1 :
名無し三等兵 :
2008/01/27(日) 01:22:20 ID:Ihwz/Amf 「日本撃墜王」「大空の決戦」「大空のサムライ」 「零戦撃墜王」「修羅の翼」「空母零戦隊」等々…… 熱くあつく語り尽くせ!!
2 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 01:24:24 ID:???
3
3 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 11:04:05 ID:???
重複だな
4 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 23:32:22 ID:FPc/K3yR
こちらはこちらで熱き心に熱くあつく語り尽くすんじゃ〜!
5 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 15:16:32 ID:roNEqWlE
故・坂井三郎氏と犬猿の仲だった搭乗員がいたらしいが……
6 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 18:00:48 ID:???
>>3 ぅむ。無責任杉。
>>1 よ、【伝説★神話】はどうすんだ。立て逃げか?
7 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 02:43:49 ID:BKzyJOi/
>>6 【伝説★神話】はモレが立てたのではない……
こちらが本家本元じゃ!
8 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 03:06:12 ID:BKzyJOi/
故・坂井三郎氏によると、艦隊航空隊勤務の戦闘機搭乗員より、陸上航空隊勤務の搭乗員の方が、 “技量”が高かった……らしいが。 ん〜皆さんどうでしょう?
9 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 03:46:43 ID:???
>>8 オマ・・本気、ぢゃないよな
艦隊勤務者は基地航空隊には絶対に負けんと言うゼ。そして基地航空隊勤務者は艦隊航空隊には絶対に負けんと言うぞ
10 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 07:16:12 ID:???
スレチだが 陸軍で早々に枯渇した燃料添加剤を 海軍は十九年初頭まで隠し持って使い 高オクタン化技術も陸軍に秘匿していたから 陸の方が低馬力で戦っていたのは偉いのでは・・・
11 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 07:24:32 ID:???
>>8 三郎氏は巴戦に関しては(ry…と前置きしてなかったっけ?
ランドマークを確認しながら飛べる陸軍よりも
海軍は航法が重要だ・・・とおっしゃってた気が。
12 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 08:40:45 ID:???
13 :
名無し三等兵 :2008/02/01(金) 21:19:29 ID:???
さっきオクで「日本撃墜王」落札した人オメ
14 :
名無し三等兵 :2008/02/01(金) 22:04:41 ID:e/uYLwUt
>>9 「零戦撃墜王」の著者、故・岩本徹三氏も
艦隊航空隊勤務の戦闘機搭乗員は「技量」が落ちると言うようなことを記している……
詳しくは「零戦撃墜王」を読むべし!
15 :
名無し三等兵 :2008/02/01(金) 22:21:36 ID:7I2OgyGe
どちらも飛行時間二百時間程度の雛しかいなかったと言う事で。
16 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 08:50:32 ID:???
>>14 珊瑚海々戦で、優秀な技量・的確な状況判断で艦隊上空を制空
瑞鶴を救った中(小)隊は誰が長機だった?
岩本氏が著した空母搭乗員の技量が落ちる云々は、開戦の頃と比べて…と書いてなかったか?
詳しくは「零戦撃墜王」を読むべし!←誰が?
>>15 は論外。
いつの時代の話だよ・・
吊られてやったよ
17 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 10:08:47 ID:???
>>8 技量の高低の物差しってナニ?飛行時間や実戦経験?撃墜数?それとも生き残ったから?
技量優秀で海軍では右に出る者ナシと言われた赤松氏も、全盛期には艦隊勤務してるよ。ラバウル以降に撃墜数を重ねた岩本氏も緒戦は艦隊勤務だし。
18 :
続き :2008/02/02(土) 10:10:15 ID:???
例えばレイテ決戦の時、戦・爆・攻の空母搭乗員の技量はどうだった?大事な決戦なんだから海軍も優秀な人員をかき集めりゃいいのに…、そのとき技量優秀な搭乗員は何処にいた? そもそも基地部隊は会敵の確率が高くほぼ毎日戦う。それに比べて艦隊は低く、戦う機会は少ない・・比べる方がおかしいよな 釣られるオレもアレだが、皆さんどうでしょう?ではなく、もう少し自分で考えようぜ
19 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 10:18:12 ID:???
ステ6に零戦の動画上がってるけど やっぱ栄エンジン良い音してるな エピソード紹介のマイクって誰かと思ったら 川戸正次郎のことか…
20 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 15:56:53 ID:Ocxb/iKe
>>16 開戦の頃と比べて…と書いてなかったか?
……インド洋に行く前のあたりを読んでごらん。
>>17 技量の高低の物差しってナニ?
……戦闘機搭乗員として求められるあらゆる技量。
それが高低の物差しではないかと。
>>18 比べる方がおかしいよな
……全然可笑しくないよ。
同じ海軍航空部隊の戦闘機隊だからね。
21 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 16:19:01 ID:Ocxb/iKe
>>17 赤松氏が全盛期に艦隊勤務してたからどうしたの?
それがイコール艦隊航空隊が優秀というこではないだろ。
22 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 16:24:39 ID:Ocxb/iKe
>>17 ラバウル以降に撃墜数を重ねた岩本氏も緒戦は艦隊勤務だし。
冗談じゃない。岩本氏は支那事変から撃墜数を重ねてきている。
23 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 17:44:28 ID:???
>>20-22 ふむふむ。それでオレの意図した事、言いたかった事は… 残念ながら読み取ってくれてないなぁ
支那の撃墜は数えんと思ってたよ・・
24 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 19:28:42 ID:Ocxb/iKe
25 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 19:52:22 ID:???
↑フツー支那事変のは数に入れないだろ
26 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 20:54:26 ID:Ocxb/iKe
入れるよ。故・坂井三郎氏も入れているし。
27 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 21:25:26 ID:???
世間一般的には入れてないんジャマイカ?てこと。例えば西澤氏は個人共同併せて四百機以上撃墜となってるが支那戦には参加してない
28 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 21:42:48 ID:???
キミの言いたいことは解らないでもないが 個人名に絞ったりとらわれたりしない発言してほしいな 別に個人名に絞って発言しても構わないが 発言の裏に何かが見え隠れする・・ そんな、広い視野を見据えた、物事を大局的に捉えた発言もしてほしい でないと単なる多数機撃墜者信者に思えてしまう・・
29 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:21:36 ID:BzVaSPzG
>>27 なんで支那戦線の撃墜数は入れてはいけないんだ?
入れてはいけない規定でもあるのか?
30 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:27:04 ID:BzVaSPzG
>>28 別に個人名に絞って発言しても構わないが
構わないのなら別に問題ないではないか。
それに、発言の裏に一体何が見え隠れするんだ?
モレは単なる多数機撃墜者信者じゃないけど・・・
31 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:38:53 ID:BzVaSPzG
技量優秀で海軍では右に出る者ナシと言われた赤松氏や 黒岩氏、望月氏、古賀氏、羽切氏、南氏、岩井氏…… 数え上げたら多数の方が支那戦線の撃墜数を入れている。 1941年(昭和16年)12月8日以降の撃墜しか認めないという 考え方の根拠はなんだ?
32 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:48:26 ID:???
根拠?べつに みんなそーだと思った それだけ
33 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:48:59 ID:BzVaSPzG
撃墜数云々よりも、そもそも空中戦や撃墜って言葉の意味はなんなのか?
34 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:54:09 ID:BzVaSPzG
陸軍航空隊の場合は、ノモンハンでの撃墜は認めてないのかなぁ〜?
35 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:55:56 ID:???
>>33 読んで字の如く、だろう
もう答えは出てる
>>21 んだけどな。つまりはそぉゆうことなんだ
あとは自分で考えてみて
36 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 09:57:28 ID:TddAzcGM
37 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 10:06:41 ID:BzVaSPzG
38 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 12:23:13 ID:???
39 :
名無し三等兵 :2008/02/03(日) 20:29:02 ID:BzVaSPzG
零戦三二型を乗りこなし、撃墜を重ねた搭乗員はいないのか・・・
40 :
名無し三等兵 :2008/02/06(水) 23:50:14 ID:???
>>37 どーだ、カッカしてたのも少しは落ち着いたか?w
まぁとにかくアレだ。キミのレスはまだまだ薄っぺらだ。それは揚げても誰も援護してくれなかった事で証明されたわな
取り敢えず。今後はsage進行を守り、重箱の角しか突つかん様な真似はせんことだな
41 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 16:04:45 ID:56tY77Vt
羽切松雄氏の著書のひとつ、「新兵器実戦記」読んだぜ! 当時は30円で買えたようだ。
42 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 16:15:23 ID:56tY77Vt
書き込んだついでに、赤松貞明氏の著書、「日本撃墜王」も読んだぜ! 最後の章の「それを動かす人間」機械が進歩すれば人間にカンは必要なくなるであろうか・・・ 考えさせられますね。
43 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 16:28:05 ID:56tY77Vt
更に書き込んだついでに、赤松氏は長い戦闘機乗り生活中に五度び機体に被弾し、 終戦近くなって一度訓練中に落下傘降下したことがあるそうだ。 確か西沢氏もP40に一度撃墜されたことがあったような・・・違ったかな?
44 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 16:31:20 ID:56tY77Vt
最後に、「東京空戦記」も読んだぜ!・・・乙!
45 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 16:39:29 ID:56tY77Vt
最後の書き込みと思ったけど、「東京空戦記」によると、 赤松氏は同僚士官から「松ちゃん」と呼ばれていたようだ!
46 :
浜田 :2008/02/07(木) 17:27:32 ID:PtCELKhJ
違う、 松っつん だよ。
47 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 19:56:48 ID:56tY77Vt
48 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 20:07:14 ID:???
羽切さんのハイライトは中国大陸だね。 それ以降は自伝読んでも歯切れが悪いね。教官配置だったからしょうがないけど。 ラバウルなんかでも中国戦線の猛者がそのつもりで来て緒戦で喰われたことも多かったらしいし
49 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 22:31:37 ID:???
>>39 三二型の総生産機数って三百機ちょいでしょ?重ねた人は兎も角、記録した人は多数いるでしょう
ちなみにトッカン兵曹の初撃墜は三二型
>>43 されてるよ
50 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 16:04:34 ID:A9pUxSdH
51 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 16:15:29 ID:A9pUxSdH
零戦の各型で五機以上撃墜してる方はいるだろうか? 零戦一一型で五機 零戦二一型で五機 零戦三二型で五機 零戦二二型で五機 ・ ・ ・ とうい具合に……
52 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 16:23:47 ID:???
ドイツじゃ東部戦線でのスコアとそれ以外の戦線でのスコアじゃ評価が違うよね アメリカでも楽に落とせる日本機相手のスコアは余り評価されていないみたい ゼロは強敵だったなんて無意味なアピールを盛んにしてるけど
53 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 16:30:41 ID:A9pUxSdH
>>42 柳田邦男氏も著書の「零戦燃ゆ」の中で、
「赤松少尉の数々の体験談は、人間と機械との関係、とくに人間が機械を
使いこなす限界といった問題を考えるうえでも、大いに参考になる。」
と著している。
凄い技量だ……!
54 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 22:50:32 ID:???
55 :
名無し三等兵 :2008/02/10(日) 00:23:36 ID:Y0a7bunV
56 :
名無し三等兵 :2008/02/11(月) 16:40:49 ID:???
坂井たちが着任前のこと、西沢が迎撃戦でP40に撃墜されたのは2回じゃなかったかな いずれも基地の近くに着水したから死なずに済んだけど だからやっぱり本人が言ってたとおり撃墜でなくて不時着でいいのかな
57 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 00:15:12 ID:???
坂井中尉は著書で、敵機の殆んどを7.7ミリ機銃で撃墜したみたいなこと書いてなかった?ここぞの時は20ミリを使ったみたいだが。つか豆鉄砲でヤンキー墜ちんのか?
58 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 12:26:27 ID:???
日本海軍の場合は艦隊勤務と陸上勤務と別々の道を歩んでいるのではない ようなので一概には言えないのですが 1、太平洋海戦前に空母勤務者には会敵の機会が少なかった。 対し陸上基地勤務は大陸での実戦経験があるものが多かった。 ゆえに大陸から空母に転勤なった人は技量が落ちると感じたんではないでしょうか? 2、当時とは違うと思いますが現在の米海軍ののCVWのアビエーターはに関して 厚木のCAGへのインタビューで「NAVYのアビエーターは空母への着艦という 最難儀の技術の維持に努力しなければならない。したがってその訓練に時間が を取られるので、陸上基地所属の(空軍)操縦者に比べると戦闘訓練 の時間を確保するのが難しい」とありました。 当時と機体の大きさ、速度も大きく違うでしょうが空母着艦の訓練とかは 当然あったと思いますし作戦行動中の訓練とかは最小限だったと思うので 艦隊勤務が長かったら、陸上勤務者に比べると空戦技術などはハンデがあった可能性があります。
59 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 15:10:13 ID:???
まだ初期の頃の話だが、海軍航空隊に入った時点で全員がまず空母勤務予定者になる その中から着艦訓練に連続何回か失敗すると見込み無しとされて地上勤務に回される 基地航空隊に着任してくる新人はそんな落ちこぼればかり まあ、そんな人物でも、技量さえ上がれば艦隊に転勤することもありえるが
60 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 01:14:34 ID:???
機動部隊による戦闘が雌雄を決した太平洋戦争に於いて、艦隊航空隊は正に字のごとく「決戦兵種」 であったわけで、海軍上層部も山本長官の訓示にあるように「虎の子」の意識が強かったようですね。 岩本さんは「零戦撃墜王」の中で艦隊戦闘機隊を貶しておられますが、多くの血と引き換えに迎撃戦の ノウハウを蓄積していた基地航空隊と、そういった経験が少ない状態でラバウルに派遣された艦隊航空隊を 単純に比較するのは酷でしょう。
61 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 09:09:52 ID:???
エリート意識が強くウデも悪くはないはずだけど、実戦経験に乏しい母艦搭乗員 実戦経験豊富で実際の戦場での働きは抜群の基地航空隊搭乗員 ・・・・・・・ってことですね。
62 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 10:43:41 ID:???
まあ岩村徹三氏なんかは艦隊勤務から基地へ移ってるし どの時期も大活躍 坂井三郎氏は基地航空隊だけど 母艦発着艦もこなしているで 話はややこしい というか スーパーエースは何でもこなす ってことでオケー?
63 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 13:13:14 ID:???
>>57 坂井氏は操縦席やエンジンなどを狙っていたとか。
二十ミリは格闘戦で旋回時など特にGのことまで考慮に入れて射撃せねばならないので
なかなか当てるのは簡単ではなかったみたいですね。
言わずもがななことレスしまして・・・すんまそん。
64 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 14:34:02 ID:???
>>57 坂井氏が撃墜したとされるサザーンランド大尉機の残骸調査では、
見事に20mmがエンジンに当たってました。
シリンダー2本を吹っ飛ばしていたそうで、やはり20mmは威力十分ですな。
65 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 15:56:37 ID:???
岩本氏の一杯サクラの付いてる機体って写真あるんですか?
66 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 17:58:06 ID:???
ない
67 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 23:57:14 ID:???
>>64 渋い〜!!
赤松さんじゃないけど、マシンの最大性能を引き出す術に長けてるよね
生き延びてエースとなを残す人たちって・・・・
なんかF1ドライバーみたいだよね。
血なまぐささが還って抜けちゃうっていう・・・
68 :
名無し三等兵 :2008/02/14(木) 13:48:47 ID:???
>67 生き残ったモン勝ちって言うのは確かにあるね。w 撃墜数も自己主張の部分が大きいし。
69 :
名無し三等兵 :2008/02/22(金) 02:55:12 ID:???
ついに過疎ったな
70 :
by 矢沢π吉 :2008/02/24(日) 14:07:05 ID:QMJpPUOv
赤松さんの「日本撃墜王」俺も読んだよ。 敵機撃墜350機……w まっ、撃墜数は兎も角、撃墜百機座談会のメンバーを眺めてみると凄いね!!w 「筆は弘法、剣は武蔵、格闘戦は中本だ!」と豪語していた中本公(操練31期)兵曹や岩本徹三さんに武藤金義さん…… 中本兵曹は後に、あの坂井三郎さんと大村海軍航空隊勤務中、司令以下皆の前で「ひねりこみ」の格闘戦を演じてみせ「扇の舞」と称賛された方ですね。w
71 :
by 矢沢π吉 :2008/02/24(日) 14:11:23 ID:QMJpPUOv
>>62 まあ岩村徹三氏なんかは……
岩本徹三氏でしょ?
72 :
名無し三等兵 :2008/02/24(日) 18:25:20 ID:???
ほらふきどんどん。
73 :
by 矢沢π吉 :2008/02/25(月) 16:42:47 ID:fsNd9VPv
ひねりこみ……ひらり身をかわすのですがやっている者にとっては大変なことです by赤松貞明
74 :
by 矢沢π吉 :2008/02/26(火) 22:18:17 ID:f8a0XBvk
ひねりこみ……腕力のない者にはできない、それほど力が必要なのである。 by赤松貞明
75 :
名無し三等兵 :2008/02/26(火) 23:51:51 ID:???
岩本と赤松は朝鮮系だから軍板ではタブーな話題だと知らないニワカは死ね
76 :
名無し三等兵 :2008/02/27(水) 19:00:03 ID:sqZyr/69
日本人だぞw なんで朝鮮人認定食らってるんだ?
77 :
名無し三等兵 :2008/02/27(水) 19:20:15 ID:???
勧告期限切
78 :
名無し三等兵 :2008/02/27(水) 19:29:41 ID:???
岩本の撃墜数は確かに疑問。一度に50機撃墜とかどれ位ガチなんだよ…
79 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 12:23:06 ID:???
岩本氏の零は21も52も桜だらけだど、これって自己申告? 写真や目撃証言あるの?
80 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 13:17:52 ID:24gKIkUg
チョン死ね
81 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 16:25:36 ID:xPkqz3j8
今日の話題...羽切松雄氏の「新兵器実戦記」懐かしいね! 「電探かく戦えり」「米本土爆撃記」とかも読んだことあるよ。
82 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 16:27:58 ID:xPkqz3j8
83 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 16:31:58 ID:xPkqz3j8
>>78 一度に50機撃墜......そんなことできるわけないだろ。
84 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 17:28:24 ID:???
岩本氏の件については当時のメディアが悪いよな。ノートとか全部鵜呑みにしてな… 「一撃離脱のみに徹した、F4Uを一度に6機撃墜した」とかどれだけ本当で誤認でないのか精査する必要あるよね。
85 :
名無し三等兵 :2008/03/01(土) 19:25:36 ID:???
コピペ・在日認定・上げアラシ・、何故放置出来ない? 何故、続ける?
86 :
名無し三等兵 :2008/03/02(日) 12:44:35 ID:???
>>84 世界の撃墜王の実際の撃墜数なんか実際何処まで本当か眉唾もの。
岩本さんだけいちゃもんつけるなんてナンセンス。
厳しいと言われるイギリスだって誤認だらけ。
ガンカメラ付いてて僚機の証言もあるにも関わらずだ。
大戦末期のドイツだってうさんくさいと言われてる。
アメリカなんか「4機撃墜しました」なんて言えば簡単に撃墜認められるんだぜ。
その結果がF6Fの5000機撃墜。
87 :
名無し三等兵 :2008/03/02(日) 13:32:29 ID:???
>>86 同感。
調べようが無い個人の撃墜数に神経質に拘ってるのって日本人くらいかもね
アメリカ人が著者の本読んでたら「実際に何機落としたかなんて些細なこと、太平洋とヨーロッパの空から
日本軍機とドイツ軍機を一掃したった事実が重要なのよ」みたいな事が書かれてて笑った。
それはちょっと大雑把すぎるだろw
88 :
名無し三等兵 :2008/03/02(日) 18:59:44 ID:???
帝国海軍では個人の撃墜記録は公式には認めてないから、 公認って言うのはないからね。 坂井氏の撃墜だってどうして急に60何機になるんだ?
89 :
by 矢沢π吉 :2008/03/02(日) 19:49:42 ID:4brOA94/
……ひねりこみをやろうとして機首を上げたところ撃たれた者が少なくなかったのです。 そこで私は考えたのです。そして垂直旋回よりひねりこみを考え出しました。 ……敵の射撃を横にかわすと一緒に、同じ操作でギューンと逃げる。ここでグルッと旋回すると 高度は下るがやはり敵が前の方につんのめってしまう。縦でやる操作を横でやっているわけです。 それから私はこの方法で部下を指導しました。後ろにつかれたら絶対に機首を引き上げるな、横に逃げておいて、 ひねって射線をかわしてから、それから縦の空中戦に入ってゆけ、そうしたら絶対に照準がつけられないからといって 皆に教えたものです。 by 赤松貞明
90 :
by 矢沢π吉 :2008/03/02(日) 20:10:09 ID:4brOA94/
勝敗を決するもの……結局編隊空戦になれば射撃がうまくなければ駄目です。 by 赤松貞明
91 :
名無しの四等水兵 :2008/03/03(月) 00:26:44 ID:b8r0MbDi
現代のジェット戦闘機で「捻り込み」できないのかな?
92 :
名無し三等兵 :2008/03/03(月) 00:38:31 ID:???
服部省吾が、なんかやっていたと思ったが・・
93 :
名無し三等兵 :2008/03/03(月) 11:50:15 ID:???
あれはジェット戦闘機じゃなくてレシプロ機だったと記憶してるけど・・・?
94 :
名無し三等兵 :2008/03/04(火) 18:13:40 ID:???
あれはたしかT-3練習機だったと思う ペラの回転方向の関係で右方向にひねり込んだ
95 :
名無し三等兵 :2008/03/04(火) 19:05:25 ID:FtXSwUcI
>>94 坂井三郎はそんな技できるけど実戦じゃ使わないっていってた
96 :
名無し三等兵 :2008/03/04(火) 19:15:24 ID:???
>>95 一方、赤松貞明はしょっちゅう使ってたと言ってる
97 :
名無し三等兵 :2008/03/05(水) 02:35:06 ID:BS9Xtd9p
98 :
名無し三等兵 :2008/03/05(水) 03:28:20 ID:???
99 :
名無し三等兵 :2008/03/05(水) 18:33:49 ID:fKDIEgpB
101 :
名無し三等兵 :2008/03/06(木) 02:06:57 ID:ggPxkcco
>>100 なんじゃ? イカリとは?
赤松貞明氏
明治43年高知県生まれ。親父さんの職業は、測候所長。
海南中学卒業後の昭和3年佐世保海兵団へ志願。
昭和7年3月第17期操縦練習生を卒業。戦闘機搭乗員。
酣燈社 航空情報別冊 日本海軍戦闘機隊改訂増補版 より
赤松氏って変人で大ホラ吹きでしょ? それに感覚派の彼に理論的な解説求めても・・ 長嶋巨人名誉監督に打撃論を語らせるような物だろ。
103 :
名無し三等兵 :2008/03/06(木) 14:46:05 ID:ggPxkcco
大法螺吹きは別として、 ただの感覚派だけなら「日本撃墜王」など書けないと思うが・・・ 「日本撃墜王」読んでみるとそこそこ内容濃いと思うけど・・・オレ的には。
赤松氏も朝鮮人なのか?岩本氏は朝鮮人なのは確定した常識だけど
>103 口述著書に決まってるでしょ。この手のは。
岩本氏は戦後の基準ならば在日朝鮮人 当時は日本国籍の日本人だってのは確定しています 赤松氏が朝鮮系日本人だってのが出任せなのか真実なのかが問題なんですが 馬鹿なネット右翼は口出ししないでくださいね
岩本が朝鮮系だって知らない時点で軍板初心者だな
この板って結構朝鮮人多いんだな。 岩本さんじゃなくて、お前らが朝鮮人であることのほうが確定したようなもんだ。
110 :
名無し三等兵 :2008/03/06(木) 20:11:53 ID:926g+2wc
そんぐらい自分でググレカス
>>111 とっくにググったぞねつ造ばっかしてんじゃねえよ
このキムチ野郎死にやがれ
>>110 ソースなんてあるわけないw樺太で生まれてるんだから。
107と108が在日なのは,書き込み自体がソースだけどな。
在日って、有名人いると、誰でも在日だっていうんだって。
カールルイスが在日っていうのは正直吹いたw
韓国人のエースパイロットのコピペって無かったけ? 日本機を300機撃墜したり、ドイツへ行って P51やB29を設計したとかいうやつw
>>105 もしそうだとしても言ってる事は合理的で的確だし
けして「感覚派」ではないと思うよ。
多くの人は赤松氏のこと坂井氏は大嫌いだった見たいだね。 どうして2Chってエセ右翼が多いんだろう。 朝鮮人だって日本軍に在籍して活躍したんだったら立派で 叩かれることないだろ。 エセ右翼こそ日本人の恥だ!
117 :
名無し三等兵 :2008/03/06(木) 22:57:03 ID:N0puI6r1
つか、日本語もっと勉強して来いよ。 朝鮮人であることバレバレ。 あと、日本人は朝鮮人と違い「日本人の恥だ」とかいうフレーズはあまり使わない。 これ、豆知識な。
だからソース出せよと…
>117 お前よっぽど育ち悪いんだな。 日本人は育ちが悪ければ悪いほど非日本人のせいにする。 親の代から貧民だったんだろ。 アメリカでも黒人差別したのはプアホワイトだよ。
もう1つ教えておくわ。 日本人は「貧民」とかあまりつかわない。貧乏人とかはいうけどな。 お前ら日本がきらいなんだったら、いちいち首突っ込んでくるなよ。 鬱陶しいんだよ、はっきりいって。
どうも伊藤博文も朝鮮系らしいぞ。
>>120 ←なんというゆとりw
自作自演か?
貧困層・貧民・低所得者・貧乏人
語彙が不自由なおまえが使わない=一般的ではない
って本気かよw
ゆとりだよな?釣りだよな?
