813 :
名無し三等兵 :
2007/11/29(木) 01:12:00 ID:jGbbrbMp BBCにより放送されたドキュメンタリーより 1941年1月27日、駐東京のペルー公使リカルド・シュライバー博士が米国大使館の第3等書記官マックス・ビショップに話した内容はこうである。 シュライバーは彼の情報源から真珠湾奇襲攻撃を含む戦争計画があると聞いたという。この情報は、国務省と海軍情報部、そしてハワイのキンメル提督に送られた。 1941年3月31日――ベリンガーとマーティンによる海軍レポートは、日本が米国との戦いをするならば、彼らは最大6隻の空母から発進した航空機で夜明けに警告なしに真珠湾をたたくだろうと予測した。 長い間、海軍参謀部では、日本が戦争の勃発にあたっては、アメリカの艦隊がどこにいようとも、艦隊を攻撃すると仮定していた。艦隊は、日本の計画に対する唯一の脅威だからだ。 論理上、日本はその脇腹にアメリカ艦隊があっては、いかなる大きな作戦も実行できない。日本のための戦略的なオプションは無制限ではなかった。 7月10日――駐東京の米国武官スミス・ハットンは、日本海軍が有明湾でひそかに主力艦への航空魚雷攻撃を訓練していると報告した。有明湾は真珠湾にかなり似ている。 7月――駐メキシコの米国武官は、日本が真珠湾でアメリカの艦隊を攻撃するために特別な小型潜水艦を造っている、 そして訓練計画が進行中であり、日本からハワイ諸島沖まで潜水艦を曳航し、航行と潜水の訓練をしたというレポートを送り届けた。 1941年8月10日、トップクラスの英国諜報員ドゥシュコ・ポポフ、コードネーム「三輪車」は、FBIに対し、真珠湾攻撃計画を伝え、 すぐにでもあるだろうと伝えた。FBIは、彼の情報が「あまりに正確すぎて、信じるにはあまりに完全すぎる。どこで、どのように、いつ、そして誰によって我々が攻撃されるか、詳細にすぎる。 何か、それは罠のように聞こえる」と彼に話した。ポポフは年輩の日本の海軍関係者が、 (革新的な浅深魚雷を使って英国がイタリア艦隊を撃破した港である)タラントに行き、攻撃に関する全ての秘密データを集めた、 そして、それが最大の重要なことだったと報告した。情報は海軍諜報部に伝えられた。
814 :
名無し三等兵 :2007/11/29(木) 01:12:37 ID:jGbbrbMp
秋の初めに、支那・朝鮮人民連合の諜報員キルスー・ハーンは、CBSのエリック・セベレイドに、韓国と日本に潜伏している工作員が、日本がクリスマス前に真珠湾を攻撃しそうだとの確証を持っていると話した。 とりわけ1人の朝鮮人は実際に計画を見たという。10月の遅くに、ハーンはついに米上院議員ガイ・ジレットに日本が12月または1月に攻撃する計画があることを確信させた。 ジレットは、国務省、陸軍と海軍諜報部、さらにルーズベルトに警戒を促した。 1941年9月24日に、「攻撃計画」は日本海軍参謀部から駐ホノルルの日本総領事までJ-19暗号コードで送られた。 空爆と魚雷攻撃のために入港中の船の正確な位置を報せたしと依頼するもので、(諜報部によりすっかり)解読された。 真珠湾を攻撃しない限り、湾内の船の「正確な」位置など知る必要なく、これは攻撃の決定的証拠だった。 戦争計画部長ターナーと海軍作戦部長スタークは繰り返しその考えを述べ、(しかしながら)それに基づきサフォード等によって用意された警告はハワイを素通りするばかりだった。(続く) 海軍グループOP−20−G(主要任務が日本海軍の暗号コード解読、738人の男性)が暗号辞書を再建することは児戯に等しかった。 我々は、すぐに全部を解明した。1994年にNSA(訳注:National Security Agency、国家安全保障局。アメリカ国防総省の諜報機関のひとつ)が公表したが、JN−25Bは、1940年12月に完全に解読された。 1941年1月に、米国はキーワードと解読技術を併せて英国に2冊のJN−25Bコードブックを与えた。真珠湾のすべてのスキームは、このコードで解明された。 JN−25Bについての公式の米国海軍声明は、1971年6月にJ.ホルトウィック艦長が著した「第2次世界大戦における海軍諜報機関」(NAVAL SECURITY GROUP HISTORY TO WORLD WAR II、398ページ所載)に、こう記されている。 「1941年12月1日までに、我々はコードを読める範囲まで解明した」。
815 :
名無し三等兵 :2007/11/29(木) 01:15:08 ID:jGbbrbMp
暗号解読にあたった海軍の本部長サフォードは、1941年の間、「海軍COMINTチームは、陸軍からの援助なしで日本海軍について完璧な仕事をした」(SRH-149)と報告している。 議会の公開議事録151号の冒頭には、米国が「リアルタイム」でJN−25Bを読んでおり、真珠湾の前に「翻訳」を英国と交換していたとある。 1979年にNSAは、1941年9月1日―12月4日の間に米国が傍受した2万6581のJN−25による通信の内、2413通を公表した。NSAは言う。 「それらには、真珠湾攻撃部隊の存在、組織、目的、所在など重要な詳細が含まれている」(パーカー、p 21)。 攻撃艦隊に向けて東京からおびただしい通信が送られたが、わずか20通が国立公文書館にあるだけである。攻撃艦隊への全てのメッセージは日に何度か送られたが、 少なくとも1つのメッセージは日の変わった時間ごとに送られ、特別なシリアル番号を付けられていた。攻撃艦隊が集合した1941年11月の初めからOP−20−Gは一日24時間傍受にあたり、 暗号解読の「ファーストチーム」がJN−25に取り組んだ。1941年の11月と12月前半、OP−20−Gはその業務の85パーセントを日本海軍の通信、 12パーセントを日本外交の通信、3パーセントをドイツ海軍通信の解読にあてた。 ルーズベルトは彼の側近、ジョン・ベアード艦長から日に2回、JN−25通信についてブリーフィングを受け、 英語による生の翻訳を見ることを要求した。米国政府は戦後半世紀も経たにもかかわらず 1941年12月7日以前のJN−25の解読について国家の安全保障を盾に文書の確認および機密扱い解除を拒否している。
816 :
名無し三等兵 :2007/11/29(木) 01:16:01 ID:jGbbrbMp
ADまたはAdministrative Code(管理コード)は、誤ってアドミラルティー・コード(海軍コード)と呼ばれているが、
これは人事のために使用される古い4文字転位コードだった。重要なメッセージは、この弱いコードでは送られなかった。
1938年11月に導入され、1940年12月の後はほとんど使われなくなった。
マジック―― 全ての日本の外交メッセージに付けられたセキュリティ呼称。チャールズ・ベイトソンのような歴史家でなくても
「マジックだけを見ても、日本の動きを予測することができなかったなどとは考えられないほど、真珠湾攻撃を示している」と結論した。
NSAは1955年に同じ結論に達した。
ウルトラ――軍の暗号コードのためのセキュリティ指定。
http://www.whatreallyhappened.com/pearl/www.geocities.com/Pentagon/6315/pearl.html の訳文
朝日みたいにBBCも捏造報道局なのか ?