1 :
名無し三等兵:
非合理性・精神主義などが指摘され、日本を破滅へと導いた日本軍にも、
合理的・客観的思考を持った「良識派」と呼ばれる軍人が少数ながら存在しました。
陸軍:栗林忠道、今村均など
海軍:山本五十六、米内光政、井上成美など
これら良識派軍人のエピソード、功績、そして限界を語っていきましょう。
(注意)これらの軍人を全面的に賛美するスレではありません。
2 :
名無し三等兵:2008/01/16(水) 21:05:29 ID:???
キスカ撤退の海軍の司令官(名前忘れた)
そのキスカ撤退を大本営に認めさせた陸軍の樋口(だっけ?)
このへんも良い。
3 :
名無し三等兵:2008/01/16(水) 21:14:20 ID:???
>>1 ちょっと前の某新聞のコラム読んでスレ立てた口だろ?
4 :
名無し三等兵:2008/01/16(水) 21:35:31 ID:???
「日本人全員に責任がある」「あの時代、みんなが戦争という空気だった」
これらは戦後、開戦派だった奴らが自分たちの責任をごまかすために必死に
作ったウソです。
最近、責任をごまかして太平洋戦争を肯定するために再びこのウソを言う人がいます。
悪人を肯定するために、良心を持っていた軍人をけなすのは許せない。
今村均と牟田口廉也が同罪だと言うのでしょうか?
戦争を防ごうとした軍人の功績を忘れてはならないと思います。
5 :
名無し三等兵:2008/01/16(水) 21:53:03 ID:???
>>2 海軍の木村昌福(まさとみ)中将と、陸軍の樋口季一郎中将ですね。まさに
良識派の軍人です。
特に樋口中将は満州で亡命ユダヤ人の入国を許可して援助し、「イスラエル建国功労者」
に選ばれています。動機は諸説ありますが、賞賛されるべき行為だと思います。
また終戦直後にはソ連軍の不法な千島列島攻撃を、圧倒的に少ない兵力で防衛し、
北海道をスターリンの手から救いました。
2人とも戦闘指揮にも優れ、実戦でも数々の戦果を上げています。「良識」は
「合理的思考」につながるため、軍事的指導でも効果を上げるのでしょう。
6 :
名無し三等兵:2008/01/16(水) 21:57:39 ID:???
>>2 キスカ現地の司令官は峯木十一郎少将。
後に中将昇進、樺太の防衛を指揮してシベリアに抑留。
この将軍、キスカでも最後に撤退、樺太でも逃げずに留まった。
7 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 01:06:56 ID:+7cPhmuT
今村均 1886-1968 陸軍大将
宮城県仙台市出身。陸大を首席で卒業。中国戦線で活躍し、太平洋戦争ではジャワ攻略を指揮、
わずか9日間で10万のイギリス・オランダ軍を降伏させる。
ジャワでの今村の軍政は素晴らしいものだった。徹底して現地住民を保護し、略奪や強制労働を
一切許さない。スカルノらオランダに捕らわれた独立運動の指導者を解放し運動を援助。
さらに石油施設を復旧して石油価格を半額とするなど、治安回復と経済復興を進めた。
その頃日本国内では衣料品が不足し始め、政府はジャワの白木綿の大量輸入を打診。
しかし今村は「現地住民の生活を圧迫する。また埋葬にも使用されるため宗教心も傷つける」と拒否。
当時、他の日本軍占領地では現地住民からの収奪・強制労働による強圧的支配が行われており、
大本営・軍中央も今村の占領統治を「生ぬるい」と批判。しかし政府が現地調査すると
治安・経済復興・軍事物資調達などジャワが際立って高い成果を上げている。
結局「日本型官僚組織」である陸軍部内では疎まれ解任、ニューブリテン島のラバウルに着任する。
しかし、ラバウルでの今村の指揮もまた、特筆すべきものだった。
今村はラバウルもいずれ孤立し、補給が続かないことを予見。自給自足を可能とするため島内に
大量の田畑をつくり、将軍自らも耕し汗を流した。
また米軍の空襲・上陸に対抗するため全島に堅固な地下要塞を建設。
そのあまりの堅固さにマッカーサー以下米軍司令部もニューブリテン攻略を
あきらめ、飛び石作戦により孤立させる作戦を採った。しかし今村の指示により
自給自足を可能としていたラバウルでは十分な食糧を備蓄しており、終戦まで
日本軍が保持することができた。
8 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 01:24:16 ID:+7cPhmuT
終戦後の今村の行動も賞賛すべきものだった。軍法会議にかけられた今村は
オーストラリア軍の裁判では不当な報復感情により死刑にされかけたが、現地住民の
証言などにより禁固10年となる。さらにオランダ軍の裁判では無罪となる。
裁判中の今村のもとにインドネシア独立運動家が現れ、「あなたが死刑になったら独立運動軍が
あなたを奪い返します」と告げたが、今村は「気持ちはありがたいが自分のために独立軍とオランダ軍が
交戦するのは忍びない。もしそれで生き残っても恥である」と述べた。
東京・巣鴨で服役した今村だったが、かつての部下が劣悪な環境の南方の収容所で服役していることを知ると、
自らマッカーサーに直訴してマヌス島収容所への入所を希望。マッカーサーは後に
「私は真の武士道に触れた」と語っている。
マヌス島では憎悪に燃えるオーストラリア兵による旧日本兵への虐待が行われていたが、
今村がつくとかつての部下が感動したのはもちろん、オーストラリア兵までが今村の人柄に
動かされ扱いが改善。さらに現地住民にも慕われた。
刑期満了により帰国後も自宅に小さな謹慎小屋を建ててこもり、戦争の反省と回想録の執筆に
没頭した。その印税収入はすべてかつての部下や遺族の援助に費やした。
1968年10月4日没、享年82歳。
日本が世界に誇れる数少ない昭和の軍人だろう。
9 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 01:34:28 ID:???
陸軍のニューギニア司令官の安達って人の評価はどう?
愛の統帥って呼ばれて将兵には慕われたみたいだけど
10 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 02:02:53 ID:???
個人的には渡辺錠太郎さんが二・二六事件で暗殺されてなければ・・・なんて思ったりする。
11 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 02:03:32 ID:???
安達中将の統率力ある人でしたね
オススメの本があったら教えてほしいですね
ニューギニア戦線は
鈴木軍医の本は読みました
前レスの樋口中将の流氷の海?は読みました
あと漏れは中国戦線拡大に反対した
多田中将(当時参謀本部次長)や高嶋少将が
良識ある人だと思います
良識ある人が省部から外されのが釈然としない
東條大将や杉山元帥の代わりに
梅津大将が人事の実権を握っていたら
もう少し政治的な動きもあったかもと
妄想したりします
12 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 06:53:25 ID:???
大井も女役か
13 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 10:45:21 ID:???
高木そうきちは?
14 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:01:14 ID:Qg9G4+Ql
日本軍という硬直した官僚組織では、良識派は孤立しました。
陸軍でいえば栗林のような見識のある人物が主流となれず、東條や杉山のような
官僚的狡猾さを持った小人物が登り詰めるのです。
15 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:05:00 ID:fu47MFZj
敢えてつじーんの評価が気になるなこのスレのw
16 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:14:51 ID:???
末期にあのご時世であれだけ合理的な戦いかたを組み立てた
芙蓉部隊、美濃部少佐のプロジェクトマネジメント能力も
すばらしい。戦争末期のあの状況で合理性を最大限に発揮しつつも
徹底的に戦う、あれこそ本物の軍人、陸軍の栗林に匹敵する
良識派だと思います。
辻〜ンは駄目よw 戦争初期、フィリピンの次点でアウト。
17 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:27:35 ID:fu47MFZj
18 :
名無し三等兵:2008/01/17(木) 22:51:48 ID:8DN73M6t
駐スウェーデン公使館付武官小野寺信少将
彼ほど優秀な情報収集者はそうは居なかった
19 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 00:01:51 ID:???
高木惣吉 海軍少将
阿川三部作での逸話。高木の著作に「高木斬るべし」と書いてあったらしい。
戦後、高木が海軍の問題点を暴いていたから、という論旨で書いてあったと記憶しているが
深読みすれば「斬るべし」を書いた人は戦前に末次信正に傾倒して威勢の良い事を言っていた
高木の事大主義を糾弾している言葉ともとれる。小説のエピソードなので微妙な話だ。
新見政一 海軍中将
「がっちり艦隊決戦」ではなく「がっちり海上護衛戦」をいちはやく叫んだ人。
だが押しが弱かった?のか井上成美に献策を潰されてしまう。
当然ながら阿川三部作には登場しない。
八原博通 陸軍大佐
宇垣軍縮で原隊の連隊が解散してしまい将校団の上下の結び付きが断ち切られてしまったのも
この人が孤立した原因の1つではないだろうか。とても不幸な人だと思う。
空気を無視して合理的な判断をするのは社会的に危険だという実例。尊敬は出来るのだが…
小畑信良 陸軍少将
専攻が輜重なのに陸大卒という当時では珍しい人。この人も不幸度は高い。
この人も空気を読まずに「がっちり印度」に真面目に反対した結果が…
20 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 02:16:57 ID:???
高木少将については戦前は
石川少将あたりと組んでたみたいで
そこのところはどうですかね?
美濃部少佐は戦後も部下から神のように慕われようですね
本部参謀と公の会議で議論するほどの人物
この方は戦後は自衛隊ですか?
21 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 02:21:18 ID:???
あと東部軍司令官の
田中静壱大将はどうなんでしょうか
なかなかの人物だったらしいですが、
ビルマ戦線を率いた飯田大将はかなりの読書家
らしいですが
あまり逸話はありませんね
22 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 02:28:22 ID:???
守屋次官みたいなタイプは
日本のどの時代でも中枢を歩いていき
見識を持つ人物は中枢から
排除されてしまう官僚組織なんでしょうね
渡辺大将が殺されずに暫く人事を握っていれば
統制派にあそまでの専横を許さず
良識派があそこまで排除されることはなかったと思います
23 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 03:25:52 ID:???
>>21 田中大将、終戦時に皇居で乱れた近衛師団を制圧した人だっけ?
良い働きでした。
24 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 15:03:21 ID:???
>>21 飯田大将はインド侵攻に反対した常識人かと。
これは大事なことです。
25 :
名無し三等兵:2008/01/18(金) 21:07:43 ID:???
良識派軍人は実戦指揮でも大きな戦果をあげている場合が多い。
合理的思考は合理的戦術思想に結びつくから、実戦でも生かされるんだろう。
逆に東條や牟田口は戦闘指揮も下手糞。日本軍お得意の精神主義による独善に
陥ってるから、自軍も敵軍も性格に分析できず、「大和魂」とか叫んで負ける。
このスレに出てくるような軍人ばかりなら大日本帝国の進む方向も違ったんだろうが、
残念ながらこういうまともな神経を持った人々が組織の中枢に上がれないのが
今も昔も日本という国の欠点だ。
26 :
21:2008/01/19(土) 01:37:35 ID:???
>>23 そうですね
師団長殺害後、よく部隊を掌握して
反乱の目を早期につぶします
皇居に乱入されたのは自分の罪として
後日自害されました
田中大将は駐米武官だったかな?
駐英米系はことごとく中央から排除されてますね
第一次大戦の勝国なのに
何故、米英が勝ったのかも
陸軍では検証されてない気がして呆れます
27 :
21:2008/01/19(土) 01:47:03 ID:???
駐英系では本間さんが有名ですが
戦後、吉田茂のアドバイザー的な立場だった
辰巳中将もいますね
この人は児童の田舎への疎開に尽力したそうです
東條あたりの全国民が戦闘員的な考え
つまり学童疎開など士気が落ちるとの陸軍から
相当のプレッシャーがあったらしいですが
戦後のことを考え
文部省の気骨ある役人と
ともに断固として実施されたそうです
理知的な軍人の一人だと思われます
28 :
21:2008/01/19(土) 01:54:09 ID:???
>>24 飯田大将はインド侵攻に反対してたのですか
それは賢明な判断される方ですね
開戦時にタイの中立維持のため
中央の強行策の実施の催促にもかかわらず
慎重に交渉を重ね
中立維持に貢献されたとは聞きましたが
インドのことも含め
大局的な判断をする方のようですね
飯田大将はビルマの後は予備役ですかね?
中央の人事はほんとに
どうかしてますな
29 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 02:11:53 ID:???
相変わらず陸軍の連中はやることがマキャベリックでいかん。
戦争負けて良識も糞もあるか。
「良識派軍人?」 そんな事を言っている陸軍がダメなんだ。>1
海軍まで巻き込むな。 大体海軍は艦隊派と条約派で分裂していた
陸軍は皇道派と統制派で二分。
今村さんはどっちだったかな。
栗林さんは?
陸軍将官はその辺りを考えないとダメだよ。
その行動があくまでも個人的な良識に付随しているだけの場合も多い。
牟田口の部下、佐藤幸徳はどうだったかな?
軍人を良識とか言う基準で論じること自体、彼らは戦争になっても
平時の良識を忘れませんでした程度の美談にしかならないことを刻めよ。
30 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 02:57:14 ID:???
派閥なんて省部内での権力争いの側面多いでしょ
それで判断しようとするのは
あまり理知的でないでし
派閥から超然として
自らの哲学のもと
軍人として与えられた職務を行い
その結果が説得力あるものが
良識ある軍人だと思うけどね
31 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 11:48:16 ID:???
>>29 アホか。
あの狂った時代、しかも日本軍の幹部という立場にあって、自らの良心に従い、
(敵を含め)1人でも多くの人間の生命を救おうと、できる限り良識ある行動を
とろうとした軍人たちの偉大さが分からんのか?
派閥の有力者にゴマをする方が有利なのに、あえて中央の方針に逆らうことが
どれほど勇気のいることか想像できないのか?
「結局戦争に負けたから同じこと」「戦時に平時の良識を忘れなかった程度の話」
こんなことを言う奴が同じ日本人とは情けない。
32 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 12:04:45 ID:???
>>21氏
田中静壱大将、辰巳栄一中将、飯田祥二郎中将
素晴らしい将軍たちをご紹介いただき感謝します。一般レベルでは知られていませんが、
こんな良識ある人々がいたとは。
それにしても、東條のようなセコい小人物が実権を握り、駐英米系の良心ある人々は
中央からは遠ざけられる。しかも良識ある行動に圧力を加えてくる。
現代の日本の官僚組織にも通じるものがありますね。
33 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 12:21:44 ID:???
>>22 渡辺錠太郎大将は、まさに良識派そのものですね。
ドイツ・オランダ駐在経験もあり、ヨーロッパ流のリベラル思想の持ち主でした。
教養人で給料の大半を丸善書店に支払にあてていたといわれたほど。
天皇機関説を擁護したとも言われ、その自由主義的な発想や発言が過激派の
青年将校たちを刺激し、2.26事件で命を落とすことにつながってしまいました。
34 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 23:27:54 ID:???
米内光政は歴史の教科書に大きく載せられ日本人が永く記憶すべき人物だと思います
個人的には石原莞爾も好きですね
35 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 04:09:30 ID:1EpxkKxC
軍人は基本的にプラグマティズム。
戦争目的も定めず、戦争を行うのは只の狂信者。金儲け上手い連中は戦争も上手い。
真にアジアの理想の為に戦っていれば、現状は全く違うモノに…。
12歳の子供に戦争は無理だ。
36 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 11:15:24 ID:???
>>32 東條閣下は大東亜の欧米植民地からの解放という大義を夢見て敗れたのであって、
東亜の人民に対してはなんら恥じることはない。
貴様は左翼戦後史観に毒されているだけではないのか?
37 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 13:10:28 ID:vdYTKg5J
武藤章は?
38 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 13:34:43 ID:???
武藤に関してはよくわからんよね
中国に対しては積極的だった点、つまり簡単に処理ができると考えたところは
彼の汚点であるね
しかしながら自らの考えた間違いであったことは認めているようだし、
開戦の最後の局面で非戦に努力したり、
東條の今村大将への批判も暗に今村大将を支持しているところもある
最後は疎んじられて
外に出されたわけだね
理知的な判断ができる人物であったと思う
若いときにもう少しそれがあれば
評価もかなり違った人物づしょうね
39 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 13:58:20 ID:???
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。」
扶桑社刊 『父が子に教える大東亜戦争』から
40 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 14:00:48 ID:???
>>39 左翼の一方的批判も擁護派のメチャクチャな屁理屈もどっちもウザ
バランス感覚のない奴は何やってもだめっていうことを端的に表してるね。
41 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 15:01:24 ID:???
『海軍の選択』相澤淳 中央叢書2002年12月10日初版
この本を利用して米内光政を貶そうと思えば出来なくは無い。
海南島占領計画
中原義正が計画→永野海相は「英米仏を刺激すること大」という理由で却下。130-131頁
草鹿龍之介は純粋な作戦という名目で陸軍の同意を取る→米内海相は蒋援ルートの遮断
という大義名分で許可。 135-140頁
「トンデモ永野でさえ却下したのに米内は承認した、けしからん!」と煽る事も可能だが、そんな単純な話ではない。
だが一部の人が夢見る「米内光政は英米協調路線でエライ人」というのも話がオカシイと思う。
>40
昔からあるネタだ、釣られてどうする。似たタイトルの別な本は存在する。
42 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 19:30:51 ID:A9dBGgDx
辻ーん&服部のコンビは正当化できそう?
43 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 20:43:44 ID:JD6M8L/c
宮崎繁三郎は?
44 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 21:10:35 ID:zfNZCNk3
山本五十六が人気があるのは、戦争の阻止と戦争の指揮の両方に
全力を尽くしたからだろう。阻止は出来ず、早期講和も出来なかった
けど。しかしそこには策はあった。博打に負けちゃったからダメだった
(ミッドウェイ)けど、策のある軍人は少なかった。
45 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 00:35:26 ID:???
まともな神経を持った軍人を探していると、逆にとんでもない軍人のひどさが目立ってくる。
三国同盟に賛成し、中国戦線を無計画に拡大し、日米開戦を推し進め、開戦後は前線にも行かず、
又は戦況が悪化すると将兵を見捨てて逃げ帰る。
将兵には「捕虜になるな、自決しろ」と命令しながら自分は怖くて死ねずに連合軍に逮捕され、
処刑された連中を、国のために勇敢に戦って戦死した英霊と一緒に祀るのが理解できない。
中韓や左翼に配慮してではなく、臆病者・卑怯者を合祀するのは間違いだ。
46 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 01:37:39 ID:???
米内大将については
対中積極的な考えもありそうで
評価が高すぎる面もあるね
海軍の人材であることは認めるけれどね
47 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 01:45:46 ID:???
上海事変のときノリノリだったからなあ
48 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 01:53:01 ID:???
まず親独、対中積極派がミスリードしたと思うんよ
特に中国政策に戦略なく
我も我もと戦闘を行い、
自らの名をあげ出世に利用とした輩はどうしようもない
その中でも陸軍中枢内にあって対中政策の見直しを主張した
多田中将(参謀次長)と高嶋少将の意見が押さえられたのは残念だね
ここが日米戦の回避のターニングポイントと思う
しかし対中戦の責任とりたくない輩がつぶした
彼らの責任回避の姿勢が泥沼にはまり
対米戦まで行ってしまう
49 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 02:37:29 ID:???
海軍では橋本少将の話があります
ガ島から撤退するとき
三次に分ける計画がされた
しかし最後の三次については
海軍ではもう駆逐艦での支援はないことになりそうになり
撤退するために支援上陸させた部隊すら放置される情勢になりつつあるところ
陸軍の井本参謀の懇請に断固として実施すると答え
見事な撤退戦を指揮されました
50 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 13:39:13 ID:???
将官ではありませんがルンガ沖航空戦で戦死された
宮野善治郎大尉はアリューシャン作戦に向かう空母隼鷹の艦上で上官に
「墜としても墜としても敵はすぐ次の飛行機をすぐ持ってくるのに
こっちは内地に帰らないと補充がない、こんなことで勝てますか?」という意味のことを質されていたそうですね
日記には
「・・・支那を侮ってはいけない、事変が長期化すれば熱しやすく冷めやすい国民が
果たしてこの総力戦を戦いぬくことができるか・・・」
疑問を持ちつつも自身の持ち場できちんと自身の役割をこなした
こういう軍人がほかにも数多くいたことでしょう、賛美はしませんが、敬礼します
51 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 20:00:47 ID:???
大元帥陛下も支那の泥沼化には懸念を表されていた。
特に杉山元の都合の良い観測には常に不快感をあらわにされていた。
しかし、軍を統帥する神なのに「大陸に深入りするな」と命令できないのが
日本軍の不思議。
52 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 20:21:46 ID:???
サイパンでしたか、増援を送ることをしぶしぶ承認なさるときに
「弾薬や食糧は充分あるんだろうね!?」と仰せられたといいますね、大元帥陛下は
53 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 21:25:26 ID:???
54 :
21:2008/01/22(火) 02:00:21 ID:???
>>50 宮野大尉のことサンクス
母校の先輩でした。
本もあるようですので
読んでみたいと
率先垂範して冷静温厚な方として伝わっている方ですね
最前線で自ら戦うことで
机上で作戦を考えるのみの参謀へいろいろ思うことが
あったかもしれませんね
美濃部少佐とも通じるところですかね
55 :
名無し三等兵:2008/01/22(火) 04:09:13 ID:???
東條英機が「人間のクズ」であることを示すこれだけの証拠
(1)
戦時中、批判的な記事を書いた毎日新聞記者を二等兵として招集し、
37歳という高齢にも関わらず、硫黄島へ送ろうとした。
(2)
逓信省工務局長の松前重義が、東条反対派の東久邇宮に接近したために、
報復措置として彼を召集し、43歳という高齢にもかかわらず、南方戦線に送った。
(3)
陸軍内の反東条派だった前田利為を、報復措置として南方戦線に送った。
彼は、搭乗機を撃墜されて死亡したが、東條はわざわざこれを戦死ではなく戦傷病死扱いにして遺族の年金を減額した。
(4)
東條政府打倒のために重臣グループなどと接触を続けた衆議院議員・中野正剛に対して、いちゃもんを付けて強引に検挙。
中野は釈放後、陸軍に入隊していた子息の「安全」と引きかえに、憲兵隊の監視下で自殺に追い込まれた。
(5)
また中野を容疑不十分で釈放した43歳の中村登音担当検事には、その報復として召集令状が届いた。
56 :
名無し三等兵:2008/01/22(火) 14:59:14 ID:???
>>25 >良識派軍人は実戦指揮でも大きな戦果をあげている場合が多い。
>逆に東條や牟田口は戦闘指揮も下手糞。
この分類はそうでもない。
絶対に良識派に入らないであろう軍人が左遷されて実戦をやると、
意外なほど強いということがある。
東條も実戦指揮は強引だが見事。
57 :
名無し三等兵:2008/01/22(火) 15:01:55 ID:???
>>33 >渡辺錠太郎大将は、まさに良識派そのものですね。
良識派、教養人でありながら、
最後は反乱軍に果敢にピストルで応戦して壮絶な「戦死」をされたとか。
胸の痛むことです。
58 :
名無し三等兵:2008/01/24(木) 02:53:56 ID:???
最後の陸相の下村氏も
案外知られてませんね
また遠藤中将も下村氏と
同じく最優秀の成績で
陸大卒業だったと記憶してるんですが
その割りには中枢では影が薄い
下村氏は参謀本部勤務も
あるけどすぐ転出のはず
上から使い易い官僚タイプが残るのかな
遠藤氏は戦後反戦派で
いろいろあったようですが
59 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 00:10:25 ID:7e1oG107
矢張りなかなかスレが伸びぬということは
それだけ我が軍に良識派軍人が少ないということであろうか
兎も角(略
60 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 00:25:49 ID:???
>>1 日本海軍か日本陸軍だかにいた
レイテ作戦中に、
勲章を毟りとり
自ら攻撃機に乗って米艦隊に特攻した将校。
61 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 00:30:24 ID:???
有馬正文少将ですね
62 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 00:34:32 ID:???
有馬正文が良識派かぁ?
63 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 00:42:19 ID:???
>>62 良識派つーより、
多くの兵士を絶対に勝てないのがわかりきった
死地に送り込んでいながら
太平洋戦争敗戦後、
責任も取らずにのうのうと過ごしていた
某辻みたいなクソ将校よりはよっぽどマシだろ。
有馬 正文海軍中将の人物像
海軍兵学校卒業前後に実家が破産して苦労を強いられたとも言う。
海軍将校では珍しく後輩や部下に対しても低姿勢で決して殴ったり高圧的態度な
どをとるようなことのない常に温厚な人物だったそうである。
兵や部下に対して「お疲れ様です」「お早う御座います」と丁寧な言葉使いで接し、
未だ帰還しない艦載機の為に艦の危険を顧みずサーチライトの照射を命じ自ら
も双眼鏡を抱えて艦橋を離れなかった、
最後の出撃時には階級章を外し双眼鏡に刻まれた司令官の文字を短刀で削り取って出撃した。
64 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 08:10:22 ID:xr7eXzW0
山下閣下はまだ?
65 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 09:34:25 ID:???
兵はともかく翔鶴の搭乗員たちにはさまざまな意見があるようですね、有馬少将は
祖父の戦友だったという方からうかがったことがあります
良い方ではあるが武人としてはどうか、航空戦というものを理解されてなかったのではないか、と
自艦をいたずらに突出させようとしたり、航空機を積極的に使うのをためらったりする場面があったそうです
部下思いからくるものでしょうが、大局からものごとを判断することを忘れがちだったのではないか、ともおっしゃってました
また司令官自身が突入されたことについては腹立たしいことだとおっしゃってました
腰抜けの士官が多いなかで御自身の決意を貫かれた姿勢は立派でも
有馬少将のような良い指揮官が先に行くことはないのに、と戦後つくづく思ったということでした
自分のオヤジを失ったような気がしました、と泣きながらおっしゃっておられたこの方も鬼籍に入られました
66 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 10:16:54 ID:???
この話を陸軍側から見ると、陸軍の参謀を同行させるのを拒否して
口先だけ威勢の良いことを言っていて信用ならないと言われてるんだがな
67 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 11:16:21 ID:???
68 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 11:29:39 ID:???
下村定は石原の後を継ぐと、渋る多田次長を押し切って南京攻撃を決定
関東軍参謀副長の今村均は支那事変積極拡大派
69 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 17:00:59 ID:???
良識派って別に英米寄りのやつのことじゃないよな?
70 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 21:54:22 ID:???
そらそうよ
71 :
名無し三等兵:2008/01/30(水) 22:54:52 ID:???
>>31 アホはそのままお返しする。
>あの狂った時代、
別に軍人だけが狂っていたわけでもないぞ。
それに狂った時代というが何がどう狂っていたんだ?
私には国民含めて熱に浮かされていた時代としか思えない。
狂っていたのは一部の陸軍軍人と海軍軍人、そして政府の連中
>しかも日本軍の幹部という立場にあって、自らの良心に従い、
>(敵を含め)1人でも多くの人間の生命を救おうと、
作戦は敵軍の殲滅だが……?政治的な立場と軍人としての職務を、
混同し行動すること大であった陸軍ならではの思考だな。
国際法云々はとりあえずおくが。
>できる限り良識ある行動をとろうとした軍人たちの偉大さが分からんのか?
何のモノサシ規準で良識ある行動をしたかが不明、決断力の偉大さは理解しているがな。
だから、軍人が政治に介入して口出ししていることを問題にしたいんだ。
そこがそもそもの間違いの始まり。そしてその良識ある行動って何?
良識的に行動したから部下に戦後にまで慕われた?そう言うレベルでは作戦で命令は下せないよ。
優秀なる指揮官の資質に良識という「平時におけるモラル」を加えるなら、もうちょっと説得力のある論議が居ると思いますよ。
>あえて中央の方針に逆らうことが
>どれほど勇気のいることか想像できないのか?
出来るよ、佐藤師団長の明断は素晴らしい、しかしそれは良識での判断ではない
作戦上における兵站途絶、戦闘能力の喪失に寄って導かれる撤退を決断したことが明断
別に良識があろうがなかろうが出来るし、良識の範疇にもはいらない。
>「結局戦争に負けたから同じこと」
誰も言って無いって
>「戦時に平時の良識を忘れなかった程度の話」
だからその「平時の良識」とは何?
>こんなことを言う奴が同じ日本人とは情けない。
戦前一杯居たな、こう言う事を言う右翼さんがw
72 :
名無し三等兵:2008/01/31(木) 01:02:13 ID:???
軍人が政治に口出したことは
当時の考えからするとどうなんだろね
漏れはむしろ統帥権独立のもとに
政治からの聖域をつくってしまったことが問題だと思ってる
73 :
名無し三等兵:2008/01/31(木) 03:57:00 ID:???
軍の問題というよりそれだけ政治がダメだったってことだろうな。
このまま国民の平均年収が60万とかになっても政治家が自己保身利益誘導ばっかやってたら
国民は超法規的な勢力でも最後の希望みたいに支持するだろう。
74 :
名無し三等兵:2008/01/31(木) 04:40:12 ID:???
>>73 同意、政治家が壊滅的にダメ、
党同士の争いが軍に付け入る隙を与えた点も考慮すべきかな。
>国民は超法規的な勢力でも最後の希望みたいに支持
実際、それに近い状態だったかもしれませんね。
>>72 >当時の考えからするとどうなんだろね
陸海軍両方で似た様な感じだと思います。
政治に口を出すのは海軍大臣のみという統制下に置かれたのは
米内=山本=井上ラインの体制においてで、それ以前の海軍は、
ワシントン条約やロンドン条約における軍縮で、艦隊派が統帥権を持ち出し
悪しき前例を作ったのは有名です。
統帥権を盾に最初に政治的に動き利用したのは海軍艦隊派だったわけで。
で、一方の陸軍は、中央部は比較的穏健だった気がします(昭和初頭)
田中義一は別にしても、ひたすら暴走していたのは、関東軍とその周辺の派遣軍で
陸軍首脳はそれを押さえず、むしろそれを利用し、統制派と皇道派に派閥争いに利用しています。
国民は、そう言う陸海軍を観て、浮き世に光る星(陸)と碇(海)とか言ってますし。
75 :
名無し三等兵:2008/01/31(木) 04:40:53 ID:???
>漏れはむしろ統帥権独立のもとに
>政治からの聖域をつくってしまったことが問題だと思ってる
大日本帝国憲法下における政府システムの問題がそれに拍車を掛けた様な気もします。
天皇
||
/ \
政府(行政府) \
大本営
| |
陸 海
これでは、政府は天皇に政治を委任されているにもかかわらず
軍は、天皇=大本営の下に存在する独立機関の様な感じになります。
政府大本営連絡会議とか出来たのもその為かと。
それが、一部の将校が目を付け、保身を図ろうとする政治家や、
徒党を組む軍閥の寸劇を縫って、権力をかすめ取っていった末が
あの状況であったと理解しています。
左官クラスの少壮幹部がそうそう政治力を一度で取れるわけではなく
昭和初年度からの政治不安に乗じて少しずつ力を付けていったと考えるべきかと
そして、国民にその監視する力もなかったっと(治安維持法がありますしねぇ)
76 :
名無し三等兵:2008/01/31(木) 10:38:23 ID:???
政治がダメダメだった頃の日本て陸軍は貧困層救済にある種の成果あげてたんだよ
医者もろくにいないような田舎や極貧層を切り捨ててたが
陸軍が栄養対策や健康改善を打ち出したり陸軍に入れば十分な飯が食えたり、
出身地に関係なく地縁者に発言権がある者がいるので
政治家より陸軍のほうが評価が高かった。まあ当たり前の話。
77 :
名無し三等兵:2008/02/01(金) 16:41:49 ID:???
つか、徴兵検査で合格すれば、まずは陸軍だからな、親近感はあったんだろうな。
78 :
名無し三等兵:2008/02/02(土) 18:04:34 ID:CL/opi5L
高松宮宣仁(のぶひと)親王(1905〜1987)
大正天皇の第3皇子。昭和天皇の弟。最終階級は海軍大佐。海軍兵学校出身(52期)。
開戦当初から一貫して和平を唱え、米内光政や吉田茂と結び和平工作を行う。
戦局が悪化すると高木惣吉海軍少将や神重徳海軍大佐とはかり、戦争を推し進める
東條英機首相の暗殺さえ検討した。
三笠宮崇仁(たかひと)親王(1915〜)
大正天皇の第4皇子。昭和天皇の末弟。最終階級は陸軍少佐。陸士・陸軍騎兵学校・陸大卒。
太平洋戦争中は身分を秘匿して支那派遣軍総司令部に勤務。現地で日本軍の中国人に対する
残忍な行為に衝撃を受け、激しく非難。帰国後は終戦工作を模索し、東條内閣打倒クーデターを
計画する。
戦後も建国記念の日に反対し、現在の皇室制度の批判など自由主義・民主主義的発言を続け、
右翼の反発を受ける。別名「民主的な宮様」「赤い宮様」。
79 :
名無し三等兵:2008/02/03(日) 00:51:35 ID:???
>>74 >ひたすら暴走していたのは、関東軍とその周辺の派遣軍で
とにかくこれがひどい。天皇の命令すら無視した暴走で、勝手に部隊を進める。そして東京の
参謀本部がそれを追認していく。その結果、後戻りのできないところまで突き進んでしまった。
関東軍や支那派遣軍の現地司令官たちは基地害か?作戦指令ではっきり進撃ラインを指定しているのに、
それを無視して数個師団の大軍を進撃させたんだから。しかし誰も責任を取りたくないから不問になる。
現在も続く日本の官僚組織特有の無責任体質が悲劇を生んでしまった。
80 :
名無し三等兵:2008/02/03(日) 01:29:26 ID:???
>>78 正直内部にこんな工作してる皇族が居たら
勝てる戦も勝てなくなるよな
81 :
名無し三等兵:2008/02/03(日) 03:03:19 ID:???
てか勝てないと判断したから
工作したんだろ
82 :
名無し三等兵:2008/02/05(火) 01:37:28 ID:???
>>80 アホちゃうかw
負けることを予想して1人でも犠牲を減らすために皇族として努力したのは
賞賛すべき。惜しいのは大元帥陛下の周りには東條や杉山のような最悪の無能軍人が
取り巻き、正しい見識を伝えられなかったことだな。
83 :
名無し三等兵:2008/02/05(火) 01:57:19 ID:J87q3C7y
東條暗殺については
総理兼陸相兼参謀総長につき
これでは東條幕府として天皇の権威すら侵す懸念
があったかな
84 :
名無し三等兵:2008/02/05(火) 08:00:36 ID:???