124 :
名無し三等兵 :2008/04/17(木) 23:01:45 ID:5FUubmYY
局地戦闘機「雷電」て、そんなに悪い性能の戦闘機ではないようですな! それに故・赤松氏は「空中戦」に関しては理論的であった。 また指導者としても指導上手だったようですね。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
127 :
名無し三等兵 :2008/04/23(水) 21:59:01 ID:zdaWOG+A
日本撃墜王
128 :
名無し三等兵 :2008/05/04(日) 13:33:22 ID:FLdVJ89d
129 :
名無し三等兵 :2008/05/04(日) 13:34:53 ID:gxPBm9Lb
日本の撃墜王は韓国系ばっかりですね
お前の病的な脳内妄想だけなw
韓国人は強姦王だろww
132 :
y :2008/05/25(日) 20:41:26 ID:3XE0KQvy
韓国・台湾にも人間的にすばらしい人は大勢いるが、撃墜王に数多く名前をあげられていることはないよね
詳しい撃墜数は分からないけど 64戦隊の高浜准尉と小西軍曹は台湾人だった。
135 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 23:30:45 ID:BVHJfxPA
天下の浪人
136 :
名無し三等兵 :2008/06/14(土) 18:45:06 ID:/smcp6WS
死んだら戦争は負けだ!! by 岩本徹三
137 :
名無し三等兵 :2008/06/30(月) 11:59:36 ID:/IuHXgzm
豊田穣の本に「高杉義三中尉」っていうすごい 撃墜王が出てくるけど、あれって架空の人物かな? ノンフィクション短編集に出てくるので、最初は 実在の人物かと思ったんだけど、何だかつじつまが 合わない所があるんで…
>>137 モデルは赤松貞明中尉(日本撃墜王)。
・・・じゃなかったか?、確か。
モデルは赤松で間違いないと思う。
140 :
むっちー :2008/07/01(火) 09:27:43 ID:???
陸軍だが、ワシらのスコアも入れてオクレ。 牟田口廉也 芸者180人撃破 部下餓死30000人撃破 花谷正 無天部下いじめ殺し40人撃破 富永恭二 特攻強制400人撃破 石井四郎 マルタ6000人撃破
>>140 牟田口は物資はある程度送り続けたようだが、輜重が途中で運送を放棄して、
結局届かなかった。
宮崎支隊が、転進する際に多くの銃砲弾薬、糧秣が遺棄されているのを
見ている。
確かに作戦としては無茶過ぎたが、逆に印度国民軍としては失敗すれども意
義はあったろう。
もちろん、インド国民軍も餓死で壊滅しているのだが。 牛食う日本軍のハンゴウは洗いたくないとか、現場であつれきも生じた。
思わずレス
久し振りにGJを見た。
>>140 ワロタw
零戦がマスタングを撃墜した証拠。 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士より 1945年5月25日午後1時15分頃、千葉県柏町(現・柏市)田中村に、P-51(機体番号44-63328、第18戦闘機群78中隊所属)が墜落。 松戸飛行場を攻撃中に零戦により撃墜された。 やっぱり零戦は強いね!
146 :
名無し三等兵 :2008/07/22(火) 22:02:37 ID:9qS6Lyok
>>145 たまたま撃墜できたんじゃないか?www
147 :
名無し三等兵 :2008/07/22(火) 23:09:30 ID:ivXOSpT1
赤松は在日の誇りだね
岩本さんを完全否定されたら今度は赤松さんか。
149 :
名無し三等兵 :2008/07/23(水) 07:57:45 ID:WzwhCGHr
>>145 どんなにしょぼい戦闘機でも相手に気づかれずに後ろから忍び寄り
攻撃したら勝てるよ。
でも白浜芳次郎氏が上方優位でP51を見つけて攻撃をかけようとしたら
優位だった機位がどんどん劣性になり、性能差を感じたような事書いてた
よ。
どんなにしょぼい腕でも 相手が敵機の存在に気がついていたらなかなか撃ち落すことは難しいことでもある 逃げ回ってる敵機だと Eなくして機体がふらふらな状態に持ち込まないと無理
151 :
名無し三等兵 :2008/07/23(水) 09:53:14 ID:q87rxPM6
だからさ、空中戦というのはさ、いかに敵機を早く発見するか……そして、気づかれぬように優位な位置にまわり込み奇襲攻撃をかける…… 更に、深追いをせず、不利になったら逃げる!w これに尽きるんじゃないの?w
トップエースクラスだと車のレースのみえないパッシングみたいに敵から見えなくなる飛び方を確実にしている ただパイロットは当たり前と思っているから戦記モノでなかなか表現できてない
本土に襲来するP-51Dはマトモに交戦しないで 優速を活かしてすぐ逃げてしまうという複数の証言が残っているね。
154 :
名無し三等兵 :2008/07/24(木) 01:08:48 ID:3XT2w9N9
ことわざにあるだろ、 逃げるが勝ち
155 :
名無し三等兵 :2008/07/24(木) 01:14:04 ID:8A+T5yOM
空中戦の場合、サッと落してサッと逃げる!w
ベイルアウトしたら普通に地元住民に虐殺されるところでオレなら長居はしたくない
>>155 サッと落としてサッと逃げる...どっちも
略してサッチ戦法ですね。分かりますw
158 :
名無し三等兵 :2008/07/25(金) 00:09:05 ID:0A1rgD0N
相手にチ、と悔しがられる。
160 :
名無し三等兵 :2008/07/25(金) 20:01:55 ID:33xhTiU0
161 :
名無し三等兵 :2008/07/25(金) 23:19:39 ID:+WXMao4l
あれ、間違えて吉本養成所のスレにレスしちまったようだ… ち
162 :
名無し三等兵 :2008/07/26(土) 12:03:20 ID:DECtVNP+
旧日本軍の戦闘機って、油モレがひどかったんだろ? 燃料やオイルの質も悪いし……www こんなんで米国と戦争しようなんて……無理無謀無茶の三拍子揃った馬鹿だよな!www
その程度の知能で旧軍批判らしきものをしようとするオマエの方が馬鹿だよな。
164 :
名無し三等兵 :2008/07/26(土) 18:29:01 ID:DECtVNP+
>>163 その程度の知能で……本当のことだろ!www
本当のこと言われて悔しがる程度の知能で旧軍批判らしきものをしようとするキサマの方が底抜けの大馬鹿だよな!www
165 :
名無し三等兵 :2008/07/26(土) 18:33:47 ID:DECtVNP+
旧日本軍の戦闘機って、ダサくね?
>>165 コイツ他スレでも連投して暴れてる基地害だろ?
スルーでおk。 久しく見ない馬韓李人なのかw
167 :
名無し三等兵 :2008/07/26(土) 18:40:03 ID:DECtVNP+
168 :
名無し三等兵 :2008/07/26(土) 18:44:53 ID:/EimTNBL
日本軍ってナイナイ尽くしの軍隊だろ? 技術ない 資源ない 食料ない 弾薬ない 兵器ない 脳ミソない 全滅とか玉砕とか餓死とか奇襲とかしか聞かないような こんなもん、よく好きになれるよな
それしか知らない無知浅学には到底好きになれんわな。 ま、馬鹿なお子チャマには理解できんから夏休みの宿題でもやってろ。
170 :
名無し三等兵 :2008/07/27(日) 01:23:02 ID:a5uy+NDZ
>>169 それ以外に何を知っているんだい? 君は……?
因みに、夏休みの宿題は終わってしまったけど……何か?
はいはいワロスワロス
172 :
名無し三等兵 :2008/07/27(日) 14:54:50 ID:a5uy+NDZ
>>171 コイツ他スレでも連投して暴れてる基地害だろ?
スルーでおk。 久しく見ない馬韓李人なのかw
自分が「スルー」対象であることもわからんほどの馬鹿ガキかw
174 :
名無し三等兵 :2008/07/28(月) 00:41:10 ID:5FAmareP
>>173 自分が「スル〜」対象であることもわからんほどの大馬鹿クソ餓鬼か!www
夏恒例の基地外age厨か。 sageることもできないゴミはとっとと失せろ。
岩本さんが”買っていなかった”という、母艦戦闘機隊指揮官のS少佐って誰だろうと思ってたんだけど、 「撃墜王の素顔、杉野計雄」を読んだら、瀬籐満寿三少佐のことみたい。だからどうした?、なんだけど 実名でなくSなんて書いてあると、どうも気になって・・・
177 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 18:41:29 ID:W22H8jzx
最強は 荒武者 小町定氏 以上
>>176 坂井三郎空戦記録で台南航空隊の開隊式で
事故を起こしたS大尉はこの人のことだろ
ある意味、有名な人なんだね S氏
180 :
名無し三等兵 :2008/08/12(火) 23:34:16 ID:rxBFuKce
>>176 そのS少佐って、新郷気英城少佐のことじゃないの?
>>178 “坂井三郎空戦記録”じゃなくて“零戦の運命”じゃないか?
>>180 すまん。。坂井三郎空戦記録じゃなかった
>>180 新郷気英城でググッたんだけど、収穫ゼロだた。瑞鶴戦闘機隊の隊長だった方ですかね?
昭和18年から19年にかけて、岩本氏や杉野氏らとともにラバウルで戦った人で
本を著している方はいるのかな? 読んでみたい。
>>183 ありがとう。たくさんあってびっくり~~; 楽しみだよ。
この前、樫出勇さんが書かれたB29撃墜記を読んだ。屠龍でB29に反攻攻撃をかけるというもの。 B29の前方下方から突き上げるような形ですれ違いざま、37ミリ弾を一発撃ちこむ戦法だった。 胴体に当てても落ちないので、操縦席を狙わないといけないとか・・・スゲ 彼我の相対速度は約200m/secほどかな。操縦席を狙うと言うと、B29の機首先端から後、5m程度が目標=標的。 5m/200m=0.025秒だから、的中タイミングに対して25ミリセコンド、トリガが遅れるともうダメ、落ちない。 野球で言うと、ピッチャーの投げるボールの速度を約150キロと仮定すると、秒速約40m。40m*0.025秒=1m。 バッターの胸前で、ボールとバットがぶつかった場合を”的中点”とすれば、的中点プラスマイナス0.5m以内の範囲で バットとボールを当てる能力が、0.025秒のトリガタイミングに相当する。(野球の場合、上下方向でもミートしないと ヒットにはならないから、単純ではないけど・・・) これはもう人の神経身体能力の限界に近いのでは? 樫出さんの部下の方がまったく戦果をあげられず、とうとう体当たりで撃墜した件では・・・ そういったことが続いたため個人戦果を発表せず、隊としての戦果を公表するようになったとか。 夜間戦闘が可能なほどの技量を要求された上で、さらにプロ野球選手並みの神経身体能力まで発揮できないと 戦果をあげられない、岩本さんの3号爆弾の話といい、ハードル高杉
ストライクウィッチーズを見てエース(撃墜王)に興味を持って、 ここ数週間、ずっとエース関係の記事を見たりしてるんだけど、 海外のエースの話はここではスレ違い? エース関係のスレ、探したけどここしか見つからなかった。
スレタイが「海軍戦闘機隊」だから・・・該当するのは日米英ぐらい?w ・・・って英海軍のエースってのは聞いたことがないなぁ エースの紹介本だったら、光人社NF文庫「撃墜王列伝」あたりが面白いっす。
>>187 本、教えてくれてありがとうです。
メモしておいて、今度、大きな本屋さんに行った時に、探してみます。
189 :
名無し三等兵 :2008/08/22(金) 19:15:51 ID:xt9nfm5e
>>176 >>180 「零戦撃墜王」のS少佐って、進藤三郎少佐のようですな。
S少佐って書いておきながら、後で進藤少佐って書いてるし
(「零戦撃墜王」今日の話題社〜p191を参照)
>>189 俺も零戦撃墜王読んで、岩本氏は批判的な書き方をする場合、
Sとか名前を伏せるような書き方してるなと思ったけど考えてみたら、
「零戦撃墜王」は彼の死後、発刊されたわけで、
伏字にしたのは彼の遺族か、出版社じゃあないのかなと。
191 :
名無し三等兵 :2008/08/24(日) 18:29:57 ID:JhEwK6K+
192 :
名無し三等兵 :2008/08/24(日) 22:18:11 ID:A5f1lUYu
坂井氏と岩本氏って仲が悪かったのですかね?
193 :
名無し三等兵 :2008/08/24(日) 22:30:11 ID:P4ZJIYcA
>>192 別に中が悪かった訳じゃ無くて一緒の戦地・隊で勤務した事
が無いから話し様が無いんでしょ。
曖昧な記憶だけど戦後坂井さんの所にアメリカの調査員が日本の撃墜王に
会いたいって来た時に私より多数撃墜した人がいるって岩本さんの名前を
だしたって話を読んだ事がある
194 :
名無し三等兵 :2008/08/24(日) 22:36:47 ID:A5f1lUYu
>>193 ありがとうございます。
互いに戦記で名前を出してなかったので気になってました
海軍の撃墜数はドイツなみに水増しされすぎだからなw そんななら、「俺だってイラクで500機落としてるから、世界一のエースだ!」って事が事実になる。 ほんとに面白いですねwww
ドイツの撃墜水増しは有名だが日本海軍は違うが?むしろ陸軍なんぞひどいからさ。穴吹なんか51機撃墜主張の割に実戦果は10機程度だよ。
ドイツ軍の撃墜認定は、非常に厳格だったわけだが。 それでもかなりの誤差が出る、ということ。 まして日本のでは。 しかも、正確な撃墜数、とかいって勝手に自称撃墜数から一律割り引くばかな計算する学者までいるからむちゃくちゃなことに。
ルーデルだけはガチ!
戦闘の最中に、敵を最後まで見届けるなんてできるの?
200 :
名無し三等兵 :2008/08/25(月) 22:17:16 ID:5znXvnZl
どこの国も基本的には実数より増えるのは当たり前 撃墜数とかしょうもない事にこだわるより、あの激しい戦争に 生き残った人達と言う事で凄さを感じるよ
>>197 その厳格な撃墜認定でも他国と大差ない誤認戦果を報告している件について。
規定では厳しくても実態は異なるということだ。
これだからドイツ厨は。
>>201 都合悪い事実いわれたからって、ドイツ厨呼ばわりとはひどいw
試みに問うが、他国というのはどこの国をいってるの?
それとも全世界平均でも測定したの?
>>200 フィンランドの公式撃墜数は実際の数より少なかったとか聞いたことが・・・
どこの〜と論点を拡散させ、さも一般化しているように誘導するのは詭弁の代表のひとつ。相手にするだけ無駄だろ。
日本の場合、個人記録は公式に取らなくなったからな。 個人個人の思い込みまじりっけなしの数だから……。 多少の公平性すら担保されてない。
>>202 米英や日本とドイツの過大報告が変わらないことも知らないとはw
さすがドイツ厨。
姫たる戦記って 飛燕にエアブレーキが付いてたり ニューギニア戦線の飛燕が無線ばりばり活用して空戦したり 前線で一整備兵がメーカーからもらった特製パーツで過給器チューンしたり 前線で操縦士の体重に合わせて翼取り付け位置を移動する改造したり 信じられない話ばっかですけどみなさんどう思いますか?
捜索だろうな
>>198 「クルスク航空戦 下―史上最大の戦車戦」読んだけど
ルーデルは寄せてくるソ連戦車をちぎっては投げ、ちぎっては投げって感じだったらしいよ報告書。
そして敵地だから当然調べられるわけもなくそのまんま認められたんだとさ。
下手したら10倍以上に戦果膨らんでるかもよ。
しかし何故ドイツの撃墜数は正確なんて思われるようになったのか。 BoBで3倍に膨らんでたのは有名なのに。
>>210 ドイツ厨は「連合軍側の損害報告」よりも「ドイツの撃墜認定数」の方を
無条件に信用するから。
なんとかの一つ覚えのように「だって認定される条件が厳しいんだよ?」
>>197 が典型例w
>>207 光人社NF文庫のNFとは
“Non Fiction”の略
ノンフィクションとは、虚構(架空)を交えず事実・真実を伝えようとする作品のこと
>>212 いやいや秘めたる空戦はフィクションだから。
作中の独立飛行中隊は存在していない。
フィクションならノンフィクから出さねんじゃね? 光人社に電話して聞いてみたら?
光人社のNF文庫はそんなに厳密じゃない。
216 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 07:40:59 ID:WCtl4doL
大半がノンフィクションだけど、フィクションもある事はある。
秘めたる空戦はちょっと悪質じゃない? 78戦隊とか実在した部隊名を出したりして この人は空中戦もやったこと無いんじゃないの
最後に飛燕で捕虜になったところがミンダナオ島で日付が昭和20年4月28日。 フィリピンのこの時期はすでに特攻機が出せる状況ではなかろ。 悪質というか少し齧った人が読めばすぐわかるフィクション。
ドイツ厨は自分で調べないのに態度でかいねーw BoBの戦果報告が過大なのは無視とかありえないw
確かプリラー大佐の101機撃墜は 英国空軍公式の戦後調査で確認取れてるよね。 ドイツ側撃墜数の多さにジョンソン大佐が疑問に思って調べさせたら、 英国側の損失と合致しちゃったと。 でも他は撃墜数の誤認は多かっただろうな。 ちなみに俺はドイツ厨じゃなくてイタリア厨ですw
ノモンハンの200機クラスの空戦でさえ確認してる暇なかったっていうのに 500機の護衛戦闘機に1000機のB-17、B-24相手に戦って撃墜確認なんかできるの? ボーデンプラッテ作戦もドイツ軍500機破壊したとかいうけど実際300機だったし。
結果として出ちゃったみたいだよ。 まあ、ジョンソン大佐が悔しがったらしい(著書に記述があった)から。 ハルトマンは100機をちょっと欠ける位が調査結果じゃなかったかな?
>ハルトマンは100機をちょっと欠ける位 えー!なんかショックだ。 マルセイユがあまり落としていないのは知っていたがこれはあんまりだ。
>>223 うーん。
外国にも渡辺洋二みたいな人がいたのか。
クルスクでもドイツの撃墜数が過大なの暴露されちゃったし
これからもどんどん真実の数字がでるといいな。
日本だけ馬鹿にされるのは我慢ならん。
>>224 マルセイユって、あのアフリカの星のマルセイユ?
そう。
>>224 ご指摘の通りハルトマンではなく、マルセイユですね。
申し訳ないです。
マルセイユの撃墜数については、詳細な調査結果が出てるはず。
100機は落としていないと。
しかし90機以上は確認されているし、空戦参加期間からすれば
バケモノ的な撃墜数には変わりないですね。
>>225 ヘンリーサカイダ氏が裸足で逃げ出すような研究者は
外国(特に米・英)にはボチボチいますね。
市村、渡辺両氏のように公平に両軍の戦果を突き合わせてますよ。
間違っても、オスプレイシリーズには主筆として寄稿なんてしてませんw
229 :
名無し三等兵 :2008/09/26(金) 22:59:57 ID:/M26P20x
ところで、米軍のエース(太平洋戦線)って日本側 の戦果と突き合わせたら、5機以上撃墜したエースって かなり減るのでは、海兵隊トップエースのG・ボイントン の戦果もかなり怪しいらしいよ。海軍のトップエースの D・マッキャンベルもかなり怪しいのでは
そのへんはお互い様ということで・・・
日本の損害数=アメリカによる撃墜とも限らないからね。 目的地に行けず行方不明、燃料切れ、機体トラブルなんかも相当あったはず。
232 :
名無し三等兵 :2008/09/27(土) 18:59:18 ID:lHZgGKfL
支那で戦っていたフライングタイガース の戦果については1機撃墜したらボーナスが でるせいか、かなり無茶苦茶らしいね。お まけに1941年12月8日以前から、日本軍 と交戦しているし。
ていうかフライングタスガースに限らずアメリカは酷い。 オスプレイのP-51、P-47によるとP-51が5200機、P-47が3000機撃墜したことになってる。 いくらなんでも多すぎだろ。
でも日本の記録は鵜呑みをするの
235 :
名無し三等兵 :2008/09/27(土) 22:14:54 ID:lHZgGKfL
出鱈目ヤンキーwwww
236 :
233 :2008/09/27(土) 23:30:37 ID:???
フライングタスガースってなんだ。
フライングタイガースね。
>>234 活動期間のずっと長い零戦や隼は5000機撃墜なんて言ってますか?
>>235 詳しい数字は載ってないが欧州のB-17も酷かったみたいですよ。
1機落とすと周りにいるB-17も撃墜を主張するため1機が5機にみたいなことが頻繁にあったとか。
爆撃機の銃手はどこの国でもそうなるでしょ。 全体で何機が来襲したかなんて数えることができる神の視点は存在しないんだから。 B-29撃墜報告19機。実際は3機とか逆の場合もあるが。
言ってみれば、試験を受けて自分で何点取ったか?と自己申告するようなもん。 本人は正解だと思ってる問題でも結構間違いがあるもんだ。 逆に、適当に丸をしておいた選択問題が結構当たってる場合もある。
撃墜と報告せずに撃墜であった場合はレアケースだけどな。
>活動期間のずっと長い零戦や隼は5000機撃墜なんて言ってますか? 個々の戦闘では普通に誇張されてますな。
241 :
名無し三等兵 :2008/09/28(日) 16:23:14 ID:gm/7W4Bm
個人的に、日高義己が良いなぁ〜。
242 :
名無し三等兵 :2008/09/29(月) 00:35:00 ID:9xnCTMfu
急上昇
243 :
名無し三等兵 :2008/09/29(月) 04:01:12 ID:jtj0z+Xn
六機の護衛戦闘機のメンバーの一人です。
244 :
在特会 :2008/09/29(月) 06:12:45 ID:Bqn5hkIo
一人一人の怒りの拳が大きな力となります、皆さん御賛同下さい。 我々、日本人の血税を貪り食らい 不労所得で毎月一人あたり20万円もの生活保護を受け さらに 【納税・教育・交通・保険・医療・他、】 それら全てを優遇され 凶悪犯罪を行っても通名(偽日本人名)で報道されて 本名を一切公表されない・・・ 異常な【在日特権】を知らない日本人があまりに多すぎる。 ⇒ サイト 「在日特権を許さない市民の会」 会員募集中! サイト 「韓国は『なぜ』反日か?」参照 サイト 「歴史捏造国家 韓国」参照 サイト 「在日による性犯罪」参照 サイト 「厳選 韓国情報」参照 サイト 「博士の独り言」参照 関連書籍/宝島社「嫌韓流の真実!ザ・在日特権 」 関連書籍/晋遊舎「マンガ嫌韓流」〜3(絶賛発売中!) 関連書籍/晋遊舎「TBS報道テロ 全記録」 動画サイト/YouTube ニコニコ動画 (在日 韓国 朝鮮 反日 創価) 検索 推奨番組/CSスカパー 「日本文化チャンネル桜」
245 :
名無し三等兵 :2008/09/29(月) 18:04:46 ID:zcijgSPy
>>244 在日がココまで無茶苦茶だとは・・・・
正直な話、日本から出て行けと言いたく
なるね。在日特権に創価も1枚かんでる
らしいね。コレなんとかしないと、取り
返しのつかないことになるのでは、いや、
もうなっているのかも・・・・・・
クルンテープと申します。 原田要 零戦パイロットと言えばこれでしょう、やはり。 クルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルックルンテープ!
岩本さんの自伝読むと 大分上空に邀撃に上がったときに 雲からスポスポ新型機が急降下してきて グラマンを落としたって書いてあったけど 文脈から察するに岩本さんも紫電に乗りたかったんだろうな
岩本さんにスピット\、P-51クラス乗せたら200機ガチで落としてただろうな。 零戦じゃ優位から攻撃でもしないかぎり勝ち目が無い。 本人もいつまでも零戦で戦わされて不満みたいに書いてるし悔しかっただろうな。
でも雷電に試乗したときは 「速度ばかりで使えない機体」ってボロクソに行ってたけどね(;´Д`) 一撃離脱のイメージが強い岩本さんでもさすがに 零戦の乗りやすさはやめられなかったんじゃないのかな 渡辺洋二も雷電の本で雷電が受け入れられなかったのは 零戦があまりにも操縦しやすかったからって書いてあるし
「速度ばかりで使えない機体」じゃなくて 「爆撃機相手にはいいが、戦闘機相手だと使えない」だった しかしその「使えない機体」でP-51を小隊で追い詰めて撃墜しちゃう 赤松さんもある意味怪物だけど
怪物またはホラ吹き
赤松中尉が雷電でP51を撃墜したのって5/29の横浜大空襲だったっけ?
>>252 それはF6F
20年の6月23日に赤松さんが
僚機1機とでP-51を挟み込んで撃墜してる
赤松さんは死ぬ気でついてくる僚機を好んで選んでたから 戦闘機は2機以上で取り囲んで落とすことが多かったみたい それに顔なじみの搭乗員が転勤してくると 何も言わず上司に掛け合ってその人に休暇をとってあげたりして 人望が厚かったみたいだよ 復員のときは厚木で飛行場のトラックにタバコとかをたくさん積んで 変える方向が同じ兵隊を乗せてタバコと物々交換しながら一緒に帰ったりとか
硫黄島から100機のP51が各務ヶ原と百里に空襲に来たというやつかな。
>>255 6/23 は米陸軍航空隊の記録では各務ヶ原と百里空襲で、P-51 100機出撃、3 機損失だな。
>>256 んで、赤松雷電小隊はわざわざ百里まで出向いたのか?
帰途を襲うとか行きを襲うとかの工程間ていう考えはないのかよ 撃墜地点は千葉県ってなってるけどな一応
赤松さんも相手が戦闘機だとわかってる時は零戦で出撃してる。 対戦闘機戦には向いてないよ雷電。
>>258 >帰途を襲うとか行きを襲うとかの工程間ていう考えはないのかよ
そういう記述なり根拠があるのか?君の願望か?どっちだ?
