一泊しない内にバックれるぞw
>>861 その日の夜に第二露営地のあたりで一泊キャンプしましょうか?
ちょっと寒いけど気合いで乗りきればOK!
「当事者」にお逢い出来て体験談聞けるかも知れんなそのオフ会・・・・・・
867 :
名無し三等兵:2008/11/29(土) 02:34:09 ID:88L1n1TD
はじめまして
八甲田山雪中行軍の話を今はじめて知り、あまりの衝撃を受けていろいろ調べてみた者です。
2chにスレが無いか検索してみたらあったので書き込ませてもらいました。
突然ですいませんが、質問があります。雪中行軍隊が遭難状態にあるということを
本部の人たちが認識したのは行軍開始してから何日目だったのでしょうか?
本部の人たちは誰かお偉いさんの送別会をしていたということなのですが・・・
宜しくお願いします。
>>868 映画のタイトルを教えてください
その映画は事実に即してるんですかね?
>>869 「八甲田山 」ですね、東宝映画 1977年制作
少し大きめのレンタルビデオ店とかいけばあると思いますよ
初めて見るなら夜にでも邪魔が入らないようにじっくり見てください
3時間近くありますから、超名作ですよ
史実を脚色された映画ですね、これ見て史実と比べて見るのも面白いですよ
>>856 向き不向きの問題じゃない。
当時の兵隊の大半を占めていた農民出身者は
「軍隊に入れば白い飯が食える」ことがなによりの喜びだった。
雪中行軍のようなハードな演習なら尚更だろう。
なにしろ脚気対策で麦飯にしただけで思いっきり不評だったそうだし。
>>866 あちらが来てくれるのかな
それともこちらが会いに行くのかな
872 :
名無し三等兵:2008/11/29(土) 13:01:18 ID:jd66ias1
映画によれば210名中、12名が助かり1名が目的地に到着している。
つまり完全な失敗とは言い切れないのではないか?
体力不足や準備不足の兵士が斃れたのが真相だろう。
つまりは自己責任ということ。
>>872 助かったと言ったって、バラバラにだろ?
戦闘中でもないのに指揮命令系統が崩壊したというだけで、(仮に死者が出なかったとしても)軍隊と
しては言い訳のしようがない大失態だ。
それに準備と言うが、通常装備の他にこんな準備をしろ、これこれを携行せよと指示し、もし全員が
個人調達するのが難しい物があれば、隊として調達し、全員に同じ物を支給し、確実に携行しているか
出発前に検査するのは、隊幹部の仕事であり責任だ。
体力不足の兵は参加させない判断をするのも、また隊幹部の責任だ。
>>872 >体力不足や準備不足の兵士が斃れたのが真相だろう。
・・・・・・・それを失敗と言うだろうが普通。
準備の失敗、事前調査の失敗、危険度の周知徹底の失敗、指揮系統の失敗、etc
>>871 オフ会で出向くのはこちらが会いに行くとも言えるし
場所が此岸なのは来てくれるとも言える。
でも冬場に例の五連隊ルートをオフ会で歩いても当時よりは道判りやすいよね
みんなGPS付きの携帯持ってるだろうし、両側も電線とか送電塔とか張り巡らされてるから
方角迷う心配無いだろうし
>>872 雪中行軍できるか?を試した演習
目的達成は出来なかったし部隊は全滅
つまり完全な失敗
>>874 オフ会の2次会会場が彼岸になりかねん、
と言うつもりだったんだが。
つまり会いに行くと言うより合流。
しかし長谷川特務曹長はすごいな。将校はまだ比較的ましな防寒装備なのに対して
下士の最貧弱装備の部類だったはずで、しかも倉石大尉らよりも二日遅く実に10日目に
救出されたのに、指一本失うこともなく生き延びたんだから。
二日目にはやくも本隊からはぐれて、早いうちに炭小屋に入ってじっとしてたからなのかな。
>>878 >二日目にはやくも本隊からはぐれて、早いうちに炭小屋に入ってじっとしてたからなのかな。
これは単に運が良かったんだろうw最貧弱装備とはいえ外で
吹きっ晒しで彷徨と炭小屋の中で体力消耗せずじっとしている、
この差は想像以上に大きいわな
物事の成否は準備も大事だがそれ以上に時として運が左右する
そういや第5連隊はとことん運から見放されてたしな
このスレで何回か言われてることだけどどうして雪がない頃にでも途中に物資集積所を兼ねた大きめの避難小屋みたいなのを
作っておかなかったんだろね・・・どうせ戦争時にはその道が裏ルートになるんだから
途中にそういう建物作って置けば事前の準備になっていいのに
ルートの中間あたりにそういうのを作っておけばあの事件の時みたいに進むことも退くこともでいなくなれば
そこで天候回復まで時間過ごせるのに
もし自分が司令官だったとしてもそういう難所があると事前にわかってるんだからいざというときの為にそういう案は出すけどね
そんなに費用かからないでしょ?土地はタダみたいなものだし建設費用も戦時の要塞建設訓練も兼ねて自前でできるし
木材とかも青森なら安く手にはいるし
>「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」
この命令を出されたんだから、それに従わなかった兵士が勝手に死んだだけなのでは?
