南雲忠一中将を再評価するスレ(呂)

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806GF長官
>>805の続き

以下は、『日本のレーダー開発と伊藤康二大佐』中川靖造/著より。
日本の電探開発第一人者は、伊藤康二造兵大尉(当時)。

伊藤大尉は任官後、東北帝大八木秀次博士(八木アンテナの開発者)の
紹介で独留学。帰国して海軍技術研究所の技術官となり、昭和5年から
無線通信の基礎研究を始めます。

すでに昭和3年、同じく東北帝大の岡部金治郎博士によりマグネトロン
開発には成功していましたが、伊藤大尉は日本無線との共同研究により
更に強力なマグネトロンを試作。

それをもとに、昭和11年技研主任の谷恵吉郎造兵大佐が「電波を使った
索敵兵器開発」を艦政本部に提案したところ、返答は例の
「敵を前に電波を出すなど、闇夜に提灯を照らして位置を知らせるも同然、
夜戦を本領とする日本軍には不要」でした。