2 名前:出世ウホφ ★[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 13:44:07 ID:???0
平川教授によると、16世紀以降、来日した宣教師らによって、戦国大名が割拠し、
分国を支配する日本の姿はヨーロッパに逐一報告されていた。徳川幕府が成立すると、
それら「諸王」(大名)に君臨し、統括する幕府の将軍を「皇帝」とみなし、
皇帝が治める日本を「帝国」とする見方が強まる。1785年に太平洋を
探検したフランスのラペルーズの航海記にも日本が「帝国」と書かれている。
当時、列強の間では、「帝国」は「王国」より上の最上級の国家とみなされた。
大黒屋光太夫も、ロシアでの経験として、「王国の民だと言っても誰もとりあってくれないが、
私の国は帝国だというと皆、上座を譲ってくれた」と語ったとされる。
光太夫はロシア滞在中に、7回もエカテリーナ女帝に召し出されるなど、非常な厚遇を受けた。
「これまでその理由がよくわからなかったが、彼が帝国の臣民とみなされたから
だと考えれば納得がいく」と平川教授は語る。
「日本が中国と並ぶ世界の帝国の一つという考え方は、ロシアから帰国した大黒屋光太夫や
石巻の若宮丸漂流民などによって伝えられ、19世紀には知識人の間にかなり広がっていた。
漂流民がもたらした異国情報が、当時の人々の日本という国に対する自己認識の形成に
大きな影響を与えた可能性もあるのでは」
菊池勇夫・宮城学院女子大教授(日本近世史)は「帝政ロシアが徳川日本を同等の帝国と
認識していたとの指摘は重要だ。これを機に、世界史の中での近世日本をめぐる
議論が活発になることを期待したい」と話している。(宮代栄一) (終)
日本人は偉い 分かりましたね?