【皇国の興廃】マリアナ沖海戦5【この一戦にあり】

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28名無し三等兵
■ レーダーよもやま。

……いずれにせよ、どんなに性能が良くても、運用者の技量(電測員)が悪かったり、
また発見しても上が握りつぶせばそれまでだ。事実、空母隼鷹や瑞鶴の2号1型電探は、
20日午後の米攻撃機隊を、かなり早い時間に発見している。
しかし、小澤司令部は、この報告をまともに取り扱っていない。
ちなみに、日本海軍は昭和18年頃ソロモン諸島のバラレ基地にレーダーを配備してかなり早期に空襲を探知している。

 補足 レーダー技術の根幹マグネトロン。

 日本のレーダー/ソナー技術は、マイクロ波レーダーについては波長10cmのものを作る技術があった。
 ドイツではマイクロ波レーダーの開発、特に波長10cmのものは最後まで開発出来なかった。
 一例として、英国の科学博物館に、バーミンガム大学が1940年12月に開発したmagnetronが展示されている。
 しかし、それと同じ物が1939年4月には日本にあった。日本無線が発明したものである。
 何故そんな話になったかと言えば、後に日本が逆探を艦に装備し海戦に望んだ折り
 米艦のレーダー波が”受信”されてしまったからだ(周波数が違うならあり得ないことである)。
 当時のマグネトロンはハード依存の周波数固定であったから独自で開発したならば、
 全く同じになる訳はない。英国の機上レーダーAI VIII は波長10cm 対して日本の2号2型電波探信儀も10cmである。
 ちなみに、ドイツの機上レーダー(リヒテンシュタイン)や地上レーダー(ヴュルツブルグ)の波長は50cmである。 
 
さりとて日本は、基礎は良くても周辺の科学技術がそれに追いついておらず、
それがレーダーの総合的な性能向上の妨げになったのかも知れない。
ドイツや英国、そして米国はその辺をカバー出来ていた。