1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2007/06/15(金) 10:36:20 ID:???
2げつ
3 :
名無し三等兵:2007/06/15(金) 13:52:08 ID:???
散華っつ
4 :
名無し三等兵:2007/06/16(土) 10:04:25 ID:???
四方の海
5 :
名無し三等兵:2007/06/17(日) 20:29:03 ID:???
(戦車隊が撤収し、7月11日以降は兵員の)「疲労と消耗のために遂に攻撃を中止し、進出戦に陣地を構築して
敵と睨み合ったまま滞陣状態に陥った」
戦況報告のため、辻参謀はハイラルに一旦引き揚げる。宿舎で休んでいると
> 土建屋が芸妓を揚げて、酒池肉林の中に気炎を吐いている。
>
> 戦争が起こったらまた金儲けが出来るぞ。軍人の馬鹿共が儲かりもしないのに、生命を捨ておる。
> 阿呆な奴じゃ・・・・
>
> 襖一重のこの乱痴気騒ぎを、遂に黙視することが出来なかった。大人げない話であるが、いきなりその室に入って
> なにも言わず、数名のゴロツキ利権屋に鉄拳を見舞った。
>
> 兵隊が一枚の葉書で召集せられ、数年間北満の砂漠に苦しみながら、故郷に残した老父母や、祭祀に、一円の
> 仕送りさえ出来ず、決戦死闘の戦場で散っていく姿を思い、その背後で戦争成金が贅を尽くしているのを見ると、
> 体内の全血管が爆発しそうになるのを、押さえることが出来なかった。
「ノモンハン」辻政信 原書房
6 :
名無し三等兵:2007/06/17(日) 20:29:55 ID:???
妻子
7 :
名無し三等兵:2007/06/17(日) 22:25:52 ID:???
8 :
名無し三等兵:2007/06/18(月) 08:18:21 ID:lFcJbccu
朝挙げ
9 :
名無し三等兵 :2007/06/20(水) 22:21:30 ID:???
10 :
名無し三等兵:2007/06/20(水) 22:59:31 ID:???
辻にしろ牟田口にしろ言ってることは少年漫画の熱血主人公並に素晴らしい
11 :
名無し三等兵:2007/06/21(木) 01:24:20 ID:???
悲しいことに能力は足りなかったがな
12 :
名無し三等兵:2007/06/21(木) 10:02:24 ID:???
少なくとも辻ーんは、能力的にも悪くないと思うよ。
最前線にいる限り。
13 :
名無し三等兵:2007/06/21(木) 12:18:55 ID:???
辻は中隊長か大隊長なら有能な指揮官だが、
参謀としては悲しいほど能力が足りないでFA。
14 :
名無し三等兵:2007/06/21(木) 12:42:39 ID:???
根拠も無しにFAと言われても・・・・
15 :
名無し三等兵:2007/06/21(木) 13:35:58 ID:???
つじーんの場合、無能だから問題があるのではなく、
なまじ有能だから問題が大きいのだと思う。
16 :
名無し三等兵:2007/06/21(木) 20:45:11 ID:???
戦国時代ならあれで良かったのだろうが。
17 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 04:55:12 ID:???
>辻政信
> 彼は酒は嫌いではない方で、酒量も相当だったが、料理屋に出入りすることを嫌い、芸者が酌をしようとしても、受けなかった。
> まして人が女遊びに誘っても、絶対に乗らなかった。隊内の下士官たちの間では、辻が女の所に泊ることがあるかどうかで、
> 賭けが行なわれたが、結局泊る方に賭けた方が負けたという伝説が、今日も残っている。
> 彼はいつも部下と同じ食物を食べ、部下と苦労を共にするように努めた。行軍中休憩するときも、ほかの将校や下士官は、
> まず腰をおろして休むのに、彼一人腰をおろさず、兵たちを見廻っていちいちねぎらいの声をかけ、特に疲労した者があると、
> ゲートルをはずしてゆっくり休めと勧めた。
>
> 将校は兵に比べて軽装で、疲労度がすくないとはいえ、実際にはなかなかできることではなかった。まして辻少尉は背嚢に
> 煉瓦を入れ、重い靴をはき、兵の銃まで持ってやっているのである。兵士たちの辻に対する尊敬は、信仰にまで高まった。
杉森久英 「参謀・辻政信」
18 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 06:49:09 ID:???
なんつーか、典型的な日本型組織で出世できる人物だな。
ただしその日本型組織自体が本格的な戦争で役立つ組織ではないのだが。
19 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:19:33 ID:???
>17
前線の下級指揮官として必要な資質を豊富に持っているな。
だが、その一方でいつでも火力無視の総攻撃しかないイノシシで
上級指揮官あるいは参謀には不適格であるという事実が歴然としてある。
20 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 11:52:27 ID:???
火力を理由に攻撃をしないという選択を受け入れないだけで
実際、ノモンハンでもガダルでも火力集めて使うことには熱心なのが面白い。
21 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 16:27:23 ID:???
辻ーんにはアクセルしか無いのだ。
22 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 19:11:36 ID:???
>>20 秀才なので、一応、教科書的な知識は豊富に持っているのだろう。
23 :
名無し三等兵:2007/06/22(金) 19:27:07 ID:???
>22
辻ーんの行動は旧軍のマニュアル通りなんだよね。
ガ島もノモンハンも笑っちゃうぐらい歩兵操典通りに行動している。
そういう意味では陸軍の期待通りの質の将校なんだわな。
24 :
名無し三等兵:2007/06/23(土) 04:16:01 ID:???
機動防衛とか考えられないのか…辻は
25 :
名無し三等兵:2007/06/23(土) 10:36:48 ID:46jbqnQA
辻先生の悪口禁止
26 :
名無し三等兵:2007/06/23(土) 11:17:33 ID:6SkgfuK/
>>18 ハニートラップに引っ掛かりまくりな
自衛隊幹部に爪の垢を煎じて飲ませたい
27 :
名無し三等兵:2007/06/24(日) 18:14:27 ID:yDAVzVMJ
辻ーんの政治力があれば日本戦車部隊の敵前逃亡は阻止できた筈なのに逃げられてしまった。
37o対戦車砲部隊の指揮官が戦車生産など不要!って言うぐらい激怒した帝国陸軍最悪の不祥事
28 :
名無し三等兵:2007/06/26(火) 22:59:29 ID:oUZaqlyC
辻料理学校
29 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 01:25:13 ID:???
>>27 逃げなきゃ全滅でしたから。
しかたがない。
30 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 05:56:38 ID:???
>>29味方見捨てるぐらいなら全滅しろよwwwww
戦死した約四個師団の英霊に恥ずかしいと思わんのか
31 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 07:20:27 ID:???
撤退命令だしたのは辻じゃなかったけか?
32 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 08:15:48 ID:???
>>30 国境紛争ごときで日本軍機甲部隊の大部分が壊滅した場合、
非常にまずいだろう。妥当な判断だ。
33 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 09:04:54 ID:???
山下奉文将軍は辻ちゃんを、小人とみていたみたいだね
34 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 17:58:37 ID:???
>>30 いつどこの軍隊がノモンハンで四個師団全滅したんだ?
35 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 18:07:13 ID:???
>>31 戦車団の引揚を命じてきたのは、もっと上。
辻参謀が出張っていた第六軍レベルでは、寝耳に水で困った。
36 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 18:32:01 ID:???
>>34大雑把にそれぐらい戦死か行方不明になったのが日本軍
37 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 18:48:37 ID:???
>>36 師団の人員数を計算間違いしていると思うな。
38 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 19:33:29 ID:???
>>27 戦車戦では日本戦車がソ連を圧倒してたんだが、上層部の命令で引き揚げてる。
前から予定されていた戦車隊再編のためらしい。
39 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 19:34:10 ID:???
>>37現実問題として弾薬補給を渋った参謀本部のボケナスどもの所為で師団単位で消えたやん。
ノモンハンで消息を絶った後WW2終戦時に欧州で発見された朝鮮人か台湾人部隊なぞも居る
40 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 19:52:39 ID:???
いずれにせよソ連軍の方が死傷者数は大きかったんだし。
41 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 19:59:55 ID:???
ノモンハン戦を観るとやはりソ連軍は世界最強だよな。
なんせかき集めたばかりの低錬度の兵隊にまともな教育をされていない将校で編制されていたのに
徹底的に訓練されていた日本軍の第一線級部隊を壊滅できたんだからな。
これが兵と将校が充分に教育されていたら正に無敵だよ。
42 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 20:04:47 ID:???
どうなんだろう? 前スレによるとソ連軍は物凄く弱くて大損害を受けていたのだが
43 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 20:09:46 ID:???
これからは
「ノモンハン事件において、日本軍はソ連軍を各所で打ち破り大損害を与え、大勝利をしたが、
ソ連の軍人による殺人や破壊工作の前に、ソビエト有利に国境を確定させざるを得なかった」
と教科書に載せるべきだな。
44 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 20:14:59 ID:???
>>42何のことは無い。ギャグとしか思えない備蓄数の砲弾が尽きた途端に各所で突破されてジエンド
45 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 21:07:23 ID:???
>>43 国境線の策定は日ソで半々と言うのが前スレの結論だったな。
>>44 ソ連は撤退するふりして日本軍を安心させて、隙を付いて一挙に攻めてきてた。
それで多大な損害を受けてしまったのだが、日本が反撃する直前に停戦成立。
関東軍は残念がってた
46 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 21:43:17 ID:???
ソ連は続々増援部隊を送り込んでいたのだが、
日本側の偵察機が、撤退の車列と誤報し続けた。
鉄道から遠いので、この方面での攻勢はありえないという甘い判断に加え、
弾薬切れと中央の方針による増援兵力不足で、日本側の攻勢が続行不能になったのもあり、
冷戦的にらみ合いになるという希望的観測に陥った。
ソ連側の攻勢を受けて、なりふりかまわず増援部隊を送り込んだ。
日本中の航空部隊をかき集め、作戦中の支那戦線からも兵器・弾薬をぶっこ抜き、
撤退した戦車団隷下で新設したばかりの戦車第五連隊も出撃。
幸いソ連側の攻勢は主張国境で停止したので、増援部隊の到着はかろうじて間に合った。
その後、紛争地帯正面から外れていた戦域で、新鋭2個連隊つぎ込んで攻め立てて、
警備していたモンゴル騎兵増強1個「連隊」(600人)を追い払って、
多大な損害を受けつつも、なんとか陣取りでは半々に持って行った。
残念どころか、ドイツとポーランドに救われたと言ってよい際どい状況。
47 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 23:08:29 ID:???
ノモンハン事件時の日本陸軍戦闘機部隊総兵力
10個戦隊+1個独立中隊=23個中隊(九七戦×15、九五戦×8)
うち4個戦隊=12個中隊(すべて九七戦。事件中新設含む)が、第二次事件の主力として活動。
8月末以降に3個戦隊=8個中隊(九七戦×2、九五戦×6)が増援として作戦参加。
計20個中隊投入。中支(59戦隊)や南支(64戦隊)からも転用。
残り3個中隊(九七戦×1、九五戦×2)
例えば停戦近い9月上旬に戦場加入した第59戦隊(九七戦2個中隊)の場合。
第四次タムスク爆撃(9月15日)に参加して、第一中隊は半数の6機が撃墜され全員戦死(中隊長含む)。
帰還したうちの1機も中破し、操縦者は重傷。
48 :
名無し三等兵:2007/06/29(金) 23:54:21 ID:???
>>38 圧倒してない圧倒してないって。そもそも日ソの戦車戦はそんなに多く発生していない。何故なら日本戦車隊は早期に引き上げられたから。
ただソ連戦車は長期間戦場で戦ったこともあり、速射砲や歩兵との戦闘でかなり大きな損害を受けたのは本当。
49 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:08:40 ID:???
>>48 でも、前スレに資料出てるし戦車戦では日本が圧倒したって話だよ。
50 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:53:00 ID:???
前スレの資料ってこれか?
>983 名無し三等兵 sage 2007/06/15(金) 00:21:03 ID:???
>>7月3日の朝、ハルハ河の東岸には第9装甲車旅団の装甲車のほかに
>>第11戦車旅団第2大隊所属のルキン大尉率いるBT-5快速戦車8両が展開していた。
>>1200時、ソ連戦車は進撃してきた関東軍戦車第3連隊とぶつかり合った。
>>2時間の戦闘で日本軍は戦車5両が破壊され、ソ連軍はBT-5快速戦車3両が撃破された。
>>1845時、(引用略)さらに2両の日本戦車を撃破し、(引用略)ハ号戦車を牽引して去った。
>編集部注によると、鹵獲されたのは第四連隊が前夜に失った車両。
>なので交戦した日本側部隊は、実際には第四連隊だと思われる。
>日本側にも、進撃途中で戦車8両および歩兵若干と交戦して、これを撃退したという記録がある。
51 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:54:05 ID:???
>984 名無し三等兵 sage 2007/06/15(金) 00:35:18 ID:???
>
>>983続き
>ほかに、同日1130頃、第9装甲車旅団のほうでも、
>偵察大隊の装甲車6両が、歩兵を伴わない「中戦車60両」を発見。
>配属の76.2mm砲小隊で撃ったら、そのうち「40両」の追撃を受けて、
>大隊主力のBA-10中隊(12両)がいる陣地へ逃走。
>大隊も撤退を考えたけれど、政治将校の指揮の下、陣地で応戦し日本戦車9両を撃破したと言う。
>興味深いことに、玉田連隊長の報告にも、
>敵は装甲車を囮にして、追いかけると対戦車砲・戦車で待ち伏せしているという話がある。
>稜線の向うに隠れて砲塔のみを出して射撃してくるので、舌を巻いたと。
>あとで玉田連隊は、防衛戦闘の局面で、稜線射撃を取り入れて戦っている。
>3日の戦闘での第四連隊の損害は、八九式中戦車1両、九五式軽戦車5両、九四式軽装甲車1両
>ほかに2日の夜襲で1両失ったのは、前述。
52 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:57:03 ID:???
>989 暫編第一軍 sage 2007/06/15(金) 23:08:15 ID:???
> 7/4は両連隊とも戦力の回復と攻撃準備。(戦史叢書)
> 但し4日朝まで戦車第四連隊が攻撃していたとも。(グランドパワー誌)
> 同日、ソ連軍は攻撃してきた日本戦車1輌を撃破したもののBT3輌が
>自走可能な損傷を受けた(ノモンハン戦車戦)といいますから、これが第四連隊の戦車かもしれません。
> 7/5から戦車第四連隊はソ連軍の攻撃を受け6日8時頃までに戦死18、戦傷24、
>中戦車6、軽戦車5を損失。(グランドパワー誌)
> 7/7には関東軍から帰還を命じられます。
53 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 01:07:43 ID:???
>925 名無し三等兵 sage 2007/06/12(火) 13:43:09 ID:???
>7月5日になると戦車がようやく揃う。
>戦車第四連隊と交戦して、日本側の記録ではソ連戦車2両撃破。
>日本側損害は八九式甲5両など。
>926 名無し三等兵 sage 2007/06/12(火) 17:35:53 ID:???
>戦闘例 7月4日
>この日の戦車第四連隊(玉田戦車隊)の戦闘は、
>敵戦車・装甲車計十二両を含む部隊との交戦で、
>戦車5台、装甲車6台、対戦車砲5門を破壊するという戦果を挙げている。
>被害は死傷者8名で戦車の喪失は無し。
>玉田戦車隊は追撃したもののソ連軍の戦車はスピードが速くて逃げられている。
>988 暫編第一軍 sage 2007/06/15(金) 23:04:53 ID:???
>7/3日中の戦闘で戦車第三連隊は敵戦車、装甲車、速射砲等と交戦で
>戦死15、戦傷12、戦車13、装甲車5破壊。(戦史叢書)
>別の情報によればこの時の損害は中戦車13、装甲車4破壊。(グランドパワー誌)
54 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 02:02:29 ID:???
整理すると、以下。日本側については、戦史叢書の記述らしいもの基本。
<7月2日:日本軍が夜襲を実施>
戦車第三連隊
・損害…戦車装甲車に損傷、戦死21名
戦車第四連隊
・損害…軽戦車1両、死傷4名
<7月3日:日本軍の昼間攻撃。ソ連側11TKBの一部(8両)渡河>
戦車第三連隊
・損害…中戦車13両、装甲車5両(4両byGP誌)、戦死15、戦傷12
・ソ連側記録(装甲車18両)…日本戦車9両破壊(ほか歩兵によるもの10両)、AFV損害無し
戦車第四連隊
・戦果…AFV8両(12両?)と交戦し勝利(戦車5両・装甲車6両?)
・損害…中戦車1両、軽戦車5両、装甲車1両(上記戦闘での戦車喪失無?死傷8名?)
・ソ連側記録(戦車8両)…日本戦車5+2両破壊、戦車3両損害
55 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 02:20:54 ID:???
<7月4日:日本側は戦力整備。(第四連隊の一部のみ攻撃参加?)>
戦車第四連隊
・戦果と損害…(AFV12両と交戦し、戦車5両・装甲車6両撃破との前日同様の記録)
・ソ連側記録…日本戦車1両破壊し、弱い攻勢撃退。損害は戦車3両損傷(自走可)
<7月5日:攻守入れ替え>
戦車第四連隊
・戦果…(戦車2両)
・損害…(中戦車6両(5両?)・軽戦車5両・戦死18名・負傷24名byGP誌)
<7月7日:日本側帰還命令(実際の帰還は26日)>
戦車第三連隊
・通算損害…中戦車15両・装甲車6両
戦車第四連隊
・通算損害…中戦車4両・軽戦車11両・装甲車1両
但し、戦地で回収復旧したものの計算法不明。
56 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 10:28:50 ID:???
日本戦車の損害に付いて特徴的なのは戦車戦での喪失が殆ど無いと言うこと。
敵戦車・装甲車両との交戦では損失ゼロという指摘もあるくらいで、損失戦車の
殆ど全部がピアノ線、対戦車砲などによる損害で失われている。
57 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 13:39:55 ID:???
>損失戦車の 殆ど全部がピアノ線、対戦車砲などによる損害で失われている。
つまり日本軍戦車部隊はロクスポ戦場で機動が出来ないお飾り。
こんな欠陥品に隼の3倍の費用かけるぐらいなら戦車部隊は全廃して
飛行戦隊を増設した方がマシ。
58 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 13:40:23 ID:???
59 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 13:51:14 ID:???
>>56 ピアノ線でなくとも鉄条網が絡まりますよ。
60 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 20:17:15 ID:???
>>58 クックス本には、そう書いてある。
その他一般書の直接のソースもたぶんこれ。
ただし、クックス本も絶対ではないので、再検討が必要。
61 :
名無し三等兵:2007/06/30(土) 20:52:42 ID:???
>>60 だから明記と言ってるだろう
クックスが指摘したのか
クックスが「○○なる人物がそう指摘している」と書いたのか
その文章では分からん
62 :
名無し三等兵:2007/07/01(日) 10:49:40 ID:???
ここまでの資料で見る限り直接の戦車戦ではいい勝負くらいか。
63 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 21:12:26 ID:???
>>62 それは印象操作にはまってるからそう見えるだけ。上の資料では日本の対戦車砲にやられたソ連戦車は別扱いしてる。
それでいてソ連の対戦車砲にやられた日本戦車は全部カウントしてる。資料としてフェアじゃない。
64 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 21:15:19 ID:???
つかそもそも。
「直接の戦車戦」自体、ほとんど起こってない現実。
65 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 22:35:18 ID:???
>>63 それ違うって。
前スレ読めばわかるが、日ソの戦車戦自体が数少ない。
そして日本が大量の戦果を挙げたと考えていた戦いでもソ連の損害はそれ程ではなかった。
ということ。
自分で突合せ作業をしてみればわかるって。
66 :
名無し三等兵:2007/07/06(金) 00:13:11 ID:???
ソ連側の主張戦果は、多くの場合で実戦果の3倍程度と言う。
例:フイ高地の戦闘
ソ連側主張遺棄死体600、日本側実数戦死186(除く満軍)
67 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 02:15:46 ID:kyW08b79
ありえぬ
68 :
だつお:2007/07/07(土) 09:24:31 ID:5LDETzan
Tank losses (totally destroyed and need thorough repairs):
BT-7 -30 line tanks + 27 BT-7RT
BT-7A - 2
BT-5 - 127 line tanks+ 30 BT-5RT
T-26 - 8 KhT-26 (OT-26) - 10
KhT-130 (OT-130) - 2
T-37 - 17
BA-3 - 8
BA-6 - 44
BA-10 - 41
FAI - 21
BA-20 - 19
T-20 "Komsomolets" prime-movers - 9
SU-12 SP guns - 2
Reasons of tank losses:
Anti-Tank Artillery fire- 75-80%
Fire-bomb (later called "Molotov cocktail") throwers - 5-10%
Field artillery fire - 15-20%
Aviation - 2-3%
Mines and hand-grenades - 2 -3%
http://rkkaww2.armchairgeneral.com/battles/khalkhin_gol/losses.htm 日本戦車の損失 中戦車19 軽戦車11 軽装甲車7
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo23.html
69 :
名無し三等兵:2007/07/08(日) 16:29:58 ID:???
ノモンハンのときに、明石部隊というところにいたという人がいたのですが、明石部隊の詳細を知ってる方いませんか?
70 :
名無し三等兵:2007/07/08(日) 22:48:12 ID:???
>>69 それ、隊長の名前が明石さんだったってだけの話だから、もっと情報がないと詳しいことはわかんないよ
71 :
名無し三等兵:2007/07/08(日) 23:07:17 ID:???
>>70 もうなくなられてしまった方なので、詳細はわからないのですが、豆タンクに乗っていたんだそうです。
同じ部隊に普通の歩兵もいたような感じだったのですが。
72 :
名無し三等兵:2007/07/09(月) 09:21:42 ID:???
>>66 日ソ両軍ともそうですよ。確信犯的な部分と単なる誤認とがありますが。
他の軍もそうです。
よってつき合わせ作業が必要となります。
73 :
名無し三等兵:2007/07/10(火) 23:11:29 ID:???
>>71 豆タンクというのは、軽装甲車と呼ばれた2人乗り戦車。
ノモンハン事件のときは、第3戦車連隊と第4戦車連隊が保有していたけれど、
部隊長の名前は吉丸大佐と玉田大佐だから、違うみたいだな。
とすると、第5戦車連隊か?
74 :
名無し三等兵:2007/07/14(土) 00:33:13 ID:???
あとは、23Dの捜索隊がいるけど、東部隊→井置部隊だから違うな
75 :
名無し三等兵:2007/07/19(木) 19:25:25 ID:gTMqgxm9
八路軍はこの戦をどう見ていたのかな
76 :
名無し三等兵:2007/07/20(金) 14:02:55 ID:???
前述したように、戦争勃発時の日本の操縦士はよく訓練されていた。平均的
な陸軍の操縦士は戦闘に投じられる前に約500時間、海軍搭乗員は650時間の飛
行時間を有していた。これらの経験豊富な操縦士は、戦争開始一年半の激しい
作戦で大量に使い果たされた。日本は我々が訓練された操縦士を防護、休養、
交替させるのに対し、より少ない注意しか払わず、増大する航空ガソリンの
不足によってその訓練計画を深刻に妨害された。戦争全体を通じて平均飛行
時間は減少し、降伏時、アメリカ操縦士が600時間だったのに比較して、
100時間強といったところだった。訓練不十分な操縦士は、アメリカで養成
された熟練した操縦士に張り合えなかった。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs09.html 日本の在来航空戦力の除去
77 :
名無し三等兵:2007/07/20(金) 21:12:54 ID:???
そういえば、司馬遼太郎が言うには、
淵田ほか海軍の航空関係者がノモンハン航空戦の現地視察に行こうとしたら、
途中で接待漬にされて、前線を見せてもらえなかったと言うのだが、
これって本当の話か?
78 :
名無し三等兵:2007/07/21(土) 00:30:04 ID:???
福田の昭和に関する発言の半数以上はウソと考えていい。
79 :
名無し三等兵:2007/07/21(土) 02:33:20 ID:???
だから、そのどちらになるのさ?
80 :
名無し三等兵:2007/07/21(土) 13:01:56 ID:???
81 :
名無し三等兵:2007/07/21(土) 17:01:05 ID:???
じゃあさっさと引き上げたのに被害を受けた戦車は魔女の婆さんかなんかにやられたのか。
82 :
名無し三等兵:2007/07/21(土) 19:23:51 ID:???
戦車66両破壊、装甲車多数破壊の戦果を挙げられるくらいの回数しか、戦車戦は起きてないから、
ほとんど戦車戦はおきて無いんだってw
ということを
>>80は婉曲に言っているんだろうな。
83 :
名無し三等兵:2007/07/21(土) 22:21:03 ID:???
あげてるURLをみただけで、「ゴミだ」としか思えないね。
84 :
名無し三等兵:2007/07/22(日) 02:06:43 ID:???
たった数回程度の戦車戦なら日ソ双方の資料を照らし合わせて検証できそう
85 :
名無し三等兵:2007/07/22(日) 07:49:08 ID:???
>>81 対戦車砲に食われたのと、敵戦車に食われたのは別ということなんじゃないのかな。
86 :
名無し三等兵:2007/07/23(月) 13:19:26 ID:???
>>80 > (恐ソは)大戦末期の満州のソ連軍の印象が強すぎたのだろう。
> 少なくともノモンハン当時のソ連軍は日本軍の敵ではなかった。
87 :
名無し三等兵:2007/07/23(月) 13:28:08 ID:???
>>85 >>86 というわけで最先端の技術で作られた日本戦車はソ連ごときの対戦車砲では傷ひとつつきません。
88 :
名無し三等兵:2007/07/23(月) 22:12:34 ID:???
ソースがasyuraって時点で、ネタ確定だと思うんだけど。
89 :
名無し三等兵:2007/07/23(月) 22:18:59 ID:???
そのうち最強戦車チハ新砲塔は次々とアメリカのパーシングを撃破し……とか言い出すなきっと。
90 :
名無し三等兵:2007/07/23(月) 23:00:50 ID:???
>>86 なるほど。つまり、陸軍が北進は困難との認識を持ったのは、大戦末期の苦戦のせいか。
91 :
名無し三等兵:2007/07/23(月) 23:36:06 ID:???
>90
開戦前は北進派と南進派が対立してたと思ったけど? 情勢次第では北進も有りだった
92 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 03:22:18 ID:???
>>88 元ネタつかソースを引っ張ってきた大元は
「自由主義史観研究会」なんだから、もうなんと言うか。
とりあえず、軍板的には真面目に考察する価値はない、と。
93 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 03:28:08 ID:???
写真にはいくつか面白いものがある本だったが、主張はあれだったなw
94 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 10:54:53 ID:???
戦争を数比べだとでも思ってるのかねぇ。
95 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 12:15:58 ID:???
数比べはともかくとしても、
その数の比較方法が、基本的に日本側の主張戦果そのままだからなw
96 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 22:39:17 ID:???
と言うか最近判明したソ連側の損害を明記してるのだろう。
97 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 22:54:22 ID:???
最近最近といい続けてもう十数年になりますね
98 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 23:00:26 ID:???
>>96 最近判明した数字と全く適合しません。
95氏の言われるように基本的に日本側の主張した戦果そのままです。
しかも損害0も大いに疑問とする資料が出ています。
99 :
名無し三等兵:2007/07/24(火) 23:01:41 ID:???
>>96 ソ連側の死傷者についてはそうなんだが、
戦車や航空機の戦果については、日本側の主張戦果の合計をそのまま。
敵機1000機撃墜とか。
>>99 そうですね。元の本読んでみましたが死傷者数だけソ連側の新資料。
戦車や航空機についてはソ連資料は信用できないとして日本側主張をそのまま採用しているんですよね。
>>100 なんじゃそりゃ……。デタラメってレベルじゃねーぞ。
いや〜ソ連側も被害を過小に報告してるらしいし
>>102 いや普通同じ資料の一部だけ採用して他は別資料のまた一部だけを、とかありえねーだろ。
ソ連側の報告が採用できないなら日本側報告に統一するとかするだろせめて。
例えば関東軍がソ連軍の飛行場を空襲して大損害を与えたのに
ソ連側の資料では”無かったこと”にされてるらしいし。
>>104 それは大損害を与えたというのが誤認で実は大した被害じゃないから記載してないとかいうオチはないよね?
