>>409 いまだにそんなデマを信じているとは
566 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2008/05/16(金) 15:55:09 ID:CodfBepT0
阪神淡路大震災の際婦女暴行が多発したというのは、
阪神大震災をめぐるデマの中でも有名な話です。
デマの出所まできちんと追跡調査されているのに
信じている人もいるんですね。
調査した人は 与那原 恵
調査結果は 「物語の海、揺れる島」という本になっている
調査の概要はこっち
http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop_2004/01/12_01/ 「ある団体が震災1ヶ月後に電話カウンセリングを開設した所、30数件の性的暴行に関する相談があった」
という記事が地方新聞に掲載された。
その情報は、様々なメディアや人権団体などで取り上げられたのだが、
他の団体にはそういった相談が来ていない事や、警察の記録に残っていない事、
その団体の言っている事の裏が取れない事などを、その団体の代表者に問い詰めた所、捏造だと分かった。
阪神大震災でのレイープの数は
疫学的には「普段とそんなに増えてないみたい」
とゆー結果が出てる。
中絶数や性病罹患率が変わらなかったんだそうだ。
ま、一件もないわけじゃないだろうけど
大激増したわけじゃないのは確かだね。
1997年6月26日(木)阪神大震災後のレイプ多発事件の真相
阪神大震災後、被災地を中心にレイプ事件が多発しているとの噂が広まった。その実態を探ったのが、与那原 恵著『物語の海、揺れる島』(小学館)の中に収録されている。初出は雑誌『諸君!』である。
まずは、この事件がマスコミに流布されていく過程を時系列に構成してみた。
1995年5月25日
「神戸新聞」夕刊「被災の母親からSOS 幼児虐待の相談相次ぐ」との見出しの記事の中で「性的な暴行を受け、悔しさや体の不調などを訴える電話も約三十件あった」と掲載される。
この記事を読んでフェミニズム団体「ウィメンズネットこうべ」の代表者正井氏が、この電話相談を受けたHに連絡を入れて、データの内容を知らせるように依頼する。
Hからの説明は次の通りであった。
震災後1ヶ月して電話カウンセリングを開設。
チラシ三千枚をコピーして東灘区の避難所などに配布。
相談を受けた事務所では9人のスタッフで24時間体制を敷く。
1995年7月14日
Hから正井氏宛に「2月から6月までの月別一覧表」をFAX
幼児虐待、不眠、家族関係など項目別に分類されていて、相談件数の総数は1635件うちレイプは37件
1995年7月16日
「女たちで語ろう・阪神大震災パート4−性暴力を許さない」集会でHが報告
1995年7月17日
H自身による電話相談の報告会開催
正井氏はHの相談データをみんなに知らせなければならないと考えて、自らの機関誌や単行本、雑誌にHの活動と相談件数、内容を記載した。
1995年11月29日
朝日新聞社説「女性はどんな暴力も許さない」の中で「ボランティアグループのもとには未遂も含めて四カ月で三七件の強姦被害の相談があり」として掲載
1996年3月
「性暴力を許さない女たちの集会」でHが「被災地からの報告」と題して発言
Hの報告を元に新聞記事として全国に伝播
筆者は、匿名を条件にレイプ事件の被害者・加害者から話を聞くことを取材の目標としていた。Hが核心であることを掴んだけれども、なかなか連絡が取れないので、まずはその周辺の取材から開始した。
兵庫県警のデータを分析すると、震災後にレイプが多発した裏付けは得られなかった。次に電話相談を設けた団体に問い合わせてみた。
正井氏が代表である「ウィメンズネット」や関西でよく知られた女性団体である「被災女性を支える女たちの会」「性暴力を許さない女の会」「みずグループ」とか大阪YMCAが中心となって開設した
「犯罪被害者相談室」、公的機関の兵庫県「こころのケアセンター・震災ストレスホットライン」など全てレイプに関する相談はなかったのである。
どの団体でも「レイプの噂はいくつも聞いているが、自分のところにはなかった」との返事が返ってきた。兵庫県立女性センターでは、1件だけあったが、相談者が途中で電話を切ったとのことだった。
Hの元にだけ多数の相談が寄せられていたのだ。正井氏はレイプがあっても不思議でなかった状況を下地に、「普通の女の子」を相手に相談していたとかHの報告が具体的な内容であることによってHを信じてしまったようなのだ。
Hの電話相談のデータを元に、マスコミが記事にしていることを突き止めた筆者は、Hと二回に渡り、のべ6時間以上の取材を行った。Hの夫とも取材をしてみると、
阪神大震災の当日の出来事が夫婦間で尽く違っていることも分かってきた。Hは「物語」を勝手に創っていたのだ。
やはり核心の電話相談の内容もお粗末なものだった。Hの当初の報告と実態を比べると次のようになる。
|震災後1ヶ月して電話カウンセリングを開設。
筆者:知り合いの家に避難していて、落ち着いたのは4月末か5月との証言がありますが?
H:始めた時期はちょっとはっきりしない。
|チラシ三千枚をコピーして東灘区の避難所などに配布。
筆者:三千枚ものコピーを配布したとのことですが、避難所の様子に詳しいボランティアセンターの職員が一枚も見ていないのです。
H:最初は百枚だったかな。
|相談を受けた事務所では9人のスタッフで24時間体制を敷く。
H:自分一人で電話相談を受けていた。
最後の極めつけは「この相談件数もレイプ相談の内容もまったく根拠がないものだと、そういうことですね」との筆者の問いに対して、
Hは「あなたがそう思うなら自由に書いてもらっていいですよ」との返事である。
ここで全てのウソが露呈してしまったのだ。Hは震災当日の出来事さえ「物語」を創る人間であった。レイプ事件も同じだったのである。
もし、筆者が緻密な取材を敢行しなければ、レイプ多発事件は事実として後世に残ってしまうことになっていたのだ。
神戸新聞がHのデータを鵜呑みにして記事に掲載して、更にフェミニズム団体が運動に利用し、新聞・週刊誌がそれを元に記事にしていった過程は最初に述べた通りである。
このような本当らしいウソが今日の記事にさえ載っている可能性は、十分にあるのだ。マスコミからの情報は眉唾物として疑ってかかる心構えが絶対に必要とされているようである。