1 :
名無し三等兵 :
2008/06/13(金) 05:08:19 ID:qLzxQR+w
2 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 06:42:18 ID:???
あらま >>2か
惨状!終了。
4 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 08:24:49 ID:???
うちの爺さんは陸軍で従軍したそうな んで、ある日連戦連勝で志気は高いし練度も高い最高な気力体力精力満杯な状態なまま、とある都市で 市街地攻防戦に雪崩込んだそうな そこで、手当たり次第に戦ったら、また楽勝 野郎なら赤子だろうと頭を踏み潰し殺し 青年少年なら反撃されないように心臓ひと突きして殺し 老人ならば徐々に千切りにして殺し 女なら赤子でも老婆でもレイプして 妊婦なら腹を裂いてレイプ 胎児が雌なら胎児もレイプ 若い娘は貴重だったんだって んで可燃物は燃やしつくして 金銀やら書画骨董は各々が略奪しまくった 終戦は内地で戦後は蓄えのおかげさまで幸せになれたんだと 以上が南京攻略戦での1コマ 三光作戦で支那人を減らしてくれた話は最高にほのぼのだよね
5 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 15:30:18 ID:OwvXiV7L
左翼乙
6 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 15:32:24 ID:???
日本人は平時でも女子高生を監禁拷問輪姦コンクリート詰めにするから戦時下はやりたい放題
7 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 17:37:44 ID:???
トシ「腹減ったな」 タカ「そうだな。犬でも捕まえて喰べるか」 _, ,_ ( ・д・) 「在日か!」 ⊂彡☆))Д´> トシ「金貸してくんない?」 タカ「役所行って生活保護もらえよ」 _, ,_ ( ・д・) 「在日か!」 ⊂彡☆))Д´> トシ「じゃあ俺ちょっとナンパしてくるわ」 タカ「じゃあ俺は強姦してくるわ」 _, ,_ ( ・д・) 「だから在日かって!」 ⊂彡☆))Д´>」
8 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 20:50:25 ID:???
三光作戦って蒋介石の作戦だよ。
9 :
名無し三等兵 :2008/06/19(木) 01:33:16 ID:???
ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。 煽り、荒し、工作員は相手にせず、完全無視をしていただきますようお願いいたします。
10 :
霧番 :2008/06/20(金) 14:32:19 ID:sVT1y5I/
10なら加藤ジーナとセックスできる。 10なら07年度の天てれの加藤ジーナとセックスできる。 10なら競泳水着姿の加藤ジーナとセックスできる。 10ならメイドさんの加藤ジーナとセックスできる。 10なら秘書スーツ姿の加藤ジーナとセックスできる。 10ならブルマー姿の加藤ジーナとセックスできる。 10ならスクール水着姿の加藤ジーナとセックスできる。 10ならバニーのコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。 10ならハイレグレオタード姿の加藤ジーナとセックスできる。 10ならセーラ服のコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。 10ならスチュワーデスのコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。 10なら不知火舞のコスプレをした加藤ジーナが俺の乳首を弄りながらフェラしてくれる。 10ならセーラー戦士のコスプレを一通りした加藤ジーナがディープキスをしながら手コキしてくれる。 10なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの加藤ジーナが生姦&膣内射精させてくれる。 10なら加藤ジーナのママが結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。 そして俺様の遺伝子で加藤ジーナのママが孕んでくれる! 10ならJSFに法則発動 10なら空自の次期F-XはF/A-18F ※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
11 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 11:08:29 ID:U4PR3Aee
>>4 軍属として日本軍の後に付いてって、戦後はパチンコ屋ってかwww
クズが!!
12 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 11:58:50 ID:???
>>4 在日かよ、お前の爺さん=朝鮮兵は日本人の振りをして中国人に積年の恨みを晴らした
ベトナムでは娯楽の為に女子供ヤリまくった勇敢な朝鮮兵
13 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 12:08:31 ID:???
ご高齢の方から又聞きしてる上に、正確な知識なければ、話がおかしくなってもしょうがないと思うんだが そんなに正確な話じゃなきゃ嘘としたいんだろうか。真偽の程はご本人にしか分からないから 簡単に嘘とは言えないと思う。
14 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 13:35:41 ID:???
15 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 14:30:01 ID:???
思い出話を「嘘」で片付けられる人間の心根を疑うわ
16 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 16:39:47 ID:???
お人好しは軍事にむかんやろ
17 :
名無し三等兵 :2008/06/22(日) 17:11:10 ID:???
いきなり朝鮮中国とか言い出す時点で程度が知れてる
18 :
名無し三等兵 :2008/06/25(水) 13:29:17 ID:D2O6tC9/
一応二つほど投下。アメリカの朝鮮戦争の本にのってたお話。 朝鮮戦争で中国軍が大群で参戦してきた時、国連軍は崩壊してドンドン撤退、 完全に壊走していたとき、著者のアメリカ人が撤退してくる韓国人の士官を見つけて、 「そっちはどうだ」と聞くと同じく酷い状況でズタボロだと説明。 「必要なものはないか?まわせるものはできるだけまわすように上にかけあう」というと、 その韓国人士官は「なら昔の上官と『仲間』を日本からつれてきてくれ!!彼らなら、共産主義者どもの攻撃でこんなに逃げ回ったりするものか!!!」 と答えたらしい。聞いた著者のアメリカ人士官も太平洋戦争での従軍経験もあったので、思わず、 「彼らが10万人でもここにいてくれれば踏みとどまっただろうな・・・。しかし、彼らはいない」と答えたらしい。 ぶっちゃけ韓国軍には日本軍で教育された士官も多いから、戦後すぐだと、個人的には中が良い部分も多々あったんだろうなぁと。 嫌韓やむこうでは反日ばかりが目立つけど、日本軍を「仲間」といってくれた韓国軍士官さんにはちょっとほのぼの。
19 :
名無し三等兵 :2008/06/25(水) 13:35:28 ID:D2O6tC9/
外交官である佐藤尚武氏が書いた著書「回顧八十年」からの抜粋。 彼はドイツがフランスを降伏させた第二次大戦時にパリに赴任していた。 私はちょうど(1940年)7月14日の朝、シャンゼリゼーを上りつめて、凱旋門のところで車をおりた。 無名戦士の墓にもうでたい気持ちからである。凱旋門からエトワールの広場を見回すのに、いずれの家もみなしまっている。 (中略)目にうつるのは、ただ大きな赤地に黒の逆マンジのハーケンクロイツばかりである。これはまた無数にかかげられている。凱旋門の真下に永久の眠りについている、 第一次ヨーロッパ戦争の墓碑は、大きな白の大理石盤でできていて、水平に地面にはめこんである。その頭の方には、休戦当時から燃え続けている消えずの火が、いまもって赤々と炎をあげている。 すべて昔のとおりである。しかし昔と比べて大きな違いは、昔墓にもうでていたフランス人が、今は一人もいないことである。三々五々、つどい来るのはドイツの兵隊である。彼らは丸腰で武装もなく、 普通の見物人と同様の気持ちでくるものらしい。しかし集まってくると、だれか小声で号令をかけ、無名戦士の墓碑の前にきちんと整列し、そして挙手の礼をささげるのである。私は同じくそばにたっていて、 つくづく深い感にうたれざるをえなかった。 戦死者にたいする敬意は兵士なら通じ合うものがあるんでしょうな。
20 :
名無し三等兵 :2008/06/25(水) 14:25:32 ID:???
21 :
名無し三等兵 :2008/06/25(水) 16:22:43 ID:???
22 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 04:39:40 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 10:32:22 ID:???
私の母親昭和17年に産まれたのですが 父親(私にとっての祖父)の欄が空欄です 戦時中に父親がいない状態での祖母の出産はどんな事情があると考えられますか? 祖母も母親もいないので聞く事もできず祖父はどんな人だったのか知りたいですが 知る術はありません 想像、可能性で良いので教えていただけないでしょうか? 母親が産まれたのは宝塚で、宝塚や神戸など兵庫県で育ったようです 昭和17年のその辺りはどんな状況だったのでしょうか?
24 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 12:26:00 ID:???
昭和17年生まれのかぁちゃんから戦争中に産まれるって・・・(・・;)
25 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 12:27:56 ID:???
あ、間違った・・・orz
26 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 13:29:27 ID:???
スミマセンわかりにくくて… 私の戸籍は祖父の欄が空欄で昭和17年に母親が産まれたと記載されています 祖母が戦時中に宝塚で母を産んだという事です 戦時中に妊娠して出産するのはどんな状況だった事が考えられるかと思い 戦時中に詳しい方に聞いてみたくて質問しました 私は髪や目が少し茶色くてずっと「日本人離れしてる」と言われてきました だからもしかしたら祖父が外国人なのかとか思いましたが でも戦時中に外国人とそういう事になる女性いませんよね? また、色が白く体毛が薄い事から「韓国入ってる?」と言われる事もあります だから祖父が朝鮮の人で反対されたとかで一緒になれなかったのかなとか いろいろ考えます かといって「顔濃いね〜沖縄?」と言われる事もあります 母親や祖母の顔を知らないのであくまでも想像ですが… ここで質問しても祖母の気持ちは祖母にしかわかりませんから答えは出ませんが 戦時中ってどういう事が考えられるかが聞いてみたくて質問しました
27 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 16:29:27 ID:???
友達に「祖母が白系ロシア人」って子がいる。 母親の年は知らないけど、概ね戦時中か戦後すぐ位に生まれてるはず。 髪は子供の頃から茶系で、年とともにどんどん茶色くなってきてるってw 戦時中もドイツやイタリアといった味方の国の外国人はいたし、 白系ロシア人も日本にいた。 そういった人との間に子供ができて、親に反対され非嫡出子として生まれた。 その後、外国人は味方でも監視されたり、末期には軽井沢とかに隔離されたんで、 そのまま再会できずになってしまった……というのはあり得るかも。
28 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 17:13:32 ID:???
29 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 00:14:35 ID:hPTJ4XGY
ロシア人と白系ロシア人は違うのですか?
30 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 00:43:41 ID:???
確か白系ロシア人とは赤(非or反共産党)くないロシア人のこと。
31 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 19:21:08 ID:???
他板から天才 177 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 22:26:29 ID:SS6FJz9B 和めるかはわからんがうちのじいちゃん(元米兵)の話。 昔昔、まだ日本に米軍がごろごろいた頃、休暇だかなんだかに街に繰り出した時に、 配給を配ってたばあさんに一目惚れして、居ても立ってもいられずばあさんに 会いたいがために脱走したことがあるそうだ。それも何度も。 ばあさんは「鬼畜米英」を教え込まれていたのでものっそい不審がって逃げ回ってた そうだが、それでもばあさんに会って、できれば恋仲になりたいと願い続けて、 日本贔屓の上司にどうやったら日本の女性と付き合えるのか聞いて、日本語で恋文を したためたり、貸してもらった和歌集から恋歌を抜粋して送ったり、積極的にいくと 日本の女性は怖がると聞いたら遠巻きに立って「ここから一歩も近づきません!」と 宣言してそこから一所懸命恋文や恋歌を投げたりしたんだそうだ。脱走して。 贔屓とはちょっと違うかもしれんが。
32 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 19:22:31 ID:???
188 名前:177[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 23:22:43 ID:SS6FJz9B じいちゃんは毎週ばあちゃんのもとに通って、へったくそな日本語の恋文と恋歌の写しを 投げて、ばあちゃんが拾うのを確認して一礼して走り去る、とやってたんだが じいちゃんが投げた恋歌の中に、ばあちゃんが好きな歌が入ってたのが きっかけでばあちゃんから「この歌が好きなんですか?」と話しかけたらしい。 そこでじいちゃんが全く日本語ができない(「ここから一歩も近づきません!」は 日本贔屓の上司に教えてもらった唯一の日本語)ということが発覚して、 じいちゃんが滞在中ずっとばあちゃんが日本語を教えてたんだそうだ。 そのお礼として米軍配給の缶詰だのを渡してたんだそうだが、上司の入れ知恵で 同じ隊の他の人に事情を話してちょこっとずつ缶詰だのを分けてもらって 「ご近所の皆さんで分けてください」と箱一杯に差し入れたのがきっかけで ばあちゃん一家に受け入れられて、アメリカに帰る時には一緒にご飯を食べたんだって。 その時に、もうアメリカに帰ったらばあちゃんに会えないかもしれない、と思って 「普段味気なく食べている配給も、あなたと食べるとごちそうのように美味しかった。 そんなあなたともう会えなくなるのは生きている意味を感じられないほど悲しい」と 言ったら、ばあちゃんも「とても優しいあなたと会えなくなるのは私も悲しい」と 返したので、じいちゃんは自分の所属部隊と名前と階級を書いて渡して 「もし私とまた会ってもいいと思ったら、残っている米兵にここ宛に手紙をください」 とやって、米軍が完全撤退するまでしばらく文通してたんだと。 そのあとじいちゃんが日本にきて、ずっと独身だったばあちゃんと結婚。 以上です。文才なくてスマン
33 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 19:28:48 ID:???
ええ話や
34 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 02:34:43 ID:???
35 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 03:11:48 ID:???
825 名前:富士南麓人 ◆muFUJI76us [sage] 投稿日:2008/06/25(水) 09:50:46 ID:jtmxkqOJ ?PLT(14000)
>>823 のサイトのコメント欄
47.アメリカ軍は日本の文化の情報をも収集していた。
日本人の命名原則(一郎(ファースト)、二郎(セカンド)、三郎(サード)もその一つ。
そんな情報部がアドミラル・イソロク・ヤマモトのイソロクが
「56」を意味することを知ったとき、部内は一時騒然となったと聞く。
「イソロク・ヤマモトは56番目の子なのか!
なんてグレートでパワフルな父親なんだ!」
-----------
これはちょっと噴いたw
36 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 03:23:28 ID:???
37 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 07:42:25 ID:???
>>35 半年ROMってろ、20世紀から散々既出だよ厨房
38 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 07:43:42 ID:???
>>34 思い出話を「ブサヨ」で片付けられる人間の心根を疑うわ
39 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 10:35:26 ID:???
お人好しは軍事にむかんやろ
40 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 13:45:54 ID:cjevrbdB
>>26 の質問は私なのですが
ブサヨとは何でしょうか?
41 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 13:55:04 ID:???
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
42 :
名無し三等兵 :2008/06/28(土) 16:38:57 ID:???
43 :
名無し三等兵 :2008/06/29(日) 16:55:09 ID:???
戦争で「女を犯した、赤子を刺した」とかいうのをおもひで話、とかいうやつの脳ミソは何色をしてるのだろう。
44 :
名無し三等兵 :2008/06/29(日) 22:44:36 ID:???
アカ色です
45 :
名無し三等兵 :2008/06/30(月) 19:40:05 ID:???
>>43-44 せめてさ、前スレくらいROMってきたらどうだい厨房諸君。
46 :
名無し三等兵 :2008/07/01(火) 17:45:17 ID:???
44にはウケタけど? 中狂に洗脳されたった意味だろう。アカ色
47 :
名無し三等兵 :2008/07/02(水) 02:46:18 ID:???
>>26 ありとあらゆる事態が考えられます、としか言えませんな。
というか何を聞きたいのかがよくわからん
48 :
名無し三等兵 :2008/07/02(水) 12:05:01 ID:???
コピペすら見抜けない初心者は羞恥プレイでもしているの?
49 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 01:56:33 ID:8VlaDFJW
honobono
50 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 03:20:33 ID:???
私の父が、陸軍で通信士の訓練を受けていたときの話だそうです。 機材をトラックに載せて、父を含めて三人で、基地から出発したのですが、 それはひどく寒い冬の日で、荷台には、真空管を暖めるため(もちろん人も暖めるのです) 練炭を入れた七輪が積んでありました。 目的地につくと、一行を率いる上官殿が、おもむろに雑嚢を取り出しました。 「オッなんだこれは。こんなもの積んだっけな」 そして袋をあらためると、なぜかモチ焼き網が出てきまして・・・ 「あんなうまいモチはなかったな」 と父は言います。
51 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 05:03:51 ID:w9mT8ATD
父が戦争って、何歳だよ。 60歳過ぎて2ちゃんしてんのか? 俺、28歳だけど爺さん戦争行ってねえぞ。
52 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 05:27:15 ID:???
1945年に二十歳だった人が四十歳で作った子供なら、まだ四十三。 軍板には珍しくない年代だぞ
53 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 05:33:06 ID:???
54 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 16:45:50 ID:???
55 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 19:23:41 ID:???
>>51 俺31だがジーさん中国で白馬引いて輸送?してたぞ
その白馬目がけて爆弾落としてくるんだとか
ほっぽり出して逃げたっていってたな
56 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 20:48:12 ID:???
57 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 20:49:31 ID:???
伝聞証言ほど全否定するのが軍板なんだけどね。
58 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 22:38:47 ID:???
>>55 =
>>39 なんだがw
ジーさんが支那に行ったのはホント
バーさんがジーさんが悪さしてきたってよくいってたなw
59 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 01:54:45 ID:dXO4rGSD
俺も今年31だけどじいちゃんはそれぞれ北支・南支に行ってるよ。 ちなみに父方のじいちゃんは明治末生まれ、40過ぎて出来た末っ子が俺のオヤジ。 母方のジジイは大正末生まれで昭和19年に少年兵で北支へ。 なんも不思議はないでしょ?
60 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 01:59:41 ID:dXO4rGSD
あ、じいちゃんは馬で機関銃だかなんだかを輸送してたっていってた。馬を飼ってる写真をみたから多分本当。
>>55 のじいちゃんと同じ部隊だったら面白いね。
61 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 02:09:50 ID:???
俺は25だが祖父やら大叔父はみんな戦争行ったぜ 弟が19だから昭和末期から平成一桁あたりに生まれた世代でも祖父が従軍した可能性は十分ある てか森繁翁が今から頑張れば平成二桁世代でも祖父が江戸時代生まれになる世だぜ
62 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 02:11:25 ID:QdDXRKFp
戦争経験あるひとは85歳以上だね。 それ以下は経験はない。たかじんに出てる三宅さんも その頃は子供で経験はない。
63 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 02:26:04 ID:dXO4rGSD
うちのジジイは83だけど戦争いってるよー。19歳で少年兵。おかげで東京大空襲を逃れてくれたんだよー。
64 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 03:45:54 ID:???
もう亡くなったが、俺の母方のじいさんは戦争行ってる。フィリピンだったとか言ってたな。 ちなみに俺は今30
65 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 11:53:29 ID:???
うちのひいじいちゃん ww1とww2両方…
66 :
名無し三等兵 :2008/07/10(木) 14:06:59 ID:???
67 :
名無し三等兵 :2008/07/11(金) 14:21:39 ID:???
専業軍人(もしくは技能者の軍属)としてww1に20代(少尉〜中尉)として …wwIIでは50代(師団・旅団長級)でいらしたのだろうか。 戊辰戦争組の退役もおおむね(東郷・上村・児玉・乃木ら除く)日露戦争前後、 西南戦争時の士官学校繰り上げ組は流石に一次大戦までにはいなくなっているだろうが、 時期がはまっちゃった人ってすごい軍歴になるよね…。 ベトナムでも、ソ連貸与の大戦時捕獲IV号戦車(!)を北ベトナム兵がトーチカにしていて、 占領後の米兵が「見た事無い戦車だ!」と言っていたら師団長(WWII欧州戦線経験者)が来て 「こりゃ〜あれだ、ナチス時代のだ…よく残ってたなあ!」。 …この話は昔作ったタミヤ1/35IV号H型の解説に入っていた。
68 :
名無し三等兵 :2008/07/11(金) 16:40:16 ID:???
フォレストガンプのダン中尉の一族みたいな一族も実際にはあるんだろうな 曾々祖父…WW1 曾祖父…WW2 祖父…ベトナム戦争 父…湾岸戦争 子…イラク戦争
69 :
名無し三等兵 :2008/07/11(金) 17:13:36 ID:???
厨房ウゼぇ〜 前スレくらい読んで来い
70 :
名無し三等兵 :2008/07/12(土) 02:26:43 ID:???
このスレは戦時中の民間人の話でもおk?
71 :
名無し三等兵 :2008/07/12(土) 03:11:45 ID:???
おk
72 :
名無し三等兵 :2008/07/13(日) 01:24:10 ID:???
>>68 うーん俺は父の世代かー。
まだ子供いないのに。
73 :
名無し三等兵 :2008/07/15(火) 01:24:39 ID:8OQvC53G
74 :
名無し三等兵 :2008/07/16(水) 13:02:31 ID:z91mU/iT
旧海軍の女装訓練はガイシュツ?
75 :
名無し三等兵 :2008/07/16(水) 20:52:13 ID:???
ガイシュツ
76 :
名無し三等兵 :2008/07/17(木) 03:30:09 ID:SAdOFIsn
アッツ島の日本軍は玉砕と報じられているが、実際には7人の捕虜がいた。 捕虜のうちの一人は小樽出身であると知った、 尋問担当米兵ケーリの第一声は「あの花屋はまだありますか?」だった。 彼は、アメリカ人だが同志社卒業で小樽生まれだったのだ。
77 :
名無し三等兵 :2008/07/17(木) 10:40:20 ID:???
78 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 02:22:31 ID:w7XHc4cP
ウチの祖父の体験談だけど、戦争末期、パーロ軍と接近戦になったとき、最初は拳銃の撃ち合い、手榴弾の投げ合い をしてたんだけど、お互い武器が無くなったのか、石や泥団子を投げまくったあげく、最後にはお菓子を投げつけたそうだ。 キャラメルや中国のお菓子(月餅みたいなやつ?)を投げつけたら、敵からも饅頭やらアメやらが帰ってきたんだと。 その夜、敵は後退し、陣地は空っぽになったらしい。小部隊だとこういうケースもあったのかな。
79 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 06:22:24 ID:???
ウチの祖父の体験談だけど うちの爺さんは陸軍で従軍したそうな んで、ある日連戦連勝で志気は高いし練度も高い最高な気力体力精力満杯な状態なまま、とある都市で 市街地攻防戦に雪崩込んだそうな そこで、手当たり次第に戦ったら、また楽勝 野郎なら赤子だろうと頭を踏み潰し殺し 青年少年なら反撃されないように心臓ひと突きして殺し 老人ならば徐々に千切りにして殺し 女なら赤子でも老婆でもレイプして 妊婦なら腹を裂いてレイプ 胎児が雌なら胎児もレイプ 若い娘は貴重だったんだって んで可燃物は燃やしつくして 金銀やら書画骨董は各々が略奪しまくった 終戦は内地で戦後は蓄えのおかげさまで幸せになれたんだと 以上が南京攻略戦での1コマ
80 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 09:44:46 ID:???
>>78 まんま「独立愚連隊西へ」に使えそうなエピソードだな
81 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 10:43:15 ID:???
>>79 その話、朝日新聞に投稿してあげたら?
連中、狂喜するよ。
82 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 13:17:49 ID:???
>>79 なんか、アメリカに雇われた某国傭兵部隊がベトナムの
民間人相手にしたことみたいだな。
83 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 13:41:22 ID:???
ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。
煽り、荒し、工作員は相手にせず、完全無視をしていただきますようお願いいたします
ちなみに
>>4 で・・・
84 :
名無し三等兵 :2008/07/19(土) 23:37:23 ID:???
85 :
名無し三等兵 :2008/07/20(日) 06:52:07 ID:???
ご高齢の方から又聞きしてる上に、正確な知識なければ、話がおかしくなってもしょうがないと思うんだが そんなに正確な話じゃなきゃ嘘としたいんだろうか。真偽の程はご本人にしか分からないから 簡単に嘘とは言えないと思う。
86 :
名無し三等兵 :2008/07/20(日) 13:00:51 ID:???
今日の読売に豪医師が自分を助けてくれた軍艦の艦長を捜しているという話が載ってた
87 :
名無し三等兵 :2008/07/20(日) 23:32:34 ID:???
うちの親父、今70代で高卒だが、英語ぺらぺら。 終戦直後、進駐軍のオージーのバイク盗んで 走ってたら、捕まってガッツりしぼられたそうだ。 で、そのオージーが「キミタチ、イマノニホン、タイヘン。ワカル? ヌスム、スルトキジャナイ。ガッコウイク」って真剣に諭してきたんだと。 その後、親父は自衛隊に入隊。オージーに感化されて「それだけは」 まじめに勉強した英語のおかげで、米軍との交信を担当して「英語力だけは」 鍛えられたそうだ。 俺、今英語教えて飯食ってるのは、少年時代に交流したアメリカさんたちのおかげだ。
88 :
名無し三等兵 :2008/07/20(日) 23:33:42 ID:???
盗んだバイクで(ry
89 :
名無し三等兵 :2008/07/21(月) 06:09:43 ID:???
>>87 なんでオージーだってわかったんだ?
訛りがひどかったのか?
90 :
_ :2008/07/21(月) 07:27:47 ID:???
91 :
名無し三等兵 :2008/07/21(月) 12:04:49 ID:???
>>87 の親父さんは四国あたりの出身じゃないのかな?
たしかあの辺はオーストラリアが担当したよね。
92 :
名無し三等兵 :2008/07/24(木) 04:08:48 ID:???
93 :
名無し三等兵 :2008/07/24(木) 09:01:26 ID:zLIZIERb
休日は、ホリダイです。
94 :
名無し三等兵 :2008/07/24(木) 11:26:26 ID:???
8はアイトです。 >OZ訛り
95 :
90 :2008/07/24(木) 14:15:07 ID:???
そうそうククニーとか言ってロンドンの下層階級(失礼)言葉なんだったな。 「ライニンスパイン・イズ・マインリー・イン・ザ・プライン」
96 :
名無し三等兵 :2008/07/24(木) 14:33:46 ID:???
ヒギンズ教授に矯正してもらえ。
97 :
名無し三等兵 :2008/07/25(金) 03:31:04 ID:???
中学のネイティブ・ティーチャーがオージー(一応外交官夫人だったはず)なのだが、 開講劈頭「アイ、ビー、スィー」とやった。
98 :
名無し三等兵 :2008/07/25(金) 11:17:19 ID:???
「ライニンスパイン・マインリー・フォールズ・イン・ザ・プライン」だぞ。
99 :
名無し三等兵 :2008/07/25(金) 14:04:21 ID:???
「雨に唄えば」の アイ カーント スタンド エム → アイ キャーン スタニェム も笑える。
100 :
霧番 :2008/07/25(金) 15:17:05 ID:oxyYcNrt
100なら加藤ジーナとセックスできる。 100なら07年度の天てれの加藤ジーナとセックスできる。 100なら競泳水着姿の加藤ジーナとセックスできる。 100ならメイドさんの加藤ジーナとセックスできる。 100なら秘書スーツ姿の加藤ジーナとセックスできる。 100ならブルマー姿の加藤ジーナとセックスできる。 100ならスクール水着姿の加藤ジーナとセックスできる。 100ならバニーのコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。 100ならハイレグレオタード姿の加藤ジーナとセックスできる。 100ならセーラ服のコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。 100ならスチュワーデスのコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。 100なら不知火舞のコスプレをした加藤ジーナが俺の乳首を弄りながらフェラしてくれる。 100ならセーラー戦士のコスプレを一通りした加藤ジーナがディープキスをしながら手コキしてくれる。 100なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの加藤ジーナが生姦&膣内射精させてくれる。 100なら加藤ジーナのママが結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。 そして俺様の遺伝子で加藤ジーナのママが孕んでくれる! 100ならJSFに法則発動 100なら空自の次期F-XはF/A-18F ※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません
101 :
90 :2008/07/25(金) 15:59:12 ID:???
>>98 自分も君も間違っているのかもしれん。ググると
「ライニンスパイン・マインリー・スタイズ・イン・ザ・プライン」
が多くヒットするのだ。
”The rain in Spain stays mainly in the plain”やね。
103 :
90 :2008/07/26(土) 09:02:24 ID:???
プリーズホノボノ
昭和17年、横須賀に入った戦艦「山城」の准士官のもとに二十人もの部下が区域外上陸の願書を持ってきたそうですが 艦長印が必要なのに、こんな大人数では許可が降りないだろう、しかし何とかしてやりたいと考えた准士官は一計を案じ 部下の願書をすべて破り捨て自身の区域外上陸願書をひとつだけ申請 目的を「靖国参拝のため」とし若い部下二十人を同道させ英霊を拝ませたいと付け加えたもの 許可はすぐに降り、艦長からは「是非言って来い」という激励だけでなく 「旅費は出すぞ」という有難いお言葉まで、丁重にそれを辞退し靖国参拝後は解散 おのおの自由に恋人や東京に出てきていた家族に会いにいけたそうです 感激した当時二十歳前後の若者たちは「中尉に恥をかかせるな!」と約束の集合時間に全員集合 このときの若者たちの嬉しそうな顔が今も忘れられないといいます
日華事変前、ある軽巡洋艦に乗っていてそろそろ満期除隊しようと考えていた機関兵が たまたま実務実習で乗ってきていた海軍大学在学中の大尉の目にとまり 高等科の受験をすすめられたそうですが気乗りがせずのらりくらりと断っていると いきなりカミナリが落ち「貴様ッそれでも男かっ」「海軍軍人たるもの・・・!」「光栄ある機関兵は・・・!」と えんえん説教されるもまったく心が動かず、最後に「貴様ッ女にモテたくないのかっ」と言われピクンときたそうです 士官になれば女にモテる、思わず「やりますッ、やらせてくださいッ」 大尉はおそらくウムッと言おうとしたのでしょうが、裏返った声で「うッ」と言ったそうです いきなり態度を翻した部下に驚いたのだろう、と
なぜか自分だけ食事のときの牛乳が多いとか、やたらと様子をうかがいにくるのを 別に気にも留めずにいたのに周りからあの婦長はお前に気があるぞ、恋文を書け、書けとけしかけられ それを実行したら婦長室に呼び出され「これ何っ!?コドモのくせに生意気な!」 一水兵の自分にとっては上官でもある25歳の海軍一等看護婦である婦長にこってり絞られるも、腹の虫がおさまらず 病院の敷地にいたトノサマガエルを婦長のベッドにしのばせておいたら その夜婦長の物凄い悲鳴が病棟中に響き渡り即刻退院通告 昭和初期、まだ日本が太平洋戦争に突入していない頃のエピソードです
108 :
名無し三等兵 :2008/08/01(金) 17:08:58 ID:2uQFLafu
>>108 昭和16年春、水兵から少尉に出世し第7駆逐隊司令部付の掌通信士として駆逐艦に乗り組んでいたとき
横須賀駅で召集予備兵の集団とすれ違うと入院前に乗っていた駆逐艦の先任下士がいたので再会を喜び
明朝入営だというのでいっしょにいた細君とふたりのお子さんともども近くの旅館に入り懐旧談に花を咲かせていたら
「おまえこの女房を知っているだろう?恋文をつけたそうじゃねえか」と言われ細君殿の顔をよくよく見れば
二人の話を聞きつつククッと笑っていたその顔は容色褪せたとはいえ、まさにあの婦長殿
「婦長、あのときはどうも・・・」
「ホホホ、立派になられて、とてもあのやんちゃ坊主とは思われません」
入院した自分をよく見舞いに来ていた先任下士と婦長はいつしかねんごろの仲となり婚約までしており
婦長は自身の婚約者と同じ艦の自分を大切にしてくれたのだ、というのが真相だったそうです
召集された先任下士は南太平洋の島嶼守備隊に行き、開戦後まもなくその部隊は全滅したそうです
>>109 開戦後まもなく全滅した南太平洋の島嶼・・・Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ドコ?