「らしいし」
自信がないけどとりあえず印象操作したいときにお奨めの語尾
>>102=104
「らしい」で済んだら誰も苦労しねえよ。
*南京大虐殺はなかったらしい
*ホロコーストはなかったらしい
*ナチスは戦後、南極に逃れたらしい
*そもそも、ドイツは負けてないらしい
*辻〜んは名参謀だったらしい
*日本軍指揮官は自決を強要されなかったらしい
好きなもん選べ。
NHKもいつまでノモハンで日本が惨敗したと抜かすのか
109 :
名無し三等兵:2007/07/28(土) 12:29:25 ID:0R4/gLlU
惨敗と惜敗の文字の区別がついていないから
本当は勝っていたのに
111 :
名無し三等兵:2007/07/28(土) 13:19:53 ID:ie6cmSLs
日本はソ連進出を諦めたわけで、戦略的には完全な失敗だね
勝ち負けでいったら侵略を止められた日本と、祖国を防衛したモンゴル、ソ連の勝ちだな
戦争は目的を達成できたかどうかであって、
敵に多くの損害を与えた方が勝ちというわけではない
戦略目標を阻止されたのは独立国家満州国であって日本ではない
113 :
名無し三等兵:2007/07/28(土) 13:34:38 ID:ie6cmSLs
屁理屈だな
結局日本は関特演までソ連を侵略しようとは思わなくなったわけだな
それにしても日本の戦車が、ソ連の戦車を戦車砲で撃破できた例はどれだけあったろう
将来の育成のために引き上げざるを得なかった気がしたな
>>独立国家満州国
これ笑うところ?
勝っていたのに自決を強要されたのはかわいそう
116 :
名無し三等兵:2007/07/28(土) 13:42:27 ID:ie6cmSLs
司馬はノモンハンのことを書こうとして資料を集めたものの
あまりの酷さに書こうとはしなかった
誰も中央の幹部は責任を取らず
ようやく部下を救って後退した現場の指揮官の机には
そっと拳銃が置かれていたという
>>111 >勝ち負けでいったら侵略を止められた日本と、祖国を防衛したモンゴル、ソ連の勝ちだな
正しくは
勝ち負けでいったら侵略を止められたソ連と、祖国を防衛した満州国、日本の勝ちだな
>敵に多くの損害を与えた方が勝ちというわけではない
まあ、確かにソ連軍の戦車装甲車を数百台も撃破したけれども。
戦争としては負けたと思った参謀本部が負けで、
何でもいいから勝ったことにしておくスターリンが勝ちじゃないの?
辻の言っている教科書的な結論も間違いじゃないんだよ。
NHKはノモハンで関東軍が惨敗したと決め付けてます
前線部隊が全滅して戦闘不能になったから、日本の負けでいいんじゃない?
いかに不拡大方針の政治的制約があったとはいえさ。
ソ連側は、大損害受けた部隊も、すぐに補給受けて復活してるだろ。
不拡大方針
そんなのありましたね
馬鹿な関東軍がすべて台無しにしましたが
>不拡大方針
それが関東軍の足を引っ張ったんだな。
「拡大方針」で総力戦に持ち込んでたら
今頃、鬱陶しい国士様の出る幕はなかったはずなんだが。
124 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:24:20 ID:jwY/yMk8
ああそうだな
その場合誰もが国士になってるからな
いや、誰もが共産党員になっているw
>>114 承認してる国もあったから強弁するのは可能なのでは?
天下のバチカン様も承認していた。
>>108 国境は無惨にもほぼ相手の主張どおりになったんだから惨敗で正しいだろ。
>127
当初の係争地域の外の部分をそれなりに取っている、というのは、
休戦交渉を進める上では有利に働いたんだろうけどね。(戦争
が長く続いたら、そこも取り返されていた可能性は高いだろうが。)
例の係争地域外の話なんだが、最大進出線をずっと維持してたわけではなく、
一次確保した上で、標識を立てて引き上げてきたって聞いたんだが、実際はどうなの?
>>126 笑うところのつもりで書いたのにマジレスされてもそのなんだ困る
>>127 実際には日ソ双方の主張が半分ずつ容れられている。”ハルハ河沿い”が日本側主張の国境線で
”ハルハ河東方20km”がソ連側主張の国境線。
係争地域であるハルハ河付近の国境線は、北部がソ連側主張の線、南部が日本側主張の線で確定。
>>131 「半分」? あれを半分ずつというなら、北半球と南半球には陸地が半分ずつ均等に存在すると言っても間違いではないな。
ノモンハンの個々の戦闘とは別に、領土紛争としては日ソどちらの勝利か?
> 「係争地域はソ連軍が大部分を占領しています」とありますが、秦郁彦教授の説明とはまったく違います。
> 『二十世紀日本の戦争』という本で、「日本軍はその南側にほぼ同じ広さを確保してしまう」と書いておられます。
>
ウィンキの「ノート」から
> ボイル湖からハロンアルシャン西南方に至る総延長110キロの国境線のうち、激戦の焦点と
> なったハルハ・ホルステン河流域付近の境界は、かねてからソ連側が主張していた線、すなわち
> ハルハ河東方15〜20キロに決まった。
>
> その代わりハンダガヤ〜ハロンアルシャン地区では日満側の要求が、ソ連側主張よりハルハ河より
> に線引きされた。モンゴルが今なお500平方キロを失ったと称するのはこの地域
>
> 「昭和史の謎を追う」上 P248 秦郁彦
どうも日ソ痛み分け位らしい・・・
戦果と合わせて考えるなら日本の大勝利と結論付けて問題ないな。
戦果込みならソ連軍はWW2通じて完全敗北死亡になるんだが
実際そうだろ?
アメリカの陰謀で日本が太平洋に釘付けにされなければソ連東部全域は日本の領土になってた。
>131
いや、だからその「南側」ってのは、>128で書いた「当初の係争地域外」の
ところの話だろうに。宮崎部隊が夜襲で一時的に占領した後、撤退時に
記念碑を建てておいた、という奴。
>>137 日ソの係争とは、国境線が”ハルハ河沿い”か? ”ハルハ河東方20km”か?
だからハルハ河付近の土地は、北部も南部も係争地だよ。
「当初の」
追加すると、ハルハ河沿いの土地は、北部も南部も、最初から最後まで係争地。
特に戦闘の激しかった地域が北部だっただけで。
>138
「係争地域」と言っても、武力をもって争っていたのは元々北部だったのを、
南部までわざわざ広げたわけでしょう?
そういう一般的な意味での「係争地域」ならほかにもいくらでもあるだろう
けど、「ノモンハンでの戦い」を議論するときには、武力で取り合っていた
地域以外のところを論ずるのは、どうですかね。
>>141 つまり竹島は武力で取り合って無いから、韓国の言うとおり係争地じゃないと?
>>141 北部も南部も武力で取り合った地域だよ。
>>143 事件中、ずっと武力で取り合ってたところか、というとそうではない。
最後の最後になって、手を出した。
係争地といえば満蒙ソ国境あちこちにあるのでして。
しかしその内たまたま武力衝突に至ったのがノモンハン。
ハンダガヤ方面はソ連軍有力部隊を撃破したわけでもないので、日本が交渉の材料として最後に手を出したとみて良いでしょう。
ソ連軍有力部隊がいない場所で、且つノモンハンの主戦場からあまり離れていると(例えば東部国境)今度は紛争を大きくしてしまう恐れがある。
当時極東ソ連軍は関東軍を大きく上回る総兵力を抱えているのでやりすぎるのも得策ではない。
そう考えると場所的には良い着眼点でしょう。
要するにノモンハン事変は領土的にはイイブン、戦術的には日本の勝利だったと。
そもそもキルレシオでソ連が勝ったことなど一度もないぜ
>>51に出てくる装甲車部隊との戦闘をしたのは、吉丸連隊で間違いないみたいだ。
吉丸連隊は、7月3日の11時頃に前進を始めている。
第一中隊を左縦隊、第二中隊を右縦隊に分けて、連隊本部は中央縦隊として進撃。
第二中隊は、途中で敵戦車と対戦車砲の攻撃を受けたが、これを無視して前方の稜線へ突進。
12時15分頃、稜線から700mに接近し、砲塔射撃する「BT戦車」20両と交戦。敵数両を撃破。
「BT戦車」4両が出撃して側面攻撃を試みてきたのを、砲撃して3両撃破。
しかし、日本側も、この戦闘で中戦車2両を失った。
敗走するソ連軍を追撃して、さらに3両を討ち取るが、日本側も1両が大破して「救出」(回収の意?)
この間、第一中隊と連隊本部も、それぞれ敵陣地攻撃を実施。
14時頃、鉄条網に絡まった連隊本部は全滅。
三両の損害で敵戦闘車両を十数両撃破と。
その割りにあっけなく本部は全滅してるけどな。
>暗闇の訪れた第9装甲車旅団戦区では
>視認困難な対戦車障害網にからまった日本戦車の中から戦車兵が捕虜に取られた。
>この車両は後方に牽引され、他の戦車は装甲車搭載砲で破壊された。
(マクシム・コロミーエツ「ノモンハン戦車戦」)
>>150 ソ連側資料で裏付けをとると
7月3日
まずBT戦車8輌は戦車第三連隊との1200から2時間の衝突で日本戦車5輌撃破するもBT戦車3輌を損失。
続いてBT戦車4輌は1845から日本戦車2輌を撃破して退却した。
7月4日
攻撃してきた日本戦車と交戦し1輌撃破。BTは3輌が損傷したが自走して後退した。
7月3日
第9装甲車旅団は1110頃から日本戦車部隊と交戦し19輌撃破を報じたが装甲車部隊に損害は無かった。
同日の吉丸連隊の損害が戦車13輌、軽装甲車5輌の計18輌ですから、
>>149氏のお説通り第9装甲車旅団と交戦したのはやはり吉丸連隊の可能性が高そうです。
一方BTと衝突したのは玉田連隊の可能性があり、同連隊は7〜8輌の戦車装甲車と交戦し撃退したが敵陣を占領できなかったことがわかっています。
こちらははっきりした損害は不明ですが、玉田連隊の2日から7日の損害は19輌。(16輌説あり)
2日の損害は1輌とされ、5日から6日にかけての損害は11輌。差し引き3日から4日に5〜7輌程度が撃破されていたことになります。
戦車戦では日本圧勝だったが、例のピアノ線で足止めされて対戦車砲でやられたのが多いな。
戦車戦の記録、双方の資料を比較すると互角くらいですが…
ピアノ線で防御していたのは主として装甲車部隊ですし
日本側の記録でも稜線越えの砲塔射撃に言及していますよ
戦術的には日本敗北だな。
野戦軍主力が壊滅したことで、
残存勢力比はソ連軍が圧倒。
>>156 戦術と言うか作戦的、戦略的には敗北ですね。
戦術的には劣勢な戦力で大きな損害を敵に与えていますから、勝ったかどうかは見解が分かれるとしても敗北と言い切れるものでは無いように思います。
政略的にはどっちが得したか。双方に利益がありますが、長い目で見ればソ連の方が得をしたような。
日本軍がソ連軍にコテンパンにやられていたら安心したスターリンはジューコフを中央に呼び戻して粛正しただろう。(ラロッパの申し子だし)
継続してジューコフに任せていた事は日本軍にそれだけ警戒していた証拠。
世界史が変わったかもね。
159 :
名無し三等兵:2007/08/12(日) 16:06:52 ID:RayKdY/M
ロスケには日露役のトラウマがあるからな
過剰適応しようとするんだよ
>>157 戦術目標を達成できなかったんだから敗北だろ。
そんなこと言ってたら独ソ戦や冬戦争はほぼ全てソ連軍の戦術的敗北になる。
冬戦争のソ連軍はダメすぎるな。
いやスオミマンが強すぎるのか・・・
地形も山がちでお得意の機甲戦力を生かせなかったしな。
>>155 > 日本側の記録でも稜線越えの砲塔射撃に言及していますよ
言及してるけど、別にやられたわけじゃない。「日本側の資料」を持ち出すなら
結論としての「日本戦車の勇戦・勝利」を除けないように。
やられてますって。吉丸連隊の攻撃に対し
「ソ連軍は多くの四十五粍対戦車砲を配置し、また優勢な戦車及び装甲車をもって巧みに砂丘その他の地物を利用する砲塔射撃を行った。」
「(ピアノ線によって行動不能となり)この日少なくとも10両以上が犠牲となった。」
「(敵陣突入により)戦車一三輌、装甲自動車五輌が破壊されるという損害を招いた。ソ軍の損耗については人員殺傷約一二〇名、破壊した機関銃、速射砲各八、戦車三二両、装甲自動車三五両にのぼったものと判断された。」
以上、戦史叢書。
つまりピアノ線がらみの損害を10輌以上とし、速射砲と戦車・装甲車の砲塔射撃の区別はしていません。
その他の損害を含めて当日戦車13輌、装甲車5輌を損失。
ソ連側資料を見るとこの相手は第9装甲車旅団。45粍対戦車砲は装備しておらず、装甲車が同口径の戦車砲を装備。他に旅団全体で76粍砲10門を装備していたことがわかっています。
要約すると当日、同旅団は装甲車6輌と76粍砲4門の偵察隊が吉丸連隊と考えられる日本戦車60輌以上と遭遇。76粍砲で射撃したところ前進してきた為撤退。
日本戦車の内約40輌が追撃、日本戦車は装甲車12輌からなる偵察大隊1個中隊の陣地に向かってきた。
この中隊は後退しようとしたが、旅団司令官と政治委員が到着し中隊を陣地に戻し掩体から砲塔を出させて配置につけた。
戦いは2時間続き、日本側は9輌を遺棄して後退、第149狙撃連隊戦区も攻撃を受け日本側は大きな損害を出した。
日本側は全部で19輌の戦車を失い、ソ連軍部隊に損害を与えることは出来なかった。
つまりソ連側資料によれば第9装甲車旅団は45粍対戦車砲は装備しておらず、ピアノ線障害を持つ陣地で対戦したのは掩体から砲塔を出した装甲車12輌。
ここで日本側は9輌を失っています。その他を合わせて19輌の損失。
一方ソ連側に損害は無し。但し狙撃連隊の1個大隊は若干後退しているので、吉丸或は玉田連隊の攻撃で狙撃部隊はそれなりの損害を出していると考えられます。
ソ連側の主張戦果19輌は日本側の吉丸連隊の損害18輌とほぼ等しく、逆に日本側の主張戦果は著しく過大で特にこの日吉丸連隊に撃破された戦車・装甲車はありません。
一方、玉田連隊と思われる日本戦車との戦闘では第11戦車旅団の一部が午前、午後合わせて7輌撃破と引き換えに3輌損失。(ソ連側記録)
戦史叢書では玉田連隊の当日の損害は明記されていませんが、全損失からわかっている損害を差し引くと同日から翌日の損害は5〜7輌と推定されます。
この日の戦いだけに限定すれば、ソ連側の戦果記録は日本側の損害記録とかなり一致するんですよ。
逆に吉丸連隊の主張する戦果は著しく過大ですが、本部潰滅が影響しているのかも知れません。
>>157 劣勢な兵力で相手に攻撃をしかけ
援軍が到着する前に壊滅したんだ
から戦術的にも大敗だと思います。
>164-165
>「(ピアノ線によって行動不能となり)この日少なくとも10両以上が犠牲となった。」
通常の戦車戦では日本戦車が圧勝しているのに、「ピアノ線」で動けなくなったところを
撃たれて撃破されたのが目立つな〜
ていうかピアノ線ごときで止まる戦車なんてありえないだろ
これもソ連の捏造だぜ
足まわりに絡み付いて止まったんだよ。足止めされたら日本戦車の「走行射撃」の利点も生かせない。
馬鹿馬鹿しい
仮にも戦車が足回りにピアノ線が絡んだごときで止まるわけないだろ
止まったから止まったんだよ
いや止まってない。惨敗を正当化するための日本軍による捏造。
ノモンハン後に陸軍は実際にピアノ線の鉄条網に戦車突っ込ませて実験してるな。
チハがパワーに任せてぶっちぎって走破しちゃったみたいだがw
なんだなんだ。
ピアノ線の品質でも負けてたのか。
当時、ピアノ線と呼ばれたけど、実際には軟鉄製の鉄条網の一種。
こうした対戦車障害の方法を、日本軍は認識してなかったというだけ。
他に聞かない話だからな>ピアノ戦
>176
ごく普通の対戦車障害物じゃね?
鉄条網を踏み潰して突破するのは古典的戦車用法の基礎。
そんなんで止まってしまうような戦車は無いわけよ。
ましてや九五軽も八九中も馬力が足りない戦車ではないわけで
鉄条網を巻き込んで速度が落ちたときに狙われたとかその程度の話だろ。
鉄条網じゃないから。>「ピアノ線」
>>165 > 一方ソ連側に損害は無し
お馴染み、ソ連軍の情報隠しね
182 :
だつお:2007/08/18(土) 15:51:13 ID:2i6GJbR0
飛行機の損害機数そのものは日ソで大差なかったようだが、皇軍はタムスク
爆撃を発動しているのに対し、ソ連は満州爆撃を実行できていない。
自分は航空戦の勝敗は対地攻撃で、白昼施設爆撃を加えた側が勝利と考える。
この点バトルオブブリテンや夜間爆撃などは、英空軍が勝ったとはいえない。
(夜間都市爆撃の効果は史料的に実証されていない)
>>182 ちょ・・・だつお
タムスク空爆はつじーんの暴走でw
ノモンハンの対地攻撃って、日本側はソ連側の対空砲火が怖くて、
ほとんど自陣に落ちてるとかいう資料もあるやうな?
満州国軍の興安師司令部を誤爆でふっとばしたな。
>>182 一回タムスクを攻撃しただけでは真珠湾と同じ、ただの奇襲攻撃。
自分の意見では航空戦で勝利とまでいいきるには、タムスクに反復
攻撃をしかけなければ、絶対に言えないのだが、関東軍にそれを
する力はなかった。
>>186 タムスク空襲は、なんだかんだで5回にわたってやってるな。
ただ「不拡大方針」の為に、それ以上の空爆が禁じられてしまったのだが
189 :
だつお:2007/08/24(金) 22:33:39 ID:13MzgCv6
>飛行機の損害機数そのものは日ソで大差なかったようだが、皇軍はタムスク
>爆撃を発動しているのに対し、ソ連は満州爆撃を実行できていない。
この余勢をかって発動されたのが6月27日の第1次タムスク空襲である。
ソ連軍飛行場を覆滅するこの作戦に日本軍は偵察機12機、戦闘機74機,
軽爆6機、重爆21機の合計113機を投じ98機撃墜(日本陸軍戦闘機隊
による数値:辻参謀の手記によると地上撃破を含め114機としている:
丸648号では地上撃破を含め110機:世界の戦闘機隊では140機)の戦果
(作戦に参加した第11戦隊の瀧山中尉ですら「とてもそんな数字にはなら
ないはずです」と語ってるが)を報じた。
ただし当時のソ連軍兵力は空襲直前で戦闘機151機、爆撃機116機の計
267機に過ぎず空襲による損害は14機(丸648の数値)としている。
最初は「負け」を認めていたソ連軍はこの頃から「戦果」を主張し始め両軍
の戦果発表は大きなズレを示し出す。
さて両軍はますます戦力を増強する。
7月21日、ソ連は第56戦闘機連隊を進出させ8月15日には日本が第64戦隊
(97戦3個中隊)を投入。
そして8月21日には第2次タムスク空襲、22日には第3次タムスク空襲が発動されたが
7月12日に加藤中佐(第1戦隊:負傷)、7月29日に原田少佐(第1戦隊:戦死)、
8月4日には松村中佐(第1戦隊:負傷)と各戦隊長以下、搭乗員の死傷が相次いだ。
http://www.general-support.co.jp/column/columun10.html ノモンハン航空戦
190 :
夏厨:2007/08/26(日) 22:32:53 ID:???
コピペで、ソ連戦車は行進射もできない低レベルで、
日本戦車は行進射できる一流というのがあるけど、
ドイツ人の書いた本なんか読むと、
「ソ連兵は走りながら撃つから怖くない。その点、我が軍の躍進射撃は」
みたいな書きぶりなのだ。
走りながら撃つのは、どこの国でもやることでせう。普通に考えたら。
日本側が偉かったのは、小口径ゆえの肩当照準は別として、戦車の射撃装置じゃなく、
乗員の異常な練度と、それでも低い命中率(17%だっけ?)を、小隊射撃で補う運用だったのだと思う。
問題は、数少ない戦車を小隊単位で使うのはどうかということだけど。
一方ドイツは、行進射に見切りをつけて、躍進射で戦ったと。
191 :
名無し三等兵:2007/08/26(日) 23:28:16 ID:KS6XO9La
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした
戦車隊を下げた件について、
渡河作戦が失敗して、今度は右岸で攻勢再起という7月5日時点で、
早くも戦車隊に帰還指示が出てるわけです。
戦況が一段落したかどうかに関わり無く、関東軍としては下げる気満々だったかと。
早く下げないと戦車隊改編に影響が出るというのはその通りで、
でもそれは時間的な意味だけでなく、
改編の基幹になるはずの2個連隊が全滅するからというのも頭にあったと思われる。
7月3日までに第三連隊は幹部に大損害を受けて、壊滅してるわけで。
また実際、第四連隊のほうも再建優先で、
編成担当の独立装甲車中隊の人員供出は無理になってる。
>小口径ゆえの肩当照準
ソ連戦車も37o砲ではこれやっているんですよね。45oに進んだ時点で止めている。
日本戦車もチハ改まではこれだったが、チヘでは取り止めたとか。
194 :
名無し三等兵:2007/09/06(木) 14:19:14 ID:bZXL3JvV
お互い明治期の装備なら日本軍の圧勝
ノモンハン当時でも装備の優越している日本軍が質で優勢だったのは確かだが量で・・・・
317 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 18:55:22 ID:???
砲兵戦に関しては
「私達の周囲では敵砲弾による被害は非常に少なく、私たちは日ごろからソ連の戦力を過小評価していたので、
敵の兵器は数量だけで質は粗製濫造による粗悪なもので威力がないのだと解していた」
冨永信氏 「ノモンハン孤立兵の遺書」農文協
326 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 19:56:48 ID:???
ノモンハン砲兵戦 一例
> 敵の弾は質が悪く、また、信管が鈍いので弾着時砂に深く入り込み、破片の四散する角度が爆弾の如く
> 水平線より45度以上に散るので、二〜三〇糎位の破片がワンワンと唸って飛んでくる。
>
> 数十メートル離れると空気抵抗が大なのか、身体に当たっても棒で殴られた程度のショックで大いに助かった。
>
> わが方の砲弾は鋼なので破片も小さくまた信管の精度も良いので破片は殆ど二十度角度の超スピードで四散する。
> 威力大である。
>
> 野戦重砲隊 山田幹二氏 (機関誌ノモンハン7号)
にもかかわらず砲兵戦で敗北しているんだよね。
火砲の質で日本側がそんなに優勢ということは無い。
日本側主力野砲が、改38式で射程10800m(第23師団は改造前とする説あり。8300m)
新鋭の90式なら14000mに達する。
ソ連側の76mm口径の主力野砲M1902/1930は、射程13000m強で38式より優勢。
師団装備の大型榴弾砲を比べると、日本は38式12センチで射程5600m
ソ連側の122mm榴弾砲M1910/1930は、HEで射程7600m(新型HEで8900m)で大分優勢。
100mmクラスの加農砲だと、カタログスペックで日本側優位。
ソ連側も、射程の長さ(ソ連107mm砲M1910/1930の16000mに対して92式の18000m)をほめてる。
しかし、その92式の構造は、日本側のしょぼい砲兵戦にも耐えられず、次々と自壊した。
これ以上の重砲として、日本側は89式15センチ加農砲を持っている。(射程18000m)
150mmクラスの榴弾砲だと、日本の4年式は射程8800m。新鋭96式が高性能(11900m)
ソ連のM1909/1930が主力榴弾砲で、4年式とほぼ同射程。
射程17000mの榴弾砲/加農砲M1930 (ML-20)を持ち込んでいるけど、あっち基準で「少数」だけ。
ちなみにさらに新型M1934は、少なくとも12門が来てる。
あとは122mm加農砲A-19を「少数」持ち込んでるらしいが。(射程20400m)
ソ連側の損害はコロミーエツによれば、野砲11門、107mm加農砲4門、152mm榴弾砲6門
122mm榴弾砲の損害が多く31門(全損5門)なのは、射程が短く前線に出てたせいか?
>>198 砲兵戦での最大の問題は、日本側の砲弾不足だと思われる。
>>200 その書き方では純粋な砲戦での損害かどうか分からんのだけど。
爆撃とか歩兵の攻撃とか、動作不良も含んでるかもしれん。
202 :
200:2007/09/07(金) 00:56:52 ID:???
>>201 全期間の損害。122mm以外も、全損+後日復旧の合計。
ようは、日本側の砲兵戦での戦果は、これを見る限り過大評価だぞと言いたかった。
喪失原因の内訳はわからないけど、砲兵戦の戦果は、このさらに一部だけなので。
>>199 ただ実際の砲兵戦ではソ連軍を圧倒してる。少なくとも砲弾の有る限りでは。
337 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 22:54:04 ID:???
砲兵戦の様子
> 8月12日
>
> 連日の砲撃により、酒井部隊正面の敵砲兵は破壊又は制圧され、全く砲兵は姿を没し、
> ただ、遠距離砲撃する敵重砲の射撃、近距離の迫撃砲活動するのみとなれり、
> 尚、迫撃砲は本十二日の破推射撃により完全に制圧せり」
>
> 野砲13V(関)
高台に設置したソ連軍の一部の長射程の重砲には手が出なかったが、他は全部制圧している。
それにロシア人の遠距離射撃など・・・・
249 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/23(月) 21:10:03 ID:???
> 「ソ連砲兵は弾道修正が下手だった。交通遮断射撃で毎日同じ箇所に撃ち込み、そこを避けて通れば安全だった。」
> 野戦重砲 鷹司連隊長 (昭和史の天皇)
> 「(ソ連軍砲兵は)ずっと同じ処を目がけて(撃って)いることが判り、ソ連恐るるに足らずという風に
> 馬鹿にするようになってしまった・・・朝から夜まで毎日一点目指して弾丸を落としてくるのだから・・・
> とに角、技量は日本を百点とするなら、ソ連軍は、二十点だろう。」
>
> 野戦重砲 丸山正巴氏(ノモンハン回顧録)
イワンの馬鹿
日本は砲戦でも歩兵戦でも戦車戦でもソ連の弱兵を常に圧倒し続けていた。
ノモンハンは日本軍の完全な大勝利と言っても過言ではない。
被害、戦果は突き合わせが大事だってのに、
また日本側の資料だけで語るのかよ……
すぐ上に出てるソ連側の砲の損害を見れば、破壊とか制圧とか言い難いんだが。
前に出た阿修羅の元ソースと同じだな
制圧したのは事実だろ? 誰も全損とは言ってないんだし
>>204 野砲13連隊(第23師団の師団砲兵)の第3大隊というと、
射程わずか5キロの三八式十二糎榴弾砲装備の部隊
これが潰したというのなら、せいぜい連隊砲くらいじゃないのか?
時期的にも8月12日といったら、戦場が小康状態で、
日本側の情勢判断としては、このままにらみ合いのまま越冬になるだろうと考えてる時期。
ソ連側としては、なるべく攻勢意図を秘匿して準備と訓練に明け暮れてる頃。
まともな砲兵戦が行われてる時期じゃない。
撃ち返してこない=制圧なのか? 砲兵陣地を占領した訳じゃないみたいだしな。
ってことは陣地移動してるのを見誤ったという可能性もあるだろ。
そもそも砲兵陣地めがけて撃って、損害与えてないってどういうこと?
小松原師団長の陣中日誌 七月二十六日
>砲兵ノ効果予想ニ反セリ。二、三時間乃至一日砲戦セバ敵砲兵ノ大部分ヲ
>破摧シ得ベシト信ゼシニ、事実ハ之ニ反シ、敵主力ハ後退コソスルガ其威力ハ
>概シテ衰ヘズ、寧ロ弾薬ノ豊富ナル関係上、第三日ハ敵ノ方優勢ナル感ヲ懐カシムルニ到ル
>>208 >>204 の 8月12日の出来事は敵の迫撃砲陣地を制圧しただけで
主な砲兵戦は、その前の事だったはず
いわゆる砲兵戦なら、7月下旬(
>>209)のことだけど、
3日で弾丸を撃ちつくして、効果不十分のまま中途半端な終わり方になってる。
7月下旬の砲兵戦終結後、8月20日頃にソ連軍が攻撃を始めるまで、
日本側の攻勢が行われることはなかった。
ソ連側は、7月下旬に、8月20日の総攻撃を決定している。
このほか8月2日と8月7日の2回の旅団規模の攻勢を試みたけど、400mほど前進して頓挫。
以後は8月20日まで沈黙。両翼への兵力配備を進める。
質で優り量で負け
量で負けてる砲兵部隊にいったいどんな存在価値が?