>>83 軍が政治家に軍事情報を何にも知らせないから、その対策でしょ。>総理兼陸相兼参謀総長
ここまで兼任しても海軍の情報が入ってこない。
まあもちろんそうなってしまった責任の一端は東條にあるんだけどさ。
85 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 11:04:00 ID:U1UijEsh
しかし東條って和平派からここまで命を狙われるって、それだけ
戦争基地外だったんだなw
おまけに腹を撃って自殺未遂という軍人の風上にも置けぬ情けない官僚的小人物。
当時の日本では「同情を誘うための狂言では」と失笑を買ったそうだ。
86 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 17:55:43 ID:???
あんまり東条を悪く言わないでほしいんだが
開戦前は全力で戦争阻止に動いてた
戦争開戦したあとはもう勝つために全力つくすしかないでしょ
勝てればスターリンすら名将扱いされるんだから
東京裁判で戦後頑張ってくれたじゃないか
87 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 23:25:21 ID:???
東条ほど誤解されている軍人も珍しいかもしれませんね
88 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 23:58:01 ID:???
>>85 >>86 開戦前の太平洋戦争開戦推進派と、
マリアナ戦のころの反東條派はかなり重なる。
実は反東條派が和平派かどうかもあやしい。
それが証拠に東條内閣打倒が成功した後、
悲惨な戦闘をやりまくっても和平への動きはなかなかはじまらない。
あの神重徳も反東條派の重鎮なのさ。
89 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 00:18:15 ID:???
東条の再評価はあと50年必要と思ってたが
軍板でこれじゃあ・・再評価は永久に無理なのかもしれないなぁ
90 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 00:22:16 ID:???
>88 昭和帝は最後まで東條に信を置いてたな。
陛下本人も始まってしまったからには勝とうと全身全霊で打ち込んでたし…アホな部下が台無しにしまくってくれたけど…
(例・ソロモン海戦
軍令部「戦艦で飛行場を砲撃しました、大戦果です!」
陛下「うむ、しかし日露の初瀬・八島の例もある。
軍艦の対地攻撃はパターンを読まれて待ち伏せ喰らい易いぞ、気をつけろ!」
軍令部(まぁそりゃそうだが…今すぐ前線に警告するにも及ばないかな。後回し)
前線「比叡が待ち伏せで爆沈しました!」
陛下「…orz だから言っただろうが!」
…全てこの調子。勝てん)
91 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 01:31:09 ID:???
誤解も何も、100%死刑確実なのに自決もできない臆病者だろ。
降伏から進駐まで家でガクブル。ようやく自殺と思ったら「胸を撃って」未遂。
なぜ他の軍人のように頭を撃たない?おまけにアメリカに助けてもらい、刀まで
プレゼントした情けないやつだ。
自決すればそれでいいとは言わないが、何百万という将兵には「生きて虜囚の辱めを受けず」
と自決を強要しながら、自分は怖くて死ねなかった官僚的小人物。
こういうのを君側の奸というんだ。「忠狂」というが、ゴマすり上手だろ。
92 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 01:59:42 ID:???
>>91 考え方の違いだな
死ななかったことについて怒っているみたいだが
こっちはその後の東京裁判込みで評価してるからな
あんな公開イジメみたいな場でずっと最後の最後まで日本の正当性を訴え続けたんだぞ
93 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 02:29:07 ID:???
いや東京裁判はかえって帝国軍人の無知をさらけだしてるよ
国際法を全く知らないと
白状させられてるからね
あの裁判はある意味茶番だよ
歴史的な烙印を押されるように操作されてしまってる
94 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 03:32:31 ID:???
その茶番の場で日本の正当性を訴え続けることができるか?
処刑されることは100%解りきってる上で
俺だったらはっきりいってできない
ドイツの裁判も比較して見たら立派なもんだよ
ドイツ幹部は自己保身に走ってるのが多かったな
俺には間違っても東条を悪く言う気にはなれない
まぁ・・・評価されるのは永久にないだろうが・・
95 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 08:53:18 ID:???
アメリカとの戦争に反対した人は常識派。
軍人に良識があったら商売にならない。人殺し専門なんだから。
政治家に良識があればよい。良識ある政治家は思いつかない。
96 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 09:24:47 ID:???
>>95 人を救う専門でもある。
基本的には他国の軍を排し(殺し)て自国民を救うのが職務ではあるものの、
防衛戦争においてそれは緊急避難措置としてとるべきであると、
バイオエシックス等倫理学の専門家である人の意見もあるよ。
要するに死者を選択する権利さね。
ちなみにそれを言った人は世界的な枠組みを作った上での軍備漸減・廃止派。
アフガン・イラク反戦派だが憲法9条に対しては軍をなくすにせよ保持するにせよ、
解釈の幅が広すぎるということで廃止派やね。
私見だが、法を遵守し、その理念を出来うる限り守った戦争を行う努力をしているならばそれは良識と言うべきだろう。
まあ、そもそも戦前みたく軍部が独裁をはじめでもしなければ基本として
その人殺しのあらゆる意味での全責任は、政治家と国民にある。
現場で独断の虐殺や、国際法違反の作戦立案でもしない限りその国民であるという責任以外軍人が背負うことはないよ。
97 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 17:39:59 ID:7pGijERk
ハルノートを突きつけられた時点で開戦派は国益を考えたら常識派ではないだろうか。
開戦反対派なんて少数だし。
98 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 17:48:33 ID:???
>>97 ハルノートは真珠湾の直前なんですけど・・・
99 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 17:50:56 ID:???
もうすぐ100レスですが、今まで良識派として名前が上がった軍人です。
<陸軍>
栗林忠道、今村均、樋口季一郎、峯木十一郎、安達中将、鈴木軍医、多田中将、高嶋少将、
小野寺信、八原博通、小畑信良、田中静壱、飯田祥二郎、辰巳栄一、三笠宮崇仁親王
<海軍>
山本五十六、米内光政、井上成美、木村昌福、高木惣吉、新見政一、美濃部少佐、
渡辺錠太郎、橋本少将、宮野善治郎、高松宮宣仁親王
>>97 実は米にだんまりで真珠湾攻撃艦隊を出撃させた当日にハルノートが来てる。
向こうがこちらに誠意無しと見なして事実上の断交をしたと見ていいだろう。後は君らの仕事だと軍人に言う訳だよ、ハル長官。
ただ、いきなり真珠湾を不意打ちされるとはさすがに思ってなかったみたいだが。
>>93 東京裁判関係の専門書を読むといいさ。
東條に対して絶対有利の立場で尋問したのに、逆襲されて、
いいように翻弄されたキーナン(アメリカの検事)はダメポと、
アメリカ、イギリスの関係者多数が頭を抱えている。
>>99 高木惣吉は変わり身は速いけど強硬論を主張する場合も多い。
そういうわけではずしたい。
>>100 ぎりぎりの時点まで、
アメリカ側から暫定協定案が提示される可能性はあった。
というわけで、米側が日本側に誠意なしと思ったというのは妙だよ。
たしかに高木さんは微妙なところでしょうね
軍人は内政外政に口を出してはならない。
文民統制をわきまえている軍人こそ良識ある軍人であろう。
大日本帝国憲法下では法の性格上、自ずと一人もいないことになる。
強いて挙げるなら、何故か
>>99の中にないが、
海軍の小沢治三郎提督が最もふさわしい。
大将昇進辞退、終戦後の生活、いろいろな意味で清貧な人だ。
105 :
鳥取県人:2008/02/11(月) 23:21:50 ID:ShOoOpAi
今、にわかに映画「明日への遺言」で話題になっている、陸軍中将岡田資様以外、考えられません!
我が郷里の誇りです!
これを機に、彼の再評価と名誉回復を念じて止みません!!
106 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 23:24:35 ID:7pGijERk
そういえば、軍人って政治に干渉してはいけないっていう
原則がありましたね。
東條さんは東京裁判も含めて
典型的な軍官僚なんでしょうな
努力家であることは認めるが
東條人事など偏狭な人間性は
再評価の際の大きなマイナスポイントになるね
109 :
名無し三等兵:2008/02/12(火) 08:48:46 ID:eZVDq3tz
勝てばUN(アン)軍。
>>102 たしかハルノートそのものに「試案であり協議の進行次第で変更もあり得る」みたいな文言が入ってるんじゃなかったっけ。
>>111 ただ、ハル・ノートは協議を一度チャラにして最初まで戻した観がある。
真面目に交渉してきた日本側としてはやっていられんだろう、とも思う。
実際には、ハルの能力不足と言うだけだが。
というわけで、
こんな相手に対して交渉をはじめてしまった岩畔豪雄の評価も微妙か。
実戦の英雄で善意は疑いようがないが。
>>111 それはまだアメリカ側が対日本軍への準備が整ってないから
外交で時間を稼いでただけ
遅かれ早かれ開戦してたろうね
中国から撤兵しない限り
アメリカは開戦はするだろしね。
日本が中国から撤兵しないのは
アメリカにとってはそれまでの情報から
前提のことだし
水上源蔵はどうですか?
何した人?
>>116 ミートキーナで奮戦後、部下を助けて本人は自決。
アメリカ海軍イージス艦の艦名にもなっている
フィッツジェラルドみたいな方ですね
ああ水上少将は死守すべき
という命令のかな
退却命令を何度も要望したら返って来た命令?
こんなバカな命令はムッチー?
>>119 あれを起草したのは辻ーんらしい。
で、本人&信者によると「少将個人に命令を出すことで、丸山連隊(18D)を撤退させられるようにした」とのことだ。
まあ、この人のことだから話半分以下で聞いておいた方がよさそうだが。
つーか、いくら兄弟師団だからと言って、56Dの歩兵団長に小隊レベルの手兵をつけただけで18Dの連隊を指揮にやらせるんだ
から元々の構想に問題があると思われ。
果たして、丸山連隊長は不平の色を隠さなかったとされている。これも事実かどうかは不明だが。
>>115です。水上源蔵をご存知の方がいて嬉しい。実は源蔵さんは親戚なんです。
親戚だという事を知ってまだ間がないのですが、色々知ろうとしてもなかなか資料がなくて。
父世代から聞く話だと大層立派な人だったらしい?ですが、一般的にはどのように
思われてるのかと思い、書き込みしてみました。やっぱり他の方々に比べると、
ご存知の方は少ないですね..。
>>121 たしかに有名人ではないかもしれませんが、
名将中の名将として、部下将兵からは神のようにあがめられた人物かと。
良識派軍人として語るに値する方であると思いますよ。
124 :
名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:36:47 ID:jg+MUdZY
>>124 著者のコンビがすげぇw
読んでみたい。
126 :
名無し三等兵:2008/02/23(土) 00:21:03 ID:Ei/2Y2q1
山中朋二郎中将
オレの通っていた幼稚園の園長先生でした。
>>121 手元の水上少将に関する本
回想ビルマ戦記 光人社文庫 野口省己33軍参謀
ちなみに有名なアルピニストのおじいさんだと思います
>>126 ググッて見ると、戦後は幼児教育の世界に転進されて
ご活躍されたようですね。経堂...私も昔住んでましたw
>>115、
>>121です。コメントを下さったみなさん、ありがとうございます。
水上源蔵が良識ある軍人だったと思って下さっている方がいらっしゃって嬉しいです。
彼の血縁者という事に誇りを持たねば!
余談ですが、偶然にも父は栗林忠道のお孫さんと仕事上で交流があるそうです。
本当に凄い偶然ですよね..。
水上源蔵 みなかみ げんぞう (1888−1944)
日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
山梨県出身。日川中学校から陸軍士官学校に進み、1911年卒業(23期)。
少尉任官後、陸軍戸山学校で学び、1919年〜1920年シベリア出兵に従軍。
1941年陸軍少将に進級。留守第54師団兵務部長となり、1943年第56歩兵団長に補任される。
1944年5月、本多政材中将の命によりビルマ北部の要衝ミイトキーナに援軍として派遣される。
その後、第33軍作戦参謀辻政信大佐から水上個人宛に死守を命じられて2ヶ月以上に及ぶ
米中連合軍との激戦を繰り広げるが、8月3日同地は陥落。水上は部下を救うため死守命令を
伏せたまま脱出を命じ、その責を負い自決した。
死後、陸軍中将に進級し、個人感状を受けた。二男に水上澄陸軍大尉。
辻〜んはいろんなところで出くわすなw
なんでこんな香具師がこうなるんだろ
まぁ金の使い方が細かく
また赴任すると上司の軍金の使い方なんか調べて弱みを握るらしいけど
>>131 > なんでこんな香具師がこうなるんだろ
自分より優秀かつ人望のある人間を作戦の要求を名目に粛清してるんじゃなかろかw
そうすると自分が上に上がりやすいと。
辻は脱出してきた水上の部下が状況報告しようとすると、
「死守を命じたのに、なぜおめおめ逃げてきた!」と殴打したそうだ。
こんな基地外軍人が「作戦の神様」と呼ばれたのが日本陸軍だ。
辻は前線の将兵の評価はそんなに悪くないね
積極的に前線に出て見回ってたからかな
>>121 『五人の突撃隊』というミトイキーナのあたりをモデルにした映画に、水上小将をモデルにした将官が出てくるよ。
増援として来るんだけど、部下を脱出させて一人自決する。
辻は微妙だね
ムタチクとは違って自分も苦楽をともにしてるからなぁ
嫌なことは自分がまずやってから部下に強要するし
辻は陸軍ではなく海軍かもしくは飛行機の戦闘隊長だったとしたらこのスレに良い意味で名前にのってたかもね
>>135 そんな難しいことを言わなくても、幕僚じゃなくて部隊長だったらでいいじゃん。本当は参謀が適材適所ではなかったんだな。
つまり、帝国陸軍は辻の使い方を根本的に間違えていたと言うことだ。
でもあの成績じゃ参謀なんだろね
官僚主義の日本陸軍は。
一部既出だが半藤ファンとして文春新書から2冊宣伝しとくよ。
本屋の新書コーナーに並んでるから是非ご一読を。
半藤一利、保阪正康『昭和の名将と愚将』(文春新書)
昭和史の代表的研究者2人が、対談形式で昭和日本軍の代表的軍人の評価を
していく。このスレの趣向に近いし、人物エピソードから事実関係の整理まで
してくれてるから、勉強になる。山本と今村など良識派の評価も面白いが、
やはり服部と辻、牟田口と瀬島とか逝ってる連中の項が強烈w
半藤一利、秦郁彦、平間洋一、保阪正康、黒野耐、戸一成、戸部良一、福田和也
『昭和陸海軍の失敗』(文春新書)
『文藝春秋』に掲載されて大反響を呼んだ、研究者、作家、元自衛隊幹部らの座談会。
昭和の陸海軍のエリートたちを語ることで、日本型組織の弱点が見えてくる。
専門家から元軍艦乗りまで各自の立場で組織評、人物評をしており、いろんな角度からの
主張が面白い。旧軍がいかに官僚組織の弊害で硬直していったか、手に取るように分かる本。
瀬島に対する最後の一言はスゴス
存命ならあそこは削除あだろうな
梅津美治郎は良識派と言っていいと思う。
前半はそうたたけど
参謀総長になってからは
印象が悪すぎる
梅津は栗林中将や今村大将と比較すると「良識派」とまで言うのは難しいが、
・太平洋戦争中は関東軍を押さえ暴走させなかった
・本土決戦を主張しながら本心は不可能と認識し、天皇に回避をうながした
・終戦時の一部過激派将校のクーデターを防止した
などの良心的行動があり、陸軍ではかなりましな部類だ。
海軍「良識派」三羽烏
山本五十六・米内光政・井上成美
日本海軍を代表するリベラル穏健派の彼らですら、三国同盟から日米開戦の
破滅への流れは止められなかった。
「当時は日本全体が開戦へ突き進んでいた」というのは、開戦派が敗戦後に自分の
責任をごまかすために考えたウソっぱち。山本は三国同盟に反対し、右翼に命を狙われた。
命がけで平和を守ろうとした人々を忘れてはならない。
>>143 概ね同意なんだがな
山本は真珠湾でアメリカ怒らせたから戦犯!らしいよ
まぁ真珠湾がなかったら即効で負けてたろうね
史実で消えたアメリカ艦隊+史実でてこずった空母艦隊+大量にでてくる倍以上のアメリカ艦隊
日本があれだけ粘れたのは最初に無傷でアメリカ艦隊を丸々ふっとばしたことなのに
>>143 米内は日中戦争拡大の責任をどうする?
井上は指揮官としての無能ぶりをどうする?
>>144 そんな軍令部正統派と連合艦隊主流派が今まで喧嘩をつづけている問題を、
このスレでまで持ちだすのはどうかと。
というわけで、艦隊決戦派の中核にして大艦巨砲主義者、
ミッドウェイでは南雲機動部隊の敗北を予言、
最後は、航空機は戦艦に勝てないという理論を二度も証明した、
エンガノ沖海戦と北号作戦の英雄松田千秋少将は良識派としてはどう?
>>142 梅津は派閥に加わらず、超然として東条にも一目置かれていたそうだから
政府の方針に忠実というか「軍人は政治に関与せず」を貫いていた感じがするね
そういう意味では良識的軍人と言えるんじゃないか
梅津は良識派というより
優秀な軍官僚じゃないかな
松田少将は軍令畑の人?
艦長たちの戦争で読んだキガスがなにぶん本が見当たらん
>>146 >東条にも一目置かれていたそうだから
人間のクズに一目置かれてもなあ。
>>147 松田少将は、独自の砲術理論で開発した伊勢、日向の機銃配置が、レイテ沖の対空戦闘で有効だった、の人だっけ?
150 :
147:2008/02/29(金) 02:32:36 ID:???
飛行機からの爆弾を避ける方法を考えて伊勢艦長たちに教えた
と少将が言ったとその本で読んだ
>>147 >>149 >>150 爆弾などあたらなければどうということはない、
従って避けてしまえばいい、戦艦最強という時代錯誤の理論を立てて、
なぜか、それを実戦で二度も証明した謎の提督が松田千秋少将。
松田少将は海軍では少数派の総力戦理論家で総力戦研究所に携わり、
海上決戦・迎撃戦略の支持者としても有名。
議論を錯綜させてすまん。
>>145へのレス。
ただ、米内は終戦のプロセスで決定的な役割を果たしたと思う。
そして、まだ出ていないかな、終戦時の陸相阿南中将。これは最後の決断の
一点において良識派と言いたい。結局のところ陸軍のパターンとして阿南が
陸相を辞任する事によって陸軍は太平洋戦争を続行する事が出来た。しかし
辞任せずに陸軍として終戦の重荷を背負った阿南は立派だったと思う。
また上でも上げておられるが陸軍トップの梅津など陸軍と言う組織を
終戦に導いた力量と言うか覚悟はたいしたものだった。
>>145 操舵は認めるし一人の艦長としてみたら優秀なんだろう・・・
しかし
>最後は、航空機は戦艦に勝てないという理論を二度も証明した、
アホですか?
こんなことをいうアホが日本海軍の実権もたなくて本当に良かったよ
このアホが実権もって思いのままやってたら2年で日本海軍は壊滅だなw
>>153 松田千秋少将は艦長としては大和艦長をしているけど、
航空機が戦艦に勝てない理論を証明したときは戦隊司令官。
自己の理論に従って戦隊全体を訓練した結果、
絶体絶命の戦場(エンガノ、レイテ後の南支那海)で、
アメリカ機動部隊の集中攻撃を浴びながら隷下戦隊はほとんど無傷。
とりわけ北号作戦はキスカ級の奇跡的用兵と評される。
そのために、アホと簡単に言いきることはできないのさ。
レイテ後の航空攻撃回避は、おそらく米艦載機部隊の運用に何らかの
理由があるんだろう。機数が少なかったとか、雷撃命中率が低かったとか。
言うまでもないことだが、戦艦は絶対、航空機に勝てない。
武蔵も大和も航空機だけで沈められた。戦艦が生き残った場合は
航空機の側に何らかの原因がある。
普通に考えれば鈍重な戦艦が、自在に飛び回る航空機の大群を
よけられるわけないだろ、アホw
大和の対空砲は何門あったと思ってるんだ。
>>154 えっとねぇ・・・
一つの艦が沈んだら数千単位で死ぬんだよ?
理解してる?飛行機の大群に狙われたらほぼ確実に沈められる
君のその超稀なケースをあげて大鑑巨砲主義者は良識派とかやめてくれ
この人が自分で飛行機なめて死ぬのは構わない
しかしその無謀な考えで何千人っていう人名が巻き添えで死ぬんだよ
はっきりいって良識なんて間違ってもいえない
優秀な艦長という意味なら賛同もしようが良識派ではだんじてない
>>155 だって第三航空戦隊の空母は沈んだんだぜ。
第三航空戦隊が当初は米機動部隊の空襲を吸収していたとしても、
小沢機動部隊全滅以降に第四航空戦隊が損害を受けなかったとすれば、
日本側の戦術に損害が出なかったなんらかの原因がある、
というのが妥当じゃないの?
>>156 だから、松田戦隊の場合は死なないのさ。
だって、隷下戦隊の戦艦も駆逐艦も沈まないどころか、
魚雷も爆弾ももらわないんだから。
従って、魚雷と爆弾で戦艦が沈む場合は、
避け方が良くないと言う理屈になる。
それでは、松田、中瀬が指揮を執れば大和は沖縄に行けたのか?
というのは、よく海軍ヲタのネタになる話題だと思ったが。
>>156 それから気になったのでもうひとつ書いておく。
1943年中頃以降、
日本海軍はアメリカ海軍の艦隊防空能力を過小評価して、
無謀な航空攻撃を何度も実行して、
ほとんど戦果なく大量の搭乗員を犠牲にしてきた。
戦艦に航空機が勝てる、という理論のもと、
大量の犠牲者を出して多くの戦闘で戦果をあげられなかった。
戦艦に航空機が勝てるという理論こそ、
大量の精鋭搭乗員の犠牲に結びついたんじゃないのか?
これが大鑑巨砲主義論者か・・・
この手の輩は自分で経験して痛い目みないと絶対意見かえないからなぁ
>>159 航空は御しがたい、とは、当時からいわれた言葉だが。
航空主兵論者は18年のブーゲンビルから19年の台湾沖まで、
無益に国力の最重点を投入して製造した機体と搭乗員を消耗して、
輸送と生産に負担をかけて膨大な犠牲を出して、
戦力を割かれたビルマや海上護衛戦でも膨大な犠牲を出して、
それで戦果をあげられなかった点についてはどう弁明するの?
海軍航空は対艦隊攻撃を断念して防空迎撃に重点を置いて、
艦隊は回避訓練と防空装備の充実に専念した方がましじゃなかったのか?
陸軍は昭和18年には爆撃を捨てて戦闘機重点主義を採用しているぞ。
ちなみに有名なミッドウェー前の図上演習で、
松田千秋が指揮する赤軍(米軍)は南雲機動部隊に奇襲をかけて成功させ、
南雲機動部隊を撃破している(一撃で空母三隻撃破)。
松田大佐は米軍の作戦を研究して、それを完全に推測して実行、
日本軍の裏をかいた。
その結果を無視して(有名な宇垣参謀長の鶴の一声)、
ミッドウェーを強行して、南雲機動部隊の空母は全滅した。
これは図上演習とまったく同じ結果だった。
航空は賢明で、大鑑巨砲主義者は愚かなのか?
空母四隻を喪失しても?
>>161 前提からして間違っている
その失われた空母はなにによって消失したの?
水雷によってかい?艦隊決戦とかいって艦隊主体で向かったら
射程距離外で全滅だね
>>162 前提の前提がまちがっている。
松田大佐の主張ならミッドウェイ作戦はない。
従って空母は絶対喪失しないし搭乗員も死なない。
それで文句があるのか?
ついでにいうと、対米強硬派で知られる松田千秋だが、
総力戦研究所員として、海軍では数少ないぱりぱりの総力戦専門家で、
松田の発案で行ったシミュレーションで、
総力戦研究所は対米戦必敗の結論を導いている。
だから、松田大佐にやらせれば対米戦もないので余計空母は沈まない。
ちなみにこのあたりの議論は、戦後に連合艦隊司令部出身の連中と、
反省会に集まった軍令部正統派の間で戦われた論争から一歩も出ていない話。
連合艦隊出身者は自己正当化に終始、軍令部筋は艦隊決戦論を展開、
多くの派生議論を生んだ(命中率三倍伝説談義とか)。
まあ、そうでなくても戦艦を飛行機で沈めるのは大変なんだよ。
日本海軍でも、洋上で作戦行動中に飛行機に沈められた空母は多くても、
戦艦はとても少ないのさ。一度、数えてみるといいよ。
「洋上で作戦行動してる戦艦」ってのが空母と比べて段違いに少なかったからじゃないのかね
167 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 18:00:05 ID:M30XiJnv
大和:松田
矢矧:黛
で沖縄特攻してたらたどり着いたんだろうか?
>>168 多分無理
空母の護衛が全くなかったから敵飛行機の的になってた
オマケにやまとはでかいから本当に狙いやすい的だった
170 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 18:51:16 ID:M30XiJnv
ああなる前から大和を沖縄に入れといてもー ・・・・意味無いな。動かんでかい的でしかないな。
使えん。まじ使えん。
というかその弱い飛行機にどれだけの輸送船が沈められたか・・・
本当に大鑑巨砲主義者が海軍の主権握らなくて良かった
大鑑巨砲主義者が実権握ってたらもっともっと悲惨だったろうなぁ
大艦巨砲主義者といえば「海軍士官は飛行機がなくとも戦わねばならぬ!」と学生を一喝したという
第一航空艦隊司令官角田覚治少将を思い出します
「みなさんは民間人なのですから、私たち軍人のように戦わなくて良いのです、投降なさって良いのですよ」
とサイパンでおっしゃっていたという口碑がありますね
>>167 全員当然資格ありだろ。
>>171 松田千秋は総力戦厨だから海上護衛重視だよ。
船舶損耗率も正しく予測しているし。
だから、近場で艦隊決戦という流れになる。
>>172 猛将・名将だとばかり思っていたけど、良識派でもあったのか。
174 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 02:42:28 ID:Z+qoTxpT
>>172 大艦巨砲主義者にはずなのに、空母運用めちゃ上手いやんかw覚治少将
部下だったどなたかが手記で
角田少将は飛行機がなくとも空母一隻で突撃しかねないと思わせるような猛将だった
とおっしゃってましたね
飛行機を大砲のタマといっしょだと思っていたのではないかと批判なさる方もいます
また、「隼鷹」の艦爆隊の隊長の方でしたか無茶な攻撃をやらされ優秀な部下たちを失い
ずっと恨んでいる、という意味のことを雑誌の手記に書かれたのを読んだ記憶があります
「・・・飛行機が一機もなくなったからこそ私の存在の意義があるのです
飛行機がなくとも市丸は戦う、死なばもろともという精神を兵も理解してくれるでしょう」
市丸少将
「ルーズベルトに与ふる書」はアナポリスに展示してあるそうですね
松田少将はアメリカ駐在経験あるんだよね
軍令じゃなく軍政畑なら
なかなか面白かったかもしれん
角田少将は猛将で有名な人だね
山口少将の部下で良いと言ったらしいけどこれは卓見
実力主義を主張したことはある意味良識あるね
キャリア組の慣行これは今でも破られてない
179 :
名無し三等兵:2008/03/06(木) 23:21:21 ID:cA+/ehzW
猛将っていうけれど戦闘中は艦橋で双眼鏡のぞくくらいじゃね?
航空畑が長い人だから艦橋で双眼鏡を覗くことはあまりなかったかも
181 :
名無し三等兵:2008/03/11(火) 06:31:57 ID:0NpzQbex
>>167 工藤中佐について
惠氏の書籍読了しました。
正剛な体躯であるも寡黙。
米沢の貧農の倅が、海軍へ幾多の人材を輩出した藩校に所縁ある中学へ進学。
氏族出身者が多いなか、文武に励み見事に海兵合格。
東北に代表される地方の農村に生まれた者の立身を垣間見ることができる。
任官後はひたすら水雷の道を歩み、操艦技術・人心掌握に秀でた生粋の駆逐艦乗りであり、部下に熱く信頼される。
駆逐艦雷(イカズチ)艦長にて、スラバヤ沖海戦に参加。
撃沈した英駆逐艦の乗組員を僚艦の電(イナズマ)とともに戦闘の間隙を縫って救助。
無事に戦線を離脱して収容した乗組員全員に対して自艦の食料・衣服・医薬品などを敵味方の分け隔てなく分配し赤十字へ引き渡す。
世界に誇って難くない海軍士官だろう。
当時の国際法に関する陸海軍内の認識では、工藤が行なった敵兵救助の是非は微妙であったと思われる。
182 :
名無し三等兵:2008/03/11(火) 06:33:25 ID:0NpzQbex
>>167 工藤中佐について
惠氏の書籍読了しました。
正剛な体躯であるも寡黙。
米沢の貧農の倅が、海軍へ幾多の人材を輩出した藩校に所縁ある中学へ進学。
氏族出身者が多いなか、文武に励み見事に海兵合格。
東北に代表される地方の農村に生まれた者の立身を垣間見ることができる。
任官後はひたすら水雷の道を歩み、操艦技術・人心掌握に秀でた生粋の駆逐艦乗りであり、部下に熱く信頼される。
駆逐艦雷(イカズチ)艦長にて、スラバヤ沖海戦に参加。
撃沈した英駆逐艦の乗組員を僚艦の電(イナズマ)とともに戦闘の間隙を縫って救助。
無事に戦線を離脱して収容した乗組員全員に対して自艦の食料・衣服・医薬品などを敵味方の分け隔てなく分配し赤十字へ引き渡す。
世界に誇って難くない海軍士官だろう。
当時の国際法に関する陸海軍内の認識では、工藤が行なった敵兵救助の是非は微妙であったと思われる。
他の二名の方にも言わずもがなの賛辞を贈りたい。
良スレ
映画の日本のいちばん長い日を見ました
東部軍司令官の田中静壱大将と参謀長の高嶋少将も出ています
宮城を占拠に対して
断固として処置していますな
森師団長殺害で近衛師団はかなり動揺したにもかかわらず冷静です
185 :
名無し三等兵:2008/03/24(月) 01:32:12 ID:Czi2Hu6Y
半藤さんの原作本もおすすめだよ
186 :
名無し三等兵:2008/03/24(月) 06:07:32 ID:yg5Fx1h6
187 :
名無し三等兵:2008/03/25(火) 00:08:50 ID:+ycp5MLL
ホントは半藤だよ
188 :
名無し三等兵:2008/03/25(火) 02:56:28 ID:iqEaXsJP
藤田進の映画にカンドーした!
190 :
名無し三等兵:2008/03/25(火) 21:32:10 ID:thZn6X+Q
過去に対する断罪に鋭い舌鋒を振るう鈴木俊彦閣下。
192 :
名無し三等兵:2008/04/03(木) 20:07:27 ID:ZkGzTD9g
つじーんを賛美する日本近代史板住人が増えたのが怖い
193 :
名無し三等兵:2008/04/05(土) 17:10:43 ID:MOpYEQ/N
甘いものを甘くする時に塩を加えると、相乗効果で甘さがより増す。
良識派を際立たせるためにはコイツらを晒してみたい。
208 名無し三等兵 2008/03/13(木) 01:02:14 ID:7oQA+/Pj
ある避暑地の激闘
コヒマ攻略に向け、31師団がアラカンの峻剣を挺身中、メイミョウの第15軍司令部では前代未聞の恥態が生起していた。
15軍高級参謀の木下大佐はかねてより同参謀長・久野村少将が囲う芸者に惚れていた。
参謀長の留守を衝いて情事を重ねていた高級参謀はある日、現場を参謀長に急襲されてしまう。
料亭遊びにかけては司令官と双壁だった、お熱い将軍は部下の木下に懇意の女を寝取られた怒りは心頭に達した。
大佐を炎天下のなか、寝床から表に叩きだし、兵隊の居並ぶ面前で大佐を激しく殴打。
これが軍令を司る陸大出の天保銭組の別の姿だ。
この椿事は兵から口伝いに拡がり、のちに英軍の宣撫工作にも利用されている。
航空機からは撒かれた降伏勧告には芸者争奪騒ぎの顛末が載せられた。
飢餓と闘っていた第31師団長・佐藤幸徳中将は、野獣以下と電文で痛罵している。
建軍以来、最強の司令官と幕僚ならぬ馬鹿僚を擁した第15軍の実相である。
一将成らずして万骨枯るw
やはり名将、良将と呼ばれる方々は撤退戦が上手いのでしょうか
人間は苦しい時ピンチに陥った時こそ、その真価を問われるようです
>>195 日本軍人じゃないけど、ドイツだったかプロイセンだったかの将軍が撤退戦をしたとき、
自軍をピラミッド状に展開し、最前面はそのままに後ろの部隊からこっそり退却を始め、
そのまま気付かれずに最前面の部隊だけで数倍規模の敵軍の追撃を押しとどめたっていう話を聞いたな
最前面の部隊からみたら最低な指揮官だな(w
防衛省の田母神俊雄航空幕僚長は18日の会見で、
航空自衛隊のイラク空輸活動を違憲とした名古屋高裁判決が
現地で活動する隊員に与える影響を問われ、
「私が(隊員の)心境を代弁すれば大多数は『そんなの関係ねえ』という状況だ」などと発言した。
199 :
名無し三等兵:2008/04/18(金) 23:13:30 ID:bSc4OR5X
「俺たちはただ黙って戦い黙って死んでゆけばよい、後のことは天下国家が知っている」 高橋赫一少佐
草鹿任一中将に一票
あと、牟田口の犠牲者、佐藤幸徳少将をわすれてはならない
あと、「沖縄の人々は本当に良く戦ってくれた。何卒後世まで御高配を」
と電報打って玉砕した海軍司令官だれだっけ?
