1 :
名無し三等兵 :
2007/06/23(土) 09:44:21 ID:mY0EdTHN ペリリュー島を守備していた日本軍は、水戸の第十四師団座下の歩兵第二聯隊を主力とした地区隊(隊長・中川州男大佐)一万二千名。 ペリリュー島守備隊は完全に補給も途絶え、食糧もない中、七十三日間にも亘る死闘を続けた。その最後を迎えた時、中川大佐、そして第十四師団から派遣されていた村井権治郎少将、飯田義栄中佐の三人は、それぞれ古式に則って割腹自決。 三人のあっぱれな最期に続けとばかり、根本甲子郎大尉以下最後の決死隊が組織された時、残る兵員は傷だらけの五十五名のみ。 軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、十一月二十四日の十六時。 このたった六文字の電文こそ、ペリリュー島守備隊全員が桜花のごとく散ったことを意味するもので、一万人有余名の兵の死をもって謳いあげた世界で最も短かく簡潔な詩と言われている。
2 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 09:45:40 ID:???
一等自営業阻止!
3 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 09:48:47 ID:???
諸国から訪れる旅人達よ この島を守るために日本軍人が いかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ
4 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 09:51:44 ID:???
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見 られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制 海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占 領したことは、今もって疑問である」 米太平洋艦隊司令長官、ニミッツ海軍元帥
5 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 10:00:20 ID:???
パラオの島民は、日本人を慕っており、ペリリュー島に住んでいた大人も子供も日本兵とともに戦う決心をしていた。 しかし日本軍はこれを押しとどめ、夜間を利用して住民全員をパラオ本島に退避させた。 戦いが終って帰島した彼らは、そこかしこに放置された日本兵の遺体を見て涙し、日本兵の墓地を作ってくれた。 「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに征服民族の本性を見る」 として、こぞって日本軍の遺体を葬ってくれたのだった。
6 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 10:55:19 ID:???
土人とメロドラマなんかやってらんないよw
7 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 11:08:13 ID:???
8 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 11:22:52 ID:???
9 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 12:14:17 ID:???
>>6 そうそう、「帝國陸軍が土人と共に戦ったなど不名誉なマネが出来るか!!」って言って、
一緒に戦おうとする原住民を追い返したらしいね。
10 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 12:20:27 ID:???
このスレはいつ落ちるかな
11 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 12:33:56 ID:???
ペリリュー島かあ。イオージマの陰に隠れてて地味なんだよねえ(´д`)
12 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 12:37:19 ID:???
陛下も宮城でガッツポーズ
13 :
名無し二等兵 :2007/06/23(土) 12:49:31 ID:b5NhUJCk
>9 その続きのエピソード読めよ
14 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 13:12:05 ID:???
15 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 13:13:05 ID:r7jitOjH
硫黄島の戦いは、パラオの戦いを教訓にしてるんだよね。 遊就館のパラオ展はとてもよかった。思わず涙ぐんだよ。
16 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 13:46:07 ID:r7jitOjH
17 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 13:52:32 ID:r7jitOjH
18 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 14:12:28 ID:r7jitOjH
>>16-17 その歌を歌える人は、もういないんじゃないかなぁ。
[ 靖國神社の桜の下で『同期の桜』を歌う会 ]という団体があるけど、
そこの歌本にも載ってないよ。
19 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 14:49:09 ID:???
日本軍 戦死者 10,695名 捕虜 202名 アメリカ軍 戦死者 2,336名 戦傷者 8,450名
20 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 15:43:47 ID:r7jitOjH
21 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 15:49:41 ID:???
まともな軍隊なら、敵上陸後一週間後、飛行場を占領された時点で守備隊は降伏すべきなのだが、 降伏することが許されない軍隊では、全員死ぬまで戦闘を止められない。 これは誉めるべきことか。
22 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 16:22:40 ID:r7jitOjH
>>21 南洋の守備隊は、上陸されたら即降参すれば良かったのに。
米軍は捕虜が多くなりすぎて、前に進めなかったかも。
生きて虜囚の辱めを受けずという教育がいけなかった。
当時の情勢:
1943年10月2日 ソロモン群島中部のコロンバンガラ島の日本軍撤退
1943年10月6日 ベララベラ島の日本軍撤退
1943年11月23日 マキン島の日本軍玉砕
1943年11月25日 タラワ島の日本軍全員戦死
1944年2月6日 マーシャル群島のクエゼリン、ルオット両島の日本軍玉砕
1944年6月15日 米軍サイパン島に上陸
1944年7月6日 サイパン島玉砕
1944年7月21日 米軍グアム島に上陸
1944年8月3日 テニアン島の日本軍玉砕
1944年8月10日 グアム島の日本軍玉砕
1944年9月15日 米軍パラオ群島のペリリュー島およびニューギニア西方のモロタイ島に上陸
1944年11月24日 ペリリュー島玉砕
1945年3月1日 硫黄島の日本軍全滅
1945年4月1日 米軍沖縄に上陸
1945年6月23日 沖縄守備隊玉砕
23 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 16:26:14 ID:???
邪魔な捕虜の扱いなんて、古今東西同じ処理方法じゃね?
24 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 16:29:19 ID:r7jitOjH
>>22 >当時の情勢:
もっと早く降参すれば良かったのに。3年早く降参していたら…。
南方から撤収させる船がもう残ってなかったんじゃないのかな…。
だから玉砕を強要されたと見ることもできるよね。
海自は、ましゅう型補給艦やおおすみ型補給艦の数を増やすべき
ですね。
25 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 16:30:33 ID:r7jitOjH
26 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 16:34:21 ID:r7jitOjH
自衛隊は国際的にはゲリラ扱いだったらしいけど、 国際貢献したからもう捕虜として扱われる資格は あるんじゃんないの??? 夜にまた来るかも。
27 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 16:47:24 ID:wetMH4YP
三笠宮もアル中で、宮内庁病院に入院するし さんざん国民の税金の血税で、酒飲んで、アル中治療1ヶ月の予定 入院費用もすべて税金使用 雅子も去年は、1億円使って、欧州まで治療旅行で血税の税金使用 相変わらずこういう国で、せっせと血税の税金納める「臣民」の義務
28 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 17:09:09 ID:???
ブッシュ閣下に税金で給料払ってるアメリカ人への挑戦ですか?
29 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 17:15:43 ID:???
>>23 味方の日本軍よりも、敵のはずの米軍の方がずっと安全で、人道的だった。
日本兵達は捕虜になった仲間が口を割るだろうという脅迫観念に捕われ、抜け駆けを許さず互いを監視しあっていた。
集団心理が災いして結局誰も死にたくないのに玉砕するハメになった。
本当に部下の命を重んじた指揮官なら皆の投降を決意し、無用な血を流さなかった事だろう。
30 :
名無し三等兵 :2007/06/23(土) 19:22:09 ID:???
>>26 いや創設以来一貫してジュネーブ条約的には軍隊ですよ
31 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 03:23:24 ID:???
32 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 05:32:35 ID:???
パラオの本部まで、泳いで戦況を伝えに行ったのは、ペリリュー島だったっけ?
33 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 13:22:09 ID:???
サアッー!クラ
34 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 14:43:31 ID:kdTrULfB
35 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 15:29:23 ID:xzDmLFrN
かなり昔 ケーブルテレビのヒストリーチャンネルとかで アメリカ海兵隊の生き残りの証言とかで アメリカの上陸部隊もヘマをやったらしく大損害 アメリカ軍の兵士も上官のヘマも証言していたら 上官もヘマを認めて、涙目になっていたのには驚いた 米軍兵士の証言で、小舟艇で海岸付近で負傷兵救助してたら日本軍の砲弾が直撃 ダメかと思ったら、不発弾で不発で爆発せずそのまま奇跡の帰還
36 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 15:48:45 ID:???
米軍のヘマは日本軍が狡猾で残忍だったで、普通は済むんじゃなかったのか?
37 :
名無し三等兵 :2007/06/24(日) 16:23:23 ID:kdTrULfB
ヘマをするという事は、人が死ぬということだからなー。
38 :
名無し三等兵 :2007/06/25(月) 11:23:38 ID:Th17xLpZ
>>22 戦わずに島ごと放棄して部下を犬死にさせなかった天晴れな
指揮官はいないの?
39 :
名無し三等兵 :2007/06/25(月) 11:45:10 ID:???
40 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 14:23:25 ID:???
>>39 上の方の命令で撤退したんじゃん。
がんばったけど敵の猛攻の前に壊滅して、もはや有効な抵抗が出来ません(>_<)
ってなる以前に勝手に降伏したら、戦後になってお国に帰ったら逮捕されて利敵行為で銃殺ですよ。
41 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 21:13:37 ID:???
それでも大勢助かったんだからよかった。 しかし日本が敗戦したのになんで降伏して戦後に銃殺されなければならないんだ?
42 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:19:34 ID:???
敗戦は予想できるだろうけど、帝国陸海軍が消えちゃって 別に利敵行為になるような降伏しても軍法会議で吊るされるの心配ないとか 予想できないしね?
43 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:25:54 ID:d+37N4yn
ペリリューの敗残兵って昭和22年頃まで地道にゲリラやってたんだっけ? 敵のカービンやらを使って。
44 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:27:51 ID:???
45 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:29:19 ID:???
昭和22年3月下旬、元海軍少将澄川氏の説得に応じて投降した。
46 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:30:18 ID:iIkQlagm
水戸は兵隊が強かった
47 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:31:21 ID:???
山口少尉以下34名の大部分は、米軍が第一正面として上陸した西浜の守備隊であったが、 正面突破を諦めた米軍が迂回作戦をとったため、本来、最初に戦死したであろう34名は、 生き残ることとなった・・・。
48 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:35:57 ID:???
>>46 歩兵第二連隊は、満州から転進してきた部隊だからね。
49 :
名無し三等兵 :2007/06/26(火) 23:48:36 ID:RC7exhYB
サイパン島の投降兵の手記を読んだが、その人も敵の上陸正面に いた。そして所属部隊が統制を失ってバラバラになったため なかば遊兵になり、敵とのガチンコ的な戦闘に参加することがなく、 島での戦闘が終息するまで生き延びている。
50 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 04:49:04 ID:???
>>49 生き残った人のパターンって、やっぱりこの手の理由が多いのかな?
51 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 06:22:04 ID:???
52 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 12:13:41 ID:vVsbQGFd
水木しげるさんは逃げた。
53 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 13:57:10 ID:???
>>29 まあ、収容所まで無事に着ければね・・・米軍も例外じゃないぜぃ。
さっきまで戦ってた相手に降伏するのは危険、海兵隊が相手だとさらに危険。
降伏するなら外国マスコミに当たりをつけて
「これから降伏するぜい、取材に来ると良いぜい」とか
保険をかけとけば安全だぜぃ。
54 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 17:59:38 ID:???
>35 お前ヒストリーチャンネルヲタか? 奴等の放送を鵜呑みしすぎる、「真実などどうでも良い、勝った事で歴史は作られる」と明言をはばならない輩である事を肝に銘じるべし。
55 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 18:20:19 ID:???
56 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 19:13:45 ID:vVsbQGFd
水木さんは、ラバウルの守備隊で歩哨に立ち居眠りした。 早朝、美しい朝焼けを双眼鏡で眺めていた。その時、 敵襲があり、守備隊(小隊)は全滅した。この時に、 中隊に逃げた。 水木さんが左手を失ったのは、中隊が爆撃された時。
守備隊が全滅したのは水木さんの所為では?
58 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 20:17:19 ID:R2SHxbvU
うちのじいちゃんはニ連隊の重機関銃手だったよ 南方(多分ペリリュー)に転進する時に任期満了なった為に内地に帰って来る事が出来たみたい 死ぬ間際まで戦友の事気にしていたよ(´・ω・)
59 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 20:29:19 ID:???
>>29 >敵のはずの米軍の方がずっと安全で、人道的だった。
釣れるか?w
60 :
名無し三等兵 :2007/06/27(水) 20:57:26 ID:???
>>57 軍医が頭がおかしいって(わざと)診断して内地送りになったんじゃね?
61 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 01:02:39 ID:???
ペリリューでは日米軍が銃剣による激しい白兵戦が他の島嶼戦以上に展開されたって本当?
62 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 04:46:13 ID:???
>>61 米軍の上陸地点だった西浜で白兵戦になったらしいね。
その時の流血で海がオレンジ色に染まったことから、
「オレンジビーチ」って名前が付いたっていう話だよ。
63 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 05:36:06 ID:???
生き残った元日本兵の証言 「西浜にタコツボを掘って待ちかまえていたんです。艦砲射撃が止んだと思ったら目の前に米兵が迫っとる。 夢中で銃剣を突き立てたです。両軍入り乱れての白兵戦になりました。 これで部隊の半分以上がやられてしまいました・・・。」
64 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 05:37:36 ID:???
最も、米軍側の損害も大きく、西浜を迂回する形で再上陸している。
65 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 17:59:05 ID:???
>両軍入り乱れての白兵戦になりました。 これで部隊の半分以上がやられてしまいました・・・。」 つまり銃剣格闘で西浜の日本兵が半分刺殺されたってことだよな? 日本軍て白兵戦はそんなに強くなかったということが証明された。 米海兵隊は白兵戦が強いし
66 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 18:04:03 ID:???
体格差があるもんな。
67 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 19:38:52 ID:???
>>65 刺殺だけとは限らんだろうよ。
アメさんはトンプソンやガーランドなんだぜ。
68 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 19:42:55 ID:???
>>65 迂回して再上陸したのなら、海兵隊が撃退されたということだろ。
まあ、米軍にとっては火力の差を生かせる戦闘のほうが合理的でもあるが。
69 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 21:09:22 ID:???
米軍も一万以上の死傷者を出してるけど これの大半は上陸時に日本軍の水際作戦でやられたもんなのかな。 米軍が上陸して橋頭堡を築いた後は 日本軍はどんな抵抗したんだろう?
70 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 21:10:20 ID:???
>>65 >日本軍て白兵戦はそんなに強くなかったということが証明された
あのな、海兵隊をこの時の戦いで撃退してるんだよ。
だから迂回して再上陸するハメになったんだぜアメリカさん。
71 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 21:10:33 ID:???