日本語がわかるのでしたらいろいろな書籍や資料を お読みになったほうがよろしいのではないかしら
>>260 米軍資料か何かで裏を取りたいのだろうが
ほら話というのはそういうものではない
無能な働き者とはお前のことだ
渡辺洋二氏の『本土防空戦』には 初夏の小田原上空で赤松中尉と河井飛曹長がP-51を2機撃墜した様子が仔細に書かれているが。
仔細なホラ話 半信半疑のライター 盲信する読者 罪作りな本です
何様だこの馬鹿は?
>>252 を見て思い出したんだが、5月29日に横浜上空で75機のP−51に襲い掛かった零戦って
本当に赤松氏だったんだろうか?ヘンリー・サカイダ氏は間違った事を思い込みで書く事も多いので
今一信用できん。米軍のエースパイロットが、そういう零戦を見たって証言しているから実際そんな
無茶な攻撃をした日本機がいたのは事実なんだろうが、日本側に記録も無いし誰が乗っていたのか
非常に気になる。
>>267 >米軍のエースパイロットが、そういう零戦を見たって証言
それは何で読めますか?
>>268 >?B
?@1945年8月3日に相模湾上空で302空の零戦4機が、
落下傘降下したパイロット救出のために派遣されたPBYの護衛のP-51 4機と交戦。
小隊長の森岡寛大尉がジョン・J・コネフ少尉機を撃墜している。
?A1945年7月15日、零戦との空中戦で被弾し、千葉県東葛飾郡の水田にP-51Dが不時着。
機体は第21戦闘航空群第531戦闘飛行隊所属機でパイロットはヴィンセント・A。グァディアーニ大尉。
このP-51Dは当時の新聞にも写真付きで掲載されている。
出典は「押尾一彦/野原茂 『日本軍鹵獲機秘録』 光人社2002年」
?B1945年5月29日、横浜近郊に来襲した75機のマスタングに対し赤松中尉は、なんと零戦一機で
勝負を挑みルーファス・ムーア大尉機を撃墜した。
?C西岡 義春 昭和20年5月29日
横浜上空で下方を見るとP-51戦闘機三機が飛んでいる。私はただちにダイブして突進した。
有利な態勢だ。敵は気付いていない。
敵の三番機に突撃、距離500、200、100メートル。
愛機(零戦63型)の20ミリと13ミリの計四門の機銃が火を吐いて弾幕がP-51を包んだ。
不意の攻撃にP-51は逃げられず、エンジンから黒煙を噴き出し墜落していった。
ソースは丸の07年10月号 零戦とわたし
USAAF ChronologyではB-29が7機、P-51が3機損失になってる。
>>269 >ヴィンセント・A。グァディアーニ大尉。
の件って、否定されてなかったっけ?
日付が違うって話だった。
日付を補正してもその日のP51の損失は対空砲火によるもので ゼロ戦は何の関係も無いということだった
>>268 私は大日本絵画から出ている「日本海軍航空隊のエース」って本で読みました。
エースパイロットのトッド・ムーア大尉という人がこの攻撃を目撃したそうです。
菅野直大尉をどう評価する? 剣部隊新撰組隊長を務め、度胸の良さ・カリスマ性は認めるけど、 個人的には高く評価され過ぎだと思うけど?
当時の絶望的な戦況の中でよく、最後の方まで隊長としてがんばったと思うが。 最後は不運だったな、機体さえ万全なら生き残れる可能性はあったのに。
>>275 そうだね。あと数日で終戦だったのにね。
海軍に入る前は文学青年だったから、もし生き残っていたら坂井三郎少尉並の戦記を残してくれたかも…
思えば坂井少尉があれだけの作品を残せたのは、搭乗員としての技量はもちろんの事、
ライカを進出地まで持ち込むほどの記録魔であった事と記憶力・表現力に拠る所が大きい。
343空はティターンズみたいな集まりで坂井さんはブライトみたいな立場で 343空をあまりよく思ってなかったみたいだよ。 源田批判してるし、紫電改もけなして疾風褒めてる。 菅野大尉も猪突猛進型の指揮官で彼の指揮した空戦はアメリカから まとまりが無かったと酷評されてたりする。
278 :
名無し三等兵 :2008/10/09(木) 21:39:24 ID:9eMeDfwl
>>277 この話って「大空に訊け」に載ってたかな。
菅野大尉については初めて聞く話だね。坂井
さんが343空を良く思ってないのは自分の身代
わりで武藤少尉が戦死したからかな?とは言っ
ても武藤少尉のようなパイロットはどこの航空隊
でも引く手あまただったと思うんだけど。
>>276 岩本さんも大陸のときとラバウルのときの
文章はすごい生き生きとしてる
「実戦は命中率を競うのではなく、敵を落とすのが目的である。 私は実戦で敵機を射撃する場合、いつも操縦悍を前後に一振りする事にしていた。 夾叉弾を発射すれば必ず二、三発は命中する。 二〇ミリ機銃は炸裂弾なので、命中弾数は少なくても翼がちぎれて飛んでしまう。」 --空母零戦隊--岩井勉
>>276 志村〜ゴーストライター〜ゴーストライター〜
>>279 岩本さんの本は、どこまで御本人が書いたのか・・・?
ベースになったものは、たしかに本人の書いたノートだけど・・・。
>>267 その零戦の搭乗員って、もう半ばヤケクソだったんじゃないの?始めから生還意思がない捨て身攻撃。
高知上空で脱げ切れんと判断した後、敵戦二機を道連れに巻き込んで四散した彩雲偵察機みたいな。
戦闘機に限らず日本の搭乗員のほとんどが 生きて帰ることを考えてなかったんじゃないかな ウェーク攻略のときもウェーク島のすぐ近くで 被弾した96陸攻がウェークの飛行場に着陸せずに自爆したりとか
肝心なところで不調に陥る誉(´・ω・`)
>>284 >被弾した96陸攻がウェークの飛行場に着陸せずに自爆したりとか
いずれの国でもわざわざ軍事機密の塊である航空機を
被弾した程度で敵飛行場に故意に着陸させた例は知らないから出してくれる?
>>284 じゃないけど
P-51のBだかCが中国の日本基地降りて鹵獲されなかったっけ?
そういや、義や薫のはきちんと処分したのかなぁ? でもまあ、そんな暇はないか…。
昭和20年2月、漢口付近でP-51Cを鹵獲。 このP-51Cは蘇州の日本軍飛行場攻撃時に対空砲火により被弾、不時着。
290 :
名無し三等兵 :2008/10/10(金) 18:55:06 ID:c2Ahv4Zb
>>289 おおっサンクス。こんな早く解決されるとは思わなかった。
さすが軍板。
>>290 ありがとう。しかしこれはまた。(´Д`ゞ
>>286 スイスにはB-17もBf110Gとかも最新鋭も不時着してるでお
話題は中立国じゃなくて敵国の飛行場だから・・・
>>294 スウェーデンも枢軸連合の最新鋭の機体が
いっぱい鹵獲できてウハウハ
昭和20年夏、大湊空襲に参加した米軍小型水上機が、日本軍基地からの地上砲火を受け被弾し不時着水。 しかし直ぐに仲間の飛行艇が救出に現れ、日本軍基地隊員ら衆人看視のなか堂々と着水し、乗員だけを救出 して飛び去った。あとに残された米軍小型水上機は日本軍が接収。
>>293 それもゴーストライターの手が入っているわけで。
本田稔氏の戦記を読み終えたところなんだが、敵弾が上方から股の間を貫通したために 操縦席の床に100ミリ程の穴があいて下界が見え、吸いこまれそうで怖いと記されていたのが、 なんか可笑しかった。数分が何時間にも感じるという空戦がどういうものか想像がつかないように、 経験者じゃなきゃわからない感覚なんだろうね。 素人は、単発のちいさな飛行機で1000キロもの距離を飛ぶこと自体がとてつもないことのように 思うんだけど。
>>299 タンク撃ち抜かれて、燃料切れ寸前でブイン基地に近い海岸に不時着したんだよね。
降りた場所が不整地なので胴体着陸なのかと思いきや、本人はその後、あまりの疲労
の為に機体の下で寝こんだと書いてるから、主脚を出しての緊急着陸だったのでしょう。
しかし、見る見るうちに燃料計の目盛りが下がるという状況は恐ろしいですね。
機体には計8ヶ所被弾しており、うち一発は風防から入り左肩横〜両股の真ん中を通り、
座席床を貫いて100oの穴が空いていたそうだけど、これ本人の言う通り奇跡でしょう。
で目が覚めると偶然、予科練時代世話になった上官が立っていたというのもスゴイし、
補給班がたまたま@戦用の増槽持ってたから燃料補給ができたというのも笑える。
また肝心の機体の修理は、航空機とは無縁のブイン基地設営隊の工作員に頼み込み、
なんとか辛うじて飛べる程度の応急処置を施して貰い、そんな怪しげな状態の機体を
操ってそのまま海岸を離陸するんだけど、偶然ガ島攻撃から帰還中の零戦編隊に遭遇し、
その最後尾にひっついて帰ってきてしまうところもマンガみたいでワロタ。
※例の足下の大穴は、ベニア板をあてワイヤーで縛りつけてたらしいw
運も実力のうちといいますが、激しい戦火を潜り抜けて生き残った人って、運を自分
の側に引き寄せる力が半端でなく強いんだと思うな。
隼とかでも、離陸時に他機と衝突して翼端を30cmかじられても 整備員と大丈夫だろう?とそのまま離陸して戦闘しちゃうツワモノがいたな・・・ 宮辺氏のエピソードだったかな
>>300 岩本さんの戦記を読むと、機体を穴だらけにされたのは1回だけじゃないみたいですね。
奇跡を複数回体験するくらいの運の強さも生き残る条件なのかな。杉野計雄さんの場合、
出撃の度に敵弾をくらうんで整備担当者から歓迎されてはいなかったみたいだし。まぁ、
そう言ったら、ドイツの戦闘機乗りは何度も撃墜され、落下傘降下して助かってる人も
少なからずいるくらいだから、そんなに驚くことでもないのかな? 防弾のない零戦と
は比較ができないか・・・
以下は陸軍なのでスレチだけど、お許しを
以前に読んだ、樫出勇さんのB29撃墜記に「そのとき、わが機と敵機との距離はすでに
200mに接近しており、はやくも精密照準に入っていた。・・・略・・・
(B29は)ただただ驚くばかり大きい。
距離100m! 同乗の田辺軍曹に向かって・・・略・・・その途端にガンガンガン・・・
と敵は前方銃で先制の一撃を・・・
距離、いまや80m! ”撃つぞ”と・・・」
相対速度、毎秒約200mほどの速度ですれ違おうとしている状態なのに、なにこの記述は?
10秒くらいの間の出来事であるなら分かるけどと思った。だけど、これと似たような記述が
他の戦記にも見られるんだよね。複数の人が、数分間の戦闘が何時間にも感じたと記している。
で、ネットで調べたら、自分と同様に感じている方がいて、その人は元空自のパイロットに
訊ねたらしい。それによると、やはり短い時間を長く感じる(時間が伸びる)体験を語ってく
れたとか。自分には、そういう体験がないから分からないけど、危機的状況(あるいは極度に
集中した状態?)のなかにあると人間は、脳味噌がフル回転するがために?、時間が伸びる?
ここからは自分の妄想だけど、一生に一度だけ」とかでなく、繰り返し何度も日常とは違った
時の流れに身をおける人、そういう能力をもった人だけが、空戦で戦果をあげられるのかな?と。
前記の樫出さんの部下の方が、何度出撃しても敵を落とせないので、とうとうB29と正面衝突
して戦果をあげたとか。もし、自分の妄想が正しくて、繰り返し何度も”時間を伸ばせる”のが、
一種の能力あるは適性なら・・・ 厳しい世界だな。
ドイツのJG26や日本の64戦隊、25戦隊も重爆と戦うときは真正面やや上からの対進攻撃を得意とした。 相対速度1000キロ、攻撃チャンスは3秒だけだったらしい。
>距離、いまや80m! ”撃つぞ”と・・・ >相対速度、毎秒約200mほどの速度ですれ違おうとしている状態 0.4秒で何発撃てるの? パイロットがそう感じただけではないの? 距離だって怪しいものだ。
>>304 走馬灯って知ってるか?
後、ボールが止まって見える、とか。
装填に暇が掛かる対戦車砲で一撃必墜を狙うよりも 20mmのホ-5辺りを多連装で仕込めばよかったのに>屠竜
>>308 機首の格納スペース見てから言ってくれ。
>>304 >樫出勇さん
「瞬間的な感覚だが」と前置きがあるものの、眩惑されやすい照空灯照射下での夜間戦闘で、
攻撃直後の回避行動中、射距離100mから放った弾がB29の座席付近に命中したと書いてますね。
別の日の昼間攻撃中には、着弾した場所に火焔が走るのをはっきり目視していますし、しかも
その後の離脱行動中の瞬間にも、自らの攻撃で空けた破孔まで確認しているのが凄いです。
まあ、樫出さんの部隊は、高々度での迎撃訓練のため鹵獲したB17を使って猛訓練を重ねてい
ますし、甚大な人的被害を出しながらも徹底した夜間攻撃訓練も実施されています。
又、戦闘後の翌朝に戦訓会議を開き、隊員同士がB29対策用の攻撃法をしつこく討議してます。
そういうことから、部隊全体のレベルは想像以上に高いものであったと思われます。
惜しむらべくは、部隊の練度に機体性能が追いついてないということでしょうか。<スレチ御容赦>
311 :
名無し三等兵 :2008/10/17(金) 14:51:21 ID:RmvOFONu
南方で、夜間に月光でカタリナ撃墜した話が面白かったな。 レーダーがない状態じゃ、撃墜できるのは極めて幸運じゃないとダメだったらしい。
松戸にいた屠龍の部隊の一部が、港湾やアルミ工場防空のために富山に移動。 しかし中小都市には照空灯も航法援助施設もなく機上レーダーもないため活躍できず・・・orz ドイツの夜戦の話に較べると、日本はかなりきついですねぇ(;´Д`)
>>310 そうそう、実際にB-29と闘うまで十分な時間をかけ訓練を重ねてきて、相当な技量を身に
つけていたなんて、海軍だと大戦初期を除けばあまり事例がなかったのでは?と思う。
>部隊の練度に機体性能が追いついてないということでしょうか
ホントですよね。もっといい機体があれば、それを使って戦史以上に活躍してほしかった。
戦史通りでも凄いのは言わずもがな、だけど。
驚いたのは、37ミリ砲弾を胴体に当ててもB-29が落ちないということ。
だから、操縦席に当てなくてはならない。そんなムチャクチャな・・・
スレチゴメン
中川義正上飛曹最強伝説w 二式陸偵でF6F相手に空戦するが、突如宙返りをうち失速錐揉み。テニアン島に着陸するも片車輪がパンクし横転転覆。 同じく二式陸偵で、ヤップ島近海で米潜水艦に250キロ爆弾を投下し艦橋に命中。偵察に飛んだ彩雲が撃沈確実と報告。 更に同じく二式陸偵で、南比ダバオ基地防空戦において、B24に随伴してきたP-38を一撃で屠った。機首装備の20o。 同じくダバオ基地防空戦で月光で迎撃に上がったが、斜め銃が故障したためB24に体当たり。右プロぺラでB24胴体を裂く。 レイテ島周辺で不時着事故に巻き込まれ、頭蓋骨を骨折する重傷を負ったが、強引にカナズチで叩いて治してしまう。<サイボーグか? 内地に還り芙蓉部隊で彗星夜戦に搭乗。夜間トカラ列島上空を飛行中、敵夜戦と遭遇。空戦に入り斜め銃で撃墜する。<夜ダヨw 南九州上空で重爆狩りに参加。三号爆弾攻撃で一挙に米重爆三機を撃墜する。
>>314 それ、あまりに凄杉!! 読んでみたい 中川義正でググッたんだけど書籍名がわからなかったよ
知ってたら、教えてくれない? クレクレ厨でアレなんだけど
とりあえず「彗星夜襲隊」の238ページで実在確認した。 20年6月10日、中川・川添ペアの彗星夜戦で、レーダー装備のP-61 2機いるのを斜銃で返り討ちに撃墜してるw 日本の夜間戦闘機が、敵夜間戦闘機を夜中に撃墜したのはこの一例だけらしい。
「彗星夜襲隊」つながりで、ある飛曹長の乗った彗星が沖縄で墜落して、地上部隊に救助された飛曹長が、終戦までそのまま潜伏して、増槽ちょん切った船(手漕ぎ?)で本土にたどり着いたって話は吹いたw
この人も
>>315 のスレ向きだな。
>>318 しかも途中で出会ったぁゃιぃ密航船の船長(船に関しては素人)に
「航路がわかるのか!なぁオレと組まないか!」とスカウトされるんだよなw
もうどんだけ無茶しすぎ。
>>316 「彗星夜戦隊」の方に詳しく載ってるみたい
321 :
316 :2008/10/18(土) 14:26:46 ID:???
>>320 ありがとうございます 早速、探してみます m(_ _)m
>>319 この手の日本兵の話って
倭人伝ならぬ野人伝に近いからな(;´Д`)
修羅の翼、名著だとは聞いていたが文庫化されたのでようやく読書開始。 いやぁ引き込まれる文章だわ。読んでいて面白いわ
324 :
名無し三等兵 :2008/10/30(木) 23:00:38 ID:iaqjeGoA
>>323 おれは10数年前に今は亡き(?)朝日ソノラマ文庫版
「零戦特攻」を読んだが、今回また光人社から出た文庫版
も読んだほうがイイのかな?
おれもこれは名著だと思うし、いまだに読み返してしまう
位面白いと思う。
>>324 たぶんほとんど同じ内容だと思う。
ただ、「再刊にあたって」という章が14ページくらい追加されてるようで
戦後の開墾の苦労話などが書かれている。戦後の慰霊祭の写真も複数載ってる。
この部分は平成20年8月以降に書かれているようです。
気になるなら店頭で・・・
角田さんのとこに右翼が街宣に来るらしいな ビクともしないみたいだけど
327 :
名無し三等兵 :2008/11/01(土) 21:59:20 ID:6U6umRHC
>>326 戦時中、あれだけ辛い思いを沢山されて
こられたのに、何故そんな事ができるのか
右翼の奴等ってどこまでぶっ壊れてるんだか、
角田さんには「ご苦労様でした」と言うべきな
のに何故そんな仕打ちができるのかさっぱり
わからん。
しかし、そんな脅しにビクともしない角田さん
もすごいけど・・・
やっぱり、死線を何度も乗り越えてきた帝國海
軍軍人はスゴイともおもったぞ。
日本のウヨは在日
329 :
名無し三等兵 :2008/11/01(土) 22:26:51 ID:6U6umRHC
成程、そういう事だったのか〜、 それなら、ウヨなんて全然、信用できないな。
海軍航空機関係の戦記にすっかりハマって、読みまくり中なんだけど、メインの戦闘は もちろんのこと、それ以外でも、南海の島に不時着して現地の人に助けられた話とか 薄暗いトイレの下にはう○こ待ちの大トカゲがうようよ、など初めて知るものが 多くて、(生死をかけて闘われた先人の方たちには申し訳ないが)楽しめるよ。 温帯の日本と日本人とはまるで違う気候、風習の南方諸島独特の雰囲気が伝わってくる。 北に位置する満州あたりだと、こうはいかないんだろうな。 スレチスイマセン
千島に配備された海軍搭乗員の話も面白いぞ。 わずか1分でミルクのような濃霧発生とかな。
96陸攻を隼が撃墜しちゃったり、北方はあまりいい思い出がないね('A`)
「修羅の翼」は書類作成事務に言及してるのが興味深かったな。 P-38は零戦より優速である、と記載したら総スカンだったとか。 署名のある書類では当たり前の事を当たり前に書けないのは今とまったく同じだ。
角田さんが江間少佐と殴り合いの喧嘩した話が面白かった
>>331 それ、読んでみたいです。書名を教えてくれますか。クレクレで申し訳ないですが。
小福田氏の諸作は自軍の機材も醒めた目で見ていて面白い
>>335 申し訳ないが書名を失念した。
光人社のNF文庫だと記憶しているのでそれらしいタイトルを当たってみてくれ。
あるいは報道班員の手記であったような。
338 :
335 :2008/11/03(月) 14:10:00 ID:???
>>337 ヒント、ありがとうございます。さがしてみます。
CSのナショジオで、坂井三郎対サザーランドの空戦特集が放送された。 「大空中戦の果てに:ガダルカナル」 実機による空撮実写(52型とFM-2?でちょっと型が違うが・・・)と、 サザーランド機そのものを現地で発見しての機体発掘模様。 当時の白黒映像もたくさん使ってるがそれに頼らない構成で 現地取材が凝っていてちょっとすごかった。
>>335 1分ではありませんが
「3月から9月までの半年間はたった2分で島を覆い隠す濃霧(海霧)が頻発。
海面上20メートルから300メートルほどの厚さで、ミルク状に張りつめた。」
という記載なら手元の本にありますが、搭乗員の方や報道班員の方の記述ではありません。
ご参考まで。
ふと思ったんだが、一番多く撃墜された被撃墜王って誰になるんだろうな?
世界では独ソ戦参加者だろうけど、日本では川戸氏? 体当たり3回、落下傘降下4回、被撃墜5回だったかな。
陸攻隊の搭乗員の戦記で読んだ記憶が>ミルクのような濃霧
344 :
名無し三等兵 :2008/11/04(火) 21:19:35 ID:vjJaQX/k
>>342 川戸氏って着任したときは二十歳未満の新米搭乗員
なのに通算18機撃墜(記憶が曖昧でスマン)で数々
の(上記のような)エピソードの持ち主なのがすごいね。
おっしゃる通り日本海軍では川戸氏なのかな?
345 :
名無し三等兵 :2008/11/04(火) 21:23:33 ID:vjJaQX/k
>>342 バトル・オブ・ブリテンのRAFの戦闘機パイロット
はどうなんでしょうか?1度、撃墜されて、基地に戻って
また飛んでいったなんて話しを聞いたことあるんですけどね〜
ハルトマンの被撃墜数は16回。 今後も決して破られることが無いであろう世界記録を樹立した。 赤軍に捕まったけど殴って逃げたり落下傘降下中にP-51が近くを通るだけで 機銃掃射してこなかったりかなり運がいい。 赤軍兵士はルフトヴァフェの捕虜なんかいるかよと見つけ次第殺すからだ。
347 :
名無し三等兵 :2008/11/04(火) 22:18:32 ID:wbUC8P+w
>>333 軍事評論家じゃない人が書いた本で、たしかソロモン戦後期ぐらいの
海軍内の報告書に
「零式艦戦は○○方面に出現せる敵新型機に対して特に遜色を認めず」
とあったといい、零戦は絶大な信頼を寄せられていたのである、と
文を結んでいたが、あれは偉い方のための作文だったの。
角田氏は高速なP-38を1時間も追跡して、油断して減速するのを見極めて 「一撃で落とすと何で落とされたのかわからずかわいそうと思い、 わざと2、3発外して撃ち、気付いた所で操縦席に20mm弾を撃ち込む」 ---修羅の翼268ページ 伝説の英雄スレの方が適当かなと思うくらい腕に自信があるエースだよな。
>>347 204空報告
「F4Uは零戦に対し、10ノット程度の優速の他特異な点を認めず」
小福田少佐じゃないのそれ
すでに持て余し気味みたいな報告もあった気がする
河口猛 飛曹長という方が934航空隊所属の二式水戦で活躍されてるようなんだが、 あまり資料では見かけませんね。 「奇跡の飛行艇」という本でドラマチックに語られてるんだが、 この方面の水上機戦闘の実態に付いて詳しく知りたいです。
元艦爆乗りの方の戦記を読んでるんだが、垂直旋回でP-40を落としたり、4機のP-38に 追いまわされるも逃げ切ったりとか、痛快な話が多くて楽しめる。 スレチガイスマソ
末期の艦爆隊は7.7mm機銃さえ不足して、前方機銃無しな場合もあったみたいだね。
末期の艦爆が、米機を落とした例はさすがにないだろうね。 初期の搭乗員の人達は相当優秀だったらしいから。
356 :
355 :2008/11/05(水) 22:56:45 ID:???
訂正 × から。 ○ けど。
>>355 戦闘機不要論で戦闘機から艦爆に回された人もいたからね。
>>350 ラバウルの二〇四空の現地報告ですが何か?
二〇四空の戦闘機隊隊長が小福田氏だな。
>>358 >>349 は1943年8月25日の報告。
小福田少佐は1943年4月に厚木航空隊に配属。
小福田氏ならむしろ 1943.5.3「戦訓に依る戦闘機用法の研究」 「零式戦闘機は、総合性能概優秀にして、 現状において南東方面出現のアメリカ戦闘機に対し特に遜色を認めず」 そして防弾や機銃など改善要望点がいっぱい書いてある・・・のほうだな
小福田氏は、太平洋戦線での実戦経験はあるの? Wiki見た限りでは、よくわからない。 陸軍の加藤中佐は、小福田氏より6歳も年上なのに最前線で戦ってみたいだけど。
小福田少佐と荒蒔少佐は試乗したP40の評価が まったく違っていたのが面白い
>>361 小福田氏は「指揮官空戦記」という本を出されてるので一読を。
17〜18年にかけてラバウルで部隊率いて、直接戦闘してます。
零戦に関しては
「正宗の名刀であり、名刀を振り回せる技量があればこそ切れ味が出せる」
「老練なパイロットが攻撃する場合には向いているが、守勢に立てば弱い」
「受身の戦闘になると、じつにもろい戦闘機で、義理にも傑作機とは言えない」
と、はっきり認めてます。戦後になったからいえる事でしょう。
戦時中に指揮官が弱気な事を言うわけにはいきませんから。
18年中頃には形勢は逆転し、19年にかけて戦力が急低下しもうだめだった、
とも認めてます。「指揮官空戦記」265〜266ページ
海軍も土下座して鍾馗と疾風使わせてもらえばよかったんだよな。
小福田租 「零戦開発物語」 「ラバウルからガダルカナルまで味方の陸攻を掩護してゆくときは、 片道3時間半くらいかかる。 ガダルカナル上空での空戦時間を考えると、じつに7時間半近くなる。 戦闘機で7時間半という戦闘行動は、さすがに若い元気なパイロットでも、 みな身に沁みてこたえた。はじめの間は張り切っているのでそれほどにも 感じなかったが、だんだん回数を重ねるにしたがって、この長距離空襲は なんとも大きな苦痛であった。 とにかく、ラバウルからのガダル通いは、その道中の長いのには考えた だけでもぞっとする思いであった。どんな激戦でもいいから、もっと近い ところで、というのが、われわれパイロットのいちばん切実な気持ちであった。 2回や3回の戦闘ならばなんということもないが、常時連続となってくると、 さすがに身にこたえる。そしてときどき、『なんでこんな航続力の馬鹿でかい 戦闘機をつくりやがったのか?』と怨みたくさえなった。 これは零戦パイロットの偽らぬ気持ちであった。」
戦記というのは結構自慢話が入るし 零戦の大航続力については誉められこそすれ 貶されるのは見たことないんで こういう泣きの入ったのは興味深いな
>>364 一式スレだか三式スレだかに帰れよ基地外
開戦時に2式戦があるのに昭和19年にもなってやっとこさ雷電w
陸軍がラバウルに戦闘機として一式戦、二式複戦、三式戦を送り出しましたが、 もし二式単戦を投入していたらどうなっていたか考察してみることは面白いと思いませんか。
>>364 疾風はともかく、鍾馗はイメージと違って実際はあんまり速くないから、大して活躍
できないかも?
