【皇国の荒廃】マリアナ沖海戦 2【この一戦にあり】

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41名無し三等兵
>>40
72〜78機前後という説があります。
ご存じと思いますが、大鳳の搭載定数は、更新機種での数ですので。
>39,37,36
即断は出来ませんが、だいたいそのくらいかと。
飛鷹は、著書マリアナ沖海戦の史料を参考にすると
二航戦戦闘機残余と三航戦の戦闘爆撃機全部を移載されてますね。
>35
日本海軍の駆逐艦(甲型)には対潜音を探る装置を装備してましたが
なんにせよ自艦のスピードがあがると、スクリュー音で使いものにならなかったもので。
しかし、数ノット(危険ですが)で探査するなら十分実用的でした。
単に数が足りなかったと考えるべきでしょう。
(艦長たちの太平洋戦争より)
>33
たしか、補充搭乗員の全部ではなく一部にはって条件が付きますが
ラボールまで来て、最初にやったのが機種転換訓練だったというエピソードはありますね。
42名無し三等兵:2007/12/07(金) 08:40:42 ID:???
>>32
です。ちなみに真珠湾に参加した搭乗員の内
終戦時まで生き残った搭乗員は20パーセント前後ですね。
その中で最年少は19歳、一等飛行兵、小瀬本国雄氏ですか。
13年に呉海兵団に入団(16歳)その後、操縦練習生を志願し艦爆搭乗員になってます。
蒼龍艦爆隊としてハワイ作戦に参加
インド洋、ミッドウェイ、南太平洋海戦、あ号作戦、エンガノ岬沖海戦と
すべての機動部隊戦に参加し、その後は比島を転戦、内地に戻った後
流星の搭乗員として戦い、S20の8/14に特攻命令を受け
翌日出撃したものの流星の故障で引き返し
無事戦後を迎えていますね。
しかし、これは非常にまれな例です。
(写真太平洋戦争・ハワイ作戦より)

ところで、彼もハワイ作戦時は、たかだか2年前後の経験(訓練)しかありませんでしたが、
熟練した搭乗員のサポートがあれば、練度未熟と思われる搭乗員でも、
場数を踏んでいけるってことでしょう。
あ号でも、似たような状況の搭乗員も居たと思われますが、
そのサポートをする熟練した指揮官が、ごく少数しか居なかったし、
また、既に機体性能も米海軍機に及ぶべくも無いという状態であったと言う点は
考慮されるべきでしょうね。
ですから、マリアナ沖海戦(本)で、元搭乗員回想で出てくる
「燃料の心配」「攻撃後帰り着けるかな」という不安(遠距離)を、
母艦と二艦隊の部隊、究極には小澤長官以下作戦首脳部が
アウトレンジに固執せず、攻撃隊発艦後も間合いをとらず、
全力で敵方へ向かい、サポートするべきであったと私は考えるのです。
その為の、(重装甲空母大鳳)ではなかったかと考えるのです。
>31
「殆ど」との表現は、注意不足でした。申し訳無く思うと同時に、
適切なご指摘と、史料の提示、ありがとうございました。