何で命令に従わないかなぁ…?
そんなに田代温泉に入りたかったのかな?
>>879 >そういや第5連隊はとことん運から見放されてたしな
弘前隊の福島大尉は「天、我に抗すれば、我天に抗せん」と言ってる
準備も計画もガッツも違ってるから成功してるんだな
>>885 「断じて行えば鬼神も之を避く」と言う言葉があるがこの「断じる」には福島大尉が
全員に徹底させた綿密な下調べや用意周到な準備、覚悟なんて要素が入ってるんだろうな
出来ると信じるためにはそれに値するだけの準備が必要だし。
この場合の「鬼神」とは冬の八甲田山の自然そのものだった訳だが。弘前31連隊の「断」は
見事に鬼神を退けた。色々現代にも通じる事件だったね。
>>880 いい加減しつこいよ。お前が一人で言ってるだけだろww
>>887 いや、俺も途中で避難場所作る意見には賛成するよ
お前もカルシウム取れ、頭に血が昇りすぎ
>>886 全員に徹底させた綿密な下調べや用意周到な準備、って史実ではどういう感じだったの?
七勇士の頁読むと弘前隊も1月23−25日の最悪天候時に八甲田に入らなかった運と
案内人たちの頑張りで成功しただけのような気もするんだけど。
890 :
名無し三等兵:2008/12/02(火) 21:37:25 ID:5rebqDkM
>>878 長谷川特務曹長、確かにタダモノじゃあないな!
日露戦争の黒溝台会戦にも生き残ったみたいだし、
さしずめ「生ける軍神」と言っても過言じゃあ無い罠!
でもそのわりに日露戦争終戦後の足取りが判らない・・・誰か教えてplz!
>>879 運だけで・・・いや、もし運が良かっただけだとしても
雪中行軍と黒溝台会戦を生き延びた事実は凄いことだと思うな。
あの炭小屋には4人いて救助きたときは皆息があったが2人は危篤でまもなく死亡
阿部一等卒は両足切断の憂き目に遭った。
長谷川特務曹長の生命力は超人的と言っていいのだろう。
>>891 1日目の夜の半煮えの飯もうまそうに全部残りを平らげてたりしてね
他の人が食わなきゃ俺が全部食うぜって感じで
ハセガワ曹長はニュータイプ
894 :
名無し三等兵:2008/12/04(木) 02:02:03 ID:lpZLKpkD
いや、寧ろ「レッドショルダー」とか「パーフェクトソルジャー」
とか「異能者」とかという類いじゃね?<長谷川特務曹長
人間ならば死ぬはずだ、ってか。
896 :
タケシ:2008/12/04(木) 19:05:10 ID:???
お前ら人間じゃねえ!
ー-/ ヽ
, ' /_,.. --‐ゝ/``'' ‐ 、. /
. / / ヽ /:::::::::::::::: `` ‐、i /
/., ' ∨:::::::::::: `‐、 / ./
/ .|:::::::: ,.. -───‐- 、.._ l. /
/ , ‐'´`‐、|;: ‐ '´ | |`ヽi !
|_,._ィ'´ ゝ/_, / ̄ ̄ ̄l | | | !