日本軍が米軍相手に善戦した戦いって タラワ、ペリリュー、硫黄島、沖縄 あとあったっけ?
72 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 21:12:01 ID:???
73 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 21:13:20 ID:???
>>71 一応、ラバウルも入れてやってくれ。
ここは終戦まで守り抜いたからな。
74 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 21:28:26 ID:???
>洞窟陣地に籠城しての徹底抗戦。 硫黄島と同じような戦い方だったわけね。 それにしても海兵隊って御馬鹿だよね。 正面突破ばかりを図ろうとするから死傷者が続出w 陸軍の方が地道に攻略してるね。
75 :
名無し三等兵 :2007/06/28(木) 22:55:20 ID:szGMFvhU
>>67 トンプソンの存在はでかいよな。こっちは拳銃だし・・・
76 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 07:52:22 ID:DzU1VC8D
>>75 拳銃って・・・。
いくら何でも小銃や軽機も持ってるよ。
77 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 09:09:57 ID:auTPUEmW
78 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 09:25:45 ID:auTPUEmW
>>57 生き残った人たちの魂には、戦争の爪痕が残っている。
>>60 水木さんは左手を失ってからは、度々兵舎を抜け出して
原住民の村で遊んでいた。
79 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 09:27:36 ID:???
サクラ,サクラか 涙の出るスレタイだな...............
80 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 09:43:47 ID:???
白兵戦では強くないが、英霊とか靖国とか宗教に熱心なのが旧軍
81 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 12:05:54 ID:???
>66 当時の米兵の平均身長は170a以下、体格も現在に比べ痩せていた。 理由、世界恐慌時代に生まれた世代である彼等は、幼少時の栄養不良が原因で小柄な体格であった。 まアー日本兵よりは少しは大きかったろうが。
82 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 12:09:21 ID:???
ソースはモデルグラフィックスの編集後記か
83 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 14:58:42 ID:5y5uvkmn
ちなみにWW2当時のオーストラリア兵の体格の平均値は、21歳男性の場合で
身長5フィート7.6インチ(約171.7センチ)、体重147ポンド、胸囲36.9インチ。
身長5フィート(152.4センチ)以上が入隊の条件。
> Enlistment statistics and standards Second World War
> 3rd September 1939 to (VE Day) 8th May 1945 and (VP Day) 15th August 1945
(中略)
> Second Echelon, A.H.Q., examined the records of more than 25,000 men of the
> army with the object of discovering their average height, weight and chest
> measurement on enlistment. It found that the averages for men who were 21,
> for example, on enlistment were: height, 5 feet 7.6 inches; weight, 147 pounds;
> chest, 36.8 inches. The average height for various age-groups ranged from 5
> feet 7 inches to 5 feet 8.4 inches (the latter for a relatively small sampling
> of men aged 44).
(中略)
> Also, the Government enlarged the field of enlistment (June 1940) by raising
> the upper age limit to 40 and reducing the height to 5 feet. In 1939 the mimimum
> limit had been 5 feet 6 inches. In the previous war the minimum, originally 5
> feet 6 inches, had been reduced inch by inch until, in April 1917, it reached 5
> feet.
http://www.awm.gov.au/encyclopedia/enlistment/ww2.htm
84 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 17:08:20 ID:???
現在の日本人平均がようやく当時のAUSに追いついたって感じだな。 でもって、AUSは更に今では大きくなっていると・・・。
85 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 17:53:28 ID:???
オーストラリアへ行ったが、やはりきゃつらデカイな。 でも喧嘩しても絶対やられるとは思わなかったのは俺だけ。 数年前に河原で花見をしていたら、近くの米軍基地から米兵が来ていた。 こちら合コン状態だったのでガン飛ばしにきやがった、逆にガン飛ばしたら逃げていきやがった。 その時、ゴリラみたい憲兵が土手の上で睨みを利かしていたが、おの睨みは米兵にか?それとも俺達にか?今でも不明。
86 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 18:58:02 ID:AxM9nKOz
あなただけでしょ、負けないと思ったのは。 あなたが格闘のプロじゃない限りガチでやったら勝てないよ。 逆にガン飛ばしたら逃げていきやがった>逃げたわけじゃない 日本の一般市民と揉め事は禁じられてるからだよ MPもその見張り
87 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 19:18:11 ID:???
ふーん そうなのか そう思っているのは俺だけか 別に気にしてないけどネ
88 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 19:29:34 ID:???
ペリリュー守ってたのは関東軍の中でも精鋭随一と言われてた第14師団だと思ってたが その内の水戸の1個連隊だけだったんだな・・・ せめて14師全員で守ってれば、もっと米軍に打撃を与えられたのに。
89 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 19:36:52 ID:???
思うんだけどさ、何をもって「精鋭」というのか定義が分からんね。 関東軍は精強、などとよく言われるけど 満州で猛訓練は積んでたけど実戦経験がない師団がほとんどだったわけで。 沖縄でも訓練充分の関東軍の24師より、北支からきた62師の方が活躍したわけで。
90 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 19:41:44 ID:???
甲種合格の兵や装備の優先配備なんかで、 「精強」ってイメージがついたんじゃないの?
91 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 20:41:41 ID:???
精鋭の兵士達もマギー師匠みたいな茨城弁だったかと思うとなんかほのぼのする。 あいつらもう勝ってると思ってぺなあ よ〜し 教育してやるっぺよう 支那のチャンコロにはバカ受けだったんだけどね
92 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 20:58:19 ID:???
>86 おまえの名前は久間だろう
93 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 22:26:11 ID:???
>装備の優先配備なんかで、 日本軍の優先装備なんてたかが知れてたけどなw 九九式小銃だものw
94 :
名無し三等兵 :2007/06/30(土) 22:32:53 ID:???
95 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 00:19:13 ID:???
Three days may be two.
96 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 09:29:08 ID:???
>>93 ,
>>94 どうせ最後は弾が尽きて、軍刀と銃剣で夜間斬り込みをするしかなくなるのなら、
全長の短い九九式よりも、三八式歩兵銃のほうが少しでも有利だっただろうに…。
97 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 09:49:52 ID:???
>>85 にワロタ
お花見で合コンとはお気楽な話だわ。米兵も流石に「戦争がないと思って好き勝手しやがって」って思ったんじゃないか?
平和ボケの極みだな。
98 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 10:03:13 ID:???
2ヶ月間戦ったらしいけど 最後の頃は夜間斬り込み連発だったのかな? 効果あったのだろうか?
99 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 10:15:04 ID:???
>>98 もっぱら洞窟にこもってのゲリラ戦を最後まで貫いたらしいよ。
本当の最後は、サクラ連送後、中川大佐以下幕僚は自決。
下士官・兵55名に弾薬20発でもって突撃し散華した。
>97 平和ボケで悪かったな 日々戦争に明け暮れるのは、覇権国家の宿命なり。 頭に来るなら自国にしろ。
ペリリュー島の戦い 米軍の実写フィルムDVDないのかな?
102 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 11:12:52 ID:AbI4bBnJ
遊就館の展示みたよ。 まだやってる?
>>71 レイテの第一師団?は?
なんとか峠で頑張ったらしいよ…
>>103 リモン峠だね。
50日も粘ったから米軍も高く評価してる。
主な戦績としては
・猫額の陣地で50日も米軍の進撃を阻止した
・米軍精鋭のルーズベルト感状部隊を撃破
・岬の弾薬積庫を夜襲し、多数の若い米兵が泣きながら海に飛び込んだ
105 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 17:21:49 ID:/oFvqLf+
>>76 白兵戦に使える取り回しの良い消火器が拳銃しか無かったということでは?
>>105 なるほど、そういう意味ですか・・・。
第一次大戦並みの銃剣での白兵戦だったらしいですね、西浜の第一派上陸部隊との戦闘。
第一派を撃退しているんですよね・・・日本軍。
107 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 17:40:51 ID:1eR48QqU
高崎15連隊千木良部隊の猛攻撃は高崎経済大学の誇りです
満州で激しい銃剣術を訓練してたんだもの 白兵戦でマリーンに負けるわけがない。
日米の小銃を比較しても そうさなぁ、パソコンで例えるなら ネット接続で電話回線とADSLぐらいの差があったな
110 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 22:58:24 ID:/oFvqLf+
ペリリューじゃなくタラワの話で悪いけど、タラワで奇跡的に生き残った兵士の体験談によると、 米兵はまず黒人部隊を前進させていたらしい。当然、日本軍は猛射+白兵戦をするので、海辺には黒人が 多く死んでいたとか。その後に白人の本体がどばーっと砲撃のあと押し寄せてくる、みたいな。 「玉砕の戦場」という本に書いてあったかな。 「アメリカの前線には黒人が多いのか、浜辺には黒人が多く死んでいました。私はたまたま重傷を負った 黒人を見つけ、『こんなやつに銃弾を使うのは勿体ない』と、重傷で殴りつけた。すると彼は拳銃を向けてきた」 みたいな記述があった。 ペリリューでも黒人を盾に前進してたのかはしらんが、此処に米英の卑怯さが見えるな。
ガダルカナルやペリリュースレは立ってるのに タラワスレはないんだな・・・ 日本軍が米軍に最初に一泡拭かせた戦闘だったのに。
そんなのいちいちすれたててられるか、馬鹿はしね
>>111 島嶼戦スレとかでも在れば幅広く語れるのだけどね。
ペリリュー戦だが タラワだが忘れた 以前アメリカの海兵隊モーパックの映像で アメリカ軍の戦車上陸阻止とかで、岩製の阻止壁を巡らせた海岸線の模様 アメリカ軍が上陸後の映像が出ていたが、ナレーター曰く 戦死した将兵の墓碑ようにみえる阻止壁の一連の並びの壮観さ 黙々と近くで上半身ハダカで、上陸後の作業する若いアメリカ兵も なんとなくしんみりしたような顔だった
>>108 そりゃ対等な条件で訓練よろしく1対1で銃剣術やらせればの話し。
45ACPのガバや短機関銃やセミオートライフルを持っている米兵の方が
接近戦でも火力発揮出来るのは強み。
対して日本兵は銃剣だけが頼り。
それに白兵やるまでの距離に肉薄するまでに相当数が相手の銃火で
なぎ倒されるので、トータルで考えれば日本兵に分が悪かろう。
ついで突撃する兵が飢餓状態だったり半病人まで混じっていれば
言わずもがな。
116 :
名無し三等兵 :2007/07/03(火) 00:14:43 ID:mi0Gmajm
銃が無く、「手榴弾」と「剣」だけ持って戦った香具師もいるくらいだからな。
そりゃただのバカだろw
そういえばイオージマでは日本海軍の設営部隊はまともな武器がなくてスコップやツルハシ、竹槍などで米軍と闘ったらしいね。 戦場は厳しい環境だからねえ(´・ω・`)
そこまでして人を殺したかったのか…
120 :
名無し三等兵 :2007/07/03(火) 20:38:39 ID:mi0Gmajm
121 :
名無し三等兵 :2007/07/03(火) 20:48:58 ID:mi0Gmajm
中国戦線では大きな石を投げつけたりしたらしいぞ。お互いに。
>115 米軍の分隊機銃はたしかBARだったな。 分隊支援火器としては役不足、第一に集弾が悪い、装弾数が少ない。 分隊機銃1丁があればボルトアクションでも戦力を発揮出来た。 日本軍が最後まで銃剣のみで戦ったと思っている不見識者が多い、80年代にねつ造それた書籍の影響か。 公刊戦記や元兵士の証言を読めば火力重視で戦っているのが判る。
>>122 米軍に大きな損害を与えた当初の陣地が火力重視だったのはみんな分かってること。
論議されているのは塹壕内での戦闘の話。
124 :
名無し三等兵 :2007/07/03(火) 22:04:57 ID:mi0Gmajm
塹壕内で米英は火焔放射器を使ったのかな。 火焔放射器使いって真っ先にねらわれそうで恐いな。やりたくないぜ。
そこでシャーマン・クロコダイルですよ
大昔、海上自衛隊の正式小銃がM1ガーランドだった時代に 横須賀教育隊での陸戦訓練で防大の敷地内でM1小銃持って さんざん駆け回された経験から言うと M1ガーランドの致命的欠点は、とにかく埃と砂の付着に弱い 朝から40人で空砲を使った陸戦訓練をして夕方には全員の小銃が作動不良になった (空砲を撃った後に手で排莢しようとしてもボルトが動かず、しかたないから足で ボルトを蹴って排莢、夕方には何をしようが完全に動かなくなって全員あきらめ) 可動部分に埃や砂が付着すると確実に作動不良を起こしてボルトが動かなくなるので 一日中安定して使いたければ休憩のたびにボルトまわりを抜いて、スライド部分の溝を 歯ブラシとウエスで掃除してこまめに油を付けなきゃならない、 (で、油が少ないと作動不良を起こすし、油を付けすぎると今度は砂埃で作動不良を起こす) 日本軍の三八式小銃や九九式小銃は中国大陸で戦う必要上、 砂や埃の付着にやたら強い小銃だと習ったが アメリカ軍はこんな作動不良を起こしやすい欠陥兵器で よく戦争に勝てたもんだなとマジで思った
127 :
名無し三等兵 :2007/07/04(水) 15:07:24 ID:FZ2Ezt6M
ガーランドと38式が満州で対決したら面白かったかもなあ
>>126 作動不良を起こした小銃を新品と交換して使い捨てるだけの経済力と生産力、輸送力があれば無問題。
B29のエンジンを使い捨て同然にした米国なら、余裕でやってのけそうだなw
>>122 役不足は優秀な人に与える役が無い意味の言葉です。
>>126 陸上戦は大砲と軽機の重要度が高いですからね。
流石にアメリカとはいえいくらなんでも銃を使い捨てにはしないよ。 戦時中は金属も不足して日本同様国民に供出を呼び掛けていたし。そりゃ誇張しすぎだわ。
131 :
名無し三等兵 :2007/07/06(金) 01:44:00 ID:OvCvMg9z
山口永少尉たちは、日本に帰ってからはどうしたのかな?
