ブラウ作戦でドイツ軍を勝たせてやる!

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707二人兄弟の墓
>>459>>567
遅レスにも程があって申し訳ないが、
1944年(戦略爆撃で合成石油工場が潰され、プロエシュチが赤軍の手に落ちた年)
以前のドイツの燃料事情について調べてみた。

ttp://www.airpower.maxwell.af.mil/airchronicles/aureview/1981/jul-aug/becker.htm#becker
このサイトの記述だと
1942年から燃料不足は常態化し戦前からの備蓄燃料1億5千万バレルはスッカラカン、
ルーマニアやハンガリーの油田、合成石油を採れた端から使っての自転車操業になっていたようだ。
国内の車や農業に割り振られる石油量が削減され、民生用の車は固形燃料(木炭?)への転換が進められ
農業に回される燃料も切り詰められたんだと。馬を戦争のため徴用された
農家は、馬の代わりにトラクター使おうにも燃料が無くて難儀したという記述も。

ブラウ作戦の際、東部戦線で独軍の補給トラックがあんま役立たなかったのも
燃料不足で運用できなかったことが一因にあったはず。
Wikipediaでも石油が足りず進撃停止なんて記載がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E4%BD%9C%E6%88%A6

独空軍の訓練時間も開戦後から順調に低下している。
まあ、これは即燃料不足と関連付けられる話ではないだろうが。
ttp://www.taphilo.com/history/8thaf/8aflosses.shtml

開戦当初から燃料事情は悪化して、軍隊だけじゃなく
国民生活にもシワ寄せが来てたんだな。
やっぱ長期戦はダメだよドイツは。
ドイツの敗北が決まったポイントはスターリングラードでも
クルスクでもなく、1941年モスクワ前面での敗戦だったのだろう。