一発一中の大砲一門は百発一中の大砲百門に優る
>>215 その例えでいうとそもそも弾が百発も無い
量で負けと言うけど、8月末はともかく、それ以外の時期では重砲の数では意外に差が無いはず
>>215 「いっせいに撃ちあったら一発必中の一門はやられて敵には百発一中の砲99門が残る」と言われた奴ですね。
>>218 「差が無いはず」? ソースは?
どのみち弾がないので撃ててないんだけど。
ノモンハン日ソ砲兵戦 一例
戦果
野砲級 破壊六九門 破壊推定四三門 制圧七四四門
速射砲 破壊一四門 破壊推定〇一門 制圧〇〇九門
迫撃砲 破壊〇七門 破壊推定〇三門 制圧〇三七門
日本側の損害 火砲破壊四四門
野砲13 第一,二,三大隊の戦果と損害 上田良三(ノモンハン会報7号)
> ソ連軍の当初の砲数(確認済み) 破壊数 制圧数 残存数
>
> 15センチ砲12門 破壊04門 制圧02門 残存06門
> 15センチ榴12門 破壊03門 制圧02門 残存07門
>
> 10センチ砲24門 破壊03門 制圧04門 残存17門
> 12センチ榴16門 破壊05門 制圧01門 残存10門
>
> 野砲 12門 破壊09門 制圧01門 残存02門
> 総計 76門 破壊24門 制圧10門 残存42門
>
> 比率 100% 破壊32% 制圧13% 残存55%
>
> ノモンハン2 クックス 朝日文庫 P267
弾がなけりゃ大和魂を撃てばいいじゃない by辻〜ん
>>221 遠くの砲より近くの砲が損害数が低いのにワロタ
確認できた分、実数に近いんだろうな。
推定損害数が入ってるとこ見ると、また日本の資料だけなんだろ。
制圧七四四門って、どんだけ……
>>222を見る限り、砲数だけではそんなに差はなかったのかな。
>>220 218じゃないが、7月20日のソ連側砲兵について以下のような数字がある。
The 2nd and 3rd Battalions/175th Artillery Regiment/36th Rifle Division
and the 3rd Battalion/185th Artillery Regiment equipment:
* 12 152mm howitzers M1934,
* 8 122mm howitzers M1910/30,
* 4 76mm regimental guns M1902/30,
* 10 76mm regimental guns M1927.
http://rkkaww2.armchairgeneral.com/battles/khalkhin_gol/1armygroupequipment_jul20.htm 日本語版によると、これは川又の西岸地区にいた兵力というから、いわゆるコマツ台の砲兵か?
これに加え東岸に進出したのが122mm榴弾砲x8、76mm野砲x4、連隊砲x16あるとしている。
合計すると、152mm榴弾砲/加農砲M1934x12、122mm榴弾砲x16、76mm野砲x4、連隊砲x30
これで全部なら、なんとも変な感じがする。特に76mm野砲が少なすぎるような。
第175砲兵連隊は自動車化狙撃師団の師団砲兵だけど、編成はどんなの?
152mm榴弾砲/加農砲は、全部第185加農砲兵連隊の装備と思う。ちょうど1個大隊で計算が合う。
日本側の砲兵戦力(7月下旬)
野砲兵第13連隊(第23師団)、独立野砲兵第1連隊、ムーリン重砲兵連隊(旅順からの増加含む)
野戦重砲兵第1連隊、野戦重砲兵第7連隊、歩兵部隊の連隊砲など。
応急編成が多く、定数全部を出動させないもの多し。
合計すると、八九式149mm加農砲x6、149mm榴弾砲x16、105mm加農砲x16、
122mm榴弾砲x12、九〇式75mm野砲x8、三八式75mm野砲x24、連隊砲x24以上
>>225と比較すると、かなり数的に優勢に見える。
325 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 19:56:10 ID:???
ノモンハン砲兵戦 一例
7月23日
日本軍は軽砲44門、重砲38門、合計82門を集める。集積した各種砲弾3万発。 ソ連軍は75ミリ砲以上を109門配備
この日、日本軍は約一万2千発を発射した。(ソ連軍は5万〜10万発ほど発射したと推定される)
「正面の敵兵の活動するもの殆ど少なく、敵は台上よりしばしば其姿を没し我が射撃に制圧されたり」野戦重砲一報告
敵の砲撃は当初の半分となり相当の成果が有ったと推測される(日本側も砲一六門失う)
7月23日、大規模な砲兵戦から始まった日本の総攻撃は7月25日で一段落。
この三日間(23日〜25日)の砲兵戦による戦果
>>222 ソ連軍の砲兵の約半数を制圧した。 (残存55%)
346 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/27(金) 19:00:17 ID:???
7月24日より歩兵部隊が前進し、ソ連軍と激戦を展開する。
> 地上戦果、総計
>
> ソ蒙軍の遺棄死体約三,〇〇〇、捕虜五四、
> 破壊及び焼却した戦車・装甲車約五〇〇両、
>
> 砲兵撲滅約七中隊、制圧約一二中隊、
>
> 高射砲による飛行機撃墜四五機、
> 捕獲した戦車・装甲車二八両 他
>
> 7月28日、師団司令部のまとめ (戦史叢書・関東軍1)
この総攻撃による日本軍の損害 戦死1377名 負傷3044名 不明34名
ソ連軍の負傷者数は不明だが、遺棄遺体(ソ連軍が撤退する際トラックに収容しきれず残した遺体)が約3千。
日本側の戦死者は約千3百名で、ソ連側は日本の約三倍の打撃を受けたことが判る。
また500両もの敵車両(戦車・装甲車他)を撃破。相当な激戦だったが大勝利と言って良い
>>219 子供の口喧嘩みたいな話しを、何時までも引っ張っても〜
>>222の数字は、たしか前スレによると日本側の砲兵旅団が記録した推定数だよね。
この三日間(23日〜25日)の日本側の損失内訳
野砲3,90式野砲1,十五榴2,十加8(脚折れ、自損事故),高射砲2
計16門
日ソ砲兵戦での戦果の格差は、ソ連側の砲術水準の低さや砲弾の低威力に
原因があるのだろう。 一方日本側は華奢な10加の脚折れ事故が目立つ
局地戦で1個師団相手に軍団規模の兵力を投入してきたソ連軍は反則だ
少し平穏
> (7月23日〜25日の)総攻撃が済んでから、敵の大がかりな逆襲は一時途絶えた。後方ハルハ河の
> 敵の動きも以前ほど活発ではなく、戦車も猛烈な逆襲を行うようなことは殆どなかった。
>
> (中略)
>
> 近いうちに何かあるだろう、と言う漠然とした予感は持たれていたが
>
> 「ノロ高地」草葉榮少佐
ソ連軍の逆襲
八月一日の午後、敵の激烈な砲撃が始まり、ソ連兵の大群が、山県、酒井両部隊の前線に
押し寄せてきた。ソ連兵は倒されても倒されても、味方の死体を踏み越えて前進してくる。
「督戦隊の残忍な尻押しで、先へ先へと駆り立てられる彼等の抵抗は案外頑強だ。」
草葉榮少佐
スタローンか、シュワルツネッガーみたいなヤツら
「突然上半身裸の兵が四、五名仁王立ちとなった。手にはがっしりと軽機を抱いている。」
撃ちまくる日本兵士。たじろぐソ連兵。その隙に日本兵は素早く突撃、得意の白兵戦開始。
「一斉に突っ込んでいった。たちまち縦横無尽の胸のすくような刺殺だ。こうなったら敵は友軍歩兵の
敵ではないのだ。片っ端から芋差しに刺殺され、生き残ったものも数十の死体を残して逃れていく」
白兵戦に怯えるソ連兵
「ソ連軍はあらゆる場合に於いて30メートル以内に近接して友軍に突っ込んでくるようなことは絶対無かった。
それが殆ど全滅に瀕したような弱小部隊に対しても、敵は突っ込むことが絶対なかった」
草葉榮少佐
ロシア兵狩り
日が暮れると兵士達は元気に「芋刺し」へと出発して行く。(夜陰に紛れ銃剣でロシア兵を刺殺に行く)
「そしてそこらの砂丘の陰や窪地に小さくなっている敵の歩兵や戦車をやっつけては帰ってきた。
− そんな訳で、遂に、その日の敵の前線に渡る大逆襲も、我が陣地寸前に於いて粉砕され」
ソ連兵は潰走を始める。追い撃ちをかける日本砲兵。
「この日の我が陣地からハルハ河に至る間の追撃射撃は特に悽愴だった。黒ゴマを播いたように散乱する敵、
それを追い慕って炸裂する砲弾、敵の密集する部隊は、その都度櫛の歯がこぼれるように、ポカリ,ポカリ、
と消えていく。ハルハ台上の敵砲兵もやがて全く鳴りを静めてしまった。戦場は又もとの静けさにかえった。」
「かうして、一旦鳴りを静めた敵が、再び全線に渡って大逆襲に転じてきたのはそれから二十日後の十九日の夕刻からだった。」
「ノロ高地」草葉榮少佐
前スレで誰かが言ってたな。
野球の試合に例えれば、試合そのものに勝つか否かが重要であって
5回コールドだろうが延長18回の末の押し出しサヨナラだろうが負けは負け。
出塁数や奪三振で勝ってたとか、こっちが一人の投手が完投したのに
向こうは継投策に出たなんてのは言い訳にはならないって。
日本の白兵戦最強!!
この紛争は局地的な戦闘で国家総力戦ではないのだからあくまで落とし前としての停戦協定。
むしろソ連にとってその後のポーランド侵攻をにらんだ戦略の一環だったことを重視すべき。
「対日一撃論」がソ連に存在していたことになる。
紛争は些細な草原の領土にすぎず、満州国を認めさせたことも大きい。
ただ双方に犠牲が多すぎ痛みわけともいえる。
政治外交的決着による勝敗よりも実際の作戦や装備用兵は敵の手の内を知る参考になるので大事。
だから野球の試合に例えれば、出塁などの細かいスコアのほうに注目すべき。
ただ日本国内では独ソ条約に狼狽した平沼内閣が総辞職するなど政治と外交の無能さが際立つ。
阿部内閣に代わってなぜか山本次官が連合艦隊長官に転出、長官の吉田善吾が入れ替わって海軍大臣となったりという人事がその後の歴史に大きく影響。
>235-238
8月1日に始まったソ連軍の攻勢の全体像。
1日 朝、激しい砲爆撃が始まり、十数両の戦車と数千の歩兵により攻勢を仕掛けてくるが、これを撃退。
戦果 敵戦車閣座三両、遺棄遺体500
損害 戦死10名、負傷21名
2日 ソ連軍、再攻撃してくるも再び撃退する。
戦果 遺棄遺体430
損害 戦死10名、負傷16名
「ノモンハン全戦史」牛島
傾向としてソ連軍の激しい砲爆撃は意外に殆ど被害がなかった。ソ連軍の戦車の数が少なく、歩兵を前面に
出して攻撃してきたため、白兵戦が多く発生し、日本は最小限の人的被害で多くのロシア兵を殺傷できたこと。
せっかくだから、ソ連側の情報も当ててあげよう。
7月23日から24日の日本軍の攻勢により、第149狙撃兵連隊は大損害を受け、強化中隊規模に。
7月31日に、ようやく定数に回復した。
この間、緊急動員された第82師団が増援に到着しつつある。
しかし、同師団の兵士のうち、20%はいままで武器を手にしたことも無い新兵だった。
8月1日に、第149狙撃兵連隊は、第5機関銃狙撃兵旅団と協同で、戦線の回復を試みた。
第36自動車化師団の砲兵連隊と第82師団の砲兵連隊・曲射砲連隊、
及び歩兵砲による約15分の準備砲撃が実施された。およそ2000発。
一見圧倒的な砲撃だが、効果は薄かった。
幅700mの戦線で実施された歩兵の攻撃は、400mしか前進できず、大きな損害を受けた。
翌2日の攻撃も失敗した。日本軍と前線が非常に接近した状態で停止した。ところにより50m。
結果として、日本軍の守備を中央に偏らせる陽動には、なった。
>>242-243 日ソ両軍の記録は、ほぼ一致する。
・ソ連軍の攻撃は、歩兵部隊が中心だった。
・準備砲撃は、見た目の激しさの割りに効果が薄かった。
・歩兵攻撃は失敗し、大損害を受けた。
ソ連側のいう陽動効果は、ただの負け惜しみだろう。
歩兵中心だったのは、ようやく歩兵が揃い始めたから歩兵中心に切り替えたのか、
あるいは戦線整理に近い限定攻勢なので、十分な支援戦車を配属されなかったのか。
>>241 >実際の作戦や装備用兵は敵の手の内を知る参考になる
で、その後'45年に参考になったか?
まさか現代の極東ロシア軍がそっくり同じ、とか言うまいな
当時のソ連軍の状況を、軍事趣味者として考察する上で、参考になるという意味だと善意解釈
247 :
名無し三等兵:2007/09/19(水) 08:42:40 ID:Tc++9Ogd
日本軍は、初回を除いて敵地への航空攻撃すらしなかったからな
全面戦争発展をおそれての及び腰
しかも出先と本国参謀本部・政府との軋轢
まず内側が問題
植田謙吉や辻のえらい強気なんだけどね。
強気なだけで何も準備しない
250 :
名無し三等兵:2007/09/20(木) 14:30:16 ID:7DaMvZFU
航空機損害 日本 約180機 ソ連 約1700機
戦闘車損害 日本 約30両 ソ連 約800両
こんだけ撃破しても、なおソ連軍優勢で死傷者数もややソ連が多い程度か(純然たる戦死数なら二本のほうが多い)
ソ連の国力っていうのは恐ろしいね
日本軍戦車隊はソ連戦車隊との戦いで60両撃破、損害ほとんど無しという大勝を博した
後の戦いからは想像できん
あと戦史上でも珍しい戦車部隊の夜襲成功とかなかったっけ
簡単にまとめると日本は戦術でかち、戦略でソ連がかったことですね?
253 :
名無し三等兵:2007/09/20(木) 17:31:11 ID:bSs6vH/W
>>252 実はそうとも言い切れない。
関東軍強しという認識がソ連・欧米の首脳部に流布したために、
これがその後の国際政治に微妙に影響する。
ソ連強しと思いこんだ日本が北進をためらったようなもの。
こうしてみると戦略的には引き分け、という議論もあるかもね。
末期のソ連は貧乏国のイメージだけど、このころのソ連って戦車や飛行機を
揃えられる経済力はなかなかのものだったんだな。
>>254 粛清で1939年にはボロボロだったけどな経済
>>254 捕まえたロシア兵を見ると、まるで乞食みたいだったって。(ノモンハン)
水も食料もろくに与えられず岩塩とパンの一切れだけで、何日も戦わされて
悲惨きわまりない状況だったとロシア兵は証言している。
戦場でも米の飯が食えて、更に乾パンや「牛缶」に煙草まで兵に支給する
日本軍はとんでもなく贅沢な軍隊に思えたとか。
すべてはジューコフのせいなのです。
>>251 日本戦車もかなり健闘していますが、そまの数字間違いですから。
259 :
名無し三等兵:2007/09/21(金) 09:01:29 ID:VRkvmQzQ
最終的に兵力差はソ連10:日本1まで広がった
これで損害はほぼ引き分け、戦車航空機の損害はソ連のほうが大多数という結果
日本軍は良く奮戦したんだが
問題はむしろ内部だよな。勇戦したりやむなく撤退した指揮官を自決や待命に追い込む一方で
ロクなことしなかった関東軍司令部からは責任を取ったもの一人もおらず
辻なんぞ参謀の癖に戦闘指揮にまで口突っ込んでるのに
関東軍参謀どもは、決戦でソ連叩けるところを政府のせいで停戦して残念、とかボケたことほざいていた
失敗に対しての弱い立場の者への責任押し付けと思考停止
この悪癖がここで修正されていればねぇ……
火炎瓶より速射砲のほうがずっと戦車撃破数多いじゃん!
司馬は日本軍の砲は通じなかったって嘘をなぜついたんだ?
ノモンハンスレはいつもお花畑になるな
>>257 ジューコフが兵士の食料を全部食ったとか?
ウクライナの小麦を共産主義の名の下にぜんぶ国有財産にして
イギリスから武器の生産ラインを丸ごと買ったりしているからな。
空腹のあまり道端の小麦の粒を拾って食べた農家の少年を
国家財産略奪の現行犯でコミッサールが射殺したりしている。
共産主義国家は指導者の采配次第
ジョークを現実にするからな
5ヶ年計画で工業国になったと思ったら
農業国より貧乏な側面もあったり。
ネタにはなるが住もうとは思えないなぁ
265 :
名無し三等兵:2007/09/23(日) 16:09:50 ID:hcypNh0o
ジューコフは上手く立ち回ったよな
十倍の兵力で損害トントンなら、当時のソ連なら粛清喰らってもおかしくない
しかし実際は逆にスターリンはこの件で粛清リストからジューコフを外したとされる
皮肉にもそれが後のソ連を救うという……
266 :
名無し三等兵:2007/09/24(月) 15:05:38 ID:cu/PB1FH
宮崎繁三郎が、外交交渉を見越して停戦時に
「この地は我が部隊が占領していた」と日時付で刻んだ石を埋めておいた話って本当?
司馬とかいうやつはなんなんだ?ノモンハンで日本は大惨敗したとか大嘘電波出したとんでも学者だよな。
自身が操作して三式中戦車の砲塔旋回は神業が要求されたとかぬかしてた。しかし、模型メーカーファインモールドの鈴木社長による調査の結果司馬は直接操作する立場でなく、操作者なら普通に使いこなしたとか否定されてたな。
それだけ考えると三式中戦車の装甲が軟鉄とか本当なのか?
司馬は装甲がヤスリで削れたからそう思いこんだだけでしょ
ヤスリが効かないほどの硬度だと却って装甲が割れやすくて脆弱化するんだが
損害がほぼ互角、航空機戦車の損害じゃあソ連のほうが甚大
この要素以外は日本の惨敗でしょ
外交交渉で国境線を押し込まれ、戦後処理は散々
有効な戦訓も得てない
ダメダメ
>>269 >損害がほぼ互角、航空機戦車の損害じゃあソ連のほうが甚大
つまり日本の大勝利だったってことじゃないか。
戦争は損害数の競い合いじゃない
目的を達成するためにやるもんだ
日本は国境線防衛という任務に失敗
負けは負け
NHKの電波番組はノモンハンや零戦、大東亜戦争でも凄い嘘垂れ流してるからな…
ノモンハンでも日本は火炎瓶で戦って撃破したが後半はディーゼル型投入してきた。あと死者が三万人でたことしかいわんからな。
>>267 学者じゃないよ。作家。
その辺勘違いして、批判されたり、参考資料にされたり。
まあ、戦車の話に関しては、みんな大好きな一次資料としての価値がある。
あくまで一資料だけど。
>>269 >>271 ソ連は日本を威圧することに成功。
ところが、何故かソ連と欧米諸国は関東軍の実力に威圧されてしまう。
そのために日本は対ソ戦をためらい、ソ連は対日融和策に出る。
両者勝利でいいんじゃないの?
それとも両者敗北でも。
日本がソ連の機械化部隊に圧倒されたのに
全然教訓を生かさなかったとかよく言われるけど
実際はソ連軍が弱くて火炎瓶などで簡単に戦車を撃破出来たり
白兵戦で敵を倒しまくってたから余計に近代化が遅れて精神主義に
走ったんじゃないか
しかし、地形的にハルハ河のソ連側のほうが高くて日本側の
部隊が丸見えだったのが痛すぎたな
>>275 ハンダガヤ方面にはソ連はそんなに固執していないから共に固執した土地でソ連が勢力を広げ、相手が固執しなかった地点では日本が土壇場で勢力圏を確保したというくらいですな。
この調子なら日本は北進してたら1〜2年でソ連全域を確保できたんじゃないか?
>>277 北方領土問題とかを例にすれば、ソ連が二島確保し、日本も二島確保して
面積的には五分五分だったような話し
>>279 ソ連はハンダガヤ方面は事実上放置していたような状態ですが。
>280
敵の防備の手薄な地域を攻略したなら上出来。上手い戦略。
>>281 疑問っすよ。
ノモンハンでは戦車や砲兵はソ連の方がかなり多いものの兵員数では日本の方が少し多いくらいの投入数。(資料により少し幅あり)
ソ連側には事件発生後に急遽動員した速成師団もあった位で意外と慎重に主戦場での日本軍主力の撃破に自軍主力を集中。
ハンダガヤへ有力部隊を派遣する必要性は感じなかったようだ。
逆に日本はハンダガヤに有力部隊を派遣して戦後の交渉の材料を確保したが、純軍事的には同部隊を主戦場に投入して主力の救出に当てた方が良かっただろう。
総合的にどちらが良いかここは判断が分かれるところ。
まあ、結果は結果。五分五分
つまり、
単純に戦略的にソ連が、戦術的に日本が勝利とはいえないわけか。
戦略的には五分五分、戦術的には日本の大勝利。総合すれば日本の圧勝。
>>285 戦術的には兎も角戦略的には敗北ですよ。
もし事件が継続すれば日本軍主力を撃滅したソ連軍がハンダガヤに有力部隊を転用してきて叩きだされてしまうのは明白です。
関東軍も更に増援を投入することが出来ますが、極東総兵力ではソ連側が更に数倍の兵力の余裕を持ちますのでどこまでやっても比率は不利にこそなれ有利にはならない。
あそこで停戦できて本当に幸運だったのです。
一方ソ連にとってもWWUの勃発もあり停戦できて良かったのは確か。
どちらも相手を高く評価したが、苦しい時期を抑止力で乗り切れたのはソ連の方ですから長期的にもソ連により利益をもたらしたと言えるでしょうね。
>>286 いや事件が継続すれば関東軍が増援を送るからソ連軍の方が壊滅してしまうだろう。
ろくな補給もなく、食うや食わずのソ連兵は深入りして自滅するのがオチ
>>288 全く反対ですよ。ノモンハン地区への輸送については我が軍が兵站線が短いにもかかわらず終始劣勢です。
ソ連軍が勝利に驕って満州中心部へ大挙進撃するのなら兎も角、戦闘地域で互いに増援合戦となる場合は常に関東軍が兵站で苦労します。
総兵力で数倍に及ぶ極東ソ連軍を相手にした場合にもっと嫌なのが、他の戦線でもソ連軍は攻勢に出ることが出来ますが、関東軍にはそれが出来ないことです。
確かに精鋭師団は他に数個保有しているのですが、航空、砲兵、戦車などの近代兵器部隊はノモンハンでかなり消耗させてしまったのです。
一方ソ連軍もノモンハンで大きな損耗をしましたが、他の戦線でも攻勢に出られるだけの戦力を持っているのです。
実際にはソ連兵は水すら無く飢えと渇きで瀕死の状態で戦っていたし、最後の必死の攻勢で事変末期にやや優勢に見えたのを
有利な条件として交渉に出た。
日本軍は国境線を超えての空爆が禁じられ不利だったが、その制限が外されたならソ連空軍を一方的に壊滅に追い込んでいただろう。
辻ーん乙
>>289 陸戦だけ見れば劣勢だろうが、極東ソ連軍が複数正面で攻勢に出てくるとなれば、
もう局地戦のレベルを超えて日本海軍の協力も得られるだろうから航空優勢は掌握できる。
沿海州のソ連軍は海軍陸攻の渡洋爆撃と空母機動部隊の爆撃で壊滅させられる。
293 :
名無し三等兵:2007/09/25(火) 08:52:27 ID:x+caQuQ9
兵力劣勢の日本側が、逐次投入というポカかましてるんだからしょうがない
辻は第二師団はじめ三個師団を投入してれば勝てたとかいってるけど
兵站はどーすんだ?
より少ない兵力を維持するのさえ、不足気味だったのに賄えるわけがない
対してソ連軍は車両による大量輸送を実現
時間が経つにつれて彼我の戦力は開く一方
>>292 それでかたがつくならシナ事変なんかとっくに終わってるよ
関東軍の参謀が辻ではなく、石原莞爾だったら……
296 :
名無し三等兵:2007/09/25(火) 11:09:53 ID:+LBPIHno
辻曰く「戦争は負けたと思ったほうが負け」
つまり、ノモンハン戦を国民から隠そうとするほどの負けと認識した日本の負け
圧倒的敵軍相手に奮戦した前線指揮官を自決させるってどこの馬鹿だよw
その後の大東亜戦争では欧米のアジア植民地化の野望をくじき、
アジア解放という戦争の目的を達して大勝利したんだからいいじゃん。
4カ国同盟さえ実現できれば・・・
ヒトラーアホ
>>286 戦争は政治の延長なので、成果を収穫した方が勝利とするならば、
両者とも相手を威圧するという成果をあげています。
>>296 問題はソ連も自分が負けたと思いこんだことですね。
両者勝利というよりも、両者敗北といえると思います。
>>296 エラン・ヴィタールだっけ。
旧軍もフランスの変な精神主義まで真似することはなかったのに。
日本側が1回しか越境爆撃をして無いというのは、どこから広まった話なんだ?
これも辻か?
>>293 >兵站
在満州の民間自動車を徴用して使ったみたいだけど、どのくらいの量だっけ?
なんでも、輸入車が多かったから、軍の制式車両より歓迎されたとか。
302 :
名無し三等兵:2007/09/26(水) 08:23:51 ID:iBGpE4qm
>>299 ソ連は勝利だと思ってたからジューコフらが粛清を免れたんだろ
ジューコフは、一番苦しかった戦いはなんです? と西側の学者にインタビューされた時
即座に「ノモンハン」と答えた
これは日本軍が存外手強く、ソ連軍がまだ発展途上だったゆえのことだったのか
それとも粛清の恐怖と隣り合わせで指揮を取ったからかは不明
ノモンハンをロシアではハルヒン・ゴールっていうんだって
ハルハ河の意味だな。
つまり、ハルハ河紛争。
NHKの捏造:日本はソ連の戦車に火炎瓶で対抗した。ソ連はそれに対抗してディーゼルエンジン搭載戦車で対抗した
よくある思い込み:日本が言う「ソ連戦車」に戦車砲装備の装輪装甲車が結構な数含まれていることを失念
>>306 それ、捏造したのは、戦前の軍人さんだから。
火炎瓶の効果をやたらに大きく取り上げ。
ディーゼル車で対抗されたってのも、戦後になって元軍人さんが説明したこと。
あれって、最初は上手くいったけど、早速金網をかけられて無効化
されたんとちゃうのか?
>>309 日本の対戦車兵器として最も有効だったのは速射砲というのが、敵味方に共通する認識。
金網対策の施される前の、初期の戦闘においてもそれは変わらない。
ハルハ西岸への渡河部隊がAFVに対抗できたのは、大量の速射砲を持っていたことが大。
(ソ連側の戦術ミスもあるが。)
にもかかわらず、火炎瓶による肉薄攻撃の戦果のほうが、広く宣伝された。
そのほうがかっこいいからね。敵は弱いという感じになるし。
戦後においてもその影響が残ってて、火炎瓶ばっかりというイメージに。
別に、NHKの捏造とかじゃない。
日ソ双方の史料が出揃っているのに、NHKが火炎瓶ばっかりという過去のイメージを
垂れ流すことは、やっぱり問題があるんじゃないのか
312 :
名無し三等兵:2007/09/27(木) 10:40:36 ID:FCKwO5tu
日本軍の被害が甚大化したのは、機動力火力に優れている上で大軍を投入したソ連軍に包囲され分断されたから
逆に南方では、日本側第十六連隊が予備隊により敵を挟み撃ちにできたらソ連軍を撃破できた(正面を受け持った大隊は隊長以下相当数が戦死したが)
少ない兵力を孤立させるとは、辻以下の参謀は何をやっていたんだ?
連中こそ自決か待命に追い込むべきだったのでは?