111 :
名無し三等兵 :2008/08/01(金) 22:12:57 ID:ubMRsAPN
たしか 昔NHKのドラマである文学者の戦時中の体験談とか映像化で 夜行列車に、対面で座った海軍の召集された青年と世間話していたら 青年曰く「召集されたけど まだオンナを知りません。」と相談されて その文学者も多少は、遊び人だったらしく 新橋だかの遊郭とかに知り合いがいて オレが一筆紹介状書いてやるから、新橋のナントカ云う遊郭の知り合いに それを見せてオンナのコを紹介してもらいなさい。と粋な計らい 感激したその青年は、入隊前に新橋に行って「童貞卒業」したらしい。 その後 紹介された青年から 知り合いの元に 南方の部隊から 丁寧な礼状が軍事郵便で届いたらしいが その部隊は移動中に、南方で魚雷で船ごと沈没したらしいとかで NHKでも 結構珍しいネタを映像化していた。
戦力の1/3が行動不能になったら全滅って考えればよいの?
>>112 戦術単位ならその通り。
玉砕とされても、捕虜になって生きて帰ってきた人は結構いるかもね
ただ、輸送船沈没とかだとマジで全滅ってのも相当数いらっしゃる。
野球選手の沢村栄治がいた部隊も輸送船が沈められて全滅となっていますね
>>110 「開戦後まもなく」は間違いでした
行き先はマーシャル諸島方面だったようです
祖父から聞いた話ですが 大戦末期、門司の掃海部隊で任務に就いているとき1隻の駆逐艦が触雷し その艦の若い士官が事務所に乗り込んできて殴られたと言います 貴様ら掃海部隊は何をしているのか、と 翌日、その艦の艦長が件の若い士官とわざわざ謝りに来たそうです 「私も掃海部隊にいたことがあるので君たちの苦労はわかる、これでやる気を失わないでほしい 若気のいたりと許してはくれないだろうか、このとおりだ」 という感じのことをおっしゃって頭を下げられたので非常に恐縮したといいます この駆逐艦の名は「夏月」だと聞きました、艦長はあの「佐世保の時雨」で有名な西野艦長です
昭和14年、千歳航空隊の開隊式後の打ち上げを楽しみにしていたのに 噂ではケチな経理長のおかげで酒は一人一合となる予定だと聞いた開隊委員たちは 昼間の式で倉庫からリヤカーで酒を運び出す役目をかって出て、酒やビールをどっさり積み込んでは 半分ずつくらいを土中に埋めたそうです、飛行場の土は火山灰のため逆さにして足でギュッと踏むと簡単に土にもぐったとか おエライさんたちや経理長は酩酊しているのでこれに気づかず、まんまと300本ほどの戦利品でおおいに騒いだということです 後に空っぽになった倉庫を見て地団太を踏む経理長の横で千歳空司令は愉快そうに笑っておられたと司令の従兵が言っていたとか 翌年、こうして酒の略奪を笑って見過ごしてくれた千歳空の松尾司令は航空機搭乗中に北海道の山腹に激突、殉職されました この手記を書いた方は「善い人たちはなぜ早く死ぬのだろう」と書き残されています
車曳きの駆逐艦稼業からも綺麗サッパリ足を洗い 大湊空付の下士官として新婚の嫁さんと仲むつまじく楽しくやっているところに 戦雲近づく昭和14年、第7駆逐隊掌通信士に補すとの「有難い」辞令が 早速大湊にいた特務艦に便乗し横須賀に向かうも足が遅く、一週間後にやっと入港 息せき切って乗艦指定された駆逐艦「潮」に行ってみると駆逐隊司令からいきなりカミナリ 「この馬鹿モンッ!どこの小便芸者にうつつを抜かしていた、おお!オシロイ臭い、さがれ!」 怒号とは裏腹に顔は笑っておられたとか、このときの第7駆逐隊司令は水雷戦隊の至宝、小西中佐です
120 :
名無し三等兵 :2008/08/05(火) 07:14:52 ID:Pq4TOhHh
>>105 この若者たちもその多くがスリガオ海峡で戦死したのでしょうね
122 :
名無し三等兵 :2008/08/11(月) 01:22:38 ID:V6UIGQ0K
と思ったら。アジアか… どっちにしても変だな。
飛龍沈没の際、ブリッジで山口多聞、加来止夫の両名が抱き合ってキスをしていたという話をどこかで聞いたことがある。 死を前にしてやっと本来の自分に戻ったということですね。
127 :
名無し三等兵 :2008/08/13(水) 21:06:52 ID:l48catLF
67 それは中東戦争のエピソード、インストよく読めベトナムのパンター話とごちゃごちゃになってるぞ
129 :
名無し三等兵 :2008/08/14(木) 20:09:04 ID:XMa4Nw19
日露戦争で満州鉄道を確保したが、列車には全部逃げられてしまった日本軍。 あわてて日本から列車を運び込んだが当然ながら狭軌仕様。 線路を必死で狭軌に改造して軍事輸送に供したと。
ニューギニアからの帰還船で、「俺たちはおめおめ帰国するのだから 石を投げられる」というような噂が広まり、おびえていた 名古屋の桟橋に近づくと、岸壁に婦人会がたすきがけと日の丸でずらーっと並んで待っていた 船の兵士たちは全員が涙が止まらなかった (昨日のラジオ深夜便の93才の方のお話)
キスカ撤収に参加したある駆逐艦は陸戦隊の飼っていたキツネまで乗せてきたそうです キツネは飢えの動物園に寄付され後に乗員が行ってみるとなつかしそうにすり寄ってきたといいます このキツネは戦争を生き延びることができたのでしょうか あるいは北の島にいたままのほうがしあわせだったのかもしれません
「野分(ノワキ)乗リ組ミヲ命ズ」の辞令をもらった3人の水兵たち 旧国名は戦艦、山や川なら巡洋艦、天象気象は駆逐艦のはず 「ノワキって何だべ?」「わからん、特務艦じゃねえの?」「駆逐艦を希望したのになァ」 「おら成績よぐながったしな」「オレなんか班長にタテついてばかりだったしな」 野分から来たカッターに乗ってオールを握るとあれに向かえ!と指差された先にはバリバリの新鋭駆逐艦が このなかのお一人は戦後俳句の会に入られ常連の投稿者になられたということです
第一次大戦で地中海に派遣された艦隊の話ですが マルタの陸で事務処理任務をやっていたある主計大尉は どうしても一度欧州の地を踏みたいと司令部に懇願して何とか駆逐艦に臨時配乗させてもらうも 船酔いが醜くメシものどを通らず、頭もまわらず 「護衛している船はオセアニアンともう一隻は何でしたっけ?バクハンでしたか?」 オセアニアン号の僚船ワリムー号は「割り麦」と憶えたらいいね、と言われたのが アタマのなかでいつのまにかバクハン(麦飯)に変わっていたのだとか このときの駆逐艦は2隻でペアを組んで行動したそうですが どこであれ入港するたびにスキヤキを楽しんだそうです、もちろん両艦合同で
ベーリング海において史上初の電池式魚雷による撃沈を記録したキャプテン板倉の伊2潜 泊地に帰還後早速艦内で祝勝会を開くも酔って乗員が海へでも落ちようものなら一大事 「いいか、何人たりとも甲板に上げてはならん、艦長命令だ!」「はっ」 さて、ほどよく酒もまわり宴も佳境に入ろうかという頃さんざん酒をきこしめして甲板に上がろうとする板倉艦長 制止しようとする当直にいわく「通せ!貴様っ、艦長の言うことが聞けんのかっ!」 その艦長、甲板で用を足している途上でふらつき海へ転落、即時救助され事なきを得るも 母艦から「貴艦イカガシタルヤ」の信号、伊2潜は「只今溺者救助訓練中」と返信
137 :
名無し三等兵 :2008/08/18(月) 10:51:16 ID:N1XVUfia
7歳で腰元に恋をし性を知った世之介は、従姉、人妻、念者、遊女、湯女、私娼、飛子、後家、とめ女、 入り婿など若くして好色の深みに陥り、遂に19歳で父から勘当を受けた。 その後も好色三昧を続けていたが、やがて父の遺産25000両を譲渡され、死ぬまでに使い切ろうと 島原の吉野、好三笠、藤娘、初音、野秋、元の高橋、今の高橋、薫、吉崎、新町の夕霧、御舟、和州、 吾妻、吉原の吉田、小紫、高雄、長崎の丸山など各地の有名どころの遊女を制覇し尽くした。 世之介60歳にして最後の大遊びと、天和2年神無月末、山盛りの宝と責め道具をその名も「好色丸」に積み込み 海の彼方にあるという女だらけの「女護が島」をめざして船出した。 世之介の消息はそれきりである。
>>137 その時間、NHKを見ていたな?俺も見てたけどw
日華事変時、揚子江の警備にあたっていた第24駆逐隊 どうもある小型ジャンクがゲリラの母船だという情報を得て 江上の味方、陸上の支那人が注視するなか「海風」が見事これを初弾で粉砕撃沈 24駆逐隊司令から「海風」に信号「ウミカゼノ シャゲキハ ナスノヨイチカナ」
艦と艦が行き合うとき、港に停泊するときは 艦長の階級が下のほうが先に敬礼するものですが 千トンにも満たない海防艦占守型は駆逐艦より小さくとも 菊の御紋を艦首にいただくれっきとした軍艦、艦長も大佐なのにこれを知らぬ艦が多かったといいます 海防艦「国後」が北千島の泊地に入ったとき、一隻の駆逐艦が 「貴艦ハ何ユエ本艦ニ敬礼サレザルヤ」と信号、司令旗を掲げていない駆逐艦ならば相手は中佐以下のはず 「最近の若い士官は勉強が足らん!」と御機嫌ななめの国後艦長北村大佐の横で 「本艦国後、艦長北村大佐ナリ」と返信、隣に停泊している件の駆逐艦の艦橋が慌てふためく様子が面白かったといいます 相手側駆逐艦の艦長が急いで国後にすっ飛んできて平謝りに謝ったため北村大佐の御機嫌もなおったということですが 駆逐艦の当直士官はどんな想いだったでしょうか この駆逐艦「子の日」はこの一件からほどなく潜水艦に撃沈され、救助されたのは36名だったということです 艦長寺内少佐以下188名が戦死されました
142 :
名無し三等兵 :2008/08/23(土) 19:59:10 ID:vm2hfBFg
北京オリンピック野球韓国代表、 「野戦司令官」とも呼ばれる「朴鎮万」の名前は 「パクチンマン」なのである。(朴鎮万)
昔雑誌で読んだ話 ある時、空自のT33が訓練飛行中にアンコントロールに陥った。 必死に機体を安全な場所へ誘導した同期生同士の搭乗員2人、とある湖に着水。 2人は沈み行く機体を捨て、各自脱出用の一人用浮舟を展開した。ところが、 金槌の隊員の浮き舟は展開しない。 金槌隊員「助けてくれ!そっちにオレも乗せてくれ!」 別の隊員「駄目だ!これには1人しか乗せられない、お前が乗ったら沈む!」 金槌隊員「オレは金槌なんだ!頼む!」 別の隊員「駄目だ!事故の際の規程に従ってオレはお前を乗せない!」 必死に犬かきしていたが、疲労で徐々に沈み始める金槌隊員。もうだめだ…と、 足を降ろすと何と足が湖の底に着いたではないか。遠浅の場所だったのである。 2人は後々迄、 金槌隊員「あいつの本音が分かった、あの人でなし。同期とて信用できん」 別の隊員「規程に従っただけなのに、ケツの穴の小さい野郎だ。大体2人とも遭難したら、 事故原因も報告できんではないか。オレの方が自衛官として当然なのだ」 …と、折々言い合ったもののペアとしての相性は抜群のまま退役を迎えたそうである。
なんで同期同士で練習機乗ってるん? 普通かたっぽは教官だろ
145 :
名無し三等兵 :2008/08/24(日) 02:27:40 ID:IHXI60yE
訓練生じゃなくて操縦機会が少なくなった高級幹部じゃないのか?
>>143-144 多分この話と同じ話、何年も前の「丸」で読んだ記憶がある。
確か2人とも事故時点で教官で、訓練メニューだったか飛行コース選定任務中の事故だったような…
イソップの「熊に出会った2人の旅人」にコンセプトがそっくりなんだが
一種、人間らしさというか危機に陥った時の心理・行動は、類似するものなのか… 本性(ホンショウではなくてホンセイ)っつうか。
日華事変時、揚子江の警備にあたっていた駆逐艦「如月」 宣撫工作のため桟橋で原住民に塩の配給をするよう下令され任務遂行 無事に塩の配給を終えた次の朝、桟橋のむこうの草原から響き渡るドラの音とときの声 「すわ敵襲か」と思いきや原住民が昨日の塩のお礼に来たものだったとか たまごや仔豚の丸焼きとともに綺麗に着飾らせた12、3才の姑娘を押し付けられたそうです
おそろシナ
ハニートラップだの
Humor in uniformという本を買ったので。 おもしろい話があったら、翻訳して、書いてみようと思う。
155 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 00:50:19 ID:fEQ8C9Pk
age
156 :
霧番 :2008/08/30(土) 00:53:20 ID:fNdPn4ko
>>149 しかし食い物はともかく12,3の娘押し付けてどうしろというんだろ
肉が柔らかいよ
ちょっと狭いけどな
ある若い士官が軍艦鳥海乗り組みとなりケップガンを務めていたときの話ですが 士官ばかりが豪勢なものを食べ、兵が麦飯を食うのに不条理を感じ 士官室で「士官も兵も同じものを食べたらどうですか」と発言するも無視あるいは嘲笑され 思い余って誰もいないときに士官用の洋食器をすべて舷窓から投げ捨てるという事件を起こしたとき 艦長からの事情聴取があり「死ぬときはいっしょなのにどうして同じもんを食わんのですか!?」 と涙ながらに訴えると、艦長「よし、ワシもいっしょに麦飯食うたるわ!」 以後士官室でも兵食が出るようになったということですが 食事が楽しみの海の上で士官たちにはちょっと気の毒だったかもしれません このときの重巡鳥海艦長は有賀幸作大佐、後の戦艦大和艦長です
>>162 俺が士官ならそいつを海に投げ捨ててるレベルの暴挙だな。
164 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 21:02:03 ID:LZeXH2uv
一方イタリアは兵食も豪勢だった
165 :
霧番 :2008/08/30(土) 21:09:19 ID:DwCDpLTF
食器なんてとりあえずいいじゃん それに水兵ドモはどうせ銀バイやっとるしのお 士官の食事のレベル落としたら、逆に水兵からも憎まれたかも知らんぞw
>>166 そもそも食器のことなんか誰も問題にしていないんだが……
問題なのは士官の食事レベルが落とされたことだろ常考。
>>165 実際に原住民と接触していたのが航海長だったようです
艦長や先任将校、乗員もニヤニヤしながら見守っていたとか、返した後先任将校いわく
「航海長!なんでもらわんかったと?あの姑娘磨けば上玉になったばってん、惜しかことしたねェ」
砲術長「男装させて士官の従兵がわりにしたら航海長のガブ飲みも少しはおさまったでしょうに・・・」
このときの如月艦長は後に高波艦長としてルンガ沖夜戦で戦死された小倉正身少佐です
170 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 16:40:56 ID:ceVd/czf
ドイツが東西分離の時代、歩行者信号機の表示は、西が大人のマーク、東が子供のマークだった。 東西統一の際、この信号機の表示を西の大人マークに統一することになったが、 市民から子供マークを救えとのキャンペーンが高まり、おかげで今も旧東側の信号機は子供マーク。 反対運動で信号機マークへの関心が高まり、かわいい姿がキャラクター商品にもなった。
その話も含めて統一前の東ドイツの方がよかったとか言う考えがあるらしいよな
172 :
名無し三等兵 :2008/09/07(日) 13:38:13 ID:HuyGNg4d
世界史板のトリビアスレから転載。なんかほのぼの 885 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/10/21(土) 06:41:05 0 第一次世界大戦の塹壕でも空き缶やら食べ残しの処理が問題になってたな。 ある兵士のエピソードに敵の声が聞こえるくらいの距離で対峙した塹壕で、 空き缶を敵陣に投げたら向こうもこちらに投げ返してきて雪合戦状態になったっていう話があった。 空き缶では無く手榴弾投げれば阿鼻叫喚の地獄絵図になるんだが、 どうも敵(ドイツ兵)も面白かったらしく笑い声が・・・ 結局小隊規模で空き缶投げ大会になったそうな。 極限状態ではこんなことも起こるんだな
>>175 塹壕戦の初期(空では飛行機乗りがまだ挨拶していた頃)、
やっぱり声が届く程の近さの塹壕同士でフランス兵が
「雨で水浸しだ!足がかゆい!」
と騒いでいたらドイツ側から流暢なフランス語で
「おまいら板でも敷けよ!靴下替えろよ!」
と返されたらしい。更にフランス兵が
「ご親切な助言、ありがとうムッシュー!この辺に井戸か飲める水源ないか?」
と大声で聞いたら
「この辺には、湧かさないと飲める水ないよ!」。
仏語の一次大戦本に紹介されていたそうだ(西洋史やってた人に聞いた)、
まだ兵科将校=貴族あるいは紳士(仏語は共通語)な伝統と、激烈な消耗戦に
入る前の状況を示している例として。
>>176 一次大戦劈頭のフランス軍には、子連れの民営酒保がくっついて来た位だからな。
>>177 ネタ等貼るのでなければ、そういう反応はせずにスルーせよ…軍板では常識だと思うが。
「ブブーッ!」ソファに腰を沈め両足をテーブルにのせたまま新聞をひろげて放屁する士官に対し 「艦長!食事中ですぞ!無礼なッ」と叫ぶ若い士官 艦長は一喝「わめくなっ、馬鹿モン!たかが屁のようなことで、ウフフフ」 しばらく恨めしそうに艦長を睨みつけていた少尉の若い士官は 「屁のようなことか、アハハハハ」と笑い出す 昭和初期、第1駆逐隊、駆逐艦「菊」の士官室での一コマです 艦長の菊地勇治大尉はこの後、盧溝橋事件のときにタークー砲台に対して砲撃を加え 日華事変から太平洋戦争につながる一連の流れのなかで日本海軍として第一弾を撃ち込むことになる艦長であり このときの若い少尉が伊藤亀城少尉、五・一五事件のときに官邸に乱入し当時の首相犬養毅を暗殺したメンバーのひとりです
「トラトラトラ」の著者プランゲが日本に取材に来た際、かつての真珠湾攻撃 総隊長の淵田美津雄と、彼の足跡をたどって日本中を廻った。 その旅行中、淵田がもっとも反応を示したのは、彼らの列車からあるものが 見えたときだったという。 彼らの視線の先にあったのは、赤城山であった。 言うまでもなく、淵田が最も愛した艦の命名の元となった山である。
戦争中ではないが、戦争関連で。 映画「遠すぎた橋」で、補給物資投下した輸送機が撃墜されて墜落するシーンが ある。輸送機の高度が落ちて、木の陰に隠れ、爆炎が上がるんだが、爆炎の向こ うに上昇していく輸送機が映っちゃってる。知ってる人は知ってるのかもしれんが、 漏れは驚いた(^^;) ブルーレイ版を見たんだが、オシロスコープに映る波形、木立の暗がりに光る機銃 の発射炎等、DVDではよく分かんなかった細部が再現できててとても良かった。 だから、いらんところも目立っちゃうんだが。
戦争関連なだけでほのぼのエピソードでもないし、 完全にスレ違い
184 :
名無し三等兵 :2008/09/16(火) 14:16:45 ID:po1m5Mq5
遠すぎた橋の題材になった作戦は 作戦立案時にほのぼのしすぎてたなw
>>183 文句を言うくらいなら何か話題を出せばいいじゃないか
ただの保守よりずっと良いと思うんだがね
昭和16年12月8日、ミッドウェー島砲撃を命じられた第7駆逐隊司令駆逐艦「潮」の艦橋 「航海長!針路に誤差はないのか!」商船学校出の航海長に怒声を浴びせる小西司令 「間違いありません!司令、このまま20分走ってください!間違っていたら私は腹を切ります!」 「馬鹿モンッ!貴様の腹を切っても出るのはウイスキーばかりだろうが!」 ほどなく前方に敵艦発見と思いきや、それが標高わずか3メートルばかりのミッドウェー島 「潮」「漣」はおのおの120発ほどの砲弾を撃ち込んだということですが この「潮」の伊藤航海長の腕前には感心するばかりです、呑んだくれ航海長の異名はあれど最高の船乗りの一人でしょう
昭和14年、駆逐艦「朝凪」が海南島沖で海底から油が噴き出ているのを発見 木村昌福艦長は「天皇陛下万歳!ワレ油田ヲ発見ス」と打電 あとでよく調べてみると海底にドラム缶が沈んでいただけだったとか 昭和17年、海南島沖に達した重巡洋艦「鈴谷」の二人の若い士官がこの話をしつつ 「うちの艦長は慌てものだなw」と笑い合っていると後ろに木村艦長が立っていてニコニコ笑っておられ冷や汗をかいたとか 器の大きな人間というのはやはり違うものですね
戦時中じゃなくて前に自衛隊に居た時あった話なんだけど 演習で対抗部隊(敵役)をやっていたんだけど、防御側だったのもあって青部隊(自衛隊役)を待ち伏せていたら、うつらうつらとしているうちに思いっきり接近されたらしく 気づいた時には逃げる隙が無くなっていてじっと隠れていた所を見つかってしまって誰何されてしまった 誰何された距離が10〜15mくらい離れていたので後ろに居た分隊長には聞こえてなくてなんとかわかってもらう為と相手をごまかす為に手を振った そしたら誰何した相手がまた「だれか!」と言ったんだけど語尾が上がっていて「だっ、だれか〜?」みたいな感じになってる 最後のチャンスかも知れないと思ってゆっくり立ち上がって三歩ほど自衛隊役の方へ歩いていってダッシュで方向を変えて走って逃げた 今まで生きてきた中でこんなスピードで走った事は無いと思えるほどダッシュで逃げたけど約十分後には機械の判定で「ジュウショウ」を喰らい演習が終わるまで近くの十字路で座ってました
>>185 1日2日書き込み長かったくらいで落ちるほどにぎわってる板じゃないので、
そんな無理してネタだしたり保守しなくてもいいじゃないか
191 :
名無し三等兵 :2008/09/21(日) 06:39:57 ID:bOEJVG/q
あげ
戦時中じゃないけど、ある護衛艦での話。 某護衛艦が港外で入港待ちをしていたところ港内から雨クラスが出港してきた。 見張り「○○より発光信号!本文『オハ』以上です!」 艦長「『オハ』って何だ?航海長!」 航海長「さあ…?」 ザワつく艦橋内 とある若い隊員「『オッハー!』じゃね?」艦長・航海長「????」 航海科員「香取○吾がテレビでやってたやつか?」 艦橋内一同「なるほどな〜!wwww」 スレ違いスマソ
ある輸送船に、外地帰りの女郎さんが便乗してきた。 さいしょはおそるおそるであったが、そこはフェミニスト海軍、 台湾泊地に入るころにはすっかりうちとけて甲板上でだべっていた。 すると、他の艦艇が一斉に輸送船に注目。 舷窓に群がる水兵、ひどい船に至っては艦橋の大メガネで覗き込む始末・・・・・ しばらくして、意を決した見学船から手旗信号で 「ソノオンナナニモノナリヤ」 受けた甲板上の主計兵が返して曰わく 「ジョロ(ウ)」 それを見ていた女郎さん「兵隊さん、なにしてるん?」 まさか「ジョロウ」と書いていたと言うわけにも行かないので 「あんまりイチャイチャするなと言ってきたから、了解、と返したのだ」 フィリピン陥落前の一コマである。。。
194 :
名無し三等兵 :2008/09/23(火) 08:45:56 ID:ZTQ6v4dM
戦時中の話 オレのじいちゃんは小学校高学年のとき博多大空襲で逃げまどったらしい それから養子に行き戦時中ではあまり考えられなかった裕福な家庭に行きバナナとか当時じゃ高級品を食べれたらしい 自転車も買ってもらったんだが1日で何者かにパクられたんだって 高校も十分行けたが職人になりたかったらしく中卒で左官になって今じゃ家でのんびりブーたら過ごしてる だから飯とかそれなりの物しか食えなくて好き嫌いがある
>>193 「ジョロ」を「ジェロ」と見間違えてしまった。orz
ちょっと視力測りに往ってくる。
中卒で佐官、スゲーと思ったが左官だったのね
>>193 「海軍めしたき兵物語」だったかな?
面白い本だね。
爺さんじゃなくて親父の話。 軍通信の通信兵だった。 インドネシア近くの小さな島に陣取ったそうな。 外務省や海軍の暗号が米国にバレバレだったのに陸軍の暗号がばれなかった理由は、 海底ケーブルで通信していたからだそうな。 ある時、ノイズで通信が出来なくなって調べに海岸へ行ったら、 師団通信のケーブルが直ぐ横にいつの間にか敷いてあった。 長距離通信で減衰するからかなり電流を流しているので、ケーブルが近くにあるとクロストークで何がなんだか分からなくなるので厳禁だったらしい。 親父は師団通信の通信将校に怒鳴り込んでケーブルを撤去させたと大威張りで語っていた。 その軍司令部も補給が途絶え終戦まで自給自足生活になり親父が復員したときは、 栄養失調で死ぬ寸前だった。
>197 総決算の方ですね 筆者がサイゴンから退院して帰りの便船の話
>198、南方行き海底ケーブルってあったっけ?満州なら電話掛けられるってのわかるんだが
202 :
名無し三等兵 :2008/10/01(水) 22:43:40 ID:qil58eDk
うーむ
203 :
名無し三等兵 :2008/10/05(日) 01:00:13 ID:Lr/naQ84
保守
204 :
名無し三等兵 :2008/10/08(水) 18:02:35 ID:m7K/9T0M
ほのぼの話モトム
>>200 シンガポール〜サイゴン〜香港・上海〜(長崎)〜東京
の電話線ルートを整理したって話じゃないかな? <直通線の敷設計画は無くは無いけど、敷設能力が全然足りなかった
206 :
名無し三等兵 :2008/10/09(木) 09:17:26 ID:wYxPOaYm
友人の父がお世話になっていたという方から以前直接うかがった話ですが 呉で上陸して遊んでいるときに欠礼したとか何とかを憲兵に見咎められ 連行されて乗艦を聞かれたとき「軍艦大和」と答えると それまで横柄な態度だった憲兵が手のひらを返したようにおとなしくなったとか もともと京都の料亭で修行していた方でその腕を買われ「大和」の厨房に入った方だそうですが 「人によって態度ばコロコロ変えるでしょうが? 下士官も兵も相手が弱ければ威張っとるし強ければへコへコする わしが本当に悪いことをしたち言うなら大和やろうが何やろうが処罰したらいいとですよ 大和に乗っとるけんていうて無罪放免になるげな、おかしな話でしょうが?負けるべくして負けたとですよ、日本は」 この方も3年前に鬼籍に入られました
それっていつごろの話? もし沖縄特攻直前とかなら、むしろ泣ける話かも
大和はずっと機密扱いの戦艦だったからな 憲兵も関わりたくないだろうさ 欠礼程度で絡む憲兵ってのもあれだが・・・
大和勤務のクルーは特別なエリート(アンタッチャブル)な空気があったとかじゃ?
>>209 ただの乗員なら処置できなくは無いけど、戦隊司令部や艦隊司令部要員だったら面倒くさくなるって話もあるな
GF直属の通信兵や従兵あたりを拘束してしまって、直属の上官(=艦隊司令)の判子もらってくるとなると大騒ぎすぐる
飯炊き人とは言え、旗艦・大和クルーってのは特別なオーラがあったんだな。。。
母艦機搭乗員が空母に着艦したあと飛び込むのは決まってトイレ 「蒼龍」搭乗員のある下士官が着艦後、下士官用、兵用のトイレが全部埋まっていたので 士官用トイレで失敬していると、それをたまたま甲板士官に見咎められ往復ビンタ この一件がその日のうちに搭乗員の分隊長の耳に入り、件の甲板士官の中尉は搭乗員室に引きずり出され 「貴様には搭乗員の気持ちがわからんかぁっ!」と下士官、兵搭乗員の面前で大尉の分隊長にボコボコに殴られたとか 見ていて可哀想になったといいます
自分も似たような話を読んだことがある 多分、坪井平次さんの「戦艦大和の最後」だったと思うんだが 上陸時に憲兵だか衛兵だかに目を付けられて、所属を聞かれた時に 大和ですと答えたら、「そうか一号艦か」と見逃してもらえたことがあったとか
瑞鶴だと逃げ出しそうだけどなw
このコピペを思い出した ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。 披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。 一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。 自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を 掛けていると思う事。 たとたどしくですが話されました。 同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき 神妙に聞き入っていました。 挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「大和です」 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。 おじいさんも見事な答礼を返されました。 私はその後は仕事になりませんでした。 ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
これ嘘なんでしょ?
