ベトコンがMP40を使っていた

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723名無し三等兵
南越南ではゴジンジェム時代から華僑の中国籍保持は認められず、強制的に南越南国籍を取得させられている。
南越南の華僑が脱出を開始するのは1975年からで、サイゴン陥落直後から。
これが いわゆるボートピープルの主流となり、香港/東南アジア諸国を目指しての密出国が相次いだ。

一方で、北越南では華僑の中国籍保持が認められ、自由営業の商行為も合法だった。
しかし、こちらも1975年頃から強制的な統一越南国籍の取得が義務付けられ、ほぼ同時期に自由営業も禁止された。

この時、華僑は抗議デモを行ったが、これが統一越南政府の逆鱗に触れ、多数の華僑がハノイでの居住許可を剥奪された。
居住許可が取り消されれば住居からも追い出され、配給も受けられず 街中で警官に見つかるたびに賄賂を払わなければならなくなり、生活自体が成り立たなくなる。
これに対して中国政府は中越国境での華僑の帰国受け入れを開始し、多数の難民が徒歩で中国国境を目指した。

こうした華僑への弾圧的政策や自由経済の否定は、全て当時の指導者グループの中心にいたレ・ズアンによって導入されたものだった。
ソ連型社会主義の教条的導入を主張したレ・ズアンは、性急な重工業化を目指して巨額の債務をソ連から負わされ、これを労働力と農作物の輸出で支払う、という北朝鮮並みの状況へ越南を追いやっている。
724名無し三等兵:2008/01/31(木) 00:28:10 ID:???
他のインドシナ三国に比べて比較的締め付けが緩やかだったラオスにも多数の越南人が、親戚を頼って逃亡してきている。

一方、ポルポト政権が恐怖政治を開始していたカンボジアからは、逆に越南で難民が流入し始めた。
その多くは華僑と越僑だったが、彼等からポルポト派による一般人大量虐殺の情報も伝わり始めるが、その内容のあまりの突飛なさに、最初は越南によるプロパガンダと考えられていた。

やがて、ポルポト派は自派ひきしめのための対越南戦争を準備し始め、カンボジアに近い越南領の離島を襲撃し、住民多数を虐殺する。
これが越南軍のポルポト政権打倒を決意させ、大量に備蓄されていた米国製兵器と旧南越南軍兵士を使っての電撃戦を仕掛け、ポルポト政権は崩壊し、タイ国境のジャングルへ逃亡した。

尚、ポルポト政権崩壊後も、日本では新左翼勢力を中心に懐疑論が根強く流され、大多数の報道機関も外務省への配慮から虐殺の事実を伝えなかった。

やがて、越南軍のカンボジア駐屯に伴い、今度は陸路から越南難民がカンボジアを通過してタイを目指し始める。

この流れは1986年のドイモイ政策導入後しばらく続き、90年代には逆に難民が帰国する傾向が定着する。
725名無し三等兵:2008/01/31(木) 03:54:55 ID:Omd0IYhG
カンボジア軍もスカイレイダーとかドラゴンフライやら配備してなかったけ?
マヤグエース号事件でことごとく破壊されたらしいけど
726名無し三等兵:2008/01/31(木) 11:16:23 ID:???
>>725 カンボジアは当時の中国にとって唯一の足場だったので、鹵獲されたハイテク米国製兵器の多くは中国が本国へ送っている。

また、旧カンボジア政府軍の兵士には、こうしたハイテク兵器をオペレートできる者は ほとんどいなかった。
実際にオペレートするのは米軍人か南越南軍人であり、ポルポト派が政権を掌握した時点で、これらの兵器は利用できなくなっていたものと思われる。

複雑な機械をカンボジア人がオペレートできない、というのはカンボジア人自身が思い込んでいて、越南が樹立した傀儡政権だったヘン・サムリンのカンボジア軍でも砲撃は越南兵が担当していた。
越南軍撤退後も越南兵が残留している、とポルポト派が主張していた根拠になったのも、カンボジア兵だけにしては砲撃が正確だ、という点だった。

ポルポト軍内にベトコンに派遣されたような中国軍顧問の存在がいなかった事は、ある意味で中国側のインドシナ情勢分析が楽観的過ぎた事の現れかもしれない。
中国もポルポト派の反越南感情の強さを利用して、それを後援して自らの足場とした訳だったが、そのポルポト派が勝手に越南を攻撃する事も、越南がこれに電撃戦で応える事も全く想定していなかった。

なにより、ポルポト派にとっては華僑も越僑も 同じく肌の白い都市住民であり、虐殺の対象だった事を理解していなかった。
越南は中国もポルポト派の虐殺行為を知っていたハズ と主張しているが、本当の所 中国がどの程度まで実情を理解していたかは不明である。

越南軍のカンボジア侵攻は、古典的とも言える電撃戦であり、タイ国境まで1週間程度で到達してしまっている。
その後、タイ軍の精鋭部隊を一蹴し、国境線の手前で震えるタイ軍兵士に、越南軍士官がひとりで近寄り声をかけて立ち去るといった、度胸の座ったパフォーマンスまで見せてくれた。

この件でひどくプライドを傷付けられたタイ軍は、以降 反越南キャンペーンを全国で展開し、80年代後半にチャチャイ政権が平和的関与を提案するまで対立関係が続いた。
727名無し三等兵:2008/01/31(木) 12:17:17 ID:Omd0IYhG
>>726
毎度?の御教示ありがとうございます。
>>また、旧カンボジア政府軍の兵士には、こうしたハイテク兵器をオペレートできる者は ほとんどいなかった。
実際にオペレートするのは米軍人か南越南軍人であり、ポルポト派が政権を掌握した時点で、これらの兵器は利用できなくなっていたものと思われる。
↑↑これとタイ国軍との戦闘の話は初耳で勉強になりました。
この他にもポルポト派やラオス軍に処刑された米軍の抑留捕虜の話等大変
興味があります。
知っておられる範囲で構いませんのでお話を聞かせて頂けませんか?
728名無し三等兵:2008/01/31(木) 14:14:43 ID:???
ポルポト派の兵士とは一度だけ出くわした事がある。
カンボジアへ入る道を探して、カオイダン難民キャンプ周辺の密輸商人達とカタコトの英語と漢字の筆談で話をつけ、カンボジア行きの密輸品コンボイに同乗させてもらったんだが、カンボジア側に入ってすぐに 道端にしゃがみこんでいたポルポト派の兵士に車列が止められた。

タイ軍の兵士と比べると みんな薄汚れてはいたが、精悍な感じですぐに各車の荷物検査を始めた。
密輸商人達もみんな顔見知りらしく、煙草やガムをやっていたが、ノートに運転手達の名前や行き先を書かせてから、通行税の札束を受取っていた。

コンボイが到着したのはジャングルの中の小さな村で、密輸商人達はここの商店で荷物を降ろした。
ここからしばらく進めば、ヘン・サムリン政権のバッタンバンの街で、鉄道に乗ればプノンペンまで行けると言われたが、ヘン・サムリン側の検問があると聞いた19歳の漏れには ここまでが精一杯、コンボイと一緒にタイ側に引き返した。
帰り道では同じようにポルポト派の検問があったが、空の荷台を見ただけで 行ってよし、だった。

729名無し三等兵:2008/01/31(木) 14:48:29 ID:???
その3年後、ラオスのビエンチャンで開かれたボートレースで 酔っ払って貴賓席に入り込み、キューバ大使館の一等書記官殿と一緒に写真を撮ってもらい、その写真をカンボジア大使館員に見せてだまくらかして、3週間待って正規のビザをもらうのに成功した。

プノンペンに着いた翌日に、バッタンバンまで鉄道で出発した。
当時は前後車両に地雷よけの車両と重機関銃を載っけた装甲列車だったが、貨物車両は無防備状態。 客の大半は越僑で 薪だの魚だのを山ほど積み込んで乗車して来た。

途中で、身なりのきれいなカマくさい男と知り合ったが、こいつはカオイダンから親戚に会いに来た越僑で、バッタンバンに付いてからもしばらく一緒にいた。
しかし、泊まった華僑の宿屋がこの男を警察に密告したらしく、突然消えてしまった。
その後は、何故か街中の政府軍大宴会に引っ張って行かれて呑め呑め攻撃&嫁さんいらないか攻撃を受け、フラフラで宿に戻って ようやく寝ようと思ったら今度は警察がやって来た。

これで収容所行き&肥溜漬けの刑かな? と思ったらボロボロのホテルに連れて行かれて、あそこは危ないからこっちに泊まれ、との事。
安心して寝ようと思ったら、部屋の前を歩く人の足音がうるさくて寝られない。 しかも横長の建物なのに、漏れの部屋を中心に円形に歩いているんで嫌がらせのように感じて外に出てみたが誰もいない。
もしかして、と思ったら案の定、金縛りになってしまった。 しかもクメール語でずっと話しかけてくるw
730名無し三等兵:2008/01/31(木) 14:49:01 ID:???
これを一晩続けられて夜が明けて、やっと眠りかけたら今度はサイレン全開の救急車がやって来た。
良い加減にしろ、と思ったら、運転手がこれに乗れ!と命令してきやがる。
さすがにキレかけて車内を見たら、フランス人がひとり乗っていて、『キミと一緒にプノンペンへ強制送還w』と言って来た。
仕方無しに同乗し、プノンペンに付いてホテルに泊まったら、今度は外務省のおばさんと“全く笑わない”おねーちゃんが部屋にやって来て、事情聴取&外出禁止+パスポート取り上げの刑...

しかし、これで大人しくサイゴン行きの飛行機に載せられるのもシャクなので、街中の代書屋でクメール語の身分証明書らしき書類を作ってもらい、今度はシェムリエップまでの鉄道に乗って出かけた。
シェムリエップでは港を見学に行って偉いさんと知り合いになり、フランス料理だのカフェでご馳走になり、ホテルに出入りのお姉さんとやってしまうなど いろいろあったが、やはり偉いさんの上京する車に同乗させられてプノンペンに強制送還。

今度はおっかないおばさんより恐ろしい外務省のお役人から事情聴取となってしまい、結局、サイゴンのカンボジア領事館へ行く車に同乗させられて、サイゴンへ送られた。
しかし、カンボジア越僑の運転手が、サイゴンの交通状態にパニック状態になってしまい、結局 街中で解放された。
731名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:14:20 ID:Omd0IYhG
>>730
あなたは一体……
732名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:18:35 ID:???
MIAが越南軍に抑留されて と言う話は、米国側の推測を基にしていたので、巨大な都市伝説と言うべきものだった。
戦後も生きて抑留されている黒人の米軍捕虜を見たと、言っていたのは、日本人の証言だけで それもかなり曰くのある人だったようだ。
http://priemma.fruitblog.net/?435a6d1b6dcd3

ハノイの合弁会社で働いていた時に、会社の秘書さんとMIAについて話した事がある。
この秘書さんは、ご他聞に漏れず党の高級幹部子弟だったが、当時は旦那とうまく行かず、漏れの所に相談に来ているうちに、そういう事になってしまったのだが、ふとした時にベッドの上でMIAの話題が出た。

彼女の話では、“対外開放を決めた時点で、MIAは全員殺しちゃった”との事。
あまりにもあっさりとしていたが、MIAになったのは戦犯として有罪判決を受けた人間ばかりだったので、越南人にとって彼らを殺すのは当然で、むしろ賠償金目当てで生かしておく事の方がおかしい、との考えが越南人にとって当然のようだった。

実際、米国は米越正常化に際して、生きているMIAの話を出さず、死んだMIAの遺骨/遺品回収への越南側の協力に感謝しただけだった。
733名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:40:37 ID:Omd0IYhG
>>732
なるほど
戦犯=特殊部隊の隊員やCIAとエアアメリカの職員、無差別爆撃を行ったパイロット等ですかね?
第一次インドシナ戦争時のフランス軍捕虜も長々と返さなかったベトナム側が
そんなに甘い訳は無いと思っていましたが、まさか処刑するとは……
734名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:48:27 ID:???
米軍もコンソン島やらで捕虜虐待したり処刑したりしてるからね
そんなもんじゃないのかな
735名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:52:40 ID:???
ニクソンが核兵器使用をちらつかせてからは捕虜の扱いは人道的になったというが。
まあ第二次大戦やイラク戦争みてもじっさいは捕虜なんてあんまりいい
扱いは受けないようだけどさ。
736名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:54:20 ID:Omd0IYhG
コンソン島の開放も4月30日だったんですか?
それともサイゴン以外の地区のように開放まで若干時間がかかったんですか?
もしそうなら看守とか囚人達にボコボコにされてそうですが……
737名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:59:51 ID:???
ベトコンが持つ手製武器って簡単に作れるようなものなの?
738名無し三等兵:2008/01/31(木) 16:03:37 ID:???
越南側としては、ジュネーブでの和平交渉でキッシンジャーが口頭で約束した数億ドルの賠償金支払いへの担保程度で、独立交渉への切り札だったディエンビエンフーの仏人捕虜と違って、元々期待はしていなかったようだ。
なので、殺すのにも全く抵抗はなかったのだろう。

ジョンソン政権の行った北爆時の空軍捕虜は有名な「ハノイ・ヒルトン」に収容され、人民決起大会などへ引きづり出されて袋叩きにされるのが常だったが、
ニクソン政権が行った全面北爆で撃墜された搭乗員は、捕虜になる前に怒り狂った一般人のリンチで殺害された者が多かった事も、越南軍の交信傍受で判明している。

同じような事は日本でも起きたが、越南人には同胞を殺すと親戚関係で後が怖いが、外国人で侵略者なら平気で殺す部分がある。
まだ対外開放が始まったばかりの頃は、道を歩いているだけでも危なかった。

尚、特殊部隊やCIAの捕虜で、ソ連や北朝鮮、キューバなどに関する情報を知っている可能性がある場合には、これらの諸国に送られていた事が、旧ソ連時代の文書から判明している。
協力すればジェンキンス爺さんのように生きられただろうが、そうでなければ その運命は...

越南側は、こうした捕虜の引渡しも含めて、多くの見返りを受取っている。
キューバ援助の“海の家”タイプのホテルも残っているし、漏れがハノイで借りていた部屋も 北朝鮮が援助で建てた公団住宅の一室だった。
739名無し三等兵:2008/01/31(木) 16:13:00 ID:???
>>735 ニクソンは副大統領だった時に、ディエンビエンフーを包囲するベトミン軍への核攻撃を主張している。
この時のやり取りは「ノー・モア・ベトナム」にも詳しく記されているが、この一件を受けてからアイゼンハワーはニクソンの大統領選挙での当選を望まなくなったとされる。
有名な“軍産複合体”という表現は、明らかにニクソンを指しての批判でもあった。
そして、アイゼンハワーが死去したのはニクソン政権が誕生した直後の1969年3月28日だった...
740名無し三等兵:2008/01/31(木) 16:16:17 ID:Omd0IYhG
>>738
自分は厨房時代に、もしかしたらソ連辺りに移送された捕虜もいるのでは?
と推理していましたが、まさか本当に移送されていたとは……
キューバ人に尋問された捕虜も居たそうですね
仮にソ連に移送された捕虜がまだ生きていたとしても米露両国にとって厄介な存在だろうから
そのまま抑留してそうですね
741名無し三等兵:2008/01/31(木) 16:52:45 ID:???
>>732
秘書(;´Д`)ハァハァ
742名無し三等兵:2008/01/31(木) 16:55:30 ID:???
越南人の捕虜への意識を考える時、彼らの“南国”意識に注目するべきだろう。
南国とは、北方の中国に対しての南に位置する越南という意味の他に、南方に存在する国=文明社会は越南だけ、という認識でもある。
このため、西洋=仏に植民地されるまでの越南は“ミニ中華帝国”として活動し、特にカンボジアが その侵略対象とされていた。

越南人の意識では国=文明社会へ攻撃を仕掛けて来るのは、全て侵略者であり、同時に文明化されていない野蛮人である。
(文明人なら話し合いで解決する)

その視点からすると、米国人がいかに優れた技術で製造された航空機で攻撃を仕掛けてきても、それは文明の優劣を示す指標ではなく、野蛮人の使う猛毒付きの鏃や、竹製の鋭い槍と本質的に同じ物なのであり、扱いは“犯罪者”なのである。
しかも、囚われた犯罪人が居丈高に振舞えば、これを徹底的に“矯正”するのが、文明人である自分の使命であると考えてしまう。