姓は「大田」じゃないのか
203 :
名無し三等兵:2008/04/19(土) 01:28:43 ID:DF+nlH6j
訣別電で一般人のこと
言及したのは大田さんくらいか
205 :
名無し三等兵:2008/04/19(土) 12:44:30 ID:XtNfGb7d
南京の廉でA級戦犯にされた松井大将はどうだったのかね。
シナ畜の誇張に反論する事も無ければ、部下の師団長のせいにする事もなく、
弁論らしい弁論もぜず訴状内容そのまま認めてるんだが。
調べると人格者だったっぽい。
良識派であれば結果が出せるのか?
結果が最重要じゃないのか?
洗脳?
>>206 良識派は割に結果がいい。
良識があるから無茶な作戦を行わない。
良識派で戦略・戦術家として問題ありなのは、
遺憾ながら海軍左派トリオくらいかな。
208 :
きよし:2008/04/19(土) 22:31:19 ID:kuRA2Ifh
良識派ねぇ
非合理が多数なら趨勢は破滅なのだから
延命に尽力するのは人的物的資源の浪費だろ?
滅亡する組織に良識派は害毒にすぎない。
>>208 日本の場合滅亡しなかったからね。
その議論はあまり関係ない。
>>207 山本の場合は、良識というより賭博師としての勘だったんじゃないか?
で、GF長官になったら欲が理性を上回っちゃってパールハーバー。
211 :
名無し三等兵:2008/04/20(日) 08:48:37 ID:8FYjH1We
大戦時、海防艦で主計長をやっていたという母校の校長は同窓会の集まりの席で
「山本五十六は凄い人なのかもしれないが、戦争とバクチをいっしょにしていたように思う」
というようなことをおっしゃっていました
「とかく日本人は戦争をナメている、戦争はバクチじゃないし精神論でどうにかなるほど甘いものでもない」
酒の勢いもあったのでしょうが非常に物腰の柔らかな方がこのときだけは涙を浮かべながら
厳しい口調でおっしゃっていました
海防艦の主計長、なんて軍人モドキがよく言うよ。
>211
そういう無名の軍人たちが、それぞれの持ち場でそれぞれの最前をつくしたことで
もっとひどくなる可能性があった先の敗戦が底抜けになることをくいとどめたわけだしな
その校長は、それを今言う権利があるし、我々は、それに耳を傾ける義務があるとオモ
というか、バクチと一緒にするようなつもりでやらないと馬鹿馬鹿しくてやってられないほど国力が違うんだから仕方がない。
そもそも、その上のレベルである政治・外交がバクチや曲芸紛いのノリだったわけだから
「とかく日本人は戦争をナメている、戦争はバクチじゃないし精神論でどうにかなるほど甘いものでもない」
という言葉は山本個人に対してというより政府も含めた政治・軍政・軍令の責任者に向けるに相応しい至言である。
また、米軍だかの
「日本軍の下士官兵は強い。次に良いのは下級将校。上級将校は一番悪い」
という評価が
>>213に繋がってくる。
>>214 システムが悪いのに責任者を求めても仕方ないだろ。
しかし、どうしても責任者がほしければ、
軍令部・省部の中堅幕僚のところにいけよ。
山本に聞けば、アメリカと戦争する愚劣をいうだろ。
東條に聞けば、海軍が勝てると主張したという愚劣をいうだろ。
嶋田に聞けば、軍令部・省部中堅層が勝てると言い張った点をいうだろ。
軍令部・省部中堅層に聞けば、そのときはそう思ったというだろ。
そして、なぜか一部の軍令部・省部の強硬派幕僚が、
後の時代には有能で良識派軍人扱いをされているという謎。
何を持って良識派とするのか知らないがが、
小園安名大佐に一票。
つきつめていけば、結局のところ
国民が「オレtueeeeeeee」したかった
という、今ではすっかり手垢がついてしまった感のある「時代の空気」が犯人と言えば
犯人なんだろな。
マスゴミは国民の意に沿って「オレtuee」な記事で煽りまくって、それがフィードバックし、
帝国陸海軍は、その熱にあてられて、すっかりその気になり、
政党政治はもとよりスタンピードした世論に対する現実的な論点の提示などは放棄した。
こういう状況の中では、死んだ国民だけが自らの命で「日本国を危険にさらした責任」
にたいする贖罪を果たしただけで、生き残った人間は全て、それを背負っていく必要が
あるはずなんだが。
結局、上御一身に全部背負わせて、すっかり被害者面をしてるところに、そのあたりの
ねじれの根源があるんだとオモ
つ1億総懺悔
一億総懺悔とかいった舌の根も乾かぬうちに「朕はたらふく食っておるぞ」とかの愚劣きわまりない
プラカード振り回してまわってるんだから、今の支那人並だわな
そのプラカード振り回してる連中は、自分が懺悔する覚えは全くないんじゃないかな。共産党員だろ?
戦陣訓を決裁した東條に批判が集まっているが、案を起草したのは教育総監部
本部長今村均なんだよな。
盲目的に東條を批判するのはよくない。彼にも狭量な所はあった事は事実だが。
殊、大命降下後国策"白紙還元"と聖慮を下命され、11月26日までの開戦回避の彼
の働きは、失敗したとはいえども当時日本が取れる道を示す事が出来たのは評価
したい。
同じ評価は陸軍省軍務局長であった武藤章にも言える。
>>221 東條スレは何度か経験しているけれど、
どうしてもコピペと盲目的批判の連続になって荒れる。
しかもコピペが段々改悪されているので、
指摘しても聞く耳を持ってもらえない。
結構基礎資料が公開されていないので、
酷い話、東條の周囲の人物が作った巨大な伝記本を、
適当に切り貼りして東條批判をするというのが専門家でも普通。
東條という人物はやはり現代でも語るのが難しい。
避けたほうが無難。
>>222 そうかなぁ。東條は研究に値する人物だと思うけど。
確かに、荒れるネタにもなりやすいけど、
若い人達にきっかけがなくちゃとも思う。
意味ない罵倒と評価とどっちを選ぶのは、
提供者じゃなく読み手だし。
オレとしては、いろんな意見レスの中で自分の東條像を磨きたいと思う。
そんな中でよくプライドなんて映画作れたもんだ。
>>223 必ず東條の「罪」一覧をコピペする人がいて(ネタ本がある)、
この人達は反論は認めないようだ。
背景や事情を説明すると詭弁といって怒りだす。
松岡と東條は当分どうしようもない。
まあ、このふたりを悪役といっておけばみんな満足なんだろ。
それでもよければ論じてもいいけど、このスレを潰さないためには、
単独スレをたてたほうが安全かもしれない。
>>224 あれは話を東京裁判に絞ったからね。
戦時中の東條について理解を示す人は少ないと思う。
>>225 松岡はNHKのその時歴史は動いたで大分弁護されてたぞ。
「僕一生の不覚」とか言って。
ま、甘かったな。ナチや露助を信用したらヤバイくらい
当時でも分ってる奴は分ってたし。
松岡洋右は、当人がクズなのは元々だけど、そもそも「なんでそんな奴を全県代表にしたんだ」というのがなぁ
結局、あのときの「我が国の命運」というものが尽き果てていたとしか思えん経緯だし
東條に関しては良いも悪いも無く、天皇陛下の「あれは役人だから」の一言が全てだな
>227
あの発言に限らず、松岡洋右の発言は一事が万事、演技性人格障害の人が良くやる妄言だから、
真に受ける方がどうかしてる
>>228 まあ、ここでは松岡話はやめておこうよ。
松岡については日本近代史板に叩きスレがふたつある。
>229
確かに良識派を語るスレだもんな、失礼
>>228 人物を一言で全てと片付ける短絡姿勢に思わず脱帽。
しかも人の言葉を借りただけかよ。
>>231 まあ、東條論はやめておこうよ。
東條の評価について議論したければ東條スレを立ててくれれば付きあうが、
結局コピペで東條を叩く連中が出てくるような気がする。
よく見る東條擁護のほうのコピペには俺が元を書いたのもあるけど、
そういった事情には批判派は関心を持ってくれなかったよ。
というわけで、このスレでは井本とか武藤とか、
一般に良識派といわれる軍人で東條側近を論じたらどうだろ。
220なんだが、東條はやはりまだ扱いにくいんだろうなぁ。
俺は戦前直前大命降下後11月26日までの政府の動かし方と、東京裁判での姿は評価
に値すると思っているんだが。
彼はきちんと官僚肌だっだったんだろう。陸相時代の強硬意見はあくまでも参謀本
部の意見を軍政側としての代弁だったし。
ただ、聖慮が非戦であると認識してからの部下(陸軍省軍務局)の使い方はよかった
と思う。
武藤章は軍政畑でずっと歩んだだけに、切れると思う。
現実、日米交渉を動かしていたのは武藤だったと思う(直接動いたのは石井秋穂だっ
たとしても)し、支那事変で強硬派だった彼が武漢戦後の支那の状況を見て早期講和
派に転じた臨機応変さも(現実は動かせなかったとはいえ)評価に値すると思う。
まぁ、個人的に武藤の発した
「政治将校の時代は終わり。闘うべき時に来たのかもしれぬ。闘うべき時に闘わな
い民族は滅びる。 ・・・そんな民族なら滅びた方がいい」
という言葉に、「国家とは、民族とは、闘うべき時とは」と考える問題を与えられ
たと思っている。未だにこびりついている。
おれ、221だった orz
東条は時の総理だったから当然として、石原莞爾も難しいと思うがどうかね。
宗教右翼の親玉で陸軍暴走と鬼門支那に嵌るきっかけ作ったわけだが、
じゃあそれだけの人物だったのかっていうとそうでもないし。
満州を勢力図に入れる必要はあったのかな?
軍事的にもあれだけの線をロシアから守れるはず
ないと思うけど
また経済面でも赤字だったんでしょ?
結局満州で何がしたかったんだろね
石原莞爾は良くも悪くも夢想家のように感じます
法華に帰依して理想郷をつくろうとしたのでしょうか
ある意味、宮沢賢治の理想を具現化しようとした人物かもしれないとも思います
>>236 満洲は明治2度の戦役の血の代償だろう。当時の日本人の満洲に対する思いは、
今現在の我々が思う以上に濃い物があった。
朝鮮をかの国の要求を受けて併合して以来、満洲に南下する露西亜/ソビエトの
驚異感は今以上にひしひしと国民の間にあった。潜在的国防の驚異の増加だな。
戦争に勝てば権益を得る事が当たり前の時代に、その権益をフルに使いつつ、
満洲族の分離独立を支持し、満洲国の建国に踏み切った当時の政策は、致し方
ないと思っている。
日本経済界と陸軍の壮大な実験であった事は確かだがな。
>>238ちょっと訂正
"満洲に南下する露西亜/ソビエト"というよりは、"満洲に南下してもおかしくない
露西亜/ソビエト"だな。時系列的に。
追記
外蒙古を1924年にモンゴル人民共和国としてソビエトは該地域を衛星国として強
引に独立させたし。その驚異は満洲には絶大な物があったと思う。現実満洲国建
国以前は北半分は露西亜/ソビエトの権益地だったのだから。
また、露西亜赤色革命を逃れた白系露人が多く満洲に住んでいた事からも、それ
に対する赤い匪賊が多くいたのも日本にとっては驚異中の驚異。
北ベトナムと南ベトナムの関係の末路があったように、明治以降昭和初期満洲国
建国以前は常に赤色テロルの可能性があった。
当時の日本人としては看過出来ないだろうて。
政治的な話はわかるんだか、
純軍事的な話として
いまの北朝鮮と中国の境で防衛した方が良くない?
石原の理想郷は美しいんだけど、
それは国策として認められないと個人的な妄想
に過ぎないのでわ
あくまで国権の発動として満州に進出したんだから
「日支両国民が新しい満州をつくるのだから日本人支那人の区別はあるべきではありません
日本の機関は最小限度に縮小し新国家そのものに日本人支那人も区別なく入ってゆくのがよろしいでしょう
それができなければ満州新国家も何もないと思います」 石原莞爾
石原が東条君蹴落として陸軍掌握して首相にでもなってたら面白かったかも。
でも天皇に嫌われてたらしいからありえないね。
やっぱあれかな。世界最終戦論のせいかなw
>>243 石原はすごく協調性がないんだ。しかもいじける。
東條とのけんかにしても、
石原は自分の言うことを友達の東條が全部聞いてくれると思って、
そうもいかないと裏切られたと思っていじけてしまう。
そして東條の悪口を公言して回る。
それでも東條を含めて多くの人が石原再起用を試みたのだが、
本人がいじけて拒否してしまう。
才能がいくらあっても組織人としては機能しない。
板垣首相兼陸軍大臣、石原参謀総長ならなんとかなるだろうけど。
>>244 あれ?石原って東条に罷免されたんじゃなかったっけ。
自分で辞めたのか?
>>243 関東軍が自身の許可なく勝手に兵を動かしたことに対して
陛下は周囲が戸惑うほど激怒したと言いますからね
まわりの者がいくらなだめようとしても怒りが収まらなかった、と
とにかくあんな物凄い形相でお怒りをあらわにされる陛下は初めてだったといいます
>>242 その石原の考えとリットンの考えがある程度似ているな。
いろいろと惜しいものだ。
>>233 「政治将校の時代は終わり・・。
この言葉ってどんな状況下だったのか気になります。
参考図書などありましたら教えてくれませんか?
いまさらながらに、別冊宝島の東條本を読んだ。
別冊宝島だから、どうでもいい批判ばかり書いてあるのかと思っていたが、
案外まともな内容が多かったのが、びっくりだった。
その本の内容で、東條派と非東條派の分類には、
ちょっとポカーンとしてしまった。
保阪さんの本かな
そうだね。保阪正康氏の著作だ。
参考文献が少なく見えるが、あとがきで石井秋穂中佐(当時)の日記・メモ・資料・
インタビューを元に記述と書いているから、当時の軍務局を知るにはいいとは思う。
ただ、事実の羅列をすればいいと思うのだが、作者個人の現在の視点から見た批判
的見解も少々併記されているから、作中で一心不乱に悩み捲る石井中佐に少し同情
する。作品刊行前に中佐に"こうなりました"と読ませたんだろうか?きちんと。
開戦前の物は児島氏の『開戦前夜』、豊田氏の『燃える怒涛』が好きだったな。
しかし、石井中佐の日記や資料、何処かで刊行してくれないかなぁ。あの開戦前の
陸軍省の動きを知るには第一級の資料たりうるのに。
>>248 > 東條派と非東條派の分類
武藤や田中新一とかは開戦前と開戦後でどちらにも入れ得るので、はっきり分類して入れるの難しそう。
要するに日本軍は無能ってことね。
255 :
名無し三等兵:2008/05/06(火) 00:58:10 ID:WuYILQuQ
辻政信を頑張って再評価しよう
少なくとも、良識は無いんじゃないか?
まぁ、現場の指揮官として多少は、優秀だったかもしれないけど
むっちは賢いんだぞ
最初の頃はインパール作戦は無謀としていたんだから
>>256 いや、良識もあったよ。
だた、良識が無いと思える行動もあったけど。
>>255 どうして再評価が必要なのか分からない。
充分、評価されていると思うけど。
評価していないのは(酷評だけしているって意味で)、
アンチ旧軍オタだけじゃまいか?
ところで、宝島東條本の内容ですが、
学童疎開が東條氏のおかげとなっていたが、
保阪氏の『良識派の研究』では、東條氏は反対の意見をしたとある。
オレは当時の価値観が分からないのだが、
学童疎開は、次期の国力温存(戦争の終結後のも含む)の良識ある行動なのか?
家族(国体の基本単位)を引き裂く非良識なのか?
皆様方の評価はいかが?
>>257 歩兵が高山を踏破するのは無謀と考え反対していたが、
英軍が「空挺」部隊を投入したのを「向うが来られるならこちらも」
という理由で強行。
賢いね。
>>258 ここら辺は何ともいえない。
どちらも正論たりうる。
空襲の危険性はそれこそ戦前から国内では流布し捲っていた。
小説という舞台でも例えば海野十三なんかは空襲を題材として数編の小説を書き、
空襲の危険性を流布している。内容はなかなか悲惨、惨の極。
男子皆兵に近い状況で、空襲の延焼をくい止める要員として、女性や年寄りだけ
では辛かろう。少年団をうまく使うと言う意味も込めて、特別疎開させる必要性
を見出だせないという意見もあろうし。
一方、全部が全部全滅したら民族としては滅びるしかないんで、年少者の租界を
提議し、実施したその考えも是とするけれどなぁ。
東京の一夜10万(今は8万4千というか)クラスの被害が若し運悪く全国で発生して
いたら、ただじゃなかったと思う。
俺は、どっちも正論。時の政府の施策如何によると答えたい。
>262
> 俺は、どっちも正論。時の政府の施策如何によると答えたい。
それは『玉虫色』であって、単なる結論回避なのでは
時の政府を構成する人員、さらに強制疎開の決心に関わる「政府という組織」に縦横にはしる
「関係者の意志」をくぐるうちに、最初は何らかの意味があった疎開施策も、実施された段階では、
「あのときの政府」らしく支離滅裂で近視眼的、かつピンぼけな、無意味で情念的なシロモノに
堕してしまったというのが実態なわけだし
『疎開は何のためにするのか』といえば、口だけいさましくて全く国防の役に立たず頼りにならない
無能の極みな帝国陸海軍のおかげさまをもって、一方的なリーチの差のもとで一方的に叩かれる
状況の出来に対して、国力を温存するために行うものなわけで
それに対して、「国力」の主力たる部分を元の場所において、銀の盆の上に乗っかったケツのごとく
どうぞ蹴飛ばしてください、と差し出して、子供だけ疎開、というのは、要はするに「足手まといの
女子供はのけておけ」「わざわざ、国力の主力部分を移動させるのはめんどうだ」という、怠惰と
驕慢の極みの結果とみるべきだろう
>>263 言葉を弄び過ぎてるぞ。何が言いたいのか要点を述べてくれるかね。
>>263 >疎開は何のためにするのか』といえば、口だけいさましくて全く国防の役に立たず頼りにならない
>無能の極みな帝国陸海軍のおかげさまをもって、一方的なリーチの差のもとで一方的に叩かれる
>状況の出来に対して、国力を温存するために行うものなわけで
英独とも学童疎開はしている。
>>262 ご考査ありがとう。
空襲の危険性は戦前から知れていたのですね。勉強になりました。
ドゥーリットル空襲が何故あそこまで影響があったのか、長年の疑問が溶けました。
学童疎開の是非は、政治姿勢如何という結論にはちょっと脱帽しました。
(うまくまとめてくれたなぁという感心の意味で)
>>265 映画のナルニアの冒頭でも、そんなシーンがありましたね。
遠藤三郎中将はどうだね?
マイナーだが、合理的思考を持つ人だと思う
>>267 俺は遠藤三郎中将は超有名人だとおもっていた。
ただ、良識派というのはどうだろうか。
遠藤閣下の場合、極端な精神主義と合理主義が結合して、
非常に興味深いが過激な主張をいつもしていたような希ガス。
東條の腹心中の腹心、航空機増産・戦闘機重点主義の主唱者、
大西の盟友で極端な精神主義者、
加藤隼戦闘機隊に象徴される実戦での敢闘(第三飛行団長)、
戦後の左翼文化人としての活躍、つじーんが逃走するほどの破壊力。
これが一人の人間に結合しているわけで、
どれをとってもおもしろいが良識派というのとは逆のベクトルじゃないか。
遠藤中将て頭脳明晰ゆえの喜劇人の思う
凡人には氏の行動はわからないw
学者なんかだったら名を残したんじゃないかな
>>269 実戦では強いし、航空機増産の立役者でもある。
軍人としては立派な業績を残しているけど、どこか割り切れないものがある。
"赤い将軍"は軍備全否定にまで走っていってしまったからなぁ。
陸軍の中で希有な考えを持った人とは思うが、それが良識かどうかは
違う気がする。
航空に力を注ぐ地位にいた事でそれを発揮した功績は十二分に認める
けれど。
戦後日本は運よく戦後戦いに巻き込まれる事はなかったものの、それ
故だからこそ、国民の多くは戦争という物は遥か遠い別世界の事象と
してしか捉えられていないようになった。
個人的には人間という物は悪い事をするのが当たり前、他人を蹴落と
して自らが這い上がるものという考えだからなぁ。
小さな事だが、世を賑わし惑わす日々の殺人事件は人間の結果的な本
性だろう。
話合いや理性では解決出来ない奴等が居る事が本来であって、国家間
もそれは変わり無い。
真珠湾に記念すべき第一弾を投下した高橋赫一海軍少佐が中学校(今で
言う高校だな)時の作文で、「あまり極端な平和主義は逆に国を滅ぼす」
という事を書いているが、彼の方が大人の考えであり、普遍的と思う。
「俺たちはただ黙って戦い黙って死んでゆけばよい、後のことは天下国家が知っている」
も高橋嚇一少佐の言葉でしたか、最後の日の前日、米空母を翔鶴と誤認して着艦しようとするも
爆弾を棄てていたため何もできずかなり悔やみ悩んでおられたそうですね
最後の日、「今日はやりますよ!」と笑みをたたえつつ搭乗機にむかっていかれたといいます
皆とほぼ同じ感想。
戦後の変身がなければ、非常に聡明だったのにと思う。
(俺が単にウヨがかっているだけなのだがw)
聡明なのに精神主義という、今から見たら不思議な所もあるが、
当時のエリートの思想を推し量れる興味深い所もある。
大西長官とのいろいろなエピソードがもっとあればなぁと思う。
戦中武勲を立てつつも、文字通り真の意味での"赤い将軍"となってしまった
藤田茂陸軍中将もいるな。
撫順戦犯管理所で何があったか知る由もないが、昭和20年老河口作戦に於て
世界戦史上最後の騎兵部隊による電撃的進攻作戦を指揮し、絶大なる武勲を
立てたというのに。
彼の戦後の歩みは、それこそ半生の否定その物であり、如何に中共の洗脳が
激しかったかを偲ばせる。
逆にあそこまで洗脳が激しいと、哀れすら感じてしまう。
真珠湾空身で淵田美津雄海軍中佐はキリスト教に改宗し日本どころかアメリカ
までも伝道師として行脚したが、彼は海軍時代の事蹟を決して後悔しなかった。
彼の方が人としてあるべき姿ではないかと思っている。
空見で→絡みで
なんちゅう変換だ orz
ハワイ生まれハワイ育ちの日系人の私にとってフチダの名は特別に響きます
個人的にフチダ個人は非常に魅力的な人物だと思いますが
私の父や祖父を含め日本がハワイを「ダマシウチ」したことに対してはどうしても複雑な感情を持ちます
日本の外務省は現代に於いてもまともな仕事をしていないおうに思うのですが
あそこまでダレた省庁に日本人の怒りが炸裂しないところにかなりの違和感を感じます
日本の人たちは本当に優しいというかコドモというか、ある意味世界でもっともシアワセな人たちなのではないかとも思います
277 :
kkk:2008/05/17(土) 01:20:30 ID:2bBQ4YmB
良識派と言うのであれば、保阪さんも言っておられるが、今村大将と宮崎中将を置いて他にいません。
今村さんと遠藤さんの戦後は対極だよね
どちらも戦中まではエリートで軍人としての実績もある
どうしても今村さんの生き方に良識を見てしまうね
>>276 リアルで布哇(ハワイ)日系の人?
貴方の爺さんや父さんは頑張ったでしょう。
さて、淵田(フチダ)中佐に複雑な感情を抱くのは解らなくもないが、「だまし討ち」
となってしまったのは日本海軍の所為ではないのはお解りですよね、次に外務省へ
の批判が記述されているから。
日本海軍第一航空艦隊(南雲部隊)は、将に時間通りの攻撃開始でした。
まぁ、開戦を追及すれば、実はマレー上陸はかなり時間が早過ぎた事は否定しませ
んが。
最近の話となりますが、イラク戦争は宣戦布告されていないですよね。戦争開始の
理由は全く異なるので大東亜戦争とイラク戦争の戦端を開いた状況を比較出来ると
は言えないですが、イラク国民の特にスンニー派の人にとっては騙し討ちの面があっ
たのは否定出来ないと思います。
まぁ、色々調べられている(攻撃隊指揮官の名前なんて、今の一般日本人は誰も知
らない)のだろうから、より一層励んで下さい。
>>279 276です、アメリカは米西戦争のときも宣戦布告をしていません
フチダの名は真珠湾の代名詞のようになってしまっていますからどうしても感情的になってしまいますね
当時の日本の外務省の怠慢が招いた事態であると認識しつつもなかなか変わりません
そもそもアメリカ政府もハワイが攻撃されることを予測しながら無策だったと感じます、日本をとことんナメていたのでしょうね
まさかここまで来るとは思ってなかったとしたら言葉は悪いですがアメリカ政府もマヌケでしょう
真珠湾に第一弾を投下したという高橋少佐の話も読みましたし
飛龍のゼロ戦乗りが不時着した話、ゼロ戦で建物に突っ込んだソーリューの飯田大尉の話
実際に前線で戦った戦士たちはじつに勇敢で素晴らしい人々だと思います、多少刹那的な感じは受けますが
(島に不時着した飛龍のゼロ戦乗りの行動は理解はできても個人的に支持はできませんが)
にもかかわらず外務省や司令部など上層部のだらしなさが目立ちます
なぜこんな優秀な人たちがだらしない上層部をほうっておくのかがよく理解できません
281 :
キング:2008/05/18(日) 17:00:02 ID:7ev+iDQe
<<267
遠藤中将のことは「将軍の遺言」に詳しい
この人は非常に優秀なテクノクラートだったんだろうね
与えられた任務に最善を尽くす。そしてそれぞれの局面で抜群の成果を収めた。
ただし戦前から日本の国力では領土を十分に守ることができないことを痛感していた。
そしてヨーロッパ駐在中に学んだ連邦制への関心。
こうしたことが戦後の行動につながるんだと思うね。
非常に合理的な思考力を持った人だったんじゃないかなあ。
>>282 あの本を読むとそんな感じですね。
ただ遠藤中将自著の回想録を読むと精神論者という感じがしますね。
284 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 09:11:52 ID:9JfBbHl0
牟田口閣下は名将です
うむ。
自分の欲望にたいして忠臣といえる。
大東亜戦争肯定派や東條シンパは、栗林中将や今村大将をむしろ過小評価する。
良識派と比較されると東條やその取巻きがいかにクズだったか目立ってしまうからである。
東條は典型的な官僚的人間で、小心で嫉妬深く作戦指揮も苦手だった。
本人も自覚していたから、山下や今村のような名将に嫉妬し、最も危険な前線に送り込んだ。
敗戦後の軍人とは思えない情けない振る舞いからもいかに小人物だったかが分かる。
こんなクズが日本の運命を握る立場だったことが大きな悲劇だった。
俺はどっちも過小評価するぜ
>>286 名将を決戦正面に送るのは当然な気がするな。
愚将を決戦正面に送ると困るだろ。
まあ、子飼いの愚将を送っちまったんだが。
ムッチーやら木村やら富永やらウゾウムゾウのヤカラを。
290 :
名無し三等兵:2008/06/15(日) 16:56:21 ID:fZ26cevJ
栗林カ=ガチムチ陸大原理主義
永田鉄山 「朝鮮は独立させるべきだ このままではまずい」
>>289 牟田口は微妙に東條派じゃないという話じゃなかったか?
木村、富永はそれこそ東條派粛清で、
反東條派が愚将を前線に送った悲惨な例だぞ。
本当は第四航空軍司令官には東條の腹心中の腹心で、
実戦最強の左翼軍人(既出)を送るはずだったんだが。
>>292 遠藤三郎は東条とは非常に仲が悪いのだが
>>293 遠藤の回顧録と伝記を両方読むよろし。
遠藤のほうで東條には嫌われていると思っていたのに、
東條から無条件に信頼されて、遠藤の強引な提案も鶴の一声で通り、
その結果として軍需生産、陸軍航空戦略の実もあがり、
遠藤としても東條に深く感謝するという結果に。
副産物として遠藤の親友の海軍の大西まで東條に私淑、
後に東條失脚後にフィリピンに飛ばされる結果となった。
遠藤も飛ばされかけた。
というか、だれか遠藤日記を出版しないのかな。
連投スマソ
しかし、戦後平和運動と左翼運動のカリスマが、
東條の腹心で、そのことについては別に後悔していないで、
堂々と自分で東條首相との強い信頼関係を書いている、
というのは左翼的にはどうなんだろ。
296 :
名無し三等兵:2008/06/18(水) 13:34:52 ID:tvZYd7vv
>>293 そうだったのかな?
遠藤の本を読めばいかに東條首相を信頼していなかったかが何度も書かれてたような
>>282 同感
>>293 東條と遠藤の信頼関係については、
宮武剛『将軍の遺言』(毎日新聞社)なら、
178頁から184頁を見てくれ。
もし遠藤三郎『日中十五年戦争と私』(日中書林)のほうなら、
随所に両者の信頼関係を思わせる記述があるよ。
>>294 いい情報をさんくす。
東條と大西に繋がりが分かって勉強になった。
スレチだが他に適当なスレがなかったので言わせてくれ。
明治40年以降の帝国国防方針で日本はアメリカを仮想敵とするが、当時から重要な貿易相手国だったんじゃなかろうか。
生糸を売って資源を買う。特に昭和に入ってからは石油や屑鉄、工作機械など。
国防方針では複数国との戦争を戒めてるが、アメリカと戦争になった時石油をどこから確保するのか説明していない。
短期決戦で資源に困る事はないと判断したのか。史実では資源を求めて結局英蘭とも戦争している。
本来軍人が心配する事ではないのかもしれないが、資源や貿易を考えない国防方針は合理的とは言えないしまともな戦争計画とも思えない。
昭和になって戦争が現実的になるまで軍人は資源について考えていなかったのだろうか。特に海軍は石油がないと困るのにアメリカを仮想敵としたのが理解できない。
言いたい事は海軍には戦術研究だけでまともな戦争計画はなかったのではという事。
現在の視点ではアメリカには勝てないから避戦を主張した人が良識派とされるが、本来国防を真面目に考え戦争に備えるのが軍の仕事だろう。
移民問題その他で現実に戦争になる可能性は常にあったし、だからこそ仮想敵にもしたのだろう。
それとも軍は抑止力としての軍備を整備するだけでアメリカと戦争してはいけないと考えていたのだろうか。
一応海軍も細々と石油備蓄をしていたがどうも軍の戦争計画には具体性が感じられない。戦争の原因は政治であり戦争には原因があって戦争目的や勝利によって得るものがあるからするものだろう。
実際史実の軍も戦争目的やどこまで攻めてどうやって戦争を終らせるかといった戦争指導が曖昧である。
まず、
1902年(明治35年)日英同盟
1904年-05年(明治37年-38年)2月6日日露戦争
1907年-09年グレート・ホワイト・フリート
アメリカは自国の海軍を世界各国にみせる大遠征を行なった。
このあたりをよく調べれば納得できるのでは?
総力戦相手の仮想敵じゃなく、あくまで来航してきた場合の仮想敵だったんだ。
昭和の初期までは
『軍は抑止力としての軍備を整備するだけでアメリカと戦争してはいけない。』
ってのは海軍のほぼ常識で、いつも公言していた(米内まで)。
それを公言できなくなったのには、いろんな理由があって、
日中戦争、政治不安、戦争へ傾く世論、
陸軍との確執、軍令部長に皇族が就任、WW2勃発などなど
いろいろな本がたくさん出て見解を述べています。
陸海軍とも日露戦争直後から健全さを失ってるような。
政治家もかなりダメだけど。ex21ヶ条要求・シベリア出兵・軍拡等、統帥権干犯とかは政友会がたきつけたのが悪い。
日露戦後で火の車なのに師団増設したりこの頃から横暴が見える。八八艦隊は正気の沙太と思えない。
明治から昭和まで英米を逆撫でする事をよくやる。英米とはあくまで協調して陸海軍とも一致協力してソ連に備えるとかならわかるんだが。
アメリカ以外が仮想敵だと強力な海軍がいらなくなるからポスト確保で背伸びしたとしか思えない。
日露戦後は日本海の制海権確保だけでいい。
このスレでいう良識派というのは合理的・客観的思考ができる事とあるが、どうも後世の視点からの主観で決めてるような。
実戦派指揮官である名将に限らず、政治的・官僚的軍人や戦略・戦術・教育の理論家などより幅広い範囲で選ぶというコンセプトなんだろうけど。
具体的なラインナップを見ると対米戦や中国との戦争を避けようとした、戦争に繋がる三国同盟などに反対した、精神主義や艦隊決戦主義など既存の思想に捕われないなどが理由だろうか。
避戦派・実戦派・終戦促進のいずれも一括りにするのか。
そもそも軍人が政治に関わってる時点で良識派といえるのか。
基準が非常に曖昧だと思う。
>>304 それは俺も思う。
まぁ、個人的にはそもそも軍人の良識とは何かという事になると思うんだが。
>>304 シュタウフェンベルクは良識派だろうか?
308 :
307:2008/06/22(日) 00:00:19 ID:???
某帝国陸軍だと常識派なだけで良識派ととらえられる
常識は時代や集団によって異なるもので不変ではない。
当時と現代の常識を同じだと思うのか?