>310
>にもかかわらず、火炎瓶による肉薄攻撃の戦果のほうが、広く宣伝された。
嘘だよ。実際には戦前も航空戦や対戦車砲の活躍が広く宣伝されている。
>>313 そりゃ軍の上層部にしたら最新兵器の宣伝をしたいだろう。
戦闘に参加した兵士だった人々の証言が火炎瓶攻撃に偏っているのも確か。
>>314 ウソウソ。戦前の出版物は対戦車砲や皇軍戦車や航空機の華々しい活躍がメインだよ。
日本軍は劣った存在でダメでダメで・・・・ってのは戦後史観。
>>315 そりゃ「出版物」の性格次第だと思うんだ。戦前であれ戦後であれ。
>>315 ノモンハン事件に参加した人々の生の証言なんて戦後にしか出ないのは
あたりまえ。当時は隠蔽されていたのだから。
戦後の郷土連隊史なんかは火炎瓶が強調されている。参加した兵士の印象が
速射砲より強かったのはしかたないと思うぞ。
NHKがノモンハンがらみの番組を作るときも兵士だった人々の証言を重視
するだろう。ある程度それはやむをえない。
>>318 いずれにせよ客観性・公平性を欠いているのは間違いない。特定の兵士の個人的な感想はともかく
ソ連軍の戦車を最も多く倒したのは対戦車砲なんだから、それをクローズアップするのが公平な報道。
話聞いてると、殆どの人が火炎瓶で戦わされ、それなりに戦果をあげたけど、
戦闘のポイントでは速射砲が決め手になった って感じに見える。
速射砲を操作してたひとが少数だから、戦後の証言では火炎瓶がメインになってもしょうがない みたいな。
そうかな? 戦場で大勢の兵が何をしてるかと言えば、ひたすら穴掘り、モノ運び。
華々しい戦闘なんてホンの一瞬。ほとんどの時間を土木や行進に費やしている。
だからと言って、そうした描写を延々続けるのも変。
延々とソ連軍の砲撃に晒されるというのもあると思うぞ・・・
空戦とかでも、戦っているのはパイロット一人ではなく、基地の為の土木工事、整備士、給油係、燃料他消耗品を
補充する輜重部隊、膨大な人数が関わっている訳なんだが、映像に映るのは殆どパイロットと戦闘機だったりする。
戦果を挙げたのは速射砲だが、
絶対的に数が足りず、しかも弾薬不足をしばしばきたし、
数としての主力対戦車兵器は火炎瓶ということになっとる。
まあ、それでも、日本軍基準では異常な数の速射砲をつぎ込む努力はしてるんだが。
事件末期に出動してきた第7師団や第2師団は、
固有の速射砲の代わりに、支那戦線から持ってきた速射砲を装備してる。
固有の分は、先遣して全滅しちゃってるんで。
速射砲・・・寡兵ながら一番の戦果を挙げた
火炎瓶・・・大量に投入、それなりの戦果を挙げた
「撃破したかどうか」というのとはまた別の問題だと思うけど。
速射砲がふんだんにあって、呼べば敵戦車を攻撃してくれるという状況であれば
ともかく、実態として火炎瓶で戦うことを余儀なくされた兵が多数いるんであれば、
「火炎瓶で対抗した」と言わざるを得ないでしょう。単なる印象論というよりも、もっ
と根の深い話だと思いますよ。
何にしろハッチに鍵を掛けられたり、溶接されたソ連の戦車兵は一番不幸だ。
>>326 そんな事を言い出したら、戦場で高価な戦車に乗っている兵士なんてどこの国でもごく一部。
でも戦車は重要な役割を果たしている。
少数派だからと言って戦車や戦車兵に焦点を当てて報道するのは禁止?
>328
誰も「禁止」なぞしていないけど?
きちんと公平に、活躍した兵隊達を報道すべきだろうな
NHKは商売だったっけ?
>>331 商売としてなら、思いっきり派手に皇軍が大活躍する映画とかドラマとか作ったら売れないかな?
アメリカ映画みたいに。
ソ連側の損害って、戦死及び不明7974人・戦傷1万5251人・戦病701人ってのと、
戦死及び不明と負傷による死亡9703人・負傷1万5952人っていう2つの数字が
あるんだけど、どっちが本当なの?
片方が捏造とかそういうわけじゃなく、統計の時期などの違いじゃなかろうか。
日本軍の損害でも、第6軍集計と第23師団集計で、同一部隊の損害が異なってるのと同じでは?
たぶん、多いほうの後者が、最終数字に近い気がする。
ちなみに後者の詳細は、第一次および第二次ノモンハン合計でのソ連軍の損害。
(うち第1次の損害が、戦死不明138名、戦傷198名。)
このほかにモンゴル軍の損害が、死者・不明165名、戦傷病391名といわれる。
337 :
名無し三等兵:2007/10/02(火) 08:56:02 ID:sFCpCUVr
>>336 サンクス。
いろいろな書籍に書かれたノモンハンのソ連軍損失の数字をチェックすると、未だに
できるだけ少なく書こうとするベクトルが働いてるような気がするんだよね・・・
例えば、イカロス出版が最近出した「フィンランド軍入門」で、冬戦争とノモンハンの
ソ連軍の人的損害を比較してるんだけど、冬戦争の損失333,084名に対し、ノモンハンの
損失15,925名は完全に負傷者のみの数字。
これじゃあ、損耗率の公平な比較にならないよ・・・
日本軍を評価すると見なされるとウヨ扱いされるんだろ
イカロスだしな
萌え雑誌の方に力入れてるから勘弁してあげてw
342 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 13:13:06 ID:LK8OVMVF
日本軍は、越境航空攻撃は奉勅命令が必要だってことで手控えるようになったけど
じゃあ味方への直接援護はどうだったの?
戦況が満州国寄りになってからなら、それぐらいできそうなもんだけど
>>342 一生懸命やってる。
7〜9月(事実上7〜8月だけど)で爆弾消費は約900tで
1日平均に均せば15tぐらい。
タムスク強襲等を除外すると、5〜10t/日ぐらいのペースで
当時の機数からすると決して少なくは無い。
でも50kg爆弾にして100〜200発でしかないから
15榴の一個中隊が本気射撃したら1時間分でしかないんだよね。
でも対空砲火にビビッて、かなりが手前で捨てて逃げたりしてるんだよな、これが
おかげで出撃数の割りに損害少ないけどな
下から見上げる兵隊さんたちはどう思ったかね
戦闘機でも対地支援を行った際の被害が意外と大きくて途中から禁止されていたくらいだから仕方が無いかと。
346 :
名無し三等兵:2007/10/29(月) 10:35:48 ID:nx8PaSI8
>>339 でも、その記事書いてる古是三春って軍事関係ではかなりの専門家でしょ?
ノモンハンに関する記事を書いたこともあるみたいだし。
本当にただのミス??
古是氏は、共産党員で、学生運動にも参加してたらしい。
人民解放軍にツテが有るみたいだし。
まあ、でもイデオロギーで事実をねじ曲げる人ではないと思うよ。
まあ、ペンネームからして
オールドコミュニストのふいんき(なぜかry
漂う人だけどな
いやいや日本を叩ける材料だったら草の根分けても探し出してどんな事でもやるが
日本に都合の良いことはできるだけ無視する
とにかく日本は悪であり、特に戦前の日本は絶対悪でなければならないんだよ。
サヨクってみんなそうだよな。はっきり言ってキモい。
>「陸軍機甲部隊」(学研)P143の古是三春氏の記述より
>例えば連隊長戦死、保有戦車の七一パーセントを損傷した第三戦車連隊では、
>八九式中戦車(乙)二八両のうち二一両(七五パーセント)が主に対戦車砲
>によって損傷を受けたものの全損・廃棄処分となったのはわずか七両
>(二五パーセント)にすぎない。反対にBT−5戦車で編成されていた
>ソ連側の第11戦車旅団は、ほぼ全戦車を全損状態で失い(約一八〇両)、
>BT−7で総取替えされたほどだった。
http://yasai.2ch.net/army/kako/985/985726562.html
>>349 ウヨクは方向性が真逆だよな。
キモイところはまったく一緒w
353 :
名無し三等兵:2007/11/07(水) 20:05:17 ID:5WDsNUJk
妹尾河童『少年H』については、山中恒・山中典子『間違いだらけの少年H』(勁草書房)が、
タネ本が全19冊からなる『昭和 二万日の全記録』(講談社)という大年表だと指摘するなど、
その虚構性が明らかになっているが、ノモンハン事件について、『少年H』の
<勝っとる勝っとるいうて、大本営発表を信じてたらアカンのやなあ>
<(ノモンハンで)日本軍はソ連軍に負けそうになっていたからだ。>
といった記述について、小林は新・ゴー宣で、「そのような国家機密を神戸の洋服屋の親父が
その当時知っていたはずがない」という感じで批判していたけど、田淵節也(野村証券元会長)
がこういうことを書いているぞ。
日本経済新聞 2007年11月6日 朝刊 「私の履歴書」 田淵節也(野村証券元会長)
高校ではノモンハン事件(1939年)が話題になっていた。ソ連軍の戦車に
歯が立たなかった惨めな戦車戦は今では有名だが、当時の陸軍は関係者を
内々に処分し、国家機密扱いにしていた。だが、田舎の高校生の間にも
知れ渡っており、情報統制もいい加減なものだと思った。
>>351 ほほうアルヴィンDクックス「ノモンハン草原の日ソ戦」によると
第11戦車旅団が大損害を被った戦闘の際に日本軍の部隊に戦車は一台も存在してなかったとあるんだがな
火炎瓶で破壊されたBT戦車と、おそらくは敵戦車と戦って破壊された八九式の被害の比較なんてしてもしょうがあるまい
というかそれはだつおが頻繁にコピペしてた文章だぞ
流れから見ると、
>>351は、
古是氏が何が何でも日本軍を貶めようとしてると、
いうことへの反証を提示したんじゃなかろうか。
別に、日本戦車のほうが優れていたということを主張してるわけではあるまい。
>>355 そもそも反証になってないし
だつおみたいなのが、日本の戦車が優れた証拠としてコピペを繰り返している以上
古是氏の狙いは、大外れだな
それと日本軍の戦車は、ノモンハンの全期間を通じてほんの僅かな期間しか戦闘に参加してない
>>351 クックスの本の第十一戦車旅団に関する該当箇所を見ると
火炎瓶を投げつけられたBT戦車は、一晩中燃え続けたとありました。
いくら戦車が回収されれば、再生しやすい兵器といえども
こんな有様になっては、修理は難しいんじゃないでしょうか?
条件が全く違うのだから、対戦車砲による損傷と比較するのも不適切だと思われます。
>>356 お前さん、自分の文章読み返したほうが良いぞ
>古是氏の狙いは、大外れだな
大外れというか、最初から日本戦車を馬鹿にする狙いなぞ無いと、351は言ってるんじゃないの?
日本軍をけなす意図があるなら、こんな日本軍に有利な内容書かないのが普通だろ
>>357 比較法として不適切だと思うけど、
逆に、そういう不適切な比較法までとって、日本軍に有利な記述をしてる事実がポイントかと
日本戦車が優れてたかどうかが主題じゃなく、
古是が日本軍非難のために事実を捻じ曲げる人物かどうか(
>>346-350)が主題な訳で
>>358 単純に考えて古是氏の調査不足であると思われますが・・・
恐らく第十一戦車旅団がどういう条件で戦闘したのかを考慮してなかったのではないかと
調査は浅かったかもしれないけど、
日本軍に有利なことだから書かないというような人ではないことがはっきりすれば十分ね。
調査が浅い人かどうかは、問題で無いから。
結論:
>>337はミスの可能性が高く、おそらく意図的なものではないと。
>>349-350は自己批判して総括して欲しいw
361 :
某研究者:2007/11/14(水) 22:37:26 ID:5ctbDgKT
ジューコフが指揮を採って居なければ
日本は負けたとは思わず
ロシアとの和平等は考えず
ドイツ軍がロシアに攻め込んでも
東方の兵力は使えず
ロシアは敗れたと言う事は無いのかだが
362 :
某研究者:2007/11/14(水) 22:42:25 ID:5ctbDgKT
必要量輸送できる見込み立たなきゃ決戦回避で大敗はないだろう。
希望的観測の罠に捕われていなければだが。
うわ
こんな過疎スレにまで某研が
365 :
某研究者:2007/11/15(木) 03:50:29 ID:o4/pLdbt
>必要量輸送できる見込み立たなきゃ決戦回避で大敗はないだろう。
>希望的観測の罠に捕われていなければだが。
決戦回避なら日本の対露戦の可能性は残り
ロシアは東方の兵力を西方に動かせず
独に敗れたと言う事は無いのかだが
うわっ伝説のコテの降臨に遭遇しちゃったよ!なんか感激!
ノモンハンで日本軍がコテンパンにのされていたら、ジューコフは粛正されていたろうに。
日本軍頑張り過ぎだぞ!
368 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 17:39:13 ID:pQeGuB5m
10こふ
369 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 08:52:01 ID:JeXPqXYn
Wikiのノモンハン事件の日ソの死傷者数が、理不尽に日本寄り。
お前らやりやがったな!
370 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 17:31:00 ID:+lHnphfu
日本側の死傷者は3万人超えてるはずだろ、
マキシム・コロミーエツ著、小松徳仁訳『ノモンハン戦車戦』あとがきより
ノモンハン事件の研究は従来、ソ連側の資料を政治的に脚色した公刊戦史でしか入手が困難という障害があったが、
著者の地道な史料発掘によって、苦戦を認める赤軍実戦参加部隊の「肉声」が紹介されたことは極めて重要だ。
著者は邦訳版刊行にあたり、苦戦を傍証する別の興味深いデータも提供してくれた。
1941年7月1日現在、計723,119名の将兵と戦車4,638輌、砲及び迫撃砲14,062門、
航空機4,777機、自動車60,091台、トラクター11,968台が配置されていた。
しかもこの中に戦時編制定数部隊の占める割合は当時対独戦に向けられた兵力よりも大きかった。
如何にノモンハン戦における日本軍の精強さにソ連指導部がショックを受けていたかが窺える数字である。
1941年7月1日の段階で極東ソ連軍ってこんなにいるの?
約70万という数字は結構あちこちで見た記憶があるんだが
まあ、この中から10万や20万モスクワに持って行っても問題ない、と
374 :
名無し三等兵:2007/12/14(金) 01:01:00 ID:NUW+KVaI
関特演で日本軍も兵力はソ連軍に負けないほど集めてても
航空戦力と戦車、火砲が歴然としてるのが悲しいところ。
ちなみに、41年半ばだと日本の戦車は約2000両ぐらい
(八九式x500、九五式x1000、九七式x500ぐらい)
数だけなら「防戦」は可能だが、性能は・・・あっちT-34まであるんだぜw
日本の戦車には対戦車戦闘能力がないからなあ。
ただ、BTの場合は装甲が薄いから、なんとかなったかも。
でも1戦で半数を失って撤退してるよね。
ノモンハン事変の日本側の対戦車砲って何があったの?
94式37ミリ速射砲じゃないかな。
しかし、この砲は恐ろしく能力が低い。
379 :
名無し三等兵:2007/12/14(金) 10:15:05 ID:zZDY0/LR
前スレ
256 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/23(月) 21:37:56 ID:???
この日、戦車・装甲車数百台が日本軍へ向かって突進してきた。
(戦車百八十六台、装甲自動車二百六十六台)シースキン著『ハルハ河』
速射砲の活躍
> 速射砲と連隊砲は必中距離の四〇〇メートル以内にひきつけて身をのりだして猛射した。
> 車体を貫徹するとかならず戦車は炎上した。岡本部隊の連隊旗手川添武彦元中尉は語る。
> 「こっちの速射砲と連隊砲と野砲の改良三八で狙い撃った。よく当りましたな。これは勝ったという感じでした」
> 酒井部隊の戦闘詳報の抜粋。
> 「七時、敵は戦車十数台、砲数門をもつて射撃し...八時ごろ、敵戦車十一・二台攻撃
> し来る。...十時ごろ四十七台の敵戦車われを攻撃...十三時ごろには重砲射撃を開始
> し、約百台の戦車逆襲し来れるも...大部を欄坐炎上せしめ、その黒煙幾十条となりて
> 天に沖し、あたかも日本海大海戦の絵巻物の如し」
この日(7月3日)の戦闘で「日本側の記録で見れば、敵戦車百数十台を撃破した計算になる。」
ノモンハンの夏 半藤一利著
ソ連軍はまともに正面から突進しすぎてやられてしまったんだね。
国産対戦車砲の威力は凄いな。
お得意の戦果誤認じゃないの?
結局食い止められず孤立し、典型的な包囲殲滅喰らってるじゃん
それにしても日本軍もよく殺されたな
前スレ
257 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/23(月) 21:38:28 ID:???
ソ連側の記録
> 7月3日にハルハ河西岸の戦闘に参加したソ連軍戦車133両のうち77両、装甲車59両のうち37両、
> 蒙古軍の装甲車8両 (計122両を喪失)
> (第11戦車旅団は)散開して勇敢に進んだ。日本軍の砲撃で大きな損害を出した。
> だが繰り返して言うが、我々にその覚悟はできていた。
>
> 旅団は人員の半分を戦死者、負傷者として失った。戦車も半数か、それ以上を失った。
> 攻撃を支援していたソ連軍とモンゴル軍の装甲車部隊は、もっと大きな損害を出した。
> 戦車は私の目の前で燃えた。
> ある戦区では36両の戦車が散開したが、そのうち24両は瞬く間に燃え上がっていた。
>
> ジューコフ将軍談
「ノモンハン戦車戦」 マクシム・コロミーエツ著
まあ、ソ連の完全勝利だったのは事実だしな
旧ソ連の資料が公開された今となっては苦しい主張だな
しかし日本の人的損失が少なすぎる
日本側の損失は信用できないな
>>389 内部資料の嘘の数字書き込むわけないじゃん。
信用できないのは、お前が今まで散々聞かされてきた日本軍惨敗説の方。
実際は日本軍の圧勝。
>>390 そんなのわかんないじゃん
>>391 包囲殲滅された上に、ソ連主張の領土を確保されて圧勝?
脳みそ湧いてるな
久々に皇軍太郎を見た
>>392 取り合った領土は日ソで半々だから引き分けくらいだろう
>>392 >日本側の損失は信用できないな
この客観的根拠を複数述べよ。
どうみてもキミの頭には蛆が湧いているようなので無理だろうが。
>>394 かつ損害はソビエトが圧倒的に大きい。
総合的に見たら日本の大勝利だな。
>394
日本がとったのは、「取り合っていた土地」じゃないぞ。
正面からやり合っていたところは全部持っていかれているだろうに。
398 :
皇軍太郎:2007/12/15(土) 06:52:06 ID:???
損害のリスト表作れよ
お願いします
>397
「取り合っていた土地」なんてことは関係ないから。
日露戦争で勝った日本はポーツマス条約で戦争とは無関係の樺太の北緯50度以南とかを獲得しただろ。
講和交渉とはそういうもの。
取り合った領土が日ソで半々である以上、ノモンハン事件は引き分け。
>>399 日本軍自身は「負け」と認識していましたが。
直接の戦闘地域はほとんど失い、敵がまともに配兵しておらず、かつ主戦場に寄与しない地域を占拠しましたが、主戦場で大敗した為もう少しだけ長引けばそちらからも叩きだされることが明白だったので。
ハンダガヤ方面はソ連も主戦場で日本軍主力を殲滅するまであえて放っておいた地点でして。
軍事面も経済面も見ず、面積だけで土地の価値を測るなよ。
欲しかった所があっちいって、どうでも良い所がこっちきたんだぞw
結局10対0で負けるところを8対2位に持ち込むことに成功した地域という価値なんだよね>ハンダガヤ方面
戦術的に善戦していたという面は別としても
>>401 どちらの土地も不毛だから、価値としては似たようなモノだろう
戦略的には引き分けか・・・・・
>>404 どちらも大して価値の無い土地だからこそ敵との直接戦闘の結果が大きくものを言ったんですよ。
日本は善戦したものの主戦場で大敗して自軍内部でも「敗北」と認識。
ソ連も大きな損害を受けて「日本軍侮り難し」と感じたものの、「勝利」と認識。
これが全てでしょう。
日本側が負けと感じたから、前線指揮官に責任押し付けて自決させるという反吐が出そうな行為に走ったわけだろ
土地協定でも宮崎繁三郎大佐の「石」の件を除けばほぼソ連側主張が通ったし
ハンダガヤ方面は日本の面子を最低限立てた価値という程度なんですよね。
実際、ノモンハン後の日満側は国境の10q後方に警備線を設けその地域内にはパトロール以外の部隊を入れず、ソ蒙側の越境があっても武器の使用を禁止する措置をとっています。
>>405 それは「負けと思った方が負け」と言う発想だが、客観的に観て引き分けだろう。
引き分けのために、必死で戦ったのに自決強要された人達って一体なんなんだろ
日本軍って腐ってるって主張?
コピペだが
>満蒙国境事変(昭和14年に満蒙間で起こった国境紛争。その内の一つがノモンハン事変)全体で見ますと日満の勝利です。
>
>この事変はハルハ河一帯で起きたものですが、ノモンハン以外の地域は日本側が制圧しており、実行支配地域は、事変前と
>事変後では、満洲國は支配地域を拡大し、モンゴル側は縮小しました。実際の損害もソ連側の方が多いのです。
>
>ソ連は停戦後、ハルハ河紛争に関する報告書をスターリン命令で封印し、現在に至るまで公開しておりません。我々が知りうる
>以上の損害があったのかもしれません。
こんな意見もある
戦略目的を達せられず
戦術的に敗北
死傷者数は相手のほうが多かったに違いない、という願望だけが望み
これじゃ駄目w
より広く戦略的に見れば日本が勝ったんだな。
>>408 客観的に見て投入戦力の大半を失ってたたき出されたのは日本。
敵の配兵がほとんどない地域に進出して何とか面積だけ確保して面子を立てただけです。
戦術的善戦は否定しませんが、彼我共に日本が敗れたと認識しているんですよ。
日本軍厨の負け惜しみにいちいち付き合ってやるなんてお前ら人がいいな
「日本勝利」
そういうふうに独善的に考えていると次の戦争でも大敗します。(泣)
>>413 どうも辻参謀みたいな人らしいが、精神論はともかく、物理的に確保した領土が同等なら
結局のところ引き分けなんだろう。
力押しの物量はソ連が上だったが、作戦上の駆け引き、巧緻さでは日本が上だったと言えよう
>>416 お気楽な見解です。
ハンダガヤ方面はソ蒙側が半ば意図的に放置しています。
結果的に主戦場での日本軍主力の撃滅という目的に絞って成功を収めました。
一方日本側は主戦場に影響のないハンダガヤに有力な兵力を分派して遊兵となってしまったといえます。
その代償として最低限の面子だけ保てましたが、その実効は
>>407の通りです。
より長期的に見れば、ソ連は一番苦しい時期に背後を守ることが出来たのに対し、日本は一番苦しい時期に背中から一突きされて終わりました。
>>417 だがソ連軍も日本側主力の侵攻前にノモンハン事変の停戦が成立出来て助かったとも言える。
ソ連は日本軍の防備の手薄なノモンハン地区に大軍を送り込んで領土を確保したと言っても
ソ連側の補給は限界に近い。ロシア軍の兵士達も飢えと渇きで瀕死のような状態だった。
日本軍が本格的に反撃したら今度はソ連軍の方が崩壊してしまっただろう。いずれにしても
現実を見るなら引き分け以外の何ものでもない。
日本軍主力といっても戦車は無く、砲兵すら不足しがちの歩兵部隊
出てったところで損害が増えるだけだろ
妄想を、こんな意見を言われてもなあ。
長引いたら今頃満州のあたりはソビエトに組み込まれ、
ソビエト崩壊と同時に新しい別の国家が誕生してたかもしれんな。
長引けば、ナチがポーランド丸取りで、
モスクワが数週間近くなる。
>418
日本軍主力がといったって、戦車も航空機も重砲兵もない頭数だけを投入しても、
「今度はソ連軍が崩壊」なんてならんよ。ましてや、有利になりうる土地は取られてい
るんだから、敵の重砲兵に叩かれて損害が増えるだけのこと。
停戦協定でソ連が助かったのは確かだが、それは対日本じゃなくて、対ドイツ、
対ポーランドの話だよ。
>>418 一番現実が見えてないヒトに「現実を見るなら」なんて言われたくないなあ
日本主張の国境線からソ連主張の国境線まで押し返されたのだから
ソ連のパーフェクト勝利。
どっちも極端すぐる
>>419 調子に乗って満洲に侵攻してくれば伸びきった補給線で、ソ連の方が殲滅されるだろうな。
事変が長引けば西で戦争が始まりモスクワはドイツ軍の手に・・・・・
>>427 「伸びきった補給線」なんてことはわかってたから
面子が立つ形での早期決着を図ったんだろ
>423
有利になりうる土地は日本軍も取ったよ
430 :
名無し三等兵:2007/12/16(日) 11:51:49 ID:VWfxYgyy
むしろ各連隊が孤立させられたことが問題
しかも危険性を指摘しても部隊後退すら関東軍は許さなかった
全滅を防ぐために独断後退した連隊長は自決強要
このあたり柔軟性が全く無い
日本はもっと大兵力を投入できんかったのか?
中国に五十万くらい兵隊いたんでしょ?
>>431 逆に言えば中国に大軍を拘束されていたことが問題で。
第二十三師団撃破後に仮に関東軍の全力を結集しても極東ソ連軍の全力と比較してノモンハン以上の劣勢。
もし中国戦線が無ければ互角にやれただろうけどね。
>>431 お前、日本軍の兵站能力を舐めてるな
仮に、対ソ総力戦を企図した場合
50万をノモンハンに集めてる間に関東軍壊滅
その後、バラバラに到着する各部隊を逐次投入
各個撃破の対象となり大陸派遣軍あぼーん
国民党や八路軍相手なら兎も角、ソ連軍相手に50万もかき集めて大戦争おっぱじめたら補給が・・・。
日本軍の補給能力なら全く問題ない
実際に大陸打通作戦で50万の陸軍が2500キロを突破している
だからソ連軍と支那兵を同列にみるなと。
>>435 しかも将兵の食糧事情は結構ぎりぎりのとこまで行ったじゃねえか
>>437 アメリカ軍機を相手にするより、ソ連軍機を相手にする方が遥かに楽。
空からの脅威が少ない分、補給面では大陸打通作戦よりソ連侵攻の方が有利だろ。
防戦になるから補給は楽だろ
>>438 そんなわけねー、
ノモンハンで壊滅しかけた航空隊がいるぐらいなのに
>>440 まあ、「遥かに楽」だからこそ「壊滅しかけた」くらいですんだが
アメリカ軍機を相手にしたら瞬殺、と
>>438は言いたいのではないか
補給は現地調達が基本だよね。
タイガで現地調達できるのは松の葉っぱくらいか
自然の力で清野空室済みだからな、あの辺は。タイガというよりステップだと思うが、まあ。
まず物量が違うからな
ドイツ軍のように奇襲かけたとしても、立ち直られて反撃されて終りでしょ
>>444 何のために伐開機なんていう
オモシロ車両を開発したと思ってるんだ
まあ、松林の中ならマツタケは採れるかも知れん
>>441 大陸打通作戦でアメリカ軍機を相手にしても瞬殺なんかされなかったじゃん。
むしろ有利に戦っていた部隊もあった。
ノモンハンでも航空戦は圧勝だったし。
圧勝……?
ああ、ソ連の?
圧勝どころか。パイロットの死傷が続出して部隊維持できず搭乗員回してと東京に直訴するほどじゃないか
防弾ゼロだからそういうハメになった
それでも、ソ連軍機の損害は日本軍機の損害の約2倍。
普通に日本軍機の圧勝。
アホか。パイロットがいなくなったら航空機なんてただの鉄屑じゃんw
ソ連のパイロットの損失は戦死100、行方不明59、負傷102の計261
日本軍機の損失171機なんだから、パイロットの損失もソ連軍のほうが遥かに多い
いや機体も底をついている
九七戦の手持ちがなくなって増援は複葉機の九五戦部隊まで来るハメになるとか
総計200名のパイロットが投入されたがうち半数が死傷という凄まじさ
国家としての基礎体力が違うからな
仮に日本側主張数字をそのまま受け入れるとしても
日本側がノモンハンの影響が後々の太平洋戦争まで響いた、といわれるのに
ソ連はそれまでにスペイン内戦やらで消耗しているのに補充が可能な範囲内
でも結局ソ連軍はノモンハンで日本軍と引き分けが精一杯だった
それが結論だな
経緯を無視して結論決め付けるしか手が無くなってしまったのか
まるで辻ーんのようだ
勝敗は結果で決めるのだよ。途中までの過程で決めるのではない。
じゃあ敵に多く損害与えたかもしれぬっていう経過関係なしで土地を奪われたに日本の負けってことですね
内部的にも責任押し付けられた生き残った連隊長らが自決させられるほど無残な結果
日本も同じくらいの面積の土地を奪ったしソ連のように捕虜になった兵士及び家族を「消す」ような非人道的な事はないし。
「捕虜となった将兵は祖国の裏切り者とみなし、その家族も逮捕。」
「捕虜となることを選んだ場合は、地上および空からのあらゆる手段をもってこれを撃滅」
{1942年7月27日:ソ連国防人民委員令第227号}
{1941年6月28日:祖国反逆者の家族のソ連極北地域流刑手続き}
ソ連が見向きもしなかった土地を奪ってか?w
それこそただの辻褄合わせでは?