実際、歩兵で捕虜になった米兵の多くは、檻に入れられたり 路線バスに縛り付けられて、住民の前で晒し者にされたが、絶叫したり怯えきった表情を見せる度に
越南人の行動の正しさと 米兵の野蛮人度を確信させる道具として使われ、その後 些少の身代金と引き換えに解放されている。

プライドの高い米国人にとって、こうした扱いは精神的に大きな傷を残しているので、語られる事も少ないが、反抗的で捕虜収容所に入れられた米兵に対しては もっと凄まじい“矯正”が行われている。
下痢が止まらない捕虜の肛門に竹筒を差し込んだり、負傷した部位の治療をわざと不完全にして そこを叩いて傷を開かせたり、と文明の粋を集めて、捕虜達の肉体と精神を破壊して、反抗心を奪おうと努力している。


また、越南人にとって人身売買は現在形で行われている商行為でもある。
現在でも幼児の養子縁組による輸出が公然と行われているし、婦女子の買春業者への売り渡しや、ソ連への労働力輸出もこの延長線上にあった。
このため、捕虜を同盟国に渡して見返りを受ける事は、珍しい動物(野蛮人も動物である)を輸出するのと意識の上での差はない。
743名無し三等兵:2008/01/31(木) 16:57:04 ID:???
>>741 ピアノの上手な 山田優に似た人だったよ。 胸は小さかったけど感度は良かったw
744名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:03:52 ID:Omd0IYhG
生皮をはいで塩水の入ったドラム缶にぶち込んだ話も聞きましたぞ?
745名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:08:52 ID:???
>>740
大分前(たしかソ連崩壊後しばらくたってから)毎日新聞にベトナムからモスクワにおくられた米人捕虜の記事が出ていました。
記事が手元にないのであいまいな記憶ですが、結局人体実験なんかでみんな死んでいるようです。
白人と黒人はどちらが拷問に耐性があるかとか、そんな実験だったようですgkbr
746名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:13:01 ID:Omd0IYhG
>>745
うわっ!ひでぇ……
遺族が知ったら倒れるでしょうね……
移送されたのはいつ頃なんですか?
747名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:19:28 ID:???
>>744 ともすれば、越南人の残虐さに帰結してしまいそうだが、越南人に こうした“矯正”を決意させさせたのが、到底 文明国の人間が行っているとは思えない米国の残虐極まりない戦闘行動にあった事を忘れるべきではなかろう。

もともと米国は欧州でも戦時国際法違反の常連だったが、国家間の正規軍どうしの戦闘を規定した戦時国際法は “内戦”である越南での戦闘には適用されない、として不必要な苦痛を与える兵器を多用し、都市を攻撃し続けた。

尚、大日本帝國も同じような目に遭ったが、日本の場合 どこも支援してくれる国はなく、マスメディアも未発達だった上に、先行して こうした行為を行ってもいたため、一方的に被害を受けて終わっている。
748名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:38:33 ID:Omd0IYhG
>>747の方、他の方
いろいろな意見や、長い間疑問に思っていた事の貴重なお話が聞けて
今日もまた勉強になりました。
しかし、2001年頃の2ちゃん並にレスが速くてたまげました。
また色々御教示下さい。
ありがとうございました。
749名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:39:49 ID:???
>>745 “白人と黒人はどちらが拷問に耐性があるかとか”

そんな実験に使うほど安い捕虜じゃ売れないよ。丸太じゃないんだから...
ソ連や北朝鮮に送られたのは 米空軍の攻撃/防御システムの知識がある者や、朝鮮での米韓軍配備状況に詳しい者(所属部隊名でバレる)だった。
750名無し三等兵:2008/01/31(木) 20:39:08 ID:gI3MwgOD
大月書店の1万2千円の「ベトナム戦争の記録」って本では拷問も洗脳はなしということに
なってる。
30年くらい前の本だとベトナムは捕虜を拷問どころか優遇して味方に取り込んでいる
なんてことを書いてるものもある。
751名無し三等兵:2008/01/31(木) 22:15:53 ID:0ZySFr2S
米兵捕虜の扱いについて大変参考になりました。
国の家族を思いながらリンチでなぶり殺しにされるとき、最期はどんな気持ちだったんだろう・・・
最低の野蛮人だな、ベトナム人。
一気に嫌いになりました。
752名無し三等兵:2008/01/31(木) 23:53:28 ID:???
>>750 実際、協力した捕虜も多かった。 洗脳というより再教育すれば愛国心なんて消えちゃうしね...

>>751 “国の家族を思いながらリンチでなぶり殺しにされるとき、最期はどんな気持ち”

本当に家族を思うんだったら、自分のやってる“任務”の内容とその報復を考えてみるべきだったろうね。

同様の事は、日本では両方の立場で経験している訳で、野蛮人の行為とは言えないだろう。
越南人の立場からすれば、同胞をなぶり殺しにする空飛ぶ悪魔をやっつけた、というだけだし...

もっとも、普通の日本人が越南に行っても、100%嫌な思い出しか残らないだろうね。
越南人の外国人男性への警戒感は異常なレベル。 特にハノイは最悪だよ。
他の都市ではそうでもないんだが、ハノイの一般的越南人に融和するまで半年かかった。

漏れの場合はマダムとジュテームを中心にしてたから、それでも早い方だったがw
日本以外のアジア地域はたいてい女性の方が強い。
なので、いち早くその社会に溶け込むには、女性との接触から始めるのが正解だ。
753名無し三等兵:2008/02/01(金) 00:12:03 ID:iDKHZSe/
確かにベトナムの女は結婚して子供を産んだら世界最強になるらしいですね
基地までついてきて一緒に住んだりしてるし
754名無し三等兵:2008/02/01(金) 00:57:35 ID:???
まぁ米兵もベトナム人殺しまくってたんだから。
755名無し三等兵:2008/02/01(金) 01:14:46 ID:???
>>753 越南人のねーちゃんと結婚した 日本人のにーちゃんが、給料手取り30万のうち16万送金されてたって話もあるw

越南人の女性は、結婚して子供が産まれて、ある程度 大きくなるまでは亭主から吸い取れるだけ搾り取るけど、その後は自由に家庭外恋愛に熱中する人が多かったね。
その意味で、越南人の男はちょっとかわいそうだった...

漏れはその受益者だったから、大変楽しい日々を過ごせたけど、年下の愛人への過保護さにはちょっと困った。
会社に電話かけて来て、今日は何が食べたい? 何時に逢える? みたいに聞いてくるんで 他の社員にもバレちゃうし、バレると別のマダムからもお誘いがかかるしで、大変多忙な日々を過ごす事になってしまったよ...
756名無し三等兵:2008/02/01(金) 07:28:40 ID:uVtNkqqp
>>752
>任務の内容とその報復を考えてみるべきだったろうね

兵士個人では自分の家族のために任務拒否なんか出来ないからね。
怒りにまかせて殺し返すのは同罪だよ。
まがりなりにも弁明の機会や、裁判もなくそんなむごたらしいやり方で・・・
役に立たないと思えばすぐ殺すわ、女は家庭も省みない尻軽だわ、やっぱり畜生以下だよベトナム人は。

皮を剥いで塩漬にされたのはかのソンミ村事件のカリー中尉の部下じゃなかったか。
彼が捕まったその夜、仲間の兵士達は一晩中彼の悲鳴が
遠くから聞こえてくるのを聞かされていたそうだ。
村での虐殺が起こる前の話で、軍法会議では中尉の弁護材料に使われたはずだが、
ベトナム人虐殺は異口同音に語られてるのに、少なからずあった北ベ人や解放戦線による、
南越兵や南越の教育、宗教関係者の虐殺、
まして米兵個人への凄まじいリンチは
「アメリカの悪行に対する報復」の一言で閉められてタブー視され、闇に葬られようとしている。
757名無し三等兵:2008/02/01(金) 07:36:44 ID:uSQlWI/0
↑マジ?
758名無し三等兵:2008/02/01(金) 09:24:03 ID:iDKHZSe/
おはようございます。
過去に新生ベトナム軍に再教育を受ける南ベトナム兵の写真を見た事がありますが
かつての南ベトナム兵達は綺麗な服を着て、教官?の話を真面目に聞いてる感じでした
勿論、新生ベトナム側のカメラを前にしてのポーズだと思うのですが……
また質問になりますが、カンボジア進攻時の旧南ベトナム兵士達の士気は高かったんですか?
又、タイガーパターンの服を着用していたそうですが
階級章等はこの場合、人民軍の物を付けていたんですか?
759名無し三等兵:2008/02/01(金) 10:00:07 ID:???
政府軍の脱走率は異常に高かったらしいが
本当に公称どおりの人数いたのかな?

実話で米軍将校が政府軍部隊の収集をかけたところ、三分の一もあつまらなかったというような話もあるし。
760名無し三等兵:2008/02/01(金) 10:25:19 ID:iDKHZSe/
>>759
味方が北ベトナム軍に襲撃されているのに
知らん顔して雑談しながら飯食ってた部隊もあったそうですよ
761名無し三等兵:2008/02/01(金) 10:39:32 ID:???
うち毎日新聞なんだが捕虜の記事で
白と黒とどっちが耐性あるか知るため拷問とか、肛門に棒とかよんだ記憶ないんだが・・
なんかの別の記事と味噌糞にまぜてないか?
762名無し三等兵:2008/02/01(金) 10:40:51 ID:???
まあなんだ、日本人のベトナムに対するイメージには
サヨのお花畑的視点が紛れ込んでるって事をお忘れなくってことか
763名無し三等兵:2008/02/01(金) 11:30:26 ID:???
> 肛門に棒

以下、「アッー!」は控えめにおながいします。
764名無し三等兵:2008/02/01(金) 12:38:00 ID:???
肛門に熱した棒を突っ込まれたのはアフガニスタンのソ連兵達だったはず。
白人と黒人を比較実験したのは我らが日本軍の話だったと思う…
765名無し三等兵:2008/02/01(金) 12:42:18 ID:???
>>756 しょうがないよね、アメリカ軍は残虐な侵略者だったからね。
強力な近代兵器を大量投入して、越南人ばかりか周辺諸国まで爆撃し、社会を崩壊させた。
そんな中、運悪く捕虜になった米兵のうち、態度の悪い者が むごい殺され方をしても自業自得。

イラクでも黒水の社員が残虐極まりない方法で殺されたが、イラク人の感情からすれば当然の事。
“怒りにまかせて殺し返すのは同罪”なんてきれい事は劣化ウラン高校生と一緒に絵本でも書きながら言ってくれw

>>758 ベトコンへの武器横流しが常態化していた事からも分かる通り、南越南政府軍の士気は低かった。
越南社会は強固な縁戚関係で構成されているから、ベトコン側の人間と南越南政府軍も縁戚者であり、この紐帯はイデオロギーでは切れない。

>>761 人体実験云々はガセだが、下痢肛門に竹筒は有名な話。

これは越南の民間療法で、腸内の腐敗物質を早期に出させるのが目的。
他にも、風邪をひいた人間の背中にタイガーバームを塗って銀貨を爪代わりにして こすり上げる、とか
人体のツボに漢方薬の煮汁を注射したり電気を流す、とか 傍目には医療行為ではなく拷問にしか見えない行為が日常的に行われている。
越南兵達は、こうした“医療行為”を捕虜に施すのが大好きで、捕虜の米兵達は体調が悪い事を隠そうとしたが、発見されるとすぐにこうした医療が施された。

また、肛門を閉じられず下痢便を垂らしながら放置される刑には別の側面もあり、越南兵に多く存在した同性愛者の性的玩弄物に捕虜を堕としめて、屈強な男達を性的に屈服させて そのプライドを破壊するのに効果的だった。
このため、捕虜への拷問にはベトコンの女性兵士が当たる事も多く、この時の経験で多くの捕虜経験者が正常な性行為が営めない不能者となって帰国し、さらに米国社会の傷口を拡げた。

こうした行為の集中攻撃は、立派な経歴を持つ米軍将校達さえ、対敵協力者に変えてしまった。
766名無し三等兵:2008/02/01(金) 13:03:28 ID:???
カンボジア侵攻時には、南で徴兵された正規軍兵士も階級章等 全て人民軍と共通になっていたと思いますが、この他に人民軍とは別系統の民兵がいましたので、こちらは また別だったと記憶しています。
サイゴンから続々と離陸した米製ヘリのパイロットにも、正規軍の兵士ばかりでなく 民兵が多数いましたし、南越南政府軍部隊が組織を維持したままベトコン側に寝返り、そのまま民兵化していた部隊も大量投入されています。

越南の民兵は 地区の人民政府に所属しているので、有事の際には人民政府の指揮下で かなり自由に行動できます。
また、装備や兵員のレベルも人民軍にひけをとらない水準のグループもあり、中越戦争では人民軍の直接投入を避ける目的と、その戦闘経験の豊富さから多用され、中国軍の主敵となりました。

尚、中越戦争で越南領に侵攻した当初の中国軍も、兵員の多くは紅衛兵あがりの民兵を編入した部隊でした。
その1年前の改革・開放路線への転換で、不要となった彼らを処分するために、ケ小平は越南への制裁を発動しました。

中越戦争の目的のひとつが“棄兵”にあった事は、その後も越南侵攻部隊が ロクな補給も与えられずに、10年近く国境線に放置されていた事からも伺えます。
その現状を、わざわざ日本の朝日新聞に投稿して来た中国人の学生がいましたが、これは中越関係改善へのシグナルのひとつであったとされています。
767名無し三等兵:2008/02/01(金) 13:16:11 ID:???
>>764 あと“シャツ脱ぎ”ってのもあったね、アフガンの拷問。
腹から背中までくるっと皮だけを切り、その皮を徐々に上にめくって剥いで行くやり方。

遊牧民の間では殺した羊相手に普通にやってる事なので、人間に適応するのも馴れている。
違いは、羊は“この命を受け入れてやって下さい”と神様(アッラー)に頼んでから殺して剥ぐけど、ソ連兵相手には地獄へ墜ちろと罵りながら剥いだ、という点だけ。

アフガンのソ連軍は、自国にイスラム原理主義が波及するのを恐れて、ロシア人を主力で送り込んだが 気候風土の違いに適応できず、彼らもまた慢性的な下痢に悩まされ続けた。
アフガン帰還兵に、アフガンの思い出を聞くと、大部分の兵士が“下痢”と答えたそうなので、全部隊が下痢状態で戦っていたと考えて良いだろう。


768名無し三等兵:2008/02/01(金) 13:28:43 ID:iDKHZSe/
御返答ありがとうございます。また謎が一つ解けました。
ベトコン側に寝返った南ベトナム軍部隊というのはサイゴン陥落間際に寝返ったんですかね?
そして寝返った南ベトナム軍部隊のみ、当時の米式装備のまま温存していたのですか?
当方、サバイバルゲームに南ベトナム軍の装備でゲームに挑んでいますが先輩方の
知識を少しでも多く吸収出来ればと思っております。
どんな些細な事でも御教示頂ければ幸いです。
又、新生ベトナム軍によるカンボジア進攻等のジオラマも将来的に作りたいです。
769名無し三等兵:2008/02/01(金) 14:39:47 ID:???
>>768 “ベトコン側に寝返った南ベトナム軍部隊というのはサイゴン陥落間際に寝返ったんですかね?
     そして寝返った南ベトナム軍部隊のみ、当時の米式装備のまま温存していたのですか?”