そう、嘘です 本当は、長門に乗っておられたのです
扶桑・山城のクルーだったってオチなら、、もっとレアだったのに。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「畝傍です」 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で念仏を唱えました。 おじいさんも見事に成仏されました。
>>187 器が大きいというより、単なるバカじゃないかwww
木村さんご自身がそれを知ってて、
戦後は武勲を誇る事もしなかったという。
偏差値低いくせになんだかんだ喚くんじゃ、
ただのサヨだよwww
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「雪風です」 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで・・・・ この先はどうつなぐ?
>221 既存のだと ・ その1 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり披露宴会場から逃げ出しました。 おじいさんはあっけにとられて目が点でした。 ・ その2 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで我先に駆け寄り 服の切れ端を毟り取りおじいさんは丸裸になってしまいました。
赤城だとどうなるか? やっぱ、大和と同じリアクションだろうな
226 :
名無し三等兵 :2008/10/14(火) 23:41:43 ID:eBr/YEGc
保守
227 :
名無し三等兵 :2008/10/15(水) 01:12:30 ID:fjjQVaIv
保守ついでに投下 死んだ祖父は戦争で中国へ派遣され万里の長城で防空壕みたいなの作ろうと掘ってたんだが 掘るのにむちゃくちゃ時間がかかったらしい。苦労して掘って完成した矢先に戦争終了。 祖父曰く「万里の長城は硬かった」だそうだ。
228 :
名無し三等兵 :2008/10/15(水) 03:23:25 ID:U+DAlXO/
1992年から始まった国連決議に基づきソマリア内戦に介入したアメリカ軍 最終的にボコボコになって撤退する羽目になったのは有名なお話 その駐留開始直後のほのぼの?なお話 米軍の駐留部隊はモガティシュ空港の格納庫に寝泊まりしていました その中に陸軍特殊部隊のデルタフォースもいました 格納庫の生活は格納庫前に待機しているヘリや航空機の排気ガスやその熱気 それに燃料などの匂いが充満していたそうですが、まあ我慢できる範囲だったそうです 一番我慢ならなかったのが先住民である鳩 あたり構わず糞をまき散らして、ベットや装備、命の次に大切な愛銃を汚しまわっていたのです ある日、装備点検中のデルタ隊員の愛銃に鳩の糞が見事命中! その隊員は、もう我慢ならないとブチ切れ! すぐさま、本国から駐留中のデルタフォース中隊全員分のエアガンを取り寄せ デルタ中隊全員で鳩殲滅作戦を開始したそうです アメリカ合衆国の特殊部隊を敵に回したら例え鳩でも無事で済むはずがない デルタ隊員達はもてる技量を全て投入し、鳩を四方八方から狙い打ち 鳩たちは一瞬で全滅・・・・・・・ 格納庫に平和と平穏がもたらされたそうです
1、跳弾で怪我する 2.構造材が切れて崩壊 3.雨漏り あとなにが考えられる?
ってその鳩は隊員がおいしく頂きました。
233 :
名無し三等兵 :2008/10/15(水) 17:13:10 ID:ukmxas9M
一方イギリスは伝書鳩にした
そのエアガンっていわゆる「空気銃」なのか、それとも日本製の「エアソフトガン」なのか どっちだ?
236 :
229 :2008/10/16(木) 11:40:08 ID:???
>>235 そこまで明記されてなかったです。すいません
おそらくエアソフトガンかなと・・・
日本製じゃないとおもいますが似たようなトイガンは売ってますし
サバゲも、段違いに広く大きなのやってますからね
狩猟用というかいわゆる空気銃じゃアメリカ軍お得意のFriendly Fireで
少なからず負傷者が出る可能性があるんじゃないかなと、素人考えですが・・・・
同じ格納庫の屋根の下にはデルタフォースと陸軍のレンジャー
さらに空軍特殊部隊のPJとCCT、海軍特殊部隊のSEALsまでところ狭しと生活していましたから
>>230 んじゃ、デルタ隊員達の愛銃?ネタを
デルタフォースの隊員達は現実的な訓練と称してソマリア奥地のサバンナまでヘリで移動して
野菜動物たち相手に実弾訓練を兼ねたサファリ狩猟をして、その訓練成果でBBQ大会を開いていました
そのサファリツアーのヘリを操縦していたのは、クリス・ウォルコット准尉のスーパー61
自分自身もコクピットから獲物をしとめて、獲物のレイヨウの角を寝床に飾り付けたりしていたそうです
ちなみに、映画ブラックホーク・ダウンの題材にもなったブラック・シーの戦いで最初に墜落したブラックホークです
ある日、調子に乗りすぎて、デルタ隊員がヘリのローターを誤って打ち抜いてしまったそうです
そもそもこの実弾訓練、ヘリの飛行許可から訓練計画も提出してない
要は全部上層部の許可を得ていない完全に無認可行動
軍隊という組織の中、陸軍特殊部隊と空軍特殊部隊のナイトストーカーズとはいえ
無認可でヘリを勝手に使い、実弾をしこたま使った上に、特殊部隊向けのブラックホークを壊したとなれば
どんな厳罰が下るかとおもっていたら、たいした叱責もなく終わったそうです
理由は、MREやメニューの少ない食事に飽きていた駐留部隊にとって
BBQ大会が大切な士気の向上機会になっていたからだそうです
>>236 自衛隊じゃ考えられないフリーダムっぷりだな。補給とかよく通ったなな
一方自衛隊は山でヘビを採った。醤油が欲しい・・・
>>236 『野菜動物』にマタンゴみたいな怪物を想像してしまった・・・。
240 :
名無し三等兵 :2008/10/19(日) 18:46:39 ID:GbNZICQ2
陣地を出ると、付近の山には敵が待ち受けていた。 山の上から攻撃された場合、とても逃げ切れるものではない。 どうせやられるならと覚悟をきめて、須永君は重機を 馬にも積まずに、すぐ発射できるように担いだそうである。 ところが、意外なことに中隊が陣地を後に撤退を開始しても、 八路軍は攻撃どころか隊に向けてタマ一発撃たなかった。 このことは、あるていどの犠牲、場合によっては全滅を 覚悟していた中隊にとって、まったく意外なことであった。 中隊全員が易県の部隊本部へ到着してホッとしたころ、 敵が中隊を攻撃しなかった理由が密偵の報告によって 判明したのである。 それは、中隊がシケイカンを撤退するとき、付近の 村長たちが集まって八路軍にこう言ってたのだそうだ。 「ここにいた日本軍は、われわれ村民にたいしてなにひとつ悪いことをしなかった。 だから、いま去って行くその日本軍を、どうか攻撃しないでやってほしい。 こうすることが、われわれ村民に悪いことをしなかった日本軍にたいする最後の、 せめてものお礼としたいのです」 このように村長たちからたのまれれば、八路軍としては 日本軍を攻撃することはできなかった。 易県の部隊本部でこの知らせを聞いたとき、 「おれたちは、村民に助けられたんか」と言って 中隊のだれもが、陣地のあったシケイカンのほうに向けて 頭を下げて感謝したそうである。
あ、それ読んだなぁ シベリアに抑留された方の本だよね あれを読んでると無性に腹が減ってくるんだぁww
どこで読んだかは忘れた話だが。 バトル・オブ・ブリテン初期にドイツの夜間爆撃護衛機が被撃墜、イングランド の田舎に落下傘降下した独軍パイロット。朝になると巡査が指揮する自警団が現れ、 投降したパイロットを村まで連行した。 村につくと最初に「そういやドイツ野郎、朝飯まだだろう」と、卵料理にホット ケーキのこってりとしたイングリッシュ・ブレックファストをご馳走される。 朝飯が済むと、最寄りの駐屯地(陸軍)まで搬送される独軍パイロット。そこでも 「ちょうど朝食の時間だからどうぞ」と、再びイングリッシュ・ブレックファスト を振舞われる独軍パイロット。 食べ終わると「貴官を空軍の方に移管する」と再び車で、別の空軍基地に。 到着すると食堂に通され、「多分朝食がまだでしょうな、何せ田舎の警察と 陸軍のやつらですからな。我々は貴官を飢えさせたりはしませんぞ!」と、 三度目のイングリッシュ・ブレックファストを提供されたのである…。
ええ話や
サマセット・モームが「月と6ペンス」書いた 「イギリスで旨い食事をしようと思うなら、朝食を3度とればよい。」 を思い出した。 ちなみにイングリッシュ・ブレックファーストはホットケーキ(パンケーキ)、 じゃなくて、薄いトースト(トーストラックに立ててある)が一般的では? その他ミューズリ(シリアル)、卵料理、ベーコン、ソーセージ(ブラック・プディング)、 焼いた(炒めた?)トマト、マッシュルーム炒め・・・等々にジュース、果物、 そしてミルク・ティー・・・。
247 :
名無し三等兵 :2008/10/21(火) 16:56:19 ID:54lC0ew6
学があるなあ
スターリンスレから転載 >『戦争は女の顔をしていない』からほのぼのエピソードを抜粋。 > >戦車大隊の衛生隊にもぐりこんだ17歳の女子。 >廊下を歩いていると前方から指揮官と政治指導員がやってきた。 >上官一人一人に敬礼せよとの指導を思い出した彼女は・・・ > > [,|,,,★,,|,] > <(`・ω・´) >シャキーン > >将校は棒立ちになったそうだ。
249 :
白い嘘 :2008/10/21(火) 23:06:05 ID:???
バトル・オブ・ブリテンのさなかのことである。 イギリス沿岸部上空で、一機のドイツ戦闘機が撃墜された。 パイロットは下の畑地に不時着を試みたが、気がつくと、軸線上に子供がいるではないか! 敵国民だが子供を殺すことはできない。 パイロットは必死に機を立て直そうとしたが、最後には諦め、愛機もろとも自ら地面に突っ込んだ。 パイロットが意識を取り戻したのは、さる農家のベッドの上であった。 瀕死の重傷を負いながら、付近の住民に助けられ、九死に一生を得たのである。 我にかえるや彼は片言の英語で叫んだ。 「子供っ! 子供は無事ですかっ!」 「安心しなさい、大丈夫じゃ」 そばについて看病していた年寄りの農夫がなだめると、パイロットは再び枕に沈み込んだ。 「よかった‥‥よかった‥‥」 と小声でつぶやきながら。 農夫は嘘をついていた。子供は土をえぐりながら暴走する機体にはねられ死んでいたのである。
それは泣ける話じゃのう……
両方共に立派だよな なんつーか戦場に於ける理性の残光って感じがするよね・・・・
252 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 03:16:05 ID:AlKhwuxB
おれ号泣状態・・。
ドイツ語が分かるイギリスの田舎爺さんは凄いな。
戦友よ!もっと文章を読く読む力を付けた方が良いと思うぞ
256 :
名無し三等兵 :2008/10/22(水) 10:07:36 ID:We2qkU/L
>>255 いいけど、お前のスキルじゃ"返り討ち"に遭うぞ。
んでドイツ兵・パイロットは当然、治療そこそこにMI5に引き渡されたと・・・?
>253、欧州大戦で覚えたんだろ?
>>243 >>249 のエピソード、リチャード・コリヤーの空軍大戦略に書いてあったの記憶している。
自分が読んで印象に残っているエピソードはハンス・ハーン少佐が英軍のスピット
と格闘戦をしていたのだけれど、実は彼のメッサーは弾を撃ち尽くしてしまっていて、
それを相手に悟られないうちになんとか逃げ出そうと必死になっていたら、実は相手
も弾を撃ち尽くしてしまっていて、ほどなく双方ともその事実に気がついてなぜか2機
翼を並べて仲良く並行状態に。で、お互い顔を見合わせて大笑いになったとか。
BOBの時はまだお互いに憎しみ合う事もあまり無く一種のスポーツ感覚で戦争して
いたようです。
>>260 フィンランド空軍のエースの自伝にも同じような記述が
ありますよ。
えらい腕の良いロシア軍機と空戦になってぐるぐると回る。
互いに弾が無くなったので手を振って「さよなら」したそうな。
太平洋でも似たようなの無い?
must have 「〜に違いないを使って例文を作ってみろ」 「私の祖父、シベリアに抑留されてたことがあるんです」 「それは気の毒に」 beetles 「お祖父ちゃんは、ロシア人はカブトムシの親戚に違いないって言ってました」 Beatles 「ビートルズ? なんでビートルズ?」 「あいつら、白樺の木のジュースを舐めるんだそうです」 sap 「ワハハハハ! それはジュースじゃない、樹液って言うんだ、ハハハハハ」
>>264 えっ、うちの祖父のギャグにそんな意味が!?
単純に、樹液舐めてるからカブトムシ、という意味だと思ってたんですが。
(余談ですがロシア人は白樺のヤニもガムみたいに噛んでたそうです)
解説を求むのは野暮だなあと思って数時間考えてみたがわからなかった とりあえずアメリカ人らしく笑っておくか
ジュースだけにユダヤ人
ビートル・ジュースって映画なかったっけか。
あれはベテルギウス、星の名前だぉ。
271 :
名無し三等兵 :2008/10/28(火) 00:48:16 ID:d6uvcY5Z
うむ
佐世保海兵団の4等機関兵一行18名が引率外出(ハイキング)に出たときのこと 九十九島を見下ろす丘の上で炊き込みご飯の昼食をとった後、ひとりの班員が 「ちょっと待っていてくれ」と姿を消し、やがて風呂敷包みを抱えて再登場 「知ってる旧兵に連絡をとってもらったんだ」家族がこっそり持ってきてくれたのだ、と みんなで中身の銀シャリの握り飯、いなり寿司、菓子、パンなどを 楽しく、しかしすばやく処理したそうです、満腹で帰隊のための集合場所に向かっていたら 向こうから二人連れの旧兵がやってきて、おまえたちは何科かと聞くので答えると ホマレ一箱と菓子パン五個をくれ、恐縮して敬礼する一行に 「俺たちは加賀の罐兵だ、卒業したらお前たちも乗ってこい、かわいがってやるぞ」 その後、どの艦を希望するかという話になったときこの一行では「加賀」に行くと言った者が多かったそうです
霞ヶ浦航空隊に配属されたある若い士官 「今度家に避暑に来い」と声をかけてくれたのは霞ヶ浦空副長の山本五十六大佐 数日後、単身赴任のようなかたちでひとり大きな家に住んでいる山本大佐を訪ねると まず大きな茄子を煮たものが出てきて「この茄子は僕が煮たんだ」 食べてみると唐辛子で味付けしてあって火が出るかというほど辛く、それでも全部食べると 「風呂が用意してあるから、僕のやるとおりするんだ」とついて行くと ザブンと水風呂につかり、そのまま体もふかずに裸のまま廊下を歩いて縁側へ 真似をして縁側に寝そべってみると水に濡れた体にかすかな風があたって非常に気持ちよかった、と しばらくそうしていると今度はスイカが出てきてそれもとても美味しかったといいます その合間にいろいろ困っていることはないか、あるいは武人としてどうあるべきかなどといった話をされたそうですが 幼い頃に父をなくした自分に対して大佐が気配りをしてくださったものだと思うということでした
>>273 を途中まで読んで
アッー!落ちだと思った俺って……
>>272 海軍罐焚き兵よもやま物語、だったかな?
面白いね。
現在、海上自衛隊では艦の火災発生を想定し 実戦なみの厳しい訓練が実施されている。 このようなダメージコントロールの訓練を旧海軍が行っていたなら、 沈没艦の半分は救われていたと語られている。
うちの艦じゃ、土日祭日になると必ず一部不在防火訓練やるけど、正直かなりキツイorz
ハン板のまとめサイトかよ死ね
第一航空艦隊司令官角田覚治少将が移動中にサイパン島で 「みなさんは民間人なのですから、私たち軍人のように戦わなくて良いのです、投降なさって良いのですよ」
角田少将はテニアンでも、 「あなたたち民間人は必ずしも死ななくてはならない、というふうな事はないのですよ。」 といった事を何度も言ってたらしい。 当時テニアン島にあった製糖工場の副工場長が証言してた。
284 :
名無し三等兵 :2008/11/06(木) 01:21:41 ID:806DNgKS
もっと詳しく聞きたい
285 :
283 :2008/11/06(木) 22:01:43 ID:???
角田少将は角田中将の間違いね。 中将のおかげかテニアンでは集団自決自体はあったものの 他の戦場に比べると格段に少ない。 闘将と称される人物の意外な一面。 ほのぼのとはちょっと違うかな。
非戦闘員を「存在しない」もしくは「邪魔者」としてしか扱えないアホが多い中、冷静な人だったということじゃないの?
勢いで一丸になって軍民玉砕!と頭に血の上った奴が多かった中では、遙かに常識的な人だな
満州での日ソ戦、関東軍の話しは真逆だな。 終戦後自分達の家族や付近の住民を、比較的安全とは言え内部からは脱出不能な弾薬庫に保護 戦いながらも物量に押され陣地を放棄して撤退、途中保護してた住民達を弾薬庫内に忘れてきた事に気づくんだけど、 今さら助けに行くのは不可能、足手まといにもなるからって手榴弾とガソリン缶持たした“自決隊”を編成、派遣。 弾薬庫内で疲れはてて寝込んでる住民達の中に手榴弾を放り込んで、生き残ってる人も一人一人止めを刺しガソリンで処分。 で、見事自決の出来上がり。 見事散華したなんて言って、胸糞悪いったら無い。
死ぬような命令出す上官はその場で射殺しても問題ないんじゃね どうせ死ぬんだし問題ないだろ
だが断る
292 :
名無し三等兵 :2008/11/09(日) 23:48:04 ID:5SSezb65
戦時中にブラウン管てあったっけ?
293 :
名無し三等兵 :2008/11/10(月) 00:34:43 ID:adkDRIXG
1897年にブラウンが陰極線管を発明(ブラウン管と命名) だから有ったんじゃないか。
後のシェーバーである。
295 :
名無し三等兵 :2008/11/10(月) 06:39:17 ID:91/T/zrH
>>290 リンク先の小野田さんのことが何気に凄いんだが。
296 :
名無し三等兵 :2008/11/10(月) 12:50:37 ID:fIUb/6e4
>>290 操縦士はサムライだねー。もしも、手負いの敵機を
撃墜していたら、限りなく嫌な過去の汚点になって苦しんだかも・・。
とにかく良い話でした。
>>292 無い訳がない。 てか無いと電探のスコープがそもそも作れないやんw
ミッドウェイ海戦時、零戦乗りとして空母「加賀」に乗艦していたという 顔に残ったヤケド跡も生々しい徳島空の鬼教官 乗艦が沈められたショックと前線から外された鬱憤からか締め方がきつく しかも手が自由に動かないため、鉄拳も2、3発しか続かずその後は蹴りが飛んできたそうですが この教官に鉄拳制裁を受けたことのあるパイロットが後に厚木の203空で再会したときは 「オレもまた零戦に乗れるようになったよ」と別人のように目を細めていたといいます この教官、牧幸男大尉はそれからほどなく筑波で自動車事故で亡くなったそうです 戦闘機乗りとしてはさぞ無念だっただろうと
299 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 18:44:58 ID:YSXIHHo2
>>290-296 手負いの敵を見逃してやる、というのはわが国では
武士の情けとか、美談として語られている。
しかし欧米では、見逃したら次にまた強力な敵として戦う相手だから
機会があれば徹底的にやっつけねばならんという思考。
マレー沖で二戦艦を撃沈した後、後続の日本の攻撃機が、
残った駆逐艦が救助活動を行うのを見守り、
爆弾を捨てて帰還したのは欧米ではお笑い種になっている。
300 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 20:56:52 ID:dwsIqQ2K
>>299 もっともらしい嘘情報を流すなよ・・・・。
敗者を踏みつけるような行為はヨーロッパでも米国でも
悪人のやる事だ。
戦術だけで言うと、299の言うことは正解だが。
普通の人間は死にそうになってる敵に止めを刺すなんてできないさ・・。
有名な撃墜王みたいに、死力を尽くして戦った敵なら介錯もありだと思うが。
>>292 そもそもブラウン管式テレビは1930年代に実験放送がアメリカとドイツで開始されている
>>290 いい話だな。思わず泣けた。
日本軍の飛行士も米軍兵達も実に立派で勇敢だと思う。
日本の武士道と、欧米の騎士道、フェアプレー精神の結びつきを感じた。
303 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 21:28:02 ID:dMulKe+S
>>300 その傷ついたB29は無差別爆撃で一般市民を大量虐殺した帰りだったりしてね。
搭乗員も傷が癒えればまた戦線に復帰して大量虐殺。
見逃しちゃあいかんだろ。
いや爆撃機搭乗員とスナイパーだけは捕虜にとらないし無茶苦茶恨まれてるからみ逃す奴はいないだろうけど 輸送機やふらふらな戦闘機はさすがに嫌な気分にはなるだろうな
305 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 21:49:13 ID:dwsIqQ2K
>>303 実際に無差別攻撃の途中で高射砲にやられた上、
日本の戦闘機に食われて弾薬も切れていたんだろうな。
話は変わるが、戦後に旧日本海軍を一番高く評価したのは
まぎれもなく、仇敵であった米国海軍だよ。
306 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 21:50:49 ID:dMulKe+S
>>303 九州の記録だと撃墜したB-29の乗員の内、機長は東京に移送されて取り調べられた。
他の乗員は人体実験で生きたまま解剖か銃殺。
308 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 22:02:53 ID:dMulKe+S
で どこがほのぼのしてんの?
普通のPなら ラッキーふらふらで無抵抗な敵機がいるぜ といって喜んで撃ち落す
312 :
名無し三等兵 :2008/11/11(火) 22:14:09 ID:dMulKe+S
>>309 "食べられちゃった"なんてあたりがほんのりほのぼの…
駄目?
>>303 戦争を憎んで人を憎まず、だ。
大人になれ。
マタパンの後で救助したときだって、 スツーカによる攻撃で救助仕切れなかった分は 座標を伊海軍に通信してるもんなぁ。 あ、ソースはウォースパイトの本。
315 :
名無し三等兵 :2008/11/12(水) 20:04:12 ID:t7QkJiRy
ダンピール海峡のスキップブンビングで日本の輸送船団8隻は全滅した。 沈没する船から命からがら脱出し、海上に漂っていた日本兵に対し、 米軍機は、その後さらに二日間にわたり航空機や魚雷艇が執拗な機銃掃射を実施。 陸軍将兵2600名余を無差別殺戮した。
そういえばUボートが撃沈した船の乗員を赤十字旗を掲げて救助していた時に、漂っている味方を無視して海面に爆弾を叩き込んだ国があったな。 って全然ほのぼのした話じゃないですお。
ただの反米厨だったらここに書くのはスレ違いだから。
>>317 上の日本どうこう書いてた人だろう。
スレタイ読めないけど、自分の主張はしたい人だからほっといてやれ。
日本人のくせにスレタイの日本語が読めないとは哀れなヤツだw
ほのぼのしようぜ
いぢめる?
いぢめてやる! いぢめてやる!
323 :
名無し三等兵 :2008/11/13(木) 14:17:27 ID:r1wvPrxo
日本が発明した白金懐炉は、寒冷地における重要な軍事物資だった。
火鉢を携帯すればいいじゃまいか
桐肺懐炉のほうが極寒に強い。
326 :
名無し三等兵 :2008/11/13(木) 21:00:06 ID:MPCTkxFG
>>325 桐肺というくらいだから、呼吸器に聞くのだろう。
両方使った経験だと、白金懐炉は体から離して2〜3時間放置したら火が消えて 冷たくなったことがあるけど、桐灰懐炉は2〜3時間放置した位ではまだ暖かかった。 (外気は約0℃の環境で)
ほのぼのした話って懐炉のことか。
329 :
名無し三等兵 :2008/11/14(金) 17:58:44 ID:aiJ6z5O3
寒冷地では水筒ってどうしてたんだろ。水が凍っちゃう。 まさか魔法瓶を戦地で使うわけに行かないだろうし。
330 :
名無し三等兵 :2008/11/14(金) 18:12:18 ID:CVzs9ib4
某木下藤吉郎よろしく懐にでも入れてたん樹音?
>>329 映画版かTVドラマ版か忘れたが、
八甲田山のどっちかの部隊の指揮官が
「凍結防止のために水筒を振り続けろ」
という意味の注意をしていた記憶あり。あの頃の陸軍の水筒は確か
厚いガラス製で、厚い皮ケースに入れて携行していたはず。
332 :
名無し三等兵 :2008/11/14(金) 22:17:25 ID:eOG9dQgi
勝てば官軍、負ければ賊軍。負けた以上は 子分イジメやタカリ行為の大好きな親分でも親分は親分。 それにしても、弱者から高利貸しでボッタ栗をするような 良い親分の下についてしまったな。 最近は親分が金欠病で慢性高血圧になってしまった気がするが、 この際、親分を捨てて逃げる? 回りは旧共産国だらけだけど。
バカ一匹奮闘中
>>290 のリンク先を読んでいたんだけど、第二国民兵の話で(平成14年11月11日配信)、
グラマン(F6F?)の機銃掃射を右胸に受けた整備兵が出てきたんだけど、
機銃弾が鎖骨の下を貫通したらしいんだけれど、2週間で病院から戻れる物なのかな?
あの巨大な12.7_の弾頭が貫通したら、かなりヤバそうだと思うんだけど…
記述者の勘違いかな?
偵察機で戦闘機撃墜するし、多少の誇張があるんでないかな
破片とかじゃないの?
零式観測機でグラマンを撃墜した人もいるので偵察機でどうにもならないもんでもない
いや大抵はどうにもならんけど
>>290 の場合は偵察機といっても二式複戦で武装はまだましだけど巴戦してるような記述があるんだよね
そこは結構前からあり得ない話が多い って知られてる まぁ人間だから記憶違いは当然あるし誇張表現もあるし
硫黄島爆撃って実際にあったの?
>>340 あれは記憶違いとか誇張のレベルじゃないと思う。
「我が隊にお嫁入りしてくる機は、屠龍丁型(キ45改丁)で、エンジンは中島製の【誉】
2,000馬力の二基は、セルモ−タ−でエンジン起動ができるほか、
過給器も改良型で、上昇時における加速は抜群であると聞きました」だぜ?
「秘めたる空戦」と同様の創作でしょ
>>329 水筒に水をいっぱいまで入れると凍ってしまう
7,8分目にしておけば水が動くので凍らない
川の水が凍らないのと同じ理屈
川の水は凍るよ。
>>344 とても寒いと、容器の中で水がかき氷状になって凍っていくよ。
水に加えていくらかの洋酒(ブランデーやウィスキー)を入れるという研究も聞いたような覚えがある。
なぜウォトカをそのまま入れぬ、同志よ
ウォッカではのどが渇く一方です 政治将校殿
スターリン「ボルシチにウォッカを混ぜたものを配備すればいい」
ハラショー!今日のボルシチに肉が入ってるぞ!
そういえば同志トロツキーが居ないぞ
そうか、この肉は同志トロツキーの(以下自粛
356 :
名無し三等兵 :2008/11/30(日) 09:57:22 ID:u+XiWlZv
どこがだ
>>355 解説
一、三、四、枚目:ファイルなし
二枚目:小さいキャタピラに乗って遊ぶ兵士
五枚目:ブランコで遊ぶ子供
小さいキャタピラてw 間違っちゃいないけど
キャタピラは遊びかよ!
遊びでやってるんjないんだよ!
連合軍の戦車はこの程度なのか これなら我らがチハ車の57ミリ戦車砲で粉砕だな
いや、それドイツのだからw
364 :
名無し三等兵 :2008/12/03(水) 10:25:50 ID:YUkS+htN
日本空襲に際して当初、一部のB-29には、日本製の焼夷弾を搭載した。 サイパンに日本軍が残した焼夷弾の信管を外して投下。 わざわざ不発弾として、日本語の銘板(ネームプレート)を見せつけ 市民への心理効果を狙ったのだ。
性格悪いな
ブラックジョーク
>>265 超亀だが、白樺の樹液って、ウォッカとも掛けてるんじゃないかな?
ウォッカって白樺の木炭で濾過するから。
チハタンバンジャーイ
369 :
名無し三等兵 :2008/12/09(火) 00:30:04 ID:t0+U1WPE
un
みんな固まってしまったぞ・・・。 をーい!!! 生存者はいるか〜〜?!
いませ〜ん
ほのぼの話は? 俺出しつくしちゃったよ
宇佐で訓練を受けていた飛行兵たち いよいよ晴れて飛行機を受領するために土浦へ移動する際 誰からともなく「特急というのに一回乗ってみよう」と門司から料金も特別高い特別急行列車に乗るも 一番口のうまい仲間が車掌に 「一刻も早く飛行機を取りに行かねばならないのです!立ったままでも良いですから」 と言ってみると一等車に案内されたとか
>>106 >たまたま実務実習で乗ってきていた海軍大学在学中の大尉の目にとまり
ひょっとしてその軽巡洋艦とは多摩?
