1 :
赤城丸 :
2008/08/02(土) 11:48:11 ID:H6b2fMGO 商船 19世紀終り、20世紀の世界各国の貿易と旅行を支えた大中少客船・貨客船・貨物船・油槽船。 ホワイト・スター・ラインを始めキュナード・ライン、アメリカン・プレジデント・ラインズ、 日本だと日本郵船、大阪商船、東洋汽船、山下汽船・・。 大型高速優終船を始め平時標準船から小型船まで。 戦時標準船 古くは英国B型、AO型戦時標準船を始め評価の高い米国戦時標準船、 粗製乱造と罵られた戦中戦後を支えた日本の戦時標準船。 これらを心ゆくまで語り合うスレです!
2 :
赤城丸 :2008/08/02(土) 11:49:43 ID:H6b2fMGO
ネタ投下 戦前の高速優秀船(日本郵船A型)はカッコイイ!
3 :
名無し三等兵 :2008/08/02(土) 13:21:45 ID:???
基地外の団塊左翼がまた糞スレを立てたと聞いて
4 :
名無し三等兵 :2008/08/03(日) 12:53:18 ID:???
商船スレはなかなか伸びねえんだよな。 そういえば郵船A型はN型改じゃないかという印象があるんだが
5 :
名無し三等兵 :2008/08/03(日) 14:12:08 ID:gecIFZbb
6 :
名無し三等兵 :2008/08/03(日) 14:53:33 ID:???
普通に重複じゃん
7 :
名無し三等兵 :2008/08/03(日) 14:57:22 ID:???
>>6 >>5 が950超だから後継スレと考えて良いんじゃね?
8 :
名無し三等兵 :2008/08/03(日) 16:33:35 ID:???
伝説の信濃丸 日露戦争の殊勲船でオンボロだから誰も彼も皆解体されたと思い込んでたが そんなこんなで終戦後に水木しげるが生ける伝説に遭遇して絶句
9 :
名無し三等兵 :2008/08/03(日) 23:35:42 ID:???
10 :
名無し三等兵 :2008/08/04(月) 16:01:15 ID:xt6tfbf1
ちょっと変り種 砲運丸 HOUN MARU (1890) 「大阪砲兵工廠から各要塞への重砲運搬船で上甲板に40Tのウインチ一台と 大型デリックを備え一般重量物の運搬にも用いられた」 (川崎重工業社史)わが国で建造された数少ない鉄製汽船。 後に暁丸 AKATSUKI MARU と改名され太平洋戦争を生き抜き戦後まで船籍を有した。 竣工 1890.8.4(明23)→1951(昭26)旭汽船(神戸)に売却、暁丸 AKATSUKI MARU と改名。 船歴60年以上!
11 :
名無し三等兵 :2008/08/05(火) 18:55:55 ID:???
>>10 60年も働いている船がいるというのにお前らときたら、、、
12 :
名無し三等兵 :2008/08/07(木) 17:30:28 ID:Uz+1FcPY
長く使われたと言えば、三菱商会の近海航路(横浜上海間)1884年進水の薩摩丸。 1945年4月朝鮮沿岸で米潜SPADEFISHよる雷撃で沈むまで50年近く生きた。 ※三菱商会の船は1895年に日本郵船に移籍。 大信汽船 第一大信丸 1918年7月進水後、戦争徴用されながら戦後も同社で使われる。 解体年不明だが60年代だと思われる。 第二大信丸 1918年10月進水、1935年3月売却され金立山丸と改名、 1945年5月六島灯台沖で機雷接触により沈没、1948年7月に引揚げ修復、 1957年8月尾道造船(広島)で船体引伸、1965年解体売却。
13 :
名無し三等兵 :2008/08/09(土) 23:40:57 ID:???
WWIIの各国商船を調べてると19世紀建造の猫又の如き老船がゴロゴロ出てきて驚かされる。
14 :
名無し三等兵 :2008/08/10(日) 09:38:50 ID:???
鋼製のスクリュー船で商船として最低限のスピードが出れば いつ建造されたかわからんようなレシプロ蒸気船でもとにかく使い潰してたんですな 船舶の安全基準がうるさくなり、エンジンが低速ディーゼル一辺倒になった1960年代以降は、 さすがにそういう凄まじい船も引退したでしょうが
15 :
名無し三等兵 :2008/08/11(月) 12:15:06 ID:Psxt9M62
19世紀〜20世紀初頭(1910年頃まで)の商船は結構、第二次大戦頃まで生き残っているのが多いね。 基本は使い倒して廃船解体。 中には1903年に竣工、三ヶ国、四ヶ国と持ち主が変って第二次大戦後まで生き残った船とかあるし。
16 :
名無し三等兵 :2008/08/11(月) 23:37:26 ID:???
商船の世界は底なしだな。 近代日本に限っても大小数千隻もの汽船が・・・気が遠くなりそうだ。
17 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 01:07:09 ID:???
初代の方の赤城なんざ、っていうか、1950年代まで帆船すら特定航路ではけっこう残ってたというし
18 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 01:23:04 ID:???
和洋折衷の大型弁財船なんかも大正期まで建造されてたしな。 大型和式帆船は当時法令で禁止されてたため修理名目で新造されてたらしい。 弁財船の耐用年数は20〜30年程度だったから太平洋戦争の頃にはまだ結構残ってたと思う。 NHKで放映された昭和初期の横浜港の動画にも五大力船と思しき木造帆船が映ってる。 それより21世紀の今でも少なからぬ木造貨物船が現役なのがびっくりだけどな。 この前小豆島で見かけて腰を抜かしそうになった。
19 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 16:23:49 ID:9fVVt/+Q
壹岐丸型 壹岐丸1,681G/T 釜山航路用に建造したわが国では最初の鉄道連絡用の航洋渡峡船。 起工 1904.5.31(明37) 進水 1905.6.19(明38) 竣工 1905.9.5(明38) 1905.9.11(明38)關釜航路に就航→1906(明39)逓信省(下關)に移籍→1909(明42)大蔵省(下關→東京)に移籍→ 1922.11.18(大11)凾航路に就航→1924(大13)神戸製鋼所播磨造船工場(相生)で耐氷設備工事→ 1924.4.19(大13)凾航路終航→1924.7.25(大13)稚泊航路へ転配→1932.2.14(昭7)大阪商船(大阪)に売却→ 1937.3.26(昭12)北日本汽船(小樽)に売却→1937.4.25(昭12)樺太丸 KARAFUTO MARU と改名、稚内/本斗連絡線に就航→ 1943.11.16(昭18)合併に伴い大阪商船(大阪)に移籍→1950.12.25(昭25)運輸省(東京)に売却、同年、楢崎造船所(室蘭)で解体 渡り歩いて45年 岳陽丸型 岳陽丸3,588G/T 日本郵船が長江航路用に3隻計画した浅喫水型旅客船。 進水 1906.12.25(明39) 竣工 1907.3.28(明40) 日清汽船(東京)に移籍、岳陽丸 YOH YANG MARU と改名→1937.8.15(昭12)日華事変の際に中国軍に拿捕。 China Merchant Steam Nav.(招商局),Shanghaiの江華KIANG HANとして使用されていたが九江下流で沈没、 のちに浮揚に成功。昭和20年にはChina Marchant Steam Nav.(招商局)によって運航されていた→ 1949(昭24)China People's Steam Nav. Co.,Shanghaiに移籍、江漢 CHIANG HAN と改名→ 1960(昭35)Lloyd's Register 1960-1961年版より削除
20 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 16:25:02 ID:9fVVt/+Q
幸光丸型 海光丸1,515G/T 葛原冷蔵が横濱船渠で建造したわが国初の本格的な冷凍・冷蔵運搬用の貨物船 起工 1922.4.20(大11) 進水 1922.7.15(大11) 竣工 1922.10.20(大11) 1926(昭2)藤本ビルブローカ銀行(東京)に移籍→1927(昭2)日魯漁業(横浜)に売却→ 1942.12.24(昭17)帝國水産統制(東京)の設立に伴い移籍→ 1945.12.1(昭20)社名変更に伴い日本冷蔵(東京)に移籍→ 1951.9.11(昭26)日本郵船(東京)に売却。主機をD) 神戸製鋼所99号10型 1,600BHPに換装(時期不詳)。鋼材運搬船に改造。 後に石炭運搬船に改造→1957.8.6(昭32)北星海運(東京)に売却、松前丸 MATSUMAE MARU と改名→ 1962.11(昭37)前田汽船(東京)に売却→1967(昭42)船名録より削除 江浦丸 貨物船643G/T 起工 1899.9.11(明32) 進水 1900.8.4(明33) 竣工 1900.9.1(明33) 三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 三菱合資会社(長崎) 江浦丸 Enoura Maru →1921(大10)葛原猪平(東京)に売却、冷蔵運搬船に改造→ 1925(大14)葛原冷蔵(東京)に移籍→1928(昭3)藤本ビルブローカ銀行(東京)に売却→1929(昭4)日魯漁業(横浜)に売却→ 1931(昭6)泉谷義一(横浜)に売却→1932.11.17(昭8)林兼商店(横浜)に売却→1933(昭8)第六播州丸 Banshu Maru No.6 と改名→ 1943(昭18)西大洋漁業(東京)に移籍→1945.12.15(昭20)大洋漁業(東京)に移籍→1945(昭20)SCAJAP No.B009→1953(昭28)大阪で解体 53年生きた。 新潟丸 貨客船 2,184G/T 起工 1902.4.7(明35) 進水 1903.5.9(明36) 竣工 1903.6.29(明36) 三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京) 新潟丸 Niigata Maru →1923.3.31(大12)近海郵船(東京)に出資→ 1939.8.12(昭14)東亞海運(東京)に出資→1948(昭23)平安汽船(京都)に売却→1951(昭26)船名録より削除
21 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 16:42:34 ID:9fVVt/+Q
群山丸型 木浦丸780G/T 進水 1904.8.20(明37) 竣工 1904.9.23(明37) 1935.3.5(昭10)攝陽商船(大阪)に売却→1942.5.4(昭17)関西汽船(大阪)の設立に伴い移籍→ 1950.9(昭25)貨物船に改造、主機をディーゼル(550 BHP)に換装→1955.10.12(昭30)土佐海運(大阪)に売却→ 1957(昭32)太伸丸 TAISHIN MARU と改名→1959(昭34)太平商船(東京)に売却→1961(昭36)岳南海運(清水)に売却、 第一大伸丸 TAISHIN MARU No.1 と改名→1963(昭38)紙村建義(不詳)に売却→ 1965.11(昭40)羽田沖で大阪商船(大阪)の はわい丸と衝突、沈没 ちなみに相手の はわい丸 は、中日本重工神戸造船所が建造した初の双螺旋貨物船 ぱなま丸型 はわい丸(2番船)9,309G/T 大阪商船 起工 1951.5.30(昭26) 進水 1952.2.15(昭27) 竣工 1952.4.30(昭27) 貨物船 Lpp:145.00 B:19.40 D:12.50 m 主機 D) 三菱神戸Sulzer 7SD72 2基 10,000BHP 1964.4.1(昭39)合併に伴い大阪商船三井船舶(東京)に移籍→ 1974.11.21(昭49)Scotia Maritime Carriers Inc.(Panama)に売却、SCOTIA CAREERと改名→ 1977(昭52)中国で解体 ちなみに3番船の めきしこ丸 は処女航海で横浜/サンフランシスコ間を10日14時間5分で横断して 日本船による戦後の新記録を樹立した
22 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 21:04:23 ID:???
岳陽丸は河用汽船としてはかなり大型だな。 船艙も見かけによらず広大で長さは垂線間長の60%、高さは船体内と上甲板合わせて7メートルもある。 客室が欧米人用(1等のみ)と中国人用(1・2・3等)に完全分離されてるのも時代を感じさせるな。
23 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 22:03:15 ID:???
長寿船といえば三菱炭鉱の夕顔丸もすごい。 明治20年に建造された鉄製貨客船で昭和37年まで75年間にわたって高島炭鉱と長崎港の連絡に従事。 もはや化け物だな。
24 :
名無し三等兵 :2008/08/16(土) 14:18:45 ID:???
小型鉄船・鋼船って呆れるほど古いのが生き延びたりしているよね この手ので物凄いのは、100年物が観光用にまだ動いてたりする河川用外輪船か
25 :
名無し三等兵 :2008/08/16(土) 14:34:57 ID:???
でも河川の観光用でスクリュー式と外輪船のどちらに乗るかと言われたら、 俺も外輪船に乗りそうな気がする。w
26 :
名無し三等兵 :2008/08/16(土) 20:10:43 ID:???
内水船は寿命長いよ。 ボリビア海軍は数年前まで艦齢108年のタンカーをチチカカ湖で使ってた。 荒天で沈没しちゃったけど。 現役軍艦で最長寿なのもパラグアイ海軍の河川砲艦だったはず。 日本だと北海道の大沼の観光船に船齢40年越えてる奴がいたと思う。
27 :
名無し三等兵 :2008/08/19(火) 17:35:28 ID:HkyLdOHQ
大型タンカーの系譜 紀洋丸 1909年、9,287総トン、140m、東洋汽船 干珠丸 1922年、8,200重量トン、129m 帝洋丸 1931年、13,960重量トン、150m 黒潮丸 1938年、14,960重量トン、153m 日章丸(二世) 1951(昭和26)就航、18,774重量トン、IHI呉、出光興産 シンクレア・ペトロ・ロア 1955(昭和30)就航、55,000重量トン、全長230m ユニバース・リーダー 1956(昭和31年)、85,500重量トン、全長248m ユニバース・アポロ 1958(昭和33年)、103,000重量トン、全長287m、IHI呉 世界初の10万トン級タンカー 日章丸(三世) 1962(昭和37)年7月10日進水、13万1,000重量トン、全長291m、佐世保重工、出光興産 幅43m。 深さ22.2m。航海速力16ノット。出力2万8千馬力。 東京丸 1966(昭和41)年、15万3,687重量トン、全長306m、IHI横浜、東京タンカー 出光丸 1966(昭和41)就航、21万重量トン、全長342m、IHI横浜、出光興産 世界初の20万トン級タンカー ユニバース・アイランド 1968(昭和43)年、32万6000重量トン、全長346m 日石丸 1971(昭和46)年4月進水、37万2,400重量トン、347m、IHI呉、東京タンカー グロブティック・トーキョー 1972(昭和47)年、48万3,644重量トン、全長379m、IHI呉 日精丸 1975(昭和50)年、48万4,276重量トン、全長378.35m、IHI呉、東京タンカー 238,517.49G/T、型幅62.00m、型深36.00m 何処かにユニバース・アポロの画像無い?
28 :
名無し三等兵 :2008/08/25(月) 17:22:12 ID:8N2FLN4D
近海郵船が昭和3年にイタリアから購入した二隻の大型貨客船、 Giuseppe Verdi 9千6百t→大和丸 Dante Alighieri 9千3百→朝日丸 この二隻、好きだな。
29 :
名無し三等兵 :2008/08/27(水) 16:32:24 ID:uTiz8+I4
照国丸 Terukuni Maru
竣工昭和5年5月31日 11,930Gt 三菱造船長崎造船所 日本郵船
長さ154,76m ディ-ゼル2基10,000HP 15Kt/18Kt 乗員177人
昭和5年5月に長崎で竣工後の6月30日横浜を出港し処女航海に就く。
以後ロンドン線に就航し、ロンドン港での荷役作業の合間を縫ってショート
クルーズを行う。昭和14年9月のWW2開戦により欧州航路は香港以西の港での夜間入出港禁止、
戦時禁制品搭載の臨検にあう。9月24日午後5時横浜を出港し、第25次航に就く。
名古屋、大阪、神戸、門司、上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、ベイルート、ナポリ、マルセイユと
順調に航海を続けるが、マルセイユで臨検の為に4日間抑留される。
カサブランカ寄港後11月15日ロンドンに向けて出港し、19日午前9時ドーバー海峡北方のダウンズで
英国海軍による審検が行われ、独逸海軍によりテムズ河口に機雷が敷設された為掃海が終わるまで待つよう指示を受ける。
20日航行の許可が降り、21日午前8時半英国海軍水先案内人の教導によりロンドンへ向かうが
ハーウイッチ港沖(N51;50,E01;30)で午後0時35分2,3番船倉右舷が浮遊機雷に接触。
午後1時総員退船が命じられ、午後1時35分雑貨5,151t郵便物53個と共に沈没。
WW2で2番目の商船沈没事件であり、中立国船であった為日本国外務省は24日英独両政府に対して抗議、
損害賠償請求を行ったが泣き寝入りとなった。なお接触した機雷は英独どちらのものであったかは不明。
犠牲者なし。
ttp://www.nyk.com/rekishi/knowledge/history_luxury/03/index.htm
30 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 11:16:44 ID:a/kGBMNV
大正期の日本郵船欧州航路船舶末路。 香取丸型 2隻 KATORI MARU Class (1913) 主機 R&T(排気タービン付3連成) 香取丸 KATORI MARU 10,513G/T 15.5/16.73kt 1941.12.23(昭16)ボルネオ島北西岸クチン沖約5浬(1.55N,110.13E)で仮泊中にオランダ潜水艦K-14の雷撃、翌日沈没 鹿島丸 KASHIMA MARU 10,559G 16.6kt 1943.9.27(昭18)仏印カムラン湾の南南東約100浬(10.10N,109.40E)で米潜BONEFISH(SS-223)の雷撃により沈没 諏訪丸型 3隻 SUWA MARU Class (1914) 主機 R 3連成 2基 諏訪丸 SUWA MARU 11,758G/T 13/16.45kt 1943.3.28(昭18)ウェーク島南水道の南5Km(19.14N,166.36E)で米潜SEADRAGON(SS-194)、TUNNY(SS-282)、 FINBACK(SS-230)の雷撃を受けウェーク島南岸に任意擱座、船体放棄 八坂丸 YASAKA MARU 10,932G/T 13/16.46kt 1915.12.21(大4)エジプトのプルロス燈台沖(地中海)でドイツ潜水艦の雷撃により沈没(第1次世界大戦) 伏見丸 FUSHIMI MARU 10,940G/T 13/16.46kt 1943.2.1(昭18)御前崎の南28浬(34.08N,138.18E)で米潜TARPON(SS-175)の雷撃を受け御前崎の南18浬で沈没 箱根丸型 4隻 HAKONE MARU Class (1921 - 1923) 主機 T 三菱Parsons 2基 箱根丸 HAKONE MARU 10,423G/T 14/16.1kt 1943.11.27(昭18)台湾海峡鳥丘興の東北東12浬(25.04N,119.40E)で空爆により沈没 榛名丸 HARUNA MARU 10,421G/T 14/16.4kt 1942.7.7(昭17)御前崎燈台の東、大根バエ礁(34.35N,138.15E)で濃霧のため座礁、7月21日船体切断、沈没 筥崎丸 HAKOZAKI MARU 10,413G/T 14/16.5kt 1945.3.19(昭20)上海の北北東120浬(33.07N,122.05E)で米潜BALAO(SS-285)の雷撃により沈没 白山丸 HAKUSAN MARU 10,380G/T 14/16.526kt 1944.6.4(昭19)硫黄島の西南西約280浬(22.37N,136.50E)で米潜FLIER(SS-250)の雷撃により沈没
31 :
名無し三等兵 :2008/09/07(日) 00:16:10 ID:OImozU/V
32 :
名無し三等兵 :2008/09/07(日) 03:16:26 ID:???
そういえばドゥロスってまだ健在なのかな。
33 :
名無し三等兵 :2008/09/07(日) 14:53:11 ID:???
「ドロスめ、よく支えてくれる。Nフィールドの全艦隊を前進させよ」
34 :
名無し三等兵 :2008/09/10(水) 15:15:56 ID:KU9llYcy
アメリカ、ヴィクトリー型。 イギリス、エンパイア型とフォート型。 この戦時標準船について詳しい人はいます? 画像が載せてあるサイトとかありますか?
35 :
名無し三等兵 :2008/09/10(水) 20:12:54 ID:???
36 :
名無し三等兵 :2008/09/10(水) 20:22:29 ID:???
37 :
名無し三等兵 :2008/09/11(木) 17:27:57 ID:+3kuYEiN
38 :
名無し三等兵 :2008/09/11(木) 22:19:23 ID:???
39 :
名無し三等兵 :2008/09/11(木) 22:25:28 ID:???
40 :
名無し三等兵 :2008/09/20(土) 10:14:37 ID:giH8REq0
41 :
名無し三等兵 :2008/09/24(水) 17:21:44 ID:mF0QyIG8
第二次大戦は起ってほしくなかったな。多くの商船を失うこともなかったのに。 戦前船の多くが長寿をまっとうできたのに。
42 :
名無し三等兵 :2008/10/01(水) 11:47:39 ID:zPLMNsGE
イギリスの戦時標準船って第一次大戦と第二次大戦では違うの?
43 :
名無し三等兵 :2008/10/15(水) 20:51:41 ID:???
郵船博物館でやっている新田丸の写真展行って来たが 白黒にしては色が見えるがごとき鮮明な写真だったな あれは中々見ごたえがあるよ
44 :
名無し三等兵 :2008/10/20(月) 15:50:06 ID:uk2KgOKa
青函連絡船の第三青函丸から戦時標準船だね。 戦時標準船は改悪みたいな印象だけど、そんなに悪い船でも無いよ。 一応、時化でも乗り切れるほどの強度はあるんだし。
45 :
名無し三等兵 :2008/10/20(月) 21:51:43 ID:???
>>44 残念、第四青函丸からだよ。鋼材ケチりすぎて異常傾斜で大問題。
#時化でも乗り切れる
「時化に遭っても乗り切れる」ってのは、「船体強度が不安なので、
時化になりそうだったらさっさと避難します」ってイミだよな?
46 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 02:22:27 ID:???
>>45 それでも戦標船の中では最高級の部類だったんだけどね青函連絡船は。
戦略航路だし機構上どうしても複雑になるんで手抜きは出来ないから。
あと高い技術力を持つ鉄道省相手に雑な仕事は出来なかったのもあるし。
アメリカのマリナー級戦時標準設計貨客船が普通に戦後も稼動しているのを見ると、
国力の差は分かっていても暗澹となるわな。
個人的には戦後洞爺丸台風で死にかけた青函航路に米軍LSTが応援で投入された
話が面白かった。
函館だけでは滞貨を捌ききれず、室蘭港にランプウェイと接続する可動橋を
応急設置して急場を凌いだ話。
フネも地上設備もやっつけ仕事なもんで、可動橋とLSTの接触角が潮位によっては
基準の数値を超えてしまい、貨車の腹を擦る危険があったけど何とか乗り切ったそうで。
47 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 15:58:37 ID:KhSG+C5p
>>45 戦時標準船は普通の船より強度は落ちるが、時化でも乗り切れる位の強度は保ってる。
じゃなきゃ戦時中、多くの戦時標準船が外洋に出れんだろ!
>>46 LSTの応援は戦後、占領期間中のこと。
青函連絡船空襲で多くの船を失っている状況をGHQが打開策としてLST投入した。
だが、LSTは上陸作戦用という特殊用途から喫水が浅く、津軽海峡の波浪に揉まれて
船員でも酔うような状況だったという。 操船も困難で、僚船の連絡船から厄介者扱いされた。
しかも甲板を車両甲板に改造したはいいが、狭すぎて小型貨車しか積むことができなかった。
12隻の貸し出しで実際には2隻しか運行されなかった。
洞爺丸台風により欠損した穴を国鉄は広島鉄道管理局が保有し、
国鉄用燃料輸送に使用していた元稚泊連絡船「宗谷丸」と、
引き揚げ軍人等の輸送に使用していた元関釜連絡船「徳寿丸」を青函航路に派遣した。
よく洞爺丸台風で沈没した第十一青函丸の沈没状況を戦時標準船の強度に例える人が多いが、
第十一青函丸は船首と船尾を除く船底部を切り落とし、そこに新たな二重底の外板を取り付けるという大工事をしてる。
その新しい部分と古い部分が強大な波浪により一気に切断して沈没したと推定される。
強度不足で沈没するなら戦中生まれの第六青函丸・第七青函丸・第八青函丸、
とくに第十一青函丸と同じ函館湾内に居た第六・第八青函丸も同じ状況で沈没しなきゃいけないけど、
3隻とも洞爺丸台風を乗り切り1964年まで使用されている。
豆知識で青函連絡船空襲により浮揚されなかった船は第三青函丸・第四青函丸・津軽丸で
今も津軽海峡に眠っている。
48 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 21:28:26 ID:???
リバティ船も建造数の一割弱にあたる233隻が脆性破壊で沈没したり使用不能になっている。 粗製乱造はどこも同じか…
49 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 21:39:53 ID:???
粗製濫造っていうか未熟な技術を広範囲に利用したからってとこだな
50 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 21:49:01 ID:???
丁寧な強度計算やってる余裕も無かっただろうし。 ただそれでもそういう部分を含んだ生産性、輸送力、 耐久力トータルで見ても一応要求されている水準は クリアしてるんじゃないのか。
51 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 21:51:21 ID:???
てか、そういう強度の部分も丁寧に、絶対に破断しないように 慎重にということで作ると、史実の生産性は発揮できないし ヴォルフ・パックに負けちゃう。
52 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 01:43:06 ID:???
>>45 もっと残念、W型は第五からだ。
>>46 どうだろ、雑だったと思うけどな。現場が何も言えずに泣いてただけで。
W型までは浦賀船渠の専売特許だったから、他よりは多少はマシだったかもね。
>>47 結果的にはそうだったかもしれんがね、耐航性は確実に落ちてると思うが。
「この船はヤバい」ってのが念頭にあれば、無理はさせないだろ。
雨漏りするレベルの溶接に、強度が保証されてるっつっても説得力ないなぁ。
ま、当時の状況で生産性をあげようとすれば、品質を落とさざるを得なかったんだろうけどね。
#LST
ディーゼル燃料補給に横須賀まで往復8日とかの時点で無理があったと思われ。
<当時連絡船燃料は石炭
#船底部を切り落とし
主機室とボイラー室の内側に一枚貼り足して、折れてるのはその前後付近だからね。
#同じ状況で沈没
第六と第八はずっと函館港内にいたと思いますが>沈没したのは全部港外
第七は運行表にいないから、どこかで修理中だったみたいだね。
#青函連絡船空襲で浮揚されなかった
もっとあるぞ、第一第二第十青函丸と津軽丸型計4隻と亜庭丸。
戦時標準船だけを言ってるなら津軽丸は違うし、第十が抜けてるな。
53 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 03:46:51 ID:???
まぁビルジキールもない最速10.5ノットの船に津軽海峡を常時渡らせるのはしんどいわな。 でも燃料は国鉄なんだからそれこそ貨車輸送するなりして何とかできなかったのかなぁ。 大湊線や男鹿線あたりで既にディーゼルカーも使っていたんだし。 ナッチャン姉妹やゆにこんの悪戦苦闘を見ていると、津軽海峡って特別な海なんだなと つくづく実感する次第。
54 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 09:20:34 ID:???
ゆにこんとナッチャンの失敗は海象条件もあるけどニーズの読み違えという面が強いな。
55 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 14:45:17 ID:Aj5bU2R8
台風直前の函館港 台風当時の函館港内は港内は青函連絡船を始め各大少貨物船が防波堤と 様々な岸壁を結ぶ航路を残して避難船でびっしり埋まっていた。 その中で座礁事故で機関故障によりブイに固定されていた8000トンの大型貨物船アーネストが 係留索が切れて漂流し始めた。機関始動できないまま南風にのって北へと流された。 風下の船に混乱が生じ、様々な船がタグボートや連絡船の補助汽船の出動を要請した。 殆どの船が錨を落としているため、これを巻き上げるのに時間がかかる。 船の機関は巨大で、きちんと暖気をとらないと機関に負担が生じて故障の原因となる。 この強風下での機関故障は生命とり、沈没に繋がる。 港内の停泊船は機関を暖めてはいたが、避難船がひしめくなか動くことができない。 アーネストの風下に大雪丸、日高丸、第六青函丸、第八青函丸、第十二青函丸がいた。 函館港の最大の弱点である南西の風が40メートル以上の強さで吹いてきたのだ。 波は巨大なうねりとなって函館湾、そして函館港内にも押し寄せて強風で函館港内は大混乱となった。 その中、港外への避難をしようと大雪丸が決断して前進するが強風により思い道りに舵が効かず、 斜め前方に居た第六青函丸の側面に吸い込まれるように近付いた。 第六青函丸は汽笛を連呼して大雪丸に危険を知らせたが、もうどちらもどうすることも出来ず、 大雪丸の錨が第六青函丸の側面に接触し激しく火花を散らした。 幸運にも他に接触箇所や破損個所なども無く、大雪丸の甲板に居た船員は 第六青函丸を甲板にいる船員の顔がはっきり見える距離で交わした アーネストはさらに流され続けた。そして風下の第十二青函丸に接近したのである。 第十二青函丸も走錨が起きて自由が利かない。アーネストの巨大な船体が「第十二青函丸」に覆い被さった。 船員に緊張が走った。船首スレスレのところを左舷から右舷へとアーネストは流れていった。 つづく
56 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 15:02:55 ID:Aj5bU2R8
19時53分、国鉄海岸局が全連絡船に無線電報を送った。 12隻中11隻の連絡船が返答したが、19時57分に第十一青函丸は、 「停電につき、あとで電報を受ける」とだけ返答、以後返答が無かった。 20時の少し前から、函館湾には巨大なうねりが押し寄せるようになった。 南西の風に吹かれて波が巻き上げられ、うねりになる。 しかも函館湾の場合、南西方向からのうねりは風の吹走距離が長く非常に巨大なものに成長する。 さらにうねりとうねりが重なりあって、巨大な三角波になる。 港外に出た船は強風に加えて、この巨大なうねりとも戦わなければならなくなった。 船はうねりに船首を没し、波が直接船橋を叩く。大音響に続いてうねりに乗り上げ船は上昇し、 うねりが去るにつれて奈落の底へ落ちて行くのである。 このうねりで棚に収納しているものはすべて落下し、引き出しはそのまま抜け出てきた。 港外でうねりと格闘している十勝丸の火手見習いだった一人の若い船員は、 うねりがひどく不安になって外を見ると並んで停泊している船があるのに彼は気付いた。 その船の電灯が突然消えた。「あれっ」と思うまもなく、その船は船首を空高く上げて棒立ちになった。 そして船尾から順にねじられるように海の中にゆっくり沈んでいった。 沈むときの波のすごさは例えようがなかったという。 この頃、北海道は後志、倶知安の北にある港町の岩内町で小さな火災が発生した。 ところがこの火災は風に煽られて風下の民家にあっと言う間に燃え広がり、 海岸に達したところで各漁船の燃料を貯蔵した倉庫のドラム缶に引火、 爆発吹き飛び、火の玉となり街中に降り注いだ。 その火の玉が瞬くうちに次の火災をあちこちで引き起こし、 岩内町の4500戸の住宅のうち3300戸が焼失、死者・行方不明者63人を出すまでに それほど時間はかからなかった。 つづく
57 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 15:22:06 ID:Aj5bU2R8
20時03分、台風のため函館港外に避難していた進駐軍のLSTがSOSを発した。 LSTには米兵191人が乗っている。SOSを傍受した近くの船は助けに行く義務があるが、 どの船も自分の身を守るのに精一杯でそれどころでなかった。 海上保安部が付近船舶に問い合わせをしたが、洞爺丸と十勝丸が自船も難航中で、 他船を救助どころでないと返答しただけで、あとは無言であった。 洞爺丸のすぐ近くに海上保安庁の巡視艇「りしり」が停泊していたが、 これも台風から自分の身を守るのに精一杯で、他船の救助どころでなかった。 他船の救助が無いLSTはやむなく、近くの陸岸に強制的に座礁することを試みた。 座礁に成功して20時30分、SOSを解除した。 更に大阪の商船会社が保有し、名古屋から室蘭へ雑貨を運ぶ途中に函館港外で台風避難をしていた 貨物船「第六真成丸」(2209トン)が洞爺丸の近くに投錨仮泊していたのだが、 錨が利かずに巨大なうねりに流されて、風下である北へ北へと流されていた。 20時26分に函館湾の北に広がる七重浜海岸に座礁、船体はしっかりと砂浜に食い込み、 10度ばかり傾きつつも危険はなく乗組員も無事であった。 座礁を知られるSOSを打電しようとしたが、あまりの波浪で海水を頭から被ったため、 無線アンテナが使い物にならずSOSは発射することができなくなっていた。 このように函館港内外の海はひとつ間違えると大きな事故が起きる地獄の海になっていた。 つづく
58 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 15:30:22 ID:Aj5bU2R8
この頃、港外に出た各船に今まで青函連絡船が経験したことのない異常が起きていた。 車両甲板に海水が浸入してきたのである。過去に一度だけ経験があったが、 その時は車両甲板の入り口付近に出たり入ったりというのが主であった。 でも今回のは前回とは明らかに違う、船尾から大量の水が一度に入り、 船首が下がったときに車両甲板の最前部まで水が入り、船首が上がってもそれが全部出ていかず、 次の水が入って来てどんどん溜まっていくという有様だった。 次第に水が増えて、ある深さを持って「滞留」し始めたのだ。 連絡船各船は、後部開口から入ってきた海水が車両甲板を浸し、 車両甲板と機関室やボイラー室、石炭庫を繋ぐ換気口や出入り口から水が漏れていた。 これがさらなる事故を生むことになる。 この時はまだ誰も青函連絡船が事故を起こして沈むなどとは、夢にも思っていなかった。 いや前例も無いのだから誰一人、予想もしなかっただろう。 洞爺丸、大雪丸、北見丸、日高丸、十勝丸、第十一青函丸、第十二青函丸は港外へ出て台風と戦っていた。 港外に出た船には台風をやり過ごすための作戦として、ふたつの選択肢があった。 一つは洞爺丸のように船首を風や波の方向へ向け、錨を降ろしてその場で動かずに耐えること。 もう一つは船首を風や波の方向に向け、錨は降ろさずに機関を動かして波間に船を進ませる方法である。 前者の方法は洞爺丸の他、日高丸、十勝丸が取ることになる。 後者の方法を選んだのが、大雪丸、北見丸、第十二青函丸である。 この後者の方法を踟厨という。 つづく
59 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 15:42:48 ID:Aj5bU2R8
北見丸 北見丸は94便として貨車を積み込んで函館を出港し、港外で投錨して仮泊していた。 20時頃から猛烈な風とうねりによって走錨が始まった。船長はすぐに踟厨航法を取ることを決め、 錨の巻き上げを命じたが、波が揚錨機ずある船首を洗っていたため、作業は困難となって、 錨は引きずったままにすることにした。後部の開口部から海水が浸入し、機関室とボイラー室に海水が浸入、 焚火が困難になっていたが、航行の自由はある程度あったのではないかと考えられる。 21時頃、北見丸は葛登支沖まで来た時点で船体は左舷へ10度傾いたままだった。 船長はこの傾きが気になったのであろうか、ヒーリング装置を使用してこの傾きを取ろうと考えた。 10度の傾きを気にするほど余裕が生じていたのではないかと考えられる。 まず後部船橋に行って遠隔操作でヒーリング装置を操作したが、どういう訳かうまく作動しなかったので、 機関室にあるポンプを直接操作することになり二等航海士と操舵手が機関室へ行き、 ヒーリング装置のポンプを直接操作した。ところが、傾斜は直ろうとしない。 タンク内を水が動いているのは間違いないが、船の傾きはそのままであった。 15分ほど過ぎると船は少しずつ傾きを取り戻しはじめた。 ところが今度は水平を越えても止まらず反対の右舷への傾きを急速に増した。 傾斜の増し方が急で、船員達は慌てて周囲のものに掴まった。 つづく
60 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 15:50:11 ID:Aj5bU2R8
やがて25度で傾きは止まった。しかし、大した量でなかった船底の汚水が、 急激にその量を増して一気に右舷側に流れてきた。 機関長が「左舷に傾きを変えろ」と怒鳴る。 操舵手は何処かに穴が空いてそこから海水が流れてきたと考えたが、 他の船員は操舵手がヒーリング操作を誤ったと考えた。 しかし、ヒーリング装置は水平の少し手前で止めるという手順通りに動かされていた。 言い合っても仕方がなく、船員達は総出で排水に力を尽くした。 それでも右舷への傾斜は少しずつ増えいった。 船底に溜まった汚水は大した量でなかったが、見えない部分に大量に潜んでいたと考えられる。 それが船体が水平近くになった瞬間、右舷へ流れ出し、重心が狂って右に傾き、 続いて左舷に残っていた汚水が一気に右舷へ流れてバランスを崩したと考えられる。 22時20分頃、北見丸は右舷への傾斜に耐えられず、右舷に横転沈没してしまった。 葛登支岬の東方3キロの地点であった。 SOSも遭難を知らせる無線も発することができなかった。 夜が明けるまで誰も「北見丸」の沈没を知らなかった。 乗組員達は暗黒の海に投げ出された。近くに陸地の影が見えるが、 南西からの風とうねりがそれとは逆方向へ船員達を流した。 船員達はこれから数時間に渡って、暗く冷たく荒れ狂う海と戦わなければならなかった。 つづく
61 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 15:59:26 ID:Aj5bU2R8
日高丸 日高丸は31便として石狩丸の後を追うように11時20分に青森港を出港、 50分遅れの16時33分に函館港内に到着した。 前述のようにアーネストが風で流されて、大雪丸と衝突しそうになるなど、 港内で危険な思いをしたので港内に居るのは危険と判断、錨を上げて20時頃に港外へ出た。 どうして船は風に立たないんだ。 船長は繰り返し呟いていた。どう操船しても日高丸は風に横っ腹を波に向けるばかりであった。 当時の車両渡船の側面上部には換気用の大きな窓が開いており、後部開口からはもちろん、 この側窓からも大量の水が車両甲板に流れ込むことになった。 機関長と一等機関士が船橋にやって来て、機関室への浸水が甚だしいと伝える。 船長は一等航海士に船内の浸水状況を確認するよう命令した。と同時に左舷に何かあるぞ!と叫んだ。 操舵手が探照灯(サーチライト)の電源を入れた。探照灯の光の輪が荒れ狂う海面を走った。 光の輪が物体の姿を捕らえた。 「左舷に沈没船、距離80メートル!」 三角錐の船首を上に向け、錨をぶら下げた沈没船が日高丸を目掛けて突進してきた。 このままでは日高丸は沈没船と衝突してしまう。 それは同時に日高丸が瞬時に沈没する危険でもあった。 つづく
62 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 16:08:16 ID:Aj5bU2R8
チェーン伸ばせ!と船長は怒鳴った。 チェーンを伸ばすとは、錨と船を結ぶ鎖を全て伸ばして海中に落とすことで、 錨を巻き上げるより時間がかからないので、緊急を要するときに使われる手段である。 この船長の叫びに船首は反応した。錨のチェーンを固定するブレーキが放たれ、 250メートルあるチェーンは火花を散らしながら全て海中に没した。 これで船を固定するものはなくなった。 しかし、沈没船は日高丸に吸い込まれるように迫ってきた。距離は60メートルを切った。 探照灯の操作ハンドルにぶら下がった操舵手がたまりかねて叫んだ。 「船長、フルアスタン(全速後進)をお願いします。」 「なに!?フルアスタン?」 船長は決断を迫れままれた。 沈没船は前方左舷からすぐにも衝突する勢いで迫っている。 避けるには後進するしかないが、後進すれば車両甲板の開口部が大波浪に突っ込み、 大量の水が車両甲板に流れ込むに違いない。それはただでさえ浸水して運転困難の機関を、 さらに水に浸すことになるのだ。 しかし、後進しなければ、船そのものが危険だ。最悪の場合、瞬時に沈没である。 「フルアスタン、ツーエンジン(両舷機関全速後進)!」 船長は怒鳴った。テレグラフが両舷機関全速後進を機関室に伝え、操舵手が舵輪を回す。 日高丸は後ずさりを始めた。 沈没船は衝突寸前まで迫り、操舵手は瞬間「もう駄目だ」と思わず足を上げたという。 手を伸ばせば届くと思われるところで沈没船を交わし、 日高丸の後進につれて沈没船は探照灯の光の輪から消え、 吸い込まれるように怒濤の海へ消えていった。 つづく
63 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 16:20:34 ID:Aj5bU2R8
機関室から浸水甚だしい!と報告が来た。 風は40〜45メートル。以前止む気配は感じられない。 日高丸はどうしても風に立たず、横っ腹から波を受けるだけ、 しかも沈没船を回避するための後進で、機関室への浸水が余計にひどくなってしまった。 浸水を止めなければエンジンは使用できなくなる。 船長は「フルアヘッド、ツーエンジン(両舷機関全速前進)!」と命令した。 等航海士がテレグラフを操作し、機関室に両舷機関全速前進を伝えられた 操舵手は舵輪を握り、船が何時動いてもよい体制が整った 船橋の船員全員の視線がスクリューの回転計に注がれた。 機関室浸水で機関が故障しているが、果たして船は動くのか?船が動けば何とかなる。 船が異常に揺れた。既に錨を失った船の揺れはこの直後の悲劇を予感させるものであった。 ドカンと大きな波に叩かれて右舷45度まで急激に傾いた。 だが、回転計は何十秒待っても動かなかった。 もう駄目だ!と船長は力無く呟くと、日高丸最後の命令となる、次の命令が出された。 「総員退船」その名の通り、全員船から逃れよという命令である。 二等航海士が復唱し、操舵手が総員退船を告げる汽笛のレバーを引いた。 汽笛は微かな空気音を上げただけで、長年聞き慣れた日高丸の汽笛の音にはならなかった。 船体は50度まで急激に傾き、船長と航海士が船橋の端まで飛ばされた。 船は一定の速度をもって右への傾きを増し、同時に電灯が全て消えた。 「SOS 日高丸、防波堤灯台より西9ケーブル(約1500メートル)の位置にて、 ソウ…(以下途絶)」電文はそこまでだった。 このSOSを打電している最中の23時40分、「日高丸」は右舷に横転して沈没した。 つづく
64 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 16:33:29 ID:Aj5bU2R8
十勝丸 最後に青森から函館港外に到着した十勝丸も台風との熾烈な戦いが続いていた。 船底の機関室やボイラー室には大量の海水が流れ、機関の運転は困難を極めていた。 港外に投錨仮泊する手段を取っていたが、走錨が起きて船がじりじりと流されてしまうため 機関をもって船位の保持に努めた。 他と同じように波は車両甲板の後部開口部と、側面の換気口から車両甲板に流れ込んでいた。 「バンカーが流れた!」 ボイラー室で誰が悲痛に叫んだ。 バンカーが流れるとは、粉状の石炭と海水が混じって石炭庫から流れ出すことである 火手たちの間では「バンカーが流れたら船は終わり」と言われている。 水を含んだ石炭ではボイラーの火を落としてしまい、蒸気圧を落としてしまう。 蒸気圧を落として機関の運転ができなくなったら、この大時化では船が危ない。 その船の終わりを告げようとする事態がまさに目の前で起こったのだ。 「この傾斜を何とかしなければどうにもならない!」 そう言ってる間に石炭庫からの泥水の噴出は何としても止まらず、 泥水は膝のあたりまで上がってきた。 懐中電灯で石炭庫の中を覗くと、石炭庫は既に空になっていた。 思うまもなく船がひときわ大きな波に叩かれた。壊れんばかりの胴震いと同時に、 たたき上げられ、奈落の底に落ちると今度は傾きが反対側に変わった。 今まで一方に溜まっていたものが一気に反対側へ流れると、 残りの無事だった石炭庫からも石炭が泥水になって流れ出した。 ボイラー室の中は泥の海となり、深いところでは腰の辺りまで泥水が上がってきた。 ボイラーの敷き板として使っていた厚さ3センチもの分厚い鉄の板が泥水に浮いて流れ出した。 つづく
65 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 16:43:52 ID:Aj5bU2R8
その悪条件の中、投炭担当の火手は必死になって石炭を探しだし、 ボイラーに中に必死で投げ込んでいた。 ボイラーの中から火に水をかけたときと同じ「ジュー」っという音が聞こえた。 水を吸った石炭は火種を潰し、ボイラーが発生する蒸気圧は少しずつ落ちていった。 「20時40分現在、葛登支灯台より62度、4.4カイリ(約8キロ)、 南西の風30〜35メートル、突風40メートル、動揺右40度、左舷28度、本船半速前進中。」 地上からの問い合わせに通信士が答えたのだが、動揺が激しすぎて電鍵を叩くことができず、 電鍵を叩く次席通信士の腰を首席通信士が後から支え、2人がかりでやっとの思いで送信した。 地上や他船からの無線通信で、どの船も台風と必死に戦っているのが手に取るように分かった。 石狩丸の係留索が切られたこと、第十二青函丸が港外で巨浪に揉まれて難航していること、 大雪丸が機関故障を起こしながらも海峡で台風と戦っていること、 洞爺丸も機関や発電機が故障しつつあること。 それら僚船の悲痛な叫びが十勝丸通信室にも聞こえていた。 それと同時に通信士たちの耳に十勝丸も機関室への浸水が始まり、 機関や発電機が止まりつつあることが入ってきた。 「電気が消えるぞ、電気が消えるぞ。」 何処かで誰かが怒鳴る声が聞こえたと同時に飛沫を頭からかぶって 全身ずぶ濡れの三等航海士が通信室に顔を出した。 電報を頼む、釜場(ボイラー)浸水、エンジン使用不能と打ってくれ。 機関部がいかに深刻な状況にあるかを示すものであった。 つづく