: | ,. ‐'´\7'ヽ、 ̄`‐、_,. ‐ ' ´ | | l i
: | l__/ ,へ、\_ _,| | ヽ \
. : | /, i ヽ\__,\-‐ '' " | | \「炭小屋が無ければ凍死だった・・・」
: L.. -‐ ''´/,ノ ヽ | |
. 、 | l ゙!.__ i | |
. 、.│i `'"´ レ
、 i ヽ _,, -‐'ニニゝ /
゙. i. ヽ _ / /
ヽi ヽ ___ ./ /
. l`ー-‐| ト、ー '´ /
l | i! i! i! |/ /
>>897 AAにマジレスもアレだが、その通りだろうよ・・・・・
田代元湯に到達して同じ日に救出された村松伍長は温泉につかっていたから
助かったんだと思うが当時は建物があってこじ入るなりして内部で過ごしたの?
(冬季管理人は新湯にしかいなかったんだよね)それとも露天風呂にい続けたとか。
同じ日、っつうのは長谷川特務曹長らと同じ日という意味です
>>899 田代近辺にいたということだから温泉には浸かってないんじゃない?
村松伍長は温泉にはつかつていないと想像出来る、
凍傷の身体で湯につかる事は、凍傷で壊死した部分の毒素が全身に廻り
臓器不全を起こし死につながる事を意味する。
>>872 自己責任などではないだろう
ましてや体力不足や準備不足の兵卒の責任でもない
つまる処、
@現地調査不足
A救援体制を含んだ計画立案という発想の皆無
これらは上層部の担当すべき案件で兵卒に非は無いだろう
助かった12名は行軍半ばで指揮系統とはぐれ単独の判断で行動せざるを得なかった
兵達で
田代に到達した兵も行軍目的を達成する意味で到達した訳ではなく
避難可能な集落に達したというに過ぎない
この行軍は
1月23日:青森〜田代 に到達すべき計画が
1月27日:後藤房之介伍長が捜索隊により救出、遭難を断定
と云う完全な失敗であるということ。
疑問なのは1泊2日の行程のはずなのに3日目に入った時点で全部隊で救助に向けて行動を起こさなかった点
どうしてこんなに初動が遅いの?
無線が無いからな。
無線が活躍始めるのは「敵艦見ユ!」くらいからか。しかも仮想巡洋艦上からだしな。
3日目なら「三本木到着が遅れてる」程度の認識だろうな。
むしろ初動は早い方になるんじゃないかな。
映画だと31連隊の行軍隊が無事に通過した警察の電話報告を誤解していたな。
>>905 映画は電話だったが 史実では電報だったようですよ
当時の極寒下でも有線の逓信下での電報のやり取りは可能だったと思うのですが
本隊の情報の精査がどうだったのか?
明治35年 弘前31連隊 八甲田雪中行軍予定行程
1月25日:中里〜三本木
1月26日:三本木〜増沢
明治35年 青森5連隊 八甲田雪中行軍予定行程
1月25日:増沢〜三本木 (古間木駅から汽車で青森に帰営の予定だった)
1月25日に三本木を踏破する 弘前31連隊と 青森5連隊のこの偶然
情報を誤って受け止めかねない因縁めいた状況。
5連隊が救助に本腰を入れるのは 1月27日後藤房之介伍長救出の後、
ただ 電報による通信がこの行軍で活かされていたかどうかは不明。
>>905 この荒れた天候と下がりきった気温考えれば露営も限界があるとか思わないのかな?当時の偉いさんも
自分が責任者なら2日目で帰って来ない時点で一応救助の人員揃えるけどね
2日目は汽車で帰ってくる予定だったんですよね?
駅に人つかわして本来乗るべき駅とかに確認すればよかったのに
駅間では列車通ってるから聞けるだろうし
>>906 >1月25日:増沢〜三本木 (古間木駅から汽車で青森に帰営の予定だった)
その駅に電報打って兵隊が乗ったかどうか聞くわけにはいかなかったのかな?
