>>407の続き
ツリンコマリ攻撃までの動き。
4月6日 飛龍索敵機が、赤城の350度70浬に敵飛行艇発見
4月7日 敵を認めず
4月8日 1820 阿武隈は260度35kmに敵飛行艇発見
直ちに射撃開始 甲板上の零戦も発進
1835 敵飛行艇を見失う
(零戦もスコールに阻まれ追尾できず)
2000 敵飛行艇が以下の打電をしたことを傍受
「戦艦3 空母1 方位90度260浬 針路350度 1900」
結局また見つかってしまいました。
4月6日から8日の3日間、日英双方索敵を実施しながら発見できず。
これは、日本側はアッズ環礁の存在に気づかず、
英側は「セイロンーアッズ間」に南雲艦隊が所在すると考えていた。
つまり、日本側はセイロン島東方を、英側は西方を索敵していた為です。
やはり空母航空戦は相手が見えないだけに、錯誤との戦いになりますね。
英艦隊は南雲艦隊のアッズ環礁攻撃の可能性も考え、大きく迂回しながら
4月8日に帰投。