66 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:01:00 ID:Aj5bU2R8
通信長、SOSを打つべきではないでしょうか? よし、船長に聞いてくる。通信長は再び船橋への階段を上った。 船がなんとなく右舷へ一方的な傾斜をするようになってきた。 ボイラー室ではなおも流れ出た泥水状の石炭との戦いが続いていた。 火手たちは腰まで泥水につかり、休む間もなく投炭作業を続けていた。 その甲斐もなく、虚しく蒸気圧を示す計器の針は下降を続ける。 車両甲板から落ちてくる海水が大量に溜まっていた。 その海水は徐々に水位を上げ、すぐにも機関そのものを水没させそうな勢いである。 その水はついに機関を浸した。機関に潤滑油を送るポンプが水没し、 主機への潤滑油の供給が止まってしまった。 潤滑油無しでは機関は焼き付くため運転は不可能である。ついに主機関は運転不能となった。 続いて、泥水は機関室のヒューズボックスを浸した。中の端子が短絡して火を噴いたと思うと、 十勝丸は停電し、電灯は全て消えた。 耳をろうする機械の轟音が途絶え、船底の機関室とボイラー室に不気味な静寂が訪れた。 機関長、蒸気がなくなりました。ボイラーもダメです。 これ以上どうすることもできません!と言うと、 「みんな、よくやってくれた。全員、上へ上がれ。」 その言葉に機関部員の船員たちはぞろぞろと機関室から出る階段を上っていった。 水密扉を完全に閉めて、機関部員は一人残らず、機関室を後にした。 通信室に機関長が入ってきた。後を追うように二等機関士と三等機関士が入ってきた。 みんな疲労しきった顔で黙っている。分かり切っていることだが、次席通信士が声をかけた。 機関長、エンジンどうですか? 「あとは天命を待つだけだ。」 つづく
67 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:11:33 ID:Aj5bU2R8
機関長は力無く呟いた。 もう、機関も発電機も停止してしまい、誰にもどうすることも出来ない。 力を尽くして船底で戦ってきたのにどうにもならない悔しさが、その声には溢れていた。 陸上から「貴船の詳細なる状況知らせ」と打電があった。 次席通信士が船橋へその電報を伝えた。船橋では誰もが救命胴衣を着けて最後の奮闘を続けていた。 しばらくすると目に見えて船体が右へ右へと傾き始めた。機関長と二等機関士が立ち上がった。 「SOSだ!」 通信長が悲痛に叫んで電鍵に手をかけたとき、車両甲板で金属がぶつかる轟音が響きわたった。 車両甲板の貨車が横転したのだ。同時に船体の右への傾斜は速度を増した。 通信長は「もう駄目だ、外へ出ろ!」と叫んだ。通信室にいた船員たちは通信室から逃げ出した。 通路から海水が上がってきて、もう少し遅かったら誰も通信室から逃れることはできなかっただろう。 通信長と機関長は船橋への階段を上がり、首席通信士、次席通信士、二等機関士の3人は甲板へ出た。 さらに船体の横転は早くなり、3人は船の回転にあわせて船腹から船底へと走り、海に飛び込んだ。 23時43分、十勝丸は右舷に横転して沈没した。 つづく
68 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:18:27 ID:Aj5bU2R8
洞爺丸 出港の汽笛が鳴った瞬間の18時39分、洞爺丸は遅れ4便として函館港を出港した。 強い風に押されるように函館岸壁を離岸した。 客室には乗客1167人が乗船、乗組員と公務職員147名の合わせて1314名が乗っていた。 洞爺丸は岸壁に船尾を向け、港外へ向かう航路に乗った。 補助汽船が切り離され、両舷機関半速で港口を目指していた。 港口が近付くと機関を全速にして巡航速度へと速力を上げ始めた。 防波堤が近付いてくると洞爺丸の船体は異常な揺れを感じ始めた。 信じられないような大波浪が洞爺丸を襲いはじめたのである。 波飛沫の固まりが船橋の窓に当たり、窓ガラスは壊れそうな音を上げた。 波頭が風で飛んできているのである。船首の甲板員はびしょ濡れになった。 防波堤を交わすと、ひときわ大きな波と猛烈な風が洞爺丸に襲いかかった。 瞬間風速は40メートルを超えた。 不意に汽笛が鳴った。 誰も汽笛を鳴らす操作をしていないのに勝手に汽笛が鳴ったのである。 二等機関士が船橋に飛び込んでなぜ汽笛を鳴らしているのかと聞いてきた。 あまりの強風に煙突付近にある汽笛操作用のワイヤロープが引っぱられ、 別の部品に引っかかって汽笛が鳴っていることが分かった。 汽笛が勝手に鳴り出すような強風は、航海士や機関士はもちろんのこと、 船長にも全く経験のない出来事であった。 つづく
69 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:28:33 ID:Aj5bU2R8
素人目に見てもこの状況で海峡へ出て行くのは無謀である。 船長が「これはひどい、アンカーを入れる」と言い、 洞爺丸の錨が荒れる海の底へ落ちていった。 「投錨時刻、19時01分。」 三等航海士が時計を見て船長に報告した。防波堤から僅か1300メートルの場所であった。 この状況で船内は変わった様子はなく、売店や食堂も通常通り営業され、 乗客は普段と変わらない様子であった。 遊歩甲板では多くの乗客が、港内の避難船が海面を照らすサーチライトの光と、 めったに体験できることのない大波を眺めてはしゃいでいた。 誰も4時間後の地獄を想像すらしていない。 洞爺丸から函館市街の夜景も見えていた、と思うと街中に青白いスパークが走り、 船の灯りを残して街は暗黒になった。 あまりの強風で電線が各所で切れ、ショートして全市停電となった。 暗黒の海で、台風から避難する船達と台風との闘いが始まろうとしていた。 洞爺丸は船首が風に立たず、右へ左へと振られていた。 レーダーは洞爺丸が錨を支点に振り子のように右へ左へと振られているのを表示していた。 右へ振られたときは右から波浪を受けて、左に振られれば左から波浪を受け、 次から次へと押し寄せる巨大なうねりに弄ばれていた。 レーダーを覗いていた二等航海士が叫んだ。 振り子のように振り回される洞爺丸の後の海岸線が徐々に近付いて来たのだ。 錨が利かず、錨を引きずって流される走錨が洞爺丸にも起きていた。 つづく
70 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:36:14 ID:Aj5bU2R8
洞爺丸の機関室ではかつて経験したことのない事が起きていた。 車両甲板に海水が溜まり、全ての点検口から水が機関室とボイラー室に流れてきていた。 最初の漏水は左舷発電機上の脱出口からで、大粒の雨のようにざあっと降っては止まり、 またざあっと降って来るという繰り返しであった。 左舷発電機は水を被って周辺は湯気で真っ白だった。 続いて左舷天窓から海水が流れた。天井の電球が音をたてて割れ、 見る間に左舷側のあらゆる場所から海水が落ちてきた。 ボイラー室も浸水が始まっていた。右舷と左舷に3つずつボイラーがあり、 うち右舷のもの全部と左舷の2つの合わせて5つのボイラーが使用されていた。 やはり左舷から水が漏れていた。 車両甲板では、救命胴衣をつけた甲板員が排水溝の手入れや、 機関室やボイラー室を結ぶ扉を固定する金具の増し締めに懸命になっていた。 甲板員達にとって、この車両甲板に水が溜まるという状況は初めてどころか、 聞いたこともないことであった。 車両甲板には後部開口から波が打ち上げ、先端部まで海水が往復していた。 大きな波が来ると甲板員達は貨車の上に逃げたり、 エビのような姿勢で車両緊締具にしがみついたりしていた。 次第に車両甲板に滞留する水の量は増え続けていき、 水が移動する勢いも激しくなって甲板員の作業は危険となった。 左に傾斜していた船体が、大波を食らって傾斜を右に変えた。 この時、船体は激しい胴震いをたてて、激しく揺れた。 車両甲板の水が左舷側から右舷側へと一気に流れた。 作業していた甲板員達は足下を掬われそうになって、危険と判断して車両甲板から逃げた。 同じ揺れの衝撃で、機関室では機関長が左舷から右舷へと跳ね飛ばされ転倒、 その上に水が流れてきた。 同時に、もう海の一部となってしまった車両甲板の下は右からも左からも浸水が始まり、 それを止めることは誰にもできなかった。 つづく
71 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:43:44 ID:Aj5bU2R8
大きな揺れが来ると老人や子供が船室の畳の上を端から端へと転がっていった。 そして通路に落ちてあちこちで子供の泣き声が聞こえた。 腹這いになって揺れに耐える船客もいた。 船室にロープを張り巡らせて、大きな揺れに耐えようとする「かつぎ屋」たちの姿もあった。 二等入口広間に整然と並べられていたソファは動き回ってバラバラになってしまい。 寝台船室では寝台から客から転がって落ちていた。 だが、そんな二等船室の一角で、外国人客の一人が手品ショーで場を落ち着けて、 そこだけ恐怖を忘れて笑い声が響いていた。 ボイラー室では「洞爺丸」の運命を決定付ける悲劇が起きていた。 青函連絡船では石炭を粉状にして使用していた。 その粉状の石炭が海水と混じって泥状になって石炭庫からボイラー室に流れてきた。 火手たちは慌てて石炭庫の扉を閉めようとしたが、泥状になった石炭を噛んでしまい、 扉を閉めることができない。ボイラーの前は泥の海が広がった。 「出てきたやつを焚くんだ!」 火手長は怒鳴った。 石炭は水を吸ってしまったため、泥になった石炭をボイラーに入れると火種を消してしまう。 「蒸気を落とすな、水もなにもかも焚いちまうんだ!」 この嵐の中、ボイラーの火を落として蒸気圧を下げることは、 船を操船不能に陥れることになる。 しかし、釜口から蒸気が上がり、火種は少しずつ消えていった。 つづく
72 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:49:39 ID:Aj5bU2R8
機関室では天井全体から雨のように海水が降っていた。 車両甲板は海水にどっぷり浸かってしまった。 床に溜まった海水は膝のあたりまで量を増していた。 排水ポンプを出力全開で回していたが、それでも間に合わなかった。 発電機からベルの音が聞こえた。 このベルは発電機から発生した電気が接地短絡すると鳴るようになっている警報である。 床に溜まった海水は発電機に触れたのだ。続いて凄まじいスパークが起きた。 左舷発電機が水に浸かってショートしてしまったのだ。 同時に左舷発電機は停止して動かなくなった。 さらに左舷機関が大きな振動をたてて異常回転をはじめた。 機関長は「左舷エンジンを止めろ!」と怒鳴った。 機関は停止して振動は止まった。 機関を全開で動かし続けたから無理がたたったのだろうか。 三等機関士が船橋へ走り、「左舷機関故障」を伝えた。 一等航海士が「だめだ、ぶっこわれてもいいから、機関を全開で回すんだ。」怒鳴った。 片方の機関が止まったら船を風にたてることができなくなる。 この迫り来る大波を真横から食らったら、瞬間で横転する危険もある。 機関長は「よし、左舷機関回せ!」決断した。 回せば本当に壊れるに違いない。でも回さねば船そのものが危ない。 回すしか手はなかった。全員が見守る中で再び左舷機関が回った。 機関全体が振動し、回転は正常でなく誰もが長くは持たないと予感した。 つづく
73 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 17:54:31 ID:Aj5bU2R8
21時25分、「洞爺丸」は函館桟橋に次のように打電した。 「エンジン、ダイナモ(発電機)止まりつつあり。突風55メートル。」 「洞爺丸」の悲痛な叫びであったが、陸側ではどうにもできず、 「こちらも非常配置でワッチ(監視)中、貴船も頑張れ。」と応えるしかなかった。 5分後改めて「洞爺丸」に問いただす。 「発電機、エンジン模様知らせ。」 「左舷発電機故障、左舷機関不良、ビルジ引き(排水)困難」 「かろうじて船位を保ちつつあり。詳細あと。」 陸上に「洞爺丸」の叫びは伝わっていた。 この頃、客室への漏水も始まった。 まず車両甲板の下にある前部三等雑居室の右舷側の天井から、水が滝のように流れた。 この水は数秒で止まったものの、畳2〜3枚を濡らした。 乗客達も特に慌てる様子はなく、何人かは畳に溜まった水へ走り、 手拭いを落ちてきた冷たい海水で冷やした。 船酔いしている仲間や家族の額に乗せるためである。 続いての漏水は車両甲板のすぐ上、下部遊歩甲板の三等椅子席であった。 下部遊歩甲板に大きな角窓が整然と並んでいるのが「洞爺丸」の外観上の特徴である。 この角窓のひとつが巨大な波浪に破壊され、ガラスが破れて船内に轟音と共に風が吹き込み、 波が飛び込んできた。三等椅子席の乗客は騒然となった。 この時、椅子席にいた女性客に割れた窓ガラスが当たった。 女性はパニックに陥り、狂ったように泣きながら椅子から落ちて床を転げた。 額から流れた血を見てそれまで押さえられていた恐怖感が一気に噴出したに違いない。 そしてその恐怖は三等椅子席の客に広がって行く。 つづく
74 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 18:06:10 ID:Aj5bU2R8
洞爺丸はは片方の機関の出力が落ちて波と風に押し流されるようになっていた。 青函連絡船は34度の動揺に耐えられるように設計されていたが、 大きな波が来て大きく揺れた瞬間、傾斜計の針はその34度を超えていた。 再び左舷機関が更に激しい振動をたてた、と思うと煙がぽっと吹き出し、 それきり回転しなくなった。ついに左舷機関は故障して停止してしまった。 洞爺丸のふたつの心臓のひとつが、止まってしまった。 「左舷エンジン、停止しました。」 操機手が船橋に走り込んで、震える声で報告した。 左舷エンジンは本当に駄目なのか?長は聞き返したがどうにもならない。 この嵐の中での機関停止は生命とり、沈没に繋がる。 「右舷エンジンはどうだ?」 操機手はビルジ(汚水)排出困難で、時間の問題と思います。答えた。 操機手が機関室に戻ると今度は右舷機関が同じように煙を噴いて止まってしまったという。 操機手は再び船橋にそれを報告するために走った。 機関長はボイラー室へ行った。ボイラー室では泥状になって噴出した水を吸った石炭が、 ボイラーの火を落としてしまい、5缶のうち3缶は既に火が落ちたのと 海水に浸かってしまったために使用不能になっていた。 火手たちはそれでも必死に洞爺丸の火を消さぬよう、残り2缶に全力で放り込んでいた。 「エンジンが止まってしまった。もう焚かなくていいよ。」 火手たちに機関長は言うと、「焚けと言われたって、焚ける状況じゃありませんよ。」 火手長は情けなさそうに答えた。 つづく
75 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 18:12:10 ID:Aj5bU2R8
機関長はボイラー室を出て、機関室に戻った。 電気係は端艇デッキへ上がり非常用電源を用意せよ。救命胴衣を忘れるな。 あとは部屋に戻って貴重品を整理しろ、救命胴衣をつけろと命令した。 この命令は端的に言えば「船から逃れる準備をせよ」ということであった。 船底の機関室から船員達がゾロゾロと上がってきた。 機関長は自ら、船長に両舷機関停止を報告した。 悔しそうな声で涙混じりの報告だったといわれている。 洞爺丸は両舷機関が止まったため、波と風に対する抵抗力を完全に失って なすがままに流されていた。 巨大な波に翻弄されながら、錨を引きずって流されるだけになってしまった。 機関が止まって舵も利かないため、船首を風にたてることはできなくなり、 船は風浪に対して横向きになって左舷側のみから巨大な波を受けることになった。 今までの両舷に揺られる大きな揺れは止まり、右舷にだけ一方的に傾いて行く。 「海岸までどのくらいだ?」 船長の怒鳴るような質問にレーダーを睨んだままの二等航海士が、 1200メートルですと答えた。 船の外は巨大な波と飛沫しか見えず、レーダーだけが頼りだった。 「よし、このまま七重浜に座礁する。」と船長は決断した。 洞爺丸に残された唯一の手段はそれだけであった。 つづく
76 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 18:20:51 ID:Aj5bU2R8
22時12分、両舷機関不良のため漂流中と洞爺丸が函館桟橋に打電。 レーダーを睨んでいた二等航海士が海岸まで1000メートル!と怒鳴った。 船橋の船員達は全員、船底にずしんと来る座礁の瞬間を待っている。 船員は極限の緊張状態となり、不気味な沈黙が船橋を支配した。 二等航海士が海岸まで800メートル!と叫ぶと同時に船底から ドン、ドンという音が2回聞こえた。 船長と一等航海士が揚がったな言うと、第二、第三の衝撃が来た。 三等航海士が時計を見て叫んだ。 「22時23分座礁。」 続けて、レーダーを睨む二等航海士が船位を報告した。 「防波堤灯台から267度、8ケーブル。」 関係箇所に電報を打て、救助手配を依頼せよ。 本船は七重浜に座礁した。船長は矢継ぎ早に指示を出した。 ところが、座礁したというのに洞爺丸はまだ風下へ流されていた。 座礁したら止まると思っていた船体が、座礁しても海底を滑って漂流しているのである。 そして右への傾きは止まらず、どんどん傾きを増している。 このまま海底を滑り続けたらどうなるか…、船長は嫌な予感がしたのだろう。 「全員、救命胴衣を着用せよ。500キロサイクルでSOS(緊急信号)を打て。」 船長は叫んだ。 つづく
77 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 18:26:19 ID:Aj5bU2R8
客室では乗客達は揺れに耐えながらも、比較的落ち着いていた。 「救命胴衣をつけてください」こう流れた瞬間、 乗客達は初めて自分たちが生と死の狭間に立たされていることを知った。 救命胴衣が格納されているロッカーが開かれると、我先にと飛びつき、ロッカーに人々が殺到した。 一部のロッカーは開かず、何処で見つけ斧を持った乗客がロッカーをぶち壊して救命胴衣を着用した。 二等船室では、手品ショーをしていた外国人客が他の船客達に救命胴衣を着用させていた。 二等広間には何処から入ってきているのか、波が床を洗っていたという。 三等船室では、人々が救命胴衣を奪い合い、転んだ人々を踏みつけて逃げ場を探し回っていた。 転んで起きあがれなくなった老人は念仏を唱え、まるでその風景は地獄のようだったという。 「おじちゃん、怖いよ、助けて。」 ある給士にこの光景を見た少女が泣きついた。頭をなでながら 「大丈夫、心配しないでね。」となだめたが、 ついに大粒の涙を流して泣き始めた。 「怖い、怖い…」 給士の耳に少女の声がまとわりついた。 船を出しておいて、今頃救命胴衣をつけろとは何事だ。 どけ、そこを通せ、俺達を溺れされる気か?」 船室入口の階段で旅客を止めるかたちで立っていたその給士にある男性客が殴りかかった。 三等船室にはどこからともなく多くの水が流れ込んできた。男性客は給士の胸ぐらを掴んだ。 「やめろ、船に乗ったらボーイさんの言うことを聞くんだ。」 落ち着き払った別の客の声で、その男は大人しくなった。 満員の旅客の目が「自分たちはどうすれば助かるのだ?」と全ての目が訴えていた。 この続きは明日に。
78 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 20:39:05 ID:???
異様に伸びてて驚いた。 読む気はない。
79 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 20:53:54 ID:???
>>78 長文レスにしては書いてることはマトモだよ
80 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 10:30:11 ID:MaS0r55a
昨日の続き、洞爺丸 給士は「上の者に聞いてきます」と言い残し、走り出した。 事務長に船がどうなっているのか、いつ避難指示があるのか、聞くために走り出した。 下部遊歩甲板に上がると、彼は信じられない光景を見た。 下部遊歩甲板には多くの水が流れ込んできていて、傾いている右舷側では胸元まで水が来ていた。 この水が船底に近い三等雑居室に流れたら…乗客は先を争って狭い階段に殺到するだろう。 間違いなくパニックになる。乗客が少しでも冷静なうちに下部遊歩甲板に誘導しよう、 彼は決断して三等雑居室に戻って乗客に大声で言った。 「上に上がって下さい、私に続いて…」 言いかけたところで旅客が階段に我先と殺到した。 押し合い、前の人を引き倒し、転んだ人を踏みつけて、人々は狭い階段を上った。 給士が船室を見た。ほぼ全員が船室から脱出しているのを見届けて、上へ上がった。 さらに船体は右舷への傾きを強めた。 天は「洞爺丸」を見放したのか?、船内の電灯の光がすうっと暗くなった。 一度明るくなったと思った瞬間、洞爺丸の電灯は消えて真っ暗になった。 船内に乗客の悲鳴が響き渡った。 「今何度まで傾いている?」 傾きが大きくなった洞爺丸の船橋で一等航海士が聞いた。 「45度です。」 操舵手が滑り台のように床を滑って答えた。大丈夫だ、船は起きあがる。 船橋のガラス窓が割れて船員たちの帽子が飛んだ。鋭い風と波が船橋を洗った。 船体の傾きは止まることなく増えていった。車両甲板から金属の塊がぶつかり合う鋭い音が響いた。 車両甲板の車両たちが一気に横転したのである。 洞爺丸はさらに傾きを増して一気に90度近くまで傾いた。 つづく
81 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 10:44:40 ID:MaS0r55a
船橋では右舷側から水が噴き出し、一等航海士は水に吹き上げられて望遠鏡に掴まった。 救命胴衣を着けていた二等航海士はレーダーから離れて水に浮き、 三等航海士はテレグラフにまたがっていた。船長はそのまま水没したようだ。 船員たちは今は上になった左舷の窓から、脱出していった。 既に左舷船腹は水平になり、マストも煙突も水中に没した。 22時43分、洞爺丸は七重浜沖600メートルの地点で横転、沈没した。 船体は130度回転したところで煙突を海底に突き刺すような形で止まった。 洞爺丸が横転した地点から、おびただしい数の人々が七重浜の海岸に向かって流されていた。 人々は波に翻弄され、助かるかどうかも分からないまま波に弄ばれた。 つづく
82 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 11:02:56 ID:MaS0r55a
第十二青函丸 強風と巨大なうねりとの戦いが続いていたが、23時を過ぎると少しずつ風は弱まっていった。 しかし、うねりだけは少しも衰える気配を見せていなかった。 その中でレーダーを見ていた二等航海士があることに気付きレーダーを様々に操作していた 近くにあった2隻の船影が、1隻を残して消えてしまったのだ。様々に調整しても現れない。 2隻の船影が日高丸と十勝丸を示しているのは分かっていた。 十勝丸がなくなった? 二等航海士は悲痛に一等航海士に報告した。報告を終えて再度画面を見ると、 残っていたもう一つの船影も姿を消していた。 「沈没?」、嫌な予感が二等航海士を襲った。 様々に調整してみたが2隻の船影はレーダー画面に再び現れることはなかった。 日高丸と十勝丸の船影がレーダーから消えました。と船長に報告した。 青函航路にレーダーが導入されてまだ数年。 船影がレーダー画面から消えるという体験は初めてで、 船に事故が起きているという事実が実感して感じることはなかった。 通信室から船橋に報告が来た。第六真成丸と石狩丸の通信を傍受し、 「付近に漂流者多数」との電文から洞爺丸沈没の可能性があるということであった。 船員たちに言いしれぬ衝撃が走った。 もしや、レーダーから船影が消えた日高丸と十勝丸も沈んだのか? 日付が27日に変わって風は一段と弱まり、暴風という様相ではなくなってきた。 この時刻になってようやくうねりも衰えてきて船の動揺も小さくなっていた。 さきほどの海面に手が届きそうな横揺れや、たたき上げられたり奈落の底に落とされたことが、 嘘みたいなほど異常な揺れはおさまった。 1時50分、第十二青函丸は機関を停止した。 「よくやった。」「よく乗り切った。」船橋の船員たちは、船長を囲んで喚起の声を上げた。
83 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 11:13:12 ID:MaS0r55a
嵐の後 七重浜に座礁した一般の貨物船「第六真成丸」航海士が、 波浪の中に光る物が浮いているのを発見し、船長に報告した。 「灯りのついた物が流れています。救命筏のようです。」 救命筏(いかだ)や救命胴衣には海水と接すると灯りを放つ豆灯がついている。 船長がサーチライトで救命筏を照らすように命じた。光の輪が海面を動いてその物体を捕らえた。 確かに救命筏であるが、だが誰も乗っていない。 目が慣れたときに付近の海面を見て、船員たちは顔面蒼白になった。 生きているのか死んでいるのか、おびただしい数の人々が救命筏の周りだけでなく、 「第六真成丸」の周りを埋め尽くすように浮き沈みしながら流れているのだ。 荷物や木片が混じり、海面は粉を散らしたように見えていた。 「ロープを下ろして漂流者を救助せよ。」 船長の断が下った。船員たちがその命令に従ってロープを持って甲板に出た。 つかまるんだ、離すなよ!船員たちはそう叫んで海にロープを投げた。 この巨大なうねりの中で、漂流者を助けることは生命がけであったが、 漂流者たちは死ぬ思いをしながら流されているに違いないのである。 何度目かに投げられたロープに重みを感じた。船員たちは励ましの言葉を海に向かって何度も叫んだ。 2人の遭難者がロープにかかって引き揚げられた。一人は乗客で、もう一人は二等機関士だという。 二等機関士が「第六真成丸」船長に、洞爺丸が多くの乗客を乗せたまま沈没した旨を伝えられた。 彼は洞爺丸の二等機関士であったのだ。 1000人もの乗客が乗っている洞爺丸が近くに沈没したという事実に船員たちは驚愕した。 船長はすぐに通信長にSOSを命じた。 つづく
84 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 11:26:29 ID:MaS0r55a
港内に錨を降ろして停泊している「石狩丸」からは危機が去っていた。 だが救命艇が風で飛ばされて使用不能、係留索を全て失い、 調理室の小さな煙突が根元から取れて運行不能となっていた。 通信室では首席通信士が当直担当となり、無線機に耳をそばだてていた。 洞爺丸のSOSを聞いても驚くことはなく、座礁と聞いて「これで一安心」と思った。 座礁してれば沈没は無いと思っていた。 休息を取っている通信長には報告せず、船橋の当直担当である二等航海士に報告した。 二等航海士もそれほど驚いた様子はなく、休息を取っている船長に報告するということはしなかった。 1000人以上の船客を乗せた船が遭難すれば、どんな事情があろうともSOSを打つのは当然であり、 座礁して安全と分かっていても救助を求めなければならないのは明白であるから。 誰も本当に危険とは感じていなかった。 むしろ「座礁」の二文字が、「洞爺丸」に起きている事実を見ることのできない船外の人たちにとって、 安全を保障する言葉に聞こえたのだろう。 首席通信士が通信室に戻り、再び無線機に耳を当てると強大な電波のSOSが耳に入った。 符号から船名を割り出したところ、「第六真成丸」であることが分かった。 SOSの内容は七重浜に座礁したことを告げている。 しかも七重浜に座礁し右舷に10度傾いているが、転覆の危険はないが監視を頼む。 なお、本船付近に多数の漂流者が海岸に助けを求めているからもよりに連絡の方法はありますか? 本船も2名救助した、二等機関士カワカミと、船客アオキ。 通信士は驚いた。石狩丸首席通信士と洞爺丸二等機関士とは家が向かいにあって顔なじみであった。 その機関士が海面を漂流の後救助され「第六真成丸」にいるという。 さらに付近に漂流者多数ということは答はひとつである。「洞爺丸」沈没としか考えられない。 考えたくないことだがそれ以外に出てくる答はなかった。僚船が1000人の乗客と共に海に消えたのである。 通信士は続けて電鍵を叩いた。 つづく
85 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 11:35:10 ID:MaS0r55a
貴船から洞爺丸の様子は分かりますか? 海岸に座礁後横倒しとなり、その後電灯が消えたとのことです。 それから船内に人が残っているらしいとのことのですがよく分かりません。 洞爺丸の正確な位置は分かりません。本船の南西に座礁したのは分かっているのですが、 視界が悪く距離不明。漂流者多数、至急連絡乞う。 それを聞いた通信士は通信を打ち切り、通信室を飛び出し叫んだ。 洞爺丸が沈没した! その声に聞いた船員、目を覚ました船員達が通信室にどっと押し寄せた。 「本当に洞爺丸は沈んだのか?」 船長、洞爺丸の二等機関士が漂流の後、救助されて第六真成丸にいるんですよ。 第六真成丸では付近に漂流者多数といっています。これは洞爺丸沈没以外考えられません。 通信士の説明を聞いても、船長は洞爺丸沈没を信じられなかった。 いや、そんな事故が起きたと思いたくなかったのかも知れない。 しかし、船長自らが電鍵に手をかけ、青函局長宛てに打電した。 「第六真成丸の報によれば、洞爺丸沈没の模様。漂流者多数とのこと。」 その頃、洞爺丸から投げ出された人々の中で、第六真成丸に助けられる事のなかった、 船客や乗組員が七重浜の海岸にぞくぞくと打ち上げられていた。 生きたまま打ち上げられた者もあれば、意識のないまま打ち上げられた者、 既に仮死状態にあった者、漂流中に溺れたり、凍えたり、漂流物にぶつかり絶命した者、 様々であったが浮き輪や救命筏、船の部品や貨物や荷物とともに砂浜に一人、また一人と打ち上げられた。 意識のある者は巨大な波に再び引き込まれまいと、全力で走った。 つづく
86 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 11:41:32 ID:MaS0r55a
打ち上げられた二等航海士は、すぐに近くの民家に駆け込み連絡船が沈んだ事を告げた。 その民家には多くの遭難者が駆け込み、みんな高いところによじ登ろうとしたり、 何かに掴まった離そうとしなかった。 船が沈没し、漂流したときの恐怖がまだ抜けていなかったのだ。 海岸では波から出てきた遭難者が救援活動に当たった者に抱きつくようにしがみついた。 足下にはまだ息のある者が倒れていたが、動ける人に対応するのに手一杯で、 倒れている人や仮死状態の人に手が回らない。人出がいくらあっても足りなかった。 医師が来ても仮死状態の者はどうすることも出来ず、多くの人をそのまま見捨てることになった。 洞爺丸に乗り、生きて海岸に戻ってきた者の多くが、そのような形で海岸で死を迎えた。 函館湾では、まだ連絡船と台風との闘いが続いていた。 海峡へ出ていった大雪丸は渡島半島の陸岸に沿うように南下を続けた。 巨大な波浪と飛沫のために視界はゼロ、レーダーを頼りに航行を続けた。 二等航海士が先代の大雪丸船長から南西の風の場合は、木古内へ行けと言われていたのを思い出し、 船長と一等航海士に進言したのだ。 渡島半島の木古内湾は、南へ突き出た渡島半島が南西方向からの風を遮る地形になっているのだ。 操舵手が舵故障と叫んだ。船底の操舵機室が浸水して舵が使えなくなってしまったのだ。 やむなく左右の機関を交互に使用して舵代わりにすることにした。22時頃に機関が浸水して停止。 もはやこれまでと覚悟を決めて通信長はSOSの電文作成に取りかかった。 機関室が浸水して潤滑油ポンプが停止し、機関が停止したと言うことで、 機関部員が必死になってポンプを修理、僅か5分で機関は復旧して大雪丸はさらに南下を続けた。 あまりの揺れのため、機関室にはロープが張られ、船橋では船長が右へ左へと飛ばされたという。 日が変わって0時すぎに木古内湾に投錨。船員たちは無事を喜んだが、 機関を酷使したために故障してその場で動けなくなってしまった。 つづく
87 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 11:54:06 ID:MaS0r55a
無線を通じて函館湾各船に洞爺丸の悲報が次々に飛び込んできた。 さらに日高丸がSOSを発したまま音信不通になり、 十勝丸、北見丸、第十一青函丸も一切の連絡を絶っている。 日高丸と十勝丸の船員たちは沈没地点からうねりに乗って函館港へと流されていた。 彼らの運命を分ける大きな障害が立ちはだかっていた。防波堤である。 流されて港口まで来た船員たちは、運良く防波堤の切れ目に流された者以外は、 防波堤を越えるのに悪戦苦闘していた。 体力のある者は青函連絡船の航路に沿って泳いで防波堤を交わし、 また別の幸運を掴んだ者は巨大な波の頂上に乗って防波堤を乗り越えることができた。 だが多くの船員は防波堤に到達する前に絶命するか、防波堤に激突して絶命した。 船員達は漂流物に掴まり、仲間の船員を見つけては励ましの声を掛け合って漂流を続けた。 SOSを受けて出動した補助汽船が港口付近で日高丸、十勝丸の船員を発見して救助した。 補助汽船の船員たちは助け上げた船員たちを何度も殴ったり摩ったりした。 長時間漂流して救助された人間の身体は極限まで冷えている、本人達は疲労のため眠気を催す。 救出された遭難者がそのまま眠ってしまえば、待っているのは「死」だった。 船員たちを眠らせないように、補助汽船の船員は生存者を殴り続けた。 殴って眠気を覚まし、摩って身体が暖まったところで暖かい布団に寝かせた。 救助された十勝丸通信士は殴り続ける補助汽船の船員に怒鳴った。 「俺も船員だ、海難の時はどうなるか分かっている。殴るのをやめてくれ。」 いや、あなたも前の人と同じようになったら困る。 前の人は大丈夫というから殴るのをやめたらそのまま死んでしまった。 北見丸の生存者は長時間に渡る漂流の後、函館山の裏側に打ち上げられた 助かった船員たちは抱き合って無事を喜んだ。 彼等は洞爺丸をはじめ他の連絡船が沈んだという事実を知らない。 つづく
88 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 13:25:18 ID:MaS0r55a
夜が明けると次第に函館湾の惨状が明らかになっていた。 補助汽船の船員が収容した船員の遺体の中に、第十一青函丸船員が含まれていた。 さらに日高丸、十勝丸の沈没地点付近に、船首だけを海上に出し、 錨をぶら下げた第十一青函丸が無惨な姿をさらしているのが発見された。 船底のペンキが新しく、二重底に改造されたばかりの新しい船底、 そして水面スレスレに「第十一青函丸 SEIKANMARU No.11」の文字。 恐らく、十勝丸の火手見習いが偶然目撃した沈没船も、 日高丸が生命掛けで交わした沈没船も、十勝丸が沈没直前に存在を報告した沈没船も、 第十一青函丸であったのだろう。 この海域では日高丸、十勝丸、第十一青函丸以外の沈没船はない。 七重浜の海岸もむごたらしい惨状を見せていた。 洞爺丸の部品類や貨物、そして船員や乗客の遺体がゴミのように散乱していた。 遺体は全て背をエビのように曲げられ、目を見開いたままの状態であった。 あまりの波の大きさと強さに、人々は身体を強引に押し曲げられ、 目をこじ開けられたまま流され、その苦痛を味わいながら死んでいったのである。 対岸の青森港も洞爺丸の悲劇を耳にして早朝から騒然としていた。 前夜には「早く出せ」と苦情を言い続けていた羊蹄丸の船客が、 もし出ていたら自分たちも死んでいたかも知れない、 羊蹄丸の船長は生命の恩人で神様のようだ。 と感謝の言葉を給士に伝えていた。 この事故で、洞爺丸は1155名が死亡し159名が生存、 第十一青函丸は90名の船員全員が殉職、北見丸は70名が殉職し6名が生存、 日高丸では56名が殉職し20名が生存、十勝丸は59名が殉職して17名が生存。 合わせて乗客・乗員1430名が犠牲になるという悲劇となった。 海外でもイギリスのタイタニック号沈没事件に次ぐ海難事故として報じられ、 世界の目が函館湾の悲劇に注目した。 つづく
89 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 13:36:01 ID:MaS0r55a
これから数日に渡り、七重浜海岸には乗客の家族が遺体収容作業を見守り、 遺体が上がると同時に肉親を呼ぶ泣き声が聞こえ絶える事は無かった。 国鉄では船内に残された遺体の収容のため、多くの潜水夫を投入していたが、 収容作業ははかどらず遺族達から不満の声が上がっていた。 国鉄は貨物船4隻「北見丸、日高丸、十勝丸、第十一青函丸」の 遺体収容を後回しにしてまで洞爺丸の遺体収容作業を続けていた。 赤ん坊をしっかり抱いたままの女性の遺体や、まだ幼い子供の遺体が上がったとき、 収容作業の手が一時止まって一同ただ涙を流していた。 遺体収容所では多くの遺族が自分の肉親を捜していた。遺族が遺体にすがって泣き声を上げると、 すぐに近くにいる国鉄職員に「人殺し」と罵声が飛んだ。 さらに遺体を使った詐欺なども起きて混乱していたと言われている。 その収容所の入口で泣いて謝りながら遺族たちに頭を下げる年輩の女性がいた。 洞爺丸船長の妻であった。彼女は夫が死んだという悲しみの前に、 夫が船を沈ませたという責任感の方が先に立ち、罵声を浴びるのを覚悟で、 毎日遺体収容所の入口に来て遺族たちに頭を下げていた。 その洞爺丸船長の遺体は事故から約1週間後に上がった。救命胴衣も着用せず、 手にはしっかり双眼鏡を握りしめたまま、掃海艇の網にかかったのだ。 つづく
90 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 13:39:42 ID:MaS0r55a
事故直後から事故原因について語られた。 台風は実際にどんな動きをしたのか、船はどんな状況にあったのか? 関係者の全てが「洞爺丸事故」を二度と繰り返したくないという思いで解明が進んだ。 台風の動きは複雑かつ前例にないものであることがその後の気象関係者の調査で分かった。 当日の予報は全て外れたことも一部の予報官は認めていた。 この日、日本海側を台風が北上し、太平洋側を温暖前線が北上していた。 それに先行して津軽海峡付近に温暖前線が発生し、昼過ぎから北上を初めて、 津軽海峡付近に猛烈な東風を吹かせ、大雨を降らせた。 同時に台風の南に伸びていた寒冷前線は徐々に台風の東に回り、 奥羽地方で太平洋側の温暖前線と交わって閉塞前線となった。 この閉塞前線通過時には滝のような大雨が降り、 前線通過直後に一時的に風が止んで雲が切れて晴れ間が広がった。 この閉塞前線は16時頃に青森、17時頃に函館を通過し、台風の眼と錯覚させることになる。 その頃、台風は当日の観測結果大きく西へずれて津軽海峡の西の日本海上に達していた。 そこで西側から流入する冷気と東側の暖気に刺激され、中心示度が960ミリバールまでに発達した。 さらに時速100キロ以上のスピードで北上していた台風は、 オホーツク海上の高気圧に阻まれて急に速度を時速40キロまで落とした。 台風は発達しながら函館の北西をゆっくり進むことになり、 函館湾に猛烈な南西の風と日本海を渡ってきた長大なうねりが長時間に渡って押し寄せることになったのだ。 誰もその変化に気付くことはできなかった。 気象予報のプロである気象予報官がこの結論を出すのに2年もの時間を要した。 従って当日の台風の動きを正確に把握しきれずに、連絡船を出港させた洞爺丸船長を、 一方的に責めることは出来ないと思われる。 もし日本海における台風の予測が正確で、当日にこのような予報を出した者が一人でもいれば、 1954年9月26日という日は、青函連絡船にとって台風通過で難儀した一日で終わっただろう。 つづく
91 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 13:48:02 ID:MaS0r55a
沈没に至る経過は船ごとによって大きく違う。 第十一青函丸は生存者がないので断定は不可能だが、 十勝丸火手見習いの目撃証言と、発見された船体から推定は可能である。 第十一青函丸は魚雷攻撃を受けた船舶のように轟沈の形で沈んでおり、 船体を折る力が一瞬に働いて沈没したのは間違いない。 第十一青函丸は直前に船底を戦時標準船独特の一枚外板構造から、 他の連絡船に合わせた二重底への改造工事を行っていた。 船首と船尾を除く船底部を切り落とし、そこに新たな二重底の外板を取り付けるという大工事であった。 その新しい部分と古い部分が強大な波浪により一気に切断して沈没したと推定される。 北見丸は前述のように、傾斜を直すためにヒーリング装置を使用したために沈没したと考えられている。 傾斜の補正を考えなければ転覆しないで生還できたとの説は強い。 つづく
92 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 13:48:41 ID:MaS0r55a
洞爺丸、日高丸、十勝丸の3船は、座礁したという事実以外は似たような行程で沈没に至った。 沈没せずに生還した連絡船にも共通して言えるが、車両甲板に開いた後部の大きな車両積み込み口から、 巨大な波が浸入して車両甲板に覆った。 これだけなら問題はないが、当日の函館湾でのうねりの波長と高さが重要な問題になる。 当日の波の高さは6メートル、波長は9秒で波の長さは120メートルであり、 波の高さは連絡船の喫水線の長さよりほんの少しだけ長く、車両甲板の中程までの高さの波である。 この波に合わせ船が上下運動したとき船首が波に突っ込み船首が上がる、 すると船尾のすぐ後に前の波の山があって、この時に海水が車両甲板に打ち上げる、 船首が波を乗り越して徐々に下がり、打ち上げた海水が車両甲板の最前部を目指して一気に流れる。 波が船首の近くまで進み、船尾の持ち上がりがピークに達した少し後に車両甲板最前部の壁に当たり跳ね返る。 次に船首に次の波が近づいて少しずつ持ち上がるのに少し遅れて海水も船尾へと移動する。 そして船首が次の波に突っ込んで持ち上がりが最大になると、 また船尾から海水が入るが前の波で入った水はまだ船尾に達しておらず、 次に船首が下がり始めたときに船尾付近で次の波によって入ってきた海水とぶつかり、 しかも船尾が上がるのだから前の水はここで船尾へ向かう力を失って、 次の波の水と一緒にまた船首へ向かうという現象を繰り返した。次第に車両甲板に溜まる水は増えていった。 この現象は喫水線の長さより数メートルほど波長が長い波の場合にだけ発生し、 以外の波ではどんなに大きい波でも起こらない現象であることが水槽実験で実証された。 つづく
93 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 13:54:02 ID:MaS0r55a
このような波長の悪戯によって車両甲板には大量の海水が滞留し、 車両甲板と機関室、ボイラー室、石炭庫を結ぶ扉の隙間から大量の水が機関室やボイラー室に流れた。 この扉は海水が滞留するのが前提でなく水密はされていなかった。 そのために船底に近い機関室やボイラー室は水没して機関が故障、 同時に石炭庫に流れた水は石炭と混じって泥水となってボイラー室を水没させ、 機関の運転を不能にした。 湾内は長大なうねりが殺到しており、機関運転停止によって連絡船は船位の維持が困難となり、 船を風に立たせることが出来なくなって次第に横波を受けるようになった。 車両甲板の大量の海水が船の重心を上げ、傾斜時の復元性が著しく低下して最終的には沈没した。 洞爺丸の場合は少し違う。同じように機関運転が不能になった段階で、七重浜海岸へ流された。 その頃、七重浜沖には長大なうねりが運んできた砂が海底に溜まり、 海岸から数百メートルの沖に大きな砂の丘が出来ていた。 洞爺丸は流されている途中でその丘に触底し、船長と一等航海士はそれを砂浜に座礁したと誤認した。 そのまま風下に流されながら丘にバウンドし、 何度目かの触底で船底にある右船底にある「ビルジキール」が丘に突き刺ささり、風下への漂流は止まった。 突き刺さったビルジキールは海底をしっかり噛むが、風上から来る波浪により洞爺丸を風下へ押し流す力は止まらず、 船体を右舷船底を軸に回転する方向に動かした。 船長が船橋の船員たちに救命胴衣の着用を命じた頃にこの現象が起きたのであろう。 船体は徐々に右舷へと傾きを増し、傾斜が50度に達した頃に車両甲板の貨車が転覆、 同時に左舷側の錨のチェーンが切れて横転したと考えられている。 「ビルジキール」とは船底の両舷端部に、船首から船底へと伸びる竜骨板状の板のことで、 横揺れ防止などのために取り付けられている部品で、後日引き揚げられた洞爺丸を調査した結果、 右舷側のビルジキールは欠損してなくなっていた。 つづく
94 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 14:05:36 ID:MaS0r55a
港外に仮泊して助かった連絡船との明暗の差は、車両甲板に貨車が積載されているか否かの違いが大きい。 貨車を積んでいない船では貨車の重量分船が浮き上がり、船尾から打ち上げる海水量が大幅に少なかった。 その上貨車がなかったために船底への扉の水密対策がとりやすくなり、 機関室やボイラー室への浸水は僅かで済んだ。 客載車両渡船大雪丸は沈没船と同量の海水の滞留があったと考えられるが、 南西のうねりを遮る地点まで何とか逃げ込んで幸運にも助かった。 事件から1年、沈没した5隻は引き揚げられて函館ドックに持ち込まれた。 そこで徹底的に調査された。事故原因に繋がるものはないか、まだ船内に遺体は残っていないか、 そして修理して再び使えるかどうか。遺体は流出しなかったものが多数発見された。 特に日高丸機関室では機関長と一等機関士が執務体制そのままの状態で発見されたという。 調査の結果、日高丸と十勝丸の2隻は修理して再使用することが決まった。 ただ、第十一青函丸、洞爺丸、北見丸の3隻は損傷が大きく、 修理しての継続使用は困難と判断されてそのまま解体されてしまった。 日高丸、十勝丸は引き揚げられて修理が決まったとは言え、 引き揚げ時に車両甲板から上をすべて失い、十勝丸に関しては船尾も失っていたので、 新造船を作るのとほぼ同じ状況であった。 船影も僅かながら変化し、特に船橋周辺は直線中心だった仕上がりが曲線を主調としたものに変化し、 印象は後述する新造車両渡船に似たものになった。 煙突やマストの配置は修復前と全く同じで以前の両船の面影は残していた。 性能面では機関関係はそのままだったが、舵が従来の1枚から2枚に増えて操船性能が向上した。 さらに車両甲板には、海水浸入対策として水密扉が設けられた。 2隻は1956年(昭和31年)4月と8月に相次いで青函航路に復帰し、 十数年に渡って車両渡船として君臨することになる。 つづく
95 :
名無し三等兵 :2008/10/23(木) 14:17:15 ID:MaS0r55a
さらに現存連絡船に対しても洞爺丸事故対策の工事が施された。 外見上いちばん大きいものは、船尾の貨車積み込み口に水密扉を設けたことである。 これは生き残った連絡船全船に施された。 羊蹄丸、摩周丸、大雪丸の洞爺丸型には、下部遊歩甲板の角窓が丸い水密型の小窓に変わり、 ボイラー燃料を石炭から重油に変更した。同時に船体の塗装を白と黒の二色塗りから、 白と緑色(木賊色)の二色塗りに変更された。 第十二青函丸、石狩丸、の2隻は、甲板上の客室があるために重心が高くなって 横転しやすいのではないかという問題があったため、 1957年(昭和32年)までに客室は撤去されて純粋な車両渡船となった。 なお第十一青函丸に施されて沈没の原因となった船底の二重底化工事は、 第六青函丸、第七青函丸、第八青函丸」は施工済み、 第十二青函丸、石狩丸は洞爺丸台風後に施工された。 終り。 各船員当事者、遺族、関係者証言を纏めた青函連絡船研究より。
96 :
名無し三等兵 :2008/10/25(土) 15:38:52 ID:OSNtszew
97 :
名無し三等兵 :2008/10/25(土) 20:51:19 ID:???