200人近くの大人数で乗り込めば駅の人が絶対気がつくはずだし
3日目の早朝に即、問い合わせしなきゃね
勉強になるスレだなぁ〜
疑問なんですけど、田代温泉から古間木駅までは難所みたいなところはあるんですか?地形的に
青森の本部から想像して、どのへんに遭難した隊がいると推理できたのかな?当時
田代から駅まではそんな大きな難所がないのなら
隊がいる場所は小峠から田代の間と推理できるだろうし
捜索の幅も狭くなる
>>907 だからぁ、電報で無事を確認してるだろ。。
で、返事は「雪中行軍隊は無事三本木を通過した」と。
>>911 それ、史実でも同じなの?
本部が一瞬安心したって
イ58潜がインディアナポリスを撃沈した時と似たような状況なような。
こっちは5日間、鮫が襲撃する中での漂流だから放置期間はこちらの方も酷い。
鮫の襲撃と暴風雪の襲撃、どっちがいいとは言わん、マシだ?
たとえばそこのアンサン
仮に23日に小峠でこれ以上の行軍は危険と冷静に判断して引き返し【八甲田山遭難事件】も起こらなかったとしても山口佐も神成大尉も冷や飯喰らいの予備役か隊付け扱いになってたんだろうな
「戦場にて困難を前に引き返すとは何事か!突貫精神が足らん!」とか言われて・・・
>>915 そして、日露戦争の消耗で指揮官の人材が枯渇して現役復帰、激戦地に投入…
>>915 いや、理由もなしに引き返したのならともかく軍医がこれ以上の行軍は危険と判断したんだから
兵力の損失を防ぐという理由から帰営したら上もそれ以上は非難はできないよ
要するに雪中行軍の将校たちの気持ちの問題だけだよ
途中で村人に偉そうに言っておめおめ帰れないなら深夜になって村が寝静まるのを待ってから静かに通り過ぎて行けばいいし
村人はその隊がどこまで行って戻って来たのか知らないんだし
小峠のあたりで時間つぶししてればよかったのに・・・
>>917 それは完全に現代人の考え。全ての事象は有限だが、人間の精神は無限 ってのが基本。根性無しの軍医にそそのかされた、根性無しの指揮官ってされて、軍医ごと左遷されて終了だろう。
夜中に村通っても犬が吼えるぜw
村人に顔合わせられないから夜更けまで時間つぶしてひっそり通るってw
皇軍がそんな姑息なことできねえだろ。全軍の士気に影響しそうだな
村人:( ´,_ゝ`)プッ
山田:焼き払え!(#ノ`Д´)ノ
村人:ひえぇ〜( ;゚Д゚)
新しいソフトバンクのCMのBGM、どっかで聞いたと思ったら、映画「八甲田山」のテーマ曲
だった。
>>917 全員無事に帰営したとして、福島隊が成功しちゃったら山口少佐と神成大尉は軍で生きていけないよ
失敗しても生きては行けん
行くも地獄、退くも地獄・・・・・・・
しかしまあ、同じ生きて行けないのなら命があった方がまだマシだろう、山口少佐も神成大尉も
200名を越える部下達も。
雪中行軍の将校たちの気持ちの問題だけっつーのはその通りだろう。何かの台詞だが勝って帰るより
負けて帰る時の方が勇気がいる。引き返す決断をする勇気が無かったんじゃねーの?
値段が安いとはいえ数百人の部下の命を預かってるってのに。
こそこそなんてせずに、堂々と帰ればいいよ。
ちょどぴったりの言葉がある。「転進!」
>>925 そりゃ、昭和になってから発明された言葉だからなぁ…
>>924 いや、作戦の失敗は死を意味するものだよ。
おめおめと敗北者として軍隊で生きていくよりは、
部下200余命を道連れに集団自決の体裁を整えた方が
軍人としての名誉を保てる。
職務に殉じた軍神として祭られるわけだからね。
しかしながら、生き長らえた山口少佐は自決する必要性は無かった。
果敢な決心をし、部下の死に怯まず、職務に忠実であろうとした勇猛な指揮官として
堂々と経験を生かして軍務に精励すれば良かったんだよ。
あの牟田口将軍のようにさ。
>>919 暗殺術で犬ののど笛を切り裂くんだよ、ナイフで
そのために軍事訓練なんだしw
>>920 下の人間にいわなければいい話
小峠で深夜まで露営して帰営の判断をするだけだし
>>921 やりかねないから怖いよ・・・当時ならw
>>922 そのCM見たいんだけど確実に見れる番組とかあるかな?