ソ連だって日本が見向きもしなかった不毛な荒野を奪ったんだし
見向きしないのならそもそも大軍差し向けてそこを激しく争奪しない
詭弁のネタがつきて戦の意義すら無くすほうにいったかw
>>463 見向きもしなかったから国境侵犯してしかも攻撃を仕掛けたわけですね。
自殺願望でもあったんでしょうか?
皇軍太郎必死だな、と
まあこういう結論でよろしいか?
皇軍太郎って弄れば弄るほど臆面もなく無知をさらけ出してくれて良い反面教師だよな。
21世紀の希少動物「コミュニスト」が負け惜しみかw
俺反スタだが何か?
絶滅危惧種w
おまけにガチでアンチパターナリズムだぜ?
トロツキストの俺がちょっと通りますよ
いや、文脈から言えば「見向きしない」はずなら
微々たる国境侵犯にいきなり連隊規模の兵力送ったり、
越境し爆撃やったりしないんじゃないの?
>>462 ソ連が見向きもしなかった土地じゃないだろ。
ソ連軍の戦力不足で日本軍から奪うことができなかった土地だ。
ノモンハン、という地名は元々戦線後方の日本軍守備隊が居たところ
しかし戦闘後協定ではその要地すらソ連側に引き渡すはめになっているわけだが
捕虜にならなくても日本軍だったら自決させられますからね
結局、引き分けか
同じ詭弁しかでなくなった日本軍厨哀れなりw
領土の取り合いでは引き分けなんだろうが、戦果の多さでは日本が優るで FA?
領土の取り合いでは負け。損害も比率的に負け。ただしある程度の意地は見せた。
484 :
名無し三等兵:2007/12/20(木) 13:20:41 ID:WyKFI87y
勇戦した指揮官達に敗戦責任押し付けて自決強要した時点でもう勝ち負け以前に反吐が出ます日本軍
>>483 領土の取り合いでは引き分けだったはずだが。
>>485 紛争の原因になったところはそっくり取られてるよ。
だから基地だったノモンハンすらすっかり取られてるっつーに
あと単純な面積でも日本側が取った土地なんてほとんどないよ
既存の主張線に手をつけられなかったというだけ
ソ連が主張する国境線まで押し戻されたのだから
日本の負けだな
負けは負けでいいじゃない事実なんだから
この頃はBTとT26だったから、日本軍陣地に多数で正面突撃しては、対戦車砲で駆逐され、歩兵の投げる火炎瓶で止めを刺されたんだろうな。
日本の砲は途中で全滅しましたが。
火炎瓶も現地での対策で全く効かなくなってしまったしな
ループしてるんだが。
ええっ!なんだって!途中で砲が全滅していたのか!
じゃあどうやって、ソ連の装甲車輌と闘ったというのだね?
砲兵も肉弾突撃
>>493 だから後半で負けたんじゃないかw
まあ全滅しなくたって砲弾がないけどな。
>>487 >133にも書いてあるけど日本軍が分捕ったハンダガヤ周辺の500平方キロって、
仮にハルハ河から20km前進したとすると国境線の幅としては30kmもないんだよな。
日本側が確保しているハロンアイシャン駅のすぐ近くだし、
ここで不意打ち攻勢かけて確保できなかったらヤバイだろってレベルの場所だ罠。。。
>>486-488 紛争の原因になったところとか関係ないし。
ソ連が主張する国境線は半分しか認められず、残りは日本が取り、おまけに損害は
ソ連の方が多いんだから、限りなく日本の勝利に近い引き分けだろ。
国境線問題で日本が引き分けに持ち込めたとと感じたら懲罰人事はないだろう・・・
>>498 大本営の意思に反して紛争を拡大させたことに対する懲罰人事だろ。
敗北したのは外務省であって陸軍ではない。
陸軍の大敗北を受けて、土地を五分まで押し返してやったのに。恩知らずが
>>497 いや、ソ連の主張する国境線はほぼ全部取られたぞ?
別に最初からもめてないところをちょっと取ったけど。
>>499 いくら、紛争を拡大させても、結果として勝っていれば
懲罰人事なんてあり得ないのが皇軍クォリティ
つか、その見込みがあったからこそ、辻ーんだって
なし崩し的拡大策を取ったんだろ
見通しの甘さは70年前から今まで変わってないな
>>502 いや、ソ連の主張する国境線は半分しか取れなかった
>>505 負けは負けでいいじゃない。往生際悪い奴は侍じゃないよ?
相手により多くの損害与えて、国境線も半分ずつ分け合ったのに、負けとかありえない
>>502 いやソ連側の主張する領土は半分だけしか取られてないぞ。残り半分は日本が取ってる。
同じコピペを連呼しているところを見ると真面目にいってるんじゃなくて日本軍厨を装った煽りだろ
相手するだけ無駄ジャン
どうしても相手したいのなら過去レス嫁で済むw
紛争の原因になったハルハ河沿いの土地は、日ソで半分ずつ取り合ったでFAだな
>>509 仮に、北部、中央部、南部と国境を大雑把に分けたとしても北部から中央部の南端まで全部ソ連側ですが。
国境線で言うと2:1で日本の負け、面積で言うとさらに差がつきますね。
哀れな日本軍厨の壊れたレコーダーを親切に相手してあげる優しさに脱帽
それにしても幾ら資料を挙げても、見えないフリする反日厨の壊れたレコーダーにも困ったモノだ
>133
同じ面積取ったのなら領土紛争としては引き分け
きっと日本軍厨は敬愛する辻ーんの言うとおり「負けと思ったら負け」と考えてるんだろうよ
ここでまた結論だけほざく勝利宣言↓
辻自身も、後ではしれっと負けを認めてたんじゃなかった?
>516
まあ資料を出しても見えないふりする相手に議論は無駄だよ。
確かに旧軍が勝ったと強弁するのは無理があるが
旧軍を憎しで凝り固まっている人にも自省を求めたい
ノモンハン事件の後で日ソが獲得した土地の地図って、どの関連書にも載ってないな。
なんでだろう?
散々日本が負けたと書いてたのに、実は引き分けだったことが、ばれてしまうからか?
>>513 そもそも、とられた部分になんか利権になりそうなものってあったの?
人的損耗で責任を取った輩が結構居るからなぁ
今更「日本善戦!」なんて言ったら、参謀本部の連中
の責任追及が始まる罠w
つまり官僚的に「なかった事」にしたいんじゃないの?
ただ地図ってホントにない?
>>522 あの辺りの唯一の水源らしい。
遊牧民の人にしか関係ないし、彼らは国境気にしないけど。
日ソ双方に付いたモンゴルの部族的には
一応部族の威信的に意味がある可能性は無いわけでもない。
事件後衝突を恐れて境界10キロ以内にパトロールしか入れず武器の使用を禁止した方が負けたと感じていたのでしょうよ。
つか、引き分けなら、何で前線指揮官が自決させられたの?
勝てると思ってたのに引き分けだから。
>>523 『昭和史の謎を追う』秦郁彦著に地図が載っているよ。
元々紛争となっていた国境線はソ連の言い分全部通ってノモンハンのさらに東まで蒙古領にされる
さらに日本側が取ったのは不毛の地で、しかも事件前に日本側が既に確保していた土地まで含む
協定ではいちいち事件前の土地について言及してないから、実質確保した所の重要度は勿論面積含んでも日本の負け
関東軍首脳更迭、前線指揮官に自決強要(これほんとうに反吐がでる。実質味方による虐殺)という醜態が何より実情を示している
>>529 関東軍首脳更迭は引き分けの責任とらされただけだから、すぐに第一線に復帰した。
532 :
名無し三等兵:2007/12/22(土) 12:57:56 ID:MkN9/8mw
当時の日本軍の対戦車砲はどれぐらい砲弾を持ち歩いていたの?
>>507 往生際の良さは戦争では美徳とは言い難いな
とにかく勝った勝ったって言い続けるのも一つのやり方
スポーツじゃないんだぜ?
>>533 世の中には戦訓というものがあって、だな
>>533 いまなお勝った勝った言い続けて何かいいことあるのか?
まあテト攻勢は戦略的成功だったけど。
>>533 往生際の悪さは戦争における大いなる悪徳だろ。
負けは負けと見切りをつけて次にとりかかることができなくなる。
>>536 そういう意味じゃなくて、内心で負けているという分析を完璧にしていてもなお勝ったといい続けることで情報戦に勝利する。
といったことを言いたかったんじゃないか?テト攻勢みたいな例もあるし。(北ベトは戦術的に負けたが、お茶の間には米軍の惨敗に見えた)
まあ、本音と建前が違うだけならまだいいが
皇軍クォリティでは「勝った勝った」と言い続けてたら
何となく、本心でも勝った気分になって
戦訓の分析なんかしたくなくなるところが怖いんでな
失敗の本質を読んだら良くわかりました。
>>529 紛争となっていた地域は面積比で半々ずつ、日ソで取り合ったのだから引き分けだろうな。
本当に買ったのであれば,緘口令など不要でしょう。
>>541 つまり本当はソ連軍の勝ちではないということだな
>>540 おい、嘘がばれたらまた違う嘘かよ
どうやったら紛争あった地帯に限定すりゃそれこそ面積でも日本完敗だろ
元から日本が確保していた地をさっぴくわけだから
>>543 はあ? ノモンハン事変そのものが「紛争」でしょ 限定するも何も。
>133
まとめると
ソ連側が獲ったのは「ハルハ・ホルステン河流域付近」で、ここはソ蒙側が主張していた線で決まった。
日本側が獲ったのは「ハンダガヤ〜ハロンアルシャン地区」で、ここは日満側の要求通りに線引きされた。
と言うことだな。領土的には引き分け。
>>544 >>540でボケた日本軍贔屓が言い出したこと
負けを認められないメンタリティは旧軍と現代の日本軍ヲタは未だに同レベルってことだな
>>538 引き分けだったノモンハンを負けたという誤った認識で分析しても正しい戦訓は得られないぞ。
引き分けで自決させるのか
やっぱり日本軍って屑だな
それを未だに持ち上げる奴らがいるのって笑えるw
自決よりはまだマシだけど
須見隊長なんかは第一次事件で難しい殿軍務めたのに
辻の馬鹿にビール飲んでると誤解(実際は水汲む容器すら不足していたんでビール瓶水汲みに使っただけ)された程度で左遷待命状態にされているもんな
何かがおかしかった
だから負けたともいえる
日本は軍規が厳格だったからな
>>549 本当は、自決予定だったんじゃなかった?
本人が拒否ったので死ななかっただけで。
をい、厳格なら尚更事実誤認で予備役行きっておかしいだろw
219 名前: 弁護人 投稿日: 02/03/15 01:12
ただ、須見大佐がビール飲んでた事件に付いては、大佐の当番兵が
「あれは水じゃボケ!」と戦後に手紙を出したところ、丁寧な謝罪文が送られて
きたそうです。
当番兵(外崎氏)は、国会議員辻政信と威名を轟かせし方が早速誤りを認め謝罪
するが如きは凡人に出来ざることと、尊敬の念を抱いたそうです。
戦後ってw
つまり当時処分時にはマトモな調査もしなかったわけか!?
辻もアレだが軍自体が大概だな
だから負けたんだろう。タチ悪い事にろくな戦訓も研究せず隠蔽して敗戦責任弱い立場の人間に押し付け。
ビールで左遷は無いだろ。
デマだったか。
ビールを批判したのは戦後の話し。それも自分の著書で
>>553 きちんと調べもせず断罪し,きちんと調べもせず謝罪しているとしか思えないんだけどなぁ。
戦後に謝罪したことも調べずに「思えない」とか妄想している人間の方が
辻よりもクズなのは間違いない。
ご親族ですか? あるいは、ご本人とか・・・。
辻は外崎氏には謝罪したけど、肝心の須見氏には謝罪してないんで
なかったかい?
ハンダガヤ方面は直接の係争地でなかつた為にソ連側は警備隊レベルでしか配兵しておらず、まともな防戦も指示していませんでした。
国境線の判然としない地域ではありましたが軍事力を持って直接係争されていたわけではないんですな。
つかどっちも直接の係争地に決まってるじゃないか。ノモンハン事変が勃発した時点で。
>>547 ある程度同意
現時点である資料ならせいぜい引き分けか、勝ち負けに触れないのが
まともな評価
そもそも損害でも日本>>ソ連という評価だったのを、新しい資料で
ソ連>日本だったのがわかって、「軍事目的を達成した方が勝ち」なんて
詭弁を言い出したからノモンハンの評価が真っ向から割れてしまった。
しかしノモンハンの戦争目的って両軍とも現時点でもはっきりしないんだから
(だいたい突発的な国境紛争だし)、ソ連がノモンハンで戦争目的を達成した
って根拠は希薄だよなw
それを何が何でも日本の負けにしたい奴はただの反日バカだし、日本勝利まで
やっちゃう奴はやり過ぎw
それにしてもノモンハンスレっていつも荒れるな
団塊の匂いがプンプンするw
>>565 まあ、若いもんは知らんかもしれんが、ソ連崩壊前から
「向こう側の資料が出てこない以上、いや、出たとしても
そもそも、彼我の損害対比は無意味
戦争目的を達成した以上、ソ連の判定勝ち」
と、いう論調が大勢を占めていたわけだが
それも俗に言う、右の軍事評論家などがな
左の連中は、「ソ連の圧勝」ということにしたがっていたが
軍事を少しでも知っている人たちはマトモに相手をしていなかった
「詭弁を言い出した」のは、かねて言われていたよりも
ソ連の損害が大きいのを知った皇軍太郎の側だ、というのは
過去スレからの流れで明白
>>566 荒れるのは、物知らずの小僧どもが必死になるからだよ
年齢を重ねるということは、知識も豊富になるし
思索の時間も十分あったということだからな
まあ、ジューコフが「もう日本と戦争したくない」と言うくらいだから敗北とは言えないだろう。
たとえ、大嫌いなロスケの発言でも
都合がいいところだけは信じるのか
便利な脳ミソしてるな
>>555 ノモンハンでの戦訓なんて大してないだろ。
ノモンハン以前から軍の近代化ということで着手していたことばかりだ。
その必要性が再確認されただけ。
ノモンハンは戦訓もさることながら後始末に学ぶべき点が多い。
むろん反面教師として。
やったのもやられたのもみんな日本人だったってのが恐ろしい。
現在でもじゅうぶん教訓となる。
>>571 日本人って「教訓」だの「戦訓」だのって言葉が本当に好きだなあ…
で、それをいかに「今」に生かしたのかと…
具体例を示すことができればなるほど!って思えるけど、悪いが俺には
全然それがわからんw
具体例を示さなきゃ、70年間何にも考えなかったってことでかえってタチ
が悪いね
立場の弱い部下に責任押し付けるって今も全然変わってないしw
よくあるトカゲの尻尾切りだよね。
これが駄目だと言うなら、本体も一緒に死んだほうがよいということなのだろうw
まあ世の中にはそういう奇特な人もいるだろうけどな。
片腕を切られて生き延びるぐらいなら、
五体満足のまま死ぬほうを選ぶ人間もいる…かもしれない。
>>568 ジューコフが「高級将校は無能」と言うくらいだから勝利とは言えない
>>556 実際に辻がビールの件を報告書に書いて左遷くらったわけだが
デマはどっちだかw
軍事史的には、カンネーのような教科書的な包囲殲滅をジューコフが成功させた点で注目された
包囲理論は日本も含めて各国が研究したが、それが成功した例は古代からみてもすこししかない
その、少ししかない実例が、わずか1年の間に
攻守ところを換えて実現する東部戦線オソロシス
独ソ戦がいかに異常な戦争だったかわかろうというもの
異常というか、両翼包囲という形をつくるためには部隊あたりの機動性が相手に勝っている必要がある
原型となったカンネーも両翼包囲やったのは優勢な騎兵
戦車の発達で歩兵との機動性の格差が決定的になったからだろうな
それでも相手方の戦車も有機的に運用されるとそれもなくなるわけだが
>>575 ジューコフはWW2戦後に一番辛かった戦いはノモンハンと答えていますな。
ええとですね。わかりたくない人はいくら説明してもわからないでしょうが、満州というのは長大な国境線の割に日ソ共に極めて兵力が少ないんです。
しかも国境地帯の多くは不毛の土地で、沿海州を挟んで両軍が陣地構築に精を出した東部を除くと多くの国境は警備隊が監視哨を置けばまだいい方という程度。
特に重要な都市(というか町レベル)を除くと西部国境はこんな感じです。
砂漠の戦いがよく海戦に例えられるのと同じで、双方とも侵入すること自体は極めて容易なんです。
後はまともに兵力を出してくるかどうか。
敵野戦軍を撃滅することが最大の目的で、それを成し得れば土地も手に入り、成し得なければ不毛の地を踏んだというだけに終わります。
ハンダガヤは史実でもソ連は警備隊レベルを分散配置していただけでまともに抗戦せず日本軍を監視するに止めています。
これはハンダガヤが実際の戦場に何等の影響を及ぼせない地域であるが故、敵野戦軍主力であるノモンハン方面へ戦力を集中する意味で戦略上、作戦上極めて正しい選択です。
そして実際に野戦軍を撃滅したわけです。
もし事件が継続した場合、大規模な援軍無しにはハンダガヤに侵入した部隊もいずれ後退を余儀なくされるか撃滅されるかを選択しなくてはなりません。
そして援軍として投入可能な兵力はノモンハンをも上回る比率でソ連軍が優勢です。
ハンダガヤは休戦交渉上、政治的になんとか日本軍の顔を立てることが出来た場所というだけでそれ以上の意味は持ちません。
現実に事件中、事件後を通じハンダガヤ失陥をソ連は殆ど意に介していませんし、英国なども実質的に日本の敗北と認識しました。
戦術上は日本軍も奮戦し、ソ連側により大きな損害を与えていたという部分とはまた別な話なのです。
>>581 確かに「いかにノモンハン事変における補給が苦しかったか」を辛かった辛かったと延々と書いてますねw
日本側の三倍近い兵站線を維持しようとしたらそりゃ苦しくなるわ。
まあ、その兵站を維持できたんだからよかったよかった。
日本軍が当時のソ連軍にとってかなり手強い相手であったことは事実でしょう。
ただそれが勝敗とは別な話なのに気付く人と気付かない人、気付きたくない人がいるだけ。
昔はその他に日本軍が弱かった説の人がいたって具合ですね。
>>583 いえいえ日本軍との直接戦闘が苦戦であったと述べていますよ。
まあ日本軍の攻撃を受けて恐慌状態に陥る部隊も出たわけですから当然ですが。
>>582 >野戦軍を撃滅したわけです
敵に与えた損害の過多で勝敗は決まらないと何度も指摘されているけれど?
>>587 戦術的勝利は普通損害の多寡で決まります。
「過多」ではなく「多寡」でしょ?
>>587 何について仰っているのかわかりませんが…
数で言えばソ連軍の方が多くの損害を受けていますが、部隊としての戦闘能力を喪失して敗退したのは日本側です。
>>588 つまり、独ソ戦はドイツの大勝利ですな。
>>582 >ハンダガヤは史実でもソ連は警備隊レベルを分散配置していただけで
手薄な箇所を上手く攻撃して引き分けに持ち込んだ訳か。日本軍は
逆でしょう。多くの国境線は両軍ともその程度の配置で守る必要性が希薄なんです。侵入した側としてはむしろ主戦場以外へ有力な一部を送って遊兵化してしまった面も無きにしも非ず。
もしソ連が過剰に反応してくれれば牽制ということも出来たんですが、まともに対応もされていないようで。
事実上両軍ともどこへでも侵入することが容易で、あとは必要に応じて相手が侵入者撃退を行うかどうか。ノモンハンも元々両軍ともまともに配兵していなかった位ですから。
逆の立場になりますが、事件後にソ蒙軍が国境を越えて満州国内に侵入してくることがありましたが日本側は監視に止めていました。
これを日本側の敗北とかソ連軍の勝利とか言わないのと同じで軍事的には勿論、そして実は政治的にもそんなに意味のない地域なんです。
つーか,勝った厨って,戦術的な勝利を積み重ねる事により戦略的劣勢を覆す事が可能だと信じてるわけ?
>>593 だからそのソ連の戦略は何だっちゅうの!?
具体的に答えてくれよ。
「勝った厨」がでてくるのはソ連の戦略そのものがはっきりしないのに、
戦略的にソ連の勝ちだとか言う奴がいるからだろ?
戦略的にソ連が勝ったならソ連の戦略を反論されることを覚悟ではっきりと
説明する責任があるぜ。
そうじゃなきゃ「勝った厨」を馬鹿にする資格はないね。
厨って言うのは流石に失礼かなと。
勝ったとか引き分けたとかいう人も本当は軍事的敗北、政治的にも顔が立った程度と言うのはわかっているんじゃないですかね。ただ認めたくないだけで。
昔、日本軍が一方的に踏みにじられてまともに戦えなかったような論調が多かった時代に対する反発なんでしょう。
もし本当にわかっていないんだとしたら…まだ軍オタ初心者レベルなんだと。
それもまた幸せ。重度の軍オタが偉いわけじゃないですから。
>>595 考え方はちょっと違うが、君とは友達になれそうだw
>>594 戦略的劣勢とは,日本が事実上勝てなかったことを比喩したもので,「損害比」だの「国境線」だのといった各部分での優勢を戦術的勝利と比喩してみただけだ。
俺としては,ソ連の戦略ではなく,勝った厨の戦略を知りたいものだ。
598 :
595:2007/12/24(月) 22:56:30 ID:???
>>597 面倒なことは結局答えないつもりだなw
叩かれるのがそんなに嫌なの?
オレは勝ったとは思わんが、負けたとも思わない。
理由は両軍の戦略がはっきりしないからだ。
もし本格的戦略があったなら、どちらかに事件に対する計画性が
はっきりあったということになるが、今のところそれははっきりしない。
するとどちらが押していたかということになるが(つまり戦術レベル)、今の
ところどうやらソ連が最終的に押し気味だったらしいというだけで、だから
ソ連が勝ったとは言い難いと思うのが俺の見解(そしてオレ自身にはソ連の
有利を強調する理由はない)。
おまけにソ連の方がダメージがでかかったとなると、戦術レベルでの大勝利とは
もはや言えないのではないかと…
まあ印象操作としては見事にやられたとは思うがw
まあ厨呼ばわりしたいならしてもいいよw
>>596 それはどうも。いつか飲みましょうか。
それはそれとして横レスになりますが、多分ソ連の戦略目的も日本のそれと大きく違いは無いように思いますね。
どちらも究極的には国境線を自国の主張の線で確定した上、相手から侵される可能性を排除したい。それには全面戦争で相手を打倒するしかありません。
しかし現実問題として日本がソ連を打倒することは不可能ですし、ソ連にしても満州から日本を叩きだすのは不可能とまでは言わないにしても犠牲の割に報われない困難な仕事です。しかも欧州戦争も迫っているので非現実的。
また、専守防衛にしても国境線が長する割に兵力は少なく、両軍とも現実問題として全ての国境を守ることなど出来はしません。
そこで両者とも自軍が国境を守る意思と力があることを示して相手に現在以上に進出してくる意図を持たせないことが現実的目的となります。
文字通り一歩も侵させないということではないんですね。
まずノモンハンにしても大雑把に言えば
蒙軍が越境→日本軍が出撃して撃退→ソ連軍出撃→日本軍本格的に参戦→ソ連軍大規模に投入して攻勢→日本軍撃破
という流れで、双方共に国境への直接配備を当初しておらず、相手の出方に対して反応を繰り返しているだけともいえます。
また初期には日本軍は蒙軍撃退後に駐屯地に引き返して済ませており、やはり国境直接配備の意図は無かったことがわかります。
というわけでソ連側は国境を守る意思と力が充分にあることを現実に示しました。
日本側も少なくともその意思を示し力も無いわけではないことを示したと考えますが、少し贔屓目でしょうか。
>>599 >日本側も少なくともその意思を示し力も無いわけではないことを示したと考えますが、少し贔屓目でしょうか。
贔屓というほどのこともないでしょう。
事実、
>>371のようにノモンハン戦後、日本軍の意思と実力を評価したソ連軍が
独ソ戦が始まってなお大兵力を後置しておいたわけですから。
>550
日本軍の軍規はめちゃくちゃだったからな。でなければ、中央の命令に
堂々と反抗したり、辻みたいな威勢だけの馬鹿が威張り散らしたりする
ことは有り得ないし。
>562
ビールの件「だけ」とりあえず謝罪しただけで、あとのでっち上げ断罪の
類はそのまま頬かむりだったはず。
604 :
594:2007/12/25(火) 01:44:21 ID:???
605 :
594:2007/12/25(火) 02:08:21 ID:???
>>599 >というわけでソ連側は国境を守る意思と力が充分にあることを現実に示しました。
>日本側も少なくともその意思を示し力も無いわけではないことを示したと考えますが、少し贔屓目でしょうか。
「国境を守る意思と力」を示すこと以外に明確な目的は確かにないですね。
もっと積極的な目的があれば勝敗もわかり易くなるが、それが不明な以上ない方向で考えるしかない。
すると両方とも一応その目的を達しているわけだから、クラウゼビッツ的には「双方の勝利?」
となっちゃうわけですな(不思議ではないがw)
ノモンハンはやっぱり勝ち負けに拘り過ぎるのはナンセンスだなw
ソ連にとって画期的だったのは両翼包囲戦術を実地で実現できたこと
あとトラックの大量使用による自動車兵站を実地で成功せしめたこと
日本側は二千近い戦病者を出しているがソ連側は七百ほど
この数字にはっきりと(兵士自体の食事はともかくw)継戦能力が出ている
勝ち負けに拘るのはナンセンスだが、引き分けと強弁するのは良いのかw
戦略的劣勢を戦術的勝利の積み重ねで覆す事が適うと信じてるんだろ。
部分的な引き分け的要素や日本軍有利的要素を積み重ねていけば,
敗戦も引き分けになると信じているという....
>ソ連にとって画期的だったのは両翼包囲戦術
そうした戦術的勝利が、そのままソ連の戦略的勝利にはつながらないのだよ。
積み重ねていってもダメ
日ソ双方の戦略目標であるノモンハン一帯を確保したんだからソ連の戦略的勝利だろ。
ハンダガヤ、ハンダガヤと馬鹿みたいに言う奴がいるけど、
ソ連が終始ハンダガヤ周辺を放置していたのを見ればソ連側と日本側の双方にとって
全く無価値な場所だという事ぐらい解りそうなものだが・・・。
たまたま現地部隊が独断で駆け込み占領したから貰えたようなものの、そうでなかったら日本側すら放置していたような場所だぞ。
国境紛争なんてメンツの問題だろ。
駆け込みだろうがなんだろうが、
「相手の土地も奪った! ただ負けたわけではない!」
と主張できればそれはそれで目的達成。
>>612 戦場の実相とは別にソ連軍(とヨーロッパ諸国は)は関東軍強しと思い、
日本側では負けたと思った場合、
これは勝ちなのだろうか負けなのだろか。
一言で勝った負けた言うから混乱するんだ。そのまま理解しろ。
>>606 最寄の鉄道の駅からソ連軍のほうが遠く部隊の数も多いのに補給に苦しんだのは日本軍だよな。
引き分けでもういいよ
勇戦、苦戦したのに責任押し付けられ自決した隊長達の命と名誉が帰って来るのならね
自決強要させられたのは負けたからじゃなくて
命令無視したからだぞ、と。
>>618 いや、無断退却した責任取って自決した人もいたが
明らかに罪状ないのに自決させられた者も多い
ってか本当に罰せられるべきならそれこそ軍法会議が妥当でしょ
なんで裏でこっそり自殺させる必要があるんだよ
軍法会議やると、作戦や予想が悪くてそうなったことが公然となって、結局それを統帥すべき上層部が悪いってことになるからじゃない?
トカゲの尻尾切り。
>>619 多いって具体的に誰よ?
敢えて上げるなら歩72の酒井大佐だけだろ?