文章の出だしとかみんなワンパターンだから飽きた。
377 :
名無し三等兵 :2008/12/14(日) 20:17:33 ID:suvS/VxE
海軍カレーについての話を聞きたい
だが断る
フィリピン沖で作戦中の巡洋艦・運甲。 敵機の魚雷で大破した運甲は食糧を全て失い、備蓄庫には米しかなかった。 金曜日といえばカレーの日、なのに米しかない。 そのとき炊事長の頭に妙案が閃いた。 水兵達はフィリピンのパイナップルでひどい下痢をしており
ごはんに醤油でいろどったお粥かければいいじゃん
382 :
名無し三等兵 :2008/12/14(日) 23:20:24 ID:4EXdmvk8
戦国自衛隊(映画)で自衛隊員が夜這いに行って味方の足軽かなんかと出くわすシーンがあるけど 実際の戦地で、敵同士であんな事ってあったんだろうか。 日本軍と国民党軍とかイタ公とブリテンとかでありそうだが。
721 :カレーなる名無しさん:2008/10/13(月) 15:21:04 日英同盟のころ、 日本帝国海軍とイギリス海軍が合同演習を行った。 最終日、「三笠」にイギリス艦隊の幹部をよんで晩餐会。 生まれて初めて肉じゃがを食べたイギリス艦隊司令官「(゚д゚)ゲキウマー!!」 イギリスの飯まずくて有名だからw 肉じゃが程度で大感激だったらしい。 司令官は自分の艦に帰艦すると、さっそく調理兵に命じた。 「おまえらNIKUJAGAを作れ!!」 でもイギリス人には醤油とか分かんない。 つうか醤油がない。 KONNYAKU? What??? しょうがねーなあと、司令官が覚えてた材料をテキトーに炒め煮て、 「同じアジアの調味料だから何とかなるんじゃね?」と インドで仕入れたスパイス片っ端からぶちこんだ。 できあがった料理を一口たべたイギリス艦隊司令官、 「かれええええええええ!!」 香辛料がききすぎて激辛だったらしい。 このときの司令官の絶叫をもとに、 この肉じゃがもどきの料理は「カレー」と名づけられた。 いまじゃ逆輸入されてカレーはすっかり日本の国民食。 太平洋戦争のときの「鬼畜米英」からは想像できない日英ほのぼのエピソード。
>>383 成る程、カレーの具材にはコンニャクが足りなくて、調味料には醤油が足りない、
ってか
>>382 近代以前ならふつうにあったんじゃないの?
今もふつうなのかもしれんけどw
>>382 西南戦争で薩軍が宮崎に後退していた頃。
大淀川を挟んで政府軍と薩軍が対峙していたが、
宮崎の遊郭では壁を挟んで両軍の兵士達が遊んでいた。。。
その西南戦争の序盤の熊本城攻防戦。
薩軍士官の宇都宮が先陣切って突撃を図るも銃列の前に奮戦空しく戦死。
これを見た宇都宮の元同僚の官軍士官が
「宇都宮を 撃つ身になりにけり」
と詠むと、対峙する薩軍兵士が
「撃たれてもなおうつのみや」
と返したと言う。
これは「宇都宮」と「撃つのみや」を掛けている。
「段山の屁戦」も西南戦争序盤の有名なエピソードだが、
肉親知人友人が相打つ日本最後の内戦終盤は壮絶なものとなった。
戦死した薩軍兵士の陰茎を切り取りその口に咥えさしたり陰惨なエピソードが…
一方、薩軍も薩摩に古くから伝わる「ひえもんとり」を官軍兵士の戦死体で行ったとも言うが…
>>386 とっとと鮮人共を討ち滅ぼさないから内戦なんかになるんだ。
今度は一致団結してやろうぜ。
巣に帰れ
>>382 敵同士がばったり、というのは記憶にないが・・・
ベルリン攻防戦。ソ連軍の最前線部隊は規律が良かったが、後続部隊はそうではなかった。
後続部隊がベルリンに入ると、各所で女性への暴行事件が多発した。あるソ連軍兵士は、
自分が暴行した女性の側に1日中ついてて、他の兵士が暴行しに訪れると追い払ってたって
いうエピソードもある。その兵士が去ると、女性はまた暴行にあったそうだが。
ソ連兵の規律のゆるさは異常 特に恨みもないのに満州の日本人レイプしまくり アメリカ軍や日本軍、ドイツ軍を遥かに超えてる
内部があれだけすぐ処刑されてればそりゃレイプくらいしたくなるだろう
そりゃレイプなんてしたいからする物であって恨みも何もないだろ
>390 ベルリン陥落後のドイツ各都市でも凄かったんだってな。 >ロシアの暴れチンチン
行列で順番待ちしてるもんナ
でも通報したらとっ捕まえてくれたんじゃなかったっけ トラックの荷台にレイプ魔放り込まれてそれから・・・
女たちは政治将校のものだからそりゃ先に犯したら処刑されるよな そういやハルトマンの伝記でも最初一緒に連れてきた家族の女は輪姦されてたけど翌日来た政治将校に輪姦してた奴ら残らず射殺されて棚
男だと油断していたら女クマーに乗られる。そいや中村が悲鳴上げてたなw
レイプといったらベトナム戦争の韓国兵に勝る者なし。
日本人は清潔好きだから他人が中に出した女をそのまま抱くのがムリな奴が多いんだったな
はあ?脳内設定で語らないでください><
普通は基地の近くに売春宿があってだな。そこでお土産を貰ってくるんだよw
民間人を売春宿にぶち込んで次々に相手させる制度は優秀だな 適度に清潔さを保てるし少数の犠牲だけで皇軍が他所で輪姦して現地人の評判落とさなくて住む
>>402 お土産つながりで。
小松島航空隊所属の水偵が、台湾南部の東港航空隊に派遣された。
さて、ある日曜日の外出時に、搭乗員たちは折角だからと高雄に出かけることにした。
高雄で中国料理を食べた後、デパートに行って内地向けの土産を買ったのだが、基地に帰ってからよく見てみると、品物にはみな
製造元「三越」「白木屋」
などと書いた小札が貼ってあった。
(「南の空に下駄はいて」より)
今でもよくある話である。
土産に買ってきた品を帰宅してから改めて見てみたら 製造元が自分の町だったり
灯火管制のため艦長命令で艦内禁煙が通達された駆逐艦「神風」 にもかかわらず艦橋でタバコに火をつける者が 「貴様ッ!艦長のお気持ちがわからんのかッ!恥を知れッ!」 当直の水兵がとがめると「すまん・・・」と姿をあらわしたのは春日艦長 「どうしてもガマンできなくなりましてね それにしてもあのように厳しい口調でとがめる水兵を見て これならば神風は沈まんと思ったものですよ」 春日艦長談
サンフランシスコ土産の木製路面電車オルゴールは マレーシア産だった。 ああ・・・
駆逐艦「朧」がマキン島に入港して乗員たちが島民たちと宴を張ったとき 島民たちがドイツ語の歌(ドイツ語版ホタルの光?)を歌い それを非常に気にいった乗員たちがその歌を覚え、「朧」の艦歌のようになったそうです 「・・・ほとんど助からなかったと聞いています でも艦が沈んでゆくとき、海の上でみんなこの歌を歌っていたのではないかと思うのです」 昭和17年春頃まで「朧」に乗っていた方の話です
「朧」の艦歌ならば「朧月夜」が合うような 「浜風」「浜波」ならば「浜辺の歌」、月型ならば「荒城の月」でしょうか 日本の唱歌には曙、夕暮、霞、夕月、狭霧など駆逐艦の名前もよく出てきますね
412 :
名無し三等兵 :2008/12/24(水) 04:48:14 ID:/WJmIjV3
>406 ちなみに・・・ その後の神風の戦歴は? 終戦まで残った?
駆逐艦 神風 1922年12月28日、三菱造船長崎造船所で竣工。 当初の艦名は「第一駆逐艦」。 1924年4月「第一号駆逐艦」に改称。 大戦中は主に船団護衛に従事。無事に終戦を迎える。 戦後復員輸送に従事。1946年6月7日、御前崎付近で座礁した海防艦国後を 救援中、本艦も座礁し放棄された。 1946年6月27日除籍。1947年10月31日解体終了。
>415 情報感謝。。
自衛隊がイラクに復興支援に行ってた時の話 第8次群長の所にある日、オーストラリア軍の指揮官が困惑顔で相談に来ました。 彼が言うには 地元の住民「オーストラリア軍は帰れ!」 オーストラリア軍「我々は日本隊を守る任務があるから、それはできない」 と言うと 地元民「日本隊は我々が守るからお前らは帰れ!」 と言われたと言う事であったそうな。
今じゃどうだか せっかく医療器具揃えても定期的なメンテナンスがなきゃねぇ
なんか、本当に悔しい話だな・・・。 属国日本はイラクにたいした事をしてあげられなかった。
>>418 診療、医療技術の指導や地域診療所の整備が主な支援だったから
そっち方面の支援はあんまりなかったみたいだよ
”キャプテン翼”って物凄い効果があったんだな
スポーツ漫画はかえって作者がそのスポーツに無知なほうがいいみたいだな
逆に戦争関連のマンガは…
ジパングみてると軍事もしならないほうが民衆に受けてるジャン FWをMEと間違える人だし
水島が野球知ってるって何の冗談だw あいつもかなりトンデモだ
>>426 水島しんじは小さいころから野球三昧で、今でも草野球チーム入ってるぞ?
自分のことを野球バカだと自負していたしな
ルールの把握だとか、フォームの描写にはウソはないと思う。 自キャラひいきはもう老化も手伝って病気だけど…
正直ラストイニングやおおふりとか読んでると水島は本当に野球 しってるのか?と思わずにはいられない しょせん観戦好きの趣味レベル
別にドキュメントを描いてるわけじゃないんだから 面白くするための嘘は別にかまわんじゃないか
>>430 同意。ここで水島叩いてる連中は糞面白くもない、
現実をそのまま描写したものでも読みたいのか、
それとも「俺の方が野球知ってるぜ!」と自慢したいのか
どちらにしても痛いな
いやYKS(やっぱり・景浦さんは・すごい)ばかりの糞漫画でつまんないといいたい やつはもう野球より人情話でごまかしてる屑漫画家になった
野球なんて斜陽レジャー、取り上げてもらえるだけありがたいと思わないと
日本はスポーツはやらないからな
684 :675:2008/01/27(日) 12:34:36 ID:NBmy+f5d0 おはよう 俺のじいちゃんが戦争中に山で体験した話 じいちゃんは戦時中に看護兵として旧日本軍にいた その日は別のキャンプに山を越えて移動する予定だった その途中、知り合いの鈴木(仮名)を山の途中で見かけたが、 鈴木は何かを探しているのか一心不乱に地面を掘っている様だった 元々変わり者だったらしく、その時は特に気にしなかったらしい その日は無事にキャンプに着くことが出来て安心していたが、 そこのキャンプには全身火傷で変わり果てた鈴木が寝ていた 山の途中で見かけたのにこんなに早く到着しているわけはなく、 見間違うわけもない(鈴木の腕にはあまり見かけないお守りがっ縫ってあった) 不思議に思って尋ねようとしたが鈴木はとても喋れる状態では無かった 次の日敵軍の急襲にあった 看護兵なのでとりあえずある程度のところまで逃げなければならないらしく 山中を必死に走って逃げた すると急に落とし穴に落ちてじいちゃんは意識を失った 銃弾を腹に2発程度撃たれてはいたが致命傷にはならず何とか敵軍が消えるのを待つことができた 静かになり外に出ると同じように数人が穴に落ちて助かったらしい 後から気づいたらしいがその穴には鈴木の私物(小物)が落ちていた・・・ 戦時中のその山では、死んだ者や負傷した者の生前の元気な姿を遠くに見る人が多いらしい
こんばんは。 イラクネタをもう1本投下 2004年四月中旬、3人の日本人がテロリストに誘拐さ人質に されました。テロリストの目的は自衛隊の撤退。 この事件の結果は御存知だと思うので、ここでは割愛しますが、 当時、現地でもこの事件は高い関心を集めました。 そて5月6日、サマーワの市中や宿営地で大規模なデモが行なわれました。 「Honest Japanese(正直な日本人よ。一緒に平和な町を再建しよう)」 という横断幕を掲げて。 デモはデモでも「日本の自衛隊に今、帰られては困る、テロリストの 要求に負けないで残って欲しい」という趣旨の「自衛隊帰らないで」デモ だったのでした。 CNNでこの様子を見たアメリカ軍とオランダ軍は契約社会にすむ イラク人が情丸出しのデモを行なう事が信じられず 驚いたそうです。 当日、デモの趣旨を知ってたいた自衛隊は、美味しい水やクエートから 持ち込んだアイスを用意して歓迎したそうですw ちなみに11月11日にも「自衛隊帰らないで」デモ行なわれましたが この時、横断幕に2枚だけ「自衛隊反対」と書かれていたのが あって、日本のマスゴミをこれを取り上げても「自衛隊反対デモ」 があったように報道しましたとさ。
なんかその逸話の紹介には何らかの意図を感じる
特に変な意図はありませんw
戒厳令AAでお馴染みのヤルゼルスキは士官になって初めて指揮を命じられた小隊が女性兵ばかりだった。 しかし土地貴族→厳格なカトリックの寄宿学校→シベリアの極貧肉体労働生活→士官学校、という人生を歩んできた ヤルゼルスキは「異性に対して臆病」で「女性に囲まれてひどく居心地が悪かった」ということで上官に願い出て 男ばかりの小隊に配置を変えてもらったそうだ。 自伝読んでて見つけたエピソード。とりあえずまとめブログにはなかったので投下
>>440 大卒すぐで工場のパートのおばちゃんたちを束ねることになった友人
の精神的な疲労を思えば理解できるな。
>>437 中東には割と日本企業がくい込んでいるが、なぜ中東に受け入れられたかというと、
日本企業の「約束を守る」「信用を大事にする」という点が評価されたらしい。地元企
業は契約の信頼性が低かったので、日本企業のこの特徴は目立っていたそうな。
>>437 治安維持なんて汚れ仕事をして無いから歓待されていたのだろうね、多分。
日本人なんて特攻かけてくる現地人に射殺できないもんナ
>>443 あと日露戦争に勝った事やもアメリカにボロ負したのに経済大国になったこと
に対する憧憬とかもあるそうです。
>>444 うん、オランダやイギリス軍が治安維持やってくれてたからもあるって
自衛隊の人もその点は認めてるね。
でも自衛隊流の現地に溶け込むやり方で治安維持活動したら、どうなるか
も興味がありますよね。
アメリカとガチで殴り合いの勝負できたのは日本とドイツくらいだからな 後年はただの虐殺だし
日本は片手間で相手されてただけじゃん
太平洋戦争で起きた日米の衝突以上の大海戦は無い。 精々日本海海戦くらい。
空母対空母事態太平洋以外でどれだけあったんだ?
あっという間に片が付くと思っていた硫黄島。 予想外に日数がかかって死傷者も膨大な数に上って辟易した米軍。 そのため本土上陸はやめたんだっけ。
>>452 沖縄も思い出してやってください。
日本本土上陸作戦は止めた訳じゃなくって、被害の多さが予想されたことから、「準備を
ちゃんとやろう」と言うことになり、原爆投下とかソ連参戦につながったかと。
本土で戦わなかったから国民は戦争の悲惨さを経験できなくて 戦争舐めちまってる国民になったということだけどな 戦地にいった歩兵とかはたいてい口を閉ざしちまうし 爆撃程度はしょせん前哨戦だしな ドイツなんてひどいからな
パラオ諸島も思い出してあげてください
>>446 「アラブの英雄」日本赤軍の功績もお忘れなく
片手間の割にアメリカの被害、結構甚大だよなw
兵隊の命は安いからな
>>457 欧州戦線に投入した兵力と死傷者数からすれば
結構甚大どころか軽微な物に見えるけど、
一体何と比較して結構甚大なのかな
フィランドの空軍基地に降り立つヒトラーを見たトップエース、ユーティライネンの感想 「ヒトラーの髭は黒だと思っていたけど実際見てみるとこげ茶色だった」 注目点がほのぼのしてるかなと思いこっちに。大戦後の自著に書いてたから結構印象に 残っていた様子。
461 :
460 :2008/12/28(日) 23:07:18 ID:???
×フィランド ○フィンランド
ユーティライネンってすごい人だけど何か不思議なんだよな。 ヒトラーのヒゲに着目するってのも面白い。
人の見えない部分に着目できないようでは無傷で飛んでられない
ソレホドデモナインダナ
>>454 何十万単位で空襲による死亡者を出しているのに、戦争の悲惨さを経験できなかったてのは
どこのゆとりなんだ? まあ釣りにしても酷い話だぞ、それw
ゆとりは経験してないからそんな事をほざけるのかもしれんが、じっちゃんやばっちゃんらに話を
すると、大抵身内を戦争にて亡くしているもんなんだがな。
そしてそれらに対して口を閉ざすのも正に悲惨すぎて語る気にもなれないからなんだけどな。
昭和も遠くになったもんだよな、全く。
>>465 横レスだが地上戦の悲惨さは、ひとしおだろう。
あえて、あえてだけれど、沖縄戦と本土空襲の苛烈さを比較したら
沖縄戦が、より悲惨ではないか。
とすると、沖縄で国民は地上戦の悲惨さを経験していることになるな。
俺が、自己撞着か
空襲は死にまくるけどほとんど火災だし天災っぽく感じちまうからな 一部の都市以外だと2回以上反復攻撃はまずないし うちの親も富山でやられてたが結構のんきだったよ
空襲つうても機関銃掃射くらいで運の悪いのしか死傷してない地方もあるから 地方々々で違いはあるだろうなあ。
やっぱイワンが100人くらいで一人の女を輪姦し続けたり 面白がって民間人を射殺しまくったりだのに比べるとなあ
ルーデルなんかのおそろしいのに遭遇した経験に比べるとまた
ルーデルって民間人を相手にしたことあるの?
まあ元は皆民間人って事でw
ルーデルとゴルゴってどっちの方が多く人を殺したんだろ
ゴルゴってソ連の狙撃中隊に大祖国戦争で従軍したんだろ
ゴルゴはヘイヘの顎を撃ち砕いた。
それ以来天才の自信を打ち砕き 継続戦争において最終的な勝利をもたらした
478 :
名無し三等兵 :2009/01/08(木) 20:48:03 ID:gcP2rHq2
ええー
>>477 中国人を村に雇えば良かったのに。 連中ならネズミを食いつくしてくれるおw
取引先の工場で鳩が大量発生して困ってるって話聞いたとき、じゃあイラン人警備員に雇ってエアソフトガンでも渡してやればいいんじゃね?って以前思ったことがあるな
今みたいな情勢だと鳥インが怖いなぁ アレ食っても問題ないのか?
>>481 鳩を勝手に撃ち殺したりすると、土鳩であっても鳥獣保護法違反になって警察のご厄介になってしまうから、
頭が痛い問題でもある。 許可を取って(取れるかが問題)捕殺するか、単に追い払うだけに止めておかな
いといけない。
レース鳩0777で条例で鳩を撃ってもいいことになったと思うんだが また法改正されたのか
>>484 許可はいらないのか? そもそも、鳩を撃っていいとかは狩猟区内とかの話だろ?
市内においても問答無用にて撃てるのか? その条例とやらは。
ミッキー向けのシートに鳩がかかるのはよくあること
487 :
sage :2009/01/10(土) 21:37:40 ID:???
バルジの戦いのさい、ナチの親衛隊(SS)の先鋒部隊がアメリカ軍の前線を破ってアルデンヌの森に侵入した。 1944年12月のことだ。士気をくじかれたアメリカ軍の部隊は恐怖に駆られ、ナチスに追いすがれながら アルデンヌの森を抜ける小道を逃げていた。私のかつて所属した第82空挺師団は予備部隊であったが、 敵の前進を食い止めるために送り出された。 第82師団の落下傘兵たちは昼も夜も行進して、アルデンヌの森を抜ける小道に阻止陣地を築いた。 彼らの任務と権威と責任は、逃げてくる米軍部隊と協力し、ナチスの進撃を食い止めることだった。 そして彼らはそのとおりに実行した。 1台のアメリカ軍の戦車--死をもたらす30トンの鉄塊--が森を抜ける小道を逃げてきた。 その道の脇に1人ポツンと落下傘兵が立っている。カメラマンがとらえたこの若者は、 落ちくぼんだ目に3日間伸ばしっぱなしの無精ひげ、手にはM1ガランドを持ち、背中にはバズーカを担いでいる。 片手を上げて逃げくる戦車を止めた。戦車がぎりぎりと止まってから、疲れた落下傘兵は戦車長を見上げて尋ねた。 「よう、避難場所をさがしているのか」 「ああ」戦車長が答える。 「それじゃ、おれの後ろに戦車を駐めろよ。おれは第82空挺部隊員だ。あんちくしょうどもをこの先に通しゃしない」
489 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 23:20:12 ID:XCQymkkI
ハトは平和の死者
>>487 この兵士の名前は分かってるのか?
勲章ものの根性だな
これの種本はデーヴ・グロスマンの『「戦争」の心理学』と見た。
>489、八幡様に使者だな
戦時中か微妙だが、 オーストラリアに初めて白人が船で探検に来たとき、 海岸をトコトコと現地人が珍しがりもせずに歩いていた。 その姿を見て「男らしい」という事から、マンリー岬となった。
戦時中かどうか微妙なのか・・・?
戦時中では無いが御容赦を。 とある停泊中の護衛艦、航海科の乗員がマストに猫が登っているのを発見。 何処から登ったのかは兎も角、危ないので捕まえることに。 しかし上に上にと逃げていく。 普通に考えて幾ら猫でもマストをひょいひょい登って行くのは有り得ないんじゃないか? とも思えるが、心配気に見上げる他の乗員達も猫と思って疑いもしない。 ついにヤードに追い詰めた。 よ〜し、動くなよ〜、と四つん這いでにじりよる航海科員。 あと少しで手が届こうとしたその時、猫は空中にジャンプ! 四肢をピンと張り見事滑空! 岸壁近くの小さな丘の木に見事翔び移り視界から消えて行きました。 猫じゃなくてムササビだったんですねぇw 皆一様に脱力、後日カラスがマストに巣を作った時可哀想と思いつつも撤去に当たったのも同じ航海科員でしたw ほんの数年前の話です。 本当に小さな丘でしたがタヌキやムササビ、色々いました。 今は岸壁工事で姿を消しましたが…
左の方の人が読んだら環境破壊だとかなんとか、なんくせ付けられそうな話だな。
498 :
名無し三等兵 :2009/01/16(金) 04:51:48 ID:fa7MUtaI
ふー
499 :
名無し三等兵 :2009/01/16(金) 07:33:50 ID:VnIKa3iO
>オーストラリアに初めて・・・、 ほのぼの・・・、 コアラ!? そうコアラだ! 近代戦においてコアラがいた事実など聞いた事ないが もし極限状態であいつに会えたとしたら オレは心を見失う一歩手前で踏み留まる事が出来るかもしれない。
| | | /Y⌒ヽへ | (_(・▲・)_) せんそうするの? | ⊂ ) せんそうするの? | ( / | と_/ | |
,,、,、,.,.、, ,、.,、_,.、 ,r'" ゙`'ヽ, ,,r''"゙゙ ゙''、 ,r" i l|! lr., ゙'r ,r'゙ rilrr, '; r'゙ ヾ \ '; r゙ ,r'″ ;, i r _゙' _ '、 i __,i. /,.-、 ' i r' = / )| ヾ''゙゙゙゙ ゙゙ `ヽ. ( ) ,. r゙ '; ソ | ,,.. ゙ .lli.: ゙ヽノ ; ,r゙ 'z, ヽ、_ ソ ;i,,.;;..、i ゚ " ヽ-ー'゙ ,r" ゙ヽ、 ''''' !i||||!''゙'. i ) _, '、r''゙゙ ゙ヽ-/, =|l||!!'゙゙ ゙ l.ノ、 '● '; / ̄``ヽ、 Z;: ,. ≡' ● /;;;;;;ヽ -'i | 救 | Z',.; ',. !||l /;;;;;;;;;;;;'、 ;;| | え | 彡;' '゙'|i!i;;!| ヽ、;;;;;;/ :;l | ね l...,, 彡、、- i|li ,,..-='゙l ;'r' | ェ | ̄ ツ ゙''゙゙ノ;; l /,/ \__/ /'゙'゙''''r(-t_ ,, ,, ヽ、,,.ノ/;;;\ /;;;;;;;;;;;;ヽ ゙゙/''''〉'''''フ;;;;;;;;;;;;;ヽ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ./\;;;/゙'V;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;'、 |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| /;;;| /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ./;;;;;;| /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;'、 |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;V;;;;;;;;;レ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
コアラー!!お前ら!!
503 :
名無し三等兵 :2009/01/17(土) 05:44:30 ID:xwO9COaW
211 名前:名無し三等兵 投稿日:2001/07/29(日) 04:54 ガキの時分に、鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。 ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。 大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に、 夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。 彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに 「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。 いずれも確かに戦死した連中ばかり。 神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。 そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。 しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。 怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。 見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへ、 ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、 「全員、整列!」 と言うと、素直に整列したそう。そして、 「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。 全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」 隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、 そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。 あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。 兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。 「へんな幽霊だね」と僕が言うと、ジジイは、 「日本人の幽霊でも、死んだ場所が変わると、ちょいと変わるんじゃい」 と言っておりました。
太平洋戦争の時の日本も日本軍も嫌いだが、 その話には少し泣けそうになった。
ずいぶん前に見たネタだな
>>503 黒澤監督の「夢」みたいな話だな(一部)
でも面白いw
508 :
名無し三等兵 :2009/01/22(木) 04:32:25 ID:W7Yc1EyW
あげ
509 :
名無し三等兵 :2009/01/22(木) 17:04:44 ID:brdUTiMx
中島知久平は自宅屋敷内でライオンを飼育していた。 アレキサンダー大王がライオンを飼っていたという故事にちなんだらしい。
>>503 一緒に戦ってもらえばよかったのに・・・・(´・ω・`)
夜襲なら無敵じゃん。
米軍の従軍牧師の徳の高さによってはあるいは…
ハーーーーーーーーイ<<クレンショー神父
>>510 成仏を祈るどころか、
お前はなお死人に鞭打って現世で戦えというのか?
パワーアップしたのに戦わないとか勿体無いぜ
従軍牧師といえばイージス艦の艦名にもなったラブーン神父を思い出しますね
ルーデルなら頭に輪があってもガナーにするだろうなw
>>511 大多数の一般兵は英語わかんないから平気だろw
日本に亡霊兵がいるということは、アメリカにもいるということだ!
アメ公のはバタリアンみたく死んでも走って追っかけてきそうだw
スリーピー・ホロウの首なし騎士でつね。
ブレイーン!
英国のはに!に!に!と言うんだろうなw
言いませんよ
525 :
名無し三等兵 :2009/01/25(日) 20:01:58 ID:kfuTIfTz
小笠原の父島、母島に行った人はいないかな?硫黄島は当たり前だろうけど 意外と知られていないのが、父島、母島ともいまだに旧日本軍の洞窟があること 母島に仕事で以前よく行ったんだが、いまだに日本兵の霊の話がある (戦場にはならなかったが)洞窟も地元の人は絶対に潜らないんだが、よく 潜ってた。途中からワンカップとタバコあげてた敬礼してね。途中一緒に いってたやつが日本兵の霊が〜と仕事やめて帰った。そいつもいっしょに ありがとうと言う声を聞いてる。
526 :
霧番 :2009/01/25(日) 20:28:33 ID:TfvKYSPt
父島には某おおすみ型3番艦に乗ってた時に言おう自魔に逝った帰りに 文献鯛に物資輸送をしたついでに上陸したがそんな物があるとは知らなかった
>>525 数年前にクジラを見に行ったけど。
そういう話は知らなかったなあ。
>>519 日本兵は死ぬ前からすでにゾンビ状態だったそうな。
地面を骨と皮になって這いつくばってるのが照明弾に照らされる様は、まさに骸骨が蠢いてる様だったという。
ノモンハン事変でのお話 ある酒好きの軍曹がいた。 懐にこっそり忍ばせたウィスキーの小瓶 皆に自慢しつつ、実は戦闘に勝利したら皆で回し飲むつもりでいた。 敵軍からの砲撃は凄まじいが塹壕に隠れていれば怖くないと悠々と部下達を避難させ、自らも退避する。 が、その日は偶々運が悪かった。 爆発で吹き上げられた土砂が軍曹の首から下を埋め身動きが取れなくなってしまった。 軍曹が見たのは目の前で倒れ地面に吸い込まれていくウィスキー… 彼を助け出す部下に 俺は助けなくて良いから酒を助けろ!と言ったとか言わなかったとかw 後日この軍曹、日本人は風呂に入らないと死ぬ! と主張、 ドラム缶風呂を部下も入れるように縦に割って二つ作製、 しかし「俺が湯加減を試す」と入浴中空襲が始まり鉄ッパチに裸と言う珍妙な姿をバッチリ記録され、後日部隊長の手記で国民中に晒されてしまったそうな。
軍人の鏡だな
>530 酒瓶抱えたヨッパライが転んでしまい、服に染み出した液体を 「どうか血でありますように・・・」 と祈るジョークを思い出した
533 :
名無し三等兵 :2009/01/26(月) 22:50:35 ID:SZBcMSE/
硫黄島で捕虜になり、アメリカ本土まで連れて行かれた増山義邦氏。
英語ができたので収容場でオフィスの連絡手伝いをしていたが、
仲よくなった伍長が休日にクルマで迎えに来て無理やり連れ出され、
酒の相手をするように命令されたと。
捕虜に酒を飲ませたのが発覚すると懲役五年とか言って、部屋には鍵。
で、二人で話を弾ませながらボトル一本あけちゃったそうな。
この伍長、元は大尉だったが、酒好きが祟って降格されたとのこと。
近刊「硫黄島・日本人捕虜の見たアメリカ 」より
http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-588-4.html
軍人ではないが、満州慰問に行って敗戦を迎え、帰国できるまでの志ん生と圓生の「酒」のエピソードを思い出した。
大尉から伍長になるくらいの失策してればソ連やドイツなら階級剥ぎ取られた懲罰大隊送りでとっくに死んでるな ヤンキーは寛大だ
そういうのを戦時まで飼っておける軍は強いらしい 軍事的才能がないのを飼ってたら駄目だけども
将校の場合降格処分になるような失策やらかしたらまずまちがいなく 軍法会議にかけられるだろうからそもそも軍に居られなくなるんじゃね?
