>>950 この馬鹿真珠湾なんか持ち出して得意げな顔してるよw
あ〜あ期待して損した。
次はウェーク島でも持ち出すか?www
昭和18年11月あたりから昭和19年前半の64戦隊は圧倒的多数の米軍機相手に勝利を収めてるんですけどね。
隼が50機集まった戦いなんか凄かったね。
護衛のP-38を圧倒してB-24を連続撃墜。
遅れてやってきたP-51も返り討ち。
隼すごすぎるぜ。
馬力を吸収するために3枚ばねにしただけ。2枚ばねの方が効率がいい。
直径が大きいと低速時のプロペラ効率がいい。高速時は同じこと。
大きいプロペラを付けられるなら付ければいい。でも無理して付けることはない。
>>954 時代の趨勢が高速一撃離脱に傾いてる時に
低速〜中速域での格闘戦をなお望んだりしたらいかんだろ…
なんでそういう話になるの?
>>952 第二次ウェーキー島攻略やラバウル攻略、ミッドウェーも全否定なわけか。
戦争初期は米軍機や豪州軍機はほとんどが10機にもみたない数で必死に迎撃していたわけなんだが。
そんなに否定するなら初期のほとんどの作戦で米軍機が劣勢で戦っていたのが嘘だという
ソースを出してくれれば文句はないから。期待しているよ。
>>952 まあ従来の戦史にある米軍の劣勢は実は嘘ですたってのなら知りたいから俺も大いに期待
戦史叢書だって古い書籍だから色々間違いはあるんだからソースがありゃ誰も文句はないさ
梅本弘のビルマ航空戦で従来とはかなり違った一式戦像が浮かび上がったわけだし
と無理矢理一式戦の話に続けてみる
黒江保彦少佐はP-51を低空に引きずり込んで高速性能を封じて撃墜といってたやね
隼は8機で80機の米軍戦爆連合に勝利してるんですけどね。
1941.12.8 ハワイ空襲
・「加賀」からの第一次攻撃隊第二制空隊9機と
エンタープライズからエバ飛行場へ向かう第6索敵飛行隊および第6爆撃飛行隊のSBD計18 機の空中戦闘。
→SBDの墜落および不時着による損失は7機。零戦の損失は2機。
・「蒼龍」からの第二次攻撃隊第三制空隊9機のうち5機および「飛龍」の第四制空隊9機のうち3機の計8機
(藤田怡与蔵中尉指揮。なお、日本側はさらに「蒼龍」第三制空隊のうち3機の計11機の可能性あり)と、
ホイラー飛行場から迎撃をおこなった米陸軍ハワイ航空軍第15追撃航空群第46追撃飛行隊のP36 4 機の空中戦闘。
→P36の損失は1機。零戦の損失は「蒼龍」第三制空隊の2機。
またさらに「飛龍」の第四制空隊の1機が被弾不時着した可能性が高い。
・対戦闘機戦についていえば日本側の損失は上記「蒼龍」の2機(「飛龍」の1機を含めれば計3機)に対して
米側の損失はP36が1機。なお第18追撃航空群第44追撃飛行隊のP40が滑走中および離陸直後に撃墜されており
これを含めれば3機。
1941.12.22 ウエーク島
・「蒼龍」からの零戦3機・97艦攻17機、「蒼龍」からの零戦3機・97艦攻16機と、
第211海兵戦闘飛行隊のF4F-3 2 機の空中戦闘。
→F4F 1 機撃墜、1 機不時着大破。97艦攻が F4F に 2 機撃墜される。零戦の損失はなし。
1941.12.8 フィリピン(イバ・クラーク空襲)
・イバ基地攻撃。高雄基地より三空44機と台南空派遣9機の零戦計53機(横山大尉指揮)
および高雄空・鹿屋空の一式陸攻各27機が発進。
陸攻1機および三空の零戦2機が故障のため引き返し。零戦51機、陸攻53機。
零戦隊はイバ基地攻撃後、クラーク基地へ向かう。
・クラーク基地攻撃。台南基地より台南空の零戦34機(新郷大尉指揮)
および一空の96陸攻27機・高雄空の一式陸攻27機が発進。96陸攻1機が離陸時事故、96陸攻は26機となる。
→零戦の損失は三空2機、台南空派遣1機、台南空本隊4機の計7機。直接の戦闘による陸攻の損害は無し。
米側の迎撃はイバ基地で着陸態勢にあった第3追撃飛行隊 P40 18機の約半数、
クラークから発進した第20追撃飛行隊 P40 3-4機、マニラからクラークに向かった第21追撃飛行隊 P40 の一部、
およびデルカルメンからの第34追撃飛行隊 P35 の一部で、計20機程度と推定される。
渡辺二郎氏によれば戦闘機同士の空中戦闘における損害は零戦4-5 対米軍約20とされる。
