三式戦闘機飛燕&五式戦闘機 2

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310名無し三等兵
キ61(飛燕)とキ100(五式戦)

1945年の3月、新しい優秀な迎撃戦闘機が日本上空に現れた。この新戦闘機は
はF6Fヘルキャットよりも優れ、強力なP-51Dマスタングとも互角であった。
連合軍のどの識別表にも登場していない川崎キ100は、アメリカ軍に深刻な
ショックを与えた。

陸軍はキ61飛燕の機体があまっていることから、この機体に空冷星型エンジン
を据え付けることを決めた。選ばれたのは直径の大きな三菱ハ112-Uエンジン
で液冷装備で設計された機体に空冷エンジンを取り付けるのは大変な仕事だ
った。キ100は素晴らしい技術的達成により、7週間後の1945年2月1日には、
試作初号機が初飛行している。

性能は期待以上で、鹵獲したP-51Cとの模擬空中戦でも互角だった。キ100は
速度は劣ったものの、運動性と降下性能では明らかに優位にあり、パイロット
の技量が同等ならばキ100が勝つと結論された。キ100の中低高度性能は優秀
で1945年5月に登場するP-51Dを除けば、連合軍のどの戦闘機よりも勝っていた。
しかし、高度7000m以上では性能が急激に低下した。
311名無し三等兵:2008/06/08(日) 15:55:49 ID:???
武装は20mmx2と12.7x2と、パンチ力もなかなかだった。キ100は地上要員にも
人気があり、戦争末期ではもっとも信頼性の高い日本軍機であった。最初の
実戦使用は第18戦隊だったが、この機体だけで編成されたのは第244戦隊が
最初になる。244戦隊は対戦闘機の空中戦では大きな戦果を挙げ、1945年6月3日
にはF4Uコルセアを7機撃墜している。7月25日には数に勝るF6Fヘルキャット
に攻撃をかけて12機を撃墜している。

キ100は500機が生産され、連合軍機の数的優位と経験豊かな日本軍パイロット
の払底にもかかわらず、戦闘では大きな成果を示した。エアーインターナショナル
誌の1976年10月号で18戦隊の元パイロットの住田正司氏はキ100とP-51Dを比べて、
「私の見るところ、キ100は同時に2機のマスタングを相手にできる。
キ100の旋回性能からすれば、尻尾に食いついたマスタングを振り払うのに問題
は無い。キ100のエンジンは素晴らしく、この川崎の戦闘機には重大な欠点が二
つしかないと思う。ひとつは、電気作動方式の機関砲のヒューズがよく飛ぶことと、
無線機がほとんどいつも役にたたなかったことである」と語っている。