懲役と降格選べるのかもしれない
戦時中は、慢性的な人手不足状態だから 懲役か降格して最前線逝きか決められたはず
出てるかもしれないが、「丸」での駆逐艦乗りのエピソードから。 軍艦乗りには「ネズミ輸送」ならぬ「ネズミ上陸」があったそうです。 入港中、艦内のネズミを一匹でも捕獲したら、褒美として艦長から 一日上陸が許可されるそうです。 これに悪知恵をつけた下士官が上陸した後、陸のネズミを何匹か 艦に持ち帰り、艦内で売って一日上陸のネタに使ったそうです。 陸のネズミと艦のネズミは、足の裏を見れば見分けがついたそうですが、 艦長が寛大で、陸のネズミと分かっていながら、黙って許可の判子 押してくれたそうです。
>>543 志ん生と圓生は、戦争末期に慰問で満州に来ていた。
ところがそのまま敗戦になり、ソ連軍がやってきて、帰国できるかどうかすら怪しい状況が続いた。
ある日、圓生が「生きて帰れたら祝いに呑もう」と思って隠しておいたウイスキーがソ連兵に見つかり、奪われてしまった。
悔しさに号泣する圓生を慰める志ん生。
「大丈夫だよ。あの瓶の中身はお茶なんだから」
「いつの間に呑んじまったんだ!!!!」
あまりにも出来すぎていて作り話かもしれないが、志ん生ならありうると思うw
黒江保彦氏の著書から ビルマ航空戦で撃墜され、捕虜となった英軍の中尉が 真っ先に「自分を撃墜したのは、誰であったか」と聞いたという。 撃墜した本人に会って、握手をかわしたいと希望していたという。
黒江氏の著書なら、英国空軍ダッケン氏の話がいいね。
玉井氏の体験談。 沖縄戦でほぼ、米軍が制圧された後、玉井氏はまだ占領下におかれてない 北の海岸へ脱出を試みた。 しかし、昼間隠れていた場所で米軍兵の分隊に見つかってしまう。 玉井氏は、是非もなしと目が合ってしまった米軍兵に、片言の英語で 「武器はもってない、降伏する」と伝えると米軍兵は態度が軟化して タバコを差し上げて労をねぎらってくれる。 更に玉井氏が「あそこにサムライソードがあるよ」と自分が棄てた 軍刀の場所を教えると益々米軍兵が喜び、玉井氏が吸ってたタバコを とって、新しいタバコに交換してくれた。 しかし、別の米軍兵が拾ってきた軍刀をみて「昭和刀だ・・・チープ」と はしゃぐ米軍兵に伝えると気前のよかった米軍兵がふてくされてしまう。 玉井氏も「余計なこといいおって」と腹の底で、値踏みした米軍兵に 不快感を示したそうだ。
米兵でも見分けつくんだな
550 :
名無し三等兵 :2009/01/29(木) 20:01:18 ID:9lom0/Ij
アフリカ戦線において 88mm砲の誕生 イギリス兵「高射砲で戦車を撃つとは卑怯だ」 ドイツ砲兵「高射砲でなければ撃ち抜けない装甲の戦車で攻めてくる 方が卑怯だ」
ステンレスと鉄の区別くらいサルにも出来る
552 :
名無し三等兵 :2009/01/29(木) 21:01:54 ID:F8hcTrs+
漫才師のいとしこいしのこいし師匠はよく戦争体験を語ってるな。 広島の師団に入営して92式重機を任されてたらしいのだが 兵舎に米軍機が機銃掃射にくるさかい対空射撃をせなあかんのやけど迫ってくる敵機なんて怖くてよう射てへんで でも射たないと上官に怒られるから通り過ぎてから後ろから射ちよんねん 機銃掃射された時の恐怖については 自分の身体をどうにか鉄帽の中に収めようと身体を縮めてみるんやけど入らへん ちなみに広島で被曝して兵舎の生き埋めになって死にかけたらしいが、軍服がボロボロだったから死体からはぎとって帰ってきたと笑いながら話てたw
そう言えば、江田島の一術校の門前に有ったお好み焼き屋のじい様は、元陸軍兵士で被爆者だったな。 海自の一術校卒業生で知らぬ者はいないって位有名で「原爆爺」と親しまれていた。 江田内に投錨して上陸したら決まってお土産は「原爆爺のお好み焼き」 もう亡くなられたそうだが、一人前なのに、二〜三人分位の具で真ん丸になったお好み焼きは、今でも青春(我ながら陳腐で恥ずかしい表現だが)の味として記憶してる。
更新確認とかうざいから
>538 第1次湾岸前のシュワルツコフは部下、部隊をもたない閑職にいたらしいね。
>>542 後に第23日東丸の艇長となる、「ボロタツ」の異名をとる下士官は
このネズミ上陸の名人だったそうです
一匹のネズミの死体を2度3度と「再利用」し何度も上陸に成功したとか
「ボロタツ」の乗艦は駆逐艦「菊」
「立派な」駆逐艦乗りだと思っています
>>551 昭和刀もほとんどの場合鉄ですが。
刃紋の有無で見分けてたんだとおもわれ。
宮崎を根拠地にしていた第一空挺団の終戦後 二十日に渡る引渡し作業で米兵の立会いの下、武器弾薬は 処分されました。 けれども、軍衣、外套、靴などの官給品は、処分するにはもったいないと いうことになり、宮崎県庁の前に十数台のトラックに満載して押しかけ、 県民への分配品として届けたそうだ。 ところが、県知事が後難を恐れて受け取りません。 こりゃいかんと、指揮官が側車で40キロの道を飛ばし、 団長の大佐の許へ走って命令書をもらって帰ってきて、 ようやく宮崎市長が「市民も助かる、ありがとう」と快く受領して もらえたのであった。 戦後の話でスマン
>>559 日本陸軍の落下傘部隊の話なら「第一空挺団」ではなく「第一挺進団」では?
キケンセマルタバコクレ 黒江氏の著書から抜粋
>>556 多分分かってて端的な表現してるんだと思うけど、シュワルツコフはセントラル・コム
(中近東・東アフリカ・中央アジア即応軍)司令として緊急時はドイツ駐留軍等から引き抜く
精鋭部隊司令官になる予定で、それなりのスタッフと情報オフィサーは統括していた筈。
確かに「有事」がなければ閑職になりかねない地位に、士官学校史上最優秀成績での
卒業者と、相応のスタッフを配置しているあたりが備えの凄みか。
それだけじゃなんなので、結構知られた話かと思うが。
上で出ている古今亭志ん生、戦中・満州に行く以前に「ビールがあるから」と言われ知人宅へ。
メーターが上がって「あたしゃあるだけ飲み干すまで帰らない」と言うので一杯にビールを入れた
土瓶を貰ってふらふら帰る途中、空襲警報。「どうせ死ぬなら」と路傍にどっかと座ったまま全て
飲み干し、そのまま寝入ってしまう。翌日、無事無傷に目覚めた志ん生は帰宅。家人はてっきり
空襲で死んだものだと思っていたらしい。
戦後脳溢血に倒れ、恢復・復帰後に
「どうやら志ん生、空襲で死んだらしい」
「どうやら志ん生、満州で死んだらしい」
「どうやら志ん生、脳溢血で死んだらしい」
…「いやところがね、生きてんですけどね」。
と、自らの「死んだらしい」ネタで復活・健在振りを示している。
イラク復興支援での現地指揮官の話。碌な武装もせず戦地に行く事から現地の 部族の長の信頼と協力が不可欠、現地ではあちこちの有力者に顔つなぎした。 関係は最後まで良好だったが、困ったのはお茶を出されたとき。向こうでは、 砂糖にお茶が入ってじゃりじゃりするようなものが最高のおもてなしらしい。 断るわけにもいかず、全部いただいてきたそうだ。お陰で現地での部隊の安全 より自分の健康のほうが危険だったらしい。
命かかってんだからいちいち文句言わないで飲めよなw
次回は派遣前に現地料理を食す訓練をしようw
なんか食べ物でもヤバい物があったらしくて、かといって残すわけにもいかないから 食べて下痢になることも度々あったらそうだw
>>564 文句は言わず砂糖のお茶漬けを飲んだそうだ。他にも色々苦労してきたのに、
新聞に載るのは面会中の笑顔の写真ばかり。奥さんは国内で毎日のように心配
していたのにそんな写真ばかりで、「心配していたのに楽しそうねっ」と怒られ
帰国早々、ショボーン だったそうだ。
しかしこういうエピソードを知るたびに 隊員さん全員が無事に帰国できてよかったと思う。
逆に武器もっていかなかったのがよかったんじゃね どうせ非常事態に人なんかうてないだろうし
さすがにソコまで能天気ではいられないだろう 「今回は無事だったが(ry」みたいなヒヤッとした思い出だと思う
結果的には上手くいった、って事を前提にして次の計画を立てる訳ですね。
麻生太郎のシエラレオネでの話思い出した
573 :
名無し三等兵 :2009/02/02(月) 18:01:30 ID:7foVBEJ4
オレシラネ に見えた
日本人だけは世界中で好かれてるから、こうやってもてなしてくれるんだと思う。 ほんと日本は最高!
九条のおかげです
ほのぼのじゃないが・・ 俺のばあちゃん、百姓の末女で字も読めない。 15くらいで支那事変が始まったので、北海道の漁港まで出稼ぎに。 漁船から揚げた魚を市場で仕分けする作業、知らない土地で冷たい魚を素手で半日 なんの娯楽もなく、友達もなく、氷点下ほったて小屋で 毎日泣いてたらしい。 そんなばあちゃんにも楽しみができた。 月に一回入港してくる軍艦であった。(続ける?)
とりあえず続けたまえ
9条信者って政府にケツ差し出すタマなしだろw 外国の政府信用できるってえなら自分の国の政府を妄信するに違いないからなw
>>576 続き
軍艦から降りてくる水兵さんは、市場で魚を大量に買い込む。ばあちゃんは津軽出身、水兵さんも青森、岩手の出身で、まだ子供のばあちゃんは大層可愛がられたそうだ。
軍隊の珍しいお菓子、武勇伝、手紙の代筆など
特に白い軍服(二種?)の軍人さんに町の道案内を頼まれると嬉しくて、ずっと軍服の裾を掴んでたそうだ。
道行く女性がみんな振り向くのが楽しかったんだとか。
病気になった時は、軍のお医者さんがこっそり見にきたり、元気付けにラッパを吹いたりしてくれたんだと。
しかし、楽しい日々はいつまでも続かなかった・・・、
(まだ続ける?)
щ(゚Д゚щ)カモォォォン
>>571 現地の人に溶け込んだのと事前に情報を収集してリスクを回避しまくったからうまくいったんですよ。
気になるから続けたまえ
婆ちゃん、袖つかむっsageてまた可愛いまねをw続けてたまえ
絶対自演してるな
自演でもなんでもいいから、続き早く書きなさいよ!
>582 それを前提にこれからも無茶な計画を通されたらたまらんだろう…。
>580 話がクサすぎて泣けるw
>>580 続き やがて北海道でも米軍の飛行機が見え始めた頃、ばあちゃんは心配だった。軍艦がいつまで待っても来ないから。水兵さん達に頼まれた破れた軍服も、修繕し終わったのに・・
ややあって、久しぶりに軍艦が表れた。桟橋に出迎えに行くと水兵さんの顔色はみんな浅黒く、疲れていた。
「おかえりなさい」と涙声で言うと、水兵さん達も「ただいま」と泣いて答えたそうだ。
続きは明日・・ごめん
>>582 +銃持つ+法律・交戦規定整備
全部そろえな
プッ銃持っててないとおもってやんのw
持ってても「基本的に使っちゃらめぇぇぇ」な状態であれば 持っていないのと大して変わらん。
594 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 14:34:19 ID:+8qpq8th
近所に住んでいる元海軍航空隊の爺さんの話。 この爺さんは戦時中に少年航空兵として海軍に入隊し、大戦後半は偵察部隊の一式陸攻の 偵察員となり、運よく特攻にも駆り出されず負傷もせずに17歳の時に終戦を迎えました。 そして日本海軍の武装解除と兵員の召集解除も粛々と行われたものの、爺さんの除隊は 手続きの関係上ほぼ最後の方になりました。 爺さん達の所属していた海軍航空隊の基地 (確か四国)では除隊する兵士らに退職金と食料などの現物を支給していたのですが、 あいにく爺さんの番が回ってきた頃には備蓄されていた食料はほぼ底を付いていました。 基地の事務官も何か手渡せる物が無いかとあちこち探し回った所、結構な量の乾パンが 見つかったので「どうせお前らでもう最後なのだから全部持って行け!」 と大八車一台分の乾パンを現物支給されたそうで。 そして爺さん達は同郷の仲間(熊本出身)らと一緒に乾パンを載せた大八車と共に駅に向かった のですが、あいにくどの列車も超満員で大量の乾パンを自宅まで持ち帰るのは無理でした。 そこで一同は協議の結果、背嚢に詰め込めそうな分だけ持ち帰り、残った大量の乾パンは 駅に居合わせた大勢の人達に無料で分配する事にしたそうです。 もちろん終戦直後の食糧難の時代でしたから、思わぬ臨時配給にあやかれた人々は大喜びし、 大量の乾パンもあっという間に無くなり爺さん達は大変感謝されたそうです。 その中には同じく召集解除されて復員してきた元陸軍の兵士も何人かいたのですが、彼らは 一様に「海軍さんの乾パンは美味しいなぁ」と感心していたそうです(陸軍と海軍の乾パンは 大きさも味付けも違う為)。
> と大八車一台分の乾パンを現物支給されたそうで。 これにはお爺さんも思わず苦笑い
辻政信・「必勝・虎の巻」 「これだけ読めば戦に勝てる」から抜粋 五・上陸戦闘 陸に上がったら勝だ 河童が陸に上がっては役に立たぬが我々は陸に上がれたら もう占めたものだ、戦は勝ちだ。対手は支那兵以下の弱虫で 戦車も飛行機もがたがたの寄せ集めである。 勝つには決まっているが唯如何にして上手に勝つかの問題だけだ。 初めて行う南方作戦の参考書であるが、ある意味ほのぼのとしている 一文であると思う。
昨年亡くなった特攻隊に指名されていたという艦爆乗りの方の話ですが 終戦を知り乗機の彗星を九州の基地から横浜(?)のほうに持ってくるように言われ 上空から日本を見てわけもなく泣けてきた、と 基地に着陸するとすぐにプロペラを外されお前はここで除隊になるから郷里に帰れ、と 隊からもらったなにがしかのお金を持って駅で途方にくれていたら 見知らぬ年配の女性が「御苦労様でした」と握り飯をくれたそうです それを食べていたらまた涙が出てきた、と 郷里に帰ると「戦犯」「人殺し」などと言われなんとも言えぬ気分になったともおっしゃっていました
598 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 18:54:38 ID:rijWDDB8 BE:1470852285-2BP(0)
戦時中ではなく現在の話だが 近所の老人ホームに老夫婦がいるんだが、知り合った場所は大阪城の通信所でした。 また結婚に至った出来事は、大阪空襲の時に爺さんが命がけで婆さんを守ったことでした。 そして普段はうるさいくらい話まくる夫婦なんだが、ある日、お互いに目を合わさず 指でモールスを打ち合いながら会話していた。 同じホームの爺さんに聞くと話したくない!顔も見たくない!と言う理由でそうしていたそうです。 そして会話の内容ですが、横須賀の元通信兵によると、、、、、 爺「大体お前は昔からそうだった!大阪空襲の時、お前を助けるんじゃなかった。背中の傷が今でも痛い!」 婆「あなただって、空襲の時いきなり手を引いていくから手ごめにされると思ったわよ!!」 爺「じゃあなぜ俺と結婚したんだ??お前から言ってきたんだぞ。」 婆「うるさいうるさいうるさい!!」(ここは肉声で) 肝心の喧嘩の理由は爺が勝手に海外旅行に申し込んだことでした。
犬も食わねw
うちの近所の爺さんは90歳。 決まって早朝4時にラジカセで演歌を大音量で流し、乾布摩擦を始める。 近所迷惑も甚だしく、近隣が役所まで苦情を申し込み 警察が注意してもいっこうにきかない。 話によれば死んだばあさんへの供養のため毎日続けてるのだそうな。 近隣住民の苛つきは想像を絶するが、 これも昭和の生き字引の魂。 怒りつつも敬意を表してるとのことである。
なんだこの加速っぷりは
602 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 22:00:40 ID:gL3nhZFG BE:992825093-2BP(0)
>>599 婆さんは当時お嬢様学校の大手前女学校の生徒で、当時は萌え萌えの美少女だったらしい。
何でも初勤務の時「皆様 ごきげんよう」とあいさつしながら通信室に入ってくるお嬢様だったそうです。
しかし耳だけは異常に良くノイズだらけの音の中から正確にモールス信号を聞き取れたので重宝されたらしい。
そして爺さんは婆さんを守るために自分の背中を血まみれになりながらも守り地下壕に案内したそうです。
>>602 そこまでされちゃあバアちゃんも結婚してと言うしかないよな
ジイちゃんもひそかにバアちゃんのこと狙ってたんだろうけどw
>>598 昔:いきなり手を引き防空壕へ
今:いきなり海外旅行申し込みへ
爺さん昔と変わらんのだなあ
いつまでも達者でいて欲しいわw
608 :
名無し三等兵 :2009/02/04(水) 00:22:06 ID:pAPqSQsX
つまりモールス覚えたらお淑やかな美人と結婚できるわけ?
潜水艦のソナー員に欲しい人材
モールスで喧嘩できる夫婦とかそうそういないなw
エロゲーでたまにいるな コンチェルトノートとか
俺の後輩は試験中モールスで答え教え会ってたよ。
>>590 続き
ばあちゃんは水兵さんにまた遊んでもらえると思ってた。が、水兵さんは「今日中に荷物を積みこまなけば」と言う
預かってた被服を渡そうとしたら、「もういい」と言われた。いつもなら1週間ぐらい軍艦はいるのに、今日きて今日でると言う。
顔馴染みの水兵さんは「構ってあげねくてごめんな」、と言ってモノをくれた。
石鹸、缶詰、カミソリ、目覚まし時計、外国の絵はがき、タバコ・・
どれもこれも民間では手にはいらない物ばかり。水兵さんは、
「タバコはお金の変わりになる」
「わるいおとなに見つからないよう隠しておけ」と言った。
(続けるか?)
ビルマからタイへ転進していた給油車の運転兵の話。 単独行軍でタイへ潰走の途中、エンジントラブルで給油車が止まり、 今日はここで野宿して明日修理しようと思っていたら、ビルマ人女性が 現れて「メシをご馳走したい」といいなさる。同乗の助手の一等兵は 「ビルマ人は日本に対して反乱起こしたらしい、メシに招いて毒殺する 腹積もりでないか」と警戒する。 せっかくだから・・と運転兵のほうはビルマ人女性宅へお邪魔して 夕飯をご馳走になりました。寝床も用意されたので、警戒する助手を 尻目に一晩お世話になる。 朝になったら体にも変調がなし、純粋に私たちを歓迎してくれたことに 二人は感激し、お礼をするものがないので、給油車から サイダー瓶数本にガソリンを入れてきてお礼とした。 ところが、ビルマ人女性宅の親父さんぽいお方が飲み物と勘違いして 口をつけた。身振り手振りで、ガソリンです、と説明はしてたものの、 親父さんのほうには伝わらなかったみたいです。 親父さんがしかめっ面して「これはなんじゃ!」みたいなアクション してきたので、二人はとにかくビルマ語で「ありがとう」と言って 一目散に逃げ出してきたとのこと。
>>613 聞かなくていいから、さっさと続けなさい
>>614 給水車かなにかだと思ってたんだろうか親父さんは
>>613 続き
桟橋で水兵さんが慌ただしく行き交う、たびにばあちゃんは頭を撫でられたり抱っこされたりした。水兵さん達はみな悲しそうだった。
そんな時ある偉い兵隊さんが、ばあちゃんに「頼みがある」と言った。カバンから手紙の束を三つ程だし、
「内地『本土?』に帰ったらこの手紙を投函してくれないか?と」
ばあちゃんは急に悲しくなって、「そんなのできない」と言った。兵隊さんは困った顔してたが、ばあちゃんを抱き寄せて、「お願いだ、頼む!」と言った
ばあちゃんは手紙の束を抱えて宿舎に帰った。
続く
北千島は昭和19年頃から米軍の空爆、艦砲射撃、潜水艦攻撃を 食らい始めていたが、空爆だけは100%察知できたようです。 ソ連のカムチャッカ国境警備隊の監視哨が米軍爆撃隊を発見すると 一応暗号で通信するのだが、まだ日本とは戦端開いてないのんびりな 状態なので、占守島通信隊はソ連の通信は容易に解読できたそうだ。 占守島海軍通信隊の兵は、ソ連の通信を傍受して警戒警報を発令したので、 ソ連軍が日本軍に協力しているようなものだった。と語っております。
>>618 当時は空爆ではなく、空襲と呼ぶことが普通だったのだよ。
今では、なんとなく以下のようなニュアンスがくっついちまったが。
空爆:比較的小規模。精密誘導兵器による。目標限定。
空襲:比較的大規模。公算兵器による。無差別。
ついでに野坂昭如が、何処かに以下のようなことを書いていた。
「昔は『差別』という言葉と『区別』という言葉に違いは無かった。
無差別爆撃とは、賎民と非賎民を選別せず行われる爆撃ではないのである」と。
ソ連空軍の士官であり人類史上初の宇宙遊泳を行った飛行士アレクセイ・レオーノフ 米ソ共同ミッション打ち合わせのためにアメリカを訪問すると その自由な雰囲気、街を埋め尽くす車の列、摩天楼の超高層ビルにカルチャーショックを受けることしきり 負けてばかりはいられない、歓迎パーティーの席で英語特訓の成果を見せてやると 戦闘機乗りらしい負けん気とともに英語で乾杯の音頭をとったレオーノフ 「これからの成功(サクセス)に満ちた人生を祝って!」と言ったつもりが 聴衆には「これからのセックスに満ちた人生を祝って!」と聞こえてしまい会場は爆笑の渦に
ロシアンジョークととってくれたのか
レオーノフの話をもうひとつ アメリカ国内各地を飛び回っていた自分を暑い夜にヒューストンの空港まで迎えに来てくれた アメリカの宇宙飛行士たちに車でホテルへ向かう道すがらビールをおごろうと決心したレオーノフ 途中のレストランでビールを2ケース買おうとするも店員は「すでにライセンスの時間帯が過ぎているので販売できない」 ルールを曲げても遠来の客には最大のもてなしをするのがロシアの流儀 ソ連でしか手に入らない最高級のスタリチナーヤの瓶を片手に英語で 「やい、俺はシベリアから来たカウボーイだ!俺と仲間にビールをよこせ!かわりにコイツをやる!」 ソ連から来た宇宙飛行士だと諒解した店員がビール2ケースを出したので レオーノフが代金を払っているとき、店員は3つめのケースを出して 「ヘイ!カウボーイ、こいつは俺のオゴリだ、幸運を祈るぜ」
大戦中、陸軍航空本部の依頼で仁科理化学研究所では原爆製造の研究をしていました。 しかし、アメリカみたいに予算と人材を大量投入されたわけでもなく、 大戦末期で物資も不足していた上、陸軍が協力するといいながら、ほとんど丸なげで 実験設備も自分達で資材を集めて作ったりしていました。 で、まぁいろいろあって、六フッ化ウランを作る事に成功し、大量に作るために ウランのカーバライトを大量に作る事にしました。 で、その時にそのために炭素を作らなければならなかったのですが、そのために 二酸化ウランと合わせて砂糖を使う事にしました。 ということで、軍の方に要求したところ、配給のを渡すわけにも いかないという事で台湾から取り寄せてもらいましたが、船は使えず、砂糖用の 輸送機も安全の保証ができないという事で往復する便で5〜10キロと届けられる のよ使っていました。しかし他の研究室から舐めに来る者が来たり、自分達もお茶に 入れていたりして飲んでいたので、砂糖ばかりに頼ってはいられないと色々と 研究してデンプンを使った物も悪くないとわかり、航空本部に要求すると 余裕があったのか、かなりまわしてもらえました。 しかし、まぁ食べ物も厳しい時でしたから、今度は、このデンプンをお湯でかいて 砂糖を入れて食べて 「砂糖を入れ過ぎるとデンプンがよく固まらない」 という実験結果もだしていたそうです。
>>623 「君たちは本気で原子爆弾をつくる気があるのかっ!」 by仁科先生
第1001航空隊の岩崎氏の秘話 昭和19年7月のある日、硫黄島からテニアン経由で、ぺリリュー島まで 新品の一式陸攻を届ける予定であったが、朝から突然、敵襲の警報が 鳴り、空を見れば敵機らしい黒点が見えた。 岩崎氏は「早く退避しなければ・・・」と動いたが、突如「飛行機で 逃げるんだ」と思いつく。 昨日、木更津から乗ってきた新品の一式陸攻に乗り込み、退避しようと する近くの整備員に怒鳴ってエンジン始動させ、間一髪で敵襲から 逃れることができた。 無事に木更津に帰還できたのはよかったのだが、岩崎氏の心の中では 昨日三機で飛び立ったのに、今日は一機で勝手に逃げてきた。と 敵前逃亡の思いで非常にうしろめたかった。 指揮所に報告にいったものの、バツが悪いんで一緒に乗ってきた 塔整員とすぐさま立ち去ろうとしたとき、司令の少将が「ちょっと待て」と とめる。 すると、司令は「新機の一式陸攻を敵の砲火から救った行為はみごとである ご苦労!」と褒めてくれたのである。 岩崎氏は「やっぱり間違ってなかったか・・」と心の中でホッと した。 実は、岩崎氏が従軍全期間を通じて、たった一回ほめられたのが この逃避行である。
元雷撃屋の世古氏の著書からのエピソード 著者の所属する第701航空隊は、天王山のレイテに進出しましたが、前日まで殆どの飛行機を喪失し、出撃は当分ない、と著者は思ってました。 その日の朝、「総員起こし!201航空隊、761航空隊・・・搭乗員総員出撃」と番兵が搭乗員室に起こしにきました。 著者は目を覚まし、聞き耳を立てていましたが、自分の部隊名が呼ばれなかったのを確認したら、安心してまた睡眠に入りました。 しかし番兵は著者が寝てる毛布の横に立ち、「搭乗員、総員出撃です」と大声でとがめるように言う。 癇に障った著者が「番兵、701航空隊は呼んだのか!」と聞く。 番兵は不意をつかれて、「701・・701・・・」と記憶をさかのぼり、 オロオロしだしたので、「番兵、はじめからやってみろ」と著者は意地悪くする。 「ハイ」と番兵が「総員起こし!201航空隊・・・」と5分間ばかり やり直したあと、著者が「番兵、701航空隊は呼んだか?」と確かめると 今度は番兵も「ハッ、呼んでおりません」と即答してスゴスゴ退出していきました。 それから著者はぐっすり眠ろうとしてたら、五分くらいすると番兵があたふたと駆け寄ってきて「搭乗員、電話で戦闘指揮所に確認したところ、 701航空隊は昨夜のうちに解散になって761航空隊に編入になりました」と言ってきた。 761航空隊は2番目に呼ばれた部隊であります。 著者は「バカヤロー!それを早くいわんか」とはねるように飛び起きました。 なんせ出撃に遅れることは重大な軍規違反なので、眠気も消し飛んであわてて 準備し、一目散に飛行場へ突っ走っていきました。 飛行場では、ただ一機、著者の乗る艦攻がエンジン始動させたまま、 待っていてそうです。特にお咎めはなく、機長である著者は、出撃報告を 指揮所に報告した後、飛行機に乗りこむが、あわてていたもんで 目的地を聞きそびれ、照れながら再び指揮所まで聞きに帰るなどのドタバタ ぶりを披露した模様です。
>>624 日本が調達出来たウランの量じゃ核分裂起きませんよ。
>>617 大して面白くないから
もう続けなくてよろしい。
629 :
名無し三等兵 :2009/02/06(金) 12:13:11 ID:ZfKJbqwS
ふえるわかめから原爆まで、なんでも作る理研グループ
>>630 海草にはヨウ素が多く含まれていて、ヨウ素を食事で摂取するには海草が良いんだ。
で、核分裂が起きると色んな種類の核物質が生成される訳だけど、
その中の一つに放射性ヨウ素があるんだ。
そいつが漏れて体内に入ると普通のヨウ素として積極的に吸収されてしまい健康被害が出る恐れがある。
だから当時核研究に携わっていた研究員は日頃から海草を食べて体内のヨウ素を飽和状態にして
これ以上吸収出来ない様にしていたんだ。
そこで理研が毎日毎食消費されるポピュラーな海草、ワカメを最小のスペースで
最大限貯蓄出来ないかと研究した成果が「ふえるワカメ」なんだよ。
それが今でも活きていると言う訳。
ごめんうそ
予科練時代の体験談に寄稿した人の話から。 生徒たちは、試験前のときには消灯、巡検のあと、こっそり寝床から 抜け出して常夜灯のある場所で、時間を惜しんで試験勉強してたそうだ。 見つかったら制裁が待っているので、人目のつかない場所を選ばなければ いけません。筆者もトイレや浴場など常夜灯のある場所で勉強しようと するが、明かりが小さくて筆者には字を読むのが難儀だったそうだ。 色々勉強の場所を探していたら、運動場の用具室は窓が裏側しかないため、 明かりをつければ近くまで来ない限り、見つからない絶好のポイントと 判断し、夜中1時ごろに教科書もってこっそり用具室にやってきました。 そしたら中には明かりが照らされており、中から誰何されました。 名と身分を明かすと中から「表からでは光が漏れる。裏の窓から入れ」と 返答がきます。 先客がいたか・・・と裏窓によじのぼって中に入れば、3年生、2年生も ふくめて、すでに8人の生徒が教科書もって試験勉強をしていたそうだ。 中には初年生も混じっておられる。 筆者は改めて「みんな必死なんだな」と圧倒され、中に入って 「よろしくお願いします」と先輩の3年生たちに挨拶すれば、 「試験前になれば、みな勉強の時間が必要になる。ここでは、先輩後輩も 無しだ。周りに迷惑かけないようにしておけ」と3年生の一人が言いました。 日ごろは鉄拳上等の、鬼の3年生と恐れられてる先輩も、切羽詰まったときは 優しくなるんだな。と筆者はキツネにつままれた感じで用具室で 先輩後輩たちと隠れて勉強したそうです。
昔戦場に行った事がある俺が来たよ… 戦時中は蛆虫や野草を食うのは当たり前・・・ 雑草なんて贅沢な方だった・・・
戦場の三ツ星と言えば蛇、カタツムリ、○○○の根っこですね
トイレで勉強は競艇の学校でもしてたな
単純な質問で済まないですが、
>>634 で言ってる野草と雑草の違いは何?