1941.12.10 フィリピン(マニラ空襲)
・マニラ周辺航空兵力への攻撃。
・ニコルス基地攻撃。三空の34機(横山大尉指揮)。
・デルカメン基地攻撃。台南空の零戦22機(浅井大尉指揮。ただし4機が故障、体調不良で戻り、18機)
・これに対しニコルスから第17追撃飛行隊 P40E 、クラークから第20追撃飛行隊 P40B、
デルモンテから第34追撃飛行隊 P35A、およびフィリピン陸軍第6追撃飛行隊 P26Aの計約40機が迎撃。
→零戦の損失は三空が自爆・行方不明・不時着大破各1、不時着海没2。
台南空が戦死と海没1。戦死1は地上銃撃中に敵機に撃墜された。
まとめると自爆・行方不明・戦死の計3が敵戦闘機との空中戦闘の結果と推定できる。
米比側の損害は10機以上のP40と3機のP26。
零戦様、真珠湾でちょっとケチがついたが比島航空撃滅戦、快調。
んで米極東航空軍は12月半ばにはオーストラリアへの撤退を決定、
B17は12/17 より移動を開始する。
一方日本側11航艦の損害としては、
12/15までで零戦23機(搭乗員戦死13名)、陸攻10機(同4組)、
また陸軍航空隊も各種損失20機(同13名)とされ
作戦計画時にもこれほどまでに少ない損害は予想していなかった。
以上より
当時の在比米陸軍航空隊の主力機材である
P40BやP40Eとは、零戦の性能差以上の損失比となっている。
米陸軍航空隊については攻撃を受けた場合の初動態勢の混乱があり、
また3機編隊・速度と運動性で戦闘、
といった日本側と同様のスタイルをとっている点が大きな損失の要素として考えられる。
(以上 民明書房刊 渡辺洋二 「ゼロ戦だいずかん」)
>>962 さすが渡辺洋二。
梅本さんとこの人ぐらいだよね双方の記録照らし合わせてるの。
こういう人達の本が増えればいいんだがな。
ていうか手疲れただろw
古い記録でやっていた人たちを擁護すると、アメリカのジャーナリスト達が
知る権利を主張して情報の自由法が制定、改正された1974年にようやく
第二次世界大戦の膨大な記録が閲覧が開始されるまでは、アメリカ人でも
モリソン教授や回想録、聞き取り調査に頼るしかなかったから
でも40億枚以上の公文書ちゅう量が量故にアメリカでも半分しか整理が
ついていないから、アメリカに直接行くか代理人が自力で紙の山に潜って
調べるしかないわけだから、今でもそう簡単にできるもんでもないわけだし
でもNARAがデジタル化してオンライン閲覧ができるように徐々に進めているから
いずれ大戦中の記録も日本にいながら誰でも見れるようになるぞ
>>960-962はどっかで貼られてたコピペだよね。
渡辺洋二氏の『零戦戦史 進撃篇』からの引用だろう。
にしても
>>950のような直接戦闘に参加していない機まで入れて比較するのはどうかと。
>>965 アホ。俺が打ち込んだんだよ。有難く思え。
>>966 すぐばれるウソついて何か意味があるのか?
ああ、自分が打ち込んだものコピペして何が悪いか、ゆうことね
わかるあるね
>>968 だれが要約したかコピペしたかはともかく、
元々人様の著作物なので、何が悪いかと開き直られても困るが・・・
>>946 仮定が機材P51やF6Fで戦法が確立してるという点
日本は零戦だが倍という点
Me262とP51の最高速度差は150、零戦とP51は100km超
さらにP51に最高速力で飛ばれると、零戦は制限速度を超えるとうハンデもある
侵攻作戦では、作戦は攻撃だが戦闘機の任務は攻撃機の護衛
戦闘のイニシアチブは攻撃機を攻撃する迎撃側に有る
最高速度で突っ込まれると攻撃機を守れない
山本長官機を食われた様に、あっという間に攻撃を食われ任務は失敗になる
守るには高速戦闘に付き合う必要がある
先ずは突っ込む同数以上で上空を押さえ
攻撃機を射撃を邪魔する為、攻撃機張り付き係りも数を揃え
再上昇を邪魔する為、さらに低空を押さえる数も揃える
そうなると、3倍の数は欲しいね
史実、同等に勝つには4倍超は欲しい
開戦時の奇襲はどうにもならんだろうが、
倍程度ならかなり速い時期に覆っただろう
護衛任務というもの自体に限界がある
>>970 数に余裕があるなら、ポートダーウィンとかでやっていたような
護衛方法ならそこまで速力差は大きなハンデにはないんじゃね?