誰かニコニコ動画とかUPしてくれないかな・・・
>>923 そのまま、数日後に天候回復したら再チャレンジすればいいだけでは?
まだ人数の優位性はあるんだし
>>927 山口少佐は自決じゃなくて暗殺じゃないの?手が凍傷で動けないのに
拳銃使えないだろうし
自決は映画の演出でありフィクションです。
山口少佐は心臓マヒによる自然死ですよ?
>>934 資料館に自殺に使った拳銃飾ってますよ?
>>934 しかし、公式発表は心臓麻痺なんだよ。
諸説あるのは知ってるが、自決はあり得ないだろ。
第一、あの時代なら責任取っての自決は却って美談になる時代だよ。自決なら隠す必要無いじゃん。
軍人どころか民間人でも、列車遅延で天皇陛下に迷惑をお掛けしたと自決して美談になった車両整備担当の鉄道員がいるくらいの時代だからね。
>>927 作戦の失敗も何も、そもそも戦争じゃないんだが・・・・・・。
戦死なら集団自決も名誉のうちかも試練がこれは単なる「軍事演習中の事故」
遺族だって戦死なら諦めもつくが凍死じゃ浮かばれんて陸軍省に押し掛けた訳だし
現に誰も軍神扱いされとらん。靖國神社に合祀もされてないからな。
明治の軍隊は、平時でも超本気・過激モードだから。ましてや対露戦避けられない状況
もう真剣よ。ただ100年以上前のこと、色々今からみれば不洗練や滑稽なこともある。
軍神扱いならされてたろ。殉職はあくまで靖國合祀の対象にならんという原則に則っただけで。
>>939 それ以前の時代でそんな大量遭難事件とか起こってないっていうことを考えても時代が新しくなればなるほど
人間は頭が良くなるってことでもないみたいだね
仮に戦国時代の武将が冬場に行軍したとしても冬山に嵐が吹いてるのに
そのまま突っ切ろうとはしないだろうし、400年以上の人間でも嵐が過ぎ去るまでは様子見はすると思う
どうしてたった100年前なのにそんな無茶したかってとこだね
グループシンク(集団浅慮)とゆーヤツでは
>>940 戦国時代は「農繁期は戦争しない」とか
今から考えるとけっこうのんびりしていたしね。
それに雑兵は村人の期間雇用だったりするし
雇い主が不利と見るや勝手に逃げ出すなんてこともあったから
今回の事故のようなことは起きにくい。
近代軍装黎明期の明治、維新の明治。
西欧に並ぶべく、各分野で様々研究したり投資して前進する当時の日本
この八甲田雪中行軍演習も対ロシア戦想定の眼目としては
列強に比べ遜色ない試案、研究だった様な気がしますよね、ただ
ただ ひたすらに運に見放されていた
かつてない気温の低下と、大暴風雪との遭遇。
時系列を考えれば 弘前31連隊の踏破と競合する青森5連隊のスケジュール、
単独研究、単独行軍だとしたら後世の評価を得た演習だったのかも知れないと
考えると非常に残念・・・・・。
様々な意味で100年前のこの事件を忘れてはならないと痛感する良スレに感謝。
今の自衛隊ならこのような場合はどう判断するかとか決まってるのかな?
普通は無線機とかで本部の判断を仰げとかだろうけど
もし磁場の乱れとかで無線機が使えないような状況で独自で判断しなきゃいけない場合は
何か取り決めあるのかな?