>>53 問題はそのディーゼル燃料をどこから調達するかだと思われ。
重油でさえ欠乏して魚油とか大豆油とか混ぜて使ってたんだし<煙がそこはかとなく香ばしいらしい
鉄道も石炭欠乏で間引きダイヤになってるとこに、
燃料輸送列車割り込ませるのも無理があるだろうし、桟橋に燃料タンクつくるのも大変だろうしな。
98 :
名無し三等兵 :2008/10/25(土) 21:30:52 ID:???
そもそも、昭和20年代前半ぐらいは男鹿線が蒸機牽引で若干天然ガス動車が出てきたぐらい、 大湊線は蒸機列車のみだったような…… 国鉄自体がLSTに回せるディーゼル燃料なんて持ってない時代ではなかったかと。
99 :
名無し三等兵 :2008/10/25(土) 21:52:06 ID:???
だなー。(後の)キハ10系登場したのが昭和20年代末以降だから、 まだこの頃はディーゼルカーなんか全然普及してないよね。 という訳で、このスレ的にはどんな燃料でも使える焼玉エンジン万歳。
>>99 できれば使いたくないのも焼玉エンジンだが
53?
(国鉄系のOBが趣味業界向けの解説で長らく幅を利かせたせいか、
電車・ディーゼルカーで私鉄が重要な技術発達の役割を果たしたことが、日本の鉄道趣味界ではしばしば看過されてきている。
実は新幹線なんか、車両の重要技術の半分は私鉄電車がテストベッドだったんだが)。
鉄ヲタ話題になるが、
10系以前に昭和26年から、戦前型の41000や42000にディーゼル載っけて
機械式ディーゼルカーとして運行したことは押さえておいた方がいいぞ。時系列がずれてる。
あと、LSTの舶用ディーゼルと、日本製の鉄道用高速ディーゼルで燃料が共用できたかは怪しい。
そして焼玉エンジンは容積がでかすぎ、鉄道車両の床下に収まるサイズの大出力型は作れない。
おまいら何を下らん妄想してるんだ、そもそも鉄道と船舶じゃ消費量が違い過ぎるだろう。 LSTは600t/隻だぞ、青森で気動車何両運用するつもりなんだ。そんなに余ってるなら蒸機に混燃しちまえ。 しかも舶用ディーゼルは重油だろ。そりゃあ缶用よりはちっとはマシかもしれんがね。 #重要な技術発達 代用燃料エンジンと嘘ついて気動車新製して闇燃料で動かすんですね分かります>私鉄 つーか41000や42000なんて、戦後に何両残ってどこでどうやって運用されてたんだよ。大勢に影響ないわ。 #焼玉エンジン ネタをネタ(ry
>>97 タンクの問題なら最悪大湊の旧海軍施設使えばどうにかなると思われ。
青森から大湊なら陸奥湾挟んで向こう側だし。
あと漁船の需要があるから船舶向給油施設が皆無だったとは思えない。
鉄道が間引きダイヤだったとはいえ、青函連絡船向け燃料は最優先戦略物資だから
割り込ませるのに問題はないかと。
石油列車1本(30tタキ×20両)動かせば500〜600tは運べる。
でも乗る側も動かす側も本気過ぎるんだよなぁ当時の日本の乗り物は。
これがメッシナ海峡の連絡船とかだったら台風来る2日前から運休してそうだがw。
>>102 あのさあ、当時の日本に、そんな大型タキってなかったんじゃ……
石油タンク車でもちんまい2軸貨車ばかりで……
ボギー式の大型貨車が日本に普及したのは1950年代後半以降だ。それまでは「宅扱」高速列車用の一部有蓋貨車とか限定的だろう。
線路容量が逼迫していた1940年代後半の東北線系統でそう簡単に挿入できるとか言うな
そもそも焼玉メインの漁船用燃料でLST用燃料が賄えるのか?
>>102 旧軍施設なんて使用許可出ないだろ。許可出たとして、そこまでタンカーで運んでくるのか? 2ETあたりで?
漁港にしても、3,600排水トンのLSTに給油できるほどの施設が昭和21〜3年当時にあったとは思えんがね。
>>103 ほとんどタム、あってもせいぜいタサだよな。
むしろここでは戦時急造にもかかわらず、戦後も長らく現役にあったLSTを賞賛すべきではなかろうか。
フィリピン海軍に行った奴、結構最近まで現役だったと思うんだが。ひょっとしてまだいるのか?
>>104 台湾にまだ現役艦がいるぞ>大戦型LST。
あとトルコに機雷敷設艦として残ってた気が。
アジアじゃフィリピンとシンガポールが最近まで使ってたけどこの辺はさすがにリタイアしたな。
あと石油タンク車はタキ3000が昭和25年ごろから製造されてるはず。
今ここで話題にしてるのは昭和21〜3年だってばさ。。。
108 :
名無し三等兵 :2008/10/29(水) 11:50:44 ID:cXd4RGIn
来月発売の艦スペは第二特集が青函連絡船だよ。 第6青函丸の戦後姿をスクラッチで製作する記事が載っている。
109 :
名無し三等兵 :2008/10/30(木) 16:41:37 ID:6KGEbPI9
でた、焼玉エンジン。 燃費が悪く、高回転・高出力を得にくかった。 出力の低さの割に容積・重量が大きいという弱点もあった。 このエンジンの売りは製造が容易だってことだけ。
燃料油の質に寛容というのも利点だぜ
構造単純だから運転も整備も修理も楽だしな。
一応内燃機関だから、小型なら蒸気機関よりはまだ効率はマシでもあるしな。
海軍の最期を支えたのが焼玉エンジンの哨特船団だもんなぁ。 そりゃ勝てるわけないわorz。
114 :
名無し三等兵 :2008/10/31(金) 11:48:18 ID:6Y1yO2dL
焼玉は870t以下の船に多い。 小工場で量産された船に登載する。
そう言えばドラマ「澪つくし」にも出てたっけ 焼玉の新しい船を購入したはいいが 海軍に乗組員ごと徴用されてしまって危険な任務に付く事にって よく考えて見ると漁船の徴用を描いたドラマってあんまりなかったような
つ「常民の戦争と海」
そこでパヤオ監督で最貧戦線実写ドラマ化ですよw。 哨特のレプリカ木造焼玉機関で1艘でっち上げて。
>>116 和歌山県の場合
>太平洋戦争中には、少なくとも94隻が徴用されましたが、
>生還したのは千島と台湾にいた9隻のみ。35隻は今に至るまで消息不明となっています。
行方不明・・・ひどいのう。
太平洋戦争末期、戦時標準『木造』船の造船所を日本海側(だったかな)に作ったけど、 第一船の進水直前に火事で全部消失しちゃった、って体験談の本が出てたと思うんだが。。。 誰か題名知ってる?
>>120 松下電器が一枚噛んだ秋田の能代造船所か?
「幻の木造船」だった希ガス
122 :
121 :2008/11/08(土) 20:12:04 ID:PQjqaR4y
124 :
121 :2008/11/08(土) 22:52:20 ID:???
誤爆も妙に味があるのがいいなぁこのスレw。
登戸研究所関連の資料公開か、行きたくなってきた。
>>123 >>124 漁船として考えた場合、凄く豪華で立派な造りの船だな。
これを軍艦として使わざるを得なかったのが貧乏国の悲劇か。
>>125 能代で作ったのは戦時規格型の機帆船だから軍用じゃないよ <特設駆潜艇くらいなら徴用例はあるが
鋼船の不足を機帆船の大量生産&内航投入で凌ごうとした貧乏は確かだな
>>125 それはむしろ駆潜特務艇や哨戒特務艇に言えるんじゃね?>軍艦として使わざるを得なかった
これは輸送船代用だから。。。
>>125 この手の新造機帆船何だが、木材の供給不足っつーか乾燥させる前から
建造に回すせいで、建造中に木が縮むは撓むは、進水させると同時に浸水するわ、
軸が捻じれとるせいでまっすぐ走らんわと散々なんだよ。。。
>>128 原料材乾燥させてないのかよおいwww!
それは技術力とか物資難以前の問題でやっちゃいけないことだろ…。
木材は戦時急造には適合しないんだなあ。
>>129 正しくは切り出す量、所要量に比べて乾燥設備と乾燥時間が足りないって話だけどな
まとまった資料はないが、合板材・集合材に着手し始めるのはそのため
>>130 正確に言うと、優良な木材資源が枯渇しているって話
製材や乾燥だけじゃなくて、サイズ(長さ、太さ)や切り出しコストの問題の方が大きい
機帆船建造の時に出てくる皇室財産からの御下賜檣材の話は、民間山林の木材資源が枯渇した事の裏返しよ
>>130 7,800機作られたモスキートに謝れ。
>>132 戦時急造に適さない材料でそんだけ作ったブリテン人に謝る。
モスキートの被弾孔を塞ぐパッチとして削られた食堂のドアや椅子達に謝れ
135 :
名無し三等兵 :2008/11/13(木) 16:20:31 ID:1KInZ0lZ
そうだった、英国の航空機で木製があったんだよな。 あれで飛ぶ人は、嫌だった人も居るんだろうな。
>>135 英国本土じゃ問題なかったんだが、ビルマに持ってきたらキノコ生えちゃったしな。。。
137 :
名無し三等兵 :2008/11/13(木) 23:38:37 ID:Mx0UfybW
大丈夫! WWU時の大英帝国には鋼管に布張っただけの爆撃機や雷撃機があっての。
>>137 そうそう、ドイツ軍の戦闘機じゃ足が速すぎて、
フラップ&ギアダウンしないと後ろに付けないっていう素晴しい雷撃機だもんな
>>135 贅沢言っちゃいかん、日本じゃついにマトモな機体はつくれなかったんだ>木製機
あれはあれで、いろんな意味で木質資源の限界に挑戦した工業製品だけどな。
ヨーロッパには弦楽器制作を下地にした合板技術が有ったのが大きかったかもね。 関係ないかもしれないけど、機体を叩くとヴァイオリンの胴を叩く音がしたそうだ。 コンサートマスターが楽団員に合図するときの音な。
木製機の場合、最終的にモノを言ったのは化学工業技術だろう。 接着剤の良否ですべてが決まったんじゃないか。 合板の原料だったスプルースの資源はほぼ限界に達していたらしいな。
>>140 一方、日本人は木製爆撃機明星の降下時の音を尺八だと表現した
ま、風防を下げた状態だから尺八そのものなんだけどな
>>141 いや合板作るのも接着剤の質がモノを言うんだが…。
機体のパーツ接合以前に、合板作る時点で接着剤使うから。
日本の化学者はモスキートの尿素系接着剤を大したことないとボロクソに評価してたけど、
結局満足な接着剤を開発できなかったからなぁ…。
中国もドイツと同じくカゼイン系接着剤試したけどあまりモノにならなかったようで。
四川省に乳製品工業の基盤をもたらすという副産物はあったけどw。
シャーマンなんて低レベルな戦車と笑いながら、 結局、ろくな戦車を作れなかったなんて話を思い出すな。
145 :
141 :2008/11/15(土) 07:49:35 ID:???
>>143 主にそのことを言ったつもりだったんだが>合板
木製機っつったって、WW1レベルの木骨帆布張りならどこでも作れるわな。
He162とか高性能木製機が難しかったことを示すいい実例じゃね?
カゼインってねー、結局水に溶けるんだよね。
湿度100%に72時間放置すれば自然剥離するんだぜ。これを何とかしないとね。
そういや、WW1時の木製飛行船もこれを使ってたのがいたね。
技術的に面白くない、物珍しくないと、あれだけのものを平均値として大量に作るってのは別の話なのは判るんだけどね やっぱアメリカってチートだわ
我ながら無知故にとんでも無いことを言ってるんだろうと思うが 合板で漁船の類は作れなかったの? 震洋ってベニヤ板だった様な憶えがあるんだけど、 あれは消耗品だから目を瞑ったとか?
>>148 概ねその理解でおk <震洋は使い捨て
合板による機帆船の建造も試みられたりはしているけれども、結局防水がうまくいかないのと、大きな板が作れないのか何点
それに接着剤=化学工業なので、石炭あたりの配当がないとまともなものが作れないしね
<化学工業は火薬や爆薬生産に傾注
>>149 ありがとう。
ここ最近の流れでコンクリという選択肢に目が向いたのが何故か
理解出来たりちょっと楽しい。
諸外国の魚雷艇は合板船体の奴が多いぞ。 防水ができないとか大きな板ができないのは、日本の木材資源と工業力の事情によるねぇ。
152 :
149 :2008/11/15(土) 23:45:55 ID:???
あと補足するとしたら、震洋なんかは出撃ギリギリまでは陸揚げっつーか格納庫(洞窟)に入れる のが前提なんで、そういった面でのメンテを気にせずとも良かったのが合板が使用可能だったのかもしれん と私見を言っておくわ
>>151 米軍のPTボートも合板製だな。
ただ日本の木造造船の世界に、江戸時代以来の「一枚板信仰」があったのは事実かと。
厳格な山林管理のお陰で木材資源の逼迫を経験していないのも一因だろうな。
木質がやわらかい南洋材なんかは、合板化しないと強度部材にならないのに
その辺の必要性を戦前はあまり感じていなかったんだろうね。
>>152 PTボートも2〜3年持てばOKと割り切ったお陰で成功しているな。
あれは陸揚げを前提としてはいないけど、震洋より工作面でしっかりしてたのかな?
まあ常識的に考えて、日米の技術力に加え、 複数の乗組員でまともな戦闘艇として使用するのが前提のPTと、特攻装置の震洋じゃ製造精度は段違いでしょう。 前者は高品質高精度で名高かったあのパッカードに大出力の高速エンジンを作らせて搭載、 後者は日産180トラック用転用の6気筒で何とかしろ、ですしね。
157 :
149 :2008/11/16(日) 13:09:08 ID:???
>>156 オレも156氏の見解に同意
PTあたりのものは加工木材(集積っつーか樹脂浸透材)として見るべきであって、
ベニヤとは別物としてみるべきかと
集積/樹脂浸透は、少し細めの木材を樹脂に付け込むことによって強度を増すもの
ベニヤは、薄くむいた木材(大根のカツラ剥きっぽくね)を多重にして接着剤で固めたものと見ているんだか
しかし、南洋じゃフナクイムシに酷い目に合わされそうだが PTはどうやって対処したんだろうな。
159 :
156 :2008/11/16(日) 18:29:39 ID:???
>>157 =149氏
ベニヤ"veneer"は『単板』って言う意味。
原木を大根のカツラ剥きしたのがロータリーベニア、短冊切りがスライスベニア。鋸で引き割ったのはラミナになる。
で、これらの単板を積層したのが『合板』、いわゆる"Plywood"。
よく言われる「ベニヤ板」は単語としておかしい。けど、ホムセンで「ベニヤ板」っつっても通じるよね。
それと同じで、PTのそれを"Plywood"としても通じなくはない、んだろうよ。
それがいつの間にか"Plywood"=ベニヤ板になって広まってるっぽいね。
樹脂含浸はまた別の話だな。けど、フナクイムシ防護にも効果がありそうだ。
160 :
149 :2008/11/16(日) 19:02:35 ID:???
>>159 解説サンクス
確かに加工材って観点からすると全部似たようなものだし、翻訳の過程でベニヤになってしまうかもね
ただ、戦時中の日本の造船を見ていると、集合材とベニヤは別個のものとして理解されているから、造船系の人の勘違いではないだろうね
フナクイムシはどうなんだろうなぁ、PTだと塗料かアノードの取り付けでしか対処しようがないと思うけどなぁ
<日本の駆潜特務艇は船底に薄鋼板だし、機帆船は二重の船底材にして食いぬかれた
ドイツのSボートも木製外板だったはずだけど、あれはどのような材質だったんでしょうね。 あと、ソ連も木製機を大量生産してますが、接着剤の質は良かったんですかね?
Sボートは軽合金だったと思ったが?
初期の艇は木製だったな。
木製ったって震洋ほどのベニヤ(ロータリーベニヤ?)ほどじゃないからな
>>161-163 戦後のヤグアール級は木製に戻ってる>ドイツSボート。浅海面での磁気機雷対策だと。
ただ木製は高度な建造技術が要るんで、ヤグアール級を改設計してイスラエルのサール級を造った時には、いずれイスラエル自力で造れる様に鉄で作ったそうな。
(ソース:アブラハム・ラビノビッチ「激突! ミサイル艇」)
察するに、軽合金Sボートって、戦時省略生産型(ルビ:ヤスアガリテヌキ)じゃないのか?
軽合金船体だと海水につけとくと腐食しそうだ。
167 :
名無し三等兵 :2008/11/19(水) 15:52:27 ID:5KxvruzW
フナクイムシ 退治方法 フナクイムシを退治する昔からの方法は、船を陸上げして船体を横に倒し、 周囲でたき火をして船底を乾燥させることだった。 「焚船」または「船たで」といわれるこの作業は、日本では漁民の縁起かつぎとしても行われたが、 面倒な仕事であるのに変わりはなかった。 防御方法 18世紀になってフナクイムシの被害を防ぐ画期的な発明が生れる。 船底に銅板を張るという方法だ。銅が酸化すると緑青と呼ばれる青錆が生じる。 この緑青から亜酸化銅が海水に溶け出し、これが海洋生物に対し毒性を持つため フナクイムシの付着が妨げわけである。 画期的な発明ではあったが、その後1世紀ほどの間に船の世界は鉄船の時代に入ってしまった。 副産物 1800年代初頭、英国のエンジニア、マーク・ブルネルは、 どうやってフナクイムシの貝殻は木を掘ると同時に木材の膨張から身を守るのかを観察した。 これにより彼はモジュール式の鉄の枠組みを使ってトンネルを掘り進むシールド工法を発明し、 テムズ川の脆弱な川底の下を通るトンネルの工事を成功させた。 これほどの幅をもつ可航河川の下へ潜るトンネルはこれが最初であった。 その後Greatheadによって改善されたシールド工法は、 現在もトンネル掘削において盛んに行われている。 フナクイムシは世界各地に分布し、寿命は八ヶ月くらいで、途中で性転換をする。
168 :
名無し三等兵 :2008/11/26(水) 13:44:42 ID:ymxYrjq8
三菱造船所長崎 古鷹・羽黒・鳥海・利根・樫野・武蔵・照月・涼月・天城・笠置など戦闘艦を建造した他、 商船では浅間丸・三池丸・新田丸・照国丸・あるぜんちな丸・高砂丸・ぶゑのすあいれ丸など建造。 隼鷹の橿原丸もここ。飛鷹の出雲丸は川崎造船所神戸。
>>167 「無人島に生きる16人」でフナクイムシの恐ろしさを
知ったもんだ。
保守ー。
171 :
名無し三等兵 :2008/12/12(金) 13:59:11 ID:5uhw8PUk
しかし第二次大戦が無かったら日本商船の多くが天寿を真っ当してただろうに。 おしいことをしたもんだ。 そうなると氷川丸も山下公園で保存などされず解体されてたけど。
まあね、戦争の記念品と言うのは少ない方が良いとは思うけどね。
モデルグラフィックス誌に連載されている「日の丸商船ギャラリー」が 単行本化される。 嬉しい。
旧型船を物理的に一掃できたのがWWUにおける日本商船界の唯一の収穫だしな。
それが戦後の日本船社の大躍進にもつながったわけだし。
>>165 サール級ミサイル艇でも初期生産艇はアル骨木皮だな。
大戦中のドイツでのアルミ不足は南方のボーキサイト産地を抱えていた日本の比じゃないから、
決して手抜きではないと思う。逆に良質な鉄鉱石はスウェーデンから安定供給できてた。
ただ純粋に高速を発揮するために素材の軽量性を追及した上での結果かと。
あと強度と重量を極限まで天秤にかけると木は鋼鉄よりは優秀な素材だし。
特に経年耐久性を要求しない小型高速艇には適してる。
アメリカ魚雷艇もいろいろ試行錯誤した上で木製にたどり着いてる。
175 :
名無し三等兵 :2009/01/06(火) 14:37:12 ID:fOTspuMx
176 :
名無し三等兵 :2009/01/09(金) 18:12:15 ID:krXUrbwQ
>>175 郵船や大阪商船の船は航路の需要から、せいぜい1万トン台の貨客船しか必要とされなかったからな……
北大西洋をバケモノみたいな性能とサイズのオーシャンライナーがタービン全開で行き交ってブルーリボンを競った同時代、
太平洋航路のさほど大きくもないディーゼル貨客船じゃ、マジメに作ってあっても注目は集めにくいだろうさ……
郵船は、船会社としての国際的な評判を、サービスの良さと食事のおいしさで保っていたわけだし
出雲丸・橿原丸が客船としてデビューしていればなぁ
一時代を築いた北大西洋横断航路の数々の名船ですら、船好きでない一般人から顧みられる事はまず無いからなあ。 タイタニックとQE2を除いては。
180 :
名無し三等兵 :2009/02/05(木) 16:26:45 ID:FpaTToR0
出雲丸・橿原丸でさえ3万トン未満だから日本商船は注目を集めにくいね。 まあ、日本の需要が巨大船を必要としなかったし、 巨大船を造る技術も無かった&ドックも無いから高望みなんだけど。 せめて4万トン近くの船を建造してれば違っただろうに。 ブレーメンでさえ5万トンなんだから、理想は5万トン船建造。
●北大西洋 クイーン・エリザベス 83673総トン、全長313.5m、全幅36.1m、出力200000馬力、航海速力28.5ノット、最大速力32.0ノット クイーン・メリー 81235総トン、全長310.5m、全幅36.0m、出力200000馬力、航海速力29.0ノット、最大速力32.0ノット ノルマンディ 83423総トン、全長313.8m、全幅35.9m、出力165000馬力、航海速力29.0ノット、最大速力32.2ノット ブレーメン 51656総トン、全長286.0m、全幅31.1m、出力135000馬力、航海速力27.0ノット、最大速力28.5ノット オイローパ 49746総トン、全長285.3m、全幅31.1m、出力130000馬力、航海速力27.0ノット、最大速力28.5ノット レックス 51062総トン、全長268.2m、全幅29.5m、出力142000馬力、航海速力28.0ノット、最大速力29.0ノット コンテ・ディ・サヴォイア 48502総トン、全長248.3m、全幅29.3m、出力130000馬力、航海速力27.0ノット、最大速力29.4ノット ●日本 橿原丸(未成) 27700総トン、全長218.0m、全幅26.7m、出力56250馬力、航海速力24.0ノット、最大速力? 新田丸 17150総トン、全長179.8m、全幅22.5m、出力25200馬力、航海速力18.5ノット、最大速力22.5ノット 浅間丸 16947総トン、全長178.0m、全幅21.95m、出力19108馬力、航海速力18.0ノット、最大速力20.7ノット
>>181 北大西洋の高速客船は、イギリスの2隻以外はほとんど国策による赤字建造、赤字運航だったと思うが、
それにしても列強の大型船がこれだけ揃って、
昨今の日本海沿岸航路の高速フェリーに匹敵するハイスピードを休みなく保って
数日で欧州からニューヨークまで到達してたんだから、1939年以前の北大西洋は凄かったんだな。
デザインも性能も各船、今では考えられんほど高い水準だし。
NYKラインは……空母改装準備仕様の橿原丸を除くと
普通のディーゼル貨客船ですね、ありがとうございまし(ry
太平洋は超スピード競争の海じゃなかったから経営判断としては当然だけど。
橿原丸だって日本郵船にとっては過剰サイズで、日本海軍の意向がなければ建造しなかったろうし。
民間船の経済速度ってまあ昔から20ノット強がせいぜいで、
30ノット常時出すのは飛行機で言えばコンコルドのような燃費の悪さと裏腹。
多くの民間旅客機が音速越えせずに亜音速で50年以上推移しているのと似たようなもので、
商船界でタービンが広く普及し、後発のディーゼルが安定水準に達してきた1920年代後半には、
大体この線は見えてたんだろうと。
でも、いくらボロ船とはいえパーソンズタービンで震動の少ない天洋丸の代替が、
ディーゼルの脈動が避けられない浅間丸ってのもちょっと辛い。
浅間丸シリーズも悪い船じゃなかったと思うが、
ディーゼル貨客船如きを一部の人がやたらに豪華客船扱いするのは、YS-11を「世界的名機」という連中に等しい視野の狭さを感じる。
浅間丸は貨客船ではなく単純な客船だと思うよ。豪華客船というにはさびしいが。 貨物の搭載能力が小さくて、戦時中には軍隊輸送船として使い勝手が悪かったようだ。
貨客の搭載量から見て、NYKの方が貨客船だよな。 1〜3等の定員見ても、どっちがいわゆる『ライナー』っぽいかがよく分かる。
日本郵船自身が出した書籍でも浅間丸級は客船、新田丸級は貨客船に分類されてました。
北大西洋航路船でも、
>>181 に挙げたブルーリボン狙いの大出力巨大船以外なら橿原丸はいい勝負かと。
エンプレス・オブ・ブリテン 42,348総トン、全長231.8m、全幅29.7m、出力66500馬力、航海速力24.0ノット、最大速力25.5ノット
モーレタニア(2代) 35,738総トン、全長235.4m、全幅27.3m、出力42000馬力、航海速力23.0ノット、最大速力?
イル・ド・フランス 43,153総トン、全長241.3m、全幅28.0m、出力60000馬力、航海速力23.5ノット、最大速力24.0ノット
パリ 34,569総トン、全長232.9m、全幅25.9m、出力?、航海速力22.0ノット、最大速力?
ローマ 32,583総トン、全長216.1m、全幅25.2m、出力36000馬力、航海速力20.0ノット、最大速力?
ニュー・アムステルダム 36,287総トン、全長231.2m、全幅26.8m、出力35100馬力、航海速力20.5ノット、最大速力?
スタテンダム 29,511総トン、全長212.5m、全幅24.7m、出力?、航海速力19.0ノット、最大速力?
浅間丸、橿原丸の真のライバルである同じ北太平洋航路船。
エンプレス・オブ・ジャパン 26,032総トン、全長203.0m、全幅25.5m、出力34000馬力、航海速力21.0ノット、最大速力23.0ノット
プレジデント・フーヴァー 21,936総トン、全長199.3m、全幅24.7m、出力26500馬力、航海速力20.0ノット、最大速力21.6ノット
187 :
名無し三等兵 :2009/02/12(木) 14:07:39 ID:rvrcofNp
商船の気持ちで言えば、第二次大戦が無ければ各国の船も天寿を真っ当出来た。 実に惜しいことをしたもんだ。 日本以外だと各国の代表船以外は、あまり知られて無い=日本では知られて無いんだよな。
日本海海戦の殊勲艦である仮装巡洋艦「しなの丸」が太平洋戦争を生き延びたのは 素直にスゴいと思う。 雪風も真っ青な強運艦としか言いようがない。 バルチック艦隊と遭遇した「敵艦見ユ!」の時点で太平洋戦争当時の特設哨戒艇と 同じ運命を辿っててもおかしくないのに、決死の艦隊追跡まで敢行してるし。
>>181 翔鶴やエセックスのような大型空母でもこいつらと大西洋横断競争やったら負けるか?
>>189 もともとの運用思想が違うよ。
旅客船は高速での巡航を目的として船体やエンジンが設計されている。
空母は戦場だけ高速力を発揮できればそれで良く、また防弾・隔壁などで
重量も格段に増える。実際、空母は燃費がかなり悪い。ただそれでも、
本気での長距離運用の場合には給油艦からの補給が受けられるという
前提がある。
191 :
名無し三等兵 :2009/02/13(金) 11:54:25 ID:iHVwm9gX
商船、とくに客船は目的地まで常に高速で航行する設計で開発建造されている。 高速航行に適した船体型に大出力エンジンを載せて、いかに早く到着するかを求める。 だから経費などは運賃に跳ね返るのでペイしてる。 空母などは戦場に急行する、戦場、艦隊戦の時に高速を出せば良く、 目的地まで航行するのは他の艦船(タンカーや貨物船)に合わせた速度で航行する。 元々、高速航行は考えられて無く一時的に高速航行出来れば良いという設計開発。 日本の空母は艦隊戦も視野に入れて設計開発してる。
>>191 >日本の空母は艦隊戦も視野に入れて設計開発してる。
そう言えば加賀とか巡洋艦クラスの主砲積んでたな。w
>>192 レキシントン級も20cm砲積んでたよ。
初期の空母の主砲って戦艦の副砲的な役割、つまり肉迫する駆逐艦なんかを追い払うためのものじゃなかったっけ?
てか戦前は空母の運用方法として、戦艦隊戦艦の艦隊戦に空母も随伴して 航空支援することも想定されていた。その場合に空母も艦隊戦に同行する 可能性があったから主砲も搭載していた。 イギリスなんかは実際にヨーロッパ戦線ではそういう空母の運用をしていたと 聞いたような気がする。
龍譲は実際に大砲ぶっ放しながら突撃を仕掛けた。 それを見た味方の艦隊は引いたらしいがw
大砲?
199 :
名無し三等兵 :2009/02/24(火) 15:56:18 ID:RtxRBa+7
商船改造の特設巡洋艦に萌える! 報国丸愛国丸に!
200
戦漂船
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/DetailView.jsp?LANG=JA&METAID=00158445 優秀船に乏しい貧弱なわが海運
世界中のゴミ溜場所
--------------------------------------------------------------------------------
本邦海運は欧洲大戦当時より逐次膨張し現在では世界第三位にあるが実質上快速力船、デーゼル船等の点から
甚しく貧弱なものである試みに大正三年の各国所有船を百として二月現在比例は
米国六〇五隻△日本二三三隻△仏国一七二隻△独六〇隻△伊太利三九隻
而して英国及び日本の五万噸以上の所有船主を調べると
英国六十四社其所有船二千三百六十二隻、千四百四十八万千四十二屯でそのうち五十万屯以上
船主はエラーマンファーネスライン。ブリッジッシュ、インジア、スチームナビケエイション。アルフレッド。ホルトホワイト、スター。
ビーオーの六社で又本邦の郵船、商船国際川崎近海郵船、三井物産、東洋汽船、川崎汽船などはいずれも大手船主であるが
これら船主と打って一丸としてもなおかつ英国のエラーマン社と同一隻噸数にあたるわけで而も優秀船に至りては
頗る貧弱である即ちデーゼル船の如き僅に八隻にすぎない加うるに事実上迚も六大強国として誇るに足らず年々
古船老朽船の輸入夥しく世界海運界のゴミ溜の観がないでもない
203 :
名無し三等兵 :2009/03/07(土) 11:51:39 ID:i1YH63LX
うちの爺さん、
戦前、戦時中は摂津商船で働いていた。
戦時中に大阪商船に吸収される話しが持ち上がると、
職を失い、戦地に行かされると思ったらしいw
乗ってた船は「かんべら丸」の二番船である「東京丸」
ttp://www.takedive.net/sbs/sbs_sub/Senbotsu6FILE/46tokyo.html 一番の思い出は昭和18年8月にラバウルから横須賀に帰る途中、
敵潜魚雷で損傷した東海丸の曳航で、グァムまで曳航したのが一番の思い出だそうだ。
直に横須賀からラバウルに向い、そこからトラックに行く途中、
敵魚雷にヤラレたので僚船に曳航して貰ったが、運命尽きて沈んだそうだ。
東京オリンピックの年に大阪商船が三井船舶と合併する時も職を失うと思ったとw
>>203 と言う事はけっこう長く働いてたんだな。
私は、無線室が無くなって職を失いました。
206 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 17:52:07 ID:E+4Ah5Fv
アメリカ給油艦シリーズ カナワ/マウミー級(KANAWHA/MAUMEE CLASS)給油艦 満載排水量:14,800t、全長:144.99m、幅:17.16m、主機ディーゼル1軸、速力:14.0kt カナワ・1915年6月5日、1943年4月8日ツラギ湾入り口にて日本海軍機の爆撃により沈没 マウミー・1916年10月20日、1946年11月5日中国国民党に貸与されOmei(AO-509)と改名、1967年7月8日解体のため売却 クヤマ・1917年4月12日、1946年4月12日解体のため売却 ブラゾス・1919年10月1日、1946年2月8日解体のため売却 ネチェス・1920年10月25日、1942年1月22日ハワイ沖にて日本海軍伊号潜水艦の雷撃により沈没 ペコス・1921年8月25日、1942年3月1日ジャワ南方海域にて日本海軍機の攻撃により沈没 パトカ級(PATOKA CLASS)給油艦 満載排水量:16,800t、全長:136.27m、幅:18.28m、主機レシプロ機関2基、速力:11.2kt パトカ・1919年10月13日、1946年7月1日解体のため売却 ティピカヌー・1919年10月16日、1946年3月6日解体のため売却 ラマポ・1919年11月15日、1946年1月10日解体のため売却 サペロ・1920年2月19日、1945年10月26日解体のため売却 トリニティ・1920年9月4日、1946年5月28日民間に売却 ラピダン・1922年1月1日、1946年9月17日解体のため売却 サリナス・1921年12月16日、1946年1月16日海事委員会に移管 セパルガ・1922年1月13日、1946年3月1日解体のため売却
207 :
名無し三等兵 :2009/03/11(水) 18:03:40 ID:E+4Ah5Fv
シマロン級(CIMARRON CLASS)給油艦 満載排水量:24,830t、全長:168.55m、幅:22.86m、主機ギヤード蒸気タービン2軸、速力:18.0kt シマロン・1939年3月20日、1968年10月?日解体のため売却 ネオショー・1939年8月7日、1942年5月7日珊瑚海海戦にて日本海軍機の雷爆撃により大破、3日後自沈処分 プラット・1939年12月1日、1967年6月16日空母キティ・ホークと衝突し損傷、後に海事委員会に移管 サビーン・1940年12月5日、1969年2月20日予備艦隊に編入、1980年以降解体のため売却 サラモニー・1941年4月28日、1968年12月20日解体のため売却 カスカスキア・1940年10月29日、1969年12月 解体のため売却 サンガモン・1940年10月23日、1942年2月14日護衛空母に改装 サンティー・1940年10月30日、1942年3月?日護衛空母に改装 シェマング・1941年7月3日、予備艦隊に編入後1970年9月18日解体のため売却 シェナンゴ・1941年6月20日、1942年3月16日護衛空母に改装 ガダルーペ・1941年6月19日、1975年10月16日解体のため売却 スワニー・1941年7月16日、1942年2月14日護衛空母に改装 アシュタビュラ・1943年8月7日、1980年12月12日予備艦隊、2000年10月15日標的として沈没 カカポン・1943年9月21日、1973年8月?日解体のため売却 カリエンテ・1943年10月12日、1974年4月5日解体のため売却 ミシシネワ・1944年5月18日、1944年11月20日ウルシーにて日本海軍伊号搭載回天の攻撃により沈没 エスカンビア級(ESCAMBIA CLASS)給油艦 満載排水量:21,880t、全長:159.59m、幅:20.72m、主機ターボエレクトリック/2軸、速力:15.0kt エスカンビア・1943年10月28日、1971年8月?日解体のため売却 マスコマ・1944年2月3日、1969年コンテナー船に改装、1981年解体のため売却 パシグ・1944年7月3日、1944年8月28日蒸留水艦に改装、1970年5月1日解体のため売却 アバタン・1944年7月25日、1944年8月24日蒸留水艦に改装、1970年5月1日解体のため売却 以上、戦前〜終戦までの給油艦
米給油艦は古いのと新しいのが明確に分かれてるな。
シマロン級はヴィンソン法にからんで建造されたもの?