護衛をニ隊に分けて爆撃機の上に張り付いて、敵機の攻撃を
機体で覆って防ぐ部隊と、その上の高度で待機して、敵機の
攻撃機動を圧迫し、爆撃隊は目標空域に入ると高度をどんどん
下げて、零戦隊が一番活動しやすい高度にまで進めて、
敵が攻撃すれば零戦隊をすり抜けるために編隊が崩れ、
これを追って上空の部隊が襲い掛かるから、低空のうえに
反転するところを襲撃されるので、敵機は再攻撃を諦めるか、
不利を承知で速度で勝る零戦隊を上昇して迎え撃つ
しかない形になるやり方。
P-51ほどじゃないけどそれでスピットファイアVCが手出し
できないか、大損害を受けていたから。
>>950 それは迎撃に出たアメリカ軍機の総数であって、地上で撃破された分は含まれてないんじゃねーの?
フィリピンとか慌てて迎撃に上がったけど、台南空が悪天候で時間をずらして出撃したので空振りに
終わり、燃料補給中に地上でやられたのが殆ど。 迎撃出来たのか5機とかそこらだろ?
その意味において奇襲が失敗してたら結構ヤバかった。
てか台南空の総戦力なんてたったの45機なんだぜ? まあ、フィリピン攻略作戦にはもっと他の部隊も
参加していたように思うが、それでも100機も越えていなかったと思う。
まあ、日本軍は開戦初期は本当に運が良かったのさ。
>>973 オマエさんはもしかして
在比米戦闘機が一挙に統制を取りながら零戦に襲い掛かってくると妄想してんのか?
言葉尻に噛み付く馬鹿って何処にでもいるんだなあ。 開戦初日に多数の機体を
地上撃破したことでフィリピンの制空権奪取が非常に楽になったのは明白だろう
>>972 第十一航空艦隊
台南航空隊 零戦55機/九六式艦戦6機
第三航空隊 零戦55機/九六式艦戦7機
合計123機
第五飛行集団
第24戦隊 九七式戦36機
第50戦隊 九七式戦36機
合計72機
陸海戦闘機総数195機
>>975 的を射た反論からそうやって逃げても無駄だからw
>ハワイ作戦
>第一次攻撃隊 45機
>米軍機 4機
これなんかもうなんて突っ込んでいいのやら…org
>>976は
>>972じゃなくて
>>973宛ね
それと一般的に日本ではフィリピン防空部隊が燃料補給のために降りたところ
奇襲したからほとんど迎撃がなかったといわれているけど、米軍側の記録は
まったく違う様相になっている。
正午に迎撃戦闘機本部は北方より飛来する敵機の報告を受けて第17戦隊に
迎撃を命令。うち10機のP-40がこれを発見し攻撃。
17戦隊は20戦隊の出撃のために上空哨戒を午前中から実施し、日本空母発見の
報告を受けてB-17を護衛して艦船攻撃を実施するなど疲労の中にあった。
それでも100機を越す戦爆連合の日本機を発見と報告し、わずか10機で突撃して
燃料不足で引き上げるまで粘り強く戦っている。
比島の米軍戦闘機戦力は戦後の米軍の調書によると
開戦時の極東空軍
イバ基地 3e戦隊 P-40E18機
ニコルズ基地 17戦隊 P-40E18機
クラーク基地 20戦隊 P-40B18機
他にニコルズ基地の21戦隊、デルカルメン基地の34戦隊は受領予定のP-41が
到着しないため推定18機のP-40Eを組み立て、P-35で補充、他に比国防軍の
12機のP-26が増援で配置されていた。
フィリピン防空で問題だったのは20戦隊はバギオ方面の敵爆撃機の邀撃のために
展開していたので基地群の防空に向けられなかったとしても、敵機来襲の報を受けても
上空哨戒のために上空に展開していた17戦隊に迎撃を命令するだけで、他の戦闘機隊に
上空哨戒も何もさせずにただ遊ばせていたこと。
運でもないし、奇襲でもなく正面から堂々と大編隊でやってくる敵に対して米軍側の稚拙な
指揮が原因でまともな迎撃がされなかった。
この後も被害を受けなかった戦闘機隊が多数あったものの偵察任務や、散発的な迎撃
地上攻撃で失われ、まともに集団運用されることなく、12月23日サンミゲル湾の敵橋頭堡へ
残存するP-40 12機、P-35 6機を結集しての総攻撃が迎撃戦闘機司令部の最後の命令となった。
>>961 全部は照合する時間が無いので12/10のものだけクロスチェックしてみた。
迎撃した米軍戦闘機を約40機としていますが、第34追撃飛行隊は実際には空戦ではなく地上で撃破されています。損害は12機破壊、6機撃破。
デルカル上空で迎撃できたのはクラークから緊急発進してきた第20追撃飛行隊のP40。定数を満たしていたとすれば18機。