部品の間に砂が噛んだだけで捨ててたら国庫がパンクするわ、分解清掃すれば良いだけの話。 どっちにせよ後方に下がるまで丸腰になるのが問題なんだよ。
米強襲揚陸艦ぺリリューに乗る前の
米強襲揚陸艦ぺリリューに乗る前の海兵隊員(俺の奥さんの姉のボーイフレンド)に 「サクラ、サクラ」の話をしたことがある アフリカ系の彼は感涙していたよ、これぞサムライだって 俺の誕生日にUSSぺリリューのTシャツをくれた、特別仕様だと言うから何だろうと思うと 桜の花びらを散らした絵の上に「Sakura Sakura」の文字が、自分が感涙する番だった
感涙であります、たいちょー
ほんとかよ? 日本のグルーピー女と遊んでるクロンボが、サムライ・スピリッツを解して涙を流す訳ねえだろw
140 :
名無し三等兵 :2007/07/08(日) 09:52:40 ID:TTQHCTEI
ゼイキンで、飲み食いしてアルコール依存症になった皇族
国民の血税で、アル中にも 相変わらずオバカな日本人の皇族崇拝
寛仁親王殿下、ユーモア交え依存症を語られる
アルコール依存症のため宮内庁病院で入院治療を受けている寛仁親王殿下は7日、
仙台市で開かれた第21回「ありのまま生活福祉講座」にご出席。「我が国の福祉」と
題した約40分間の講演で、ユーモアを交えて自身の病状を語られた。
冒頭で「アルコール依存症の寛仁親王です」と自己紹介し、
「大学時代からずっと酒を飲んで依存症だったわけで、最近になって、
今さらそうなったと取られるのは心外だ」などと話されて、会場の笑いを誘った。
皇室典範の論議や家庭内の問題で心労が続き、ここ数年で酒量が増えたため、
長期療養を決意したとご説明。専門医のカウンセリングを受け、
腕立て伏せなどで体力維持に努められているという。
「宮内庁からは『露骨に依存症なんて言うのはやめてくれ』といわれたが、
憶測で話題にされるのは嫌だった」と、病名の公表に踏み切った経緯を明かされた。
さらに「皇室にも仲間がいるのかと、患者たちが大喜びしている」と会場を沸かせ、
「障害者にかわいそうだとか、哀れみを持つのはやめてほしい。
努力をし、いいサポーターがいれば、彼らは何でもできる」と持論を展開された。
(2007/07/07 19:29)
http://www.sankei.co.jp/shakai/koshitsu/070707/kst070707000.htm
アルコール依存症とペリリューと何の関係があるんだ?
142 :
名無し三等兵 :2007/07/09(月) 20:14:50 ID:gE+OWfhj
焼酎の瓶にガソリンを詰めて急増火炎瓶にした話だろ
西浜の白兵戦もそうなんだけど、ペリリューの守備隊の銃火器は充実していた事を忘れちゃならない。 パラオ区には南洋派遣軍の物資が、前線に補給されずに集積されており、定数配備以上の火力があったと。 西浜での白兵戦でも、軽機関銃を手に手に取って、振り回し次々になぎ倒したりなど。 あと、上のほうで記載があった爺さんの話だけど。 「艦砲射撃が終わったなぁと思って、タコツボから顔をあげると目の前に米兵たちが来ていた。 我々は撃ちに撃った。銃身なんか熱くて触れやしない。殺し合いだよ。」「突撃を三回やったけど、1/3ずつ味方が減っていった。」 という記載だった。 できる限り火力の応酬をし、互いに接近してから銃剣格闘を交えた接近戦になったというのが本当の様相ではないかと思う。 米軍を撃退した後にスコールが訪れ、雨があがると、海岸一面に横たわるのは明らかに米兵の迷彩の軍装が多かった。とか。
【サクラ】ペリビューティ【チラリ】
145 :
イバラギ太郎 :2007/07/09(月) 22:56:48 ID:F4TwZ1O/
日本軍には機関銃による制圧射撃と擲弾筒という得意技があったからな。それに 茨城人ってのは水戸つぽって言葉があるが、ものすごい忍耐力がある。百姓多いから 俺、水戸の愛宕町出身だが、このあたりにはじいさんすくないよ。ほとんど ペリリューか特攻(霞空)で逝ってる。それにしても96/99軽機と92式重機の 威力はすさまじかったようだな。射手の腕も狙撃兵なみ。そこに擲弾筒の連射とくりゃ いくら自動火器を個人が持ってても最初の上陸一波はかなりの損害生じるな。 いぐらでもきてみろや。アメ公。ぶっつらぬいででやっから。火炎放射だげ 気つけっぺな。タンクぶちぬくべ。なんて第二連隊の兵士の会話が聞こえそうだよ。 消防団もいばらきはトップレベルだど。いばらぎじゃなくていばらきなんだけど なまってIBARAGIって自分から言うから他県人はIGARAGHIって宮城のGHIで言われちゃうんだわ。 ペリリューは玉砕後もゲリラ戦で終戦まで戦ったらしいよ。
ジイサマ達の話しはオヒレがつくからな。特にいばらギの爺なんてのは。 大したことない奴ほどオオボラ交えて良くしゃべる。浅はかだな。 本当に地獄を見た者は多くを語らない。まして人を殺した事をそんな嬉しそうには語らない。
それこそ人によるだろ あんまり見てきたような事言ってると釣りと思われるぞ
釣りじゃなければ半端な知識で語ってるんでしょ。 水戸の連隊は、ペリュリューだけじゃない。 14師団以外は33師団、41師団、51師団だからね。
すまん ×ペリュリュー → ○ペリリュー だな
自分は九州だけど茨城の兵隊って強かったの? 熊本や鹿児島の兵隊は強かったと言うけれど 熊本なんておばさんたちまで自慢するからな、熊本の兵隊は日本一強かったって 実際のところ臆病だと親戚縁者からなじられるとか村八分に遭うとか 人の目ばかり気にしてたからだ、と郷土史家に聞いたことがある
当時の帝国軍人で精強といわれてた師団は 北関東、旭川、九州、東北出身者で占めてたから。
激弱だったのは関西出身の兵隊さんw 大阪の連隊は中国軍にも負ける始末w 京都の62師団は精鋭だったけどね
アメ公ぶっつらぬいででやっから。
14師団の連中も満州から転出される時は失望しただろうな。 「極寒の中でソ連軍を仮想にし訓練してたのに、なんで南方に行くのか」って感じで
南方では玉砕が続いている時期だっただけにな。 満州にいれば少なくとも当面は戦闘はない。 しかし何度も部隊の抽出派遣があったから覚悟はしていただろう。
皆は船坂弘「ペリリュー島玉砕戦」は読んだの?
158 :
名無し三等兵 :2007/07/10(火) 20:24:06 ID:nTQaWR8P
>>152 なんで大阪人は部隊単位でヤルゼロなんだろ・・・。
金儲けしか興味がナインか?
>>156 読んだよ。勇ましく書いてあるけど大体はあんな感じだろうと思う。
あの著者自体もアンガウルの生き残りなんだよな。
友達の爺さんが群馬の高崎の連隊で「パラオに行っていた」との事。
狙撃兵で、日中は木の上にいて、食料は持ち場の近くに埋めておいたとか。
爆撃やらなんやらでみんな友達が死んでいったとか。みんな家に帰りたがっていたとか。
あるとき、違う島に船で移動する事になって、中隊長と自分だけ後の部隊と一緒に移動する
事になったが、先に出発した部隊はみんな船ごとやられてしまったとか。
聞いた話は断片的だけど、高崎の連隊でパラオにいたという事は、本島にいた可能性が大きいよね?
>>158 あぁ大阪の連中は金儲けにしか興味がない守銭奴だからな。
大体あいさつで「儲かりまっかぁ」なんていう奴らだからw
日本の恥だなホント・・・
まぁ話をペリリューに戻すけど
守備隊の射撃は正確で米軍をかなり苦しめたんだな。
小銃の狙撃も上手く、戦死した米兵を見ると頭や喉を撃たれて即死が多かったそうな。
白兵戦でも銃剣と軍刀でかなり刺殺したみたいだし。
でも船坂弘ってペリリュー島の生き残りでもないのに なんであんなに書けたんだろう? 想像やフィクションもかなり書いてるのかな?
>皆は船坂弘「ペリリュー島玉砕戦」は読んだの? 悪い本ではないけど、有名な「血で染まったオレンジビーチ」の話が書いてなくて減点
>守備隊の射撃は正確で米軍をかなり苦しめたんだな。 小銃の狙撃も上手く、戦死した米兵を見ると頭や喉を撃たれて即死が多かったそうな。 そりゃ天下の関東軍、しかも花形精鋭の第14師団ですものw やはり満州で猛訓練積んで来た成果なんだろうな
164 :
イバラギ太郎 :2007/07/10(火) 22:04:26 ID:C0vNsIYC
>自分は九州だけど茨城の兵隊って強かったの? 熊本や鹿児島の兵隊は強かったと言うけれど 強かったに決まってっぺよ。今でもいばらぎの消防団は朝3時オキデ 操法訓練やってんだど。ちんたらやってたら先輩に「てめ何考えでんだこら」 で村八分。気合が違うべな。水戸に限ってはペリリューの慰霊碑もあるし ペリリュー戦死者多いべよ。県歴史館みにきてみろや。 洞窟陣地からの狙撃と正確な機関銃。ここぞというときの擲弾筒が威力を 発揮したっぺな。米軍はM1にまだ不慣れだから。残弾3発くらいになると 無駄ダマ撃って後退しちまう。
165 :
イバラギ太郎 :2007/07/10(火) 22:12:26 ID:C0vNsIYC
イバラギって来てみるとわかるけど山がまったく見えない地域が多い 県北は低い山脈がつらなってるけど、そのほかは全部たんぼか畑、 人がいねえ。 日本の満州だよ。反面反骨精神旺盛でね。ペリリューの第二連隊は いわば木内監督率いる、取手二、常総学院みたいなもんだな。 名監督にかかると俄然張り切る。木内引退で常総も茨城の高校野球 も大低迷。 たぶんね。今の消防団のノリは第二連隊からの引継ぎ だと思うよ。
要は発展途上の田舎の野蛮な県の兵隊は強かったということだよ。 大阪のように洗練されてて知的な県民は戦争なんかに命を投げ出すのが惜しいんだから。
167 :
イバラギ太郎 :2007/07/10(火) 22:30:01 ID:C0vNsIYC
東京、京都は例外だけどな。旭川も熊にやられる地域だけに7師って強いよな。 しいてあげれば駒大苫小牧か? 田舎は飯さえ食えれば、軍隊のほうが楽って人も多かったらしい。
日本軍は「精鋭と言われた部隊に精鋭がいなかった」と言える。 兵士が素質優秀でも 日本軍の歩兵操典はとても近代戦向きとはかけ離れたものであり 武器もショボかった。 これでは中国軍には勝っても連合軍に勝てるわけがない
イバラギ弁キモすぎ。
茨城の土地の人に”イバラギ”って言うと嫌な顔するぞ、 濁らない”イバラキ”だって言い返して来る。 イバラギ太郎って本当に茨城人かよ?
九州出身の56師団「龍」などもっと凄いぞ! 戦死していた兵士はみんな敵の方へ銃を向けて事切れていたと、シナ兵が驚いていた
はいはいそりゃすごいね
まあ話に尾ヒレが付くのはよくある話だけど、そんな真偽の程が疑わしい逸話より彼らの多くは召集兵だって事実が凄い
>>170 そんな事を気にする人はたいてい他県人だよ。
俺は茨城県人だけど、全然気にしない。
175 :
名無し三等兵 :2007/07/12(木) 00:25:21 ID:SGvHDKiL
死体を土塁に使ってまで闘ったニューギニヤの部隊は何処の県だっけ?
176 :
名無し三等兵 :2007/07/12(木) 00:47:34 ID:ZyXOvOIR
>>175 ギルワかバサブアかあ。
歩兵第41連隊、歩兵144連隊の一部だけでなく、
工兵、輜重兵、労務者、軍属の混成兵力だと思う。
だから、どこの県ともいえない。
バサブアは高砂族の敢闘で有名な戦場だな。
俺のじいさんの弟はペリリューで戦死、ちなみにじいさんは徳之島で戦死。 出身は下妻ですた、とロックシティ守谷でいまごろ下妻物語を観た俺が書いてみる。
おまえの爺さんの話しなど誰も聞いてない。
>178に告ぐ 大バカ者め! 英霊の声に耳を傾けろー
ペリリューで米軍て苦戦したといえるのか? 戦死者は2000名程度だし、負傷は8000ぐらいだろ? 負傷者は傷が治れば復帰できるわけだし。 日本軍は全滅してるんだもの、日本の惨敗と言えるんじゃ・・
まぁ米軍は人命尊重第一の国だからな 少し死んでも大騒ぎする国民性だから。 たった2000人戦死でも騒ぐんだろう。
>>180 4日で陥とすって豪語したのに、実際は73日間もかかったんだぜ。
結果論では、日本軍の負けだけど善戦したんじゃないか。
負傷者は傷が治れば前線復帰だろうけど、ペリリュー島の戦いに戻れたとは限らないしね。
>>181 自国民の人命を尊ぶのは国として当然だ。
当時の日本軍やお前の様に、人の命を数字の上で軽く見る方が異常。
>>180 一個師団が五十パーセントの損害を出せば戦闘力を失うという、
すでに語られつくされ戦理に加えて、
そもそも戦場で負った傷がすべて治るとは限らないと思うが。
>>182 人的資源を狙った消耗戦という前提ならば日本軍勝利。
フィリピン攻略のための基地確保という観点ならば米軍勝利。
勝敗など物事の見方で変わる相対的なものさ。
185 :
180 :2007/07/12(木) 11:37:02 ID:???
海兵第一師団はペリリューで負傷者が多く壊滅した、と言われてるが 沖縄戦ではしっかり戦ってるわけで。 要はぺ島で負傷しても回復して沖縄戦に望んだということだろ?