缶水給水艦は面白いな。 巨大蒸気力海軍ならではの産物だ。南洋じゃ確かに良質の缶水の調達に苦労しそう。
211 :
名無し三等兵 :2009/03/13(金) 17:49:07 ID:RGTQPxWv
>>211 2008年時点でまだMARAD籍で生き残ってて、カリフォルニアのSuisun湾に置いてあるに読めるが>T-AO-105。
ジャンボサイズ化工事で実質新品に生まれ変わったとはいえ恐るべき長寿だな。
他の戦時標準タンカーも大半は1990年代まで生き残ってるしねぇ。
根本的に造りがしっかりしてたんだろうね。
日本の戦標タンカーを1990年まで運行しようとしたらどうなることやらw。
213 :
名無し三等兵 :2009/03/16(月) 11:36:16 ID:hTFuWfJi
>>212 米国の戦時標準船と同じく日本の戦時標準船も以外と長生きしたのも在るから、
一概に日本の戦時標準船が悪い訳では無いけどねw
米国の戦時標準船で長生きしてるのは軍籍船がほとんどだし。
日本の海上自衛隊では戦後、戦時標準船を採用しなかったし。
それに日本の場合、機関や船級の問題で早々に引退した船が多い。
戦前、戦中、戦後も10000t貨物船などもディーゼル機関が主流なので、
レシプロ船やタービン船などを機関変装するなら新造船を得た方がマシみたいな。
(同様に高砂丸も機関問題で早々に解体となっている)
それと戦時標準船は国際船級に合致して無いので船級を取得する為に、
安全機器、揚貨装置、機関、機械装置、電気、電子など改造設置しないといけないので、
わざわざ古い船に設置するより新造船をとなる。
だから戦時標準船で船級改造したのは僅かしか無い。
戦時中に戦時標準船で得たノウハウ、ブロック建造、溶接の採用、先行艤装方式、
いわゆる一杯半建造など、戦後の日本造船界の武器となった。
日本造船界が世界に乗り出し、瞬く間に世界を席巻した影には、
戦時標準船で得た経験があったことは否定できない事実です。
>213 2TMが一隻、長く自衛艦籍にあつたんだが・・・・・。
MS101桑栄なら使い潰すのが前提で残ってただけでは。
216 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 17:34:09 ID:CrHcMhqe
>>214 一隻では採用配備されたとはいえない単位だよな。
自衛隊に採用されたと言っていいものか疑問?
>>215 嫌がる桑栄に無理矢理機雷原の上を走らせる海自……
最近特設艦船に興味持ってちょっと調べたんだけど、徴用船舶への依存具合ってホントに半端なかったんすね……
帝国海軍ってマジで戦闘艦艇しか持たなかったんですね……
何せマトモな洋上給油艦もなければ揚陸輸送艦も給兵艦もないからねぇ。 支援艦艇で他の列強並みに準備できてたのは砕氷艦と給糧艦と工作艦位か。 つか具体的に言えば大泊と間宮と伊良湖と明石と朝日w。 特設艦艇で数冊本ができそうな米英海軍には勝てませんな。 まぁ平常時の海運依存度とか想定作戦海域とかいろいろ言い訳の種はあるんだろうけど差は明白。 機雷戦艦艇が人前以上に整備できてたのがせめてもの救いか。 それも優秀艦は南方輸送用に動員されて実力を発揮する前にみんな海の藻屑になっちゃったけど。
>>218 まともに使える洋上給油艦はみんな空母になってしまいました。><
しかも瑞鳳なんかはミッドウェー以後の空母戦力の中には計算に含めないとどうしようもない状態。><
どうしようもなくリソース不足
220 :
名無し三等兵 :2009/03/19(木) 11:48:49 ID:9OB92onN
>>217 丸なんかでは陸海軍ともに日本の限りある予算の都合上、
戦闘機器優先で補助機器に回せない、足りないので戦時不足分は、
民間徴用で賄うとか書いてあった気がしたが。
陸軍→民間から乗用車や貨物車
海軍→海運から貨物船や油槽船
どうしても軍備増強で戦闘機器優先なので補助機器は後回しにされたが、
少なからず補助機器を揃え様としたことは事実みたいだが。
陸軍初の国産制式トラック九四式六輪自動貨車や、
昭和16年からの一式四輪、一式六輪など。
海軍の場合、政府に提言して政府が海運国策三法を制定し、
昭和14年から建造効率を上げる(速度)を上げる為、
規格を簡素化して共通化し資材を共用しやすくする為に、
平時標準型としてA型B型C型D型E型F型を制定する。
それが開戦に伴い、商船建造は計画造船として国家の管理下に置かれ、
海軍の所管するところとなったが被害が甘く見積もられていたので、
昭和17年4月の改四線表、第一次戦時標準船に繋がる。
平時標準船は後の第一次戦時標準船と比べ規格などは同じだが、
船体形態や性能は優秀なので戦時標準船より大量建造に適さなかった。
第一次戦時標準船は基本、平時標準船の少改良。
221 :
名無し三等兵 :2009/03/19(木) 11:50:33 ID:9OB92onN
A型貨物船(6300トン)9隻 B型貨物船(4500トン)16隻(油槽船改造4隻) C型貨物船(2750トン)34隻(油槽船改造5隻) D型貨物船(1990トン)戦前53隻、戦中22隻(油槽船改造5隻) E型貨物船(830トン)13隻 F型貨物船(490トン)21隻 K型鉱石船(5300トン)20隻(油槽船改造6隻) TL型油槽船(1万1千トン)1隻 TM型油槽船(5200トン)7隻 TS型油槽船(1010トン) 代表例として、 平時標準A型 日春丸 平時標準C型 和洋丸 平時標準船はメジャー汽船以外の東洋汽船、日産汽船、辰馬汽船、石原産業を始め、 各中小汽船近海航路に多数就航している。
222 :
名無し三等兵 :2009/03/19(木) 13:17:33 ID:9OB92onN
海軍の場合、民間用船舶が足りて無い状況を考慮して、 助成で民間に建造させて平時は民間が使用、 戦時の際には徴用して使用することになっている。 要は持ちつ持たれつつ。
>>213 TLとかAとかの大型船は生き残った奴のほとんどが入級工事してなかったか。
しないと外航航路就航できんからな。
224 :
名無し三等兵 :2009/03/21(土) 10:48:15 ID:hvy+Ylnl
>>223 生き残りの大型船は皆、級改して外洋航路に就航してる。
とくにTL型とA型は皆、級改して戦後輸送の一旦を補っている。
それでも大型船不足してる。
良スレッド保守
226 :
名無し三等兵 :2009/03/25(水) 16:59:33 ID:ppXRBscd
戦後日本は大型船不足で困っていて、浅瀬に沈んでいる大型船を浮揚した記録もあった。 生き残った残存船舶は可動状態で1万トン以上は10隻、9千トンが6隻、8千トンが1隻、 7千トンが6隻、6千トンが46隻、5千トンが4隻、4千トンが8隻 生き残りA型戦時標準船で級への工事28隻 永暦丸 昭和20年7月14日、函館船渠(室蘭)で修理中に空爆を受けて大破、水没、戦後浮揚 他浮揚船として第十六多聞丸、錦江丸など。 生き残りTL型戦時標準型油槽船で級への工事12隻 さばん丸 昭和20年7月24日、呉港外大黒神島付近で空爆を受けて擱座、沈没、戦後浮揚 他浮揚船として千種丸、雄洋丸、せりあ丸など。 面白例として、 戦後、山下汽船が1920年建造の英国B型戦時標準船Sirsaを香港経由で購入、 太平丸と改名して使用して昭和32年に解体売却、昭和35年新潟で解体などある。
227 :
名無し三等兵 :2009/03/25(水) 17:13:09 ID:ppXRBscd
豆知識 ガダルカナル島の有名船、鬼怒川丸は三菱長崎造船、富士川丸型の2番船で、 トラック環礁で一番綺麗な沈船と言われる富士川丸の2番船でもある。 富士川丸型と同じ仕様で昭浦丸型2隻の2番船、和浦丸は大戦を生き残り、 昭和50年まで国内所属長生きし、翌年釜山で解体された。
4万トンのエンプレス・オブ・ブリテンって 独の航空機とUボートに撃沈されたんでしたっけ? ほんとだったら、凄い戦果www 日本軍の戦果は1万トン級どまりかな。
229 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 15:41:16 ID:AS0uoWHb
1万トン級どまりも何も、太平洋航路は米国でさえ1万〜2万トンの船クラスなのにw 平均は1万トンクラス。 北太平洋航路で最大の船はカナディアンパシフィックのエンプレス・オブ・ジャパン26.032総トン。 米国最大の客船であるプレジデント・フーバーとプレジデント・クーリッジでさえ共に21.936総トン。 President Hoover、President Coolidge 北大西洋航路と違い、北太平洋航路に巨船は必要無かった。 なので日本が巨船を沈めるには大西洋に行かないといけないw
>>228 ですが、
>>229 さん、d
まぁ、太平洋で2万トン以上の船使って、
兵員輸送する必要無かったかもしれないですしね。
調べたら、
インド洋で、英印軍の1個旅団積んだ船沈めてますね。
231 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 16:10:23 ID:AS0uoWHb
232 :
名無し三等兵 :2009/03/27(金) 17:26:00 ID:AS0uoWHb
太平洋航路は大西洋航路と違い、各地から米国に移民するなんて事例が無い。
また米国から欧州に里帰りみたいなのも無いので大西洋旅客みたいに需要が無いから船を巨船にする必要が無い。
せいぜい、太平洋各地から少数が移民などする位なので1万トン〜2万トンあればまかなえる。
需要が無いから4万トン1隻より1万トン4隻となる。
しかも太平洋は旅客より貨物に主流を置いた貨客船が多い。
日本も戦前は、需要が巨船を必要としなかったから最大で浅間丸クラスだった。
それでも年々とサンフランシスコ航路は人員・貨物など増加傾向にあったので、
日本郵船が日本初の27.700トン橿原丸型、橿原丸出雲丸を建造したが、
戦争で完成すること無く空母になったが。
日本←→サンフランシスコ間の需要が高まったのは当時の航路とビザ関係で、
中東・アジア方面から米国に行くのは日本経由で無いとビザが発行出来ないはず。
つまり上海や香港、シンガポールから一度、日本の横浜や神戸に立ち寄って貨物の積み降ろし、
燃料を補給してから米国に向う航路しか無かったはず。
戦前の太平洋航路
ttp://www.geocities.jp/travel_100years/toyo_no_nippon2_150.jpg
その大型化だってオリンピックや空母改造視野に入れて強要させたものだし…… 戦前の日本の海運会社の場合、貨客船以上に むしろ畿内丸みたいに必要十分なサイズで性能のいいディーゼル貨物船を多く建造したかったろうしな。
234 :
名無し三等兵 :2009/03/30(月) 16:20:37 ID:b/0CkqPs
大型化は戦時徴用と空母化でしょ。 橿原丸と出雲丸の計画自体は東京オリンピックを目当てに超大型優秀客船建造助成したが、 実際は進まず日中戦争で昭和13年にオリンピック中止決定後は空母改造を前提に昭和14年に起工。 一年後には空母化決定で16年には海軍買上げで客船にはならなかった。 1万トンに達する船は皆、空母改造を視野に入れている。 戦前が1万トン付近で建造したのもサイズで十分だったし、 大きさより量をとってたわけで。
アメリカの海事局標準船は「まぁこんなもんだろ常識的に」という感じなのに、日本の優秀船建造助成金 貰ってる船はムリしている感じがプンプン漂うんだよな。 絶対にこのトン数じゃ大き過ぎて持て余すだろ…とか他社船に比べ速力頑張り過ぎだ…とか。 一点豪華主義を貫くより、無理しない範囲でタービンやディーゼルエンジンの造機能力の裾野を 広げるような助成が良かったのかも。 というのも海防艦の建造写真で見た新潟鉄工所の艤装岸壁があまりに悲惨過ぎたので。 丸太で三脚組んで舗装もされてない岸壁から人力で主砲載せてるんだもんなぁ。 このクラスの造船所にまともなクレーンやら艤装設備やらドックがあればねぇ。
>>235 だって優秀船建造助成はあくまで民間商船支援ではなくて
海軍支援のための助成金ですから。
純粋に民間のための船舶助成なら船舶改善施設というのが
あるけれど。ただ質的な船舶の改善にはかなり貢献したけれど
量的には何の助けにもならなかったって感じはする。
>>235 米国のそれは戦時徴用の際、特設艦艇だったり支援艦艇程度で平時の機能から
大きく逸れる物ではない場合が多いが、いざとなったらの柔軟性が高い。
一方、日本の場合は最初から戦闘艦艇を求めている場合が多く、それが日米の
差なのでは?
>>235 新造船舶の需要に応じて造船造機も作られるもんであって
あれでも平時需要に対してかなり過剰だったっていうから
日本の海運が如何にしょぼかったかってことじゃないかね・・・。
だから助成で背伸びした船になったんだろうし。
でも日本の船にも高速船とかの需要はあったよ。 大型船の需要はそれほどはなかったかもしれないのは事実だが。 確かに戦前の船舶事情の報道で高速船への要求は多かった気が するが、大型船への要求はあまり見なかった気がする。
客船に関して言えば日本は戦後も大型化出来なかったな。 1989年竣工の「ふじ丸」まで20,000総トンを超える船すら建造されなかったし。 まあ現在日本最大の「飛鳥U」(50,142総トン)でも総トン数順位では 127番目くらいなのだけれども…
大西洋横断に比べると太平洋横断とかって需要が無いのかね。 大西洋横断の需要は移民とかが多いみたいだけど。 そう言えば太平洋横断でもブラジル殖民の時には船が活躍は したみたいだけれども。
242 :
名無し三等兵 :2009/03/31(火) 11:35:26 ID:aoZa+GqO
そもそも優秀船建造は海軍支援で低速船代替、資源輸入、有事の際は徴用船も視野に入れたものだから。 平時の際は出来るだけ早く資源類輸入、有事の際は低速船では艦隊付属、戦地補給に活用出来ないので、 高速輸送船として活用させる一石二鳥を狙っていた。 高速船を建造となると常にスピードと巨大化(容量)と燃費の睨めっこで、 スピードを上げると船体は、ある程度の大きさ、細くしないとスピードが上がらない。 戦前戦後もスピードは平均15ノット、最大20ノット近辺を目安に建造しようとしたが、 20ノット以上は船体を細くする必要に迫られ、船体を横には広げられないので、 縦に長くすると操舵の問題など表れ、トン数(容量)上げると船体は巨大化する。 巨大化すると機関も大馬力にする必要になるので、こんどは燃費の問題に繋がる。 戦前、日本郵船を始め長良丸型、赤城丸型、崎戸丸型、畿内丸型、かんべら丸型 関東丸型、吾妻山丸型、阿蘇山丸型、有馬山丸型、淡路山丸型 神川丸型、霧島丸型、清澄丸型、衣笠丸型、金華丸型などの貨物船を始め、 報国丸、あるぜんちな丸でさえ15ノット以上、1819ノット出るようになってる。 戦後も課題として残り、60年代後半にスピードを諦めて容量をとって現在の船舶に繋がる。 そもそもアメリカの標準船と比べるなら日本は戦時標準船で比べる訳で、 アメリカの民間貨物船も日本と変らないレベルの船。
243 :
名無し三等兵 :2009/03/31(火) 15:05:24 ID:aoZa+GqO
戦後は計画造船に従い、第1次から第8次計画造船で船舶の再整備をした。 第4次以降、米国の対日政策緩和により造船の規制が全廃されたので高速船を建造した。 日本郵船、戦後初の新造外航貨物船として第5次計画造船で、 2隻建造した平安丸、平洋丸が紐育定期航路、シアトル定期航路、欧州定期航路の就航第1船として活躍。 当時は旅客を扱う外航船が氷川丸1隻のため平安丸と平洋丸は6名の旅客設備を有した。 平安丸、平洋丸は速度制限で最大14ノットだが、第6次の赤城丸型、阿蘇丸型では最大19ノット、 10次計画の相模丸型で20ノット、讃岐丸型でも20ノット。 大阪商船では、大阪丸15ノットを始め、あめりか丸型で17ノット、あとらす丸型では18ノット、 ふいりぴん丸型で20ノット、らぷらた丸型で19ノット、もんてびでお丸型で19ノット、 はばな丸型やしかご丸型やへいぐ丸型で21ノット、 川崎汽船で定期・不定期兼用の中速経済船として和川丸で17ノット、神川丸型で19ノット、ねばだ丸型で20ノット、 三井船舶で吾妻山丸型が15ノット、赤城山丸型は19ノット、 大同海運で高忠丸型が19ノット、ぶるっくりん丸型で21ノット、 21ノットは東京−小笠原諸島を結ぶ小笠原海運のおがさわら丸と同じ位。 政府が実施した計画造船により戦後10余年で戦前の船舶保有量を回復したが、 一方で船会社の乱立を起こし邦船間の過当競争を引き起こす一因ともなったので、 国家主導による海運業の集約・再編成が実施された後は、 第21次計画造船で日本郵船の加賀丸型24ノット、大阪商船のぶれーめん丸型24ノット、 これ以降、一般貨物船の需要が減りコンテナ船や各専用船が増える。 コンテナ船でも平均20ノット、最高26ノット。 油槽船では戦前、東亞丸型18ノット、建川丸型19ノット、音羽山丸型18ノットを最高で、 戦後は16ノット付近に落ち着いた。
>>243 1970年代に建造された高速コンテナ船はもっと速いよ。
鎌倉丸 51,139総トン、全長261.0m、航海速力27.1ノット、最高速力29.62ノット、1971年竣工
えるべ丸 51,623総トン、全長269.0m、航海速力27.48ノット、最高速力30.96ノット、1972年竣工
にゆーよーく丸 38,826総トン、全長263.0m、航海速力25.3ノット、最高速力29.31ノット、1972年竣工
黒部丸 37,846総トン、全長260.5m、航海速力25.65ノット、最高速力29.64ノット、1972年竣工
べらざの ぶりっじ 39,153総トン、全長264.5m、航海速力25.9ノット、最高速力31.64ノット、1973年竣工
春日丸 58,438総トン、全長289.5m、航海速力25.9ノット、最高速力28.98ノット、1976年竣工
てむず丸 50,723総トン、全長259.8m、航海速力26.6ノット、最高速力30.44ノット、1977年竣工
>>241 海外旅行が今ほど一般的じゃなかった戦前は、出稼ぎと移民が遠洋航路の主要旅客だったからねぇ。
特に出稼ぎ労働者は1年〜数年に1往復は利用してくれるからいいお客さん。
キュナード除いて最後まで残った大西洋航路はポーランド〜NYだけど、これも出稼ぎ客の利用が
あったからだし。
逆に日本の場合出稼ぎが入出とも大してなかったし、移民も南米航路以外比較的早期に
需要が消滅してる。
あと日本の遠洋航路は遠距離過ぎてビジネスマンが気軽に行き来できなかったのも痛いな。
大連航路や上海航路、関釜連絡船はビジネス利用がそれなりにあったのを見ると。
まあ大型客船なんかどうでもよくて 日本に大型タンカーが少なかったのが一番困ることなんだけどなw
>>245 神戸港発の移民船とか泣けてくるなあ
最近の若い奴はまじで知らないからね、そういう歴史
若い奴はw
ちょっと歴史齧ったぐらいで昔の人の気持ちが判ったつもりになるのはよくある中二病 いや中年病か
若いかどうかには、関係ないんじゃない? 大叔父の義兄がブラジル移民してるけど 婆さんからその話を一緒に聞いた従姉妹はまだ二十歳前だ。 ちょうど法事だったから親戚が集まってたんで そんな昔の話が出てきたんだが 周囲にそういう例があれば、知ってる奴はそれなりに居るだろう。 まあ、その婆さんも死んじゃったから 俺の下の世代には伝わらんだろうけど。
大学でブラジル移民に関する講義取ったんでいろいろ記憶に残ってる。 そのつてで興味を持って世艦のブラジル移民船史とか楽しく読んでたけど、日本の戦前の 移民船の劣悪さは想像を絶するな。 赤道の真下通る航路でエアコンなし風呂週一だもんなぁ。 そりゃ疫病も起きるわ。 日本の場合、欧州船社並の大型優秀船を南米航路に投入できる余裕ができた頃に ちょうど移民が終わったのが何ともタイミング悪過ぎる。 もっと早いうちに移民をお客さんと認識していたら事情も変わってたんだろうけど。
252 :
名無し三等兵 :2009/04/02(木) 13:13:11 ID:+bG7l3Pz
>移民船の劣悪さは想像を絶するな。 当時、移民船なんて世界各国で同じ状況。 豪華客船の一等クラスで移民する人など欧米の金持ち位しかいない。 (まあ、そんな人は移民する必要も無いから長期滞在位だけど) 大西洋航路でさえ、移民は皆三等クラスだよ。 ニューヨークに着いたら、大勢が疫病で入国拒否なんて普通にあった時代。 金が無く、全ての家財を売りはって切符を買う、周囲などから借金して移民するんだから、 船に乗るんだって三等クラスが当たり前。 三等クラスは週一でシャワーなんて当たり前の時代。 船内で異臭が漂って三等クラスだけ到着後、下船前に消毒液をかけられた事例もあった。 船の真水が超貴重な時代に毎日風呂は入れるなんて一等クラスに乗らないと入れ無い。 20世紀初めなんて到着するまでシャワー無しなんて普通だし。 往来が少ない航路で移民の為に一等クラスを与えるなんて船会社からしたら大赤字だよ。 ボランティアで移民を乗せてるわけでは無いんだから。 生活にエアコン無しが普通の時代、船にエアコンを要求されても。 現在と違い戦前、日本人に限らず欧米人でさえ風呂&シャワーに入る周期は週2回3回位が平均だよ。 日本人が毎日、風呂に入るなんて生活習慣が変化した戦後、50年代後期に入ってからだよ。
毎日フロに入るためには石油石炭・水道が必須だよなぁ 薪切ってくべて、水も汲んできてじゃ入ってられん
254 :
名無し三等兵 :2009/04/02(木) 16:01:22 ID:+bG7l3Pz
江戸時代は一ヶ月、風呂入らない人なんてザラにいたそうだ。 だから江戸時代は以外と不潔な世の中であった。 その代わり、長屋にある井戸で夜中や朝早くから真水で身体を拭く人は大勢居たけど。 明治、大正になっても毎日風呂を入る習慣は無く、昭和に入ってモボモガがなった頃に、 週二週三で風呂に入る人が増えた位だ。 基本、毎日風呂に入る習慣は無かった。 昭和の始め、戦争前でも朝、風呂場で真水で身体を拭いている。真冬は辛かっただろうに。 一般家庭では薪火の風呂だからね。 風呂屋だって薪火が多かったし。
今の貨物船も塩風呂がメインだぞ。
国際派なんとかで洗脳されちゃって江戸ユートピア信じちゃってる人多いからねぇ
257 :
名無し三等兵 :2009/04/02(木) 17:58:18 ID:+bG7l3Pz
時代劇などで入浴シーン、お銀の入浴シーンを始め結構、多いんだけど、 あれは演出上だから。 江戸時代は本当、風呂さえ無い宿も多かった。 江戸時代を神聖化してる人には申し訳無いが。
258 :
名無し三等兵 :2009/04/02(木) 18:04:23 ID:qlZdfI3r
江戸は野郎ばかりだから梅毒が庶民から上位の武士まで蔓延してるし 貧民窟が至る所にあって、ときどき幕府が人狩りしては佐渡金山へ 送り込んだり、犯罪捜査は住民の相互監視の中での密告でおこなわれて、 逮捕されたら自白するまで拷問されるは、牢獄は不潔で死人の山とかな。
銭湯だって江戸時代から戦後まもなくまで、お湯を沸かしてから1日取り替えず、濾過・循環機能なんかなくて、 上がり湯の給湯もないから浴槽から手桶で汲むしかなかった。 店じまい間際なんか、浴槽内の湯は湯あかでドロドロ。 衛生面では「何ヶ月も入らないよりは、まあまし」って程度。 だから銭湯では早い時間の一番風呂が価値のあるものとされていた。 八丁堀の同心たちが土地の風呂屋で早朝に混まない女風呂を利用していたのもこれが一因。 船舶の場合、給湯熱源はボイラーやラジエーターから得られるが、 真水に限界があるからなあ。 軍艦や貨物船だとプロの船乗り向けの設備だから海水風呂で済ませるし、 国内航路なら航行時間も多寡が知れてるから無理なくお湯を供給できるだろうが、 海水からの脱塩処理で真水を作れるシステムが普及する以前の国際長距離航路は大変だったろう。
宮本武蔵は一生入浴しなかったそうだ
261 :
名無し三等兵 :2009/04/02(木) 22:50:46 ID:2Xz9iRKB
たしか丸で書いてあって、ボイラー炊きで海水を濾過、粗末なフィルター通しで、 少量づつだが真水を作るのが翔鶴などの大型艦に装備されていたはず。 翔鶴乗務員は週一回、部屋に布張りのプール風呂で洗面器一杯の真水を汲み、 身体を拭いたと書いてあった。 洗面器の真水を棄てても洗面器淵に残った垢や汚れがプール風呂から汲む時に入り、 最後の方はプール風呂の真水も真っ黒になるが、汗でベトベトな身体よりマシなので、 真っ黒の真水でも身体を拭いた乗務員が多いとか。 時々、スコールなどが来ると皆、喜んで石鹸を持って甲板に上がり身体を洗った。
>>252 …いや移民は基本的に3等ですらないんだが。
3等は部屋の位置が水線スレスレだったり食事も悪かったりするけど一応それなりのサービスはある。
シャワーも毎日浴びられるし映画も週1程度であったりする。
移民は基本スティアリッジ。客室でなく船倉に組み立て式のベッド組んでそこに詰め込まれる。
旅客でなく限りなく貨物に近い扱い。イメージ的には兵員輸送船が近い。
当然窓なんてないし便洗面所もはるか彼方。
真水は船客の自治委員通じて一人一日洗面器二杯とかの世界。
あと淡水製造装置は1930年代の時点で外航船にはかなり普及していたけど(邦船でも貨客船は
ほとんど設置していたはず)、燃費の関係で一部の超豪華船を除いて使われていなかったのが実情。
戦前移民船の記録でも淡水製造装置を使わず、清水タンクの水だけで神戸から最初の寄港地の
シンガポールまで乗り切る記述が出てくる。
264 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 10:32:16 ID:9dSQMNwo
あの・・・・・、移民が3等に乗れないって、 南米移民船 西海岸航路(南米航路西岸線) 東洋汽 武洋丸 竣工1907年 2等15人、3等180人 紀洋丸 竣工1909年 1等10人、2等30人、3等514人 静洋丸 竣工1913年 1等30人、2等40人、3等384人 安洋丸 竣工1913年 1等32人、2等62人、3等586人 楽洋丸 竣工1921年 1等42人、2等51人、3等582人 銀洋丸 竣工1921年 1等34人、2等23人、3等456人 墨洋丸 竣工1924年 2等42人、3等380人 日本郵船 平洋丸 竣工1930年 1等42人、2等80人、3等498人
265 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 10:38:52 ID:9dSQMNwo
大阪商船移民船 東海岸航路(南米航路東岸線) 笠戸丸 1等36人、2等40人、3等451人 さんとす丸 1等38人、3等760人 らぷらた丸 1等38人、3等760人 もんてびでお丸 1等38人、3等760人 ぶゑのすあいれす丸 1等60人、3等1076人 りおでじゃねろ丸 1等60人、3等1076人 あるぜんちな丸 1等101人、特3等130人、3等670人 ぶらじる丸 1等101人、特3等130人、3等670人 大阪商船は1916年、笠戸丸を第1船として南アメリカ東海岸航路を開設し、 1917年には、「たこま丸」「志あとる丸」「ぱなま丸」の3隻で年7回運航、 1920年には、「かなだ丸」「志かご丸」「めき志こ丸」を加えた6隻で年10回運航。 1924年、「まにら丸」「はわい丸」、1925年には、さんとす丸型3隻を配船し5隻で年10回運航。 1931年の郵商協約により、同航路は大阪商船の単独航路となった。 移民が3等に乗れなかったら、 ぶゑのすあいれす丸、りおでじゃねろ丸では1076人も空部屋にしてるか、 1076人も南米旅行に行く人が居るって意味になるよ。
大西洋航路の移民のことじゃないの? 日本の南米移民は写真を見ても、けっこうこざっぱりしている。 国策で海外に出して恥ずかしくない優秀な人材として送り出したのと、 飢餓や不況で食い詰めて新大陸に弾き出された欧州の移民とじゃ だいぶ待遇が違うでしょう。
267 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 10:55:16 ID:9dSQMNwo
ブラジル移民数の変遷 (1908年〜1941年) 1908年(799人)、1909年(4人)、1910年(911人)、1911年(0人) 1912年(2859人)、1913年(6947人)、1914年(3526人)、 1915年(39人)、1916年(35人)、1917年(3883人)、1918年(5956人)、 1919年(2732人)、1920年(970人)、1921年(970人)、1922年(986人)、 1923年(797人)、1924年(3689人)、1925年(4908人)、1926年(8599人)、 1927年(9625人)、1928年(12002人)、1929年(15597人)、 1930年(13741人)、1931年(5565人)、1932年(15092人)、 1933年(23299人)、1934年(22960人)、1935年(5745人)、 1936年(5357人)、1937年(4575人)、1938年(2563人)、 1939年(1314人)、1940年(1564人)、1941年(1277人)、
268 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 11:59:24 ID:9dSQMNwo
アメリカ大陸を目指したヨーロッパ移民がタイタニックに乗るけど、あれ3等でしょ。 移民は皆、貨物ルームに乗ってたっけ? タイタニックの総員、2223人 1等 329人 死亡 130人 2等 285人 死亡 166人 3等 710人 死亡 536人 乗務員 899人 死亡 685人 総死亡数1517人 貨物室に乗ってたなら貨物室の死亡数は確認出来ないけど。
>>268 ちゃんとスティアリッジが設定されてる船はたくさんある。
ファーターラント 54,282総トン 一等752名、二等535名、三等850名、スティアリッジ(最下級)1772名
インペラトール 52,117総トン 一等908名、二等972名、三等942名、スティアリッジ(最下級)1772名
エンプレス・オブ・ジャパン 26,032総トン 一等399名、二等164名、三等100名、スティアリッジ(最下級)510名
カイゼリン・アウグステ・ヴィクトリア 24,581総トン 一等652名、二等286名、三等216名、スティアリッジ(最下級)1842名
コンテ・ビアンカマーノ 24,416総トン 一等280名、二等420名、三等390名、四等660名(スティアリッジ扱い?)
サトゥルニア 23,940総トン 一等279名、二等257名、三等309名、四等1352名(スティアリッジ扱い?)
バルティック 23,884総トン 一等425名、二等450名、スティアリッジ(最下級)2000名
フランス 23,666総トン 一等534名、二等442名、三等250名、スティアリッジ(最下級)800名
プレジデント・フーヴァー 21,936総トン 一等307名、ツーリスト・クラス133名、三等170名、スティアリッジ(最下級)378名
エンプレス・オブ・カナダ 21,517総トン 一等488名、二等106名、三等238名、スティアリッジ(最下級)926名
ミネソタ 20,602総トン 一等172名、二等111名、三等68名、スティアリッジ(最下級)1067名
エンプレス・オブ・ラシア 16,810総トン 一等284名、二等100名、スティアリッジ(アジア人)808名
スティアリッジの無い船は三等がスティアリッジ並みに酷かったのか船倉の貨物室に乗せたのかはわからんが…
君は日本の船だけじゃなくて海外の船も少し調べてみたほうがいいよ。
270 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 23:11:05 ID:Aqo+UH+M
>>269 横入りで参戦するが、スティアリッジって世界共通で三等客室のことだよ。
三等客室でも上階、下階があって船によっては三等上階が旅客、
三等下階が移民専用に分けている場合もある。
スティアリッジが記載されている船の三等は実質、二等下にあたる。
一等が上流階級、二等が中流階級上、三等が中流階級下、スティアリッジが労働階級・移民
こんな感じで言えば判りやすいと思う。
スティアリッジって言葉は元々19世紀のドイツが発祥で、
船舶が少ない時に移民や移動で一隻のキャパを越える乗客数が出るので、
苦肉の策として貨客船や貨物船の空いてる所に簡易ベッドを設置して載せたのが始まり。
あくまでも簡易的措置であって通常は行われないし、20世紀入ってからは大きな船になるから、
19世紀みたいに設置する必要が無い。
英国ラインにはスティアリッジは設定されていない。
20世紀入ってからはスティアリッジと言うと三等客室、貧乏人や移民が乗る客室、
簡単に言えば上流中流階級が船底に近い部屋にいる!貧乏人!熱気の酷い部屋!と、
差別する言葉、嘲笑う言葉として使われた。
この時代は上流階級が労働階級を日常的に差別してるし、それが普通でもあったから、
スティアリッジは差別言葉では無かったけど。
安い運賃で乗れるのは三等=スティアリッジと訳す。
271 :
名無し三等兵 :2009/04/03(金) 23:17:45 ID:Aqo+UH+M
スティアリッジは船の操舵機器がある場所=船底に近いと言う意味でもあり、 三等客室、または三等客室下段を指している。 三等客室自体は簡易ベッド的な粗末な作りでもある。 普通に考えれば操舵機器のある場所に簡易ベッドなどは設置出来ませんから。 レシプロ船の場合、機関が巨大だからなおさら設置出来ません。 それに262船倉に簡易ベッドを設置したら、乗客の荷物はどうするんだということになる。 上流階級の荷物は一人トランク一個では無く、夜逃げか?という位に二個三個が普通。 それが二百人五百人といればトランクだけでも膨大な量となるし、二等、三等の荷物をあわせると、 即効で船倉なんか荷物一杯になる。 貨客船に限らず客船でさえ新大陸へ向う時、急ぎの荷物を運んでいるいるのに。 船倉に簡易ベッドを設置するのはTROOP SHIP=軍隊輸送だけで、 旅客営業には設置しません。
273 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 08:55:39 ID:QGK7Xkh9
>>272 平時と戦時でのスティアリッジって意味知ってるの?君、
270さんが書いた文章、よく読んでごらん。
>元々19世紀のドイツが発祥で、元々19世紀のドイツが発祥で、元々19世紀のドイツが発祥で、
>船舶が少ない時に移民や移動で一隻のキャパを越える乗客数が出るので、
>苦肉の策として貨客船や貨物船の空いてる所に簡易ベッドを設置して載せたのが始まり。
つまり戦時中、貨物船にセットした簡易寝所が本来の意味。
あくまでも簡易的措置って意味。
客船や貨客船に設置する場合、三等部屋の寝所を撤去して簡易寝所を設置した。
例
ある客船の三等部屋は、四寝所が通常だけど需要に応じて四寝所を撤去、
新たに簡易寝所を設置して六寝所とした。
しかも君の晒してる272サイトは第一次大戦中サイト。
戦時は基本、多くの人員を輸送する前提で平時寝所を撤去する。
>21スティアリッジを三等船室(定員1000)に変更29.12スクーナー、ノーザン・ライト乗員を救助
1921年、スティアリッジ(簡易寝所)を三等船室(定員1000の正規寝所)に変更
>23884T 221.3x23.0m R(4連成)/2 15000ihp 16(max17)knt 一等425二等450スティアレジ2000
元々の仕様って意味。
さらに269で君が晒してる各船の割り当てと人員数を見てごらん。
>エンプレス・オブ・ジャパン 26,032総トン 一等399名、二等164名、三等100名、スティアリッジ(最下級)510名
答え、二等は164名+100名が正解。
274 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 09:12:32 ID:QGK7Xkh9
エンプレス・オブ・ジャパンの二等部屋を100名分、三等部屋に割り当てたって意味。 で、三等100名、スティアリッジ(最下級)510名は同じフロア面、または同じ等級。 スティアリッジって言うのは簡易寝所で現代で言えば欧米寝台列車の三段寝所(六寝所)が近い存在。 あくまでもスティアリッジ自体は三等客室のフロアに設置されるもの。 たとえば三等客室の中で前側は四寝所、後側は六寝所(スティアリッジ)や、 三等客室が二フロア設定されているなら上一フロアは四寝所、下二フロアがスティアリッジ。 スティアリッジは三等より一人当たりの面積(寝所)が小さい分、三等より料金が少しだけ安い。 例 一等10000万円、二等5000円、三等2000円、スティアリッジ1900円 移民の多くが少しでも安いスティアリッジに集中するので何処もスティアリッジが設定されている訳で、 スティアリッジ自体は三等と同じレベルである。 決してスティアリッジは三等以下、三等以下の客を扱うって意味ではない。 三等もスティアリッジも一等二等から見たら同じだし、船会社も同類と設定してる。 だから君が書いてる、スティアリッジ=3等客室は誤りと言わざるを得ない。こそ、 大間違い。
275 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 09:23:46 ID:QGK7Xkh9
もう一つ、付け加えておくね。 >サトゥルニア 23,940総トン 一等279名、二等257名、三等309名、四等1352名(スティアリッジ扱い?) 20世紀始めは一等、二等以下は全て同じレベル。 サトゥルニアの場合は一等が二寝所、二等が四寝所、三等が六寝所←ここまでが木製正規寝所 四等は木製正規寝所を撤去、簡易寝所を設置して八寝所を置いたって意味。
276 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 09:48:26 ID:QGK7Xkh9
どんなに理解出来ない人でも、これなら理解出来る。 スティアリッジ=ワンルームの一段寝所を二段寝所に代えた、 または一段寝所二つを撤去して二段寝所を二つ置いた。 これが正体。 スティアリッジは三等客室の中に設置されている。
スティアリッジが三等の中に設置されようが、一等二等から見たら同じレベルだろうが、 料金が違う・部屋の狭さが違う(四寝所→六寝所)なら同じ等級とは言えないだろ、普通。
鉄道を引き合いに出してたようだけど、 「鉄道車両において、等級(とうきゅう)とは、おもに運賃・料金の段階を表わす。支払う価格によって、乗客はより多くの快適さを得る。 そこに含まれるのは、たとえばよりよい座席(布張り、革、クロスシートなど)、足元の余裕(個別の席の間隔)、個室あるいはより大きい空間をもつ車両〜」 元の三等より料金やサービスレベル(空間の広さ)が下げられているのだから既に同じ等級ではない。 つまり「スティアリッジ=三等」ではない。
279 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 11:54:45 ID:QGK7Xkh9
またまた屁理屈を付けるなんて・・ 一等、二等以下は貧乏人が乗る部屋。 それ以下は当時だと同じレベル。 戦前、戦後の一定期間まで世界は階級社会だった。 根本的にスティアリッジを三等の同じフロアに設置するか?下段フロアに設置するかなんて、 船会社・船の規模によっても違うから。 三等がワンフロアしか無い船でスティアリッジが1/3、2/3、1/2が割り当てられるなんて、 その船の規模や構造、会社によっても違う。 三等も四等も所詮、労働階級・貧乏人が乗る場所で現代で言えば同じアパートに住む不法就労が、 四人部屋か六人部屋か八人部屋かの違い。 人数が多ければ微妙に安くする船会社も在れば、まったく同じ会社も在る訳で、 その当時の状況を各船で細かく追跡するのは不可能。 だいたいの船会社で三等より、ほんのわずかだが安かったはずだよ。 通常、三等は二段寝所の計二個で一部屋=日本で言えば四畳半、 または二段寝所の計四個で一部屋=日本で言えば六畳半と思えばよい。 船によっては三段寝所の計二個で一部屋とかいろいろと違ってくる。 一つ言えることはスティアリッジは三等に設置された一部門なこと。 間違っても通常航路で船倉や機関部に寝所を設置することはほぼ無い! 映画で一等客が三等客に向って「スティアリッジ」と言うのは、 船底に近い部屋・暑苦しい部屋しかとれない貧乏人、荷物と一緒、とバカにする言葉で言う。 ※20世紀初頭の一等客室値段は現在日本円になおすと約500万円位、三等客室は2万〜5万円。 一等客室をとれる人物は大富豪など日本で言えば上場一部の社長さん達。
280 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 11:59:55 ID:QGK7Xkh9
この人、何を言っても無駄みたいだなw 当時の階級社会を理解してない時点で・・・・・・ 鉄道を引き合いに出すなんて、よくそんなことを思いついたねw
281 :
272 :2009/04/04(土) 12:01:50 ID:???