まあ、今なら間違いなく非戦闘時は人命尊重の方を優先するように教えられてるとは思うけど・・・
>>944 自己責任
自分の身の安全は最終的には自分で守るべきって方針
ゆえに訓練での公務災害の認定は中々為されない。
指揮官の責任問題にもなるわけだし。
>>943 >時系列を考えれば 弘前31連隊の踏破と競合する青森5連隊のスケジュール、
映画ではすれ違うことを知ってたけど
史実ではなんも知らんということになってたはず
>>945 そんな軍隊はねえ
それが自己責任だったらガダルカナルで餓死した連中も自己責任だw
>>945 お前、前にも湧いて出て自己責任とわめいていたバカだな。
基本的に軍隊で作戦行動中の事故で自己責任なんかないしな
個人で勝手に行動してるんじゃないし
この遭難でも部隊解散してるけどあんなとこで解散したって普通に帰れないんだし
現代でも業務上の災害だよ
というか、あの遭難時の解散は解散して青森の本部に戻れっていうことだから業務上の命令だよ
>>951 インパールで食料を自給しろっていう命令が出たら業務上の命令なんですね
わかります
>>952 業務上の命令だよ?食料見つけてこいっていう
「ホームランを打て」のサインに従わなかったら罰則なんですね
わかります
>>954 もう、お前が何を意図してそんなこといってるのかわけわかめ
不可能なことを命令して「業務命令だから」というのは卑劣で無責任
おまいら!
もちつけぇェェェっぇェェェェェッェぇぇっぇぇ!!!!
___ ガスッ
|___ミ ギビシッ
.|| ヾ ミ 、 グシャッ
∩_∧/ヾヽ
| ,| ゚∀゚). .| |;, ゲシッ
/ ⌒二⊃=| |∵.
.O ノ %`ー‐'⊂⌒ヽ ゴショッ
) ) ) )~ ̄ ̄()__ )
ヽ,lヽ) (;;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
>>948 自衛隊は(建前上)「軍隊」ではない。
だから彼らの給料も「軍事費」ではない。
軍隊でなくても、軍隊と同様に、堅固に確立された指揮系統で動く(従わなければペナルティを受ける)
組織であることに変わりないさ。
ペナルティをもって従うことを強制するからには、指揮する側が相応の責任を問われるのは当然のこと。
>>940 戦国の頃なら、そもそも八甲田山系での雪中行軍など妄想でしかなかったろうな。
装備と知識が発達して、「これなら可能なんじゃないか?」と思えてくる。「○○も夢ではなくなった」
というやつ。
本当に可能なのかは、やってみないと分からない部分がある。
まあ、いきなり200人規模というのは無茶だったよなぁ。少数精鋭の実験隊で問題点の抽出でもしておけば、
あれほどの惨事にはならなかったと思うよ。
>>960 少数で行ってれば帰営もしやすかっただろね
お互い意思の疎通もできただろうし
ソフトバンクのCM・・・
964 :
960:2008/12/09(火) 01:27:48 ID:???
>>961 というか、考えたら福島大尉がそれをやってたわけだなw
士官にそれぞれ研究課題を与えてるし。
>>963 ありがとう!
しかし、音源どこからみつけて来たんだろ?
映画のサントラとか発売してないよね?
>>964 青森隊と弘前隊と逆なら遭難は起きてないだろうね
弘前から200人出発してても日程の関係で暴風雪が収まってから八甲田に足を踏み入れただろうし
青森から少人数で行って暴風雪に遭遇したら福島大尉なら帰営を決断しただろうし
っていうか、青森から出発した隊が少人数なら足かせになった橇隊がいないから
普通に日没前までに田代温泉に到着してただろうね
弘前隊と青森隊は本来、研究目的が違うんだからしかたがない。
弘前隊のはほとんど学術研究に近いが、青森隊は実務の研究だからね。
本来なら弘前隊が先に実施して、その後に青森隊が弘前隊の研究成果を利用すべき。
弘前隊ならともかく青森隊の研究内容は手探りでやる様なものではなかった。
装備や食料、それに問題となった橇等、弘前隊の研究成果を待って分析した上で実施
していれば、と思う。
969 :
名無し三等兵:2008/12/09(火) 09:29:50 ID:eBo8S6NA
そろそろ次のスレ、準備すっか?
歴史カテでいいべ?