そうですね。御理解の通りです。1973年のジュネーブ和平で米軍が撤退し、1974年で米国議会が南越南政権への援助を停止してから、南越南政府軍ではベトコンとの“地域和平”が進み、昼間は政府軍が名目上展開し、夜間にはベトコンが実質支配する領域が広まって行きます。
1975年の乾季に北越南軍が大規模侵攻を開始すると、重要拠点を死守しようとする グエン・ヴァン・チュー大統領の直系部隊と米軍顧問団以外の大部分の南越南政府軍は、そのまま地域のベトコンへの恭順を表明して寝返ってしまいました。

これら寝返り部隊は、地区のベトコンにより危険度を審査された上で、部隊ごと南越南共和国(ベトコン側の政府/名目上 北越南とは別の政体)軍に編入されています。

その後、1年あまりで南ベトナム共和国が北越南に吸収された時点で、南越南共和国軍の大部分は民兵として省政府の指揮下におかれ、治安維持や抵抗を続ける旧サイゴン政府軍残党との散発的な戦闘に従事しますが、これらは1977年頃には収束します。

しかし、今度はカンボジアのポルポト政権が越南との係争領土を巡って小規模な侵攻を繰り返すようになり、1978年には越南領の離島が攻撃され住民多数が虐殺されます。

これを受けて、統一越南政府(北越南)はカンボジア侵攻の準備を開始し、旧南越南共和国軍出身の民兵(ベトコンと旧サイゴン政権軍の混成部隊)を再動員して、カンボジア侵攻軍の主要兵力として再整備します。

ベトコン兵士には豊富な実戦経験があり、旧サイゴン政権軍兵士には残されていた米国製兵器の運用に不可欠な知識がありましたので、この動員はカンボジアに不慣れな北越南軍を展開させるよりも、早期に作戦活動が開始できる利点がありました。

また、南部単独で大動員が可能であった事は、カンボジアの保護者だった中国軍への対応能力を減らさず、また 察知され難い状態での大規模侵攻準備を可能にしましたので、1979年正月のカンボジア侵攻はポルポト政権/中国にとって完全な奇襲となりました。
770名無し三等兵:2008/02/01(金) 15:22:11 ID:???
一方で、カンボジアのポル・ポト政権から、有力な軍指揮官達が越南に亡命していた事も、越南にとって有利でした。

特に1978年の反ポルポト クーデタに失敗して、越南に亡命したヘン・サムリンは カンボジア東部に直系の部隊を残しており、事実上 ヘン・サムリンを神輿に立てれば東部カンボジアでの抵抗は最小限に抑える事が可能と予想されました。

そして、1978年12月25日に越南軍はカンボジア侵攻を開始し、2週間後の1979年1月7日にはプノンペンを陥落させます。

この写真の足枷付きベッドは、ポルポト政権の政治犯収容所だったツールスレン刑務所に 越南軍が突入した当時から置かれています。
http://www.geocities.jp/rain_or_wind/scene/pp/ts2.jpg
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/10/67/33/lrg_10673362.jpg

越南軍が突入した時、この上には喉を切られた囚人の死体が載っていました。
死後2日程度で発見され、膨らみかけた死体の写真は世界中の新聞に載せられましたが、この人が誰だったのか、いまだに不明です。
収容者リストにも載っていないので、ポルポト政権のかなり上級の幹部がプノンペン陥落直前に逮捕されて、早期に処刑されたものと言われています。

その後、いち早く脱出した中国、ユーゴ、北朝鮮の外交官達の車列がタイへたどり着き、相前後して敗走するポルポト軍と これを追う越南軍も タイ国境に到達します。
迎撃に出たタイ軍が越南軍に一蹴され、ポルポト派はタイ国境のジャングルに潜むきっかけを掴みますが、この結果 カンボジアは以降10年に渡る内戦を強いられましたし、越南は同年2月に“懲罰”を発動した中国とも戦い 国際的孤立に追いやられます。
771名無し三等兵:2008/02/01(金) 15:23:49 ID:???

北越南軍の英雄だったボー・グエン・ザップ将軍は、カンボジア侵攻に反対し 閑職に追いやられていますが、侵攻によって得られたものは、越南にとって何もありませんでした。
これは、孤立した期間中に飢餓と超インフレに苦しめられた記憶を持つ越南人の多くに共通している感情であり、その責任の多くはレ・ズアンに帰せられています。

しかし、結果としてカンボジア人多数の命を救ったのも事実であり、後の歴史家の視点から見れば越南の決断と行動は賞賛されるべきものであり、この侵攻に参加した多くの南北越南の軍人達の能力も高く評価されるべきでしょう。

私がハノイに住んでいた時に 近所なバイク屋のおじさんが、昔プノンペンに突入した戦車部隊にいたと聞かされた事がありました。
寡黙な人で、外国人である私を苦手としていた感じでしたが、近所の連中にとっては伝説の英雄のひとりでした。
合弁会社のパートナー会社の女社長の旦那さんも、ソ連援助のMig戦闘機パイロットで 撃墜機数で上位にいた人でしたが、たまに電話で話す時も 好々爺といった感じの人物でした。
サイゴンでも、引退した海軍大佐や、まだ生臭い情報将校といった人達がたくさんいました。

ほんの12年前の事ですが、考えてみればすごい人達に囲まれて暮らしてたんだな、と思います。
772名無し三等兵:2008/02/01(金) 15:24:40 ID:iDKHZSe/
>>769
御返答ありがとうございます。
しかし、南ベトナム軍は負けるべくして負けたとしか言いようがありませんね?
地域ごとに和平を結ぶ経緯等は中国の内乱に似てますね
>>旧サイゴン政府軍残党との散発的な戦闘に従事しますが、これらは1977年頃には収束します。

サイゴン陥落後にまだ無傷で温存されていた第四軍官区の一部の部隊がヤケクソになってサイゴンへ向けて
突撃した話は聞いた事がありますが(翌日にはボコボコにされて消滅したみたいですけど)
それ以外にも抵抗を続けた部隊があったんですね?
そのお話も詳しく聞かせて頂ければ幸いです。
カンボジアの方もプノンペン陥落後しばらくの間はロン・ノル派の残党がうろうろしていた
みたいです。
残党にとってカンボジアの方は運が良ければ陸続きのタイに亡命するなり出来そうですが
ベトナムは共産国に囲まれてるから山篭もりして戦うしか道は無かったんで
抵抗を続けていたんですかね
773名無し三等兵:2008/02/01(金) 16:24:53 ID:???
>>772 “ベトナムは共産国に囲まれてるから山篭もりして戦うしか道は無かったんで抵抗を続けていたんですかね”

最後の最後まで抵抗を続けていたグループは、ラオス/カンボジアとの国境線付近の山岳部を拠点とした少数民族出身の旧サイゴン政権部隊で、米国への亡命を条件に投降したのは90年代になっての事でした。

旧サイゴン政権軍兵士で新体制から弾かれてしまった人達は、大部分が海外逃亡を目指したようですが、新体制側に残った仲間達に密告されて大部分は失敗して逮捕され、無力化されてサイゴン周辺で生きる糧を探しながら日々を過ごしたようです。

また、1982年頃に 台湾やタイの反共政治家達が資金を提供して、一般人に紛れて暮らしていた旧サイゴン政権軍兵士を集めて蜂起する計画も立てられ、日本人も計画に参加していましたが不発に終わっています。
この時、旧サイゴン政権軍兵士のリーダーとなったファン・コ・ミン氏のグループは、後にタイへ逃亡し ラオスのムクダハンにあったソ連軍の基地を攻撃していますが、越南軍との交戦で戦死し 額を撃ち抜かれた その死体写真が、越南人民軍の機関紙に掲載されました。

私が知る限り、旧サイゴン政権軍残党の活動は この時点で終結しています。
ポルポト派によるプノンペン占領後のロン・ノル政権軍残党は、1976年頃からタイ国境の難民キャンプ周辺で盛んに活動しており、これを掃討するポルポト軍とタイ軍の間でも散発的な戦闘が続いていました。
774名無し三等兵:2008/02/01(金) 16:25:20 ID:WfBLr/ZR
1979年以降は、そのポルポト派もタイ国境のジャングルに逃げ込みますが、同時期に大量の旧ロン・ノル政権軍兵士も難民としてタイに逃れて来ていますので、こちらも結構な勢力になっています。
しかし、ポルポト派のようにしっかりした組織が無い 旧ロン・ノル政権軍兵士達は、内部抗争を繰り返し 実態は密輸業者&山賊といった状態でした。
何人か有力なリーダーがいたようですが、彼らはタイ軍やポルポト軍に始末され、旧ロン・ノル政権軍兵士が大勢力に成長する事はありませんでした。

その後、1982年に中国・日本・米国が中心になって、ポルポト派がキープしていた国連議席を継承する三派連合政権が樹立されますが、旧ロン・ノル政権軍兵士は反ロン・ノルの政治家だったソン・サン氏のグループに統合されます。
しかし、軍事的には弱小勢力のままで、始終ポルポト派に攻撃されていたため、カンボジア本土反攻など夢のまた夢 な状態でした。
775名無し三等兵:2008/02/01(金) 17:01:37 ID:iDKHZSe/
>>774即答ありがとうございます
なんかロン・ノル派の残党って周り全部にフルボッコって感じだったんですね・・・
サバゲーでロン・ノル派の格好で参加した事があるんですが
あの首に巻くヤツに憧れて、一人淋しく自作したもんです。
ちなみにどちらの残党部隊の装備もそれぞれの政権がまだ健在だった頃の装備なんですか?
ラオスでは反共ゲリラ達が捕獲した共産側の戦車を使用したみたいですが
先の残党勢力は戦車、装甲車等は配備していたのですか?
さっきから質問責めですみませんm(._.)m
776名無し三等兵:2008/02/01(金) 17:34:35 ID:pTKnF73m
>>775 ラオスの反政府勢力(苗族)は現在進行形で政府軍との対決を続けていますので、最強ですね。

苗族への支援はタイ, 中国, 米国 から来ていますが、実はラオス政府軍も一枚岩ではなく、北東部の軍管区は越南と、北西部の軍管区は中国+旧BCP(ビルマ共産党)第四師団と、それぞれ組んで阿片製造に勤しんでいます。
この利権の配分を巡って、首都ビエンチャンから派遣された部隊と地元の軍が小競り合いを繰り返しています。

また、ビエンチャン北部の反政府勢力(こちらは苗族ではありません)が、政府軍の攻勢で弱体化した際には、タイ軍が自軍の特殊部隊を送り込んで山賊行為を活性化させ外国人にも死傷者が出たため、
越南軍とこれを背後から支援するスウェーデン政府が越境爆撃と地上軍を投入してこれを掃討するといった事も起きました。
当時は、毎日のように殺されたトラック運転手達がビエンチャンに運ばれて来ていましたし、装輪のBTRが峠を固め 14.5mm重機の轟音が山にこだましていたのを覚えています。

何故タイvsスウェーデンが代理戦争に? と思いますが、当時のスウェーデンはラオスの国内道路網建設に乗り出していた時期で、越南の土建屋(人民軍系)がこれの下請けとしてラオスでの建設作業に従事していました。
タイは それ以前にラオス政府に対して道路建設のODAを与えていて、本来ならタイが継続できるハズだったラオスでの利権をスウェーデンと越南に奪われた格好でした。
そのため、事業全体の象徴であるビエンチャン⇔ルアンプラバン間の道路建設を執拗に妨害していた、という背景がありました。
(この後、ハノイの街にはボルボのノンステップバスが走り始めましたw)

これに対して、越南の旧サイゴン政権軍の主力は、ベトコンへ恭順してしまいましたので、装甲兵器や航空機といった近代装備は全て失っています。
1982年の蜂起計画では、タイ空軍が航空支援を行う約束がありましたが、ろくに実戦経験の無いタイ空軍の実力を考えれば およそ不可能な話です。
(同じような詐欺話には、MIA救出にラオスへ侵入した退役米軍人達もひっかかっています)

ファン・コ・ミン氏のグループは、タイ軍から装備の提供を受けていましたが、こちらも米軍駐屯時代の置き土産の中古品を渡されたようです。
777名無し三等兵:2008/02/01(金) 18:18:22 ID:???
ラオス王国軍の中核となったのはバン・パオ将軍の苗族兵達でしたが、実はロン・ノルを支えたのもクメール人ではないチャム人やモンタニャール(山間部の少数民族)でした。

彼らはもともと南越南政権と対峙していましたが、米軍vsベトコンのガチ勝負が続く越南領では存在感が薄く、シハヌーク政権軍の兵力を補う勢力を探していたロン・ノル将軍と利害が一致してカンボジアへ活動の拠点を移します。

尚、90年代に投降した最後のゲリラ勢力も、彼らの勢力に属していましたが、90年代までカンボジア政府軍による掃討作戦の対象となっていたようです。
http://www.mekong.ne.jp/directory/culture/fulro.htm

タイ国境へ逃げ込んだロン・ノル軍兵士にも、少数民族出身者が多かったのですが、ちょうど越南〜カンボジア〜タイ流転を続けた格好です。

ロン・ノル政権を打倒したポル・ポト派ですが、シハヌーク時代は弱小勢力としてタイ国境に逃れていました。
ポル・ポト派もまた、タイ国境の山岳地帯で少数民族と協力する事で戦力化し、やがてカンボジア全土へ進出しました。
しかし、ポル・ポト派の権力掌握には、農村でのシハヌークへの人気が大きな障害でした。

しかし、ロン・ノル将軍のクーデターで北京/平壌に亡命したシハヌークが、中国の要請でポル・ポト派と同盟した事で、弱小勢力だったポル・ポト派はカンボジア全土で支配を拡げる事に成功しました。
778名無し三等兵:2008/02/01(金) 19:52:07 ID:piwE7VuG
エアーウルフって20年くらい昔のTVドラマで、ベトナム難民がアメリカに移住しても
祖国にいた頃の地域ボスというか殿様の元軍幹部にひれ伏している描写があったけど、
コレはそんなに無茶苦茶な誇張ではないんですか?
779名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:12:11 ID:???
「ベトナム秘密報告」によるとバンパオの軍隊は1961年に9000人規模で最盛期には3万人前後の兵力を擁したようだ。
航空部隊も持ちラオス国内の空爆作戦にも参加してる。
反政府活動を行ったのはこのバンパオ派の残党だが77年ころにはたいがい投降するか国外に脱出するかして
ラオス国内を拠点とした抵抗は下火になった。その後タイの難民キャンプに拠を移して
国道のバスや政府施設などの襲撃などするようになった。

780名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:12:46 ID:???
>>778 エアーウルフって懐かしいね〜w
ハリウッド的越南描写満載だったけど、あれもMIA神話がベースだったもんね。

旧サイゴン政権のボスが米国でも成功者だったら、敬意は集めるだろうけど、ひれ伏す人間はいないだろうね。絶対王朝じゃないんだから。
ただ、米国では そこそこ成功者みたいな人が、越南に戻った途端に地元の党幹部にペコペコしながら自分の親戚をいじめられないようゴマすってる姿は見た事があるよ。

あと、送金屋さんかな? フレズノに住んでるカンボジア難民のおっさんが、他の難民から預かったカネを持ってくる(手数料は30%だって...)んだけど、それに地元の連中が群がってるのとかね。

アナハイムとかの越南人コロニーは、もう完全に米国化してる人達ばっかだから、地域ボスなんてのはいないようだった。
そういう嫌な感じで昔を引きづってるのはマフィアだよね。 カナダから里帰り中の華僑の兄ちゃんは、カナダで悪い事やってるのは大抵 越南人のマフィアで、旧サイゴン政権軍の兵隊だった連中だ、って言ってたけど、
越南人から見れば華僑のマフィアの方がもっと悪いって思ってるのは間違いないだろしうねw





781名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:17:58 ID:???
苗族ってタイの80年代までの共産ゲリラも苗族だよね。
こちらも昔は派手にタイ軍と衝突してたが。
782名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:25:38 ID:???
>>779 「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。」

一時はラオスを牛耳ったバン・パオとその一党も、米国の越南撤退とともに見捨てられ、逃亡の憂き目に遭った。
その保護すら失った郎党達とその家族は、かつての敵に捕らえられ 奴隷とされた。
783名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:26:27 ID:???
こないだWOWOWでやってた「ザ・ユニット 米軍極秘部隊」観てたら
ベトナムで捕虜になった後にそのままベトナムに残った元米兵の話が出てて、
冊さえ居場所の背景がバリバリ米国国内だったんで萎えた<'A` >
784名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:28:05 ID:???
冊さえ居→撮影
785名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:47:30 ID:XmNfIajO
そういえば日本人にもミャオ族の血が流れてるね。
納豆はミャオ族の食い物か?
786名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:51:08 ID:???
アジアの照葉樹林帯にはほぼあまねく納豆があるお< `ω´>
787名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:58:32 ID:???
アメリカに裏切られた上祖国を追われてアメリカに住み着いた南ベトナム人は、アメリカにとって最悪のマフィアになる、
と豊浦志郎(船戸与一のPN)「叛アメリカ史」で予測されてたが、本当にそうなってますか…

しかしカナダは迷惑だな…反徴兵運動の手助けで南の足引っ張った面はあるけど。
788名無し三等兵:2008/02/01(金) 23:47:31 ID:???
>>787 アメリカにとって最強のマフィアになったのはユダヤ人でしょう。
マフィアとは(善悪は別に)超法規的な大義を共有する存在であって、越南マフィアにはそんな大義は無い。
戦前は多数のユダヤ人達が命の危険も省みずに、ユダヤ人国家創設のために邁進したが、在米越南人にはそんな人間達はほとんどいない。