俺は太平洋戦線になんか興味ない。 欧州戦線を経験したアメリカ兵はこう言ったそうだよ。 「我々は欧州でドイツ軍相手に近代戦を戦った。これは太平洋の子供相手とは違う」とね。 つまり当時、連合軍にとって恐ろしい存在なのはドイツであって(戦車やあらゆる兵器が近代化されてたものナ) 日本なんてお子様扱いされてたわけだ。 オールスター戦が欧州であり、二軍の戦いが太平洋だったわけだ。 それが証拠にアメリカは欧州に最精鋭の陸軍部隊を送り、最新鋭兵器も欧州に率先して送った。 太平洋ではアメリカ軍は、当時二流扱いされてその存在意義すら危ぶまれてた海兵隊が送られ日本と戦ったわけだ。 日本も舐められたもんだねぇw 海兵隊で充分と思われてたんだからw つまり太平洋戦線とは 「二流の海兵隊VS装備がしょぼい猿の日本軍」ってわけ。
188 :
187 :2007/07/12(木) 12:11:10 ID:???
ではなぜお前はこのスレにいるのか?と言われたら 俺はこう答えるね。 「家の親戚の爺ちゃんがペリリューの近くのアンガウルで死んでるからさ」ってね
>184 その数字は日本軍での損耗率だよ 米軍は損耗率30%で師団は戦闘力を失う。 米軍師団の戦闘基幹兵力は6個歩兵大隊でここが30%死傷すれば戦闘力を失う、1人の負傷者を移送するのに2人は必要だから歩兵全員が戦闘続行など無理だよ。 当時の米軍陸軍歩兵師団は編成の違いからハッキリとはしないが約1万2千名〜1万6千名位だ、但し海兵隊は1分隊13名編成(陸軍歩兵師団は12名編成)なので陸軍歩兵師団より多い。 師団全員が戦闘兵科で編成していない、飯作る兵や補給に従事する兵等色々な兵士で編成されていた、これら全て人員を含めての人員数である。 因みに、日本軍も1個分隊は13名編成でする
>>189 すると米海兵隊師団も文字どおりの全滅に近いわけか。
そこまで戦闘を続行した米海兵隊の闘志と粘りもすさまじいな。
ペリリュー島の激戦は聞いてはいるが詳しい事は知らないから何も言えないが、米軍の損耗率が50%であれば戦闘兵科の連中は全滅だな。 後に残された飯炊き兵、事務処理兵、補給兵等が銃を取って戦った事となり、南洋での島礁戦をやった日本兵みたいだ。 奴等相当に参っただろう。
ユウカンナ ニッポンノ ヘイタイサン ヤカンノ キリコミヲ ヤメテクダサーイ! ワレワレモ ホウゲキト バクゲキヲ テイシシマス!
>>191 >後に残された飯炊き兵、事務処理兵、補給兵等が銃を取って戦った事となり、南洋での島礁戦をやった日本兵みたいだ。
いや、実際はそうはなってない。
後備の兵士に交替しただけ。
詳しくは本読め。
>>191 損害甚大な第1海兵師団が退いて
陸軍第81師団へ交替しただけですが・・
カテゴリー違いだから暇になったら読むよ。 旧日本軍師団の編成は外征型で比較的に規模の大きな師団を要していた。 ビルマ方面軍は3〜4個師団で防備していたので判る様に長期戦に耐えうる師団であった。 師団が戦地へ赴いた後、留守部隊が補充補給の任にあたっていたから損耗の補充をくり返し行う事で師団の長期にわたり戦地駐屯を続けられた。 これは太平洋戦前で、太平洋戦では各師団から兵力の一部転出などを繰り返し歩兵師団を徐々弱体化させ、戦前に多く存在した郷土色豊かな郷土連隊を崩壊させた。 これを俗に兵力の小出しと呼び、絶対やってはいけない禁じ手だ。
>>195 地続きの戦場と同じ感覚で考えるなよ。
陸兵は海の上を歩いては渡れないのだ。
>>195 太平洋戦線の島嶼戦じゃそうはいくまいよ。
いったい守らなきゃならん島が幾つあると思う。
あとから考えればだろ 戦前の日本陸軍は太平洋での島礁戦など想定していなかった。 編成も航空戦力も大陸戦を想定していた、飛行機の搭乗員にも洋上航法すら訓練していない始末だ。 陸軍に於いて水陸両用戦は小規模な装備で実験部隊程度で、急に主戦場の転換で戦略戦術も装備もついていけなかった。
200 :
名無し三等兵 :2007/07/12(木) 18:20:58 ID:O5sm9tCg
>>198 当たり前だろ
陸軍は飽くまで大陸での対ソ連戦を想定してたんだから
文句言うなら南洋に引っ張り出して補給も何も出さない海軍に言うべき
記憶による記述なのでソースが出せないが、戦前の参謀本部による検討では、 陸兵を島嶼に散在して配置しても、たとえかなり強力な兵力をおいても、 各個撃破されるか補給を断たれて餓死することになり、 従って太平洋正面に陸軍兵力を展開して防衛することは不可能という結論が、 最初から存在していた。 陸兵を島嶼に分散配備したのは政治的理由(主に海軍との関係)からだが、 実戦では陸軍の戦前の予想よりは戦果をあげたかもしれない。
>>200 いや、文句はアメリカと戦争した統帥部(又は対米戦に賛成した連中)に言うべきだろう。
海軍だって陸軍部隊を太平洋に広く展開させてそれを養う能力なんて戦前は要求されてないぞ。
島礁防衛の要である船腹量について 太平洋戦争を通じて日本が損失した船腹量は700万d戦争を通じて建造された船腹量は700万dであるから、損失分はカバーされている。 海上護送をしっかりやれば船腹量の維持は出来たハズ、よって継戦能力は十分に確保でき違った。 国民総動員も米英に遅れて実施しているし、本気で戦争続行を考えていたのだろうかと疑いたくなる。 日本自体が戦争を軽く見ていたか、米国を嘗めきっていたかだな。 政治家と勝てる見込みの無い戦争を実行した軍部、そして戦争を煽ったマスコミと判官びいきの国民だ。 と冷静に言っても、俺自身が当時に生きていれば、やっぱり米英けしからんと言って戦争を支持したろう。 わかっちゃいるけど止められない。ホイ・スイスイスダラタッタ・スラスラ・スイスイスーイと このノリだ。
>>203 #日本は当初599万総トンの船舶を保有していた。
#戦時中に471万総トンを増産してきたものの、890万総トン(2534隻)を失い、
#終戦時には催かに181万総トンを残すのみだった。
資料によって数字には差があるが概ね上記に近い数字が出て来るはずだ、もう一度調べなおせ小僧
207 :
白馬青牛 :2007/07/12(木) 21:54:30 ID:x6s4Iwg6
208 :
霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/12(木) 22:04:38 ID:dTPIlTa2
ペリリューの善戦は、戦訓を学んだため! 茨城県人が、軍人として優秀だったからではありません。 それ以前の、マキン、タラワ、サイパンでは、水際作戦を取りました。 海岸にトーチカを作り、敵兵を寄せ付けないのです。 しかし、それは失敗しました。アメリカ軍には、強力な航空機と軍艦があります。 トーチカは、格好な目標を与えていまうのです。 それよりは、地中深く穴を掘り、そこに隠れていて、反撃した方が有効です。 ペリリューや硫黄島では、その戦法を取り、善戦しました。 大本営の情報参謀が、ペリリューへ行く前の水戸連隊の将校に教授したそうです。 将校たちは、熱心に学んで盛んに質問しました。 大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 堀 栄三に書いてあります。 茨城県民は生真面目です。命令されたことは忠実に実行します。 指導された戦術を忠実に実行したのです。
特に今の北関東の男には男気もなければ度胸もない。 唯一やる気を見せるのはガラの悪い車で駅前でナンパするとき、パチンコ屋にいくときくらい。
210 :
霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/12(木) 22:22:39 ID:dTPIlTa2
>>110 >ペリリューじゃなくタラワの話で悪いけど、タラワで奇跡的に生き残った兵士>の体験談によると、
>米兵はまず黒人部隊を前進させていたらしい。当然、日本軍は猛射+白兵>戦をするので、海辺には黒人が
>多く死んでいたとか。その後に白人の本体がどばーっと砲撃のあと押し寄せ>てくる、みたいな。
>「玉砕の戦場」という本に書いてあったかな。
>「アメリカの前線には黒人が多いのか、浜辺には黒人が多く死んでいました。
>私はたまたま重傷を負った
> 黒人を見つけ、『こんなやつに銃弾を使うのは勿体ない』と、重傷で殴りつ>けた。すると彼は拳銃を向けてきた」
>みたいな記述があった。
>ペリリューでも黒人を盾に前進してたのかはしらんが、此処に米英の卑怯さ>ウィキペディアが見えるな。
霞ヶ浦の住人の疑問。
「黒人部隊を前進させていた」のは、タラワでは、なくてフィリピンではなかったですか?
タラワ戦でのアメリカ地上部隊は、海兵隊だけでした。
陸軍は参加していません。第二次世界大戦中のアメリカ海兵隊は、黒人を入隊させませんでした。
陸軍は入隊させました。よって、別の戦線の話ではありませんでしたか?
フィリピン戦線では、黒人兵を戦闘にして攻めてきた話は聞いています。
下記、ウィキペディアのタラワの戦いを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>戦死者は2000名程度だし、負傷は8000ぐらいだろ? >負傷者は傷が治れば復帰できるわけだし。 >日本軍は全滅してるんだもの、日本の惨敗と言えるんじゃ・・ 負傷しても後方に下げられていい治療を受けられる状況の米軍と 負傷したら後方に下げられて手榴弾渡すしかない状況の日本軍と で死者の数を比べるのは無駄。
212 :
名無し三等兵 :2007/07/12(木) 22:42:36 ID:SGvHDKiL
>>210 mjd?
海兵隊って其処まで人種差別的だったのか・・・。
日系人兵士はぜんぶ陸軍だったのかな。
米国陸軍第422連隊 第100大隊
盾にすら使ってもらえなかった半島人のことも思い出してあげてください
>>213 対日戦で通訳やってた日系米兵も陸軍なのね。
ということは沖縄戦とかでしか登場しなかったのだろうか・・・。
それとも軍属として海兵隊に従っていたのかな。
217 :
白馬青牛 :2007/07/12(木) 22:56:30 ID:x6s4Iwg6
>>152 大阪の連隊は中国軍にも負ける始末?云うてどの戦闘のことか?
中国国府軍に負けた例云うたら、冬季反攻時の仙台第13師団や、
第二次長沙作戦の名古屋第3師団、熊本第6師団のボロ負けがあるが、
大阪の部隊の敗戦云うて何じゃ?近畿兵団は衡陽攻略じゃあ熊本第58
師団に優るとも劣らん活躍しとるで。衡陽じゃあ、勇猛を以って鳴る
熊本58Dは、肉を切らせて骨を断つつもりが骨まで斬られたのう。
>>150 強弱を別として、命知らずの勇猛さなら、熊本聯隊じゃろう。
鹿児島聯隊以上に勇猛じゃった。まあ九州兵団は概ねイケイケで兵站を無視
し、久留米の菊兵団もシンガポールで司令部を危機にさらしとる。
また、九州兵団の「戦死者のほとんどは眉間を射抜かれていた。」と
伊藤桂一氏が云われるよう、伝説を残したわい。特に熊本はのう。
>臆病だと親類縁者からなじられる。人目ばかり気にする。
ほうじゃのう、じゃけえ九州兵は虚勢・見栄を張って、立ち射ちし、
戦闘の勝ち負けよりも、九州の連中は戦場は祭りの延長じゃ。仲間にも
見栄を張って最高の死に方を望む。見栄っ張りな処は慶尚極南道(九州島)
ゆえ、韓国人にそっくりじゃ。九州兵団を指揮した人達も、その潔さに
感動したことじゃろう。勝気で最期まで負けん意志の強い、しぶとい
広島兵団たァ気質が違うわい。
能登半島なのか房総半島なのか半島だけじゃわからんな。
薩摩半島、島原半島、国東半島でいいだろ
アメリカ軍最強といわれた海兵第一師団をペ島でやっつけたことは 中川大佐率いる守備隊の大きな戦果と言わねばならない。 この第一師団は「タフガイ」と言われて恐れられ 泣く子も黙るほどの精鋭だった。 ガダルカナルで日本軍を撃退したことでも有名な歴戦師団なのだ。 その最強師団をペ島で壊滅状態に追い込んだのは凄い。 つまり歴戦の猛者を戦死、負傷させたのだ。 この後この師団は補充兵が大多数を占めて再建を図り 沖縄戦にも参加したが 以前ほどの精鋭ではなくなっていた(補充兵だから)
221 :
名無し三等兵 :2007/07/12(木) 23:30:40 ID:NkZPoR2O
マリーンは志願兵だからな。 猛訓練で知られていたし、闘志も凄まじい。 死傷も厭わない荒くれ者の集まり。 硫黄島でも海兵隊は大きな犠牲を払ったが 病院船に運ばれ治療を受けるマリーン兵士は 「早く前線に戻りたい」と言う奴が多かったそうな。 医師もその闘志には驚いたようだよ。
222 :
白馬青牛 :2007/07/12(木) 23:35:12 ID:x6s4Iwg6
>>65 体格差?白兵戦に強いグルカ兵は小柄じゃないんか。
白兵戦に弱かったんは、ロシア兵・米兵・豪州兵との体格差にビビル
関東兵団の特徴か。
>>213-216 日系人部隊は、戦さでも強かったが、喧嘩でも強かったよ。
1942年11月27日、ウインスコンシン州でのこと。
第2師団のテキサス出身の兵士が、第100大隊の日系兵に
からんで来たことだった。一般にテキサス人は気性が荒いことで知られる。
師団対大隊。単純に人数比で見れば12対1の劣勢だが、二世兵士は
テキサス兵に対し一歩も引かない。たちまち大乱闘へと発展した。
重傷者37名(日系兵は1名だけ)となり、師団対大隊の喧嘩は、
日系兵第100大隊の一方的、圧倒的勝利に終わった。
まあ、部隊対抗の喧嘩で負けとったら、負け癖がつき、後の日系部隊の
活躍はなかったろう。また、日系部隊の二世兵士が広島県出身の二世が
多く占めることも幸いじゃった。小勢の広島人が多勢の米軍相手に喧嘩で
負ける訳あるまい。
ほいで、日系部隊の肉料理が、広島弁の江戸時代から云われよった「ヘカ」
(肉犂焼き)云うたんも面白い。
>>222 指揮が悪かったり不意をつかれたりすれば負けるわけです。
体勢が整えば奮戦もできます。
戦史のつまみ食いでお国自慢をすることに意味はないと思いますね。
孤軍奮闘して全滅した大隊もあり、
まったく無抵抗で米軍の捕虜になった某大隊もありますが、
それをもって某大隊を弱兵と断じてはあなたは不満でしょう。
だとすれば、他の地域の部隊を批判するのもやめることですよ。
224 :
白馬青牛 :2007/07/13(金) 01:40:22 ID:xsdJlLZw
>>223 戦史のつまみ喰いでお国自慢しょうるんは、戦歴・実績に乏しい、
ペリリュー島の負け戦さを自慢する北関東人じゃないか。
無抵抗で捕虜になったんは、橘丸の広島第11聯隊や、満洲で終戦を
むかえ、武装解除で捕虜となった広島39Dのことか。
ほう、こういう場合、宇都宮兵団なら徹底抗戦するんか?
