1 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:19:59 ID:reMvVPOr
2 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:20:41 ID:46pJbatY
2ならお昼はソーキすば
3 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:22:27 ID:reMvVPOr
3ならおやつは、ちんすこう。
4 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:32:06 ID:???
4なら、ちゃんぷる亭で一杯。
5 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:34:28 ID:???
5なら、底抜けの青空。
6 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:36:18 ID:???
6なら、いい風が吹く。
7 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:38:35 ID:???
7なら、ミルクのにおい。
8 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:43:47 ID:???
8なら、水族館でデート。
9 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:45:38 ID:???
9なら、ハブ対マングース。
10 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:46:48 ID:???
10なら、島唄が聞こえる。
11 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 09:59:02 ID:reMvVPOr
1945年4月1日、強大な米水陸両用部隊が沖縄に殺到し
た。その数、実に18万3000人の大部隊であった。これ
をむかえ撃つ第32軍6万7000人を主力とする日本軍との
あいだに、血みどろの死闘がくりひろげられた。おおく
の民間人も戦火にたおれ、海上では神風特攻隊が決死の
総攻撃を米艦隊にくわえた。チャーチルをして"軍事史
上もっとも苛烈で、もっとも有名な戦い"といわしめた、
太平洋戦域最後の決戦であった。
12 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 10:21:26 ID:reMvVPOr
短歌や俳句の投稿もお待ちしております。
13 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 10:54:35 ID:reMvVPOr
若鷲の バリー・ピットを 受けてみよ
みかど守るは やまとだましい
14 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 10:58:12 ID:reMvVPOr
片道の 燃料だけで 大和ゆく
さらば家族よ あとは頼むぞ
15 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:28:12 ID:reMvVPOr
1945年4月1日 米軍の攻撃部隊第一波5万人が、抵抗を受けることなく
沖縄の海岸に上陸。
1945年4月6日と7日 255機の特攻機が、沖縄の沖合に停泊している
米大艦隊を攻撃。また、大和は特攻作戦のため片道
航行の出撃を行った。
沖縄決戦中、のべ1900機の特攻機が特攻攻撃を行い、14.7%が有効だった。
(アメリカ側資料より)
16 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:28:15 ID:???
17 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:31:21 ID:reMvVPOr
>>16 重複スレではありません。ここは感傷的なスレなのです。
18 :
誘導:2007/06/22(金) 11:39:45 ID:???
19 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:46:39 ID:reMvVPOr
1945年4月6日午後3時 戦艦大和とその護衛艦隊が徳山海軍基地から出撃。
戦艦:大和
軽巡:矢矧(やはぎ)
駆逐艦:冬月 涼月 磯風 浜風 雪風 朝霜 霞 初霜
任務:沖縄の米軍上陸地域と泊地とを砲撃すること。
米軍の航空援護部隊を引きつけ、神風特攻機の
米軍上陸船団攻撃の囮となること。
20 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:50:28 ID:reMvVPOr
削除確定なら、花束1つ。
今日の与座と八重瀬の空は、左に半月、右に一番星。
綺麗な夜空でしたよ。
特に混成団の空は、透き通るような、輝くような夕の空。
で、平和記念公園は式典に向けて何台かの車が出入り中。
最近の砂糖棒〜大道森は平和の一言。
市民の朝のマラソンコースとか。
合掌
22 :
名無し三等兵:2007/06/24(日) 04:16:49 ID:cFDuG7gh
・「日本軍がいなければ自決なんかしませんよ」。沖縄県南風原町の仲程シゲさん(77)は悔しさを
にじませた。その額には62年前、沖縄戦で受けた艦砲射撃の砲弾の破片とともに、集団自決や
日本兵による住民虐殺のいまわしい記憶が刻まれている。
仲程さんは戦火が迫った5月、母カマさんと13歳、10歳の弟、おじ、おばら計13人で避難を始めた。
火炎放射器で焼き払われていた米須集落で、激しい艦砲射撃に襲われた。おばがうめいて倒れた。
カマさんが「姉さん、恨まないでね」と額に手を当てると息を引き取った。足の肉をえぐりとられて倒れた
おじは「戦争が終わったら遺骨を取りにきてくれ」と言った。残していくしかなかった。
翌日、隠れていた山中で砲弾がさく裂。仲程さんの額に破片がめり込んだ。さらに次の日、一人の沖縄の
青年が、隠れている住民に呼びかけた。「アメリカの捕虜になったほうがいい。みんなで出て行こう」
すると2人の日本兵が走り寄り「こんなバカがいるから沖縄は負けるんだ」と言い放つや、日本刀で
青年の首を切った。怖くなって下りた断崖。海には赤ん坊の死体が浮き、岸辺には破傷風で苦しむ
人たちが大勢いた。1週間近く、水だけでしのいだ。
仲程さんが捕虜になったのは26日。別の日本兵が「日本は負けた。民間人は出て行ったほうがいい」と
言ってくれた。当時、「米軍に捕まると、女は強姦され、男は戦車でひき殺される」と言われていた。
「この日本兵は命の恩人です」。
仲程さんは、文科省の教科書検定に声を震わせて怒る。「軍さえいなければこんなことにはならなかった。
人の命を大切にするのが教育なのに、あったことをなかったことにするとは何事ですか。生かされた私は
亡くなった人の嘆き、苦しみ、悲しみを伝えなければならない」
改憲を急ぐ安倍首相にも厳しい視線を向ける。「憲法9条は絶対守らなければだめ。首相は沖縄戦も
空襲も知らないのに何を言うか。爆弾が家に落ちれば分かる。戦の末に生まれた基地がある限り、
沖縄の戦後は終わらないですよ」(一部略)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070623k0000e040055000c.html
モタモタしていると沖縄に行く前に、戦争が終わっちまうぞ!