正気と狂気
常識と非常識の差はその人口比
312 :
名無し三等兵:2008/06/27(金) 02:25:28 ID:cE+YN1KS
水木しげるの自伝漫画を読んでいたら、ラバウルで今村均に声をかけられた
ことがあるそうだ。
終戦後も兵士たちに不安が広がる中、今村大将が現れ「帰るときはお前達を真っ先に
帰してやるから安心せよ」と言い、兵士たちも安心したという。
実際、今村大将は常に自分は後回しで責任をかぶり、部下将兵を救おうと行動している。
「良識」の定義など理屈を持ち出してごまかそうとしているやつもいるが、行動がすべてを表している。
東條シンパや靖国シンパの連中も早く目を覚ませばいいのだが。
>>312 東條と今村大将を詳細に比較していくと、結構似ている点があるだけに、
似ていない点と含めて議論すると興味深いかもしれない。
しかし、なにか言うと今度は今村大将叩きに使われるので、
現在ではしないほうがいい議論なのかもしれない。
日本が大戦に勝利していたら
開戦反対を主張していた軍人の評価は
現在に至っても低いままだろうな
日清や日露のときに開戦反対してたヒトは戦後どう扱われたのかな
>>312 東條の関東軍参謀長時代を知らないのか。
遺族に自分の給料送ったり重症者を気遣う。軍では参謀が情をかけすぎるので重症者を隠すようになった。
食事を出すとメモを見て「これは兵と同じか?」…バレてる「下げろ兵と同じのを持って来い」と一喝
要はクソ真面目なだけで悪い奴じゃない。
口癖は「真面目にやっとるか」だし
>>315 東條の連隊長時代もすごいぞ。
特に命令しなくても兵が連隊長のためならと全力を尽くす。
そこまで兵のことを思って働いた。
東條への誤解は彼が亡くなって百年経ってもなお解けないかもしれませんね
私人として立派な人間が軍の指揮官、国家の首長としては必ずしも素晴らしい成果をあげるとは限らないという事例を示してくれる人物です
>>317 東條は「軍人」なんだよな。
軍人の学校に入って、軍人の訓練を受けて、軍人のキャリアを積んできた。
政治的な軍人にはむしろ反対で、堅実な戦略家とされてきた。
それが軍の政治部門のトップにされて、
あろうことか政治のトップにまでされてしまった。
運が悪いということなんだろう。
>>1 ハゲ=ダメ
南雲中一 牟田口連や 辻正信 東條英機 島だ半太郎
フサ=良
米内光政 山本五十六 井上重義 山口多聞 大西炊き次郎
軍部がこの法則に気づいていれば戦局も変わっていたのに・・・
>>319 その法則は成り立たない。第一陸軍は大抵坊主だしそのフサ連中結構ダメだぞ。
米内=日中戦争ノリノリ
山本=アメリカ怒らせた
大西=戦闘機無用論
山口=日中戦争で損害大
それと大西も坊主だ。
>>317 立派な軍人で、フランス国民のために立派に政治を行なった
ヴィシー政府の長も、いまだによく思われていませんね。
東條の場合、憲兵使いとして良い部分を評価する指摘は本当に少ない。
(東條じゃなかったらどうなっていたか?は
仮想話になるので東條の有能さを証明できない。)
一般には憲兵使いの悪い面のみが広まってしまっている。残念なことだ。
当時の政情では普通の行為、部下の暴走行為、東條個人の責任など、
1つの事件に対して責任の所在・配分を明らかにしている本が出て欲しいなぁ。
東條ほかA級戦犯が悪いのであって、天ちゃんとか我々は一切悪くござんせん、ってことにしちゃったからな。
「武蔵」みたいなもんだ
>>321 中国戦線で東條兵団は統制とれてて暴行・略奪とかさせなかったからな。
その姿勢が戦陣訓に繋がるけどあれも誤解が多い。元々南京事件の影響で風紀を正すものだったのに。
東條は風紀委員に向いてるが周囲に嫌がられそうだな。
名前忘れたけど、海軍軍縮条約に奔走して東郷を始めとする艦隊派の軍人を怒らせてしまった結果
予備役に左遷させられた海軍軍人さんも良識派かな?
確か軍政畑を歩いて大将に選ばれた人だったのは覚えてる
325 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 00:13:21 ID:ZBK2Tc4n
>>323 東條をしてみんなに嫌がられる風紀委員というのは言い得て妙ですね
たしかにそういう感じがします、リッパすぎて少し煙たい感じですね
326 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 01:48:19 ID:E++c9x3q
戦陣訓は東條。
風紀委員が自分のケツ自分でふけなかったからな。
ピストルで自殺未遂は恥ずかしかったね。
>>324 推測するにロンドン条約時の谷口尚真・山梨勝之進・堀悌吉あたりだと思う。堀は山本の同期で親友だが。
>>326 起案したのは当時教育総監部本部長であった今村均である訳だが。そもそもの
発案は前陸軍大臣であった畑俊六。
東條は当時の陸相として前任より引き継いだ案件にその認可を与えたに過ぎぬ。
そもそも戦陣訓は軍の規律改善のために発案起草認可されたのであって、当時
陸軍将官であった者殆どが賛意を表していた。
東條のみを論うのはどういう訳かと。
>>324 条約派全てが良識派という事もあるまい。当時首切り捲ったのは確かに大角岑生
だが、大角個人は無派閥という評価もある。
海軍が米内山本井上ラインの条約派が
良識派と喧伝されているが、米内は支那事変拡大の責任者の一人。山本はソロモ
ンに拘泥し過ぎ。井上は純粋に実戦より教育畑がお似合いだっただけだ。
>>328-329 いろいろとThanks
条約派だって後の軍拡に繋がってしまうから良識と言う訳ではないか
だけど思い出せないorz
確か昭和天皇(大正?明治?)に信頼されてたと言うのもあったような…?
>>330 上記3人でないとすると藤田尚徳・鈴木貫太郎・加藤友三郎…違うな。斉藤実かな?
てか戦前の人にも触れてあげよう。
山本権兵衛は良識派か?
山本権兵衛は、評価が難しいです。
良識派と言い切れない部分があるので。
●海軍内の薩長藩閥の解体
●予算外の軍艦購入
●陸軍からの海軍の独立
1)海軍内の薩長藩閥の解体
これは良識と言える。
2)予算外の軍艦購入
有能であるが、良識とは言いがたい。
国防の為に政府・議会を誤魔化し、後に美談となったこの行為は、
後の海軍の思想に悪影響を及ぼしたと思える。
3)陸軍からの海軍の独立
おそらく、薩長藩閥からの悪影響を無くす為だと思われるが、
あまりにも陸軍から海軍が離れすぎてしまった感がある。
大学の教官交換ですら途中で無くなってしまったし。
>>332 山本権兵衛には島帝国論という卓見がある。
ハマンの海防論の思想を
日本で受け継いだけなように思えますが?
>>332 日本の最大の欠点は、統合幕僚という思考が明治中期で潰えてしまった事。
それは海軍が「陸主海従」というセッティングだった統合幕僚システムに異議
を唱え、「陸海並列」とする為に、軍令部を参謀本部と同格とした事。確かに
参謀本部と軍令部が同格でいいとは思うが、それを統合する機関を存続しなかっ
た事にある。
陸海完全分立のお陰で、陸軍は海軍の状況をまるで解っていなかったし。
台湾総督府内海軍武官府は、起案として「独自に台湾も含めた南洋総督府を新設
して、台湾、東支那海、南支那海、内南洋を一手に握る」事を目標とした「南方
外地統治組織拡充強化方策」「海南島処理方針」を支那事変当初昭和13年時点で
作成したが。が、陸軍はそれを知っちゃいない。
折しも支那事変中昭和14年。南支作戦途上で、海南島作戦に於て海軍が南進基地
及び南支那海権益の確保という事で、進行作戦を進めた。前年と同じく陸軍は一
切関心を持たず、「南支展開中の第21軍で攻めてやろうか?」と提案したけれど、
海軍が断ったが為に本当に補助の役割しか演じていない。
そして海軍が目標とした上記事案も陸軍はきちんと知っていなかった。昭和16年の
日米交渉中、支那撤兵を論じた際、海軍は陸軍の支那撤兵は強く聞いても、自身の
持つ海南島は撤兵するとは一言も言っていない。将に陸海断絶。
陸海断絶は、大東亜戦争時点でも多く見られ過ぎたし、陸軍が安心して進行作戦を
練る事が出来たのは海軍がほぼ関わらない大陸作戦のみとなってしまったのは返す
返すも残念。
輜重の重要性を陸軍も海軍も軽視したきらいがあるが、そもそも船団護衛をきちん
としなかった海軍もどうよと。
個々の部隊間の交流や種別の交流は続いてたんだけどねぇ。
それと、統帥と政務の分割が厳し過ぎた。
大東亜戦争時点、東條が首相、陸相、参謀総長兼務したのは統帥の情報が全く
入って来ない為であり、権力独占というよりは、情報伝達を兎に角スムーズに
したかっただけ。同じ様に、嶋田海相にも軍令部総長を兼任させている。
それでも、海軍の情報がきちんと伝わらなかった。
統帥の長たる天皇を輔弼し、指揮陣頭に立つ総理に情報が巧く伝わっていない
という状況だけは東條は何とかしたかったんだと思うが、結局後継の小磯、鈴
木内閣でまた分裂してしまった。
まぁ、統帥が分裂していた事と、政府統帥がきちんと統合されていなかった事
が、先の戦争での敗戦に繋がったし、その元を辿れば、どうしても明治より海
軍が陸軍より独立を念願し、そして果たした事に繋がっているんだと思う。
やはり
>>324に該当するとすれば山梨勝之進だと思う。
山本権兵衛は藩閥に繋がる人材を大幅リストラして、兵学校出身で固めたり軍部大臣武官制を廃止したりと思いきった改革をしている。
斉藤実は山本の後継者と言える存在。
加藤友三郎は自らの八八艦隊を自ら葬った。しかし海軍が独自の戦略に基づいて海防に力を注ぐのはいいが八八艦隊は無謀。
3人とも軍拡に走ってしまったなあ。
>>335 陸海軍については各国似たようなもの。戦争になって米では統合参謀長会議を設置したが。英とかはどうしてたんだろ。
日本は海に囲まれてるからむしろ海主陸従が望ましいけど海軍は金が掛るので明治初期に陸主海従になった。
日本も連絡参謀置いたり多少努力してるが充分でないね。
マレ―やラバウル等円滑に行った部分もあるが台湾沖の件もある。それに海軍が一貫して決戦主義で陸軍は持久戦指向だから作戦が噛み合わない。日露戦争の旅順戦みたいな感じが続く。
>>335 陸海軍並立は特に軍国主義が進んで陸軍の発言力が強くなると唯一対抗できるのが海軍だから仕方ない。
陸軍が独走したら武官制を利用する事もできる。統合作戦は大事だが独自の自由がきく作戦行動も大事。ただ自由過ぎて統制効かなくなったけど。
三国同盟阻止したり終戦に持ち込めたのは功績じゃないかな。
日露戦争までは何とかなったけど近代戦に合わなかった。
一応担当区域決まってたし海軍は艦隊決戦、陸軍は大陸だから平時は統合の必要性が感じられなかったんだろう。上陸作戦では必要だけど一応事前に協定決めてたし。
>>326 戦陣訓でよく問題に上げられる捕虜の件は、
日清戦争中の山県がすでにその旨を告知しています。
・決して敵の生擒する所となる可からず。
・寧ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うせよ。
対中戦で必要な心得(自決した方がマシ)だったものが、
上海で捕虜後に解放に自決したことが(詳細失念)世論で賛美され、
次第に強制になっていった。
必要と世論が生み出した戦陣訓が、なんで東條のせいになるのか不思議だ。
ハンを押した責任って意味なら分かるけど。
>>336 政軍関係については元々西南戦争の頃軍隊が政争に使われないようにする為。
政治が軍事に介入してヒトラ―の様な弊害もあったりする。
後は人が選挙で変わるし政治家は信用出来ないのもあるな。機密の問題もあるし素人に口出しされたくないのもある。
日中戦争で近衛が軍はどこまで攻めるのかって質問に杉山は答えなかったし。
陸海軍大臣だけでなく統帥も天皇直轄だしねえ。政治は軍を統制出来ないのに軍は政治に介入するてのがなあ。首相自体戦前は権限ないし代表であって長ではない。
一応戦争指導会議はあったけどね。
>>340 戦陣訓て何故か「生きて虜囚の辱め」の部分ばかり強調されるんだよなあ。
ノモンハンでも人事不省で捕虜になったら辻に自決を強要されたけど。
第一次上海事変の空閑少佐も自分からというよりいたたまれなくなってじゃなかったかな。戦陣訓以前に捕虜をタブ―視する考え方があって単に慣習を明文化しただけ。
郷土の誉れ・代表として立派に死ぬ事が名誉だったからなあ。
345 :
324:2008/07/02(水) 23:21:54 ID:???
>>337 山梨勝之進でググってみたら思い出せたので感謝
山梨勝之進って軍縮に奔走したけど
結果としては軍拡を拡げてしまう結果になって、努力は無駄になったのか…
だけど、自分の出生コースと軍人生命を犠牲にしてまで目標と言うか、信念を貫いたのは良くも悪くも素晴らしいと思うな
>>345 軍拡になるのは結果的な話。それと軍縮が目的というより条約締結で英米と足並みを揃える事に意味がある。
軍縮によって国力で劣るのに一定の比率を維持できた成果もある。条約無しで競争したら米に負ける。
1930年代前半は、生糸の大暴落、金融恐慌に凶作が追い討ちをかけ、
兵士の重要な供給源である東北地方は、貧困のどん底にあった。その頃
満洲に進駐した兵士に、実家から届いた手紙にこうある。
「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ってくるのは承知しない。家には、
お前が死んだ後下賜される見舞金が必要なのだ」
実の親からこういわれた兵士の心中はどうだったか。
自暴自棄になる奴や、逃亡する奴がいても不思議はない。
そこで、「名誉の戦死」を強調して、死ぬことは国の為にも実家の為
にも立派なことなのだ、と洗脳しようとした一面が、戦陣訓のあの一文
にはなかったのか?
黙れ、この反日野郎
>>347 つまり戦死を望んだのは軍ではなく家庭なんだね。じゃあ戦陣訓は関係ない。
>>347 ちなみにその手紙は実在するものかな?
そうだとすれば、自決強要と世論について考え直したいので
出典などを教えてもらえないだろうか?
(まず、その地方の不偏的な考えなのか、その家庭独自の考えなのか知りたい。)
英霊をさげすむ反日厨は死ね
>>351 満州の英霊に申し訳ないと中国や太平洋で更に英霊を増やした国賊が何を言うか。
>347
の文章を前に読んだ記憶があったので、本日図書館で調べてみたとこ
ろ、末松太平著『私の昭和史』(みすず書房、昭和38年)83ページの記
述であることが分かった。
末松太平は2.26事件に関与した将校の1人で、戦後回想録として『私の
昭和史』を執筆している。『私の昭和史』は2.26事件の第1級資料の1つ
とされている。
凶作が出征兵士の郷里である青森に与えた苦境の果ての事例として、
この手紙は紹介されていた。
>>353 350だが、情報提供に大変感謝する。
ありがとぉぉおぉぉぉおぉぉぉぉ!
自決強要の要素として、
出身地の貧しさが事実としてあったのは大変な驚きだ。
(誇張された話かと疑っていた。)
本当にありがとう。
355 :
347:2008/07/04(金) 20:58:41 ID:???
>353さん
手紙の出典を御提示いただきありがとうございました。
350さんの御質問をみてから、いろいろ捜したのですが、はっきり
とはわからなかったので、たいへん助かりました(松本清張氏の昭和史
についての著作かとおもって、そっちを捜したのですが見つからず、困
っていたところでした)。
学生の頃、昭和初期の浜口首相狙撃、三月事件、十月事件、血盟団事件
そして515事件というテロの流れの根底にある、農村の貧困について
いろいろ調べたときの資料の中で、この手紙と山形県の町役場に作られ
た「身売り相談所」の写真が、強く印象に残っています。
353さんの博識に深謝致します。
>>353 捕虜になって生きて帰って来たら既に見舞い金もらってるのにどうすんだと自決を強要された話かと思ってた。これって自暴自棄→戦場での乱暴になっても自決の強要とは関係ないよね。
>353 追記
この記事の手紙を送られた兵士は、その直後の作戦で戦死している。
(しかも、その作戦で戦死したのは彼一人)
戦死者に下る金にからむ、このような問題は例外的なものではなく
多くの戦死者の家庭が貧困家庭だったことが記述されている(という
よりもどの出征兵士の家庭も一様に貧困だったとしている)。
>>357 しかしその手紙が実在したかはわからんな。戦死についても。
226は確かに農村の貧困を見かねた青年将校が決起したものだが兵を共感させ決起を促すのにその話を利用した可能性がある。
ここで良識派とされる軍人にも欠点はあるし世間で愚将とされる軍人にも見るべき点はある。
例えば今村は第8方面軍でガ島戦を指揮して多くの犠牲者を出したし、牟田口はやり方は悪かったが増強中の英印軍を黙視できなかったのとウィンゲ―トの跳梁があった訳で放置したらビルマ方面軍自体壊滅する。
360 :
名無し三等兵:2008/07/11(金) 20:32:24 ID:xgKj5mUG
要は、トータルで善の比率の高い方を「良識派」と呼んで差支えないだろうね。
人物本位のトータルでは、ぼやけてしまうんではないか?
ある問題点において、良識派・非良識派・無関係派と分けた方がいいと思う。
良識かどうかなんて、そもそも各人の主観の問題だと思うがなぁ
>>359 少なくとも牟田口に関しては全く間違いだな
東条の評価が難しいな。
クズ元とか牟田口は無理。
100年経とうが評価できない。
>>364 杉山は優秀やで。陸士・陸大とも成績平凡ながら山梨・宇垣軍縮で実力発揮して出世した。杉山メモからしても東條と同じ緻密な実務家タイプ。
むしろそれを表面に出さず政治的にも無色。満州事変・支那事変で積極派だから評判悪いが226事件では参謀次長として先輩の荒木真崎の干渉拒否してきっちり処理してる。
陛下に強要するかのような意見は一切不可也と断固はねつける。
支那事変にしても全面戦争は避けるべきだがお茶を濁すような措置では同種の事件が頻発するのみと根本的解決を主張してる。
太平洋戦争でも一貫して天皇の幕僚長たらんとして軍と天皇の威信秩序確保に努めた。
だからこそ東條の総長兼任に反対したし叱られ役に徹しながらも天皇からの信頼は厚かったんでないかな。
海軍の永野ともうまくやってたし忠実な幕僚長としてその行動は軍紀維持に基づくものだと思うで。
>>365 永野と海軍が使えない上に陛下のいうことをきかないので、
杉山に陛下が泣きつく話があった。
軍板は東條シンパ、陸軍シンパ、アンチ海軍、アンチ五十六の巣窟だな。
海軍善玉論はウソだが、陸軍が海軍より悪質で責任も重いことは明らか。
政治を牛耳り、満州事変で日本を国際的に孤立させ、破滅戦争へ導いたのは
間違いなく帝国陸軍。陸オタはやく目を覚ませ。
まぁそれは分かっててあえて批判するのはやめて
各軍人の良いところを探そうってスレでもあると思うんだ
>>367 シンパとかアンチとか何で善悪に分けないと気が済まないんだ?
ドラマじゃないんだからそんな単純に分けられるもんじゃない。
自分自身を善悪に分けられるか?
226より先に515やったり軍縮条約で政友会と組んで統帥権干犯問題とか建艦競争で米英刺激したり国を破産させかけたり。
陸海軍の罪は政治家も併せて同罪だ。
つうか、政治家というか、政治があまりにも弱かったせいでバランスが悪く
なったこと、軍人が政治家もどきになったことがマズかった気がする。
これは今の日本もそうなんだけど。
陸軍が悪者扱いされやすいのは、特に政治家的な軍人が数人目立つせい
じゃないかなあ。
もしくは本当は軍人でしかありえない東條が政治家に堕さざるを得なかった
せいで悪化してたところとか。
陸軍は終戦時にクーデター未遂事件とか起こしてるからなぁ。
国の方針より自分の方針を優先してるイメージはどうしてもある。
そもそも統帥と政府が完全に分離していたのは、近代国家としてはまずかった。
作戦遂行を速やかならしめる分ではよかったんだが、政治がそれに追いつかない。
政治家だって当時は拡大策を論ずる人が多かった訳だし、文官や公家はリベラルっ
ぽい等というイメージでの論理は、昭和13年支那事変で南京占領後に行われたトラ
ウトマン工作を1月15日をもって交渉決裂(国民政府ヲ対手トセス)を主張した事で破
綻している。交渉決裂を主張したのは外務省(広田外相含む)であり、総理であり、
大蔵省であり、陸海軍省であった。
イメージとは何と儚い物かと。
逆に参謀本部と軍令部は、猶交渉を続けろと意見がぶつかった。
歴史の転回点だったと思う。
>>365 東條の参謀総長兼任は何をどうしても作戦と戦況が見えて来ない事への苛立ちか
らで、それは陸軍省軍務局内部でも不満が欝積していただろう。
参謀総長兼任してもなお、海軍の実態は終ぞ把握出来なかったのだから。
陸軍が海軍の状況を把握出来なかったというのは現場に於ても同じで、昭和20年
初頭の硫黄島防衛戦に於ても、海軍はマリアナと同じように艦隊を寄越してくれ
るのではないかという考えを持っていたのが、そもそもマリアナとレイテで絶大
なる損害を受けてしまい聯合艦隊は個々の大艦は残れども行動不能状態となって
いるという事を栗林中将は堀江芳孝少佐に伝えられて唖然とするって具合だから。
杉山元帥が東條の参謀総長兼任を反対したのは、全うな意見とは思わない。
大本営が統合幕僚としての機能を有しなかった事、政府と統帥が完全に分離され
ていた事、陸軍と海軍が完全に分離されていた事は痛恨の反省事と思わなければ。
>>371 終戦クーデター部隊を陸軍でくくるのはどうかと思うぞ。
厚木航空隊は海軍なわけで。
>>371 徹底抗戦を叫んで、クーデターを起こそうとしたのは海軍も同じ。
宮城の反乱を画策した近衛師団と、帝都防空邀撃を担当していた海軍航空隊302
空の抗命問題は同列に論じるべき。
とくに302空は小園少佐の考えもあって終戦の御詔勅を聞いて「陛下が太平を開
く事を祈念するからこそ抗戦を続ける」という考えだったから、ある意味陸軍の
反乱部隊よりも確信的。
>>373 まぁ確かに鎮火に尽力する人のがはるかに多かったわけだから陸軍は……ってのは
正しくないか。
>>374 なるほど。しかし聞けば聞くほど終戦がすんなり行ったのは幸運が重なったのかな
と思うね。
>>372 統帥権独立ができたのは竹橋事件や西南戦争が原因で本来軍隊を政争に使わない事と軍人が政治に関わらない為の制度なんだが。
それと陸海軍卿を通さないと上奏できないとか迅速な作戦遂行にも支障があった。
昭和の政治家は失言多いし機密上の心配もある。それに統治者は天皇だから情報や権限を特定の個人に集中すべきでないというのもある。
軍部大臣現役武官制が復活したのは予備役になった荒木真崎を大臣につけない為。
杉山が東條総長を否定したのも政治関与を戒めるのと天皇以外に権力を集中すると天皇の威光を否定する事になりかねないからだが、東條が天皇の支持を得てるのもあって後に同意している。
>>372 統帥権独立で政軍分離していても昭和になるまでは支障なく機能していたし政治家も権限があって軍事をリ―ドしていた。
制度とは別に時代と共に運用に問題があったんだと思う。張作霖爆殺辺りからおかしくなった。
陸海軍が分かれてない国はほぼ皆無だが情報が入らないとかは確かに問題。作戦については事前に協定結んだり実際の作戦指導でも連絡参謀がいたが統一指揮はやはり権力集中になるので不可だった。
文藝春秋で年1,2回やる爺様座談会に飽き飽きしてるのは俺だけか
いいんだかわるいんだか、と言う意味で言えば、武藤章なんかも評価が難しい。
統制派・下克上かつ軍部が政治に容喙していく上では非常に悪役なのに、開戦を迫る参謀本部には「俺は戦争は嫌いだ!」と言ってみ
たり「絶対衝突するぞ」と言われた皇道派寄りの山下奉文と関係良好だったり。
良い面も悪い面もあるのが人間だし、見方を変えれば良悪の基準も変わる
でも牟田口だけは勘弁な
381 :
名無し三等兵:2008/08/13(水) 18:46:50 ID:Eq0RGa7C
陸軍の富永中将も勘弁してほしいですね
馬鹿ウヨにとってはムッチーはインドの植民地解放のために戦った愛国者じゃなかったっけ?
文藝春秋の特集まじツマラン
何べん同じこと語ってるんだ彼らは
>>381 「黙れ」佐藤は? 怒鳴られた宮脇長吉議員が元陸軍大佐で佐藤が陸士生徒時代の教官だったという話を聞いてちょっとモニョった。
ちなみに、紀行作家だった宮脇俊三の父親で、かつ三土忠造の弟だと聞いてすごいなぁと思った。
>>384 良識ではないだろ。
気持よく演説してたら延々続くから野次を飛ばされて逆ギレしただけの話。
ガ島の船舶を巡って参謀本部の田中新一と軍務局の佐藤で殴り合いしてたら東條が来て勢いで田中が東條をバカヤロ―呼ばわりした。
>>373 しかしな〜どうしても陸軍に対しては偏ったバイアスが掛っちゃうな〜
陸軍悪玉海軍善玉なんて都市伝説
じゃあ陸軍金玉くらいで。
金玉があったのかどうか怪しい奴もいたな
米内光政と山本五十六展 盛岡・先人記念館
盛岡市の市先人記念館は、テーマ展「米内光政と山本五十六」を開いている。海軍大臣を務めた
米内と次官として支えた山本は固いきずなで結ばれ、太平洋戦争の回避に動いた。激動の時代に
国の重責を担った2人の功績を紹介している。
盛岡市出身の米内光政は、新潟県長岡市出身の山本五十六の海軍兵学校の3期先輩。2人は
海軍砲術学校教官時の同僚で、以後親交を深めた。
岡聡学芸員は「太平洋戦争に反対したが開戦後は責任を回避せず、早期終戦に力を尽くした。
自分の立場で懸命に働いた2人の功績を見てほしい」と語る。企画展は9月21日まで。
http://www.iwate-np.co.jp/kanko/f2008/f0808/f200808152.htm
板垣と東條を華麗にスルーする岩手県人(笑)
>>391 親父の東條英教の事か。
陸大一期生首席卒業で戦術研究に励んでいたが藩閥人事に潰されたな。
英機の方は東京出身になるんでないか?
東條って一般人に対して報復召集するイメージが強い。
実際手を下したのは誰か知らんが、基地外レベルの発想だよ。
東條は親父の処遇への恨みか自分が南部出身者というのをかなり意識していたらしい。
アイデンティティーを盛岡藩に持って言ったそうな。
岩手県関連の会合にも積極的に参加してたそうな。
本籍地は岩手じゃなかったっけ?
板垣も色々と酷い。
ってかなんでこういう輩が出世するのか陸軍は。
板垣/米内
東條/嶋田
石原/石川信吾
荒木/加藤寛治
真崎/末次
寺内/高橋三吉
富永/福留
その他陸軍
田中服部辻塚田牟田口花谷佐藤武藤相沢
その他海軍
大角及川永野山本大西古賀豊田黒島小園
どっちもどっちだと思うぞ。
それと中央の要職や参謀より現場指揮官なら良かったかもとか適材適所の問題もある。
逆に現場で使えないとかどっちも使えないのも多いけど。
>>397 様々な人事慣習が多いから柔軟な人事が困難だった。
南雲が第1航空艦隊司令長官の人事とか典型的だし。
399 :
名無し三等兵:2008/08/20(水) 11:10:14 ID:7WykfL6t
400 :
霧番:2008/08/20(水) 11:11:21 ID:6lWxo8uq
400なら加藤ジーナとセックスできる。
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400ならスチュワーデスのコスプレをした加藤ジーナとセックスできる。
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400ならセーラー戦士のコスプレを一通りした加藤ジーナがディープキスをしながら手コキしてくれる。
400なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの加藤ジーナが生姦&膣内射精させてくれる。
400なら加藤ジーナのママが結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で加藤ジーナのママが孕んでくれる!
400ならJSFに法則発動
400なら空自の次期F-XはF/A-18F
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
>>399 これこそ「暫定税率」のご先祖様のようなお話だからな。
最初は恒常的にやるつもりじゃなかった(捷一号作戦限定)のに、泥沼にはまって最後は「2000万人特攻させれば」なんて心境に至る。
402 :
名無し三等兵:2008/08/20(水) 13:40:12 ID:7WykfL6t
大西中将はある日、特攻隊を送り出した後に
門司副官に「なあ、専任参謀。特攻なんてものは外道だよ」とおっしゃられ
このときの柱状の後ろ姿はさびしげだったそうだ。
関中佐の特攻が成功して、海軍内で特攻が
正式の戦法として取り上げられてしまったことで、
大西中将は引くに引けなかったのでは・・・と思います。
また、中将が「この戦いは300万特攻。犠牲を覚悟しろ」と言う
訓示をされたが、門司副官が後に文春で「米軍が本土上陸すれば
日本人は1億特攻で戦う」ということを米軍に牽制するために
おっしゃったと回想されていた。
まぁ敵軍兵士への嫌がらせ効果はすごかったけど
戦略的には牽制になってないよね……
他に方法がないんで仕方ないけどさ
敵軍が厭戦気分になることを期待して外道の戦法をとるというのは、近代国家がしてはいけないことだと思う。
それに米軍は特攻が有効であることを日本側に悟らせないよう、「被害に構わず前進せよ」と命じていたとも聞く。
かまわず前進できてしまう程度の打撃…
特攻スレになりかけているけど、
旧帝國軍人を語る上で避けて通れないかも。
海軍善玉論はウソだが、陸軍が海軍より悪質で責任も重いことは明らか。
軍人のくせに政治を牛耳り、憲兵を使って言論弾圧し、連絡将校を派遣して軍国教育を行い、
満州事変で日本を国際的に孤立させ、破滅戦争へ導いたのは間違いなく帝国陸軍。
陸オタはやく目を覚ませ。
>>407 /. ̄ ̄ ̄ ̄.\
/ \
/ / |
l. ,,...__ |||||||||||
l. ,.=、 '゙ー’ l. ,.-、 |
. l-○⌒○------! j h | |
l ! 、 └;__.ノ | <貴君には硫黄島に出兵してもらおう
. l. llゝlllllll j. `ー|
l. `゛ニ ̄` j |
. ! ,:' / |
ヽ、 ___...ノ / .|
>>407 まず陸軍という組織はないし一部の軍人の行為が陸軍の総意ではない。
東條は首相になってからむしろ陸軍の意思に反する事(早期開戦の白紙化)をしている。
憲兵は軍事警察で特高は内務省管轄。
国際連盟脱退や三国同盟はむしろ外務省の松岡だし。
軍縮でリストラした人員を学校に派遣するのは総力戦に備えて予備兵力の確保や軍事教練の前倒や軍事の普及宣伝として別に不思議ではない。
日本以外の国は大学で軍事学を教えるのがむしろ普通だし。
在郷軍人会も日本より外国のが古い。
教育の前倒しでかえって徴兵現役が3年から2年に短縮された。
陸大の教育さえなけりゃ、もうちょっとマシになったとおもう。
>>409 陸軍の総意そのものがなくなった無秩序状態をもたらしたのは他ならぬ陸軍。
荒木貞夫らだね。
412 :
名無し三等兵:2008/09/11(木) 17:15:01 ID:XT1hmCFj
総裁候補に立候補した与謝野氏
尊敬する人は井上成美だって。
ふうん。
このスレをこのまま落すのは忍びない
保守age
>井上成美
こんなカスを尊敬しているのか?
陸上攻撃機部隊の編成と、委任信託領の軍事基地化なんてバカな組織化は
田中角栄の砂防ダム戦略と同じレベル。
いや、内国経済を潤わせず、豪州に危機感与えてオーストコリア化させた戦略は
国家百年を過った政策だったといえる。
トラック基地は日本防衛には資せず、ただ豪州侵略のための物というのが
地政学的視力を持たない軍板住人でない大臣にはわからないのか!
地政学などというオカルト学問をありがたがっている時点でアウトw
418 :
名無し三等兵:2008/10/13(月) 23:32:24 ID:8GcTyojN
多田駿はどう?地味だけど
419 :
名無し三等兵:2008/10/14(火) 05:32:55 ID:5MtfQ0SK
甘粕正彦と東条の士官学校時代のエピソードだけなら良識派なんだが…
木村兵太郎
>>376 荒木・真崎を〜ってのは口実だろうが、何を真に受けてんだ??
おまえは広田かwww
423 :
名無し三等兵:2008/10/16(木) 22:47:12 ID:ZWB95XEP
>>409 なにがなんでも陸軍は悪くないことにしたいという異様な熱意に苦笑。
国際連盟脱退は満州事変が原因。
三国同盟は大島浩が悪い。
424 :
名無し三等兵:2008/10/18(土) 07:38:26 ID:yDxCFT20
>>376 嘘を書いてはいけない。
統帥権の独立は、軍事が政治に制約をうけないようにすること。
まるで逆だ。
うむ、統帥権の独立は側面にどんな要素があろうと、
山県有朋による権力確保がその最大の目的だったってことは近代史界でも認められてるしな。
そりゃ軍の作戦まで一々政治家に指揮されちゃ適わんが、大枠的な行動を監査する組織は議会に必要だった。
426 :
名無し三等兵:2008/10/18(土) 15:44:13 ID:yDxCFT20
つまりシビリアンコントロールを防ぐこと、これが統帥権の独立。
本来はシビリアン「コマンド」を防ぐためのものなのだが
>>420 敵前逃亡以外、なんかエピソードあったっけ?彼。
>>417 地政学がオカルトなんじゃなくて
地政学をだしにしてオカルトな主張を並べ立てる者がしばしばいるというだけでは?
地政学がオカルトなら、スーパー・コンビニが地形や周辺施設等で出店計画を立てるのはどうなのかと。
誰か地政学を専攻してきちんと学んだとか通俗本でなく学術書で勉強した上で言ってるのか?
それでなきゃ「地政学で言うと」なんて権威付けた言い方は詐欺だぞ。
「俺が見たところ」な見解でしかないのに「地政学で言うと」とさも理論的で学術的根拠があるかのごとく語るのが多いから。
まあ社会科学全般が本当は科学じゃなくて自称学者の個人的見解でしかない似非科学だがな。
433 :
名無し三等兵:2008/12/09(火) 14:20:21 ID:DPgEq8Om
阿部信行はどうよ?
, '´  ̄ ̄ ` 、
i r-ー-┬-‐、i
| |,,_ _,{|
N| "゚'` {"゚`lリ
ト.i ,__''_ !
/i/ l\ ー .イ|、
,.、-  ̄/ | l  ̄ / | |` ┬-、
/ ヽ. / ト-` 、ノ- | l l ヽ.