広島師団は北関東兵団と違い、戦闘じゃあ負けとらんよ。
そういやあ、ニューギニアで広島5Dの浜田第21聯隊が宇都宮51Dの
高崎第115聯隊に戦闘方法を教えてあげたこともあったのう。
他地域の近畿兵団を実例も挙げず批判しょうるんはええんか?
このスレで関西は弱い云うたもんに誰一人、そりゃあ違う部分もある
云うたもんがおらんど。「近畿兵団、皆でけなしゃあ、恐あない。」
こがいな連中が、群集心理でいじめをやるんじゃろうのう。
>>224 戦闘での勝ち負けも指揮の巧拙や全般状況のもとで決まること。
あなたが自分でいっているとおりに、指揮がまずければ、
戦闘に負けるどころか戦闘もできずに二個大隊が捕虜になる例もあるわけで。
だとすれば、戦闘での勝ち負けがそのまま兵の強弱に結びつかないわけで。
だとすれば、一部師団の武勇伝を書きつらねても、
その地域の兵が他の地域の兵より強力だという論拠にはならないわけで。
まあ、近畿兵団たたきに意味がないのはそのとおりでしょう。
実例を挙げたって特定地域の兵団たたきに意味はないわけです。
お国自慢にも意味はない。
だって、そんなのは指揮の巧拙や全般状況でいくらでも変わりますからね。
捕虜になるのも勇気だと思う。このまま全滅するまで闘うよりは、少しでも部下を生きて帰す可能性に託したいという指揮官もいたはずだ。 ただそれは米英軍に対してであって、満州では投降の結果、戦死以上の悲惨な結末を迎える事が多かったが。
しかし海兵隊も2ちゃんじゃ賛否両論だな・・ ある者は「海兵隊は米軍の中でも最強」と書くし 別の者は「海兵隊はお荷物組織」と書くし。
228 :
白馬青牛 :2007/07/14(土) 00:02:54 ID:zAhYkm0P
>>225 あんたが自分でいっている?ゆうて、あんたが、わしの文を読む理解力が
無いんか、ネットウヨに顕著な人の文を捏造したいんか知らんが、
可笑しげな言を吐くのう。
ほいで、敵軍の捕虜になって武装解除となる時に、徹底抗戦せい云うんか?
兵卒は指揮官にとって消耗品か?敗戦になっても、青年将校の中には、
本人の権威と名誉をささえて来た帝国陸軍があとかたもなく消えさって、
日本そのものが存続出来るんかどうかおぼつかないのに、激昂して
個人の感情でいたずらに部下に対して犠牲をしいる指揮官の方が
優秀なんか?こがあな者が前線指揮官になったら無益な血を流すんは、
前線で戦闘した兵士ど。わりゃ、何様のつもりかいのう。
全文に「わけで」云う言い訳がましい前提条件ばっかし付けあがって。
指揮云う抽象的な表現は何じゃ?指揮官たァ前線の下級指揮官か、
参謀殿の立案した作戦を実行する、参謀殿から視たら担がれたデコ人形
と馬鹿にする上層指揮官か。参謀殿が馬鹿にしよっても上層指揮官は、
戦略・戦術に乏しくとも人徳があれば、立派な指揮官じゃ。
戦闘自体は下級指揮官と歴戦兵士の手仕事じゃけんのう。
>>226 日本軍の敗戦の現実を理解しとりゃあ勇気以前の問題で、現実的判断が
出来るかでしょう。勇気がいるんは、帝国日本の独善思想に捉われ、
周りに目も向けん、判断力のない部下に犠牲を強いる上層部の人達で
しょう。しかも上層部の人達は自分自身を優秀な人材として、疑わず、
部下を見捨てて逃げる口実にする人達も出てくる。優秀な民族や優秀な
人間なんか自己脳内以外存在せんのに。何しろ出世競争で、
地位を築いて来た人達じゃ。下っ端兵士は自己の出世道具ぐらいに
考えとろう。兵士よりも自分自身が国家に有意な人間と錯覚しとった
愚者じゃ。愚かな上層指揮官の思想狂信や権力欲の犠牲になった英霊は、
浮かばれんよ。
今年もカープは最下位だけど?
>>228 橘丸事件は昭和二十年八月三日。立派な戦時中ですよ。
戦時中に国際法違反の作戦行動を行い、
そのあげくに二個大隊が全員捕虜というのは、
弁解の余地のない大敗北であるわけで。
負けたなら弱いという理屈ならば、その部隊は弱いことになりますな。
だから、負けたら弱いという理屈はまちがいなんですよ。
勝敗は指揮の巧拙や全般的状況で変わってくるので、
勝敗や戦績で特定地域の部隊を称賛するのも批判するのも無意味なことです。
231 :
白馬青牛 :2007/07/14(土) 02:07:25 ID:zAhYkm0P
>>230 戦闘で負けた訳でもあるまいし。山田師団長は終戦時広島第11聯隊の
(第1、第2大隊)がかかわった偽装病院船「橘丸」事件の責任を
一身に負われ自刃されたよ。橘丸で将兵が暴動起こしても、
どうにもならん。実際の血みどろの戦闘で勝負しとらんのに大敗北にも
ならんし、負け癖の付いた地域の嫉妬じゃないか。
自己の意見を相手が同意せんのに、脳内妄想で断定し、はては、
「なりますな」云うネットウヨ用語が出たのう。次は「証拠はあるか」
「第一次資料は何か」になるんか?同じ鋳型にはめられたネットウヨは
同じ用語しか使わんのう。ほいで結論は指揮の巧拙云々で、
ネットウヨ特有の、同じ言の繰り返しじゃ。
あんたの指揮官云うんはどのクラスの階級を表して云うとるんか?
何回も同じ言を繰り返すようじゃあ、話が進まんど。
>>231 太平洋戦争で、輸送中に攻撃されてどれだけの兵士が死にましたか?
兵士の輸送は作戦行動で、その間に兵士が捕虜になるか戦死すれば、
とっても立派な大敗北なわけで。
しかも橘丸事件は陸軍主導で、第5師団が実行した作戦行動だから、
今回ばかりは海軍に責任転嫁もできないわけで。
陸軍部隊が陸軍の作戦で国際法を無視して行動して敗北したということです。
南方総軍と第2軍には主要な責任があるでしょうよ。
上級司令部のおかげで、歩兵第11連隊は大敗北を喫したわけですな。
指揮がだめで全般状況がだめならば、負けるときは負けるんです。
だから、負けたから弱いわけではないといっているんです。
>>231 立派な戦績も良好な準備のおかげかもしれず、敵が弱かったのかもしれない。
いかな強兵でも指揮がだめならあっさり負けるわけで。
だから、負けたからといって弱兵と叩くのも、
勝ったからといって強兵と誇るのも無意味なことだといっているわけで。
それはそうと近畿兵団の弁護はしないんですか。
特定地域の兵団たたきも特定地域の兵団の自慢も無意味と思いますが、
近畿兵団に対する偏見を払底しようというのなら意味もあるでしょう。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | 次でボケて!!! | |________| ∧∧ || ( ゚д゚)|| / づΦ
で、ベリリュー島じゃ桜は何月に咲くの?
一年中
>>235 ペリリューの桜は昭和19年11月にほとんど散っちゃったよ。
あれだけ劣悪な条件でよく頑張ったよなあ・・・ しかし、死んだ英霊には申し訳ないが、島嶼防衛はやっぱ陸軍守備隊のほうが上手いよな・
英霊さんも何も死ぬまで頑張る必要なかったのにな。
「降伏」の二文字がなかったから・・弾を打ち切ったら降伏すれば・・ そんな発想があっても禁止だろうから、守備隊全員特攻隊と同じだよ・・ ∠(TдT)
>>241 降伏しても助かる保障はないが…?
硫黄島で捕虜になった人達のように、せいぜい敵の交代部隊
(第二線の部隊)が来るまで戦って生き残ってから降伏するのが
ベストだと思う。
捕虜を殺すことが日常化している第一線の部隊なんぞに降伏
出来るなんてあまいよ。
244 :
名無し三等兵 :2007/07/14(土) 20:02:14 ID:BIwtAzO9
アメリカは戦勝国だから、まずいものは全部隠すが、ペリリューにしろ ビアクにしろ相当な残虐行為を日本兵に行ったらしいよ。丁寧語でショクリョウ クスリアリマス。デテキテクダサイ。なんて降伏勧告行ったあと捕虜が 出てくると皆殺し。おまけに日本兵のどくろを戦利品とするのが流行していた らしく、ドラム缶で煮て骨だけを取り出しスーベニアとして彼女に送った。 た(戦争論 小林氏)しょせん白人はアジア人なんて人間扱いしてないから、ガソリン流し込んで火をつけ、ブルドーザーで 穴埋め。プロパガンダのため捕虜を丁寧に扱っている映像も残っているが あれはほんの一部。ベトナムでやったことはたいがい日本兵にもやってる。 玉砕も最後には死に切れない兵が相当残ったがほとんどは、撲殺かガソリン つけて焼かれたようだ。日本兵の最後なんて誰もわからないよ。
>>244 日本軍も捕虜にして情報を聞き出してから、ドラム缶に詰めて海に沈めるとかやってるんだけどな。
結局、どっちもどっち。
>>244 それは英軍だ。しかし、それもインパール戦で腐敗した皇軍兵士の亡骸が散乱して腐敗していて
衛生上の為、ガソリンかけて焼いた話だろ。
>>244 それが比較的多くの戦場で、恒常的に行われていたのであれば、
ベトナム戦争での手記が残っている程度に、太平洋戦争についても手記が残っていると考えられる。
公刊されている必要はないが、そういうものの存在を一定数示せない場合は
ある種のフレームアップというか、
日本人はアジア全土で残虐非道の限りを尽くしました!!!!!という証言をすべて是とするのと同じ姿勢。
今んとの記録手記を読むと全部で人道的だったとは思わないが全部非人道的だったとも思えん。
というかそうでなければ沖縄なんかもっとひどいことになってるよ。
>ガソリン流し込んで火をつけ、ブルドーザーで穴埋め。
コルク抜きにしろ、死体処理にしろ当時の常道だよこれ。
>>248 原住民を戦闘に巻き込みたくなかったからだよ。
あえてキツイ言葉で追い返したが、
原住民が島を離れるときには、兵士みんなで帽子を振って見送ったらしいよ。
その話は何回聞いても涙が出る ∠(TдT)
251 :
名無し三等兵 :2007/07/14(土) 22:11:20 ID:BIwtAzO9
英軍もやったさ。ただ米軍の場合、自軍の損害が多いため、頭に血がのぼった やつらが、モンキー狩りと称してまだ生きている戦闘不能の日本兵を殺しまくった。 あいつらキリスト教以外の有色人種なんか人間と思ってなかったんだ。 もっとも、日本軍自体に問題があり、降伏の白旗揚げて、出てきた米兵を 機関銃で皆殺し。手りゅう弾で爆殺。そんなことをやっているから米軍は 日本軍捕虜をできるだけ取らなかった。情報を必要とする以外は皆殺し。 だから玉砕の島からは一人も生還者がいないんだよ。湖横井庄一氏が、 どんなに呼びかけても絶対に出て行かなかったのは、実際に、日本兵捕虜 が虐殺されているのを目撃したから。 と語った事実がある。
252 :
名無し三等兵 :2007/07/14(土) 22:17:37 ID:BIwtAzO9
>降伏の白旗揚げて、出てきた米兵 訂正。日本兵が白旗を揚げて、油断して接近してきた米兵を後ろから 日本軍が機銃掃射で米兵を皆殺し。 あまりあおっても申し訳ないが、ガダル、アッツ、タラワ、で相当苦しい戦い をしたから日本兵には容赦しなかった。 故横井庄一氏 失われた戦後(講談社)から
だから、降伏するには手続きがあるだろ。 一兵卒が一人や二人で出て行っても無駄だ。
ぶーぶー言ってる奴は今の価値観で語るなってこった
>>254 とりあえず戦闘を止めないとな
降伏もクソもないだろうし
白旗揚げていても隣から撃ってこられたらオマエサン達どうする?