犯罪集団としての越南マフィアは、せいぜいが違法賭博と売春程度しかやれない存在で、華僑マフィアの足許にも及ばない。
それに、将来への希望があまり持てない米国やカナダで生きるより、越南に帰国してもやって行けるだけの能力があると考えた人達は、さっさと越南に帰っている。
789革命戦士(笑):2008/02/02(土) 00:02:18 ID:uVtNkqqp
>>762
なるほどね。
>>765みたいのなんかわかりやすくて面白いよなw。
790名無し三等兵:2008/02/02(土) 00:12:52 ID:tAKTIyH7
ここ最近の流れとスレタイの落差がすごいw
スレ立てた奴もここまで濃密な内容になるとは思わなかったろうな
791名無し三等兵:2008/02/02(土) 04:39:52 ID:2U2kTbde
>>790
正直な話最初スレタイ見た時は、二日持たないだろ?って思いました。
792名無し三等兵:2008/02/02(土) 05:03:46 ID:2U2kTbde
明らかに本職としか思えない詳しい方が二人居らっしゃるけど
南ベトナム軍マニアの俺としては本当に勉強になったし、専門書でもここまで
詳しく書いて無い。
793名無し三等兵:2008/02/02(土) 06:45:51 ID:???
本職って何屋のことだ?
戦争経験者かw
794名無し三等兵:2008/02/02(土) 09:17:39 ID:???
どうでもいいけどsageてね
795名無し三等兵:2008/02/02(土) 10:15:18 ID:???
takeda
796名無し三等兵:2008/02/02(土) 10:29:37 ID:???
>>792 越南関連の専門書は底が浅い内容が多かったですね。

70年代は新左翼のマンセー本、それが80年代には掌返しの内容、90年代以降に出た書籍は文化多元主義的な視点が強すぎて、鼻に付く傾向がありました。
797名無し三等兵:2008/02/02(土) 11:01:15 ID:/HlNWAGc
792>> 
実はベトナム人
798名無し三等兵:2008/02/02(土) 11:19:24 ID:???
「ジャングル・クルーズにうってつけの日」はどうかな。
799名無し三等兵:2008/02/02(土) 12:00:32 ID:???
3万程度の苗族部隊が主力って事は実際ラオス王国軍もあまり戦意高くなかったのかな。
中立派軍とかもいてゴタゴタしてたし。
73のパリ和平でこの3万の部隊も大半解体されて、残り数千人ほどがバンパオとともに戦闘継続したが
王国派軍も中立派軍もこの戦闘継続を支持しなかった。
さらにこのバンパオ残党も75年に多くが国外に逃げ
さらに残った残党がラオスで抵抗してたが二、三年でほぼタイに逃げてタイから爆弾テロやバス襲撃を仕掛けるようになった。

だがタイも結構前からこの反政府派を取り締まるようになり
タイ軍にも追われるようになったのでバンパオ一派が言ってるほど今はもう強力でもないと思う。
バンパオも逮捕されちゃったしね。
似たような在米越僑組織も脱税やらで摘発されたりしてるし。
800名無し三等兵:2008/02/02(土) 12:08:33 ID:???
90年代くらいからかなタイが取り締まり始めたのは。
それからは反政府派がタイ入国したら空港で逮捕されるか米に送還されるよ。
801名無し三等兵:2008/02/02(土) 12:19:05 ID:???
グエンカーンとかも似たような越僑の反攻団体してたが、米国の政治家からは
もうまともに相手にされてない
802名無し三等兵:2008/02/02(土) 12:26:28 ID:???
グエン・カオ・キはまだ生きてるよな。
古自転車かなんかの輸入業やってて、ベトナムと貿易したいっつって
里帰りして昔の部下と再会して抱き合ってニュースになったの覚えている。
803名無し三等兵:2008/02/02(土) 12:53:25 ID:???
南ベトナム軍の総兵力って実際のところどのくらいいたんだろう。
最盛期110万とかいってたけどたぶんそこまでいないだろう。
804名無し三等兵:2008/02/02(土) 16:16:38 ID:2U2kTbde
>>797本気でARVNの元将校じゃないかと思ってた・・・・
>>796
「サイゴンの一番長い夜」が当時の情勢を知る上で結構参考になりました。
二十年近く前ですが、消防時代、図書室に「シャッターチャンスは一度だけ」
とかいう本があって、ベトコンがMG42を担いで歩いてる写真等が載っていて濃い内容の本でした。
もう一度読みたいです。
しかしながら大好きな南ベトナム軍関係の本は皆無に近く、サバゲーに参加する上で装備品の再現に苦労していました
そんな中で十年位前にプラモデルメーカーのドラゴンからARVNのレンジャー部隊の兵士セットが発売されて
当時工房だった自分は最終平気「おかーちゃん」から小遣いを貰って買いに行ったもんです。
この模型は大変参考になって、箱絵を基にサバゲ装備品のヘルメットに黒豹の絵を書いたり
ユニバーサルアーモポーチをもう一つ買って、背面に付けている二つ水筒の間にこれを装備しました。
805名無し三等兵:2008/02/02(土) 21:44:09 ID:???
>>799 残留日本兵でラオス王国軍大佐かつ伯爵になった人の本読んだ事があるが、ひでーもんだった。士気は低いしアメリカが金ばら撒くと何もかもが腐るし。

http://members.at.infoseek.co.jp/kengchang2/seisyun.html
806名無し三等兵:2008/02/02(土) 23:11:28 ID:iPw+vh31
伯爵ってのが、おフランス式だね。
807名無し三等兵:2008/02/03(日) 00:03:51 ID:???
>>668 に記した赤坂勝美氏も、ベトミン軍に参加し その後ラオス独立戦争で戦い、シェンクワン省(越南・越北自治区の向かい側で黒メオの地盤)の副知事となった。

越南戦争終結後、かつての仲間であるパテト・ラオの共産政権により、突然の国外退去処分を受け、日本へ帰国した後は何も語らず死んだ...
808名無し三等兵:2008/02/03(日) 06:15:44 ID:???
厭ね!
809名無し三等兵:2008/02/03(日) 06:50:39 ID:+b0wxg+6
韓国軍が残忍で、殺したばかりのベトナム人たちの内臓を取り出し、
米兵などにもすすめながら食べた行為は現地ではよく知られていた、
というのは本当ですか?
810名無し三等兵:2008/02/03(日) 06:55:33 ID:xmqeli65
>>809
それロン・ノル軍とポル・ポト派の間違いでは?
811名無し三等兵:2008/02/03(日) 08:37:50 ID:???
コンゴの軍隊はピグミー族を食べてるらしいよ。
812名無し三等兵:2008/02/03(日) 09:16:10 ID:???
>>811
ピグミーは小さいが不味い
813名無し三等兵:2008/02/03(日) 09:46:59 ID:???
フルロって政府軍に何度か反乱起こして結局地方部隊に編入されたが
やっぱキン族と上手くいかず一部はカンボジアいってロンノル軍に仕えたんだよな
それまでサイジーとか呼ばれてたんだが

67年にサイジーは3万人程度だからベトナムでは影薄くともカンボジアではなんとかなりそうではあるし
米に亡命した今も旧南越系組織とは対立してるそうだ
814名無し三等兵:2008/02/03(日) 10:41:01 ID:???
元々歴史的に対立してたのとゴ政権下で弾圧されたので反キン族の気風が強い。
CIDGに関係したのは数的にはあまたいる先住民の一部。
実際は無関係な先住民のが圧倒的に多かった。
そのサイジーも64年頃から大規模な反乱や逃走を起こしてキン族の南べ政府とゴタゴタしてたので
国境領土問題で狙うところのあるカンボジアが介入して傘下に入れたってところかな。
815名無し三等兵:2008/02/03(日) 11:04:52 ID:???
そういうのも含め南越軍は全体の総数で100万いるといわれたが
そのわりには平均で年間1万人台か2万人台くらいしか死者を出してないのだが
やっぱ実際は幽霊登録がかなり多かったんじゃなかろうか
816名無し三等兵:2008/02/03(日) 13:20:40 ID:???
>809>810
石川文洋の南ベトナム軍海兵隊従軍紀の中では
従軍していた部隊の兵士かゲリラの死体から生肝を
取り出し食べている描写があった
末端兵士の間で敵の生肝を食べたら戦死しないという
迷信があったと書かれていたように思う
817名無し三等兵:2008/02/03(日) 13:31:33 ID:???
↑南越南政府軍には階級売買という悪弊がありました。
これは、徴兵年齢に達した有力者/資産家子弟の入隊時に、それなりの金額を師団長(+その属する軍閥長)に支払うと、兵士ではなく士官として入隊させてもらえ、更に毎月の賄賂を欠かさなければ戦闘部隊には派遣されないで済むという取引でした。
(この取引と全く同じ事は、中国の国民党軍でも行われていました)

こうして入隊した“士官”達は、当然ながら 専門の軍事教育を受けていないので、前線で部隊を指揮する訳でもなく、サイゴン周辺で軍閥の利益行動に従事する者が多く、なかには軍服も着ず 原隊から離れて家族と暮らしている者も多数いました。
正常な軍隊でしたら 点呼の段階からしてありえない話ですが、越南の賄賂分配システムは精緻に出来上がっているため、部隊内でも司令部でも問題になる事はありません。
もっとも、実家が傾いて賄賂が払えなくなった者もいましたが、そうした場合にはベトコン支配地域に逃亡してしまうケースが多かったようです。

越南社会では長男の責任と期待が大きい社会であるため、むざむざ自分達の長男(家の後継者)を戦場で死なせるような徴兵制度は、越南では受け入れられませんでした。

戦意の高かった北越南兵ですが、その多くは志願兵(農村の次男/三男問題は日本も越南も共通でした)で構成されていました。
このため、大規模な軍を維持する必要のなくなった現在の越南では、一家の男兄弟のうち1名が応召すれば良いシステムになっています。
(このため、現在の越南は“二人っ子政策”を採っています)
現在でも学校での軍事教練や 民兵訓練の日があり、ハノイの繁華街を重機関銃や迫撃砲を引っ張って行く商店街のお兄さん達を たまに見かけます。
818名無し三等兵:2008/02/03(日) 13:33:47 ID:???
尚、中国籍である華僑は北越南時代にも徴兵対象ではありませんでした。
南越南では華僑も越南国籍を取らされていたので徴兵対象でしたが、大多数が賄賂で入隊を逃れています。

華僑地区のチョロン(サイゴンの第5区)はベトコン勢力の潜在支配地域であり、三合会という強力な華僑の暴力団が存在しましたので、南越南政府軍も容易には手が出せない地域でした。
(三合会の持っていた“何でもアリの総合レジャーランド”は、現在でも建物だけ残っています)

尚、現在でもチョロンの商店地下には、華僑が蓄えた大量の武器弾薬が隠匿されていると言われています。
ベトコンと関係の深かった華僑の中には、ベトコンに参加してその後も民兵団の指揮官だった人達がいますが、中越戦争の際に南部での蜂起を持ちかけて来た中国政府に対して、彼らは越南支持を表明しています。

そんな事情もあって、現在もチョロンはサイゴンの人民政府とは一線を画した自治行政が認められていて、最近では小じゃれた児童公園やリバーサイド高層マンションなどが林立する地域になっています。
819名無し三等兵:2008/02/03(日) 13:48:21 ID:???
>>816 “末端兵士の間で敵の生肝を食べたら戦死しないという迷信があった”

南越南政府軍の兵士は迷信好きが多かったので、弾除けに猪の牙を身体に埋め込んだり、お経を入墨で彫ったりする者が多かったようです。

人間の生肝を食べるのは、こうした迷信好きの側面だけでなく、本当に“美味い”という側面もあります。
いろいろな動物でも新鮮な肝臓は非常に美味ですが、人間の肝臓は一度食べると忘れられない位 美味い物と言われています。

また、同属食をした個体は大きくなり易く、身体への滋養強壮効果は大変高いようです。
栄養失調状態が続いていたポルポト政権下のカンボジアのでは、同派幹部用に対して虐殺被害者の肝臓を酒漬けにした物を食べる事が推奨されていた(幹部用特別食?)事が知られています。

また、ちょっと越南から反れますが、近隣のビルマ・シャン州北部を支配していたBCP(ビルマ共産党)の主要兵力だったワ族兵士は精強な事で知られていますが、彼らは同時に現在進行形で人肉食を行っている事でも有名です。
820名無し三等兵:2008/02/03(日) 18:47:47 ID:???
ストーノウェイに15個師団も立て篭もられてしまいました。
爆撃機と海軍で船団攻撃すると、5隻以上何度も沈めてくれます。
しかし、ペナが高くて攻撃失敗しています。
821名無し三等兵:2008/02/03(日) 19:32:26 ID:xmqeli65
どなたかマヤグェス号事件での戦闘について詳しく教えて下されm(._.)m
822名無し三等兵:2008/02/03(日) 21:07:08 ID:???
↑ここに載ってる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A4%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この事件から以降、グレナダ侵攻で巨象がアリを踏み潰すように勝ち星を上げるまで、自信喪失の米軍はパッとしなかった。
フリッツヘルに変えてから運気が向上したのかもしれない。
823名無し三等兵:2008/02/03(日) 21:16:47 ID:???
>>820
誤爆スマソ。回線吊って首切って・・・
824名無し三等兵:2008/02/03(日) 21:34:08 ID:???
マヤグエース号事件は本当に軍の投入が必要だったのか、少々疑問のある事件だった。
米国はポルポト政権と敵対関係にはあったが、国交を正常化した中国経由での交渉が可能だった。
これほどの損害を出し、多くの兵士に悲惨な死に方を強いたのは、ウォーターゲート事件で政権中枢が麻痺していたフォード政権の無能ゆえだった。
また、この事件で越南がポルポト政権の戦争準備状況の真剣度を悟ってもいる。
まるで米国の支離滅裂なインドシナ介入の縮図のような事件だった。
825名無し三等兵:2008/02/04(月) 01:43:26 ID:8W9lq95J
人間の肝については日本も敵兵の肝臓を切り取って持っていたりしたようだ。
辻某とかね。

で、韓国はどうなの?犬食ったりするから、やってそうだけど。
826名無し三等兵:2008/02/04(月) 06:59:18 ID:???
キモッ!
827名無し三等兵:2008/02/04(月) 07:47:46 ID:???
新鮮な「レバ刺し」いかがっすかー。
828名無し三等兵:2008/02/04(月) 09:29:06 ID:???
南ベトナム軍は五人に一人が脱走してたというが
当時TIME誌の報道では、1969年には毎月1.3万人が脱走しており
1972年には月2万人が脱走していた。

年間10万から20万が脱走していたから公称と実勢はかなり差があった事だろう。
829名無し三等兵:2008/02/04(月) 13:48:11 ID:???
最盛期の南越南政府軍の総兵力は50万人台だったが、年間10万人が脱走していれば総兵力の20%が死傷していたのと同等のダメージ。

現代戦では5%の兵員が死傷すれば、所定の作戦行動は取れなくなってしまうが、南越南政府軍は戦う以前に機能麻痺していたと考えた方が良い。
同時期、最盛期の米軍も50万人+韓国軍が5万人。 対してベトコン&北越南政府軍は100万人台+中国軍事顧問団5万人。
通常、攻勢側は防衛側に対して原則3倍の兵力を準備する必要があるので、戦術は別にして単純に150万人の兵力が足りないが、米国にもこれだけの兵力を単独で準備する事は不可能。

北越南側にとって、中国国境への兵力配備が最小限である事が 兵力動員上 最も有利な点だった。
蒋介石夫人の宋美齢と グエン バン チュー南越南大統領は、この状況をひっくり返すために ニクソンの米中正常化を立案/準備している。

しかし、肝心の中国は66年からの文化大革命により軍の機能が麻痺しており、永い歴史の中で“例外的な”越南との友好関係を破壊してまで米国の手助けをする義理はなかったため、米中国交正常化は越南戦争の帰趨に大きな影響を与える事はなかった。
(このニュースを聞いたハノイ・ヒルトン滞在中の米兵捕虜は狂喜したそうだが、その喜びは束の間だった)
830名無し三等兵:2008/02/04(月) 13:55:30 ID:Ci3E8Rze
実際に北越南を最も苦しめたのは ニクソン政権が行った全面空爆で、国内インフラの大部分を破壊された北越南政府はジュネーブ和平交渉のテーブルにつかざるを得なかった(ホーチミンというカリスマが死去していた影響も大きい)。
しかし、追い詰められた越南が、ソ連と組んでより高度な反撃に出る懸念も同時に高まったため、ニクソン政権は全面空爆の継続を断念せざるを得ず、北越南は救われている。

