ここだけ10年進んでいるスレ@軍板

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211ネアンデルタール人を超えて
、、、   宇宙の人間原理   、、、



「宇宙の人間原理」は、1974年、パリ天文台の天文学者ブランドン・カーターによって提唱された。
それは、ほとんどの科学者が前提としている事柄に対するから始まる――人間とは、単な
る生物学的な偶然の結果として生じたものであり、宇宙において何ら「特権的な地位」を
占めているわけではない。これは正しいのか?

カーターが指摘したのは、生命は生物学的な偶然なのか否かということなのだ。明らかなこと
は一つ――宇宙は生命を作り出すことで、宇宙自体を観測することの出来る観測者を作り
出した。この点において、我々は自己欺瞞なしに自らを「特権的」と見なすことができる。

ほかの天文学者たちも論争に加わった。例えば天文学者フレッド・ホイルは「知性ある宇宙」(1
984)の中で、我々の地域は生命を育むのに最適の条件を持っている、と指摘した。も
しも太陽の温度がほんの数度高かったり低かったりしていれば、生命は存在し得なかった
というのだ。その点からすると、全宇宙は奇妙なほどに生命に適しているように見える―
―ほとんどありえないほどに。

たとえば、炭素(生命にとって必要不可欠だ)を生成するためには、二つのヘリウム原子
を衝突させねばならない。だが彼によればそんなことが起こる確率は、サハラ砂漠に匹敵
する大きさのビリヤード台の上で、2つの球が衝突する確率に等しいという。
212:2008/10/31(金) 10:46:37 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86 ブランドン・カーター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%ABフレッドホイル

さらに、炭素を作るには新しい原子が加わると、それは酸素になってしまう。理論上は、
この宇宙のすべての炭素が酸素となり、生命の生ずる余地はなくなっていたはずだという。
だが実際には、そのプロセスのどこかが微妙に狂ったためにそうはならず、炭素の半分だけが
酸素になったのだった。

かつてホイルが述べたように、まるで何らかの「管理人」が、物理現象に干渉したかのように
見えるのだ。

ホイルはまた、もしもそれが確率の法則によっていたならば、生命が生まれることは無かった
だろう、と指摘する――そのためには、宇宙の年齢の何十倍もの時間が必要なのだ。ホイルに
よれば、生命が偶然生まれる確率というものは、ゴミ捨て場の錆付いた車の部品が風か何
かで吹き寄せられ、その結果、新品のロールスロイスが出来上がる確率のようなものだという。

ブランドン・カーターは人間原理をさらに敷衍し、宇宙は単に生命を生み出したのみならず――底
に含まれる物理現象のゆえに――生み出さざるを得なかったのだ、という。そしてこれは
神学的・希望的観測ではなく、厳密な科学的論理であると。

だがわれわれは(ベルグソンのような哲学者が述べているように)、宇宙が「生命を生み出し
た」のではない、と感じるかもしれない。生命はすでにそこに、いわば宇宙の外に存在し
ており、150億年かそこらをかけて、それ自体を物質の中に「注入」したのだと。すでに見
たように、サー・チャンドラ・ボースの発見に寄れば、金属もまた生命を持つかのような振る舞い
を示すのだ。
213:2008/10/31(金) 10:53:03 ID:???
人間原理は、ジェレミー・ナーバイのキリシャリ族の世界観にはすでに含まれているようだ。彼らは幻
視状態に入ることによって、このような特質を見ることができるという。

ゲーテが自然のことを「神の生ける衣服」と述べたことは文字道理正しく、宇宙は実際に生
きているだろうか?  もしそうなら、宇宙は「集合精神」を持っているのだろうか?そ
れはわれわれの各人を、生体の中の細胞のように支配しているのだろうか?恐らく、過去
2世紀の科学における前提のすべて――われわれは純粋に機械的な宇宙に生きている――
は、まさしく巨大な誤解なのだろう。

