あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16

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861名無し三等兵
こないだ爺ちゃんの葬式で、爺ちゃんの弟(御歳92以下)から聞いた話。

大叔父、主計科員(階級は聞いてない)として、海防艦(艦名忘れた)と駆逐艦「花月」に乗組んだそうな。
通夜の席でとうとうと喋り倒してた話に聞き耳立ててただけだから非常に取り止めがないのだが、

1.主計科をぞんざいに扱う奴はいなかった
2.主計に喧嘩売った奴は仲間内からフルボッコの上、謝りにくる羽目になる
3.仕事場は二人部屋、床のハッチの下に需品庫
4.官品だの士官用だの、そんなの関係ねえ!ビバ主計

5.支給のタバコは二種類、士官用のチェリーと、下士官兵用の誉
6.チェリーはうまいが、誉はまずい
7.艦内でチェリーが吸えるのは士官と主計科

8.ゴム入り羊羹(まりも羊羹のバケモンか?)は水に浮く
9.浮きになるほどじゃないからつかまるのは無理
10.ボートに乗ったら、とにかく人と羊羹を拾え
11.甘いし保つし浮くし羊羹最高!

嫌韓向けっぽいのがまだ続く
862861:2007/11/08(木) 19:13:35 ID:???
終戦に伴い、大叔父さんの艦も本土に帰ろうとしていると、樺太近辺にいた船舶はすべて大泊港に向かえと命令があったそうな。
大叔父、たぶん花月に乗ってたんだろうけど、大泊に着いてみるともう人人人人だらけ。
ソ連軍が真岡に上陸し、守備隊が食い止める中で、着の身着のまま逃げてきた避難民。
着く船着く船、片っ端から人積んで、本土に向かって逃げてったそうな。

そんな中、大叔父が上陸してみると、朝鮮人の態度がやたらにでかい。
ざまあみろ敗戦国めだの何だの言われて、唾まで吐きかけられたそうな。
変わり身の早さと豹変振り、お前ら何もしてねえだろと呆れながらも、彼らにも避難船が来ているぞ、ソ連が来たら帰れないぞ、日本に行こう、と声をかけてみてもガチシカト。
それどころか大八車引っ張って、空き家の箪笥の引き出しだけ片っ端から積んでって、でっかい屋敷に陣取って「ウリの家ニダ!」とか言い出す始末だったそうな。
そんな状態じゃ呼びかけるだけ無駄なわけで。
一応待った、声もかけた、自分で残る言ってる奴いつまでも待ったって、こっちも危なくなるだけだ、ってんで最後にはあきらめて大叔父たちも日本に帰ったんだそうな。

大叔父の戦争は、実はまだちょっとだけ続く
863名無し三等兵:2007/11/08(木) 19:27:06 ID:???
帰国後の大叔父、残存艦とその乗員のご多分に漏れず、復員省に引っ張られた。
お疲れさん、日本に帰ろう、と延々外地と内地を行ったりきたり。

それも終わって、晴れて自由の身になって幾十年。
テレビを見れば「無理やりこんなとこに連れて来られて、しかも置いてかれた!謝罪とry」とかいってる奴がいる。
おまけにメディアは同情的、というかそっちの言い分100%、自称市民も吹きまわって、政府どころか世間まで信じかけている始末。
「俺は自分の眼で見てきた。あんなの嘘っぱちだ、ふざけるな。今の若い奴は何も知らないから信じてしまう。テレビも新聞も、俺たちの言うことなんか聞きゃしない。それどころか、俺たちが外道扱いされる始末だ。納得できるか。」

と、酒の勢いもあってか、延々34回は同じ話してたとさ。