257 :
名無し三等兵 :2007/07/14(土) 23:00:47 ID:YfbrS/KP
命乞い
>>252 タラワはともかく、アッツは楽勝だったろ。ガダルも一時期辛かったが日本軍が勝手に餓死してくれたし。
259 :
白馬青牛 :2007/07/15(日) 00:02:26 ID:zAhYkm0P
>>232-233 相変わらず抽象的表現でレス返しゃあがるのう。また、「わけで」の
連発か。あんたの脳内妄想の「わけで」じゃ。
ほいで、ネットウヨが崇拝する渡辺昇一氏の語り口を真似たんじゃろうが、
ネットウヨ用語の「ですな」も、よう使うのう。その「ですな」云うて
誰に対して云うとるんか。
作戦行動と戦闘行為は違うど、そこんとこを誤魔化しょうるわい。
大敗北云うたら相当な戦死・戦傷者が出にゃあいけんよ。
わりゃあ、自己脳内観念論を繰り返すわい。戦闘で負けた兵団と
一緒にすなや。
戦闘師団で、兵員淫数も2万5千と多く、装備良好の仙台13Dよりも、
警備師団で、兵員1万4千と少なく、装備の劣った広島39Dの方が
活躍した華中の戦闘もあるけんのう。装備よりも地域兵団兵士の
素質もあるわい。あんたの抽象的な言こそ無意味じゃのう。
まあ、もう少し落ち着いて書いたらどうだ? 何が言いたいのか解りにくいのだが。明日でいいから(今日か)。
お国自慢板かと思った まあ橘丸事件起こした時点で広島兵団は糞と知れ
263 :
白馬青牛 :2007/07/15(日) 01:10:15 ID:MpAxCeld
>>263 いえいえ、戦国時代板にて貴殿の活躍っぷり、もとい暴走っぷりをを拝見しているものです。
>>259 >大敗北云うたら相当な戦死・戦傷者が出にゃあいけんよ
だから、そこがおかしいんだって。
戦死・戦傷者が出ても大敗北だけど、大量の捕虜が出ても大敗北なわけさ。
史上の多くの戦闘は、大量の捕虜を出して大敗北になっているわけさ。
橘丸事件を必死に弁護するために、
作戦行動中に損害を受けてもそれは戦闘行為とは別、
戦死者・戦傷者が出れば大敗北だけど、大量の捕虜が出ても大敗北でない、
などと矛盾したことをいうから、わけがわからなくなる。
橘丸事件は大量の捕虜を出した。
そして、戦時に大量の捕虜を出すのは大敗北。
故に橘丸事件は大敗北、ということ。
>>265 考えてみれば戦闘行為と同じというよりも、
戦闘行為以下ということだな。
兵員を病院船で輸送して国際法違反を行い、
臨検されて拿捕というのだから、
正当な戦闘行為よりも問題の大きな国際法違反というわけか。
それでも、
戦時に大量の捕虜を出すのは大敗北であり、
橘丸事件では大量の捕虜を出したのだから、
故に橘丸事件は大敗北、ということだよ。
元NATO軍司令ウデマイヤー曰く、「第2次世界大戦に勝者なし」、名言なり。
共産主義の一人勝ち、って説もあったけどな。
戦争に勝つほど悲惨なことはない、負けることを除けば、てイギリス人がゆってた
ID ??は自己主張したいならコテハンにでもしたら?
いざ行かん、屍の道を、我等覇権国家の歴史は血とねつ造の歴史なり。 我が国民よ、誇りの代償たらんそなた達の血を差し出せ。 我等の正義を押し立て、異教徒と異民族共を焼き払え。
はいはい、ネツゾウネツゾウ。異教徒異教徒。
アメリカ軍の負傷者が多いといっても アメ公って転んで膝擦り剥いたぐらいでも後方に下げられちゃうぐらい甘いんだろ? 日本兵はな、片腕吹っ飛んでも死ぬまで戦うんだよ。 精神の強さや根性は日本兵の方がはるかに上、というか米兵なんて話にならんw
アメ公って精神的に弱すぎるへタレだから ワザと自分で自分の身体を傷つけて「負傷しました・・もうダメです」なんっつて 戦線から離脱する奴多そうだよなww 「ママー ママー」って情けない声で叫ぶ奴らのへタレぶりが目に浮かぶぜw
そんな凄いヘタレ供に皆殺しにされたのですね
>>273 ウチの祖父は右腕の肘から下が吹き飛び、左目を失い、太股に銃弾を浴びて動きが取れない状態でも
拳銃と手榴弾で敵に応戦したと言ってた。他にも、腹部、右胸、左肩・・・といろんな処に疵痕があるよ。
周りにも同じような重傷者が居たけど、みんな闘ってたらしい。何も出来なくても、糧秣や弾薬を引きずって運んだりと
個々で必死に戦ってたそうな。中には、健常兵の盾となって敵の手榴弾で爆死したりする兵もいたらしい。
因みに沖縄戦の話。
↑ よく生きて帰れましたネ
>>275 それはアメ公の兵器・火力が凄かっただけだよ。
アメ公兵自体は全然強くない
あのなあ・38式銃でいいからライフルを1発喰らってみろ、手足くらいなら吹っ飛ぶぞ。 腹に当たれば命は無い。 まだ軽機のほうが当たり所にもよるが、こちらのほうがまだ生残確立は高い。 by猟友会
舩坂のような再生能力のある兵士を揃えられれば日本は勝てたのに。
>279 軽機も歩兵銃も同一実包を使用しています。 生存確率が高い根拠を示してください。 猟友会殿へ
>腹に当たれば命は無い。 米軍の医療設備は進んでたから、腹に当たってもすぐ治療すれば助かった米兵はかなりいたよ。
>>277 部隊自体が玉砕して、結局捕虜になったからな。
286 :
白馬青牛 :2007/07/16(月) 00:21:59 ID:zVMhvnQu
>>265-266 捕虜となったんが大敗北云うあんたの脳内妄想の方がピンボケしとる。
戦闘で負けたわけじゃないし、戦闘で負けた兵団と違い負け癖もつかん。
戦闘行為は喰うか喰われるかの彼我の命賭けの戦いじゃ。
戦闘せずに捕虜になったけえ負け癖が付くわけあるまい。
国際法違反云うんなら日本軍の捕虜虐殺は違反しとらんのか。それ以前に、
捕虜を虐殺した行為が日本人の誇りや武士道になるんか?
もうちいと、深う掘り下げて考察したらどうない。
>>273 彼我の命賭けの戦闘で、米兵のみ、そがん根性なしのわけあるまい。
ペリリュー島でも、米軍将兵の闘志が日本軍より劣っとったら、
負けとるよ。彼我共に苦しい戦闘は最後の五分間じゃ。
ガ島でも同じじゃが、彼等の闘志に負けたと云われても言い訳出来んよ。
見事な屁理屈だなww
>>279 ケネディ大統領の頭蓋骨を遠距離からバラバラにしたもんなあ<ライフル銃
あれはガーランドライフルだったっけ
米兵の負傷の詳細は、手足消失はもちろん頚椎損傷による全身不随、顔面をほぼ失ったり、両目失明、重度の精神障害等々… 救命医療がなまじ優れていただけに、その後生き続けるならまだ戦死していた方がマシだったと思わされる事例が多い。 その時彼らは確かに「ママー」と泣き叫んだだろう。果たして同じ目にあった日本兵は「お母さーん」と泣き叫ばずにいられただろうか? 日本兵の多くは死ぬ事も出来た。しかし米兵の多くはそれも出来ず長く生き続けた。それは苦痛で大変な精神力がいったはずだ。そこまでして日本人と戦った相手はいない。 そんな彼らを侮蔑する事を、英霊は望むのだろうか。英霊に対すると同様に敬意と哀悼を捧ぐべきだろう。
>>110 (
>>63 、
>>143 、
>>210 )
もれの記憶だと、その逸話こそペリリュー戦の話なんだけど。
敵の第一次上陸部隊を撃退したときの戦況。
> 「こんなやつら(黒人兵)に銃を使うのは勿体ない」と銃床で殴った
> 中には、起き上がって拳銃を向けてくる者もいた
292 :
名無し三等兵 :2007/07/16(月) 05:30:35 ID:/elAk623
>>283 日本陸軍は機関銃をショートバーストによるフルオート狙撃銃として使ったから大抵死ぬ
ペ島では日本軍の夜間斬り込みで結構白兵戦が行われ 米軍を脅かしたらしいが 白兵戦では負傷者より戦死者の方が増えるんじゃないの? 例えば日本兵が銃剣で腹を突いた場合、米兵は死ぬだろうし。
>>273 おいおい、それはアメリカ陸軍の話だろ?
米海兵隊にはそんな甘ちゃんはいないってのw
そもそも日本軍はドイツよりも危険度の高い相手であり強敵。
そこで日本軍には屈強で知られる海兵隊が当てられたのだ。
ドイツ軍相手に送られた陸軍は精神も根性もないへタレばかりだが
海兵隊は全然違うの。
米陸軍第28歩兵師団なんか特にだな。
海兵隊が上陸作戦部隊だと知らない方がいらっしゃるようで 軍板もクオリティが地に墜ちたものだな
マリーンイズワールドナンバーワンソルジャー
>>286 おちつけよ。
大隊全員が捕虜になれば負け癖の付きようもないだろ。
残存兵員は皆無で大隊が全滅だもの、その大隊は二度と闘わないわけだから。
軍事的には、戦果をあげないで全滅は最悪だろ。
それから、アメリカ軍が大いにタフなのは同意だが、
ペリリューでは消耗した海兵第1師団に陸軍師団が交代した。
予備を投入できた軍隊が予備を投入できなかった軍隊に勝ったわけで、
戦闘における日本兵の敢闘も補給と全般的体制の問題を克服できなかった例。
闘志と根性の問題にするのはおかしいと思うぞ。
海兵第一師団は「歴戦の精鋭師団」と沖縄戦本に書かれてたけど 実戦はガダルカナルとペリリューだけだったでしょ? たった2戦やっただけで、「歴戦」と書いてあるのはどうかと思うんだけど・・ 例えば日本の第3師団なんてシナ大陸で数々の戦闘を経験してて それなら「歴戦」と呼ぶことに納得できるんだけどね
>海兵隊が上陸作戦部隊だと知らない方がいらっしゃるようで でもなんでノルマンディーでは海兵隊を使わなかったんだろうね? 海兵隊を使って橋頭堡を確保して、陸軍に引き継げばよかったのに。 海兵ってあくまで太平洋でしか使えなかったんだろうか?
>283 38式歩兵銃の実包6.5_×50 96式軽機関銃実包6.5_×50 何処の軍隊でも小銃と機関銃の実包は補給を考えて同一実包を使用するのが常識です。
>288 ケネディの脳味噌を飛ばしたライフルはイタリアー製ライフルです。 ガーランドより威力が低い6.5_弾です。
マンリカー・カルカノだっけ?
カルカノでしょう。
>>299 チンピラゴロツキ相手と背水の陣を引いた皇軍相手では
経験がまるで違ってくる。
>背水の陣を引いた皇軍相手では ガ島では日本軍は斬り込みのワンパターンで背水の陣もヘチマもないじゃん。。。 海兵にとっては楽な戦いで、歴戦と言えるほど経験になったかは疑わしい
日本軍の斬り込みってそんなに効果があったのかね? 質の悪い軍刀なんてすぐに刃こぼれして一人切れるかどうかわからないし、パニック状態で刃物振り回して走ったって大して役には立たないだろう。
>>307 日本軍も戦法を工夫して、浸透して潜入して、
寝込んでいるところや司令部、物資集積所を奇襲するので、
米軍としてはものすごく怖かったらしい。
米歩哨も夜襲斬り込みを恐れてて 木の葉が揺れただけで「JAPの襲撃だぁああああ」てな感じで 小銃を撃ちまくったらしいぞ
切り込んできた日本兵を目撃した米兵の証言があったな。 日本兵が陣地に潜入し、歩哨一人を負傷させた。5人は機銃で射殺されたが残り一人は司令部のテントまで押し入ってきた。 「痩せて髭に覆われたボロボロの日本兵は、もはや発狂しているらしく爆笑しながら刀を振り回していた。大きく真っ黒な目が宙を仰ぎ異様な精気を放っていた。 ランタンの白い光りに照らされたそれはとてもこの世の光景とは思えず、駆け付けた警備兵が彼を射殺するまで、我々はただ茫然と、奇妙な演劇を見るように遠巻きにそれを見ていた。」
>>310 司令部にまで突破されたのはまずかろう。
映画「プライベートライアン」観て大いに笑わせてもらったよw ノルマンディー上陸の時に独軍に狙い撃ちにされて米軍がバタバタ死傷するんだけど 腹を撃たれ、臓物が出てる兵士が「ママーママー」と泣き叫んでるんだものw 日本兵だったらそんな情けない声出さずに武人らしく笑って死ぬよ
確かにママとは言わなかったろうな、お母ちゃんとか西の人間ならオカンとかな
緒戦のコタバル上陸だと、今際の際に半分くらいの人が天皇陛下万歳って言って 残りの半分はそれ以外のことを言ったり何も言わなかったりしたそうな。 「おかあさん」って言った死んでいった人もそれなりにいたとか。
太陽にほえろの松田優作演じるジーパン刑事の無様な最後は長さんからの 「戦争中の兵隊さんの最後の言葉は大抵、お母さんだった」というアドバイスを受けての松田優作のアドリブ
プライベートライアンにそんなシーンあったか? それにしても臓物のはみ出た日本兵がケタケタ笑い死にしてたらなんか嫌かもw
軍歌に故郷を偲ぶフレーズが多いことから察しろ
実際当時の南方の日本兵は、すでに精神に異常をきたしはじめていた。 栄養失調、マラリア他ジャングルの伝染病、高熱による脳障害に加え、軍が兵に支給したヒロポン中毒による精神障害… ついに発狂した兵は部隊を危険に陥れると見なされ、泣き声を立てる赤ん坊同様、木に縛られ石で殴り殺された。 残った兵は「次は誰が狂う番だ?」と恐怖に震え、それでも部隊に付いていく他になかった。
ニューギニアの兵隊さん達は紙吹雪の雪で号泣してたじゃないか、国士様は英霊を人間性の介在しないモンスター扱いしたいのか? それは侮辱だよ。
フィリピンの洞窟でゴーストが出てるらしいぞ。 どうにもならなかったら日本大使館に支援を求めるそうだ。 慰霊祭でもやるのかな?