もし、全面空爆が継続されていれば、越南は対抗手段としてソ連空軍の参戦を要請したかもしれない。
ソ連は北越南に対しての重爆撃機の供与を行っており、防空体制のなかった南越南軍基地への爆撃が準備されていたとも言われている。
当時のソ連は身動きの取れない米国を尻目に世界中で軍事活動を活発化させていたので、朝鮮戦争方式での参戦は充分あり得たと言われている。

また、1968年から北朝鮮空軍が直接 北越南上空の防空任務に就いており、ソ連空軍機+北朝鮮人パイロットによる航空攻勢の準備は既に始まっていた。
(北朝鮮は1973年の中東戦争でもエジプト空軍機に搭乗して参戦している)
この時戦死した北朝鮮軍パイロット達の墓は、現在でも越南にあり 越南を護った烈士として祀られているという。
http://chorea.hp.infoseek.co.jp/dprk/paaf/vietnam.htm

越南戦争が航空決戦にまでエスカレートした場合には、南シナ海の米国機動艦隊への攻撃から東南アジア限定核戦争へ発展する可能性すらあったかもしれないね...
831名無し三等兵:2008/02/04(月) 16:10:42 ID:5QnAX96u
もうすぐ先生
832名無し三等兵:2008/02/04(月) 16:20:35 ID:/81h3JHt
>>831ワロス
先生最近忙しそうだから夕方位だよ
833名無し三等兵:2008/02/04(月) 20:27:07 ID:???
>>825 大山巌が体を壊した時に、東郷平八郎が干した人肝の丸薬持ってきて、
よく効くから呑むように父上に渡してくれと子息の大山柏に渡そうとしたとか。
当の柏氏自身が書き残しているからこれは間違いない。
834名無し三等兵:2008/02/04(月) 22:08:55 ID:WKvLwGXI
1000
835名無し三等兵:2008/02/05(火) 03:44:06 ID:aBRWoCpn
誰の肝だったの?東郷さんの?
んなこたあないか。
836名無し三等兵:2008/02/05(火) 04:14:42 ID:???
西郷さんの弟が台湾征伐で殺した高砂族の肝かな? 三人とも薩英戦争からの戦友だったしねw

時期的には、台湾で狩られた高砂族の干し肉や臓器から作った漢方薬が輸出されてた時代だし、
食人祭祀のあった縄文人の末裔たる薩摩人には、人の肝といってもさしたる抵抗はなかったかもね...
837名無し三等兵:2008/02/05(火) 04:20:43 ID:???
漢方薬は偽物も多いぞ。
838名無し三等兵:2008/02/05(火) 06:40:02 ID:???
日本人が人肉食うのは有名だよ。
太平洋戦線で米英兵、満州でロシア、中国人を殺して食べた。
839名無し三等兵:2008/02/05(火) 07:37:39 ID:n4W5CO3E
本当か?そんなことするの中国人ぐらいだと思っていたが、、
ソースある?
840名無し三等兵:2008/02/05(火) 08:23:29 ID:???
ポリネシアかどっかあたりで食糧難で人肉食った話は聞いた事ある
841名無し三等兵:2008/02/05(火) 09:06:30 ID:???
↑アジア地域全域で、飢饉時以外の祭祀として または医療行為としての人肉食が行われていた。
現在でも中国、台湾、タイ、インドネシア、ビルマでの人肉食が確認されている。

実際、人肉食には高い滋養強壮効果があるので、栄養失調時に効果があるらしい。

ただし、大山巌はバリバリの欧化主義者で、後妻となった山川捨松(最初の遣米官費留学生)との初デートは英語で会話したらしいし、日本の文明国化が条約改正の前提条件と考えていたから、人肝の漢方薬なんてアジア後進性の象徴のような代物には手を出さなかっただろう。
しかも大山には糖尿病の持病があり、人肝の服用が効果的な栄養失調状態とは正反対の状態。

大山の欧化主義は広く知られていたので、このやり取りが事実なら旧友である東郷のイタズラ?だったとも思われる(深読みすれば陸海軍の対立が既にエスカレートしていたのかもしれない)。
842名無し三等兵:2008/02/05(火) 11:10:24 ID:???
先生はどんな質問でも答えてくれる。
弟子入りさせてもらえませんか。
843名無し三等兵:2008/02/05(火) 11:38:01 ID:aBRWoCpn
では、先生にアドバイスを貰いたいです。
実は8歳年下の女子大生が好きになってしまったんですが、
相手が僕のことを恋愛対象として見てくれないようなんです。
わりと仲良くなって、本を貸し借りしているんですが、
この前貸した「カンボジア戦記」ってのが、まずかったのでしょうか?
844名無し三等兵:2008/02/05(火) 11:39:46 ID:???
ky
845名無し三等兵:2008/02/05(火) 11:48:11 ID:Wc6Sf4WO
元南ベトナム軍将校のほうの先生が最近来なくなった。
二人で本出せばいいのに
846名無し三等兵:2008/02/05(火) 13:00:12 ID:???
その先生はソマリアに派遣されました。
847名無し三等兵:2008/02/05(火) 13:10:45 ID:/5YnJfk6
>>843 “8歳年下の女子大生が好きに” という事は、キミは30歳近いのかな?

まず、女性と仲良くなるには接近戦が不可欠だ。
究極の目標は挿入して射精なんだから、最初の段階から積極的に手足を接触させよう。
かといって、最初から手足を絡ませてくれる女性は、そんなにいない。

なので、先ず手相を勉強しよう。 向かい合わせに座りながら 彼女の手相を見せてもらい、生命線や頭脳線を指先でなぞってみよう。
キミに好意を持ってる女性なら、なぞられるだけで顔が紅潮し、掌が冷たくなって汗をかいてくるので、すぐに分かる。
もし、キミに好意を持っていない女性でも、何回もなぞっているうちに だんだんと好意を持っている反応へ変わってくる。

好意を持っている反応を示したら、迷う事は何もない。
今度は隣に座って同じ事をしながら、耳元に口を寄せて“好きだよ”と囁けば良い。
彼女がうなずいたら、後は彼女のアゴの先に手を添えて、電光石火の軽いキス。

次のデートでは 彼女が大胆になれるよう、キミか彼女の部屋に行って、キスから初めて身体検査を実行。
(尚、決して事を急がないために、タマが空になるまで自分で抜いておくように)
敏感な部分をつまみつつ 彼女の反応を確かめ、感じ始めたら耳の穴を舐めてあげよう。

後はキミのテク次第なので、事前に風俗に通って お姉さん達に教わりながら 腕を磨いておくようにw
重要なのは、キミが挿入するのは、キミのテクで彼女がイクようになってから。
長続きするか否かは、テクと誠意次第だから、頑張ってくれたまえ。
848名無し三等兵:2008/02/05(火) 13:21:14 ID:Wc6Sf4WO
>>847
さすがハノイのマダムキラーは言う事が違う・・・
お見事!
849ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2008/02/05(火) 13:24:02 ID:???
だんだん、芸風がプリティ柘植氏と似てきた悪寒w
850名無し三等兵:2008/02/05(火) 13:28:44 ID:Wc6Sf4WO
同意!
↑ていうかこんなとこにもT-Boysが…
851名無し三等兵:2008/02/05(火) 13:28:58 ID:???
そうだ、キミの容貌がそこそこイケるのなら、ハノイ、サイゴンでマダムキラーって途もあるぞ。
越南人ばかりでなく、フランス人、ドイツ人、ロシア人といったお姉さん達とのお付き合いもできるしね。

冷凍餃子の一件で 越南シフトも加速中だから、現地駐在員の仕事はたくさんある。
問題は語学力だが、人間がしゃべってる言語なんだから、同じ人間がしゃべれない事など無い。
努力して突破してくれたまへw
852名無し三等兵:2008/02/05(火) 13:33:16 ID:Wc6Sf4WO
もしかして、元南ベトナム軍将校の先生は>>851の先生に始末されたのでは???
853名無し三等兵:2008/02/05(火) 17:00:09 ID:aBRWoCpn
>>847
先生ありがとうございます。28歳です。
手相と言うのは大変古典的な感じがしますが、手を触るのはいいきっかけですね。
今まで何人か付き合いましたが、年が近かっからかスムーズに行ったんですが、
今回は、仲良くはなったものの、なかなか恋愛関係に持ち込めれませんでした。
早速手相を勉強して頑張ります。
854名無し三等兵:2008/02/05(火) 17:12:49 ID:???
>>853 がむばってください。 足裏マッサージも一緒に勉強しとくと無敵になれまつw
855名無し三等兵:2008/02/05(火) 17:24:02 ID:aBRWoCpn
はい、頑張ります。
しかし、足裏マッサージは必要ないと思います。
そんなことする前に、胸と恥丘をマッサージします。
856名無し三等兵:2008/02/05(火) 17:54:51 ID:Wc6Sf4WO
>>855
我等の偉大な先生の御教示に従わない無礼モノめ!!
恥を知れ!恥を!
857名無し三等兵:2008/02/05(火) 18:11:23 ID:???
今度、彼女に聞いてみるとわかると思うけど、女の人って足のむくみや痛みにものすごく悩まされてる。
なので、彼女との円滑なコミュニケーションを図り、良い関係を築いて行く上で足裏マッサージは効果的だ。

あと、Hした後に彼女の腰や足の付け根(お尻の裏側)を入念にマッサージしてあげると、翌日にHの疲れ(筋肉痛になって結構痛いらしい)が溜まらないので、とても喜ばれ、キミとのHが大好きになってくれる。
(漏れ彼女からのアドバイス: Hの後のプカーっと一服は、ほとんどの女性がNGなので、そのヒマがあったらマッサージしてほしい)

生理前/中のHも、体が敏感になっているので、彼女も本当は望んでいるが、恥ずかしくて言えないでいる事が多い。
手指が血まみれになりつつ、彼女を感じさせてあげると、狂ったようにイッてくれる。
妊娠の危険性もないので、むしろHに向いている期間と言えるだろう。

また 生理中のHは、恥ずかしがる彼女の心を逆手にとって、肛門へ領域を拡げるチャンスでもある。
恥ずかしがってる彼女の手足をネクタイやベルトで縛り、クリトリスを刺激しつつ肛門をローションを塗った指で愛撫してやると、自然に肛門が開いてしまうので、最初は小指から入れてみよう(出産経験のあるマダムなら最初から感じ始める)。
感じる部分は各人千差万別なので、小指で反応を確かめ、触られてキュッと締まる部分を覚えておいて、彼女が肛門に馴れたら中指や人差し指を使って、じっくり責めてあげると、狂ったようにイキまくってくれる。
858名無し三等兵:2008/02/05(火) 19:01:50 ID:???
そろそろ飽きてきたんで本題に戻ろう。
859名無し三等兵:2008/02/05(火) 20:10:22 ID:???
本題ってMP40なんだよね?
でも今の本題はインドシナなので、質問。
カンボジア人に偽装したベトコンが跋扈していたそうで、その後のポルポト時代にも
伝統的反越南感情もあいまって、越南系カンボジア人は粛清の対象になったようです。

そこで質問ですが、一般的な越南人のカンボジアに対する感情というのはどういったものでしょうか?
860名無し三等兵:2008/02/05(火) 20:33:04 ID:aBRWoCpn
>>857
どうもあなたは先生ではないようです。なりすましは止めて下さい。
こっちは真剣なんです!
肛門は指に運子がついて嫌なので、いつも舐めるだけにしています。
足指はマッサージせずに、時々しゃぶったりしています。
整理中のHの好き嫌いは個人差があるので、あなたは知ったかぶりをしないで下さい。
861名無し三等兵:2008/02/05(火) 20:42:08 ID:OFF0eGVr
エロスレになってた
862名無し三等兵:2008/02/05(火) 20:55:08 ID:???
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【春間近!】洋服屋22軒目 【この売上まじか!?】 [店舗運営]

これは、もしかして、先生は洋服店経営?
863名無し三等兵:2008/02/05(火) 21:59:15 ID:???
>>859 越南人=キン族がカンボジア人について語る際には、常に“Ngu lam=とても 愚かな”という修飾が付きます。

カンボジアはかつて強大な国家として越南南部からタイに到る広大な領域を支配していましたが、その後衰退の一途を辿り 19世紀には ほぼ全土が越南の支配下に置かれていました。
この越南が、中国型中央集権官僚システムを逆手に取ったフランスに乗っ取られるた結果、滅亡寸前だったカンボジアは仏領インドシナの行政単位として復活します。

その後のインドシナ独立戦争の過程で、カンボジアは無力であるが故にフランスと敵対せず、越南人の血と肉で獲得された成果に乗じて独立を獲得しています。
この過程で国王だったシハヌークは、南部越南人を主な脅威と認識し、これと抗争する北部越南人とその同盟国(ソ連・中国・北朝鮮)との有効関係を強化し、北部越南人には南部への侵攻/物資輸送路であるホーチミンルートのカンボジア領通過を認めています。
その結果、カンボジアは南越南領内の戦火の飛び火を受けて、シハヌークは追放されますが、中国に支援されたポルポト派と協力する事でカンボジアに復帰します。

ポルポト政権がどのように国民を扱ったかについては詳述しませんが、国民を虐待し 統一越南を攻撃した結果、越南軍の反撃で崩壊します。
そして、越南政府は800万に上る餓死寸前で放置されたカンボジア人の面倒を見る羽目に陥ります。

人口7000万の越南が、800万のカンボジア人の面倒を見る という事は、越南政府にとって全国民の生活水準を低下させてでも食料や医薬品、被服などをカンボジアに無償供与し、
更にはポルポト政権残党による攻撃からカンボジア人を保護するために自軍を常駐させ、カンボジア人が自力で防衛できるように訓練を与える必要がありました。
とても越南一国では賄いきれない規模ですので、ソ連・東欧からも大量の支援物資・要員が送られて来ましたが、カンボジアを主に担当したのはチェコスロバキアでした。
(親分のソ連はアフガン侵攻で自分達も越南と同じような状況に陥っていましたので...)
このため、私が始めてカンボジアに行った頃は、外国人=チェッコ とカンボジア人の子供達は思っていたようで、食事中でもチェッコ、トイレに行ってもチェッコ、と呼びかけられました。
864名無し三等兵:2008/02/05(火) 22:00:03 ID:???
越南にとっては身を削ってのボランティア活動ですが、この結果 戦争からの復興途上にあった越南経済は崩壊の危機に瀕してしまいます。
しかも、同時期に越南政府のレ・ズアン指導部がソ連から莫大な借款を導入して開始した重工業化政策の負担から、越南国民は途端の苦しみを味わいました。
また、カンボジアで双方が多用した対人地雷により大量の傷痍軍人が発生しますが、社会主義化されていなかった南部で徴兵された兵士や民兵には充分な復員生活が保障できず、彼らが路上で物乞いする姿は、多くの越南国民にカンボジアからの早期撤退を希求させました。

先述の通り、カンボジア人は無力な状態で放置されていましたので、越南側は大量のカンボジア人少年少女を越南の小中学校、士官学校、専門学校に直接留学させ、越南人の肩代わりが出来る体制を、早期に構築する事を計画します。
この結果、多くの越南人は直接カンボジア人と触れ合う事になりましたが、この事は越南人のカンボジア人に対する“Ngu lam”感情を増幅させました。
端的な話“こんなバカ達のために私のお兄ちゃんは死んだの?”という感情でしたが、よそ者に強い拒絶意識のある越南ですので、留学したカンボジア人少年少女達も強烈な差別で傷つけられてしまいました。

その後、越南人の空腹に支えられたカンボジア政府軍は、1985年春の大攻勢によりポルポト派最大拠点のマライ山要塞が陥落にした結果、ようやくカンボジア政府軍は自力でポルポト派残党と戦えるだけの能力を証明する事が出来ました。
この年の12月、病気に倒れたレ・ズアンの指導力が消滅し、彼の経済政策は否定され、ドイ・モイ政策が導入されます。
そして、ようやく1988年から越南軍のカンボジアからの撤退を開始し、1989年に撤退を完了します。
865名無し三等兵:2008/02/05(火) 22:07:26 ID:???
10年に渡ったカンボジア駐留は、越南人に“あの戦争は何だったのだろう?”という感慨を、今でも呼び起こすようです。
越南人自身にとっても、この経験はまだ完全に払拭できない近過去の出来事であり、越南社会の隅々にまでその影響が及んだ大事件でした。
しかし、この体験は統一越南という国家意識を国民に確立する上でも重要な契機であり、この時期に国内で苦労した人達には、以前のような地域対立感情は残っていません。
これは、自分達の子弟が南中北の隔てなく徴兵され、共に“大義”のために戦った経験から醸成されたものと言われています。