しかし12/8に主として地上一部は離陸中に攻撃を受け残存機3機。更に後に2機を回収。稼動していたのは定数よりかなり下回る数、恐らく5機程度だった可能性があります。
カヴィテで迎撃した第17追撃飛行隊と第21追撃飛行隊の未帰還は11機。燃料切れによる墜落や放棄の数機(少なくとも5機)を含んでいます。
この両隊は戦前の時点で各18機のP40を装備していましたが、内第21追撃飛行隊は12/9に2機を事故損失。
第17追撃飛行隊も12/8に2機を事故損失しています。
但し壊滅した第3追撃飛行隊の残存機2機がこの両隊に割り振られています。
よって12/10に残存全機が迎撃に上がったとすれば34機。しかし損傷や不調機もあるでしょうから数機程度下回っている可能性はあります。
フィリピン第6追撃飛行隊のP26は4機のみが迎撃。損害戦果共に無し。
約40機というのは全機に近い数が迎撃に上がっていたと仮定すればなかなかいい線をいっているようです。
空中での損失が10機以上というのもわかっている損失11機(但し燃料切れ含む)と概ね符合しますね。印象は若干異なりますが。
すげー
次は珊瑚海とミッドウェいかな
スレが流れる寸前にご苦労さん。
何この良レス
>>979 比島方面へ進出出来る機材はその内零戦の110機だけだろ?
陸軍の第五飛行集団は開戦諸島から比島に進出出来たのか?
バシー海峡を渡る事なんて物理的に無理ジャン。
つまり零戦隊が米軍を露払いしてから後、初めて比島に進出したのが事実であって、その意味において
使えた機材かといえば非常に怪しい。
10機が迎撃とか色々出てきているけど、だったら尚更
>>950のデータは恣意的な選択という事でFAだなw
イバ基地その他2基地でP-40だけでも56機、他にニコルズ基地の21戦隊他で推定18機組み立てを合わせると
74機。 2線級になるがその他P35と比島空軍のP26が12機。
wikiなんで少々信頼性に欠けるがフィリピンに送られていたP35の総数は48機。
実際にその内何機が開戦時に飛べたかはちとあれだが、まあそれらを全て加えるなら144機の戦闘機が
比島にはあった事になる。
無論、
>>980の指摘している通り、保有機数全てが稼動できたと考えるのは早計に過ぎる訳だが、日本側も
97戦などの数字を加えるのも都合が良すぎるというものだろう。
>>984 3、17、20の3個飛行隊 54
21、34の2個飛行隊が定数通りとして21機と考え 42
フィリピン国防軍 12
多く見積もっても108機
100機もないといいいかげんなこと言っといて、否定されるとくやしいからって
恣意的に都合よく数字を並べるなよ
>>984 そらP-40の配備で余剰下P-35はあったろうけどパイロットは涌いてでてこないだろw
>>985 てか別に100機もないなんていってないぞw こちらは。
多く見積もっても108機ってそれも推測にすぎねーだろ?
フィリピン戦当時の資料は色々あって訳が判らなくなるが、マタマタ信頼性のないwikiの
”フィリピンの戦い”によると
アメリカ極東航空軍(en:Far East Air Force) - 司令官:ルイス・H・ブレリトン少将
作戦機249機(B-17爆撃機35、P-40戦闘機107、P-35戦闘機52、P-26戦闘機16、
B-18爆撃機18、A-27攻撃機9、B-10爆撃機12)
となってたりする。これだと戦闘機は175機にもなるw 一体何が正しいのやら判らなくなってきたw
>>986 余剰のパイロットがいないというソースを宜しくw もしいなかったとしたらフィリピンのP26とかを
転がしていた連中とかに与えたら良かったのになw
>>987にすでに正確な数字が出ているのだから諦めろよw
米軍は249機もの大量の航空機があるのに対して、日本は零戦がちょっとあるだけなのは事実。
都合のよく恣意的に数字を使って嘘をいくら並べても嘘は嘘。
結局倍って嘘っぱちだったのね。
陸軍機まで数に入れてしまう都合のいいアンチ君くやしいなぁ^^
>>990 それどころかアメリカ軍は倍以上w
アンチ君は都合のいい数を出したけど嘘をつこうとして自爆^^
さあ一式スレに相応しい流れになってきましたw
嗚呼、所詮は日陰者スレ
アホのどうでもいい論争はともかく、次スレは?
ちょっくら立ててくる
三型乙が実用化されてたらな。
998
999
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。