逆に陸軍が零戦使わせてもらえば、隼の「武装が貧弱」って悩みはなかったのに・・・
スピードも零戦の方が若干速いみたいだし。
岩本氏は紫電に乗りたいようだったよね。 速度と、20mmが増えるのは歓迎しただろうな。
>>369 そんな禄に活躍できてない機体で自慢されてもw
開戦時の二単の部隊配備数は何機だったかなw
>>363 実戦経験おありでしたか。 教えていただいた本、早速手配しました。
ありがとうございます。
小福田氏は雷電を評価している ちょっと意外
もともと二式戦は対戦闘機戦闘用の機体なので雷電と較べるのは筋が違います
ほんとは硫黄島に雷電配備される予定だったけど 戦闘機相手には仕えない機体だと判明したため零戦に変更。 藤田いよぞう少佐とかせっかく雷電で訓練してたのにカワイソス。
いよぞうに俺のケツマンコを捧げたい
379 :
名無し三等兵 :2008/11/09(日) 22:38:37 ID:yBG2gWAf
380 :
名無し三等兵 :2008/11/10(月) 02:44:16 ID:UeHuVqYq
岩本氏は一撃離脱に徹して格闘戦を挑んでこない米軍に業を煮やして雷電配 備を訴えてるけどね。
>>380 嘘だな。
むしろ零戦の方がマシって言ってる。
軍板は平気でウソつく奴がいるから困る (これはどっちがウソか知らんけど)
うまい人ほど追い込んでいけば格闘戦に持ち込めるって言ってるけどな。
385 :
380 :2008/11/11(火) 04:54:47 ID:l6QSl+cP
失礼。 羽切飛曹長の勘違いだったわ。
羽切氏は戦時中横空勤務で詳細に飛行機別に評価してくれてるからいいよね。 以下、「大空の決戦」より ※雷電について ・視界不十分により搭乗員から敬遠されていた・胴体燃料タンク防弾は大いに評価 ・若年搭乗員には無理・B-29邀撃にはこれか紫電改しかなかった。 ・乗りこなせる技量をもってすれば、局地戦闘機としては優秀 ※紫電改について 最初は零戦に対し格闘性能で劣るかと思ったが自動空戦フラップの効きがよく じっくり紫電改を乗りこなす事で零戦相手でも優劣が付けがたくなった。 速力は零戦より30km/h優速、急降下すれば零戦を振り切れる 雷電に比べ速力では劣るが、単機空戦でも零戦と互角に戦え、 雷電と格段の差があった。 紫電改に期待し、早く実験を完了させて戦地に出してやりたかった。 237ページ「戦い、われに利あらず」の章
20年2月16日の本土空襲では紫電改で空戦やってグラマンを落としてるね。 その時のメンバーは全員南方帰りという豪華メンバーだった。 出撃したのは零戦10機、紫電改2機、 その紫電改2機の内訳は羽切氏と武藤氏という誰もがご納得の搭乗割。
初心者ですお願いします。 杉野計雄著「撃墜王の素顔」 光人社NF文庫 に、「余談ながらある人の本や講話で、一撃で敵機を串刺しにしたことが三回あるなどというが、 素人向きには面白かろうが、戦闘機仲間では笑い話である。(中略)〜日華事変ならいざ知らず、 米軍は決して甘くなかった。串刺し撃墜は、戦場では開距離編隊のため不可能」 とありますが、その「ある人」とは誰なんでしょうか? 勿論杉野さんが名指しせず、「ある人」とおっしゃっている訳ですから、断定は出来ないでしょうが・・・。 上記杉野氏が述べられている通りで、素人ですので、空戦記等、全くの鵜呑みにしております。 文章(読み物)としての巧拙はあると思いますが、逸話等を「盛る」傾向にある元エースなど居られるのでしたら教えて下さい。 坂井三郎さんのことなのでしょうか? だとしたら軍板の識者のみなさんの認識というか、見解を教えていただきたいのですが・・・。 テンプレから逸脱していますでしょうか? 宜しくお願いいたします。
赤松さんは酒入るとサービス精神旺盛だったみたいよw
>>388 基本的に戦記本で「撃墜した」って記述は、信憑性は5〜20%くらい。
本人が悪意を持って嘘を付いているというわけでもなく、
確かに命中したような手ごたえがあったんだろうし、
その後敵機をゆっくり追跡できるわけじゃないんで確認のしようがないんです。
ガンカメラもなく、指揮所で報告する時も手ぶらで報告すると叱咤され、
撃墜不確実と行った方がずっと受けがいいんです。
双方の記録を参照して実情に迫った本としては「大空の攻防戦」に
「ラバウル上空の完全勝利」という19年1月17日の空戦についての記事があり、
日本側主張:撃墜69機(実際は12機)・味方の損害無し(8機被弾)
米側主張:撃墜32機(全部誤認(笑))・味方の損害12機(P-38が8機など)
こんなもんです。これは日本側完勝の珍しい例であり
多くの空戦ではやや日本側不利です。
少数精鋭だった事を考えると大健闘ですが、航空消耗戦では敗北です。
有名なP-38による山本五十六撃墜の時は 日本側 1機撃墜 陸攻2機不時着、零戦損害無し 米側 陸攻2機撃墜、零戦3機撃墜、1機未帰還 未帰還のP-38は、柳谷氏が遁走するP-38をコロンバンガラ付近まで追跡して、 単機で飛んでいたハイン中尉機のP-38を撃墜したものでほぼ疑いなく、 双方の関係者がはっきりししているレアケースです。
穴吹智氏の「蒼空の河」読んだんだけど、これって書いたのゴーストライターじゃないか? 「大空のサムライ」と文体、表現が似すぎ…
>>391 日本側は6機落としたと報告してるらしいよ
米軍の撃墜過大っぷりなんか梅本本に腐るほどあるよ。
それは日本側も同じ
小福田氏は、斜銃付き零戦でのB-29撃墜をフイにしちゃったよね。 きちんと整備完了された機材であったなら、ほぼ撃墜確実の機位だっただろうからな。 レバー握ってスカスカだった時の落胆は大きかったと思う。
ラバウルで整備員の声を無視して零戦に乗って撃墜できなかったのもこの人だっけ? 下りてきて文句を言ったら 「機銃が整備中だと叫んだが聞いてくれなかった」と怒るに怒れず。
なんでも一番が好きなのか、バラレ飛行場に初着陸したり、 信濃の着艦テストに参加したり(当たり前だが非常に着艦がしやすい空母だそうな) ドイツ機から烈風までいろんなレシプロ戦闘機やジェット機に乗り、 戦前戦中戦後飛行生活28年、不時着も4回経験してる超ベテランだな。 烈風に関しては絶賛してる。初めて乗った時からしっくり来て、 機会さえあったなら、この飛行機で思い切り飛び回りたかったそうな。
399 :
名無し三等兵 :2008/11/14(金) 19:57:35 ID:C4Y6jBkT
ところが、周防元成氏、小福田租氏は烈風を評価 していたそうだが、志賀淑雄氏は大きすぎると言って あまり良く思っていなかったようだ志賀氏はむしろ 紫電改の方を評価してたようだ。
烈風を50機用意できても、P-51が相手じゃ数回の空戦で終わりだな。
烈風って疾風より性能悪いんだろ。 そんなもんいつまでもグダグタ研究してないで疾風使わせてもらえばよかったのに。
小福田氏は烈風とF6Fの関係は零戦とF4Fの関係に近いと言っている。 P51相手はP51が高速での一撃離脱に出れば苦しいとも言っている。 身内ベタボメがあまり無く、率直。
それぞれ飛行特性も違うだろうし単純な比較はできないんじゃないの
>>404 普通にA7M2は600km/hを超えているが?
>>406 戦争終わる間際に一回出ただけだろ。
疾風はとっくに完成して活躍してるのにな。
いつまでも零戦で戦わされた海軍パイロットがかわいそう。
>>399 志賀少佐は誉装備の烈風だったからじゃないか
>>406 そういうのでいいんだったら疾風は660km/h出してますよ。アメリカ仕様じゃなく日本ので。
411 :
名無し三等兵 :2008/11/16(日) 18:34:46 ID:s/7UN4cS
>>408 ああ、そうか。でも、操縦特性は良いっていってたな。
412 :
名無し三等兵 :2008/11/20(木) 17:45:53 ID:PNsqmLx5
>>407 艦載機の開発してるのに足腰が弱い疾風転用?
恐ろしくて着艦できん。
大戦末期なら空母使ってないから大丈夫!w
烈風できたところでF6F-5には勝てないだろうな。 F8Fなんかもう手も足も出ないだろ。
>>413 でも紫電改とか、信濃への着艦試験とかちゃんとしてるんだぜ?
もうヤケクソだけどなw
海軍でも疾風採用しようという話はあったって戦鳥の常連が言ってた。
零戦の全て上を行く疾風は魅力的だったろうな。 上昇力も52型だと大分落ちてて疾風と同レベル。 航続距離も大差なし。 武装も上。 こりゃ欲しがっても不思議じゃない。 ただメンツがあったんだろうね。 陸助の飛行機なんか使えるかって。
98陸偵とか、元々陸軍機だったのを海軍仕様にしたものとかは結構あるんだけどな。 疾風に関しては芙蓉部隊の本で、 「零戦・彗星は翼下にロケット弾装備の状態で鹿屋−沖縄の攻撃に使えるが、 疾風では航続距離が短く、徳之島か与論島までがせいぜい」との記述がある。
>>417 単純に陸軍分すら確保できない量でしかも欠陥に悩まされた時期のだから。
性能だけでいうなら五式戦の方が評判がいい。
そういや空技廠の疾風の写真がこの前出た学研本に載ってたな。
岩本さんに疾風乗せてあげたかった。
赤松さんに五式戦乗せてあげたかった。
赤松さんなら鍾馗だろjk
2式戦ってほとんどF6Fと同性能だもんな。
あ、笑うとこねw
ある紫電改乗りの回想 F6F:もっとも手ごわい。空戦性能がよく、好戦的で向こうからかかってくる F4U:2度しか遭遇せず、印象が薄い。高速であったと思う P51:一撃離脱しかしてこない為、絶対格闘戦にならない。向こうが速いので相手にならない P38:遭遇すれば急降下で逃げる。2000mで引起し、低高度格闘戦に誘い込んで落とせる。
またお前かwww
>>425 のソースは丸別冊1月号、最強戦闘機「紫電改」からね。
菅野大尉の事が結構生々しく書いてあって驚いた。
敵発見後の攻撃コースを慎重に定めれる岩本氏の対極にあるような指揮官ですな。
最近ソースを捻じ曲げて書き込む輩が増えてきて困っています
P-51って格闘戦ばりばりやるっしょ。
343空の笠井上飛曹の証言です。彼はそう思っていたと。
燃料に余裕があったり、勝気に逸るパイロットだったりしたなら格闘戦もやるし、 燃料の残量が乏しかったり、日本機の格闘性能を警戒しているパイロットならやらないだろうし。
>>427 その本、買おうと思っていて忘れてしまった。
>岩本氏の対極にあるような指揮官ですな。
ここを具体的に説明してくださるとありがたいのですが。
>>432 まぁ編隊空戦には全く向かない方だったようです。
341空の岩下氏と343空の笠井氏による、面白い零戦→紫電→紫電改談義が
じっくり書いてありますからちょっと探してでも買ったほうがいいですよ。
紫電は武運に恵まれない飛行機だったようで、
せっかく内地からフィリピンへ到着した十数機がたった1日で地上で全滅したり、
ちょっぴりかわいそうです。
キャラクターを使い分ける誰かさんのほうが 見ていて面白いwww
ほっとけ糞野郎
菅野大尉の編隊員にはなりたくないな… 343空なら鴛淵大尉だな。 イチバンは赤松さんだけどw
坂井さんについていけば生きて帰れる!w
ついていければ、な。
ニヤニヤ
440 :
名無し三等兵 :2008/11/28(金) 05:05:01 ID:WRghDQ46
>イチバンは赤松さんだけどw 言っとくが坂井氏の赤松評は「大変な気分屋ですぐ人を殴る」だぞw しかもくりだされるパンチは30歳を過ぎてからも「立ったまま後ろにトンボ を切れる。柔道部出身の予備士官でも相撲をとってら絶対勝てない」と言う ほどの肉体に裏打ちされてる反射神経の持ち主から繰り出されるものだから な。
442 :
名無し三等兵 :2008/12/07(日) 06:56:59 ID:ngPK1N8Q
赤松氏は… エロおもろい おっさんだったのだよ。 内地から母ちゃんの蔭毛を部下に自慢する位だからね
443 :
名無し三等兵 :2008/12/08(月) 20:02:40 ID:RLXSNcf5
「搭乗員整列!」「今から皆でカァチャンの毛を捜せ!」
経験の浅い搭乗員の場合、出撃前には緊張しすぎるかもしれないから、そういうのを解して くれるのかな?
445 :
名無し三等兵 :2008/12/09(火) 20:59:11 ID:hJPRT7DL
赤松氏は叩き上げの根っからのパイロットだからな
447 :
名無し三等兵 :2008/12/19(金) 19:56:30 ID:HVptCjMa
>>446 そんな事だったのか〜、こんなんだったら
右翼なんて最低の集団だね。こんなゴロツキ
野郎共には「海軍精神注入棒」で修正すべし。
でも海軍で予科練出身の角田さんは凄いと
思ったね。
448 :
名無し三等兵 :2008/12/19(金) 20:00:33 ID:HVptCjMa
447の続き 角田さんが阿呆右翼に言い放った一言が またふるっている。 「百姓のジジイを見にきてもしょうがないでしょう」 やはり、筋金入りの海軍軍人は違うなァ〜
449 :
名無し三等兵 :2008/12/19(金) 20:07:35 ID:HVptCjMa
>>446 成るほどねェ〜。これなら右翼なんて
絶対、信用できんねェ〜
>>447-
>>449 言ってることは賛成するがなんとなく口調がむかつく
久々にひどい自演を見た
452 :
名無し三等兵 :2008/12/21(日) 21:46:16 ID:a5RT8zK7
>>448 「零戦最後の証言U」135ページに現在
の角田氏の写真が載っているが、年取っても
戦闘機乗り特有の目つきの鋭さは今も健在の
様である。
これじゃ、阿呆右翼の方がビビるだろう。
飛行気乗り、特に戦闘機乗りは別格だからねえ 訓練中の事故で命落とす人も多い 軍人一人当りの装備品の金額で比べても突出している 特別の人なんだよ
454 :
名無し三等兵 :2008/12/22(月) 06:19:52 ID:KT6eDA07
「修羅の翼」P216で、長官機護衛の1機がブイン基地に緊着して急を告げたのを 日高義己上飛曹と記してるが、正確には『2小隊の柳谷飛長』。 日高機は離脱せずにP-38と交戦中だった。まぁ時間経過で記憶が薄れるのは理解 するが、結構誤記が見られるんだよね。
455 :
名無し三等兵 :2008/12/22(月) 09:54:22 ID:8Jwkhylb
>>453 搭乗員には平時も戦時もないと言われていた様で、
食事や給与でも一般兵よりも厚遇されていた様だな。
訓練が激しくなると事故は多発するし、一旦、飛び
上がって、必ず無事に帰還できるとは限らないし、
本当に命懸けだったんだなと改めて思う。
基地設営隊の人たちが、自分の子供はパイロットにしようと話していたのが、着陸事故 がおきて搭乗者2名が亡くなってからは、一切、そういうことを口にしなくなったという 記述を読んだな。 小福田さんの本に、搭乗員の適性について述べた部分があって、運動神経が?なのに パイロットをやってる人が知人にいると。余計、適性というものがわからなくなったよ^^; それより驚いたのが、手相で観る手法もあったとか・・・これはもっと理解できない。 オレは小説、未知の世界、大好き人間だったのだけれど、戦記を読み始めたらやめら れなくなった。死と隣り合わせの世界、それもノンフィクションというのは、別格。 諦観という語を以前よりは理解できるようになったと思う。 チラウラスマソ
海軍士官はスマートでないといかん、つまり要領が良くないといけないとな。 当時の海軍予備士官の試験で、ロープに片腕で捕まって宙ぶらりんになる試験があった 当然、腕力があって体重が軽い人が有利だった。 長身で腕力にあまり自信がなかったある人は、 試験監督から一番遠い場所のロープを選んで、 ロープのほつれに親指をうまくからめて乗り切ったほうな。
坂井三郎も見てもらった名物中尉だね。
>それより驚いたのが、手相で観る手法もあったとか・・・これはもっと理解できない 現代に至っても『霊能者』『占い師』が幅をきかせ、『血液型』が採否にかかわる企業もあったりする訳で。 ましてや当時では…
骨相学で選抜してたってのは結構有名だねw
実際恐ろしいほどよく当たっていたからな。
463 :
名無し三等兵 :2008/12/25(木) 18:14:19 ID:Abb/YYPq
水野義人という人ですな。
それは顔のデカイ水野中尉に訊かないとな。
あと戦争末期の特攻隊の手相をみたら死相が消えたなんて話も残っているな。
で、その天才は戦後は犯罪者の顔を見る研究するんだっけ。
T-4で戦闘機パイロットになるための訓練中の番組をBSJでやってたが フラップを出し忘れたり、目隠しで計器飛行してる時に軽くパニックになって 管制と会話が全然成立しなくなって、 「今管制になんて言われた?」 「わかりません、何も考えてませんでしたー」 「なにやってんだおまえーーー!」 とか怒鳴られててワロタ 今も昔もパイロットになるって本当に大変なんだな。
自分の位置が刻一刻と変化して3次元で状況を把握しなければならないというのは未知の体験だからね。
471 :
名無し三等兵 :2008/12/28(日) 22:34:30 ID:Ou3hum4K
坂井三郎の本になかったっけ? 基地に人相見が呼ばれて、パイロットを見た。で、その人相見が予言したとお りの順番で、パイロットが事故を起こした、って話が。
「観相学の水野義人氏が、紙にとった手形の中から彼のものを選び出し「下手の見本だ。 これを(操練に)採用してはだめだ」と担当官に言った金子練習生は、成績抜群で同期の トップになり御賜の銀時計を授与された。 水野氏の観相の高い的中率が認められて、搭乗員採用時の適正審査に併用されるのは それから二年あまりのちの昭和十一年だ。 (「異端の空」著:渡辺洋二より) ・・・というのもあるけど(^ ^;) 後に、この金子少尉は超ベテラン飛行艇乗りになってるみたいなんで、どうなんでしょね?
豊田穣が99艦爆でい号作戦で撃墜されて そのとき生命線がつながって そんな話があったね
>高い的中率 だから、逆に何割かは必ず外れるわけだ。
新年のネタ投下。海兵隊VMF-222のコルセア乗り達の回想 「オレは生涯、零戦なんかに会いたくない」 「二度とオレはゼロなんか見たくない。終わりだ」 「すごいスリルだ、20mm弾が操縦席の脇をかすめるのは。 手を伸ばせば掴めそうな距離なんだぜ?一発背後の装甲板に食らってみろよ、 まるで野球のバットでぶん殴られたような音がするから」 「7.7mmが当たる時は雹が降っているような音がする」 「オレが撃墜した機のパイロットは落下傘を持たずに飛び降りた。衝撃的だった。」
476 :
名無し三等兵 :2009/01/09(金) 20:47:49 ID:wiZ6/9oi
海兵隊の戦闘機搭乗員はコルセアに乗ってて も零戦が怖いのね。そういえば谷水竹雄氏をはじめ 多くの搭乗員がコルセアをF6Fよりも組みしやす いとしてるし、岩本徹三氏もコルセアを沢山撃墜し てるし格闘戦になると零戦に分があったみたいね。 しかし零戦搭乗員が落下傘無しで飛び降りた というのは初めて聞いたね。
装甲板は20ミリから守ってくれるんだね。(知っていたら)羨ましく思う搭乗員も いただろうね。
コルセア撃墜王のボイントンが撃墜された時も 背後の装甲板にガンガン当たってたみたいだからな。
コルセア乗りでもラバウルへ飛ぶ事は相当な苦痛だったらしい。 出撃すれば少なくとも新米の一人か二人は帰れない。場合によっては3〜4人。 編隊から故意に離脱して、適当に時間を潰してから戻ってくるパイロットや、 ささいな故障で引き返すパイロットもいたそうな。
海軍の場合、戦果ゼロだと叱責されたらしいけど、米軍の場合どうだったのかな?
ハルゼーが乗ったカタリナをVMF-222のコルセアが護衛してて、 ふざけてカタリナに攻撃をかけるフリをしたらカタリナの乗員が 「やめろ、この機にはハルゼー提督が乗っているんだぞ!」 「おいおい、無線でそんな事言ったらソロモン中の零戦が集まってくるだろ・・・(´・ω・`)」 なんてエピソードもあった。
482 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 09:45:06 ID:TgSYvEK3
>>480 日本海軍に限らず、どこの軍隊も似たようなもんじゃないか。米軍だと徹底的に追及される
んだろうな。
昔読んだ、ビル・ハルゼーの伝記「キル・ジャップス!」に消耗と恐怖のあまり、すすり泣い
ているパイロットの尻を蹴飛ばして出撃させた海兵隊(?)の司令官が出てくるし。
483 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 09:49:59 ID:TgSYvEK3
>>481 いかにも、アメリカさんらしい笑える話だな。
陸軍航空隊が山本五十六の陸攻を撃墜した事を
意識して作られたエピソードなのかな?
>>483 フォスター氏がグリーン・アイルランド(ブーゲンビル北方)に赴任した時の話みたいだよ。
そりゃ、誇張はあるかも知れないが、任務としてハルゼーの護衛はしたようだ。
トラック空襲後、零戦と遭遇する機会がずっと減って、
コルセア隊は護衛する爆撃機や哨戒機相手に絡んでヒマ潰しをする事が
日常的になっていたそうな。
おれも「私はゼロと戦った」とかいう本で読んだような気がする
坂井三郎が目をやられて帰還した写真が見たいんですが どこで見れますか?
本屋に行って大空のサムライを注文すればいい。
ありがとうございます。
三郎・・・疲れ切った顔だな おれの熱いケツマンコで三郎を癒してやるぜ三郎
もう1枚、零戦から歩いている写真もある。
493 :
名無し三等兵 :2009/01/17(土) 13:30:51 ID:aZfx8PBx
>>491 坂井氏はこの負傷のため入院した海軍病院の
看護婦さんと結婚されたので
お前の糞臭いケツの穴など不要
引っ込んでろ
風圧で飛ばされて無くなった筈のマフラーがしこたま首に巻いてあるねw 昔この写真見て子供心ながらにオイオイと思ったよ。
自伝スタイルの小説ですから
>>495 V-138は背後に尾翼だけ写っているんだが、
その機体から降りてきたのかどうかはわからない。機番号は明確に読める。
>>498 写真 大空のサムライを購入したのですが
その写真は載っておりませんでした
どこで見れるでしょうか?
グーグルで画像検索すれば出てくるよ。
>>500 八方手を尽くしたのですが分かりませんでした
出来れば教えて頂けたら助かります。
西沢広義の本欲しかったのに本屋から消えたorz
505 :
名無し三等兵 :2009/01/20(火) 18:28:44 ID:3MWxs3o6
>>503 それ、読んだけど、面白かったよ。分厚いから読み応えあったし。
本屋に頼んで取寄せてもらえばまだ入手できるのでは?
ちなみにおれは「零戦、最後の証言」の著者が書いた、宮野善治郎
大尉の本が読みたい。
506 :
名無し三等兵 :2009/01/20(火) 19:50:33 ID:w8bpSno/
>>259 豊田穣の「ワレ本日2機撃墜」の中で
「そうそう、雷電という飛行機にも乗りました。 こいつは
垂直に上昇する超スピード機で、P-51にも負けません」
というようなセリフがあった憶えがあるけど。
(作者の創作かもしれないが)
赤松氏も、P-51と空戦をするには零戦より雷電の方が
よかったんじゃないの?
507 :
名無し三等兵 :2009/01/20(火) 19:56:00 ID:shtGZAbM
(スピードは)P-51にも負けません 大体P-51に唯一の弱点が上昇性能。 垂直上昇なんか無理無理。
508 :
名無し三等兵 :2009/01/20(火) 21:02:54 ID:/D+n9kpm
雷電で対戦闘機戦闘が出来てもおかしくはない。P-38乗りのエースもいるのだから。 でも単機空戦の場合、小回りの効く戦闘機の方が良いのかな??