そして、現在の越南にとってのカンボジアは経済進出の市場であり、南部の貧困な過程の婦女子にとっては手軽な出稼ぎ先でもあります(カンボジア人は白い肌の越南女性が大好きです)。

カンボジア自体は、シハヌークが王位に復しましたが その実権は援助予算を策定するEU(フランス)に握られています。
シハヌークの政党であるフンシンペック党本部は、広大な敷地を有するフランス大使館に隣接して建てられていますが、大使館内には装甲車や戦闘ヘリを有する仏軍外人部隊が駐屯しています。
一方で、国家行政は人民党(親越南の)が掌握する、という二重権力構造が続いています。

この状況が越南人が多くの犠牲を払った“大義”だったのか? その答えはまだ不明です。
戦略的にはカンボジアを越南の影響下に保つ事には成功していますし、一時期 発生し心配された民族浄化も拡大しませんでした。
しかし、ラオスのような“特別な関係”とは言えない微妙な緊張関係も続いています。
ですが、現在の一般的越南人にとってのカンボジアは“どうでも良い場所”になりつつあるようです。
最後に私がハノイで聞いた小唄を記しましょう。

“♪Toi la Viet Kieu Kampichia. Het mat tien o Kammpucia♪”
(私はカンボジアの越僑です。カンボジアで一文無しになりました)

866名無し三等兵:2008/02/05(火) 22:33:40 ID:???
>>860 肛門は指に運子がついて嫌なので、いつも舐めるだけにしています。

運子の感染力をなめてはイカンよ。 運子が付いた指は洗わなきゃダメ。
ティッシュで拭いた位で瞼に触ると物もらいが出来るw
それに、舐めるだけでは、肛門の奥にある快感の巣窟を責められない。
頑張って小指探索を続けてくれ。

>>足指はマッサージせずに、時々しゃぶったりしています。

水虫の原因である白癬菌が舌の上や喉で繁殖して 飯が食えなくなるぞw

>>整理中のHの好き嫌いは個人差があるので、あなたは知ったかぶりをしないで下さい。

こればかりは個人差があるが、生理が重い子ほど生理中のHにハマり易い。
重くなってる腰や胸を優しくマッサージしてから責め立てようw
867名無し三等兵:2008/02/05(火) 22:41:44 ID:Wc6Sf4WO
>>863
南ベトナム軍将校の先生キター
868名無し三等兵:2008/02/05(火) 22:55:25 ID:???
誤解があるようですが、私は南越南政府軍に所属した事はありません。

昔会ったラオスの越僑老人によると、私の前世はその老人の同僚だった北越南のトラック運転手だったそうで、ラオス領内のホーチミンルートで爆撃に遭い死亡したそうです。

なのでかもしれませんが、越南とは昔から不思議と縁がありました。
869名無し三等兵:2008/02/05(火) 23:06:00 ID:???
>>866
変態マッサージ師キター
870名無し三等兵:2008/02/05(火) 23:10:33 ID:???
>>869 コレコレ、愛の“電動”師と呼びたまへw

電動マッサージ器の威力は絶大だぞ。一回イクと止まらなくなるそうだ。
漏れの彼女はこれで責められながらアナルを開発されている。
871名無し三等兵:2008/02/05(火) 23:12:13 ID:Wc6Sf4WO
>>868
私は三歳位の時にB29に爆撃される中を戦友と必死に逃げ回る夢を見た事かあります
前世の記憶だったのか知らないけど不思議な夢でした
872名無し三等兵:2008/02/05(火) 23:36:03 ID:7rI1f5ej
元自、自衛隊のベトナム極秘参戦を示唆か?
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1171975586/
873名無し三等兵:2008/02/06(水) 00:32:06 ID:???
>>871 私はラオスでその老人と会ったのですが、その後 ハノイへ行って 子供の頃から繰り返し良く見た夢とそっくりな景色を見ました。

その夢は、空襲警報と思しきサイレンの音の響く中、夜空をサーチライトが照らしているのを、台所らしき土間に立って眺めている状景でした。
その記憶が前世のものなのか はっきりしませんが、非常に印象的だったのを覚えていますが、ハノイに行ってから その夢を見る事は無くなりました。
自分なりに答えが出たためなんでしょうかね?
874名無し三等兵:2008/02/06(水) 00:44:13 ID:???
>>863-865
やっぱり越南とカンボジアは簡単には拭いきれない対立が根深いのでしょうね。
まだ若かったシアヌークを、操縦のし易さから国王にしたフランスの狡猾さを見ると、
植民地の悲哀を感じます。
越南のカンボジア侵攻は、ポルポト政権をジャングルに追いやったことで
それなりの評価をする人もいましたが、越南のカンボジアに対する伝統的な心情が作用した事は
見落とせないと思います。
875名無し三等兵:2008/02/06(水) 01:17:58 ID:???
>>874 現実問題として、シハヌークには統治能力があったのか? と考えると、残念ながらNoだったと思います。
しかし、彼には“生き残る”事に飛びぬけた才能がありました。

越南によるカンボジア支配を容認しない立場のフランスや中国にとってシハヌークは重要な切り札であり、生き残ってさえいれば必ず政権は彼の基に転がって来る、という事実が 彼に力を与えていました。
しかし、その事がカンボジアにプラスに作用したか? と言えば、これもNoでしょう。

そして、ただでさえ貧弱だったカンボジア知識階級の多くが、共産主義者となってしまった事は、ポルポトの独裁を容易にしました。

敵対していたシハヌーク(農村部)とポルポト(山岳少数民族)の両者を結び付けたのが、異人の軍を力の背景としたロン・ノル将軍のクーデタだった事も、健全な民族主義、自由主義政治勢力の発展を妨害しました。

例外的に存在した民族主義政治家のソン・サン氏は、こうした状況に一貫して警鐘を鳴らしていた存在でしたが、残念ながら その声はあまりにも非力でした。
876名無し三等兵:2008/02/06(水) 01:31:49 ID:uRiU+gV+
ソン・サンはロン・ノルの部下だったんですか?
877名無し三等兵:2008/02/06(水) 02:03:16 ID:???
正しくはシハヌークなんですか。
日本ではシアヌークが馴染んでいるので取りあえずシアヌークと書きますが、
彼は政治的思想は全く無くて、ひたすら自身の権力を維持するだけの人間でしょうね。
それでも、一般民衆には大変人気があったようですが、その理由は何でしょうか。
共産主義者を弾圧する一方で、ホーチミンルートを黙認したり、北越南と中国に接近する。
フランス植民地になる前から、タイと越南に侵食されていたカンボジアですから、
生き延びる知恵として、シアヌークのような人物が現れたような気がします。
878名無し三等兵:2008/02/06(水) 02:26:09 ID:???
シアヌークの政治姿勢はなかなか理解できないのですが、
王制でありながら反米親共だったからでしょうか。
アメリカ軍がダナンに上陸すると国交断絶して反米で、
ソ連・中国の対越軍事援助物資を陸揚げさせる。
国内では左派のキュー・サムファンを重用していたのに、
経済政策の失敗を押し付けて非難して、逃げられる。
あげくに右派のロン・ノル将軍のクーデターを招く。
するとロン・ノル打倒のために、敵だったはずのポルポトと手を組む。
なんとも無定見ですね。
879名無し三等兵:2008/02/06(水) 03:50:21 ID:uRiU+gV+
>>878
なるほど、初期のロン・ノル軍が何故AK使っていたのか今分かりました。
880名無し三等兵:2008/02/06(水) 05:19:00 ID:???
私が小学生の1975〜77年頃、音楽の時間に
「ホーチミンの歌」というのをヴェトナム語日本語訳詩の両方を習いました。
さびは、♪ヴェトナ〜ム ホーチ〜ミ〜ン というもので、
日本語詩は忘れましたが、ホーチミンを讃える歌でした。
すごく熱心な女性の先生で、大好きでした。
アメリカが如何に酷い事をしてきたかも、授業でも教わりました。
今でも、メロディは覚えています。

中学生になって、その先生は日教組で、私達小学生を洗脳しようとしていたことがわかり、
ショックを受けました。教育は恐ろしい。
あの先生もそろそろ定年かな。

ホーチミンの歌はご存知ですか。
881名無し三等兵:2008/02/06(水) 08:04:22 ID:???
>その後のインドシナ独立戦争の過程で、カンボジアは無力であるが故にフランスと敵対せず

カンボジアもベトミンに相当するクメール・イサラクがあった。
しかし独立交渉でベトミンがインドシナ三国の代表出席を求めたが列強によりベトナムの出席しか認められなかった。
シアヌークはクメール・イサラクが政権に手向かわぬように
中立路線を自ら取り入れようとしたと思います。

ホーチミンルート黙認はカンボジア・ベトナムの国境問題で北ベトナムが南ベトナムよりも
カンボジア寄りの提案をしていた事が理由にあげられる。
ホールートを黙認はしたものの同時に極左のポルポト派は弾圧している。
しかし北ベトナムはとにかくホールートを黙認してもらう事が第一で
カンボジア国内の極左弾圧には特に何も言わなかった。
ポルポト派のベトナム共産主義者に対する怨恨はここから来ているともいわれる。
882名無し三等兵:2008/02/06(水) 08:13:45 ID:???
カンボジア東部はベトナム系住民が多い。
ベトナム戦争中はベトコンの匿い場所になり、その為ロンノル時代には
ベトナム系排斥が扇動されロンノル軍がベトナム系住民を隔離し虐殺する事件が起きている。
この東部は米軍の空爆がもっとも激しい地域でもあった。
ポルポトは親中路線をとり親ベトナム・親ソ連派を粛清したが
東部軍管区は激しい粛清の対象となった。

人民党にはこの東部出身者が多い。
1994年の国連監視下総選挙では120議席のうちシアヌーク派が58、人民党が51を獲得したが
人民党の基盤となっているのはこの東部だった。
883名無し三等兵:2008/02/06(水) 08:19:03 ID:uRiU+gV+
先生おはようございます。
884名無し三等兵:2008/02/06(水) 08:46:41 ID:???
「最初に父が殺された」のルオン・ウンが書いているが、カンボジア人にいわすと、
シアヌーク時代のカンボジアは豊かで食う物には困らなかったそうだ。
シアヌークがロンノルのクーデタで追われると同時に、カンボジア農村部への大規模な空爆が開始され
それまで自給国であったカンボジアは食料輸入国に転落する。
同時に難民が大量に発生し、食料は農村で生産できなくなった為
都市部住民の胃袋は米援助に頼る状態となってしまった。
援助にあぶれた農村部は農業インフラが破壊され戦中からすでに飢餓状態に入っていた。
しかし米軍が去った後、農村はこの都市部を食わせなければならない。

ポルポトはこの状態をソ連と断交した後は中国の援助だけでやっていく気だった。
そして貨幣経済を廃止し文革の下放政策を真似て都市住民を農村に強制移住させたが
前年からの飢餓とめちゃくちゃな水利・農業政策により目標どおりの米を増産できず
大量の飢餓死者を出した。
さらに旧政権関係派と資本層、ベトナム系住民を粛清し
反乱の噂のある東部軍管区の幹部を大量処刑し、ベトナム領を攻撃した。

ポト派時代にはシアヌークは幽閉されていた。その後ポト派・ソンサン派と共に、反ベトナム反人民党の共同戦線を張った。
885名無し三等兵:2008/02/06(水) 09:10:44 ID:uRiU+gV+
ソンサンについてもっと詳しく教えて頂けますか?
886名無し三等兵:2008/02/06(水) 10:16:35 ID:???
>>877 “彼は政治的思想は全く無くて、ひたすら自身の権力を維持するだけの人間”

そうですね。彼は個人の政治的権威を尊重してくれる存在だけと友好関係を結びました。
そこには定見も無く、北朝鮮でもベトコンでもポルポト派でも、何でも良かったようです。
そして、最終的にフランスと人民党だけが、現在の彼を尊重しています。

>>“生き延びる知恵として、シアヌークのような人物が現れた”

もう少し厳しい味方をすれば、シアヌークが生き延びるためにカンボジアが犠牲にされた、とも...
日本だとあまり見られないタイプの人物ですが、足利義昭のような人物と考えると分かり易いでしょう。

>>878 “シアヌークのシアヌークの政治姿勢はなかなか理解できない”

シアヌークには元々政治的スタンスが無いので仕方無いと思います。
同じように共産主義者と妥協して滅亡した存在としてアフガニスタン王家がありましたが、こちらはもう少し“輝かしい”過去を有していますので、カンボジア王家とはかなり異なりますね。

>>879 余談ですが、当時はインドネシア国軍もAK装備でした。“北京-ハノイ-ジャカルタ枢軸”という言葉もあったくらいです。
同時期、スカルノ大統領の第三夫人だったデヴィ夫人(根本七保子さん)は、北朝鮮、中国、北越南、といったシハヌークとの共通の友人達との関係を深めていました。
このため、シハヌークが計画した東京のカンボジア大使館(都心の幽霊エリアでした)の土地売却にもデヴィ夫人が関与していた事が知られています。

>>880 私と丁度同世代ですねw うちの小学校では73年頃に日教組の女性教員が越南戦争でのブービートラップに落ちた米兵の絵を生徒に見せての洗脳教育をやってました。
あまりに残酷な絵だったので良く覚えていますが、日本人の絵本作家が書いた絵でした。

ホーチミンの歌は知りませんが、78年頃に音楽の先生がピオネールの歌を教えてたのは覚えてます。
今思えば、洗脳ってのは恐怖が無いと成功しないんですね。 ほとんど逆効果だったでしょうw
887名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:02:22 ID:???
教育者も絵本作家も狂ってたんだな。
888名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:28:11 ID:uRiU+gV+
ありゃりゃ…
スルーされてるし…
そのくらい自分で調べろとの先生の愛情なんだろな
調べて来ます…
889名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:33:18 ID:uRiU+gV+
だめだ…
ソンサンで検索したらバルサンとか出てきた……
890名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:45:12 ID:???
>>885 ソン・サン
シアヌーク政権下で蔵相、ロン・ノル政権(反共親米、1970-75)で首相。
旧ロン・ノル派の流れを引き継ぐクメール人民民族解放戦線(ソン・サン派)を率いた。
ポル・ポト派、シアヌーク派と組んだ「反ベトナム三派連合政権」(1982-91)で首相。
仏教自由民主党を率いた。汚職に塗れた政治指導者たちの中にあって、彼個人は清廉で知られたようだ。
2000年死去。
891名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:49:02 ID:uRiU+gV+
ありがとうございました。
892名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:50:57 ID:???
絵本作家だの童話作家だのには変なのが結構混じってる。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage426.htm
例のイラク三馬鹿のひとりも絵本作家だったしw
893名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:56:49 ID:???
それは変なのが絵本作家とか童話作家になったケースなんじゃないかと。
894名無し三等兵:2008/02/06(水) 11:57:53 ID:???
逆に言うと、変なのでもなれる職業って事だねw
895名無し三等兵:2008/02/06(水) 12:03:48 ID:???
>>888すぐに答えがもらえないからって卑屈になってんじゃないよ。
ガキじゃあるまいし見苦しい。
896名無し三等兵:2008/02/06(水) 12:30:32 ID:uRiU+gV+
ごめんなさい
897名無し三等兵:2008/02/06(水) 13:25:51 ID:2Zq2E7Tw
ベートーヴェンコンチェルト
898名無し三等兵:2008/02/06(水) 15:58:38 ID:???
ベトナム コムプレックス
899名無し三等兵:2008/02/06(水) 17:00:56 ID:???
ベトナム・シンドローム
ベトナム戦争後遺症/ベトナム症候群
http://en.wikipedia.org/wiki/Vietnam_Syndrome
900名無し三等兵:2008/02/06(水) 17:50:21 ID:VVHNz97E
>>866
あなたはアナル大好きの単なる変態です。
セックスするだけが幸せという女狂いです。
私は彼女の人間性が好きなんであって、体目当てではありません。
セックスするのは、人間性も含めた全てを愛する過程で、
結果的にするだけのことです。
彼女がアナル大好きというなら、少し考え直しますが、
彼女は変態ではありません。
901名無し三等兵:2008/02/06(水) 18:15:30 ID:???
>>900 心配するな。アナルの快感を覚えるころには立派な変態だw
毎晩縛られてアナルをレイプされないと眠れない身体になってる。
902名無し三等兵:2008/02/06(水) 18:32:52 ID:uRiU+gV+
落ち込んでいたけど>>900見て腹筋崩壊
903名無し三等兵:2008/02/06(水) 18:51:50 ID:???
ベトコム スープレックス
904名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:06:11 ID:VVHNz97E
手相の勉強なんてやめます。
あなたみたいな変態に、惑わされている場合じゃなかった。
明後日彼女と食事するので、これからじっくり愛を育ててゆきます。
905名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:07:33 ID:???
ジャーマンスープレックス=原爆固め
ベトコム スープレックス =枯葉剤固め