>>618 命令無視って、現場の状況に応じて指揮官が判断しないならいらないじゃん指揮官。
捕虜になって戻ってきたのも自決させられてるしな
624 :
名無し三等兵:2007/12/26(水) 11:18:17 ID:ZKFRBBux
仮に処罰に理由があったとしても、それを公式な手続きも踏まず自決強要で済ませる時点でもう軍隊として狂ってる
前線で死闘して生き残った部隊の指揮者は、連隊長の大佐クラス以下、全滅の責任をおって自殺を命じられた。
しかしこの無謀な戦争を計画し、弾薬などの補給もしなかった辻参謀らの幹部、
小松原師団長、荻州六兵軍司令官らは罰せられもせず、せいぜい予備役に編入されるか、
あるいは辻のように他の要職につく有様、
まことに上官の命令(その起案は参謀)を「朕の命令」と信じて戦死したり、自決した将兵は悲惨である。
さらに包囲され、弾薬つき、または負傷して捕虜となり、停戦の結果帰された将兵は、軍法会議の結果銃殺か、自決を命じられた。
著者が昭和十六年千葉県柏の陸軍病院で、満州から後送された病兵からきいた話はさらに悲惨である。
捕虜になった少佐が帰されて、陸軍病院に収容された。憲兵は彼にピストルで自殺を迫った。
(「天皇と昭和史」)
しかし少佐は拒絶して便所ににげこんだ。憲兵がおいかけて行って射殺したという。なお処刑されなかった捕虜兵士は、国境の陣地構築に使役され、ほとんど生死の消息がたえてしまった。
>>622 進の判断自由はあっても、退の判断自由は無い。
陸軍刑法第75条
故ナク職役ヲ離レ又ハ職役二就カサル者ハ左ノ区別二従テ処断ス
1 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ5年以上ノ懲役又ハ禁錮二処ス
「軍事裁判やっても死刑だけど、自決したら名誉は守れるよ、ん?」
という流れで以下略。
第57条
上官ノ命令二反抗シ又ハ之二服従セサル者ハ左ノ区別二従テ処断ス
1 敵前ナルトキハ死刑又ハ無期若ハ10年以上ノ禁錮二処ス
第77条
敵二奔リタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役又ハ禁錮二処ス
可哀想だけど、これが日本陸軍の法律。
だからだったら普通に裁けよ
なんで暗殺同然に自決させるんだ?
だいたい「これ以上戦ったら全滅」を救うのが「故ナク」なのか?
力尽きて捕虜になるのが「敵ニ奔リタル」になるのか?
どうみても日本軍は屑です。ありがとうございました
だから軍法会議を避けたんじゃないの
インパール事件のことだが、抗命に問われた佐藤は軍法会議に出て全てぶちまけるつもりだったが
精神病である、とされて有耶無耶にされた
本当のことを言われると困るから弱い立場につけ込んで殺した(自己の意思じゃなく強迫によるものだから自決とはいえん)
>>628 裁くと関東軍参謀様の権威が以下略になるわけでな
この時期の陸軍次官って東条さんで、彼の前職が関東軍参謀長。
陸軍参謀本部的には関東軍参謀ごとき全部消し飛ばしても良いんだけど
それやると、参本と次官の喧嘩になるからね
なぜか新内閣の総理大臣が
参謀本部主導で決まったかなんて考えると
そこらの取引で有耶無耶にされた感じがするね。
そもそも自決強要のソースってなんだよ?
クックスの「ノモンハン」の最後の方に
これでもかと出てるじゃん証言が
何で自決が強要されたものってわかるんですかぁ?
まあ、下の人間に責任を背負わせて更迭なんて、どこでもあることだけど。
細かいが、適用条文はこっちだろうな。
第41条
司令官野戦ノ時二在リテ隊兵ヲ率イ敵二降リタルトキハ
其ノ尽スヘキ所ヲ尽シタル場合ト雖6月以下ノ禁錮二処ス
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第42条
司令官敵前二於テ其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ隊兵ヲ率イ逃避シタルトキハ死刑二処ス
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第43条
司令官軍隊ヲ率イ故ナク守地若ハ配置ノ地二就カス又ハ其ノ地ヲ離レタルトキハ左ノ区別二従テ処断ス
~~~~~~~~
1 敵前ナルトキハ死刑二処ス
2 戦時、軍中又ハ戒厳地境ナルトキハ5年以上ノ有期禁鋼二処ス
3 其ノ他ノ場合ナルトキハ3年以下ノ禁錮二処ス
法律の条文が現実に適用されるときは、解釈でかなり変わるんだが。
現実ではどのように運用されたの?
皇軍は精強でソ連軍なんかに負けるわけないんだから、
負けたり後退したり捕虜になったら怠慢か無能のせいなので死刑。<当時の解釈
皇軍は精強で、そんな卑怯な振る舞いをするものは存在しないので、
敵前逃亡で軍法会議なんかありません。
(゚д゚ )
ゴト /| y |)
/ ̄;y=ー ̄ ̄/||
/_____/. ||
|| || ||
|| ||
>>631 すげえ
21世紀になるとこういう奴が出てくるのか
そりゃ、南京30万とか言いたくなるわけだ
事実よりも自分の見たい物しか見ない、という面で
中華貴族の同類だもんなあ
何もしてないのに大量の将校が粛正させられるソ連に比べたら・・・・
>>631 ノモンハン事件に関する本にはたいてい載っている話だが?
指揮官に限らず負傷除隊した下士官兵にも監視がついた例があるくらいですから。
>>641 当時の現地司令部にいた人の本にいろいろ出てくる。
私評ノモンハンあたり
>>637 ソースは?
>>639 自明だから説明する必要はない、と?
>>641 多数あるからといってそれが正しいとは限らない。
俺は論理的に間違ったことを言っているかな?
>>644 所属も階級も異なる複数の人物が証言しており、その大要は一致している。
自決の強要はあったと考える方が「論理的」だな。
逆に、自決強要説を否定するソースはあるのか?
悪魔の証明って逃げは無しね。
無かったことを証明して欲しいのではなく、そういう説が具体的にどこかで主張されているのかが知りたい。
そういえば、過去スレでは
「クックスなんてアカのプロパガンダだ」とか何とか言ったせいで
フルボッコにされて引っ込みが付かなくなった皇軍太郎がいたが
>>631=644にも同類の臭いがする
彼も、「クックスが正しいというソースは?」とかなんとか
必死になってなかったっけ
つか君
自由主義史観のセンセイたちですらスルーしてる地雷原に
理論武装も何にもなしに突撃するのは自殺行為だぜ?
>>644 歴史は解釈でしかない。そして過去の事実を現在から観測(推定?)する手段は資料しかない。
それなら わ り と 信頼のおけるソースの記述に頼るしかないじゃないか。
入院中に殺された23師団参謀長は謀殺だろうな。
>>648 犯人は「精神病の将校」で軍法会議も査問も何もされず
うやむやになったんだっけ。
650 :
名無し三等兵:2007/12/27(木) 09:16:54 ID:GAFOY45h
>>645 沖縄の日本軍を見てもわかるように、当時の日本軍には「強制」というものはありませんよ。
そもそも全軍を統率する天皇陛下の命令が、日本では強制とは見なされていませんから。
したがって、その天皇陛下の命令によって行動する日本軍には強制なんてものは存在しないのです。
自殺した人たちには、それぞれの事情があったと考えるのが「論理的」です。
たとえば自殺願望があったとか、精神的な病気を抱えていたとかいった理由が考えられます。
酒井大佐も病理解剖にまわせば、その大脳に精神病ないしは遺伝病を起因とする病変が確認できたはずです。
軍の民間に対する「強制」と、軍内部の話の区別もつかないのかよ……
一番責任ある関東軍首脳クラスは予備役入りがせいぜい
現場に出て隊長の頭越しに勝手な命令だした辻は一時期左遷程度
で、前線指揮官は自決強制
なんだこの罰の格差は
>>651 民間人が軍専用の手榴弾渡されて何百妊娠でも強制じゃなくて、
軍人が二三人借金苦で自殺したら強制だってさ、
どこが「論理的」なんだかwww
孕ませ放題と聞いて飛んできました
>>650 トンマな煽りは止せよw。
軍隊での命令って言うのは強制。そして軍が自決を命令したことは
ノモンハンでも沖縄でも無い。
抗命したら粛清はソ連でも当たり前だがな。というかソ連のほうがひどい。
隠蔽も日本よりソ連の方がひどい。
これで敗北したから事実を隠したからとか敗北したから自決強要したんじゃないかといわれても
どっちもどっちで勝敗の根拠に な ら ん 。
自殺の強要って実は出来ないのだよ。本人が嫌だと言えば実行不可能だから
がっこがやすみの時期になるとノモンハンスレはにぎやかになるな
そういえば、しばらく前に、自殺を強制したとして殺人罪の間接正犯になった借金取りがいたな。
>>659 お前はあの世でロンメル元帥閣下になんと申し述べる気だ?
ロンメルは自殺しないとコロされるから
何か一気にスレのレベルが落ちたなあ
江戸時代の切腹だって、自殺の形を取った死刑だしなあ。
違うって。切腹は主君に命じられて行ったりする。単なる自殺の場合もあるけど。
日本には暗黙に自決を強いる文化があるからね。
ある例では自決を勧める為わざとチャンスを作ってやるがなかなか自決しないで困った話もあったりする。
便所で射殺も文化です
そんなことやってたから日本軍丸ごと滅びたんだよw
無電故障で退却命令届かず東捜索隊玉砕とか
戦車が支援にきたはいいが、損害に耐えられぬってことでとっとと帰っちゃうわ
航空攻撃の件で事前にすり合わせができず越境攻撃は天皇命令がいるとか揉めて混乱するわ
日本側の機材や組織連携の悪さがモロでている
これを教訓にしてたら少しは死んだ者も浮かばれただろうに
>>670 なに一つ教訓にする気が無い、と言うことだけは解るレス。自分の意見を出すべき
515 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/06/06(月) 00:48:36 ID:zwR8G14e
『正論』7月号
東京裁判へのクレムリン秘密指令
ロシア科学アカデミー東洋学研究所先任研究員 アレクセイ・A・キリチェンコ
によると、関東軍はノモンハン丘陵のうち、一つの高地を守れればそれで良く、
逆にそこを占領されて砲台を築かれると、日本の鉄道が危機にさらされる。
そして、丘陵自体は何もない平原で、日ソ双方が自分の領土だとみなしておらず、
中国領土だと思い、国境線を引こうともしてこなかったらしい。
だから、日本軍がシベリア鉄道幹線への橋頭堡として丘陵を占領しようとしたのを
撃退したというジューコフをキリチェンコはアホ扱い。
モンゴル人は高地を占領できなかったことをいまでも残念がっているそうだ。
そして、ソ連軍が大勝したとされているが、日ソ双方の被害の実態はいまだに
判明していないと結んでいる。
だから、キリチェンコも、本当は負けに近い実態だったということに気付いて
いるのだろう。
原文見ないと結論は出せないけど無茶苦茶な話だな。
ノモンハンを押さえると日本のどこの鉄道が射程圏内に入るんだ?
もし、鉄道が射程内に入るなら、日本側は一つの高地を手元に残せばよいのではなく、
一切の高地を譲れないことになるはず。
それに、あのへんの日本側鉄道は、ソ連領へと続いてるんであって、
シベリア鉄道迂回線みたいな自軍拠点への補給ラインになるものではない。
最後の2行は読んだ人間の希望的観測のようだから無視。
むしろポーランドをドイツと共同攻撃することを睨んで日本に打撃を与えて余計なちょっかいださせないようにしようって話だといわれている
実際にノモンハン以東までとられて日本の対ソ戦線は後退を余儀なくされているし
>>672 それは読んでみるとソ連のプロパガンダに対する批判だった。
ロシア側の資料によるとハルハ河で日本軍が侵略を開始したという証拠はなく、挑発によって発生した事件と
証明されている歴史文書が公開済みとのこと。
日本側にとって必要だったのは日本側の鉄道脇の丘陵の一つの高地だけで、ここが占領されてしまうと鉄道が
砲火に曝され危険になる。
不毛な無人地帯(ノモンハン)は、本来、日ソ双方にとって何ら関心を引くような土地ではなかった。
ジューコフ将軍が「日本軍はシベリア鉄道幹線への橋頭堡としてノモンハンを占領しようとした」などと言う見解を
述べたが、相当の愚か者。
ジェーコフも苦しい立場だったって事さ、実際の戦果と損害はどの程度かはやっぱりよくわからんが
場合によってはスターリンに難癖つけられて粛清されてしまうかもしれないのだから色付けて話したんだろ。
あの程度の敵にこれ程の兵力かき集めてあんなに損害出しながらコレッぽっちの土地しか取れないクセに
逆に此処まで土地取られたからお前責任とって死ねと言われたら最後だし。
つーか近辺に日本側の鉄道なんて無いし。
日本側の鉄道付近まで侵攻すれば
オイオイ、ノモンハンって一番近い日本側の鉄道まで200km近くあった気が・・・
つまりソ連軍は200km先の鉄道を攻撃する能力のある野砲を持っていた
ロシア科学アカデミー東洋学研究所先任研究員アレクセイ・A・キリチェンコさんの
言を正しいとするならこの結論に達さざるを得ない
さすが砲兵大国ソ連だな。
パリ砲以上の野砲を実現化したとはwww
言葉の上げ足取りは詰まらない
>>683 「言葉」というか、
>>672氏の要約を見る限り執筆者がそう書いているんだから根本的に記事の信頼性に問題があるということ。
「鉄道脇の丘陵を占領されたら」と言ってるのに、何時まで鉄道から200キロも離れた場所の話をしてるんだ?
>>685 ノモンハン丘陵の近くに鉄道は無いし、
鉄道があるところの丘陵はノモンハンとは遠く離れてる。
だいたい、日本側の鉄道で、砲兵による妨害が意味があるところなんか無いけどさ。
>686
日本の鉄道を射程内に捉える地点、そこまで前進して占領できなかったことは失敗だったとソ蒙古側が後悔してる。
ハルハ河付近の土地しか占領できなかったと
>関東軍はノモンハン丘陵のうち、一つの高地を守れればそれで良く、
>>687 「今でもそのことを残念がっている」キリチェンコ
ノモンハン事変に関するソ連側の公式発表・報告・対日非難は要するに
「ソ連の宣伝で馬鹿になった人々に向けたもの」とキリチェンコは言う。
要するに、日本の勝利を旧ソ連も認めていたってことだな。
>>687 それが完全に間違いってことですよ。
ノモンハン付近には日本側の鉄道はありません。他氏の言われるようにハイラル駅から200q、白阿線の端末からでも約100qはあります。どうも後者はあまり輸送力が無かったのか主たるラインは前者です。
ソ連側はもっと遠く何と750q。
日本軍の常識では大軍が活動できるラインは鉄道端末から200〜250qが限界と考えられていました。ソ連軍の補給線の長さが既にべらぼうなものだったことがわかります。それを維持し得たソ連軍も凄いのですが、かなりの負担であったことは間違いありません。
で、第二十三師団を撃滅後のソ連軍が自主的に追撃を中止し、ソ蒙側主張の国境線で停止しているのは日本側でも認めています。
ノモンハンの国境紛争には日本側鉄道線に対する攻撃行動は初めから全く含まれていないのです。
大体既に鉄道端末から750qもの長大な補給線をどうにか維持しているソ連軍が更に200qも前進してハイラル付近の鉄道線に脅威を与えるなんて正気の沙汰ではありません。兵站上無茶な上、それは全面戦争を意味します。
よって著者は資料を誤読したか何かでとんでも説を唱えてしまったことは明白なんですよ。
ノモンハンを知っている人なら、そして当時の地図を見たことのある人なら笑っちゃう話です。
>>692 >ソ連軍が更に200qも前進してハイラル付近の鉄道線に脅威を与えるなんて正気の沙汰ではありません。
>兵站上無茶な上、それは全面戦争を意味します。
この当時のソ連だったら出来ると思ったならやったな。普通の理屈が通用しない無茶をやる国家だからな。
ソ連からすれば200qしか進めなかった。日本相手にこれ以上進む事が出来なかったとも言えるんじゃないか。
国境を接していればフィンランドだろうがバルト三国だろうがポーランドだろうが呑み込む機会を常に窺い
呑み込もうとしたソ連の性質からすれば満州国だって例外ではない。
ノモンハンは双方一撃試して相手の実力を測っただけ。双方面子が起つ形で終わったのは勝敗を完全に決して
終わらせるには双方損害多くて益なしと判断した為。それ以上でもそれ以下でもない。
>それは全面戦争を意味します。
全面戦争を挑もうとしたんだな。ソ連軍は。日本軍が精強だったため阻止されたが
大戦末期のように弱体だったら一挙に攻略されてしまう恐れがあった
>>693-694 全く違います。
当時の極東及びザバイカル方面のソ連軍は45年ほどではありませんが総兵力で関東軍に対して相当に優勢です。
といいますか関東軍がまだかなり弱体なんです。
全面戦争をする気ならノモンハン以外の地域から同時に侵攻した方が容易に満州国内に侵入できます。鉄道端末からはるかに近い侵攻ルートは他に幾らでもありますし日本軍師団は未だ少ないのです。
それを行わなかったの欧州戦争が迫っており、極東で日本と本気で戦う気なんか無かったということです。関東軍自体は早々に撃破出来たとしても日本帝国との全面戦争は欧州戦争を睨んだソ連としても相当の重荷になります。
フィンランドとは状況が全く違うんですよ。フィンランドに対する投入兵力は段違いに大きいです。
露骨な侵略を行った対フィンランド戦争においても、ソ連は元々主張する国土の割譲で済ませるつもりで全面戦争を望んだわけではありません。国境紛争ではなく割譲を求めた点で露骨に侵略的ですけどね。
以上よりノモンハン事件時に全面戦争に移行する気は全く無かったのは確かです。またノモンハンは日ソ共に兵站上全面戦争を行い難い地域です。
ソ連が兵站を一応支えた実績は確かに偉大な成功ですがそれでもトラックが不足していたことがわかっています。当然ですね。あれ以上進む気なんか無いんですよ。
兵力の逐次投入というポカかましているしな関東軍
包囲されたら普通全滅避ける為に後退するのが当たり前なのに、やったら自決強制とか柔軟性も無いし
オマケに司令部は出先と中央の喧嘩までやってるしな
それにしてもソ連軍の侵略欲には際限がない。
それにより建国以来、数えきれない国境紛争を経験してきた
ソ連(ロシア)が、関東軍より一枚上手だったってことか。
>>695 ソ連は無理な口実で戦端開いて戦局次第で要求を過大にするぞ。
冬戦争の時は初っ端からフィンランド民主共和国ってのを立ち上げちまってたな。
ソ連に理性有る行動は関東軍と同等に望めない。
ただ軍事力の優劣で日本側が劣っていなかったからソ連はあれ以上進めなかっただけ。
攻勢する時は兵站とかを無視して進むのも冬戦争や独ソ戦でやらかしたし、
党中央の判断には補給はあまり関係ない。拘ったのは現場のジェーコフで
それももしスターリンがエネルギッシュに攻勢せよと命令を下したら補給無視で
進むしかなくなっただろう。
>>日本帝国との全面戦争は欧州戦争を睨んだソ連としても相当の重荷になります。
日本だって日中戦争を抱えている。しかも英米対決をある程度睨んだ状態だ。
ソ連と日本どちらも対外関係で大きなハンデを負った状態であって、どちらかが
一方的に不利な状態というわけでもない。
要するに、日本の勝利を旧ソ連も認めていたってことだな。
>>700 いや、有利不利の問題じゃなくね?
ソ連側として紛争の拡大を望まなかったってことじゃね?
紛争の拡大を望まなかったのは日本側も同じ。
だから双方面子が立つ様な妥協で済んだ。
当事者でもない後世の人間がこの一件で、
勝った負けたに拘るのは酷使かアカしかおらん。
で、俺は隠れ酷使な訳で2chでは大きな声で云える。
日中戦争を抱えているのに、ソ連が全面戦争を
仕掛ける様な舐めた事をするのを未然に防いだ。
日本の政治的勝利。
それ対独戦が控えていたソ連も同じ。
>>704 時系列が混乱していないか。
ノモンハンのとき、強度なドイツ厨のスターリンは、
ドイツに対する敬慕の念と西側への不信から独ソ不可侵条約を結び、
さらにノモンハンで日本軍は強いと(誤って?)思いこんでしまい、
それからも日独伊蘇四国連合抗争に邁進するのだぞ。
>日独伊蘇四国連合抗争に邁進するのだぞ
それなんて松岡w
スターリンは端から独ソの条約など信じていませんよ。
>>706 俺が読んだ本の主張とは違うな。
あれよりいい研究は日本語ではないはずだけど。
>>706 スターリンは誰のどんな約束事も信じていないよ。
自分自身が一番の横紙破り野郎だし。
ただ冬戦争で大失態しまくった後はすがる様な外交をしてる。
緩衝地帯のポーランドなくしてドイツと直接対峙を始めたときは
ドイツに対しては完璧にデレデレ。
日本に対しては相変わらずツンデレだったが。
>>681 大和の主砲ですら40Kmしか飛ばないのにすげーな
ドイツが大和以上の列車砲実際に実戦投入している世界だからな、欧州
ドーラとか
>>708 いずれにしてもソ連の戦略は最終的には全世界の共産国化だから、資本主義諸国とは
決して相容れないしソ連が侵略を諦めることもない。
ソ連潰しのために東の日本と西の西欧諸国が手を結んで挟み撃ちにしたら良かった。
危険度で言うと
ナチス>ソビエト
共産主義に絡んでコロされた人々は一億以上とも言われる。明らかに共産主義は世界史上最悪の狂信的「宗教」だろう。
ノモンハン事変を継続していたらソ連のフィンランド侵略も阻止できたかな?
仮に日本が徹底抗戦を挑んだらノモンハンのソ連軍は補給が続かなくなって
自滅しただろうし。
後退するだけだし、全滅しても代わりの兵員はうじゃうじゃいるから。
>>714 無理だと思いますね。
ソ連軍はトラックの不足に苦しみながらも大軍の兵站を維持しましたが、日本は同じ地域でより少ない部隊の兵站を維持できませんでした。
よって同地に関東軍が増援を送りつづけてもあれ以上の規模で兵站を維持できない以上、結果は大差ありません。
一方、ソ連軍はより鉄道端末から近い国境が幾らでもあるので本格的に戦争状態になれば満州各地に火がつきます。しかし当時の関東軍はまだ小規模で対抗できません。
日本にとって望ましいのはノモンハンのソ連軍のみが勝ち誇って兵站を無視して百q単位で前進し、補給途絶で戦闘能力を失ってくれること。
しかし、史実でも理性的に主張する国境で追撃を中止したあたりをみてもありえないでしょうね。
せめて関特演後なら勝てないまでも負けない戦もできるでしょうが。
>716
ソ連が大兵力を送り込めたのは、実は前々から侵略の準備を進めていたからなのだよ。
日本が比較的小規模な戦力で応戦したのは、当初は小規模な国境紛争と思っていて
悪質なソ連の侵略的意図を知らなかったから。
当たり前の話だが、最初から侵略するつもりで大兵力と膨大な補給物資を集めてから大規模な
侵攻作戦を展開する側と、突然の事件勃発で取り敢えず将兵力で出撃してきた側とでは前者が圧倒的に有利。
防戦から始まった後者・日本側が時間をかけて戦力を整え大規模に反撃すると、日本側の優越した戦力と
侵攻してきたものの補給力に限界の生じつつ有ったソ連の方が息切れして自滅してしまうだろう。
頭数増えるとよけいに口数増えて飢えるよ
ソ連兵の話だね。飢餓に苦しんでいたのは。
>>714 もう少し進めてみると、ノモンハン事変の少し前にソ連は全人口の数パーセントに及ぶモンゴル人を虐殺している。
反ソ的だからと言う理由での虐殺だが、旧ソ連とは巨大な北朝鮮と考えれば実態に近くなる。
悲惨な境遇からの脱出を夢見て日本・満州国をアジアの希望と考えていたモンゴル人も多い。親日派が増えるのを恐れて
ソ連は懸命に反日プロパガンダを流し、同時にソ連に反抗するモンゴル人を多数虐殺し続けていた。
不毛なハルハ河付近の土地に異常なほどの大兵力をそそぎ込んで少数の日本軍と戦ったのは
日本を打ち負かしたという実績を作り、強力なソ連軍を印象づければ、モンゴル国内の親日派・反政府運動潰しにもなる
ソ連のような国を潰すには、東の日本、西の欧州(フィンランドも良いが、特にドイツ)で挟撃するしか無かった。
仮にソ連崩壊が数十年早まれば、モンゴル他、多くの国々が旧ソ連に支配され続けていた状態から脱却し、近代国家への
道に進む。無論共産中国も、北朝鮮も、カンボジアのポルポトも存在せず、世界はどれだけ平和になったか判らない。
その為に日本は平和主義ではなく、むしろ常にソ連の隙をうかがい、ソ連が欧州方面で何か紛争を起こせば、チャンス到来と
軍事攻勢を実施し、領土を拡張し、常に極東ソ連軍を圧迫し続けるべきだった。こうすればフィンランドなども相当助かった。
ソ連の軍事力が東に西に分散すれば莫大な軍事費の支出で自滅も早まる
700台のトラックと数千から1万のトラックじゃ輸送能力でダメポ
トラック量産しる
725 :
名無し三等兵:2008/01/05(土) 15:39:05 ID:pHBtZebO
数の多い方と少ない方が戦って、同数くらいの損害を
だしたら、戦う前より兵力差が増えて、少ない方が不利
になるんじゃないか?
>>723 そんな工業力があったら太平洋戦争通して陸上での補給にあんなに苦労しねえよ。
足りなきゃトラック輸入したら良い
下手すると国産トラックよりシボレー買うほうが安いもんな・・・。
>>727 >>728 日本の国是と政治的態度に心から共感する米国の大実業家が、
日本に資本投下して大自動車工場を造ってやるといってきた。
それを何故か日本が拒否した。
地場産業を発展させたい。
満州や日本の市場とアメリカの市場を双方開放する交渉していない時点で駄目だよなあ。
満州事変直後から日中戦争前なら幾らでも出来そうなんだけど。
>>731 政治的信念から(困った政治的信念だ)、
日本の戦争遂行に欲得抜きで協力したかった某米国大実業家は、
あまりのことに激怒したそうな。
>>729 その実業家、日米関係が緊張しはじめたらどうするんだろうな。
日本が丸焼けになるまで付き合ってくれるって言うなら大したものだが。
>>733 どうせ市場目的の山賊実業家だろ。
そりゃ日本じゃ競争相手がいないんだから大儲けできるわな。
>>734 >日本の戦争遂行に欲得抜きで協力したかった某米国大実業家
資本投下した工場が戦争で焼けてもOK! と?
いくらなんでもそこまで馬鹿ではあるまい。
親日発言をしていたとしても単なるリップサービスだろ。
「米国の大実業家」が「欲得抜きで」協力したいなんて言って信用できるわけないだろに
それ、ヘンリー・フォード自身だろ。
この頃のフォードときたら、ものすごい思想にはまって、
現実感覚を失っていたわけだから。
もともと日本に工場があったのを、国内産業の保護を理由に無理やり操業を停止させられたから、
どうせ使えないなら間接的にっつー話じゃないのか?
どっちにしても、日本が丸焼けになるまで付き合ってくれそうにないから、欲得抜きじゃなさそうだから
なんて理由で資本投下と大自動車工場を建設を拒否したとしたら、馬鹿だろうが。
>>741 日本がなぜ断ったのか、正確な理由はわかります?
それが語られないまま馬鹿だと断じても説得力に欠けます
>>741 だから、日米関係が悪化した後もその実業家君は日本から撤退しないで運命を共にしてくれるのか? と。
俺だったら大慌てで投下した資本を回収してサヨナラするけどね。
>>743 当時のヘンリー・フォードだと、もう予測不可能。
周囲のいうことはきくわけないし、思いこみで動くし。
その日の気分だろ。
いざというときに撤退されたら困るんだよ。
日本の産業を食い荒らして回った後で
なんか戦争が起こりそうなんで引き揚げますぅ
ってことになったら目も当てられない。
模倣した技術が根付くにはそれなりに時間がかかるわけで。
そこで接収ですよ。
>>745 日本は戦争をするというから、
そのためにわざわざ熟練工を育ててやろうというのに、
なんで断るのかわからん、というのが向こうの反応。
おいおい、アメリカは国民党やソ連の味方じゃなかったのか?