/ ∨ l |! | `> | i
/ |`二^> l. | | <__,| |
_| |.|-< \ i / ,イ____!/ \
.| {.| ` - 、 ,.---ァ^! | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{ ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
}/ -= ヽ__ - 'ヽ -‐ ,r'゙ l |
__f゙// ̄ ̄ _ -' |_____ ,. -  ̄ \____|
| | -  ̄ / | _ | ̄ ̄ ̄ ̄ / \  ̄|
___`\ __ / _l - ̄ l___ / , / ヽi___.|
 ̄ ̄ ̄ | _ 二 =〒  ̄ } ̄ / l | ! ̄ ̄|
_______l -ヾ ̄ l/ l| |___|
>>432 そんなに軍事が好きなら自衛隊入れよということですね、わかります
明日のTBS「あの戦争は何だったのか」は保阪正康がオリジナルテキスト
と紹介されているな。
つう事は、元型は『陸軍省軍務局』か?
石井秋穂中佐が軸である事を考えればそうなんだろう。大命降下後の東條
政権の流れを石井の目から見た形で準えるのであれば、楽しみではあるな。
保阪は東條の評伝も書いてるけど…
石井が主役なら軍務局の方だけど
それなら陸軍=悪とする簡単な構図で描かんということか…
TBSの「あの戦争は何だったのか」を見て色々興味を持ち,Googleで
調べたりしてたら,このスレに飛ばされました。大変参考になります
いやぁ,専門的過ぎるから軍事板なんてと敬遠してたんですが,
客観的かつ論理的な議論が展開されていてビックリです!!
439 :
名無し三等兵:2008/12/25(木) 08:54:00 ID:/VNWVo6L
>>433 阿部は良識派なんだけど政治家としては無能かな?
世渡りは上手なんじゃない。
井上成美の「一等大将、二等大将」という括りには若干異論があるな。
「将」はあくまで戦果によってのみ評価されるべきであるはずなのに、
政治的業績の評価に偏り過ぎているように思われ。
一等と評された山本権兵衛、加藤友三郎、米内光政だが、
加藤以外の二人の「将」としての能力は正直未知数だ。
(これが一等大臣、二等大臣とかいう括りなら俺的には桶)
これを単なる言葉遊びとおっしゃるなかれ、
将と大臣では求められる職能が違う、
漢の高祖、劉邦に言わせれば(俺は嫌いな表現だが)
「獲物をしとめただけの犬」と「綱をとって指図した人間」の違いがある。
おそらく、戦果によって昇進した連中の横槍にうんざりした経験が背景としてあるのだろうし、
その点では同情するが、変なものは変。
長文スマソ。
加藤は自分で八八艦隊を提唱し自分で潰してる。
山本は海軍の育ての親で藩閥を打破したり功績も多いが軍令部を参謀本部から切り離したり陸海軍の縦割り・別戦略を促進した感じもある。
斉藤実がシーメンス事件で潰されて条約派の逸材も予備役入りしたりと後継者が充分に育たなかった。
米内は日中講和を潰したり一概に良識とも言えない。
艦隊派でも高橋三吉が航空の将来性を買っていたり末次も主砲中心線配置や潜水艦重視等見所あったりする。
ところで太平洋戦争の海軍で最も戦果を挙げたのは南雲という事になるだろうか。
一般に不当に評価が低いけども。
>>441 不要な戦果が目的ではなく出世の手段となることもある
444 :
名無し三等兵:2009/01/21(水) 01:05:02 ID:7RgpeWN4
井上成美は大将にも一等、二等、三等大将がいて中には国賊と言うべき者もいると言っていたが、
陸軍大将に対しても同様の格付けをした場合、一等大将には誰が該当すると思う?
>>444 大山・児玉コンビ。
てかまず大将まで出世しないといけないのがハードル高いな。
446 :
名無し三等兵:2009/01/21(水) 09:38:31 ID:FUcNlHeL
最後の陸軍良識派は阿南惟幾。
447 :
名無し三等兵:2009/01/21(水) 19:17:20 ID:7RgpeWN4
桂太郎、宇垣一成、今村均、栗林忠道も一等大将だと思う。
>「将」はあくまで戦果によってのみ評価されるべきであるはずなのに、
ナニ、このオレ様基準。
こんな大海軍は日本には分不相応じゃわい、いつか滅びると言ってた人もいるんじゃないか。
たぶんまるっきり出世しなかったと思うが。
450 :
名無し三等兵:2009/01/21(水) 20:59:54 ID:/6BTSvbS
堀悌吉海軍中将
451 :
名無し三等兵:2009/01/22(木) 02:51:45 ID:UyCDn4MK
陸軍の総意に背いて軍部大臣現役武官制の廃止に同意した木越安綱も良識派だと思う。
良識派軍人とは何ぞや?
軍縮とか三国同盟とか開戦や終戦の決断等は本来政治家の仕事で軍人の仕事ではない。
また山本が開戦に反対しながらGF長官になったら戦争に尽力したように職務ごとの立場で行動が変わるので本人の思想と行動は必ずしも一致しない。
航空主兵とかも先見の明より自分が航空出身か砲術出身かによるものが大きい。
本来みな真面目に自分の職務に忠実でその思想が後の価値観から見ればズレていても本人は勝利の為に国や組織の維持の為に大真面目にやっている。
任務を放棄して逃げ出すとかは論外だが任務を忠実にこなそうとした者はみな良識ある軍人と見なしていいんではなかろうか。
渡辺錠太郎出た?
454 :
名無し三等兵:2009/01/22(木) 22:37:10 ID:ogm6o+a4
陸軍きっての米国通で、航空にも明るかった寺本熊市中将
455 :
名無し三等兵:2009/01/28(水) 18:31:21 ID:CDf1PX/M
浅野庫一大佐(敦賀119連隊、連隊長)。マンダレーでの戦いで〇中参謀の死守命令で
部下をこれ以上戦死させたくないが、上の命令にも逆らえない…。
悩んだ末に浅野大佐が下した決断は
自ら敵陣に手りゅう弾をもって突撃して戦死。
連隊長が戦死したら、部下は戦いを継続しても退却してもよかったので
残った方々は生還することができたという。
平成19年のNHKで放送してたので、御覧になった方もおられると思います。
ちなみに、浅野大佐がなくなったのは昭和20年の2月8日です。
謹んでご冥福をお祈りいたします…。
現代なら、「良識ある官僚(公務員)とは?」に置き換えれば良いのだろうな。
>455
水上少将は死守せよの命令を
を思い出しました
459 :
名無し三等兵:2009/02/07(土) 17:34:28 ID:G9xiwsXQ
水上源蔵少将は、死守せよとの命令を受諾した後に
「みんな(将兵)の身体は、それぞれがご両親の慈しみを受けて
育ちあがった貴重なもの。これを大切に取り扱わぬ国は滅びます」
とおっしゃった。
その後、閣下は部下に転進(実質的には、退却)命令を下したのちに
自決された…。
水上閣下のご冥福をお祈りいたします。
>>457 そういう意味で良識派軍人を定義したら、軍人の本分を尽くして
政治とかには一切関わらなかった人が当てはまるのかなぁ・・・
そうなると米内・山本・井上なんてたちまち陥落だし、
現在では覚えられてない無名の軍人たちが当てはまっちゃうか?
全部、広田弘毅のせいか。
462 :
名無し三等兵:2009/02/21(土) 04:05:12 ID:4Gll6Hrm
>>451 でもそのせいで中将止まりだったんだよな
木越さんみたいな人に大将になってほしかった。
>>447 宇垣はあの戦争は俺は責任ない的なところがあってどーもね。
464 :
名無し三等兵:2009/03/03(火) 19:13:29 ID:Qq9U5X8e
465 :
名無し三等兵:2009/03/05(木) 06:53:23 ID:tgv8qlB0
前田利為大将の名前が上がってない
留学経験もある良識派で華族の麒麟児と言われた。
やはり木村昌福提督
インド洋交通破壊戦の際商船から逃げ出した
ボートに銃撃を加えようとした対空要員に
艦橋から身を乗り出してうっちゃあいかんぞ、と一喝。
礼号作戦では沈没した清霜乗員救助に
敵制空制海権内を単艦で50km以上引き返している、司令官自ら。
落ちこぼれで平時ならクビだとエリートにはバカにされつづけていた
あんま関係ないかもだけど、テレ朝でやった「落日燃ゆ」で荒木陸相に武藤章が噛み付く件があったじゃん。
でも調べたら武藤って荒木陸相の時代には陸軍省にいないんだよな。
考証くらいちゃんとしろよと。
永田鉄山が殺された正にその日に武藤は陸軍省に、石原莞爾は参謀本部に赴任してるんだよね。
陸軍の至宝をガイキチ軍人如きに消されたのは昭和史最大の悲運の一つじゃ。
高待遇の餌につられた、受験&試験オタクを集め
足を引っ張るのが最適戦術になる、減点法の人事システム。
良識が有ったら昇進出来ませんわw
陸大出てても何処かで有力な上官のお気に入りにならないと上に行けない。
軍閥と呼ばれてるのはそういう縁故による繋がりの体系。
山縣閥→上原閥→宇垣閥→統制派
↓
皇道派
ざっくり書くとこんな感じでしょ。
昭和陸軍最大の鬼才石原莞爾ですら板垣に気に入られなければ一介の参謀将校で終わってたはず。
永田鉄山の仕事が完成してたら人事システムの改革まで進んでた可能性あると思う。
石原を参謀本部に、武藤を陸軍省に呼んだのは永田だし。
長州の大立者寺内正毅の息子だってことで冷遇されてた寺内寿一が二・二六事件のお陰で梅津美治郎と共に浮上したのは皮肉な話だ。
東條は永田の後継者と見られてたけど、やってること見ると永田の徹底的な合理性は全然受け継いでないのな。
北支事変当時に石原についた連中の方が永田の合理性に近い。
それを目の仇にした東條は能力・気質的に残念な軍人だったな。
470 :
名無し三等兵:2009/03/21(土) 00:26:33 ID:26z+sjua
>>466 平時なら大佐か良くて少将ぐらいで軍歴終わってたんだろうなー
現場のたたき上げは強いな。
471 :
名無し三等兵:2009/03/21(土) 00:37:26 ID:QjhBA3NZ
皇道派と言えば、小畑と山下のツートップかなw
海大出てなくても少将ぐらいになった人結構いたと思うけど
>469
派閥の系譜がむちゃくちゃだな。
>>474 「ざっくり」って書いたろが。
細かい系譜知りたかったら「日本軍閥の興亡」とか「陸軍省軍務局」とか嫁。
>475
ざっくりってのは、大筋があっていて詳細を省略している場合に使う
言葉だが。
そもそも、なんで山縣閥から上原閥につながっているんだ?上原勇
作は旧島津領出身の薩摩閥直系で、長州閥とは犬猿の仲だろうに。
山縣の影響力が薄れた(或いは消滅した)時点で陸軍の長老は上原元帥。
彼自身野津道貫の女婿であって、薩閥の復興を目論んでた。
山縣死後、陸軍主流を形成したのは上原閥。
昭和八年に彼が死ぬまで主要人事を壟断し続けた。
そもそも山縣存命中にそれに従わない態度を見せて軍人生命が維持出来ると思うか?
そういう時間的系列を表記したものだよ。
バーデンバーデンの会合は大正十年。
この頃にはもう若手・中堅将校は藩閥にうんざりしてたんだろ。
宇垣の元で一度は一体化した陸軍が九州出身の精神主義者とそれ以外の実務主義者に分裂したのが昭和十年代の情勢じゃないか。
キッチリ調べたければ「日本軍閥の興亡」「陸軍省軍務局」読めって。
478 :
名無し三等兵:2009/03/22(日) 07:11:11 ID:ygGFIffU
上原勇作て軍人としては優秀かもしれないけど、結構DQNだよな。
>477
当然、そのあたりの本を読んでいるから「むちゃくちゃだ」と書いているんだよ。
山縣の後の主流派は田中→宇垣だろう?
上原本人は山縣とはそれなりにやっているし、山縣晩年までは田中義一と
もさほどまずくはない。寺内とはそもそもからしてだめだったようだけど。
最長老の元帥であっても、手足になって動く取り巻きがいなければ何もできない。
単に一人で吠えたける嫌な爺さんでしかないし、上原勇作はまさにそういう扱い
だった。田中や宇垣にいいように手玉に取られてね。
上原勇作が山縣死後の主要人事を壟断できていれば、田中も宇垣も陸相にな
れていないし、金谷も参謀総長になれていない。
統制派・皇道派の若手主流のそもそもの発端が、「干されかけている上原系
の将軍達を守り立てる」であることからしても、上原閥が非主流派だったのは
明白だよ。
非主流でも一時は上原とその郎党が大勢力だったろ。
それを無視するか拾い上げるかの違い。
大体山縣が憤死してから上原が死ぬまで10年ちょっとしかないんだし、老いぼれたら影響力減退するのは避けられないし。
そういう言い方するなら上原閥は陸軍の鬼子だろ。
長閥打倒はいいけど、何で九州人ばっかり集ったんだか。
順序としては、
山縣→田中→宇垣
と直系で(宇垣はかなり微妙だが)きていて、上原の息のかかった連中が
出張ってきたのはその後でしょう。
まあ、荒木陸相が実現して天下をとったと思ったら、すぐに皇道派と統制派
に分裂したけど。
西村祥治提督はどう?
アメリカからは無能て評価だけど
四将軍→上原元帥→皇道派→米国派という亜流の流れ。
加藤友三郎 蝋燭の灯が消えたのはイタイ
八八が無理だとわかってツブシたし。
488 :
名無し三等兵:2009/03/26(木) 06:14:00 ID:7WrlfGHb
西村提督立派だと思うけどな
>>489 元海軍参謀吉田俊雄が「結果を出せなかった。勝敗の割合で言うと負けの方が多い」って酷評してる。
アメリカ側の高評価も「実態を知らない過大評価だ」ってバッサリ。
あんまり意味はないからね、結果以外の評価って
ifが入ってきちゃうし
492 :
名無し三等兵:2009/03/27(金) 15:45:49 ID:t3BXOEGI
小沢司令官がマリアナで夜間、母艦を見失った偵察機に艦隊の位置を教えるため
探照灯をあかあかと照らしていたことで米潜が寄ってきたのではないかと
「五月雨」の艦長が言っていますね、これが翌日「大鳳」「翔鶴」を撃沈されるのにつながった、と
偵察機を回収しようと灯りをつけるのが良識といえるのかどうか、難しいところです
小沢提督、本人も
「戦争を起こしたの責任はないけど、戦争に負けた責任は有る」って言ってたらしいから
自分の指揮で多くの部下を死なせた後悔はあるんじゃないかな?
というか酒浸りで家では後悔ばかりしていたらしい<小沢提督
親戚の航空自衛隊員が事故で生死不明(後に生存確認)になってたときに、
「馬鹿な。何故戦場で死ななかった」と言って、奥さんに「あなたもそうでしょう」と反論されて
涙ぐんでいたらしいし。
>>492 「俺はなぁ、小沢がだいっきらいなんだ!(ry」
という軍神761様の批判ですね。
ナツカシス
>>490 違う違う。
>>489はアメリカでの小澤提督の評価。
ヤンキーが結果だけみているならアメリカの高評価はありえない。
生きてりゃいいわけも出来るからな。
むっちーの事ですね
吉田さんの主な小沢批判は、あの錬度の飛行機乗りに対して、
マリアナ沖海戦でのアウトレンジ戦法はいかがなものか、という批判。
タウイタウイだったっけ、での空白の1ヶ月を含めて。
いっそのこと、夜の間に間合いを詰めて接近空母決戦を、
という論にも、結構な無理があることは事実。
小沢は上の作戦通り戦っただけなのに。
503 :
名無し三等兵:2009/03/28(土) 22:02:16 ID:aVWo8Yhg
大本営に間違いはごわりもはんっ
>>502 >>503 大本営の作戦では,
第一航空艦隊には航空の全戦力が結集されて充分に訓練を行い、
多少の陽動は無視してマリアナに終結して待ち、
小沢艦隊は、この状況で総力で敵機動部隊を叩くべく待機して、
やはり充分に訓練を行い、
マリアナには帝国の総力を挙げた資材が投入されて、
万全の要塞化と邀撃体制の整備がされていることになっていた。
さて、この作戦がまったく実行されなかったんだが、
誰の責任かという話じゃなかったか?
>>504 海軍全体ってことになるな。
勝手にクエゼリンやトラックに戦力分散させて
損耗したし、マリアナの築城にも消極的だった。
後の硫黄島みたいな絶望的な環境でも外へ外へと
防御を拡大して足を引っ張る。
持久戦の意味を理解できない連中。
小沢中将にしろ角田少将にしろ
部下や民間人思いの「良識派」軍人は戦に弱いということなのでしょうか?
いや、あのような戦況では誰が指揮をとっても同じだったのかもしれませんが
>誰が指揮をとっても同じ
たぶんこれが真相
「アウトレンジ」ってそもそも「戦法」かと。
航続距離が日本の方が長いくらいはアメリカ
も百も承知で当初、防空戦を重視して、距離を
詰め次第、反撃に出るくらいは誰でも考えるだろ。
奇襲要素があったとは思えない。
航続距離の差よりも、大規模な上陸作戦支援と
対艦攻撃を同時平行にやらなければならない
作戦の複雑さが真に付け込むべきポイントだったと思うね。
509 :
490:2009/03/29(日) 06:09:37 ID:???
今更だけど、吉田俊雄じゃなくて奥宮正武の間違いでした。
申し訳ない。
「ならば他にどんな方法があったというのだね?」 小沢治三郎
それは小沢が本当にそう言ったの?
>>511 取材者にマリアナでのアウトレンジにはかなりの無理があったのではないかと言われたときの台詞だそうです
アウトレンジって誰が言い始めたんだっけ……
確かにもう彼にはどうしようもないわな。
>>506 角田少将は弱くないと思うけどね
南太平洋海戦なんかはね
でもあの戦いから見ると、
飛行機を温存しながら戦う必要のあるマリアナでの航空艦隊には不向きとは思う
>>497 ニミッツだか誰だかが「勝利を得られなかったが、名将と呼ぶに相応しい」って評価したことへの奥宮の意見だったと思ったが。
結局の所、あの場面じゃ誰が指揮をとっても同じなんじゃ
>>515 「だって結局実戦で一度も勝利してないし」てのが奥宮の見解だったね。
大体五十六が死ぬまで連合艦隊司令長官やってたのがおかしい。
海軍はそんなに人材が払底してたのかと。
「真珠湾奇襲が承認されなければ職を辞す」ってわざわざ五十六が言ってくれてるんだからその作戦を不可として「海軍は戦争に不同意である」って言っちゃえば良かったのに。
吉田だの及川だの嶋田は何を学んで来たのかと。
たぶん戦争に負けることは延期できたけど、海軍の立場が
苦しくなっちゃうからできなかった、って感じでしょう。
国家予算の何割使ってんだお前らは、というツッコミに返答できない。
井上成美辺りはもっと重要な艦隊を任せていても良かったかもな。
黛が井上のことは凄く褒めてたりする。図上演習が抜群に上手かったらしい。
海軍一論理的で冷徹な提督だったんじゃないか? 珊瑚海海戦とかポートモレスビーを獲ったは良いが
維持できるのか否か? って観点で見たら井上の判断は決して間違えてはいないわけだし。
そもそも軍令部と連合艦隊とでそれぞれ持っている大戦略が全く違うのになぜ井上だけが責められるのか。
質問ですが
おおむね井上大将の新軍備計画に沿って戦争準備をしていれば
日本海軍はもっとよく戦えたでしょうか
南洋諸島への航空機部品や燃料などの補給が続いただろうかとも思うのですが
あんな計画をまともにやってたら現場が大混乱で戦争どころじゃないよ。
>>518 おなじこと陸軍にもいったって。
準備していたなら戦えただろうね。
細部はもっと詰めねばならんだろうが。
そもそも漸減作戦前提に整備していた艦艇、人員、装備で太平洋全域を戦場にしてしまうなんて
出鱈目もいいとこなんだが。
帝国海軍は準備していたのとは違う戦争を戦ってるんだよ。
>>521 海軍が勝てないなら、陸軍は戦争やめるよ、って、
武藤が岡に言ったじゃないか。
最近の海軍悪玉論もどうかと思うが、
この件について、陸軍を引きあいに出すのはどうかと思うぞ。
そもそも、海軍が勝てるといったから戦争を始めたとか、いや陸軍が、ってのも情けない話ではあるよな。
近衛は腹を切って死ぬべきだわ。もう死んでるけど。
近衛は腹を切る勇気もなかったからな
>>522 しかしそもそも漸減作戦&短期決戦なら勝てるのでそう準備してる
国と戦う場合余力がある方はそうじゃない戦いかたするんだよね……
どっちの軍も基本的に官僚主義に染まってたってことかと
とはいえ個別に軍人を見ると面白いからこういうスレがあるんだが。
近衛は軍人じゃないし貴族の家系だから腹を切る必要はない。
降伏後にマッカーサーから「新憲法の制定に尽力してくれ」って言われてたのに梯子外されて戦犯指定されたのであの世に逃亡。
聖上は絞首刑でも受け入れる覚悟があったから「近衛は弱いね」って言ったんだろ。
ところで、山本五十六が「零戦一千機製造しないと対米戦などおぼつかない」って言ったのに海軍航空本部(だっけ)が「ハッタリで言ってるんだろ。どうせそんな数製造出来ないし」とか勝手に判断して増産もしなかったのは大問題だろ。
それで勝てたかどうかは分からんけど、現場の最高指揮官が「これだけ必要」って言ってるのを事実上無視するとか。
これが戦艦や巡洋艦の建造計画だったら張り切って実現してただろうに。
後方もバカなんだからそりゃ負けるわ。
木戸のほうが出処進退はましだと思うぞ
「近衛は自分に都合の良いことばかり言っているね」もマイナス
散るならあと濁さずに綺麗に散れと
あの世で西園寺に叱責でもされたんじゃないかね、あれはさすがに、
あ、上のは近衛に対する評価ね
聖上の発言もさもありなんという意味で引用させていただいた
五摂家筆頭にプライドあるならあの言い訳はしちゃいかんだろうほんとに
近衛も木戸も情けないてことでFA?
近衛は知恵はあったけど覚悟とか根性がなかった。
本人も自覚してたんで内閣首班を引き受けるのを嫌がった。
それを無理矢理引っ張り出した周りの連中も問題多い。
西園寺だってその一人。
二・二六事件の頃から宮中と政界のパイプ役になってた木戸幸一は近衛みたいにあの世に逃げるなんて出来ないだろ。
それこそ聖上を護り奉る使命を課されたんだから。
そのせいで他の戦犯に不利なことをベラベラ喋って顰蹙買ったり。
極論言えば広田弘毅や宇垣一成、米内光政なんかが「陸軍の横車で組閣に齟齬を来たした」ってぶっちゃけてれば陸軍も多少は大人しくなったかも知れないのに。
近衛は元々意欲がないんだから総理に持ち上げたことそのものが間違い。
534 :
名無し三等兵:2009/04/02(木) 05:59:42 ID:gFwAimu+
でも東京裁判の時は情けなかったな>木戸
木戸孝允がその姿見たら泣くと思う
役目は果たしたがそのあと日記で愚痴ってるんだよな木戸も
「これだけのことをやってねぎらいの一つも無い」とか何とか
東京裁判は誰かが汚れ役やらないと収まらなかっただろう、いくら片八百長とはいえ
宇垣がんなこといったらそれこそ若手の跳ね返りにやられてるぜ
と言うかあのころの陸軍がそれぐらいでおとなしくなるとは到底思えんな
実際宇垣は脅迫されてるじゃん。
阿南に。阿南ってのは後方にあっても前線にあっても碌なことをせん。
前線ではあの第二次長沙作戦か。
>>536 宇垣に直接接触したのは憲兵司令官だった中島今朝吾じゃなかったか?
海軍の話だけど、米内光政が「日本の海軍は大体英米と戦うようには作られておりません」って断言してたのにな。
やっぱり五十六が辞任して、後継の司令長官もどういう作戦で行けばいいか判断出来ずお流れ、って流れを作る以外になかったんじゃないの。
あの1941年の切羽詰まった時期になっちゃったら。
難しいところですね
山本が海軍大臣をやって
連合艦隊司令長官は嶋田繁太郎がやっていればよかったという意見を見たことがありますが
>>541 嶋田長官ですと、たぶん黒島参謀は使わないですね。
嶋田長官、中澤参謀長、作戦をたてるのは高田参謀、松田参謀かな。
戦前に軍令部が構想したとおりの迎撃戦術かもしれません。
真珠湾攻撃とかはなし、ですかね。
そうなりますね。
しばらく戦艦同士の戦争が続くのかな。
なるほど。どうもです。
で、また中沢参謀が日記や回顧録で嶋田の出鱈目振りを嘆く、と。
戦争自体しない、ってなら井上をなんとかして中央の要職においておかないとどうしようもないような気がする。
海軍で空気読めないのは彼ぐらいなもんでしょ。
>>546 井上を次官にしておくことが必須かと。
石川とか富岡が相手なので。
あの連中に対処することを考えてみると、嶋田も岡も気の毒だよ。
いやもう石川とかを逆に左遷すればいいんじゃないかな。
>>549 それこそ親ドイツ派連中が陸軍の跳ね返りと組んで大暴れじゃないか?
飛ばすだけなら、って意味だが
むしろ井上次官とセットで断行の方が良いような、かなりな荒療治くさくなるが
>>547 だって飛ばされそうになってた石川を「俺が使って見せる」って中央の要職に引き抜いたの岡自身だぜ。
岡が戦犯に指名された原因はつまるところ石川を拾ったことじゃないの?
551 :
名無し三等兵:2009/04/14(火) 17:42:01 ID:DbN0tjyl
>>519 珊瑚海を手堅い指揮て評価する人もいるけど、実際どうなんだろう?
>>551 連合艦隊が軍令部を差し置いて戦略立ててる状況だと長官直卒部隊でもなきゃ連合艦隊の意志をそのまま実行するなんてことはできんよ。
大体泥縄にすぎるんだ。
戦前の海軍はニューギニア東部にまで出て作戦行動するようにはできておらん。
出来てるんだったら第4艦隊は元からもっと大規模だった。
>>551 手堅いも何も着任早々で誰であってもなんもできんよ。
井上はよくやった方なのかね?
米空母二隻とやりあって、生き残った機体が40機未満だったろ確か。
その状態で作戦続行なんてしたって、そりゃ一時的には勝ててもその後が続かんだろ。
556 :
反米イスラム過激派:2009/04/16(木) 03:19:32 ID:jxpHsXfl
>>321 ペタンはペタンでやっぱかなり認識と見通しが甘すぎたような・・・
日本並に連戦連勝無敵ドイツ軍という前提に立ってたし。
559 :
名無し三等兵:2009/04/18(土) 14:32:46 ID:fHXUx2VM
ペタン 第一次世界大戦では英雄だったのに
だがあそこで徹底抗戦を叫んで犠牲者を一桁増やすのもあまりにも現実的でなさすぎるわけで。
ペタンは真田昌幸、ド・ゴールは真田信之。
ペタンに当時最新の軍事技術に基づく戦局の行方なんて判断させるのが土台無理。
ヒンデンブルクが名目上の国防軍最高司令官だったのと似てるんじゃね。
身代わりに処刑されたようなラヴァルもちょと気の毒かも。
欧州情勢は複雑怪奇の犠牲者→近衛とペタン
ペタン>平沼>(超えられない壁)>近衛
さすがに平沼以下ってことはねえわw
ペタン>>>>>>近衛>>>平沼ぐらいか
いや近衛の無能さはガチだぞ、平沼は何もしなかった(できなかった)が近衛は間違った事ばかりやらかしたからな。
孫も無能な所だけはソックリw
しかしその政敵はそれに輪をかけて無能なんだなこれが
平沼はそもそも要らない子だったけどな。
近衛はまともな情報が軍部から上がって来ない、現地軍は勝手に戦線拡大するって目隠しされて手足を拘束されたような状態で「総理大臣の責任を」って言われたって無理だろ。
本人だってそれが分かってたから大命を拝辞し続けた。
結局内閣首班を引き受けたこと自体が致命的な失敗。
あれだったら第二次近衛内閣からすっ飛ばしていきなり東條内閣に持ってった方がましかも知れない。
あと、能力はあるのに誰からも推されない梅津美治郎って何なの?
>>569 有能だし忠実で信頼できるだけに下手に引き抜けないって人物だろうw
関東軍から中央に戻そう!
↓
関東軍どうすんだよ!
この繰り返し。彼の後任がいないのが最大の問題。
2・26事件は痛かったね。あれで一体どれだけ将官、佐官の首が飛ばされたり一生出世できないようになってしまったことか。
>>569 ソレを言うと結局それでも押した西園寺の罪と言うのもあるな
あの時点で近衛の腰の弱さを見切っていれば
後で憤慨されてもなあ、期待したのはわかるけどさ
上原勇作
上原謙
574 :
名無し三等兵:2009/04/28(火) 13:18:39 ID:yxoh+KOV
575 :
名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:19:13 ID:MwQG2CZB
合理的判断
576 :
名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:25:46 ID:MwQG2CZB
ごめんなさい。途中送信してしまいました。
合理的判断の出来る軍人と良識派の軍人ってイコールなんでしょうか?
ルメイ将軍の戦法は軍事的には合理的だったのでしょうが、彼を良識派と言う人はいないだろうし・・・
ルメイはマキャベリストな軍人
578 :
名無し三等兵:2009/04/29(水) 02:59:36 ID:ZsHKN7Xk
だいぶん上のほうに「負け戦さに良識派もクソもあるか」
という趣旨のレスがありました。
乱暴な言い方だけど、的を射ているとも思いました。
戦勝国の米軍側が良識派の指揮官ばかりだったとは思えません。
ルメイもそうだし、マッカーサーやパットンなんて
あれが上司だったらと思ったらゾッとします。
良識派か非常識派(でいいのかな)に関わらず、
おのおのの指揮官の軍人としての長所を引き出してやれるシステムが
米軍には有り、日本軍にはあんまり無かったんじゃないでしょうか。
漠然とした印象に過ぎませんが・・・
日本と言う国、政治風土、軍事、官僚、政治、そして国民性の限界だったという訳だ。
何で米国と対立するようなことをしてしまったのかね。
これが全てだと思うよ。
良識派とか言うのは、基本的に対米開戦回避派つうレッテルが、
またぞろ違うのに化けただけでしょう。化けざる得ない事情が有ることを意味している。
保坂は何を考えて、そんな文言を付け加えたのか、あの敗戦に至る経緯を知る人間にとっては、
今の日本も余り、当時と中身はそう変わっていないと言う事が分かるんですがねえ。
それと、有名な言葉を一つ。 ドイツ人曰く「我々は国を割かれたが民族としては一つだった」
日本は国を割かれなかったが思想を割かれてしまった。 日本は割かれた以上のハンディーを負っている
およそ、占領を上手くする上で、被占領民内部の意見を絶対に交わらせぬようにする事は、
昔から低コストで出来る統治方法であるが、占領なぞもう遠い昔に終わっているのに
日本の一部の人々はまだ分からないのか?
自由な意見が出ることを妨げない事と、自由な意見を圧殺することとは紙一重の性質を持つ。
とか冷戦の頃、よく聞いた話だ。
いろいろあるけど地味な原因のひとつとして国民が世界情勢と軍事に詳しくなかった&
日本は強いという共同幻想にひたってたってのもあってこれ結構大事なことだと思うんだよね。
官僚に任せておけばいいし、むしろ異議を唱えるようなのは警察が……みたいな風潮は強かっただろうし。
要は国民「も」戦う事を望んだんだ
でなきゃいくら政治に力で干渉したといっても、あそこまでむちゃな
軍偏重はできなかったと思うんだよな。天皇自身も懐疑的だったわけだし。
その中でなんとかいい方向に着地させようと努力した人は、たしかに
えらいし、史実として読んでて面白いけどもね。
司馬亮は好きじゃないけど「狐を酒に酔わせて馬に乗せた」はいいたとえだね
戦争まで至る経緯を見てると
この国は政治・軍事にたずさわるものがそこまで引っ張っていったというより
知識人やマスコミがまず国民を煽って、それを好戦派が材料にして目的まで持っていく
という例が多い、他国に比べても多いんじゃないかな
当然それを見越してそう仕向けさせたってのはたくさんあるんだけど
そうで無い事例のほうが目立つ気がするんだよなあ
584 :
名無し三等兵:2009/04/29(水) 20:42:07 ID:A2TpLY3R
派遣限り騒動なんかも財界や御用学者が煽りたてた規制緩和が原因やし似たような構図だわさ。
統計数学がもうちっとましならどうにかなったかも。
政府関係者すら正確な数字を知らん、ってどういうことよ……
>>584 意味が分からん。
スウェーデン型の雇用を目指せと?
それとも規制緩和だけじゃ足らんのに小泉のあと引き継いだ内閣を次々倒閣させていった連中は馬鹿だろ?
ってこと?
>>585 規制緩和を言い募って
結局は財界のみ都合のいい雇用状況を押し付けようとしたってことでしょ
その尻馬に時の政府が乗っかって雇用状況もいざと言うときのセーフティネットも
設けずにただ闇雲に規制だけ緩和していった結果がこれだよ!と
内容の是非はともかく
>>584の言わんとすることは理解できるぞ
戦前も戦後も構造はなんにも変わっていない、ということが言いたいんだろうなってことも
「緩和した後の雇用状況の変化も」だ
さらにいうならそれにより雇用層の最低保障状況の変化も確認せず、だな
その部分追加、すまん
>>584 やり始めた世代はなんとか持ちこたえて、はい次の世代となったときに
gdgdってのも似てるかも。
実際に派遣関連の規制緩和で失業率の上昇に歯止めが掛かったし、製造業も息を吹き返したのを見て
まあ何とかなる、とそのまま関心を失ってしまったって面はあるな。
実際には悪質な派遣会社の存在だとか、改正された法を守らぬ派遣先企業とか色々問題があったのに。
ところで保坂の良識派軍人の本に石原が出てくるのはなぜ?
あいつ銃殺に処すべき軍人じゃねーの?
>>589 石原の言動、方向性は実は良識派とほぼ一致
違うのはさらに先を見据えた実践的行動を起こしたこと
とにかくあの時代の一国主義の軍人の中にあって唯一巨視的で世界的・歴史的視野があった
やった行動の結果、そしてその後の展開の是非はおくとして
石原が良識派とみなされるのもそんなに違和感は無い
実際対米戦にも反対派だし、軍主流の考えとは常にかけ離れてる
保阪はその辺りを見て良識派の一員とみなしてんじゃないかな
>>590 軍人としての分を超えた行動のどこに良識が?