>>507 戦後のジェット機がやる垂直上昇は当時のレシプロ機には不可能だが
雷電乗りの証言では
「調子のいい機体では主翼の後端に水平線が見える」角度で上昇できたそうな。
512 :
名無し三等兵 :2009/01/24(土) 07:41:20 ID:6C9gwJxj
日高義己上飛曹
まぁなんにせよ餓島空域で被弾して帰路についた坂井氏は死を覚悟したと思うよ
まぁなんにせよ所詮小説だからな
515 :
名無し三等兵 :2009/01/25(日) 00:11:54 ID:pGUcy5II
45度以上の上昇角なら、気分的には垂直上昇だったんでね?
エンタープライズの戦闘機乗りの証言 「格闘戦などしません。いつも真正面か、真後ろです。」 すっげーストレートやなぁ
517 :
名無し三等兵 :2009/02/01(日) 18:26:17 ID:ww7QTUZh
その、戦闘機乗りはF4F、F4U、F6Fの どれに乗っていたのかな?
映像ではヘルキャットだったよ。 一撃離脱オンリー、マリアナ沖ではエンタープライズだけで70機くらいは撃墜したとか。 零戦はあっというまに火を噴くそうな。あ、零戦、よし射撃、すぐ撃墜。の繰り返し。 これでいいのかい?ってくらい簡単すぎて・・・とインタビュー受けてました。 撃墜後に貼る撃墜マークは手書きではなくシールを用意してありました。 byヒストリーチャンネル まぁ同じ零戦でもラバウル航空隊とは全然別物だもんな・・・
そこらあたりから実戦参加した米軍パイロットが日本本土空襲で いつも通りの日本機撃墜ショーを展開してる中 突然、岩本氏の乗る零戦や赤松氏の乗る雷電に出くわして… 不運なんだろうな 赤松氏になんて雷電でP-51相手にしてるし
岩本氏が率いれば、高位からゼロの編隊が突然降ってきて、 2〜3機がパッを火を吹き、深追いせずにすぐにどこかへ消えて行く・・・ かっこよすぎ
その前に地上は滅茶苦茶に破壊されている。と
(*´Д`)
523 :
名無し三等兵 :2009/02/02(月) 23:29:34 ID:JgOKWDSl
まあ西沢は本当に惜しい事をしたよ。あの方なら100機越えをできただろうに
>>520 おかげで他の部隊は苦労するけどなw
西澤「岩本さんはずるいですよ」
>>524 赤松氏とか岩本氏になると著書とかに平気で酔っぱらい操縦とか出てるもんね
ある意味エースたちの中でも別格の雰囲気が漂ってる
エースの書いた本でなんかお勧めなもんないか?
オススメというか個人的に一番好きなのは岩本徹三氏の「零戦撃墜王」 次に小高澄貫氏の「ああ青春零戦隊」 兵卒から叩き上げの人のはやっぱり理屈抜きでおもしろいと思うよ 赤松氏のは別格かな
d、探してみるよ
角田和男氏の「修羅の翼」や岩井勉氏の「空母零戦隊」もおススメ。 下士官という士官と兵に板挟みになった役職が如何に苦労するものなのかよくわかる。
530 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 05:47:12 ID:Z1iEMyXw
修羅の翼は結構、誤記が多いんだよね。 角田氏本人も認めてるから良いけど、鵜呑みに出来ない箇所は結構ある。 お手柄本よりも客観的な内容本が読みたいが、書き手はどうしても主観的に なるのは致し方ない。 岩本氏の一撃離脱は劣勢な当時の隊では有効手段だったのだろうが、 西澤氏に言わせれば卑怯な手と思われたんじゃないの。 戦闘機乗りなんて「落としてナンボ」だろうから、個人的には良策と思う。
他の空戦している零戦部隊に加勢するのではなく、 「空戦から離脱して帰ろうとする奴を一撃必墜」だから「ずるい」。 このエピソードは『修羅の翼』の一節なのだが読んでいないのか?
>>531 読んでいるがお前と違って鵜?みにはしない。
それだけ。
533 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 09:44:36 ID:Z1iEMyXw
>>531 そりゃぁ〜あんた、他部隊の応援する訳でなくて戦線離脱機を狙うんじゃ、
他の部隊(員)の顰蹙買うよ。西澤氏はこの辺を指してるんだろうよ。
弾切れ・燃料不足等々あれど、搭乗員としちゃ真っ向勝負が本命では?
とは言え、戦局不利なら何でも有りもまた必須か。
角田氏は確かにスゴかったんだろうけど、本の内容は今一つなのが感想。
戦線離脱・・・というより敵が一仕事終えて、安心して帰ろうとしてるとこ襲うわけで、それを 待ってる間、味方の飛行場は爆弾落とされまくりだし”爆撃を阻止しようと”頑張ってる他の 戦闘機隊員から見たら、自分の手柄しか考えてないと見えるだろうね。 岩本さん的には「これから攻撃だ」と目を血走らせた戦闘意欲満々の何倍もの数の敵に 突っ込むよりは、攻撃を終えて油断して、編隊も崩れ気味の敵を襲う方が効果的だと 判断してるんだろうけど・・・
535 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 10:28:52 ID:Z1iEMyXw
日本人は得てして、個人プレーを望まないからね。 はなから戦闘に参加しろよ!って思うでしょ。 攻撃されてるのを阻止してる側から見れば。
戦闘自体は個人プレーにはしりがちだけどな
537 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 10:50:00 ID:Z1iEMyXw
やっぱり小隊単位の攻撃なんだろね。
岩本氏は空戦指揮の天才だったんだよ。 状況を一瞬で判断し、適切に部下を率いることが出来た。 彼の率いる中隊は常に損失が低く、戦果は未熟搭乗員でさえ多い。 真っ向から迎撃すれば全滅が絶対必至のトラック空襲でさえ、 編隊を安全に誘導し、一方的な戦果を挙げている。ちょっと存在が異常w 日本最強の小隊長が坂井氏なら、日本最強の中隊長は岩本氏で間違いないかと。
>>526 悲惨な話を読みたいなら「大空の決戦」
空戦では負けないのに、周囲環境がなんとも悲運というか悲痛とかいうか・・・
まぁ、卑怯というなら落穂拾いほど卑怯な戦法はないんだがなwww
541 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 12:58:29 ID:Z1iEMyXw
ところで、海軍にゃ「エースと言う呼称は存在しない」なんて話を聞くけど、 実態はどうだったの? “あちらの会”では、ハッキリとネット上に謳ってるけど。 確かに搭乗員遺族にしてみりゃ、エース、非エースなんてのは気分良くないものな。
「5機からエース」ってのは明らかに戦後の世界標準から言ってることだと思うが、 当時は「感状」とか「褒状」「司令賞」とか「武功抜群」とかで個人表彰する事はあったよ。 例えば岩本氏は日華事変で14機撃墜で金鵄勲章もらってる。 元々は岩本氏、整備兵だったんだね・・・ もしくはそれぞれの戦闘で「殊勲甲」と2回以上表記されると・・・ とかいろいろ細かいのもある。
543 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 13:37:53 ID:Z1iEMyXw
正にスレタイの通り、撃墜王か。
>>538 そして日本海軍最強のパイロットが赤松氏
岩本中隊長が率いる坂井小隊の・・・
扱いずれぇぇぇぇえ
545 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 16:28:32 ID:XwCPs/az
その部下の羽切中尉は?、紫電改の使い手だが?
岩本氏はずっと零戦でよかったんだよ。 撃墜王が最新鋭機に乗るとろくな事がないんだ。 マルセイユやノヴォトニーのようになってしまう・・・
やっぱり菅野直。
>>547 菅野大尉の下へ
赤松、岩本、羽切、黒岩、坂井、杉田、小高、武藤、西澤etc
泣けてくるほど扱いずれぇぇぇぇえ!!
昭和18年発行の「空戦史」(吉満末盛著)という本を読んだら、 「撃墜章八個を有する英空軍エイス」 「空中戦に於ける一流戦士・Ace エイス」 なんていう文が書かれてあるので、Aceという言葉自体は当時から使われてたみたいですね。 もっともこの本では日本のパイロットに対してはこの呼称はしていないけど・・・
菅野氏は勇猛果敢な兵学校出の士官パイロットではあったものの、 どちらかというと猪突猛進型で、どうも周りが見えてないっぽい感じなんだが。 列機にはなりたくない、との343空隊員の評がある。
>>550 雷電でP-51を撃ち落とした赤松氏やデロンデロンに酔っぱらって後輩に抱えられるよう操縦席に上げられ
夜間単機で戦場を飛行して戦闘した岩本氏から見たら子供みたいなもんでしょう
>>549 エースは、元々WWIのフランスで多数撃墜した人を「アス」とか言ってたのが始まりとか
読んだことがある・・・
>>550 学生時代は相当の軟派だったらしいね
軍人らしくしようと無理した挙句が、意固地な態度だったのでは
>>554 なんか泣けてくるな・・
神雷部隊の野中少佐も本当はおとなしい人だったらしい
無理していたんだろうな・・・
>>527 同感。まだ10冊位しか読んでないけど、下士官だった人の戦記は、エピソードとか
飾りが少ない感じ、ざっくばらんかな。士官の人の場合、立場を意識した内容だと感じる
けど、これは偏見?
藤田いよぞうさんはミッドウェーで10機近く落としたと言われてますが 岩本さんって珊瑚海で何機落としたかわかってないんですかね? 艦爆、艦攻相手なら撃墜数かなり稼げそうな気もするけど。
本人は確か5機以上撃墜ぐらいの記述だが、 米側史料と比べるとSBD1機撃墜+撃破がせいぜいだったはず。
>>558 ええっ?そんな少ないの?
ショックだ。
いよぞうはもっとスコアを伸ばせたはずだが 空母の間抜けな対空機銃の弾を喰らって落下傘降下を余儀なくされた 空母はいよぞうのじゃまをしたので罰として沈んだ
馬鹿はほっといてw
>>558 著書では最初のSBD1機とF4F1機は確実だが何機落としたか覚えていない、
その後のTBDに対する戦闘ではその大半を撃墜とある。
また、列機がF4F、SBDをそれぞれ1機撃墜したという記述がある。
実際の米海軍機の損害は
レキシントン F4F 3機、SBD 4機(TBD1機不時着水戦死)。
ヨークタウン F4F 1機、SBD 2機。
因みに零戦の損害は翔鶴機3機。
>>557 藤田氏のすごい所は、自分が撃墜したB-26の機長と、
偶然、戦後、某航空会社で一緒に仕事する事になっちゃった事だ。
飛行の合間の食事中、お互いにちょっと険悪な雰囲気になった時に戦時中の話になって
(・∀・)<オレはミッドウェー海戦でB-26乗って空母に雷撃かけた事があるんぞゴルァ!
(´д`)<オレだって零戦に乗ってだな、B-26撃墜した事があるんだミッドウェーでな・・・
工エエェェ(・∀・)(´д`)ェェエエ工工
>>556 等身大で痛快に感じちゃいますよね
小高さんなんて人生の大先輩なのに著書を読んでて失礼ながら同年代?ってくらいに思うくらい親近感を感じちゃったし
>>563 ミッドウェイ海戦にB-26っていたっけ?
たぶん、何か他の機種と記憶が入れ替わってる・・・・・・・・・?
雷撃だったらTBDかな?
昭和十七年六月四日、南雲機動部隊はミッドウェー島の北西二百浬(マイル)の海域に進出していた。 藤田は列機二機をしたがえ、機動部隊の上空を旋回、護衛の任に当たっていた。 間もなく、「飛龍」分隊長友永丈市大尉(59期)を総指揮官とする第一次攻撃隊が、ミッドウェー島を 目指して飛び立っていった。 緊張のうちに一時間ほどすぎた頃、「敵編隊、九時の方向」の緊急電がとび込んでくる。 ほどなくB26が三機あらわれた。藤田ら三機は、フルスピードでたちまち敵機に一機ずつぴたりとくっついた。 藤田は、低空で逃げる敵機を追うと、相手は盛んに翼を振っている。 あたかも「俺の任務は終わったのだからもう許してくれよ」と訴えているようで、思わず吹きだしてしまった。 射程に入ったとみるや、七・七ミリの猛射をあびせたが効果なく、二十ミリをたたき込んだ。 とみるまに、そのB26は白煙を引きはじめた。「やったッ」と思った。 なお、このB26については後日談がある。
・・・戦後・・・ 昭和二十七年秋、日本航空がはじめてパイロットを募集した。 藤田はなんとしても、もう一度空を飛びたかった。しかし、受験資格は飛行時間三千時間以上ということである。 日航の専務は、藤田の飛行時間が二千五百時間とあるので資格なしという。 藤田としては心外で、戦闘機に乗っていたから時間が少ないので、大型機に乗っていれば、 同期の者でも五千時間を超えている。 「それなら離着陸の回数だったら、誰にも負けません」といったが、納得してくれない。次の日も面会して 同じような押し問答をしたが駄目で、このようなことが十回もつづいた。 そこで最後に、「私の履歴書を返して下さい」といって返してもらい、その場で二千五百を消して三千と書いて、 「これなら良いでしょう」 さすがに専務も笑い出して、「君には負けたよ」と言って受験を許可してくれ、採用された。 昭和二十八年五月、藤田は米人パイロット教官ビル・マレーに出会った。マレーは大の日本人嫌いで、 しかも口やかましく、しよつちゅう怒鳴りたてていた。 藤田はこのマレーに旅客機の操縦を、みっちりとたたき込まれた。 やがてマレーがキャプテンで藤田がセコンドとなり、このペアで何度も東京−福岡コースを往復した。 その間でも日に一度はマレーに怒鳴られ、藤田もいい加減、むかっ腹をたてていた。 それがある日、福岡でマレーと空港レストランで食事をとっているとき、たまたま戦争中の話が出た。 マレーは、「俺はミッドウェー海戦のとき、日本の機動部隊を最初に攻撃したB26の隊長機だった」という。 藤田は驚いた。すると、自分が左斜め上方から執拗に攻撃し、ついには白煙をふかせたあのB26はマレーだったのか。 あのとき、マレーは海上に不時着し、六時間も漂流したあげく、味方哨戒機に救出されたという。 マレーは、「われわれは戦友だっ」といって立ち上がり、大きな手をさし出した。 それ以来、二人は最も理解し合える親友になった。
ええ話やぁ
>>563 失礼・・・m(_ _)m
調べてみたら、B-26いたみたいっすね。(^ ^;)
2機が撃墜されてるようです。
日本のエースは色々いるけど海外のエースって誰がいる?
カリウスとか?
>>555 野中少佐は有名な茶道の他音楽も相当詳しかった
(帰省の都度レコードを集めてた)みたいだからね…
ドイツのベルナー・メルダース
海外のエースって・・・凄まじい数になりますが? みんなで名前書いてたら、あっという間にこのスレが終わってしまうw
ドイツの場合、5機以上という条件で挙げると、何人いるのかな? エースの人
たしか100人以上
ソ連のぽんこつ飛行機相手だから評価的にどうなんだろうな
「ドイツ空軍エース列伝」という本によると、200機以上撃墜が15人、100機以上撃墜だと 100人以上 ・・・とのことです。 ソ連は飛行機が悪いんじゃなくて、パイロットの錬度に問題が・・・ 日本じゃまともに作れなかった液冷エンジンを普通に使ってたぐらいだから工業技術は 低くないです。 ちなみに、西側相手だとマルセイユの158機あたりがトップのようです。
液冷エンジン自体に何か特別に難しい所があるわけじゃなくて (今の車のエンジン、みな水冷だし) たまたまDB601が異常だっただけなんだよな。 どうせ液冷ならJumoのにしておけば・・・って結果論で言われる事もある。 例えばアメリカから空冷のR-2800のライセンス権をもらってても 当時は多分量産できなかっただろうしな。
醇一って可愛い顔してるよな。
>>579 飛燕なんかは冷却液が洩れたりという話もあるけど、日本で問題だったのは冷却系より
クランクの精度と燃料噴射の部分だったみたいよ。
V型12気筒だと空冷星型よりはるかにクランクが長いから精度を出せなかったみたいで。
あとベアリングの品質も悪かったみたいだし。
今のクルマは戦後に欧米から入った技術を改良して作ってるから較べるのはどうかと・・・
>>577 前に名前は忘れたが、米英を相手に戦い続けたBf109のパイロットが
「東部戦線で200〜300機落としたってこっちじゃ100機も落とせないだろ」って言っていた。
「俺たちの相手はソ連機とは違う、飛行機の性能もパイロットの技術でも敵の方が勝っている
実際、東部戦線のエースが転戦してきたが、あっという間に食われていた」と書いていた。
東部戦線100機超えのエースが西部戦線に転属されたとたん打ち落とされたりするからな。 JG26のパイロットたちも不公平を感じててソ連機1機落とすのと英米機1機落とすのが同じじゃやってられないとかボヤいてた。
英米機との戦闘はチームワークが良いんだろうな。 一つの編隊を高位から攻撃しても、 すぐに違う編隊が助けに来て乱戦になってしまう
ソ連機が落とされも落とされても補充できたのは驚異だけど 大方は、日本海軍末期のように技量が不十分なパイロットばかり だったのだろうな。気の毒なことだ。
独ソ戦前夜の欧州正面ソ連空軍パイロット錬度 欧州正面合計 総数 5938 昼間作戦可能 4148 70% 昼間悪天候作戦可能 247 4% 夜間作戦可能 1062 18% 日本海軍のABCDランクや陸軍の甲乙丙ランクにそのまま当て嵌めるのは 若干問題があるかもしれませんが、昼間晴天での作戦可能な水準はC、丙ランクと 考えてよく、昼間悪天候、夜間作戦可能な水準をまとめてB、Aランクと 乙、甲ランクに相当すると大雑把に考えて良いように思います。 そうした場合、パイロットの1/4程度がABランクで占められている空軍の 錬度は「無敵の精鋭」とは言い難いものがありますが、戦時の空軍としては まあまあ合格ラインにあると見ることができるでしょう。 精強と評される開戦時の帝国海軍搭乗員の水準もこれを大幅に上回ることはありません。 しかもこの数字は1938年から大規模に続けられた空軍の拡充政策の過程で出現したもので、 独ソ開戦が遅れれば月を追ってどんどん改善されて行く傾向にあるものです。 急速な軍備拡大を実施中のソ連空軍はそれまで小戦争や将校の粛清を経験しながらも 欧州戦線正面に1000名以上のAクラスパイロットを擁していたということで、 アジア正面へ展開していた兵力も考えれば、列強空軍にとって羨望の対象でこそあれ、 侮ることなどとても出来ない水準だと言えます。
1941年6月22日、ドイツ空軍は事前の航空偵察によって選定されたソ連国境地域の 航空基地66ヶ所に対して空襲を実施します。これらの基地にはソ連にとっての西部戦線に ある第一線軍用機の約70%が配備されていましたから昭和19年のトラック島や ホーランジアのような有り様が戦線全域で発生しています。 しかしソ連軍もまったくの馬鹿ではありませんから警報は前日の21日23:00には発せられ、 この警報で飛行機の分散と擬装を開始できたオデッサ軍管区の基地群は損害を最小限に留める ことができましたが、ドイツ空軍が最優先で実施した有線電話網の破壊作戦のために多くの 航空基地は警報を受信できず、かろうじて警報を受信できた基地群にしても当時のソ連空軍には 夜間の基地移動能力が殆どありませんから、夜明けを待つ以外に道は残されていません。 なにより警報を受信した基地の多くがそれまでドイツへの挑発を厳しく禁じられ、ドイツ偵察機の 邀撃さえ禁止されていたこともあって、いざ警報が発せられてもそれにどう対応してよいかわからず、 空襲を受けるまで何もしなかったのです。 ドイツ空軍の手際よさとソ連軍の情けない事情によって絵に描いたような航空撃滅戦が開始され、 6月22日の一日だけで1339機が失われ、そのうち800機以上は地上で撃破されています。 残りの500機以上はドイツ戦闘機との空中戦とその他の要因による損失で、 ドイツ戦闘機は少なくとも200機以上、最大で400機程度のソ連軍機を撃墜したと考えられています。
6月23日から7月1日までの間に707機が失われ、バルバロッサ1ヵ月目の7月22日までに更に3052機を損失、 2ヶ月目までに1344機、4ヶ月目の10月22日までの累積損失機数は7746機に上ります。開戦から1ヵ月の間に ソ連空軍が激しく抵抗したことが損失機数からも想像できますが、 ドイツ空軍も開戦からの1ヵ月間に最大の損害を記録しています。 すなわちソ連空軍が西部戦線に展開させた航空兵力は開戦から4ヶ月でほぼ100%失われてしまった ということで、ドイツ空軍はソ連空軍との対決で航空戦史上最大の勝利を収めたことになります。 4ヶ月で7746機、しかもこの数字はソ連の公式発表ですからその実態は更に深刻である可能性もあり、 11月までに10000機前後が失われたのではないかとさえ言われています。 敗北した方がこの数字を挙げているのですから、勝利したドイツ空軍としては更に大きな数字を 実感していたでしょうし、短期間で8000機を撃破するという空前の大勝利は戦争の常識として ソ連空軍の壊滅を意味していました。 一つの空軍がこれ以上の戦果を挙げることなどあり得ない程の大勝利です。 ドイツ空軍にとっての航空撃滅戦は終了したのです。 しかしソ連空軍の判断は異なります。4ヶ月で100%の損失率、通年で300%の損失率は、 数年前に戦われたスペイン内戦での航空戦を基礎に試算された本格的戦争における空軍の損失率として 既に想定されていたものだったのです。 1941年12月、ソ連空軍はそれまでの航空戦で発生した損害を分析し、こう結論しています。 「我が空軍はこの程度の損害を耐えることができる」と。
ソ連軍の結論 「人がゴミのようだ」
でさ、ここは日本海軍スレなんだが。
岩本氏が操縦するデファイアントの旋回機銃座に座る赤松氏 最強じゃん!!
あの〜僕なんかしました? 南雲忠一
>>592 軍令部、連合艦隊司令部、第一航空艦隊司令部一同
「あ、南雲さんは何もしなくていいですよぉ赤城艦橋の窓際に特等席ありますから」
夜中に「不安だ、不安だ・・・」と艦内ウロウロする方だもんな・・・ 大一番はうまくいって良かったね。
>586 :名無し三等兵:2009/02/05(木) 23:07:34 ID:??? > 独ソ戦前夜の欧州正面ソ連空軍パイロット錬度 > 欧州正面合計 > 総数 5938 5938名って凄いなぁ。基本的なことなんだけど、日本の場合、開戦時の搭乗員総数 ってどのくらいだったのかな。 海軍の場合、開戦前では搭乗員養成に3年位時間をかけていたようだけど、他国は どうだったんだろ。 スレチなんで、このへんで失礼します。
かつて戦闘機無用論なんてのが流行ってなぁ・・・ その頃のダメージが効いてるんだよね。
源田、大西の馬鹿コンビどころか小園安名も戦闘機無用論唱えてたんだよな。
>>523 参考までに
「軍備拡張の近代史」吉川弘文館 によれば
日本海軍全体では開戦時の常用機定数は合計3019機であり、
常用機運用に少なくともパイロット3445名が必要、
1942年1月の段階で,海軍所属の全パイロットは3615名とされた
開戦時の海軍全体での戦闘機の配備数が定数で約340、予備約80
戦争が予定通り「半年か1年」で終わっていればそれで足りたんだろうね。
平時から5年10年米軍相手に戦う準備をしていたら破算してしまうからな。
>>601 違うよ。
源田の馬鹿はこれからは双発機の時代だって唱えて親分の大西がこれに大賛成して
戦闘機パイロットにする人間をどんどん攻撃機のりにしちゃって戦闘機パイロットが減っちゃったわけ。
まぁ、今は双発戦闘機の時代だから50年くらい先走っただけだったなw
605 :
名無し三等兵 :2009/02/07(土) 12:08:37 ID:bUhxhNoG
>>603 後方の遠隔操作の機銃が故障だらけで使い物にならず、
結局、陸偵〜夜戦になった十三試双戦があったよ。でも
これが実戦に出てもどこまで活躍出来るのかな?それに
搭乗員はどこから集めるのだろうか?艦戦乗りからは、
嫌われるだろうな。
この機体も新し物好きの源田氏の強い推進で出来たのかな?・・・
>>605 >後方の遠隔操作の機銃が故障だらけで使い物にならず、
ソースは?
>>534 学研「日本海軍陸上機パーフェクトガイド」
これくらい読んどけよな低能。
ソースまだ?
ソース アジ歴 リファレンスナンバー C05023778900 「十三試双発陸上戦闘機装備品ノ件」
>>609 レファレンスナンバー、違ってないか?
この番号だと、出て来るのは「公文備考 昭和9年 J 警戒計画 巻11」だ。
>>556 「修羅の翼」が一番じゃないかなぁ。
ありとあらゆる零戦乗りの有名人が登場してくるし、
戦闘もラバウル、比島、硫黄島、なんていうか全部てんこもり。
華々しく書かず、負けてばかりの戦闘。特攻待機もしてるし。
戦時中に岩本氏と西沢氏との空戦談義の仲間に入れてもらった人って
なかなかいないぜ。
私物のカメラで零戦始めいろいろな写真を撮っていた 坂井氏なら笹井氏とのハメ撮り写真なんかもあるはずだと想像 もちろん公開はされないだろうが
羽切さんの戦記本もいいのう。 支那事変から終戦まで戦い抜いた人の本は戦局の変遷が垣間見れて面白い。
614 :
名無し三等兵 :2009/02/10(火) 19:07:32 ID:8xVLDXNJ
宮崎勇氏の「帰ってきた紫電改」はどう?
>>614 面白いよ。252空の武藤兵曹の話とか出てくる。
ちょっと気になったのは角田さんの著書に宮さんのことが出てくるんだけど
宮さんが特攻を煽ったように書かれていて何とも言えん
宮崎さんも言い分があると思うが・・・
616 :
名無し三等兵 :2009/02/11(水) 11:48:22 ID:Qr/bSo36
>>615 宮崎さんのあのシーンは、単に若い搭乗員にハッパをかけるために思えたのだが どうでしょうか。
高橋淳氏は?