ジョン・ミッチェルによれば、これこそが「宇宙のカノン」の基礎となる原理だ。

「古代の海王たちの地図」で、ハプグッドはすでに、文明がすでに進歩し続けるということ
を当然と見なすことは誤りであるという結論に達している。人間原理によれば、宇宙にも、
数それ自体にも、その基礎となるパターンが存在する。さらにまた、このパターン(すなわち
カノン)は、イェリコに始まる現在の文明のサイクルよりも以前から知られていたことは明らかだ。
すなわち、我々の文明は最初ではない。

ランド・フエマスは即地学的研究によって、はるかな過去に遡る基本的パターンの存在に気づいた。
グラハム・ハンコックもまた「神々の指紋」で、遥かに古い文明の存在を示す証拠を検討し、その
源を南極に求めている。ランド・フレマスの「ブループリント」は、ギザ子午線を基点にすることによ
り、多くの古代遺跡が整然たる数学的パターンに配置されている、というもので、これはハンコッ
クのはるか先を行っている。さらに、そこに用いられている格子パターンは360度――通常、
シュメール人の発明とされる――に基づいているということからして、円を360度分割すること
は、それよりも何千年も前から行われていたことはほぼ確実だ。
214:2008/10/31(金) 10:58:12 ID:???
ネアンデルタール人が独自の複雑な文化を持っていたというスタン・グーチの前提が正しいなら、360
度の円分割はもともとネアンデルタール人によって発明されたものかもしれないと考えることも
出来る。

だが、このような知識が失われてしまうということがあるのだろうか?

春秋分点歳差はヒッパルコスによって古い星図から再発見されなければならなかった。ニネヴェ定
数とキリグア定数は、往古の存在が、太陽系に関して現在の我々に匹敵する知識を持っていた
ことをはっきり示している。彼らはまた地球の円周の長さも正確に知っていたが、それは
アレクサンドリアの司書エラトステネスによって再発見されねばならなかった。その図書館が焼かれたと
き、度量衡や宇宙のカノンに関する往古の知識が消失してしまったことは大いにありえること
だ。だが、たった一つの図書館の破壊によって、これらの膨大な知識が――古いポルトラーノに
体現している知識も含めて――すべて失われてしまったというのはほとんど考えられない。

実は本書の中で、すべて失われてしまったというのはほとんど考えられない。

実は本書の中で、その答とおぼしいものについては何度か触れた――たとえば、知的障害
がありながら、25桁もの素数を指摘しあって遊ぶことの出来る双子の存在だ。アリヴァー・サッ
クスによれば、彼らはまた歴史上の任意の日について、それが何曜日に当たるかを即座に答
えることが出来たという。
215:2008/10/31(金) 13:49:57 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%82%A2キリグア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9ヒッパルコス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9オリバー・サックス

つまり、紀元前50008年12月10日は、とたずねれば、即座に「火曜日」と答えるのだ。

どうやら人間の脳は、極めて奇妙な配線と容量を持つことが出来るようだ。そしてこれが
しばしば子供やサヴァン症候群患者に見られるという事実は、それが現代人がいつのまにか台
無しにしてしまった能力であることを示しているのかもしれない。裏を返せば、それはわ
れわれの左脳意識や直線的論理の発達と関係しているのかもしれない。つまり、専門的な
左脳の発達と共に、往古の知識は失われたのかもしれないということだ。

だから、アッシリア人は(あるいは彼等の先行者が)どうやって15桁ものニネヴェ定数を発見した
のかという問いに対しては、「わざわざ発見などする必要は無かった」と答えられるかもし
れない。彼等の数学的才能は、サックスの双子が25桁の素数を「見る」のと同じくらい容易に、
その答を「見た」のではないか。このことはまた、ピラミッドの建造者たちが、地球の(そし
て恐らくは月と太陽とその他の惑星の)正確な大きさを知っていたのかという謎の答にも
なるだろう。それは誰もが当然として受け入れる「カノン」の一部だったのだ。