>637 「雑草などという草はない」 by 昭和帝
>>617 もう次の展開考えついただろ?さっさと書けよ。
焼いたかたつむりって美味いよね。
641 :
名無し三等兵 :2009/02/07(土) 13:21:10 ID:kUsi3aTt
市街地にいるカタツムリなんて焼いたら消滅するぞ。
>640、うかつに触るとひどいぞ!、でんでんむしwww
昔はカタツムリが多かつた・・・
変なウイルス持ってるんだろ? >でんでんむし
そこらへんの用水路で釣ってきたアメリカザリガニ喰うようなモンか
フランスやスペインの田舎では普通にカタツムリを取って来て焼いて食ってるけどな。 焼けばいいのよ、焼けば寄生虫も病原性ウイルスも関係ない。
取って来る時点では、まだ焼かれてないからなあ。 手とか調理器具経由の間接感染ってケースがあったハズ。
あと這った後のヌメヌメも触らない方が良いと聞いた事が有る
フランス人の食うデンデンムシは、ちゃんとした衛生的な隔離されたケージで 養殖されたヤツだよ。
でも昔は野生のを採って食べてたんでしょ?
フランス人はカエルも喰うぞ
美食って一歩間違えればゲテモノ喰いだからなw
喰うものが無い国と、喰えるものはあらかた食い尽くすぐらい発達した国でゲテモノ料理が生まれる
中華もそうやね
普通ツバメの巣なんて味も何もないうえにつばの塊くわないよな
>>657 海鼠以上に謎だな>最初に食ったヤツ
危険を冒して、鳥や卵でなく巣を採ってきて、手間隙かけて食うというw
戦場とは無関係だけど
>>632 チェルノブイリ事故の時に、ポーランド等で配られたヨウ素剤は
見た目も味もヨードチンキを薄めたようなものだったので、ニュース映像では
乳幼児は口にしてすぐに吐き出していて可哀相だった。
事故からしばらくして、日本原子力学会誌に載った論文(つーか、あれは読み物だったか)
によれば、人間が代謝するヨウ素の量を飽和させるには昆布ダシの汁物
碗一杯分で十分らしい。その読み物の結論は
「原発事故に備えてヨウ素剤を備蓄するくらいだったら、昆布を備蓄しろ」
だった。現在、国内で備蓄されているヨウ素剤は錠剤だったはず。
素人は火を通せば良いと知ってても、 その加減を知らんから寄生虫にやられるんだよ。
>657 ホヤを最初に食べた奴はナマコ以上にチャレンジャーだよなw あとウミウシとか食べないのは、最初に食った時に不味かったからなんだろうなw
有名な話だが昭和天皇はうみうしを食された、 調理を命じられた料理人は困惑したそうだが。
『Humor in Uniform』から二つほど。 我々の師団は砂漠の嵐作戦のために、ハンビーを砂漠色に塗り替えていた。 結果ピンクみたいな色になり、みんなジョークを飛ばし始めた。 あるお調子者が我々を桃色機甲師団と名づけた。 しかし一番面白かったのはハンビーのバンパーに張ってあったステッカーだ。 ”メアリーケイの事なら聞いてね” -DAVID K. DRURY 第二次大戦の時、陸軍航空隊としてヨーロッパへと送られる前、 私の父は彼の相棒に20ドルほど貸していた。 二人は違う部隊に送られ、連絡を取る事が出来なかった。 数ヵ月後、私の父の飛行機は撃ち落とされ、酷い傷口から出血し、 脱出し、ドイツ兵に捕虜として挨拶する事になってしまった。 長い鉄道の道と多くない飯と強制的な行進の後に、 彼は指定された捕虜収容所へと辿り着いた。 彼が工場に入ると、聞きなれた声が聞こえた。 ”このケチ野郎!たかが20ドルのために どんな手段を使ってでもついて来たってのか?” -BRUCE EY
>>617 続き
翌朝ばあちゃんが漁港に出てみると、軍艦の姿はもうどこにも無かった。
昨夜遅く逃げるように出港して行ったという。
手紙の束を預かったのはいいけれど、当分内地に戻る予定も無かったばあちゃんは困ってしまった。
仕方ないからまた来月軍艦が戻ってきたら兵隊さんに返そうって思ったそうだ。
だけど、ばあちゃんの期待をよそに今度は何ヶ月たっても軍艦は戻ってこない。
三ヶ月、半年、そしてまたたく間に1年あまりの月日が流れた。
(まだまだ続けます)
まってるよ
>>664 (´・ω・`)そんなにかまってもらいたいの?
>>664 続き
軍艦が来なくなって一年ほど経ったとある夏の一日。
ばあちゃんがいつも通り漁港で魚の仕分けをしていると、何だか漁港の事務所の方が騒々しい。
やがて漁港の偉い人がやってきて「皆、ちょっと作業を中断して事務所の方に来てくれ」と言う。
今までこんなことは無かったことだ。
訝しげに顔を見合わせる人達の後についてばあちゃんも事務所に向かった。
(さらに続く)
創作しながら書き込んでるように思えてならんな
まってるけどもうすこしまとめてくれんだろうか、誰かの監視の目を逃れて細々書いてるわけでもないだろうし。
PCがやっと直ったので
>>617 の続き書こうと思ったら
勝手に誰かが続けててワラタ
全然違う話になっとる
やっぱ創作だったのかw
>>671 とりあえず、まとめて読みたいから一気に終わらせてくれw
っていうか、メモ帳にまとめてから投下するんだwwwww
>>667 続き
漁港事務所のある広場の前まで来たばあちゃんはビックリした。
とにかく人が多い。まるで漁港の労働者全員が集まったような物凄い人だかりだ。
人垣の向こう、事務所の棟のすぐそばには踏み台のようなものが設えてあり、その上に何か箱のようなものが載っているように見える。
やがて、事務所から一人の男が現れて何か叫んだ。ばあちゃんには全く聞こえなかったが、好き勝手に喋りあっていた人々が急に静まり返る。
男は遠くの人にもよく聞こえる様、手をメガホンのように口に当てて叫んだ。
「今からラジオで陛下直々の重大放送がある。皆謹んで拝聴するように」
あの箱はラジオだったのか、重大放送って何だろとばあちゃんは思ったそうだ。
やがてラジオから何か音が聞こえてきたが、音が低い上に雑音混じりで遠くに居るばあちゃん達には何がなんだかさっぱり分からない。
ただ、前の方でラジオを聴いている人達の様子が明らかにおかしい。
すすり泣く者もいれば、号泣している者もいる。皆一様に首を垂れうなだれているようだ。
傍に居た知り合いのおじさんが痺れを切らして「何のお言葉だったか前の連中に聞いてくる」と言って人垣を無理やり押しのけて前方に出て行った。
ほどなくしておじさんが戻ってきた。顔面蒼白だ。おじさんは腰が抜けてしまったようにヘナヘナと座り込む。
そして眼に薄っすらと涙を浮かべ、こう呟いた「日本は戦争に負けた・・・」と。
やがて広場に集まった人達は皆肩を落し、うなだれたまま各自の持ち場に散っていった。
がらんとした広場の構内。ばあちゃんも悲しかった。ただ無性に悲しかった。
あれだけ水兵さん達が頑張ってたのに何故っ?!やり場の無い深い悲しみに突き動かされてばあちゃんは闇雲に走った。
そして何かにぶつかって目の前が真っ暗になった・・・。
次回予告
新たなる旅立ち
ついにばあちゃんは故郷の津軽を目指して住み慣れた北の大地を後にする。兵隊さんから託された大切な手紙の束を抱えて。
だが、戦争に負けた日本の現実は、そんなばあちゃんにとてつもなく重く、そしてつらい試練を与える。
果たして、ばあちゃんの運命は如何に!?
次回も大増量でサービスサービスぅ!!
すっこんでろ
酢っコンブウメェ
677 :
名無し三等兵 :2009/02/11(水) 12:43:13 ID:oIifUD+R
主人公の「ばあちゃん」は、当時は「若い娘」ぢゃったんぢゃろ? 第三者的視点でリアルな「娘さん」として描いたほうが、 ヤジはエールに変わり、注目率も評判もアップすると思う。
もう自演あきたよ
人の好き嫌いと同じでさ、やればやるだけ嫌われる文章ってあるんだよ。 このスレにはマッチしない感じ。 表現力を頑張られても小説を楽しみたいわけじゃないんで、 会話のリアリティとか視点とかに凝ろうとする姿勢はゲロゲロだわ。
>>664 以降まともな書き込みが無い件について
創作小説がしたいなら相応の板を探してやれ
>>674 続き
「あ・・・あの・・・じゃぁ、僕はこれで・・・」
彼は無言でやはり笑顔を見せ、さっと左手を顔の付近に挙げ、別れの挨拶をしてきた。
ヨレヨレのTシャツに破れかけたスニーカー。
入浴セットの入った洗面器を持ったうだつの上がらない格好をしていた僕は、会釈もそこそこにいそいそとその場から離れる。
珠玉のようなマシンと、実に男らしいライダーを前にしていつも以上に気後れしていたのかも知れない。
電柱を5本ほど歩いたところでチラッと振り返ると、彼は既にヘルメットとグローブを装着し「機上の人」になっていた。
カタナの暖気が始まった。
その野太い大型動物の唸りにも似た排気音は、僕が路地を曲がるまで聞こえていた。
GSX750Sカタナ・・・大型自動二輪・・・時速200km・・・。
これまで全くといっていいほど僕に関係の無かった世界の片隅を垣間見たような気がした。
バイクなんて興味が無かったのに何故かしばらく意味不明の高揚感が止まらなかった。
「・・・バイクか・・・」
部屋に帰って思わず口をついて出た独り言に自分自身で驚いたのを覚えている。何かのスイッチが入った運命の日だったのかも知れない・・・。
・・・余談だが、今でもあの日のことを彼は覚えているらしく
「あの時のフグ田くんは捨てられた子犬のような目をしていたなぁ。なんだか放って置けないような気がしてね」
と言って僕をからかう。
そう、あの日は僕の一生の親友。アナゴ君との出会いの日でもある。
た゜から617とそれ以降の続き書いてるやつは別人だろ とりあえず、続きをまってる人もいるんだから、一気に投下して終にすればよろし
そのときであった・・・ ヴぉ・・・ ヴおおおおおおおお どどどどどどどどどどおおおおん 機首に付いた機関砲を、雨あられのように発射する 見たことのない攻撃機が・・・ むしろA-10
617と言えば小沢ターン
シンガポール攻略戦下の鉄道第9連隊の中隊長の話から スレンバンで一人の12歳の少女が鉄道隊に預けられました。 少女は、父はインドの雑貨商。母は日本人のからゆきさんだった らしく、日、英、マレー語に通じており、通訳として雇われたという。 「日本軍は必ず勝つ。兵隊さんが来たら、戸棚のビールやお米を 出してあげなさい。日の丸を振って万歳といって迎えなさい」と 母親は言い残して英軍に連行されていったそうだ。 この話は美談として昭和18年度の「初等科国語五」に掲載される ほどの強烈さがあったのこと。 シンガポール陥落後、憲兵隊が少女の母親の行方を捜したが、 英国官憲によって監獄に収容された後、インドへ連れ去られたと 判明された。 ジョーホルバルでこの知らせを受けた少女は、鉄道隊の手によって 元のスレンバンに送り返されたそうです。 中隊長が戦後、この少女の消息をたずねてまわったが、わからなかった のこと。
引揚・復員の読者体験記の一部を編集 20年10月、ソ連軍の発行したパスポートを握って北朝鮮の小さな駅に 日本人が200人集まりました。男は数人で、ほとんどは女、子供でした。 しかし、「機関車に牽引力がない」との理由で私たちを乗せた貨車2両を 切り離して列車は行ってしまいました。 1日、2日と機関車が来るのを待っていたら、3日目に機関車がやってきて 私たちのいる駅に止まりました。すると銃を持ったソ連兵が10人ほど 降りて来ました。貨車には日本の軍人が捕虜として乗せられていたのです。 言葉をかわすことは出来ません。黙ってお互いのあわれな姿を見つめあい、 涙がほおを伝わりました。兵隊さんたちも泣いていました。 やがて、その貨車は北に向かって動き出しました。 そのときです。「捕虜の身にこんなものはいらない」と叫んで毛布、財布、 果糖などを私たちの貨車に向かって投げてきました。 「日本に生きて帰れよ!」、「子どもを死なすなよ!」と口々に絶叫しました。 果たしてあのときの兵隊さんの幾人が、日本の土を踏むことができたでしょうか。
>>685 マレー半島は反日華僑がウヨウヨいたから喰われたんじゃねえの?
ま、12歳の少女が戦時に一人で居たら犯されずに済むわけ無いな。
ほのぼのとしてねぇ(´_`)
12歳の少女だと体売ればとりあえず飢えないですむから幸せじゃん
そういう冗談はν即でやって
戦争で起こった出来事を美談に仕立てて悦に入るより、 辛くても陰惨な事実を語るべきだろう。
戦時中ではないが、ガダルカナル戦で活躍した百武晴吉中将の 兄の逸話に、こんなのがある。 百武家の五男である源吾氏が海軍兵学校(30期)時代に 31期の下級生に薩摩藩島津氏の家老であった川上氏の末裔を 名乗る者がいたらしい。 百武源吾氏は兵学校でも特に優秀な人物で、名前は知れ渡っていたが、 川上何某は「戦国時代に百武家の主君である龍造寺隆信の首をとったのは 俺の先祖だ。大将を守れなかった一族の末裔なぞ大したことないわ」と 吹聴していたらしい。 たしかに百武氏の先祖、賢兼は戦国時代、肥前の龍造寺氏の四天王で あったのは衆知の事実である。 この噂を知己の者が源吾氏に密告してきた。この話を聞いて源吾氏は 「3百年前の過去の栄誉をかさにきる川上何某は、これから世界の海へ 目を向けてる日本海軍の大望には浮き草のような存在よ。 未来の栄光を築くことに遠回りしてしまう憐れな奴だ」と 一笑にしたという。 この逸話が嘘か真実は分からないが、兄の百武三郎氏は海軍大将、当人は 兵学校30期で唯一の海軍大将、弟の晴吉は陸軍中将に昇りつめている。
「戦争は面白かったよ」 陸軍部隊の通信兵(最終階級曹長)として南方戦線を渡り歩いたわが大叔父の言葉です 乗っていた船を沈められ海を泳ぐこと2回(うち一回は海軍の軍艦に乗っていたときだそうです) 「安南(アンナン)には日本兵相手の慰安婦がいっぱいおったよ こっちを真剣な眼で見ながら『ヘイタイサン、アタシヲカッテ、オネガイシマス』なんて言われて 買えるか?年端もいかん、あれは12、3歳くらいの娘やったよ 持っとった有り金全部やってしまった、行為はしとらんよ、あれは本当に綺麗な娘やったねぇ」 生涯独身を貫き自身の寝タバコから発生した火事で命を落としたわが大叔父は 彼岸への夢のなかでアンナンの美少女のことを思い出したでしょうか 正月で帰省したいた私は救助しようと手を尽くしましたが火勢が強すぎてどうにもできませんでした 自身の無力を改めて実感させられた出来事でした、今でもあの火事のことを思い出すとたまらない気持ちになります
>>693 海軍兵学校の学生で、在学中に先輩の悪口を堂々と言う奴がいたとは驚きました。
仲間内でこっそり言うならともかく、吹聴していたとは。先輩が怖くないのだろうか。
この川上何某も何気に度胸が座っているのかもしれん。
戦時中でも戦場でもないが、自衛隊での話。俺が当直のときに強い台風が来た。 当直なので、翌朝になってから被害をチェック。敷地内もショップのドアが飛んだり、 ゲートが門柱がゆがんだり、停電したまま等、被害を受けていた。 巡察を続けけていると、ハッサクとキーウィの木が倒されているのを発見した。 ここはもともと民間の修道院があったところで、いろいろとその時に植えられた植物が 野生化したりして残っている。この二つの木も、そのうちの一つで果実は営内者の間食や 訓練後の補給食として愛用されていた。 戻って当直幹部に報告。施設の状況を報告しても気のない返事だった。最後に「キーウィ とハッサクの木が根から倒れています。」と報告したら、「何ッ」と初めて驚いていた。 その後被害復旧が始まったが、まっさきにこの二つの木が起こされたのは言うまでもない。
>>696 建物はお金さえあればすぐに直せるが
おいしい果物がたくさん収穫できる果樹は、時間をかけないと手に入らないからな
俗に「桃栗三年柿八年」なんて言われるけど、 キウィは種から植えて何年で実を付けるんだろ?
南の方の基地なの? 楽園なの?
>>698 家庭菜園レベルでは 種じゃなくて接木で栽培して
苗から最短で3〜4年で収穫みたい。
うちの裏庭に植えたキウイは根付くのに二年、実を付けるのに四年掛かった。 その後五年ほど、まともな大きさの実は幹一本に二〜五個という感じで、えらく 成長の遅い木だなあと呆れたもんだ。 十年目にしてやっと、枝を広げた棚いっぱいに実が成るようになった。 二帖ほどの棚の四隅の柱に苗を植えて、最初は匂いにつられて猫がやってくる (キウイはマタタビ科なんだそうな)だけで、何度も他の果樹に替えようかと思った が、我慢して今に至る。 おかげで十五年目の去年は、近所にお裾分けしても追い付かないぐらい成った。 本州では元々の季候よりもだいぶん寒いんだろうね。 接ぎ木にするのは根付くまでに時間が掛かるからだろうね。 マタタビの類はいろいろと有るので、寒さに強い品種が丈夫な根を張ったところ に枝を接いだ方がもっと効率が良いんだろう。知らんのでえらく遠回りをしたorz
>>699 北関東だが家の敷地でも育ったよ…味は農家(ビニールハウス)産の市販品に負けるけど。
はっさくは無理かもしらんが、蜜柑も庭で採れる。
うちでは満州→東京で終戦を迎えた元陸軍下士官の爺様がせっせと育てていた。
「麻布の兵舎に柿の木があって、古参兵が『あれは美味いですよ』というので楽しみに
していたら、43年秋に北の丸に異動して食わず仕舞だった」。
上京したての頃「土産は何が美味い?」と聞いたらこの麻布の柿の話をされた。他の物
にしてくれと言ったら「偕行社で出た茶菓子」と、これまた皆目分からないものを言い
出した。戦中や兵営での食い物の記憶は強烈なんだろうな。
703 :
696 :2009/02/16(月) 22:31:39 ID:???
>>699 九州北部の某基地です。これで多分見当がつく人もいるかと思います。
他にもキャベツやホウレン草が野生化していましたが、食べ物のせいか
草刈りでも、皆がそれをよけて刈っていたため生き延びたようです。
き、北の方でもニラとかなら自生してるよ! …あんまり楽園じゃないね
朝霞駐屯地は野蒜がいっぱい自生してたな。 開放のとき、ちょっと話をした官品息子が父ちゃんのつまみにって しこたま抜いていたが。 あと野良ウサギもいるけど、これは非常食ではないらしいw
64で撃ったらばらばらになっちゃうじゃんw
>>705 どっかのスレにあったN公園の鹿じゃあるまいし
鮑、栄螺、蛸が捕れる某分屯基地。
オイオイ、北の方で自生してる行者ニンニクを食材に取り入れてれば日本最強といっても 反対しないのに
>>709 行者ニンニクとか常食した日にゃ臭いが・・・
711 :
名無し三等兵 :2009/02/18(水) 04:30:05 ID:Q+Ob09kA
「死後の肉体占有に食べられし地獄絵は故国の人に語るべからず」 ルソン帰りの中津賢吉の歌集の一節である。
カニバル愛好家うぜぇ
戦後の食糧難の時は、南方で食った人肉の味が忘れられなかった復員兵により 多数の殺人、カニバリズムが行われたそうだ。
>>713 ホッホッホ、両脚羊(人肉)の美味さに今頃になって気がつくとは、小日本人は馬鹿でアルね。
美味い肉について語らせたら、中国人に勝るモノナシアルよ。
クールー病でクルクルパーアルヨ
日本人美味しいね!白人マズイ
どこがほのぼのする話だよ 荒らしはまとめて死ね
+に帰れ
モンティパイソンであったな。死んだおっかさん食べちゃうスケッチ
開戦初頭、北ボルネオの油田地帯を制圧し、採油作業に入ったころの 独立工兵第二中隊のところに英領印度軍の捕虜一個大隊が派遣されてきた。 この捕虜一個大隊の収容所の管理を任せられた著者の伍長は、 苦労話を語っている。 捕虜のうちわけは、英人将校数名と下士官、あとはヒンズー1個小隊と マホメット2個小隊の混成で、生活の慣習がそれぞれ、違っていたのである。 2種部隊の食糧が全然違うため、衛兵や管理の伍長にブーブー文句言われる わ、夕方近くになれば、仕事おっぽり出して西の方で座して十数分拝むわ。 衛兵が収容時間なので引っ張っていこうとすると、またブーブー文句いわれて 伍長がなだめに出向かないといけないわ、と初期の捕虜管理が難渋していた そうだ。 そのうち伝染病がはやって捕虜の一部も死んでしまったが、衛兵が普通に 土葬しようとしたら、また2種部隊から文句をいわれる。 マホメットは焼いて水葬で、ヒンズーはそのまま埋葬だと難癖つけられまくり だったそうだ。 英人将校がこの捕虜大隊を指揮してたのだが、この指揮官の中尉は好人物では あったが、曲者な部分もあり、ヒンズー小隊とマホメット小隊との揉め事などは よくおさめていたが、こちらの衛兵と捕虜の揉め事には、ワザと知らぬふりを していたようである。伍長が英人中尉に頼ろうとすると、タバコなどの 嗜好品を要求されていたそうだ。 おかげで管理者であった伍長は、軍から捕虜指導で表彰されたそうだ。
>720 たぶん埋葬法が逆だ。 回教徒は死後復活して裁きを受けなければならないので 肉体を保存する必要があり絶対に土葬 (火葬は肉体を消して永遠に地獄or煉獄へgo!となる) ヒンズーはふつうに火葬する。 子供は焼かないとか細かい戒律が決まっているが 戦士ならばそういうこともあるまい。 もっとも、焼き方はいい加減で、生焼けでも流す。
生焼けが川を流れてきたらおっそろしいわ
連中はその水を普通に飲んでるぞ
724 :
名無し三等兵 :2009/02/20(金) 19:02:01 ID:zajTf7km
この前、ガンジスの写真展観てきたが,野犬が岸辺で死骸食ってた。
日本でもクルマに轢死された(ぬこ)食ってるカラスを よく見かけるね。 吐きそうになるわ。
>>724 昔のウイスキーの広告でそれと同じような写真が使われたことがある。
>>725 そんなこと言ったら、魚の死体の刺身や寿司も、
牛や豚の死体を切り刻んだ焼肉は喰えねえよ〜
オマイら、ほのぼのとした話しろよ。
>>729 殺し合いの戦争で本筋から目を背けて
耳障りのいい話ばかり聞いて悦に入るという態度がアマい。
スレタイぐらい読めよ
>>727 まぁー実際に食料生産の現場は、結構えぐい面もあるわけで・・・。
ハムの製造工場の従業員の人、働き始めて1ヶ月は肉を食べる気がしなかったとか。
でも、男はタフでないと生きられない。部隊とはぐれてサバイバルする羽目になったら
魚だったら捌いてワタ流して喰わなきゃいかんし、ヘビだったら皮剥いて・・・。
ここに3回ほど資料や本から抜粋してアップした私であるが。 揚げ足取りや、茶化す方が多くて原作の著者の皆様に 申し訳なく思ってきました。 著者の原文をそのままに私が簡潔にまとめてアップしてきたのですが、 これでは、原作者の方々が中傷されているようなので ここには二度とアップしません。 原作者の方、ならびに皆様に、私が勝手に抜粋し、編集してここに アップしてきた事を心からお詫び申し上げます。
独り言
イラク支援でお馴染みのヒゲの佐藤さんがゴラン高原に派遣されてた時の話。 当事、ゴラン高原ではカナダ軍、オーストラリア軍、ポーランド軍とともに 宿営していたそうで、ある日、彼の部下の一人が外国人女性兵士に気に入られ 、夜、部屋に戻ると彼のベットで彼女が待ち受けていて、彼は何かされてはた まらないと佐藤さんの所に「隊長助けてください!」と言って逃げ込んだそうです
大湊のある飲み屋のおかみさんの話 店を閉めて床につこうとしていたら外からガヤガヤとお客さんたちが来た気配 いつも来てくれる駆逐艦「白雲」の人たちが来たのだろうと思って下に降り酒を温めようとしたら 誰もいなかったそうです、おかしなこともあるものだと思っていると港では何日かたって 北の海で「白雲」が撃沈されたらしいとささやかれだしたと言います 戦後調べてもらったらちょうどあの不思議な出来事のあった日に撃沈されていたのだとか
「愛しのロクサーヌ」思い出すた。欧米でもシャイな男性は居るんだなと驚いた。 原作の「シラノ・ド・ベルジュラック」はモデルになった同名の人物が居たんだなぁ。
>>735 据え膳食わぬは武士の恥
とんだ玉ナシ野郎だな。
現代日本には百姓しかおりませんがの
一瞬グレアムチャップマンな隊長のところに駆け込むペイリンの絵が浮かんだんだがw
自衛隊は自室ベッドまで侵犯されてなお発砲できない玉無しなのかorz 例え短銃であっても、敢然と立ち向かい、弾を撃ち尽くすまで反撃して欲しかった。
そんなことしたらしたで叩きまくるくせに…
ほのぼのではないけど、不審船事件で海保が正当防衛射撃してる時に 「位置とって下さい位置ー」 ドダダダダダダン!(発砲音) 「撃てー!」 「今印刷しちょる」 「あい今印刷しよる」」 てのがw
ぼのぼの
ある不良兵長の逸話 この兵長は第三師団の輜重隊へ入営した。17年に関東軍へ転属を 命じられたが、出発までの期間、機密保持のため、外出禁止である。 ところが、彼と同年兵の上等兵は、酒が飲みたくて仕様がない。 一策を投じ、厩の馬を故意に放馬させ、あとを追うフリをして 二人は営門の外へ駆け出したのである。 この奇策は上手く効を奏し、彼は上等兵と共に、酒家で、思うさま 痛飲できた。 しかし、その後がよくない。酔っ払った千鳥足で帰営したので、 営門で衛兵につかまり、週番士官に、気絶するほどブン殴られたので ある。 このときに週番士官が、この行為への釈明を問うたら、兵長は 「自分らの仲間は多く死んでおります。自分もまた生きて(日本へ) 帰るつもりはありません。満州へ移るに際し、せめて彼らの霊と共に 心おきなく痛飲したかったのです」と言った。 任務に忠実な出征兵士の真情な吐露であろうが、更にぶん殴られたのは 言うまでもない、と述べている。
酒を飲みたいが故に馬を逃がし、禁じられている外出をした上に 酒を飲み言い訳をする 死刑にならんのこれ?
軍隊もそこまで鬼ではない。角田和男氏は、酔った勢いで上官を殴って 知らん振りかましたが、事なきを得た。 また酔った勢いで兵舎の上官の部屋のベッドにワインをぶちまけたが、 翌朝の朝礼で上官から皮肉を言われただけで済んでいる。
そうなんだ そういや坂井三郎さんも無茶やってたね でも知らん振りはワロタ
でも鬼の霧島第三砲塔の時代はマゾになるくらいケツバットくらってたな
憲兵ボッコボコにしたデストロイヤーもいるしなw
>>747 射撃をした位置をGPSか何かに表示、後日の証拠とするために
プリントアウト、という流れではなかろうか
ほのぼのしない…
気持ちを切り替えてガダルカナルでの食糧事情の話でもしてほのぼのしょうか?
最近戦友がおいしくて仕方ありません 頭なんてもうみんなで奪い合いです
761 :
名無し三等兵 :2009/03/02(月) 17:09:10 ID:j6JgIniW
ガダルカナルとレイテの両方を体験した将校によると、 食糧事情はガダルカナルの方がまだマシだったそうな。 細々とでも補給があったから、多少の希望もあったと。
このスレ、初めてなんで既出かもしれないけど。 「午後5時、静かになった戦場をあとにして、帰途につく。途中、3機でチャンバラごっこをし始める。 これは、編隊を組んでいて、小隊長機が、2番機、または3番機にたいしてチャンバラを挑むのである。 (相手にたいし切りつける格好をする) ・・・以下 チャンバラ動作の説明・・・ 省略します。 ちなみに小隊長機は、坂井三郎氏。 引用:サムライ零戦隊 島川正明著 より どうかな? ほのぼのじゃないか・・・
763 :
名無し三等兵 :2009/03/02(月) 20:08:57 ID:xJFxxxmj
>>762 完璧なスレ違い
そんなの軍板住人ならみな知ってるぞ
真偽のほどまでも
765 :
名無し三等兵 :2009/03/02(月) 23:10:21 ID:0UabbmCE
>>761 その点、中国戦線はまだ恵まれているな。食糧不足で飢餓に陥ったという戦記は見た事ない。
とある部隊の話。大戦末期、部隊は最後の決戦に備えて陣地構築をしていた。
食糧は補給された米が大量にあったが、困った事に副食が全くなかった。
主計課は周辺の村に買出しに行ったが、皆軍票を嫌いなかなか売ってくれない。
仕方なく支給された煙草などで物々交換をした。ある日は大量の冬瓜の買い付けに成功した。
当分は冬瓜汁尽くしになるな。
主計課は全員苦笑いした。
で、オチは?