619 :
名無し三等兵 :2009/02/13(金) 09:46:14 ID:k/RoI/3F
>>616 おっしゃる通りハッパをかけたんだと思う。
あのシーンは特攻じゃなくて桜花の試験飛行
の搭乗員募集のようですな。結局、先任搭乗員
のミヤさんを筆頭に全員志願したわけだし。
ツノさんの本では岩本徹三少尉は「否」と
出した様であります。
ミヤさんによると後にフィリピンでの特攻
隊員募集の時には「志願しない者は一歩前へ
!」と言われ、「否」とは言えない雰囲気だ
ったようですな。
ソ連空軍格好良すぎ
622 :
615 :2009/02/14(土) 13:31:44 ID:???
>>616 >>619 すまん。。角田さんの零戦特攻を読み返してみたけど
確かに桜花のテストパイロットの話だった
恥ずかしい・・・orz
角田氏の著作を読めば読むほど、爆装零戦って使い方は微妙だなと思う 場合によっては空戦よりも急激な機動だからね・・・
624 :
名無し三等兵 :2009/02/15(日) 21:08:57 ID:rYMelUfP
機動する前に25番乃至50番を搭載してる時点で かなり無理があると思う。離着陸するのもかなりツライ ようだな。これで空戦は論外だし、急降下するだけでも 機体に掛かる負担は相当なものなんだろうな。そもそも 零戦って急降下があまり得意そうに見えないからな。
急降下時の機体を安定させるために尾輪を出すというのは修羅の翼だったかな?
尾輪だけって出せるの? 脚出し操作したら主脚も一緒に出ちゃう気がするけど・・・
みなさんお忘れのようですが2月13日はラバウルの貴公子・笹井醇一中尉の誕生日でした。 生きていれば今年で91歳です。
じゃあ今日と昨日は関東に米艦上機が襲来したから その時の空中戦の話をしてくれ。
天狗になったF6Fパイロットたちがボコられる戦いですね。
630 :
名無し三等兵 :2009/02/19(木) 18:48:50 ID:I28vfVyM
横空の山崎上飛曹が落下傘降下したところ そこの住民に米兵と間違って殺害されて、以後、 飛行服の腕の部分や飛行帽に日の丸を付ける様 になった時の事かな?
天狗になったF6Fパイロットたちが横空のベテランにボコられる戦いですね。 「HAHAHA!ジャップは雑魚だぜぇ」 ところが日本本土には多くのベテランパイロットが健在であり返り討ちに遭うのだった。
20年2月16〜17日の空戦は日本が80機の損失で 米軍が50機損失だったっけ?
>>632 「零戦燃ゆ」によると、戦闘での損失は日本側が80機でアメリカ側が60機だそうです。
まぁ〜た米軍に都合のいい数字もってくる。 本によって数字が違うのもいい加減な米軍らしいが88機なんてのもあるぐらいだからほぼ互角。 しかも米軍の撃墜には一式陸攻なんかも入ってる。
グレートエース岩本さんが爆睡とってた戦いですね。 起きたときにはF6F、F4U編隊が暴れまわってたが岩本隊8機は調子にのったF4U編隊を全滅させるなど抜群の働きをしたそうな。
地上銃撃中のF6Fに上から奇襲とかそんなんで挙げた戦果だけどな。
それが何か問題あるのか?
うん、いろいろとね
日本側損害には、 普通、機体廃棄は含まれないね。
日米ともにそうでしょう。
>>640 は機体損失で一括してるから機体廃棄も含んでるな
なら生還機体を除外すればいいだろ 馬鹿?
>>640 ピッタリ80機か。やるな日本軍。
この戦い、海軍の武勇伝はよく聞くけど陸軍のはあんま聞かないね。
244戦隊の3式戦がF4Uと互角に戦ったぐらいしか聞かない。
>>640 >>645 行方不明や死亡と書いてあるからといって、全部戦闘による損失とは限らないのではないでしょうか。
悪天候や、発着艦の失敗による事故なんかも含まれているのでは?
まあ、細かいことはヌキだ
どう数えたら80になるのやら
>>645 四式戦が出撃して損害ゼロで戦果挙げたとか一応ある。
日本側は空戦以外に地上銃撃やらで100機以上やられてるだろう、と書いたのは
渡辺洋二氏だったかな。
ジャップは雑魚だとドックファイト挑んだら赤松さんの零戦だったんですね。
>>646 そのとおりだが、この表からはさすがに原因の区別はつかないので、
一旦多めに見た数字として扱ってみる。
>>640 まず、TBMやSB2Cを含む2/16-17の、
HONSHUとTOKYOと HACAYO JIMA(八丈島?)関連の全損失が73機。IWO JIMAは除いた。
うちDeadは2機、Misshingは36機、なのでこの38機は確実。
それからUnknownが1機。これを含めたとして39機。
さらにSaveは21機。これらは各種原因により機体は損失又は廃棄されたが搭乗員は生還。
無印は搭乗員と紐付いていないのでとりあえず直接の戦闘出撃とは無関係と考える。
ということでこの表からは、多めに見て
搭乗員死亡・行方不明(その後救助含めて)38、機体喪失は21、といったんはよめる。
なお米側の通説ではこの2日間の本土空襲における損失は、49機とされている。
「... by destroying Japanese air facilities and other installations in the "Home Islands".
... On 16 and 17 February, the American Navy lost 49 carrier planes
while shooting down or destroying on the ground 499 enemy planes. 」
参考までに、下記サイトにはDad/Misshing のうち34機分の消息が記されている。
戦闘機との交戦あり、対空砲火あり、途中で海に墜落したものあり。
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/tobu.html#194503
>>652 オスプレイの「ヘルキャットエース」に記述があって、第38機動部隊の二日間の総損失機数が
88機で、そのうちの28機が事故等によるものだそうだ。
そうすると戦闘による損失は60機という事だから、「零戦燃ゆ」の数字と一致する。
この60機が本土上空で撃墜されたものだけなのか、帰還後に廃棄されたものを含むのかはわからん。
>>651 の数字もD,M,Sを全て足すと59または60になるな。
ぴったりだ。
>>651 で除外されているIWO JIMAエリアでの
3/16-17の損失が D=0 M=7 S=5 無印=5の
総数17。
確かにこの数字を
>>651 の73機に加えると
90機になる。88機にも近い。
米軍の損失はだいたいわかった。 日本側の損失80機は純粋に被撃墜数かな?
損失比 1:2 か。まあこんなもんじゃないの。
対空砲火も健闘しているはずだ
日本側の戦果と被害(戦史叢書「本土防空作戦」) 報告された戦果 陸軍 海軍 合計 撃墜 175機 98機 273機 撃破 81機以上 3機以上 84機以上 確認された損害 陸軍 第十飛行師団 50機以上 海軍の損害は記載されていなかった
この空襲って不意打ち?
そうだよ。
さあこれから攻撃しますよ―って攻撃はあんまりないわな
日本側は事前に気がついていたかってことか?
>>660
硫黄島にいるはずだと思い込んでた機動艦隊に完全に不意をつかれたかんじか。
予期していたし警戒態勢もとっていたよ
予期していたし警戒態勢もとっていたのにF6Fにロケット弾正射くらうほど接近許すなんて間抜けですよね。 トラックでも地上で零戦200機破壊されたなんて間抜けなこともあったっけ。 BoB時のイギリスにさえ劣る警戒態勢w こりゃ日本が弱いわけだw
17日に至っては47戦隊と244戦隊は戦力消耗をさけるために出動を制限していますね
警戒態勢をとっていたけれど 艦載機群の進入高度が400メートルと低かったため 電波警戒機の探知に漏れて房総半島の対空監視哨が第一報を発したんだよね
電波警戒機ってなに? レーダーだったら電波探知機(電探)だよね。 電探を積んだピケット艦的な飛行機とか飛ばしてたの?
>>668 各所に配置してその間を通ると電波が乱れて侵入機を探知という単純なヤツ。
>>665 米機動部隊が奇策をとったのが原因。
高度400mの低高度侵入されたら世界中の何処でも沿岸地域は奇襲だよ。
なるほど、陸軍の呼び方ですか。 知りませんでした。 奇襲への対応の難しさについては日本の海岸線の長さも考えなきゃいけないかも。 しかも海岸線から重要拠点までが近いしなぁ。
>>670 > 米機動部隊が奇策をとったのが原因。
その400m進入のソースは何ですか?
日本の損失が80機 アメリカの損失が70機ぐらい。 ほぼ互角。 しかも日本の損失だって全てが戦闘によるものかもわかんねーし。 たぶん離陸中、離陸直後に襲われたとかもあるよ。 清潔F6Fによると日本は99艦爆なんかも出撃して瞬殺喰らってるし。
アメリカの損失が70機少々というのは攻撃機も含み機体廃棄も含み対空砲火の戦果も含むが 日本のは機体廃棄は除外してるだろうから 互角ってのは無理がある罠 君が信じるのは勝手だが
>>675 70機?
>>651 と
>>655 をよく見ろよ。こういうことだろ。
38-9機: 未帰還又は死亡(うち34例は具体的な状況あり、対空砲火の戦果やTBMやSB2C含む)
59-60機: 帰還(搭乗員は生還)後機体廃棄
73機: さらにその他原因を含む損失
89-90機: 硫黄島エリアの、さらにその他損失も含む2日間の機体損失総数
>>672 > その400m進入のソースは何ですか?
戦史叢書「本土防空作戦」が元ネタだ。渡辺洋二もこれを参考にしている。
つか戦史叢書くらいあたってから質問しろ低能。
この板では、戦史叢書の記述をふまえるのがデフォなの?
戦史叢書高くて買えないお。 図書館に行けばあるの?
戦史叢書「本土防空作戦」amazonで15000円
そんなもん持ってたらこんな板、こんなスレ来ない
持ってるんだったらぐだぐだ言わず奉仕しろ
>>677
>>680 おまえ良い奴だなあ
>>677 賢い人というか、常識ある人は引用した時点で元を明かすものだ
2000円以上の資料を持ってる奴は書き込むな。 これが結論だ。
>>677 は訊けばソースを示してくれているから若干口汚くても許容
えーと。脱線してるようですが互角というのは根拠がないと言うことでいいすね。
686 :
670 :2009/02/22(日) 18:21:16 ID:tJqzVV3V
2000円以上の資料を持ってる奴は書き込むな。
つかここは撃墜王の話をするところであって 組織としての戦闘の話をするところではない。 零戦スレででもやってくれ。
戦史叢書もきれい事しか書いとらんぞ・・。 司令部、参謀あたりに都合の良いように書いてある。
だから米軍の記録と付き合わせるのがいいね。
酒井さんだけ(このスレ的じゃなく世間的に)ダントツで有名なのは 彼が特別すごいから? それとも出した本とか他の要因によって?
酒井て誰よ
我が「坂井」は死なずw
とっとと質問に答えろよ能無し共
まぁ零戦の一番輝いていた時期を宣伝してくれた恩人だよ。 でないと特攻兵器として悲劇の面だけになっていただろうからな。 たとえ数ヶ月でも「あの頃は零戦強かった」といえる時期を作ってくれたわけだ。
数ヶ月ってアンタ。 支那事変じゃ零戦は無敵だぞ。
その頃無敵でも「だから何?」って感じだし
松山の第343空飛行長であった志賀淑雄海軍少佐 はどうでしょう?
>>698 源田サーカスとよばれた海軍戦闘隊の超エースの一員。
ハワイ空襲以来「加賀」「飛龍」「隼鷹」「信濃」と
四隻の空母の分隊長又は飛行長として徹頭徹尾太平洋の
あらゆる海空戦を最前線指揮官として戦い抜いた。
とくに南太平洋海戦では三回も攻撃隊指揮官として出撃し、
最期は沈みゆく米空母の上を超低空で航過し、艦番号を自分の目で確かめて、
それが「ホーネット」であることを報告した英雄。
「源田の剣」より 志賀淑雄氏のエピソード 沖縄海域における神風特攻はようやく下火になりつつあったが、なおアメリカ艦隊に脅威を与えつづけていた。 五航艦は特攻をあきらめていなかった。六月ごろ、鹿屋の司令部から源田大佐に三四三空も特攻隊を出しては どうかと打診があり、司令から志賀飛行長に意見を求められたことがあった。 「私が一番先に行きます」と志賀少佐は答えた。 「それからから各隊長、つぎに搭乗員の優秀な者はみな出したらよい。 予備士官を先に遣るようでは絶対にいけません。そうすれば必ず戦果をあげられます。 全員出たら最後に司令が出て下さい。もう一つ条件があります。参謀が同行することです。 特攻をやれ、特攻をやれと言っているが、特攻がどんなものか見せてあげましょう。 私が乗っけていきます。それだけの気持があって特攻を言うのであれば、三四三空は見事にやって見せます。」 司令は「まったくだ」と同意した。以後、特攻の件は二度と三四三空に下問されることはなかった (NHK-TV「NHK特集 紫電改 最後の戦闘機」(1977年)に拠る)。
それから、直接志賀淑雄氏にお話しされた人のブログ
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070907/1189162993 私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。
ちょっと考えた志賀少佐は「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され
『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。それは松山空も
特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。そこで私は『喜んで行きましょう。
ただし条件があります。帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、
先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。司令は黙っておられましたが、
その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」
海軍機厨から蛇蝎のごとく嫌われている「源田の剣」にこんな感動話が
源田司令は志賀少佐の意気を汲んで 今後「指導」など寄越さないように上層に かけ合ったんだな。 実行力のある上官だったということだな。
G田さんは20mmで落とすんじゃない大和魂で落とせ!の人だけどな。
>>704 つうか、「司令もぜひ特攻してください!」という言葉に
ビビッてこの話を引っ込めた、と解釈すべきだろ
源田ってアンドリュー・フォーク准将みたいで嫌い。
708 :
名無し三等兵 :2009/02/23(月) 20:55:18 ID:OhLAskU/
>>706 特攻隊編成に深く関与した手前、反対とも言え
ず、志賀少佐に痛い所を突かれ、持ち前の政治力
でこの一件以後「特攻」の話が来ない様に上層部
に根回しした様ですね。どうも、源田大佐という
人は「空飛ぶ政治家」と言った感じがします。
>>707 僕は「鬼畜ルメイ」こと、カーチス・ルメイ将軍
に航空自衛隊の発展に寄与したということで勲章授与
を申請したというのが気に入らないです。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/tokkou/totsu.jpg この写真は1945年4月11日12:30すぎ鹿屋発進の第五建武隊四区隊13機の
内1機が 14:43 ミズーリ右舷後部120° より接近し激突した。
すでに爆弾は装着されていなかった。突入は石井兼吉二飛曹(3番機・丙17)か
石野節雄二飛曹(4番機特乙1)とされている。 さらに絞り込んで99パーセントの
確率で石野二飛曹(19歳)だという。
決め手はミズーリに残った13mm機銃だという。 爆装していなかったので
操縦者の上半身が甲板に残された。 遺体は水兵三人の不寝番をつけ医務室に安置された。
翌4月12日09:00「ミズーリ」艦上ではキャラハン艦長以下多数の乗組員により、
米海軍葬礼の五発の弔銃が発射され水葬された。
キャラハン艦長は突入を受け、冷めやらぬ興奮状態の乗組員に 「この日本のパイロットは
我々と同じ軍人である。 生きている時は敵であっても、今は違う。烈しい対空砲火や
直衛戦闘機の執拗な攻撃をかい潜って、 ここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、
同じ武人として称賛に値する。 よってこのパイロットに敬意を表し明朝水葬にする」と告げた。
伝えられる、キャラハン艦長の人間愛と、
卑劣な Imperial Navy 首脳部のどちらに、あなたは人間としての暖かみを感じるだろうか。
詳しくは「戦艦ミズーリに突入した零戦・加知 晃/著・2005年5月21日発行 光人社」ご参照下さい。
小園安名は302空司令時代に赤松貞明を源田に引き抜かれるの を恐れ、赤松の所属を鎮守府付兼だかにして転勤しにくくしたらしい。
711 :
名無し三等兵 :2009/02/23(月) 22:46:37 ID:OhLAskU/
ゲンちゃん、駄目よ〜、ワガママは〜
志賀少佐は「烈風」のテストをなさっていたのでしたか イケメンで、鈴木実中佐よりもモテたといいますね
で、坂井さんがかなり後世パイロット仲間から中傷された件についてkwsk
坂井さんの不幸は、そもそも自分が書いたものではない本が自分の著書として出版され、 図らずもそれがベストセラーになってしまったことにあります。本人も実際に書いた人も 明言されていたことで、秘密でも何でもありませんが、「坂井三郎空戦記録」「大空のサムライ」、 それぞれ別のゴーストライターが書いた本です。 当然、フィクションも多く含まれていて、事実とは異なる記述が散見されます。晩年の三部作は ご自分の手によるものでしたが、それ以前の著書と論旨が矛盾をきたしていて、内容もやや的外れな、 エキセントリックな人物批判(しかも相手の本人が死んでから)が多かったように思います。 そして何より、坂井さんの戦後の関係者間の立場を失わしめたのは、ネズミ講の広告塔になって しまわれたことです。詳しく書き出すと切りがありませんので、このへんで。 某先輩搭乗員の、海軍での退職金を持ち逃げされたとか、決してクリーンな第二の人生とは 行かなかったところが惜しまれます。お会いしたら愉快で気さくで厳しい人でしたけどね。
ネズミ講 天下一家の会 大観プロ 映画「大空のサムライ」
持ち逃げ 据え物斬り 一撃離脱
源田さん 空技廠の戦闘機部員(で良かったかな)の時(少佐) 戦闘機無用論をぶちあげ、多数の戦闘機パイロットが艦爆などに転科、 戦闘機パイロットの養成が極度に減らされる。 ところが日華事変が始まると護衛のない中攻隊はボロボロ。 それに気付いて戦闘機を増やすが、 この時点からの戦闘機パイロット不足は結局敗戦まで響く。 零戦の開発時にも速度より格闘性能を重視させる意見を発する。 その影響で出来た零戦の性能不足もまた敗戦まで響く。 ミッドウェー後、「瑞鶴」飛行長をへて(2ヶ月くらいだと思う) 343空創設前まで海軍軍令部の作戦部員。(のはず) その間、神風特攻の具体的な作戦を立案。 全軍で統制化された 特攻が行われる。 半田一利氏いわく「神風特攻の創始者は源田」と言われる所以。
718 :
名無し三等兵 :2009/02/24(火) 09:39:26 ID:G083juZP
>>712 志賀少佐って、海軍時代の写真を見ると、
坊ちゃまがイケメンに成長した感じだな。
オプスレイの「海軍航空隊のエース」の
撃墜王リストに「撃墜機数5機」で、載
ってるよ。
余談になるがプラモで「加賀」時代の
志賀少佐(当時大尉)が作れるよ。
醇一もかわいいよな。
志賀少佐は加賀の参謀室かどこかでいかがわしい小説を読んでいたのを ふだんからソリの合わなかった岡田艦長に見咎められ隼鷹に転勤になったのでしたか その後加賀が沈むわけですから、ある意味自分の命の恩人だとおっしゃっていますね
>>720 あと、非番のときは「重要書類を作成中」と称して
部屋で仲間と春画を描いていたりしたそうだ
722 :
名無し三等兵 :2009/02/24(火) 16:52:13 ID:G083juZP
>>721 隼鷹に転勤後、戦闘機が九六戦だと聞いて怒った
志賀大尉(当時)は戦闘機受領の際、監督官が加賀
にいると思い込んでるのをイイ事に勝手に零戦で揃
えてきたそうな。
>>712 鈴木中佐もナカナカだと思うけど。
「僕もけっこう遊んだほうだと思うけれど志賀君にはかなわなかったなァ」 鈴木実氏談
>>722 で、隼鷹には零戦を整備できる者がいなかったというオチでしたか
名指揮官として知られる宮野大尉もこのとき隼鷹に乗艦していたのでしたね
海軍の撃墜王だけじゃなくて 陸軍もありにしてよ。。
>>717 突っ込みどころ満載だが
>ところが日華事変が始まると護衛のない中攻隊はボロボロ。
>それに気付いて戦闘機を増やすが、
航続距離が足りないのだから戦闘機パイロットが減らされずとも何も変わらない。
馬鹿か。
コピペに怒ってる人も間抜けですね
確か志賀氏の話だったと思うが、ハワイ作戦前に単冠湾に集結中、 対空射撃の実弾訓練を初めて見て驚いた、というのを読んで、 逆に驚いた。(『トラ・トラ・トラ』だったと思う) 対米戦突入前は、基地航空隊以外では、そんなものだったんだね。
>>717 そこで世界初の戦略戦闘機(戦略爆撃機に随伴できる戦闘機)「零式艦上戦闘機」なんですよ
堀越先生や奥宮先生もそうおっしゃっていますね 戦鳥のあほどもが零戦を単なる艦隊防空戦闘機に貶めようとしているようですが
>>730 しかし結果として戦略任務が可能といっても、それは海軍の仕事ではないんだ
護衛される陸攻にしても、あくまで陸上基地発着の攻撃機
戦闘艦建造の制限があったからね
搭載量の殆どが燃料では戦略用途には旨くないだろう
あくまで永く空中に浮かんでいられるのが主用途で
相手は一発の爆弾で機能不全に浸る戦闘艦
海上での決戦なんて一日か二日での勝負
補給の問題もあって何ヶ月もやり合うものではない
ごめん、ちょっと意味わからんわw
日本海軍の航空隊は艦隊決戦のためのもので 戦略爆撃をするためのものじゃないって言いたいんじゃないかな
説明力がないってあわれですね
自身の読解力の無さに気づかないって滑稽だよね。
読解力とはまた陳腐ないいまわし 知恵が乏しいと語彙も貧しいのかねえ
図星指されてそんなに悔しいかw
>>732-734 >731で説明しているではないかw
>736
具体的に指摘してね。マークシート答案用紙じゃないんだよ。
だいぶ「零戦は無敵じゃない」スレじゃないけど、零戦は素敵だスレになってる 碇さんの「八月十五日の空」を読むと、 上昇力では雷電に負けるのは仕方ないけど、 坂井クラスが乗ると、雷電に劣らない位置に付けるんだね。 B-32がボコボコにされた(p250)
坂井先生くらいのレベルになると出撃しなくてもB17を撃墜できますので 出撃さえすればB36に弾をくらわせる事くらい実に容易でしょう
B36!・・・ お互いがラプターなら坂井先生無敵だね 菅野さんや杉田さんが生き残ってくれたらと残念に思う。 カールの腕はどうだったか、長官機護衛の真相(日本側視点)などや紫電の飛行性能を知りたいな。 ゴッド岩井さんやイ58橋本艦長のように
744 :
735 :2009/02/26(木) 02:41:08 ID:???
>>741 あれは単純に最後まで食いついたから。
最後に下りてきた坂井氏が「あれはB-29じゃないぞ」って話だったでしょ。
>>739 自分に否定的なレスは全部同一人物という妄想は止めたほうがいい。
滑稽通り越して憐憫すら誘う。
図星だったか
他人が使ったばかりの「図星」を鸚鵡返しするほど狼狽えるとはw
とりあえず
>>745 の知恵と語彙が乏しいのはわかった。
いったい何を言い合いしてるのだろう
ふだん深夜帯に主観的な書き込みばかりしている人が めずらしく説明調の書き込みをしようとしてまとめきれず わからんと言われたり煽られたりして丸1日後 切れて暴れて帰って行ったというとこかな?
現在、旧軍のエースと呼ばれた人で 元気な人はどれ位いるんだろ?