青森隊の目的に雪中オリエンテーリングの訓練などは含まれていなかった。
案内人を追い返して勝手にオリエンテーリングの訓練を追加してしまった士官どもが戦犯
どっちにせよ遭難MVPが士官どもってのは間違いなさそうだが・・・・・
研究熱心なのはいいけど、
「夏 装 備 で 冬 山 に 行 っ た ら ど う な る ?」
ってのは、わざわざ死人を出さなくても常識人なら普通わかりそうなもんだぞ。
帝国陸軍は貧乏だから精神主義に走るのはわかるけどさ。
>>890 戦後の足取りがわからないのは、優秀なサバイバルソルジャーとしての遺伝子の研究のため
どこぞの秘密研究施設に(ry
>>972 フツー夏装備に羅紗の外套2枚も無い。
帝国陸軍始まったばかりの手探り状態ゆえに起きた事故だろこれは
八甲田山の真冬の奥山の真の恐ろしさなんて地元の人間くらいしか知らなかった
つくづく事前調査と準備の不十分が悔やまれる
しかし不思議なんだが東京出身の山口少佐はともかく倉石大尉は山形出身、
行軍指揮官の神成大尉なんか日本有数の大豪雪地帯秋田出身。指揮官が雪を良く
知ってるはずなのになんでこんなことになったのか。
ここ、1スレごとにカテゴリ変えていったら面白いだろうね
青森隊のように彷徨い歩くスレッド
さいころでも振ってどこに作るとか決める
全然関係ないカテゴリに突如出現したら驚くだろうなw
>>974 直前の予行演習の小峠までの行軍が楽すぎたのも原因の一つだね
映画でも昼飯の休み時間に遠足みたいなもんだなとかいいながら雪玉投げ合って
遊んでたし
あのときに少しでも吹雪いていればもう少し慎重になったはずだと思う
戦国時代ですら杣道、獣道を案内した地元の農民や樵に褒美を
取らせたなんて話があったりするのに
>>974 鷹ノ巣は盆地だから意外と雪積もらなかった記憶・・・
近所の山はすんごい事になってたけど。
>>965 >映画のサントラ
「映画音楽・芥川也寸志の世界」
ちょっと前だけどカタログに復活してなかったかな?
大型店行けばまだあるかもよ。
北海道の者だが、対岸の函館地方の雪の少なさに比べて八甲田の北面、西面の積雪というのは
ほんとに凄いんだな。地元人に聞くと日本最豪雪地帯と遜色ないようだ。青森県内では突出してる。
それから当日の気温、普通極低温になるのは快晴無風の場合の放射冷却によるときであって
猛吹雪のときはせいぜい15度くらいまでなんだが、吹雪ながらも20度を下回るなんてどんな寒気団
なんだって感じだ。とにかく異常な天気だったんだな。普通、朝8時に竹皮と新聞紙で包んだおにぎりを
リュックに入れて11時半には凍ってるなんて北海道でもないことで、さぞかし異様な冷え方だったんだろう。
冬山っていうのは、天気さえ良ければ、ほんとに楽で面白いものなんだが、ひとたび悪天候になれば
地獄だ。とはいえ現場は青森市内からみれば歩いていける距離の裏山のような場所で、標高500ー
700mの中腹部分、まだ植生も亜高山帯に移行しないあたりで、北国的にはなんとか高原と称して
ドライブに行くような程度の場所だ。出発に際して油断するのも無理はないと思う。
とにかくこれほどの最悪な天気に当たらなければ、青森隊でも死人までは出ない範囲で適度に痛い目
に遭って戻ってきて、深雪中での移動の難しさや防寒装備の課題などいいデータがとれましたチャンチャン
で済んだろう。
その八甲田山を完全踏破した弘前第31連隊・福島大尉は
群 馬 県 出 身
ある意味八甲田山雪中行軍最大の謎はこのヒトや・・・・・・・
983 :
名無し三等兵:2008/12/09(火) 19:19:32 ID:eBo8S6NA
>>974 >>981 福島大尉の場合、雪山を知らないという自覚がある故に慎重になり、また経験者の
助言を素直に聞く事ができたという事も考えられる。
「福島大尉は慎重に過ぎて積極性に欠ける」なんていう声も、あるいは部内にあった
と思うよ。
そういう声にも堪えて練り上げた計画をせっかく大成功させたのに、青森隊の惨劇の
陰に隠れる形になってしまったとは残念だ…とは思わないのかな、明治の軍人は。
一方の神成大尉の場合、「なんでアンタがのこのこついてくるんですか、少佐!」と
内心思ってたかもな。
俺もさすがに雪中行軍なんて経験はないが、担当として現場を切り盛りしてるときに
オブザーバーの顔をした上司が横にいるというのは、非常に鬱陶しいからなぁ。
>>981 案外ナチュラルに冬山越えして新潟に行ってたかもよ?