その点補給がまだ順当だった、日中戦争期中支軍での「贅沢な逸話」に 「手違いなのかカレー粉が続々届いた」ていうのがあったな。 最初はカレーライス、カレーすいとん、カレー味の煮付け等に応用して 兵達にも好評だったが、何せ他の糧秣に較べカレー粉の量が圧倒的だった。 汁いつもはカレー風味、副食物もカレー味なのが延々と続く(前線近くで都市 もなく、当時の中国農村部ではカレーが知られていないので物々交換も拒否 された)と次第に兵もうんざり。とうとう始末に困って中隊長だか大隊長級が 「前線近くに到達しつつあり、匂いで接敵時に不利の恐れあり」を理由に 放棄を許可。大量のカレー粉は手近の川に放り込まれた。 折しも下流域で活動中の別の部隊、川上から真っ赤な水が流れてくるので 「上流では大激戦、屍山血河とはこの事だ」と戦々恐々としたそうな。
>>767 訂正
×汁いつもはカレー風味→○汁はいつもカレー風味
他に日中戦争期のある部隊では、
「明日敵の籠る山岳陣地を強襲する。一つ美味いものを拵えてやってくれんか」との大隊長
命令を受けた、娑婆で料理人だった司厨兵が発奮して美味いカレーを作った…ら、
「…こんないい匂いのものを作っちゃあ、敵に『動きあり』と教える様なものだ!…飯も
十分炊いて大盛りにしてくれ!」と、叱責なのかよく分からない褒辞を貰ったそうだ。
ドイツのあちこちの屋台で人気の、カリーブラート・ヴルスト(カレー風味のソーセージ)も
戦後の物々交換時代に、カレー粉ばかりやたら大量に出回ってハンブルグ版肝っ玉母さん
がソーセージにまぶして営業したのが元祖だとか。
何かカレーの話して申し訳ない、自分でカレー食いたくなってきた。
どうせ、あちこちで残虐行為してたんだから、銃で脅して無理矢理カレー粉と交換すればよかったのに…
本当にやってりゃ、 お前も産まれて来なくて済んだのにな
戦後、横須賀には米海軍が進駐してきたので、進駐軍ベース前の 通りは、かつて書店や菓子屋だった店が、ヒトヤマ当てようと、軒並みバーや 写真屋にリニューアルしていった。 当時、「ニューシカゴ」というバーを経営してたパパサン、ママサンの 話では、アメリカ式ギンバエは凄まじかったそうだ。 ある夜、馴染みの青い目をした一等兵曹が、「パパサン、ウィスキー タクサンタクサン、プレゼント」といってきた。 「明日午前6時に車でゲート前に来い」というので、約束どおり、自転車に 乳母車みたいなモノを引っ張らせたシロモノで来てみると、「ノー、ノー、 トラック、トラック」と彼が怒鳴っている。 見れば、彼はトラックに山とウイスキーを積んでいた。 また、別な米人二等下士官が、ある夜「マスター、船イラナイカ?」と いうので、「いるよ」といったら「明日の朝、三笠ポンドに来い」というので、 現地にいったところ、上陸用舟艇2隻を引っ張ってきた。 マスターは、てっきり「手漕ぎボート」ぐらいと思っていたので、目の前の 軍用艇にあきれはてて、尻込みしていたところ、舟艇を追いかけてきた 監視艇が現れた。 当の二等下士官はあわてて逃げ出したが、そのうち捕まった。 「やれやれ、俺は乗らなくてよかった。乗ってたら、ともに軍法会議だった」 と、マスターは胸をなでおろしたという。
カレーは余ってるくらいなら一度鍋で振舞えばいいのに
>>764 >真偽のほどまでも
え、もしかしてウソなの? 教えてくれくれ!
銀蝿じゃないけど、ある意味スケールの大きいというかデタラメな話。 『人民解放軍第○○師団』と称する「師団長以下全部偽物」のインチキ師団が、 国共内戦末期に長沙近辺に駐屯。そのまま軍管区に編入されて、何故か正規の 装備を(どこからか)調達・補給されて居座り。延々50年間にわたって市の行事 に幹部が出席したり、地域の青年を訓練したり、改革開放路線開始にあわせて ホテルやレストラン迄経営する有様。 ケ小平死後の軍管区再編によって「帳簿上存在しない部隊」なのがやっと発覚、 このニセ師団は解体された…らしい。当時の読売新聞に出ていた。
>744 昔の軍閥か国民党の残党が 解放軍の軍管区にうまいこと潜り込んでいたんだろうなぁ・・。
>>774 オレが仕事で中国に行ったとき、現地スタッフと一緒に移動するクルマを運転していたのが、
元人民解放軍のドライバー。
「仕事が終わったんで観光に行きましょう」と観光名所に出かけたら実弾射撃場があり、
クレー射撃ができる。
「いっちょ、撃ってみるか」とオレが言い出したら、ドライバー氏、硝煙の匂いに血が騒いだらしい。
通訳が言うには「勝負しましょう、負けた方が今晩の夕食のビールおごるってことでどうです?」
生まれて初めてクレー射撃をやったオレと、元解放軍のドライバー氏、
スコアは全くの引き分け。
「しょうがないなあ、じゃ、今夜のビールはハンブンコな」。
・・・飲み始めて酔いはじめて、
オレ「何が解放軍だこのヘタクソ!ギャハハハハ」
ドライバー氏「xxxxx!xxxxx!ギャハハハハ」
通訳「日本と戦争するつもりなんてないんですからいいんですよ、と言ってます」
オレ「まったくだ、仲良くやろうぜ、よろしくな」
・・・楽しい酒宴のあと、もしかしてアイツ、わざと外して花持たせてくれたのかな・・・と酔った頭で考えた・・・。
元プロな人は、隠れて腕を見せるようだ。 雀荘の打ち子だった爺さんを呼んで、あとシロウト3人で マージャンを5局やった。爺さんのスコアを計算してみると、 見事にプラマイゼロだったのには、驚愕した。
スナイパーでも150m当てられる腕さえあればとりあえず実用に問題ないから射撃下手なやつも実はいるらしい 逆にオリンピック級の奴でも2〜3週間で死ぬ奴もいるし 射撃の腕よりも普段の隠蔽技術や逃避経路の確保のほうがはるかに重要らしい
中南米の某国にアメリカ軍が早速治安維持名目で出動し制圧。 あっけなく片付いたこの出兵で、アメリカ兵の損害は重傷2名に留まった。 一人は、駐屯地の自動販売機にコインを食われて(詰まって商品が出ず)怒り、蹴りを入れて 倒れた自販機の下敷きになった兵。 もう一人は、くわえ煙草で便器に座り、排便後にまたがったまま(前の利用者が殺虫剤を散布 していた)便器内に煙草を放り込んで引火・爆発したものであった。
>780、ちんちん丸焼け?
>>782 大やけど。消化剤まみれで搬送され、救護兵も野戦病院のドクターも負傷箇所を知るや
「何やったんだコイツ」とみるみる冷淡にor馬鹿にされたそう。
前者の話は、アメリカの有名コラムニスト(誰かは忘れた)が「戦死より事故死の危険性
が高い」平時の米軍を皮肉って
「昨年、合衆国海兵隊の少なくとも3名の兵士が、自動販売機相手に名誉の死を遂げた」
とか書いた元ネタになった。
バンドオブブラザースも鹵獲したルガーが暴発したり つまらんことで死んでるな
そう考えると日本の自動販売機は優秀だなw
転倒事故は聴いたことがない
自衛隊でもこないだ、 チャリンコに2ケツで走ってた陸士が警官に見つかって、 逃げる途中にコケて死んだという情けない事件があったな。
防衛隊員と警官は不倶戴天の仇敵だというのはよみがえる空でもでてたな 人命かかっているような状況でも足を引っ張り合ってる
ゴーストップ事件以来の伝統
犬狼伝説みたいに両者で銃撃戦しないかな
PIATは装填しそこなうとバネで強打しかねない
開戦初頭、フィリピンのバターン半島へ攻勢をかけていた頃。 サンフェルナンド近くの村落に駐屯した第3野戦輸送司令部勤務の 曹長は子ども好きで、村の子ども達が「ニッポンバンザイ」とか 「ギブミー」と寄ってくると、必ず手持ちの乾パンなどの嗜好品を 分け隔てなく上げていた。 いつしか、村の子ども達も「あいつは必ず物をあげる良い人」の イメージが付いたらしく、1週間ぐらいすると10数名の村の子が 曹長の野営する建物に屯ってきた。当然、隊長の少尉からお咎めが 来て、「二度と子どもらに物を恵むな」のお達しが下ったが、曹長は 夜の作業や村落の巡回の傍らに、コッソリ子ども達に嗜好品を 渡していた。 この話を聞いた日本の報道班が曹長に取材してきたので、子ども達と 手をつないだ曹長の写真が新聞に掲載された。 さすがに隊長も「司令部近くに現地人がうろつかれては、機密漏洩に つながりかねない。貴様の責任を持って、服務外に限り、村の外での交流を 認める」と妥協した。 曹長は隊長の言葉にも感謝し、自重しながらサンフェルナンドから 去るまで子ども達と交流をかわしていた。
斉藤道三がよく使ってた手だな 子供を懐柔しとけばそれが大人に自然に伝わる
この曹長の場合は打算が無かっただろうけど、 慰撫工作としてお菓子とかを配るって効果あるよね、
占領後の対日政策は徹底してたからな
今もアフガンやイラクで米軍が同じことしてるよな ハンビーに銃弾と同じ位お菓子積んで子供達にばらまいてるらしいな
それで好かれているかというとw
アラブ人に温情とか恩義とかいう言葉内からしょうがない
あるだろ
アラブ人は結構シビアだが、義理堅い面もあるようだな。本田勝一が「アラビア遊牧民」 でシビアなアラブ人像を強調していたが、実際に長期間アラブと接していた人が「短期間 しかアラブ人と接していないのに何が解るのか。私は、アラブ人の義理堅い行為を体験し てきた」と批判していたな。
アラブ人といってもいろいろだからな 遊牧してるような田舎モノなら田舎ものらしく純朴なだけともいえるし 都市部の連中なんてひどいもんだろ
純朴な(?)アラブ人といえば、1988年・イエメンであった事件。 遊牧民が一族挙げて、商取り引きの為に都市にやって来た。取り引き終了後、 久々に町に入ったので娯楽を求め、長老以下の男達は映画館に立ち寄った。 上映演目は『ランボーIII 怒りのアフガン』。 最初のうちは普通に映画を見ていた男たちだが、ムジャヒディンが攻撃され、 ランボーが捕まって拷問を受けている辺りで皆「映画だということを忘れ」、 激昂しはじめた。ついに長老がスックと立って叫んだ。 「お前達もムスリムなら、この不信心者どもをやっつけてこの男を救ってやれ!」 部族のルールで、ジャンビーア(半月短剣)や銃火器を携行していた男達は咆哮、 自動・半自動・ボルトアクション取り混ぜた火器の一斉射撃をスクリーンに浴びせ 抜刀・吶喊。映画館は阿鼻叫喚の混乱になり、遂に最寄りの陸軍が出動した。 結局、この部族は他の友好部族の説得により映画館を退去・羊での賠償に応じた。 これ以降、イエメンでは「映画館に入る場合、ジャンビーア以外の武装を預ける」 規則が成立している。
映画みるのにAKもっていくなんてロナウプアでもないぜw さすが
テニアン島のハゴイ西岸に米軍が上陸した。 761空の井上氏は、生き残った搭乗員らとテニアン中央、 ラソー山麓の海軍航空隊の集合場所に向かって進んでいた。 夜陰に乗じて、ハゴイへ向かう陸軍の部隊と出会った。 軽戦車が七、八両ほど通過した。 「小さなタンクだなあ」と、だれかが言うと、 「タンクとはなんだ!戦車と言え!」と、砲塔の戦車兵は殺気立っていた。
>>806 小学校時代の、同級生の爺さんが戦車乗りだったよ。
左手の薬指先が無いので、最初そのスジの人かと思ったら
ゲリラに行軍中襲われて、慌ててハッチに挟んだとか。
ある時、前線に到着したら敵の前線を攻めあぐねていた
歩兵部隊の「戦友一同」が
「タンクだ!味方のタンクが来たぞ!」
「万歳」「頼むぞ〜!」
とか大喜びするので、半ばヤケクソに乗車吶喊したら敵が
逃げていったとか。
歩兵科だったうちの爺さんも演習場で「タンク乗りは歩か
なくていいのう」と言ったら「じゃあ乗ってみな」。
乗ったら、車内は狭く、暑い上に絶えず震動して閉口。
…「軍隊・兵科に楽っちゅうのは、ない」と言ってた。
>>794 もう物故した、郷里近在の小学校長の話を思い出したよ。
この人は当初教員を志したが、腕試しのつもりで出した士官学校が合格。
「日華事変の時局下、名誉な事だ」と周囲に押されて入学、任官後満州に
配属されて牡丹江で分屯していた。折しも昭和15年頃、暇さと本人の子供
好きもあり内地から送られた甘味・菓子を近所の子供に配って喜ばれた。
隊付下士官も、農家出身で年下の弟妹を思い出したのか加わり、いつしか
相互に出張時には菓子饅頭等を土産にするようにしていた。
やがて満州から他戦線への兵力抽出が始まり、部隊は同地を離れる事に。
すると近隣の住民が別れを惜しんで、食べ物等捧げて見送りに来た。一部
は涙ながらに「隊長さんが満人ならば、ずっと居てもらえてよかったのに」。
本人も泣きそうになったが、軍人だからと堪えたそうだ。
戦後復員して、師範学校改め教育学部に学んだこの人、一部教員や学生から
「ゾル」呼ばわりされたりしながらも、あの日の言葉に背を押されるつもり
で頑張ったとか。
>>808 ググっても分からなかったんだが「ゾル」は多分「ゾルダート」の略で
普通の学生が復員軍人上がりの学生に使う蔑称なんだろうな。
本土決戦して住民皆殺しの戦いしてればいかに兵隊さんが苦労したかわかったのにな 日本がダメなのは本土決戦しなかったからだな
761空の井上氏 その後 テニアン島の日本軍守備隊は壊滅し、敗残兵となった井上氏は、他2名と 一緒に米軍の掃討から逃げ回る毎日となった。 ある夜、井上氏たちが隠れる場所を探していたら、海岸に日本兵二人が ゴソゴソとやっていた。近づいてみると、一人は見覚えのある整備兵曹 であった。 彼らは筏を組んで、今からテニアン島の目と鼻の先にあるアギガン島へ 渡るという。アギガン島は米軍が無視しており、テニアンから陸兵40名が 送られていたので、井上氏もアギガン島へ渡る事を考えてはいた。 整備兵曹が「お前たちもはやくアギガンへ来いよ」と一声、闇の沖へ消えて いった。 これに刺激された井上氏たちは、次の晩に筏を組み、海を渡ろうとした。 海上には夜でも米軍の哨戒艇が見張っており、他の2名は体力も無くなって 引き返す。それでも井上氏は、筏から丸太一本引き抜いて単独で渡海しよう としたが、あと五百メートルぐらいになって夜が明けてしまい、哨戒艇に 発見されて捕まってしまった。 サイパン島の捕虜収容所に送られた井上氏は、米軍からの尋問を受けた後、 指定された幕舎へ入った。見れば井上氏より一晩先にアギガンへ渡ったはず の整備兵曹が寝転んでいるではないか。 井上氏が彼に声をかけると「なんだ、貴様も来たのか」と、照れくさそうに 笑った。 彼ら二人も昨朝、哨戒艇につかまって、井上氏より一足先にここへ来たばか りであった。 お互いに気まずい再会であった。
>>780 便器に殺虫剤散布+タバコのポイ捨て=股間火傷ってけっこうあること?
私はその話を東欧のどこかの国の話で聞きました。
まだ東西冷戦だった頃の話。男が自宅2階のトイレでで大便をしようとする。便器に虫がいるのを発見。
早速殺虫剤を噴霧。虫は死んだ。安心して用を足し、くわえタバコを便器に捨てたところ
引火。股間丸焼け。
妻に救急車を呼んでもらった。救急隊員は男を担架に乗せて下に降りようとしていたところ、
火傷箇所の余りの面白さに吹き出してしまい、手を滑らせ担架を落としてしまう。
男は担架ごと一階まで階段を転げ落ちる。
男は股間火傷+転落時の負傷で病院送り。
当時の東欧なんて政府から一庶民にいたるまで冷徹無比な連中だと思っていたので(ロッキー4、ランボー3
レッドスコーピオンそのまんまのイメージ)
こんなおちゃめがあるのを知って笑うと共に、なんだ同じ感情を持った人間じゃんと嬉しく思い、また安心した。
>>812 けっこうあるか知らないけれど、「便器の殺虫剤に煙草引火」シリーズなら
この話以前に「イスラエルの話」として「便器が爆発」と聞いた事があった。
>>780 の話はアメリカ人から、飲んだ時に聞いた話。
フロンガス規制の悲劇か
日本でも氷殺ジェットで引火爆発させた馬鹿が 何人かいたと思う。
816 :
名無し三等兵 :2009/03/16(月) 23:34:10 ID:K/fai9yC
桜木町から成田空港まで成田エクスプレスか京成スカイライナーどちらかを使って行きたいのですが、どちらがお勧めですか?
817 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 10:36:15 ID:n6rzyEi7
南洋で蟹がたくさん捕れたが、料理する深鍋がない。 で、ふと思いついたのが、零戦のスピンナー。 廃機のおかげで、おいしい蟹が愉しめたそうな。
スピンナーってペラの先っぽ?
819 :
霧番 :2009/03/17(火) 11:29:55 ID:d4JUqI4y
南洋で蟹って取れろ物なのか? 北の海産物ってイメージなんだが
>819 蟹なんぞは赤道から北極の氷の下まで何処にでもいるよ。 ついでにおまいさんが想像してるタラバガニとかは蟹じゃなくて ヤドカリの仲間だ。
ハサミ含めて足が8本なのがヤドカリの仲間でで10本なのがカニの仲間だな
822 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 12:40:51 ID:BLbe+L9R
すいません、今度のゴールデンウイークにハワイ真珠湾に行きたいのですが、どこの航空会社が良いでしょうか?
823 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 12:49:51 ID:WrOOLixB
>>816 京成スカイライナーいいよ。
幅が広いから揺れが少ないし。
824 :
奈々氏 :2009/03/17(火) 12:58:46 ID:WrOOLixB
>>822 このスレ的には。
大日本航空で南洋経由、グアム乗換えで
PAAのチャイナクリッパーでハワイじゃないか。
>>822 水上機かセスナ機をチャーターしてカフク岬から真珠湾へ飛んでもらうのも良いですよ
「チンタツスグサセニコイ」wwww
新婚の奥さんに打った電報 「鎮海を発つ すぐ佐世保に来い」
828 :
霧番 :2009/03/17(火) 19:25:02 ID:a2aXVNzW
>826-827 新婚の奥さん宛に鎮海を出航するから佐世保に会いに来いという意味で第一報 「チンタツサセニコイ」 その後出航が中止になったため第二報 「チンタタズサセニクナ」 困った奥さん,両親に相談して電報を返していわく 「チンタツモタタズモサセニユク」
830 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 22:34:54 ID:FPcvWPez
民間徴用船が、潜水艦の攻撃を受けて沈没に瀕したとき発する緊急電報は 「セコセコチンチン」なのだ。
831 :
霧番 :2009/03/17(火) 22:37:37 ID:a2aXVNzW
>>829 私の聞いた話では、「チンタツサセニコイ」 この電報を受け取った妻が
余りの内容に、夫の親に相談。夫の父は息子の出した電報が情けないやら恥ずかしいやらで
大激怒!!
艦が佐世保に到着すると、そこには鬼の形相の父が待ってました。
この話は何種類かあるんですね。
電文の文字数で課金されるから、なるべく短くしようとしての珍事だっけ?
課金がどうってことよりも、染み付いた海軍式ってやつじゃない? 作戦行動中はなるべく短くやり取りしたほうがいいし 指令=シ 先任参謀=セサ 来艦せよ=ラ みたいな。
836 :
名無し三等兵 :2009/03/20(金) 23:15:44 ID:epqfi4ya
海中特攻の伏龍部隊で使用する酸素を生産してる民間会社へ調達に行ったところ、 生産量が不足とか難癖理由を付け渋い顔をして、なかなか売ってくれない。 いつも社員はタバコが品不足で困ってるとか、さりげなく言うので、 部隊からタバコ大箱2箱都合を付けて持参したら、係員は態度が豹変。 注文以上の酸素瓶が湧いた様に出現したそうな。 特攻兵器の酸素も、民間では嗜好品とのバーター交換が不可欠だったと。
>>835 なんか、昔「世にも奇妙な物語」であった話を思い出してしまった。
合理化を追求する企業が、社員に言葉まで短縮することを求めると。
「アイスレモンティー」 → 「ア」
略しすぎだ。
>>837 うちの部長は「アイレモティー」と言って注文するw
NATOの情報部では部下のコード名をA〜Z割り振る しょっちゅう死ぬからそれ以上にはならん
>>839 それにしては、いつまでも新入りの下っ端だったが>Z
へまばかりしてるからな 情報部員は実力主義
万年少佐乙
たまには休め。常春の国なんかいいんじゃないか?
少佐がエロイカじゃなくパタリロとつるんだら過労で死ぬ
手旗でカコカシシラ→艦長並びに航海士至急来艦せられたし で、あってたっけ?
昭和初年のある朝、霞ヶ浦で酔いちくれ飛行してた中尉がいた。 前夜、仲間と呑んでるうち、戦闘機の夜間着陸で議論になり、 「では、おれが実験してみる」ということになった。 持ってる鍵で格納庫を開け、寒い空にまいあがったのだが、 深酒してるから夜間着陸どころでない。2時間ばかり飛び回って 酔いをさまし、ようやく明け方におりてきたのであった。 ドテラ、下駄履きの夜間飛行であるため、この中尉は軍記壊乱で懲罰を 申しつけられた。
昭和20年4月。本土決戦に備えて鹿児島県出水郡の長島に 第107分隊が海岸砲の建設にやってきた。 海岸砲建設の近くに住んでいた山下イツエさんは、家を徴用され、 母屋に砲弾がズラリと運ばれいた。 ある日、山下さんが裏の畑で干した雑草を燃やそうとしてると、分隊の 砲兵さんがやってきて「今、非常事態なので火気はご遠慮ください」という。 聞けば、ズラリと並んだ砲弾の重みで、母屋の床が抜けて後始末を やってる最中だそうだ。 山下イツエさんは、大層怒って銃殺覚悟で「兵隊さんに協力して我が家を 貸したのに、家を壊すし、私の仕事も邪魔するし、勝手すぎるんじゃない ないですか」と若い砲兵さんに文句を言った。 夕刻に分隊長の兵曹長が山下さんが仮泊してる物置小屋を訪ね、 「色々迷惑かけてすみません」と缶詰の差し入れをもってきた。 これには山下イツエさん、意表をつかれて「兵隊さんは恐ろしいものだと 思ってたけど、案外と人情があったもんだね」と感心して、以後は、文句を 言わなくなったとの事。
内地の田舎で問題起こすと共同体が強すぎて食料も確保できなくなるから低姿勢なのは当たり前 天皇の臣民だし外地みたいに適当に射殺していうこと聞かせるわけにもいかんし
第一戦車連隊第三中隊下の小隊長の実録 開戦勃発と同時にシンゴラへ奇襲上陸し、予想以上の進撃速度で 敵陣地を突破して敵の後方に進出した。 後続の歩兵とかなりはなれ、歩戦分離の状態になっていた。 私は小隊を反転して、歩兵の前進を促進しようとしたが、これでは 歩兵に「戦車が後退してきた」「逃げてきた」と思われる恐れがあった。 このおそれは、ゲマスの戦闘で、ある歩兵が戦車の集結のための反転を 「戦車後退」と叫んだため、歩兵の第一線が総崩れになろうとした例が あった。
>>878 憲兵なんかはただ威張り散らしていたり弱いものいじめばかりしてるイメージしかないんだけどな
憲兵といっても田舎だと 村の世話役とかに話を通さないで無理やると闇討ちしたり 連れてきてれば家族にイジメや村八分は普通にした うちの地元(富山)は密造酒やヤミ米とか普通にしてたがスルーだったな 軍隊が銃もって駐留でもしてない地域は大体こんなもんだと思うぞ
海軍砲術学校にて。 授業中、コックリと居眠りでもしようなら、個人への手痛い 制裁だけならいいものの、その夜、吊床教練で分隊総員に迷惑を かけることになる。 これに耐えるのに、誰がいつごろからはじめたのか、「砲校式 居眠り法」なるものがあった。これは、姿勢を正したまま教員に 顔を向けて、堂々と居眠りするものである。 おそらく目の玉は半分白目になっているであろうが、教員からは 見えていても「やりおるな」と、自分の若いときを思い出して黙認 してるのかも知れないが、とがめられることはなかった。 この「砲校式居眠り法」は、大変なご利益のあるしろものであった。
セルフ鉄拳制裁でガンガレばいいのに・・・
本気で眠いと頭殴っても全然痛くないからなぁ。手も頭も ぐわんぐわん低く響くだけで
>>852 なるへそ
そこらへんはイラクの米軍と変わらんな
連合軍捕虜収容所からドイツ兵捕虜が終戦直後に釈放される際、捕虜の大佐がドイツ 兵たちに語った言葉 ドイツは戦争に敗れた。しかし、諸君は良い兵隊だった。自分は諸君を誇りに思う。こ れからは、故郷に帰ってそれぞれの人生を立て直して欲しい。ドイツの再建には、諸君 ら全員の力が必要なのだ・・・ 出典は「バンド・オブ・ブラザース」。TV版ではこのシーンで、件の大佐に「兄弟の絆だ」 と、タイトルの意味を語らせてた。敵方にタイトルをしゃべらせる演出には、「敵も立派に 戦った、尊重すべき人々」という意味が込められている気がして、感心した。 確か、既出のエピソードだと思うが、良いと思ったので書いてみますた。 他にも既出のエピソードで、ベルリン戦で、戦場に送られたヒトラー・ユーゲントの少年 兵たちに、SSの士官が「子供は帰れ。これは大人だけのパーティーだ。」とか言って追い 返し、避難させたっていうのもあった気がするが、これは出典は何なんでしょう。
俺は今までバンドって音楽のことだとばかりおもってた
漏れは上海租界のコトかと
残念だなこれは30歳未満の未成年はお断りのパーティでな
861 :
名無し三等兵 :2009/03/31(火) 01:36:27 ID:YomPRqd6
その昔、人道的な兵器として、岩塩爆弾というのが企画されてたそうな。 破片が皮膚に振れると痒くてたまらず戦闘力を失うとか。
ドリアンを砲弾にして撃ち込むっつー話もあったらしいな
脳天に直撃したらあらゆる意味で悲惨
864 :
名無し三等兵 :2009/04/01(水) 00:35:16 ID:BrshMyCw
戦前のSF雑誌には、クロロホルム弾というのもある。 撃たれた兵士は眠ってしまうだけで、平和…
それ化学兵器と違うのか
866 :
名無し三等兵 :2009/04/01(水) 11:46:40 ID:vV/O5FMU
>>817 南方に行ってた人に聞いたことがある。
終戦後、空腹に負けて川の蟹を生で食べた人は
寄生虫のせいか病気で死んだそうだ。
ドロップタンクの先端で鍋はよくあるな
川の生き物にはほぼ寄生虫がいるからなぁ。
カレン民族解放軍とミャンマー軍の内戦での話 睨み合いの続く最前線、戦闘の合間に舌戦も行われていた。 「カレンの山猿!」 「そんなとこで毎日マスかいて、ママが泣いてるぞ〜!」 カレン軍塹壕内でその舌戦を聞いていた日本人とフランス人の傭兵達は、幼稚な罵り合いの文句に顔をしかめた。 痺れを切らしたフランス人兵士がニヤリと笑い同じ塹壕内にいたカレン兵に紙切れを渡した。 紙切れを一瞥したカレン兵はブッと吹き出し「OKOK」 と塹壕を走り出て行った。 「何あれ?」 と聞く日本人兵士に 「何、気の利いたセリフを教えたんだ」 と紅茶を飲み始めた。
〜続き〜 離れた塹壕からカレン兵の叫ぶ声が聞こえてきた。 戦場に沈黙が落ちる。普段なら文句が帰ってくるところ。 「あれ?なんかさっきまでと違うな?」 と皆が考えた直後 返事の代わりに迫撃砲が撃ち込まれてきた。 フランス人兵に内容を聞いても笑うばかりで答えない。 帰ってきたカレン兵は満面の笑みを浮かべて親指を立ててみせる。 日本人兵士が紙切れを奪って読んでみると… 「お前らこんな所に居て良いのか?今頃女房、姉妹はお前らを送り込んだ上官にヤラれまくってるぞ! 無事に帰れたらアソコの臭いを嗅いでみろ!ドブより酷い臭いがするぞ!」 迫撃砲を撃ってきたのは絶対コイツのせいだと暫くの間一同爆笑、幼稚さはどっちもどっちだと思いながらも笑い転げたそうだ。
「戦友」に書いてありましたな! 同氏は処分しきれなくなった敵兵の頭蓋骨を的にして射撃訓練して遊んでいたそうです。
PAC3配備がFARC配備に見えて意味不明だった。
最果ての ひなびた里で 会いし君 今は佐世保の 夜の帝王
練習艦の遠洋航海では鬼の指導官付の中尉も帰国が近づくにつれ上機嫌に 自分が帰ることを打電した婚約者からの返電が軍艦「山城」他一隻を中継して練習艦「八雲」に着信 いわく「まあうれしい ※子」 以来、鬼の指導官付氏の全軍共通のニックネームは「マアウレシイ」に
876 :
名無し三等兵 :2009/04/08(水) 13:03:12 ID:vHlpxJ+j
WWTの毒ガスみたいに七輪並べて団扇でパタパタと…w
戦時中、夫を兵役にとられた嫁さんや未亡人の、不倫や浮気が深刻な 問題になり、軍はバイブレーターを研究開発した。 バイブレーター第一号は、日本軍の手によって誕生した。
インポになったとか言って傷病手当貰おうとする奴が多すぎて、本物そっくりなマムコも作ったそうだな、日本陸軍。 使い勝手はいまいちだったらしいがw
チンコは簡単にできるだろうけど、マンコの代わりは難しいよなw 合成樹脂は偉大w
そもそもまんこに突っ込んで気持いいのかよくわからん 鍛え抜かれた利き腕よりよいものは少ないだろ
ソロプレイ専門でござるか
エロゲーで鍛えちゃったからなかなか民間人に手を出す気分になれなくて困る
>>878 19世紀には医療器具として、電動のものが開発されていたと思ったが。
アメリカではヒステリーの治療に使われていたはず。
狐付きとかの治療って、絶対セックルしてたよね。
日本にはこけしの伝統が!!