先ず、私は
>>269 氏ではない。
定員1000名の3等船室を定員2000名のスティアリッジにする事が3等
と同等になる訳が無い。
文体からしてID:Aqo+UH+M氏とID:QGK7Xkh9氏は同一と思われるが、どちらも長
々と講釈垂れているわりに論旨がずれている。
>>280 何を言っても理解してないのは君のほうだろう。
料金あるいは待遇が違う時点で=(イコール)とは言えないのが理解できないのか?
それに
>>274 で先に鉄道を例に出してるのは君の方なんだが?
ついに2〜3時間前の自分の書き込みすら憶えてられなくなったんですか?w
際限なくケンカするなら、とりあえずお互いの根拠にしている船の「3等」「3等よりまだ下」の写真リンクぐらい貼って、 「これが○○号の何年頃の写真で、通常等級に比べてこれくらいの船賃でした」 とやれば理解が早いのに。 まあ番茶でも飲んで落ちつけお前ら。旦旦旦旦旦
284 :
名無し三等兵 :2009/04/04(土) 20:22:30 ID:6Qb8F+4k
議論の発端になった262だけど、世艦のブラジル移民船史にははっきりと「船倉に組み立て式ベッドを 設置し、ブラジル到着後は解体の上船倉を清掃消毒し荷役に備えた」と書いてあるんだよなぁ…。 3等=移民向けな船もあるんだろうけど、船倉を利用し移民専用の最下層客室(=スティアリッジ)が 設けられていた船はあると思うんだよな。 日系一世の移民の記録なんかでもその手の記述が頻繁に出てくる。 その辺スレ諸兄にどういうことになってるのか判断していただきたい次第で。 議論を読む限りでは食い違ってる部分もある感じだし。
287 :
名無し三等兵 :2009/04/05(日) 10:53:27 ID:OYBtjrK5
この争いは262から始まっている。 >…いや移民は基本的に3等ですらないんだが。 大西洋航路、太平洋航路、各目的地航路、船種類によっても移民が、 どの船に乗るかで違って来る。 移民が客船に乗るか貨客船に乗るか貨物船に乗るかは移民個人の判断による。 よって移民が3等に乗らないと考えるのは間違い。 会社が航路になんの船を当てたかで違って来る。 貨物船に移民が多く乗った場合、船倉に組み立て式ベッドを設置するし、 客船の場合、キャビンが多いので小さい船倉に組み立て式ベッドを設置する必要も無いし、 メジャーなタイタニックだと移民は3等に乗せている。 ブラジル移民船の場合264や265に船名が記載されているが、 戦前の移民初期時代は貨物船だろうし、後期時代では貨客船だろうし。 267で年数と移民数が記載されているが、 1909年(4人)の年は船倉に組み立て式ベッドを組み立てたなんて考え難い。 逆に1934年(22960人)だと船倉に組み立て式ベッドを設置した可能性が高い。 漏れの考えでは会社や船によって移民が3等だったりするし、 移民がキャビンを溢れれば船倉に回される者の出て来ただろう。
288 :
名無し三等兵 :2009/04/05(日) 11:11:27 ID:OYBtjrK5
追加 >しかし船舶の発達に伴い船室の居住性が向上して、3等が最低ではなくなった 286氏のブラジル移民船史にははっきりと「船倉に組み立て式ベッドを 設置し、ブラジル到着後は解体の上船倉を清掃消毒し荷役に備えた」と書いてあるんだよなぁ…。 あくまでもブラジル航路に限ってでは無いが船倉に組み立て式ベッドを設置してる関係上、 仮に行き帰りの荷役や乗客が満載なら組み立て式ベッドを設置する場所が無くなる。 よって便で乗れるか乗れないか不明なので会社にとって料金設定がし難い。 これらを判断すると3等が最低ではなくなったと判断するのは早すぎる。 漏れは3等枠の一部だと思う。
・移民は絶対に三等に乗っている。 ・移民は絶対にスティアリッジ(場合によっては貨物室)に乗っている。 結局この論争は上の二つの意見がどちらも間違いだったって事でOK? 航路や船によってどちらも存在したって事?
読んでて面白いから、啀み合いにならない程度に、 結論を急がず続けてほしいな。 こういう記述があったぞ、とかさ。
292 :
名無し三等兵 :2009/04/05(日) 16:10:25 ID:OYBtjrK5
>>289 どっちがどっちと言うより、
会社、航路、船、荷役、便によって違ってくるのでは。
・Steerageが設定されている客船や貨客船、貨物船は荷役が少ない時で移民数が多い時は、
船倉に組み立て式ベッドを設置して載せるけど、荷役が多い時は設置されない。
または片道だけSteerageが設定されて、折り返しは設定されない。
・タイタニックを始め英国ラインは賠償船を除いてSteerageを設定しないで、
移民は3等キャビンに載せられた。
モーレ、ルシタニアを始めタイタニック、クイーンメリーなど。
Steerageが記載されている船は、組み立て式ベッドを船倉に設置出来ますと表してるので、
3等キャビンが旅行者や移民で満室になり荷役が少ない時は組み立て式ベッドの出番となる。
キャビン、荷役も一杯なら次の船に乗りな、こういうことでしょ。
293 :
名無し三等兵 :2009/04/05(日) 16:16:37 ID:OYBtjrK5
内航船って言うより日本は特定を抜かして外航船でも使用期間が短い気がするが。 洞爺丸型大雪丸がバブル時代にアドリア海航行してたり、 カーフェリーがアジア圏内で第二、第三の人生を歩むように。
別に税法上の耐用年数が過ぎたからって、それだけじゃ買い換える理由はない 日本で船齢が短いのは、資金があって、効率を追求した結果と法令対応 効率を追求すると新造船のほうがよくなる、資金がなければ効率よくなるがわかっていても交換できないが、 日本の船会社は資金力が比較的にあったから、古くて効率の悪い船をどんどん入れ替えたってだけ あと日本は造船価格が比較的安かったってのもある 軍艦なら現代戦に対しての戦力として陳腐化したら交換されるが、商船は営業上の効率が悪くなったら古くなくても交換される
出来が良くて使用条件がヌルいというのも大きいだろうな。 アドリア海やエーゲ海、インドネシアやフィリピンあたりだとピストン運行状態だし。 最大の理由は減価償却だろうけど。 アメリカなんかは外航内航問わずかなりの年代モノが現役だったりするからな。
297 :
ぶらじる丸 :2009/04/07(火) 13:28:37 ID:Gr32ZZuI
船舶については素人です。 海外移民について関心をもち、船舶に詳しい方々に質問します。 日本人を海外移民のために運んだ「ぶらじる丸」といった船がありました。 行きは移民やその家財を積んでいったのでしょうが、帰りは空だったのでしょうか? 移民がたびたび一時帰国していた話は聞かないので、帰りは人以外のものを積んだのでしょうか? 今の流通を考えると、行きだけ使うのは、無駄なような気がします。 また、こういった移民専用船?みたいなものは、他国にもあったのでしょうか? 場違いな質問だとは承知していますが、よろしければご教示下さい。
298 :
名無し三等兵 :2009/04/07(火) 13:52:41 ID:7f3ip+kO
どの「ぶらじる丸」を指しているのか判らないが、 戦前、大阪商船の「ぶら志゛る丸」か? 戦後、大阪商船→商船三井客船の「ぶらじる丸」か?
海外移民に使われた船なら戦前のぶらじる丸じゃないか? 確かあの船は戦時中に沈められたはずで戦後には残ってないし、 戦後は海外移民は組織だってはおこなわれてないだろ。
300 :
名無し三等兵 :2009/04/07(火) 15:54:13 ID:7f3ip+kO
昭和27年(1952)ブラジル政府は中部ブラジル地区にも入植を許可したので、
日本政府は移民行政機関の整備を急ぎ、大阪商船に対しても移住者輸送の復活を強く要望した。
同年さんとす丸を建造して西航南米線に配船したが昭和28年(1953)4月、日本アルゼンチン通商協定締結に伴う、
荷動きが活況を呈し、また南米移住者の本格的輸送をはかるため東航南米線を再開した。
東航南米線が再開されると大阪商船は同航路へ本格的な移民船の投入を計画していたが、
外務省の積極策により移民船建造が具体化し、第9次後期計画造船による、
戦後初の移民船ぶらじる丸が昭和29年(1954)に就航した。
本船は10,100総トン、ディーゼル主機を搭載し最大速力は20.3ノット、
旅客設備は1等12名、2等68名、3等902名の貨客船で同年7月30日神戸港を出航し南米への処女航海の途についた。
昭和33年(1958)にはやや大型のあるぜんちな丸が就航し合計5隻の移民船によるマンスリー・サービスが実現した。
しかし乗船移住者は昭和34年度の6793名をピークとして以降激減、船価高からくる資本費の負担が経営の重圧となった。
運輸省から移民船5隻を分離し、新会社へ譲渡して経理内容を改善するよう勧告があったため、
昭和38年(1963)に資本金1億円で日本移住船株式会社が設立された。
ぶらじる丸
外務省の要請による本格的な南米移住者輸送用の貨客船として、
当初大阪商船は計画造船の枠外での建造を希望したが、
予算編成上の制約等で第9次後期計画造船の貨物船の枠内で建造された。
さんとす丸と同様に1948年のSOLAS条約を全面的に摘要し防火施設、人命救助に万全の対策が施された。
主機には新三菱重工業神戸造船所が新たに開発したSulzer機関10RSD76型(9000軸馬力)の1号機が搭載された。
貨客船 10,100G/T 1954.4(昭29)進水 主機 三菱神戸Sulzer 10RSD76 9,000BHP 1基 16.2/20.313kt
船客 1等:12 2等:68 3等:902 (画像は二代目ぶらじる丸、現在は広東省に在る)
ttp://www.weblio.jp/content/%E3%81%B6%E3%82%89%E3%81%98%E3%82%8B%E4%B8%B8
301 :
ぶらじる丸 :2009/04/07(火) 18:36:45 ID:Gr32ZZuI
>>298 >>299 >>300 さん、ありがとうございます。
ぶらじる丸という名が、何代もあるとは知りませんでした。
>300さんの内容だと、盛時には毎月のように移民を運んでいたわけですね。
やっぱり、高度成長が移民を減少させたんでしょうね。
害蟻省は棄民政策が好きだなあ。
>>297 復航はコーヒーや鉱石積んでたという話はよく聞くな>南米航路。
305 :
ぶらじる丸 :2009/04/08(水) 11:41:26 ID:AI/0t0oT
>>304 さん
船というのは、移民船みたいに人を運ぶタイプでも、
人がいなくなった部分に、貨物も詰めるようになっているんでしょうか?
つ袋
>>297 >今の流通を考えると、行きだけ使うのは、無駄なような気がします。
今だって自動車運搬船とかは、帰りの船に輸入車は積むけど
とうぜん輸出入の差がでかいので、ほぼ空船だよ
タンカーは行きは空だから喫水が浅すぎるので水を入れたり
貨物船も安定のため重し代わりのコンテナを積んだり。
>>299 ずっと鳥羽に展示用に泊まっていた「ぶらじる丸」は南米移民を
運んでいた。戦後は戦後で過剰人口による食糧難を解消するために
国が音頭を取った移民はしてるよ。
308 :
名無し三等兵 :2009/04/09(木) 10:57:34 ID:fMNZ+FRR
南米からの戦前、とくに戦後はコーヒー豆の他、綿花と大豆も輸入してるはず。 戦後移民の主題は食料難と外地引き揚げ者増加を緩和する目的で移民を推し進めた。 戦後の移民は雑計画の元、推し進められて失敗し訴訟問題に発展した。
専用運搬船にすると片道コストはやすいが潰しがきかない 汎用にすると、港湾での作業効率が最低最悪になる コンテナ船誕生までは樽か箱か袋を人力で…
デリック使うようになっても船倉内の荷役は人力だったもんなぁ。 んで雨天中止だし。
それだけに、完全自動化は画期的だったな どこの港でも荷役業者がヤクザやマフィア絡みでダーティだったし ここ数十年の、国際規格によるコンテナ輸送の普及は 沖仲仕とそれを仕切るボス、というマッチョで前近代的な業態を いくばくなりとも衰退させてくれた、偉大な発明だと思う
体の良いタコ部屋みたいなもんだったからな
沖仲士は拘束されてるタコと違うし、組の一員で親分子分の関係だし、 稼いでいたんじゃねえの? 海上を根城に稼ぐ荒くれ者揃いということで、逆に憧れの職業でもあったわけだし。
当時のルポを読むと、ピンハネは酷いわ、荷運びは無茶な量だわで、 今の派遣労働にガテン度が高まって、かつ暴力が伴ってくるようなもんだろ。 辞める気になれば辞められたって点ではタコよりマシにしてもさ。 だいたい、あの山口組の発祥が沖仲仕の束ね役だぜ。
タコにも上から下まであってだね・・・
寿町あたり行けばコンテナ革命以前の話聞けるよ
>>314 それ、口入れで雇われる下級の港湾労働者。
狭義の沖仲士はテキ屋と同じようにヤクザ組織の組員で、
束ねる親方は構成員を無下にはあつかわないよ。
今でも正社員と非正規と短期派遣の階層があるようなもん
今でも沖仲士とか港湾荷役関係はヤクザのフロント多いね。 ○組という会社に勤めたら本当に組だったwという笑えないオチも。
暴力団を擁護するわけじゃないけど、テキ屋や興行、手配師と同じで もともとヤクザの生業だから。カタギじゃない領域。 過酷な港湾労役を仕切るのは役人や資本家には無理だから 上手く利用していたわけだしね。
アメリカでもまったく同じだしな。
うちの優秀な組合員を使わないとはどういうことだ?
>>320 マーロン・ブランド主演の映画「波止場」なんかまさにそういう世界の話だな
323 :
ぶらじる丸 :2009/04/14(火) 11:47:16 ID:zi77udka
>>307 >>308 >>309 さん
いろいろありがとうございました。
「世界の艦船」という雑誌を見つけたので、バックナンバーを調べてみます。
横レスですが、組合とヤクザの関係は、「ホッファ」などにも描かれていましたね。
「ゴッドファーザー」にも、背景として組合を束ねるボスとしてのマフィアが出ていました。
近代的な組織ができる以前の労働の現場には、親分子分関係のグループができ、
それを支配する連中に、金と権力が集まる仕組みがあるようですね。
塩野七生の本を読むと、私的な庇護、奉仕関係(パトロンとクリエンテス)が
古代ローマにあったそうで、これなど日本の武士団とか、かなり普遍的な形のような気がします。
以上、余談です。
今でもヤクザが牛耳ってる部分は多いぞ。 日本の港湾荷役然りアメリカの長距離トラック運送然り。 欧米じゃ同業者組合とか労組をマフィアが隠れ蓑や資金源に使うのが昔から問題になってる。
>>324 >日本の港湾荷役然りアメリカの長距離トラック運送然り。
もうどっちも手を引いているよ。
326 :
反米イスラム過激派 :2009/04/16(木) 03:41:23 ID:jxpHsXfl
今時港湾労働者って時代でもないしな。
328 :
名無し三等兵 :2009/04/23(木) 22:35:05 ID:esXU3yJL
イギリスの戦時標準船って印象無いな。
329 :
名無し三等兵 :2009/04/27(月) 14:09:35 ID:Kz9OsD8E
来月だっけ? 戦時輸送船団を詳しく書いたのが出版されるね。
>329 kwsk
332 :
名無し三等兵 :2009/04/28(火) 14:44:06 ID:Hy/wDQSW
大日本絵画!大日本絵画!
334 :
名無し三等兵 :2009/04/28(火) 20:48:03 ID:L9hdh5vh
戦標船って聞くとゾクゾクするよ あと海防艦とかネ
最強は「封鎖突破船 」だな。 どこのSF小説に登場した宇宙船かと思ったぞ。
大日本絵画潰れたら軍オタ発狂すんじゃねーの
>大日本絵画潰れたら 新型インフルエンザなんか目じゃないほどの混乱が起きるな
338 :
名無し三等兵 :2009/05/07(木) 10:20:12 ID:ENAmaEng
戦時輸送船ビジュアルガイド 日の丸艦船ギャラリー 4,095円(税込) 高いけど買ってみよう。
a
340 :
名無し三等兵 :2009/05/16(土) 10:28:03 ID:NvmoON5A
341 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/20(水) 21:09:44 ID:lvNQqs5L
日本商船の損耗状況を軽〜く。 飛行機 潜水艦 その他 合計 16.12 3隻 1万6901t 6隻 3万1693t 3隻 7466t 12隻 5万6060t 17.01 1隻 6757t 7隻 2万8351t 9隻 3万8687t 17隻 7万3795t 17.02 0隻 0t 5隻 1万5975t 4隻 1万7273t 9隻 3万3248t 17.03 4隻 2万5719t 7隻 2万6183t 4隻 2万6257t 15隻 7万8159t 17.04 2隻 9798t 5隻 2万6886t 0隻 0t 7隻 3万6684t 17.05 0隻 0t 20隻 8万6110t 2隻 1万0546t 22隻 9万6656t 17.06 2隻 1万2358t 6隻 2万0021t 0隻 0t 8隻 3万2379t 17.07 2.5隻 2万0775t 8隻 3万9356t 1.5隻 7397t 12隻 6万7528t 17.08 1.5隻 9729t 17.5隻 7万6652t 1隻 5950t 20隻 9万2331t 17.09 1隻 7190t 11隻 3万9389t 0隻 0t 12隻 4万6579t 17.10 4隻 3万1409t 25隻 11万8920t 3隻 1万4498t 32隻 16万4827t 17.11 16隻 10万2117t 8隻 3万5358t 3隻 2万1517t 27隻 15万8992t 17.12 4隻 1万0139t 14隻 4万8271t 3隻 1万3377t 21隻 7万1787t
342 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/20(水) 21:10:28 ID:lvNQqs5L
飛行機 潜水艦 その他 合計 18.01 9隻 4万1269t 18隻 8万0572t 0隻 0t 27隻 12万1841t 18.02 5.5隻 4万1269t 10.5隻 5万4276t 3隻 8853t 19隻 9万3175t 18.03 10隻 3万7939t 26隻 10万9447t 2隻 3187t 38隻 15万0573t 18.04 7隻 2万4521t 19隻 10万5345t 1隻 1916t 27隻 13万1782t 18.05 4隻 3977t 29隻 12万2319t 2隻 5114t 35隻 13万1410t 18.06 1隻 953t 25隻 10万1581t 2隻 6581t 28隻 10万9115t 18.07 3隻 4425t 20隻 8万2784t 2隻 3298t 25隻 9万0507t 18.08 1隻 4468t 19隻 8万0799t 3隻 1万3561t 23隻 9万8828t 18.09 5隻 1万5429t 38隻 15万7002t 4隻 2万5475t 47隻 19万7906t 18.10 7隻 1万5253t 27隻 11万9623t 4隻 1万0718t 38隻 14万5594t 18.11 21.5隻 7万6282t 44.5隻 23万1683t 2隻 6825t 68隻 31万4790t 18.12 24隻 7万6680t 32隻 12万1531t 5隻 8918t 61隻 20万7129t
343 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/20(水) 21:19:58 ID:lvNQqs5L
飛行機 潜水艦 その他 合計 19.01 31隻 8万7745t 50隻 24万0840t 6隻 1万4166t 87隻 34万2751t 19.02 49隻 23万5915t 54隻 25万6797t 12隻 2万6847t 115隻 51万9559t 19.03 26隻 10万2691t 26隻 10万6529t 9隻 1万6546t 61隻 22万5766t 19.04 11隻 2万5947t 23隻 9万5242t 3隻 8657t 37隻 12万9846t 19.05 4.5隻 1万0618t 63.5隻 26万1713t 1隻 1891t 69隻 27万4222t 19.06 19隻 7万3865t 48隻 19万5020t 8隻 1万6319t 75隻 28万5204t 19.07 10隻 1万7351t 48隻 21万2907t 5隻 1万1394t 63隻 24万1652t 19.08 12隻 4万3187t 49隻 24万5348t 4隻 5564t 65隻 29万4099t 19.09 63隻 22万4603t 47隻 18万1363t 11隻 1万8183t 121隻 42万4149t 19.10 53.5隻 16万7191t 68.5隻 32万8843t 12隻 1万8911t 134隻 51万4945t 19.11 39.5隻 16万6350t 53.5隻 22万0476t 4隻 4582t 97隻 39万1408t 19.12 18隻 6万7371t 18隻 10万3836t 9隻 2万0669t 45隻 19万1876t
344 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/20(水) 21:31:42 ID:lvNQqs5L
飛行機 潜水艦 その他 合計 20.01 92隻 30万4403t 22隻 9万3796t 11隻 2万5326t 125隻 42万3525t 20.02 7隻 1万1654t 15隻 5万5746t 7隻 2万0064t 29隻 8万7464t 20.03 38.5隻 7万2867t 23.5隻 7万0727t 11隻 4万2524t 73隻 18万6118t 20.04 15隻 1万9049t 18隻 6万0696t 18隻 2万1957t 51隻 10万1702t 20.05 31隻 5万9399t 17隻 3万2394t 68隻 11万9743t 116隻 21万1536t 20.06 14隻 2万7633t 43隻 9万2267t 51隻 7万6280t 108隻 19万6180t 20.07 63隻 14万2005t 12隻 2万7408t 36隻 6万6417t 111隻 23万5830t 20.08 14隻 2万6404t 4隻 1万4559t 8隻 1万8462t 26隻 5万9425t
345 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/20(水) 21:32:38 ID:lvNQqs5L
おまけ。大破して終戦までに復帰できなかったもの。 飛行機 潜水艦 その他 合計 20.01 4隻 2万6105t 0隻 0t 1隻 873t 5隻 2万6978t 20.02 1隻 1万0505t 0隻 0t 6隻 2万0705t 7隻 3万1210t 20.03 9隻 4万4356t 0隻 0t 3隻 3711t 12隻 4万8067t 20.04 2隻 1725t 0隻 0t 15隻 2万7007t 17隻 2万8732t 20.05 7隻 1万2108t 0隻 0t 36隻 11万2728t 43隻 12万4836t 20.06 12隻 2万8703t 0隻 0t 42隻 10万0687t 54隻 12万9390t 20.07 33隻 8万8272t 1隻 803t 55隻 15万3309t 89隻 24万2384t 20.08 20隻 6万6079t 1隻 880t 27隻 5万6606t 48隻 12万3565t
1年や2年が限界だったんだ。
最後の二年はもうやめて限界よ!と絶叫したくなる悲惨さだ。
最後の方の数は小さい船で稼いでるんだろうか。
>>348 それはそれで面白い分析だな。
ざっと見た感じ、撃沈トン数を撃沈隻数で割ると、
開戦初頭は沈められてる船は平均5000トンくらい
だが、19年初頭くらいから平均3000トンくらいに
なって、末期には平均2000トンくらいになっている。
内航船に牙を掛けられるようになったからじゃない
内航船しか残ってないからとも言うけどな。w
>>347 NHK『ドキュメント太平洋戦争』のCGマップのシーンを見れば、太平洋と東シナ海の各地で
壊滅していく商船隊のようすがリアルにわかるよ。
>>353 あのCGソフトって学術的にもすげー価値がありそうな気がするんだが、
どこかで公開とかされてないんだろうか。
まあPC−98とかだろうから、今だとエミュレーターを途中ではさまないと
いけないけどな。
ソフト自身は、日本の輸送船ルートと各港の位置をはめ込んでおいて あとは時系列に船舶別に出港と帰港と被災の日時を打ち込んでいくだけだから 難しくないと思うよ。
>>341-345 イギリスやイタリアみたいに1隻で4万〜5万トンもの船が喪失ってのは
日本では無いけど、それでも合計すると凄いトン数になるんだなぁ…
357 :
名無し三等兵 :2009/05/24(日) 03:43:29 ID:MbhzZqcU
コンクリート船って、結構成績よかったらしいけど、 完成は二隻だけとか。どうして量産されなかったの?
>>357 過去スレにくわしいことがかいてあったよ。
戦時急造船か戦時急造型でぐぐったらでるとおもうけど。
コンクリート船は、逆さまにつくると能率いいけど
進水だったか偽装のためにひっくり返す必要のため、
デリックが焼玉の装置(故障が頻発)でだめで
左官仕事で日にちがかかる。
荷が同じトン数の戦時急造船より詰めないなどの欠点のため
359 :
357 :2009/05/24(日) 16:21:00 ID:s5LDd2tS
>>358 コメント多謝。
検索したら、コンクリート船は日本だけの苦肉の策というわけでもなく
すでに第一次大戦時の欧州などで先例があったんですね。
機銃掃射を受けても、銃弾の直径の穴が明くだけでモルタルで補修可能というのがすごい。
でも、やはり船としてはコストや実用性で難があったみたい。
今も広島では武智丸二隻が防波堤として健在とか。
建造元が土木屋というのに、妙に納得。
パイクリートで氷山船を作ればよかったんだよ!
イギリス人はもう・・・
362 :
名無し三等兵 :2009/05/25(月) 11:57:28 ID:jWvkobo4
昭和19年20年は戦時標準船の撃沈が多いだろ。 昭和18年頃から生産が軌道に乗ってる訳だし。
第101号輸送艦なんかも硫黄島や小笠原まで片道持てばいい設計だもんな…orz。
戦時標準船でも外航タイプは何割かが1航海でアボーンされたんだろうな。
>>359 中国じゃ内航船や沿岸船として戦後も結構作られたそうで。
足は遅いけど木造船と違って虫害がないんで重宝されたそうな。
まあ揚陸艦だから強行接岸して破壊される可能性が高いわけで シーレーンを何往復もして物資を運ぶ戦時標準船とは違うけどね。
アメリカのリバティ船やT2タンカーだって欠陥船があったくらいだし、 日本の戦標船で戦後も使えたのがあったのが逆に凄いくらい。
366 :
名無し三等兵 :2009/05/27(水) 11:40:37 ID:M/2gr9AX
>>365 日米両方で生産された戦標船なんて、似たり寄ったりだ。
所詮、大量生産が主眼でデザインや性能は二の次なんだし。
どちらの戦標船も外洋を航行するのに最低限、問題無い程度の船で生産されている。
大量生産なんだから、当然欠陥は出てくるので10隻に1隻、100隻に1隻は欠陥が出る。
戦標船が戦後、特定を抜かして多くが払い下げられたに関わらず、払い下げ先から、
早い時期に消えて行くのもデザインと性能が最低限であったことに由来する。
同様に同じ払下げで世界各国に売り払われたGMCトラックも、
よほど貧乏や特殊用途で無い限り、こんなの、乗ってられるか!となる。
似たり寄ったりは無いな
工業的に言うのなら歩留まり率に近い考え方は重要だわな。 何割くらいが実用に耐えれて、何割くらいがどうにもならんポンコツだったか。 まあそういう数字を今から史料ひっくり返して調べるのは相当に骨が折れる だろうが……。
369 :
名無し三等兵 :2009/05/27(水) 12:56:20 ID:M/2gr9AX
デザインと性能重視した平時製造の民生品と、 デザインと性能も統一された戦時製造の戦時品とでは違うだろ。 優秀船と戦標船の違いだ。 まあ、日米戦標船を一隻一隻、全部追跡することは不可能だが。
>>363 なんか最近コンクリート船を自分で作ろうという本が出たらしい
371 :
名無し三等兵 :2009/05/27(水) 14:19:36 ID:qGO6J01/
コンクリート船が、かちかち山にならんのが不思議。
ウリナラ船ニダ<ヽ`∀´>
>>369 リバティ船の欠陥はブロック工法の溶接脆性という技術改良で克服しうる欠陥
日本の後期戦標船の欠陥は材料も工作も不十分でしかも一重底という根本問題
全然レベルが違うだろう。
GMCトラックだって品質は相当に高かったろう。
ただガソリン・後2軸・全輪駆動などの過剰スペックが、
後1軸の後輪駆動で十分、ディーゼルならなお良し、という戦後の民生用途には合致しなかったから、
放出されても長くは使われなかっただけで。
また湧いてきたねリバティ厨。
375 :
名無し三等兵 :2009/05/28(木) 10:46:59 ID:GkXaO1m1
船首に積んでる機銃見るとゾクゾク興奮 12.8ミリ機銃
376 :
名無し三等兵 :2009/06/02(火) 17:31:42 ID:4qSHOya3
特設巡洋艦の報国丸なんか、15cm砲8門、13mm対空機銃連装2基4門、 53cm魚雷発射管連装2基4門に加え、水上機2機(1機は補用)だぞ!
377 :
名無し三等兵 :2009/06/11(木) 15:07:23 ID:l5sruKgu
アメリカン・プレジデント・ラインズの客船が好き。
379 :
名無し三等兵 :2009/06/11(木) 20:50:56 ID:JFhYfpX+
すごいな報国丸。んで、その強力な銃砲は米艦船や飛行機に火を噴いたの?
インドのコルベットに撃ち負けた?
>>379 たしか商船の尾砲から撃たれた砲弾が魚雷に命中して誘爆して沈んだよね、報国丸。
半分潜水母艦だからね <報国丸、愛国丸
うーむ 潜水しながらいまも海の底で活躍しているんだな なんか乗ってるのが男ばっかりだと客船にみえないから客船に見えるように女装してたとかいってたよね
海自の艦名表示はなぜ平仮名なのか。誰かさんが読み間違えない様に、ヒムカイなんて読まれたら困るから…という訳ではなかろう。 思うに、これは戦後日本人の特質となったいじけた自主規制ではないのか。 軍艦を護衛艦と呼び、艦名を平仮名にする事で「海軍」とは一線を画し、批判を避けた心算なのかも知れない。しかし同じ発音でも「漢字」を使う事によって「平仮名」にはないイメージと親しみが湧く。 同時に父祖の果たした栄光と誇りも湧いて来るのである。
385 :
名無し三等兵 :2009/06/15(月) 17:13:34 ID:Jau1dnsW
>>381 報国丸の後部船倉蓋貫通→着弾火災発生!→登載砲弾や魚雷が誘爆、
後部船倉側面の一部に亀裂が入り浸水→沈没のはずだが?
報国丸に着弾させたのは蘭タンカーのオンディナ4インチ(102 mm)単装砲か、
インド植民地海軍掃海艇ベンガルの75mm(12ポンド)単装砲1基かは不明。
両船とも報国丸に砲撃しながら退避行動してるので、どちらの船か不明。
報国丸の沈没は正規軍艦に比べ防御力の弱い船体商船であったのが災いした。
386 :
名無し三等兵 :2009/06/15(月) 18:20:00 ID:Jau1dnsW
>>385 ん? 半藤一利の「日本軍艦戦記」にある報国丸乗組員の中島栄一氏の手記を
当たったが、相手はロンドン・オンディナ号、相手が停船している状態で報国丸が
その周囲を旋回して遊弋していたところ、商船の尾砲の直線上に報国丸がまわり
こんだ時に突如船員が尾砲を発射とあるぞ。それが右魚雷甲板に命中、魚雷に
誘爆、と。
そっちは何をソースにしてる?
>386 こんな船が護衛しとるて帝國海軍も舐められたものだな。
報国丸の戦火について報告せよ
>>388 帝国海軍よりはましかと思われw。
給糧艦とか急設網艦とか給油艦とかそりゃないだろという面子まで動員したからなぁ。
航洋能力があればそれでいいといった感じで。
海防艦の装備のショボさがよく話題になるけど、あれでも護衛兵力の中じゃ超エリート。
太平洋の遥彼方で人知れず散っていった警戒船なんて徴用漁船だもんな。 敵にやられる前に、敵発見の第一報を発する事さえできればマシな方。
>>385 そう言えば中島氏の手記を見ていると、哨戒艇がオンディナ号に随伴していたとあるな。
ただし報国丸の砲弾命中後、煙幕を張って退避したとある。残されたオンディナ号が
停船し、その後の顛末は
>>387 の通り。
393 :
名無し三等兵 :2009/06/16(火) 14:32:10 ID:14f10nHT
防空基幹船もエアアパッチに撃ち負けるからな 高角砲積んでもFCSが貧弱じゃ意味が薄い
コンクリート船といえば、外洋ヨットのシーガル号。
396 :
1942年7月04日に米国が降伏 :2009/06/17(水) 03:10:56 ID:iTxLE94v
カリフォルニア油田制圧/イギリス上陸 : 補給と輸送が日本軍勝利への要
【あしか】対英侵攻を成功させるには?U【BoB】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1203975639/461n- 12月16日:南方作戦に戦艦大和編入/太平洋の対ソ支援鹵獲
建国:中華連邦
1942年
01月11日:蘭印作戦(〜3月9日)
独立:インド(反英:自由インド政府)海軍とインド鉄鋼業から支援
01月26日:空母祥鳳が就役
02月10日
占領:カリフォルニア(接収:油田、金鉄鉱、工場、造船)。第14軍、第25軍、あきつ丸
建国:アメリカ共和国(北米西海岸)。北米東部に飢餓作戦開始
3月XX日:カフカース・イラン独立戦争支援/インド洋の対ソ支援鹵獲
4月XX日:マルタ島⇔イラン⇔インド⇔日本シーレーン確立
5月XX日:枢軸国軍が ≪ イギリス上陸 ≫
対人生物兵器を準備しつつ米国中部に航空拠点を確保しだい降伏勧告
「入港した貿易船乗組員に感染死亡続出」との新聞記事を世界に流して交易不能にさせる
複合感染の米国へ「3日以内に降伏しなければ、次は空気感染の生物兵器を行使する」と最後通牒
07月04日:米国が日本に降伏
07月06日:ソ連と枢軸国が講和
397 :
名無し三等兵 :2009/06/18(木) 13:33:08 ID:SJHunL4r
>>396 おもしろいが、1942年02月20日からが特におもしろい。
以下横道
太平洋戦争を振り返ってみると、対英蘭戦争は、理解できても、対米戦は不必要だったと思う。
対米戦の直接の動機は、ハルノートによる対日輸出制限だとされるが、
こういうのは、外交交渉の前提で、期限なしに話していれば済むこと。
アメリカの世論は、基本的に対日戦はもちろん、対独戦にも消極的だった。
しかし、真珠湾を先制攻撃したので、国内世論が一気にまとまった。
仏印進駐は相手がヴィシー政権だから言い訳がつくし、
英蘭だけに宣戦布告すれば、「アジアの植民地の解放」といった、
お題目にも箔が付く。
当時の消費量なら、英蘭植民地の東南アジアを確保すれば、
石油、ボーキサイトなどは確保でき、これに満州を加えれば持久戦可能。
なにか、海軍に引きずられた感じがするな。
地図を見てフィリピンの位置を確認してください。 そして、このスレらしく、東南アジアからの航路がどこになるのか考えてください。
英米不可分に決まってるだろ。 ルーズベルトの伝記でも経済史でも何でもいいから当時、米が何を考えていたのか ヒトラーの構想というのがどういうものだったのか調べてみろよ。 ドイツと同盟を組み、英蘭を敵に廻すことがどういうことになるのか理解できないのは単純に情報不足だよ。
400 :
名無し三等兵 :2009/06/23(火) 13:56:58 ID:HP12u3L/
>>398 さん
「フィリピンの位置」
対米参戦していないとすれば、関係ない。
一次大戦、二次大戦で、対独開戦前には、
アメリカはドイツの輸送船を攻撃しただろうか?
>>399 さn
「英米不可分に決まってるだろ」
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』鳥居民著作
によると、1939,40年の段階で、ルーズベルトが日本に望んでいた最大のものは、
日独軍事同盟の破棄であり、それがあれば、満州国の承認と、
東南アジアでの線引きはあり得たという。
「米英不可分」というのは、戦後の現在から見方ではないだろうか。
歴史を論じるときは、その時点の状況と価値観を見ないと、分からなくなる。
日本が英国と戦争するってことはすなわち、ドイツとともに戦うということだよ。 英米は不可分だよ。
402 :
名無し三等兵 :2009/06/24(水) 11:05:20 ID:3GFXPb4V
>>401 さん
1940年当時の米国の国内事情と、ルーズベルトの権力基盤を見て欲しい。
米国内は、ヨーロッパの戦争への介入に反対が大部分で、
まして、アジアへの戦争(日中戦争)には、無関心だった。
また、米英が一体というのも、当時の歴史を見れば、保留部分がある。
もちろん、チャーチルはアメリカ参戦を最大目的にしていたが、
ルーズベルトは国内事情もあり、可能性とタイミングを計っていた。
レンドリース法なども、イギリスの財産を搾り取ろうとする意図があり、
まあ、それが戦後のブレトン・ウッズ体制につながったわけだが、
米英の間には、権力闘争や利害の対立があり、米英一体は、後から付けた理屈だと思う。
パレンバンの二大製油所、片方はオランダ系で、もう片方は米系資本なわけだが… フィリピンから睨み効かされたまま南方進出っすか?
404 :
ヤシン市場 :2009/06/25(木) 16:14:05 ID:DakEodXj
>>403 さん
「フィリピンから睨み効かされたまま南方進出っすか? 」
交戦国でないのだから、問題ない。
軍隊というのは、軍艦、飛行機、戦車のスペックだけではなく、
政治、国際法規によって動いている。
そこにB-17がいるから輸送船を攻撃できる、
というだけの発想は、仮想戦記的ではないか?
とりあえずsageぐらい覚えたらどうだ スレ違いだし正直もう終わった歴史についてのif談義なんかどうでも良いわ
オナニーに夢中でかーちゃんに見られてるのに気が付かなかった風
油や食糧弾薬の問題まで考察・言及したシビアな仮想戦記がほとんどないから こういう子が出るんや 大慶油田発見チートで大勝利の万々歳なんてシナリオでキャッキャと喜ぶのは中学生まで!
現代日本の商船隊が積荷(原油や鉄鉱石など)を満載したまま太平洋戦争直前の日本に タイムスリップすれば日本大勝利!