>軍人としての分を超えた行動
オトポール事件の樋口季一郎少将の行動も「軍人」としては超えているな。
彼を良識派でないとする意見など寡聞にして聞かないが。
分を超えたか超えないかが問題ではないわな
思想、言動、行動その他を当時の軍内部の状況等に照らし合わせて
その個人がどのようにあったか、あろうとしていたかが問題
そういう意味では石原は良識派
少なくとも保阪の主張する良識の則を超えない人間であることは確か
まあ石原よりも日本の将来に想いを巡らした軍人が何人いたか、ってレヴェルだからな。
シナで戦線拡大してた武藤章(こいつも「良識派」だっけ?)に「あなたと同じことをしてるだけ」って言い返された時に対支戦争の無益を説いて聞かせるくらいしてればなあ。
石原は一匹狼的で、派閥を作って圧力掛けるとかしたがらないんだよね。
板垣とか理解のある上司に広範囲の仕事を一任されるとしっかりやる。
東條みたいに無駄に細かいのとは反りが合わない。
東條自身、自分が毛嫌いしてた親父の仇敵寺内正毅とそっくりなパーソナリティになっちまったことに気付いてなかったんかね。
それにしても、昭和陸軍で最悪の牟田口・富永・花谷の三人を誰かどうにかすれば良かったのに。
辻・服部も要らないか。
利己的な功名心とかで動いてないのを良識的というなら、そうかも? >石原良識派
やり方が間違っている気はするが。ワンマンでなんでも決めちゃうのは
帝国の舵取りには荷が重い。日本自体にそんな力がなかったってことなの
だろうけども。
盧溝橋と日中戦争拡大、対米戦決定とそれらの捕虜や住民の虐殺に関わってなきゃ良識派なんじゃね?w
>>585 そこに自国中心主義で無い世界情勢分析と将来の見通しがあるかないがが大きい
石原が難しいのは、たんに功名心が無いとかそういうレベルじゃないところだろう
「世界最終戦論」とか、あの時代にアレだけのスケールの情勢分析と
将来構想をした人間などいない、ってのは保阪の指摘するところであるよな
一匹狼というか、石原には周囲が馬鹿しかいないように見えたんだろうなあとは思う
ただ石原も理想主義者過ぎて現実対応にかける部分が大きかったのはな
五族協和とかあの政治状況で本当に実現できると思っていたのかと
ある意味、米英側にいたら活躍した人物だったかもな……
>>598 ルーズベルトが重用しそうな人ではある<石原
牛島満は良識派にはいる? 沖縄戦のせいですごい評価低いけどさ。
指揮を全部参謀に任せて、自分で判断しなかったところを半藤の
「指揮官と参謀」で批判されてたな。
人格者だったらしく、軍人より教育者に向いてるタイプの人間だったそうです。
実際、陸大校長もやってます。
沖縄は三個師団だったのが、大本営のバカ共が、1個師団を台湾に移動させた時点で終わった。
牛島「どないせーちゅんじゃ!」
だいほん「後で1個旅団送る」
牛島「ホントか?じゃ頼む」
だいほん某参謀「餓島の例があるし…むりじゃね?」
だいほん参謀長「だね、しかたがないね」
牛島「増援こねー!!」
兵力不足は事実だわな。
予定通りの兵力があれば長は総攻撃という分の悪いバクチはやらなかっただろうし
八原ももっと普通の(住民の被害の出にくい)防衛策を示しただろう。
603 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 23:11:26 ID:cWHiBH6y
>>602 逆でしょ。
予定通り充足していたら水際で殲滅されてるぞ。
>>601 八原氏の著作の中に「台湾に送る師団のかわりに、本土から師団を沖縄に送るというなら、
その本土の師団を直接台湾に送ればいいだろう」
みたいなくだりがあった気がするが、合理的だよなぁ
軍人って時として非合理的な方法に拘泥されちゃう人いるよね
送ると言っておいて夕方には撤回とか、末期的組織の典型的な状況
牛島は人格者で将の将たる器、って感じはするけど
良識派かどうかというのは判断が難しいなあ
あくまで現場の人間って感じで
>>606 帝国軍人全般に言えることだけど、「良識」と呼べるだけのことを考えてたのか? ってところがねぇ。
というか「良識」ってなんじゃいな、と。
「良き(優れた)識見」でしょう。
610 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 11:31:44 ID:VQWyt5Jt
結局、過去も未来も!
日本は、アメリカとイギリスに、
勝てない件について!!
八原参謀
>>607 同感、現場屋だらけという気がしますな
考えてた人間はごく一部で、しかもそれを局所的にでも生かせた人物はなお少ない
ある意味現場屋こそ軍人としては正しい態度なのだけども……
個人的に良識派であることに異論は無いのだけど
どうにも腹の内が読めないのが米内
だからこそ大きいともいえるが、なんとも不思議な人だなあと
613 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 13:43:54 ID:VQWyt5Jt
>>606 牛島は政治には無関心だったからね。でも、日華事変の戦線で、
戦災で怪我をした中国人の老婆を自らおぶって運んだという
心温まるエピソードがあるから、良心的な人だったんでしょう。
怒るところを見たことが無いという証言もあるし。
>>614 沖縄戦では八原参謀を司令官室に呼んで怒鳴ったってエピソードあったような
確か総攻撃反対についていい加減にしろと
616 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 15:29:10 ID:M7GwXitT
日本もアメリカも元々将軍の資質は同じレベルだと思います。
ただ外部の圧力を受けての自浄機能に差があったのではないでしょうか?
アメリカは軍隊は政治の道具として、余りに無能な将軍はクビになり、有能な者は大抜擢もされた。
日本は軍隊が権威そのものになり、外部からは御意見無用、人事は軍上層部だけで決めていた。
結果、官僚的な人物が中央に集まり、有能だが世渡り下手は冷や飯食い。
おおざっぱ過ぎるかも知れませんが、こんなところかと。
軍の人事がどうしようもなくおかしくなったのは真崎とか荒木のせい。
皇道派が一時人事を握ったときに長州閥時代以上に偏った人事を行って軍全体がメチャクチャになってしまった。
>>617の続きだが、皇道派の連中が欲しかったのはポスト、地位であって収入だったんだろうな、と。
藩閥にいないんで将来どうなるか、特に老後の心配とか大きかっただろうし、そういう不安がいざ偉い地位を得たときに
露骨な派閥人事を行ってしまった要因なんだろうな、と思う。
この辺に関して今の民主党とかマスコミ人とか反体制(笑)知識人なんかと皇道派ってのは被る部分が大きい気がする。
連中には結局のところ自民党に代わって偉くなりたい、だとかおいしい思いをしたい、だとかそういった欲望が根源にあって
その欲望を上手いこと正義だとか義憤だとか弱者救済だとかで偽装して国民煽ってるんだろうな、と。
>>579 貴殿に(・∀・)
全面的に同意ですぞ(゚∀゚)
陸軍の場合、省部の要職を☆駐米または駐英武官で☆☆担当していたら☆☆☆
大東亜戦争はw起こらなかったでしょうな!
620 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 17:25:19 ID:M7GwXitT
どの国のどんな組織でも派閥はあるし、上に行けばおいしい思いもしたいでしょう。
平時はそれでまあいいとして、戦時にそれらを棚上げにして戦争最優先の体制に切り換えられるかどうか。
日本軍の場合、その切り換えがうまくいかなかったのではないですかね。
人事面についてはあんまり戦争向きの軍隊ではなかったのかも知れません。
やっぱり石原の作った前例を黙認したのがすべての間違いの始まりじゃないかなぁ
軍司令官でもない参謀が暴走して軍司令官がそれを阻止できなかったとか
朝鮮軍が勝手に軍を動かしたり後の辻とかに多大な影響与えた可能性が高いと思うけど
シナ事変の時に石原が事変収拾に走ったけど「お前もやっただろw」とか反論されてたし
日本が敗戦した原因に「これ」といった決定的なものはないと思う
明治維新から始まってアジア進出とか陸海軍の対立やら軍の政治介入やらマスコミの煽り報道とか
そんなことが少しずつ積み重なってきわめてゆっくりとアメリカとの開戦にいたる道筋が作られていった
だからこそ事態が決定的になったときにはもう誰にも止めることはできなかったんじゃないかな
>>622 日露戦争後に満州の権益を列強に開放しなかった時点で
すべての歯車が狂い始めた気がするね
>>623 満州利権に関しては開放しなくてもそう文句を言われることはなかったが……
それより関東州利権の方が不味かった。
列強との対立は21か条要求以来だよ。
で、その21か条要求の後でも別に米国は満州利権について強硬な要求はしなかった。
満州国建国まで割りと良好なんだよ列強との関係は。
>>608 本当に国家のためになる良識だけに従うと軍事予算削減とか自分や部下の
首しめること言うしか、ないんだよね。それが良識なのかどうか、よくわかんないな。
ジレンマだから結局、敗戦への道以外なかったんだろうが。
牛島はまだしも、あの血の気の多い長勇までが八原の方針に乗ったのが凄いけどな。
宇垣の方針に拒否反応起こした時点で陸軍はもうおかしくなってる。
工兵出身で装備充実の必要性は痛いほど分かってるはずの上原元帥の態度もおかしいし。
熱血体育会系で尚且つ頭脳明晰でないと出世出来ないのが帝国陸軍だしなぁ。
永田鉄山や渡辺錠太郎みたいな学者っぽいタイプは例外中の例外だろな。
こういう人材こそ本来必要なのに。
>>622 よく昭和の日本軍や軍人が叩かれるけど、
明治からの積み重ねのような気は確かにする
日露戦争に従軍した最後の世代が太平洋末期ににも軍事参議官だったりするしな。
日露で勝った時点で次は米国だって意識は当然あったでしょうね。
でなきゃあんなに国家予算を食べ続けられない。いかにムリだと
いう話でも、準備はある程度しないと、って雰囲気だったんでしょう。
そのうち自己目的化して、米国と戦争始めないといけない立場に
自分で追い込んで言っちゃった。国民もそれを問題視しなかった。
というかできなかった。
外交なんかは幼稚園卒業程度の力しかなくてだいぶん米英が
助けてたんだが……勃興する国ってのはそんなもんだろうけども、いつでも。
>>626 上原元帥は2個師団増設問題で内閣総辞職に追い込んだり結構DQNだよな。
631 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 10:42:44 ID:iaRPaB9S
>>600 牛島満は!
陸士校長でしたが!!
何か?
>631
牛島将軍は幼年学校長も陸士校長も陸大校長もやっていたと思うが。
>>629 井上成美なんかは、どうせ米軍には勝てないんだからそもそも条約枠いっぱいに船を作る必要すらない
それより、もっと必要な分野に予算を廻せ、なんてこと言ってますな。
あの人本当に空気が読めないんだか、馬鹿みたいに勇気があるんだか。
彼が海軍次官にまでなれた、ってのは海軍にもそれなりの人がいた、ってことの証なんだろうな。
まあ船乗りとして、兵を統率する指揮官としての評価がなされていない、ってのもまた、海軍にそれなりにしか
人がいなかったことの証、というか構造的に何か欠陥があったとしか思えないが……
海軍のあの兵と士官の分離ってのはちょっと酷すぎる。
英国海軍がどうしてあれで機能出来るのか、ってのはもっと歴史的にも社会科学的にもきちんと研究すべき
だったんだろうな。
>>632 陸軍人国記によると!
牛島満は、陸士校長の他に予科士官学校、戸山学校、公主嶺学校の校長をしてますが…
陸大校長には、就任していませんぞ!!
八原参謀も著書で自分みたいな幼年学校も出てない奴はいくら能力があっても
冷や飯食わされるのが陸軍みたいなこと暗にほのめかしてるよなぁ
こういう人が自衛隊に入るべきだったと思うんだが
今の自衛隊も表面上は別としてレベルの低い防大出身者で上は固めてるしなぁ
636 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 16:40:36 ID:vX3+XKmL
アイゼンハワーも戦争がなかったら定年大佐で終わっていたかも知れませんが、大抜擢で陸軍大将ですからね。
陸軍内部にはやっかみや反対意見もあったんでしょうが、
戦争に勝つためにはどんな人事でもやるという、凄まじさを感じます。
正真正銘の国民戦争って奴をやったことがあるかの差だよな。
欧州のWWI相当を、アメリカは南北戦争で済ませてる。西郷さんが、戊辰で血が流れなさすぎたゆー訳だよ。
638 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 00:31:08 ID:dxtRkeGP
その分、西南戦争で血を流したじゃないか
>>633 海軍というのは成績が芳しくなくても「これは」と思う人材は密かに重宝される。
米内光政とか。
>>636 米軍は戦時だけ昇進させて、平時に戻ったら元の階級にとんぼ返り、ってな人事をしてたからね。
自分が陸軍参謀総長だった時代にその副官でしかなかったアイゼンハウアーが欧州戦線を任されて自分と同格の元帥になった時にはマッカーサーは不愉快だっただろうね。
先に役職があって階級はその後。
なんて米国にしかできんような考え方だからなぁ。
欧州に習った日本軍じゃあまず実現しなかっただろうね。
第1次大戦からだっけ、戦時昇進
パットンとかもWW1ではこれで大佐だったんだよね
日本も終戦間際に小沢がGF長官とかやってたけどw
643 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 14:01:08 ID:CKQUPDXu
>>642 それって同じ大抜擢と言っても、先発ピッチャーと敗戦処理投手くらいの差があるような。
>>643 だね
ミッドウェイ以降も南雲を浪花節で使い続ける日本海軍なんかには絶対無理だよな
>>644 そうやって色眼鏡で見ても意味がない。
失敗した人間に再起の機会を与えるのというのはアメリカもやっていることだ。
これだから日本を貶めたいだけの無知は。
646 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 17:07:46 ID:CKQUPDXu
ただ日本の場合、再起を促すと言うより、あんまり将官の責任を追及すると
将官に任命した天皇の判断にケチをつけることになるから、
ムニャムニャで終りにするケースも多かったのではないですかね。
>>645 >これだから日本を貶めたいだけの無知は。
なんだよこの安っぽい右翼みたいな部分はw
一回負けてクビならパットンはチュニジアで終わりだったな。
649 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 18:22:16 ID:QtC5Z98p
トラウトマン工作が成功していればなあ(遠い目)
そう言えば多田駿の名前あんまり上がってないな
この人かなり良識派だと思うんだけど
トラウトマン工作を成功させようと思ったら先ずは蒋介石を暗殺しなきゃ。
というか華北分離なんて日本側が言ってる限り絶対成立しない類のものだろう。
支那方面への拡大に反対する石原からして華北分離は絶対なんていってる限り陸軍は抑えられんだろうが。
>>651 満州を放棄するなら華北分離だってできるさ。
もし、満州を維持したければ、華北を衛星国化しなければ仕方ない。
653 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 21:48:26 ID:QtC5Z98p
まず近衛広田を脅迫してト工作推進派にする
多田駿は石原が満洲に飛ばされた後も不拡大方針に拘った数少ない将官だからね。
多田が「講和の道を閉ざすべきでない」って言った時に米内が「内閣の方針に不同意なら総辞職するしかない」とか言って潰したのは大失策だよね。
折角参謀本部の方から柔軟な方針を出して来たのに。
まあ首相が近衛だから何も進展するわけがない、って言えばそれまでなんだけど。
いや、多田って華北五省分離声明出した張本人じゃん……
米内が何と言おうが講和の道も何も最初っから纏まるわけない。
何とかして支那事変を収拾しようとするその意思は良識派と言われるのに値するものではあるけど
その想定は当時の状況から見ても甘いと言わざる得ない。
欧米列強でさえ、華北を日本の勢力圏にするようなことは認めてはくれんってのはワシントン条約以来明らかなわけだし。
ましてや蒋介石が引くわけがない。
そもそも満州独立なんていう大失策をやらかしている以上、どんなに取り繕ったって中国とは戦争せざる得ないし
どうしたって友好的な関係なんて築きようがないんだけどさ。
石原莞爾が悪いって事で
657 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 22:00:18 ID:SlcL3Yuu
>>628 永野元帥なんかも日露戦争では大活躍だったしね
658 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 22:11:15 ID:dE9cTSCc
辻はイカれてたが頭脳はよさそう
ムタは典型的な無能の豚野郎
>658
ただの無能な豚野郎を閣下にするほど日本陸軍もバカではないぞ。
辻は演技性人格障害とかの類ではないか?
牟田口は師団長まではそこそこ有能みたいだったからなぁ。
なんだそのとってつけた病名は。
>>660 連隊長の時は勇猛で優秀だったらしい>牟田口
>>662 いや、だからそれが「とってつけた」病名なんだよ。
過去の人間の特殊例を見つけて都合の良い部分だけ抜粋して恣意的に病気だとしている。
牟田口廉也
シンガポール攻略戦の際、肉薄した豪州兵の手榴弾をあびたが、
血みどろになりながらも作戦を指揮を完遂した。ニックネームは鬼畜牟田口。
カッケー!!
>>644 明らかな命令違反や戦意不足があるならともかく、作戦に忠実にやって敗けたんだから責任は山本や宇垣や黒島にある。
その後は特に失敗もないし、一度の失敗で左遷なら小澤もマリアナ沖どころか「ろ号作戦」で左遷される事になる。
牟田口は何であのタイミングでインパール攻略に取り憑かれたんかね。
黙って防衛に徹してればいいものを。
668 :
名無し三等兵:2009/05/05(火) 08:59:35 ID:mwDn6AR+
たとえば会社では係長で有能な人が課長に昇任したら無能だったり、
課長までは有能だった人が部長に昇任したら駄目だったりします。
どんな組織でもある有能な社員を昇任させていったら、
いずれどこかの段階で能力以上の役職に就いて、そこで初めてそれが限界だったと分かるそうです。
(社長に就任して不向きと分かった時が一番悲惨だそうですが)
牟田口中将も本来は師団長までの人だったということでは。
牟田口はロコウキョウ辺りで限界見えてる気がするが
670 :
名無し三等兵:2009/05/05(火) 09:49:17 ID:SzmAgZ/h
服部卓四郎なんかも連隊長としてはかなり優秀だったて聞いたことある
なつたってその元祖は木越安綱じゃないのか。軍部独走体質の拡大を未然に防いだ。
>>1 井上成美を除けば、そりゃロンドン軍縮会議のために海軍の第一線級(財部彪とか
山梨勝之進、堀悌吉ら)が失脚させられた(統帥権干犯問題)からの話じゃないのか?
つまり、もともとは米内や山本は二戦級であって、かのような一戦級が失脚させられた
から「条約派(良識派とも言われる)」の中から浮かびあがってきたというだけの話じゃないのか。
その思想的先輩には岡田啓介、更に遡れば加藤友三郎、陸軍では山梨半造などもいるわけでさ。
米内や山本らだけを特別扱いするのは、歴史を歪曲する面もあると思うよ。
それ以前、加藤の急逝なんかは日本にとって一つの国家的悲劇だったといえると思う。
牟田口もおかしかったが、その直属上司らもおかしかったんだよな。
>>670 日中戦争末期の戦線整理の時期に、制空権もとられて補給もままならぬとき、
国支軍の全力反攻をささえる殿軍を一個連隊だけでつとめるという、
どうみても割に合わない絶望的な任務を完遂した挙げ句、
反転して他の戦区で重圧を受けている友軍までかっきり救出して、
あまりに勝ちすぎて反転攻勢を主張しだした。
これが服部卓四郎クオリティー。
戦略レベルで全軍を救う超人連隊長だな。
>>674 自己レス。
連隊長レベルが似合うと言うより、
参謀型ではなく指揮官・司令官むきの軍人だったのかもしれない。
俗な言い方で恐縮だが、卓越した戦術家だが戦略家としては疑問符の付く者が上に上がっちゃったってことなんかなぁ。
師団長、軍司令官でもよかったかもしれないが、
参謀本部の作戦課長には不向きな人材だったのかもしれないね。
卓四郎はあれ死に場所与えられたのに勝っちゃったっていう
ある意味空気読めよっていう感じだが、そんな懲罰人事的作戦に巻き込まれた
聯隊の将兵にとっては神様降臨だったろうな
>>678 連隊は服部連隊長以上に気合いが入っていて、あの服部が諫めたらしい。
>>668 ピーターの法則か
それにしても旧軍の人事システムは駄目すぎるよなあ
インパール作戦を馬鹿にするものがおるがあの選択は正しかったのだ。
<インパール戦FAQ> 【質問】
インパール作戦の目標は?
【回答】
ビルマの攻勢防御と、インドの内部かく乱である。
第一次アキャブ作戦と同じく、イギリス軍の反攻作戦の出鼻をくじいてビルマを防衛する。
インド解放を掲げることで、自由インド軍の求心力を高めるとともに、インドの人心を乱す。
【質問】
攻勢防御っていうけど、普通に防衛すれば良かったんじゃない?
【回答】
普通の防御は無理じゃ。ビルマは平坦かつ広大で、兵力不足は目に見えておる。
【珍説】
チンドウィン川で防衛線を張れば、山岳地帯だし有利に戦える。
【回答】
はあ?事前研究でチンドウィン川は防衛線としては役立たないと結論が出てますが。
素人が思いつく程度のことはとっくに検討しておる。戦史叢書嫁。
【質問】
ビルマ戦線では連合軍も馬などを輸送に使ってたと聞いたけど。
【回答】
イギリス軍は動物輸送連隊を複数投入してロバなどを使って補給を行っている。
山がちで雨季には泥土と化すインパール方面では家畜の足が有効だった。
【質問】
あの状況で進撃すれば食糧不足などに陥ることは判ってたのに対策はしなかったの?
【回答】
対策はしている。飢餓行軍実験をしたり食用野草マニュアルなどを作ったりしておる。
戦略上の必要性から作戦実施は不可欠なんだからせめてもの対策じゃ。
わしのインパール作戦はロンメルの北アフリカ作戦とその動機・目的から、補給に苦労して敵さん給与に頼っているとこまでよく似ておる。
なのにロンメルは名将でわしを愚将呼ばわりするとは。
683 :
名無し三等兵:2009/05/05(火) 14:33:42 ID:SzmAgZ/h
インパール作戦は英軍がインパールに、国民党軍が雲南に兵力と物資を集結しつつあり、万全の態勢で北と西から攻めこまれたらビルマ方面軍の総崩れは必至であった。
太平洋の苦戦もあり増援は望めない。
指をくわえて敵の準備が整うのを待つよりも準備が完成する前に敵の拠点を叩いて反攻作戦を遅らせる。
これがインパール作戦の主旨だ。
ただ乾季の間に作戦を完了する予定が、準備が遅れてすぐに雨季になってしまったのは誤算だった。
英軍は緒戦期のビルマ敗退と中期のウィンゲート旅団侵攻の二回に渡りアラカン山系を越えている。
制空権は確保できないが日本軍による山越え作戦も不可能ではないと思われた。
18年には燃料の備蓄が底をついて、両洋艦隊で日米の戦力差が圧倒的になるから、迎撃による漸減作戦を諦めて攻勢に賭けた海軍と発想が似てるな。
海軍も戦前の演習で漸減作戦は失敗するという結果が出て、代替案を模索し山本の真珠湾攻撃になる訳だが。
>>685 派閥争いもあるのよ。
軍令部正統派は黒島の作戦を批判しているわけで、
漸減作戦は依然有効だったと主張している。
連中は黒島・宇垣に図上演習結果を操作された当事者なので。
栗林中将の名前が
>>1に上がってるね
32軍の八原参謀もそうだけど米留組ってなぜか冷や飯食わされるイメージあるよね
今から思えばあそこまでのドイツ傾倒は不思議と言えば不思議
メッケルがどうとか言ってもさ
688 :
名無し三等兵:2009/05/05(火) 19:38:14 ID:mwDn6AR+
米留組が日米の国力差など身も蓋も無い現実を語って、
そこから先の話が出来なくなるからですかね。
出だしからまとめの言葉になるのでは困るという。
>>688 図戦が楽しめない感じですかね
でも実際は予想を遙かに超えた戦力差になったわけで
1940年ぐらいに参謀本部ご一行様でアメリカ横断旅行でも行けば認識変わったのかねぇ
変わらないだろ。
そもそも「対米戦は海軍の担当でしょ?」が陸軍の認識なんだから。
>>682 第十五軍では参謀長が「補給継続不能」を具申して満洲に飛ばされた。
その上、三個師団全ての師団長が作戦継続を諦めて罷免された。
その責は軍司令官牟田口とビルマ方面軍司令官河辺正三、南方軍総司令官寺内寿一が負うべきというのが衆目の一致するところ。
ロンメルだって不必要に戦線を拡大した挙句アフリカ戦線を崩壊させた。
全然名将なんかじゃない。
692 :
こぴぺ:2009/05/06(水) 07:59:00 ID:???
山下奉文はどう評価する?
寺内がいなければ
山下も現場屋だろ
その中ではかなりまともな部類だと思うけど
226で昭和天皇に嫌われた人だよね
>>691 前線指揮官が戦線を拡大したがるのはむしろ当然。
大戦略から見て駄目ならば、手綱をひいて引き戻すのは上級司令部の仕事。
というわけで、戦術的な勝利も得られなかった牟田口の問題は当然として、
ロンメルを名将でないというのは間違いだな。
ロンメルの戦術的勝利を戦略的に収穫する可能性をみて、
物資兵力を注ぎこんだのはOKWなのだから。
牟田口の場合、寺内、杉山両元帥の責任はもうすこし言われてもいいと思う。
最高戦争指導(陸軍省、内閣)の反対を押しきったわけだし。
>>697 上級司令部の意向もわからないロンメルは名将とは言いがたい。
>>698 OKWとOKHの最初の意向通りにやっていたら、
ベルギーで膠着したまま1941年だぞ。
>>699 アフリカ戦線の拡大は上級司令部の意向か?
>>700 拡大したくなければ、兵力と物資を送らない。
>>701 馬鹿?
本格的に拡大できるほどの兵力と物資を送ってないんだが。
ロンメルのアフリカ軍団はトブルクで奪取した物資で一息ついたりしてるんだが。
そもそも当時のドイツ軍の最優先は対ソ戦であって、本来アフリカに補給なぞする余裕なんかなかった。
にも拘らず最低限の補給でイタリアの脱落を防ぐことを期待されてたのに、補給についてケッセルリンク、ゲーリング、ハルダー、ヨードルなんかに八つ当たりしてる。
与えられた補給でどれだけの作戦が可能なのかも計算出来ない軍人が名将なはずないだろ。
日本軍で例えたら命令無視で南京陥とした松井石根レヴェル。
つうか、ロンメル=名将というのは、戦時中にイギリスが持ち上げたのと
後のヒトラー暗殺絡みの話も加味された上にイメージとしてごっちゃになってるんじゃないかと。
>>702 >>703 もっと送らない。ドイツ兵学の基本だろ。
独断専行して攻勢に出さないために、
重点以外では負けても良いから兵力を削る。
なぜならドイツの統帥システムでは、
必然的に独断専行して攻勢に出て、
不用意に勝ってしまう事態が起こるに決まっているからさ。
そんな例は第一次世界大戦のフランソワ以来、枚挙に遑がない。
それでも逸脱すれば解任すればよろし。
ロンメルは名将、名戦術家であることは間違いないだろ。
北アフリカでの戦いぶりは見事の一言。あれを名将と言わずして何と言う。
国家にとっては害悪そのものだったが。
>>707 そもそも伍長閣下が害悪なので。
ロンメルは後の国家イメージと国防軍イメージを高めたので、
長期的に見れば国家に貢献している。
ドイツ陸軍最高の良識派といえばベックかな。
日本でも、ああいった軍人がトップにいればよかったね。
>>708 それ考えてみると大事なことだな > 後の国家イメージに貢献
710 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 15:02:16 ID:eGrD9OlE
確かにロンメルのイメージでドイツ軍カッコイイと思うもん
>>707 ロンメルは戦闘部隊としての軍隊を扱う能力は超一流、組織としての軍隊を扱う能力は三流とはよく言われているな
まあ一人でなんでもかんでも出来る完璧人間なんておらんからな、だからこそ参謀がいる
>>711 ちょっとそれ聞いて宮崎繁三郎を思い出した
まああの閣下の場合、組織方面にはノータッチだったが
政治向きにはまったくセンスが無い、と自分でも理解していたようだし
>>712 安達二十三とか宮崎繁三郎とか部下からも敵からも賞賛される本物の武人。
極限の状態にあったときああいう統帥、身の処し方が出来たってところに彼らの真髄を感じる。
>>708 ルートヴィヒ・ベックは元はナチの擁護派だったり、グデーリアンの装甲集団建設構想に否定的だったりと難が多過ぎ。
ドイツの良識派なんてアデナウアーみたいに本気で干されてた連中だけじゃね?
割りとまともなのは1934・6・30の長いナイフの夜に粛清されたり国外脱出したりして影響力を失った。
問題なのはライへナウ、ブロムベルク、グデーリアン、マンシュタイン、モーデル、ロンメル、ヨードル、ディートル、シェルナーなどの有能な国防軍将官が数多くヒトラーの命令を拒むつもりがなかったこと。
反ナチ勢力の軍人は老い耄れか無能が多い。
割合優秀だったシュタウフェンベルクは傷痍軍人。
ヒトラーが後に「拳銃で自分を撃ち殺すことすら出来なかったのか」って言ってたけど、ヒトラーと顔を合わせられる立場にいたのがそのシュタウフェンベルクだけなんだから人材不足も甚だしい。
「ワルキューレ」発動のタイミングも大外れで、ベルリンに帰着したシュタウフェンベルクが「まだ発動してないのか」って呆れたり、ゲッベルスの指揮下に入ったオットー・エルンスト・レーマーの小規模な部隊に制圧される始末。
7月20日の蜂起は杜撰に過ぎたね。
>>145-180 あたりの松田千秋の話は興味深いな。
ぐぐってみたら、標的艦の艦長として空襲の演習を受けつつ、
逆に航空機の攻撃をかわすすべを会得したらしい。で、実戦でそれをやってのけたと。
いかにも仮想戦記に出てきそうな人だと思ってぐぐってたら、
本当にあちこちの仮想戦記で大活躍でワラタ
しかし実際のところはどうなんだろうか。
戦艦が急降下爆撃をよける極意は、敵機が急降下に入ったタイミングで思い切り舵を切るらしいが、
そんなことみんなやってたんじゃねえの?って気がするが。
>>714 ベックで問題ありなんてするなら世界にまともな将軍なんて一人もいないぞ。
ほとんど政治には関与していない。
電撃戦をやろうが機動戦をやろうが、
ドイツは戦争に負けることを見やぶって戦争に反対したわけで、
グーデリアンよりむしろベックが正しい。
7月20日事件だってああしかやりようがなかった。
>>715 エンガノと北号作戦で損害ゼロで切りぬけたのだからものすごい。
しかし、戦後の一般の評価は黒島のかわりに連合艦隊の作戦立案を、
松田がするべきだったということかと。
>>714 >問題なのはライへナウ、ブロムベルク、グデーリアン、マンシュタイン、モーデル、ロンメル、ヨードル、ディートル、シェルナーなどの有能な国防軍将官が数多くヒトラーの命令を拒むつもりがなかったこと。
法治国家の軍隊の軍人としては政府(政治家)の命令を遂行するのが正しい態度だからそれを理由にして彼らを批判することはできない。
進言はできるし、反対もできるが、命令として下された後は拒否なんてしてはいかんからな。
辞任、ないしは独断専行したのは、
ヘープナー、シュポネック、ベック、ホスバッハなど。
ちなみに、グーデリアン、クライストとならんで、
屈指の装甲指揮官だったヘープナーは、7月20日事件の首謀者の一人。
>>714 >反ナチ勢力の軍人は老い耄れか無能が多い
というのが間違いだとわかる。
こいつらでも非難するんでは、世界に良識派なんていない。
ところでシュタウフェンベルクは良識派だろうか。
民主的で人当たりが良くて協調性のある石原莞爾みたいなところがある。
>>715 松田千秋提督は面白い人だよね。
戦後の座談会の話を見たことあるけど、なかなか冷静な感じの人だった。
あと
>>145−180を読むと
たいして松田千秋提督の事を調べずにアホ呼ばわりする大アホがいるw
当時の海軍自体が、爆撃回避を学ぶのは卑怯だとし軽視する中で
冷静に分析し、結果を残したのは評価されるべき。
>>719 問題はヘープナーが有能かどうかだけどね。
東部戦線で他の司令官に較べて耐久力がなかったから更迭されたんじゃないのかね。
前線の有能な指揮官は押し並べて反ナチではなかったのでは。
>>721 戦線を数キロさげて更迭されたのが耐久力がないのなら、
グデーリアンもマンシュタインもホスバッハも同じかと。
ワルシャワ、フランスで手腕を見せたヘープナーが無能なら、
有能な装甲将軍なんていない。
ちなみにホスバッハもゼンガー・ウント・エッターリンも反ナチで、
しかも何度か奇跡を演出した前線指揮官。
この二人が居なければ、戦争はもっと早く終わったかもね。
>>721 反ナチでは、絶体絶命の状況で南仏からG軍集団を巧妙に離脱させたのに、
それでも解任されたブラスコヴィッツのような名将もいるな。
今村均将軍に似た感じかもしれない。
カイテル元帥(笑)は、間違いなく愚将。
「夜と霧」や「コミッサール令」とか、国防軍の汚い仕事全部やってるな。
>>703 松井石根は、「南京事件」を責任を背負わされて処刑されたということで、
同情論が強いけど、結果的に参謀本部の命令を無視して、対華強硬路線で
南京まで攻めていって、結局日華事変を泥沼化させて責任は大きいよね。
>>725 無視はしていない。
松井が南京攻略を主張して、了承を得て承認されただけ。
現地としては兵力引き抜きが目前で、あの要求は当然。
イヤなら松井を解任するか(そして立ちなおった国民党軍を相手にまた損害を出すか)、
兵力を引き抜くような愚行はやめるか、まともに交渉するかすればいい。
727 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 22:45:23 ID:QIXjWyYP
松井はかなり叩かれてると思うけど
ラカイテルはドイツの東條英機でしょ。
「ドアボーイなら立派にやってのける」ってw
>>722 「例外は認める」に表現を改める。
全員が無能だ、という主張はしない。
ただ一般的な傾向として「反ナチでない軍人の方が優れていると考える」。
勿論こちらが間違えてる可能性も否定しない。
>>729 たぶん、こちこちのナチは比較的少数。
シェルナーとかモーデルとか、モーデルとかライヘナウとか。
こちこちの反ナチも少数。
大抵は中間派で政治に興味のない将校さんだろう。
武装親衛隊にすら、そうした将軍はいたそうな。
軍のエリートは基本的に反ナチまで行かなくても距離を置くのは当然でしょう。
有能だが大抜擢で出世を狙うか、やりたいことがある人はナチスに取り込んで
いくしかないから支持。軍関係じゃないけど、V計画のフォン・ブラウンとか。
>>730 エドゥアルト・ディートルとかヴァルター・ヴェーファーとか、探せばまだ出て来るよ。
それから、マンシュタインみたいにヒトラー暗殺の片棒を担ぐことを依頼されて「他人に人殺しをさせようとは何事だ」って怒った消極的親ナチ(?)は結構いたんじゃない?
