坂の上の雲でそんな話があったな
佐藤鐡太郎だったか
「地元の歌」は敵が歌っているにしても「敵の歌」じゃないように思えるけどなぁ。
>>934のテレビにあった説明だと
周り中から敵国の歌が聞こえるって事はすっかり敵に囲まれたから覚悟を決めた
ってことのように取れると思うんだが。
実際そのテレビを見てないことにはなんとも言えんわな。
テレビ屋なんてそんなもんだろw
会津の件でも証明されたし
クイズ番組多いけど、素人参加型のは少ないよーな・・・
いや、俺、宮崎県民なんだけどねw
視聴者参加型でわ?
素人参加型でググるとおもろいな。
現在はその役割は「芸」を見せない「芸人」とか「才能」の無い「タレント」が担ってるから
移動する際に、62式機関銃を持ちあげる場合
立ち上がった後、真上に持ち上げてから前進すると良い。
立ち上がりながら前進しようとすると銃身しか付いて来ない場合があります。
クイズね・・・なるほどザ・ワールドが何故か思い浮かぶ
ネタ一つ
トラファルガー沖海戦、じつはヴィルヌーブもネルソンが切り込み作戦やってくると
思っており迎撃準備を整えていたりもする、まぁ肝心のスペインとの仲の悪さが
1916年、ドイツと対峙していた英国軍のとある連隊の隊長。
何を考えたか、急に彼は持っていたサッカーボールを塹壕から戦場に放り出すと、それを蹴りつつ戦場に躍り出た。
彼の連隊は彼の行動に弾かれたように攻勢に出、英国軍はまるで無人の野を行くように周辺地域を制圧した。
しかし、彼の行動はあまりにも無謀すぎた。
彼は、反撃に遭い、砲撃の第一波であっけなく戦死したのである。
ドイツ軍も飛び出してきてサッカーの試合が始まったらほのぼのとした話になったんだが
「戦場のアリア」って映画に、両軍の将兵が仲良くサッカーをするシーンがあった。
サッカーの欧州選手権2004のイングランドチームの応援歌はThe Farmの「All Together Now」
歌詞はこんな。
Remember boy that your forefather's died
Lost in millions for a country's pride
Never mention the trenches of Belgium
When they stopped fightin and they were one
A spirit stronger than war was at work that night
December 1914 cold, clear and bright
Countries' borders were right out of sight
They joined together and decided not to fight
All together now, all together now
All together now in no man's land (together)
言うまでもなく、1914年の12月25日の「ノーマンズランド」でのサッカーを歌った歌である
http://jp.youtube.com/watch?v=k-DxHWCOCq0&feature=related
ウガンダのイディ・アミン元大統領は第二次大戦中、英ビルマ植民地軍に従軍し、終戦後は半年ほど
日本に滞在したことがある
と自称した。
最初の経歴は1946年イギリス植民地軍の王立アフリカ小銃隊に炊事係として雇われたことだった。
人を食った話だなw
>>959 誰が上手いこと言えと(ry と言って欲しいのか?
すまん。正直上手いと思った俺が居る。
>>962 いいえ吉田茂の話です
引退後も元気な吉田茂に「何を食べてるんですか?」と質問したらこう答えたそうな
「人を食ってるからなw」
いやこの場合は映画「食人大統領アミン」なのだろうに・・・
アミン大統領の場合どんなエピソードを紹介しても人を食った話だって返されちゃうからな…
わたっし ま〜つ〜わ〜 いつっまでっも ま〜つ〜わ〜
無関係ではないらしい。
ところでアミンが死んだのってつい5年前なんだな。
サウンドオブミュージック(トラップ一家物語)のトラップ中佐は
Uボート艦長でエースだった
マリア先生の前に結婚していた嫁は魚雷発明者の娘だった、はず
>>967 エース云々は作中で説明されてなかったかぇ?