仮想戦記うんぬんとかいってる奴が妄想決めつけ満載とはwww
>>408 でかくて繋ぐ場所無いから沖付けして、団平舟でせっせと揚陸ですね。
>>410 ちょwww噴いた
そうか港湾設備も・・・・。
鉄鉱石類はバルクだとおもうけど、コンテナのクレーンとかもないよね。
油槽船もうまく積み荷下ろせるのかな。
巨大タンカーなんか今の気象と航法が無かったら絶対事故る
ついでに言えば石油精製能力もハナクソだから、主要港湾の沖合いには荷役待ちのタンカーが 大行列になるだろうなw。 精製能力も無ければ貯蔵設備も無いんで、原油をワンサと持ってきても後がつかえる。 貨物船から気長に荷を降ろして精製するだけで終戦を迎えそうな気がw。 大体当時の東京湾一体がどんなもんだったか調べるだけで絶望できる。 当時整備されていた工業地帯って横浜〜川崎のほんの陸地側(高島貨物線・鶴見線沿線)だけで 扇島の大工業地帯とか浮島や根岸、新興の大精油所は影も形もなかったんだが。 当時あったのは今でいうとこの新子安と安善の精油所位。 ましてや京葉工業地帯なんて夢物語。ハマグリでも掘って落ち着けと。
現代日本の商船隊というと日本船籍限定?日本の船会社が運用してる船全体? もし、現在日本向け物資満載の船全部と、現代の港湾、石油精製能力がタイムスリップしても 大勝利は無理だろうな。 材料だけあっても工場の生産力が無さ過ぎて、結局兵器はそれほど増えない。 兵器を増やせたとしても、今度はそれを扱う人の教育が付いてこない。
帝国海軍の誇る徳山の燃料廠も現代に持ってきたら中の下のクラスの精油所だからなぁ。 そもそも帝国海軍自体完全に燃料を石油化できなかったのが実情だし。 これは英国海軍もそうなんで一概に遅れを責められないけど、補助艦艇なんて石炭炊きの船が ゴロゴロしていたもんな。 石炭炊きのレシプロ船で南洋まで出かけて船団護衛しろってそりゃ無理過ぎる。
実際、途中からは現地で製油してから持ち帰るようになってるね。 危なくて軽質油積めない応急油槽船には、原油も積んだみたいだけど。
まともなハイオクガソリン精製できるプラントは終戦間際まで本土になかったから パレンバン・バリクパパンの設備を復旧させて使うしかなかったっしょ
飛行機の燃料とかねぇ・・・。 でも、日本の飛行機は松根油で飛ぶっ! 抽出がえらい手間かかるけどw
結局、松根油は実際に使用すると故障の原因になるんで 試験だけで終わったんじゃなかったっけ? 人力での採取と抽出は非効率すぎたし、わずかにできた松根油も 本土決戦用に保存してたはずだから。 集められた松根油が戦後なにに使われたのかは気になる。
艦船用の重油には使われていたはず。 さすがに松根油の質で航空機燃料を作るのは無理があるだろうが。
松根油は粗悪な燃料でもおkなジェットエンジン向けだったような
おいおい、その前に日本で実用化されたジェットエンジンの飛行機を教えてくれよ。 YS−11ですらプロペラ機だぞ。w
YS-11のロールス・ロイスのダートエンジンはピストンエンジンじゃないぞ スレ違いだから軽く触り程度で止めておくけど。
必死で設備をぶっ壊して回ったオランダの頑張りが大戦初期には効いただろうな
プロペラ機とレシプロを混同してる化石馬鹿が居ると聞いて
ターボプロップはレシプロじゃないよ
てかYS11は戦後の話ではないだろうか。
>>422 実用化された・・となるとはなはだ微妙だが橘花が松根油で飛行しているらしい
>>417 逆にハイオクガソリン作れないのに戦争始めるって凄いと思うある意味w。
世艦別冊呼んでたら、知床級と隠戸級の8隻の給油艦で開戦時の海軍備蓄原油の6割
(300万トン)を運んでいるんだよな。
逆に言えば1万5千トン級の小型タンカー数隻で数年かけてシコシコ運べばどうにかなっちゃう
程度の量しか備蓄がなかった訳で…。
今ほど石油に対する依存が大きくなかったとはいえ、これじゃ速攻で底を尽くのは
専門家じゃなくとも分かるわな。
開戦前にタンカーへの優良船舶助成を打ち切ってるというのが、なかなか笑えるよね。
もう十分タンカーはそろったと。
>>427 かなり遅い時期まで海軍は、備蓄重油を原料に航空燃料も簡単に生成できると思ってたようだな。
長期的戦略の裏付けとなるインフラと資源を持てない状態では 総力戦ではとうてい勝てないって事だな。 厳しいな。
海「素晴らしい船だ。さっそく空母に改造するので、全船わが海軍が徴用する!!」 陸「われわれ、陸軍としては反対である。むしろ揚陸艦に改造すべきである。」 海「では、4:1で分けるということで。」 陸「叩き切るぞ!」 逓信「・・民需用にも1隻」 陸海「「叩き切るぞ!!」」
空母にした時に、現在のタンカーは二重底でえらく沈みにくいかもしれないが。 でも甲板って航空機が離着陸できるほどの強度あるかなぁ。 何キロにも及ぶパイプは撤去すればよいけど。 タンカーを揚陸艦にすると使いにくそう。喫水とかいろいろと。 やっぱり民需用にそのまま使うか空母にするのがいいとおもう。
>>432 今のタンカーを空母にしたところで不必要にでかいわその割に速度出ないわで
使いにくすぎるんじゃないのか?
そもそも戦時中に実際に空母に改装された商船はほとんど客船由来ではないかと。
給油船改装空母もあるけど、あれはあくまでも艦隊随伴給油船を改装しての空母で
あって一般のいわゆるタンカーではないし。
ネタだろにマジ検討辞めてくれないか 死ぬほどやったネタだろ
商船構造のボカチン具合はこれを検索してみればよくわからる ろーろーさろま 釧路港 ちょっと穴空いただけでなんともならんだよ
フェリーなんかも広大な車両甲板に一気に浸水すると沈みやすい。 1994年にエストニアで1万5千総トンのフェリーが沈没した事件も 確か開口部から車両甲板への浸水が原因。
その辺日本は洞爺丸台風で散々授業料を払った経験があるな。
他の国よりは浸水対策に格段に気を遣ってるけど、ダメな時はダメだな。
>>431 日本軍脳のエミュレート加減が絶妙でワロタw。
さんざん手を付けておいて、結局造船所の空きが無くて岸壁のコヤシになっているのに1票w。
>>427 それ以前に、石油と鉄原料の最大輸出国を相手に戦争を始めるというのもねw
>>428 >かなり遅い時期まで海軍は、備蓄重油を原料に航空燃料も簡単に生成できると思ってたようだな。
思ってただけで試験製造もしなかったんでしょ。実際やってみたら、とても
航空機を飛ばせる品質じゃなくてビックリしたわけだから
クラッキングといってだな。触媒とか熱で分子量を小さくしてナフサとかガソリンとか軽質の石油製品をつくれるんだよ 当時はまだ化学が時代においついてなかったんだな・・・
水素添加がメインだしね 流動接触分解装置は米国の禁輸に引っ掛かって導入できず 四日市にパレンバンから剥がしてきたの組み立てたけど旨く行かず 北朝鮮に作ったけど終戦に間に合わなかったんだったか
444 :
名無し三等兵 :2009/07/02(木) 16:42:54 ID:VAOMHhy8
>>438 全部が全部では無いが、車両甲板を開けているフェリーは危険が増すってだけ。
洞爺丸事故が起こるまでは開口から車両甲板に海水が入っても問題無かった。
波長が船体より少し長い場合に車両甲板に溜まってしまうのが洞爺丸事故後の実験で判明した。
それ以上、それ以下の波長では車両甲板に溜まらないと実験結果が残っている。
波長は何時も判らないので防御策として扉を付けた。
車両甲板に海水が流れこんでも排水設備が追いついていれば問題無い。
追いついてないと溜まりに溜まり、沈没する。
>>430 45000総トンクラスのハンディサイズのバルカーやらタンカーの方がWW2レベルだと重宝しそう。
…そんでも徳山の燃料廠に直に横付けできるか不安だけどw。
>>433 今のタンカーは大抵14〜18ノットだけどこれは大戦当時も大して変わらんというか若干マシ。
ディーゼル主機な分劇的に使いやすいんではと思う。
石炭燃料のレシプロタンカーがまだ当時は多かったし。
低質油対応の低回転2サイクルディーゼルを使いこなせるかどうかは別として。
当時の港には荷役装置がないよ<バルカー 自前のデリックが必要 戦時中日本は、デリックの起重機が不調で荷役が遅れる・・・ デリックブームの鋼材が不良で座屈の話も コンテナ化は戦後の話だし
仮想戦記のスレはここでつか?
>>446 >デリックブームの鋼材が不良で座屈の話も
うげげ。どんな後進国の船の出来事かと orz
そこで沖仲仕の出番ですよ
>>448 心配するな
アメリカもリバティ船で死ぬほど類似案件抱えてたからwww
さすがにアメリカの場合、ブームが座屈することはねえんじゃね? デリックが機械的な故障を起こするのは今でもよくあることだけど。
リバティ船の脆性欠陥は ・当時未知の現象 ・大量生産・大量運用でデータとれた ・その後研究、解決された からお手本としてタコマ橋・コメット機と並んで工学教科書に載ってて有名なんだろう 日本のはただの粗製濫造だから…
>>453 ちゃんと設計したけど、まだ未知(発展途上)のジャンルだったので
複合的要因で破綻が発生したというわけね。
だから今後のお手本になるわけか
当時の日本のは、規格上の性能を出せなかった失敗製品だもんねえ。
まあそのかわり、日本もこれに懲りて製造での質的問題の
重要性に気づいてQCを導入するんだが
未来の港湾設備がそんな間抜けな設計のわけねぇだろう。 ちゃんと設計されている。角度とか。
今ある日本の技術立国なんて過去の遺物だけどな 底辺の理解が全くないからそのうち枯れるよ
>>449 近代戦の後方輸送では出来れば使いたくないな
ヤクザが介入するのは困る
>>454 その辺が理詰めで失敗を糧にした米英の強さだと思う。万事につけて。
失敗はするけど、失敗すればするほど技術的に足腰が強くなる訳で。
失敗から目をそらしたり、個人に責任転嫁する日本は勝てないわな。
敗戦で勉強して多少は賢くなったけど製造業以外はまだまだだもんなぁ。
459 :
名無し三等兵 :2009/07/06(月) 14:43:21 ID:kWveJkX9
またリバティ信者が妄想劇してるの?w
お前の方がよっぽどきもいわ
461 :
名無し三等兵 :2009/07/15(水) 10:40:17 ID:RMu8l6tu
武装商船に萌えだな。
>>156 超遅レスになりますが、指摘の通りPTボートは合板艇ではなく、
マホガニー板の二重張り、いわゆる「ダブル・ダイアゴナル」構造だと思います。
樹脂含浸はやってないかと。
帆布を挟むのは、内張りと外板の密着度を上げて、
モノコックに近い効果を狙うのと、水漏れを防ぐためです。
帆布の密着には普通、固練りのペンキを使います。
フレームと板の固定は接着材ではなくブロンズねじ釘と
銅リベットのかしめ(チャンチャン)を併用してるようです。
あとデハビランド・モスキートですが、あれも一般には"plywood"と言われますが
既成の合板を使ってるわけではなく、バルサ芯材とバーチ薄板をラミネートしたものを
型(モールド)上で接着剤を使って固着させる工法で造っています。
↓
ttp://www.youtube.com/watch?v=pacluxeWkCw
>>462 世艦のPTボート特集でその辺詳しく触れられてたね。
あれ今手元にないんで参照できないが、耐久性は数年持てばOKと割り切ったと書いてあったし。
ただ実戦投入に耐え得る艇を民間の設計力で作っちゃったのは大したもんだと思う。
マリンレジャー産業って軍事力を下支えする上で地味に重要だと実感。
こうやって乗員救助に4発爆撃機を飛ばせる国と戦争したわけだからなあ。 勝てないよなあ。 思想のちがいというか、日本が貧乏すぎるというべきか。
北米はスプルース材を始めとする木材資源も豊富だから、その点も有利だよなあ。 日本は元々木材供給能力が潤沢な方ではなかった。 大正末期以降に電車や客車のボディを木製から鋼鉄製に切り替えたのも、安全対策だけでなく、 当時の木材価格が高く、一方で鋼材が余剰気味だったから、という一面もあったからな。 しまいに戦時の乱伐で山を荒らしてしまった。
>>468 あと後背地にマホガニーの産地中南米が控えていることも。
日本で赤ラワン(フィリピンマホガニー)のような南洋材を入手しようとすると
戦時にはそれだけで海上輸送に負担がかかるし。
WW2当時の日本にはまだ、和船建造の伝統が残っていたけど、 近代的な木造船舶の構造、特に強度が必要な高速舟艇のそれとは 使用する木材や工法のギャップが大きすぎて、 うまく戦時急造に移行できなかったのだろうな、と。 絶版だけど舵社から出てる『どんがめ物語』には、戦時中に海軍の技術士官で、 戦後輸出向けヨットの製造に携わった筆者が、日本の船大工のやりかたと アメリカのボート建造ノウハウの違いに苦労するエピソードが出てくる。
大発動艇って、和船構造に近いよな。木造艇も作ってる。量産向きじゃなかったらしいが。
確かに大発や小発の船型は和船風ですね。 いわゆる戦時型の木製大発・合板大発は別として、 プロトタイプが木造だったとか?それとも最初から鋼製前提? 詳しくないので教えてエロい人。
ようはしらないけど最初から鋼製前提だよ。
だとすれば設計段階から木材使用を織り込んである
米のLCVPよりも木製化が困難だったろうな、と。
"U.S. Amphibious Ships and Craft"
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/1557502501 には、
ヒギンズ・ボートの場合むしろ、鋼製のプロトタイプが重量過多だったため
当初木造艇として生産されていたのが、生産や耐久性の問題から次第に鋼製に
置き換えられた、という記述があったので・・・
あと直接関係ないですが、
新型の接着剤が出現して木金構造の合理化が可能になったことで
デ・ハビランドがモスキートをホーネットに発展させた、
というWikipediaの記述を読んで。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Redux_ (adhesive)
木造ネタはよく仮想戦記に使われるくらいで、
日本では木材=代用素材、のイメージが強いけれど、
英米的にはむしろ、木材=軽量化を達成する手段、
という意味合いが強いのかな、と。
>>475 アメリカ以外の国では、やはり代用素材としての意味合いが強いのでは?
ソ連なんか大量の木製戦闘機を投入してるし。
それと部材の作成が全金属製のものとは別の工場が使えて、
他の生産計画に影響を与えないと言う点もあるかと。
モスキートは必死だな、以外の何者でもないと思うが
木材って軽いの? 日本の木製機って原型よりも軒並み重くなってないか?
481 :
名無し三等兵 :2009/07/22(水) 08:15:10 ID:6y5p6pYj
ゴメン、sage忘れた。
483 :
関連スレ :2009/07/22(水) 12:29:10 ID:???
船も飛行機も、大量生産となると資材供給のみならず、その国の総合的な技術力がモロに効いてくるな。 「我々の技術はこのように役立つのです」と 広告を打てる企業が多数存在したこと自体、国力の表れだろう。
>>488 軍用駅弁ってのもちょっと面白い分野だよね。
>>488-489 おもしろいけど、シャレにならないね。
たしかに、こんなことが弁当にまで書かれてたら、げんなりだよ。
> マッカーサー元帥は本国に「至急5万トンの食糧よこせ。できなくば5個師団送れ」とまでいってます。
マッカーサー、やるじゃん。
バレンタイン・D・クラーク少佐のチョコレートの件といい、いい話だな。
連合国放出物資とかララ物資は戦後の日本の食糧事情を語る上で欠かせないな。
連合国は自分の身内も飢えてるのによくやったと思う。
(石炭不足と凶作が合わさって、1946年に英国は戦時中を上回る食糧不足に直面してる。)
>>488 工場の食堂はその手のスローガンが付き物だなw。
メシ食った後そのままその場で安全集会とか品質集会とかよくやるし。
>>491 ララ物資とか全ての教科書に掲載させるべき凄く良い話なのに、学校教育でも
あまり扱わないから、知名度低いんだよな。昭和史なんてまともにやらない上に
昭和一桁生まれの教員(戦中、戦後の食糧難を実体験した世代)も絶滅して
戦後の食糧難=リンゴの歌が流れるヤミ市で雑炊するる、イメージばっか流布してる
気がス。実際は昭和30年に入っても食料問題はまだ解決してなかったのだが。
どこのスレか忘れたが(戦後の食料難にまつわる個人の体験談で)魚の干物が
朝になるとキャンディーやチョコレート、冬服に化けた話が面白かった。
>>436 >この差はエスカレーター進学予定者と追い込み受験生のクリスマス以上に絶望的である。
いや、もうねここまで来ると、
「追い込み勉強中に、推薦入試に通った同級生が
憧れのクラスの女の子とギシアンしてるのを目撃する」レベル('A`)
>>495 なんか表現が切実すぎるな。経験者か?w 同情しとく。
>>492 ララ物資は結構知られてるだろ。
戦後の給食と言えば脱脂粉乳と鯨肉ってのは今でも広く習う。
>>492 中高の日本史でもちゃんと習ったし、戦中派の小学校の先生は無茶苦茶力入れて教えてた。
>ララ物資
これの小麦と脱脂粉乳のお陰で日本の児童は飢餓から救われたと。
その先生、実際にララ物資のご厄介になった人だったし。
あと日本人の捕鯨に対する特別な感情は一番辛い時に救ってもらった恩義もあるだろうな。
終戦直後の南氷洋遠洋捕鯨船団にかかってた期待って宇宙戦艦ヤマト並だしw。
俺達は生きるか死ぬかの瀬戸際を鯨肉やら鯨加工品で凌いだんだという意識はあると思う。
>>494 4色カラー刷りの広告というのがスゴイ。
印刷工程が4倍になるわけだし、製版にも貴重な感材を4倍消費する。
版ズレ等で無駄な紙を大量に消費する。インクの染料も軍需に不可欠。
アメリカではインクは統制物資じゃなかったのかなあ。
500 :
名無し三等兵 :2009/08/06(木) 18:16:32 ID:3pHracLM
500、ゲット! OK!
>>486 クリスマスってのは戦前から商売戦略として使われてたのか・・・
今の商業バレンタインだけは戦後起源でいいよね?
>>489 確か第三図南丸をわざわざトラックから引き上げて復活させたんだって。
どこまでも強運な。
日本に返ってきた第三図南丸の姿を父は見たそうな。 それはそれはでかい船でだったとか。
基地機能の貧弱なトラックで、燃料タンク代わりにしてたんだっけ?
>>494 灰色の雄々しいPTボートと、カラーで描かれた粋なスピードボート……
あー、こんな粋な広告を出せる余裕がうらやましすぎる……
この民間用スピードボートには、ライカミングかコンチネンタルあたりの直列8気筒積んでるんだろうなあ
で、復員してきた若いビジネスマンがハンドル握って海上を疾走し、デッキでは念願叶って結婚した若いワイフが左下のように……
同じ頃の日本だと、急造の木造漁船が粗悪燃料でも回る焼き玉エンジンポンポン言わせながら海上に出て、
徴用から生き延びて帰ってきた漁師のオヤジさんたちが、日本国民のための沿岸漁業にひたすら勤しんでいたわけですが……
>>505 >この民間用スピードボートには、ライカミングかコンチネンタルあたりの直列8気筒積んでるんだろうなあ
高級艇の何隻かは余剰のPT用パッカードV12で建造されたらしいw
>同じ頃の日本だと、急造の木造漁船が粗悪燃料でも回る焼き玉エンジンポンポン言わせながら海上に出て、
>>470 の本は、復員した技術士官が手慰みに木造漁船の設計をしたら
横須賀の艦船修理廠内で輸出向けプレジャーボートの建造を始めた
東造船から声がかかって、て話だった。
職人は横浜ヨットから引き抜いてきたとか。
4年前まで震洋の建造をしてた職人がアメリカ人のヨットを造るのは
歴史の皮肉というか・・・
焼き玉エンジンは、始動性に難があるけど、そんなに悪いもんでもないらしいよ。 粗悪な材料で変な燃料で走らせるから遅いけど、長く使われたのは ちゃんと製造した戦後のエンジンなら漁民に使い勝手もよかったからとか。 と、ポンポン船の音を聞いて育ったオッサンが言ってみる。
むしろ二昔前まで舶用小型ディーゼルはあてにならなかった印象が。
>>501 大正時代の日本でも、クリスマスになるとパーティしたり
プレゼントを買って上げたり、一方でキリスト系の学校や団体が
イベントしたり慈善行為をやったり。
今とあんまりかわらんかんじ。
大都会だけだろうけど。
昔の人は新年迎える準備で忙しいだからクリスマスなんてやってる暇無いよってイメージ
>>507 ふとアメリカの小型漁船はどうだったのだろうと思って
ネットで調べたら、戦前からフォードトラック用のエンジンを流用した
ガソリン船内機が普及してたのね。爆発事故も多かったらしいが。
>>507 昭和40年代まで漁船用に製造は続いたそうだね>焼玉エンジン。
ソースRMライブラリー「石油発動機関車 福岡駒吉とわが国初の内燃機関車」
構造とか運用とかこの本でかなり詳細まで知ったけど、確かに構造は単純の極みだな。
>>513 その本を読んでないのでよくわからんが
石油発動機と焼玉発動機は別物では?
>>514 メーカーはこのミニ機関車を「石油発動機関車」と称していたので、著者もそれに従ってるが、
焼き玉エンジン車だ。
著者もその辺りの傍証はきちんと行って記述している。
古い文献だと、低圧縮比火花点火の石油発動機と、圧縮蓄熱点火の焼き玉発動機を混同している物が多いが、
>>513 の本ではきちんと区別してある。
なるほど、サンクス。漏れも読んでみるお。
>>516 鉄道用機関車の話がメインだけど、横須賀海兵団が漁船の戦時徴用に備え準備した
運用手引書を引用していたり、焼玉機関の専門家に聞き取りしているんでかなり面白い。
何より1000円ポッキリという破格のお値段で図面も豊富、今なら入手も容易なのは有難い。
つかこんなに濃い本をそこいらの本屋で1000円で買える鉄ヲタが羨ましい。
軍事や海事の世界で焼玉機関の本出しても数倍のお値段で最悪自費出版になりそう。
焼き玉エンジンをLPGボンベ繋いで動くようにすれば(ry とうたたねして夢見てしまったw
519 :
名無し三等兵 :2009/08/10(月) 15:45:13 ID:VkObNhFq
関釜連絡船の金剛丸・興安丸に付いて話しあおうか?
石炭焚きタービン船という、戦前の鉄道省らしいスペックですな。 青函連絡船の鳳翔丸・洞爺丸型・2代目津軽丸型や、 稚泊連絡船の宗谷丸型と並んで、国鉄連絡船の歴史における大型連絡船の代表格でしょう。 しかも関釜は車両渡船や砕氷船でないだけにスタイルがいい。 それだけに、戦後まで生き残りながら、 金剛丸は座礁して解体、 興安丸は石炭焚きの不経済さが祟って横井英樹(……船主としては最悪の部類でしょうな)に身売りされて 長年のドサ周り仕事の末にあえなく解体、という末路、 氷川丸のようにNYKの気概で生き延びられたキャリアと違って、もの悲しいものがあります。
521 :
名無し三等兵 :2009/08/11(火) 09:49:50 ID:ADH9Iq+y
大阪商船の高砂丸も戦争を生き抜いたけど石炭炊きが災いして戦後10年で解体された。
そう考えると国鉄の石炭焚きに対する情熱って凄いよな 昭和45年まで戦標船の改良型みたいな石炭焚き船運用してたんだぜ。 たぶん戦標船使い倒した企業なんて国鉄くらいなモノ
>>522 昭和45年まで石炭焚きの船が動いていたなんて知らなかった。
想像だけど、国鉄はSLをまだ動かしていたからじゃないかな。
JRが今も自前で発電所を持っているように、石炭の入手と
供給のシステムを自己完結で持っていたんじゃないかと。
古いOSで古いネットワークを動かし続けているようなもんで、
国鉄ほど大きいと切り替えは難しいのだろう。
>>524 32年振りに建造された石炭焚き船って説明があるw
オイルショックは過ぎた後なのに、スゴイね。
>>523 国鉄が洞爺丸台風の代替船として青函にディーゼル船を入れたのは昭和31年以降、
青函間3時間50分に高速化された近代化新世代ディーゼル船の二代目津軽丸型デビューは昭和39年ですからね。
そのうえ国鉄が蒸気機関車を全廃したのは昭和51年、
奥羽線では47年まで、そして北海道の主要幹線では49年頃までD51・C57クラスの幹線・亜幹線用蒸気機関車が現役でした。
国策のせいで44年以降、道内炭鉱の閉山が続出していたとはいえ、
夕張などまだ盛んに掘られていたヤマは残ってましたし。
船もカマ数を揃えてあれば、戦標船やその改良型である洞爺丸型でも4時間30分の鳳翔丸級レベルでの運航はできるので、
石炭焚きといえど早晩全廃とは行かなかったんでしょうね。
青函は貨車を載せられる車両渡船が標準ですが、
旅客も載せる船が旧型化すると改造で貨車搭載スペースを広げる車両専用船格下げもやってました。
それにしても、あの美しい洞爺丸型が
お粗末なW型戦時標準船の設計をベースにボイラー増設や二重底など平時化改良しただけ、というのは合理的な速成策とはいえ、
初めて知った時はずいぶん意外でした。
>>523 >>526 国鉄は福岡県志免に自前の炭鉱(旧海軍炭鉱)持ってたけど、基本的に売炭。
最後まで石炭炊き船を使い続けたのは鉄道会社なので石炭焚きボイラを使い慣れてた
というのもあるけど、最大の要因は機関科要員の定数の問題だと思う。
重油炊きやディーゼルにすると合理化は避けて通れないけど、国鉄はそれが難しかった。
あの、今の商船って貨物輸送用にしてもなんかバルカーだのコンテナだのと色々ありますけど、 この当時の貨物船もこんなに多種多様だったんですか?
531 :
名無し三等兵 :2009/08/18(火) 10:09:42 ID:f8TP0yqP
>>523 昭和40年代までは石炭の方が手に入りやすかった=国内で掘られていたから。
国内の炭鉱が右肩上がりに追い詰められたのも昭和45年以降。
>>528 航空機関士をリストラできなくてクラシックジャンボを使い続けた
JALみたいな話だけど、よくわかるw
民間でも諸事情で採算は採れてなくても切れない部門や支出項目はあるから。
>>529 当時って大戦中のこと?大戦中は専用船って原油タンカー程度で後は一般貨物船しかない。
少数鉱石専用船とかセメント専用船とか木材専用船とかあったけど。
現在のような用途ごとの専用船が数多く出てきたのは1960年代頃からかな。
>>529 太平洋戦争中の日本の第一次戦時標準船だと、一応次の区分がある。
A〜C、E〜F:一般貨物船。大きさの違い。
D:長尺貨物船。船尾機関型で鉄道レールなんか積める。徴用時には大発搭載に便利。
K:鉱石船。見た目は三島型の貨物船と大差なし。
TL、TM、TS:タンカー。大きさの違い。
戦前の貨物船の微妙な違いでは、
木材用だと、デリック用のウィンチがマスト基部の高台の上に置かれてて、
甲板に木材を山積みしても、デリックの操作が容易にできる。
カリブ海辺りでは、通称バナナボートってのが居て、
傷みやすいバナナを新鮮なうちに輸送するための、冷蔵庫積んだ快速船。
快速船から無理矢理横に延ばしますが、 フラッシュデッカーで払い下げられて商船になったのが居ますが 何やってたんでしょう? 物が積めるようにも、燃費が良いとも思えないし、 それこそ最高速度位しか取り柄がない様な気がすんですが。
それこそバナナボートやってたのがいるな。後は知らない。
バナナ運搬船てなんだっけかなぁ
538 :
名無し三等兵 :2009/08/28(金) 17:23:47 ID:tjUQLTOg
>>529 平時標準船=第一次戦時標準船をググル。
>>536 遅くなりましたがありがとうございます。
>>534 を読むと見事に条件に合致しますが、
それで他の使い道は?と言われると難しいですよね。
541 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 17:07:47 ID:eq6/Xo0S
戦時標準船の詳しい詳細や船名は本で探すのは苦労するだろうな。
大日本絵画じゃだめかい
543 :
名無し三等兵 :2009/09/04(金) 20:47:12 ID:falJGKt3
戦時標準船ってかっこいいよね。なんか昔の船とは到底思えないデザイン。 造船大国ニッポンの礎は戦時標準船が築いたんじゃないかと思う。
平面形は死ぬほどダサいと思う。
ブロック工法とかは戦標船によって導入された技術だけど、過大評価するのはどうかと。
プロジェクトXだっけ?戦時の経験が戦後の効率的な溶接技術考案の元となったとか
リバティ船もブロック工法でしょ 造船は人海戦術なんで賃金安くて技術がそこそこあれば発展するのは必定 戦後日本なんて条件バッチリね 近年は韓国、さらに中国へとシフトしてもうだめぽ
一時期韓国は追い上げてきかけたけれども結局ウォン高になって青息吐息。 中国も結局為替レートの問題が出てくるんじゃない? もっとも日本の場合、輸出産業は自動車で為替レートを円高に誘導されて 他の輸出産業は打撃を受けた挙句、自動車産業が蓄えた利益がプールされた ままで日本国内に循環しないという経済構造を抱えているけどね。
そうなんだよな。自動車メーカーばかり得をする構造になっている。 経団連を牛耳ってるからなの? 奥田のせい?
全体的に電機の方が何か政治的な動きは多いみたいだけどね。 その風にトヨタも乗っかってると言うか。 電機はトヨタの輸出構造で苦しめられてるけれど、それで輸出企業 奨励みたいに一見自分がトクするように見える政策を政府にロビイング して、それでそういう輸出企業優遇策を取ったらトヨタがますます 強くなってますます円高構造になって自分の首を絞めている、でも 本人達はその構造に気がついてなくて泥沼、みたいな感じには なってるみたい。
電機はなぁ・・・。なんか落ち目だとおもったがそんな事情があったのですね。 結局トヨタばっかり得して景気が悪くなる罠か・・・。 鳩山が落ちて、551が首相になればよかったのに・・・(ぼそ
電機が政治的というのは組合サイドの話だろ。 連合系の単産の中でも組織力や動員力で電機連合が最強だし。 企業そのものの政治的発言力はどこも大したことはない。 どっか好調な業種があればそれにくっ付いて食っていけるし、核の重電は需給バランスが 非常に長期的に動く業種なんで部外者が思ってるほど中は苦しくないのが本音。 不況やら円高がそれなりに効いているけどコスト削減や合理化で対応可能なレベル。 むしろ突発的な自然災害とか不祥事の方が怖い。
戦艦大和誕生、とか言う本でもOKな気がする。
>>555 セットで読めばIHIのちょっとした技術史になるな。
大和のほうは西島大佐で世界制覇のほうは真藤恒がメインになるけどな。
557 :
名無し三等兵 :2009/09/20(日) 11:51:45 ID:5zTIlHoM
スレ違い? 戦時標準船TM型の図面ってない、ですよね・・・?
558 :
名無し三等兵 :2009/09/30(水) 17:48:50 ID:qk56SuWZ
戦時標準船の図面、何処かの本に載ってなかったか?
図面と言うか、側面図とかなら『商船戦記』とか『輸送船入門』とかのことかな?
560 :
名無し三等兵 :2009/10/01(木) 18:00:15 ID:K70mGr5V
空母スレで三池丸型を空母する案が出てたぞ。 あるぜんちな丸型より短い三池丸型が空母になるか?
>>557 昭和造船史1巻に2TM型の船内配置図のってたよ
>>560 なるかもしれないが、もっとも実用的な使い方は航空機輸送艦になるだろうね。
艦隊決戦は不可。九六式艦爆などに余剰があれば対戦哨戒に使えるかも、というぐらいではないか
>>560 陸海軍の相克の一つの現れとしている人も居る。
空母改装検討の際に、三池丸型を空母適正有り、としているが、
実は三池丸型は全て陸軍の優秀船として取られている、と言う背景
があったり。
カタパルトがなくてまったくと言っていいほど役に立たなかった 日本の商船改造空母群だが 旧式低速雷爆撃機でいいから運用すればよかったのに ソードフィッシュの例もあるんだし というわけにもいかんのかな
97艦攻乗せて、船団護衛していたよ。 昼間はいいけど、夜に潜水艦の攻撃食らってダメ。
いや当然それは知ってる 60kg航空爆雷数発積んだ軽装での護衛任務でしょ そうではなく魚雷や25番積ませてまともな対艦打撃力として 運用できないもんかなと ソロモンで消耗して正規空母に載せるパイロットすら足りない現実は とりあえず置いといて
搭乗員不足が無いなら、米軍の護衛空母みたいに後方に待機して即時損失補充用にする。
ウンザリだ
>>566 確かそれやると機体は重くなるから飛行甲板が短すぎて発艦出来ない、
だったんじゃなかったっけ?
>569 いくら低速小型でもそんなに使えないわけないぞ。 大鷹型の場合、雷装の天山なら3機が同時発艦出来たとの事。 発艦促進ロケットもあるしね。 それより問題なのは着艦の方だと思うな。
決戦兵力に使おうという発想にウンザリ 対潜哨戒用途で十分。複葉機で十分。
わざわざ二度もウンザリしなくて結構です
573 :
名無し三等兵 :2009/10/06(火) 18:01:15 ID:9iz441B0
日米では潜水艦の運用違いがあるから、 米みたいに集団行動しないのが米空母側を脅威に陥れなかった。 日も米みたいに集団行動で夜間攻撃とかしてたら・・・・
潜水艦に関しては細かい運用以前に戦略思想が全然違ってた。 通商破壊は二の次で艦隊決戦に凝り固まってた時点でもうダメ。 そのせいでやたらと凝った航空機搭載の大型高速艦を無駄に作ることになったし。 今となっては呂型に毛の生えた1000トンクラスの中速艦を多数揃えていればと思う。 南洋方面での長期運用にギリギリ耐えられるレベルの艦で良かったのにね。
>今となっては呂型に毛の生えた1000トンクラスの中速艦を多数揃えていればと思う。 >南洋方面での長期運用にギリギリ耐えられるレベルの艦で良かったのにね。 つまり中型やん。評判もよく実際大量建造を試みようとしてたが・・・
>>564-575 スレ違いだから他でやってくれ。
だいたい船団護衛や対潜哨戒なら門司を起点に上海〜高雄〜海南〜サイゴン〜シンガポール。
または高雄〜マニラ〜ダバオ〜ジャワの飛行場から基地航空隊か水上機で間に合うから空母いらんし。
太平洋も横須賀〜小笠原〜サイパン〜パラオ〜トラック〜ラバウルで必要なし。
速力20ktの低速艦を艦隊戦にとかバカげてるし、ソードフィッシュを日米航空戦で使えるか想像してみれ。
潜水艦については、まずアメリカは海上貿易にさほど依存してないのと、戦果より確実に補充が上回る。
日本が1年かけて潜水艦建造しても、向こうは1週間でリバティ船と護衛艦を建造して補充してくる。
>>576 アメリカは海上貿易への依存度が低くても、欧州とオーストラリア、ニュージーランド、インドを切り離すのは
思いっきり重要だと思う。
豪州とイギリスの交通路を切断できなかったのが敗因の一つだろうな。
>>577 そうすると、日本の潜水艦保有量でどうやって継続的通商破壊戦を
実施するんだね。
出撃根拠地は?
潜水艦への物資補給は?
重整備をする根拠地は?
>>576 海上護衛参謀の回想読むと、護衛空母が編入されてのを喜んでいたけどね。
あれば、色々使い道はあったでしょうに。邪険にすることもない。
まあ、護衛空母編入後、一時期被害が減ったのはアメの潜水艦ローテの関係だったみたいだが。
戦標船の価格ってどこかで調べられないかね。
自己解決した。
開戦時の時点で、日本船舶のうち船齢20年以上の老朽船はどれ位あったのだろうか? 船質改善助成施設によって、老朽船のうちどの程度を廃棄し、新造に代える事ができたのだろうか? 機帆船から豪華客船まで色々あるが、世界を股にかける米英船舶と比較して、日本の保有船舶は沿岸用小型低速が多く、外洋大型高速船の比率は少ないのだろうか?
戦時中の日本本土の港湾荷揚能力はサンフランシスコ1港にも劣ると聞いたが本当だろうか? 本土も内南洋も中国沿岸も港湾能力が貧弱で、沖待ちや滞船が多く輸送効率が悪かったらしいが。 港に着いてから積み荷を揚げ降ろしして、一ヶ月位チマチマと作業が必要だとか。 荷揚作業と船の整備で、航海に従事できるのは1年の半分でしかないとかひどすぎないか? 内南洋は軍縮条約の制限で、基地化できなかった影響もあるのだろうけど。 しかしシンガポールやマニラやジャワの港は、欧米が投資して逆に日本本土より港湾能力が優秀だったりしたのだろうか?
はいはい自分で調べようね
船舶改善助成施設
戦時中と言うか戦前からコンテナリゼーションの時代までは はしけ荷役が多かったからな。 だから港湾荷役の労働者も「沖仲仕」なんて呼ばれていた。
588 :
名無し三等兵 :2009/10/14(水) 18:14:18 ID:msIMeQlZ
>>583 なつかしい日本の汽船サイトでも見たら?
>>576 最近よくそういう意見を見かけるけど、
・常時主要航路をオンステージするなら、それが可能な戦力が抽出できるほど
各基地航空隊に余裕はあるの?
・船団上空近辺だけはりつけるなら、各船団の航路やスケジュールを確実に
各基地航空隊に伝達して船団まで誘導できるだけのシステムを当時の
日本に構築できるの?(組織論とか通信体制とか)
というのが疑問なんだ。それについての答えって出てるんだろうか?
>>589 何故スレ違いの話題を敢えてここで引っ張るのかわからない。
専門スレでやるか、取り合えず実際にその任務についていた901空、903空、951空、256空等を調べてみたらどうだ?
591 :
名無し三等兵 :2009/10/15(木) 20:43:07 ID:xYjvQsup
戦標船とは、まるで標的のことかと連想してしまう。
ageて言うほどの事か
何でこんなに過疎ってるんだろうか。 もうネタ切れか?
んじゃ、疑問に思ってたことがあったのでネタフリ えげれすってWW1、WW2で、戦標船みたいなのとか規格とかなかったん?
595 :
名無し三等兵 :2009/10/28(水) 18:03:32 ID:7BJGLx6N
>>594 第二次大戦
エンパイア型輸送船290隻、フォート型輸送船60隻。
エンパイア型は7280トンで、フォート型は7140トン。
違いはエンパイア型はイギリスで建造、フォート型はカナダで建造だが、
船体デザインは、ほぼ同じで多少の装備違いは有る。
フォート・シップ WW2
http://fortships.tripod.com/ イギリスはアメリカからリバティー、ヴィクトリー、T2油槽船の援助も受けている。
WW1の時はえげれす自慢の大商船隊オンリーな気がする。 そもそもWW1で戦標船って概念があるかも微妙だし。
597 :
名無し三等兵 :2009/10/29(木) 15:36:10 ID:7xSV4j9/
>>596 大正時代に輸入された辰羽丸が元英国戦時標準船。
戦時標準船と言っても、たんにグラスゴー造船所がWW1前に企画統一製造したストックボートを、
そのまま戦時に簡素化して製造してただけ。
運営の機雷封鎖(アクセス規制)でいまの2chは1945/8/14の日本近海だ。これ見てくれ。なんで過疎?の疑問相手にコピペ推奨。 288 ?[?・?・`] 125-13-122-164.rev.home.ne.jp [sage] Date:2009/10/29(木) 19:21:12 ?ID:NreM9nwh Be: ? ? ★現在の規制状況 ? ? 東京OCN(ACCA経由のADSL) ? ? OCN(北海道、青森、秋田、山形、宮城、福島、栃木、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、金沢、静岡、愛知、京都、奈良、大阪、兵庫、広島、香川、高知、福岡、鹿児島) ? ? ぷららインターネット、So-net、au.NET、BBエキサイト、BBIQ、 ミクスネットワーク、シティーケーブル周南、長崎ケーブルメディア、CTY、ASAHIネット、イー・アクセス、eonet、FCTV、ファインチューン ? ? BIGLOBE(北海道、岩手、山形、福島、宮城、群馬、埼玉、東京、神奈川、静岡、愛知、新潟、滋賀、大阪、京都、姫路、佐賀) ? ? アルファインターネット(FTTH)、hi-ho(FTTH)、UCOM(FTTH)、@George、JCN日野、JCNマイテレビ、 ? ? 雲州わがとこテレビ、Iam-net、NTTPC(岩手、茨城、東京、岡山)、IIJ4U、@nifty、 ? ? JANIS、DTI(神奈川、東京、京都)、KCN、JCNコアラ葛飾、EGA EGG、mopera、Aitai net(一部)、 ? ? ODN、DION、SANNET softbank059,114,126,218〜221、STARCAT、T COM 、T-CAT 東京ケーブルネットワーク、豊橋ケーブルネットワーク、丹南ケーブル ? ? ビック東海、VECTANT、WAKWAK、ZAQケーブルテレビ、Z-WAVE ?イー・モバイル、GyaO、静岡インターネット、ラッキータウンテレビ ? ? TikiTiki、ベイ・コミュニケーションズ 、コスモスネットコミュニケーションズ モバイルネット、itscom、WILLCOM、@NetHome、J:COMかながわセントラル 横浜ケーブルビジョン、J:COM、コミュファ光、東京大学 ? ? こんだけ規制されればスレの進行も遅くなって書き込めなくてもそんなに気にならないな。 ? ? 研究室の糞重いPCで書き込むか・・・。
>598ミス 運営の機雷封鎖(アクセス規制)でいまの2chは1945/8/14の日本近海だ。これ見てくれ。なんで過疎?の疑問相手にコピペ推奨。 288 [´・ω・`] 125-13-122-164.rev.home.ne.jp [sage] Date:2009/10/29(木) 19:21:12 ID:NreM9nwh Be: ★現在の規制状況 東京OCN(ACCA経由のADSL) OCN(北海道、青森、秋田、山形、宮城、福島、栃木、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、金沢、静岡、愛知、京都、奈良、大阪、兵庫、広島、香川、高知、福岡、鹿児島) ぷららインターネット、So-net、au.NET、BBエキサイト、BBIQ、 ミクスネットワーク、シティーケーブル周南、長崎ケーブルメディア、CTY、ASAHIネット、イー・アクセス、eonet、FCTV、ファインチューン BIGLOBE(北海道、岩手、山形、福島、宮城、群馬、埼玉、東京、神奈川、静岡、愛知、新潟、滋賀、大阪、京都、姫路、佐賀) アルファインターネット(FTTH)、hi-ho(FTTH)、UCOM(FTTH)、@George、JCN日野、JCNマイテレビ、 雲州わがとこテレビ、Iam-net、NTTPC(岩手、茨城、東京、岡山)、IIJ4U、@nifty、 JANIS、DTI(神奈川、東京、京都)、KCN、JCNコアラ葛飾、EGA EGG、mopera、Aitai net(一部)、 ODN、DION、SANNET softbank059,114,126,218〜221、STARCAT、T COM 、T-CAT 東京ケーブルネットワーク、豊橋ケーブルネットワーク、丹南ケーブル ビック東海、VECTANT、WAKWAK、ZAQケーブルテレビ、Z-WAVE イー・モバイル、GyaO、静岡インターネット、ラッキータウンテレビ TikiTiki、ベイ・コミュニケーションズ 、コスモスネットコミュニケーションズ モバイルネット、itscom、WILLCOM、@NetHome、J:COMかながわセントラル 横浜ケーブルビジョン、J:COM、コミュファ光、東京大学 こんだけ規制されればスレの進行も遅くなって書き込めなくてもそんなに気にならないな。 研究室の糞重いPCで書き込むか・・・。
>>594 WW1時のイギリスB型標準船ってのを山下汽船が何隻が購入してるね。
601 :
名無し三等兵 :2009/11/02(月) 15:18:48 ID:/nHSfDcK
>>594 もっと言っちゃうと有名な對馬丸は英国ラッセル造船所の貨物船DEN OF CROMBIEの従兄弟に当る。
DEN OF CROMBIEの兄弟が三菱・川崎造船所で建造されたT型貨物船となる。
保守
603 :
名無し三等兵 :2009/11/25(水) 16:23:13 ID:Z+t6hUeF
第一次大戦の米国戦時標準船 第一次世界大戦中に米国及びカナダで建造された標準型貨物船LAKE型(2千t)が、 大正末期から昭和初期にかけて多数輸入された。 福洋汽船・墨田丸、佐藤國商店・昭和丸、松川菱商会・常昭丸、萬成汽船・興進丸、 岡崎汽船・日祥丸、宗像商事・宗安丸、小熊商店・北鮮丸、日成海運・日永丸
604 :
名無し三等兵 :2009/12/24(木) 14:04:05 ID:C0C7hNSk
ネタ投下は無いのか?