連れて帰って上げたいねえ。
>>320 だがそれが事実。
紙吹雪の中で嬉し泣きした兵隊などいなかろう。
オハギが食べたい、卵焼きが食べたい…
やがて皆立ち上がる事も出来なくなり、意識も錯乱して、正気を戻した最期の一瞬に父母、妻、産まれた子供の元に帰りたくて、恐ろしいジャングルの中で泣いたんだよ。
日本兵が御国の為に勇ましく散った?とんだ嘘だ。
それこそ声なき英霊達に対する重大な侮辱だ。
>>323 戦場神経症はどの国のどの軍隊でも起こる。
別に取りたてていうほどのことじゃない。
ビンタを見舞った将軍閣下がどこかの国にいたな。
栄養失調や伝染病にも関わらずろくな手当もなし。 それでも戦わせる為に薬を与えられ、半ば廃人化した日本兵が追い込まれたのは、もはや神経症というレベルじゃない。 家畜だって病気になれば手当を受けるのに、何と言う扱いだ。 確かに日本軍ではビンタ騒ぎは起こらなかった。 あまりに当たり前過ぎて話題にも上がらなかったからだ。
>>325 兵士虐待の日本軍について悲憤慷慨するのなら別のところでどうぞ。
ここはペリリュー・スレ。
ちなみに、戦場神経症にビンタというのは効くんだよ。
>>323 紙の吹雪と柿で泣いたお
『南の島に雪が降る』参照
>>326 だが一番効くのは戦場からの離隔だそうです。んでまた戻すんだろうけど、前線に。
戦場神経症の治療って言うのは何が人道とかよくわかんないよね。
まあ日本軍が兵に施せた治療なんてビンタとゲンコツぐらいしかないからな。
>>328 補給線が通ってる限り、意外とそうでもないのが国府台陸軍病院の記録から分かります
>>324 日本軍では体罰が横行していたというのに、オマエは何を今更ビンタ位で騒いでるんだ?w
俺の通った中学も体罰が横行してたよ。
>>330 将軍がビンタをするというのがポイント。
これは日本軍においてすらめずらしいことだからねえ。
連合国軍の将軍がするのはちょっとおもしろい。
アイスクリーム製造機の列に並ぶ提督閣下もおるでよ
あの猛牛が、横入りした図々しい奴を注意で済ましたそうだな
>324 パットンだろう。 マスコミに見られたのが運の尽きだ、けど不問だろ。 旧陸軍の方がおっしゃっていました。「奉公先の丁稚をしていたときの方がもっと殴られていた。軍隊に入ったら拍子抜けした」と。 どうも体罰は陸軍より海軍のほうが酷かったらしい。
>>299 ハイチとかメキシコ(ベラクルス)とかドミニカ共とか中国とかニカラグアとか
どこも残忍さではトップレベルの国ばかりだな
>>335 後ろ弾という言葉があるくらいだからな、水兵は96式25o対空機銃で上官を射つのはちょっと無理があるからな。
戦艦陸奥だっけ?イジメに耐えかねた水兵の自爆で沈んだって説があるのは
>>299 竹槍訓練のほうがまだ戦闘と言えるチンピラゴロツキ駆除事業が「歴戦」wwww
日本語でok
>>337 >ハイチとかメキシコ(ベラクルス)とかドミニカ共とか中国とかニカラグアとか
海兵第一師団てそんな戦闘にも参加してたの?
海兵第一師団に配属されている将兵のことだろ。 海兵隊は南米の鎮撫部隊として結構派遣されてるよ。
>326 戦場神経症をいきなり本国まで戻すとアウツ。 前線から少し離れた包帯所くらいのところに置いておいて、落ち着いてきて「前線に戻 らないと戦友が……」という心理状態までもっていくようにケア。 案外アメリカは対処がヘタで、上手いのはドイツとダニガンはゆーとったな。
戦記を読むと怪我をしても早く戦友のところに戻らないと、という記述が多いね。 特に志願制の搭乗員にその傾向が強い気がする。
ハリウッド映画もそのセリフがよく出てくるが、アレは真っ赤なウソてこと?
ハリウッド映画自体が真っ赤な嘘じゃん
>>342 海兵第1師団はニュー・ブリテンにも行ってるよ。
日本の戦争映画も大嘘だらけだがな。
日本のほうがうそだらけだがな 日本ニュースとか
>350 バカめ 世界中のニュースがウソと出鱈目で出来ている 気付よ、愚か者め
そいつはありがとうよ
実は大東亜戦争なんて無かったんだけどな、生まれてないと思って年寄りどもがテキトーな事を言ってやがるんだ。
つべでペリリュー島の戦い(米制作)のドキュメンタリーを観たけど WWUの戦場の中で最も悲惨に描かれてたな。 出てくる老兵も恐怖で思い出したくないらしい感じだったし。
中川州男 なんて読むの?
なかがわ くにお大佐
盧溝橋事件(とミッドウェイの上陸部隊)ガダルカナルで戦死した隊長 一木 清直は いちき きよなお (濁らない)
茨城県[いばらき-けん] 訛っても濁らない
公式にはいばらぎけん。 いばらきって読ませようとあいつら土人がムキになって言い張ってるだけ。
↑土人乙
そんなこといったら 大阪の茨木市(イバラギ)が怒るよ 糞田舎と一緒にするなって
茨城と茨木の田舎対決
てか日本ワーストNo.1決定戦?
そうか、じゃあ県がイバラギ しがいばらきだ どっちかがちがってたはず
茨城と茨木ともに「いばらき」・・・きは濁らない。
スレ違い。 これ以上は派生議論スレへ。
369 :
355 :2007/07/26(木) 13:57:22 ID:???
ラプター売ってくれないから エンジンも買わないということか
エンジンくらい販売して欲しいネ 機体は既に完成しているし、後は完熟運転で不具合の手直しのみ、時間が掛かるな? 完成したら、きっと米国から言ってくる「F−22を買ってくれよ」
372 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 14:34:30 ID:0dL9Gn7E
ペリリュー陥落後、パラオ本島の守備隊はどうなった?
残ってたよ
保守
375 :
名無し三等兵 :2007/08/10(金) 20:56:14 ID:OEvysEQs
>>372 第十四師団(照)は常設甲編成師団だよね
現役兵員で構成された師団で
師団本部
15連隊(宇都宮)と
59連隊(前橋?一部除き)は
パラオ本島に駐留して
終戦迄飢餓に耐える事に
>>375 歩兵第15連隊(高崎)、歩兵第59連隊(宇都宮)です。
15連隊の一部はペリリューに逆上陸しましたね。
保守
気になったこと。黒人兵。 あの時期の米軍は、人種差別がひどいのは確かだが、 その表現は弾除けに使うとかではなく、逆に一線への従軍を認めないという方向。 日系人部隊と同じような扱いで黒人部隊があるくらい。 例えば硫黄島に従軍した黒人の軍関係者は、およそ900人といわれますが、 ほとんどは弾薬輸送など直接戦闘以外に配置されています。 あちこちで前線に立てるほど兵力も無いし、信頼されてません。
保守
380 :
名無し三等兵 :2007/08/25(土) 23:39:50 ID:zONgfx0f
>>378 自分等が黒人にヒドイ事し過ぎたんだろうな
欧州戦線だと第761戦車大隊「ブラック・パンサー大隊」とかは 黒人兵士主体だし一部だけど戦闘にも参加はしてるな
>>380 黒人兵士が多く戦闘に参加しはじめたのは
ベトナムからだけど、そのベトナムに従軍した
黒人が「軍隊に入ってやっと黒人だからという理由で
相手にされないようなことがなくなった」とか書いてる記事を
読んだことがあったなあ
第二次大戦中じゃあまだまだ三等国民扱いだったんだろうけど
シャバよりは白人からの対応は少しはましだったんだろうか?
黒人も徴兵したことが後の公民権運動の布石になった 第二次大戦中は黒人訓練兵に対するリンチが酷かったらしいな 黒人の書いたものは少ないのだが ちょうどジャズの大家達が徴兵世代なので軍楽隊などとして徴兵されたジャズマンの証言が少しある ただモダンのほう人の大半はまだ若かったので戦後GIになって「日本に進駐軍にいって楽しかった」ような話 「日本人のジャズクラブで演奏して神様扱いされ、以後はタダ酒」とか なお戦後ジャズマンとなった日本人は海軍軍楽隊出身者が多く もともとジャズをやりたくて楽器を覚えたり腕を磨くために軍楽隊に志願した人がかなりいた
第十四師団の部隊史見ると、「黒人兵」は事前掃海のダイバーの誤認と言う説が書いてある。 黒いスイムスーツと、黒い迷彩肌ペイントしてたから、勘違いしたんだろうという米軍談話。 それなら、「上陸第一波の黒人兵撃退」というのも、納得。 そもそも本格上陸じゃなかったといういつものパターンで説明がつく。
>>384 「レイテ戦記」にもレイテ上陸一日前の10月19日に
米軍側は上陸用舟艇によるフロッグマンによる海底調査、
日本第16師団側は接近してきた舟艇五十隻を撃退、
その際舟から黒人兵らしき数名が海中に落下と記録されてると
書いてあった。(その夜は祝賀会を開いたとか)
たぶん同じような誤認だったのだろね。
人を殺して祝賀会か。 さぞ美味い酒だったろう。
舟艇五十隻を撃退 自分達が皆殺しにされたら宴会もできないよね
逃げ場の無い劣勢の戦場で今日を生き延びた仲間との ささやかな祝い酒なのにね ・・・ゆとりの想像力の乏しさは、もはや異常
ゆとりの頭では 連合国は戦争で勝利したときに、枢軸国の無念を慮って泣かねばならないということかw 勝利の祝宴などもってのほかと。
飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ
殺すか殺されるかの世界だから 生き残ったほうが勝ちだってわからないらしい こいつの理論では、入試でも、出世競争でも 勝つのは悪だから、山奥にこもるといいよ
どうやったら
>>386 のような才能を身に付けられるんだろう?
全くその発想はなかったわ。本当に天才だわ。
386は発想が偏狭だよ そもそも戦争なんかそんなもの
現実みんな死んでるからな
>>386 のような才能の持ち主はハングル板とかにたくさんいるよ
ホロン部などといわれている
保守
保守age
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|:::::::::::::::/ | __」 / 斗-=ト、\ │ 【TOPページ】
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, / ∧:::::::::::::ヽ| / '! / .|/、| / /_, __| ム │ヽ l <捏造大好きアホだつおの寝言よりは面白いよ。
/ `ー‐/ :! /| / | / _,.ニl_` |/ 〃⌒' ∧'. |:.、 ヽ!
/ / :::::::|∧! / ヽ' 孑 '⌒` / '' ' } ヘ |:::::\ みんなも見てみよう!!
〃/::::::::::::::|:::::| | '. '' 丶 ,′ ヽ!::::::::: \
// / ::::::::::::::::::::入∧ 、 r‐-イ .イ ト- 、::::::::ヘ きっと勉強になるわ!!
/:::::::::::::::;: '"/_,.L厶 ト、. ゝ ノ /| ト、 | \::::'.
/:::::::::;: '"厂::::二ニ、::::::ヘ | \> . _,. <_ l!ノ \.│ \| マコリンもとってもかわいいの!!
─‐′〃/::/ `ヽ:::.. | 、 \ /. 了'ー─:ヽ|_
/ {:/ ____ \:!::::\ \ | |:::::ヽ::::::::::::ヽ.
/ ,. <´:::::::::::::::::::`‐-、\::::::\ ヘ| |::::::::l:::::::::::::::::ト、
. // ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\}::::::::::ヽ. | |::::::::::::::::::::::::::| \
cd
401 :
名無し三等兵 :2007/09/09(日) 12:00:59 ID:lg4SNKpb
先週ペリリューに行ってきました。 日本軍の戦車の残骸を見てみると、エンジンが居室内部にありました。 車でいうと進行方向に向かって右側のリアシートあたり。 満州ならともかく、ペリリューではひどく暑かったでしょう。
>>401 私もいつかは、ペリリューに行ってみたいと思っています。
>>401 ペリリューに眠る英霊に敬礼! ∠(TдT)
>>300 WW1以降のWW2終了までの海兵隊は、有事においては対日上陸作戦専門部隊となるべく自らを特化することで組織としての生き残りを図ってる。野中郁次郎「アメリカ海兵隊」参照。
>>306-307 ガダルカナルで海兵隊は、ドイツ原産の、それまで見た事も聞いたこともなかった日本軍の新兵器
「火炎放射器」
に遭遇して、防衛・攻撃の双方で散々苦戦した。
で、直ちに注文出して、4ヵ月後には大量装備を終えたとか。
しかも、日本製より射程のある強力な奴な
ペリリュー島には、まだ多くの遺骨が残されているんだろうね・・・。
でもそんなの関係ねえ!
>>404 >「火炎放射器」
>に遭遇して、防衛・攻撃の双方で散々苦戦した。
ソースは〜?
そんなの関係ねえ!
>>408 海軍の設営隊が九三式火炎放射器を装備していたのは本当みたいだよ。
色々な書物で、その様な記述が散見される。
日本軍が火炎放射器を持ってたことを疑ってるんじゃなくて、 海兵隊がそれまで火炎放射器を知らずにいたという点、およびそれで苦戦した点を疑ってるのかと。
そんなの関係ねー!