ジャーマンがなぜ原爆なのか分からん。
906名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:11:45 ID:???
広島に落された原爆にドイツ産のウランを使ったからだよw
907名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:24:45 ID:???
アトミックドロップは尾?骨折りだし、
誰が超訳したのか、わけわからん。

実は、アメリカより先にドイツが原爆完成させてたんだよ。
908名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:29:36 ID:???
絵本作家で思い出したけど
図書館の司書でありながら右よりな本を焚書して
なおかつそのスペースに自分の書いたジェンフリ絵本を置いたという
トンデモ公務員がおったな。
彼女は今頃なにをしてるだろうか
909名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:35:01 ID:???
>>908 焚書の一件は覚えてたが、ジェンフリ絵本を置いたという話は初耳だ。
公立図書館の司書なんて、そんなんばっかだけどね。

どうでも良いが、医科/歯科系大学の図書館はきれいな女性司書が多いよ。
910名無し三等兵:2008/02/06(水) 19:43:29 ID:???
>>909 どうでもイクない。それ重要。

このスレは最初糞スレと思っていたんだが、
話題が多岐に渡って面白いな。
自治厨がいないからかも。
911名無し三等兵:2008/02/06(水) 20:35:32 ID:t6XyPrTZ
ベトナミアン ラリアット
912名無し三等兵:2008/02/06(水) 20:45:05 ID:xef0g54U
今隣のやつがガムくちゃくちゃ噛んでて気持ち悪い。
ぶん殴ってやろうか?
913名無し三等兵:2008/02/07(木) 00:12:47 ID:???
今もデヴィ夫人と称して高級ぶっているが、
ホステス風情が何を抜かす、ってことだな。
あれは、スカルノへの女借款だ。
914名無し三等兵:2008/02/07(木) 02:01:20 ID:???
>>887
狂っていたというのか、メディアや教育界は特にバリバリの左翼です。
公立学校で反米教育していましたし、他の地域は知りませんが私の小学校では同和教育というのがありました。
当時狭山事件というのがありまして、冤罪だ、不当逮捕だと大騒ぎで、我々小学生も
学校で色々と洗脳されていました。
中国での日本軍の暴行についても、大変事細かに教えられ、
子供の首を絞めて殺したとか、女性の局部にごぼう剣を突き刺したとか、教わりました。
小学校3年生か4年生にそんな事を授業で教えるというのは、
事実関係以前に、あまりに酷すぎます。
しかし、君が代は音楽の時間に習いましたので、近頃の国歌斉唱拒否・日の丸掲揚反対のような異常さはなかったです。

祖父が関東軍出身だったのですが、小学校の教育のせいで「日本軍=悪」のイメージがあって、
戦争中の話を聞くのははばかれました。

叔父が全学連出身だったのですが、祖父が亡くなった時に、
「戦争で人殺しをして、悪い人生だった。」と一刀両断し、
祖父が侮辱されたようで、私はかなり頭にきました。

今になって思うと、ちゃんと祖父に戦中の話も聞いておくべきでした。

最近の公立小学校では、左翼的教育をまだやっているのでしょうか。
915名無し三等兵:2008/02/07(木) 02:04:21 ID:???
>>913 パリでは高級売春婦が社交界の花形になるケースもままあるので、出自は問われない。
また、デヴィ夫人はホステスだった時にスカルノに見初められた訳ではなく、銀座の店でママさんだった時にスカルノを店内に案内して気に入られた。
スカルノへの“供与”が検討された際にも、旧軍出身の辻正信が偉そうに“反共救国の大命を帯び...”みたいな説教で生き人形として献上されるよう丸め込もうとしたが同意せず、スカルノ自身からのラブレターを受取ってからインドネシア行きを決断している。

インドネシアへ渡ってからは先輩夫人達との軋轢を乗り越え、スカルノの政治/外交アドバイザーとして台頭し、その時築いた北朝鮮や中国(もちろん、シハヌークも)との太いパイプを現在も維持している。
その後の930事件でスカルノが失脚させられると、スハルトと佐藤栄作、福田赳夫を夫の仇として狙い続けていたとも言われている。

今でも拉致問題の交渉役には最適なんだが、日本政府がスカルノを排除した経緯や、日本が政治亡命を拒否(そのためフランスへ亡命)した件などから、
外務省や自民党の旧清和会系とは長年に渡って敵対しているので、相当の報酬(金銭以外にも謝罪が含まれる)を積まない限り無理とも言われている。

こういう貴重な縁を活用できないので、日本は三流外交国と謗られる訳だが...
916名無し三等兵:2008/02/07(木) 02:04:23 ID:???
>>889
ソンサンで検索しても大して情報が得られないということですが、
ネットは所詮そんな物だと思っていたほうが良いと思います。

Wikipediaなども、最近のことについては必要以上に詳細な記述がありますが、
一方でパソコンがまだ普及していなかった1990年代以前の記事が貧弱です。
また、当時の空気を知っていた者からすると、違和感のある文章が少なくありません。
これは、パソコンが使える年齢層が若くて同時代を経験していないという事と、
参考文献をネットに頼りすぎているからと思います。

日本の戦前は暗黒時代で、戦中は食うにも困り北朝鮮のような生活だった思っている人がいたりしますが、
実際には年がら年中食うに困っていたわけではありません。
配給制になっても、カフェや食堂は昭和19年でも営業していたわけです。
戦後になってヤミ物資を入手せず餓死した裁判官が話題になるくらいで、
北朝鮮のように餓死者が続出していたわけではありません。

ベトナムに詳しい方が色々と書き込みされていますが、この方は本をよく読んだうえに実体験があるから、
博識なのだと思います。

確かにネットは便利ですが、同時代にかかれた本を沢山読むのが有益と思います。
917名無し三等兵:2008/02/07(木) 02:26:39 ID:???
>>914 漏れの父親は満洲で育ったんだが、毎年正月になると小学校の先生から年賀状が来ていた。
酔っ払うと その先生や学校での楽しかった思い出を語ってくれた。
五族協和の実践で、となりの朝鮮学校の生徒と文通させられてたのに、放課後になったら“朝鮮学校 ボロ学校!”と大声でバカにしてた、とかね。

しかし、何故か返事を出さないので、酔いが廻って来た時に理由を尋ねたら、「先生は俺達に嘘を教えたのに、訂正も謝りもしない」と言うんだよね。
要は、学校では満洲国は五族協和の理想郷で、日本は満洲の守護神だ と教えてたのに、ソ連が攻めて来た途端に満人は日本軍の将校を殺し、
乞食のおっさんが実は八路軍で軍服来て国防婦人会であいさつしたり、借りてた土地ももともとは誰かの土地で返さなきゃならなくなったり、と学校で教わった内容と 現実が全部逆だった、って事がいまだに許せなかったらしい。
正直、漏れは「許してやれよ」と思ったんだけど、優しい父が唯一拘ってた事だから、何も言わないでおいた。


にしても、日教組全盛時代の偏向教育ってのも、教育ってのは往々にして嘘を教えるものなんだって気付かせてくれた程度のレベルなんで、まだ可愛いもんだろうw
それに、愛国厨を量産した戦前の教育が、日本をどうしようもない自滅へ導いた訳だしね。
方向性は逆に取っておいたら安心ってのは、日本人の多くが内心思ってる事でもあるw
918名無し三等兵:2008/02/07(木) 07:03:26 ID:???
おっさんは、長文が多い件について。
919名無し三等兵:2008/02/07(木) 07:14:15 ID:???
団塊左翼も語りたくなってきたんだろw
920名無し三等兵:2008/02/07(木) 09:12:16 ID:bB4B3hiu
1000を前に先生方の発言を地道にメモする俺
921名無し三等兵:2008/02/07(木) 10:14:01 ID:???
wikiなんて素人でも編集できます
922名無し三等兵:2008/02/07(木) 10:16:44 ID:???
先生先生と持ち上げると長文で語りたくなります
923名無し三等兵:2008/02/07(木) 10:19:57 ID:bB4B3hiu
↑↑お願いします
924名無し三等兵:2008/02/07(木) 10:44:59 ID:???
ageの教えて厨はいつも同じ人
925名無し三等兵:2008/02/07(木) 10:45:21 ID:???
デヴィ夫人は赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」の
ホステスだったときに、スカルノにひと目ぼれされたのさ。
926名無し三等兵:2008/02/07(木) 12:27:47 ID:???
tageda
927名無し三等兵:2008/02/07(木) 14:28:51 ID:dKkkv8wJ
>>916 “当時の空気を知っていた者からすると、違和感のある文章が少なくありません。”

これは仕方ありませんね。
越南戦争当時の日本は経済大国として世界の注目を集めていた登り坂の時期で、どちらかといえばベトコンに肩入れする人が多かった時代ですし、
1990年代は東西冷戦終結+バブル経済崩壊直後で、日本が実態以上に傲慢になっていた時期でもあり、日本での商売に限界の見えた人達にとって越南は将来有望な未開市場と見えていました。
そして現在の日本は、財政破綻の危機に直面する破産直前の国家であり、どちらかといえば越南から撤退した時期のフランスや米国に近い状態と言えます。

それぞれの時代に生きた人間は、その社会の状況に大きく影響されますので、“時代の空気”の共有を理解の前提にするのは、むしろ間違った結論を後世に伝える事になると思います。
まぁ、日本の戦前が実際にはどういう時代だったのか、私には当時の資料や先輩諸氏の聞き語りから知るしか方法がないので それが現在の北朝鮮並みだったのかイラク並みだったのかを断言する事は出来ませんが...

今回、私もソン・サン氏の事をネットで検索してみて、ほとんど資料が出て来ない事に、正直驚きました。
しかし その驚きは、ソン・サン氏が無視されているかのような現状に対してではなく、その程度の人物に三派連合政府の一翼を担わせようとした、1982年当時の米国や日本の状況分析の未熟さに対してです。

実際、三派連合政府はポルポト派に若干の正当性を与えるためだけの方便でしたが、その結果としてポルポト派は国連での代表権を維持し、国土を実効支配する人民党政権の存在は国際的に認知されないまま、無為に内戦が継続されました。
そして、現在において三派連合政府の正当性を支持する人達は、日本の新左翼を除けば皆無でしょう。
(某ジャーナリスト M氏は30年も経った今でもポルポト派大虐殺をまぼろしと主張してます...)

928名無し三等兵:2008/02/07(木) 14:47:29 ID:???
超常決戦!!
アナル教師VS先生二人組
929名無し三等兵:2008/02/07(木) 14:54:55 ID:???
なんだよクソスレタイの割に良スレすぎるw
930名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:04:55 ID:???
>>928 なんだ、男もアナル調教しろってか?
昔、会社の事務室で新入社員の男の子をアナル奴隷に堕としてやった事があったが、噴水みたいにピューピュー出してたw

今だと堂本剛がジャニさんのアナル奴隷らしいが、ジャニさんって昔CIDの要員だったんだぜ。
かつての海軍軍人やらパージされた高級官僚が提出する日本情勢の英文レポートを審査する担当だったらしい。
おかげで、そいつらの弱みも握って、衆道好みの連中には若衆を提供して、日本の暗部に密接なコネクションを創った。
おかげで、何があっても大丈夫なポジションにいる。
931名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:16:27 ID:???
空気読めない荒らし必死だな。
932名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:18:21 ID:bB4B3hiu
>>930
実戦経験豊富な先生方にとって、君等敵にもならない。
僕には見えるよ
先生二人に前から後ろからサンドイッチにされてる君の姿が・・・・
933名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:24:08 ID:???
先生に質問ですけど、アオザイの女性は下着が透けていますか。
また、彼女達はそれを自覚していますか。
934名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:31:34 ID:???
>>932 受けも知っての衆道だからねw
男の場合サンドイッチは難しいぞ。前は69体勢でないと...

>>933 勿論透けてるし、本人も自覚している。
アオザイと(目立つ)色違いの下着は売春婦が付けるものという意識がある。
しかし、アオザイの若い娘には手を出すなよ。 親類縁者30人くらいが漏れなく付いてくるw
935名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:56:55 ID:bB4B3hiu
>>934
とうとう正体を現しましたね
あなたはただのアナル好きじゃなくて、ハードゲイでMで見られたい願望まである
大変態だったんですね
936名無し三等兵:2008/02/07(木) 17:12:35 ID:???
もう、コテ付けてくんないかなあ。

マダムキラー先生
団塊左翼先生
アナル大変態
アナル嫌な28歳?
中年の説教厨
937名無し三等兵:2008/02/07(木) 19:59:04 ID:???
ここはキチガイが集まるスレですか?
938名無し三等兵:2008/02/07(木) 20:39:25 ID:???
当人達はこれが面白いと思ってるらしい。
そっとしといてやれ。
939名無し三等兵:2008/02/07(木) 21:36:17 ID:???
ここは自宅警備している人のスレですか。
940名無し三等兵:2008/02/08(金) 04:06:39 ID:???
【教育】 “「日本軍、許せない!」と子供らショック” 戦争の真実歪曲を危惧する先生、引き揚げ者手記を
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1202202384/

日教組は今もがんがっています。
941名無し三等兵:2008/02/08(金) 05:32:55 ID:???
>>933
映画「キューティーハニー」でなっちゃん役の女優が白いアオザイ着てた。
ショーツが思いっきり透けてたけど白だったから別に良いのか。

942名無し三等兵:2008/02/08(金) 07:09:25 ID:???
ハノイのマダ(ry
943名無し三等兵:2008/02/08(金) 11:41:14 ID:???
ソンサンは選挙で10議席と伸び悩んで消えてった
誰を選ぶかはしょせんカンボジア人が決める事なのだろう
944名無し三等兵:2008/02/08(金) 12:46:59 ID:???
ベトナムに行ったが野菜ジュースに砂糖をたんまり入れてた
あれは気持ち悪い
945名無し三等兵:2008/02/08(金) 12:51:26 ID:???
政府軍の脱走兵は累計で100万軽く超えてたんだな。
勝機はなくて当然か。
946名無し三等兵:2008/02/08(金) 13:05:18 ID:???
>>943 “誰を選ぶかはしょせんカンボジア人が決める事”

国連管理下の選挙ではフンシンペックが第一党となりましたが、フンシンペック党を率いたラナリット王子とシハヌーク国王との内紛により同党は分裂しました。
この頃から、シハヌーク国王はフン・センとの関係を深め、自らが“越南の傀儡”と呼んだ人民党を国政を担当し得る政党として選択しています。

人民党にとって、行政は元から人民党掌握下にありましたので、国政運営にはほとんど支障が無いのですが、選挙となると やはりシハヌークの強力な人気に脅威を感じざるを得ず、シハヌークへの保護と引き換えに その支持を受ける関係は相互に利益のある関係となっています。
一時期は、シハヌークが非常時にフン・センへの譲位が可能なように親王位を与えたと言われていたため、華僑系の新聞には“洪森親王閣下”と記されていた事もあります。

一方で、父親から勘当されたラナリット王子は、実母のモニク王妃が後ろ盾となっていて、プノンペンの街中ではモニク王妃の巨大看板絵(北朝鮮風ですw)が随所に見られました。
947名無し三等兵:2008/02/08(金) 13:06:22 ID:???
しかし、ラナリット王子は既に議会でも大きな力は持っておらず、人民党に追従しつつあるフンシンペック党からも追い出され、シハヌーク退位後の王位も異母弟のシハモニ王子が継承してしまいました。
シハモニ王子はチェコ〜北朝鮮と社会主義圏だけで教育を受けた人物ですので、協力してやって行ける人物として人民党に歓迎されたようです。

余談ですが、カンボジア人には2次元の描写が非常に苦手で、映画の看板(かつては華僑・越僑が描いていた)が幼稚園児のお絵かきのようなレベルだったのを覚えています。
現在はだいぶマトモになりましたが、カンボジア人の描画能力が向上したのではなく、華僑・越僑が戻ってきたというだけの事です。