合間のネタ 戦時中に徴兵されながら、病院船だった氷川丸で南方から送還されて生き延びた祖父が、先日90過ぎで逝った。 (その後二度目の招集を喰らったが、兵営前で待ちぼうけていた指定日の8月15日昼下がり、 通行人から終戦の詔勅があったと知らされた男だ。運がいいにも程がある) 先ごろ横浜でカメラに収めてきた氷川丸の写真を、棺に入れてやった。 いまだに浮いているあの船なら、三途の川ごときたやすく渡るものと信じる。 思えば、あの船がなければ今の俺もいなかったのかも知れない。 軍が氷川丸を病院船に選んだ偶然、 良い船を作らせた日本郵船と、建造した横浜船渠と、エンジン屋のB&W社に感謝。
日本の戦時標準船て最初はレシプロ・ディーゼル・タービンとあったけど、三次標準船ではほぼタービンで統一されてるな(E型除く)。 甲25型や甲50型てギアードタービン? 何かレシプロと比べて贅沢なイメージあるんだけど。 商船なんだからむしろ燃費重視で、ディーゼルメインになりそうなもんだけど。 戦時標準船の機関て民間製造?それとも海軍工廠からの支給?
>>606 船団の行動速度を上げる為に加速に優れるタービンを敢えて採用
したんだが。
本来ならディーゼルの方が良いに決まってるが。
608 :
名無し三等兵 :2009/12/25(金) 18:08:57 ID:iBKiLmmk
>>605 爺さんが氷川丸乗船で沈没してたなら、君は生まれて無かったよね。
爺さん、氷川丸、日本郵船、そして病院船指定した軍に多大な感謝しよう。
軍が病院船指定して無かったら、姉妹船の平安丸や日枝丸と同じ運命だったかも知れないし。
>>607 戦前のディーゼルの生産能力が…なことを考慮しないと。
ついでに言えばタービンもディーゼルよりはマシ程度だし。
アメリカみたいに減速歯車の生産が追い付かないほど機関を量産できません。
結局最後はレシプロと焼玉に落ち着く貧乏国の悲しさ。
>>609 606のポイントは「三次戦標船」の話であると思うんだが。
本来は巡航速度=経済速度の船舶なのに、高速化しているのは
どして?
と言う話じゃないの?
三次と四次を間違えてないか?
>>606 機関の生産能力から見ると戦標船の機関は、二等駆逐艦や海防艦、中型潜水艦とかぶりまくっている
それでいて船体に余裕の少ない海防艦や潜水艦はディーゼルにしないと航続距離を稼げないので、優先的にまわされた節がある
輸送船の場合、貨物倉の一部を改造すれば予備の燃料タンクや清水タンクにできなくはないので条件はちょっとは緩和されるので後回しになりがちって事
機関に関しては製造は海軍工廠、軍指定民間工場、民間工場なんだけれども、甲造船の場合は船の生産は産業整備営団とかで一気に仕上げて、各船会社に運航割り当てな部分があるので、もう軍と民との綱引き次第
なので海軍の軍戦備の線表と民間船の建造船表を足して2で割って、そのギャップを透かしてみる必要がある(をひ
結論から言えば、運航会社からすれば船体ぶっこみで支給品とみてよいし、建造担当の造船所も機関から鋼板まで客先支給に限りなく近い(清算の処理は発生するけど)
ただし、全体で整備する営団や船舶運営会レベルでいえば確保できた分だけ実建造に移れるし、ダメな場合は設計変更で機関を変更するって形になる。
ここが顕著に表れるのは、E型船の建造や外地の造船所で、建造船台や艤装工場は同じンなのに機関系が整理されていないとか、設計変更があるとか
613 :
612 :2009/12/30(水) 14:40:01 ID:???
>>612 の続き
えーと、結論だけ言えば造船所が材料を個別に買うのではなくて、主要な部品は客先が準備し、支給する形になるってのが基本
<客(営団)が軍から融通してもらったか、民需用を確保できたかは客の問題
ただし、支給=無償とは限らず、会計処理の関係で費用が発生する場合はあるし、修繕扱いやストック品、既存品を使える場合には別会計になる
外地で建造する場合は輸出入手続きになるので、おそらく全て民需品として客先支給で費用発生になると思われ
614 :
名無し三等兵 :2010/01/04(月) 22:43:35 ID:kCBvre3p
砲艦操江→操江丸 1869年竣工、清国北洋水師所属 1894年豊島沖海戦にて日本海軍が捕獲 1903年内務省移管、兵庫県港務部検疫船操江号に 1924年厳本善造所有、操江丸に 1965年船籍抹消 船齢96年 砲艦赤城→商船赤城丸 1890年竣工 日清戦争黄海海戦で大破 1912年川崎汽船に売却、商船化改造 1945年台風沈没、浮揚後1946年触雷沈没 船舶不足のおりからまた復旧 1953年老朽解体 船齢63年 そりゃ新造に近いような大改造を受けてるんだろうが 昔の船ってなんでこう、たまに常軌を逸したような古船がいたりするんだ
96年は流石にアレだが、フィリピン海軍駆逐艦ラジャ・フマボンは1943年に竣工していまでも現役だと思ったが。
フィリピン海軍と並んで、メキシコ海軍もちょっと前までは旧式艦が現役だったんだよなあ。 1930年代にスペインから買った大型砲艦とかが何隻もいたんだが。 21世紀に入ってすぐに、みんな除籍されてしまった。
>>265 に出てくる「笠戸丸」も、そこそこ長寿な船だよな。
1900年進水のイギリス=南米航路船「ポトシ」で、
ロシアに売られて、日露戦争ではロシアの病院船「カザン」として活動。
旅順で沈んだのを、日本海軍が復旧して「笠戸丸」と改名。
払い下げになって、再び南米航路へ。その後に北洋漁業へ。
最後は、1945年のソ連対日参戦で、カムチャッカ方面で撃沈される。
長さでは飛びぬけた方ではないけど、けったいな船歴ではあると思う。
かの蟹工船のモデルの旧病院船博愛丸も1898年竣工で1945年撃沈 1929年の作品中ですら、いつ沈んでも惜しくないカタワのボロ船扱いだったというのに よくもまあ太平洋戦争に御奉公したもんだ(乗せられる方はたまったもんじゃないだろうけど) ありえないボロ船といえばご存知信濃丸だが、それでも1951年まで現役だったしな 浮かんで動けばそれでいい漁業工船時代を挟むにせよ、40年ちょいで錆び腐った船体が崩れ始めてるのに 60年だの90年だの現役づとめの船舶ってなにものだ
淡水だと凄まじく長生きの船多いぞ。特に南米。 保存艦状態のパラグアイ海軍の砲艦カブラル(1898年竣工)筆頭に50年選手ゴロゴロ。 ボリビア海軍のチチカカ湖の内水タンカーに1900年就役という壮絶なのがいて、2002年に 嵐で沈没するまで恐ろしいことに現役だった。 ジェーン年鑑で艦籍抹消が惜しまれてた。 日本でも軍艦じゃないけど、北海道の大沼の遊覧船に50年選手がいたはず。
>>620 まだ安全マージンの計算が進んでいない時代の設計だからじゃない?
余裕をかなりとって作っていると長持ちするでしょ。
当時は進水してみたら船体にヒビが入ったなんてことがあったくらい
事前に予測できない不具合が多発してる時代だから、無駄に丈夫に作ってたりする。
安全率と安全策の増加以外は今の方がかっちり決めてあるな
>>621 ヨーロッパ、確かスイスの湖に1901年と1902年に建造された外輪遊覧船がいる。たぶん今でも現役…
>>624 湖とかの遊覧船は接続する水系に造船所がある場合はともかく、建造して輸送してくるのが
一苦労なんで延々と使い続けるケースが多いな。
別に速力や耐航性は大して必要じゃないし燃費もそんなにシビアに要求されない。
船体周りや客室が老朽化したら下回りや機関関係流用して船体だけ更新するケースも多いな。
>>625 通勤通学の足として短い距離をシャトル輸送する小型のフェリーも長生き。
古くなってくると使えても整備費がかさんだり燃費が落ちるので
東南アジアに売却されて、さらに使われてるからね。
ただ、あんな耐候性の無い内海用の船体を設計で想定してない航路で
使うものだから沈没横転が続発してる。
フィリピンなんかで中古フェリー事故が多発するのはメンテや運航管理のええ加減さもあるけど、 上構を無理に積み増しした上通路にまでベッド置いたりして定員を稼いでいるのが大きいな。 旅客定員が日本にいた頃の3倍以上に増えてる上、定員オーバーでの運航が常態化してる。 世艦で何度かフィリピンに渡った中古フェリーの客室写真を見たけど、ロビーを強引に 上等客用レストランにするわ、遊歩甲板を遮蔽して三等客室にしてベッドを置くわやりたい放題だった。 根本的に旅客輸送をアテにしていない最近の日本のフェリーを「客船」にするのは凄いな。 特に原型では無きに等しい公室をレストランからラウンジまで一式無理矢理造っちゃうのは感心する。
救命ボートの数とか足りるんかいな?
電信丸(1873-1957)、夕顔丸(1887-1962) いずれも200噸未満の鉄船。 生粋民間船として建造、それぞれ84年、75年も永らえた。
>>629 二乗三乗の法則とかあるから、大型船より小型船の方が
耐久性は有利は有利なんよ。
青函のも荷崩れの話なかったけか
>>628 救命ボートはちゃんと国際法規で定められた定数積んでるというか、そうしないと保険かけられないし。
戦前の外洋航路客船のように救命ボートが鈴なりになっててなかなか壮観。
ただ救命胴衣なんかは客がパクっちゃうケースが多いんで問題になってる。
>>631 世艦でそれなりの分量割いて特報記事載ってたけど、ブリッジに激浪が打ち込んで
犠牲者が出た他、辺り血まみれの状態で何とか避航したそうで。
>>633 船橋使用不能で主機の機側操縦とか舵機室での応急操舵とか、まるで先の大戦でのダメコンみたいだな・・・
強い波でブリッジ破壊されないように昔の戦艦の司令塔のような構造にすればいいんだよ!
>>626 50年とは行かないが、尾道水道の第拾壱小浦丸1966年5月13日竣工。今でも現役。
>>620 > 60年だの90年だの現役づとめの船舶ってなにものだ
浮かぶ化石
>>620 今でも作業船レベルなら40ン年ものってのは結構見かけるよ
昔は1ハイ船主が多かったから、古くなっても新造船い切り替えるだけの資金繰りができなかったら騙し騙し使う事は多かったし
逆に運転資金に余裕のない会社、それこそその船に乗っていないのは住所だけってレベルの船会社だと、滞船=倒産だから下手に新船切り替えができなくて気づいたら、ってパターンがある
それに船って不動産扱いだから、登記的に面倒なところがあってある程度規模のある会社じゃないと譲渡や交換といった処理ができなかったのも大きいかな?
あとは、優秀船舶助成制度があった分だけ船腹量が制限されて、いくらかの落ち穂拾い的な仕事をこなす安い船が生き残れたって事情もあるね
瀬戸内海だと木造機帆船がまだ何隻も現役だね。船齢50年以上のもある。 小豆島で見かけたことがあるがレーダーやGPS、BSのアンテナがついててシュールだったな。
639 :
名無し三等兵 :2010/01/13(水) 00:24:00 ID:1PPUEjkX
船体はなんとかなるにしても、機関がよくもつよな。
重構造木船は材料木と船体のメンテ(特にフナクイムシ防除)がしっかりしていれば数十年は持つよ。 この辺ムツゴロウ氏のエッセイとか読んでいる人には体感的に理解できると思う。 実際北海なんかじゃ船齢数十年だけどピカピカの木造漁船が結構現役。 軍用木造船が数年しか持たないのはメンテなどが比較的粗放なのと、有事の大量建造を 前提とするので材料や工法をあまり吟味できないのが大きいと思われ。 米軍PTボートが耐久性を割り切って合板使用で大量建造に成功したのは有名だな。 ただ舶用のヒノキ一枚板とか最近じゃ日本国内ではほとんど作っていないだろうから、 今日この手のヘビーデューティーな木造船を再び作るのは難しいだろうね。
Wikipediaの機帆船の記事が意外にしっかりしてて驚いた。 最近の子は機帆船なんて知らないんじゃないかと思ってたが。
自己レス、別に書いてるのがおっさんの可能性もあるか。 写真とか技術的なところとか、もう少し突っ込むと良い記事になるから、誰か書き足してやってよ。
>>641 今の子じゃなくても「ポンポン船」ってイメージが強いね。
瀬戸内海で機帆船を保存して遊覧航海とかやったら面白いと思うんだが。 尾道水道あたりでやったらウケそうだと思う。 帆船や和舟の保存は熱心な自治体が結構あるけど、機帆船とか木造漁船、初期の 小型鋼船には冷淡なのが何とも寂しい。 機帆船なんかは保存するなら今後10年が最後のチャンスになるだろうから、少しは この手の地味な船にスポットを当てて欲しい。 世艦あたりで今なお残る瀬戸内海の機帆船を取り上げないかな。
645 :
名無し三等兵 :2010/01/14(木) 13:15:16 ID:R0sd6Efn
>>632 青函連絡船だと昭和29年9月26日の台風5415号(台風15号)別称マリーによる、
洞爺丸を始め日高丸、十勝丸、北見丸、第十一青函丸が沈没した洞爺丸事故だな。
洞爺丸事故の沈没船「洞爺丸・日高丸・十勝丸」は傾斜によって車両甲板に積載されている貨車が横転して、
船の傾斜を一気に増して横転→沈没した。
>>639 エンジンはその気になれば換装できるだろう。低速で経済性重視の小型船ならそんなに巨大なエンジンは要らないし。
>>640 掃海艇とかどう?
木造で海外派遣までしちゃったよ。
>>645 だけど、車両甲板に水密扉がなくて、波の波長がちょうど水がでていかない(水が奥まで行って出口に戻ってくるときに、ちょうど出口があがるタイミング)のも原因かもよ。
空で沖合に退避してた船も沈んだんだしよ。
掃海艇が木造なのは機雷除去の任務の性質上だから、同じ木造でも また考え方が違うんじゃないのかね。
649 :
名無し三等兵 :2010/01/15(金) 14:31:14 ID:6xwsY2Xf
>>647 当日は不幸なことに「波の高さ」と「波長の時間と長さ」と「船の長さ」が運悪く最悪の関係となった。
車両甲板に開いた後部の大きな車両積み込み口から、巨大な波が浸入して車両甲板には大量の海水が滞留し、
車両甲板と機関室、ボイラー室、石炭庫を結ぶ扉の隙間から大量の水が機関室やボイラー室に流れた。
この扉は海水が滞留するのが前提でなく水密はされてなく、船底に近い機関室やボイラー室は水没して機関が故障、
同時に石炭庫に流れた水は石炭と混じって泥水となってボイラー室を水没させ、機関の運転を不能にした。
湾内は長大なうねりが殺到しており、機関運転停止によって連絡船は船位の維持が困難となり、
船を風に立たせることが出来なくなって次第に横波を受けるようになった。
その上、車両甲板の大量の海水が船の重心を上げ、傾斜時の復元性が著しく低下していき、
ある程度の傾斜で甲板に積まれた車輌が転覆、さらに傾斜を加速させて行き傾斜に耐えられず最終的には沈没した。
海水が侵入して困るのは機関室に入り、機関そのものが停止させて、波に向って船をたたせられないこと。
車輌の積んでいる連絡船と積んでいない連絡船では運命が分かれた。
車輌を積んでいない船では車輌の重量分船が浮き上がり、船尾から打ち上げる海水量が大幅に少なかった。
その上車輌がなかったために船底への扉の水密対策がとりやすくなり、機関室やボイラー室への浸水は僅かで済んだ。
客載車両渡船「大雪丸」は沈没船と同量の海水の滞留があったと考えられるが、
南西のうねりを遮る地点まで何とか逃げ込んで幸運にも助かった。
>>947 職人の工芸品の性格が強い戦前までの木造船と兵器かつ工業製品の掃海艇じゃ基本的な
造りが違う。
掃海艇はどの工場でも図面どおりに組み上げれば所定の性能を発揮することを要求されるけど、
昔の漁船はユーザーの要望や素材を吟味しながら個々の職人が腕を振う部分が多かった。
まぁ大航海時代も真っ青な1000tクラスの木造船をこのご時勢に建造しちゃうのは神業だけど、
根本的なとこでは作品でなく製品だということで。
>>650 >1000tクラスの木造船
アメリカのアヴェンジャー級掃海艦は満載1300トン。
外板は4層構造でFRPコーティングだそうですが。
やえやま型掃海艦は満載1200tだけどコーティング無しの完全木製?
祖父が南方へ渡るとき、何丸だったか忘れたが、明治生まれの輸送船だったらしい ずっとギイギイきしんでて、ごんごん機関の音が耳障りで、蒸し暑く油とペンキと汗の臭いが充満してて 甲板に出れば石炭殻がパラパラと降り注ぎ、鬱陶しいことこの上ない船だったと言ってた 甲板で涼んでたら突然魚雷攻撃を受けて衝撃で海に放り出され 海中で状況を認識できてない間にアレヨアレヨと沈んでって一巻の終わり 救助までの間、冷水につかりながら廃材に捕まって漂ってる間は、寒さと喉の渇きがキツかったとのこと 「タイタニック」を見て 「こんなおおけな船も沈んだら同じやな、しかしこんな豪奢な船もあるもんなんやな」 「あんな冷たそうな海に入って、あれはしんどかろうなあ、あれは自分の首掻っ切った方がなんぼかマシや」 と言ってたのが印象的
654 :
名無し三等兵 :2010/01/18(月) 11:45:58 ID:wKpAkLqo
>>653 明治建造の蒸気レシプロ船だから、蒸し暑いし、油の臭いなんてしょうがない。
>>653 甲板にいたから助かったのかもね。
中にいたら船と一緒におだぶつだったかも。
ともあれ救助されてよかったですね。
しかし、考えてみれば、今の船ってエンジン音と振動がやっぱりそこそこするけれど(豪華客船の類はどうかしらない)、帆船時代の船って振動とか音もなしだったんだろうなぁ。
速度もおそいし、向かい風とか無風状態になったらやばいけど。
656 :
名無し三等兵 :2010/01/18(月) 16:53:26 ID:wKpAkLqo
>>655 振動や機関音がしない限り、波で船体が傾斜した時にキシム音とかしたはず。
今の大型フェリーでも、航行中は大型ディーゼルの拍動と共に、船体の周期的なきしみが聞こえるからな。 かつて新日本海フェリーの真冬の航海で散々振り回されたことがあったが、 激しい揺ればかりでなく、船体全体の薄気味悪いきしみの音も、気分を悪くさせる効果絶大だった。
そうなのか・・・。きしむ音が気になってくるのか。 とはいってもエンジン音よりは小さいのでわ? 漂流中のSNFすいせんがそんな感じだった?
>>658 ああいった場合のキシミ音ってのは、エンジンの振動から派生する内装品やドアなどの音だったり、プロペラ交流や波浪が船体を叩く音が反響したりするやるが過半
機関室の遮音は意外としっかりしているので旅客スペースに響いてくる事は少ないけれども、荒天や外海に出てテレビが映らなくなったり、船内BGMがとまったりすると
こういった雑音が妙に気になってくる
これは瀬戸内のフェリーでも一緒で、船酔いや就寝のために黙って横になると異常に気になってくるな
逆に引率なんかで仕事が続いていると意外と気にならないw <人の下呂の処理でそれどころではないがw
>>655 帆船は逆に波浪と風の音と構造のたわみによるものが大きいよ
荒天だったり風が変わると帆装関係の音が帆柱を通して船内に響くし、順風の場合は波に順当に突っ込むのでアップダウンの波切り音が舷側を伝わってくるのがわかる
とはいっても3日くらいしたらなれるんで気にならなくなったりするけどねw
あと構造的な問題として帆走する帆船は必ず傾くのが難しいとこだな こればかりは機構的なものだからどうしようもない。 帆装クルーズ船なんかでもこの点が問題になってめったに帆走しない。
すれ違いになるけど数年前に完成した「阿賀に生きる」って ドキュメンタリーだと川釣りようの木造船ができるまでの工程が一部でてくる それみると、冷淡というか当時の職人さんたちが跡継ぎを作らなかったことも今残ってない原因なのかあと思う
帆船で思い出してググってみたら、カティーサーク2007年に焼失してたんだ…ショックだ…
664 :
名無し三等兵 :2010/01/23(土) 04:04:42 ID:4S9BeK9w
焼玉機関は実物が残ってるけど 船舶用のレシプロ蒸気機関って残存してるのか? 動いてる様子ったら映画のタイタニックの機関室描写ぐらいしか思いつかんが
665 :
名無し三等兵 :2010/01/25(月) 18:21:13 ID:HRTwmZnG
ヒストリーチャンネルで放送した、リバティー船で機関室が写された。 動態保存されているジェレミア・オブライエンで、ノルマンディー上陸作戦記念日?に会わせ、 アメリカからヨーロッパまで公開する様子と、各部の保守管理作業風景。 往復するピストンが印象的。 建造後、50年以上たった船とは思えないほど、きれいだった。 その後も記念館として、時々観光客を乗せているらしい。
667 :
名無し三等兵 :2010/01/26(火) 09:54:33 ID:2oCQt5jM
>>665 アメリカやイギリスなどは戦争兵器でも保存が決まればキチンと歴史価値として保存するから。
日本みたいに一時的な保存みたいなことはしない。
あのドイツでさえ、ナチス時代の兵器をキチンと歴史的資料・価値として保存してるのに、
日本は自国兵器・産業機器を軽視しがち。
リバティ船って蒸気レシプロ機関なんだよな。
三段式レシプロじゃなかったっけ?
668 :
名無し三等兵 :2010/01/26(火) 11:41:08 ID:pDSbjCdY
>>667 さん
よく知らないのだが、三段レシプロというのは、
低圧・中圧・高圧のシリンダーが付いているやつ?
番組を見直してみると、機関室で上下しているシリンダーやクランクなどが
ずらりと並んだ感じで映っていて、印象ではどれも同じ太さ、大きさに見える。
これは、低・中・高それぞれのシリンダーは、別に配置されているということかな。
戦争遺産の保存についてはその通り。
日本だと、靖国神社の遊就舘にかなり展示されているが、
戦没者の慰霊がポイントなので、どうしてもバランスがよくない。
同船は、サンフランシスコ係留で、ボランティアの有志で運営されているみたい。
669 :
名無し三等兵 :2010/01/26(火) 15:01:55 ID:2oCQt5jM
670 :
名無し三等兵 :2010/01/27(水) 11:28:42 ID:LIZli+rX
>>669 さん
ていねいなご指摘、ありがとうございます。
3段、4段といっても、ちょっと見では、シリンダー径の違いは、
よく分からないですね。
映像だけで見ると、レシプロというのは、タービンにくらべ、
機関室内で、動くものが多く、危険な感じがした。
ぼやっとしたヤツだったら、手を挟まれたりしそうだw
>>660 さんご紹介の帆船は、夢のような話ですが、
実際に何万トンもある貨物船を帆走で運用して、
経済的に成り立つような事業は可能なんでしょうかね?
672 :
名無し三等兵 :2010/01/27(水) 13:38:06 ID:LIZli+rX
>>671 さん
ご教示、感謝。
これってスピンネーカーみたいですね。
張り出すのは、簡単そうだけど、収納が大変そう。
673 :
名無し三等兵 :2010/01/27(水) 18:35:52 ID:YF5KR9Hl
>>670 船が建造された時代、建造した造船所によっても機関の容が多少違うのだが、構造は同じ。
19世紀〜20世紀初頭に建造された蒸気レシプロ船は基本3クランク3段膨張機関。
4クランク3段だと1高圧、2中圧、3・4低圧となる。
クランクはシリンダーに繋がっているので、3クランクを三段、4クランクを四段。
蒸気は圧力が低くなると体積が大きくなる。だからシリンダーの直径は次第に大きる。
タイタニックのシリンダー直径は、高圧137cm、中圧213cm、低圧246cm。
たぶんレシプロ機関だけを真上から見ないと違いが判らないかも?
レシプロ機関だとクランクに繋がるコンロッドが上下に動くので見た目は怖く感じる。
とくに大型客船だとレシプロ機関も非常に大きくなり、必然的にコンロッドも大きくなる。
映画、タイタニックで機関部が映った時、上下に動く巨大なコンロッドが映る。
人間の背丈以上な大きさで初めて見る人はビックリする。でも客船などでは普通の大きさ。
※タイタニックの3本機関、中央は(低圧)タービン、左右2本はレシプロ。
三段式膨張機関、四段式膨張機関と 三連成汽機、四連成汽機って同じ意味?
675 :
名無し三等兵 :2010/01/28(木) 18:04:50 ID:cDibjKZe
>>674 君は・・・・
意味は一緒だよ。
三連成汽機、四連成汽機は昔の呼び方、民間での呼び方で現在は使われなくなった。
三段式膨張機関、四段式膨張機関は海軍用語、海軍の呼び方で現在は、
民間でもこちらの呼び方を使う。
677 :
名無し三等兵 :2010/01/29(金) 14:49:07 ID:lbmOCoEy
リバティー船のレシプロなら日本の戦時標準船もレシプロが多い。 第一次戦時標準船(昭和16年12月から) 戦前、船舶改善協会が中少船舶会社の老朽船代替えに適用させる為に、 造船会社と企画統一策定された平時標準船そのまま。 一応、工事の簡易化・材料規格の統一・補機部品の統一などされていたが 大量建造に適した船型では無く、昭和16年12月以降、戦況の進捗に伴って繰り返し簡易化が実行された。 1A貨物6400t/9隻 1C貨物2700t/34隻 1D貨物1900t/22隻 1K鉱石5300t/20隻 1TS油槽1010t/5隻 第二次戦時標準船(昭和18年3月から建造) 船体構造・機関の重量軽減・工程・納期・資材節約簡易化した。 2D貨物2300t/82隻 2E貨物870t/419隻中、レシプロ数は不明 第三次戦時標準船(昭和18年12月から建造) 第二次戦時標準船そのままに速力増だけ。 3E貨物875t/建造数不明・数隻のみ 戦争前半はレシプロが多いが、後半は速力増に対応する為、タービンが主流になる。
>>677 昭和14年から導入された平時標準船は貨物船4種類で、一次戦標は全然まんまじゃない
A型9200トン
B型6800トン
C型4200トン
D型3000トン
昭和11〜12年頃から景気回復して、日中戦争による徴用もあり船舶が不足。
当時の貨物船第一主義工作単純化による工期短縮、建造価格引き下げを目的とした。
1936年から1941年までに、国策で商船保有量を400万トンから600万トンの五割増しにする計画。
建造が順調でなかったので導入された。
679 :
名無し三等兵 :2010/01/29(金) 17:08:18 ID:lbmOCoEy
>>678 昭和14年からの平時標準船はA型9200tからF型750tまでの6種類だ。
>昭和16年12月以降、戦況の進捗に伴って繰り返し簡易化が実行された。
よく読め。
平時標準船を基本に繰り返し簡易化したのが第一次戦時標準船だ。
>677氏、>679氏 平時標準船って概念的には纏められていたけれども、実際に建造されたか? 実質的に注文船の時局にあわせたグレードダウンとして似通ったのは別として、 建造許認可として発注されたものではなかったと思うのだが? それに一次標準船は平時の標準船そのものではないけれども、基本的な設計は同じとみなしていいだろ。 平時の標準船("案"としたいけどな)から繰り返し簡素化設計したというほどのものではないと思うけどな。 有体にいえば、NF文庫の大内氏の一連の著作だけ見ていると平時標準船がしっかり設計されているように見えるし、 それが戦時の標準船に直結しているように見れるけれども、実際には既存の発注船がさばききれないといった面から 標準船規格ってのは実質に建造計画は発動されていないし、内容も「船体サイズごとに1設計におさえました」といったレベルもので、 「計画造船はじめるなら、この案でいきましょう」以上のものではないと思うよ。 それに戦時標準船の特徴を本気で見るつもりなら、船の艤装品の簡素化や造船統制会といった周辺機械の統制による機材供給の確保や、 造船用鋼板の規格の緩和や検数の戦時特例といった面からの実質的な戦時設計に触れないと、一次戦標船と続行船の違いが判らないと思うのだけれどもドウよ?
682 :
名無し三等兵 :2010/02/08(月) 16:30:08 ID:bS89TGzF
>>681 1A貨物平時標準船は日産汽船の日産丸型6隻、
日産丸、日立丸、日威丸、日朗丸、日張丸、日瑞丸
1C貨物日帝丸型4隻、
日帝丸、日国丸、日運丸、日南丸
東洋汽船の1C貨物和洋丸型3隻
和洋丸、愛洋丸、睦洋丸
683 :
名無し三等兵 :2010/02/22(月) 15:08:05 ID:oqqJs7pf
長崎丸上海丸上げ!
684 :
名無し三等兵 :2010/03/09(火) 16:39:57 ID:AjReMq0i
ネタは?
685 :
名無し三等兵 :2010/03/18(木) 14:00:10 ID:2zSJWs4/
戦後、山下汽船が1951年に英国から購入した太平丸は1920年(大9)に建造された、 英国B型戦時標準船で1960年に新潟で解体されるまで長生きした。
686 :
名無し三等兵 :2010/04/10(土) 20:29:56 ID:H5ieUZPW
サイパン丸あげ
ディーゼルエンジンの騒音の凄まじさは知ってるけど ボイラーで動かしてる船に一度乗ってみたいと思っているのですが 国内で乗れる船はありませんか?
航海訓練所の大成丸って船が蒸気タービンだけど一般公開で航海する事はなかったと思う。 あとはLNGタンカー、LPGタンカーなんかが蒸気タービンのものが多いけど、これも危険物運搬船なので一般人を乗せて走る事はまずない。 護衛艦も「くらま」くらいしかボイラー艦って残っていないと思うよ
貴重なボイラー艦が朝鮮のコンテナ船カリナスターにぶつけられて破壊された><
690 :
名無し三等兵 :2010/04/12(月) 22:42:06 ID:yIQGPdMM
てすと
佐世保にいるワスプ級と、横須賀の潜水艦母艦にブルーリッジが蒸気タービンだな。
692 :
名無し三等兵 :2010/04/13(火) 08:36:58 ID:071jcg9H
>>687 ボイラー燃料の音は、風呂屋などのボイラーに近い音。
ディーゼルの音を書くとウォンウォンウォンウォンって感じだけど、
ボイラーはゴーーーーーーーーーーーーーーーーーって感じ。
現在、蒸気ボイラーの船は特殊用途船以外、無いから民間人が乗って見る・音を聞くなんて、
ほぼ出来ない状態だろうな。
外国に行けば、蒸気ボイラー船の1万トン未満客船が現役で残っているから、
それらのクルーズに乗るしか手はないだろう。
693 :
名無し三等兵 :2010/04/13(火) 23:40:01 ID:yKmokblJ
蒸気レシプロ船に乗ってみたかった これこそもうほぼ叶わない夢だろうな
>>693 アメリカの河川とか湖沼用の客船ならまだあるハズ
あの琵琶湖のミシガンみたいなヤツ
695 :
名無し三等兵 :2010/04/14(水) 14:07:10 ID:Ozd4W1Lv
>>42 WWI期に生産されたHog Islander型戦標船がWWII序盤のイギリスの戦略輸送を支えてた。
1軸推進の2500馬力。満載で11ノット。
序盤のUボートにボカスカ沈められたのがこれ。損失は30隻くらい。で、Liberty Shipに主力の座を明け渡す。
帝国陸軍も香港で接収したのを完成させて用いてた。暁空丸と暁天丸の2隻がそれ。
ちなみに対馬丸の最後を見届けたのが暁空丸です・・・
あれはさ、発信機がつけられていたんだよ。 それで追跡されてタングに撃沈されて金沢第52師団が全滅した。 いわゆるブービートラップだったんだよな。
>>687 国内では一般人が乗船できるボイラー動力船は無いのですか
大変残念です。
ありがとうございました。
>>695 ディズニーランドをナメとったわ
そういや園内の蒸気機関車も本物だったな
そうですね、重油専燃ですが、本物の蒸気機関車です
環境最悪かつ致死率高めの輸送船に押し込められるのは御免だが 昔のような一二等の客船旅行はしてみたかったな 今じゃモノクラスのフェリーかクルーズ客船ばっかだろ
確かポーランドとアメリカの間にQE以外で最後の北大西洋定期旅客航路が残っていたような。 あと南アとイギリスの間にもコンテナ船社がやってる旅客航路があったと思う。 個人的にオススメなのは中国沿岸航路かな。お手軽に長距離定期航路の雰囲気が味わえる。 あとかなり観光化はされてはいるけどノルウェーの沿岸急行船も面白いね。 れっきとした僻地航路だし洋上で支線便に乗換という面白い体験もできる。 日本で「客船」が味わえるのはさるびあ丸とおがさわら丸、トカラ列島航路位かな。
5年前なら有村の奄美経由のフェリーも悪くなかったけどな 奄美方面には村営としま丸があることはあるが、生活航路すぎて旅にはむかなすぐるw
十島丸は鹿児島からトカラ経由で奄美大島まで直航していたよな。 一応運賃もちゃんと設定してあるので、鹿児島から奄美までトカラ経由で定期船の旅を 楽しむことはできる。 ただ供食設備がない上(弁当の販売はあるそうだけど数は少ないそうで)、一等船室は 村の幹部の出張に押さえられることが多いんで競争率がかなり高いそうな。 あとフェリーだけど佐世保から上五島経由の各島停車で福江に行く航路もあったな。 伊豆諸島航路のかめりあ丸とすとれちあ丸がもっと客船としてしっかりした船だったら 面白さも増すんだけどね。 かなり利用者の多い独占観光航路なんだから公室とか供食設備を充実させて欲しかった。 さるびあ丸との落差が大きすぎるというか、せめてレストランは欲しい。
706 :
名無し三等兵 :2010/04/21(水) 15:14:13 ID:z7XTHrDZ
日本が戦争に負けてなかったら、日本が戦争に参加しなかったら、 南洋諸島や樺太航路に蒸気客船が遅くまで残っていたかな? たぶん、ディーゼルに早々代えられる気もするが。
正直、当時の日本の海運政策はカルテルばかりで船舶の新規参入を 除外するような、今の中国の統制経済と同じようなことばかりやっていたから、 仮に戦争にならなかったからと言って、それじゃあそこからどんなふうに 産業が大発展していったか想像してみようと言われても想像できん。
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
産業報国政策が採られる前の日本の海運は欧米並みに自由競争だったぞ。 離島航路なんかも補助なしの独立採算でやってたから、ある意味現代以上に自由。 昭和40年代の国際的な海運自由化まではどこの国も有事の船腹確保のため国策で 優秀船舶の確保やスクラップアンドビルド、船腹量調整を行ってたから単純に現代と 比較はできない。 あと海運カルテルは他の業種と違って単純な競争排除のために行われるものではないから、 その辺自由競争原理主義の文脈で読み解くと誤解する。 利潤や利権の確保というより定期航路の維持調整の意味合いが大きい。 不定期船は発電や製鉄原料などの大型定型輸送を除きどの時代も基本的にカルテルの 対象外なのを考えると分かりやすいかと。
一つの例だが、佐渡島航路の経営安定のために、 新潟県が介入して競合する商船会社3社を統合した佐渡汽船を設立したのが、昭和7年だな。 これは日本初の第三セクター企業の例とも言われている。
蒸気タービン船に乗りたいならピースボートのオセアニックがあるじゃない
あれも世界一周の割には安価らしいね いい具合に船も旧式船だし その間船内で催される 講演会の数々を無視し続ける根性と神経の太さがあればこそ、だが
モーターシップ(M.S.)でなくて、スチームシップ(S.S.)を探すわけだな しかし、盛んに建造されていたのが1940年代までだからなあ
昭和30年代まで貧乏留学生の渡航手段として貨物船に便乗するのは普通だったもんな。 阿川弘之氏や北杜生氏の本なんか読んでると貨物船で渡航する話が普通に出てくる。 世艦のなつかしの船影なんか読んでても、外航船だと貨物船でも大抵10〜30人程度は 旅客乗せられるようになってるのが分かる。 最近の日本で便乗扱いが比較的活用されているのは小笠原航路の共勝丸位か。 本家のおがさわら丸よりメシが良い上安く、おまけに結構快適なので密かなファンが多いそうで。 最近じゃ評判になり過ぎて本家からクレームが来て、自動車やバイク航送の付添以外 島外者はあまり乗せなくなったようだけど。
>>715 阿川提督で思い出したけど、子息の尚之氏も商船キチガイで
大学時代商船研究会を立ち上げ、入港情報を調べ上げては
見学に乗船して(*´д`*)ハァハァしてたそうな
70年代初頭だと面白い船が結構多かっただろうし
羨ましい
コンテナ化が始まりつつも荷役合理化についてまだ煮えきらず、キワモノやら従来型の船が ごっちゃに運航されてた頃だもんな。 何よりも「高性能は正義」な時代だから、燃費ガン無視で目を見張る性能の船が 毎年のようにガンガン建造されてたし。 動力も原子力やガスタービンへの夢があった時代だし。 今みたいに鈍重な巨大コンテナ船と省エネばら積み船だけじゃないもんねぇ。
718 :
名無し三等兵 :2010/05/23(日) 00:44:08 ID:j3wLEWIY
ボロボロの老朽船で、男たちが風呂にも入れず洗濯もできず 汗と腋臭とゲロの臭いが充満する蒸し暑い船倉に無理やりねじ込まれ その状況で死地に行くまで何日か過ごせとか…想像するだけでげんなりする
一方、大和ホテルは寝棚と冷房完備であった
太平洋戦争が無かった日本を想像すると多分、進歩とか発展って意味では歩みが遅かったんじゃないかな? スレタイと違って恐縮だけどモータリゼーションについて調べてて、物流関係の歴史書を見てたら戦間期の日本でモータ リゼーションが普及しなかった大きな要因の一つとして、従来の輸送機関である鉄道に対して新興のトラック輸送は既得 権を脅かす脅威と映ったらしく、当時の鉄道省が持ってた物流関係の許認可権を行使して自動車輸送の会社に許認可を なかなか与えなかったとの事。
721 :
名無し三等兵 :2010/05/24(月) 08:26:48 ID:m2YAHHJQ
>718 おっと、潜水艦の悪口はそこまでだ。
722 :
名無し三等兵 :2010/05/24(月) 17:44:31 ID:0otK6YRN
>>720 そうでも無いのでは?
ただ当時の日本は国防最優先で、兵器予算最優先だったから、
国内の道路整備などが完全に遅れていたのが原因なんだし。
戦後も日本各地の道路整備が充実し始めたのは田中角栄時代に入ってからだよ。
1960年代中期でも東北の主要国道でさえ、砂利道や未舗装が在った位なんだし。
国道4号線なんか乾燥した日には、前を走る車が撒き上げる土煙で前方視界がゼロだった。
都内、吉祥寺や狛江なんか、駅から1キロ離れたら未舗装なんて当たり前の光景で雨の上がった後、
バスやタクシーが泥に嵌って乗客が後ろから押すなんて当たり前の光景だった。
道路事情が良く無いから先に発達してた鉄道輸送が当然だった時代なんだし。
トラック物流の未熟さに関しては
>>722 に同意。
昭和40年代頃までの国鉄は既得権益を守るというより輸送量のパンクに苦しんでた。
東名・名神開通まで長距離トラック物流の基盤がなかった。
そもそも明治維新による国内の移動の自由化と、モータリゼーションが大して間を置かずに一気に
押し寄せてきたから、自動車が通れるレベルの道路の整備が追いつかなかった。
つか江戸時代以前の街道なんて峠は馬車が通れないレベルの道が大半だった訳で。
その辺モータリゼーション以前に多少なりとも道路網が整備されていた欧米や中国と事情が違う。
逆にフィーダー輸送には昭和初期からそこそこトラックが活躍している。
実際に戦前の時点で自動車との競争に負けて軽便鉄道や地方私鉄が結構廃止になっている。
724 :
721 :2010/05/25(火) 07:32:53 ID:???