積極的な反ナチ派は戦争という軍人の本務で余り役に立ってないようなので「無能」と言ってみた。
特に国内軍なんて前線に出せない軍人の溜り場じゃないのかと。
参謀本部の血統を引き継いでる軍人だと政治に干渉するのはダメだって
意識はあったかな。
>>732 マンシュタインは反乱を起こさなかっただけだぞ。
誰も奴に暗殺など依頼していない。
それに、国家元首を暗殺しないから国家元首のシンパにはならんだろ。
トレスコウは中央軍集団の高級参謀で、
フランス戦役時代はマンシュタイン計画の実質的推進者。
シュタウフェンベルクは奇跡のように予備兵力を作りだして、
膨大な損失に直面したドイツ軍を崩壊から救った。
フェギーベルは軍事通信の専門家で、
ドイツ軍の高度な機動戦を支える通信機器・組織の体制を作りあげた。
これは代表的な例だが、国内軍や後方で勤務する、
こうしたきわめて優秀な将校がいなければ、ドイツ軍は半年で負けただろう。
えー、ライヘナウは親ナチだっぺよ?
失礼。
マンシュタインじゃなく1939年のヴィルヘルム・カナリスの逸話だった。
フェルギーベル擁護があるようだけど、同様にOKHで陰に陽にサボタージュしてた兵站総監のエドゥアルト・ヴァグナーの評価は?
こいつ親ナチと反ナチに二股かけてたっぽいんだけど。
>シュタウフェンベルクは奇跡のように予備兵力を作りだして
それはいつの話?
>フェギーベルは軍事通信の専門家で、ドイツ軍の高度な機動戦を支える通信機器・組織の体制を作りあげた
その割りにはヴォルフスシャンツェからの通信網を遮断するのに失敗してるよな。
一般論として、目前の敵との戦闘より独裁者の抹殺に熱中してる将校がまともに仕事してるとは思えないんだが。
面従腹背のハルダーだって取り立てて有能じゃなかっただろ。
ニュルンベルクの被告席に座ってないのが不思議なくらいの人物。
>>736 >フェギーベル
反乱に失敗したからといって、軍務が下手ともかぎらんだろ。
イメージと先入観でものを語るなよ。
その通信組織の見事さはポーランド戦役以来、いくつもの伝説を生んだ。
通信で泣かされた日本軍としては、大いにうらやましいところだ。
>シュタウフェンベルク
参謀本部組織課のとき。
マンシュタインの極端な用兵を支えたフィンク大佐というのもいる。
>一般論として、目前の敵との戦闘より独裁者の抹殺に熱中してる将校がまともに仕事してるとは思えないんだが。
事実は、まともどころか、最高級の仕事をしていたのさ。
おかげで7月20日以降、最高の参謀将校が根こそぎにされたと、
残ったドイツの前線指揮官は悩むことになる。
連中がヒトラー抹殺なんてことは棚上げして本務に専念してればドイツはさらに長く持ちこたえられたという事か。
>>738 >連中がヒトラー抹殺なんてことは棚上げして本務に専念してればドイツはさらに長く持ちこたえられたという事か。
無理。
もっとも重要で合理的な提案(最初から開戦しない、など)を伍長が無視するから駄目。
反乱が起こるわけだよ。
開戦しないって合理的か?
開戦しないとずるずる経済が失速して不況だが。
そもそもナチスが独裁始めた時点でどうしようもない。
シャハトの首切った時点でもっとどうしようもない。
負けて大都市軒並み破壊されて国民は大量に死んで、
その上に占領されて挙げ句の果ては分割されるよりいいだろ。
どうかな?
経済がズタズタになって史実よりも酷いことになる可能性もある。
開戦の時期が遅れるだけでソ連の侵攻に耐えられなくなり、
ソ連にドイツ全土が占領される可能性もでてくるわけだ。
これは史実より酷いな。
>>737 絶対に失敗の許されない「クーデター実行」という局面でどいつもこいつも間の抜けた対応して破滅したんだから批判くらいされるだろ。
「ヒトラーは死んだ」って言い張ったシュタウフェンベルク。
ヴォルフスシャンツェでの異状を耳にしながらシュタウフェンベルクが帰投するまでグズグズと時間を浪費してたオルプリヒト以下の首謀者たち。
こんな連中に期待してたベックやヴィッツレーベン。
他にも押さえるべき放送局や国防省の通信システムやゲッベルスの身柄を放置してたし。
その結果がフロム、へープナー、ヒムラーの三人が同時に「国内軍司令官」を称するという馬鹿げた事態を産んだわけだ。
ことクーデターに於いてははっきり無能だった。
シュタウフェンベルクは本来ヒトラーと共に爆死すべきで、「ワルキューレ作戦」の指揮は別な人材が執るべきだったのに相応しい人物がいなかったのでヒトラーを仕留めるという最も重要な点で失策を犯した。
「結果として失敗した」だけじゃなくこのグループには信じられない手抜かりが多過ぎる。
これは「軍人として無能」の誹りを免れないのでは?
軍人って要人の暗殺作戦ができると有能なのか?
それは軍人ではない気がするが。
その程度は出来るもんじゃないの?
少なくとも同じ部屋に爆弾持ち込むまでやってるのに。
ヒトラーが生きてても国内軍の総動員で本土制圧すればクーデターは成功した。
それなのにベルリンに居残ってたゲッベルス一人拘束しなかっただけで総崩れ。
言っちゃえば軍人に必要な「決断力」が決定的に欠けてた。
>>745 >>747 すでに大量の研究がある。
ああしかしようがない。
シュタウフェンベルクは検死している暇がない。
そんなことをすると、総統大本営を脱出できない。
ヒトラーが死ぬことを予期していた状況で、
命令の発動に時間が掛かるのは「摩擦」の範囲内。
通信施設は遮断できない
国防軍以外の通信系統がある(フェギーベルは国防軍のみ統括)。
ベルリンに兵士がいなければ通信施設も占領できない。
ゲッベルスは逮捕できない。
しかし、ベルリンに反乱側の部隊はいない。
反乱側の精鋭「中央」騎兵旅団の移送には時間が掛かる。
ヴァルキューレ作戦は可能な最良の計画だった。
そして、可能な限りうまく実行された。
もともと成功の可能性が少なかっただけさ。
精神論で解決できれば世話はない。
つまり、ヒゲと刺し違える人間を用意できなかった時点でアウトか。
>>748 最良の運用をしても成功しない計画だと認識出来ずに「ワルキューレ」発動したのは自殺行為だったと受け取って宜しいか?
あとシュタウフェンベルクに関しては「邪魔が入らないように爆発の瞬間までヒトラーの側に留まるべきだった」って考えてるんだが。
実際にヒトラーが死ななかったのは会議に出席してた陸軍参謀ブラント大佐が爆弾入りの鞄を邪魔だと思ってテーブルの脚の陰(ヒトラーの反対側)に移動させたせいだから。
通信の遮断についてもフェルギーベルほどの立場の軍人なら「万一のため」って通信系統の全体像を入手して工兵隊に切断させるくらいしないと。
それから研究家の意見として、ナチ体制を打倒してもより有利な講和条件なんか獲得出来なくて親ナチ派との抗争の挙句、結局連合軍に分割占領されるんじゃないかって話もあるんだけど。
ヒトラー自身の台詞で「虎の背に乗った者はただでは降りられないのを知るべきだ」ってのがある。
文脈は違うけど、7月20日グループに贈ってやりたい言葉だね。
マンシュタインもロンメルもクルーゲも計画に乗らなかったのは正に虎の背の上で奮闘してたからだろ。
戦時中に最高司令官抹殺を企んでるなんて国内軍って余程暇なんだなと正直思うわ。
>>750 もともと成功の確率などほとんどないことはわかって実行した。
有名な話だぞ。
もし、この計画を実行しない場合、長期的に見て、
ドイツ民族の声望が決定的に低下して回復できないことをわかって実行した。
その認識は正しかったと思われる。
それから、シュタウフェンベルクがヴォルフシャンツェに残ると、
計画の参謀長が存在しないことになる。
激戦地中央軍集団の作戦専門家トレスコウが長く全体の指導者だったように、
忙しいのと、最高司令官抹殺を計画するのは関係ない。
シュタウフェンベルクがいなければ1942年でドイツは降伏だったろうよ。
歩兵不足でドイツは負けたんだが、その歩兵を奇跡のように作りだして、
さらに作ることを提案したのがシュタウフェンベルクだな。
大抵の史実と一緒で、ドイツ参謀本部最良の参謀将校ともなると、
俺たちが考えることは全部検討したあとで可能な最良の行動をしたわけさ。
シュタウフェンベルクが有能だとして、オルプリヒトやヘフテンやメルツやらの体たらくは?
傷痍軍人であるシュタウフェンベルクに最も重要な役割を与えるのはおかしいだろ。
暗殺未遂の結果何が起こったか?
国防軍の全面的なナチ化だよ。
伸るか反るかの賭けに出て事態を悪化させてりゃ世話はないと思うんだがね。
>>752 シュタウフェンベルクが、ベックから見てもオルブリヒトから見ても、
マンシュタインから見てもツァイスラーから見ても、
アメリカの軍人から見ても、もちろん伍長閣下からみても、
ドイツの参謀本部のなかで傑出して極端に無茶苦茶に優秀だったからだな。
カリスマ性が違うのさ。
そうでなければあれだけの負傷をした傷痍軍人は退役して郷里で戦後を迎え、
予備軍参謀長なんて重責を担うはずなんてない。
本当はオスター少将かトレスコウ少将がベルリンにいればよかったのだが、
オスターは監視されているし、
トレスコウの陸軍参謀総長就任も(これも異常な人事だが)実現しなかった。
このスレでも、他の太平洋戦争関連の戦術・戦略スレでも見られる
「結果的に失敗だったものの、当時はそれで最良の選択をした。
書籍等でよく言われる『ああすれば、こうすれば〜』は自分達より何倍も有能な人たちが
検討しつくして、実行不可能却下されたことでしょうがない」系のレス
俺も歴史を勉強してる身として、『失敗』した人々を簡単に「無能」と決め付けることは
絶対しないようにしてはいるが、だからって「しょうがない」で片付けてしまうと
歴史を学ぶ意義がなくなると思うんだけどな
無能・バカではなく、本人達は精一杯だったものの、何かが足りなかったのは確かなわけで
>>754 七月二十日事件については、成功の可能性は皆無に等しいことが予期され、
しかし長期的に見て、ドイツの声望を回復するのに貢献することが予期され、
それ故に実行された。
そして、そうなった。
失敗ではなく、当初予定した成果を得たと言うことだ。
>>754 しょうがない系の発言をする人間は、十分検討されたことが前提になってるよな
でも歴史を精査してみると、必ずしも十分に検討されたとはいえない状況など
山ほどあるわけで、そういうのは歴史の表面しか見て無いんだなあとは思う
なぜ検討・実行しえなかったのかまで含めて
後世の人間が細部まで検討・分析を加えることが必要なのであり
歴史を学ぶ意義はそこにこそ出てくると思うんだけどねえ
まあこのスレで討議するような人間がいる限りまだまだ大丈夫だとは思うけどね
>>755 そうなると国防軍のクーデターは「一種の壮大な自殺」だったってことか?
そして彼らが倒すべきとしたヒトラー自身、対ソ戦決意時や、
対米参戦決定時、「無謀な戦争と分かっていながらあえて仕掛け、この時点で
将来の敗北と自殺を見据えていた」(チャーチルの言葉だったかな?)という見方もあり・・・
何か悲壮さは戦前日本に負けずとも劣らずだね
叛乱将校たちの見通しの甘さってのは随分と前から指摘されていたと思うが。
ヒトラーさえ死ねば全ての問題が解決するとかそんな問題でもそもそもないわけだしな。
日本だと東条暗殺計画なんてのがあったな。
高木惣吉始め、やらなくて良かったと戦後に述懐しているが。
実際暗殺したところでどうこうなるわけではないからなぁ。
日本もドイツも「政治家」が無力化されて何も出来なかったってとこに色々と問題があるような気がするが。
武官だろうが文官だろうが「政治家」としての役割を果たそうと思ったら自身もまた政治家に、政治的存在とか
そんな意味でなく文字通りの意義での「政治家」にならねばならんのだが、その辺り認識していたかどうか。
>>754 失敗したのが何故かを問わずに、「英雄的行為を称揚」なんかしてたら進歩なんてしない。
だからこそ厳しい意見を出すのさ。
3万人が戦死したインパール作戦を指揮した牟田口はよく極悪人よばわりされるが、それなら50万人が戦死したフィリピン作戦を指揮した山下は更に極悪人という事になるのだろうか?
勝てない無謀な作戦である事や餓死・病死が多かったのは同じだが、両指揮官への評価の差は何であろうか?
>>761 後から呼ばれてきた山下や武藤の責任は問えない。
無意味なレイテ作戦を反対したのに準備もなく実行させられて、
その後に準備もなくルソンで持久戦をするのでは、
現場の軍事指導者の決定ではもう収拾のしようがない。
寺内の責任を問うなら賛成する。
>>761 俺は牟田口批判派だけど、流石に極悪人呼ばわりはないわ
当人は、楽観的すぎたにせよ、一応勝算というものを持ってインパール作戦開始したわけだし
もちろん進撃計画の無謀さ、補給計画のずさんさは非難されるべきだけどね
>763
牟田口が批判されているのは、計画の甘さだけというより、作戦指導や敗戦処理のまずさ、
戦後の開き直り等々が全部あわさってのことだから。
おまけに、自分が師団長だったときには正当な理由で反対していたのに、軍司令官に
なったら反対するものを解任してまで強行し、それでしくじったんだから、見る目が厳しく
なって当然。
自分が後方にとどまれる立場になったからやったんじゃないか、と邪推されても仕方ない
でしょう。
「上には三段構えの馬鹿がいる。第十五軍とビルマ方面軍と南方総軍だ」by佐藤幸徳
言い換えれば牟田口と河辺と寺内。
>>725 松井は南京事件をどこまで知ってたのだろうか?
一部の兵の強姦や略奪程度しか知らず、捕虜処刑や便衣狩りに
巻き込まれた民間人の殺害は知らなかったとも言われるるが。
768 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 18:02:16 ID:AAoMFa0v
>>766 松井大将が兵士の強姦事件の件を聞き、涙を浮かべて激怒したが
参謀連中はせせら笑ってたそうな。
映画「硫黄島からの手紙」などで知られる旧日本陸軍の栗林忠道大将が、中尉だった1919(大正8)年に
発表した軍の旧態を批判する論文を、出身地・長野市の「人間・栗林忠道と今井武夫を顕彰する会」(井上昭英会長)
が発掘した。同会は「軍でタブー視されていた体質を批判する勇気ある内容で、栗林の面目躍如たるものがある」
としている。
栗林大将は1891(明治24)年、西条村(現長野市松代町)生まれ。長野中学校(現長野高校)卒業後、
陸軍士官学校に進んだ。1944(昭和19)年、中将で硫黄島守備隊総司令官に着任。米軍上陸後、大将に昇進し、
最後の総攻撃で戦死した。
論文は「吾人(ごじん)ノ軍事知識以外ノ知識ノ著シク低級ナルハ争フベカラズ」と題し、陸軍将校の
親睦(しんぼく)会の機関誌「偕行(かいこう)社記事」に寄稿。当時の将校が軍事以外の知識は不要としていた
ことを批判し、部下を心服させるためには民主主義や一般常識も広く学ぶべきだと訴えている。
顕彰する会は、栗林大将とともに、中国との和平工作に尽力した同窓の今井武夫少将の功績を広めようと、
長野高校OBを中心に今年3月発足。今月8日に開いた勉強会で、会員の川上昭三さん(81)が知人から
譲り受けた資料の中から、論文の2次資料を発見した。
同会は24日、2人の肉親を招いた集会を長野市民会館で開く。長野高校管弦楽班による演奏もある。入場無料。
問い合わせは、同会事務局へ。
[中日新聞]2009年5月19日
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20090519/CK2009051902000022.html 栗林忠道大将
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20090519/images/PK2009051902100118_size0.jpg
>>770 栗林の思想は尊敬に値するが、しかし大正陸軍におけるエリート将校として、
特にめずらしい思想ではないかと思うな。
それが昭和に、なぜああなったかは別問題として。
>>771 意味不明のレスになった。
特にめずらしい思想ではないか→×
特にめずらしい思想ではない→○
ということで、栗林の思想は大正期としては、特に珍しくはないと思う。
だよな。「湛山回想」や、「大戦間期の日本陸軍」あたりの陸軍がどうヨタっちまったんだ…
独断専行で結果さえ良ければ何しても良い、って風潮に染まっちゃったからだろ。
具体的に言うなら張作霖爆殺〜満州事変までの流れの中で決定的に狂っちまった。
白川義則は昭和天皇の覚えが目出度かったらしいが、満洲某重大事件を最終的に揉み消したのは陸相時代の白川なんだよな。
それに抵抗出来ない田中義一は天皇の不興を買って辞任、頓死。
河本の後任板垣征四郎のところに鬼才石原莞爾が転任して来たのがgdgdになるきっかけになった。
昭和天皇は正規のルート以外の情報を良く知ってたようだけど、白川や東條を偏愛するなど人間の好き嫌いに多少問題あったよな。
軍部的には大正時代に軍人蔑視の風潮があったんで憂さ晴らしがてら国家改造とか目論んだんだろ。
石原は張学良の部隊が脆弱なのを知ってて電撃的にこれを駆逐した。
これは限定的な作戦行動。
一方支那事変は限界を設定せずに挑発されるままに戦線を拡大、自然と兵力が不足し「国家総動員」なんてことをせざるを得なくなった。
石原とその後輩の指揮官・参謀とでは思索の深さが違い過ぎ。
東條上等兵は問題外だし。
>>768 せせら笑ってたのは、中島今朝吾。
松井に「(不法行為など)あたり前ですよ」と開き直ってた。
鈴木貫太郎ってのは反則なんですかね。
778 :
名無し三等兵:2009/05/20(水) 17:18:30 ID:4R2i976l
>>776 768です。ご教示くださり、ありがとうございます。
>>775 そんなこと言って突き回してたらほとんどの軍人が駆逐されちゃいそうな気が・・・
個人的には満州事変までならまぁいいかなぁ・・・なんちて
>>777 あの人の自伝の最後の方は泣けるな。
ローマは滅んだ。カルタゴは滅んだ〜とかいうくだりの奴。
>>780 一時的に負けることは滅亡ではない、玉砕してしまっては終わり…という話ですね。
あの時期に鈴木貫太郎が首相で本当に良かったと思います。
しかも彼は、日露戦争では水雷戦隊を指揮して大きな戦果を挙げていますね。
782 :
名無し三等兵:2009/05/21(木) 09:00:49 ID:/wpjPsr3
若干スレ違いだけど、
皇道派とか統制派の対立とか争いがくだらないと思うの俺だけ?
良識派を気取るのは簡単だけど、国を動かすのは難しいね
戦争に勝つのはもっと難しい
戦争に負けた国の良識派に何の価値があるのだろうね
そうでもないか・・・
戦争に負けた国の役立たずの良識派であっても、その功績は認めなくてはならない
でないと勉強にならないもんな
小磯国昭は?
東條と鈴木貫太郎との間に挟まれて、影薄いけど。
>>785 秦彦三郎に首相は口出すなって、たしなめられたのは本当?
>>782 現代の視点からだと確かに下らないと感じる部分もあるが、
あれはあれで当時の日本(陸軍)の状況を端的に表したものだからな
昭和になって四民平等・近代化開始から相当の年月が立つのに、政府上層部に置いては
相変わらず薩長藩閥だの士族・平民といった身分差が残っていたが故の派閥抗争・・・
戦前日本は近代化に邁進していたのに、やはりどこかで江戸時代を引きずっていたんだよな
その尻尾は今でも完全には消えていない
未だに古代帝国を引き摺っている国もあるし
小磯国昭は首相になって「東條陸相留任」を潰したまではよかったが、結局歴代総理と同様軍部からまともな情報が上がって来ず「レイテ決戦が天王山だ」って言った後に計画が変更されて沖縄に米軍が上陸するまで事実上放置。
で、国民から「天王山は幾つあるんだ」って揶揄される始末。
希望を言えば、サイパン陥落で責任を取る東條がそのまま降伏の申し入れをして軍事行動停止してれば以後一年間の犠牲者は出なかったはず。
重臣たちも東條を引き摺り下ろすだけでなく「自ら開戦を宣言した戦争は自ら収拾せよ」って迫るべきだった。
その場合の条件は「太平洋・東アジアに於ける権益の全てを放棄、損害を受けた各国に賠償」より軽いはずはないけど東南アジアでは日本軍と連携した現地の政治・軍事組織が活動出来る状態になってただろうから結局欧米による極東での植民地経営は早晩破綻しただろう。
日本は権益確保のための戦争の副産物として東南アジアでの植民地体制を崩壊させたのは事実。
ただそれを目的に開戦したわけじゃないから自分でそれ言い出してはいけない。
余談が長くなったな〜。
792 :
名無し三等兵:2009/05/22(金) 06:49:20 ID:dmY36ix/
相手国の主張を無視してくだらない妄想をするなよ
相手国って具体的に何処?
アメリカじゃない?
サイパン陥落時ではまだまだどう和平するか、なんて固まってなかったし。
相手に受け入れの用意が無い段階で降伏申し入れても攻勢の手が緩められることはないし
日本には国体護持の一点で絶対に譲れない条件があるから降伏するにも交渉に時間がかかるしな。
戦争しても駄目だったからハルノートで示された程度の条件で降伏します、とかやると間違いなく破談だし。
サイパン落ちたぐらいじゃ日本もまだ無条件降伏までは考えられないからな。
この辺り井上成美とか高木惣吉がいかに終戦研究するのに気を使ったか考えるとよく分かるが。
795 :
名無し三等兵:2009/05/23(土) 10:20:12 ID:PK+YJTMX
保科善四郎は良識派かどうか?
>>794 「サイパン陥ちたら軍需生産維持出来ない」って主張した岸信介は東條より余程事態が分かってたんだな。
一年後にポツダム宣言受諾する羽目になるなら「太平洋及び東南アジアからの撤退、支那戦線での軍事行動停止」くらいの条件は呑めるだろ。
海軍はもう絶望的な状態だったんだし。
アメリカが呑もうと呑むまいと一方的に宣言して実行したら米本国の世論も軟化した可能性は低くないと思うぞ。
カイロ宣言も知らない奴がいるとは・・・
>一方的に宣言して実行
現実的にこれが如何に困難なのか分からん奴に何言っても無駄な気がする。
>>796 「石油禁輸されたら海軍を維持出来ない」って主張した永野修身はその後の結果が分かってたんだろうか?
3年8ヶ月後にポツダム宣言受諾する羽目になるなら「太平洋及び仏印からの撤退、支那戦線での軍事行動停止」くらいの条件は呑めるだろ。
海軍は燃料備蓄が乏しく長期戦は絶望的な状態だったんだし。
アメリカが呑もうと呑むまいと一方的に宣言して実行したら米本国の世論も軟化した可能性は低くないと思うぞ。
ってな主張くらい無理がある。
冬には多数の餓死者が出るとか、本土空襲や原爆やソ連参戦であんなにボロボロだった昭和20年半ばでさえあんなに揉めたのに。
>>800 確か、永野元帥は、石油禁輸でジリ貧、戦ってボロ負け、
どうせ同じボロボロになるのだったら、戦ってボロボロになった方がマシ、
という論者だったような…
>>799 「困難だから漫然と戦争継続」は避けられない事態なのか?
困難でも勝ち目がない以上どうにか手を打つのが国家を率いる人間の態度じゃないの。
あり得る選択肢を提示したら「架空戦記」とか言われるんじゃ議論が噛み合う方が不思議だ。
>>802 だからカイロ宣言。
和平が成立する確率は極めて低いから。
日本側はまず飲めないし、まだ沖縄も硫黄島も経験していない米国は損害の想定がまだ甘いから
譲歩することはまずない。
一方的宣言にしたって戦中にそんなことやって正しく敵国国民に伝わるなんてことはない。
そもそも宣言出した時点で日本国内外にある陸海軍部隊をきちんと統制できるのか?
昭和天皇はクーデターを一番に恐れてたが、実際起きかねない情勢だったんだぞ。
失敗したとはいえ、ポツダム宣言のときに起きてるのよりもっと多くの者が同調するぞ?
原爆も無ければ無差別爆撃もまだまだの段階で負けを認める人間は45年よりずっと少ないから。
804 :
名無し三等兵:2009/06/03(水) 18:23:09 ID:D5blgIUE
岡村少佐の名前が出てない時点で糞スレ
学研が出している太平洋戦争シリーズの最新刊で
今村均さんに関する批判記事が載っていたね
806 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 00:20:44 ID:mZOQaAze
kwsk
>>796 「ハァ?あんな卑怯な騙し討ちしといて今更何言ってんの?そんな虫の良い話が通用すると思ってんの?
これだからジャップは……」
ってなるんじゃね?
まさに「日本政府を対手とせず」
809 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 00:49:59 ID:XJCrI0Ud
トラウトマン工作潰した近衛は万死に値する
いや、近衛だけじゃないから。
矢鱈と支持されてる多田をはじめ和平案に次々条件加重していった連中も同罪だから。
華北放棄なしで和平が受け容れられるわけないのに、華北で譲歩しないってのが石原初めとした陸軍側の主張だから。
そりゃ、近衛が投げる筈。
これ、近衛とか広田とかだけを責めてる奴は陸軍側の資料しか読んでないんじゃなかろうか?
そしてその陸軍側の資料をちゃんと検討しているのか?
そもそも満州だよ。万死に値するのはまず石原。この馬鹿はとんでもないことしてくれた。
しかし石原の後には満州によって利益を得ている日本の新興財閥があり、日本の昭和不況があり、
さらに極東を牽制し続けていたソ連もある
たしかに決定的に軍主導にしてしまい、日本を大陸から手を引けなくしたのは石原だが
あの当時、日本がそれからかなりの利益を得ていたことから、彼がやらなくても他がやったと思う
日本が大陸および満州から手を引けるようにするには、日本の防衛対策そのものから見直さないといけなくなる
……はたしてどうすればいいのか、私には分からない
そりゃ誰一人石原以上の識見もビジョンも示せないんだから
石原の思うようになるのは当然だよ、その時点で政治の敗北
そこまで誰一人まともに考えてこなかったつけが回っただけ
軍部の譲歩すら一切引き出せず、最終的に放擲
いかに後から何を言おうがこの一点をもってしても近衛が宰相の器でなかったことは明白
最終的に西園寺が近衛に対して匙を投げたのも良くわかる
>>811 >利益を得ている日本の新興財閥
これは結果論。権益があれば利用するのは当たり前。
>日本の昭和不況
たまたま満州事変が不況対策に利用されただけで他にも不況対策の手段はあるだろう。
>極東を牽制し続けていたソ連
これは逆。
満州事変で関東軍が強化された後で極東ソ連軍が強化されてる。
それ以前はソ連軍より国民党軍の北伐に対する危機感のが圧倒的に高い。
>日本を大陸から手を引けなくした
これは日露戦争で朝鮮だけでは満足できずに満鉄まで手に入れた時点からそうだろう。
21ヵ条要求出さずに関東州返還してればいいものを。
石原や近衛がどうこうというか張作霖爆殺の時点で河本を処罰できなかった時点でアウトだろう。
満州で何しても処罰されないんだという前例を完全に作ってしまった。
田中内閣総辞職により天皇も直接口出しする事に慎重になっちゃったし。
>>814 結局それだな。
あと、天皇の(憲法運用上における)「立憲君主」像と、条文上における「陸海軍大元帥」のギャップが、河本を処罰できなかった事で確定しちまったのが大きいと思うよ。
軍法に準じて粛々と捜査・処断すると大元帥がはっきり言えば、当時はまだまともな将校のほうが多数派だったはずだから、きちんと処分できた目がない訳じゃないと思うんだ。この辺は西園寺の失敗だね。
(ただまあ、天皇を廃位して秩父宮かつごうって動きが活発化する可能性もあるとは思うけど)
>>815 聖上も西園寺も根っこはそれだと思うんだよねえ
「クーデタ」が起こる可能性を捨て切れなかった、それをこそ恐怖してたし
西園寺が君側の奸として切られることも厭わず処断するように動いていれば
と思わんわけでもないが、根っから堂上のご老人にはさすがに無理か
「ベトー」を言える、最終的には大元帥にはそれがある
ってコンセンサスを作り得なかったのも乖離の原因と思えるなあ
817 :
名無し三等兵:2009/06/08(月) 15:21:17 ID:pKg1+jHL
山本権兵衛の名前出た?
ゴン狐?
820 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 10:31:35 ID:RzXQFqSr
山本権兵衛は神
小沢については諸説あるが、吉田俊男氏の本(四人の連合艦隊司令長官)によると、
マリアナ沖で出撃させた直後、祝杯を挙げる用意をしている。
あと、大鳳が沈む際に、艦と運命をともにすると言ってる。
これらが本当だとすると、名将とは言い難いかもしれない。
山縣有朋ではなく、大村益次郎・山田顕義ラインが陸軍の主流派になってたらどうなったろうと想像してみたり。
日清・日露戦争はなくて日中・太平洋戦争も起きなかったかもなあ。
山縣亡き後陸軍に睨みを効かせられる大物がいなかったのも痛いが。
田中義一がそうなるべきだったんだろうけど、現役を退いてたせいか嘗ての部下を統制出来なかった。
総理大臣田中と関東軍高級参謀で一介の大佐でしかない河本がぶつかって総理が負けちゃうんだからなあ。
陸軍矯正のチャンスは永田鉄山と梅津美治郎の主導による粛軍成功くらいか。
永田が抹殺されたので幻でしかないが。
長勇が、中国戦線で捕虜の処刑に躊躇した兵士を軍刀で切ったという話は
本当なの?
>マリアナ沖で出撃させた直後、祝杯を挙げる用意をしている。
今でも演習時なんかは、「祝杯」というかお祝い準備なんかを
しておくこともあるので、それが取り立てて違和感があるわけ
ではないな。
むしろ、部下の前で負けること前提な振る舞いはできんので、
「勝つんだ」という意志を見せつけている点で自然に見える。
が、戦後のいろいろな文献を見ると、流石にあそこまで完敗
したのはかなりの衝撃だったようだね。
こちらが全滅に近くなっても、ある程度の痛打を与える自信は
あったようだ。
826 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 17:12:09 ID:MSHXqoL3
>>823 寺内や上原勇作じゃ山縣に比べて小物だもんな
>>821 残念ながら本格的な初めての空母戦の指揮がマリアナではね
日本海軍はミッドウェー後に小沢にするか(南雲は更迭)
史実取りに南太平洋戦ったなら角田で行くべきだろ
特にマリアナみたいな絶対国防圏賭けた戦いで最初からアウトレンジで艦隊保全とかもうね
元海軍の人で小沢提督はろくな結果残してないって批判してる人いたな。
アメリカ側からの評価が高いとは聞いたことあるが
小島秀雄、松田千秋、野元為輝は対談で小沢を賞賛してるね。
黛は航空戦術の研究は上手くやってなかったんじゃないかと批判してるけど、
それは並の凡将と比べての話だと言ってる。
もうあの時期では誰が指揮とっても負けていたとは思うよ。
>>829 このスレ的に松田少将はどう評価する?
大艦巨砲主義者だが航空機攻撃を完全にかわして部隊を救った英雄、
対米強硬派だが総力戦に通じて様々な新機軸を主張した異色の軍人、
対米迎撃戦略の支持者で、嶋田提督を賞賛した異端児。
評価が難しいところだが。
良識派かどうかは意見が分かれるが名将であることには違いない。
あの時期、海軍の艦隊防空戦術に対する認識は直衛機1000機を用いるしかないと、
いわば、諦めてしまっている中でそれを研究し続け、成果を挙げたのは凄い。
てか、上の方でも、でてなかったけ??
反論してるのが、調べもせずに訳分からん人命がどうだこうだか言っているのを見て
ゲンナリした覚えがある。
>>831 レスありがと。
検索したら、ご指摘通り前に出ていたね。
>>830 対米強硬派になったのは、税関で嫌がらせうけたからだっけ?
小澤
ミッドウェー以降はもちろん、真珠湾以降から指揮してたとしても戦局が変わると思えない。
角田
南太平洋では既に米空母が攻撃力を失った後での追撃戦をしただけ。
海戦を最初から指揮していたらまた違う結果かもしれず名将というには早計。
海戦の度に航空隊再建に数ヶ月かかる状態になりかねない。
アリューシャンでは攻撃隊が足らないと95水偵まで加え、南太平洋では航空隊が壊滅するまで少数機でも執拗に追撃。
マリアナでは決戦前に航空隊壊滅。
山口
真珠湾ではとりあえず攻撃隊準備完了と言っただけなのに、第二次攻撃を具申したと拡大解釈されてる。
ミッドウェーでも2航戦の状況しかわからないから全体の状況を把握した上での具申ではないと思う。
多分1航戦が兵装転換中である事も知らない。
松田
レイテ沖等での回避成功は、松田の手柄というより伊勢日向艦長の手柄だと思うが。
>>834 もうちょっとポジティブに生きようぜw
>海戦の度に航空隊再建に数ヶ月かかる状態になりかねない。
これってあんまり重要じゃないんだよな
南太平洋以降航空隊なんか壊滅するのがデフォだし
それよりも空母同士の決戦という一戦一戦が国運を賭けた戦いの中で損害気にしてるようじゃ
>>834 批判のための批判になっていないか?