上坊さんはまだ生きてるのかな? 坂井とちがって自分の功績べらべらしゃべる人じゃないところがまたいいんだよな。
藤田怡与蔵氏、亡くなられてましたか・・・
>>751 じゃあ坂井氏は戦闘機乗りとしての実力は別として、
人間性がいまいち、ということかな
>>751 古い丸の手記に樫出さんが上坊さんの事を書いていた。
上坊さんは無口で愛想が全く無くて筆不精だった
少飛1期の同期の間でも変わり者で通っていたが
剣道の達人で同期生から信頼されていたらしい。
>>756 穴吹さんは野原茂著の「蒼天録」に亡くなられたと書いてあった。
穴吹さんも・・・ そうでしたか。Wikiではまだご存命になってたのですが。 ちとググってたらボイントン撃墜の川戸正治郎さん(自著では19機)も亡くなられたみたいですね。
上野村の黒沢元村長は、まだご健在だよね。
うちのおじさんはエースじゃないけどまだ健在。 零戦はもちろん厚木の302空で雷電にも乗ったらしい。 健在なうちにいろいろ聞いておかねば・・・。 ちなみに第一回の桜花特攻の神雷部隊の護衛戦闘機の一機だったという歴史の生き証人です。
>>760 印象に残っている人物を聞いてみると
面白いエピソードを話してくれると思いますよ。
うちの嫁の祖父は数年前に他界、ご存命なら90歳を超える 農家の長男で中国と南方へ陸軍の一員として出兵(2度目は負傷して帰国) 彼の約10歳若い従兄弟も同じ村の農家の長男、最初の出兵が広島あたりの輸送船上、そこで終戦 盆正月に会うと 好々爺で全然勇ましくない祖父に戦争体験をしつこく聴いても 「それより婿さん飲みなせや」とかわされただけ 武勇伝は勿論、苦しかったことも話さなかった 同席の従兄弟は酔って大声で軍歌を歌い軍隊口調の「自分は〜っ」とデスマスだけ レンガの上の祖父のスネの骨は焼けた金属板と釘で繋がれていて 針金も近くに落ちてました その夜の従兄弟は静かでした
岩本さん殺したヤブ医者はまじで許せない。
関大尉は撃墜的にどうだったの? 俺はあの人は人間的にとても興味をひかれるが。
なんか戦後にばったり出会ったという説まであるが
>>766 藤田怡与蔵氏の弟で海兵73期の藤田征朗の手記にあった話だが
藤田が搭乗員になるために飛行訓練を受けていた頃
居室の机の上に当時アイドルだった山田五十鈴のブロマイドを飾って
毎日それを眺めてニヤニヤしていたら突然ブロマイドが無くなってしまった
直後に教官の関大尉から呼び出しがあって行ってみると
「貴様はこの非常時にこんな物を見て喜んでいるのか!馬鹿野郎!これは没収だ!」と怒られた。
関は「代わりに貴様にいい物やろう今日からこれを飾るといい」と言って
山本五十六のブロマイドを渡されたらしい。
神雷隊の隊長であった野中大尉はこう発言している。 「この槍使い難し」 「たとえ国賊とののしられても、桜花作戦は司令部に断念させる」 野中大尉は桜花が無事発進した場合の無線報告をしなかった。それが、彼なりの、無謀な作戦で若者に死を命令する人でなし宇垣に対しての無言の抵抗であった。 野中大尉は、出撃前に「湊川だぜ」の一言を残し出撃していった。
野中氏は言いたい事ははっきり言うタイプみたいだね。 ソロモン戦後期で陸攻の昼間強襲を命じられた時は 陸攻に一人ずつ参謀を乗せると言い出して、結局出撃そのものが無くなった事さえある。
771 :
名無し三等兵 :2009/02/27(金) 23:00:31 ID:/iyh7UYN
>>756 梶並(小山)進さんも7年ほど前に亡くなりました。
亡くなる前年までは橙色の愛機に撃墜マークを書いて
10月25日に行われる西条市の関中佐の慰霊祭に
慰霊飛行をされていました。
亡くなる時も奥さんに「誰にも言うな」ということで
飛行機仲間もしばらくは知らなかったそうです。
>>770 > 野中氏は言いたい事ははっきり言うタイプみたいだね。
>
> ソロモン戦後期で陸攻の昼間強襲を命じられた時は
> 陸攻に一人ずつ参謀を乗せると言い出して、結局出撃そのものが無くなった事さえある。
>>702 > それから、直接志賀淑雄氏にお話しされた人のブログ
>
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070907/1189162993 >
> 私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。
> ちょっと考えた志賀少佐は「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され
> 『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。それは松山空も
> 特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。そこで私は『喜んで行きましょう。
> ただし条件があります。帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、
> 先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。司令は黙っておられましたが、
> その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」
よく似たエピソードだね。両方に共通するのは、上層部の卑怯さだな
源田は最低のクズ。
>752 檜与平少佐が戦死って・・あんた。 穴吹2佐のご子息が某大でお世話になったとか。
>>766 関さんは艦爆に乗っていたのではなかったですか?
関行雄大尉の敷島隊は、昭和19年10月25日に、7機で、進発をしている。そしてセブ島基地からの報告によれば、関隊長機不時着、4機はグラマンにより撃墜をされて、2機は、2隻の大型艦船に突入。 であったと言う。 それでは何故に海軍は、不時着をしたという関大尉を、敵艦船に突入、 壮烈なる戦死≠ニして軍神≠ノしてしまったのであろうか。 司令部に正式な報告をすべきであった直掩機の3名は、グラマンに撃墜 されて戦死をしてしまった。 司令部は、正式な報告は誰からも受けられない立場になった。 しかし司令部としては、その立場上、第一次の特攻隊として進発させた 敷島隊の、その結果については、発表しないわけには行かず、 よしんば関大尉が不時着ではあっても、本人が、その立場上、生きて帰 ってくるなどあり得ない事なので、それに下士官・兵たちの間での、そ のような噂≠払底する意味でも、司令部は隊長、関大尉は敵艦に 突入。壮烈なる戦死≠ニして軍神≠ニし、海軍中佐に任じ、以後の隊 内での批評など一切無用≠ニの立場を通したものと思われる。 しかしその時には、私は、関大尉に会った≠ニいうようなタイトルで、 あの当時フイリピンで、陸軍の特攻隊員であったという人の記事が目に とまって、まさか?と思いながらも、一気に読んだ。 今でも明瞭に覚えているケ所は次のようであった。 その陸軍の特攻隊員であった人は、部隊が、その基地から撤退をする ことになったので、大急ぎで撤退の準備をしていたら、飛行用の半長靴 をはいて、飛行服を着て飛行帽をかぶった長身の人が近づいてきて、二 言三言しゃべったあとで、「俺は海軍の関だ。特攻で出たがエンジン不 調で不時着した。今更帰るわけにも行かんので何処か、適当な死に場所 でも探さねばなるまい」といって立ち去ったという
777 :
756 :2009/02/28(土) 01:23:12 ID:???
>771
梶並(小山)進さんも・・・・
好漢 松井曹長(垂井光義中尉と思われる)の下に旅立たれましたか
http://www.page.sannet.ne.jp/ww2/3.8.html あと戦闘機乗りではありませんが 激闘艦爆隊(原題「艦爆一代」)の著者 小瀬本國男 元空曹も
2002年になくなられています。この本もお勧めです。
>774
檜 与平少佐は戦後航空自衛隊のパイロットとして事故死だそうで
戦死は間違いですね、 表でも1991年になってますね。
檜與平氏は戦後自衛隊に入隊してないでしょ つばさの血戦のプロフィールにも終戦時までの経歴しか載ってないし 戦後に空自パイロットとして任務中に事故死したエースといえば、244戦隊の小林照彦氏が最も有名かと
779 :
756 :2009/02/28(土) 02:37:10 ID:???
>>778 小林少佐の殉職といえばそのすぐ前に指宿氏も同様に殉職している。
いくら創設間もないとはいえ、空自は前途有望な中堅指揮官を殺しすぎだ。
781 :
名無し三等兵 :2009/02/28(土) 05:51:41 ID:nLKa/npL
>>776 興味深い話しですね。続話はないのですか?
関大尉、4度も出撃するも敵が発見できず戻り、 5回目に突入。普通ならくじける。すごい精神力だ。 昭和19年10月21日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投 昭和19年10月22日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投 昭和19年10月23日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投 昭和19年10月24日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投 昭和19年10月25日 出撃、米空母セント・ローに体当り、 散華(享年23歳) で、不時着という情報はどれほど信憑性があるのか?
当時敷島隊の直掩機は、西沢義弘飛曹長・本田慎悟上飛曹・ 馬場良治・管川操飛長の4機であった。 そして管川操飛長以外の3機は、直掩の任務を果たして、 燃料補給の為に、セブ島の基地に着陸した。 管川機は、直掩の任務中にグラマンによって、撃墜をさ れたと言う。 しかし残った3名は、自分たちが乗ってきたゼロ戦は、 特攻に使うからと、セブ島基地に置いてくるよ う命じられて、輸送機で自分たちの基地であるマバラ カットに帰ることになって、しかしその輸送機が途中で グラマンに、撃墜をされてしまって、ベテラン搭乗員で あった、西沢・本田・馬場の3名も、基地に帰投をして、 正式な報告をすることもなく、戦死をしてしまったので あった。 これで、関大尉の敷島隊が、果たして全機敵艦に突入を して、特攻としての任務を果たす事が出来たのかどうか、 それともグラマンに撃墜をされたり、不時着などして、 任務を達成出来なかったのかどうかを報告をして、証言 を出来る者は、誰もいなくなってしまったのであった。 しかしこれら3名の者たちは、セブ島の基地で、中間の 報告はしていたと言う。そしてその中に、エンジンのト ラブルによる、関大尉機の不時着の報告もされていたと いう。 しかし4度目の発進でヤツト敵艦発見と言う、それでい て隊長機が不時着では、なんとも様≠ノはならない。 司令部の面目からも、先陣を切っての敷島隊であったか ら、全機、敵艦に突入≠ナなければならなかった。 整備の兵たちは、関大尉の機のエンジンが、前から不調で、 あれで果たして、敵艦に突入¥o来たのかどうか不安で あったので、セブ島からの中間報告があったと聞いて、第 一番に、班長である下士官を通して確かめたら、やはり、 関大尉機不時着≠ニ聞いて、ガックリであったという。
宮本郷三の『隼のつばさ』の中で「軍神は生きていた」と いう項から マニラで宮本さん達のいるほうに海軍の飛行服を着用し、飛行帽までかぶった人が歩 みよってきて、その方は階級章もなければ軍刀も持っていなかった。 そして、宮本さん達に向って「オレは関だよ」と言ったみたいなんです。 宮本さんは驚いて「関大尉殿ですか?あの神風特攻隊の・・」彼は一瞬嬉しそうな 顔をして「そうだ」と答えたのである。 関大尉が「オレは確かに攻撃目標を発見して、急降下した。そして、無意識のうちに (爆弾の)投下ボタンを押した。その後は目標すれすれに離脱したが、機関をやられ ていたので、近くの島に不時着した」 その後に彼は、こうも言ったのである。 「そのうちに戦果がデカデカと発表になるし、いまさら原隊(二○一空)にかえるわけ にもいかないし・・・いまのオレは所属部隊もないし、階級もない。いうなれば幽霊だ よな・・・」そしてハハハ・・・と淋しそうに笑うのであった。 宮本さんは本物の関大尉に間違いないと確信したと書いてあります。 中略しますが、さらに「陸軍の佐々木伍長も生きてるよ」とつけたしているようです。 宮本さんが最後に思い切ってこの先どうしようと考えてるのか聞いてみたら関大尉は 「そうさなぁ。まさかこのままで生きてるわけにもいくまいし・・・そのうちどこか死に場所 を求めて、そこで死ぬよ」と言ったみたいです。 宮本さんの推測ですが彼は多分、マニラ攻防戦を死に場所に選んだのではないか・・ と宮本さんの本の内容を記載させていただきました。 宮本さんもその後の関大尉のことを知りたいものだと書いています。
782-784 反映されてなかった そういうことでしたか、 785はとばしてください
関大尉が生きていたって話は宮本さんの話だけで 話題にもならないけど何でだろう? ちなみに宮本さんの友達が秘めたる空戦の松本良男。
まぁ、比島のどこかで亡くなられたのは間違いない
結果オーライ、ゆうことですかね
西澤さんにはなんとしても終戦を迎えて欲しかったなぁ。 本土に戻れさえすれば、まず終戦までなんとかなったはずなんだが・・・惜しい。
343空配属だとわからない
横空で硫黄島に行ってもわからんな
>>783 > しかしその輸送機が途中で
> グラマンに、撃墜をされてしまって、ベテラン搭乗員で
> あった、西沢・本田・馬場の3名も、基地に帰投をして、
> 正式な報告をすることもなく、戦死をしてしまったので
> あった。
腕に覚えのある戦闘機搭乗員だけに、乗っていた輸送機が撃墜されるのは
無念の極みだったろう。鎮魂
>>793 いつも自分の機を操縦して帰ってくるのが一番
悔いが無かっただろうね
輸送機に乗ってる所を戦闘機に襲われて、 操縦を無理やり代わって振り切ったのが菅野大尉じゃなかったか? 他の人だったか
>>795 すごいね。やっぱりそういう時はベテランに任せるのが一番いいのかも
輸送機の搭乗員もベテランだと思うぞ。
菅野大尉の輸送機操縦の時はかなりきわどい空戦だったようなんだが、 詳細わかる人います? 戦闘機をかわした後、不時着した事まではネットでわかるんだが
>>797 つうか、敵戦闘機との格闘や遣り過ごしは専門外でしょ
元々は陸攻乗りだったりするが基本的に戦闘機と遭遇したらアウトと考えていいと思う 輸送機乗りの戦記って1001空のしか知らないな。他にもあるんだろうか。
>>800 輸送機にもいちおう数門の機銃は装備されてるんだよね。
アメとかB29を輸送機としても使っていたというから、あれくらいなら
対戦闘機でもなんとかなっただろうね。
>数門の機銃は装備されてるんだよね 日本の輸送機は無かったのでは? 北出大尉の97大艇にも載っけてなかったし(一度だけ20ミリ載せてグラマン撃墜したけど) 大型機専門に乗ってきた人は敵機にやられやすかったけど 戦闘機から陸攻に変わった人なんかは戦闘機乗りの心理が分かるからか 横滑りと海面スレスレに飛ぶことでうまく逃げおおせてる。 やはり操縦で被害はかなり抑えられたみたい。
804 :
名無し三等兵 :2009/03/01(日) 13:48:27 ID:ADp5Lx+f
笹井醇一中尉は超イケメンでもあっただけに残念だ
谷水さんの猿と写ってる写真も中々の男前。 西沢さんの日本刀刺して立ってる写真もすごいかっこいい。 斜め上向いて写ってる髭面の写真と同一人物とはとてもおもえない。 岩本さんも柴田恭平に似で渋いしパイロットは意外とイケメンが多いね。
>>805 当時の知力体力に優れる超エリートだったから、
自然と容貌に現れたんだろうね
菅野大尉もカッコイイね。 紫電改のタカの滝上飛曹のモデルになったらしい
松永一飛曹のエピソード、戦闘機乗りもやはり人間なのですね 私は自身の祖父が戦闘機乗りでしたが戦死したため写真でしか見たことがありません 周囲の人たちは私の顔も気性も本当に祖父そっくりだと言います 私は飛行機が嫌いで人一倍臆病な性質なのですが
>>808 見るだに辛い写真だな。。。
これは戦闘機からではなくB24の偵察型PB4Yからの写真ではなかろうか?
一式陸攻も輸送機型?
32で始まる番号だから732空所属じゃね? 732なら陸攻装備だし。
戦闘機からの攻撃なら超低空飛行と横滑りはかなり有効だったみたいだけど PB4Yなどが相手だと並走しての撃ち合いになり、相手は弾道特性のいいブローニングが4〜5丁になるから 回転銃座の20ミリが届きにくい距離からバカスカ撃ってこられると勝ち目ないでしょう。 7.7ミリは当てられても防弾のいい相手だからなかなかねぇ〜。
そもそも、米哨戒機は無敵すぎる 紫電改も打ち落とすし
ウソつき…っ?
大型機に対する攻撃は陸軍のほうが 上手いような気がする
>>815 20年5月15の空戦だと、343空の紫電改8機が五島方面に出撃、2機が引き返す。
6機が2機編隊のPB4Yと交戦し、見事2機とも落とすものの
紫電改も1機被墜、4機被弾。たった2機でも手ごわい相手。
PB4Y、PBM、強いね。トータルでは紫電改負けている。 出撃日 343空出撃機数 交戦敵機数等 343空損失実数 米軍損失実数 5月11日 4機 PBM 2機 0機 1機 5月15日 6機 PBM 2機 1機 2機 5月16日 12機 PB4Y 2機 1機 0機 5月17日 11機 PB4Y 2機 2機 0機
12機の最新鋭戦闘機に襲われてもへっちゃら、 そういう無敵な陸攻が日本にもあったらよかったのにな。
零式輸送機、普通は武装してたの? 今まで写真で見たのは非武装の機体ばかりだったが。
ほとんどが非武装。二二型甲は銃座があるが、夜間は応戦すると むしろ所在が明らかになって狙いやすくなってしまう。
>>819 やっぱりあれかな、戦闘機よりも
機銃を20門くらい装備して高速で俊敏な陸攻とかあれば
最強だったのかな
戦闘機不要論ですか?
>>822 爆撃機隊護衛のために機銃を山のように装備したB-17(XB-40/YB-40)を作ってみたけど
重くて足手まといで使い物にならなかったらしいです。
「機銃を20門装備した上で足が速い」なんてのは夢の世界の話です・・・
817のソースは「遥かなる俊翼」の122ページにあるんだが、 米側記録との照合はやってないみたいだな。
太平洋戦争末期には広大な太平洋戦域を飛び回って日本軍の潜水艦や輸送船団を狩りたてており、
日本海軍将兵から忌み嫌われる機体の一つとなっていた
(ただし日本軍は当機をB−24の派生型として認識しており、公文書にもB−24と記録されている)。
とのこと。
ttp://military.sakura.ne.jp/world/w_pb4y.htm 巡航速度 224km/h 低空を1〜2機で飛んでてもおとせないとは。。。
油断して哨戒艇に返り討ちにあった機は、南方戦線でもあったけどね(最近の丸に戦記のってたね)
>>825 B-24と違って排気タービンを外してる代わりに武装を強化してる。
低空を飛ぶPB4Yは相当な難敵だったと思う。
B-24の時みたいに前下方攻撃とかできないからな。
へぇ〜、ブローニング12.7ミリじゃなくて7.62ミリ×12だったんだ。 てっきりブローニング12.7ミリのハリネズミだとばっかり思ってた。 という事は紫電改は7.62ミリの豆鉄砲でやられまくったって事だよね? 紫電改に至っても防弾は知れてたってことか・・・。
いや英語のwikiでも12.7mmになってるから7.62mmが誤り。
だよね。 でないと紫電改カワイソすぐる。 ブローニング恐るべし。
日本陸軍機は海上に出ないから あんなショボイ12.7×2くらいでアヘアヘしてるんですね わかります
中島でも生産してるんだし、零戦を統一機材にすれば少しはマシだっただろうね。 さすがに戦闘機が12.7mm×2だけなんて、ちょっとひどすぎる
搭乗員がヘタクソばかりだからあんまりかわらんでしょう陸軍は
>835 加藤隼戦闘隊の隼一型は、7.7mm機関銃1挺+12.7mm機関砲1門ですがw
その弱武装のおかげで加藤少将は戦死された・・
>>837 そんなんだからブレニム相手に何機も返り討ちにあうんだよ・・・
てか、脚が出たままのブレニムだったのに隼の編隊が撃退されてるんだよな・・・ まぁ、メッサーを叩き落すアブロアンソン輸送機もあるからな
>5月22日午後2時ころ英軍のブレニム双発爆撃機1機が低空で攻撃してきため、加藤中佐含む4機の隼がスクランブルし、
4機が後方から12.7ミリ機銃を撃ったが、ブレニム双発爆撃機の後方射手に1番機2番機が損傷を受け、
更に3番機(加藤中佐)中央部から火を噴き海面付近で宙返りし水しぶきを上げベンガル湾に落ちた。
部下達は海面をグルグル回り隊長を探したが見つからなかった。敵のブレニム双発爆撃機はカルカッタに帰投した。
軍神にふさわしくない最後であった。戦死から8日後5月30日南方軍総司令官から感状を与えられ軍神にされた。
ttp://www.geocities.jp/buzensakai/reki/episodo.htm 創られた軍神
たぶんこれが真実でしょうね。
加藤中佐 本人には罪はないので、念のため。人物・経歴は軍神の資格十分だからね。
843 :
842 :2009/03/05(木) 18:39:59 ID:???
補足 ブレニムが撃墜されていない というのが真実 の意味ね >加藤氏はブレニアムの後部上方銃座に打たれて自爆戦死と言うことになっている。 被弾直後に低空において急反転を行い、海面に突入したのを列機が目撃している。 この自爆方法は生前加藤氏が部下に説明していた方法のため、覚悟の自爆とされ ている。 しかし映画の上では手を振りながら別れを告げて海面に突入している。 アニメ「決断」では側頭部に被弾し即死した ように描かれている。 どれが真実かは後世の我々には知る由もない
加藤建夫って脱出して敵地から帰ってきた部下を卑怯者扱いしてるから嫌い。
>脚が出たままのブレニムだったのに隼の編隊が撃退されてる これってわざとでないかな? 空荷で全力で逃げてて、隼がやっとこさ追いすがってきたとこで エアブレーキがわりに下ろしたのではなかろうか。 急に減速されて追突さけようとしたとこを後方機銃で狙い撃ちw あるいは超低空、低速度で回避(ソードフィッシュがドイツ機相手にやってた)行動 それとも足だして降伏しますとみせかけてだまし討ちですか?
>>845 想像力が豊かでうらやましいけど、詳細は太平洋戦争航空史話(上)に載ってるよ
撃墜したのは片脚が出たままの状態で引き返さなかったハガード准尉機(Z9808)で、
被弾は2発のみ。祝電はもらったが、特に勲章とかは受け取っていない。
その後ドイツに転戦しB-25に乗り換えて大尉で戦争を終えた。
>846 thx どこで読んだのか忘れてたのだが、この本だったのかな、ブレニムが撃墜されてないという記述 ブレニムが片足だったなんてことは、全く覚えてなかったw あまり知られていないみたいで、ググっても相打ちとされてるものがほとんどですね。
片脚着陸時に全損になってるようだから、相打ち扱いでも それほど間違ってはいないと思うけどね。 まぁ戦場で見たことなんてそれほどあてにならないって事です 交通事故の目撃者とかでも、複数いれば全然言ってることが違うのはよくある事で
角田氏も書類を作成する立場になってからは、 ありのままに書くよりも、いかに勇壮無比に書くかを指導されてますもんね。
ミッドウエーの友永隊長機の最期の模様も、そんなふうに報告したものが通説として流布 してるんでしょうね。米軍側に体当たりされた事実はない。広まったのは金沢秀利氏の著書 「空母雷撃隊」初稿は昭和30年刊 からだとおもうけど。 久我山の15センチ高射砲のB29撃墜なんかは、戦後同隊員だった人のホラ話が事実として広まったみたいですね。
檜貝少佐の最後のように、日米の証言がピタリと一致するケースもあるけどね。 陸攻の夜間雷撃で4発も魚雷命中したのに、不発だらけだったのがなんとも悔しい。
なんだなんだやたら日本人ばかり馬鹿にする厨はビルマ航空戦とか中国大陸の隼、ショウキ、疾風 読んだこと無いのか? 言っとくけどアメリカもめちゃくちゃ誤認だらけだぞ。 あとイギリスも。
ちゃんとわかってるってw ただ、美談だらけにしちゃうのは戦記の良くない所だな。 遺族への配慮って部分が大きいと思うが。
んだな ただ情報量が膨大でその一部しかしらないのも事実だわ ラバウル航空戦 お互いの戦果と損失くらべてみたら。 平均 日本3倍、アメリカ5倍の誇大戦果w B17の機銃手の戦果報告は数十倍 懸賞金のかかってたフライングタイガースの戦果報告なんて話にならないw
とまぁホラ話でまとまった所で そろそろ元の話題に戻りましょう
海軍はネタも出尽くした 陸軍戦闘機隊の話にしようよ
>>855 米は「敵は1000機の零戦を持っている」とか本国に報告してたような・・・ラバウル戦
だったかな?
秦郁彦の本によるとダーウィンで零戦にボコボコにやられたオージースピットファイアも 全然落としてない一方的な敗北だったって知ってたのに1機も落としてないではかっこわるいから何機も落としたって放送したみたいだね。 イギリス系ってこういうの多いな。 戦意高揚のためにそんな落としてないって知ってるのに多めに放送するの。
日本でも当たり前のように行われていただろw
それもそうですね^^
だって本土を空襲されて焼け野原になっても 「盲爆」されて一部に小火災、損害軽微、心配するに値せずって報道してたんだぜ 行間を読める人は真実がわかっていただろうが。
>>858 零戦撃墜王にそのエピソードが書いてあったな
米軍の無電を傍受したらラバウルには1000機の航空兵力がいると本国に報告してたって話
んで実際は30機程度だったと
ビルマなんて50、64戦隊40機で2000機の連合軍機と戦ってたんだぞ。
865 :
名無し三等兵 :2009/03/09(月) 19:27:05 ID:4A+4yqQV
>>854 遺族の年金が違ってくるんじゃないの?
公務員なんて退職直前に昇進なんてやってるし。
866 :
名無し三等兵 :2009/03/17(火) 08:45:41 ID:ilGGSmZt
菅野直てなんか土方歳三に似てるな。風貌も生き様も。 隊名も新選組で紫電も刀に因んだ名ってのが面白い。 隊員もキャラが立ってるし剣部隊は萌えるなぁ。 歴史好きな腐女子が知ったら群がってきそうだw
まさに歴史好きの腐女子ですが、あの時代に生まれ変わって菅野大尉のかーちゃんになりたい
868 :
名無し三等兵 :2009/03/22(日) 10:55:23 ID:i1ol08O8
鴛渕孝大尉はイケメンなだけでなく、あの 荒っぽい海兵68期出身にもかかわらず、部下 を殴った事がない温厚な隊長だったようだね。 それに旧海軍航空隊の関係者からも鴛渕大尉 を批判する事はほとんどないようだね。
士官はよほどの事がない限り兵隊は殴らないんじゃないかな。
下士官は性格がねじくれているから 下士官に慕われる士官ならそれはすばらしい
島川正明氏の著書を読んだら、坂井氏との対談のなかで、坂井氏が気合を入れた話が 載ってた。うろ覚えなんだけど、坂井氏は海軍のそういう(ぶん殴ること?)体質 みたいなのに対して批判的だったように記憶してるんだが。坂井氏は自身の著書のなかで 自分が気合を入れる側に立ったことも書いている?
牛殺しって、相手の額を人差指でパチンとやること? ググッたけど、カラテ関係 ばっかしで良くわかんなかったです。だとすると気合入るのかな?
test
スレチでもいい? 今、新藤氏の「ああ 疾風戦闘隊」を読んでいる。そのなかで、日本は数での劣勢を 補うために格闘性能にこだわったと記されていてるんだけど、数的劣位であっても 格闘戦性能が良ければ互角?っていうのがよくわからない。 もひとつ。新藤氏は太平洋戦争時、(搭乗員としては)けっこうな御歳のようだったけど 日本の撃墜王(一応5機以上撃墜を条件として)で、高齢者(元搭乗員の方々ゴメンナサイ)と 言ったら、何歳位の人がいるのかな? あと、日本だけじゃなくて外国の場合はどうなんだろ? 誰か教えて エロい人 よろしく。
>>876 記憶が曖昧だけど、最高齢は多分、飛行第5連隊?の三輪中佐(少佐?)だと思う。
陸軍航空隊では飛行機に乗れる年齢が41歳?までだったが戦死したときは44歳だったらしい。
当時、伍長だった上坊さんがその時様子を見ていて「丸」に書いていた
「部隊長は次々と敵機と格闘して2機を落とし、新手の敵機と格闘戦に入って
2〜3回旋回したのちに地面に激突してしまった。三輪中佐は軍規定の年齢を超えていたが
その闘志でも我々若い操縦者を大きく超えていた」と書いていた。
>>877 ,878,879さん
レス、ありがとう。
世界レベルでみても、1910年以前生まれの方は、極めて少ないようですね。
そうしたなかでの、加藤中佐の38歳も驚きだけど、44歳なんて・・・凄過ぎ
たまーに 高齢でもカクシャクとした方がおられるように例外的な存在なのでしょうね。
>>878 さんがあげてくれた表をみると、色々とわかることがありますね。
日本で、上位に海軍関係者が多いのは南方での闘いの熾烈さを示すものかも?