中身を小出しする様で恐縮だけど、自動貨車の黎明は鉄道の近距離輸送を補完する形で出発して、鉄道の長距離輸送 における優位性や道路の未発達は諸氏の仰る通りなんだけど、その未発達の中でも成長して中近距離輸送で台頭し始 め車自体はある程度の長距離輸送も視野に入り始めました。 そして、その自動貨車のめざましい進歩はそれまで中近距離輸送を担っていた軽便鉄道や都市間路線、ひいては将来 の鉄道を見た場合、大変な脅威に感じたそうで、鉄道省はそこで新規の自動車物流業者や彼らの開拓したい新規ルート に対して露骨な許認可権の濫用をしてこれらを抑制し、それは敗戦による鉄道省解体を待たねばならなかったそうです。 この他に物流から見たモータリゼーションの問題として、大八車やリアカーで人力輸送に従事する人達も悩みの種だった らしく、その殆どが下請けか、業者との契約に頼る個人もしくは零細な彼らを切り捨てられなかったそうで、戦後間も無くの 物流業者(例えば日通)は徴用や戦災でトラックは激減して人力輸送は戦後しばらく間、近距離輸送の主力に返り咲きました。
725 :
720 :2010/05/25(火) 07:35:17 ID:???
すいません。 番号間違えました。
戦争が無ければ、日本にも1940〜1950年代に橿原丸級(27,700総トン)を超える、5万総トン級の客船が誕生していた!…かもしれない。いや無理か……。
東京オリンピックが開催されていれば、可能性はあったかもよ。
絶対持て余されているのに一票。 新田丸級で一杯一杯だったというか、国際旅客需要が悲しい位に無さ過ぎた当時の日本は。 結局旅客の赤字を貨物で埋め合わせるしかなかったけど、荷役の関係で貨物積載量は限界があるから 一定サイズを超えると大型化すればするほど不採算なフネになる。 上級船室で年何往復もするようなVIPがゴロゴロしていた大西洋航路とは違うわな。
>>727 実際にそういう話があったが伊勢湾台風で政府の補助が受けられなくなったそうだ
>>729 伊勢湾台風って、戦後の話? 東京オリンピックって、中止になった方の1940年オリンピックの方の話だよ。
731 :
名無し三等兵 :2010/05/26(水) 11:20:33 ID:BGhsRIWN
国内の道路事情は昭和30年頃から段々と改善されていって、 日本中何処もかしこも改善されたのは昭和50年に入ってからだよ。 戦前、昭和一桁時代から道路事情の改善(日本中の道路幅を拡張)構想は在ったけど、 国防予算が最優先の都合上、限られた予算内で都心部から拡張し始め、 スピードは遅いけど都心部から徐々に改善が進み始めた矢先に関東大震災が発生した。 関東大震災で焼け野原になった都心を中心に日本全国の都市を災害に強い都市にする構想、 道路幅を拡張して、区画も碁盤目にしていく新計画も立ち上がったが、 関東大震災の被災者でも立ち退き問題・補償問題などで反対が多く、計画自体が頓挫した。 日本の道路事情が戦前戦後、一向に進まない理由の一番原因は、 立ち退き範囲に住む住民の反対運動が原因。 これは明治時代、鉄道施設でも反対が多かったことと同じ。
732 :
名無し三等兵 :2010/05/26(水) 11:34:26 ID:BGhsRIWN
>>728 一応、インド・アジア地域から北米地域に向う時は日本船会社・外国船会社でも必ず、
日本の横浜か神戸に寄航してから北米に向うように航路が組まれているけどね。
悲しいのは大西洋と比べて、太平洋は旅客需要が天と地の差が在ったことと、
貧乏地域のアジアから北米に向うなんて植民地管理の高官か極一部の金持ち位で、
移民需要にしても大西洋と太平洋では、これまた天と地の差が在ったし。
733 :
名無し三等兵 :2010/05/26(水) 16:56:30 ID:BGhsRIWN
>>726 戦争が無くても橿原丸級を越える船は誕生しなかったんじゃないかな?
米国でさえプレジデント・クーリッジやフーバーも21936トンで、
太平洋航路は3万トン未満が主力だから。
それほど太平洋航路は大西洋航路と違い、旅客が少なかった証拠でもあるし。
日中戦争が無くて、1940年に東京オリンピックが開催されていても、
1941年からは変らなかっただろうと予測。
>>731 立ち退き問題は都市計画道路だけだよ。
鉄道は、郷土史などで流布されてきたいわゆる「鉄道忌避伝説」の多くが、
事実と異なる伝承に過ぎず、明確な文献記録もなく、
現実には勾配克服の技術や建設コストから都市中心部や地域拠点を経由できなかったに過ぎなかったことが
近年明らかにされている
(そんなに忌避されるほどなら当時の地元新聞のバックナンバーに取り上げられそうなものだが、そういう例がほとんど無い。
むしろ誘致話の方が多い)。
また鉄道は戦前の日本の技術でも建設や整備が可能であって、
国鉄のネットワークとそのフィーダーとなれる私鉄路線の建設に便益があったので、
モータリゼーション自体が未熟だった時代には、国内の貨物輸送はどうしても鉄道と沿海航路メインになった。
だいたい国産トラックの品質が安定水準に達したのって、昭和20年代半ば以降の話だぜ。
>>734 1950年代の議会で国産車の低性能を糾弾され、関係者が痛い所突かれたと思いつつ悔しくて地団駄踏んでだそうな。
戦前、戦中、戦後と良い事無しだったのを指摘されたのがこたえたらしく、必ず良い車を作ってみせると答えたんだと。
736 :
名無し三等兵 :2010/05/26(水) 22:03:34 ID:ew4XLw8J
商船スレなのに、道路事情など脱線しすぎだろw
面装備では既知のファスナー問題もあるからトラックなんて品質に加え 量産自体も望むべくもないよな。そんな稚拙なトラックしか作れなかった日本も 航空機増産で対日戦勝利に貢献したGMやFORDにやがて逆襲することになるが、 戦後復活した日本商船隊がその自動車輸出を支えたのでしたってことで 商船スレの流れへと。
>>733 大平洋航路だとダンスホール、ピアノ、管弦楽団、パン焼がま
二等船客以下用のベッドルームと救命艇がいらない
ような希ガス
741 :
名無し三等兵 :2010/06/19(土) 11:04:54 ID:vk3mfEVD
日本郵船の貨物船、長良丸型、赤城丸型、崎戸丸型で話そうぜ。
本屋へ行ったら光人社NF文庫新刊で、戦時標準船入門てのがあった。
まあ、アメリカのリバティとは比べるのもアホらしいが、イギリスと比較してもイギリス国内だけで731万トンの商船を建造している。 しかも、通常商船をちょっと簡易化したもので、質に関してはリバティ船よりも上。 日本が同時期に建造した戦時標準船の倍くらいのトン数ある。
744 :
名無し三等兵 :2010/06/28(月) 16:47:54 ID:8ce8Tbnh
>>743 595にエゲレスさんのWWU戦時標準船が書いてある。
>エンパイア型輸送船290隻、フォート型輸送船60隻。
>エンパイア型は7280トンで、フォート型は7140トン。
>違いはエンパイア型はイギリスで建造、フォート型はカナダで建造だが、
>船体デザインは、ほぼ同じで多少の装備違いは有る。
フォート・シップ WW2
http://fortships.tripod.com/
745 :
名無し三等兵 :2010/07/13(火) 00:35:22 ID:P28cyhld
商船・輸送船はやっぱり大内建二氏の独壇場だな もうちょっと文章が洗練されてればなおいいんだが
さすがに戦標船入門は書店で見つけた時に仰け反ったw おそらく類書はほとんど無いだろう
>>746 >おそらく類書はほとんど無いだろう
大内氏が自分で類書を書いている。
俺は土井全二郎氏の本も好き 当該船舶の詳細なんかはさっぱりだが、 乗組員の実際の体験談はやっぱり貴重な情報だと思う
戦標船は、軍オタと商船オタでだいぶ見方が割れるみたいだね。 軍オタは、戦時量産型で手抜きだったり、直線だったりするあたり喜ぶのに対し、 商船の人は、海軍の馬鹿に介入された可哀想な欠陥船で、船らしい魅力がないと言う。
戦艦大和誕生〈下〉が実は題名に反して、戦標船の話がメイン。 この題名で売ろうとしたのだろうが、逆にマニアに「また、大和か」で敬遠される。 大和の話かと思って買った人は、延々、戦標船の増産に必死になる造船官の話を読まされる。 困った本。
>>750 実は戦後の呉造船と真藤恒を題材にした
「世界制覇(上・下)」と言う本もあって
これでほぼ一つの物語と言ってもいい。
>>750 タイトルで敬遠してたけど、あなたのおかげで良い本が読めた。
ほんと、戦標船に限らず、戦時設計の話ばかりなのねw
一等輸送艦・二等輸送艦、特殊潜水艦、特攻兵器・・・これは素晴らしい。
某氏の著書を読んで思うのだが、リバティ級を持ち上げる一方で日本の戦標船を酷評し過ぎているように思えて好きになれない。 そら、粗製濫造なのは分かるけど、結果論から偉そうに物事を断じる姿勢って最低だと思う。
754 :
名無し三等兵 :2010/07/20(火) 10:34:05 ID:8KwrZAcw
>>753 某氏は、ある意味で言うなら、「負けた悔しさ」を日本軍に照らし合わせてるかも?
日本の戦時標準船は、あの時代、当時の技術で製造された。
当時の技術以上を求めるのは開国(大政奉還)を早めろと言うレベル。
て
>>753 >>結果論から偉そうに物事を断じる姿勢
この一言でお里が知れる。
旧軍や太平洋戦争に批判的な論を批判する馬鹿が背伸びして出した思考停止的批判。
最低なのは本じゃ無く君のオツムだと思うよ。
>>754 ぶっちゃけ、大量生産というもの自体が日本にとって初の体験だったようなものだからなぁ。
未経験のことを最初から上手くやれるわけがないわけで・・・。
でも戦時標準船を始めとする戦時急造艦の設計や製造で培った技術が後の造船大国の
礎を築いたのだけど、氏はそれを過小に評価しているんだよね。
ちょっと残念。
>>757 俺は技術的に礎になったってのは疑問。
コスト面で参考になったと聞くが、技術を具体的に見るとそんな痕跡は見受けられない。
例えば、溶接技術なんかを見てみると戦後に海外技術の導入やJISの制定が大きい。
技術というか、設計における考え方に影響を与えたと思うよ。
考え方への影響って?
限界設計? そこまで戦後に活かせたかなあ、というと、ちと怪しいかも。
単に知識が足りないだけかも知れないが、戦後日本における造船の躍進とその礎というテーマで見た時に、戦時標準船の どの技術がとか、この部分がという具体的な挿話をあまり聞いた事が無い。 聞いた事の有るのだと戦標船で使う材料を極限まで減らしたのが、コストダウンの参考になったって程度。 具体的な技術で何かあるだろうか?
>>758 俺も前は似たような考え方だったからそれよく判るし、フネとしての戦時標準船のどうしようもなさは前提事実として同意せざるを得ないんだが、
戦時標準船の量産経験から得られたものは確かにあるんだよ。
なんというか、大量生産のために、海外からどんな技術を導入するべきか、
て考え方のレベルで、戦時標準船量産が戦後の造船大国日本の礎になってるんだわ。
詳しくは、前間孝則「戦艦『大和』誕生」「世界制覇」の2冊を読んでくれ。
前者は普通の読者向けにキャッチーなタイトルがついてるが、戦艦大和の設計にあたって、
事前にユニットを組んどいてそれを組み立てるやり方の確立が前半で、
後半はそのやり方を利用した戦時標準船・海防艦その他の量産の話、
後者は、戦時標準船の造船経験を平時の優秀船舶の低コスト生産に生かした結果、日本造船業が世界制覇を成し遂げるまでの物語。
タイトルは異なるが事実上連続した一冊の本と言っていい。正直読んで世界観が変わったよ、俺の場合。
第二次戦時標準船、デザインはなかなか秀でているように思えるのは俺だけか?
思ったんだけど、もう少しコストと時間を掛けて建造した方が消耗率を抑えられて輸送に寄与できたんじゃなかろうか。 二重底を廃止してボカ沈させるより、たとえ使い捨てにするにしても生き残って資材を運びきらせるようにした方が 良かったんじゃない? って、魚雷を一発くらえば二重底だろうがなかろうが輸送船なんざ一撃で葬られるか。
2次戦標船の生い立ちがどうしようもない泥縄で、そのツケとしてあんな船と言うのも憚られる代物になったのだからどうしようもないさ。 軍にせよ国にせよ、その無策や無計画を全部現場におっかぶせたもんが2次戦標船。
>>765 2次戦標以来二重底が廃止され、3次戦標船計画でも二重底は沈没率に影響しないと結論されている。
その代わり3次では二重底廃止はそのままで、商船ながら水密区画を増やした設計になってる。
1937年頃以来慢性的に船舶不足で、2次が計画された17年11月頃は通商破壊による被害も少ないし。
攻撃される事への対処より、目の前の輸送力不足解消のが重要だから。
768 :
名無し三等兵 :2010/08/02(月) 11:45:47 ID:EpVWTiej
二重底の現代の船の「ろーろーさろま」ちょびっと擦っただけで沈んだしな RORO船だからある意味しょうがないけどさ
771 :
名無し三等兵 :2010/08/09(月) 16:36:41 ID:Ii0Qv2UI
772 :
名無し三等兵 :2010/08/19(木) 10:12:40 ID:OwiNrdEn
フジミ模型から日本郵船のS型高速優秀船、讃岐丸がアナウンス。
第二次戦時標準船を模型化してほしいな。
774 :
名無し三等兵 :2010/09/04(土) 10:52:34 ID:sHHLb83W
戦時標準船の模型はレジンでラッキー扱いの寺尾工房で無かったか? 第一次戦時標準船の方が好きだけど。
正直、商船よりも洋上監視船のキットがほしい あれだけ苦闘していてキット絶無とかかわいそう過ぎる
そういえば戦後にバラ積み貨物船がバラバラになる事故があったけど、あれはなんで? リバティーみたいな溶接箇所の不具合?
そういえばリバティ船って戦後どれくらい日本でも使ったんだろ 商船団壊滅に近かった以上は中古のリバティかりてるよね?
第二次戦時標準船のカッコ良さはガチ。
779 :
名無し三等兵 :2010/09/06(月) 10:29:18 ID:gwCx80IH
>>776 バラ積み貨物船は戦前、その前の20世紀初頭から沈没する事故が多発してる。
最近、1990年にも20隻94人死亡、1991年には24隻154人が死亡してる。
大きな船倉が設置して在り、しかも上部が開閉されるバラ積み貨物船などは、
船齢20年以上経つと船の老朽化と共に強度が下がる。
こららと加え、不十分な保守、船倉上部の密閉腐食で船倉に大きな波などで、
大量の海水が流れ込み船体バランスを崩したり、船倉に入った水の余分な重量により、
隣の船倉間仕切りが崩壊したりして沈没を誘発する。
780 :
名無し三等兵 :2010/09/06(月) 10:47:38 ID:gwCx80IH
>>777 前後、残存した商船2800トン以上は92隻。
その内、6000トン以下は22隻。残り70隻は6000トン以上。
GHQ統制の日本で昭和22年から第一次計画造船が実行され、
昭和27年の第八次計画まで造船された。
日本近海や内海などに沈没した商船なども引揚げ修理、
建造途中で放置された戦時標準船も建造して艦船不足を少しでも補った。
輸入船を見ると、
第一次大戦時の英国製の戦時標準船を購入してるのが多い。
こう見ると終戦〜2年後までは残存商船や外国委託が主流で、
戦後2年目から造船で補っていくのでは?
中古輸入船で元が米国製リバティ船らしきのは見つけられなかった。
781 :
名無し三等兵 :2010/09/06(月) 11:07:53 ID:Od+FsfaU
北太平洋で99式155ミリ自走砲がバラ積船で沈んでなかったか
>>781 他にも最新装備を満載で沈んだよ
装備には保険がかけてあってそれが効いたとか云々
もう大分前の話だと思うけど
>>23 夕顔丸というと、坂本龍馬の乗船がすごく有名なんだが
そういう船もあったのか
戦後間もなくだと国内需要は、ララ物資とかGHQの援助物資頼りだし、活発に貿易してる訳でもないからそんなに商船必要じゃないでしょ。 明治時代なんて保有船舶100万トン程度だったし、食糧さえ援助してもらえりゃやっていける。
>>779 「ぼりばあ丸」や「かりふおるにあ丸」は20年どころか船齢5年以内に船体破損で沈没したけどね・・・
787 :
名無し三等兵 :2010/09/09(木) 15:52:41 ID:yemJHuWy
戦前も日本は欧米から船を輸入してるんだよな。 明治前期は258隻、明治後期は471隻、 大正時代は245隻、昭和は13年まで161隻、 合計1135隻が輸入された。 一番多かったのは明治38年の100隻。 戦争前の輸入船は第1次世界大戦中に米国及びカナダで建造された、 標準型貨物船LAKE型等が大正末期から昭和初期にかけて多数輸入された。 戦後は朝鮮動乱勃発による極東水域の船腹不足対策の一環として、 政府の奨励により外国船輸入による船舶拡充が図られ、 昭和25年(1950)から56隻(31万総トン)が輸入されるまで輸入船は無い。 第一汽船の「おりえんと丸」なんか、 1911年(明治44年)建造→1962年(昭和37年)9月9日に解体されたし、 同じ会社の「春祥丸」は建造がなんと1906年(明治39年)→1952年(昭和27年)11月23日解体。
サルベージ
>>786 2隻とも第20次計画造船の船だね。
そしてやはり同じように船首が吹っ飛んだ「尾道丸」は第21次計画造船。
19次から21次計画造船の船はちょうど大量建造の時期に当たっていて
手抜き工事も横行していたと言われていたくらいで。
さらに付け加えると ああ言うタンカーやバルクキャリアのような船が出始めた頃だったので 構造や強度計算の面で未熟な所があったんだろうと。
791 :
名無し三等兵 :2010/10/18(月) 17:39:58 ID:0yeqSMVz
ピットロードから完全新金型の愛国丸アナウンス。 ウォーターとフルハル、二つを出すみたいよ。
ピットだとプロポーションや船体の絞りが不安だな… ひゅうがも明らかに下半身デブだったし。
>>792 国内金型なら未だしも、トラペにやらせると船体の掌握力が
微妙だしなぁ。
金型製造と設計は別じゃないの
まあピットさんは曲線のシアを直線で処理したり、幅がスケールより狭かったり、LoaとLppを取り違えたり色々やってるから… いいキットも多いんだけどね。
戦後はどうして計画造船になったんだろ。 むしろ戦前にやって欲しかったけど、造船て需要があって船主が個別に発注するものではないか。
797 :
名無し三等兵 :2010/11/12(金) 07:24:23 ID:voUrb/jw
昭和21年(1946)4月、戦時補償特別措置法が公布され当時の金で25億6000万円という、 補償が打切りとなり海運会社は新造船建造に必要な資金源を失った。 このため政府は翌昭和22年(1947)1月に復興金融金庫を設置し海運業に対する融資を行った。 戦時中の計画造船の一元的発注機関であった産業設備営団は連合軍総司令部により、 閉鎖機関に指定されたためその後を継いで昭和22年(1947)4月の船舶公団法に基づいて、 船舶公団が設立された。その基本金を全額政府が出資し、運営資金を復興金融金庫から借り入れた。 海運業者は船舶公団と共有の形で続行船の工事継続、戦標船の改造、 沈船の引き揚げ修理を行うことができるようになったのである。 船舶の再整備 太平洋戦争終戦時の商船は大半が戦時急造の戦標船であった。 残存した在来船も航行不能の状態のものもあり修理、 改造が各地の造船所で実施された。
798 :
名無し三等兵 :2010/11/12(金) 07:28:20 ID:voUrb/jw
GHQの斡旋により日本政府と米国、フランス、デンマーク、ノルウェー、フィリピン等と、 鋼船輸出契約の商議がすすめられ、最初にノルウェー向けの2隻の捕鯨船が契約された。 受注した播磨造船所は「戦後初の外国の注文船であるので設計、施工共に非常に慎重に行われ、 戦時中の荒廃した技術を一挙に戦前の優秀な技術に戻す意気込みで全員張り切って工事を進めている」 (「船の科学」昭和23年11月号)様子だったという。
799 :
名無し三等兵 :2010/11/20(土) 11:33:07 ID:ItJewrQw
age
800 :
名無し三等兵 :2010/11/26(金) 16:53:33 ID:CvmjyffH
フジミから日本陸軍輸送艦 佐渡丸/崎戸丸 12月9日から発送されます。
801 :
名無し三等兵 :2010/12/07(火) 18:02:45 ID:2vfmPy3r
岩重さん戦時輸送船ビジュアルガイド2発売
803 :
名無し三等兵 :2010/12/27(月) 17:12:26 ID:VfWI/4MF
最近、話題無いのか?
今日、書店で買いました。正月はこれ見て過ごすぜ
807 :
名無し三等兵 :2011/01/29(土) 10:11:02 ID:LPoIBhZL
俺も購入予定だが、3軒まわって見つからなかった・・・・
808 :
名無し三等兵 :2011/01/29(土) 13:12:32 ID:HJpl4Va2
名古屋のINAXギャラリーで開催中の
「にっぽんの客船 タイムトリップ 展」の講演会を聴いてきた。
橘丸、あるぜんちな丸、橿原丸(空母隼鷹)など
戦前の客船時代の豪華な船内が写真や装具、
模型や設計図面やCG等で紹介されていて興味津々。
客船の装備品でも一等船室のバスタブなど高級衛生陶器などは、
ずっと輸入品だったとのことで、橿原丸あたりでようやく国産品を
使う予定だったが、空母改装でオジャンとのこと。
あるぜんちな丸では、内装に日本の工芸の粋を尽くしたのに資材不足。
すでにドアノブ等が真鍮からベークライトになっていたそうな。
名古屋/納屋橋 INAXギャラリー、2011年2月17日(木)まで、入場無料
http://www.inax.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_001750.html
氷川丸5番ハッチを特別解放とのこと
>>6 万人の命の証人「氷川丸」で聞く、戦争体験者の声<<
山下公園(神奈川県・横浜)に係留されている「氷川丸」。氷川丸が、病院船・復員船、そして引揚船として、第二次世界大戦に深く関わった船であったことは、あまりに知られていません。
氷川丸を通して、戦争体験者の労苦を語り、伝え続け、平和な社会を築くために、平和を祈念するために、戦争体験者やゲストを迎えたトークイベント『氷川丸サロン』、通常開放されていない5番ハッチでの『特設展示』を実施します。
>>特設展示 19日(土)・20日(日)※(19日のみ12:00〜)<<
非公開の5番ハッチを、この2日間だけ特別開放。三労苦の関連資料を展示します。
※事前申込みは不要です。ただし、氷川丸への入館(200円)が必要になります。
ttp://www.heiwakinen.jp/news/20110121.html
810 :
名無し三等兵 :2011/02/08(火) 14:00:18 ID:iV/7Uss8
東海大相模はいいよ。原 監督こと、辰(道)徳さん、もいい。
811 :
名無し三等兵 :2011/02/08(火) 14:51:53 ID:r9mP1iYK
戦前の客船などのバスタブなどは外国製高級衛生陶器は当たり前だよな。 外国人が乗船するんだし。 東洋陶器は戦前から1960年代まで食器などを生産してて、台湾や韓国などアジア圏内に輸出されていた。 丁度、バブル期が終った1992年に台湾の食堂で東洋陶器の皿やカップを見た時、 この店は食器を長持させてるな〜と実感したな。
品質やサイズの面もそうだけど、戦前は洋式があまり一般的じゃなかったのが原因だろ。 船舶や鉄道といった高耐久性を求められる特殊用途だと尚更。 鉄道車両用は多少生産されて、国内の一等車とか満鉄・鮮鉄向けに納入されてるそうな。 和洋兼用タイプは結構多い。 戦後も刑務所なんかで細々と使われたな>和洋兼用。
保守
tes
816 :
名無し三等兵 :2011/05/11(水) 17:46:49.35 ID:J+bGbU/6
フジミの日本陸軍輸送艦 佐渡丸/崎戸丸、少し残念な部分が有るとか・・・・
te
商船のインジェクションキットに残念な部分があるのはいつもの事 コスト上ある程度目をつぶらないといけないのは解るが、造型と仕様の煮詰まってない感は異常
4月9日26戦隊、北谷西方、出撃37隻、生還18隻、駆逐艦チャ‐ルズ・J・バジャ‐機関室大破、 ☆攻撃輸送艦スタ‐損傷[6,318t、ビクトリ-・シップ?] LSM‐89損傷、駆逐艦ポ‐タ‐フィ‐ルド同士討ちで損傷 4月15日26戦隊、嘉手納沖、出撃22隻、生還19隻、掃海艇YMS‐331大破 4月27日27戦隊2中隊、金武湾、出撃2隻、生還1隻、駆逐艦ハッチンズ大破破棄 4月27日27戦隊1隊、嘉手納沖、出撃12隻、生還8隻、大型ロケット火力支援艇LCS(R)‐37大破破棄 ☆貨物船ポ‐ズマン・ビクトリ‐損傷[ビクトリ-・シップ3,700t、積載量3,000t] 、兵員揚陸艇LCVP約10隻損傷又は沈没 5月4日27戦隊、中城湾南部、15隻出撃、生還0隻、 ☆貨物船カリ‐ナ大破[リバティ・シップ排水量13,910t、積載量9,000t] (・o・) 僅か1.5t足らずの小艇が貨物船3隻を撃破してます!
o(^-^)o 損害の程度で言えば カリーナ>ポーズマンビクトリー>スター のようで 特にカリーナは「回天の攻撃を受けた」とする資料もある位ですが、 当日に回天を搭載した潜水艦は近くにおらず マルレによる損害とされています。 ☆ただ残念な事に、 米軍は民間船舶の損害を公表していないため、 完全な戦果が判明していません。
821 :
名無し三等兵 :2011/06/27(月) 12:38:25.56 ID:Bb8ZBqMj
>>818 >造型と仕様の煮詰まってない感は異常
メーカーの「やる気」が見えない、陰りも見えないのが痛痛しい。
822 :
名無し三等兵 :2011/08/03(水) 17:14:09.65 ID:J5hyZlc+
上げ
823 :
名無し三等兵 :2011/08/09(火) 22:35:21.52 ID:T61/7xcR
824 :
名無し三等兵 :2011/08/22(月) 12:34:59.76 ID:e1vxN8de
羊蹄丸を無料譲渡されても保管場所が無いw当たり前w 何処かの国が貰っていくんだろうな。
現役復帰という夢をみたんだが厳しかったかのう。確かに長距離輸送だと 特に車両の輸送能力が弱そうという部分がネックかと思っていたが。 もとが鉄道が活躍する前が活躍の主体だった青函連絡船だし、昭和40年代の 建造ということもあるし、やはり本土間輸送ではなくて離島輸送向きの 仕様になってしまうのは仕方の無いところか。
826 :
名無し三等兵 :2011/08/26(金) 16:08:55.05 ID:aJ6lN/69
容かわり現役に復帰、数奇な運命となった初代大雪丸にタメ張る連絡船は無いだろう。
827 :
名無し三等兵 :2011/09/22(木) 15:16:20.33 ID:7GKnT9Mi
馳から350の氷川丸が発売されるぞ!
羊蹄丸は解体決定だな
829 :
名無し三等兵 :2011/11/15(火) 12:29:32.93 ID:GdUkucSo
ピットの愛国丸、製作した人はどうだったか? 不満無く組めた?
海上輸送は計画案や計画実績を見て快感に悶えるもので、船の外観に萌えるものではないの
戦時標準船のD型は、重量物運搬船という位置付けだけど、デリック能力とかどれ位あったの? チハを超える20トン以上の貨物でも荷揚・荷降ろしできる能力はあったの?
元々の設計からすれば重量物というより長大物の運搬船 なのでこの形式の説明にあるのはハッチ口が大きいとか、機関車がそのまま積めると言った記述になる デリック能力から行くと戦標船で20トンが1基、平時の元の船型で15〜25トンのモノが多い 通常、それ以上大きいものだと1フックでは吊れない大型品が多いので20トンクレーン2台で相吊りとかするので問題があるとはされなかった模様
834 :
名無し三等兵 :2011/11/25(金) 17:15:32.37 ID:uLwsr9Ka
戦後の重量物運搬船だとデリック能力600トンとかあるけど、90式戦車12台を一度に吊り上げられるのか・・・
836 :
名無し三等兵 :2011/12/06(火) 12:35:15.73 ID:SJ1QveOZ
戦時標準船で戦車を戦地に積んで行くのは1Aか1Bだろうね。
837 :
名無し三等兵 :2011/12/14(水) 18:49:09.13 ID:Ddwnrl4I
2D型の道了丸が戦車を運んだことがあった気がする。
840 :
名無し三等兵 :2012/01/12(木) 16:36:58.44 ID:02VMxbFA
道了丸は上海の江南造船所で建造されているんだね。
841 :
名無し三等兵 :2012/01/24(火) 17:13:13.91 ID:6XpI6Yoq
青函連絡船の洞爺丸型は一隻でも保存して欲しかったな。
842 :
名無し三等兵 :2012/02/21(火) 09:50:42.49 ID:VsGGG6Z3
三井の有馬山丸特集文献とか見たいな。
保守
845 :
名無し三等兵 :2012/04/09(月) 22:08:07.34 ID:mbGVSRlw
これ非常に小型の核兵器です。
実はこういう類の小さな低威力核兵器というものが随分開発されています。
この物凄い雲みたいなやつがマンハッタン全体を覆いました。
そしてこの粉塵なんですがとっても嫌な臭いがしたそうです。
どんな臭いか。
タンパク質が燃えるような臭い。
あとでお話しますが、
実はまだWTCの犠牲者千人ぐらいの遺体がまったく見つかっていません。
普通はほんの少しでも肉片でも骨でも残ってれば、
そこからDNA鑑定して個人を特定できます。
ところがそれがまったくできない人が千人以上います。
何を意味しているんでしょう。
遺体が完全に蒸発しちゃったんです。
そしてその蒸発した遺体が臭いとなってマンハッタンを覆ったんです。
だから臭かったんです。
こんなことをビンラディンができるわけないじゃないですか。
http://www.youtube.com/watch?v=V4MUWxh3k6U&feature=relmfu これはニューヨーク・タイムズの2001年11月29日、
起きたばっかりの直後の記事なんですが、
WTC7で鉄骨の一部が蒸発した形跡があると。
鉄が蒸発する温度とは生半可な温度では不可能です。
もう一つ、WTCでビルが倒れても実はこの地下には、
鉄の溜、鉄のプール、溶けた鉄のプールが三つ、
実は911から三ヶ月間ずーと存在していました。
長い間ずーとグツグツ煮えていたんです。
鉄がとけて三ヶ月間、ずーとプールが維持されているというのは、
それだけ物凄い熱量が加わったということなんですね。
これは水爆以外に何がなしえるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=ZOYHbZZmSp4
847 :
名無し三等兵 :2012/04/15(日) 09:55:42.63 ID:WyDfaOPV
今日は、タイタニック沈没100周年の日。 4月15日、すでに暖かい時期だったんだね。
848 :
名無し :2012/04/18(水) 12:48:51.64 ID:???
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849 :
名無し三等兵 :2012/05/02(水) 16:45:43.23 ID:f7IgTqLb
>>847 暖かい時期だから、流氷が割れて氷山となり南下した訳だが。
そうなんか
流氷が割れると氷山に成長するのか・・・
855 :
名無し三等兵 :2012/05/08(火) 14:38:56.28 ID:WFt40jro
北極、氷河の大陸が割れて、氷山になるんだろう。 そういえば、2年前位もNASA発表で北極から巨大な氷山が大西洋を南下していったな。 JR山手線内側の4倍近い面積だったそうだ。
>>775 正規艦艇だけど、漁船型の特務艇が潜水艦のおまけについてたよ。
健全な状態じゃなくて、沈没寸前の傾斜状態キットだけどな!
>>856 同じハセガワのキットだけど、沈没船がついてるのはUボート(7Cと9Cのセット)だよ
駆逐艦樅に、哨戒特務艇がついてるね
現物見たことないけどあれ実は一応リバティ船だって聞いたことあるな
859 :
名無し三等兵 :2012/06/04(月) 13:01:02.20 ID:WqkA8Jv3
沈没寸前の船首と船尾だろ。 あのモデルの原型は第一次大戦時の商船だと聞いたことがある。 第一次大戦時に大西洋でUボートに沈められまくった商船がモデルだと聞いた。 第二次大戦時も結構な数の古い商船が大西洋輸送に使われていたし。
日本にWW2で鹵獲されたのもいますね。 War〜っていう船名のWW1英国戦時型商船
862 :
名無し三等兵 :2012/06/22(金) 16:13:48.79 ID:05+GfiIR
8月にピットから貨物船時代の報国丸、出るよ!
うむ
864 :
名無し三等兵 :2012/08/06(月) 17:39:11.63 ID:ZeWznFta
崎戸丸、造る前に笠上げしないと駄目って、メーカーさん、どういうことよ!
徴用民間船のドキュメンタリーを放送してましたなあ。 あんな小さな漁船で遠くまで・・・
機帆船だってフィリピンとかまで回されたんだぜ…
>>866 ラバウルまで進出したのもあるはず。
確か落伍率五割だったかな。
熊野川のプロペラ船は徴発されて揚子江で掃海作業に従事したとか何とか。
あんな船まで徴発されたのかよ…… ダンケルクとは逆の意味で徹底してるな
>>869 あんな船っていうか
湿地帯なんで、あの手の船しか使えない特殊状況だったんよ
>>869 ちげえよ
870氏の言うように低湿地や浅瀬、支流に乗り入れられるってもあるけど
長江は局所的に5ノットぐらいの流れがあったりするから高速艇じゃないと遡航できない場所があるのと水中障害物を乗り越える浅喫水船って事で目つけられたんだよ
木造船でカーバイド運んで爆沈というマヌケがあったような・・・・ そりゃ漏水上等なんだから轟沈するだろ
873 :
名無し三等兵 :2012/09/03(月) 12:24:49.43 ID:4h1PIoO0
イタリアで客船が事故で転覆したけどさ あれぐらいの大きさだと戦時徴用されるのは確実だな 国にしてみれば、民間で大型旅客船を整備してくれるのはありがたい 補助金ぐらい出しているのかな
874 :
名無し三等兵 :2012/09/04(火) 12:47:36.91 ID:jvkcF+6R
>>873 補助金なんか出て無いだろ。
そもそも船会社を始め、協賛企業などが出資して建造してる船だから、
戦時徴用されるなら、政府によって買上げされるだろうし。
でも巨船は現代では、あまり重要視されないぜ。
敵にとっては巨大な船体が格好の目標になるんだから。
>>874 >戦時徴用されるなら、政府によって買上げされるだろうし。
申し訳ないけどここの意味が分からない
船の徴用は普通は特殊な用船契約でやるもので、船主は変わらない
米軍みたいな兵站維持能力のない国だと 有事の際は、大型の民間船を契約結んで徴用するだろうな
877 :
名無し三等兵 :2012/09/09(日) 13:01:53.31 ID:KLLYAYJI
現在の日本はどうなんだろう?
長距離フェリー客船は有事の際は徴用されるんじゃないの
国民保護法の関係で避難誘導関係で公共交通機関・各社は強制力を以て政府の指示する作業に当たる事は想定済み 但し、純粋に軍事行動になる逆上陸作戦といった船団への船員ごとの徴用や自衛艦隊への編入といった意味での徴用に関しては想定する法令は無かったはず 現段階では転地訓練や演習場への陸自部隊の移動は、通常の傭船契約やフェリーへの重量物品搭載といった事以上のものではないはず
アメリカは保管してる船があるそうだけど 有事に扱える人手が不足しそうw
な〜に、ナイジェリアから
マジレスすると、この前日本でニュースになってなかった? 何か事件を起こして、だけど…
イギリスの旅客船がフォークランド紛争でも徴用されている 今の世界最大って20万トン以上の大型なんだな
大西洋横断のブルーリボンを持っているユナイテッド・ステーツは有事の際の軍隊輸送船だったし
必用なのは客船だけでなく貨物船もだな
887 :
名無し三等兵 :2012/09/13(木) 12:51:44.97 ID:MvAjGFVN
オスプレイ搭載して特設航空母艦か胸熱。
特設せずに初めからヘリ空母にしろよw で、ヘリコプター搭載可能な民間船舶は少なそうだな
コンテナ船に鉄板貼ったら軽空母の出来上がり@イギリス海軍
中国ならそういうことしそうな気がするw
魔改造ですね わかります
商船だと兵士もゆっくりさせられる
蚕棚最高。
↑漢字が読めないw
日本の船会社は政府と契約結んでるのかな?
世界最大の旅客船は「オアシス・オブ・ザ・シーズ」 総トン数 :225,282トン 乗客定員 :5400人 乗組員数 :2384人 全長 :361m 全幅 :66m 喫水 :9.1m 巡航速度 :22.0ノット フォークランド紛争に徴用された「キャンベラ」より多くの人を運べ 輸送船として最適だな
アメリカは客船の傭船はしないだろう 今でも十分輸送能力有るし
只でさえ造船不況で中国韓国日本の建造トン数は激減してるし 日本国内には売り手付かないカーフェリーが係留されるくらい 世界的に船舶余ってるし現役クルーズ船を徴用する必要は薄い
アメリカの保管艦は国防予備船隊(National Defense Reserve Fleet,NDRF)で管理されてるそうだ 日本は予備の保管艦なんて無いから民間とレンタル契約するしかないな
>>898 そういや相生港にカーフェリー2〜3隻あるな
>>898 ナッチャンレラは台湾に売られたな
ナッチャンワールドは自衛隊の雇船含みで維持されている
戦車を使った武道「戦車道」が華道や茶道と並んで大和撫子の たしなみとされている世界── 「美少女と戦車が織りなす、ひと夏のハートフル・タンク・ストーリー!」 ※2012年10月放送スタートだそうです。 ガールズ&パンツァー
中国人民解放軍系の学者らが中国メディアを通じ、25日に海軍への配備が発表された空母「遼寧」は 沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり対立が激化している日本への圧力になるとの発言を続けている。 中国は公式には「空母を保有しても、防御的な国防政策を堅持することに変わりはない」 (軍機関紙、解放軍報)との立場を取るが、本音では日本への威嚇効果を期待しているようだ。 中国メディアによると、国防大教員の李大光氏は 「この時期に空母を見せつけることは、釣魚島を防衛する中国の強い決意を表明することになる」と指摘。 「過ちを認めなければ自業自得になると日本政府に告げる」意味があると訴えた。 また国家安全政策研究委員会副秘書長の喬良少将や、中国軍事科学学会副秘書長の羅援少将も空母の「威嚇効果」を強調している。
自衛隊の護衛艦とか、平時のとき軍艦ってどうしてるんですか? ずっと港に泊まっているわけではないでしょうし、どのくらい海に出てるのでしょう?
自分は2等陸曹であります。 今日は清水1尉に偵察任務の特訓をしてもらうのであります。 清水1尉は防大卒で体の小ささを活かした偵察のエキスパート。自分の憧れの人であります。 清水1尉に続いて縦列匍匐前進中に自分はいけないものを見てしまったであります! 清水1尉のズボンの股が激しい動きに破れてパンツが見えているのであります! しかも匍匐前進で食い込んだパンツは清水1尉の右のマン肉を隠していないのであります! 充血した自分の銃剣は地面を抉り自分は清水1尉からどんどん遅れてしまったのであります。 「なにをしているかーっ!」 清水1尉が遅れた自分を厳しい顔で叱っておられます。 「も、申し訳ありませーん!し、清水1尉!じ、自分は・・・あうっ!・・・」 地面と擦れる銃剣の心地よさに自分は任務中だというのに果ててしまいました。 自分の濡れた股間を見て清水1尉はズボンの破れに気がつかれたようであります。 顔を赤くした清水1尉は自分に駆け寄りズボンを脱がせはじめたのであります! 「し、清水1尉!だ、だめであります!じ、自分はっ!あっ!」 「貴様上官に逆らうのか?こんな所で射精して・・・これが敵地なら貴様死んでいるんんだぞ!」 逆らえない自分を下半身裸にすると清水1尉はご自分も裸になられたのです! 「貴様ここだけは陸将クラスだな。2度と匍匐でいかないようわたしが鍛えてやる!・・・んっ!・・・あっ!太いぃっ!・・・」 「しっ、清水1尉殿ぉっ!自分は初めてが清水1尉と演習場の森の中で幸せでありますーっ!」
合コンの飲み会で隣に座った女の子に、「職業は何ですか」と聞かれたので、 正直に「右翼です」と答えたらドン引きされた。 アルバイト先のコンビニで、お客の女の子に「休みの日は何をしてるのですか」と 聞かれたので正直に「2ちゃんねるで保守しています」と答えた。 以来、2度と彼女の姿を見かけなくなった。 コミケでレイヤーの女の子と仲良くなり、「休みの日にお台場に行こう」と誘い、 フジデモに合流してきた。 翌日、「近寄らないで!」という一通のメールを最後に彼女から着信拒否された。 淋しいので今日も2ちゃんねるをしている。 明日は何か良いことがあるといいな・・・・・
>>907 デートに誘えてメアドまでゲトしているリア充が何を言うか
まあ、コピペとわかっていてもレスしたくなるのはわかる
演芸会の商品の酒飲みすぎで寝坊した人チイーッス
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