第一次大戦には、火炎放射器は使われていたからねぇー。 アメリカが知らないって事はなかったはずだが・・・。
414 :
名無し三等兵 :2007/09/21(金) 01:05:14 ID:QDfMltZX
中川大佐の帝国軍人が貴様ら土人と〜のエピソードってマジなの? このエピソードを読んだとき初めてインターネット相手に 号泣したんだけど…。 嘘だったらちょっとショック。
どないやろと思って flamethrower Peleliu で検索してみたら 米海兵隊が日本軍陣地を焼き払ってる話しか出てこないorz よつべにも狙ったかのようにペリリュー戦で火炎放射器つかってる 飴兵の映像有り
>>414 この話だよね。
▼帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか! 1944年(昭和19年)ぺリリュー島守備隊長中川州男大佐
世界一の親日国家パラオ共和国(1994年アメリカ合衆国から独立)で語り継がれている話
当時、島には日本軍が進駐し陣地が作られ、老人や村の若者達はその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという、「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに、、、見せかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、
手を振って彼らを見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと、、、
ソース:
http://www.chiangmai-map.com/document/asia_nihon/ この話の裏付け。
ペリリュー神社
ペリリュー島は、現地住民の住んでいる島です。島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているいて、
大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。
しかし日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、
空襲を避けつつ夜間を利用して全員をコロール島に退避させました。
この誠意が通じたのか、戦いが終わって帰島した彼らは、日本人の遺体を見て泣いたそうです。
島民はこぞって日本軍の遺体を葬り、墓地の清掃に心掛けました。
ソース:
http://www.palaudivers.net/pdn/aph.htm
男一世一代の演技だな
演技とは言え叫んだときは辛かったろうな。
>>416 この話 知っているけど何度読んでも泣ける・・・
>>416 これをドラマ化すればいいのに…、基地外共がうるさそうだけど
軍事オンチの福島瑞穂あたりが騒ぎそうだなw
火炎放射器は米軍も当然知っても持ってもいたと思うが(4ヶ月で大量装備だし) 「日本軍が持っていた」というのが寝耳に水だったという話ではないかと
そもそも、WW1から独軍使ってたろ
それをあの戦場で投入されるとは思っていなかったと
>>425 存在価値なしだもんな、社民党。
国民がそう審判した結果だもんな。
社民党が自衛隊を容認した時点でその凋落はわかっていたな。
世界一の親日国家パラオ共和国の独立記念式典。 彼らは日本からの出席・祝電を待ち望んでいた。 しかし、日本から出席はおろか、祝電すら届かなかった。 時の内閣総理大臣は、社民党の村山富市。 俺は、政治的な話をスレに持ち込むのは嫌いであるが、村山だけは許せない。 社民党が凋落するのも当然である。 かの、阪神大震災の時の対応も、ダイエーよりも初動が遅かった。
429 :
名無し三等兵 :2007/09/22(土) 10:43:27 ID:q7aMojbv
よし俺ニートだけど、いつか416を映画化するんだ。そのためにこれから 頑張るよ。
彼我戦力差、甚だ大なり。 一兵士に至るまで敢闘精神をもって敵に当たらんとするも、 時局は我に不利と成りつつあり。 万一の事態に陥れば、無電これ満足に機能せざるを考慮し、 軍旗奉焼、機密書類焼却、無電機破壊の時局と相成った折り、 サクラ連送をもって、これに代えることとする旨ご通知申しあぐ。
−・−・− ・・・− ・・・ −・−・− ・・・− ・・・
桜咲いてるぞー
434 :
名無し三等兵 :2007/10/14(日) 16:48:17 ID:gfPFfD0r
>>5 >ペリリュー島に住んでいた住民全員をパラオ本島に退避
これは嘘でしょ
パラオ本島にアメリカ軍が上陸する可能性も十分あったんだから
ペリリュー島に住んでいた住民を移住させたのは昭和18年後半、
大本営参謀の晴気誠がマリアナ・パラオを視察し
ペリリューにアメリカ軍上陸の可能性が高いと判断したのが昭和19年3月
アンガウルでは住民の一部が軍属作業員として残ってたみたいだね。 玉砕前に、軍令で投降させてる。
>>434 島がずっと大きいから、なんぼか安全という見方もあったのかもしれないよ。
作戦上の都合が大きいだろうけどね。
ニミッツのポエムってやっぱり捏造臭いね。
石碑の文面の真贋なんて立てる側にとってはどうでもいいんだろう 東南アジア・太平洋に散らばる旧日本軍の戦跡に 石碑を建てるのを口実に企業から協賛金を集めるというビジネスモデルは80年代に日本青年社の衛藤豊久が確立 最近はチャンネル桜や産経新聞がそれをマネしてフィリピンや台湾の石碑で募金集めをしていたが
おれがかいたよ トイレで
age
>>434 洞窟掘りなどで徴用していた現地民のことを言ってんじゃないの?
age
443 :
sage :2007/11/10(土) 10:09:17 ID:xGw45wfZ
ウソだとしたら、なんで退避させたのだろう? 誰かおせ〜て。
原住民なんて道連れにしても仕方ないだろうしな 嘘じゃないじゃないか パラオでビジネスはやりやすいみたいだよ
アメリカの攻撃前に原住民を疎開させたというのは嘘 原住民の畠をつぶして飛行場を作ろうとしたので邪魔な原住民を移住させた。 だいたいア号作戦(マリアナ沖)発令時、大本営はアメリカ軍はパラオ方面に侵攻すると予想していた。
昭和18年後半 パラオ方面の防衛強化 ペリリュー島の飛行場建設 ペリリュー島原住民をパラオ本島へ移住 昭和19年3月 大本営参謀の晴気誠がマリアナ・パラオの防衛体制を視察(ペリリューにアメリカ軍上陸の可能性が高いと判断) パラオにいた部隊をペリリューに移動 昭和19年5月 ア号作戦計画(アメリカの侵攻地点をパラオ・ペリリューと想定) 昭和19年6月 マリアナ沖海戦で日本軍は制空権制海権喪失、パラオ(兵力5万)、ペリリュー(兵力1万)は孤立 昭和19年9月 アメリカ軍がパリリュー島に上陸 昭和19年11月 パリリュー島玉砕、 アメリカ軍は飛び石作戦でパラオ本島に侵攻せず(パラオ本島で飢餓状態発生、終戦までに餓死者数千人)
昭和18年後半 パラオ方面の防衛強化 ペリリュー島の飛行場建設 ペリリュー島原住民をパラオ本島へ移住 昭和19年3月 大本営参謀の晴気誠がマリアナ・パラオの防衛体制を視察(ペリリューにアメリカ軍上陸の可能性が高いと判断) パラオにいた部隊をペリリューに移動 昭和19年5月 ア号作戦計画(アメリカの侵攻地点をパラオ・ペリリューと想定) 昭和19年6月 マリアナ沖海戦で日本軍は制空権制海権喪失、パラオ(兵力5万)、ペリリュー(兵力1万)は孤立 昭和19年9月 アメリカ軍がペリリュー島に上陸 昭和19年11月 ペリリュー島玉砕、 アメリカ軍は飛び石作戦でパラオ本島に侵攻せず(パラオ本島で飢餓状態発生、終戦までに餓死者数千人)
保守
保守
なんだ、まだ人外飼ってたのか 動物殺して良心痛む奴なんかいないぞ 害虫は駆除しないと巻き添え喰らうからな
日本軍は機関銃で海岸の米兵を撃っていたから頭の上を銃弾を通過するだけ。 迫撃砲とかで打ち込まれていたら被害が大きかったろうと、米兵の話。 出典はサンケイの絵本w
>>451 その絵本は正しいなw
タラワでもそうだけど、日本は迫撃砲軽視の考えがあって十分な迫撃砲が用意出来なかった。
唯一十分とはいえないけどそれなりの数が揃ったのは硫黄島以降だし。
>>451 それは多分ほんとだろうな
伏せた姿勢で軽機関銃を撃ったことあるけど弾がみんな上に外れて恥じかいたことある
>>452 コンバットマガジン連載の海兵隊史だと海兵側は、うは何この迫撃砲厨、くらいに日本軍を評価してるんだよね。
うちらは81mmと60mmしかないのに多種多様に取り揃えてって(ここ敗因だよな…)
ただ、命中精度重視しすぎ、現代の迫撃砲というより昔ながらの攻城臼砲の携帯版な造りだとか。
独ソ戦の戦訓生かして、もっと早い段階で120mmの大量整備に踏み切っていればねえ…惜しまれる。
絶対国防圏の中にありながら、制空権・制海権が無かったから、補給もままならず・・・。
457 :
名無し三等兵 :2007/12/07(金) 11:14:20 ID:0pcIehqD
89式擲弾発射筒でかんべんしてくだせぇ
命中精度が良かったからだろ 日本の迫の人 微妙な射程距離といい
459 :
名無し三等兵 :2007/12/08(土) 08:44:46 ID:kJ4iMsGU
大日本帝国の迫撃砲はヒジョーーーーに不発弾が多かったそうです。
>>454 たしか、日本陸軍が迫撃砲の便利さに気付いたのは、WW2独ソ戦よりも前の支那事変中。
あわてて曲射歩兵砲の整備に動いてる。
迫撃砲は弾がもったいないから大量配備されなかったとも聞くが、 擲弾筒は大量配備しているのだから似たようなものだと思うわけだが。 迫撃砲の専門家を育てれば擲弾筒より命中率が良くなってかえって弾薬を節約できるかも。 ただ擲弾筒ほど融通は利かないと思うが。
462 :
名無し三等兵 :2007/12/19(水) 13:10:22 ID:tW8Bgz/R
パラオの高崎十五連隊の第一大隊で、本島にいて生き延びた祖父の弟さんの話。 赤痢の疑いがあって、パラオに飛ぶのが少し遅れ、所属部隊と離れてしまい パラオに着いたときは、自分の部下が先にぺリリューへ派遣されてて 合流できないままに終戦を迎えたそうです。 そしてこの時パラオへ向けてのサイパンを経由した飛んだ便が、 サイパン最後の便(二式飛行艇)で、翌日に米軍がサイパン島へ上陸したそうです。 パラオ本島へ着いた後、移動手段が無く、そのまま本島守備に当たり 終戦時、大隊長だったそうですが、この場合第一大隊になるのでしょうか? 詳しく聞けなかったのでよくわかんないんですけど、 ぺリリューへいった部下は全滅だったそうです。
パラオ本島はアメリカ軍が上陸しなかったが、日本軍が多すぎて飢餓地獄だったそうですね。
>>462 師団戦記によると以下のようです。
第15連隊は、第1大隊と第2大隊が本島に展開し、第3大隊(千明大隊)がペリリューでした。
後に、第2大隊も逆上陸でペリリューへ揚がっています。
第1大隊も逆上陸が計画されましたが、先発の第2大隊長からの進言で中止されました。
上記3個大隊のほか、ペリリュー戦中の11月に現地で第4大隊が編成されたようです。
なお、第15連隊は師団の海上機動連隊だったため、機関砲中隊などが付く予定でしたが、
後続中サイパン沖で海没し、サイパンで再編成中に米軍上陸を迎えてしまい玉砕しています。
参考までに、連隊の大隊長の名前を記しておきます。
第1大隊が今野少佐、第2大隊が飯田少佐、第3大隊が山本大尉→千明大尉
第3大隊の山本大尉は、現地編成の独混第53旅団の独歩第350大隊長に転出しています。
残念ながら第4大隊の大隊長の名前は載っていません。
保守
大本営情報参謀の堀少佐が作成した、米軍戦法早わかり を最初に講義したのが第十四 師団であった。その中でも特に中川州男大佐が最も熱心に学んでいた。 そして栗林中将にも講義を行った。 昭和19年に、米軍戦法早わかりが出来るまで、日本軍には米軍の戦術、武器などを研究 することも全くやっておらず、それまでは中国戦線での戦法を米軍相手に実行していた。
何をやればいいのか全くわからず苦労した「情報」参謀の話か。
>466 「華中作戦」によると、その中国から歩兵学校へ入校するべく若手将校が帰ってきて、 学校でとりあえず中国戦線悩みの種の迫撃砲対策なんかない?って聞こうと思ったら、 あいも変わらずソ連・満州間国境陣地突破対策ばかりやっていてorz、だったりするけどな。
昭和19年になっても、陸軍大学の作戦研究は、対ソ連戦であった。 昭和天皇臨席の兵碁演習でも、対ソ連戦が実施されたので、天皇は怒り対米戦はなぜ研究 しないのかとの質問により、初めて対米戦の研究が開始されることとなった。もう遅い。
>>469 遅いというかなんというか。
それにしても、この議論は海上護衛戦スレでも見たな。
この問題に焦点が当たりはじめているのかな。
恐らく、米国の軍備、戦術、生産力が全く不明なので、研究の手がかりが得られないので、 対米戦の研究を避けていたのだと思う。 つまり陸軍は米国を知らないで、戦争を始めたのだ。
>>471 別スレでも指摘があることだけど、陸軍の戦略ドクトリンでは、
敵制海権下の島嶼戦では必ず負ける(まあ当然だな)。
逆に味方制海権下の島嶼戦では必ず勝つ(これも当然だな)。
だから、陸軍は島嶼に兵をばらまくなどということはすべきでなく、
海軍が主体にして太平洋正面を防御すべきで、
島嶼そのものの防衛には陸戦隊でも充分と言うことになっていた。
佐藤賢了や山内正文のように、米で勉強した陸軍軍人は多いよ。
大正時代からアメリカは陸軍のお手本であるので。
陸軍は大陸での戦闘を目的に準備していたのに、なぜあれ程対戦車武器の研究、開発が 遅れていたのだろう。T-34などの情報は1941年には得ていたのに、速射砲は47mmまでで それ以降の開発も行っていないし装備定数も少ない。 対ソ戦では、対戦車武器が決戦武器であることは理解していると思うが。
ドイツ軍がソ連に侵攻した時、1個歩兵師団に72門の対戦車砲を装備していたが、それでも 苦戦している。関東軍1個師団には12門しか無い。 本気で対ソ戦を準備していたとはとうてい信じられない。
1941年に関東軍は14個師団。それに対して1941年の対ソ連侵攻のドイツ軍は約200個師団 本気で対ソ戦を準備していたとはとうてい信じられない。
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age
478 :
名無し三等兵 :2008/01/23(水) 18:37:24 ID:70K1VXBK
だって日露戦争をもう一回するつもりだもん。そもそもほかの状況で出来る戦なんか有り得ないし。
まあ開発したところで生産も配備も追いつかなかったのは確実だし みんなビンボが悪いんや
陸海が別の仮想敵国を持ち戦略に一貫性がないのが問題。 海軍の軍艦なんぞスクラップにしてしまえ。
パラオとの友好を唱えて金を集めてた増田俊男がついに告訴されたね。 日本だけでなくパラオ人からも金を集めて金を返さないので入国禁止になってるとのこと。 こんな詐欺師が唱えるパラオとの友好、 多くの保守系ブログでは増田俊男を引用してる人が多かったが、 中には金を出してしまった人もいるんじゃなかろうか?