高島秋帆(1798年〜1866年)
長崎の町年寄であり、荻野流砲術家であった高島秋帆は天保十三年(1842年)、
肥前の五島浦に捕鯨用の納屋を建設し、大筒で銃殺捕鯨を行うことを計画した。
(食の資料館より)
天保初年、秋帆はオランダよりゲベール銃、ヤーゲル銃などの新式銃を輸入
し、西洋流砲術を研究して、高島流砲術の開祖となった。
旧式火縄銃からの脱却を図ろうとしたのであるが、ヨーロッパの銃器も火打
石式(フリントロック)銃であって火縄銃と大差のない幼稚なものである。火
砲(大砲)も採用したが、多くは生火を用いる差し火式であったため、秋帆が
用いようとした捕鯨用大筒は狭い船内に適した火縄式大筒であったと思われる。
しかし、秋帆がいかなる方法で銃殺捕鯨を実現したかの記録は残されていな
い。秋帆の門人である藤川三渓は、明治五年(1872年)アメリカ人捕鯨技
術者二名を招聘して米国式捕鯨法を習得し、捕鯨会社「開洋社」を設立した。
http://www.whaling.jp/isana/pdf/isana21j.pdf