>>574の続き
「港内周辺には防塞気球が数十、高度2千mくらいのところに上がっていて、
上空からは白銀色に光って見える。最初は何だろうと不審になって近づいて
みて、はじめてそれと分かった」
防塞気球なんて第一次大戦の頃の代物かと思ったら、バトル・オブ・ブリテン
の時ロンドン上空にもあったそうです。ソードフィッシュといい、古いものを大切
にするのはイギリスのお国柄なのかもしれません。
「列機は上空で私の攻撃を監視、掩護していたのだと、あとで聞いた。
私は前方の敵機のみに気をとられて、このものすごい対空砲火には全く
気づかなかった。危なかった」
岩本氏ほどの搭乗員でも、空戦中は冷静さを失ってしまうようです。
「とっくに引き上げ時刻は過ぎている。急いで集合地点に向かうが味方機
は見えず、やむを得ず無電で母艦に連絡した。
『集合地点飛行中ナルモ誘導機ナシ ワレ帰還不能』
すると母艦から応答で、帰投中の艦攻一個小隊を集合地点に向けるという。
待つこと数十分。はるか洋上に黒点三つを認めその方向に進む。やはり
味方艦攻である。あやうく自爆をまぬがれた」
単座である戦闘機にとって航法は難しく、単独での帰投はまさに命がけ。
淵田氏の回想でも、攻撃後に真珠湾を去る時、
「もう一度帰投集合地点を周回する。迷い児を収容する」
連合軍を震え上がらせた零戦も「迷い児」と言われては形無しですね。
まるで小学校の遠足時、引率する先生のようだ。
我が方が圧倒的優勢であったインド洋作戦においてさえ、機動部隊の
運用には、様々な困難が伴ったことが察せられます。