日中戦争(支那事変)9 参謀本部第二部支那課

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821イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
そして陸軍の人事異動と同時期の1936年春、関東軍は『熱河産阿片』の
天津における密売管理を新たに『里見甫(さとみはじめ)』に委託しています。

というのも、それまで『熱河産阿片』の輸送と天津での密売を管理していた
前述の「坂田誠盛」が手を引いたからです。しかし、だからといって坂田が
今までの阿片密売を悔い改めた訳では全然ありません。

坂田は、河北省北西部にある「張家口」に月産1500キロの『ヘロイン』の
大規模工場をつくり、他の坂田組の資産および、自身が熱河作戦での功績で獲得
した熱河省内の交通運輸利権を「満鉄」に売却して北京を去る事になったのです。

張家口に移った坂田によって製造された大量のヘロインは、北京・天津・済南・
青島・上海へと密売されて(中心地は天津の日本租界橋立街)、これにより坂田は
巨万の利益を得ることになりました――。

まあ、いわゆる『発展的解消』というヤツですよ(核藁)。