しかも、群馬でも水上とか土合の住民だったりしてなw
>>984 弘前隊は青森隊と同条件で八甲田を歩いたのではないから、新田次郎のように
単純に優秀に事を進めた成功者の組織と位置づけるのは早計かと思う。
現に田代で深夜立往生したとき、飯は凍らせていたし、案内人に決死の吹雪闇中斥候を命じて
奇跡的に小屋を見つけそこへの誘導も成し遂げてもらったからこそ遭難せずに済んだが、
彼らがそれに失敗していれば青森隊第一露営時と同じになり、分裂して彷徨が始まったかもしれない。
翌日遭難区域を歩いたときは捜索隊が本格活動を始められた程度に天候回復していた。
ホントにギリギリの運命の糸一本というところで、福島大尉は成功者にはなれた。
良かった点は案内人を雇ったことだが、彼らにどれだけ感謝してもしきれない筈のところを
逆にひどい仕打ちをしたのだから、心情的にもあまりいただけなく思う。
>>986 福島大尉は軍人としての目的意思が強い人なんじゃないかな?
案内人を放置したのも一緒に村まで行ってしまったら途中で青森隊が遭難した事実がわかってしまうからね
途中で何もなかったら一緒に村まで行ってそこで案内人と分かれたんじゃないかな?
そう思う
軍人は威張りくさっているのが当たり前の時代だったしあんな態度も尋常のうちなんだろう。
とはいえ拾った遭難者の銃を案内人に担がせるとか、
死を半ば覚悟しなくてはならないような斥候に隊員をつけることなく民間人に行かせるのは、
やっぱりひどいし、軍の責任を厳密にせず面子だけ優先したと言っても仕方なかろう。
>>918 東條クンが戦陣訓を出した後の大日本帝国陸軍と勘違いしとりゃせんか?
>>989 これは山岳部や登山隊ではなく、困難を乗り越え目的を達成させる軍隊で起きた事件。
目に見えた凍傷者も出ない内に「危険そうだから帰って参りました」は、どこの軍隊でも通じないんじゃ?
実際、下士官達から「ここで引き返したら今後の訓練に示しがつきません」みたいな突き上げ喰らって続行になったんだし。
戦陣訓なんたらは関係なくないかな?
お前ら!こんなとこでグズグズしてないでさっさとと次のスレッドに移動しないか!
出発!!
>>980 同じ道民として言わせて貰うけど
>普通、朝8時に竹皮と新聞紙で包んだおにぎりを
リュックに入れて11時半には凍ってるなんて北海道でもないことで、
これはあるだろ!?陸別とか内陸部ではさぁ・・・
オレは道央に住んでいるし、北海道の全てを知りつくしている、
とか豪語するつもりは無いけど、函館の事例を北海道全ての事例に当て填めるようなハンカクサイ
ことは謂わんでくれ、とは思う。
ただその他のことに関しては同意だ!
豪雪地帯は割合暖かい地方が多いのに、豪雪&寒気がいっぺんにきた雪中行軍時の気候は正に未曾有の異常気象だとオレも思う。
993 :
名無し三等兵:2008/12/10(水) 23:36:05 ID:RDuloy6j
複雑な地形が日本には多いし北が寒いとは言い切れないかと
南国九州でも福岡は日本海側だからやはり寒い。
北海道に比べればマシなんだろうが、備えが無い分余計に堪えるっす。
>>992 980だが、一日中外で立ちっぱなしの仕事よくやるんだが、内陸でも普通はそれくらいじゃ凍らない。
アルミホイルに包んだものを食べてるんだけど。マイナス20度以下になってからかな、短時間で色々
不都合が出始めるのは。
あと、函館限定でしゃべってるわけじゃないぜ。そんなこと言っとらんよ。
北海道内くまなく突っ立ってきた経験上、言った。
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>>975 弐ちゃんねるを偵察し発見した該当板名を列挙す。
郷に入っては郷に従い、板名に合致する内容にて語り合うべし。
靴板においては明治時代の軍靴ゴム長靴等を語り1000を目指す!
一旦スレを立てた場合、途中撤退はない。以上。
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。