また、シハヌークのカンボジア帰国時に、北朝鮮はボディガードとして現役軍人を派遣するなど密接な関係にありましたが、シハモニ国王も平壌詣でを欠かさない金正日の友人として知られており、警護も北朝鮮軍人が担当しています。
こうした密接な関係を背景に、北朝鮮はカンボジアを東南アジア工作の基点として活用しており、外貨獲得のための“平壌冷麺館”というレストランをプノンペンで経営しています。
“平壌冷麺館”は韓国人駐在員達が しょっちゅう宴会を開いており、必ず〆で“マイウェイ”をカラオケで唄うスタイルを見る事ができます。
948名無し三等兵:2008/02/08(金) 14:21:28 ID:???
カンボジアは1968までしか戸籍調査がなされてないので
それ以降の犠牲者については実際のところ75年の推計人口から差異を割り引くとい形になるので
ポト派時代の犠牲者は70万から300万とえらく大きな差異がある。
68から75までの人口増加分と戦闘、空爆による死者数がそもそも不備な事が原因のひとつ。
949名無し三等兵:2008/02/08(金) 14:32:08 ID:???
シアヌークはインドネシアのスカルノと仲がよかったが
スカルノもまた親米派のクーデターで追い落とされてしまった。
この時期インドネシア共産党への大弾圧では30万が死んだが似たような問題を
抱えていた二人だった。
東南アジアの小国が第三勢力やら中立外交やら唱えても現実には大国に翻弄されるしかないという
代表的な例であった。
950名無し三等兵:2008/02/08(金) 14:47:42 ID:???
シハヌークの王子と孫は何人かポト派に殺害されてしまい
王族関係にもかなり殺害された者が多い
951名無し三等兵:2008/02/08(金) 14:57:25 ID:???
ソンサンは東部や農村ではいまいちだったのが10席で終わった敗因ですね。
カンボジアはほとんどが農村なのでやはり農村人気が重要でしょう。
シハヌークは全体的にまんべんなく人気があるのと人民党は人口稠密地帯の東部を
基盤においているのが有利だった。
カンボジアの場合ポト派が都市住民を敵視して迫害したり東部地域農村に猛爆がなされたり
地域によって事情が結構違うためにこうした対立構図はしばらく続くでしょう。
952名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:04:10 ID:QmnNXUkM
先生そんなに凄い勢いで書き込まないで下さい
メモが追い付かない…
953名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:12:01 ID:???
空爆による死者数は30万、50万、100万 と諸説ありますが
今となっては調べるのは難しいですね。
954名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:13:18 ID:???
みんな骸骨になっちゃったからね
955名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:15:43 ID:???
俺が政府軍ならやっぱ脱走しましたね
年に20万も脱走してれば、自分も脱走するしかないからね
そうやって赤信号みんなで渡れば怖くない式に100万人以上脱走してったのだろう
956名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:23:49 ID:QmnNXUkM
南だけじゃなくて北も脱走兵が多かったはず
ベトコンの大物も亡命してるし
957名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:28:24 ID:???
>>948 ポルポト派による殺戮被害者数を考える上で、更に問題を複雑にしているのが都市住民に多数含まれていた華僑・越僑の問題です。

特に越僑は南越南から不法に越境して来た人達が多く、カンボジア国籍を持っていませんでしたので、戸籍数には含まれていないのです。
ポルポト派は“白い肌”の都市住民を優先して殺戮しましたが、これは民族浄化の意識に基づくものだったのでしょう。

>>949 少し脱線しますが、スカルノを失脚させた主犯は日本の佐藤栄作氏と福田赳夫氏でした。
日本軍によるジャワ占領期間中に“技師スカルノ”としてインドネシア人政治指導者として育成されたスカルノは、独立戦争後の国民的人気を背景に有力政治家として君臨しました。
国際的にも非同盟諸国会議のリーダーとして活躍しましたが、反植民地主義(実態は反英米です)を軸に中国・北朝鮮・北越南といった諸国との関係を強化しますが、同時に日本との関係(癒着)も強固なものでした。

しかし、スカルノには自前の政党がなかったために、大統領としての調停機能しか果たせませんでしたので、より強固な支持層としてPKI(インドネシア共産党)の取り込みを図りつつ、国軍と拮抗させる事で自らの権力基盤拡大を図りました。
この方針は、スカルノの政治/外交アドバイザーだったデヴィ夫人の助言に従った部分が多いとされています。

対外的には、英領だったマレーシア(民族はインドネシアと同じ)の独立を認めず、インドネシアへの統合を唱えてゲリラ部隊を送り込み、マレーシアで武装闘争を繰り広げていたMCP(マラヤ共産党)を支援します。
その結果、国内では急速にPKIの勢力が拡張しますが、国連からも脱退してしまいます。
958名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:34:33 ID:???
この状況下で、莫大なインドネシア利権を有する日本のインドネシア族議員の間では、越南で共産勢力と交戦中だった米国との利害の衝突を危機する感が募り、
佐藤栄作氏と福田赳夫氏が中心となってスカルノの排除と後釜としてのスハルト擁立(スハルトは日本に育成された軍人でした)が計画されます。

スカルノ排除のきっかけは、1965年9月30日のPKI派軍人によるクーデタ未遂事件でしたが、この事件については未だに謎が多く 真相は不明のままです。
偶然発生した事件だったのか、スカルノ排除計画の一環だったのか、関係者によって それぞれの意見が述べられています。

ともあれ、この9月30日事件でスハルトは軍を掌握し、スカルノ排除という日本の目標は達成され、政権を奪ったスハルトは反植民地主義を反オランダ戦争の過去に限定する事で米英との関係を改善し、
日本の族議員はインドネシア利権を米国の国益に反しない形で確保する事ができ、その関係は現在も続いています。

しかし、インドネシアから国外へ逃亡した際に 日本政府から亡命を拒否されたデヴィ夫人は、スカルノを“殺した”スハルトと その背後にいた佐藤栄作氏と福田赳夫氏を憎みながら、未だに生き続けています。

そのスハルトも先日ついに死にましたので、9月30日事件への日本側関与についての資料も今後はボツボツ出てくるものと思われます。
関係者で生きてるのはデヴィ夫人だけですが、国家賠償請求でも起しかねない人ですから... 面白い事になりそうですw
959名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:36:49 ID:???
脱走が多ければ軍隊は成り立たなくなるわけで
やっぱその辺から先は見えてたのだろうね>政府軍

韓国軍からは脱走者は出てないのがさすがだね。
960名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:39:22 ID:???
>>956 北越南からの亡命は、交戦中に投降した軍幹部のケースと、戦後になって難民認定枠を使って逃亡した政府高官が何人かいたと思います。
ベトコン幹部にも戦後になって逃亡した人達が多数いますので。
961名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:45:44 ID:???
>>950 シハモニ現国王も、留学中にポルポト派に騙されてカンボジアに呼び戻され 殺されそうになっていますが、事態を知った金正日が中国を通じてポルポトに圧力をかけ、殺されず幽閉されるだけで済んでいます。

無責任国王のシハヌーク自身も、ポルポト派と反越南で連合している立場なのに 「越南が来なければ、我々はみんな殺されていた」と発言し、中国・日本があわてた事もありました。
962名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:47:16 ID:???
東南アジアのクーデタなんぞ日本にできるわけないだろう
やっぱ背後にいたのはキッシンジャー
963名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:53:50 ID:QmnNXUkM
>>961
プノンペン陥落後にタイに逃亡したロンノル軍のパイロット達も騙されて帰国して
撲殺されたそうですね。
964名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:55:07 ID:???
戦後逃亡したベトコン幹部ってこの場合何人くらいなんでしょう。
チュンニュータンくらいしか知らないんですが
他には誰かいましたっけ。
965名無し三等兵:2008/02/08(金) 15:58:01 ID:???
日本軍にも脱走兵がいてベトミンに加わっていますね。
ジェンキンス氏やらどこの国にもいると思いますが、韓国軍は本当に脱走がいなかったのでしょうか?
本当ならばそう馬鹿にしたものでもないですね。
966名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:00:23 ID:???
>>962 キッシンジャーは1965年当時 まだ民間人でしたので...

キッシンジャーがインドネシアに関与したのは、インドネシア軍の東ティモール侵攻時でした。
東ティモールのすぐ横には太平洋側からオーストラリアへ抜ける原潜の通り道である海溝があり、この確保と引き換えにインドネシア軍の侵攻を容認したとされています。

日本人は意外と忘れていますが、インドネシアとビルマにとっては 日本が宗主国です。
このため両国への日本の関与度合いは、朝鮮半島を除く他のアジア諸国の中では飛びぬけて濃密です。
(ビルマは国名変更後 急速に中国に侵食され、現在は中国の植民地状態ですが...)

これは、両国の政治指導者と軍が 日本によって育成されたためですが、このため両国は戦前/昭和の日本の影響を強く受けた官僚機構と軍を有しています。
(人権無視の悪しき習慣も しっかり引き継いでいます...)
967名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:08:27 ID:???
日本が日本の意思で東南アジア政権の転覆を行っていたとは・・
日本の影の外交能力も捨てたものではないな
968名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:20:55 ID:???
>>964 私も“ベトコン”幹部と自認して亡命した人が何人いたのかは知りません。
“ベトコン”幹部でしたら米国は受け入れてくれませんので、身分を隠して米国へ亡命している人もいるでしょう。
(その中の多くがスパイとしての使命を帯びているのも越南クオリティですw)

チュォン ニュ タン氏の亡命に際しては、ベトコン関係者で一隻の船を共同で準備して脱出したと記されていました。
その後は、政治亡命者としてデヴィ夫人同様 フランスが受け入れています。

>>965 日本軍からベトミンに参加した兵士は、名目上脱走ですが 他の軍隊に参加しているので戦闘を忌避した訳ではありません。
韓国軍に脱走兵が少なかったのは、脱走した際に母国の家族に加えられる凄まじい迫害を恐れる心理がブレーキになっていたようです。
しかし、戦闘中に行方不明になった兵士も多数いますので、こうした兵士の中には北朝鮮へ送られた人もいた事でしょう。

また、韓国人は兵士の他にも港湾建設や米韓軍出入りの業者として多数の民間人が越南に来ていましたが、1975年のサイゴン陥落時に米軍の回収作戦の対象としてもらえず そのまま6000名近くが残留しました。
彼らの中には、帰国して共産スパイ扱いされるのを恐れて その後も統一越南に止まった人達も多く、サイゴンには韓国人居民団が存在しましたし、その後の越南の対外開放後に韓国企業が日本企業に先んじて越南市場を席巻できた原動力にもなりました。

現在でも多くの韓国人が越南に住み着いており、外国人小規模商工業者としては華僑に次ぐ勢力となっています。
韓国人が越南に適応し易い理由のひとつには、漢字起源の越南語の語彙発音が韓国語と似ている点が第一に挙げられると思います。
また、儒教の影響が強い社会である事も、重要な要素でしょう。

日本では評判の悪い韓国人ですが、私が知る限り南越南においても それほど ひどい評判は聞きませんでした。
一番評判が悪いのは、ヤクザが多い台湾人で、企業を装っての人身売買や奴隷労働など およそ台湾人について良い評判は聞きませんでした。
969名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:21:42 ID:???
当時の南べ軍の脱走率は歴史上の現代の軍隊の中でも異常に高かったそうです。
米の政治家も徴募で全く集まらない事や脱走率の高さを嘆いていますが
年間10万20万と脱走されては、そこに派遣している自国の若者にも申し訳が立たないですからね。

970名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:29:55 ID:???
次スレタイトル
【マダムキラー】もの凄い勢いでベトナムのことを書くスレ【アオザイ】

>>967
「日本の意思で東南アジア政権の転覆を行っていたとは・・ 」の文頭に、
「アメリカの国益を損ねない範囲で」と但し書きが付く。
インドネシアやビルマへの影響力は、戦中の独立勢力の養成や戦後の独立戦争に
日本兵が関わったから。日本軍が撤退する際に武器が譲り渡されている。
 田中角栄のように突出して資源独自外交をインドネシアで展開すると、失脚する。
971名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:31:25 ID:???
韓国人はダイハンとよばれ日本人が間違われて襲撃される事があったそうだ
司馬遼太郎の本にも当時南越にいってダイハンと間違われて危なかった事が書かれていた
972名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:34:15 ID:???
クソスレから良スレへ
973名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:35:14 ID:???
長文の人は新聞記者ですか?
974名無し三等兵:2008/02/08(金) 16:40:49 ID:???
先生は「ベトナム軍って、最強じゃない?」スレからいる古参兵
975名無し三等兵:2008/02/08(金) 17:18:06 ID:???
>>969 “年間10万20万と脱走されては、そこに派遣している自国の若者にも申し訳が立たない”

これと同じ事を1963年の段階でケネディが言っていますね。
“サイゴン政府が国民の支持を得るためにより大きな努力をしなければこの戦争には勝てない。最終的にはこれは彼らの戦争だ。勝つか負けるかは彼らにかかっている。”

実際に越南戦争が越南人のみで戦われるようになった10年後、南越南政府はあっという間に崩壊してしまいました...


>>970 インドネシアでは独立宣言を出させただけで、日本軍が武器を渡した訳ではありません。
また、インドネシア独立戦争に参加した日本兵が多かったのは事実で、私の母方の祖父がいた部隊からも何人かが行方不明になって独立軍に参加したそうです。

ビルマでは戦争末期にビルマ軍が日本軍を裏切って攻撃していますが、後に政権を握ったネ・ウィンと日本に“特別な”関係が存在したため、ネ・ウィン時代のビルマは日本を宗主国としていました。
976名無し三等兵:2008/02/08(金) 17:20:22 ID:???
>>971 私も実際に越南へ行くまでは、越南戦争中の韓国兵の悪逆非道ぶりについて日本で多くの情報に接していましたので、越南人の多くは韓国人が嫌いなのだろうと思っていました。
しかし、実際には「韓国企業で越南人従業員が鉄拳制裁を受けた」という話が越南人の怒りを呼んでいた程度で、戦争中の話は北部越南では ほとんど知られていませんでした。

また、南部でも韓国人は普通に越南社会と付き合っていましたし、越南人の若い人達の中には同年代の韓国人達と“義兄弟”になっている者や、自分の姉妹との交際を許している者も多かったので、“あれれ?”という感じで拍子抜けしたのを覚えています。

現実に大規模な投資を行い、越南人従業員達ともうまい事やっている訳ですし、言論を統制している越南政府としては、あえて過去を穿り返す気はないようです。
また、分断国家の悲哀を知る越南人にとって、韓国と同じ立場に立たされた場合の事も想像できるのでしょう。
実際のところ、米軍が行った非人道的行為の方が、はるかに大規模かつ悪質でしたし、その米国とも国交を正常化させた位ですから...

それに比べて、中越戦争で大損害を受けて敗れた中国や、日々犯罪人として検挙された記事が新聞に載る台湾人への感情は、遺伝子レベルからの敵意が背景にありますので、執拗かつ徹底しています。
越南人の子供から老人にまで“中国は悪い国?”と聞いたら、恐らく全員が“悪い国!”と答えると思われますし、“台湾人ってどんな人達?”と聞けば“犯罪人!”と答える事でしょうw

また、越南戦争中の韓国兵の悪逆非道ぶりについて日本で喧伝したのが、韓国の軍事政権と対立していた北朝鮮に近いジャーナリストや文筆業者だった点も、よく考えてみる必要があるでしょうね。
977名無し三等兵:2008/02/08(金) 17:48:20 ID:9z1YDaVh
面白いスレになってる
978名無し三等兵:2008/02/08(金) 18:03:37 ID:F98Bh6w7
次回もクソスレタイにしときゃ荒れなくて済みそうだな
979名無し三等兵:2008/02/08(金) 18:05:57 ID:???
次スレ【ベトコンがガーランド使ってたって本当?】
980名無し三等兵:2008/02/08(金) 18:34:27 ID:???
次スレ「千明様のお面を被ったベトコンっていたの?」
981名無し三等兵:2008/02/08(金) 18:38:32 ID:???
次スレ「ベトコンて、アナル調教されてたの?」


次スレ建てようや
982名無し三等兵:2008/02/08(金) 19:35:32 ID:???
次スレ「ベトコンて、岐阜県でラーメン屋を経営してたの?」
983名無し三等兵:2008/02/08(金) 20:05:01 ID:???
ホンカツの「戦場の村」だと韓国軍にかなり好意的な描き方してた覚えがあるけどな。規律正しい精鋭。
984名無し三等兵:2008/02/08(金) 20:35:54 ID:???
先生次スレにも来て下さいね^^
985名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:24:23 ID:???
>>983
規律正しく、混血の子供を残していったわけだ。
986名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:25:47 ID:???
ベトちゃん、コンちゃん。
987名無し三等兵
ホンカツの本を真に受けてる辺りがイタイ