若い方だと杉田氏の1924年生まれというのは、他国と比較しても稀みたい。
Wikiによると17歳?で海兵団に入団とあるけど、これは他国より早い時点で
軍に入ることが可能、、というか、そうせざるをえなかったのかもしれませんね。
有名どころでは、ボイントン撃墜の川戸正次郎(自称19機撃墜)さんは大正14年(1925年)生まれ 15歳で予科練入隊です。で初撃墜が1943年10月だから、もう少し若いエースもいそうですね。
1925.9.19生まれ 1941予科練志願 1942.5.1舞鶴海兵団入隊 1942.6月丙飛12期試験受験 だから入隊は16歳ですね
指揮所であんまり子供なんでみんなが驚いた、って逸話があるもんな。 体当たりしまくる戦い方もその年代ならわからない事も無いなぁ。
そういや1年サバ読んで受験して合格した人とかいるよね。
885 :
名無し三等兵 :2009/03/31(火) 12:59:06 ID:P7a9UtSu
>>877 志賀淑雄氏が亡くなられたのはミリタリークラシック(確か
赤城、加賀の特集だったと思う)で知りました。大東亜戦争当
時は指揮官であまり撃墜の機会がないにもかかわらず6機も
撃墜してるんですね。
881
紫電改に乗っていた撃墜王の笠井智一氏(甲飛10期)は
大正15年(1926年)生まれで終戦時、19歳でおそら
く日本海軍どころか世界の中でも最年少の撃墜王なのでは?
>>881 川戸氏は若すぎる上にすぐにラバウル最前線派遣で
しかも毎回被弾しまくって戦う方法だから、まぁ世界最年少エースでしょうな。
著書では体当たり3回、落下傘降下4回、被撃墜5回、
19機撃墜のエースで、ボイントン撃墜の際の空戦にも参加している。
本人がいかに無鉄砲な戦いぶりだったかは、角田氏も思わず叱咤するほど。
887 :
今日のところは名無しで :2009/03/31(火) 18:46:17 ID:qQ1FixPK
海軍乙事件(かいぐんおつじけん)とは、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月31日、 連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件。 事件名の由来は、この事件の詳細報告を聞いた某陸軍参謀が、 福留繋参謀長のあまりの行状のひどさに呆れ 「海軍乙」 と一言だけ吐き捨てたことからである。
>>887 クソツマンネー
一生名無しでいたほうがいいよ
全くだ 一九四四年(昭和十九年)三月十三日、連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件は、 先の山本五十六長官搭乗機が撃墜された事件を海軍甲事件と呼ぶことから、本件を海軍では「海軍乙事件」と呼んでいる。 海軍、連合艦隊司令長官が二代に亘り戦死するという重要二大事件であった。
891 :
890 :2009/03/31(火) 21:10:21 ID:???
で質問なのだが、古賀大将遭難前から、山本五十六長官搭乗機が撃墜された事件を当時海軍部内では海軍甲事件といってたの? それとも古賀大将遭難事件がおきてから甲事件、乙事件とつけたの?
>>891 「海軍乙事件」って名著に、そのまま甲事件の事もまとめてあるから興味があるなら
読まれてみては。
ちなみに長官機が撃墜された直後の第一報(機密第181430番電)で
既にこの件に関する事を「甲情報」とすると決めている。
894 :
890 :2009/03/31(火) 22:04:43 ID:???
>892 >893 thxs 以前から漠然と疑問だったので便乗質問させていただきました 丙事件、丁事件なんてのは初めてしりましたわ
「丙事件」言う鱈、某戦艦が某国の特殊部隊に爆破 轟沈させられたアレに決まっちょろうが・・。
すまん架空話みたいですね
海軍の航空隊(251空、343空etc)のナンバーの振り方の法則は知ってるんだけど、海軍の飛行隊(戦闘901etc)のほうはどういう法則があるのかな?
海軍乙カレー 航空機に軍刀持ち込む侍がいたようですね。落下傘は非装着で。
軍刀を積み込んだのは陸軍のパイロットに多かったらしい 海軍では陸軍のそういった行為を馬鹿にしていた
海軍でも、陸攻とか飛行艇はともかく戦闘機ではさすがに邪魔。
>876 テオ・オステルカンプ 1892(明治25)年?(昭和50)年。最終階級 中将。授与勲章 プール・ラ・メリート章及び騎士鉄十字章。 1892(明治25)年4月15日、ラインラント地方のデューレン生まれ。第一次世界大戦には最初、偵察機の後部機銃手として従軍していたが、 1917(大正6)年から戦闘機パイロットに転向し、最終的に32機を撃墜するエースとなり、プール・ラ・メリート章を授与されている。 ドイツ敗戦後、戦闘機パイロットとして義勇軍に参加し、ロシア労農軍と戦っている。ナチス政権成立後、ドイツに空軍設立の動きが出るとそれに参画。 1935(昭和10)年に空軍が正式に発足すると戦闘機パイロット育成の教導航空団司令に就任する。第二次世界大戦が勃発すると47歳という高齢であったが、前線の第51戦闘航空団司令に就任。 この時の部下にはヴェルナー・メルダースやアドルフ・ガーランドがおり、彼らから「オンケル・テオ(テオおじさん)」と呼ばれて親しまれた。彼はこの航空団を率いてフランス侵攻作戦や バトル・オブ・ブリテンに参加し、6機を撃墜して、両大戦でともにエースとなるという偉業を成し遂げた。この業績により1940(昭和15)年8月22日に騎士鉄十字章を授与されたが、 あまりもの高齢(48歳)ゆえ、前線指揮官の若返り政策とあいまって前線から引退。第2航空艦隊の戦闘機司令官となって後方から教え子達の活躍を見守った。 戦後はガーランドとともに事業を起こしたが1966(昭和41)年に引退。1975(昭和50)年に死去している。
赤松さんにラバウルで戦ってほしかった。
905 :
名無し三等兵 :2009/04/08(水) 09:27:45 ID:H7gAsTmD
マルセイユにラバウルに来てほしかったーっ
ガーランド+Me262で本土上空
>>906 日本でMe262が運用できると思って…
Me262ならB-29もいちころですね。 対進攻撃、背面降下突進なんてベテランじゃなきゃできない戦法使わなくても普通に落とせそうだ
Me262を運用するには、まず離着陸時に飛行場周辺の制空権を 取らないといけないんだけどそれができない。 どこの基地に何機あるってのがバレたら、もう終わりだな
>>909 セメントで舗装した飛行場がそんなにばかばか作れると思って…
制空権云々じゃないぞ
後、一時間半飛べる雷電でも滞空時間が短いと言われたのに
Me262だと一時間しか飛べない飛行場の数がやっぱり足りん
911 :
名無し三等兵 :2009/04/12(日) 08:33:01 ID:eO8/VlJZ
軍事板初心者です。 小高氏の話があまり出ないのは何でかな。
小高さんの著書は戦闘の話より喧嘩の話とか面白かった 志賀少佐が407飛行隊は野獣が服を着たような連中が揃っていたと言っていたが この人の戦記を読むと正にそんな感じだったんだろうと思うよ
小高氏の著書は読んでいて楽しい。 かなり誇張や勘違いも多いみたいだけど、素直な言葉で書かれているのが かえって良いかなと 知っているかもしれんが、 大野芳 著「神風特攻隊ゼロ号の男」に小高氏の回想が多く出てくる。 中でもトラック島空襲での前田飛曹長の件は衝撃的というか泣いた
914 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 08:39:44 ID:ogW9FkmO
大戦末期のそれぞれの国の最高峰のレシプロ機が活躍しまくる仮想戦記モノ知りませんか?
915 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 09:29:08 ID:ASYsVzMI
■新風弁士を威嚇暴行した在日ラガーマンの未公開映像追加完全版
http://www.liveleak.com/view?i=f81_1239524140 在日:在日韓国人を北朝鮮に行かしてどないするか言えや
弁士:あのね、君は何を聞いてるの?君は私が言ってる事を聞いてないんですか?…
在日:言うとったやろ?なぁ、言うとったやろって?なぁ…(繰り返し)
弁士:…私が言ったのは…
在日:こっち向いて喋れや
弁士:俺が言ったのはな、朝鮮…
在日:息くさい、しゃべんな
弁士:なんだ?だったら喋るな。こっちに向かって喋るな
在日:息くせーよ、しゃべんな
弁士:朝鮮独特の因縁のつけ方するな。何だお前は?
在日:なんや、朝鮮人って?
弁士:何だコラ?おい!何だよお前?
在日:おい!朝鮮人舐めんなよコラ
弁士:気持ち悪いんだお前。近づくな。俺に向かって口を聞くな。何が言いたいんだお前は?
在日:お前、今朝鮮人を○○したのぉ
弁士:俺、朝鮮人大嫌いだから。大っ嫌いだから。大嫌いなんでね。大嫌いなんですよ。日本から叩き出してやりたい。えぇ?ゴミ。朝鮮人…
在日:おどれ、殺すぞコラ!(押し倒す)○×△しとんじゃコラ!おどれコラ!何がゴミやコラ!おぉ?(繰り返し)
弁士:暴力はいけませんよ暴力は。殴られたー。あいたたたたー(繰り返し)
在日:おぉコラ?おどれ韓国人舐めとったら殺すぞ!
弁士:暴力はやめなさい暴力は。
宮崎勇氏の本が好きですね。 あの方は水兵から搭乗員になった苦労人だそうで。 角田氏も著書の中で誉めてましたね。
>>916 ラバウルで、樫出氏を見舞うくだり泣いた
宮崎氏は著書の中では戦闘場面はどれもサラッと描いている程度だけど ソロモンから終戦まで一度も内地で教員配置にならなかったなんて驚き。 どれほど凄まじい戦いをしてきたんでしょうね… 正に強運というか、死線を越えてきた人なんだなと。 ところで宮崎氏はご健在なんでしょうか?
>>917 樫村さんね
それにしても樫村さんのことを豊田譲とかが
酷く書いてるけど、582空時代に何かあったんかな?
反論したのが角田さんぐらいしかいないとは・・
920 :
名無し三等兵 :2009/04/14(火) 20:12:44 ID:tmwSdmW3
>>918 去年の八月までやってた大阪の「焼酎屋零」の
常連さんだった様だけどその後は不明。亡くなら
れたという話も聞かないし、ただ宮崎氏の著書や
「零戦最期の証言」によると戦後も広島で二次被
爆や、航空神経症の後遺症などで相当苦しい目に
遭われたようだね。
ちなみにおれも宮崎氏の著書を読んだけど、戦
後の世代の人たちに当時の事を解ってもらいたい
と言う思いが伝わって来るし、空戦についてもサ
ラッと描いている割には面白く読ませてもらったね。
>>919 樫村さんの最期って複数説があるよね。
角田さんの著作で、自分が無理やり現認調書を書かされたらしいけど
自分では出撃してないらしいし、なんか変なんだよな。
少なくとも角田さんは伝聞でしか聞いてないわけだよな・・・
流れぶった切って申し訳ないのですが、最近、岩井勉氏の「空母零戦隊」を読みました。 発着艦の話、またレイテ沖海戦での日本機動部隊最後の作戦など、艦載機乗りならではの話が非常に興味深かったです。 このスレの皆さんはもう読みましたか?
だいぶ前に読んで、内容はあまり覚えていないかな 「大空の決戦」もいいよ。なんとも言えない読後感になるが、戦争の事実だわな('A`)
角田さんと宮崎さんの本を読むと、樫村さんはきびしすぎて誤解される部分が多く 部下に人気はないけど、樫村さんなりの正義を貫いた人のように思える。 一方的に避難される人物ではないような。 佐藤正夫大尉もそんな感じかな。
>>914 イタリアってこんな強い戦闘機があるのに降伏するんか、と驚いた。
>>920 918です。ありがとうございます。
最近のレスに出て来た諸氏の著作は、「大空のサムライ」とは
一線を画す雰囲気ですが、若い世代に読んでもらえるとしたら、
ちょうど良いんじゃないでしょうか。
927 :
名無し三等兵 :2009/04/15(水) 22:33:39 ID:wf0JVqrJ
宮崎さんは元気です。 ちなみに横空での樫村兵曹の3番機鎌田氏も愛媛県で健在です。
宮崎さんや角田さんは本当に神に選ばれたような人なんだね
角田氏の本のなかで、脱走してきた慰安婦たちのため懲罰覚悟で一肌脱ごうとした樫村飛曹長に男気を感じました。
実社会にもこういう侠気に溢れた人は居るよね 大抵は過小評価や誤解されてばかりなんだけど。 樫村氏のような人が本当にカッコイイ男と言われるような世の中を望む。
ここでは岩本さんの話題はマズいのでしょうか。 いつだったか岩本さんのスレが酷い事になっていましたが…
>>931 岩本さんでもいいけど・・
もう話も出尽くしているんじゃないか?
>>931 基地外が一匹混じっただけで酷いというレベルでもなかったような。
谷水さんはどう? 格闘戦を避けて重武装の52型丙を好んだり ラバウルで3式戦と模擬空戦をやって圧倒したりとか エピソードも多いけど。
谷水氏って、自著はないですよね? もったいないなぁ。
愛機は余りにも有名だけど、不思議と本人の回想録は少ないね。 杉野計雄氏の著書には谷水氏の話がよく出て来るけど。 自分が知っている範囲だと、「零戦燃ゆ」と「零戦よもやま物語」に 少々見られる程度。
谷さんのは、光人社の「零戦搭乗員空戦記」の中に、他の4〜5人(含坂井氏) とともに、手記が載ってるのを読んだな。長編ではないが、7〜80頁あった。 杉さんのやつと読み比べると面白い。 ところで丙3期の同じ教官の下にいた4人の戦闘機乗りの中に 谷水、杉野、杉田各氏がいたのは驚き。教官がすごい人だったのかな?
>>937 情報サンクス 早速明日買ってきます。
谷水氏といえば、オスプレイ本の
「私は運命というのをを信じています。いつ、どこで死ぬかは、生まれたときにすでに神様によって決められているんです。」
という言葉が印象的だった。
ところで秦氏が「第二次大戦航空史話」書いているけど、谷水氏が川戸正治郎氏を批判していたというのは本当だろうか。
谷水がどんな批判をしていたか、ちょっと忘れたが 先輩搭乗員としての注意みたいなものじゃないの? あまり人を批判したりしない人だと思うが
川戸氏の撃墜に対して 「あんなヒヨっこが撃墜などできるはずがない」という批判を読んだ記憶がある。 ただ谷水氏であったか定かではないな。
>>940 そんな事言うかな・・?
杉野兵曹じゃないか?
小町定氏は川崎浹著「ある零戦パイロットの軌跡」で小高氏の事を 「頑張ってはいたけど、五里霧中で空砲を撃っているようなものだった」 なんて言ってたのが可笑しかった。 悪意はないと思うけど、小高氏も著名な搭乗員なのにね。
>>941 件の「第二次大戦航空史話」では、小町定氏と谷水氏お二人の名前が挙がっているのよ。
秦氏は「島国根性」「かつての戦友を悪し様に言う旧戦友の言葉に不快さを感じた」
などと厳しい表現を使っている。
ソコまで言うなら、ご自分でお二人に確認取れば良かったのに、と思わなくもない。
川戸氏については、ご本人の著作「体当たり空戦記」と 秦氏の本、角田氏の「修羅の翼」読めばおk 当時、大勢いて大勢亡くなった、典型的な「向こう見ずな火の玉野郎」の一人で 類まれな強運に恵まれて捕虜となって生き残れた零戦乗りです。 当時、17〜18歳くらいだったんでしょ?
あの時代は、今なら駅のホームでウ○コ座りしてる高校生とたいして年が 変わらない若者が戦闘機乗りだったんだな
946 :
名無し三等兵 :2009/04/19(日) 21:45:28 ID:qabJ2ywD
杉野計雄さんの本の表紙の姿に憧れて丸眼鏡買ってみたが びっくりするくらい似合わなかった…… しかしあの丸眼鏡は私物かねぇ?なんかしぶくていいよな
>>946 官給品じゃないか
白浜芳次郎氏も自著で同じような眼鏡かけてる写真があるし
当時の眼鏡って丸眼鏡以外に記憶が無い。 つじーんのとか。
949 :
名無し三等兵 :2009/04/20(月) 11:23:40 ID:vWC26nv2
あの丸眼鏡は私物です
友達のおじいさんが、昭和19年末から厚木の三〇二空にいたらしいんだが、 上官が谷水竹雄氏だったらしい。 もう鬼籍に入られたので詳しい事は聞けなくなってしまったが。
谷水さんって302空にいたっけ?
角田さんの本と松浪さん(この人艦爆乗りだけど)の本を読むと 共通して登場する上官や部下は多いけど、 二人の本にはそのどちらも登場しないのが、不思議だね
ライターが同じなのかねえ
ライターは別。っていうか角田さんの本は真性の本人筆。艦戦も艦爆も、士官室や特准室は同じだったが下士官兵の搭乗員室は別々だったから接触が少なかったのかも。
松浪さんは操縦じゃないし
21型大好きで格闘戦好きで一撃離脱じゃない頃の最高でもF4Fしか落としたこと無い坂井さんより 52型大好きで速度重視の戦闘スタイルでF6F、F4Uクラスと戦い続けた谷水さんの方が凄いよね。顔もイケメンだし。
>>957 坂井氏も硫黄島でF6F落としてるじゃん。
959 :
名無し三等兵 :2009/04/22(水) 23:56:17 ID:RjAiAfkn
>>958 片方の視力が低下してるにもかかわらず2機撃墜してるし単
機で15機のF6Fを相手にして苦戦してる割りには一発の被弾も
なく無事帰投してるのがすごいな。
>>957 そのときの撃墜マークが描かれてる乗機が有名だね。おれは
谷水氏もすごいと思うね。ひょっとしたらP‐51も撃墜してる
のでは?
そういえば谷水氏は去年の冬頃に亡くなられたらしいよ。
>>959 えっ?
亡くなられたの?
まあ、もう90近いはずだったから天寿を全うされたというべきなんだろうけ
ど。
俺達は戦ったんだ! 家族を守るため、国を守るため、命懸けで真剣に戦ったんだ!! 何も知らない者に、そのことをどうこう言われたくない!!!!!!!!!
丙飛三期出身の歴戦の元搭乗員が、相次いでお亡くなりになっています。 柳谷謙治氏(十五徴・丙飛三期)平成20年2月29日 谷水竹雄氏(十五徴・丙飛三期)平成20年3月12日 御両名とも大正八年のお生まれでお誕生日もひと月違い、満八十九歳を目前にしてのご逝去でした。 後両名とも徴兵出身なので、同期丙3期の志願兵出身の方より年長でいらしましたね。
イケメンといえば小高さんかなぁ 志賀さんもそうだね
964 :
名無し三等兵 :2009/04/23(木) 08:35:00 ID:3psaWDyk
>>957 結局、坂井さんって実力はともかく、
「俺が俺が」タイプの目立ちたがり屋だったということ?
柳谷氏は山本五十六撃墜の時の護衛戦闘機されてた方だね 吉村昭さんの本で貴重な証言を残された。
海軍は志願兵のイメージがあったが 以外に徴兵が多いな
>>958 それ実際落ちてないから。
ほんとに落としたんなら部隊名、パイロット名だしてみろ。
そんだけ特徴ある空戦ならわかるよな。
実際は逃げるだけで精一杯だったのにどんだけ虫がいいんだよ。
>>958 昭和18年11月27日ラングーン上空
部隊名 機種 パイロット 原因または交戦相手
459FS P-38 ジェイ・R・ハーラン大尉 行方不明 64戦隊一式戦(黒江大尉機)
530FBS P-51 E・Eブリッグス中尉 戦死 64戦隊一式戦(黒江大尉機)
530FBS P-51 E・Fウィルマー中尉 捕虜 64戦隊一式戦(黒江大尉機)
530FBS P-51 J・Nグレイ中尉 行方不明 64戦隊一式戦(黒江大尉機)
ソース ビルマ航空戦上巻
こんぐらいだしてから書いてね。
まさか戦記ものの戦果正直に信じてないよね?
坂井@硫黄島は2回あるでしょう。 15対1の空戦(これは対戦相手が名乗り出てる) あとは特攻出撃で、撃墜したと もちろん、実際に落ちたかどうか激戦中の本人に確認できるわけもない。
まぁ、誰か海軍で検証本出してくれ 343空とかは肝心の空戦だけアメリカの記録が抜け落ちてるとか聞いたことあるけどw
なんてこった。 ここの連中は相手側の損害記録なんか見ないでパイロット申告をそのまんま信じるレベルだったのか。 軍板じゃ相手側の損害記録と照らし合わせるなんて常識だと思ってた。
>>972 まぁ落ち着けよwww
ここの板のみんなが笑ってるぜ
>>958 は武藤金義の紫電改1機で4機のF6F撃墜とか簡単に信じるレベルだろ。
あれすごいよなぁ。
下で見てた人がいたってのに実際1機も落としてないし武藤機1機でもなかったという。
しかも発言者は実際見てない又聞きの赤松さんw
>>972 墜っこちてく飛行機をいちいち追いかけていたら、自分が墜とされちゃうだろ?
損害記録とかそれ自体無意味じゃないのかな。
ロマンでいいじゃん、ロマンで。
んだんだ。 ハルトマンなんかどうやって一撃離脱なのに最後まで見てられたのよ。 絶対水増しされてるぜ。 日本だけぶいぶい言われるのはナンセンス。 F6Fの日本機5000機撃墜はどーなるんだと。
>>972 俺はよく分からないんで詳しい事頼みますよw
なんだよ、せっかく宮崎さんとか谷水さんの話とか出て面白くなってきたのに 坂井さんとか今更もういいよ
>>972 でもな、激戦に参加して列機を一度も失っていないのは
坂井小隊だけ。アンチ坂井もここだけは叩きようがない。
今の時代、赤松氏や岩本、坂井氏あたりの話は伝説でいいじゃん。 宮本武蔵とかと一緒だよ。
赤松さんの75機、檜さんの100機のP-51相手に撃墜したパイロット名はわかってるのにサブちゃんだけ不明。 坂井サンちょっと調子にのっちゃったね。 B-17も他人の戦果だし。
戦闘中に、きちんと列機が付いて来られるような機動が出来るから、 そこが坂井氏のスゴいところじゃないかと自分は思う。
でもさ、初めて「大空のサムライ」読んだ時、本当に引き込まれたよ。 それでいいんじゃないのかな〜坂井氏の本は。 ゴーストとかそういうのはどうでもいい。
>>982 その日の活躍は「ああ、隼戦闘隊」にも載ってるんだけど、どうせ誇張だろって長いこと思ってたら
ビルマ航空戦で米軍の損害記録とピタリと一致してて驚いた。
>>985 防衛研究所辺りに直接出掛けて調べてくるのですか?
うらやましい…
>>968 じゃあ逆に、坂井氏が落としてないという証拠を示してもらおうか。
どうしてそこまでして坂井氏の事を貶めようとするんだ?
坂井氏も谷水氏もスゴかったで良いじゃん。
ところで、ご存命の方で著名な搭乗員って誰がいるかな?小町氏は健在だよね?
>>984 それでいい。
なにしろゴーストライダー(霊戦乗り)だからw
ビルマみたいな特殊な戦場と海上での戦闘を同列視している時点で軍板素人確定。
坂井の落としたので確実なのってスピットと間違えたP-39とドーントレスとサザーランドのF4Fと開戦日のP-40だけ?
>>992 いちいち面倒くさい人だね。
自分用のスレでも立てたら?
坂井の硫黄島一回戦目なんてなんもしてないだろ。 上空にいた武藤たちはF6Fに奇襲入れて撃墜した可能性はあるかもしれんが下にいた坂井たちはまともに戦うこともできず悔しがってただろ。
そういや硫黄島の戦闘は空襲の情報が来たのに出撃命令をなかなか出さずに手遅れになったんだよな。 戦犯レベルだな司令。
ご存命の人はかなりおられるがご健在となると数えるほどになってしまった。 有名になった搭乗員も、たいていの人が戦後、本が出て、臨場感たっぷりに書いてくれるライターに恵まれて、それで有名になっただけで、当時の評価ではONE OF THEMに過ぎない人も多いよ。 小高さんも川戸さんも、当時の括りでは元気な「ジャク」だしね。 川戸さんは命令されたのと別の方角に飛んで捕虜になったせいで、批判する人はけっこういた。小高さんも事業に失敗してからは寂しい御最期だったよ。 ゴーストライターが書いたからって本の値打ちが下がるものではないけれど、読んで面白いのと資料として価値があるのも別の話だから・・・。 特に昭和20年代から40年代に書かれた本は、あとから戦闘行動調書やらで調べられることになるとは露知らず書かれたせいか、史実という意味では比較的アバウトな記述のものが多い気がする。 本の営業政策上、作られた撃墜機数も存在するから。 ご存命の人に迷惑がかかっちゃいけないから、名前を出すのは遠慮するけど、本を出していない人の中にも本当にスゴイ人はいると思うよ。 あと、市販されていない私家版の本にいいのが多いような気がする。
997 :
名無し三等兵 :2009/04/25(土) 02:49:49 ID:w26/RazT
市販化されてない本ってどんなのがあるの?むっちゃ気になる
市販されてない本をどこで読むの?
1001 :
1001 :
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