>>746 それならそれで日本を責めるネタができるのでアメリカ的にはラッキーw
>>748 「アメリカ」という一枚板の何かがあるわけでなし
日本政府が警戒しても別段おかしな話でもないと思うけどね
タダより高いものは無いって言うし
日本=悪
アメリカ=正義
という図式をつくろうとする中で、
アメリカ人資本家が日本の軍需をまかなってることがばれたら
最悪政権交代だと思うが。
>>748 そもそも当初は孤立主義なので、国内の企業が勝手にどこかに肩入れする分には問題ない。
>745
食い荒らして回ってもなにも、そもそも食い荒らされる対象を作る
こと自体に必死だったのが当時の日本なんだけど。
そこに海外資本の出来のよい車が入ってきたら、
成長途上の日本の産業は市場を奪われて終わる。
>>755 まあ日本はそれがイヤだったわけだが、大工場建設がもたらしたはずの、
工作機械+資本+熟練工数千+生産ライン+エンジン技術移転を考えると、
直後の戦争のためにはどちらがよかったかもはっきりしている。
>>756 お前は技術や生産ラインをタダでくれると思ってんのか?
そんなもんその会社が独占するだけで意味はない。
どうせ戦争が近づけば引き揚げちまうだろ。
そもそも、日中戦争が始まる前後に日本市場に入ってくるとして、
大工場の建設が終了して利益がでるようになるころには、
すでに日米戦が始まってるような気がするのだが…。
盧溝橋が1937年だから、3年以内に工場を作って利益を回収しないとキツいな。
41年に入ると資源の輸入が厳しくなるし。
まあ政府が統制していいというなら話は別だが、
アメリカ人の実業家がそんなことを許すとは思えない。
>>758 フォードは日中戦争以前から既に横浜に工場持ってるぞ。新規に参入してくるわけじゃない。
>>760 しかし新たに大工場を増設するんだろ?
その工場が稼動してモノが売れるようになるまでには、
やっぱそれなりの時間がかかるのでは。
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/book_unu_jpe6_d07_03.html (1) 戦時下の自動車工業
1920年代から日本フォード,日本GMの圧倒的な支配が続いていた自動車工業は,
1936(昭和11)年5月に公布された自動車製造事業法によって,一つの転機を迎えた.
この法律の背後には,世界恐慌後の国際緊張の高まりのなかで,普通自動車の国産化体制を急遽確立し,
有事に備えるという,軍事的な動機があった.
そのため年産3000台以上の自動車を製造する企業を許可制とし,これに対して税制上の優遇措置や資金調達上の制限の緩和などの保護助成を与える半面,
外国企業に対しては営業規模の制限(年間組立台数を日本フォード株式会社1万2360台,日本GM株式会社9470台以内に制限)や輸入関税の引上げによって,
その支配力の削減をはかることになった.許可会社には,同年9月,(株)豊田自動織機製作所(1937(昭和12)年8月,トヨタ自動車工業株式会社創立)と日産自動車(株)が指定され,
それぞれ製造計画が定められた.製造台数はその後,機械設備の充実や工場の拡張(日産横浜工場の充実や豊田挙母[ころも]工場の建設)によって急速に増加し,
1940(昭和15)年ころには,軍用トラックを中心とした国産化体制をほぼ確立したが,資材不足の深刻化にともない1943(昭和18)年以降急激な減産に転じた.
この間,日本フォード,日本GM両社は,円為替の下落や輸入関税の引上げ(1936(昭和11)年12月)などによって打撃を受けたが,さらに輸出入品等臨時措置法(1937(昭和12)年9月公布)による厳しい輸出入統制のため,
事業の継続が困難となり,1939(昭和14)年に生産を停止した。しかし軍需によって緒についた普通車の国産化体制も,敗戦によって烏有に帰することになったのである.
なあんだ。
フォードもGMも、すでに日本の市場に食い込んでたんじゃないか。
>>762 まあ、この流れの中だと
フォードが輸入関税等を回避する為に持ちかけた話であって
これを日本が受け入れたら
育成中の国産自動車産業が壊滅するって考えるわな。
まさかヘンリーのとっつぁんが、キティになってるなんて想像しないし。
フォードのおっさんは反ユダヤ、反共産、ナチ信望者だから
シオンの議定書を読んで反ユダヤ。労働争議で反共産。でナチになりましたと。
フォードは日系人を戦時中も(一人だけだったけど)工場から追い出さず、
身元保証をして雇っていたからアメリカ人の中でも変な人の部類。
世界中で商売してまわる資本家はコスモポリタンっぽくなるんだよ。
彼らは国境を容易に越えられる。
187 名前:名無し三等兵 投稿日:2008/01/03(木) 13:26:20 ID:???
ノモンハン事件の際、ソ連軍が8月攻勢のために4個狙撃旅団と戦車800輌を集中していると情報入手しても何も手を打たなかった日本軍
その言い訳↓
「たとえあの数字が正しくても日本は中国との戦争で見動きがとれず、とても東京が弱体な
関東軍を増強できるような情勢ではありませんでした。あの推定の数字は対策を講じるには
あまりにも大きすぎました。厳しい現実には目をつぶって、そのことは口にするな、そうす
れば問題はどこかに消え失せるだろう、それが我々の態度でした。どうせ何もできないのな
ら、情報を”もてあそんだ”ところで仕方ないじゃありませんか。」
(ノモンハン戦時の情報参謀鈴木中佐)
それにしても日中戦争をやりながら真珠湾攻撃を仕掛けてしかも圧勝ってのが凄い。
ただ真珠湾については奇襲成功でなくてルーズベルトの陰謀との説もあるが。
まぁ、陸上を空母は航行できないからな。
結局引き分けか
引き分け以外の何物でもない。
後々に与えた影響は有ったが所詮局地戦。
にもかかわらず左右どちらかにブレさせようとする輩がいて困る。
日本の失点の原因は本土の連中が安穏とし過ぎていたことだろう。ソ連の脅威に膚接していた
関東軍が独走の汚名を被りながら強攻策を訴えても、東京は呑気なままだった。
その甘さが老獪なスターリンにとって、つけ込む隙だった。そのため本来勝てるはずだった戦いが
引き分けに終わり、フィンランドが苦しみソ連が増長する結果となる。
>>772 負けを引き分けと呼ぶのも十分ブレてると思うが
中道を騙って真ん中に落としどころを求めるのは左右云々の前に歴史の検証とかに向かない。
わかりやすい例で言うなら南京大虐殺で殺された人の数を
(30万+0)÷2=15万人
としているようなもの。
>>774 それはソ連が負けた事を前提にしていっているのか?
>776
お前さんが「独ソ戦はドイツの勝ち」と言い出すような馬鹿であれば
別だが、ノモンハンを「ソ連の負け」と解釈できる奴はいないよ。
いたとすれば、辻以下だな。
そういえば、ちょっと前のレスに潜行三千里の前書きで辻が「ノモンハンは日本の完全勝利」と怪電波を飛ばしていたという話があったな。
>>777 お前さんも十分ブレているのが良くわかったよ。
史実の軍人はもっとおばか
これだけ教訓得る機会あったのに、ほとんどいかせず
ソ連が本格侵攻してきた時の日本軍の兵備はノモンハンからほとんど進歩してなかった
相手は世界最強中戦車のT34を大量装備していたというのに
ノモンハン事件時のBT7も日本侵攻じゃ現役で使うほど舐められていた
そして舐められて当然の日本軍だった
工業力とか資源とか考えると仕方ないような気が・・・
なんたってむこうは五カ年計画成功した戦車王国、こっちは成り上がりの海軍王に俺はなる!だからなぁ・・・
ノモンハン事変の頃は日本の戦車や火砲の能力がソ連を上回っていたのに
対米戦で苦戦してて飛行機や艦船優先で、戦車に回してる余裕がなかった
>>782 陸軍予算が余裕を無くしたのは日中戦争が主な原因だろ。
北京、南京、上海で満足すればよかったのに欲張りすぎだし。
いや、北京とかを併合しようとか考えてたわけじゃないから、獲ってもうれしくないな。
華北工作(ry
>>784 支那事変は今で言う対テロ戦争みたいなモノだから際限が無いんだよな〜
スレ違いだが
ノモンハン事変はソ連側の一方的な国境線変更から始まっている
> ソ連軍は1932年から34年にかけて、兵要図を作成するとき、ハルハ河東岸に国境線を変更した。
> 日本軍がそれを知らされたのは、ノモンハン事件が起こってから敵の20万分の1の地図を
> 手に入れたときであった。
> それまでハルハ河東岸に国境が変わっているなど考えても見なかった。
>
> 「ノモンハンの夏」P66 半藤一利 文春文庫
どうみても国力が追いつくわけ無いからやめれ、と政府や中央が指示したのに平気で戦線拡大したからな日本軍は
兵站に対する基本的理解すら怪しかった
いやいや全ソ連軍がノモンハンに集まる訳じゃない。モスクワから遙かに遠い極東。
日本が始めから戦力を集めて大規模に攻撃していれば勝機は十分あった
それじゃ国境紛争じゃなくて本格的な戦争になるじゃないか
シナ事変であっぷあっぷいってる日本にそもそもやり合う余力自体がないだろ
勝てるさ。ソ連は欧州で戦争始めるから、極東に充分な戦力を回す余裕が無くなってくる。
余力が無くなってくるのはソ連の方
そう思い込んだのが関特演なんだがな
結果はソ連軍の余力は関東軍が必死に集めた70万の兵力をはるかに上回ったままで未発という史実が示すとおり
戦車も砲も劣る日本軍がどうやって本格戦闘やって勝てると?
「日本軍は側面が弱く予備もなく、機械化部隊も無い」というノモンハンの包囲殲滅劇の史実が拡大生産されるだけ。
>>793 西の独ソ戦と併せて東で戦争はじめりゃいい。勿論アメリカとは戦争しないで。
>>794 ソ連戦車なんて実際には射的の的状態だったし
馬鹿が沸いてるw
ソ連軍は一年で550個師団を完全装備させて実戦配備したぐらいなんだぞ。
小細工したところで30個師団も動員できない(しかも装備の質・充足率ではるかに劣る)日本がどうやっても勝てるわけねぇべ。
日本も動員すれば良いんじゃないかい? 人口はソ連vs日本+ドイツで同じくらいだろうから
東西で挟み撃ちすればおk
史実で対等の動員なんぞ不可能と実証されているのに、動員すればいいとは筋金入りの愚者がいますねw
実証かぁ アメリカが援助したからこそ出来た話なんだが。史実で実証されているのは
アメリカ+イギリス+ソ連 > 日本+ドイツ+イタ
だけなのに。
石頭は史実をなぞる以外の事が出来ないのだよ
日本とドイツをプラスしてもソ連の人口の半分いかないわけだが
あと550個師団という数は英米の本格援助が始まる前の独ソ戦一年間ののべ数だぞ
物理的に無理なものは無理
お花畑は脳内だけにしてな
日本はどうやっても勝てない、という現実を見たくないからトンデモ論に期待かけるんだろうな
哀れなり
実際には中国軍に手一杯で、局地戦の兵力すらマトモな援助遅れなかったというのに
「たとえあの数字が正しくても日本は中国との戦争で見動きがとれず、とても東京が弱体な
関東軍を増強できるような情勢ではありませんでした。あの推定の数字は対策を講じるには
あまりにも大きすぎました。厳しい現実には目をつぶって、そのことは口にするな、そうす
れば問題はどこかに消え失せるだろう、それが我々の態度でした。どうせ何もできないのな
ら、情報を”もてあそんだ”ところで仕方ないじゃありませんか。」
(ノモンハン戦時の情報参謀鈴木中佐)
ソ連の師団てのは実際には装備も訓練も劣悪きわまりない部隊だったから
数だけ多くても独ソ戦初期に一方的に壊滅してしまったのだよ。
そのドイツすら現実にソ連に勝てず、やがて追い越されてしまったわけだが
まして小銃すらマトモに充足できん日本軍じゃやっぱり勝てる要素が無い
当時のソ連の人口は1億7000万人だから、日独の合計と同じくらい
>>806 ソ連時代の末期、崩壊直前の頃にはソ連の総人口は2億数千万人まで膨らんでいる。
史料によって異同あるが、おおよそWWU開戦時のデータだと
日本の人口は約七千万。軍は百七十万
ドイツが七千万いくかどうかで、うち軍は三百万
ソ連は約一億七千万で軍は九百万
お話になりませんね
そもそもドイツがイギリスらと既に開戦しつつソ連に喧嘩売ったのは、日本の真珠湾攻撃同様国家の体力超えた暴挙
そのドイツを見込んだところで日本に勝ち目なんかありません
アメリカの介入が無くても結果は同じだろう
戦争自体はもっと膠着して長引いただろうがソ連勝利は動かん
>>809 当時の日本の人口は確か一億くらいだったはずだけど。朝鮮他を足して。
一年で500師団
ドイツが半分引き受けてくれるとしても250個師団を相手にしにゃならんわけで
日本軍の全てを満州に移して襲い掛かっても無理w
>>810 アメリカの援助が無ければソ連は第一次大戦後の状況と同じような結果になっただろう。
>>811 一億、というのは軍部が号令かける時の慣用句みたいなもの
実際にはそんなにいってないの
だいたい朝鮮なんかは当時動員対象外だし
ソ連が遠い極東に250師団も送ってくるなら補給不足で自滅するなw
その頃にはモスクワはドイツの占領下
>>813 帝政ロシア時代と違って、当時のソ連は既に世界の総生産第二位になっていた
そういう根本的条件の違いを無視したら無駄な妄想でしかないよ
>>814 それ言い出したら、ソ連にも周辺民族で使えない連中多いぞ。弾除けに構わず動員してるが。
>>816 共産主義国の経済統計は嘘と捏造の塊だと良く言われるが、いずれにしても
国民を奴隷のように使役して一時的に得られた生産量だから、戦争が長引けば
アメリカなどから巨額の支援を受けない限り自壊する
根拠も示さず相手が自滅してくれるだろう、なんていう願望
馬鹿で知られる日本軍首脳部さえ取らなかった究極的お花畑だなw
実際問題として関特演の際日本軍はソ連軍極東軍の半分は西へいってくれるだろうと期待したわけだが
実際には減るどころか増加
これはソ連の軍政が郷土連隊制ではなく軍管区制で、日本の方式による動員予想が通じなかったためでもある
軍閥乱立状態の中国軍にすら苦戦する日本軍が
より広大な空間と過酷な環境、さらに質的にも量的にもはるかに上のソ連軍を相手にして勝てると思うほうがどうかしている
結局ドイツ頼みの火事場泥棒以上にはならんし、その目論見は確率ゼロに近い。
>>819 いずれにせよソ連の自壊は東西から圧力をかけ続けていれば、史実の自壊よりも
ずっと早まるのは確か。
莫大な軍事力はソ連国民に重税と使役を強いる。従ってその極端に大きな軍事力を
インフラも整っていない極東の奥地に保持し続けるだけで自壊が一層早まる。
史実でのソ連崩壊よりも30〜40年ほど早いとすれば、上手くすると1950年代には崩壊が始まる。
日独の圧力のかけ方次第だろう。(後アメリカの支援が無いこと)
なんだ、中国軍にすら勝てないとわかった劣化だつおが、今度は火事場泥棒なら勝てると踏んで暴れてるのかw
まず日中戦争から抜け出すのが先だよな
ソ連軍の極東常備兵力30個師団すら手に余る
圧力かけるどころか、逆に叩きだされて終りだろ
日ソ中立条約違反という国際法違反のおまけつきで
>814
日本本土の人口が七千数百万、朝鮮半島の人口が二千数百万。他に台湾などの人口も加えておおむね一億人
崩壊どころか日本まで返り討ちで共産圏仲間入り、という可能性のほうが高いわけだが。
>>826 だが、人口が同じくらいならロシア人が日本やドイツより有能でなければ勝てないと言う理屈になる。
実際には戦うたびに大量のロシア兵の死傷者を出し続けているのが実状。最終的には負けるな。
第二次大戦開戦時のデータだと。
ソ連の配備戦車・自走砲は三千近く。
本格動員されると、高性能のT34戦車が月産(!)千五百両という凄まじい工業力が発動されるわけだが。
対して日本は三百両ちょい。
M3軽戦車にも劣る一式中戦車さえ大戦期通して(実質二年かかりで)百五十両しか作れなかった。
勝負にならんべァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
829 :
名無し三等兵:2008/01/22(火) 12:34:40 ID:ysvrovfL
ソ連崩壊より先に日本がボコボコにされる可能性のほうがはるかに高いな
ってかドイツ軍にすら勝ったソ連軍にどうやって日本が勝てると……
いやいや米国の支援がなければソ連はドイツに負けていただろう。日本は日ソ中立条約なんか
締結しないで極東から圧力をかけ続けるだけで良かった。
と、根拠は希望的観測だけなのにまだいうんだねw
数字で完全に無理だと出ているのに。
そもそも英米から支援を引き出したというソ連の外交的勝利を、ただでさえ敵つくりまくり信頼度ゼロの日独がどうやって妨害できるというんだ。
アメリカの支援が無ければという前提自体も無理。
ソ連単体でもまず勝てないところへ、これじゃどうしようもない。
>>790 戦力を集めて大規模に攻撃してる間対支戦線どうするんですか。
英米からの支援兵器の戦車1万二千両・航空機1万四千機ですら、ソ連の戦時生産の僅か四ヵ月分にしか当たらないという凄まじさだからな。
米の支援がないとしても、正面戦力の差は決定的。
ソ連は大戦中にトラックをほとんど生産してなかったらしい。アメリカが援助してくれるから。
1938年の世界の工業総生産高にしめるソ連の割合は18パーセント
対してドイツは13パーセント程度で、日本にいたっては4パーセント未満
しかも日独は既に中国、英という主敵抱えて消耗戦やってるわけで
この点からもお話になりません
日本はトラックをほとんど生産できなかった
自前の工業力が無いのに加えて、援助してくれる国もなかったんでな
>>836 日独を足せばソ連とほぼ同等になるよな。後は国境線の異常な長さと
敵の多さがソ連の足かせになる。
だめだこりゃ。関特演とか北進やった日には日本破滅するだけだな。
どうせ負けるのは対米戦と一緒だけど、共産化が待っている分やったほうが酷い事になっていた。
思いとどまってくれてよかったぜ。
開戦直前の1940年当時のGDPで見るとソ連は4200.9億ドル、ドイツは2428.4億ドル日本は2017.7億ドル。
やっぱり日独両国を合計するとソ連とほぼ同等になる。
日本の場合、1940年代の工業生産額は農業生産額の5〜6倍に達している。日本は当時すでに工業国。
>>840 アメリカが後ろから攻撃してくるから負けることは負けるんだが
結局
日本+ドイツ > ソ連
日本+ドイツ < ソ連+アメリカ
と言う話し。上手くアメリカを排除できれば勝てたはず
対等ってことは「仮に日独が他の戦線に一切余計な力使わなかったら」という都合よすぎる仮定でようやく互角じゃないのか?
動員力見れば圧倒的なのはかわらんし。
「動員力」ってのは有って無いようなもので、要するに成年男子を赤紙で引っ張ってくれば済むこと。
>>837 じゃあどこから戦力集めるんですかwww
>>839 日本にとっての中国、南方戦線。
ドイツにとってのヨーロッパ、アフリカ戦線は足かせにならないと?
>>846 アメリカを上手く排除できれば、それらは解決するのだよ
>>830 アメリカの支援の届かない42年夏季までで
ドイツの攻勢能力なくなってるわけだが。
>>839 日本には世界第三位の海軍を
建造して維持する負担があるので陸に回す余裕ナッシング。
結局な、財布の大きさだけでは評価できんのだ。
日本は燃料がないから
戦車や飛行機が作れても動かせない。
自国で防衛する側は兵站は楽だし。
そもそも消費者物価からして違って
まともに交易もしてない国家同士でGDP比較も難しい。
比べるなら鉄鋼生産高や石油・石炭の採掘量だ。
>>847 アメリカが介入してくる前の時点でBoBなんか大失敗だったわけですが。
なんで、ここで日本+ドイツ対ソ連の仮想をやるんだ?
そういうスレはいくらでもあるはずだが。
853 :
名無し三等兵:2008/01/22(火) 17:22:35 ID:zEpjYa6u
ロスケが苦手としている海軍で戦うべきであった
ソ連が日本を相手にせずにドイツに力入れてる時点で海には出てきてくれないんじゃないの?
>839
まず、英米の支援が本格的になる前の時点でドイツの力が尽きていたというのは、
さんざん既出のとおりだし、西への戦力移動が期待通りでなかったという理由で関特
演をあきらめたというのも既出。
で、仮に日本が攻撃したとして、いったい何をどうするつもりなんだ?
いざとなれば、スターリンはシベリアを半放棄して、ドイツに力を入れればいいだけ
の話なんだけど。日本軍は、ソ連の妨害を受けながら荒野をひたすら移動するだけ
で、ほとんど壊滅するというのは目に見えているんだから。
あんな凍土に囲まれたシベリアじゃ
資源あっても採掘できないしなあ。
取っても旨味が無い。
八甲田山の教訓を得た皇軍ならばシベリア打通ぐらい余裕だろう
なんだなんだ
最近の国士様は、ついにアメリカ頼みの
希望史観を捏造し始めたのか
一昔前の反米愛国路線はどこへ行った
そんなの関係あるかw 二十世紀におけるアメリカの影響力の大きさについての現実を見てるだけだろう。
860 :
名無し三等兵:2008/01/23(水) 10:04:45 ID:WBENcZbX
>>835嘘つくな。ソ連は自前でも35万両生産している
援助量は50万とそれより多いのは確かだが、日本なんか問題にならん生産力
なんだか書き溜めた文書を一気に排出した自演乙って感じだな(w
特にノモンハンの話をすっ飛ばして昼間から日独ソ連挟撃を言い始めるところがダメダメだな。
そろそろ本音を語れよ。お前の目的は何だ?
単に日本ダメ論を吐きたい糞ニートなら勝手に暴れてろ。
そして氏ね。
そもそも日独の足並みは史実で全く揃ってない
(日本がソ連とやる気だった時に独ソ不可侵条約成立とか。独ソ戦開始前に日ソ中立条約成立とか)
さらにアメリカ排除というが、具体的な手段が全く無いし実質不可能(同盟国や友好国をぽんぽん攻撃している日独に遠慮する義理は無い)
しかも各数字はソ連が日独あわせたよりはるかに上、せいぜい日独が合計してようやく互角レベルとか程度
妄想以外何ものでもないな
>>711 > いずれにしてもソ連の戦略は最終的には全世界の共産国化だから、資本主義諸国とは
> 決して相容れないしソ連が侵略を諦めることもない。
それは、できたらラッキーという願望・妄想レベルの話。
現実のソ連の戦略は、徹頭徹尾自国の安全保障だよ。
不幸なことに、ソ連が安全保障に必要な地域を要求すると、
相手国にとっては侵略になってしまう。
(ポーランド東部、カレリア地峡、ベッサラビア、千島列島など)
普通の国は、相手の都合も考えて、領土要求はどっかで諦めて、
友好・信頼関係で安全保障を補完しようと考えるところだが、
ロシア=ソ連は、周辺国を信用しないし、されてもいないので、
強硬策が中心になってしまう。
かあいそかあいそなのです。
現実に西欧諸国やその植民地を攻撃占領しているのは日独だからな
ソ連よりタチ悪い、というのが共通認識だったから手を結んでファシズムと戦った
日本やフィンランドはファシズムと違うよなぁ・・・
>せいぜい日独が合計してようやく互角レベルとか程度
日本とドイツが余程きちんと足並み揃えないとソ連に対抗するのは難しいだろうな
T34クラスの戦車を60000両も生産する国だからな、ソ連は。
ドイツ最多生産の突撃砲ですら14000ちょいぐらいだろ。
日本にいたっては世界水準から遅れた四式すら試作二両ないし四両で終りという泣けるレベル
太平洋戦争当時の日本は、そもそも戦車を作ってる余裕が無かったから
戦車に傾注したとしても質量ともに勝てる要素は無い。
ドイツですら量で圧倒的に劣り、質でもティーゲル等一握りを除いてT34に劣勢。
やはり問題にならない。
>>867 凄まじい生産数だがソ連国民の生活状況は北朝鮮状態に陥る。
一時的なもので何年も続かないだろう。無理に続ければ崩壊
>>870 その一時的な生産能力を発揮している期間に充分、日独を打倒できるのだが。
>>870 少なくとも大戦間は十分賄えてますが
そういう根拠の無い相手方自滅願望に頼らないといけない妄想しかできないの?
あらら、アメリカの支援無し時期で既に圧倒されていたという事実は、具体的数字とともに幾つものレスで証明されているのに
妄想を打ち砕かれてお花畑に入ったかw
いやいや苦戦するが持ちこたえただろうw
>>873 ソ連へのレンドリース開始は1942年からですが。
タイフーン作戦失敗でドイツ軍の足が止まったのが1941年の10〜11月、
冬期大反抗で各地でドイツ軍が押され始めたのが同12月。
一旦は押されるが、どの辺で止められるか
ノモンハンではソ連の新史料により、日本は負けてなかった論が出ているが。
実は日本軍の死傷者は3万人規模だった可能性が高い(当時の米国領事館や、日本の軍要人から原田熊雄男爵が得た数字)。
日本軍は損害を過少に報告する傾向があり(これは日本軍に限った話ではないが)、日本側だけ公式を信じて……というのは明らかに片手落ち。
もっとも日本側内部史料は不完全で、本当の死傷数算定が難しいという面もあるのだが。
(戦死者だけをみる限りでは、ソ連内部史料と日本公式発表ですら日本の方が損害多数)
ドイツ軍はともかく、日本軍がソ連と互角にやり合える条件がひとっつも無い。
物量が違う、質も相手の方が上でどうしろと?
ノモンハン時のBT7クラスにさえ苦戦したのに、T34にどうやって対抗するんだ?
>>878 ソースは噂話か
>>879 日本も対抗する戦車を開発するんだろうが。ノモンハン事変当時は
BTを射的の的みたいに一方的に撃破していたことは概出。
256 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/23(月) 21:37:56 ID:???
ソ連軍の車両・航空機は大量撃破
一例
この日、戦車・装甲車数百台が日本軍へ向かって突進してきた。
(戦車百八十六台、装甲自動車二百六十六台)シースキン著『ハルハ河』
速射砲の活躍
> 速射砲と連隊砲は必中距離の四〇〇メートル以内にひきつけて身をのりだして猛射した。
> 車体を貫徹するとかならず戦車は炎上した。岡本部隊の連隊旗手川添武彦元中尉は語る。
> 「こっちの速射砲と連隊砲と野砲の改良三八で狙い撃った。よく当りましたな。これは勝ったという感じでした」
> 酒井部隊の戦闘詳報の抜粋。
> 「七時、敵は戦車十数台、砲数門をもつて射撃し...八時ごろ、敵戦車十一・二台攻撃
> し来る。...十時ごろ四十七台の敵戦車われを攻撃...十三時ごろには重砲射撃を開始
> し、約百台の戦車逆襲し来れるも...大部を欄坐炎上せしめ、その黒煙幾十条となりて
> 天に沖し、あたかも日本海大海戦の絵巻物の如し」
この日(7月3日)の戦闘で「日本側の記録で見れば、敵戦車百数十台を撃破した計算になる。」
ノモンハンの夏 半藤一利著 P230
257 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/23(月) 21:38:28 ID:???
ソ連側の記録では
> 7月3日にハルハ河西岸の戦闘に参加したソ連軍戦車133両のうち77両、装甲車59両のうち37両、
> 蒙古軍の装甲車8両 (計122両の喪失)
> (第11戦車旅団は)散開して勇敢に進んだ。日本軍の砲撃で大きな損害を出した。
> だが繰り返して言うが、我々にその覚悟はできていた。
>
> 旅団は人員の半分を戦死者、負傷者として失った。戦車も半数か、それ以上を失った。
> 攻撃を支援していたソ連軍とモンゴル軍の装甲車部隊は、もっと大きな損害を出した。
> 戦車は私の目の前で燃えた。
> ある戦区では36両の戦車が散開したが、そのうち24両は瞬く間に燃え上がっていた。
>
> ジューコフ将軍談
「ノモンハン戦車戦」 マクシム・コロミーエツ著
後に独ソ戦の情報が入ってきたことで、日本も大型戦車の開発を始めている
おい、なんで政府の情報収集や、政府内部の人間の得た情報(原田男爵は首相秘書務めた要人)が噂話なんだ?
そんなこといったら日本側発表は悪名高い嘘ばかりの大本営発表レベルだろ。
そして現実に日本は試作品すら、T34に対抗できる戦車が作れなかったのが現実。
作れても6万という圧倒的数にどうやって対処するんだ?
>884
多少の戦果報告過大は良くある話。T34に対抗できる戦車の開発は
開始済みで昭和20年に量産される計画だった。無論、太平洋戦争で
ダメになったが。
ソ連には戦車以外にも、ドイツ軍がわざわざアフリカまで運んで使ったという高性能野戦砲・ラッチュバムとかがあるからな
日本は中国軍から鹵獲した、時代遅れのラインメタル(つまりドイツ製)37ミリをありがたがって使ってるレベル
(南方に持ち込んでぶっ壊れたらわざわざ内地に移送して修理させていた。国産砲は軽戦車相手にすら歯が立たなかったもんだから)
やっぱりお話になりません
>>885 だから日本側の過少くさい報告と比べてすら戦死者で負けているんだってば。
だいたいT34に対抗できる戦車って具体的に何よ?