松田
艦隊の各艦に全部中瀬艦長を載せていたわけではない(できればすごいが)。
艦隊所属各艦艦長の意思を統一して練度を上げて、
敵の対空攻撃を回避したのなら、司令官のものすごい手腕だろ。
小沢
連合艦隊司令長官ならそもそもミッドウェーやらないだろ。
もしかすると真珠湾をやらないかもしれん。
そのほうがよかったかどうかは、半世紀議論された海軍戦略の問題だが。
角田
状況をとらえて適切に指揮したのだから上等だろ。
というか、ぎりぎりの状況で可能な適切指揮をするのが司令官だ。
あと、マリアナを持ちだすのは残酷に過ぎるぞ。
あの状況では誰がやっても駄目だろうに。
文句を言うなら連合艦隊のラバウル大好き航空隊大消耗無謀戦略に言えよ。
山口
戦隊司令官として、与えられた権限と情報の範囲で適切な指揮。
それで名将の資格として充分。
>>835 それなら旅順での乃木やミッドウェーでの南雲も攻められるべきではない。
それどころかインパールでの牟田口も。
小澤や山口が指揮してたらってのは、例えば試作に終わった震電とかが実戦に参加していたらという期待に近い。
実際はまともに飛んだかも怪しいのに過剰な期待をして、B29やP51をバタバタ落としただろうとか妄想しはじめる。
別に彼らを悪く言おうてんでなく、判断するには実戦での実績が足らんから判断しかねるというだけ。
小澤はとりあえずマレーでの陸軍支援と終戦時に海軍をまとめたのは評価できるが。
小澤は海軍軍人には珍しく陸海軍で綿密に連携を持って作戦に当たる構想を持ってたからね。
>>837 乃木と南雲は責めないのが軍板の一般的見解だろ。
というか、与えられた条件でよくやった。
牟田口中将は別問題。
避けようと思えば避けられた大きなミスを何度もしているんだから。
ぜんぜん別のものを混ぜることで、議論を混乱させているぞ。
鬼畜牟田口を混ぜてる時点で釣り
相手にするに足らず
>>838 構想は正しいんだが、その前にやることが多すぎるってのがなあ
当然それは小澤の責任ではまったくないが
>>824 奇抜な言動や行動が多かった人らしいから本当かもな。
何せ中国兵捕虜を「ヤッチマエ」と処刑するよう命じて、松井に
咎められたのに、命令を無視して処刑してるし。
843 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 13:00:28 ID:SZzRO9bo
松田も所詮は黛程度
「山本が真珠湾でアメリカに航空主兵を目覚めさせた」式の身びいきw
だから「大艦巨砲で行くべきだった」だってw
煽る人、必死だなあ。
俺は艦隊を二個潰さないで持って帰っただけで名将だと思う。
ついでに総力戦の研究施設を造って、軍令部や連合艦隊の俊英達と違って、
日米戦必敗の結論を導きだしたのだから充分以上だな。
ちなみに、大艦巨砲による迎撃戦略で行くべきか、
真珠湾攻撃を正当化するかはいまだに議論が分かれるところ。
>>836 小澤はGF長官だったらというのでなく、開戦時から機動部隊を指揮していたとしても史実と大して変わらないといってる。
角田はマリアナで敗けた事を批判してるんじゃない。
機動部隊の数の不利を基地航空隊を併せる事で補う作戦なのに、決戦前に基地航空隊を壊滅させた事を批判している。
決戦までは無駄な消耗は避けて空中待避させるなりすべきだ。
もっともビアク上陸による高須の指示などでの消耗もあるが。
まぁどちらにしても、可能性を云々言っても実現してないんだから意味ないけどな。
可能性でなく実際の実績で判断すべきだ。
そうでなきゃ火葬戦記にしかならん。
>>845 角田提督については、あきらかに連合艦隊の責任だろ。
稼動機数が無理な機動で激減して、その上にパイロットに病気が蔓延して、
その上で適切な作戦指揮を執る方法など無いぞ。
さらに根本理由をいうならば、ラバウル正面で消耗して、
第一航空艦隊を適切に強化しなかった連合艦隊の無茶な戦略に無理がある。
決戦のときに母艦航空隊を酷使するのは当然というか必然。
それで戦果をあげたのだから、角田の判断は軍事合理性に則っている。
むしろ問題は、連合艦隊が母艦航空隊と基地空軍を、
マーシャル、ギルバート、ブーゲンビルで逐次投入して潰滅させたことだろ。
>>837 牟田口とかその3人で同列に語る人物なのかな?
>>845 たぶん同じ人なんだろうけど
>決戦までは無駄な消耗は避けて空中待避させるなりすべきだ。
角田的には機動部隊の到着待ってる間に撃破されてしまうとふんだんだろ
空中待避なんてそう簡単にできるものじゃないよ
ウリナラ待避ニダ<ヽ`∀´>
>>847 縦深がなく施設が不十分では待避・兵力保全はとても難しいわけで。
それがわかっているからマリアナ放棄論も検討されたわけで。
>>843 必死すぎだろ〜
あのご時勢で結果を残した人物をなぜ批判するんだ??
あと松田中将は
>>844で言ってるとおり
総力戦研究もしていて、日米開戦必敗を説いてる。
戦後の成功を見ても頭の切れる方だったんだろう。
>>849 一旦空中待避は当時角田の航空参謀だった淵田も具申してる。
しかし角田は見敵必戦でその意見を退け、明らかに劣勢な進出してきたばかりの少数機で迎撃して壊滅させている。
淵田・奥宮の機動部隊より
852 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:17:46 ID:SZzRO9bo
>>844>>850 何をもってして「結果」云々言うのか、今一つ理解に苦しむがw
>日米戦必敗の結論を導きだしたのだから充分以上だな
↑こんな答えを導きだして「一体何をしてくれましたか?」
>>852 正しい結果を首相と陸軍大臣に伝えた。
完璧に職務をまっとうしたわけだ。
それ以外、何を望むんだ?
854 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:21:34 ID:SZzRO9bo
>>844>>850 >真珠湾攻撃を正当化するかはいまだに議論が分かれるところ。
↑「ハワイを叩く」戦略と「航空を用いる」戦術が
ゴッチャ混ぜですね
w
855 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:25:24 ID:SZzRO9bo
>>853 あ、それだけですかw
委員会を取り仕切って、意見をまとめて
そして提出したものが、後世の結果と一致さえすれば
「名将」ですかそうですか
w
>>854 航空主兵による迎撃戦略を主張したいのか?
しかし、松田がやっても所在の基地空軍と機動部隊は当然使うぞ。
あるものは使うし使うことになっているんだから。
それ以外、何を望むんだ?
>>855 当然だろ。
将軍としての仕事を充分にはたすのが名将だろ。
煽るなら自分の定義を出してからにしてくれ。
858 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:28:27 ID:SZzRO9bo
↓コレ、戦後大分経ってからのご発言なんですが
「山本が真珠湾でアメリカに航空主兵を目覚めさせた」
「航空戦=総力戦。だから絶対に不利」
「つまりは大艦巨砲で行くべきだった」
w
>>858 普通に軍令部主流の艦隊を用いた迎撃戦術になる。
それで航空機もあるから使う。
機動部隊もあるから、当然使う。
それで何か問題があるのか?
>>859 それから、航空機生産→総力戦→絶対に不利の図式の、
どこかまちがっているのか?
実際松田がシミュレーションで事前にしめしたように、そうなって負けたわけだが。
861 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:35:36 ID:SZzRO9bo
>>859 >普通に軍令部主流の艦隊を用いた迎撃戦術になる。
↑そうでしょうねw
だったら
もし「ハワイ作戦」がなかったら
アメリカさんは「航空主兵」に
永遠に目覚めなかった訳ですか
そうですか
w
862 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:36:28 ID:SZzRO9bo
>>860 間違ってるなどとは「一言も言ってないのに」
w
>>861 アメリカ側は普通に既定方針どおりに戦艦主体、航空母艦も使って、
輪型陣による侵攻でフィリピン救援をしようとするだろ。
それで決戦をしたほうがいいという理屈だろ。
別に、当然ありえる主張だろ。
>>862 じゃあ、問題ないだろ。
航空戦→総力戦→日本は負ける。
国力で日本は勝てない。
このことを予見して政策中枢に進言する職務を果たした。
迎撃戦略をとれば、別の展開があった。
ミッドウェイの敗北を予見したのは、やはり職務を果たした。
二度の絶望的作戦で、艦隊をよく訓練して部下を救い任務を果たした。
これで名将でなければ名将はいないな。
865 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:46:36 ID:SZzRO9bo
>>863 だからそれは「軍令部主流の艦隊を用いた迎撃戦術」式のやり方でしょ
一度言えば、たとえ知らなくたって「理解」しますからw
じゃあ
「ハワイ作戦」がなかったら
アメリカさんは「航空主兵」に
永遠に目覚めなかった訳ですか?
話をすり替えないで
ちゃんと答えてくださいね
w
>>865 松田少将は永久に目覚めないといったのか?
867 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:48:58 ID:SZzRO9bo
>>864 大艦巨砲なら「総力戦」じゃないんだ
w
868 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:51:09 ID:SZzRO9bo
>>866 バカ。俺が訊いてるんだよ
もっとも
俺の問なんぞ、答える必要はない
とでも?
w
>>867 大艦巨砲主義+迎撃戦略ならまだましだということだろ。
総力戦研究所は日米戦そのものに反対している。別に問題ないな。
それで松田少将は「永久に」アメリカが航空主兵にめざめなかっただろうと、
どこかで言ったのか?
>>868 誰も言っていないような主張について意見を述べても仕方ないだろ。
だから松田少将が永久に目覚めないと言ったかどうかを聞いている。
もし、彼がそう発言していなければ、スレと関係ない無意味な疑問だな。
871 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:58:04 ID:SZzRO9bo
>>869-870 >松田少将は永久に目覚めないといったのか?
↑まさかそこまでバカなことは言わんだろw
だってあんたらが「名将」と信じてるんだろ?
↓でも他ならぬ「松田」がこう言ってるんだよw
「つまりは大艦巨砲で行くべきだった」
↑普通に理解して「目覚めないことを大前提」に言ってるとしか思えないがw
>>871 じゃあ変なことは聞くなよ。あきらかに誘導尋問だぞ。
それはそうと、こちらからわざわざ空母機動部隊は威力大で、
これからは航空主兵ですよと、
わざわざこちらから教えてやることはないかもしれないだろ。
むこうが自分で気づいたときには仕方ないわけだが。
そうだとすると、どこもおかしくないぞ。
873 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:07:18 ID:SZzRO9bo
>>872 いざ「戦」が始まる前だったらいざ知らず
あんたが認めちゃうw「空母機動部隊は威力大」を
本気で「隠せるとでも?」WWWWWW
もっとも「空母機動部隊は威力大」を
↓松田は「完全否定」なんですが
「つまりは大艦巨砲で行くべきだった」
w
874 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:14:19 ID:SZzRO9bo
↓必死杉w
>そうだとすると、どこもおかしくないぞ。
w
>>873 >「つまりは大艦巨砲で行くべきだった」
完全否定でないだろ。松田の主張は軍令部の作戦案の踏襲なんだから。
当然基地空軍と、機動部隊は使うことになる。
松田叩きの人の主張は、戦後になって大艦巨砲主義を松田が主張したから、
松田は名将ではないということか。
しかし、戦後の感想など戦時中の実績とまったく関係ないわけだが。
877 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:29:29 ID:SZzRO9bo
>>875 なるほど「否定」はしてないとw
じゃあ、話を元に戻しましょうやw
>むこうが自分で気づいたときには仕方ないわけだが
↑コレだったら、なおのこと
「山本が真珠湾でアメリカに航空主兵を目覚めさせた」
↑やはり「点ける薬が無いくらいの身びいき」だよね
w
878 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:31:08 ID:SZzRO9bo
>>876 「名将」かどうか、キミらに問いかけた記憶はあるが
「名将でない」などとは「一言も言っておらんが」
w
879 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:33:08 ID:SZzRO9bo
>>876 >松田叩きの人の主張は、戦後になって大艦巨砲主義を松田が主張したから、
>松田は名将ではないということか。
もっとも「戦の前」からですねw→ 「大艦巨砲主義を松田が主張」
w
>>878 それなら、名将と言うことで結論がでたわけさ。
名将でないというなら、これからがんばって主張してくれ。
そうでないなら終了だな。
881 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:40:07 ID:SZzRO9bo
>>880 ↑幕引きを急ぐ「慌て者」でOK?WWWWWW
名将かどうかはいざ知らずw
少なくともスレタイで言う
「良識派軍人」
とは言えませんね
w
>>881 松田千秋を名将でないと主張している奴は、君を含め一人もいない。
彼が名将であるという点では問題ないだろ。
それで、今度は君の言う良識派ってどんなやつだ。
話はそこからだろ。
今度こそ明確に定義して、旗幟を鮮明にして話せよ。
あんまりスレ汚すな。スルーしろよ。
884 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:47:10 ID:SZzRO9bo
>それで、今度は君の言う良識派ってどんなやつだ。話はそこからだろ。
↑勝手に幕引きして、勝手に話題をすり替えますか
そうですか
w
>>何をもってして「結果」云々言うのか、今一つ理解に苦しむがw
北号作戦の完遂。
当時ほぼ投げられていた対空防御の研究をし成果を出したこと
それで十分じゃないか。
あと良識派か云々は831に書いたように意見が分かれるんじゃないか〜
まぁ荒らしにマジレスするのも難なんだが。。。
松田千秋は名将だと思うが、
全ての名将が全て良識派って訳ではないだろうな。
887 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 20:15:17 ID:SZzRO9bo
>非合理性・精神主義などが指摘され、日本を破滅へと導いた日本軍にも、
>合理的・客観的思考を持った「良識派」と呼ばれる軍人が少数ながら存在しました。
↑わざわざ松田千秋を引っ張り出しても「荷が重すぎる内容」w
まさに「贔屓の引き倒し」
w
888 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 20:17:30 ID:SZzRO9bo
>松田叩きの人の主張は、戦後になって大艦巨砲主義を松田が主張したから、
>松田は名将ではないということか。
↑こんなカキコで「恥ずかしくないのか?」
w
結論「松田は名将で良識派」
違うというなら根拠をのべてねw
絶対不可能だろうけどwww
大荒れだねえw
SZzRO9boも暇なんだろ〜
てかはじめに松田千秋がでてきた時に
ろくすぽ調べもせずに人道論説いていた
>>156と同じ臭いがする。
892 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 09:18:06 ID:nhOEn/jq
>松田叩きの人の主張は、戦後になって大艦巨砲主義を松田が主張したから、
>松田は名将ではないということか。
↑こんなカキコで「全然いいんだ」
WWWWWW
良識派かどうかと名将かどうかには何の関係もないよな
>>893 確かにね
宮崎繁三郎も人によっては良識派ではないだろうし
895 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 15:11:34 ID:yYb3ocjz
宮崎中将は人によると結構嫌な性格だったとも聞くし
部下には慕われてたとも聞くし、よく分からん
>>893 名将佐藤幸徳も張鼓峰やノモンハンでは主戦派だったらしいからね
897 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 17:31:56 ID:nhOEn/jq
誰憚ることなく
大前提w「名将を語るスレ」化ですか
そうですか
w
898 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 17:45:38 ID:nhOEn/jq
>>889 >結論「松田は良識派」
訊くより「先に根拠をのべてね」w
絶対不可能だろうけどWWWWWW
899 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 17:47:31 ID:nhOEn/jq
>>891 ろくすぽ調べもせずに「源田」を名将扱いの
「リット君」と同じ臭いがする。
w
松田千秋は名将だろ。
良識派かどうかは置いといて。
>>893 ついでに言うと人格者かどうかとか、部下に慕われてたかどうかってのも合理的という意味での良識とは関係ない。
作戦面で合理的という点では沖縄戦の八原高級参謀や、フィリピンのの堀情報参謀、海軍の中島情報参謀あたりかね。
902 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 18:26:45 ID:nhOEn/jq
>こちらからわざわざ
>空母機動部隊は威力大で、これからは航空主兵ですよと、
>わざわざこちらから教えてやることはないかもしれないだろ。
もっとも、開戦前の松田は
「空母機動部隊は威力大、これからは航空主兵」
を理解出来ていたとは到底思えない「前科者」でしたよね
w
安達二十三とかどうよ?
雷親父だったらしいが、ニューギニアで人間の生物的限界を越えるようなことを兵隊に要求しないように
命令するまで熟慮に熟慮を重ねていたらしいが。
兵隊からの人望というか尊敬を集めていた将軍提督、となると結構少ないが、そういう人物は大概良識派と
呼んでいい気がする。
将校連からの評判は悪いが、部下士卒の信望は厚い人物って大抵戦も上手いしな。
>>901 八原参謀は上司に恵まれなかったのは同情するけど
南部への撤退は合理的かと言われれば微妙なんだけどね
>>904 いや、上司は悪くなかったんじゃないか?
問題はむしろ上司の上司にあったように思うんだが。
長参謀長も牛島司令官も基本的に八原参謀の計画を支持してるだろ。
>>905 1コ師団引き抜き、5月4日の総攻撃まで含めて上級部隊の統率に問題があったのは事実だけど
総攻撃に反対する八原参謀を押さえつけたのは牛島軍司令と長参謀長だからなぁ
上級部隊の要請に応えるという意味で総攻撃決行したのは仕方がないと言えるかも知れないけど
でも1コ師団台湾抽出時にあれだけ抵抗した牛島司令官と長参謀長がこの時だけ上級司令部に従順って言うのもちょっと謎ですね
>>904 合理的かどうかより攻勢失敗の大損害で現戦線を持ちこたえることができませんが?
>>906 大本営命令に従わない場合軍法会議で汚名を着せられる。
長としては司令官にどうせ死ぬなら汚名を着せたくないと思ったんだろう。
>>907 あそこで首里で玉砕、南部で持久の2択で南部撤退したわけだけど
実際問題として1ヶ月の持久が首里で半月になることでそれほど大きな影響があったかとなると
実際八原参謀も自著で迷ってた記憶がありますが
>>908 記憶だけで書き込んでいるので間違えていれば申し訳ありませんが
あれは命令ではなかった記憶が
>>909 自著には首里の陣地に現兵力が全て収容できないのは書いてなかったのかい?
>>910 書いてましたね
結局南部撤退で兵力半減したはずですけど
元々最終的には首里で抗戦する予定だったと思いますが
兵力を収容しきれないから南部撤退っていうのも難しい問題ですね
>>911 当初の作戦では現線で消耗戦を展開し、首里陣地に収容できるくらいまで減ったところで
首里に撤退して玉砕の予定だったからね。
>>912 伊祖高地の思いがけない失陥とか小さな齟齬が作戦全体に影響及ぼしましたね
スレチになりそうなのでこのぐらいで止めておきます
914 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 21:53:01 ID:+iyQOM/E
牟田口閣下と、冨永中将を讃えるスレは、ここでいいですか?
>>898 鸚鵡返し乙
理由が述べられない以上「松田は名称で良識派」確定www
だから絶対不可能だって言ったでしょ、ご苦労様wwwww
「良識派」って定義したら
「政治的軍人であって国家の方針を誤らなかった」(木越安綱、山本権兵衛、加藤友三郎など)
「指揮官として戦場に於いて正々堂々と非難を受けないような用兵をした」
の二種類くらいでしょ。
「負けて捕虜になっても良識はあった」って軍人も存在し得る。
特に問題になるのは前者のパターンじゃないか?
石原莞爾は軍紀に背いて満洲で赫々たる大戦果を挙げたが、国家戦略としてはそれ以上の支配地域拡張を認めなかった。
今村均は関東軍勤務時代に強硬派に同調して梅津美治郎の叱責を受け、後に兵士と命運を共にする道を選んだ。
山本五十六は対米戦に反対しながら同時に作戦計画を極秘に練っていた。
こういうの評価難しいだろ。
服部さんもな!!
>軍紀に背いて
この時点で近代国家の職業軍人としては失格だが……
>>920 ゆとり乙www
同じ台詞保阪にも言って来いwwwww>石原は論外
石原=良識派でないというなら
まず保阪の論考を完璧にひっくり返してねwwwww
>>921 何でもかんでもゆとりとか頭大丈夫か?
大局観で満州事変起こしたかしらないが、
シナ事変で拡大押さえれなかった遠因は満州事変での石原の軍紀違反だろ
何で軍令違反の佐藤幸徳が良識に上がるの?
自分が辛いからって戦線に穴を空けて友軍を危機に陥れるなんて近代軍でやっては行けないことでしょ?
牟田口が屑だから
その対比で
>>923 逆。普通、近代軍では現場の判断が優先される。
石原はコントロールを無視し、佐藤はコマンドを無視した。
両者では命令系統の逸脱の意味が異なる。
>>923 あれは後方が無能なせいで一個師団丸々飢え死になんてバカな事態を避けるための緊急措置でしょ。
全然補給も寄越さない上級司令部の方がよっぽど近代の軍隊としてあり得ない。
まともな国なら補給の手段も持たないのに作戦発動するような司令官の方が軍法会議もの。
いやなんでもかんでも牟田口のせいにするなよ。
佐藤は他の師団のことを考えない最悪の職務放棄だろ?
近代軍では自分だけ助かればいいのか?
>>928 後方に下がるのは作戦行動の一環だが?
戦闘が継続できないのに留まるより戻って補給したほうが明らかにいいじゃん。
補給できれば取って返して戦線に復帰できるんだから。
>>928 砂糖師団長が軍法会議にかけられなかった件について
すっかりクソスレと化してるな。
良識派軍人とは派閥や所属する組織(陸海軍)にとらわれずに、軍人としての本分を尽した人だと思うが。
主に戦闘面に注目した名将や、部下に慕われたという人格者よりも意味が広い。
それは必ずしも、後世の目から見て正解と思える選択肢を選んだから良識派ってのは違うと思うが。
自分の権限や職分を犯した者を良識派とは言わないだろうし、例え人格者でも職を全うしていなければ怠慢といわれて然るべき。
それと完全な善人や完全な悪人がいないのと同様、完全な良識というのも難しい。
同じ人でも時期や職によって良い行いをしたり、駄目だったりする。
それは例えば副長としては優秀だが、艦長としては駄目という事もある。
それに軍人はそもそも政治に関わるべからずで、政治に関与した軍人自体あまり褒められたものでもない。
良識派というと、とかく軍政家が注目されがちだが。
前田利為大将が東條のかわりに生きていたら・・・
コントロールとコマンドとの違いが軍板でさえ混同されるのか。
>>928 師団全体の撤退ではなく、歩兵第五十八連隊は置きっぱなしだぞ。
というか、シュポネック伯爵といい、
師団長クラスの独断専行は非常に微妙で議論の的になるな。
>>923 もし牟田口の指示どおりに
烈師団がコヒマで全滅していたら
勝ち目があったとでも?
常識的に考えて佐藤中将は義務は果たしたと思うね。
すでに31師団は組織的攻撃力を喪失している。
あれ以上できることはもうない。
937 :
名無し三等兵:2009/07/02(木) 00:07:39 ID:ypzqCA+U
良識派=名将って分けでもないだろう
東郷元帥は間違いなく名将だけど良識派か?
939 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 12:08:52 ID:CYf8dQJ4
>>929 その後の評価で決まるからなあ。
佐藤は軍令違反でも状況からして責められないってことで
歴史の評価がすでに出来ているわけで。
降伏するなと命令されてても、司令官の権限で合法的に
降伏するのはよくあることなんだから、補給のための
後退はまだ全然ましだよな。
おまいらの中では名将・良識派か愚将しかおらんのか。
名将ではない=愚将ではなかろうに。
三国同盟や対米戦反対を主張した海軍条約派も、米内は対中講和をダメにしたし山本は戦闘機無用論に賛成したり機動部隊構想には反対したり。
(小澤は山本に機動部隊案を反対されたので直接軍令部に働きかけて実現させた)
今村も満州事変他の謀略に関わってるぽいし完全なる良識派なんて存在しない。
逆に批判の多い軍人でも全否定ではなく、見るべき点もある。
米内が対中講和を潰したって意見は検証が不足してる。
多田側の資料しか読んでないだろ……
942 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 13:51:11 ID:YTX2TkcE
>>929 牟田口閣下も
「逃げたのではない退路を確保しただけだ」
とか言ってたな。
冨永もそうだが、兵を置き去りに指揮官が敵前逃亡が最も評価悪いよ。
兵を思って引き返した井上成美ですら、弱腰だと叩かれる。
マッカーサーは、どうなんだろ?
勝ったから総て良しとされてるのか?
944 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 14:17:51 ID:CYf8dQJ4
マックは一応、何度も召還の応諾を求める電文が来ても、妻子と一緒に
止まっている。
本国では一流の名士でもある野心家の自分が、トップなのにさっさと
逃げ出したという非難を避けるためでもあるけど、退避を要請されても
援軍と補給を要求し続け、10キロ以上痩せるまで頑張ったのも事実。
依然と比国の国家元首である比大統領を守って一緒に立て籠もっているという
特殊な状況だから(マックは元々退役して比軍のトップに就任した比国の
将軍)逃げず戦うのは当然なのだけど、アメリカ大統領や長官は離脱を
強く要望していたわけで、逃げても軍律違反どころか命令通りだった。
まあ牟田口や富永とは比べるべくもないよ。
>>944 しかも一旦脱出して体勢立て直した後は比国奪還に奔走するわけだしな
海軍との面子や意地もあったろうが
最終的に作戦の無理押しをしてでも成し遂げて、回復してるわけだし
そこまでやれば誰も後から文句はいえん
鬼畜牟田口あたりとは比べることすら失礼の極みだ
946 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 15:01:43 ID:CYf8dQJ4
第一次大戦で一級の戦功を立てて、フィリピン、沖縄侵攻作戦を成功させて
占領政策でもまずまず合格点の軍政を引き、さらにインチョンで反撃に
成功、首都奪還・・・という軍歴は、まあ近代史の軍人ではピカイチ。
今後も比肩する将軍は現れないかもしれない。
日本の占領政策でも経済面は手堅かったし、政治犯解放と自由化からレッドパージと
再軍備の逆コースに至るお手並みは見事なもの。
大衆にも歴史家にも人気は無いけどね。
井上成美も名将ではないよな
海軍の中では良識派なんだろうけど
戦略的にモレスビーをとってもすぐ分断されるから引き返したんじゃないかと言われてるけどね。
海戦で指揮を執ったのが実質あれ一回だけだし。実際どうだったのか…。
>>948 珊瑚海で指揮したのは5戦隊の高木武雄(上陸部隊)と5航戦(空母部隊)の原忠一だろう。
井上はトラックだかラバウルにいて状況を追認しただけ。
まあ使用可能機が39機まで減って、しかも半数が艦戦で艦攻とかは殆んど残ってない状態じゃ原が退却するのは当然だ。
開戦時のグアム・ウェーク・ギルバート攻略戦も現場の戦隊による指揮で、井上は指揮してないだろう。
てか艦隊のトップが前線に出ないのって、それだけでも当時の日本では非難されて当然だと思うけど。
てかモレスビーを奪っても仕方ないとか如何にも後付けで、そんなのは作戦発動前に言う事だ。
実際の井上は加賀だけじゃ航空支援足りないからと、再三催促して5航戦派遣になってるんだし。
作戦自体には割と積極的。
アメリカ側からだと意外に評価高かったはず>井上
951 :
名無し三等兵:2009/07/04(土) 18:01:16 ID:YTX2TkcE
井上長官は校長先生だから。
「名」ではなくとも「将」としては、人殺し多聞丸の方が上だろ。
小沢長官ともそう。
只、軍人としての、
総合点では、井上長官の方が上だろう。
>>943 木村兵太郎も、まだラングーンに邦人や兵士が残ってるのに敵前逃亡したな。
それで、指揮命令系統が混乱した。
東京裁判で処刑されたけど、あんまし同情しないな。
>>946 謹厳だが尊大で誇大妄想がひどくて、いちいち行動が芝居がかってて
その上妙にずるかったり執念深いところが目立つあの性格がな
功績は超一流、人間性は三流というところか、そりゃ人気もでんわなw
人種差別的な扱いを嫌ったりといった一面もあるんだが
目立つ部分がひどすぎる
>>950 超一級の理論家、というところを評価されてるんじゃないか?
実際卓越した先見の明と理論があった人だし
あと英語に堪能って所で得してる部分もあるかもしれんね
図上演習が抜群に上手くて、何でこの人軍政畑にいるんだろうか? と少壮士官達には思われてたらしいね>井上成美
だって武官ばっかりやってたのに教官ぶりはよかったらしいし。
それに比べて35期クラスヘッドの近藤信竹はいい加減だったと言われてたけどw
武官じゃねえ軍人がいるのか
ダグ・マッカーサーはバターン・ボーイズの何人かは本国に送還しても良かっただろ。
少なくともその中の一部はニューディーラーとして占領政策の邪魔になったからな。
日本政府に慰安所作らせたり、親共の作家を監禁したり、やらんでもいい(実際やってないと思うが)国鉄総裁謀殺の嫌疑を掛けられたり、日本の実情に合わない無茶な改革案を出したりした連中は不要だった。
いいれす
マッカーサーはとにかくGHQの行政官なんて非主流派だからな。
>>957 そりゃダグのせいじゃなく局内対立のせい
まあ、サザーランドあたりを寵愛しすぎたつけともいえるが
ニューディーラーが中道志向過ぎて混乱起こしたのは同意するけどな
瓜生外吉マンセー
962 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 23:13:44 ID:6TJWWRko
>>953 フィリピンでも日本でも韓国でも支配地域では現地民から人気があるんだよ。
並みの将軍ではこうはいかないから、カリスマであることは確かだろう。
政治にも色気があったせいで本職の政治家(20世紀半ばまでのアメリカの政治家は
権勢的で酷くて何でもやった)が潰すために悪評を流した結果かもしれんが。
あれだけ有能な側近がたくさんいたのもスゴイし。
>>962 ん?バターン・ボーイズやら人心掌握の上手さやらは当然認めてるぞ?
ボーイズ以外にもおよそ有能な人間を見抜いて引き抜き
一方無能とみなす人間を意地でも追いやる豪腕はさすがなものだしな
カリスマであるのは間違いないが、研究対象にするといろいろ出てくる人物でもあるんだよ
フィリピン脱出のときの資金調達の件とか、自伝での非を認めない態度とか
そういう好悪の強さ、毀誉褒貶の激しさから見ても、そりゃ後世本国で人気は維持できんなということ
そういう意味のレスなんだけどな、指摘された文は、つかその上読んでるか?
964 :
名無し三等兵:2009/07/06(月) 08:42:56 ID:gUGqc570
まあ別にケチつけじゃないんだけど、アメリカ人の自伝は
あんなもんだよ。
自分完全肯定の自叙伝を出しても、倫理的な面や紳士として・・
という観点からは文句言われない風土がある。
そのかわりアンチの伝記にも寛容だけどね。
そしてインタビュー取材ではけっこう本音で喋ることが
求められて、言い逃れや臭いものに蓋をした態度を取ると指弾される。
日本だとその辺は緩い。
つまり自伝は本人のご祝儀本なんですよ
自伝がほんとうなら、マックは観戦武官の職務を逸脱して203高地攻略の指揮を取った
ことになるわけだがw
966 :
名無し三等兵:2009/07/06(月) 12:55:11 ID:vrh6Tqv1
マッカーサー日露戦争参加してたんだ
親父にくっついて見に行ってたみたいだな
日本にも来てるし
チャーチルも日本にはかなり思い入れがあったみたいだしな
そのあたり戦後の態度と併せてみると面白い
チャーチルの回顧録は読む気がしない。
大学で読もうとしたら一冊抜けてやがんのw
>>968 美談っぽいことしか書いてないが
「チャーチルが愛した日本」という新書読むといい
それでだいたい事足りるw
970 :
名無し三等兵:2009/07/07(火) 10:30:41 ID:VSuewmR6
ペタンは、ヴェルダンで独側の消耗戦にホイホイのってしまったこと(この貧乏くじはニベルが引かされている)と、カイザー戦での攻勢軸の予測を外した以外は、
フランス軍の大反乱を鎮圧(行き過ぎた弾圧にならなかったのも見事)して敗戦or赤色革命の暗黒時代を回避。
ドイツ側の浸透作戦を粉砕する攻勢防御をフランス全軍に徹底させるなど、戦車の積極的量産を待つ声明を行うなど、フランス軍史は、ナポレオン以降では最高の実績を残しているように思う。
政治家として、開戦前に就任していたのならともかく、本土の大部分を軍政下におかれた状態で、対独協力の、政治責任を追求するのはちょっと。フランス人の大部分もしゃーないって受け入れてたじゃないかと思うんだが。
フランスでもこんな事情だから、開戦積極派の軍人に対し、戦術面、人格でどれだけすばらしいものを残していても、評価する声が少ないのは、日本だけの事例ではないような気がする。
ここまで拗れると「良識派の定義って何?」ってとこからやり直さないと。
例えば三浦梧楼、鳥尾小弥太、谷干城、曾我祐準、小澤武雄なんかはどう評価すんのかと。
ずっと韜晦を続けて生き残った大山巖とか。
その辺からハッキリさせようよ。
>>971 保阪の良識派の研究読んで出直して来い
あの定義がすべてだ
このスレだとリベラル&親米な奴=良識派みたいな感じじゃないか
保阪は初めて読んだときに
調べた事実をありえない論理展開で旧軍批判に結びつける手法に笑わせてもらったな。
975 :
名無し三等兵:2009/07/09(木) 18:23:45 ID:ZQLh4uMT
デーコロ対ピーコロって何のことですか。
牟田口や富永らの逃亡と烈師団の退却を同列に語っちゃうようなアホが
名将だの愚かだの偉そうに言ってるのは、おこがましいの一言だよね
死ねばいいと思う
何逆ギレしてんだ?
とりあえず、良識派と名将は分けよう。
ごっちゃにするとなにがなんだかわからなくなる。
>>975 陸大出身者とそうでない将校のいがみ合いのこと。
詳しくは田中隆吉の著書を読むべし。
天保銭組と・・・なんだっけ?