前スレで話題になったからなトラップ艦長
827 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/12/08(土) 01:22:35 ID:???
ちなみに死んだ前妻のアガーテは
魚雷の開発者であるロバートホワイトヘッドの孫
初期の魚雷の開発者の名前はホワイットヘッドとシュワルツコップ
>>966 さだまさしは彼の名前の響きが面白いと思い
『パンプキン・パイとシナモン・ティー』(1979年 アルバム『夢供養』収録)に出てくる喫茶店の名前を「安眠(あみん)」と名づけた。
さらに、さだまさしファンだった岡村孝子は、この名前を取って自らのユニット名にした、それが「あみん」である。
さだまさしの父親は終戦後、戦友と一緒に長崎に渡ったが
その理由は大陸にいた母親が引き上げてくるのを待つ為
『岸壁の息子』だったそうな
でもね、実際あみんってほんと、臭いんだよ
>>963 だから戦時中は豚箱にぶち込まれてたんですね、わかります。
サッカーワールドカップの1950年大会で、スペインはイングランドを完膚無きまでに叩きのめした。
当時、スペインチームに帯同していた、スペインサッカー界の最高指導者だったアルマンド・ミニオス=カレロは、
第二次大戦中青の旅団に属して、東部戦線で戦っていた人物。
その彼が、本国で吉報を待つフランコ総統に対して送った電報の中身はこうだった。
「閣下、我々は不実なるAlbionを打ち破りました!」
この試合、スペインにとっては、1588年に打ちのめされた無敵艦隊の敵討ちになったのである。
玉音放送で知られる終戦の詔書は、全部で815文字である。
終戦の日、8/15と同じ数字なのは、単なる偶然らしい。
>>970 湾岸戦争のときのシュワルツコフ大将と、魚雷の方のシュワルツコフは、何か関係があるのだろうか?
脱力した…
980 :
名無し三等兵:2008/05/16(金) 20:29:52 ID:pBWBhihe BE:444217272-2BP(76)
君が代には二番がある
うそーん!!!
え?普通に音楽の教科書に載ってたけど
>>982 「君が代は 千尋の底の・・・」て奴か?
なんか見た様な見なかった様な・・・!?
「抜刀隊」なら七番まで唄える
985 :
名無し三等兵:2008/05/16(金) 21:42:47 ID:AI7pW5Oa
鉄道唱歌は・・
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
先生が週休二日を望むからムリ。
なのでそのレス終了してくれ。
1992年、2名のメキシコ人記者が、当時最も危険な地と言われていた包囲下のSarajevoに
入ろうとしていた。
この地は既に完全包囲下にあり、爆撃もあり、国外報道陣は近づけず、取材を決行した記者は
一人ならず命を落としていた。
彼等二人はBosniaに入り、地図を片手に、塹壕、硝煙立ち上る家々、野晒しの死体、そして炸裂
する砲弾、機銃掃射を必死になって掻い潜った。
果たして、Sarajevoまであと少しのドリナ川の岸辺に来た時、遂に兵士の一団に出くわしてしまう。
彼等は兵士に押し倒され、胸に銃口を当てられ、将校が何事かを叫んだ。
しどろもどろになって二人は抗議しようとするが、将校が首筋に指を走らせ、銃の安全装置が外された
事で、自分たちはスパイと間違われ、もはや此の世とオサラバであることを悟る。
絶体絶命の瀬戸際で、二人はパスポートを見せる事を思いついた。
すると、将校の顔がぱっと輝き、「Mexico!」「Hugo Sa'nchez!」と絶叫して銃を放り出して彼等を抱き
しめたのである。
因みに、Hugo Sa'nchezは、Mexicoの誇るサッカー選手で1989〜90年にはレアル・マドリのユニフォーム
に身を包んで38回もゴールネットを揺らしたスペイン史上最高の外国人だった。
まぁ、日本人で言う…「Nakata!」で命拾いした様なもんか。