日本には昔から張形っつーものがあってだな
男の園なら菊門だろw
>>878 直接は関係ないですが、 >>未亡人の、不倫や浮気
について色々考えてしまいました。
・未亡人に不倫や浮気が成立するのか?操を立てるべき相手が死亡した事により存在しなくなっていが・・・
・未亡人の再婚は不倫や浮気の延長線に位置づけられてしまうのであろうか?
・当時の世間一般倫理観として、未亡人は再婚することなく一生未亡人である事を求められたのであろうか?
いわゆる戦争未亡人のことを言ってんじゃね? 旦那は生きてるけど戦地だから、持て余しちゃう〜☆みたいな
未亡人が嫁さんいる旦那のところに抱かれにいったら 不倫成立では?
俺の知人は海自のインド洋派遣で半年出港してて、家に帰ったら嫁さん妊娠3ヶ月だったらしい。
>892 とりあえず、お疲れ
うちのお茶目な爺ちゃんが、酒の席で「満州にいた頃に満州人の妻がいた」と 口を滑らせた。俺の親父とお袋は「ええっ!?」って感じで初耳らしく 爺ちゃんも、あっヤベ言っちゃった・・って思ったか、急に全く喋らなくなった。 気まずいことこの上ない雰囲気。 婆ちゃんはその事知ってたのかどうかは不明だが別に 特に驚く様子も無く、当時はそういうの普通だったみたいに言ってた。 当時の感覚では、結婚=身の回りの世話をしてくれる女性と一緒になる って感じで、恋愛の延長線上の結婚っていうのとは違ったんだろなと俺は理解した。 軍が強姦してたのかどうかとか、そういうのは流石に聞きづらいので分らんけど。 別の話では、元朝鮮籍の日本人(なんて呼んだらいいんだ?)の満州での 中国人(満州人)に対する「俺様は偉大なる日本人だぞ!貴様らチャンコロとは違うんだ!」 みたいな中国人に対する今までの報復みたいな態度が横柄であまりにも目に 余る程だったらしい。ある時、食堂で、そういう新日本人の連中が中国人をいびってたら 向こうも我慢の限界でブチきれたらしく「お前のどこが日本人だ!この朝鮮人の分際で!!」 って感じで乱闘騒ぎになったらしい。 爺さんは心の中で「やれやれ!」って煽ってたらしい。 日本語の発音とかで、朝鮮人だって判別されたのかな。 まさか相手が朝鮮族で、朝鮮語で会話してたって事は無いと思うけど。 爺さんの部隊(?)では上官が元朝鮮人ってのも別に普通の光景だったみたいで 純日本人としてはあまり気持ちいいものじゃなかったのかな。 でも普通に仲良かったらしく、今でも当時の朝鮮人の友人に習ったというアリラン歌える。 日帝に何もかも朝鮮文化的な事は禁止されてたってのはダウト。
日本人は部下イジメのほうが流行だから現地人にかまう時間はない
戦友がジャガイモゲット ↓ 夜中にこっそり煮る ↓ 馬糞でした ↓ あばばばばばばば
>>894 そうそう、前半の話で思い出したけど日本にはそもそも『恋愛』という文化がなかったらしい。
誰の本だったか忘れたけど、昔の日本では
>>894 にあるように
結婚=身の回りを世話する女性でその上、子孫繁栄の為だけに籍を入れるようなものが普通で、
既婚の男性は嫁さん以外にも外で女性(女郎、又はそうでない普通の女性)と遊ぶのが普通だったって。
でもその際には互いに『本気の関係』にはなってはいけないってのが暗黙の了解だったらしい。
だから今で言う同性愛も今ほど偏見は厳しくなく、それなりにあったらしい。
んで、男女関係なしに皆知ってる事でそれが当時では普通で、男は殆どやってたみたいだから、
所謂『地方妻』的な女は大体皆いたとさ。。。
…なんと羨ましいw
898 :
名無し三等兵 :2009/04/11(土) 15:50:01 ID:VKcq8L1P
>>893 駒田wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
さっきあった話。 かなりの大雨の中、傘もなくただゲーム(AC3w)を買うべく電車を降りた俺は、駅前のマクドの軒先で何やら困っとるじいさんを発見。自分でも不思議だが自然に 「どうされますた」 と聞いた。じいさんはあんま上手く喋れんらしく、「ふんだらひってほんだーへん」を連呼。俺は一瞬話しかけたことを後悔したが、ちょい聞いてるとどうやら目の前の傘立てが邪魔でマクドに入れんという事だった。 足腰も弱ってるみたいで、何故か片手でスーパーとかにあるカートを掴んでた。多分田舎のばーさんとかが歩行器代わりにしてるコロコロ(名前がわからん)みたいなもんだろう。 まあ大体事情はわかったのでとにかく傘立てをどけてると、マクド店員登場。ここで仕事は終わったかと俺はすぐ近くの階段を「それでわ」と言いながら駆け降りた。 そんで鞄を頭に載っけて雨避けとし、10分余りで中古ゲーム店に到着。結局無かった…(アマゾンで注文)
そしてまた帰る。雨は弱まってたが行きの雨でもはやキャパシティーの限界に達していたマイチェクシャツはずぶずぶだらだら。心地悪くてたまらず傘差してる奴が憎らしく思える。だがコンビニで傘を買うなど言語道断、自らの過失を金で補うわけにはいかない。 ぽすぽす歩いて目前に駅が迫り、高架下で信号待ちしていると 「何処までいかはるねん」 とじいさんのもっさり声。大体70くらいか、目は細くて小さく、黒豆にしか見えん。 「すぐそこです」と言うと、じいさんは傘に入れやと言ってくれた。感謝感激雨霰、出来れば中古店辺りに居て欲しかった。 信号が結構長かったのと、じいさんのとぼとぼ歩きに合わしたため、行きは5分の高架下から駅までの行程は10分以上にまで延びた。 「さっきから見てたんやけど、わいの足じゃあんたに追い付けんからな」 じいさんはそう詫びた。詫びる必要ないのに詫びるのは良い人だ。俺はじいさんを褒め称えた。 「えわあえわあ、大した事無いがな。 旅は道ずれ世は情けや、あんたもどっかでえー事したやろ」 ああ、まあ。と俺は答えた。 「そう、せやからおいちゃんは傘貸したっとんねや、まあそゆことやな」 そこから駅に入って、ホームでじいさんと色々話した。アイランド型ホームで、じいさんは奈良方面、俺は大阪方面待ち。
903 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 18:30:33 ID:v3rj3AOA
で、それのどこが戦場の話なんだ? つーか日本語でおk
雷がなって、じいさんは「わしもな、小さい頃傘かされた事あるねん」と言った。軍板に入り浸る俺はこのスレに書き込むネタが出てくると直感し、聞き出すべく会話を進める。 「満州からの引き上げの時や」ここでじいさんは言葉を切って、「満州て知っとるか」と聞いた。まあ俺は当然、知ってますと答えた。 「ほう、勉強家やね。まあほんでな、わいらはよう帰れんと、大陸の港でずっと待たされとってん。 まあようある話で、小さい子はえろう死んだ。 そんでもくわなあかん、よう向こうの人の畑荒らした。配給なんて雀の涙や こんな雨の日やった。強くも弱くもない、普通の雨。わいにどいも盗んではしっとった。向こうから八路軍(国民党と間違いか)の自動車がきて、怖かったからわざと歩いた。 ほんならな、自動車止まってんがな。 あー」 じいさんが顔をゆがめた 「怖かったわー、ほんま怖かった」
「でもな、降りてきょった軍人さんはな、おいちゃんに傘貸してくれてん、なんちゃいら(なんちゃライラー?)とか言うてな、いってもた」 じいさんの話はそれで終わりますた
じいさんスレに書き込めボケ
>夜空に輝くオレンジ色の発光体が ここまで読んだ
908 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 19:07:30 ID:v3rj3AOA
>>906 じい様スレでもこんなクソみたいな話はいらんと思うぞw
ワロスw 戦場の話なんて実際はこんなもんだ。 ここはどいつもこいつも似たような創作話を面白おかしく話そうという輩ばかりだから むしろ新鮮だった。
失礼な。俺は実際見た聞いた話を抜粋して書いてたぞ。 編集して自分の文章で書いてるから、元ネタの人には心の中で陳謝してるが。
創作はどうか知らんが、記憶の変質や要領よく要点をまとめる等の 一種の「エディット」が入るは不可避かも知れん。 ワーテルローのン十年(50周年?)式典に参席した元新任将校共が皆、 (モーロク含む)記憶の美化で辻褄が合わず、結構揉めたらしい。ただ、 顔を突き合わせている内に徐々に正確な筋に落ち着いたらしいが。 これにも(50周年?)ってあたりに、おいらのうろ覚えが入ってる。 きっと上の話も、戦記作家や新聞記者に掛かればきっと波瀾万丈の 脚色がだな…
ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。 煽り、荒し、工作員は相手にせず、完全無視をしていただきますようお願いいたします。
うちのじいさん 泰面鉄道に関与していて、敗戦後英国軍管轄の捕虜収容所に収容。 英語が出来るもんで、英軍の黒人兵の故国への手紙を書いていたら 少し優遇されたけど、最後の帰国になったとさ。はよ帰ってこいよ。
>>910-911 まあいくら忠実に伝えたつもりでも伝聞や表現の限界があるし、疑うヤツはきりがないさ。
耄碌といえば高齢者だらけの戦友会で「お前だったっけ、憲兵にどやされたのは」
「それはお前だろ!」みたいな会話があったと聞いた。
>>913 おい、 帰って来てねえのかよ!
帰ってきてるよ!
>>915 ごめん。
>>913 の「はよ帰ってこいよ」を現状の呼びかけと誤認した。
すまんこった。憲兵屯所に自首してくる…
>>916 言ってるはしから、貴様がモーロクしてどうするw
ほのぼの話のネタ尽きて間抜けな話しかないけど・・・だめですか?
どうぞどうぞ
40〜50代の初期高齢者が多いですから。 皆さん耄碌が始まってんで巣よ。
>922 >916は>913を読んで、 「あぁ、>913の爺さんは今もまだ帰ってきていない(=現地で亡くなった)んだな」と誤読したんだろ
おーい 水島 一緒に日本に帰ろう〜
>>857 すげえ遅レスだが、ベルリン救援作戦「ワルキューレの騎行」時の第3装甲軍・
フォン・マントイフェル大将じゃないかな。ユーゲントや国民突撃隊の老兵・少年
に進撃を志願され「ならば命令する、貴様らは明日の祖国の為に生きよ」。
ベルリン西郊に(スターリングラード戦のマンシュタインの様に)可能な限り前進。
戦線維持可能な間の友軍・市民のベルリン脱出・合流を勧告したが、上層部からは
「臆病者」「断固市街まで進撃せよ」の罵声を浴びる。ヒムラーやボルマンから
「貴官の忠誠心・敢闘精神は疑わしい」と詰る電話を受けて、
「マントイフェル家は300年にわたり、祖国プロイセンとドイツに剣を捧げて来ま
した。小官も例外ではありません」と反論。市街を脱出した市民・友軍を収容して
西へと敵攻勢をいなしつつ離脱、英軍に降伏した。戦後は国会議員として、再軍備
に伴うドイツ連邦軍(「国防軍」を避けマントイフェルが命名)誕生に尽力。
実際には無数に、類似の逸話があるんだろうけど、この人が一番有名だと思う。
>>924 いや、
現状の呼びかけでなけりゃなにに対して帰ってこいと言ってるのかがわからん。
国語力に問題が?…
その時、とつぜん砲撃がはじまったんで、おれたちは慌てて手近な塹壕に飛び込んだ。 するとどうだ、そこには先客がいたんだ。 ドイツ兵が五人。こっちはたぶん四人か五人だったと思う。 最初のうちは戦おうなんて気はこれっぽっちも起きなかった。 ……そのとき、向こうはライフルを持ってるし、それはこっちもおんなじだって気がついたんだけど、 そこへ砲弾が落ちてきだして、おれたちは塹壕の端にへばりついて、ドイツ兵もおんなじことをしてた。 それでどうなったかって言うと、砲撃が小やみになったとき、 おれたちは煙草を取り出してそいつらに回して、仲良くいっしょに吸ったんだ。 あのときの気分をどう言っていいかわからないが、ともかくいまはドンパチやりあうときじゃないって感じだった。 ……向こうもこっちとおんなじ人間だし、おんなじようにびびってたんだ。 戦争における「人殺し」の心理学より、第二次大戦に従軍したアメリカ空挺隊員。シチリアにて。
軍人は別に人殺しするのが職業じゃないからな 政治家から与えられた戦略 戦術目標を達成するのが仕事だ 殺さないで達成できるほうが金と労力が助かる
某伊号潜は某南洋の島で、夜更けまで魚雷発射訓練をやって帰港した。 翌朝、なぜか艦長自ら「総員起こし!」と叫んで回ってきて、乗組員は 慌てて飛び起きたら完全に寝過ごしていた時間であった。 本来、起床の号令をかける当直兵は、なんと昨晩の疲れで爆睡状態だった のである。 実は艦長、明け方4時に起きて港で釣りをしていた。 他艦では起床の号令がかかり、港の各軍艦は軍旗掲揚のため、乗組員が 甲板に出てざわざわと準備しているのだが、当の伊号潜だけ静間に かえってるのに気づき、焦って帰艦してきたのであった。 海軍の日課の始まりである軍旗掲揚に、当の伊号潜だけ寝坊したとあっては、 当分白い目で見られるのは必至であります。 乗組員は冷や汗かいてあたふたと駆け回り、辛うじて軍旗掲揚の時間に 間に合った。 艦長は昨夜の猛訓練の後と言うことで、寝坊した当直兵には、怒らずに 注意で済ませたの事。 題名はうろ覚えだが、「海軍生活入門」だったか。その本から抽出。
戦時ではないが・・・ 1960年安保反対闘争の国内有事を懸念し、自衛隊初の鉄道部隊を 極秘に創設した。 国鉄から機関車と貨車一両ずつを払い下げてもらい、輸送科隊員 50名を選抜し、埼玉大宮の国鉄機関庫で極秘に実物訓練がはじまった。 基礎訓練を終えた部隊は、駐屯地に指定されていた習志野に移駐することに なった。そこで大問題に気づいてしまったのは、駐屯地の最寄の総武線の 津田沼駅から部隊までの引き込み線が一本もないことであった。 駐屯地まで線路を敷くか、どうしたものかと関係者が困惑しているうち、 世の中が平穏になりつつあり、防衛庁部内でも「国鉄があるのに、自衛隊 が鉄道を持つのはいかがものか」という疑問も出て、結局、この鉄道部隊は 一年足らずで解散、隊員もそれぞれ原隊に戻っていった。 五百万円(当時)もの予算を出して国鉄から払い下げてもらった 機関車と貨車は、埼玉朝霞の陸上自衛隊駐屯地に放置されてしまった。 幻の鉄道部隊を知らない朝霞駐屯地の幹部は、「何故、こんな車両が 自衛隊の中にあるのか皆目見当がつかない。国鉄からもらったもの ですからね」と語っていたという。
雑誌「丸」からでした
元満州の航空士の思い出話。 突然、関東軍司令官から停戦命令が出され、日本敗戦が満航空輸部隊に 知れ渡り、騒然となった。 関東軍司令部の参謀が、この緊急事態を大本営に報告するため、MC−20 旅客機が軍用臨時便で新京飛行場から飛び立った。 I操縦士が機長のこのMC機は、一度離陸したが、上空を一周してすぐ新京 飛行場に降りてきた。I操縦士は「重量オーバーだ。荷物を降ろせ!」と 語気鋭く係員に命じた。 実は、この重大任務に便乗してひそかに高級軍人の家族とその家財道具が 積み込まれたことを察知したI操縦士の怒りが爆発したのであった。 すぐに係員が若干の荷物を降ろし、再びMC機は離陸していった。 終戦の詔勅を聞いた後の東京行きであり、離陸までのいきさつも含め、 誰もがI操縦士のMC機が再び新京に帰ってくるとは思っていなかった。 ところが翌朝、そのMC機は新京飛行場に勇姿を現してみんなを感激させた のである。 卑劣な行動が多い混乱した情勢の中でも正々堂々と王道を歩む満航操縦士の 気概を示したのであった。
>934 千葉工大んとこの旧軍の施設に何年か駐屯。 新潟地震と38豪雪に動員だそうな。 鉄道第100大隊は。
38豪雪のとき火炎放射器で雪を溶かそうとしたけど 全く役にたたなかったって話は聞いたことがある。
>>937 話が長い。
無駄な改行が多い。
10点
461 名前: スターリングラード戦の思い出話 [sage] 投稿日: 2009/04/19(日) 00:45:38 ID:??? …当事攻防戦に参加し生き残った元兵士たちを探し出し、市内最大の激戦地で今は戦争記念公園と なっているママイの丘で語らってもらった。戦死者を悼む永遠の火を絶やさぬ記念墓地や、高さ80 メートルの「母なる祖国の像」がある。この丘で戦死した7200名の名を刻んだ壁があり、その壁面に 沿って歩いてもらった。歩いているうちに、壁面に馴染みの名前を見つける。 「ああ、あいつはここで死んでいたのか」 と始めて知り、もう老境に入った元兵士たちが泣き崩れる場面もあった。 そのうち、思い出話に花が咲いた。カメラは回り続けるが、もうカメラの存在など忘れている。 「そういえば、毎晩暖房代わりにウォトカが50グラムずつ配給されたなあ。アレだけが楽しみだった。」 「そうそう。もったいなくてチビリチビリなめるように飲むヤツもいれば、グイッと一気に流し込むヤツも いたっけ」 「一人一人の性格がモロに出たなあ。覚えているかい、セリョージャって若くて元気のいい青年」 「うんうん、まだ口ひげがうっすらと産毛のように生えてきたばかりだというのに、イッパシの男ぶって 生意気なところがあった可愛いヤツ」 「ウォトカを50グラムずつ飲むなんてケチなことをするやつは、ロシアの男じゃない、とか抜かしやがって 500グラム瓶に毎晩50グラムずつ流し込んだもんだ。瓶が満杯になったら一気に飲むんだ、と言ってね。」 「そうだったなあ。毎晩ウォトカのレベルが上がっていくのが楽しみで楽しみで仕方がないっていう風だっ たなあ」 このあたりから、ゴツくてモサモサした老兵士たちの声はやたら湿っぽくなり、鼻をすすりだした。 カメラは回り続ける。 「瓶がちょうど満杯になるその晩、ヤツは帰ってこな……」 米原万理著 「ロシアは今日も荒れ模様」より 大祖国戦争スレより。ほのぼのというよりしんみりかもしれないけど…
泣けた
ソ連らしいレベルの低さww さすがは木造機オンリー、被弾即炎上のポンコツ戦車の国wwwwwwwwwww
>>943 泣けたが、>瓶が満杯になったら一気に飲むんだ
の部分でフラグ立てやがってと思った。
イギリス空軍爆撃機の乗組員が夜間にドイツ上空で宣伝ビラをまく 任務を行った。「ドイツ首脳部は航空機の損失について何も語って ない、ドイツ人諸君よ、真実を要求せよ!」との謳い文句であった。 イギリスの政治家や幾人かの高官たちは、このビラまきに心理的効果 を与えたと期待していた。 当の乗組員はそうは思わなかった。ある将校はいった「達成されたこと といえば、(欧州)大陸のトイレットペーパーの需要を満たしてやった ことぐらいだ」。
『スターリングラード 運命の攻防戦』にあったエピソード。 スターリングラード戦当時、ロシアではまだ白の迷彩衣料が不足していて 狙撃兵だけに優先的に支給、おまけにそれが負傷したら別の兵士がそれを 剥ぎ取ってこなければ数が回らなかったらしい。 で、いつものように血まみれで横たわる仲間から衣料を剥ぎ取ろうとすると その負傷兵が息絶え絶えになりながらも手首を掴んでくる。 恨み言の一つでも言うのかと思えば、「血で汚してすまなかった」と一言。 ……ほのぼのしてないな。
バトルブリテンの真っ最中。チャーチル首相は、毎夜のようにダウニング街 10番地の庭園に姿を現し、爆撃機の爆音が聞こえ、郊外に落とされる爆弾の 音は聞こえるたびに空に手を挙げ、「こっちへこい、ここを狙え、ここだ」と 叫んでいる、という噂が流れていた。 真偽のほどはともかく、この時、たしかにイギリス軍高官の誰でも アメリカから最大限の援助を受けようと望んでいた。 そのためには、ロンドンの悲惨な状況をアメリカ国民に見せて、同情とそして 協力を求めるほかはない、とチャーチルは考えていた。 レナード・モズレー著 「バトル オブ ブリテン」より
BOB程度の爆撃なんてその後のレベルに比べればお遊びレベルじゃん あんなの日本やドイツのレベルに比べれば悲惨でもなんでもないよ
人が一人でも死ぬ限り お遊びの爆撃なんてものはありえないんだよ ゆとり君。
人間一人ていどどうでもいい チャーチルなんてドイツの爆撃モトにいたらびびって塹壕から出られないぜ 本気の爆撃はそのくらいのレベル
かっこいいセリフ吐こうとするの止めてね キモチ悪いよ
まるで爆撃を体験してきたような言い草だな
中支派遣軍の最前線にて 日中両軍が陣地を構え、わずか数百メートルにて対峙していたが、ある日中国軍の 軍使がやってきて 「お互い無駄弾を打ち合っても仕方ないし、しばらく打ち合いをやめにしないか?」 と提案があり、最前線の部隊どおしで勝手に停戦協定を結んでしまったそうな。 そんなある日、中国語ができる日本兵が暇に任せて敵陣に話しかけた 「おーい、そちらは1日に何回メシを喰ってるんだ?」 「1日2回だ」 「日本軍は1日3回喰ってるぞ」 「うそだー!」 「本当だー!メシだけじゃない、菓子も酒もあるぞ!喰わせてやるからこっちに来いよ!」 「撃たないか!?」 「撃たないから来いよ!」 やがて本当に中国兵が日本軍陣地にやってきたので、腹いっぱいメシを喰わせて 無事帰らせてあげたという。
日露のころはマジでそういう事もあったと聞くけど…国民党相手にそんなことできたのか? 民間人ゲリラまで動員してる連中だろ
漏れは国民党軍の実態は分かんないが、人口の多い中国のこと、色んなケースが あってもおかしくない。文化大革命までは文化人も多数居たんだろうし。
レナード・モズレー氏の著書ならこっちのほうが。 撃墜されたドイツの航空兵で、イギリスの捕虜になった者は、イギリスの 寛大な待遇に喜んだ。 それは、ドイツ軍に捕虜になっているイギリス将兵に対する待遇がよくなる ような状況をつくっておきたいという、本質的にはイギリス人のフェア・ プレイの精神に由来するものだった。 捕虜収容所では、将校は作業労働につくことはなかった。兵卒の捕虜は建設 工事から爆弾処理にまでわたる仕事をやったら、たばこ銭が与えられた。 食糧は豊富で、所長が定期的にウイスキーを持って現れ、捕虜とグラスで 乾杯をしていた。 イギリスの捕虜になっているということは、戦争から抜け出してしまう ためには、もってこいの環境だった。 時には脱走を企てた話もあるが、真剣に脱走を企てたのは少数であり、 殆どの捕虜は冷やかしとスリルを味わうために企てたため、成功しなかった。
>957 赤はともかく田舎の軍閥@国民党推薦みたいなんとは仲良く・・・。 東條にバレて兵団ごとフィリピンだったかサイパン送りになったとか・・
>>959 撃墜されたドイツの航空兵はイギリスは島国なんで
脱走しても逃げ先が無いことを理解していただけでは
連合国軍パイロットならドイツで撃墜されても
スイスやスペインやスェーデンに行けば助かるから、脱走を考えるだろうが
スイスだと終戦まで抑留♪
日本だと斬首刑♪
965 :
名無し三等兵 :2009/05/04(月) 21:32:12 ID:IlsfouBQ
浮上。 阪神大震災のときに横須賀から派遣された某護衛艦の話 横須賀からの派遣はかなり急ぎで行われたために、乗員の何人かは レンタルビデオを返せず派遣された。 そのため横須賀に帰ったときは高額の代金を請求されてしまったが、 事情を説明したところどこのお店も理解してくれて請求を取り消してくれた という。
ソースは?
幕がだしてる災害派遣資料にあった。
みんなお約束みたいに 「これは〜の時の○○の話。」 とかいう前置きで書いてるけど、 なんか気取った感じで好かないので、もっと普通の言い方で書いてくれよ。
書かなきゃ書かないでもう一人のお前が文句ブツブツ言い出すからイヤ
「中国軍の脅威とは言い掛かりだ」 辻元 瑞穂 (平和活動家) 最近、9条を主とした憲法改正論や防衛力増強論が話題になっている。 そうなった事の原因の一つに、中国軍の脅威が挙げられる。 日本にとっては、隣国が強大な軍事力を持っている事に脅威を感じるのだろう。 しかし、だからと言って日本の防衛を云々というのは間違いである。 ほんの数十年前、日本が一方的な侵略戦争で中国をはじめとするアジア諸国に 大きな被害を与えたのを忘れてはいないか。 中国は、今もその痛みを引きずっており、 自衛隊を持つ日本が再び侵略戦争を仕掛けることに懸念を示しているのだ。 従って、中国軍は日本が変な動きをしないよう監視しているにすぎない。 だから、東アジアの平和維持のため日本は自衛隊を廃止することが望ましい。 いまや中国軍は東アジア全体の平和維持を担っている。 もちろん在日米軍は本国に帰ってもらう。 そして、今後の国防はアメリカより身近な中国の軍隊に一任するべきである。
>>956 似たような話が、以前、歴史群像誌に掲載されていたな。
軍楽隊に所属していた著者が、最前線に慰問に訪れた際に、数ヶ月ほど休眠戦線と化していた
ためか、部隊長が「我々だけが聞いては、聴衆が少なく、せっかく慰問に来ていただいた軍楽隊
の方々にも申し訳ない。中国軍の連中にも聞かせてやろう」といって、隣りの丘に陣取る中国軍
に連絡したそうな。
で、当日、隣りの丘の見晴らしの良い場所に中国軍部隊が座っていて、演奏が行われると、日本
軍も中国軍も、軍楽隊に割れんばかりの拍手と歓声を送ったそうな。
真偽のほどはさておき、かの国では日本が一方的に中国人を虐めたという話しか残っていないが。
973 :
名無し三等兵 :2009/05/05(火) 20:06:01 ID:lBkGf3Fp
そりゃ当時の日本があらゆる意味で悪で無いと 政権の正当性を説明できないからな中共
日本人は内部でのイジメのほうが地味に好きだから わざわざ外国人いじめしないだろ 大体メンタルや言葉が通じんから詰まらんし
>>974 同意。日本人は気が小さくてウジウジ陰険だから表だって中国の人々には何も言えない。
別にいじめようとかそういう発想は無いが便衣兵の処理とか言葉が通じ無い奴だったらあっさり殺れそうな気がする、言葉が通じ無いって意味じゃ屠殺とかわらんし戦友を殺られた復讐心も入り混じってるわけで。 日本語で命乞いはシンドイな
>言葉が通じ無いって意味じゃ屠殺とかわらん お前の感性、まさに特アが思い描く残虐な日本人そのものだな
ゲリラは国際法通じないから捕虜にしてもしょうがないから始末するだろうな
実際大陸レベルで国土総拠点化とかされたら嫌気も差す 見つけ次第ぶっ頃したくもなる罠 本土決戦してたら日本もそうなったろう
別に特アの思い描く通りでもいいんじゃない?
別にあいつらに良く思われようとも思わんし
逆に
>>978 はそんなに奴らに好意的に見られたいの?って感じだが
ほらほら特亜行け
983 :
オージー :2009/05/09(土) 10:21:02 ID:???
hahaha!途中で暴動おこしたことにすれば遠慮なく処分できるぜw!
「中国兵もなかなか良くやる」とある戦闘で勝利を収めた後で、 スティルウェルは大満悦で書き記している。 「彼らは元気いっぱいで、日本兵をやっつけることを面白がっている」。 あるとき、勝ち誇った中国軍の一隊が竹ざおの先に日本兵の首を串刺しに して行進し、これを見たアメリカ軍将校が肝をつぶしたこともあった。 ドン・モーザー著 「china-burma-india」 めくそはなくそ
985 :
名無し三等兵 :2009/05/09(土) 23:48:42 ID:GprbzaSv
980 おまえは、異常基地外だろ。
何が萌えだ死ねよキモオタ
989 :
名無し三等兵 :2009/05/12(火) 00:49:58 ID:tIoXu9h9
アニオタの浸透戦術は素晴らしいな それをもっと他の分野に生かしてほしいもんだ
世の中に数々あるオタの中でもアニオタの空気の読めなさは屈指
992 :
名無し三等兵 :
2009/05/12(火) 08:35:23 ID:mu1c4+6F