そもそも日本軍がそれなりに撃破できた戦車はT26軽戦車レベルまでで
BT7に交代した第二次ノモンハン事件では苦戦一方なんだが
「火炎瓶は通じなくなり、砲弾は滑って弾かれてしまう」という報告は意図的に無視か
>886
>野戦砲・ラッチュバムとかがあるからな
単に野砲を対戦車砲代わりに使っただけ。他の国だってやってること何だから過大評価もほどほどに。
>887
4式、5式、試製105ミリカノン砲搭載駆逐戦車とか
890 :
名無し三等兵:2008/01/23(水) 12:33:42 ID:f5nJIGwe
対抗するだけなら一式や三式でも可能じゃね
実際に鹵獲BT7で試射したら日本側の砲は全く通じなかったしな
>888
980 名前:名無し三等兵 投稿日:2007/06/14(木) 22:37:42 ID:???
BA-20とBA-6、FAI装甲車は、小銃・機銃の徹甲弾は防げるが、13.2mm機関砲には撃破される。
BT-5、BT-7、BA-10は、13.2mm機関砲にも耐えられる。
日本の37mm砲はいかなるわが戦車の装甲も無理なく貫通撃破する。
その徹甲焼夷弾は、中距離でわが戦車の装甲を貫通撃破している。
戦車損害の75〜80%が、対戦車砲によるものである。
燃料タンクの設計に問題があって、被弾すると炎上する車両多し。
参考:コロミーエツ「ノモンハン戦車戦」
BT-7は一応、機銃弾には耐えられるらしいが
「砲弾が滑った」と言うのは比較的低初速の57ミリ砲で遠距離から撃った場合だろう。
37ミリ速射砲なら簡単にBTを撃破できた
>>899 旧式すら日本がありがたがったドイツ砲よりはるかに優秀な砲が大量にあるんだぞ
過大評価でもなんでもなく、戦力差という現実
あと四式どころか五式でも対抗不能だよ
(そもそも日本戦車じゃ額面通りの性能が出るかも疑問。砲弾の質が悪く装甲にあたると砲弾のほうが割れてしまうとか。最後まで被甲坊付砲弾を実戦配備できず、傾斜装甲に異常に弱いという要素もあるし)
性能比べればわかることだが
ドイツ軍ですらソ連戦車撃破は最低75ミリクラスじゃないと駄目、と4号にまで長砲身75ミリ乗っけてしかもそれでも負けているというのに。なんというお花畑。
>>894 いい加減な話しを真に受けるなよw 砲弾が割れるというのは短砲身57ミリ砲弾で
装甲の厚い米戦車を実験で撃った時の話し。元々これは対戦車砲じゃ無いから。
47ミリ速射砲弾なら問題なく撃破できた。
それと四式とか5式とかいうのはT34見たいな雑魚キャラじゃなくて、もっと重装甲の
KVを撃破するために開発された戦車。
試製105ミリ砲は、更に上の装甲200ミリくらいの超重戦車を撃破するために開発されている
五式が出るころには相手にはT34/85やスターリン重戦車が出てくるわけだがw
しかもT34/85だけで三万両とかいう数字でな。
挟撃厨の脳内では、何時の間にか四式の開発理由すら自分好みに書き換え終了かw
>>896 4式、5式、試製105ミリカノン砲、これらの活躍は1945年から1950年台くらいの予想。
シャーマンと並ぶ大戦最優秀戦車であるT34を雑魚呼ばわりって
どこかの異次元世界の人かと思った
余り知られていないのだが4式中戦車は始め57ミリ砲の予定だった。ところが
独ソ戦の情報が入ってきてソ連の重戦車(KV)は装甲が非常に厚いとの報告。
そこで設計変更となり75ミリカノン砲搭載となっている。
ただし4式中戦車は補助戦車で、戦力の中核は5式戦車以降とされている。
>900
時期を考えろ。1945年以降の配備計画なんだぞ。
いつ戦争始めるという仮定かはしらんが。
1940年代後半までズレ込むってことは日本は完全にそれまでに負けているな。
辛うじて優勢な海軍力で海の向こうだけは守ってるって状況だろう。
常備兵力で3倍以上、戦車自走砲も3倍以上だからな。
>>896 T34が雑魚……?
お前の世界では当時の日本軍は90式戦車でも配備してたのか?
>>903 いや無理だろう。太平洋戦争・第二次世界大戦が無いとしたら独ソは東欧付近で睨み合っているし
遠い極東に大兵力を回してる余裕は無い。
朝鮮戦争でもアメリカ戦車を敵に回して大活躍のT34なのにな。
マジでどっかの違う世界からの通信か?
いくら日本に勝ち目が無いことが明白だからってチートぶりが無茶苦茶すぎる。
>897
ちょうどJSが試製105ミリの相手となるな
極東方面にはそれ程大量の戦車は持って来れないだろうけど。
現実に日本軍なんぞと比べ物にならないほど良い戦車を持っていたドイツ軍のクライスト元帥をして
「世界でもっとも優れた戦車」といわしめたT-34が雑魚かぁ
じゃあ四式はブリキの玩具、五式は辛うじて中戦車と呼べる段階だなw
ドイツの高初速砲すら「ドアノッカー」扱いだしな、T-34は
何のためにドイツが高射砲転用という苦労をしたと思ってるんだ
ちなみに日本はセクト主義から終戦間際まで高射砲は所轄違いということで転用遅れに遅れ
実際に沖縄で75ミリ高射砲を対戦車に転用したら一発で壊れた(´Д⊂ヽ
まあノモンハンでのBT見たいな扱いになると思うが。T34。
4式とか5式なら簡単に撃破できるだろうから雑魚と言えば雑魚だな。
>>909 そのうち「パンツァークライストも雑魚」とか言い出すに違いない。
日本が高射砲を対戦車砲に使うようになったのは4式以降
BTも雑魚
高射砲装備の4式以降なら、76ミリ野砲搭載のT34に比べ対戦車能力は
大幅に優るだろう。ソ連の戦車はただでさえ命中率が低いのに。
ノモンハンのBT戦車も、その砲弾は少し離れると全然当たらなかったくらい。
簡単に撃破ぁ?
ドイツ軍の長砲身75ミリでも簡単撃破なんて不可能だったのに?
正面から抜こうとする場合88ミリ砲クラスでようやく、でしかも相手方もティーガーの砲とほぼ同じ砲弾重量撃てるT-34/85が万単位ででてくるというのに?
>>915 四式も五式も高射砲なんて装備してませんしそんな計画もありませんでしたが。
だいたい千メートルでKVは撃破可能、T34はもっと遠距離から撃破できる
>>917 ボフォース高射砲を戦車砲に転用してることを知らないのか?
ここで挟撃君がいっているT34とか四式・五式とかって明らかに史実のやつじゃないよな………
>>919 ドイツだって70口径75mmですら力不足だと感じたからティーガーが56口径88mmなんだろ。
それを53口径75mmで抜けると考える理由はなんなんだ?
> 五式75mm戦車砲は、四式75mm高射砲(原型はボフォース75mm高射砲)を車載用に改造したもの
五式ですら最大装甲75ミリで、74ミリクラス戦車砲なら1300メートルで簡単に抜かれる
逆に撃った場合でも、日本製88ミリ(これ自体実戦化すらできんかったんだが)は性能低くて1000メートルでようやく75ミリ抜けるレベル
互角の条件で戦ってもまず勝てない
これに数量の差が加わるだけだから天地がひっくり返っても勝てるわけないじゃん
あ、これは無論史実のデータからねw
>>921 なに、その脳内ドイツ戦車開発史? 基礎的知識も知らないのが流れ込んできてるらしい
四式の主砲で離千メートルに於ける75ミリ傾斜鋼鈑を撃ち抜くから
KV1の撃破が可能。
T34は正面が45ミリ傾斜鋼鈑だから防御はKVよ甘い
1940年代後半想定ならT34の最大装甲は90ミリなのにな。
日本軍厨がいくら電波飛ばしてもレスの無駄としかいいようがない。
主砲も88mm(以上)になってるしなあ。
ここはノモンハンスレ
日本軍厨ってこういう現実を見つめられない奴等ばっかなのか?
まさに旧軍の悪い所の系譜を引いているわけだなW
もう反論無いらしい
ノモンハンに戻れ。日ソが引き分けた戦いに
ああ、T34は雑魚日本軍厨がようやく沈黙したと思ったら今度は引き分け日本軍厨再来かぁ
個別の事項が全部論破されたんだから仕方ないよな。反日厨が罵倒に走るのも
一応まとめとこう
四式に高射砲は搭載されいない − > 本当は高射砲転用の主砲を搭載している
パンターの70口径75mmすら力不足だと感じたからティーガーが56口径88mm
− > 実際にはティーガーの方が先に開発されている
装甲にあたると砲弾のほうが割れてしまうとか
− > 正式な対戦車砲弾なら問題ない。
>>895 四号の長砲身化は独ソ戦開始前に始まっています。
投入されるであろうソ連戦車の情報があるか、予想されていたのならばT-34ショックは史実とは異なる形だったでしょう。
937 :
936:2008/01/23(水) 13:49:08 ID:???
長砲身型の開発が、ということです。
四式や五式が配備されるころのソ連主力戦車は砲塔前面120mm車体前面120mm傾斜60°のT-44戦車な訳なんですが。
支援にIS-2mとIS-3,ISU-152がくっついてくるわけなんですが。
1000mで75mm貫通の五式戦車砲や、1000mで150mm貫通の試製105mm砲でどうやって戦うのでしょうか。
>>878 原熊はあんまり相手にしないほうがいいような。
木戸日記なら当てになるけど。
米領事館推定もあんまり相手にしないほうがいいような。
本当に噂話。
>>884 当該期、原田熊雄男爵は西園寺公(元老)の秘書。
ただ、内容は玉石混淆。
現代の永田町政界情報が当てにならないのと同様。
それはそうと、ずっと日独挟撃論をやるつもり?
他にもスレがあると思うが、
このスレでそのネタで1000まで行くのか?
このスレの信頼も厚いクックスも、
日独挟撃すればソ連は危うかった論に立つということもあるけどね。
日本の徹甲弾はお粗末なのは事実。
それが技術的問題で開発不能なのか、それとも予算・量産上の問題からの妥協産物かは別として。
中国で鹵獲したラ式37mmは、鹵獲した正規品の砲弾の時と、国産砲弾使用では性能に大差が。
943 :
名無し三等兵:2008/01/23(水) 20:22:26 ID:spDYLkDY
下瀬火薬を使えば全てが解決
944 :
名無し三等兵:2008/01/23(水) 20:35:28 ID:apAnOKqw
辻ーんの戦略は正しかったの?
まともな架橋器材が無いのに、渡河作戦しようという点は無茶。
>>935 本当は高射砲転用の主砲を搭載している→搭載するつもりだったが量産の目処は立たなかった
第二項はその通り、ただし「53口径75mmで抜ける」わけではない
正式な対戦車砲弾なら問題ない→正式な対戦車砲弾「を量産できる」なら問題ない
ROMってたんだが指摘させてくれ・・・・・
>>945 架橋技術は陸軍は非常に熱心、ドイツのフランス戦役時の架橋速度を上回る速度で
南方作戦時確認されている架橋速度ではトップクラスの速度で架橋してる事実はご存知かな?
橋梁修理、架橋に関しては中国戦の経験を吸収し世界最高クラスの技術を保有してたんだが?
>>947 正式な徹甲弾ってなんだ非正規品でも存在するのか?
そもそも被帽付徹甲弾は陸軍は製造技術、ノウハウは無かったが海軍は戦前から製造技術保有していた。
海軍が渋るだけで状況しだいじゃ技術提供の可能性は十分ありえる。
徹甲弾の質も希少金属の不足から弾芯がただの精錬不良の鋼鉄を用いてただけで
末期には徹甲榴弾も開発はされていたし悲観するレベルではない。
ALL
ソビエトと一戦交えるなら北進策のシベリア資源地帯を抑える方針になるのだから
生産リソ−スは海軍重視ではなく陸軍重視になる事から想定されてる開戦時期は不明だけど
41年にずれこむなら少なくとも一線には97式改が配備され試作の一式中戦車に1式自走砲も登場
一式半装軌装甲兵車、一式装甲兵車を装備した機械化師団がノモンハンに誕生してる事になる。
適当なこと語るやつが増えたもんだな嘆かわしい と不毛な討論に油を注いでみる
>日独挟撃論
遠交近攻は基本。例えば中国を牽制するのにインドと手を結ぶように。
ところで上で日独陸軍が健在でソ連に圧力をかけていればソ連崩壊が40年くらい
早まるという意見もあるが、そんなに早くないと思う。
たぶん20年くらい短縮される程度
>>948 架橋は技術の問題ではなく、あの当時、現地にまともな架橋器材が無いのだ。
ノモンハン事件のときは、演習用の資材を1本持ってるだけだった。
にもかかわらず当初の作戦計画では、戦車団をハルハ河西岸に進ませる予定で、
でも、架橋資材の性能から絶対に不可能となり、歩兵が渡河する方向に変わった。
それでも、敵の軍橋を奪って使うとか、そういう無茶なことを検討したりもしてる。
演習用器材では結局歩兵用でも性能不足で、水流で自然崩壊の危険が出た。
渡河部隊は、トラックから兵も荷も降ろして1台ずつそろそろ渡り。
仮に自然崩壊しなくとも、万が一爆弾が1発あたればアウト。修理する材料も無いんだ。
渡河部隊の補給は、橋が崩壊しなかった史実でも途絶えがちだったわけですが、
背水の陣になったら、本当に洒落にならん。
951 :
947:2008/01/24(木) 04:51:34 ID:???
>>948 「正式な対戦車砲弾」については
>>935に聞いてくれよ
つかお前「ROMってた」ってウソだろ
>>949 20年間、ソ連に圧力を掛け続けられるほど
日独に潜在能力があれば、そもそも枢軸軍が勝ってるよなあ
エスパ−現る!
>>948 >そもそも被帽付徹甲弾は陸軍は製造技術、ノウハウは無かったが海軍は戦前から製造技術保有していた。
> 海軍が渋るだけで状況しだいじゃ技術提供の可能性は十分ありえる。
どうせそのままじゃ使えないとかそんなオチだろ?
仮に使えたとしても予算はどうすんだよ。
>>954 予算なんざなんぼでもあるじゃないか、単に海軍に引っ張られてただけで。
史実じゃ莫大な予算が海軍船舶に投入されてるがそれがそっくり浮く事になる。
予算不足で戦車工場増強、ライン切り替え、機械化を諦めた陸軍にしてみれば予算分捕るいい言い訳になるし
むしろソ満がきな臭くなったら対米融和をせざるを得ず日米交渉でも
違った結果がでてたかもな。
北進するとして戦車や航空機の燃料はどこから湧いて出てくる予定なの?
>>955 予算はまず航空だろ。
ちょうどノモンハンで壊滅寸前になってんだから。
その次は、ソ連軍に対抗するために歩兵の頭数を増やさなきゃならない。
補給を効率的にするための自動車化に、
歩兵部隊用の火砲と装備の増産、
それからノモンハンで致命傷になった砲弾不足の解消…
徹甲弾開発まで予算がまわるか?
自動車産業育てるあたりからやりなおすのかね
>>942 その37ミリ砲は口径は同一でも別物。日本の速射砲は正式な対戦車砲ではなく
つまり万能砲で、砲弾も半分榴弾。だから単純比較に意味はない。
本式の対戦車砲は47ミリ機動砲で、これなら弾体強度も問題なく米戦車を撃破してる
>>952 第二次大戦・太平洋戦争が無く、日独両軍が大陸に健在だったら、それだけでも充分な圧力になり
ソ連に相応の負担を強いる。
>>863 これってソ連の侵略はきれいな侵略みたいな・・・・同じような理屈でソ連の核兵器はきれいな核兵器と
日本共産党が主張してたがリアルで見たのは始めてw
>>959 解説
> 結論から言えば(国産)37mm砲は対戦車砲ではなかったのです。
> これは軍需審議会でも説明されていますが、歩兵砲的な任務を兼ねさせた一種の万能砲として開発されており、弾薬
> の信管形状も対戦車用途の徹甲弾ではありません。
> 「泥に落ちても炸裂するように大きな信管を付けてある」故に装甲貫徹能力が劣るのだという説明が一技研側から
> なされています。運用の問題ではないのです。
> ■題名 : 37mm級速射砲の経緯
>
ttp://www.warbirds.jp/BBS/c-board/log/tree_49.htm
>>959>>961 しかし"まとも(日本基準でだが)"な徹甲弾である一式徹甲弾でも、貫通力はたったの75mm(1000m)にすぎなかった事を見ると、
どう考えても日本の徹甲弾は二流品だったのでした。
実験では(ソースはグランドパワー2007年6月号〜2007年8月号の特集 ”知られざる日本の兵器・日本の防弾鋼板雑記”)
厚さ80mmの防弾甲板に対し、撃速500m/sでの七五ミリ一式徹甲弾が撃ち抜いていた。
90式野砲から一式徹甲弾を撃ち出せば距離千メートルで80mm厚の防弾鋼鈑を充分撃ち抜ける。
ちなみに距離1000mで貫徹力75ミリとか80ミリとか言う数字も出回っているが、それは開発を始める前の会議で
敵戦車の装甲は75ミリ、貫徹力は80ミリ以上必要、として出された数字。完成後の実射・実験データでは無い
>>963 それデータを基に(正しいと仮定して)五式戦車砲の貫通力を計算すると-パンターのKwK42を参考にした-距離1000mで大体
砲弾の存速が710−720m/s、貫通力は直角に命中して115mm程度かな?
しかし・・・
>>938に戻って、日ソ戦車戦の結果を想像してみよう!
陸軍の増強をするには幾つもの要因が重ならなきゃ打開は不可能。
1.戦費
中国戦線の縮小、できるなら講和も視野に入れた戦費の圧縮
2.技術開発
ドイツ、スウェ−デンなどシベリアル−トを通じた欧州から工作機械の購入と
ドイツ視察団のフランス戦役視察結果の詳細の分析、アメリカとの技術交渉の強化
3.運用
戦車、機械化部隊の運用に理解がある酒井将軍の現役残留が絶対条件。
4.量産
陸軍が断念していた機械化をするべく国内戦車工場、トラック工場の増強が必要
弾薬生産、備蓄の強化と輸送ル−トの増強
勘違いしてる人が多いけど日本軍が歩兵主体なのは予算がないからなだけで
機械化については熱心に技術開発は絶え間なくしていた事実を忘れては余りにかわいそう。
火砲運用についても第二次大戦参戦各国の編成を見てもアメは別として
他の参戦諸国と比べても特に見劣りする面はない、火砲があれば火力を前面に出した運用が基本。
>>956 最悪オランダだけでも十分だろ、海軍はろくに作戦しないしな。
ベネズエラ、メキシコから輸入もできるしポルトガル経由の迂回輸入も有りといえばあり。
アメリカも南進しないとわかれば日本に粘着する意味がないので史実ほど
貿易関係は険悪にはならない、そもそもなる必要性がない
最大の懸念事項は日本が調子に乗って連合国に宣戦布告をしない事。
あくまで枢軸vs連合国、ソビエト そこに国境紛争であると日本がソビエトにのみ宣戦布告が理想。
しかしこの流れモロ枢軸vsソビエトの別スレに内容が変わってきてるな。
>>964 実際の実験データーが間違っていると主張するには、同じように大砲と砲弾用意して実験しないとならないけれどもw
まあ、それは兎も角、75mm高射砲を搭載したのは四式戦車。五式戦車は変更して更に強力な砲を搭載するかも知れない。
試製105ミリ砲も貫徹力200ミリ以上が目標だし、当時としては充分だろう。
昭和二十年頃から量産開始予定だったから、相当数が生産され一定の数が揃うのは1950年代頃になるだろう。
たぶんその頃には満洲で油田が見つかっているだろう
>>966 1950年?あの・・・その頃にはT-54とT-10重戦車を相手にしなきゃならないのですが?
その頃には強力な10式戦車が開発されてる予定では?
硫黄島戦でもそうだけど、死傷者という曖昧な定義だと日本が上だけど
純然たる被害・戦死者はやっぱり日本のほうが打撃受けてるってケースなんだよなノモンハンは
しかもノモンハンの場合信頼できない日本公式発表と比べてすらそれ
戦傷者をそのまま救護できず死なせたり玉砕させたりという状況が酷かったんだね
日本の戦車団ってノモンハン事件前半だけでボコボコに叩かれてこれ以上戦えん、と死闘している友軍見捨ててとっとと逃げるレベルだしな
世界水準から取り残された一式戦車すら150両しか生産できなかった日本が
どこをどうしたらそれより手間かかる戦車を量産できるというんだ?
T34/85という主砲85ミリ・装甲厚90ミリという化け物戦車を三万両以上相手は持ってるわけだぞ?
仮に日本戦車が史実の10倍生産できても質量ともに追いつかないという悲惨な現実をまだ理解できんのか?
走行射撃もできないブリキ缶のBT戦車なんて射的の的・カモだよ。
329 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 20:30:21 ID:???
追加 解説
ノモンハン事変に於ける戦車戦で、ソ連戦車66両・装甲車数十台を破壊した。
(日本軍の戦車の全損害29両は対戦車砲などによる損失で、戦車同士の砲戦ではほとんど損失無し)
330 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 20:40:32 ID:???
ところで日本の戦車隊は7月26日に帰還命令が出されノモンハンの戦場から引き揚げた。
8月1日に戦車団編成改正との予定が有ったためで、これはノモンハン事変以前からの決定事項。
関東軍参謀は既定方針通りに改正を行っただけ。
もちろん失敗だったが、これはノモンハン事変は収束すると見て、八月以降のソ連軍大攻勢を
予測できなかったため。 (注 戦車戦で負けるから引き揚げたのではない)
走行しながらの射撃なんて、現代のレーザー照準装置付でもない限りまず当たらない高等技術なんですが……
>走行射撃
> 1356 戦車砲の水平面内での動かし方について質問します。
>
> 旋回砲塔を持っている戦車で砲塔に対して砲を微妙に動かせる戦車砲を持ったものというと、日本の37ミリ、57ミリ、47ミリの各戦車砲くらいです。
> これは行進間射撃(走行射撃)を重視していたためで、砲塔の旋回ハンドルとは別に肩当を使って微調整ができる仕組になっています。
>
>
ttp://www.warbirds.jp/ansqn/ansq03.cgi
>>972 残念ながら予測できていたが手を打たなかったというのが真実
767 名前:名無し三等兵 投稿日:2008/01/07(月) 12:10:49 ID:???
187 名前:名無し三等兵 投稿日:2008/01/03(木) 13:26:20 ID:???
ノモンハン事件の際、ソ連軍が8月攻勢のために4個狙撃旅団と戦車800輌を集中していると情報入手しても何も手を打たなかった日本軍
その言い訳↓
「たとえあの数字が正しくても日本は中国との戦争で見動きがとれず、とても東京が弱体な
関東軍を増強できるような情勢ではありませんでした。あの推定の数字は対策を講じるには
あまりにも大きすぎました。厳しい現実には目をつぶって、そのことは口にするな、そうす
れば問題はどこかに消え失せるだろう、それが我々の態度でした。どうせ何もできないのな
ら、情報を”もてあそんだ”ところで仕方ないじゃありませんか。」
(ノモンハン戦時の情報参謀鈴木中佐)
> ソ連の進んだ機械化部隊などというのも大ウソである。戦車は、走行射撃もできない水準であり、戦車戦では
> 全く問題にならなかった。また日本軍の速射砲・高射砲のえじきになり、約八〇〇台が破壊されている。
> これに対して、日本戦車の損害は二九台である。航空戦でも、ソ連のイ15、16(布ばり機もあった)は
> 日本の九七式戦闘機に対して全く太刀打ちできず、一六七三機の損害を出している。これに対して日本側の損害は一〇分の一の一七九機である。
>>975 実際には大兵力を集中して反撃する直前だったのだが・・・・・停戦に。
>>977 辻参謀らの負け惜しみを未だに真に受けているの?
戦えば戦うほど損害をまし、第23師団にいたっては日本側公式ですら七割という大損害
26・71連隊にいたっては九割以上損害だして文字通り全滅
勝てる要素なんて無い
じゃあ今の戦車じゃ駄目だから砲ぐらいはせめて改良しよう、という日本軍の努力は無駄だったということですね?>対戦車損害ゼロ主張
……あれ?w
>>959 >>961 平射歩兵砲をより対戦車能力を重視して改良したのが各国の37mm対戦車砲なんだけど
日本は歩兵砲としての機能を重視した。
ソ連は45mmに拡大して対処したし、ドイツとアメリカは歩兵砲としての機能を多少我慢した。
日本軍との戦闘で米軍の37mmは平射歩兵砲としてかなり活躍してるから日本軍のしたことは結果的に余計なことだったかもしれないが。
>>973 サイパンに配備された戦車隊の上層部視察時の事
演習で戦車隊が行進間射撃でことごとく命中させて感動の余り防衛準備で忙しいのに
戦車隊全員に休暇を与えたほどの錬度、その翌日に上陸開始されて休暇オジャンになったというエピソ−ドがある。
末期の沖縄でも同様の事は記録にあるし錬度に申し分ない。
ただこれについては体で直接砲の俯角調整ができた中小砲だからというのもあるがな
ソビエト戦車については照準器の取り付け精度が悪くガラスの純度も粗悪で曇りが多発し1km以上では
停止射撃ですら命中困難な時期があったがそれが他国全てに当てはまるというのは無理があるさすがに。
ドイツも基本停止射を用いてたけど錬度の高い部隊は行進間射撃も状況によりこなしてる。
米軍はシャ−マンにジャイロスタビライザ−搭載してたの位知ってるよな?
行進間射撃は高等技術だけど不可能ではないのよ大戦時から既に。
枢軸は錬度でカバ−しアメリカは素人でもできるように機械を開発
ソビエトは錬度も微妙なので5倍の数で押しつぶす これが事実。
>>972 撤退指示は7月ヒトケタに出ておる。
それを聞いた現場があわてて抗議して、最前線からは下げた形で残って、
以後は主に被撃破車両の回収を行ってた。
>>981 M3軽戦車も途中からジャイロスタビライザー装備してたね。
まあ、「錬度でカバ−」がやがて
息切れして物量に押し潰されるのは
ルフトヴァッフェの例でもわかるよなあ
限定的ではあっても技術的アドバンテージを維持しつつ
基本的には物量メインで結局押し切ったソ連もスゲエが
技術/物量共に最高水準だったアメリカの戦力は桁違いだな
どう考えても勝てる気がしませんありがとうございました
練度でカバーったって撤退を許さない日本軍の戦い方じゃ、
ノモンハンみたいな消耗戦では早晩練度の高いベテランが全滅しちまうぞ。
>>978 一個師団しか出さなかったから損耗も大きかった。兵力自乗の法則と言うヤツ
もっとも、それでもソ連軍の方が死傷者が多かった。
対抗するために相応の大兵力を投入すれば逆にソ連側を圧倒するだろう。
お前それやったら前面衝突になるだろうが。
第二次日露戦争の始まりだ。
遠慮して兵力を出さなきゃ当然の結果として負けるが? 相手は遠慮なく大兵力を出してくるのに
>>979 勝利していても慢心せず兵器の開発と改良は続けるのだよ
>>988 ではノモンハンの戦訓を生かそうとせずに前線指揮官を更迭したのは何故ですか?
>618 辺りでやってることを繰り返しても仕方ない
命令無視のほうが戦訓より大事だと。
そろそろ次スレ
>>989 ノモンハンの戦訓はちゃんと使ってるし、
指揮官の更迭はトカゲの尻尾切りで説明がつくだろう。
戦訓使ってるかぁ?
チハ改は戦車戦での結果を受けて作られた、とされているけど
実際に生産が開始されたのは太平洋戦争開始後だぜ
鈍いし間にあってないよ
>>994 別にソ連に侵攻してモスクワ攻略しろなんて誰も言ってない。ソ連の侵略意図を軽視せず、もっとしっかり防衛し、
ソ連なんかと中立条約など結んで相手を安心させてはいけない、つねに圧力をかけ続けろ、侵略には断固防衛し反撃しろ、と。
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1000:2008/01/25(金) 12:15:18 ID:???
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