闇の主計&輜重部隊ww
何処からともなく現れ、糧秣と物資を置いて去ってゆくという・・・・
>>919それが採取されていた場所は、バリウム渓谷というところではなかったか
あれだ。
Aチームの銀蝿&料理人部隊だw
角砂糖にしろ塩塊にしろ、
まずそれらで飽和溶液を作っておいてから
それを超える量の粉末を持ってきて
「湿らせて」乾燥させる
だから何だゴルァ!
海外派兵のときは
鰹節もってけ
昔の日本人って白米だけでも満足してたって本当なのか
俺付けあわせか汁物がないと食えんぞ
塩むすびなら、沢庵がひと切れあればじゅうぶんいける
おむすび美味しいよおむすび(*´д`)ハアハア
米一升というのは戦国時代の兵隊の一日分ときいたことがある。
だったらオカズ無しでひたすら米食ってたんだろうな
ハアハア言いながら
味噌や汁をおかずに食べてたんだよ。
米と味噌は高カロリー、高タンパクの理想的な組み合わせだった。
ビタミンとかそういうところの不備は無いのか?
>>933 白米と言っても、今よりは格段に精米能力が低かったから、それなりに補えてる
>>934 あとは量で補うんだろうな。
体のほうもそういうのに適応した腸内バランスだったんだろうし。
>>934 だったら戦闘期間の1ヶ月やそこらは、
脚気にもならずに大丈夫だったってことか
そのうち自衛隊の缶飯で「16雑穀ご飯」が出たりしてな。
今はジュースにもビタミンが入る時代だ
>937
なんか、健康食品として売れそうだな。
>934
賄えなかったから、「江戸わずらい」なんていう話になるのではないですか?
>>940 江戸の人は、「(当時としては)非常に丹念に精米された」白米を食べてた
それと、地方では当たり前に食べられてた副食(野草や昆虫)がなかった
>933
知ったかぶりは恥ずかしいのう
↑ワリ、>934にだ
つーか、江戸の人は白米を有り難がっている分、副食物が粗末だった。
粋がってお茶漬けとか食っているもんな。
>940 「江戸わずらい」として江戸の風土病扱いだったって事は、それ以外の地域では問題なかったという事では?
大阪腫れなんて名前もありましてな
当時の農村部の対比としての都市における市民の食生活に問題があったわけですわ
戦国から江戸初期に掛けて武士や庶民は大豆味噌よりも糠味噌を食う割合が多かった。
糠味噌で味噌汁とか今じゃとても食えない気がするが栄養的には非常に良かった。
大豆味噌はいざというときエネルギーを発揮する為の取っておきだったそうな。
>935
確か、ビタミンB1は糖分をエネルギーとして利用するときに必要なんで、
「量で補う」のは無理だと思う。要求量の方も一緒に増えてしまうわけだ
から。
949 :
名無し三等兵:2007/10/03(水) 23:39:34 ID:1Y0CanEI
>>947 豆味噌を常食する三河武士は精強という話も聞いたことがあるな
江戸患いが流行った時は決まって豊作の年でしたの
白米好みの江戸っ子気質が災いしたのも事実
浪人などは、箸の先に醤油を付けるだけのオカズって珍しくないし
そんなに困ってたなら、仕事人も本当にいたのかもしれないな
952 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 09:18:51 ID:AaFHD0M3
日本人は米飯と味噌汁だけで必須栄養素を全て補えるのかな?
953 :
突撃兵:2007/10/04(木) 10:04:59 ID:???
そういえば、ちと前に新聞の広告欄にご飯だかおむすびとみそ汁で大丈夫という栄養士の本があったから元看護婦兼助産婦の祖母に聞いたら主食が白飯じゃなく麦メシか玄米でみそ汁が豚汁かけんちん汁じゃないととうてい栄養が足りないそうだ。
少なくともみそ汁は今のお上品なのではなく具沢山だったような気が
>>944 茶づり、茶づる(ずる)とかなんとか。
遊郭じゃ通の食い物とされたそうだね。
凝ったものも作られたとか。
(たとえば、見た目はシンプルだが、使ってるのは極上米、
お茶は下りものの高級玉露、水は多摩川の羽村取水堰付近から
当日朝にくんできたw 漬け物も最高級品。)
そういえば戦国時代は「湯漬け」が戦場でもてはやされたのに、
近代以降はほとんど聞かないな。
夜食向きって気もするのだが。
昭和はじめくらいまで、東京では具沢山のみそ汁は田舎くさいと嫌われたと読んだことがある。
>>955 湯漬けは冷や飯を食うための手段に過ぎない。戦後も、家庭に
電子レンジが普及する以前にはよく行われた。
>>952 +納豆と野菜(もやしでも可)が必要
米は麦を混ぜるか、7分8分搗き、又は玄米を圧力鍋で調理(普通にやると吸収率が悪くて無駄になる)
玄米はよくよく火を通さないとダメだから、急場では白米が威力を発揮したそうな。
959 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 19:56:49 ID:FP66dLxx
吉川ビスケットについて教えてくだちぃ
>>955 戦国時代なら室町幕府の頃の「湯漬け」を引きずっているだろうから、実は小腹が空いたから適当にサラサ
ラな代物ではなかったかも
ご飯を固めに炊いて、洗って粘り気をとり、お湯を掛ける
お湯と言っても実は出汁....
風船爆弾ゆかりの地、埼玉県小川町名物の「忠七めし」に近いものかな。
結構美味かった。
鎌倉時代ではおかずとして焼き味噌や梅干とか後乾物を持っていたよく聞いたが・・・
味噌は一体何味噌だ?
尻味噌じゃ
北条時頼(鎌倉幕府5代目執権、時宗の父)は
部下を呼び出し、酒と味噌だけで一晩飲み語り明かしたとか
徒然草か
質素な武士の鑑とも言えるし、筋金入りの酒飲みとも言えるな
当時は、つまみに味噌を食えるだけでも、
割と贅沢なんじゃないのか?
料理に下品も上品もないと思うおれは異端だろうか
食い方に下品はあるがな
ちなみに下品な食い方をする奴はつばを吐きかけたくなるほど嫌いだ
唾を吐きかけたくなる、とかいう表現自体が下品だ
糒で一献!
上杉鷹山の家老
971 :
名無し三等兵:
高野豆腐みたいなのは携行食や野戦食として用いられなかったのかな?